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[75500]〜[75599]



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[75599] 2010年 7月 24日(土)23:28:39なると金時 さん
十番勝負
みんな頭やわらかいなあ。
問八:香南市。
[75598] 2010年 7月 24日(土)23:21:58【2】k-ace さん
十番勝負ブレイクと淡路島一周
あらためましてこんばんは、k-aceです。

問二と問八はなんとなく共通項っぽいものが浮かんでいるんですが、共通項がああならメダルは確定と思われるので、一応様子見で、明日以降解答しようかと思います(問二は詳しいところをまだ詰めてませんが)。
これまでの解答4つは思いついたままに解答しております。果たして結果は?

さて、海の日に原付で淡路島一周してきました。どうやら淡路島一周は自転車が主流のようで、大勢見かけましたが。
経港歴
[57013]suikoteiさん
◎=出発、到着とも利用、○=出発のみ利用、●=到着のみ利用。
に◎明石、◎岩屋が追加となりました(どちらも原付とともにたこフェリーで)。
加西市の自宅を出発後、小野から国道175号で一路明石へ。たこフェリー乗船後、岩屋から一路、立川水仙峡(○ゾの○ラ○○ス;大人の事情により一部伏字)へ。それにしてもこちら、中はもの凄いのですが、県道から駐車場までの勾配ももの凄いうえにガタガタ。その後灘(旧南淡町)で沼島を左手に見ながら福良を経由。鳴門岬(道の駅うずしお)へ。大鳴門橋のところや岬の先端近くまで行きました。目の前に見えている大毛島、四国。ただ原付では淡路島から直接鳴門・徳島へは行けない。その後湊(旧西淡町)から一旦内陸の市(旧三原町)、広田(旧緑町)へ。湊へ戻り一周再開。慶野松原へ…のはずがその南の慶野松原海水浴場の松でした(笑) その後今まで未踏だった旧五色町を経由。旧一宮町南部で交通事故による電柱倒壊により一時足止めを食らいましたが、北淡震災記念公園へ。震度7と震度4の揺れも体験してきたのですが、15年半前の震度4がどうだったのか覚えていないので、震度4ってこんなに揺れてったっけという感じでした。その後は岩屋から来た道で帰宅しました。
これで県内で残る未踏は旧家島町のみとなりました。
[75597] 2010年 7月 24日(土)23:14:09おがちゃん さん
十番勝負
問五:安中市
[75596] 2010年 7月 24日(土)23:10:44今川焼 さん
【第二十八回】猛暑に負けるな 全国の市十番勝負解答
問八:阿南市

さて、これでいいのか。
想定解数のしばりがないのも気楽でいいかも…。
[75595] 2010年 7月 24日(土)23:04:17ソーナンス さん
第二十八回十番勝負
うおっ!始まってた!!
今日からだったのね…(汗

というわけで十番勝負の時だけ湧いてくるワタクシですw


問二:福岡市


ま、とりあえず…ということで
[75594] 2010年 7月 24日(土)23:03:26おがちゃん さん
十番勝負
今回もよろしくお願いします。

問二:木更津市

出題時にパソコンの前にいれば・・・。
[75593] 2010年 7月 24日(土)22:46:18今川焼 さん
【第二十八回】猛暑に負けるな 全国の市十番勝負解答
問九:池田市
問十:三次市

今回、最近になく順調。何か落とし穴がなければいいけど…。
[75592] 2010年 7月 24日(土)22:35:28播磨坂 さん
あー
今気付きましたが、問六ミスでしたね。焦りは禁物。

今日はもう思いつきそうにないのでまた明日頑張ります(笑)
[75591] 2010年 7月 24日(土)22:32:53星野彼方 さん
第二十八回十番勝負
問三:白河市
[75590] 2010年 7月 24日(土)22:22:48今川焼 さん
【第二十八回】猛暑に負けるな 全国の市十番勝負解答
問六:伊勢市
問七:碧南市
[75589] 2010年 7月 24日(土)22:15:44播磨坂 さん
第二十八回十番勝負
十中八九、大丈夫かと思うんですが…

問六:松山市
[75588] 2010年 7月 24日(土)22:14:10山野[山野] さん
合併予定期日(案)
西尾市と幡豆郡3町の合併期日を来月9日に協議するそうですが、今の所、5つの案が出ているようです。
1,「平成23年3月1日」
2,「平成23年3月22日」
3,「平成23年3月28日」
4,「平成23年3月31日」
5,「平成23年4月1日」
三河新報より。
[75587] 2010年 7月 24日(土)22:09:00なると金時 さん
十番勝負
解答数がわからないのは難しいっすねえ。
問一:室戸市。
[75586] 2010年 7月 24日(土)22:01:37桜トンネル さん
第二十七回全国の市十番勝負&浦安市
帰ってから落ち着いてみ見てみるとかなりミスったような気もしないでもない・・・。
てかたぶん問九ミスちゃってますね(笑)。

問十:佐倉市

出かける前に引っかかってたことがビンゴでした。
[75585] 2010年 7月 24日(土)21:57:23播磨坂 さん
第二十八回十番勝負
出遅れてしまいました。

問二:大和市
[75584] 2010年 7月 24日(土)21:34:43ぺとぺと さん
第二十八回十番勝負
問六:日立市
[75583] 2010年 7月 24日(土)21:32:53星野彼方 さん
第二十八回十番勝負
問七:笛吹市
[75582] 2010年 7月 24日(土)21:27:01星野彼方 さん
第二十八回十番勝負
問六:四万十市
[75581] 2010年 7月 24日(土)21:23:14ぺとぺと さん
第二十八回十番勝負
妻がパソコンを使うのでしばらくブレイクしてました。
お題の市を解答してしまったので、再答します。うっかり賞があれば、間違いなく金メダルだなぁ。

問七:交野市

[75577]EMMさん
ご助言ありがとうございます。皆さんの解答で閃いたので、お題の存在自体を忘れてました(笑)。
[75580] 2010年 7月 24日(土)21:19:26くは さん
十番勝負
問九:伊達市(福島県)
ナローバンド環境につき…何も調べられません
[75579] 2010年 7月 24日(土)21:17:24星野彼方 さん
第二十八回十番勝負
問八:白山市

ほんとにこれでいいのかな?
[75578] 2010年 7月 24日(土)21:06:55油天神山 さん
十番勝負
ぺとぺとさん、お先に!

問七:香芝市
[75577] 2010年 7月 24日(土)21:02:18EMM さん
ご注進
[75576] ぺとぺとさん

名取はお題でゴザル。
[75576] 2010年 7月 24日(土)20:57:04ぺとぺと さん
第二十八回十番勝負
問七:名取市
[75575] 2010年 7月 24日(土)20:55:01ぺとぺと さん
第二十八回十番勝負
いいのかな…

問八:防府市

防府高校、エースの負傷にもかかわらずベスト4進出ですね。
[75574] 2010年 7月 24日(土)20:47:29EMM さん
全国の市十番勝負(第二十八回)の解答
問七:狛江市

なんだ、そゆ事か…
[75573] 2010年 7月 24日(土)20:35:52今川焼 さん
【第二十八回】猛暑に負けるな 全国の市十番勝負解答
問三:高梁市
[75572] 2010年 7月 24日(土)20:26:48伊豆之国 さん
十番勝負
問六:島原市
[75571] 2010年 7月 24日(土)20:21:48EMM さん
全国の市十番勝負(第二十八回)の解答
問一:諏訪市

開始直後からパソコンの前に座ってられればなぁ…
[75570] 2010年 7月 24日(土)20:18:09鳴子こけし さん
第二十八回 全国の市十番勝負 解答其の肆
連投失礼

問六:大阪市

眺めると閃くものですね。
[75569] 2010年 7月 24日(土)20:13:35鳴子こけし さん
第二十八回 全国の市十番勝負 解答其の参
問八:京都市
問十:甲府市

プチ盲点。
[75568] 2010年 7月 24日(土)20:12:46EMM さん
全国の市十番勝負(第二十八回)の解答
問十:かほく市

幅が狭いんだか広いんだか。
[75567] 2010年 7月 24日(土)20:05:16今川焼 さん
【第二十八回】猛暑に負けるな 全国の市十番勝負解答
問一:珠洲市
問二:相模原市
[75566] 2010年 7月 24日(土)20:04:32ぺとぺと さん
第二十八回十番勝負
「りゃんめんまち」になるところを探すのに苦労しました。

問十:津島市
[75565] 2010年 7月 24日(土)20:04:03鳴子こけし さん
第二十八回 全国の市十番勝負 解答其の弐
問九:福島市

県庁所在地つぶしを
[75564] 2010年 7月 24日(土)20:02:25EMM さん
全国の市十番勝負(第二十八回)の解答
問九:北広島市

とりあえずあまり広げずに考えてみた。
[75563] 2010年 7月 24日(土)20:00:29伊豆之国 さん
十番勝負
問八:平塚市
問九:藤沢市
問十:大和市
[75562] 2010年 7月 24日(土)19:52:27ぺとぺと さん
第二十八回十番勝負
問九:草津市
[75561] 2010年 7月 24日(土)19:51:18EMM さん
全国の市十番勝負(第二十八回)の解答
問八:新潟市

予想どおりなら…○○さんごめんなさいかも。
[75560] 2010年 7月 24日(土)19:51:08鳴子こけし さん
第二十八回 全国の市十番勝負 解答其の壱
どうも。鳴子こけしです。暑さでいろいろ大変ですが、気合いで乗り切ります。
では早速解答をば

問二:浦添市
[75559] 2010年 7月 24日(土)19:43:08EMM さん
全国の市十番勝負(第二十八回)の解答
問六:秋田市

これで良いのか、どこまで良いのか自信が持てない。

#先の解答は、飯食ってる最中に携帯から打ち込みました。
あんまりやってると怒られそうだったので、一問だけ…
[75558] 2010年 7月 24日(土)19:41:53油天神山 さん
十番勝負
問十:茨木市

ここらでちょっと落ち着いて状況を見てみたほうがいいな。
[75557] 2010年 7月 24日(土)19:38:11油天神山 さん
十番勝負
問九:阿南市

猛スピードで答えている気がしますが、金メダルは恐らく0。く~(泣)
[75556] 2010年 7月 24日(土)19:33:15まつもとしろくま さん
【第二十八回】全国の市十番勝負
問九:一宮市
問十:あま市
[75555] 2010年 7月 24日(土)19:28:13油天神山 さん
十番勝負
問八:つくば市

全部桜トンネルさんに先を越されてるなあ。
[75554] 2010年 7月 24日(土)19:26:07白桃 さん
いきなりブレイク
今回の目標は
獲得金メダル数≧十番勝負開催数の堅持です。
どうやら、=はクリアできたようです。
>になると良いのですが、それはムシが良すぎますか。
ここで、アルコール入ります・・・
[75553] 2010年 7月 24日(土)19:25:36あきすて さん
【第二十八回】十番勝負
問七:田辺市
[75552] 2010年 7月 24日(土)19:24:34桜トンネル さん
第二十八回全国の市十番勝負&印西市
もしかして?

