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faithさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[62379]2007年11月4日
faith
[62278]2007年10月28日
faith
[62130]2007年10月21日
faith
[61951]2007年10月15日
faith
[61944]2007年10月14日
faith
[61898]2007年10月14日
faith
[61892]2007年10月13日
faith
[61852]2007年10月12日
faith
[61828]2007年10月11日
faith
[61816]2007年10月10日
faith
[61815]2007年10月10日
faith
[61756]2007年10月9日
faith
[61557]2007年10月7日
faith
[61543]2007年10月7日
faith
[61508]2007年10月4日
faith
[61482]2007年10月3日
faith
[61477]2007年10月3日
faith
[61472]2007年10月2日
faith
[61454]2007年10月2日
faith
[61414]2007年9月30日
faith

[62379] 2007年 11月 4日(日)14:57:04faith さん
北海道及び府県
[62377] hmt さん
もっと前に遡ると、明治35年の 司法省令第4号 では、
監獄費ヨリ北海道地方費及府県ニ償還スヘキ費額
というように、「北海道地方費」と「府県」とを書き分けていますから、日露戦争頃が分かれ目でしょうか。
明治34年(1901年)の北海道会法(法律第2号)、北海道地方費法(法律第3号)によって、(島としての)北海道全体をカバーする自治体が初めてできたわけで、それまでは道と府県を並列する必要がほとんどなかったということではないでしょうか。
実際、この両方の法律には、府県に関する法律(のいくつか)を適用するという趣旨の条文が含まれています。
すなわち、「北海道及び府県」という言葉が使われるようになるきっかけはここにあると考えます。(実際にその表現が現れたのはhmtさんが言われるあたりなのでしょうが)
[62278] 2007年 10月 28日(日)12:12:37【4】faith さん
Interpark, 学校由来町名コレクション
[62267] Issie さん
[62238] k-ace さん
[62263] YASU さん
別にカタカナだから絶対に排除されるべきだとは思わないし,既存の複数の町・大字にまたがって生まれた“新しい市街地”を代表するにふさわしい名前であるならば,新しい地名として何が悪いことがあるだろうかと
私も基本的に同意見です。新しい地名をつけるということ自体が揶揄されがちですが…

そもそも英単語として「正しい」んでしょうかね?
Issie さんもおそらくお考えのように、正しくないと思います。「公園間」という意味で"interpark"が使えたとしても、形容詞になってしまい、名詞に転用しても意味的に合っていないし、英語で"interchange" を略すとしたらI/Cが普通かと。
ただ、社名や固有名詞として、"Interpark" を付けるのはありでしょう。

[62272] ぺとぺと さん
もうチェック済みかも知れませんが、2.または3. の例として
堺市学園町 (大阪府立大学が所在)
奈良市学園前/南 (帝塚山学園が所在)
松山市文京町 (愛媛大学、松山大学が所在)
があります。

※ 一部"InterPark"となっていた表記を"Interpark" に訂正。
※^2 松山市文京町の例を追加
※^3 「3.の例として」→「2.または3.の例として」
※^4 「形容詞になってしまいますし」→「形容詞になってしまい、名詞に転用しても意味的に合っていないし」
[62130] 2007年 10月 21日(日)01:44:16faith さん
木の葉丼
[62109] suikotei さん
[62100] 油天神山さん
[62053] ペーロケさん
木の葉丼、そういえば食べたことありますが、[62100] 油天神山さんも書かれているように、外食等で積極的に選ばれる食べ物でもないような気がします。
内容を積極的に表現する「カツ丼」とか「親子丼」などに比べて名称もいかにも消極的ですし、内容も(うまく言えませんが)何となく手近な材料で無難にまとめましたという消極的な感じがします。(「木の葉丼の名店」というのも聞かないし…)

「木の葉」が何を指しているのかについても、油天神山 さんも書かれる通り、いくつかの説がありはっきりしません。
三つ葉が入っていたような気がします。
これは親子丼などにも入っていたりしますよね?

今回のお話で、「関西の食べ物」とされていることを初めて知りました。
実はきつね丼というもの自体、知りませんでしたが、なかなかおいしそうですね。
[61951] 2007年 10月 15日(月)02:02:02【2】faith さん
もし南海鉄道が国有化されていたら, etc.
[61876] hmt さん
大変読み応えのある大作をお疲れ様です。[61073] Issie さんを受けた、自然発生的な記事と思っていましたが、鉄道の日の記念企画にもなりましたね。

初期には比較的自由に民間にも鉄道敷設に参画させてきた明治政府が、途中から幹線を官営とする方針に転換し、相対的に整備された非官営セクターを吸収しつつ、システムを作り上げた過程は、(多少強引ですが)明治政府の教育政策にも通じるものがあるように思いました。

