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平成の大合併

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記事数=18件/更新日:2016年4月10日

この落書き帳が1999年11月に発足し、グリグリさんのオープニングメッセージに続く最初の記事[2]は、新潟市の黒埼町編入に関する新聞報道を伝えるものでした。

この時期は、まさに「平成の大合併」と呼ばれる合併促進策の根拠である法改正【注】が行なわれた直後であり、新潟市に続いて話題に登場したのが静岡市[26][31]で、更に「さいたま市」[44]、西東京市[58][60]と続いています。
【注】1999年成立、2000年施行の法改正
通称「地方分権一括法」という 法改正の集合体【平成11年法律第87号】の最後の方、472条が(旧)合併特例法の改正で、その施行日は 原則として平成12年4月1日です。
「旧合併特例法」(昭和40年法律第6号)は制定後8回の改正が行なわれており、その経緯は 青森県のページ に要領よくまとめられています[74388]
平成11年(1999)改正は6項目ありますが、その中で特に重要なのが、合併に伴う地方債の特例(通称「合併特例債」)制度の創設でした。

そして、法改正後に実現した合併の第1号も 2001(H13)年1月1日の 新潟市(黒埼町編入) で、2001年中に西東京市、潮来市、さいたま市と続きました。静岡市と清水市の合併は2003年。

このような状況から、平成の大合併のトップランナーは新潟市であるという考えがあったのですが、伏兵がいました。

「平成の大合併」の端緒につき、マスコミでは「篠山市」の誕生とされることが多いという指摘[74385]もあり、この落書き帳でも[74392]以降で突っ込んだ検討がなされました。
その結果明らかになったことは、篠山町 自らとしては 最初から意図したことではなかった にもかかわらず、2点について例外的な遡及措置が適用され、「篠山市」が事実上「平成の大合併」第1号に仕立てられたことでした。

すなわち、「市」になるための人口要件の引き下げ(4万人特例)が平成10年改正で突如実現し、一旦は4町合併による“新たな篠山町”の設置が告示されたにもかかわらず、改めて「篠山市」設置が告示されました[93]

そして平成11年改正法の目玉である合併特例債制度についても、地方分権一括法 の附則第157条第6項に
新合併特例法第十一条の二第一項及び第二項の規定は、平成十一年四月一日以後に行われた市町村の合併について適用する。
という法改正の経過措置が盛り込まれています。

この日付は、まさに 篠山市 ができた日です。

篠山市は「平成大合併」の第1号。
その地位は、膨大な法律体系の中で目立たない存在の上記条文により、不動のものとなっていたのでした。

平成の大合併の最中に作られた 落書き帳アーカイブズ には、もちろん市町村合併に関する記事集が多数あります。
しかし、進行中のイベントであったために、その「期間」についての議論は少なかったように思われます。

「平成の大合併」が終り、地方自治の歴史の過程として、客観的評価をする時代が到来したように思えます。
そのようになった現在、平成大合併の始まりと終りとに着目した記事集をまとめてみました。

【2015/6/7追記】
平成大合併の終りを前にして、総務省が取りまとめた文書 『平成の合併』について(平成22/3/5) をリンクしておきます。
[83069]の末尾で言及しました。

【2016/4/10追記】
特集「平成の大合併2 地域自治区と合併特例区」を作りました。
この特集に収録していた5件の記事もそちらに移しました。

★推奨します★(元祖いいね)


[36781] 2005年 1月 15日(土)17:57:11雪風睦月 さん
平成の大合併の始まりは?
 今月に入って合併により30以上の自治体が誕生します.次週月・火曜日は官報告示が花盛りになるようです.

 さて,合併を促すために平成7年,11年に改正された合併特例法.特例や財政支援措置(合併によって地方交付税の配分額が減少しないように,合併後10年間は合併前の旧市町村の合算額を保障.新たな街づくりのために必要な道路や各種施設などの建設費に,元利償還費の70%を国が肩代わりする有利な地方債を充てられる)が盛り込まれた同法の適用期限の平成17年3月末までに,多くの市町村が合併を目指しています.平成17年3月までに市町村議会の議決を経て都道府県知事へ合併の申請を終え,平成18年3月31日までに合併を行ったものについては,期限後も特例法の財政支援などを適用する経過措置を設けられるようです.

 この平成の大合併,一応の end pointは決まっておりますが,始まりはいつなのでしょうか.過去の書き込みを見ると,平成13年1月1日の新潟市が黒崎町を編入した時期をスタートとする意見を支持する方が多いようですが,実際のところはどうなのでしょうか.その根拠は?
 この意見に従うと,黒豆ブランドの「丹波篠山」が消えるのではないかと騒がれた篠山市(平成11年),ひらがな市の先駆けであるあきるの市(平成7年)・ひたちなか市(平成6年)の誕生は平成の大合併に含まれないということになります.