問九:金沢市

どこまでがくくりなんだろう?
[75551] 2010年 7月 24日(土)19:23:34星野彼方 さん
第二十八回十番勝負
問九:新庄市
[75550] 2010年 7月 24日(土)19:22:30星野彼方 さん
第二十八回十番勝負
問十:たつの市
[75549] 2010年 7月 24日(土)19:21:55k-ace さん
第二十八回・十番勝負
問十:香南市
[75548] 2010年 7月 24日(土)19:20:41桜トンネル さん
第二十八回全国の市十番勝負&市原市
白桃さんとも同じ考えのようだし大丈夫でしょう。

問八:神戸市

これ以前考えたことあったなぁ(笑)。
[75547] 2010年 7月 24日(土)19:19:56ぺとぺと さん
第二十八回十番勝負
問一:北茨城市
[75546] 2010年 7月 24日(土)19:19:01k-ace さん
第二十八回・十番勝負
問九:瀬戸内市
[75545] 2010年 7月 24日(土)19:17:17白桃 さん
十番勝負
問八:高松市
[75544] 2010年 7月 24日(土)19:17:08桜トンネル さん
第二十八回全国の市十番勝負&市川市
再びの解答です。

問七:阿南市

まさか?でも確かにかも・・・。
外出先でひらめいたら(さすがにそんな余裕はないと思うけど^^;)すぐに解答しますが、それでも数時間先ですね。
[75543] 2010年 7月 24日(土)19:14:33【1】スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
十番勝負
問二(再回答):昭島市
(問題市を答えてしまったため)

【1】再答理由を追加しました。回答はいじっていません。
[75542] 2010年 7月 24日(土)19:12:55k-ace さん
第二十八回・十番勝負
問五:ひたちなか市
[75541] 2010年 7月 24日(土)19:12:49星野彼方 さん
第二十八回十番勝負
問二:千歳市

罠な気もするけど…
[75540] 2010年 7月 24日(土)19:12:27油天神山 さん
十番勝負
問六:近江八幡市

どこかに落とし穴があるような気もする。
[75539] 2010年 7月 24日(土)19:12:25ぺとぺと さん
第二十八回十番勝負
グリグリさんのお取り計らい?のおかげで、何とか初日参戦できました。
まさに、この日のこの時間しかありえないという、絶妙のスタート時間設定でした。
ということで、今回もよろしくお願いします。

問二:綾瀬市
[75538] 2010年 7月 24日(土)19:10:36EMM さん
十番勝負解答
問二:名護市
[75537] 2010年 7月 24日(土)19:10:31スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
十番勝負
今回もよろしくお願いします!!

問二:佐世保市
[75536] 2010年 7月 24日(土)19:08:48星野彼方 さん
第二十八回十番勝負
問一:白山市
[75535] 2010年 7月 24日(土)19:07:56油天神山 さん
十番勝負
問二:横浜市

素直すぎる気もするんですけどねえ・・・
[75534] 2010年 7月 24日(土)19:07:31k-ace さん
第二十八回・十番勝負
こんばんは、k-aceです。

問六:相馬市
[75533] 2010年 7月 24日(土)19:07:04cody さん
十番勝負
問二:座間市

今回もよろしくお願いします。
[75532] 2010年 7月 24日(土)19:06:41桜トンネル さん
第二十八回全国の市十番勝負&いすみ市
またまた解答します。

問二:沖縄市

3回目となりますけど、すべて予想問題です(笑)・
[75531] 2010年 7月 24日(土)19:04:26油天神山 さん
十番勝負
暑さに負けるな! 行くぜ!

問一:羽咋市
[75530] 2010年 7月 24日(土)19:03:36なると金時 さん
十番勝負
生きてます。
問二:福生市。
[75529] 2010年 7月 24日(土)19:03:28白桃 さん
第二十八回全国の市・十番勝負
問七:柳川市
[75528] 2010年 7月 24日(土)19:02:30桜トンネル さん
第二十八回全国の市十番勝負&我孫子市
早速2回目です。

問六:広島市

自信がないことにはあまり変わらないんですけど・・・。
[75527] 2010年 7月 24日(土)19:01:34桜トンネル さん
第二十八回全国の市十番勝負&旭市
こんばんは。今回は用事があり、出題後30分で戦線離脱します。そんな感じなんですが、今回もよろしくお願いします。
それでは早速解答に移ります。

問一:神戸市

もしかしたら予想問題かもです。
[75526] 2010年 7月 24日(土)19:00:03オーナー グリグリ
【第二十八回】猛暑に負けるな 全国の市十番勝負(問題)
それでは猛暑に負けるなをスローガンに、第二十八回全国の市十番勝負を始めます。最初の採点は明朝午前7時を予定しています。なお、今回はすべての問題の想定解数を伏せております(手抜き?)。途中で発表するかもしれません。

【問題】
以下の各問に列挙した市にはある共通する特徴があります。同じ特徴を持つ市を一例(一市)だけ挙げてください。
なお、解答に当たっては以下の注意事項を必ずお守りください。

【注意事項】
1.共通する特徴は解答しないでください。何人もの方が答えられるようにするためです。
2.解答の書き込みに対する後からの訂正や追加はご遠慮ください(解答順が前後する恐れがあるためです)。
3.解答は一問につき一人一解答でお願いします。採点で誤答となった場合は再度解答していただいて構いません。
※なお、すでに他の方が解答済みの市、問題となっている市、あるいは、消滅した市を、誤ってあるいはタッチの差で解答してしまった場合は、採点を待たずに再解答しても構いません。その場合は再解答の理由(既解答、問題市、消滅市)を付記してください。
4.問題は原則として2010年7月24日の情報を基にしています。
5.十番勝負は、あなた自身だけでなく、あなたの周りの人に悪影響を与えることがあります。参加の際には、周りの人の迷惑にならないように注意しましょう。人により程度は異なりますが、十番勝負への依存が生じる場合があります。個人の責任において参加されることをご了解願います。とくに、未成年者の方はご注意ください。

問一(想定解数:?市)宮古市、にかほ市、氷見市、米子市、宮崎市
問二(想定解数:?市)三沢市、横須賀市、岩国市、佐世保市、宜野湾市(該当しない市:小美玉市)
問三(想定解数:?市)士別市、花巻市、町田市、綾部市、名護市(該当しない市:潟上市、宜野湾市)
問四(想定解数:?市)札幌市、砺波市、豊岡市、奈良市、長崎市
問五(想定解数:?市)むつ市、酒田市、西東京市、江田島市、田川市
問六(想定解数:?市)釧路市、ふじみ野市、諏訪市、名古屋市、有田市(該当しない市:土佐市)
問七(想定解数:?市)気仙沼市、名取市、福知山市、天理市、姶良市(該当しない市:城陽市、行橋市)
問八(想定解数:?市)習志野市、金沢市、尼崎市、加西市、東かがわ市(該当しない市:宜野湾市)
問九(想定解数:?市)伊達市(北海道)、山形市、中野市、三原市、香美市(該当しない市:大田市)
問十(想定解数:?市)山形市、太田市、豊岡市、三原市、香美市(該当しない市:中野市)

【免責】
出題に当たってはできる限りの調査を行っておりますが、確認漏れや問題の不備ならびに想定解の見落としなどが発覚する可能性があります。その際にはできるだけ妥当な救済措置を行うよう努力いたしますが、不手際などありますことをあらかじめご了承ください。

解答状況の確認ページ:【第二十八回】猛暑に負けるな 全国の市十番勝負(解答状況)
[75525] 2010年 7月 24日(土)14:07:11【2】EMM さん
全国の市十番勝負(第二十七回)の感想文(抄)
感想文、書くタイミングを外すとどうもあきません…と言うことで第二十七回十番勝負の感想を復習がてら短縮版でまとめておきます…次は完答したらすぐに下書き始めといた方が良さそうだなぁ…

問十(米原市)
これはお題を見てパッと閃きました。で、清須市が○なら米原市も○かな、と。

問六(尾花沢市×→国分寺市)
先に並んだ解答を見たら一発で共通項は分かったが、他の問も含めて解答の出るペースが速かったのでそれに飲まれて既解答を見落としてしまった…

問四(高松市)
加須市や栃木市の合併があったのでこれは出うると睨んでいたが、閃いたきっかけはおがちゃんさんの解答を見て。
ただし、出るとは思っていたがきちんと数えておらず、該当しないのに「該当する」と勘違いていた市があり、それが基で皆さんを惑わす書き込みをしてしまいました。

問九(南相馬市)
市の木は一度別の問で怪しんだ結果違っていて、そのためにちょっと遠回りする羽目に…

問七(日立市)
いろいろと深く考えてしまい遠回り。頭をリセットして簡単なところから確認し始めたら分かった。実は3月頃に星野彼方さんと電話で話していて「茨城県の人口2位・3位でイメージされるのは?」みたいな話をしてました。でもその時は日立市の存在を忘れていた…

問三(姶良市×→市原市×→大津市)
姶良は皆さんの解答を見て吸い寄せられてしまった結果。でも「そういう共通項はグリグリさんらしくない」と思い、解答直後に星野彼方さん解答の西予市を精査したら「隣に原」と言うことまでは分かったものの、「町村のみ」と言うことを見逃してしまい阿呆な解答をする羽目に。メダル&迷彩を狙って慌ててしまい、市原市の相方の茂原市が×なのを見逃したのが最大の敗因。庄原市にしとけば良かった…

問二(神栖市)
おでかけ中に携帯で確認したらお題の市が2文字目で改行された状態で表示され、それを見て気がついた。解答時は「松」「村」「橋」以外のところを探しました。

問一(ひたちなか市)
相川のことをもう少し早く思い出してればもうちょっと早く答えられたかも。とにかくお題に「相」の字が共通であることに気づいたら、あとは可能性のあるもの(合併相手?学校?郵便局?等々)を精査していって確認するだけ。郵便局はもっとあるものと思ったが、数えてみたらぴったりでビックリ。逆に言えば、数えてみないとちょっと勇気がいったなぁ…と言う感じ。(特に簡易郵便局で該当するところ…)

問五(呉市)
いっちゃん学園時代に似たような問題でメダルを取ったことがあるのになぁ。
いろいろ思い悩んでいる間に「開設予定の駅がある市か?」と思い和歌山市を調べていて、府と駅の数が気になってお題の市を確認してみたら駅がいっぱいあるが目に付き、相模原市との比較の結果から確信。
最初はざっと探して見つけた新城市・呉市・宇部市の3択で考えていたが、「まだ面白いところがあるかも」と気になって55市を探し倒し、さらに気仙沼市・糸魚川市・飯田市を候補に加えて悩んだ中から呉市を選択。呉・新城・飯田って「一本道」で該当してるんすよね。ちなみに「該当しないが心惹かれた」のは米子市。
あと、「実際に大紛糾させた事がある」者からすると、伊豆之国さんのご指摘の線引きで紛糾することはあり得ないと思う。なぜなら「駅の所有者」を一律の基準で網羅的に調べるのがかなり困難だったなのに対し、「営業路線に含まれる駅」での線引きは鉄道便覧(図書館で見てきました)でも確認可能なため。

問八(石垣市)
何となく「人口で○位があったから、面積も有りか?」と思い、相模原の順位を確認してからお題・該当しない市・既解答を確認したら大備後。もっと早く閃いてていい内容だったとがっくりしたが、ヒント前に完答できたんでよしとしましょう。
石垣市は「1位が町」でなおかつ「距離の離れた島のためぱっと見の比較がしにくい」と言うことで選んだ迷彩。

…ということで、今回は「いつもの5県からは選ばない大会」で行ってみました。途中で「大茨城大会にしとけば良かった」と思いましたが、金沢市が該当するときのみ金沢市で解答するつもりだったので地方は気にせず行きました。
ただし、金沢市が該当するのは「お題で金沢市が使われていた」ものだけでしたが…

