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[102058] 2021年 6月 1日(火)18:46:05hmt さん
縄文遺跡群 世界文化遺産への登録勧告
1万年数千年も前のことです。
地球は 長く続いていた氷河時代を脱して、「ヒト(Homo sapiens)にとり 住みやすい時代」が到来しました。

この時代、メソポタミアでは 農耕と牧畜による定住生活が実現しました。
現在の国名で言うと 中東の イラクから シリア付近に及ぶ地域で、「肥沃な三日月地帯」という呼び方もあります。
確かに水資源のある温帯地域ではありますが、地球上で特に「肥沃な地帯」であるとも思われず、 適切な表現であるか否か は疑問です。

それはさておき、この地域で始められた農耕と牧畜とによって、ヒトは食料を求めて放浪する その日暮らしから脱しました。
定住するヒトビトが増えれば、自ずからヒトビトの交流も盛んになり、文明の時代に 足を踏み入れることになった と理解されています。

食料を求める放浪生活から、決まった場所で確実食料を確保することができる定住生活へ。
農耕と牧畜による定住への条件は、ある程度の「肥沃な地帯」であることを求められたものの、さほど厳しい条件ではなく、隣接地域に拡散することができました。

農耕と牧畜による 世界的な定住化。
遠く離れた日本の事情は 少し違いました。

この地では、森など自然の恵みによって 採取経済ながらも 定住可能な社会 が 独自に誕生しました。

狩猟・漁労により食料を得る効率は 農耕・牧畜ほどには高くないので、飛躍的に多数の人々を 集団として養うことは不可能であった と思われます。
しかし、小集団であっても 家族単位を超越した規模の人数が 同じ場所での定住を開始したことにより、交流は一段と深まりました。

これが、ドングリの森の実りで定住できるようになった 縄文時代です。

時事通信
「縄文遺跡群」世界遺産へ 三内丸山など登録勧告―諮問機関が「定住社会の発展を示す」
2021年05月26日21時45分
【図解】北海道・北東北の縄文遺跡群

 日本最大級の縄文集落跡で知られる三内丸山遺跡(青森市)など17の遺跡で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田各県)について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、
国際記念物遺跡会議(イコモス)が世界文化遺産への登録を勧告した。文化庁 2021/5/26

登録勧告、広がる喜び 「縄文遺跡群」地元自治体
 自然遺産の「奄美大島、徳之島、沖縄県北部および西表島」(鹿児島、沖縄両県)の登録も10日に勧告されて
おり、いずれも7月にオンラインで開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式決定される見通し。

 国内の世界遺産は、これまでに23件登録されている。
縄文遺跡群が登録されれば、文化遺産は 2019年の「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)に続き20件目となる。

 登録が勧告された17遺跡は、竪穴住居跡などの集落跡や環状列石(ストーンサークル)、共同墓地などで構成される。
国の特別史跡に指定されている三内丸山遺跡と大湯環状列石(秋田県鹿角市)のほか、北黄金貝塚(北海道伊達市)、御所野遺跡(岩手県一戸町)などの史跡も含まれる。

●縄文時代は約1万5000年前に始まり、稲作が本格化する弥生時代まで1万年以上続いた。

●農耕や牧畜を基盤とした同時期の世界の他地域と異なり、●採集や漁労、狩猟を なりわい とする定住生活で、
イコモスは「先史時代の●農耕を伴わない定住社会と複雑な精神文化に加え、定住社会の発展段階やさまざまな
環境変化への適応を示している」と評価した。

 一方、「不適切な構造物」の撤去なども求めた。大湯環状列石は中央部に道路が通っており、文化庁は自治体と協議し対応を検討する。
[101909] 2021年 5月 11日(火)19:10:53hmt さん
日本国内では最後になる ユネスコ世界自然遺産候補地・奄美と沖縄
ユネスコの世界遺産は、文化遺産・自然遺産・複合遺産の3種類があります。
ご承知のように、「富士山」は 自然的景観が認められて世界遺産に登録されたものではありません。
ユネスコの区分では、信仰の対象や芸術の源泉など、その文化的価値を根拠とした「世界文化遺産」として扱われています。
日本の「世界文化遺産」は 18地域。