明治から阪和間の輸送を担ってきたのは南海鉄道であって,なぜかその南海が国有化されなかったにもかかわらず
ご存じの通り、南海山手線となってから、阪和電気鉄道にあたる部分がピンポイント式に戦時買収されるという経緯を辿っていますね。
仮に阪和電気鉄道の開通前に南海が国有化され、南海本線(以下「南海線」)が国鉄の幹線となっていたとしたら、省線と南海線をつなぐ、天王寺-天下茶屋間は重要路線として整備されたと想像されます。(現実にはエアポケットのような存在のまま、廃止されてしまいましたが)
一方、もしそうなっていたら、阪和電気鉄道は省線との連絡を義務付けられることもなかったわけで、どこにターミナルを求めたでしょうか。谷町筋地下を北上(現在の大阪市営地下鉄谷町線のルート)して、新京阪の天神橋駅(現在の大阪市営地下鉄「天神橋筋六丁目」駅)に連絡するという選択もあり得たかも知れません。(経営状態から言って現実性を欠いているようですが)
という風に、「もし…だったら…」といろいろと想像を膨らませるのも鉄道の一つの楽しみ方ですね。
まだ 近代NDL の存在を知らず、別の本から探してきたことを思うと、便利になったものです。
これは良い情報です。私はこれまで法令全書をその都度図書館でコピーしていましたのですが、便利になりますね。(とはいえ、現状では紙の方が見やすいと言わざるを得ないですが)

[61949] 千本桜 さん
お付き合い頂きありがとうございました。

※ 最後から2つ目のセンテンスを削除。
※※ 法律全書についての言及を追加。
[61944] 2007年 10月 14日(日)23:32:52faith さん
富士スピードウエイ
[61937] 伊豆之国 さん
芥川の小説と豆相人車鉄道のつながりなど、大変興味深く読みました。
現在、小山町には「富士スピードウェイ」があり、先日「F1」レースが開かれましたが、これが小山町の商業・経済にどれだけ寄与したか、前記の「支線転落前夜」の状況に重ね合わせると、甚だ疑問に思われますが、いかがでしょうか。
この一節はやや唐突に感じました。富士スピードウエイも、そこで開かれるF1レースも、地元の発展を主目的にしているわけでもない、単なる商業的施設や商業的イベントです。
それとも、「支線転落前夜」の状況と重ね合わせると、何か見えてくるのでしょうか。
[61898] 2007年 10月 14日(日)04:22:24【3】faith さん
一口に地名決定と言うけれど
[61867] 千本桜 さん
どこに「愚かだ」と書きましたか。
これは私の読み間違いでした。「非常に矛盾したことですね」という書き方から、批判的な意図があるのかと思いました。失礼しました。
筋が通っていませんね。
この件については、[61892] にも書いた通り、特に矛盾はありません。また、(あくまで)仮に啓蒙の主体を行政側に限ったとしても、[61890]般若堂そんぴん さんが書かれているように、常に行政の側は「でたらめ」とも限らないので矛盾はないと思います。
この点、特にややこしい点はないと思われ、実は[61889]千本桜さんの再反論の方が理解できませんでした。
言いにくいことですが、この件に関するfaithさんの書き込みからは、「決定権は住民にあるべき」という権利意識だけが見えてきて、それに伴う義務と責任の所在が見えてこないのです。
簡単に言えば、「その通り」です。地名の決定について、住民の権利は制度化できても、それに伴う責任や義務をどう制度化して良いのかfaith には分かっていません。(そのような「責任や義務」を定めることができたとすれば、それは地名の決定にあたって何を重視すべきかについての何らかの立場が前提になっているように思われます。)
私の書き込みの、どこをどう読めば、そのような結果に導かれるのですか。
確かに
古代、中世に遡るような地名を保存することについてはfaith も基本的には賛成です。
ただし、[61815] にも書いた通り、それだけが地名を決定するにあたって考慮すべきことではないと思っているところが特に千本桜さんとの違いでしょう。
というのは粗雑に過ぎました。
しかし、
一方千本桜さんは「地名は、歴史原則に立って決定すべきものであり、それで決着がつく限りは住民の意見を聞く必要はない」と言われているように読めます。
は突飛な受取り方ではないと思います。
以下のように書いておられますよね。
[61799] 千本桜 さん
小字を抱えた地域では、大字たる藩政村を残すのが最良です。藩政村を残すことで小字の同名回避を図ることができます。このような地名の決定に一般住民の一人一人が決定権を持ったなら、こんがらかって話が前に進まなくなるのではないでしょうか。ですから、ここはやはり市町村議会、審議会、行政に踏ん張ってもらわないと。
ここからfaithが判断したのは、「(少なくとも)小字を抱えた地域については、最良解があり、その場合は、一般住民に決定権を持たせるべきではない」と千本桜さんはお考えだということです。(私にはそうとしか読めませんが、違いますか?)
で、これは後からのご発言ですが、
[61867] 千本桜 さん
このような場合、古い地名を引継ぐことなどできないではありませんか。そのような場合も藩政村名や大字名を継承するのが最良だ、などと思ったことは一度もありません。
ということから、そのような「最良解」が存在しないところでは、その限りではないというようなご意見に見えます。
ここまでくると、
[61852]faith
一方千本桜さんは「地名は、歴史原則に立って決定すべきものであり、それで決着がつく限りは住民の意見を聞く必要はない」と言われているように読めます。
については、「歴史原則に立って決定すべき」には確かに表現の行きすぎはありましたが、大きく間違っているわけではないと思われます。
どうしてfaithさんは、「決定すべき」のように「べき」で括ってしまうのでしょうか。
むしろ、千本桜さんの書き込みやご紹介のHPを拝見して、強く感じるのは地名はこうある「べき」というお考えです。
[61194] 千本桜 さん
そもそも、引田町も白鳥町も旧町名は捨てると言っているのですから、大内町も捨てるべきなのです。
とも書かれていますね。では逆におたずねしますが、「べき」という主張をしていると指摘されると何か心外なのですか? 何らかの主張をなさっているのですから当然そうなると思うのですが。
いずれにしろ、大字、小字についてはもっと勉強していきたいと思います。