 そういえば,昭和の大合併の開始もよくわかりません.昭和28年制定の町村合併促進法と昭和31年制定の新市町村建設促進法がきっかけだったのは聞きましたが・・
[36794] 2005年 1月 16日(日)02:13:54M.K. さん
Re:平成の大合併の始まりは?
[36781]雪風睦月さん
私もまた個人的な見解にすぎないことをお断りしたうえで…。
1999(平成11)年7月に地方分権一括法が成立し合併特例法が改正されたことで、国による市町村合併推進体制が法的に整備されました。これを受けて当時の自治省はただちに市町村合併推進本部を設置し、8月には「市町村の合併の推進についての指針」を通知するなど、都道府県内の全市町村を視野に入れた合併推進の動きがスタートしました。
1999年7月の法整備が無ければ、市町村が尻を叩かれ団塊となって大量件数の合併に向かっている今の状況(まさに大合併)も無かったように思います。したがって、私は「平成の大合併」の契機は1999年7月にあると考え、このとき成立・施行された法のもとで実現した最初の合併である2001(平成13)年1月1日の新潟市・黒埼町が嚆矢であるととらえています。

「平成の大合併」は、短期間に大量件数の合併が進む状況を漠然と指してマスコミあたりが使い始めた用語ではないかと想像します。本来、明確な定義はないのかもしれません。ですから[36789]ペナルティキックさんが示されたようなお考えも「有り」だと思います。

そういえば,昭和の大合併の開始もよくわかりません.昭和28年制定の町村合併促進法と昭和31年制定の新市町村建設促進法がきっかけだったのは聞きましたが・・
町村合併促進法の施行は1953(昭和28)年10月1日なので、この日に実現した合併からと考えても良さそうなものですが…法の施行と、その法の影響下での合併の実現にはタイムラグがありそうな気もします。そのあたり勉強不足で、現在調査中であります。(^^;)
[36835] 2005年 1月 17日(月)17:57:29雪風睦月 さん
昭和・平成の大合併の始まり
[36794] M.K.さん
[36789] ペナルティキック さん
[36831] NTJ会長 さん

 ご意見ありがとうございます.過去の書き込みや現実の事例を引用して頂いたので大変参考になりました.

 開始の時期を特定して区切りを作って何か意味があるのか,という意見も耳にするのですが,「昭和の大合併」において自治体を減少させるという国策(昭和28年10月の町村合併促進法施行時点で9868団体であったのに対し,昭和36年6月の新市町村建設促進法一部失効時点で3472団体に減少)の前後で合併の性質や新自治体の命名法等に何か違いがあるかどうか,「平成の大合併」でも同じ轍をふんでいるのかを知りたいと思い,こんな書き込みをしてしまいました.

 M.K.さんの「平成の大合併」はマスコミの造語ではないか,というのは誠に納得できる意見です.確かに,合併関連法中にこのような語句は見た記憶がありません.「明治の大合併」・「昭和の大合併」という語句は地方自治の教科書・評論中,あるいは総務省ホームページに記述されているので,これをもじった造語でしょう(ただし,「平成の大合併」という語句は総務省HP上ではまだ使用されていません).
 また,平成3年2月に熊本市が北部町・河内町・飽田町・天明町を編入して以来,平成11年4月に篠山町・西紀町・丹南町・今田町が合併して篠山市が新設されるまで,年3件以下であった合併件数が,平成13年に5件(新潟市・西東京市・潮来市・さいたま市・大船渡市),平成14年に3件(さぬき市・久米島町・つくば市)と推移し,平成15年に20件以上に激増した点はマスコミの耳目を集めるのに十分だったのかも知れません.

 「明治の大合併」・「昭和の大合併」も,もともとは学術用語では無かったと考えられるのですが,定着してしまって広く認知されたのと思います.おそらく,「平成の大合併」も数年後には行政HPに登場するでしょう.

 「平成の大合併」の開始時期についての私感としては,ひたちなか市(平成11年11月1日発足)が該当するかな?と思います.理由としてはとても拙いものですが,平成11年以降の合併移行で最も古く,法定合併協議会の設置・合併協定調印・市町村議会及び都府県議会での議決・官報公示の段階を踏んでいると考えるからです.ただし,平成11年に改正された合併特例法に基づいた合併であるかどうかはまだ確認しておりませんので,M.K.さんの意見を否定するものではありません.

 さて,「昭和の大合併」です.合併件数(新設合併・編入合併)を調べてみると,昭和29・30年での件数が他年度と比較して突出しております.続いて昭和31・32年での件数が多いので,マスコミ的視点でいうならば「昭和の大合併」の開始は昭和29年ということになります.
 しかし,昭和28年にも合併の実績があり,また,昭和29年の件数は1月1日~3月30日付けの合併を含んでいるので,どこからが昭和28年制定の町村合併促進法に基づいた合併であるのかは現段階では不明です.しかし,どこかに区切りがあるとは思いますが,今となっては,想像するしかないのかもしれません.