日本の自然で「世界自然遺産」に登録されたのは、僅かに4地域でした。
屋久島(1993年)、白神山地(1993年)、知床(2005年)、小笠原諸島(2011年)。

世界的には 世界自然遺産 188件、複合遺産 29件で、約 1000件の世界遺産総数の中で少数です。


実は、日本政府は 2017年に 日本で5地域目となる 奄美・沖縄地域の推薦書を提出していました。
しかし、2018年には抜本的な見直しを求める「登録延期」の勧告書を受けて対応中でした。

ところが、琉球新報電子号外20210510d.pdfによると、突然の朗報。
ユネスコの諮問機関による登録勧告が なされたことが、2021/5/10に 判明。

今回のニュースにより、ユネスコ諮問機関の態度が一変し、登録への道が開かれたようです。
[101544] 2021年 4月 22日(木)17:50:41hmt さん
淡路島の所属
hmtマガジンの中に、「3府72県への序章」と名付けた特集があります。

このシリーズの位置付け。
それは、現存する 47都道府県が形成された段階を 時代と共に解明するシリーズであり、その一部を構成すべき記事集です。
しかし、数年間放置したままでした。

体力・気力が衰えてきた hmtですが、少しずつでも続けたいと思います。
20年近く前に 落書き帳アーカイブズで取り上げられた 淡路島の所属から着手します。

参考までに、廃藩置県から3府72県に至る制度変遷を記しておきます。

明治4年7月14日 廃藩置県 3府302県[76083]
明治4年7月27日 民部省を統合した 大蔵省【長官:大久保利通、次官:井上馨】が内政の実権を握る官庁として君臨する体制が実現。
明治4年7月29日 太政官三院八省制 発足【正院・左院・右院、神祇省・大蔵省・工部省・兵部省・司法省・宮内省・外務省・文部省】[76135]
明治4年10月28日~11月22日 大蔵省は 11件の布告により、全国を 3府 72県に改めた。

この布告群によって、すべての府県は 【統合方式ではなく】新設方式によって 生まれ変りました。
【従来ノ府県被廃 更ニ左ノ通 府県被置候事】

岩倉使節団の大久保大蔵卿は、明治4年11月12日横浜を出港し、留守政府による地方行政は、次官の井上馨により執行されました。

淡路島の一部に関しては、下記よりも前から 兵庫県管轄であったようです。
第一次兵庫県(慶応4年~明治4年11月)の県域

明治初期の記録は不完全で、正直なところ 詳細は不明と思われます。
しかし、大筋としては、 kenさんの記事 [11989]に記載されたような事情 があったものと推察し、その記事[11989]を リンクによって再録しました。

明治4年11月20日の太政官布告 第609号
兵庫県 摂津国
 八部郡 兎原郡 武庫郡 川辺郡 有馬郡
 外 ●当分管轄
  ●元 兵庫県管轄
   淡路国 津名郡の内
[101530] 2021年 4月 16日(金)19:23:48【1】hmt さん
白桃さん生還祝・クイズに挑戦
[101443] 白桃 さん【代理投稿】
問題:
下は、第三次産業就業者の比率が高い市のトップ5を示しています。ヒント文を参考にA~Eの市をお答えください。
但し、ヒント文はもっともらしくなっておりますが、致命的(または地名的)誤りがありますのでご注意して頂くと ともに、気が向いたら、正しい文章に修正して頂ければ、これ幸いです。【データ省略】

国勢調査資料を調べずに、ヒントの文章【括弧内は原文】を訂正してみました。

【A】那覇市は 都道府県庁所在地の中で 最西かつ最南の地に位置しているが、ソウルよりは東に、上海よりは【北】南にある。

【B】武蔵野市の市民の多くは、足立区民をバカにしているという根も葉もない噂が流れている。
 それはともかく、この市【武蔵野市吉祥寺】から想起される ジョージタウンは【スリナム共和国】隣国の ガイアナ共和国の首都である。