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この後、6時半頃まで用事でお出かけです。
7時にパソコンの前に座ってられるかどうかは、晩飯がどれだけで食べきれるかにかかってるなぁ…明日も朝から昼頃までお出かけだし、どうなる事やら…
[75524] 2010年 7月 24日(土)13:11:22油天神山 さん
自治体越え地名情報提供
こんにちは。早くも夏バテ気味の油天神山です。今週末は帰省しないので十番勝負にはスタートから参加できます。・・・いや、そのために帰省しなかったんじゃないですよ。大体いつも隔週で帰省していて(お金があればもっと頻繁に帰るんですが)、先週の三連休に合わせて帰省したから、今週は帰れないんですっ! ・・・っと、一体誰に向かって必死に言い訳しているのやら。

さてさて。
グリグリさん、自治体越え地名コレクションのリリース、遅ればせながらおめでとうございます。グリグリさん担当の地名コレクションを拝見すると、今回の「自治体越え地名」と言い、「百交差点」「はさま」と言い、着眼点が実に面白いと思います。特に私は一つのコンセプトをいつまでもいじくり回す癖が強いので(担当するコレクションのカテゴリーを見ていただければ一目瞭然)、余計にそういうのが羨ましい(笑)

で、更に情報提供です。大阪府内でまだ挙がっていないところを。
池田市空港/豊中市南空港町(非隣接)
池田市石橋/豊中市石橋麻田町
茨木市総持寺・総持寺駅前町・中総持寺町・総持寺台/高槻市南総持寺町
摂津市正雀・正雀本町・東正雀・阪急正雀/吹田市南正雀

以下、少しばかりややこしいのを。
箕面市粟生間谷・・・・粟生外院・粟生新家・粟生彩都南/茨木市粟生岩阪
箕面市粟生彩都南/茨木市彩都やまぶき・彩都あさぎ
「彩都」と「粟生」という新旧の地名が微妙に重なったりずれたりしているところがなかなか面白いです。

豊中市新千里…吹田市千里山…千里万博公園千里丘…/摂津市千里丘・千里丘東・南千里丘
吹田市と摂津市の両千里丘は隣接していますが、それ以外の「千里」は隣接していません。「千里丘」と「千里」とに分けて考えた方が良いのかも。

摂津市三島茨木市三島町・三島丘高槻市三島江大阪府三島郡(島本町)
これはどうしたらいいのかなあ。一つは郡名だし、どれも隣接していないし。でも前の三つはいずれもかつては三島郡に属していましたから関連性があると言えばあるんですよね。
[75298]でグリグリさんが挙げておられる「派生的分断」に当たりますかねえ・・・。上の「千里」の例もそうですが、「近接」といえるかどうかも微妙なところであります。

この他に政令指定都市の区境を越えた地名も十数件拾い出しているんですが、書く根気が続かなくなってきたので(やっぱり夏バテだ)、また改めます。十番勝負後になってしまうかもしれませんが。
[75523] 2010年 7月 24日(土)12:24:46Issie さん
幕張町一丁目地先埋立地
[75522] グリグリ さん
ちょっと分り難かったかもしれませんが

ああ,これは見落としていました。
なら,安心して…

参考「政令指定都市の区境を越える地名」

 幕張:千葉市 花見川区幕張町,幕張本郷/美浜区幕張西

幕張西一~三丁目の部分は埋め立てが完了して入居が始まった1974年に千葉市に編入されて,幕張一丁目の一部になりました(現在の四丁目の部分も一緒に編入されたように書いてあるものもあるのですが,1974年時点でこの部分はようやく埋め立てが始まったところでした)。
これが1979年に「幕張西」として独立し,1992年の区制実施で 花見川区 になった幕張・本体とは別に 美浜区 の一部となったのでした。
この辺りは千葉市に編入される前から私たちの遊び場でした。

都道府県内の自治体境を越える地名

 古市場:千葉市緑区古市場町/市原市古市場

千葉市側は元・千葉郡古市場村,市原市側は元・市原郡古市場村で,千葉郡は下総,市原郡は上総ですから,「国境を越える地名」でもあります。

で,千葉県の地図帳を引っ張り出して眺めているのですが,何ぶん古いものなので(1992年版。「区制記念版」なんて書いてある),「宮野木町」が稲毛区と花見川区,「南生実町」が中央区と緑区に分断されて描かれています。その後,花見川区宮野木町とい緑区南生実町では住居表示の際に新しい町名がつくられて“同一町名の分断”は解消していますが,
でも,これも対象になるのかな。

 千葉市 稲毛区宮野木町/花見川区宮野木台
 千葉市 中央区生実町,南生実町/緑区おゆみ野○○

相模原市で分断されている 田名 の場合,緑区部分はほとんどが畑で,しかも農地として区画整理が行われたので当分市街地化される可能性はなく,住居表示が実施される可能性もとても低いので,分断の解消はまずないでしょう。下九沢は中央区部分がすでに市街化していますから,こちらは将来の住居表示による分断の解消はあるだろうと思います。大野台三丁目はどうでしょうねえ。こここそ整理した方がいいと思うのですが。
[75522] 2010年 7月 24日(土)09:32:42【1】オーナー グリグリ
「自治体越えの地名」更新 & 今夜開始!十番勝負
「自治体越えの地名」コレクションを更新しました。

[75508] Issieさん
せっかくなので,相模原市の例,仲間に入れてやってくださいませ。
情報ありがとうございます。「政令指定都市の区境を越える地名」(編集作業中)に追加しました。
・元は1つだったが,複数の自治体に分割されて,それが合併してまた1つの自治体内に戻ったが,町(大字)としては別扱い

 新潟県長岡市 千谷沢(旧越路町)/小国町千谷沢(旧小国町) ---例の「チャーザァ村」
こちらも追加しました。
古い例だと

 横浜市 西区 戸部町/西戸部町,平沼/西平沼町
 横浜市 中区吉田町/南区南吉田町
こちらも追加しました。吉田町の例は現在でも区境を越える事例として追加しました(現在は非隣接ですが)。
以上、ありがとうございました。

[75514] 伊豆之国さん
まず、
参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」
として出ている「上小山田町・他」ですが、これは[75249]で書いた通り、元々全域が町田市だったのが、昭和48年の境界変更で一部が多摩市に編入され、その多摩市に入ったほうが後に町名変更されて全て消滅しているので、「元々同一地名だったのが、分割されて別々の自治体に属することとなり、その後一方が地名変更により消滅した」というが正しいのではないでしょうか。
このように「分割された地名の一方が消滅した」という例には、[75273]で播磨坂さんが取り上げた「雑司が谷・高田」(豊島区で残存、文京区では消滅)など、結構例がありそうです。「本家」の千葉県側で消えてしまった「葛飾」([75350]hmt さん‥船橋市の町名としてわずかに残っていますが)は、その「広域地名版」と言ったところでしょうか。
長文引用になりますが、ご指摘ごもっともです。これらは葛飾も含めて過去に存在した自治体境を越える地名にとして参考収集しても面白いかと思いますが、際限なくでてくる恐れもありますので収集対象外とさせてください。一応、メモは手元に残しておきます。
あと、「百草・落川」(日野市・多摩市)への記事リンクが[75244]になっていますが、[75249]ではないでしょうか。
大変失礼しました。ご指摘通りです。訂正いたしました。ありがとうございました。

[75517] Issieさん
よく見ると,これがありませんね。

 軽井沢:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢/群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢
ちょっと分り難かったかもしれませんが、「都道府県境を越える地名」の「群馬県・長野県」の項に掲載済みです([75243]のじゃごたろさんの記事により)。このコレクションの自治体名などの並び順は自治体コード順に統一しています。軽井沢のように本家と分家のような関係がはっきりしている場合など、本家/分家の順に表示した方が親切で分りやすいのかと思いますが、あいまいな例も多いので一律コード順としています。ご理解のほどよろしくお願いいたします。


[75519] 88さん
PCの調子が悪く、ついに機種を更新しました。
[75520] 山野さん
理由は、いつも使用していたパソコンの本体の電源回路が逝ってしまい、丸ごと廃棄になりましたので…。
猛暑のためでしょうか。災難でしたね。パソコンの買い替えは新しくなるのは嬉しいのですが、それまでのデータやソフトの使い方が変わってしまうのが面倒ですよね。ソフトの買い替え等必要になる場合もありますし。

さて、本日午後7時から恒例の全国の市十番勝負が始まります。一応準備は整いました。出題の都合で、今回はちょっと問題提示に先祖返りの部分があります。まぁ、より気楽に参加できるようにとの意図もあります。
[75521] 2010年 7月 23日(金)23:26:23hmt さん
「府県」が最初に置かれた政府直轄地 (5)版籍奉還
[75516]では、慶応4年閏4月の政体書から、明治2年6月実施の版籍奉還前までに設けられた府県をほぼ年代順に列挙しました。
この1年余の期間の日本は、このシリーズ のタイトルである「政府直轄地」と、ほぼ江戸時代のままの「諸侯」の領地(藩)との二本立の統治体制でした。
この体制のままで近代化は可能か? 連邦国家像を描くにしても、300近い藩に細分化された状況のままではやはり無理であり、藩の再編成を避けることはできない。これは、誰しも考えたことでしょう。

「雄藩」の藩主たちの思惑がどのようなものであったのかはともかく、明治2年正月23日に「長薩肥土四藩上表」なるものが提出されました。

法令全書明治2年通番75 には、毛利宰相中将、島津少将、鍋島少将、山内少将4侯に宛てた沙汰書が掲載されています。
これは、4藩主の上表に対する受取書であり、再度東京に行幸した際に会議を開き、公論を集約した上で、沙汰する という内容です。

参照として示されている上表文の ポイントと思われるくだり。
抑臣等居る所は即ち天子の土 臣等牧する所は即ち天子の民なり 安んそ私に有すへけんや 今謹みて其版籍を収めて之を上る 願くは朝廷其宜に処し 其与ふ可きは之を与へ 其奪ふべきはこれを奪ひ 凡列藩の封土 更に宜しく詔命を下し これを改め定むへし

土地・人民は日本の主権者たる天子に帰するものだから、列藩が徳川家から預かっていた「版籍」(= 版図 + 戸籍)を 一旦 天子にお返しする。
朝廷は宜しく、つまり 列藩に対する 封土の与奪権 を行使して、列藩の封土を改定してほしい。

4藩主の申し出は、日本の近代化にとり必要な 封土再編成を朝廷にまかせる というものですが、彼等が期待しているものは「藩の再編成」であり、「廃藩」ではないように思われます。

もっとも、府藩県三治の制度は作られたが、藩は家法・職制等まちまちだから、藩を改めて府県と同じにしようと、より明確に「廃藩」を打ち出した提案も既にありました。
「姫路藩の版籍奉還建白」(明治元年11月、「史談速記録」収載)を挙げておきます。

明治2年正月の御沙汰書でも触れていた東京行幸は 3月に行われ[75459]、6月17日に 版籍奉還願の通り という許可の御沙汰がありました。
薩長土肥という有力4藩が願い出た 版籍奉還 は、藩の再編成を求める潮流となり、4藩に続く 同様の申し出が、列藩から続々と出されていました。法令全書通番543 の宛先は「版籍奉還願出候面々」と、4藩と追随者とを含めた 版籍奉還組の諸藩一括 となっています。
なお、通番544の宛先は「版籍奉還不願出候面々」で、こちらには“其藩も封土版籍返上被仰付候事”という一文が加えられています。

上記2件の御沙汰の後に、参照として 274藩の「藩知事表」が 147コマから 151コマまで 列挙されています。
通番542にあるように、この日に「諸侯」の称号は廃止され、新たに「華族」ということになりました。
藩知事表に続いて、一橋家以下の「地所廩米の家」4家と「廩米の家」8家とが記されています。