 何か変にリキ入っちゃって・・
[36854] 2005年 1月 18日(火)01:24:59でるでる さん
平成の大合併
[36835]雪風睦月 さん
 「平成の大合併」の開始時期についての私感としては,ひたちなか市(平成11年11月1日発足)が該当するかな?と思います
[36789]ペナルティキック さん
私の解釈では、平成6年4月1日から平成17年3月31日までに成立(予定)の合併だと思っています

ひたちなか市(茨城県)の合併は、すでに[36851]にて紅葉橋瑤知朗 さんも書き込まれておりますが、1994(平成”6”)年11月1日ですね。当初は勝田市、那珂湊市、東海村の3市村での合併を目指し、3市村による検討連絡会が設置(平成4年5月)されましたが、東海村は合併は時期尚早として合併協議から離脱し(1995年10月)、その後2市で任意・法定協議会へと移行して、合併となりました。なお、この2市合併では、合併により様々な臨時的な財政支出が必要となる新自治体を支援するために、茨城県が平成6年度に全国で初めて創設した「市町村合併特例交付金制度(上限5億円)」の適用第1号の合併となりました。


1995(平成7)年3月に成立した市町村合併特例法の改正では、(1)法定協議会設置を自治体首長に直接請求出来る「住民発議制度」の創設。(2)市町村合併に関した財政措置や支援。(3)国や都道府県からし町村に対する合併に関する助言。など、事実上の「合併推進策」ともいえるような案が整備されることとなります。この特例法改正後初の合併は、1995(平成7)年9月1日に合併した茨城県鹿嶋市(鹿島町と大野村)、東京都あきる野市(秋川市と五日市町)になります。

[36831]NTJ会長 さん
あたしが現在通勤している場所(某コンピュータ会社)では、『篠山市以降』としていますね

1998(平成10)年12月には、2005(平成17)年3月31日までに合併した場合に限り、市制施行のための人口要件を「5万人以上」から「4万人以上」とする合併特例法の改正が行われ、この改正案により、翌1999(平成11)年4月1日に兵庫県篠山市(篠山町、丹南町、西紀町、今田町)が誕生しました。

そして、[36794]M.K. さん
1999(平成11)年7月に地方分権一括法が成立し合併特例法が改正されたことで、国による市町村合併推進体制が法的に整備されました。これを受けて当時の自治省はただちに市町村合併推進本部を設置し、8月には「市町村の合併の推進についての指針」を通知するなど、都道府県内の全市町村を視野に入れた合併推進の動きがスタートしました。
1999年7月の法整備が無ければ、市町村が尻を叩かれ団塊となって大量件数の合併に向かっている今の状況(まさに大合併)も無かったように思います。したがって、私は「平成の大合併」の契機は1999年7月にあると考え、このとき成立・施行された法のもとで実現した最初の合併である2001(平成13)年1月1日の新潟市・黒埼町が嚆矢であるととらえています

のご説明の通り、1999(平成11)年7月16日の合併特例法改正をもとにした初めての合併は「新潟市」となります。


ちなみに、私の”個人的な”「平成の大合併」の始まりは、M.K. さんと同じく2001年1月1日合併の「新潟市」だと思っております。が、とは言っても、皆さんが例示された合併は、いずれもその後の各地の合併協議に何らかの影響を与えた区切りの合併であったことは確かでしょうから、ひたちなか市、鹿嶋市、あきるの市、篠山市なども、正直なところ捨て難いんだよなぁ・・・って何が捨て難いんだろう?(^^;)。私が「新潟市」をあげたのは、上記に引用した[36794]M.K. さんのご意見と、ほぼ同じ理由からなのですが、その後の三位一体による地方交付税の削減などにより、年々厳しくなる自治体の財政状況も、市町村合併を検討する更なる後押しとなっていることと思います。

[36794]M.K. さん
「平成の大合併」は、短期間に大量件数の合併が進む状況を漠然と指してマスコミあたりが使い始めた用語ではないかと想像します。本来、明確な定義はないのかもしれません。

私も同感です。本来、明確な定義のあるものではないからこそ、皆さんそれぞれの考えに沿った、色々な見解があって当然ですよね。
[46006] 2005年 10月 22日(土)19:01:39雪風睦月 さん
再び・・・・・平成の大合併の起点
 こんばんは.雪風睦月です.
 十番勝負が花盛りですが,空気を読めない (たしか以前にも言い訳したような・・・) 私は箸休め程度の話題で投稿します.

 本年の市町村合併は1/1,3/22,3/28,3/31,4/1,10/1に引き続き,もうすぐ第7の波(11/1)がやってきます.