ところで、[61815] faith
ではどこだったら「日本」という名前を継承してよいのですか。
については、どうなりましたでしょうか。

※ 誤字訂正。「簡単に言えば~」からのパラグラフに加筆。
※※ 誤字訂正。表記修正。
※^3 「古代、中世に遡るような地名~」という書き込みについての言及を追加
[61892] 2007年 10月 13日(土)22:18:05faith さん
中継ぎ(でもありませんが)
[61890] 般若堂そんぴんさん
[61889] 千本桜さん
[61874] 般若堂そんぴんさん
[61867] 千本桜さん

「啓蒙」については般若堂そんぴんさんの解釈と近いことを意図していました。啓蒙は誰が行うかについて特に問題にしていたわけではないので、「啓蒙」する主体は書いていません。

千本桜さんのご意見について読み違いをしているとのご指摘があったので、もう一回ご指摘の個所について読み直してから、改めてレスしたいと思います。

ところで、顔の見えないコミュニケーションの難しさが実感される今日この頃ですが、私がレスしたことで、千本桜さんのお気を悪くされるようなことになっているでしょうか。
もちろん、他人の意図を読み落としていることはあると思いますが、
私の書き込みの、どこをどう読めば、そのような結果に導かれるのですか。
とか言わず、「あなたの解釈は違う。私はここにこう書いている。」と具体的に書いて頂ければ十分ではないでしょうか。
無用にとげとげしくならないよう、私も気を付けたいと思います。
[61852] 2007年 10月 12日(金)13:35:53【1】faith さん
地名の決定権, etc.
[61846]音無鈴鹿 さん
丁寧な追加説明をありがとうございます。当方、不愉快な思いなど全くしておりません。
純粋に、ご意図を確認したかっただけです。

[61851] らるふ さん
この一行がそこに書き添えられていたからです。
この程度のことにあえて「不快感」を表明されるのはよくよくのことと私には思われました。

[61847] 88 さん
議論の整理をありがとうございます。
(1) 「どういう地名をつけるべきか」
お考えは理解できたと思います。古代、中世に遡るような地名を保存することについてはfaith も基本的には賛成です。
ただし、[61815] にも書いた通り、それだけが地名を決定するにあたって考慮すべきことではないと思っているところが特に千本桜さんとの違いでしょう。
(2) 「誰が、どのような過程による意思決定を経て地名をつけるか」
についても、(1)に関する意見の違いから来ているものと思います。
「他にも考慮すべき要素があり、したがってもっとも利害関係がある住民に最終決定権を委ねるべき」と考えるのがfaith です。
一方千本桜さんは
「地名は、歴史原則に立って決定すべきものであり、それで決着がつく限りは住民の意見を聞く必要はない」と言われているように読めます。(88さんも同じ立場と思ってよろしいでしょうか。)

ただ、これは批判でも何でもないのですが、
ふさわしい場所に引継がれてこそ歴史を伝えられるのであって
とお書きになっているところなどを拝見すると、千本桜さんとfaith とでは社会のあり方についての理念がかなり違うようにも感じます。
(少し話がそれるので[61815]には結局書かなかったのですが、これだとルーマニアという国名も正しくないということになりそうですね。)