6月25日には「知藩事」に対する 明治2年576 行政官達 が出され、支配地総高・費用・職制職員・藩士兵卒員数等の報告を求めています。既出一覧表は「藩知事」でしたが、今回は「知藩事」と、知県事と同様な名になっています。

要するに、明治2年6月に出された決定は、正月の上表時に 多くの藩主たちが期待したであろう 「封土の再交付」ではなかったのでした。
藩主たちにとり、今回の変革は、将軍の代替わりにおける 本領安堵を少し修正した程度 では済まないものであることを 実感させる結果でした。
このような結果をもたらした経緯につき 詳しくは知りませんが、正月24日の御沙汰で“会議を経公論を被為”と予告されていたことから、公議所での議事対象になったものと思われます。
五ヶ条の御誓文 の第1条に掲げられた“広く会議を興し萬機公論に決すべし”を具体化した公議所では、政府各官や藩の代表が公議人となっていましたが、藩主たちとは違った視点で、近代への一歩を進めたものでしょう。

藩の職制については、明治元年902 で、執政・参政・公議人の他、“大凡府県簡易の制に準じ”という程度の指針が示されていましたが、版籍奉還によって藩主が政府から任命された知藩事になって以後、「藩」も 府県と同列の行政区画 としての位置付けがなされてゆきました。

明治3年579 藩制 を見ると、藩高の 10% は知事家禄に充当。藩高の 9% が海陸軍費で、残る 81% が士卒の禄を含む行政費 という割当です。
県と同列の行政区画と言いましたが、大勢の武士を抱え、藩ごとに陸軍を持つ点、府県と違う藩の独自性を持つことになります。

軍事費の半分は海軍費として官に納め、半分は陸軍費するというのですが、これでは どれだけ装備の充実ができることやら。
尤精々節減し有余を以て軍用に可蓄置様可心掛事
という状況であるのも、うなづけます。

明治3年藩制 の最後のあたり、9月決算明細書を差し出すべき事の後に、藩債支消や藩札引換の計画についても言及しています。これも府県と違う藩独自の問題でした。

# 版籍奉還して政府支配地になってからの「藩」も、まだ「府県」との異質性がかなりあり、とても“名前が違うだけで、殆んど「県」と同じもの[75494]”とは言えないようです。やはり「府藩県三治制」ではなく、「府県・藩三治制」と呼ぶべきか。
[75520] 2010年 7月 23日(金)22:58:55山野[山野] さん
テスト書き
山野です。本日から暫くの間、臨時のパソコンからの書き込みとなります。
理由は、いつも使用していたパソコンの本体の電源回路が逝ってしまい、丸ごと廃棄になりましたので…。
少し不便でございます。
[75519] 2010年 7月 23日(金)20:20:50【1】88 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時ほか) 小レス2
[75518]拙稿の続きです。
M22.6.1付け市制町村制施行時の情報(岡山県)
■勝北郡 豊並村 となる従前の町村名について
勝北郡 西原村, 皆木村, 行方村, 高円村, 「高殿村」, 関本村, 小坂村, 馬桑村
or
勝北郡 西原村, 皆木村, 行方村, 高円村, 関本村, 小坂村, 馬桑村
「幕末以降総覧」・・・勝北郡 高殿村 なし、M5に 高円村 が 高殿村 を編入合併
「辞典」・・・勝北郡 高殿村なし
M5の勝北郡 高円村 が 高殿村 を編入合併した件の反映ができていなかった編集ミスです。ご指摘のとおり、高殿村を削除するように修正しました
■西西条郡 泉村となる従前の町村名について
西西条郡 箱村, 西屋村, 「坂手小原分」, 養野村, 井坂村, 女原村, 至孝農村
or
西西条郡 箱村, 西屋村, 「杉村」, 養野村, 井坂村, 女原村, 至孝農村
「幕末以降総覧」・・・西西条郡 杉村(M5に 杉村 が 坂手小原分 を編入合併
「辞典」・・・西西条郡 杉村
M5の西西条郡 杉村 が 坂手小原分 を編入合併した件を反映する際の編集ミスです。ご指摘のとおり、「西西条郡 杉村」と修正しました
■西西条郡 芳野村 となる従前の町村名について
西西条郡 布原村, 「古川村東分」, 「古川村西分」, 吉原村, 寺元村, 宗枝村, 真加部村
or
西西条郡 布原村, 「古川村」, 吉原村, 寺元村, 宗枝村, 真加部村
「幕末以降総覧」・・・西西条郡 古川村(M5に 布原村, 古川村東分, 古川村西分 が合併し 古川村 が成立、M14に 古川村 から 布原村 が分立、古川村 は存続)
「辞典」・・・西西条郡 古川村
やはり単なる編集ミスです。ご指摘のとおり、「西西条郡 古川村」と修正しました
■西北条郡 津山町 となる従前の町村名について
西北条郡 山下, 北町, 田町, 椿高下, 城代町, 材木町, 伏見町, 京町, 河原町, 堺町, 船頭町, 小性町, 吹屋町, 二階町, 元魚町, 二丁目, 三丁目, 新職人町, 新魚町, 桶屋町, 南新座, 戸川町, 福渡町, 美濃職人町, 下紺屋町, 鍛冶町, 細工町, 上紺屋町, 坪井町, 宮脇「村」, 西今町, 鉄砲町, 西寺町, 茅町, 安岡町, 新茅町
or
西北条郡 山下, 北町, 田町, 椿高下, 城代町, 材木町, 伏見町, 京町, 河原町, 堺町, 船頭町, 小性町, 吹屋町, 二階町, 元魚町, 二丁目, 三丁目, 新職人町, 新魚町, 桶屋町, 南新座, 戸川町, 福渡町, 美濃職人町, 下紺屋町, 鍛冶町, 細工町, 上紺屋町, 坪井町, 宮脇「町」, 西今町, 鉄砲町, 西寺町, 茅町, 安岡町, 新茅町
「幕末以降総覧」・・・西北条郡 宮脇村
「辞典」・・・旧津山城下町の一部
ご紹介の、根拠であるM22.4.29付け(岡山)県令第26号、ほかに従い、「西北条郡 宮脇町」と判断し、修正しました
――――――――――
M22.7.1付け市制町村制施行時の情報(岐阜県)
■安八郡高橋村 となる従前の町村名について
安八郡 高橋村
or
安八郡 高橋村(本体;字代官町東、新地前、狐堀、村西、堤際ノ内新規川西を除く)
「幕末以降総覧」・・・安八郡 高橋村
「辞典」・・・安八郡 高橋村の一部
[75399]拙稿の「(本)・(微)・一部」の取扱いにより、「安八郡 高橋村(本)」と修正しました
■吉城郡 阿曽布村 となる従前の町村名について 吉城郡 阿曽布村 or 吉城郡 神岡村の一部
■吉城郡 船津町 となる従前の町村名について 吉城郡 船津村 or 吉城郡 神岡村の一部
■吉城郡 袖川村 となる従前の町村名について 吉城郡 袖川村 or 吉城郡 神岡村の一部
「幕末以降総覧」・・・吉城郡 神岡村の一部
「辞典」・・・吉城郡 神岡村の一部
「幕末以降総覧」の記載方法を改めて紹介しておきます。同書は、市制町村制以降の変遷を記した本文部分と、市制町村制以前の変遷を記した脚注部分とから成っています。
まず、脚注部分。
・M8に、では、巣山村をはじめとする49村が合併して神岡村が発足。
・M22に、(大多和村ほか計21村)が神岡村から分立して船津村が誕生。
・M22に、(吉田村ほか計19村)が神岡村から分立して阿曽布村が誕生。
・M22に、(巣山村ほか計9村)が神岡村から分立して袖川村が誕生。
(注:「幕末以降総覧」では「分立」との表現であるが、本件に関しては市区町村変遷情報では「分割」に相当するもの。以下同じ。)
そして、本文部分。
市制町村制施行時における従前の町村名は、船津町,阿曽布村,袖川村とも、「神岡村の内」との表現。
しかし、上述のように、「市制町村制以前の変遷」を記載する脚注部分に、分立(分割)の細かい内容が記載されていことから、M22.7.1の市制町村制以前のM22(月日不詳)に3村への分立(分割)が行われ、M22.7.1にはそれぞれ3村が単独で市制町村制施行、と解釈したものです。
しかし、ご紹介のM22.6.27付け(岐阜)県令第27号76コマのとおり、M22.7.1付けの市制町村制施行の際の神岡村の3分割であり、脚注部分は、旧49村の分割区域を示したものにすぎないことことを確認し、ご指摘のように、3村とも「神岡村の一部」とし([75399]拙稿の「(本)・(微)・一部」の取扱いによる)、修正しました(吉城郡 阿曽布村吉城郡 船津町吉城郡 袖川村)。