 たいぶん前で,すでに結論の出ていることを蒸し返して恐縮ですが・・・

 過去に「平成の大合併の始まりは?[36781]」ということで皆様にお尋ねしたところ,いろいろなご意見を頂きました([36789]Pachi[ペナルティキック]さん,[36794]M.K.さん,[36831]NTJ会長さん,[36854]でるでるさん).私もその後調べてみたのですが,

・1995(平成7)年 合併特例法改定(3/29) : 合併協議会設置の住民発議制度・在任特例・地方交付税算定特例などを創設
・1998(平成10)年 合併特例法改定(12/18) : 新設合併市昇格用件:4万人特例措置
・1999(平成11)年 地方分権一括法施行(7/8),合併特例法改定(7/16) : 住民発議制度の拡充・合併特例債の創設
・2000(平成12)年 合併特例法改定(12/6) : H16年度末までの新設合併市昇格用件:3万人特例措置
・2002(平成14)年 合併特例法改定(3/31) : 合併協議会に係る住民投票制度の導入、税制上の特例措置の拡充等
・2004(平成16)年 合併特例法改定(5/26) : 合併特例期間の事実上の1年間延長,合併特例区制度等の創設

というように,1995年の合併特例法の改定で「昭和」から舞台を「平成」に移した合併劇が特例といった演出(アメ)での再演として企画・立案され,1999年の「地方分権一括法」と自治省の「市町村合併の推進についての指針」で自治体の自立といったスポンサー (政府・中央省庁) からの圧力がかかり,2001年のコンプライアンス・コード (「骨太の方針」により,三位一体の改革の名をかりた地方への補助金削減) という更なるムチが当てられ,2004年の改訂でスポンサー都合によるケツカッチン (期限切れ設定) が定められてしまいました.このように市町村合併が住民福祉向上に寄与する広域行政を実現するための自主的合併を行うべきといった「タテマエ」が,観客動員数や視聴率と言った類の営業目標と同様の「1000自治体」を標榜する巨大な国策(ホンネ)により飲み込まれてしまった,そのような感じをうけました.

ということから,平成の大合併の開始時期は,

・広義での平成の大合併:1995年3月29日の合併特例法改定が契機.
  先例   :鹿嶋市・あきる野市(1995年9月1日合併)
  合併協議:1994年9月~1995年2月に法定協議会設立,1995年5~6月に合併協定調印式

    これらの協議会でどのような協議が行われたか私の乏しい調査力では計り知れませんが,もし,改訂された合併特例法
    を意識した合併でなければ,

  先例   :篠山市(1999年4月1日合併)
  合併協議:1997年4月1日に法定協議会設立,1998年4月27日に合併協定調印式
  特例措置:在任特例,4万人特例による市制施行

・狭義での平成の大合併:1999年7月16日の地方分権一括法の制定が契機.
  先例   :新潟市(2001年1月1日合併)
  合併協議:1995年2月より任意協議会での協議,1999年12月に法定協議会設立,2000年2月21日に合併協定調印式
  特例措置:在任特例,合併特例債

といった所で個人的には結論をつけました.

 たわごとを述べてきましたが,今後は平成の大合併についてなおも勉強しながら,少しずつ「昭和の大合併」に軸足を移していこうか,などど考えております.
[67301] 2008年 11月 18日(火)13:17:15ズワイガニ さん
平成の大合併:総務省、打ち切り検討 周辺地域衰退も招き
>合併が想定以上に進んだことや、周辺地域の衰退など合併の弊害が各地で見られるようになったため。
以下全文
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081118k0000m010126000c.html

借金を抱える自治体が多いとか排他的で保守的な地域が多いようで、私の住む県では破談が多くて合併が進みませんでした。
[70512] 2009年 6月 16日(火)21:10:03興田小 さん
残り288日
落書き帳の皆さま、こんばんは。

もちろん来年度以降も必要に応じて市町村合併は行なわれるのでしょうが、今年度末が一つのターニングポイントとなるようです。
「平成の大合併」終了を提言 地方制度調査会が答申
(1/2ページ)(2/2ページ)

飴と鞭によって自治体の数をほぼ半減させた「平成の大合併」が、それぞれの地域で実りあるものだったかどうかは、もうしばらく見守らないと結論は出せませんが、でるでるさまの更新作業は一つの区切りとなりそうですね (*^^*)


[70505] ペーロケさま
福井空港、笠岡空港など、日本にも似たようなものがありますね。立地が極似している富士山静岡空港、同じ結末にならなきゃいいんですが。。。(そういや新幹線の駅を作る話はどうなったんでしょうね?)
かつて福井空港は、滑走路を延長しジェット化を考えた時期がありましたが、近隣住民の反対と公共工事の見直しによって現在の姿を選択しました。仮に滑走路が整備されていたとしても、北の小松空港、南の東海道新幹線に対し競争力を持ち得たかどうかは疑問です。
また、地方管理空港ですので、無理な拡張をして県の予算に無理を掛けるよりも、好ましい選択であったと個人的に思います。