※「個人的には」→「基本的には」など
[61828] 2007年 10月 11日(木)05:51:43faith さん
依頼事項
[61827] 音無鈴鹿 さん
 十番勝負もまた落書き帳においては、重要なお祭りであるわけです。つきましては、祭礼に伴う交通規制にはなにとぞご協力くださいますようお願い致したく存じます。
例え話は読んでいて楽しいですが、それほど重要な依頼であれば、もう少し正確にどうしろと言われているのかお教え頂けないでしょうか。
もしかして十番勝負中は、関係のない書き込みは自粛するように、ということでしょうか。
[61816] 2007年 10月 10日(水)23:37:01【1】faith さん
北和, etc.
[61754] リトル さん
追加調査をありがとうございます。
確かに行政上に決めた全県の区割りがあるのかも知れませんね。
ただ、「地名」の様に住民側の生活に密着した感覚では、それとは別に奈良盆地の区分を指すようです。
私も実は奈良県の北和と呼ばれる地域に比較的長い間居住していたのですが、北和、中和(地理的な意味での)、南和という言葉を日常では聞いたことがなく、行政用語だと思っていました。
奈良在住の歴史に詳しい人に、訊いて来ましたので、参考までに。
なかなか参考になりました。おそらくもともとは奈良盆地についての言葉だったのでしょう。

中学サッカーの資料では、南和に吉野郡も含まれていたので、盆地内の区分とはいえないと思いますが、確かにこの手の区分だと、規模などもそろえるために調整していてもおかしくありませんね。
一度、奈良版のTVなどの天気予報がどうなっているのか、見たくなりました。
そうですね。現在、簡単に見られる状況にはないですが、私も人に聞くなりして調べてみます。あと、新聞の地域面などにもそういう言葉が使われているかも知れません。

※余計な改行を削除
[61815] 2007年 10月 10日(水)23:16:00faith さん
地名の決定権
[61799] 千本桜 さん
何と答えたら良いのやら、そのような論理で地名を考えたことがないんですよ。自分が生まれる前から地域があり、地名があり、その地域や地名を当然のものとして育ったものですから、地名の継承を強制されているという感覚が私にはありません。
自分たちの住んでいる自治体が合併でなくなるなど、新たに地名を与える契機があって発生することだと思います。そういう契機がなければ、そんなことを考えないのは当然のことです。(これについては後述)
faithさん、本当にそう思うのですか?。もし、その行く先に "まずい" ものが見えたなら、誰かが「ストップ!」と声を上げるのが筋だと私は思うのです。それからもう一つ。「住民に最終決定権を与えるべき」とおっしゃいますが、それは住民が責任を負うことを前提にしなければ成り立ちません。理想じゃなくて現実を見た場合、責任を持って地名と取り組める住民は極めて少数です。みんな忙しいのです。そして何より、地名に関心が薄いのです。そのような一般住民に責任を負わせるのは酷です。
はい。「まずいものが見えても」住民に最終決定権を与えるのが正しいと私は本当に考えます。
この問題は実は地名だけではありません。関心の薄い住民だって含まれているでしょう。それでも、住民の意思を問う以外に、誰もが認めうる、手続き的な根拠がないでしょう、ということです。

呆れられているようですが、1つお考えになって下さい。
今回の「藩政村の地名を継承すべき」というのは、「自分たちの住んでいた自治体の名前を地名に残したい」という意見に比べて、万人にとって「正しい」のですか。
いずれも、地名を決定するのにあたっての、1つの立場でしかないように思えます。
だから、いずれを採用するかについては住民に決めさせるしかないでしょう、と申し上げているのです。
千本桜さんから見れば、正しい決定が常に行われるものではないと思います。でも、自分たちの住む地域の名前をそうでたらめに付けるはずもありません。(どちらかというと、「でたらめ」に近い名前は、行政の側から出ているような気がします。)