[75351] むっくん さん
#余談ですが、市区町村変遷情報(市制町村制施行時)の記載分に関しては当方で正誤のチェックは総て終えています。ただ、現在88さんがお忙しいようですので、これに関しての投稿は無期限延期としていますが。。。
お気遣い、恐縮です。遅ればせながら、最近は、編集作業に従事できるようになっています。ここ1箇月ほどは、ほぼ毎日、1時間くらいずつ編集作業を行うことができ、かなり進捗しました。
[75399]拙稿の「(本)・(微)・一部」の取扱いについても、市制町村制施行時の情報につきましては、むっくんさん他の皆さんのご指摘への対応と合わせて、以下の各県ですでに修正を行いました(施行日逆順)。
香川県愛媛県徳島県
鳥取県愛知県岐阜県
他の入力済みの各府県にも、追って同様に対応すると同時に、手元でのExcelでの整理作業でも、同様の対応を行っていきたいと思います。
――――――――――
毎回、本当にありがとうございます。
他の投稿への対応も、順次行います。今後ともよろしくお願いいたします。
――――――――――
#以下余談。
PCの調子が悪く、ついに機種を更新しました。
何かと速くなったのはいいのですが(Windows 7)、Office 2010(使用しているのはExcelかワードパッドが大半) がかなり従前のもの(Excel2003など)とはかなり変わってしまい、いまだに馴染めません・・・。
[75518] 2010年 7月 23日(金)20:20:4988 さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時ほか) 小レス1
いろいろと、皆さんから呼ばれているのは承知しているのですが、ここ3週間ほどコツコツ行っていた作業分を先に投稿します。
――――――――――
長崎県下県郡厳原町をめぐる記事集
[73960] YT さん
[74052] 88
[74062] むっくん さん
[74083] YT さん
■長崎県 下県郡 厳原町 の成立日について  T8(1919).4.1 or ??
■長崎県 下県郡 厳原町 となる従前の町村名について 総称「厳原」なし or 総称「厳原」あり
[74052] 拙稿では、T8(1919).4.1で、厳原村から厳原町に、また、M39(1908).4.1付けで各町村が合併して下県郡 厳原村として沖縄県及島嶼町村制施行としていました。
ご紹介いただいた、以前からその信憑性を信用している郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、M42.12.10)(リンク先は新アドレスに置換え)の記述、その他ご紹介の各種資料に従い、M39(1908).4.1付けで総称「厳原」なしの「下県郡 桟原町, 宮谷町, 天道茂町, 中村町, 今屋敷町, 田淵町, 大手橋町, 日吉町, 国分町, 久田道町, 厳原村, 南室村, 小浦村, 曲村, 久田村」が合併して、下県郡 厳原町 として沖縄県及島嶼町村制を施行したと判断し、修正しました
――――――――――
[74090] むっくん さん
M22.4.1付け市制町村制施行時の情報(高知県)
■高知県 長岡郡 西豊永村となる町村名の一部について 長岡郡 奥太田村 or 長岡郡 奥大田村
「幕末以降総覧」・・・長岡郡 奥太田村
「辞典」・・・長岡郡 奥太田村
しかし、ご紹介の高知県市町村改称一覧明治22年4月(編著:片桐仲蔵、出版:開成舎、M22.4.13)は、M22.3.4付け(高知)県令第31号をまさしく記載しています。確かに、「長岡郡 奥大田村」との記述です。
また、ご紹介のように現在は長岡郡大豊町奥大田のようです。
これらにより、また、何よりも根拠である(高知)県令から、「長岡郡 奥大田村」と判断し、修正しました
――――――――――
M22.10.1付け市制町村制施行時の情報(徳島県)
■徳島市 となる従前の町村名について 総称「徳島」あり or 総称「徳島」なし
徳島籠屋町 or 籃屋町
「幕末以降総覧」・・・総称「徳島」あり、徳島籠屋町
「辞典」・・・徳島城下町29町, 徳島大工島村, 徳島安宅村, 徳島住吉島村, 徳島常三島村, 徳島下助任村, 徳島前川村, 徳島佐古村, 徳島南佐古村
ご紹介いただいたM22.6.29付け(徳島)県令第30号は、根拠そのものです。総称「徳島」については、この県令の記述に従い、総称「徳島」ありと修正しました。
一方、「籃」「籠」については、「漢字源」(学習研究社、1999年4月1日改訂新版第6刷)によると、この二つ漢字の説明は次のとおりです。
籃:(1)かご。竹で編み、とっ手のついたかご。かたみ。(2)ふせご。物の上にかぶせる大きいふせかご。
籠:(1)かご。竹をあんでつくった細長いかご。(2)えびら。矢を入れておく道具。(3)こめる。いろいろなものをまとめて一つにする。
ほぼ同じですが、本来は「籠」は「籃」より細長いもののようです(「籠手」(こて)でイメージが湧くかもしれません)。
当該地は、現在の徳島市籠屋町一丁目・二丁目付近にあたりそうです(参考:徳島かごや町商店街徳島市籠屋町商店街振興組合(pdfファイル))。
一方、「籃」屋町との記述は、個人の古文書関係のサイトくらいしかweb上では見当たりませんでした。
「籃」「籠」当時は表記の揺れがあったのかもしれません。悩ましいのですが、県令の記述どおり、「籃屋町」と判断しました。
以上のように、修正しました。-
■阿波郡 八幡村 となる従前の町村名について
阿波郡 粟島村, 八幡「村」, 大野島村, 山野上村, 伊月村の一部, 切幡村, 水田村の一部
or
阿波郡 粟島村, 八幡「町」, 大野島村, 山野上村, 伊月村の一部, 切幡村, 水田村の一部
「幕末以降総覧」・・・阿波郡 八幡村
「辞典」・・・阿波郡 八幡村
しかし、ご紹介の、根拠であるM22.6.29付け(徳島)県令第30号その他の資料から、「阿波郡 八幡町」と判断しました。また、あわせて[75399]拙稿の「(本)・(微)・一部」の取扱いにより、「阿波郡 粟島村, 八幡町, 大野島村, 山野上村, 伊月村(本), 切幡村, 水田村(微)」と修正しました。-
■三好郡 箸蔵村 となる従前の町村名について 三好郡 「洲」津村, 西山村 or 三好郡 「州」津村, 西山村
「幕末以降総覧」・・・三好郡 洲津村
「辞典」・・・三好郡 州津村
「漢字源」(学習研究社、1999年4月1日改訂新版第6刷)によると、次のとおりです。(抄)
洲:(1)す。川の中の小島。なかす。(同音同義:州)(2)大陸。注:「州」に書き換えることがある。
州:(1)す。しま。なかす。(同音同義:州)(2)大陸。(同音同義:州)(3)地方の行政区画。注:大陸のことを、特にアジア洲のように書いたこともあるが、州・洲は区別するに及ばない。
「洲」「州」は、それほど意識して区別していなかったものと思われます。(最近でも、琴欧州→琴欧洲の改名もあります)
現在は、ご紹介のように三好市池田町州津のようですし、M22.6.29付け(徳島)県令第30号その他に従い、「三好郡 州津村」と修正しました。-
■那賀郡 長生村 となる従前の町村名について
那賀郡 上「新」井村, 明谷村, 大原村, 大谷村, 宮内村, 三倉村, 本庄村, 西方村
or
那賀郡 上「荒」井村, 明谷村, 大原村, 大谷村, 宮内村, 三倉村, 本庄村, 西方村
「幕末以降総覧」・・・那賀郡 上荒井村
「辞典」・・・那賀郡 上荒井村
単に入力誤りでした。ご紹介のM22.6.29付け(徳島)県令第30号その他に従い、「那賀郡 上荒井村」と修正しました。-
■板野郡 大津村 となる従前の町村名について
板野郡 大幸村, 大代村, 段関村, 備前島村, 木津野村, 吉永村, 長江新田村, 徳「永」村, 矢倉野村
or
板野郡 大幸村, 大代村, 段関村, 備前島村, 木津野村, 吉永村, 長江新田村, 徳「長」村, 矢倉野村
「幕末以降総覧」・・・板野郡 徳永村
「辞典」・・・板野郡 徳永村
しかし、ご紹介の、根拠であるM22.6.29付け(徳島)県令第30号、現在が鳴門市大津町徳長であることもあわせ、「板野郡 徳長村」と判断し、修正しました
■美馬郡 脇町 or 美馬郡 脇村 となる変更種別について 新設/村制 or 新設/町制
「総覧」・・・美馬郡 脇町
「幕末以降総覧」・・・美馬郡 脇町
「辞典」・・・美馬郡 脇町
単なる入力ミスでした。「新設/町制」と修正しました
――――――――――
続きます。
[75517] 2010年 7月 22日(木)22:21:52【2】Issie さん
北軽井沢
もう少し「『自治体越えの地名』コレクション」ネタ。

よく見ると,これがありませんね。

 軽井沢:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢/群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢

これはまあ,よく知られているように「軽井沢」が分割されたのではなくて,本来は「軽井沢」でも何でもなかった群馬県側が避暑地で有名な長野県側にあやかって名乗ったものであるというわけで,したがってリストアップされていないのでしょうが,実はあのリストの中にはこのパターンが結構含まれているのではないかと思われます。

たとえば

 中山 なかやま 市境隣接 市川市中山…/船橋市本中山…

[75283] 伊豆之国 さん
船橋市本中山・東中山・二子町・本郷町/市川市中山・二子飛地・本郷飛地‥市の境界線も入り組んでいるのに、町名まで複雑に交錯してますますややこしい~。二つの「飛地」町名が‥

これは「中山」が市川市と船橋市とに分割された例ではありません。
船橋市本中山の住居表示前の町名は「小栗原町」。「本中山」というのは1967年の住居表示で新設された町名です。「東中山」も同様に,(今,手許では確認できないですが)元は二子町,本郷町であった所に住居表示が実施されて新設されたもの。これは恐らく京成電鉄の「東中山駅」に由来するものではないかと思います。「東中山駅」は元々「中山競馬場」へのアクセス駅として開設されたもので,つまりは競馬場に由来するのでしょうね。しかし,中山競馬場は「中山」にはありません(旧東葛飾郡葛飾町古作)。

※調べてみたら,中山競馬場は当初は今よりも中山寄りにあって,「中山村大字若宮」を所在地としていたようですね。その後,やや北東に動いて,葛飾村(現船橋市)の所在となった…。

この辺りは元々「栗原(郷)」と呼ばれていたようです。近くの「本郷」という地名はこれと関係するのでしょうね。「小栗原(おぐりはら)」というのもこれから派生したものでしょう。徳川家康が江戸に入封したときに家臣の成瀬正成が葛飾郡内に領地をあてがわれ,栗原(小栗原)に陣屋を置き,さらにあちらこちらで領地をもらって1万石を越えたので,これを「栗原藩」と呼びます。後に正成が尾張藩の徳川義直の附家老となって犬山へ移ったので,栗原は次男の之成が継承しました。犬山の成瀬家の方はずーっと続いて最近まで「城主様」であったのですが,栗原の成瀬家は間もなく断絶して取り潰されてしまいました。中世には千葉氏の支配下で「小栗原城」というお城もあったらしいのですが,もちろん「石垣とお濠と天守閣」に象徴される近世城郭の遥かに前のものですから,遺構自体がほとんど残っていないようです。
いずれにせよ,こんなに歴史のある「小栗原」という地名を船橋市はあっさり捨ててしまいました。「中山」の方がメジャーだからなのでしょうかね。何しろ,総武線の「下総中山駅」も,京成電車の「京成中山駅」も,あるのは「中山」ではなく「小栗原」,さらに千葉街道(国道14号線)沿いの商店街も。「中山で賑やかなところ」というのは,今や市川市ではなく,船橋市の小栗原ですから。
「東中山」も「中山競馬場」も「中山」にないことは先述の通りです。

「中山」というのは,そこにある法華経寺と関係のある地名であるようです。逆に,法華経寺のある辺りが近世以来の「中山村」でした。明治の大合併で周辺の村と合併して「東葛飾郡中山村」となりましたが,村役場は木下街道沿いに置かれました。街道をはさんだ北方(←「ぼっけ」と読みます)と合わせて,この辺りが中山村の中心であったのでしょう。現在も市川市立中山小学校があります。

「中山」が明治の大合併で北方(ぼっけ)などと合併して 中山村 の一部となったのに対して,小栗原 は東側の千葉街道沿いの村と合併して 葛飾村 の一部となりました。一方,南側の 田尻 や 高谷(こうや),原木(ばらき),二俣 などは 行徳町 に合併されました。当時は江戸川(放水路)などありませんから,行徳は“川向う”ではなく陸続きです。
で,中山町 が 市川市 の一部になり,葛飾町 が 船橋市 の一部となり,さらに 行徳町 も市川市に編入された結果,あのように 小栗原(本中山) が市川市に食い込んでいるような形になったのです。

あ,久しぶりなもので,つい長々書いてしまいましたが,要するに「本中山」は「北軽井沢」と同じようなケースであるように思います。だから,「北軽井沢」を可とするか否かによって,「本中山」の扱いも決まるのではないかと思うのです。そして,そういうケースが,あのリストの中にほかにももっとあるように思われます。
[75516] 2010年 7月 22日(木)21:50:38hmt さん
「府県」が最初に置かれた政府直轄地 (4)版籍奉還前の府県
江戸城が平和裡に開け渡され、新政府の勢力が日本の主要部に及ぶことが確定した 慶応4年初夏に発布され政体書。
これにより、中央政府には 太政官七官が設けられ、地方は「府県と藩」の三官に分けて統治されることになりました。

徳川家から召し上げた政府直轄地[75495]のうち、幕府奉行所などがあった要地に設けられた「府」は、一時的に 10府を数えましたが、明治2年7月には京都・東京・大阪の三府に限定され、それ以外はすべて「県」になりました[75459]

「県」の第1号は、慶応4年閏4月25日 大津県・笠松県など5県であり、「府」の第1号とほぼ同時登場でした[75497]

日付順に列挙してゆくのも 能がないやり方ですが、「版籍奉還前の府県」が設けられのは、やはり主要な政府直轄地であると考え、少し続けます。

慶応4年閏4月中に第1号の2府5県に続いて設けられたのは丹後国 久美浜県 でした。翌明治2年8月10日 生野県分離 とあるように、一時は 旧生野代官支配地を統治する(但馬)府中裁判所[75497] を統合し、丹後・丹波・但馬・播磨・美作の旧天領・旗本領を管轄していたようです。