お近くにお住まいの常連の方がいらっしゃるにも関わらず、引き合いに出すのは心苦しいのですが、この空港の利用実績をご覧ください。
今年の3月に共同通信社が地方管理空港の収支をまとめたところ、県は年間でこの空港に三億円超の予算を掛けて維持しているようですが、休港や廃港という決断も県民の利益につながるのではないかと思います。

JR東海によりますと、2025年に東京~名古屋の中央リニア新幹線が開通したあと、東海道新幹線の東京~名古屋はきめ細かなローカル輸送にシフトさせるとのことですので、「富士山静岡空港駅」はそのタイミングかと思います。
…16年後の空港の姿は予見できませんが(ニヤリ)
[74382] 2010年 3月 20日(土)21:14:46オーナー グリグリ
平成の大合併 ラストラン
明日から3日間連続して合併があります。とくに23日は、新設合併3件、編入合併6件と平成の大合併の最後のピークとなります。新しい市として22日に「あま市」、23日に「姶良市」が誕生し、合計786市になります。平成の大合併が2001年の新潟市と黒埼町の合併からとすれば、1999年誕生の篠山市までで671市ありました。その後、115市も増えたことになります。

さて、明日21日の近江八幡市と安土町の新設合併の情報を更新しました。
[74385] 2010年 3月 21日(日)00:51:49【2】じゃごたろ さん
「平成の大合併」の定義
こんばんは、じゃごたろです。
現在滋賀県におります。経県値稼ぎの宿泊であることは明白ですね。
すでに今日になりましたが、近江八幡市の一部となった旧安土町を通過する予定ですが、標識が変更されているかどうか。あとは明日まで活動日程を延ばしてあま市をどうしようかと思ってます。

[74382] グリグリさん
平成の大合併 ラストラン

さて、平成の大合併も残す日数もあとわずか。このサイトでも何かしらの総括的なものがあってもいいのかな、なんて思ってたりもしますが、誰もそんなこと考えていなかったりするかもしれないですね。なんか無駄にもってまわった言い回しですね。実は私は以前[48292]で書き込んだ「関与率」を、3/31までの合併で再計算するつもだったりしてたのですが、ここに書き込みができればいいなと思ってます。

さて、重要な疑義を一つ。

平成の大合併が2001年の新潟市と黒埼町の合併からとすれば、1999年誕生の篠山市までで671市ありました。
篠山市の誕生が「平成の大合併」の端緒としてマスコミでは扱われることが多いようです。「合併特例法(正式には『市町村の合併の特例等に関する法律』)」には幾つかの曲折があるようですが、1995年の改正と、2000年の改正があります。マスコミの報道は1996年の改正をもって平成の大合併とするもの。1996年に改正され、それをもとに合併協議がされて初めて実ったのが篠山市であったというものですね。一方グリグリさんの書き込みは、2000年の改正をもってするものとされていると受け取りました。

さて、「平成の大合併」とはどの時点を始まりとするのでしょうか?

たぶん「どっちでもいい」と感じる方が多いかもしれません。しかし、数値データを扱って何かしらの結果・結論を求めようとするととても重要な「定義」です。大げさに言うと、これなくしては「平成の大合併」を総括できない、ってことにもなるんじゃないかと?

大上段に構えた感じで書き込みましたが、結局のところ、この落書き帳においては「平成の大合併」とは、いつからはじまったことになるのでしょうか?
[74388] 2010年 3月 21日(日)11:07:36【2】オーナー グリグリ
平成の大合併の起点は?
[74385] 2010 年 3 月 21 日 (日) 00:51:49【2】 じゃごたろ さん
さて、平成の大合併も残す日数もあとわずか。このサイトでも何かしらの総括的なものがあってもいいのかな、なんて思ってたりもしますが、誰もそんなこと考えていなかったりするかもしれないですね。
そうですね。平成の大合併の前後の統計情報を一覧表にしてみたいと思っています。[48292]の関与率も面白いですね。ぜひ、書き込みをお願いします。一覧表をまとめる際に取り込めればいいですね。他には、合併による(人口、面積)増加ランキング(合併情報で組み替えないランキング)なども面白いかなと思っています。日光市のように合併前の母体を旧日光市にするか旧今市市にするかなど、少し扱いに悩みそうですが。人口密度の下落ランキングも考えられます。

さて、「平成の大合併」とはどの時点を始まりとするのでしょうか?
すみません、[74382]で2001年からとしたことに深い考慮はありません。篠山市以降とするのが常識的というのは承知していますが、どうなんでしょうねぇ。2001年としたのは、国勢調査人口の切れ目になるので統計的な処理が便利かなと言う思いがあります。まぁ、それも大して重要な要素ではないですが。ということで、「平成の」と言うだけに平成以降の合併件数をまとめてみました。