自治体名を地名に残したい、だけど日常使うので、長い地名は嫌だ、
と思うのはそんなに愚かなことでしょうか。
人間として自然なことではないでしょうか。私だってそう考えるでしょう。
そこで、この地名はこのように残した方が良いものだから、という啓蒙はなされても良いと思います。ただ、後者の立場を強制するのは、現代では無理がありますね、と申し上げているのです。(それが「歴史的地名の継承を強制することはできない」ということです)
石巻市は藩政村の和渕を残し、和渕小学校の住所を石巻市和渕字佐沼川としました。小字を抱えた地域では、大字たる藩政村を残すのが最良です。藩政村を残すことで小字の同名回避を図ることができます。このような地名の決定に一般住民の一人一人が決定権を持ったなら、こんがらかって話が前に進まなくなるのではないでしょうか。
「こんがらがって」の意味が分かりません。住民に意思を問うにあたって、合理的な案があるなら、それを示せばよいことです。その説得力が十分あればそれが選ばれるでしょうし、それが選ばれないということは、合理的だと住民が思わなかったか、それ以外に他の案を選好する、もっと強い理由があったということになります。
「こんがらがって」どころか、当たり前のことが起きるだけと思うのですが。
その動きに賛同した八戸市が市名を日本市に改称しました。これをもって、日本の名を残せて良かったねと喜べるでしょうか。どこでもいいから名前さえ残せば日本という国が存在したことの証明になると言うものではありません。ふさわしい場所に引継がれてこそ歴史を伝えられるのであって、ふさわしくない場所にその名を残すと、何百年後、何千年後に歴史を紐解く妨げになりかねません。大内町大字松崎の一部を大字大内に改称したのも、その類に思えるのです。
ではどこだったら「日本」という名前を継承してよいのですか。(まさか橿原市ではないですよね(笑)。)日本である以上、八戸市も京都市も同じだけの権利はあると思います。
済みません。ちょっと理解できません。松崎に位置するのだから松崎で良いと思いますが・・・。
工業団地が大内という名前を継承するのが正しくないのであれば、もともと工業団地が「大内町」と呼ばれる地域に含まれているのも間違いということになるのじゃないかと思いました。
(対偶ももちろん正しいと思います。)
だからといって、それが最良な出来事だったとは思えません。これから新たに地域と地名を構築していく際に、そのような事例を参照しても意味を成さないと思います。
これは私にとっては本質的なことと思います。
地名はこれまでも変わってきたはずです。文字による記録がなされる前からもそうですし、それからも自然に発生したり、なまったり、新しく成立した権力によって命名されたりといろいろです。
それなのに、なぜある時期に成立した地名に基づかない決定は間違いとされてしまい、住民はそのような決定ができないから、といって意思決定から排除されてしまうのでしょうか。

以上、意見の一致を見るような気がしないですが、こういう考えもあります、ということで書かせて頂きました。
[61756] 2007年 10月 9日(火)13:47:24faith さん
地名の決定権
[61653] 千本桜 さん
早速の丁寧な回答をありがとうございます。
大字界と大字名の変更を望むなら、その結果、周辺大字との係わりがどのように変化するかを知った上で要望するのが望ましいのです。
自体は、私は賛成ですし、そもそもそのような変更自体、むやみに行うべきではないと考えます。
ただし、そのような歴史的な地名の継承を、現在の住民に強制できるのか、といえば、手続き的には明らかに現代の社会ではNo です。それが、ここで問題にされているような事例を生んでいるわけでしょう。

意見が分かれるのはおそらくここからで、
たとえ、上記の見地からいって、まずい決定がなされる可能性があっても、住民に最終決定権を与えるべきと思うのがfaith なのに対して、そうではなく、
自分のことだけでなく、広く地域全体を見ることのできる人
が決めるべきとお考えなのが千本桜 さんであるわけでしょう。

[61194] 千本桜 さんが取り上げられている実例については
東かがわ市に引継がれる引田、白鳥という地名は引田町、白鳥町の意味じゃないんだよ。あれは、藩政村の引田、白鳥の意味なんだよ。大内町には藩政村の大内はないでしょう。だから、東かがわ市に引継ぐ大内という地名はないんだよ
という考え方と
引田町、白鳥町の名は残るのだから、大内町の名も残して欲しい
という考え方のいずれを優先するかは、やはり住民に最終決定権が与えられるべきことと思います。(東かがわ市になる前は「大内町」だった地域に暮らしていた人たちが「大内町」の地名を残したいというのは、藩政村の地名がどうあれ、自然なことと思います。)

もし、百歩も千歩も譲って どうしても大内の地名を残すとしても、あの場所のあの区域に大内と言う地名の継承を委ねるのは地理的・歴史的にいかがなものか
ということを言うのであれば、そもそも
大川郡大内町松崎
という地名を工業団地が名乗っていたこと自体もおかしいということになります。
推測の域を出ないのですが、地名が記録されるようになる前には、
これまで知られていた土地Aに隣接していた土地が、いつのまにかAと呼ばれるようになり、やがてAといえば後の方の土地を指すようになった、
などという例はいくらでもあったと思われます。
藩政期の地名を可能な限り保存して、それを基準に地名を決定するという考え方も1つの考え方と思いますが、現在の住民が、現在の状況(この例では、東かがわ市になる前の状況)を基準にして新しい地名を考えるのは自然なことであり、それを「誤りである」と決めつけることはできないと考えます。