【C】熱海市は「金色夜叉」の舞台となったチョー有名な温泉地であり、東京からも手軽に行けることから生意気にも 早くから市制施行した。
 が、市になって初めて迎えた国勢調査の人口は三万人に達していなかった【1940年国勢調査人口 24477人で、地名的な誤りは不明】。
 この地の夜の風情と言うか哀愁を歌ってそこそこのヒットを飛ばしたのは、赤木圭一郎である。【熱海ブルース】

【D】舞浜市は ミッキーもドナルドも、そして白桃までも住んでいると言われる 夢と おとぎに満ちた テーマパークが存在する都市で、そのテーマパークの本家本元の【アナハイム】フロリダ州オーランド と姉妹都市提携を結んでいる。

【E】別府市は、C以上の、いや、わが国最大の温泉観光都市である。
 名も無く花もなかった片田舎のこの地に港が築かれたことにより、関西方面からの大量集客が可能となった。
 この築港工事を指示し、この街の発展の礎を築いたとされるのが何を隠そう、いや別府に隠してはいないが、当時日田県知事で、後の総理大臣、【松方弘樹】松方正義であった。
[101525] 2021年 4月 13日(火)17:38:57【1】hmt さん
青天を衝く 海のピラミッド
昨日の TBSテレビ THE 世界遺産 で、シドニー北東沖の ロード・ハウ諸島 が紹介されていました。
落書き帳では 初登場の地名でした。
この海域【タスマン海】にある島々は、その由来である火山島が波浪で侵食され、硬い溶岩の岩脈だけが 海中にとり残されたもののようです。

私が注目したのは、主島の南 約 16kmにある 高さ 562m の ボールズ・ピラミッド(Ball's Pyramid)です。
主島ロード・ハウ島と共に、1982年に世界自然遺産として登録されています。

海上にそそり立つ「海のピラミッド」と言えば、元禄3年(1690)に 出島オランダ商館の医師として来日した ドイツ人の エンゲルベルト・ケンペルが 世界に紹介した 備讃国境の大槌島 171m が 古くから有名です[41633][72964]

しかし、その規模から言えば、手つかずの自然状態を保持する 南硫黄島 916m [74102]が勝ります。

発見者名を冠する ボールズ・ピラミッドは、これらの火山島よりも 更に侵食が進んだ段階です。
すなわち、崩れ難い岩脈から成る溶岩の塊だけが 海上に残存した状態 を示しています。

その成り立ちからすると、高さ 99m の石柱 だけが 海上に残されている 伊豆諸島の南端・孀婦岩[19728]と同様に、火山島が生まれて、波浪による侵食を受けながら 消え去ってゆくプロセスの 最終段階に近い状態を示しています。

そのワンステップを示した状態で、ピラミッドよりも ずっと大きな岩の尖塔が 海上に残されました。
【クフ王のピラミッドは高さ146m,下辺の長さ230m 】

地質的な観点と共に、野生化したブタのために絶滅しかけた ロード・ハウ・クイナなどの貴重な生物体系が評価された結果が、ユネスコ自然遺産としての登録になったもの と思われます。気根を茂らせた異様な姿のイチジクの樹など、固有種も多数ある雲霧林。

なお、ユネスコの自然遺産は生態系保護だけでなく、ボールズ・ピラミッドへの立入り【許可必要】など、観光開発にも 配慮がなされているようです。

多数の自然公園は、自然保護と観光開発との両立に悩んでいます。

その点、1972年に小笠原国立公園の区域に指定されながら、1975年に国立公園区域から除外された南硫黄島[79238]
「手つかずの自然」保護を重視した政策は、自然保護と観光開発との両立に悩む多くの自然公園とは、一線を画している。
私は、そのように 評価することができると思っています。


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