合併件数合併後の自治体合併特例法
1989年(平成元年)0
1990年(平成2年)0
1991年(平成3年)3熊本市,北上市,浜松市
1992年(平成4年)2水戸市,盛岡市
1993年(平成5年)1飯田市
1994年(平成6年)1ひたちなか市
1995年(平成7年)2鹿嶋市,あきる野市改正(10年延長,住民発議制度...)
1996年(平成8年)0
1997年(平成9年)0
1998年(平成10年)0改正(市の要件:4万人特例)
1999年(平成11年)1篠山市改正(市を含む合併特例)
2000年(平成12年)0改正(市の要件:3万人特例)
2001年(平成13年)5新潟市,西東京市,潮来市,さいたま市,大船渡市
…以下省略…

1995年の特例法改正後とするなら、鹿嶋市、あきる野市も入りますが、鹿嶋市、あきる野市はその前のひたちなか市などのグループ(?)に入る感じなので、1998年の4万人特例の改正後とすれば篠山市以降となります。また、2000年の3万人特例以降とすれば2001年の新潟市以降となります。さて、篠山市を入れるか入れないか、皆さんはどう思われます。なお、特例法の改正経緯はこちらの青森県のページに要領よくまとめられています。
[74391] 2010年 3月 21日(日)11:40:01BANDALGOM さん
Re:平成の大合併 ラストラン
いよいよ、「平成の大合併」のラストランが始まりました。
1992年4月22日付の朝日新聞の記事を(約2カ月後に図書館で)見て以来、18年にわたって合併ウォッチャーを続けてきたわけですが、一つの時代が終わるということになります。

一関市・藤沢町をはじめ、4月以降の合併を目指すところがまだあるものの、合併の枠組みをあれこれ想像したり、合併協定調印や議会の動向を追ったりするのが一つの楽しみであったこともあり、それがなくなるかと思うと、一抹の寂しさを感じます。

3月7日には古河へ行き、古河駅から新古河駅まで歩きました。
一応「全国京都会議」加盟の小京都ということで、それらしい所を回り、茨城・埼玉両県境を歩いて越えましたが、間もなく消滅する「北川辺町」の看板などを、合併前に撮っておきたいということで、この日に行ってきた次第です。


[74387]グリグリさん
近江八幡市の合併は波乱含みですねぇ。今朝の新聞にも安土町の6割の住民が反対しているということがニュースになっていました。反対派議員は再度分離を目指すと言っているようです。
1週間前に選ばれたばかりの、旧安土町の近江八幡市議は合併反対派が多数ということですし、今後の動向が注目されるところです。

果たして、再度分離へと動くのか、それとも「安土八幡市」あたりへの改称を目指すのか・・・。
近江八幡市がそもそも旧国名を冠したのは、福岡県にあった八幡市との同名回避による措置だったわけですし、個人的には「安土八幡」に改称した方がいいのではないかと思います。

しかし、同じように合併が決まってから波乱が起きた、青森市・旧浪岡町や安中市・旧松井田町などで、その後分離の動きが見られないことを考えれば、このまま落ち着くのかな、という気もします。


[74379]はやいち@大内裏さん
総務省は週明け火曜日3/23付けの官報で中之条町・六合村の廃置分合を告示します。
現在の特例法の期限内の合併を「平成の大合併」とするならば、まさに「平成の大合併」最後の告示ですね。
告示日は23日か24日になると予想していましたが、大本命は23日と思っていましたし、その通りになりました。

「ラストラン」の中でもピークとなる23日に、最後の告示が行われるということも、「平成の大合併」の終わりを象徴する出来事のように思います。


[74382][74388]グリグリさん
[74385]じゃごたろさん
この落書き帳においては「平成の大合併」とは、いつからはじまったことになるのでしょうか?
落書き帳の中での基準は、考え方の個人差もあるので、一概には言えないと思いますが、私は2001年の新潟市と黒埼町の合併を第1号と考えています。

一般的には篠山市が第1号とされていますし、長らく「市制施行は5万人以上」とする地方自治法の規定が厳格に適用されてきたところへ、5万人未満での市制施行が認められたという点では、篠山市が第1号とする考えもありとは思います。

しかし、篠山市が誕生した1999年の合併は1件だけ、翌2000年はゼロ、そして2001年に一気に5件の合併が行われ、その後毎年複数の合併があったことを考えれば、「篠山市を入れない」を支持するところです。
[74392] 2010年 3月 21日(日)18:16:20今川焼 さん
篠山市は平成の大合併第1号…かどうかはともかく
[74388] オーナー グリグリさん
いわゆる“平成の大合併”というのは、平成の時代において各種優遇策を盛り込んだ合併特例法というアメと、合併しない市町村への地方交付税減額というムチにより、小規模自治体を合併へと追い込む一大キャンペーンのことだったと理解しています。
で、少々くだけた言い方をすると平成の大合併の起点は、そのアメを最初に食べた市の誕生時点をとるか、アメに釣られて(あるいはアメがあることを前提として)合併協議を進めた市が最初に誕生した時点をとるかということでしょうかね。