最後に。暢気なことを言うなと叱られそうですが、このようにして(不本意な事例を含みつつも)地名が変わっていくから、[61175]88さん
試行品は、藩政村(≒大字)と現在の町・大字名との対比をも目的としています(究極の目標は、この表を全国に展開することですが)。
のような地理的な趣味も成り立つのではないかとも思いますがどうでしょう(笑)。
[61557] 2007年 10月 7日(日)19:13:06【1】faith さん
地名の決定権
[61551] 千本桜さん
[61545] 88 さん
転居してきてまだ5年とか、地区の生い立ちを知らないとか、地域全体の中における地区のアイデンティティーを考えたことがないとか、そういう類の町民を含んでの住民意識調査結果を楯に、住民から多数要望があったとして地名変更を画策した某町のやりかたに、疑問を超えて憤怒を覚えるのです。
心情的には理解できますし、昔から伝わる地名を理由もなく変えて欲しくないと私も個人的に思っていますが、ここまでくると、(不穏当な言葉かも知れませんが)「選民意識」というものに近く、私には受け入れにくいものを感じます。
どのような人の意見だったら「正しい」のですか。

地元の人だったら嫌がるだろうなと思う名称が、(おそらく他地域にお住いの方から)無邪気に提案されているのを見たこともあります。
もちろん、地名の歴史についての啓蒙はなされるべきですが、地名については、その地域で実際に生活して、納税して、地名の影響を直接に受ける、当の住民たちに最終決定権があると私は考えます。
それに、1000年前の地名だったら正しく、今の人が自然と思う名前より優先されるべき、というのも、考えておられるほど、万人に通用するロジックではないように思います。
いつの時代も、人々は自然と思う名前で周囲の土地を呼んできたはずです。狭い範囲の地名がいつの間にか広い範囲に転用されることなどいくらでもあったでしょうし、いつのまにか範囲がずれていることだってあったはずです。似たことが、少々違った形ではありますが、現代に起きているということではないでしょうか。

###こういう意見の方がこの掲示板では勇気が要りそうですが(笑)

矛盾と思われるかも知れませんが、[61545] 88 さんの
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。
自体は、深い洞察を含んでいるように思われ、一概に否定するわけではありません。

※第1センテンスの表現を少し改めた。「いつの時代も…」以下を追加。[61545]への言及を追加。
[61543] 2007年 10月 7日(日)02:47:45【3】faith さん
島嶼部の旧富士銀行支店
[61400] ぺとぺと さん
[61375] KK さん
旧富士銀行の支店について、同行発行の「富士銀行の百年」(以下「百年史」)にて調べることができたので報告します。
百年史には以下のようにあります。
築地支店大島出張所 大島町元町四丁目
昭25・7 築地支店大島派出所を設置 昭31・9 大島出張所として開店
浜松町支店八丈島出張所 八丈島八丈町三根
昭39・11 芝浦支店八丈島出張所として開店 昭45・3 浜松町支店八丈島出張所
富士銀行の1998年版ディスクロージャー資料INFORMATION2--組織・ネットワーク(PDF/300KB)
にある大島特別出張所、八丈島特別出張所とは住所が一致していますので、これが富士銀行ではこの時点まで引き継がれていたものと思われます。

なお、八丈島出張所については現在のもの(八丈町大賀郷)と住所が異なっています。
富士銀行の2000年版ディスクロージャー資料DATA FILE Part 1(PDF/233KB)では、住所は表示されていませんが、
町役場前
とあり、このあたりで移転したようです。
三宅島の方の出張所については百年史では記述が見当たりませんでした。

八丈島出張所が新設された背景については、百年史には以下のようにあります。
こうした情勢(faith注:都市周辺部の発展を指す)をふまえて、大蔵省の店舗行政はさらに弾力的になった。三十七年度からは普通支店、三十八年度からは出張所の新設を認めることになった。このあと四十年の不況によって四十一年度に店舗行政は抑制に転ずるが、それまでの四年間に当行は次の支店と出張所の認可を受け出店した。
(中略)三十九年に小金井、小松川、経堂、府中、成増、金山橋の六支店と、東京中央市場内、八丈島の二出張所(略)

なお、
出張所(三宅島)と、特別出張所(大島、八丈島)の違い
については私も良く分かりませんでした。
他行でも、出張所、特別出張所が双方存在するところがあります。母店が本店であるか支店であるかに関連しているというわけでもなさそうですし、他行の例ですが、特別出張所だから母店が存在しないというものでもなさそうです。
三菱東京UFJ銀行 東松原特別出張所
東京三菱UFJ銀行がわずか5店だけ特別出張所を残しているところを見ると、行政的には意味のある区別なのでしょうか。