5月の大阪府・長崎府・江戸府は既出[75457]
江戸府ができた直後の5月15日に、彰義隊が決起しましたが、長州の大村益次郎が指揮する政府軍は、本郷台地からの上野砲撃により、10時間で「抵抗勢力」を討伐しました。西郷隆盛は、この戦争の激戦地黒門口で、薩摩軍を指揮しました。上野公園の有名な銅像からは、本来の職業軍人として、この上野の地で活躍した姿を想像することができませんが…

この後、5月中に 倉敷県・奈良県・なぜか兵庫府でなかった兵庫県[75457]・飛騨県 と「県」の設置が続きます。
北越戦争の混乱中[75459]に(あえて?)設置された越後府の日付が 資料により異なることは、[75497]で触れました。
6月には 飛騨県が早くも高山県に改称されました。富岡県も 天草県となっている資料があり、改称された可能性があります。
三河裁判所([75497]では書き落し 4/29設置)や横浜裁判所>神奈川裁判所も、6月に三河県・神奈川府に改称。
上野国の岩鼻県、和泉国の堺県も6月設置。

伊勢国四日市の 大津県所管 は 既に[75497]で触れましたが、讃岐国塩飽諸島の 倉敷県所管など、当時の管轄は、現代の府県を越えたものがあります。

また、現在の常識からすると、○○県の存在を前提に「○○県知事」があるのですが、当時は「知県事」という官職が任命されても、その管轄する「○○県」という名は、必ずしも設けられたわけでなかったようです。
地方沿革略譜 には、慶応4年8月に 下総知県事 に任命された佐々木貞之丞が(明治元年) 12月に罷める時には まだ県名が設けられておらず、後に【明治2年正月13日】葛飾県と称した とあります。つまり、「下総県」は存在しなかったようです。

こんなことを書いたのは、慶応4年には 「武蔵知県事」が 3人も同時に存在したからです。
江戸には 江戸府(7月17日 東京府[75459])が設けられましたが、その近郊の武蔵国にある 天領・御家人知行地も 新政府に召し上げられました。新政府は、ここを統治するために、3人の旧幕府代官を 武蔵知県事 に任命しました。
それぞれが 10万石余を担当した 3人の知県事の役所(元の代官所)は、翌明治2年になると それぞれ大宮県・品川県・小菅県と呼ばれるようになりますが、慶応4年6~7月の段階では、下総と同様に 知県事あれども県名なし の状態でした。
類例は、常陸知県事(M2若森県)、上総安房知県事(M2宮谷県)があります。真岡知県事の役所は 明治2年に移転改称して 日光県になりました。

あと、江戸近郊の天領というと、伊豆韮山の 江川太郎左衛門代官所[59110]支配地も 政府直轄地になりました。法令全書では、江川英武(幕末の海防に尽力した江川英龍の五男)が正式に知事になった 明治2年 に記録されていますが、地方沿革略譜では 慶応4年6月 韮山県設置 となっています。

北越戦争も収束しつつある越後では、柏崎県が越後府から7月に分離。
8月には 信濃に 伊奈県設置。この県は、北信濃の中野までを管轄するだけでなく、明治2年6月には三河県を併合し、南北に驚くほど離れた領域を管轄しました。
記念すべき「県の第1号」5県のうち、富高県は日田県に、富岡県>天草県は長崎府にそれぞれ8月に編入されて消滅。
9月初めには、佐渡県設置の後、甲斐国で府中・市川・石和の3県設置。改元後の10月には統合して甲斐府。

9月8日に改元の詔書が出て、一世一元制になりました。法令全書通番726
“慶応4年を改め明治元年と為す”を文字通りに適用すれば 年初に遡る のですが、改元前の日付は あえて慶応4年で記しています[75457]

上からは 明治だ などというけれど、「おさまるめい」と下からは読む

明治元年になってからの、越後府>新潟府、神奈川府>神奈川県、甲斐府、いずれも既出。
明治2年の葛飾県・小菅県・新潟府から分離の越後府2・若森県・品川県・大宮県・宮谷県・日光県・新潟府>新潟県なども既出。
新たな県では、隠岐県が置かれた後、移転改称で大森県へ。更に翌年浜田県へ。
大阪府から分離の摂津県は、豊崎県と改称後兵庫県に編入。同じく大阪府から分離の河内県は、堺県に編入。

さて、ここで これまでの府県が設置されてきた 徳川家の旧領 とは異なる性格の地が登場します。
明治2年3月28日、陸前国に設置された「涌谷県」と「栗原県」です。
涌谷(わくや)は伊達騒動に登場する伊達安芸の本拠であった地であり、現在も宮城県遠田郡涌谷町があります。
戊辰戦争で敗れた仙台藩は大幅に領地を削減され、この地は土浦藩取締地の政府直轄地を経て、涌谷県が設置されました。
涌谷県や栗原県の存在は、宮城県の行政区画の変遷 によって確認することができるのですが、これまで このシリーズで引用してきた 法令全書と地方沿革略譜 のいずれにも、なぜか掲載されていません。

明治2年5月4日には若松県が置かれました。これも同じ性格の旧会津藩領です。法令全書は不掲載ですが、地方沿革略譜 には掲載。

明治2年には、地方統治に関して、これらよりも更に重要な動きがありました。
「大政」は奉還したものの、中央政府から任された状態になっていた諸侯支配地の「版籍奉還」がそれです。
[75515] 2010年 7月 22日(木)13:43:57【1】JOUTOU さん
国勢調査が近づいていますが・・・
北海道を除くと気温がほぼ体温に近づいている毎日ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか? 夏が苦手な私JOUTOUの今年の作戦は“心頭滅却すれば火もまた涼し”ではありませんが「夏だから暑いのは当たり前!暑いという言葉を口に出さない」をモットーに精神論で乗り切ろうと考えています(苦笑)。

さて、新聞によると前回国勢調査時に全国TOP99%の回収率を誇った島根県では、国勢調査時の県内人口を予想してもらう懸賞付き「人口予想クイズ」を実施するとのこと。もちろん他にも目的があるとのことらしいのですが、ちなみに懸賞は「しまね和牛他(最大3万円相当)」らしいですよ。詳しくは(2010年7月22日読売新聞)

全国各地でこのような企画を提供し、それがひとつのきっかけとして、多くの人が興味・関心を持つ機会となれば、この「都道府県市区町村」にとっても、ここに出入りする皆さんにとっても非常に良い事ですよね。問題は全国で最も関心があるであろう県民が住む地域だからこそ、自治体も積極的に動くのであって、果たして関心の低い自治体が積極的に予算を割くかな?といったところが現実なのでしょうが・・・。

※誤字及び一部文章訂正
[75514] 2010年 7月 21日(水)23:37:48伊豆之国 さん
Re:おや、まだ?(業務連絡・自治体越え地名)
[75501]オーナー グリグリさん
「自治体越え地名」コレクション、いよいよ正式リリースとなりましたね。

ところで早速ですが、表現をご訂正してほしい箇所がありますのでどうかお願いいたします。
まず、
参考「過去に分断し合併により再び一緒になった例」
として出ている「上小山田町・他」ですが、これは[75249]で書いた通り、元々全域が町田市だったのが、昭和48年の境界変更で一部が多摩市に編入され、その多摩市に入ったほうが後に町名変更されて全て消滅しているので、「元々同一地名だったのが、分割されて別々の自治体に属することとなり、その後一方が地名変更により消滅した」というが正しいのではないでしょうか。
このように「分割された地名の一方が消滅した」という例には、[75273]で播磨坂さんが取り上げた「雑司が谷・高田」(豊島区で残存、文京区では消滅)など、結構例がありそうです。「本家」の千葉県側で消えてしまった「葛飾」([75350]hmtさん‥船橋市の町名としてわずかに残っていますが)は、その「広域地名版」と言ったところでしょうか。
あと、「百草・落川」(日野市・多摩市)への記事リンクが[75244]になっていますが、[75249]ではないでしょうか。
[75513] 2010年 7月 20日(火)23:55:57Issie さん
郡を分ける
私がお休みしていた間の少し古い話題で,もしかしたらもう収束しているのかもしれませんが,少し蒸し返して…

[75355] mul-sa さん
ところで、一つの郡を複数に分けて「東」「西」等つけるのは、近代になってからの動きではないでしょうか。

[75357] hmt さん
中世に入間川を境に東西に分けて入東郡・入西郡と呼んだことがあったようです。

郡が一番激しく分割されたのは中世です。
とりあえず思いつくものを列挙してみましょう。

 下総国印旛郡 → 印西郡,印東郡
 下総国葛飾郡 → 葛西郡,葛東郡 ※「東葛」「葛南」は近代の呼称
 上総国夷隅郡(伊甚郡) → 伊北郡,伊南郡
 上総国市原郡 → 市西郡,市東郡
 上総国海上郡 → 海北郡  ※海南郡はあまり見られず。上総海上郡は近世に市原郡に統合。
 上総国周淮郡 → 周西郡,周東郡
 安房国安房郡 → 安西郡,安東郡  ※むしろ「安房国」を分割したとも
 武蔵国入間郡 → 入西郡,入東郡
 武蔵国多摩郡 → 多西郡,多東郡
 尾張国海部郡 → 海西郡,海東郡
 大和国曽布郡 → 添上郡,添下郡
 大和国磯城郡 → 式上郡,式下郡
 大和国葛城郡 → 葛上郡,葛下郡
 河内国丹比郡 → 丹北郡,丹南郡
 摂津国三島郡 → 島上郡,島下郡
 摂津国難波大郡 → 西生郡(西成郡),東生郡(東成郡)
 因幡国八上郡 → 八上郡,八東郡
 播磨国賀茂郡 → 加西郡,加東郡
 播磨国飾磨郡 → 飾西郡,飾東郡
 播磨国神崎郡 → 神西郡,神東郡
 播磨国揖保郡 → 揖西郡,揖東郡
 美作国勝田(かつまた)郡 → 勝北郡,勝南郡
 美作国苫田郡 → 苫東郡(→東南条郡,東北条郡),苫西郡(→西北条郡,西西条郡)
 美作国久米郡 → 久米北条郡,久米南条郡
 阿波国名方郡 → 名西郡,名東郡
 讃岐国香川郡 → 香西郡,香東郡
 筑前国朝倉郡 → 上座(かみつあさくら→かみくら→じょうざ)郡,下座(しもつあさくら→しもくら→げざ)郡
 筑後国八女郡 → 上妻(かみつやめ→かみつま)郡,下妻(しもつやめ→しもつま)郡
 豊前国三毛郡 → 上毛郡,下毛郡

ほかにももっとあると思います。
これらの中には,すでに律令制下の奈良時代末期の段階で分割されていたものもあります。しかしこれらのうち,あるものは近世初期の段階で「古の状態に戻す」という精神から元の形に統合されています。下総国印旛郡がその例。上総国市原郡は勢い余って海上郡(海北郡)まで統合してしまいました。
次に「古の姿に戻す」機会となったのが明治半ばの郡制施行です。このときに,たとえば 播磨国神崎郡 や 揖保郡 が“復活”しています。
一方で,1878(明治11)年の郡区町村編制法では中世とは別の理屈で分割された郡も多数あるわけで,下総国・武蔵国葛飾郡 が中世の 葛西郡・葛東郡 ではなく 東葛飾郡・西葛飾郡・中葛飾郡・北葛飾郡・南葛飾郡,武蔵国多摩郡 が 多西郡・多東郡 ではなく 東多摩郡・西多摩郡・南多摩郡・北多摩郡 と分割されるわけです。葛飾5郡の場合は,郡制施行の際に統合されて3郡になるのですね。