以前[67558]でも書いたのですが、現篠山市である多紀郡各町の合併の取り組みは、篠山市誕生記録集にもあるように、昭和の大合併当時から何度も繰り返されてきました。
6回目の合併協議が始まったのは1990年代、折しも南隣の三田市では1986年の福知山線新三田までの複線電化完成を機に、10年連続人口増加率日本一を達成し、人口3万人台から11万人台へと大きな発展を見せていました。
そしてようやく国鉄篠山線廃止(1972年)以来の地元悲願であった新三田-篠山口間の複線化工事が始まり、「次は多紀郡だ」という人口増加への期待が膨らみました。しかし、多くの新住民受け入れには水資源確保という課題があります。そこで三田市内にある青野ダムを水源とする県営水道の導入が検討されましたが、県からは導水管敷設に多額の工事費を要する県水導入には合併による財政基盤の強化が必要と指摘され、そのことが直接の合併協議のきっかけになったようです。

さて、アメの役割を果たす“合併特例法”ですが、1965年施行、2005年失効の旧合併特例法(市町村の合併の特例に関する法律)は何度か改正を繰り返していますが、特にアメの効果を発揮したのが、合併特例債の創設などを定めた1999年の改正と人口要件の緩和を定めた1998年(4万人特例)と2000年(3万人特例)の改正だと思います。
篠山市は“4万人特例”のおかげで予定しなかった市制施行を果たし、また合併特例債のおかげで県水導入や多くの公共施設の整備にも成功しました。ですが、この“4万人特例”は地元が要望したものではなく、篠山市誕生前に突如施行されたもので、その後適用例はなく2000年の潮来市誕生を前に“3万人特例”へと衣替えされています(こちらは潮来市側から要望があったようですが)。また、合併特例債などを定めた改正法の公布は2000年の7月ですが、適用は4月1日市制施行の篠山市にまでさかのぼるとされ篠山市はその恩恵に浴しています。
どうも篠山市は合併を推進したい国によって都合良く“平成の大合併のモデルケース”に仕立てられた感があります。そして結果は前にも書いた通り、二階に上げてはしごを外された状態(お手本から反面教師へ転落)という悲惨な状況に陥ったのですが。そういえば総務省の合併相談コーナーでは、“平成の大合併”とは銘打っていませんが市町村変遷のデータの区切りは、篠山市誕生前日の1999年3月31日で区切られていますね。

と、まぁ篠山市の合併のいきさつを大まかに言えばだいたいこんなところです。平成の時代に国が推進した合併政策がどのようなものであったか、その特徴を端的に示す代表例として、“平成の大合併”第1号と記録するかどうかはともかく、記憶にはとどめておきたいものです。
[74407] 2010年 3月 22日(月)16:36:10hmt さん
平成の大合併 と 篠山 (1)合併特例債制度の創設などを内容とする 1999年の法改正
[74382][74388] オーナー グリグリ さん
平成の大合併が2001年の新潟市と黒埼町の合併からとすれば…
2001年からとしたことに深い考慮はありません。篠山市以降とするのが常識的というのは承知していますが…

平成の大合併の始まり に関し、2005年に話題になった時の主な記事をリンクしておきます。

皆さんの注目点の中には 市の人口要件 もありましたが、市町村を問わず関わる 重要な合併促進策としては、やはり 平成11年(1999)7月16日の 法律第87号による制度改正 がありました。

これは 地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律、通称「地方分権一括法」という 法改正の集合体 です。
その 472条が(旧)合併特例法の改正で、その内容は、[74388]で紹介された青森県のページに、6項目に要約されています。
6項目の中で特に重要なのが、合併に伴う地方債の特例(通称「合併特例債」)制度の創設でした。

市町村の合併の特例に関する法律(昭和四十年法律第六号)の一部を次のように改正する。
第十一条第二項中…に改め、同条の次に次の一条を加える。
(地方債の特例等)
第十一条の二 合併市町村が市町村建設計画に基づいて行う…のうち、当該市町村の合併に伴い特に必要と認められるものに要する経費…については、…地方債をもつてその財源とすることができる。

地方債はもちろん 借金 ですから、返さないといけない。しかし対象事業費の 95% を特例債で充当でき、元利償還金の 70% が普通交付税によって措置されるとなると、0.95×0.7 = 0.665(約3分の2)は国が面倒を見てくれることになる。これを魅力的と考える自治体は多いはずです。