※「なお、八丈島出張所については…異なっています。」を追加
※※「最後まで」→「この時点まで」
※^3 誤字、脱字訂正。最後の引用部分を縮小。
[61508] 2007年 10月 4日(木)23:03:48【1】faith さん
奈良電&金沢
[61500] 2007 年 10 月 3 日 (水) 22:47:28 KK さん
近鉄に吸収された奈良電が京都線になったのは、
単純に、近鉄にはすでに奈良線があったから、
ではないでしょうか?
[61482]にも書いたように当時の事情は分からないのですが、おっしゃるようにすでに「奈良線」がある以上、旧奈良電の路線が「奈良線」と命名されるはずもありません。
[61482]では、そういう当時の社内的な事情についてではなくて、命名法としては近鉄京都線も、旧国鉄奈良線も、近鉄、旧国鉄それぞれの路線名の命名システム内では整合性が取れているのではないでしょうか、ということを言いたかったのでした。


[61485] むっくん さん
[61496] だんな さん
まさかここまでの学都であったとは。認識を新たにした次第です。
私も実は驚きました。正直に書きますと、最初は「金沢って学都?それは戦前のことじゃないの?」と思いつつ、一応現状を調べてみたら実は今でも「とっても学都」でした、恐れ入りました、というところです。
こういう特色を持った有力な地方都市があるのはとても好ましいですね。

※誤記訂正(「近鉄奈良線」→「近鉄京都線」)
[61482] 2007年 10月 3日(水)02:12:25faith さん
JR奈良線と近鉄京都線
[61479] みかちゅう さん
京都~奈良をほぼ並行しているJR奈良線と近鉄京都線の路線名の違いはなんとなく面白く感じます。
[61475]にまんさん
この話題の発端となった「京奈」ですが、往来の中心となる京都と奈良を結ぶ鉄道がJRは「奈良線」、近鉄は「京都線」
当時(近鉄による奈良電吸収時)の事情など分からないのですが、いずれも、既存の幹線からの枝線という発想での命名法ではないでしょうか。
JR東日本で、中央線から枝分かれして青梅に向かう路線が青梅線であるのと同じように、東海道本線から枝分かれして奈良に向かう(「日本国有鉄道線路名称」では奈良線は関西線に所属していましたが、京都発が下りなのでそのような発想も的外れではないはず)路線が「奈良線」。
一方近鉄からみれば、既存の奈良線から枝分かれして、京都に向かうのが「京都線」。(実際、大阪-京都の特急が走っていた時代もありました)これだと同社の橿原線(旧畝傍線)などの命名法とも符合しますが、どんなものでしょうか。
[61477] 2007年 10月 3日(水)00:12:30【3】faith さん
京奈の今後をかきまぜるレス
[61475] にまんさん他京奈スレッドの皆様
かなり性格の違うものが混在している感じがしたので、私なりに整理してみました。
面白い分析ですね。個人的には
2 隣接型
隣接するAとBを総称又は境界地域の呼称としての性格を持つもの。

3 中間点型
離れたAとBの間にある地域を総称する性格を持つもの。
の区別がやや微妙な気がしました。
ここで挙げられている2つの地名を合成するパターンでは、2つが都市名の場合と、都道府県名の場合がありますね。
「阪神」は明らかに前者のパターンです。一方「京奈」については、形からはどちらとも断定できません。
この場合、都市名とすればにまんさんが言われる「中間点」型になりますが、都道府県とすれば「隣接型」となります。
都道府県を地名として用いるという風習が広まった現在では、どちらもあり得ますし、個々の話し手は由来自体意識していないかも知れません。
(2つの地名の組み合わせではありませんが、「京阪奈丘陵」に現われる「京」「阪」「奈」については、府県と思っている人が多いのではないでしょうか。)
一方、「阪和」について考えてみますと、「名阪」と同じく、道路や鉄道のような長さのあるもの(にまんさんの言われる「二次元型」)に使われるのが普通のように思います。
天王寺から和歌山に向かう鉄道路線は(京阪電鉄が設立にかかわっているからというわけではありませんが)大阪市と和歌山市を結ぶから「阪和」だと考えられます。一方、「阪和自動車道」の「阪」「和」は、この道路が松原JCTを起点、みなべIC(基本計画では最終的にはすさみIC)を終点としているところからは、府県名のようにも思われますが、他の道路と組み合わせれば、大阪市と和歌山市を結んでいると言えないこともなく、どちらというのも難しいような気もします。
(ところで、「阪神」と同じような使い方で、泉佐野市などを「阪和」地域と言ったりはあまりしませんね。)