中世に郡が細分化されたのには深い背景があって,話すと長くなるのでここでは控えます。
ただ,このときに国府経由の支配単位である「郡」と荘園経由の支配単位である「荘(庄)」をさらに細分する単位として多用されたのが「条」でした。上に挙げた美作国苫田郡に極端な例が見られますが,「上条・中条・下条・北条・南条・西条・東条」という地域呼称の多くがこれに由来することを申し添えておきます。
ただし,地名などというものは読み方も表記も私たちが思い込んでいるよりも遥かに「いい加減」で「適当」で「融通無碍」なものです。読みが同じならいくらでも違う漢字で表記され得るし,同じ漢字で書いてあっても読み方はいくらでもあります。そもそも「2文字の漢字」で表記することを基本とする地名は,奈良時代の有名な「縁起の良い文字2文字で書け」という命令で無理に無理を重ねた当て字に始まったものですから。

ま,そんなわけで,郡を分割するのは明治に始まったことではない,ということを再確認しておきましょう。
 
[75512] 2010年 7月 20日(火)23:07:33小松原ラガー さん
この身の振り様はラグビー選手の華麗なステップを見ているようだ。
小松原ラガーです。

長いタイトルですみません。3連休、とある行事で体だけでなく頭まで完全にスイッチが入ってしまいました。(謎)

[75511] JOUTOU さん
どういう心境の変化か?10月から茨城―神戸便(1日1往復)の再開を決めたようです。

世間を離れていたため、全く知りませんでした。ありがとうございます。因みに地元の神戸新聞にもこのように出ておりました。
しかし、ああだと言ったかと思ったら、こうだと言い、そしてまた、やっぱりそうだとなる。で、本当はどうなんだ?と言いたいくらいです。タイトルのごとく、ひらりひらりと右へ左へステップ切って前進するスタンドオフかセンターかと言えばまだ例えとしては良い方でしょう。今回のスカイマークの場合、敵どころか味方のプレイヤーもついていけないくらいの身のこなし。あ、一人だけついて行っていたかも。「ピピィ!オフサイド!」とレフリーの声。まぁ、観客の私は運行再開どころか増便してくれればなぁ、なんて思っておりますが・・・。

#いかん、投稿のジャンルがスポーツ>時事>地理になっとる。申し訳ありません。
[75511] 2010年 7月 20日(火)16:15:38JOUTOU さん
一転してスカイマーク(茨城空港便)
[75400]小松原ラガーさん

どういう心境の変化か?10月から茨城―神戸便(1日1往復)の再開を決めたようです。しかも、来年3月までに茨城―新千歳、茨城―名古屋の定期便まで就航させるらしいですよ。

一応関連の読売新聞記事

スカイマーク、茨城―神戸便10月から再開
 航空会社「スカイマーク」(本社・東京都大田区)が9月から茨城―神戸便(1日1往復)の運休を決めた問題で、同社の西久保慎一社長が20日、茨城県庁に橋本昌知事を訪ね、10月1日から同便を再開することを伝えた。
 西久保社長は会談後、報道陣に対し「すべての問題がクリアになった」と述べた。また、来年3月までに茨城―新千歳、茨城―名古屋の定期便を就航させることを明らかにした。
 スカイマークは、茨城空港に隣接する航空自衛隊百里基地から航空祭(25日)の開催に伴い、運航ダイヤの変更を求められ、同社の他の便が玉突き的に遅れることなどを理由に茨城―神戸便の運休を発表した。同便は、茨城空港に就航している唯一の国内定期便として4月に就航したばかりだった。
(2010年7月20日15時00分 読売新聞)

リンクを貼って置きます。
[75510] 2010年 7月 20日(火)11:03:31しんちゃん さん
Re 田老森崎
[75500]千本桜さん
詳細な回答ありがとうございました。
電子地図の仕組みにつては、まったくわかりませんが、地図に記載のない所もぴたりと当てるのですからすごいですね。
[75509] 2010年 7月 20日(火)09:08:29JOUTOU さん
梅雨明け
みなさんこんにちは。夏バテ知らずで頑張ってますが、腰痛が悩ましいJOUTOUです。

豪雨→梅雨明け→猛暑と非常に厳しい気候状況が続いていますが、落書き帳の皆さまはお変わりなくお過ごしでしょうか?これから外出する機会の多い方は、暑さ対策にくれぐれもご注意ください。

さて、今年はこの土曜日に全国各地で梅雨明けとのことでしたが、南九州だけが取り残されています。異常気象とか言われてはいますがこんなことあるんですね。
[75508] 2010年 7月 20日(火)00:55:02【1】Issie さん
何か久しぶり
前回は2ヵ月前なんですねぇ。
何か忙しくて,自分ところも桜の季節から放ったらかし。今さらながら,相模原市の政令指定都市移行とか,気象予報区関連(5月27日付の気象庁告示第7号で告示)なんて大ネタも放置していて,とりあえずは最近の参院選ネタから取りかかりましょうか。
今日1日お仕事すれば,“お客様方”は夏休みだし(あたしたちは休みじゃないんですよ。当然,通常勤務です。念のため)。

「自治体越えの地名」コレクション

参考「政令指定都市の区境を越える地名」

せっかくなので,相模原市の例,仲間に入れてやってくださいませ。

 緑区下九沢/中央区下九沢
 緑区田名/中央区田名
 中央区大野台三丁目/南区大野台三丁目

いずれも元は1つの大字(下九沢,田名)または町名(大野台三丁目)が2つの区に分断された例です(ただし,区制実施以前に別個の市役所出張所管内に分かれていました)。

少しややこしいし,だんだん元の枠から離れていくので,参考の参考程度にしていただければと思いますが,

・元は1つだったが,複数の自治体に分割されて,それが合併してまた1つの自治体内に戻ったが,町(大字)としては別扱い

 新潟県長岡市 千谷沢(旧越路町)/小国町千谷沢(旧小国町) ---例の「チャーザァ村」

古い例だと

 横浜市 西区 戸部町/西戸部町,平沼/西平沼町
 横浜市 中区吉田町/南区南吉田町

それぞれ元は 久良岐郡戸部町,平沼新田,吉田新田。それぞれ前の方が1878(明治11)年に「横浜区」の一部になり,1889(明治22)年の市制当初の横浜市域で,後ろの方は久良岐郡の町村として残り,1889年に 戸太(とだ)村 の大字戸部,平沼新田,吉田新田,1901(明治34年)に横浜市に編入されたら,先行編入区域内に 戸部町・平沼町・吉田町 があったので,しかたなく 西戸部町・西平沼町・南吉田町 となりました。西戸部町も西平沼町も南吉田町も,編入したての頃はずっと大きかったのだけど,たくさんの新町が分離して今は元のほんの一部分だけになっています。「平沼町」は住居表示で隣接町(平沼新田または西平沼町から分離した)と合併して「平沼一丁目・二丁目」。

ま,これは最初に書いた通り,趣旨から外れると思いますので,あくまでもおまけの話として…。

[75482]ペーロケさん
本当に、関東の人って「離合」という言葉を使わないのでしょうか?

[75483] BANDALGOM さん
むーん、少なくとも教習所では習わなかったですし、日常的にも聞いたことがないですねぇ・・・。
離合という言葉自体、鉄道サイトで初めて目にしたくらいです。

まさしくその通りで,「鉄」なおたくはともかく,プロの方は“その通りの意味”で使っているのではないでしょうか。でもたぶん,プロの世界では「全国的な専門用語」だと思いますから,「新方言」という感覚は私にはないかな。
[75507] 2010年 7月 20日(火)00:08:34ニジェガロージェッツ さん
1945年5月の神戸市区再編について
[75506]グリグリ さん
神戸市兵庫区および長田区の設置日についてのご回答ありがとうございました。

現在は、変遷情報の兵庫県のページの「改称する」という記述を尊重しています。
確かに神戸市史においても,1945(昭和20)年5月1日に行われた8区を6区に再編成した件について神戸区と林田区については,それぞれ有名地名である生田区,長田区に改称したとの記述があります。どちらも生田神社,長田神社と,神社の名称という共通点があります。

ただ,1933(昭和8)年1月1日に湊西区を兵庫区に改称したときは,区域の変更を伴わない単純な改称でしたが,生田・長田両区の改称については,いずれも神戸・林田両区から管轄区域に変更があり,関連する旧区で言えば神戸区,湊東区,林田区が廃止されて,新たに生田区と長田区を設置したと述べた方が適切だと考察するところです。
同時に湊区も廃止されましたが,こちらは全区域が兵庫区に吸収されていることから合区による消滅と言えます。

さて,その変遷情報の兵庫県のページに,件の区再編成については,
区設置神戸市林田区を長田区に改称する
区設置神戸市湊区, 湊東区の一部を兵庫区に編入する
区設置神戸市湊東区の一部を神戸区に編入し、神戸区を生田区に改称する
とあるだけで,詳細欄にも同じことしか書かれていません。

もちろん,編集された88さんに於かれても,事情は十分承知の上で上記のように書かれたとは推測し,小生もそれを尊重します。ただ,この文面だけでは,
1)林田区から長田区へは,過去例の湊西区→兵庫区と同じ単純な改称
2)湊東区の一部が兵庫区に編入されたことは述べられているが,実際にはその3倍近くの面積を兵庫区に提供した林田区については完全に欠落している。

そこで,もし,私に同じ事を書かせていただければ,
区設置神戸市林田区より一部を兵庫,須磨区に移管し,須磨区の一部を林田区に編入し,林田区を長田区に改称する
区設置神戸市湊区全域,林田区の一部,湊東区の一部を兵庫区に編入する
区設置神戸市湊東区の一部を神戸区に編入し,神戸区を生田区に改称する
となります。

参考のため,区再編成の前後の面積・人口データを提供します。
1944(昭和19)年2月22日人口調査
面積km2人口
神戸市115.05918,032
灘区19.48152,713
葺合区7.56107,610
神戸区7.6867,731
湊東区2.0455,106
湊区6.9650,303
兵庫区4.00132,765
林田区10.60209,446
須磨区(本区)24.74108,846
須磨区(垂水)31.9933,512

1945(昭和20)年11月1日人口調査
面積km2人口
神戸市115.05378,592
灘区19.4870,636
葺合区7.5617,914
生田区8.9327,411
兵庫区13.9470,664
長田区10.05112,992
須磨区(本区)23.1044,873
須磨区(垂水)31.9934,102

人口については,空襲による市街の破壊の影響などで昭和20年11月データでは激減していますが,こちらは無視していただいて,面積について見ていくと,区再編成の様子が読めてきます。
面積のやり取りは以下のようになります。
但し,林田・長田区と須磨区の境界については双方でやり取りがあったので,林田区から須磨区に移管された面積についてはMapionの「キョリ側β」を利用して測ってみました