以上、単にかきまぜているだけですね(笑)。

※「第二阪和道」を「阪和自動車道」に変え、見解についての説明も詳しくした。
※※「『阪和自動車道』など」→「阪和自動車道」。このセンテンスの表現を少し変更。
※^3 「みなべIC」の後の()を追加
[61472] 2007年 10月 2日(火)22:56:17【1】faith さん
学都?軍都?
[61466] だんな さん
金沢の中心にあり、街のシンボルである金沢城から前田家が去った後、陸軍第九師団や第七連隊が置かれていたことが軍都のイメージを形成し、敗戦後は金沢大学丸の内キャンパスがあったことから学都のイメージが形成されていったものと思われます。
金沢の「学都」としての特色は、戦前も強かったのではないでしょうか。戦前はナンバースクールの旧制高校(四高)、旧制医大(金沢医大)、金沢工業専門学校、およびすでに戦中ですが、1944年に設置された金沢高等師範学校と、官立の高等教育機関をこれだけ揃えた地方都市は多くはなかったと思います。
各都道府県に最低一校は国立大学が設置されるようになり、一方、石川県に存在していた官立の高等教育機関が新制大学一校に統合された戦後は、国立の高等教育機関についていえば、金沢の特色はむしろ薄れているのではないでしょうか。
とはいえ、
金沢世界都市構想 第2次基本計画 第1章 III 教育分野 3.学術都市の集積効果の活用(PDF)には
石川県は、都道府県人口あたりの高等教育機関の学校数が全国2位、教員数が全国3位であり、人口あたりの学生数は全国6位となっています。
とあります。
石川県=金沢市ではありませんが、このことから、金沢には依然「学都」としての実体があるといえそうです。その一方では、だんなさんが言われる金沢大学の存在ももちろん重要とは思いますが、むしろそれ以外の学校の存在が大きく寄与していることもうかがわれます。

※誤記訂正
[61454] 2007年 10月 2日(火)00:20:37【3】faith さん
北和、中和、南和など
[61412] リトル さん
奈良の知人に「京奈」を聞いたついでに聞いたのですが、広い奈良盆地は、「北和」「中和」「南和」「西和」と言い分けているらしいですね。
実はこれを見て「え?」と思いました。「南和」って「南大和」の略で、奈良県南部を指すと思っていました。「北和」「中和」も含め、奈良県の区分であって、奈良盆地の区分ではないと思います。
ご参考
南和広域連合
2007 年 奈良県中学校サッカー4地域選抜大会(PDF)
「東和」は、少なくとも「北和」「中和」「南和」よりは使われない表現だと思われます。南北に長い奈良県の形状が影響しているためからでしょうか?
生駒郡、北葛城郡の7町の、結局流れた合併構想では、新市の名前を「西和市」としていました。確かに、「西和」と言うとすれば、このあたりでしょう。
ご参考
西和消防組合

※誤字訂正
※※脱字訂正、逆に余計な文字を削除
※^3 「6町」→「7町」
[61414] 2007年 9月 30日(日)18:23:41faith さん
町村の都市銀行支店, etc.
[61397] ドラえもん さん
繰り返したのは失礼かと思われますが
状況はどうあれ、他の方の発言を「見苦しい」と言う必要はないです。(経緯を考えればなおさらのことです。)

自己中ということは、結局2人だけのでは無く自分だけの世界ってことなんですか??
ドラえもんさんも言われている通り、そんなことはどちらでも良いことです。私は、
[61391]かすみ さんが書かれている、
ランキングはダメでランキングが含まれていなければいいですか?という短絡的な話ではないです。
が、[61393] を見る限り、理解されていないので、口を挟んだだけです。

この件は、これぐらいにして…

[61400] ぺとぺと さん
ただ一方で、都市銀行は合併を繰り返す中で、近接する支店を中心に大規模な統廃合を断行してきた経緯があり、その中で残存している支店は当該銀行が相応の「重要拠点」と判断していると推測できるのではないか、という思いもありました。
ご指摘のようなことは私も考えておりました。
ただ、ご存じのように、かつての「護送船団方式」銀行行政の下では、支店の新設は厳しく規制されていました。このような状況では、吸収した、あるいは前身の金融機関が開設した支店は「既得権」であり、収益に基づいて個々の支店を閉店する動きは取りにくかったと思われます。
90年代以降、銀行行政はかなり変化したので、今では状況は異なると思われます。実際、銀行の支店が閉店する例も良く見かけるようになってきましたので、言われているような考え方も成り立つと思われます。
ただし、上に書いたような「護送船団方式」銀行行政の結果として各行の支店網が形成されてきたことも事実であり、歴史的な分析も依然必要と考えます。

主に旧埼玉銀行の支店で構成される「埼玉りそな銀行」を一緒に語ることに違和感
そうですね。ご指摘の旧埼玉以外にも、特に旧三和、旧東海、旧神戸は、有力な地方銀行から発展したものなので、特定地域では地方銀行としての色彩が強く感じられます。(他の都市銀行も大半は中小の銀行や金融機関を吸収してきているので、多かれ少なかれそのような色彩を持っているのですが。)


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