灘区→灘区19.48
葺合区→葺合区7.56
神戸区→生田区7.68
湊東区→生田区1.25
湊東区→兵庫区0.79
兵庫区→兵庫区4.00
湊区→兵庫区6.96
林田区→兵庫区2.19
林田区→長田区8.25
林田区→須磨区0.16
須磨区→長田区1.80
須磨区→須磨区22.94
垂水→垂水31.99
合計115.05
[75506] 2010年 7月 19日(月)21:18:09オーナー グリグリ
区の設置日・区名誕生日・区の再編日・区の誕生日??
[75415] 2010 年 6 月 28 日 (月) 01:36:17【1】 ニジェガロージェッツ さん
ところで,この昭和20年の行政区再編成と関連することで,「市区町村プロフィール」にある兵庫区と長田区の「施行日」の間違いについて,5年前の[42913]にて,それとなく
現在ある兵庫区と長田区の基となる行政組織は、1931年9月1日にそれぞれ湊西区と林田区という形で存在したとご理解なされた上で、両区の「施行日」欄に1931.9.1と打ったのだと
書きましたが,実際のグリグリさんの見解はどうでしょうか。
この問い掛けへの返信を失念していました。[42913]への返信も含め返信が大変遅くなり申し訳ありません。
政令指定都市の区に対して施行日と表現すること自体があまり適切ではなく、設置日あたりが妥当かと考えますが、いずれにしても、変遷情報によれば、

1931.09.01 湊西区 → 1933.01.01 兵庫区に改称
1931.09.01 林田区 → 1945.05.01 長田区に改称

ということなので、施行日(設置日)は湊西区と林田区が設置された日としています。

以上が私の見解なのですが、市町村の施行日関連については(とくに市制施行日については)、市の誕生日、市名誕生日、市制施行日の3つの日付で分類してデータ整理しようとしています。町村についてはまだ手付かず状態です。市区町村プロフィールも施行日欄というあいまいなデータ表示のままです。いずれ、3つの日付に定義し直したいと考えています。なお、市については市の変遷ページで3つの日付を確認することができます。

区については、市町村よりももう少し考察が必要ではないかと考えています。ニジェさんの[42913]にも書いてありますように、林田区から長田区への改称は単純なものではなく、一部の境界変更を伴っています。これを市の新設合併のように捉えるか、改称時に境界変更しただけと捉えるかによって、長田区の設置日の考え方も変わるのではないかと思いますが、現在は、変遷情報の兵庫県のページの「改称する」という記述を尊重しています。なお、兵庫区と長田区の区名誕生日は、各々、1933.01.01、1945.05.01とすることになります。

hmtマガジン区制度の変遷をしっかり読んで、区関連の日付を整理しなければ。。。
[75505] 2010年 7月 19日(月)21:12:04オーナー グリグリ
データベース検索の表示項目名と表示データの揺らぎ
[75424] hmtさん
# データベース検索で政令指定都市の区を集めることはできますが、「市名」を表示させることができないのですね。
? → このように表示できますが。

hmtさんが表示できなかったのも無理ありません。政令指定都市の区を表示する場合は、表示項目の郡名欄に市名が表示されます。表示項目のチェック項目の表示を「郡名」から「郡名(市名)」と修正しました。表示対象が、区、郡、都道府県などの場合には、表示項目名と表示が噛み合ない場合もあります。改善したい部分ではありますが、混在表示もできるので最適化が難しいところです。当面、現仕様のままとしたいと思います。何とぞご了承ください。
[75504] 2010年 7月 19日(月)21:08:49オーナー グリグリ
「隣接する自治体に共通する地名」
自治体越えの地名コレの参考データとしてタイトルの地名を集めてみました。k-aceさんの[75412]の記事にあるデータに、秋田、名古屋、常陸、会津などの共通地名も追加しました。なお、長野県の木祖村/木曽町については対象外としました。木祖村の木祖は「木曽の祖」という意味であり、木曽と同一地名とは言えないとの判断です。南木曽町は木曽町と隣接していません。また、木曽川河口には三重県木曽岬町があります。こういうのもうまくまとめたいなと思います。

ところで、自治体に共通する地名を隣接する自治体に限定しましたが、その理由は、[75503]にもある松山市と東松山市の例のように、どこまでの範囲を対象とするのかを明確にしないと混乱するかなと思ったためです。ちなみに、後から区別したのではなく、元々同一地名起源と思われるが隣接していない例を挙げてみます。抜けがあるかもしれません。

東村山市・武蔵村山市
武蔵野市・武蔵村山市
多摩市・奥多摩町
能登町・中能登町
木曽町・南木曽町・(木曽岬町)
美濃市・美濃加茂市
知多市・南知多町
京丹波町・丹波市
淡路市・南あわじ市
大和郡山市・大和高田市
出雲市・東出雲町・奥出雲町
安芸高田市・安芸太田町
土佐市・土佐清水市・土佐町・中土佐町
五島市・新上五島町
豊後高田市・豊後大野市
北九州市・南九州市
北大東村・南大東村

島根県の出雲3市町もそうですが、高知県の土佐4市町は見事にお互いに隣接していません。ちょっと感動^^;
[75503] 2010年 7月 19日(月)20:56:36オーナー グリグリ
近接する同一地名を区別した例
[75294] ぺとぺとさん
○番外編
こちらは今回の趣旨とは少し外れますが、伊勢原市と秦野市に東西の大竹が分かれて存在する例です。かつて、大住郡にあった2つの大竹村が、明治初年にそれぞれ東大竹村(ひがしおおたけ)と西大竹村(にしおおだけ)に改称したのがルーツのようです。
伊勢原市東大竹秦野市西大竹

[75418] 播磨坂さん
こちらは随分と離れておりますが、上記引用文と同パターンかと思われます。
群馬県館林市大島町群馬県邑楽郡明和町南大島
おそらく、元は両者とも別個の起源を持った「大島村」だったのでしょうが、同じ邑楽郡内に2つの大島村では不便ということで、明治以降に片方が「南大島」と改名されたものと思われます。このような例はいくつか知っているのですが、

上記の例も興味ある事例なので、参考データとして扱いたいなと思っています。ただ、すでに掲載しているデータの中にも上記のような起源を持つ地名もあるのではないかと思います(ご指摘ください)。すべてのデータの分断の歴史を紐解かない限り、明確に区分することはできないかと思いますが、起源が明確な事例だけでも別扱いにしてみたいなと思います。

もしこれが該当してしまいますと、極端な話、松山市と東松山市が自治体越えの地名ということになってしまいますし。
広い意味では同様の事例になりますので、一緒にまとめてしまえば良いかと思います。
[75502] 2010年 7月 19日(月)20:46:15オーナー グリグリ
分断された地名の横綱「葛飾」について
[75350] hmtさん
この「葛飾」こそは、[75298] オーナー グリグリ さんの、自治体越えの地名に関する発言
私の趣旨は、「同一地域を表す地名が自治体境によって分断された地名」にありました。
の代表例です。

(中略)

石川県の4自治体に分散する「湖東、湖西、湖南、湖北」の例[75173]よりも雄大な「葛飾郡」は、分断地名として張出横綱格の存在ではないかと思われるのですが、地名コレクションでは、現存の地名という縛りのために正式の土俵入りは難しいことになるのでしょうか。
おっしゃる通りコレクションの趣旨からしてぜひとも取り上げたい地名ではあるのですが、
なにしろ、本家本元の千葉県東葛飾郡でさえ消滅してしまい、現存地名といえば東京都葛飾区と隣接していない埼玉県北葛飾郡が辛うじて残るのみ。
という状況からは現在の掲載基準からは採用が難しい状況です。例外的な掲載を模索します。
同様に遠い関係になっているのが、東京都足立区と埼玉県北足立郡の残存部。
佐賀県と長崎県に分断されている4つの松浦郡は、現在でも辛うじて残っていますが、これも隣接は失われています。南松浦郡は五島列島ですから、元々隣接は無理なのですが。
これらの他にも、「多摩」や旧国名関連も対象となってしまいそうで、収拾がつかなくなる恐れがあります。慎重に検討したいところです。

[75300] mul-saさん
この他、かなり距離は離れていますが見沼区、北区見沼、緑区見沼というのもあります。
この距離感をどこまで許容するかが難しいですね。見沼は採用すべきかと思いますが、今のところ掲載していません。
[75501] 2010年 7月 19日(月)20:35:57【1】オーナー グリグリ
「自治体越えの地名」コレクションを正式にサービスインしました
コレクション数427件でのスタートとなりました。今日一日掛かっても完成せず、「政令指定都市の区境を越える地名」については編集作業中状態での未完成スタートです。ご了承ください。

「自治体越えの地名」コレクション

書き込みで提供していただいた情報は一通り反映したつもりですが、漏れや間違い等あると思いますのでご指摘ください。よろしくお願いいたします。

[75270] ケン(地理好き)さん
多摩市東寺方・八王子市西寺方町
八王子市大谷町・町田市南大谷
小平市回田町・東村山市廻田町
東大和市中央・武蔵村山市中央
この4件についてはかなり距離が離れているため掲載を見合わせました。どなたか関連付けが可能であればご指摘ください。とくに回田町と廻田町はともに「めぐりたちょう」と読む珍しい地名であり、何らかの関連があるのではないかと思います。
[75500] 2010年 7月 19日(月)18:13:52千本桜 さん
田老森崎
[75493] 2010 年 7 月 17 日 (土) 22:55:15 しんちゃん さん
岩手県宮古市田老森崎(郵便番号0270354)という所があります。しかし地図検索しても指示点はありますが、どの地図にも字名が書かれていません。どんな所なんですか。

宮古市田老森崎の名称と字界はちず丸で確認できます。ただし、字界の精度は保証できません。マピオンで田老森崎43番地を検索するとこの場所が表示されますが、ちず丸は そこを田老末前の領域にしています。どちらかがズレているわけですが、この場合に限って判断するなら、ちず丸の字界線がズレている可能性が高いと思います。また、ちず丸やマピオンの他に国土地理院ウォッちず2万5千分の1地形図併用をおすすめします。2万5千分の1地形図には森崎の表記がなく、字界も表示されていませんが、地形や集落への想像をかきたててくれます。

森崎は町村制が敷かれる明治22年以前は末前村の字(あざ)でした。角川地名大辞典によると、末前村の字(あざ)は七滝・青倉・立腰・日影山・森崎・末前・和山・鈴子沢の8字です。ただし、日影山は現在、日影と呼ばれているようです。ちず丸は この8字名を全部表示していまが、ウォッちず2万5千分の1地形図は森崎・日影・和山の3字名を表記していません。2万5千分の1地形図の集落名表記は、地籍の上で存在するかどうかではなく、地図の上で集落としての図形が確認できるかどうかで決まります。ですから、家屋が存在しない字(あざ)の名称は表記されず、家屋が少ない字(あざ)も名称表記がされないことがあります。また、ひとかたまりの集落に見えても、複数の字(あざ)に跨がっているものが多々あります。この場合、すべての字名を表記すると繁雑になり、等高線・河川・道路・家屋・植生などの表示に悪影響をおよぼすので、代表的または総称的な地名のみを表記し、他は省略します。

森崎が2万5千分の1地形図に表記されなかった理由は、家屋が少ないことに加え、中心集落の末前と ひとかたまりの集落とみなされ、省略されたからではないかと思います。世に出回っている多くの地図は、国土地理院の地図を基にして作られています。地理院2万5千分の1地形図に記載されない地名は、他の地図にも記載されないことが多くなります。森崎もその例でしょう。

末前村の字だった森崎は明治22年、末前・田老・乙部・摂待の4村合併で田老村(後に田老町となる)が成立すると、田老村大字末前の小字になりました。住所は昭和59年まで田老町大字末前第5地割字森崎○○番地と表記していたようです。昭和59年に字(あざ)の名称変更があり、大字末前第5地割の字句を外して田老町字森崎になりました。この名称変更に関する資料が見つかりましたので貼っておきます。その後、平成17年に田老町は宮古市・新里村と合併し、田老町字森崎は宮古市田老森崎となって現在に至っています。


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