1999年改正法の施行日(原則2000年4月1日)を考えれば、2001年の新潟市・黒埼町合併を嚆矢とするというのが、普通の結論になります。

[36794]M.K.さんと [36854]でるでる さんが、2001年新潟市説を採用しているのは、このような根拠に基づくと思われます。

しかし、お2人共に、割り切れなさを残しています。グリグリ さんも同様です。
その原因は、1999年以外の制度改正も数多くあるためですが、特に「新潟市説で決まり」と割り切りにくい裏には、世間にかなり通用している1999年篠山市説の存在があります。

そこで、篠山合併を調べたら、改正法適用の面で、かなり特異的なケースであることがわかりました。
[74408] 2010年 3月 22日(月)16:51:47【1】hmt さん
平成の大合併 と 篠山 (2)篠山市が果たした「目印」としての役割
篠山市については、最近も今川焼 さんの記事[74392]「篠山市は平成の大合併第1号…かどうかはともかく」があります。
紹介された 篠山市誕生記録集 に集録された 合併の経過 によると、1996年の第3回多紀郡合併研究会で合併基本5項目が確認され、1997年設立された法定の合併協議会で新町名「篠山町」を確認し、1998年の自治大臣への届出に進んでいます。

その後に記されているのが、
1998年12月議員提案で市町村合併特別措置法改正提案。市制の人口要件を4万人に引き下げ…施行

[74392]今川焼 さんの記事にある次のくだりがこれです。
この“4万人特例”は地元が要望したものではなく、篠山市誕生前に突如施行されたもので

自治大臣への届出後の法律であるにも拘らず、この4万人特例は篠山にも適用されることになり、1999年1月20日合併協議会だより は次のことを伝えています。

第144回臨時国会において法律改正が成立。市制施行の人口要件が「合併の場合に限り、4万人以上とする」というもので、「この法律の施行前に合併申請がなされており、まだ、合併新町が設置されていない場合においても適用できる」。この法律施行を受けて合併協議会開催。
協議第50号 新市の名称について
新市の名称は「篠山市」とすることで確認しました。これは既に「篠山町」として発足することが決まっていました。
各町臨時議会も市制施行を可決。

そして、市制施行に伴う手続きを記した後に、「新市と町の場合の主な相違点」を表で対比しています。
議会議員の定数(どちらも30人)、議会の招集告示・監査委員・選挙制度(少し違う)、住民税(同じ)
市の場合は福祉事務所設置が義務付けられているが、町の場合は任意。市の場合は福祉事務所の設置・生活保護に要する経費について地方交付税の基準財政需要額に算入される点が町の場合と相違する。

篠山町のままか、篠山市になるかの行政実体上の違いはこの程度です。[74393] 播磨坂さん でも同様の指摘あり。
だが、「市になれる」という法律を作ってくれたのなら、新しい自治体の看板とか目印として「篠山市」を掲げるのも悪くない。
この機会に市になっておこうか。 …篠山としては、そんな感じだったのでしょうか。


こうして1999年4月1日に発足した「篠山市」。
その直後の同年7月16日に成立したのが、[74407]に記した「合併特例債」制度を含む合併特例法の大改正でした。

今度の制度は既存の市には無関係と思いきや、意外にも既に発足している篠山市に適用されたのですね。
改正された合併特例法第十一条の二は既に記しました。そして、地方分権一括法の附則第157条第6項に
新合併特例法第十一条の二第一項及び第二項の規定は、平成十一年四月一日以後に行われた市町村の合併について適用する。
とあります。

この日付は、もちろん篠山市ができた日付です。つまり篠山市は4万人特例だけでなく、合併特例債の適用においても、後からできた法律を特別に適用されるという優遇措置を受けることになったのでした。

[74392] 今川焼 さんも既に記しています。
特にアメの効果を発揮したのが、合併特例債の創設などを定めた1999年の改正と人口要件の緩和を定めた1998年(4万人特例)と2000年(3万人特例)の改正だと思います。
合併特例債などを定めた改正法の公布は2000年の7月ですが、適用は4月1日市制施行の篠山市にまでさかのぼるとされ篠山市はその恩恵に浴しています。
どうも篠山市は合併を推進したい国によって都合良く“平成の大合併のモデルケース”に仕立てられた感があります。

全国で 3232 あった自治体の数を3つ減らしたというだけならば、篠山が平成の合併史に名を残すことはなかったでしょう。

しかし、既に届出の出ていた「篠山町」を 強引とも思われる手段で 1998年改正 人口特例 の適用対象にして、5万人未満の「篠山市」を実現させた「仕掛け人」が居ました。
この仕掛け人の仲間は、その上に、この篠山市を 1999年改正 特例地方債 の適用対象にまですれば、合併の「おいしいところ」を見せつける モデルケースに仕立てる ことができると考えたのでしょう。

このようにして、最初から選んだ道ではなかったのですが、篠山は「平成の大合併の目印」として利用されることになりました。

モデルケースに仕立てられた篠山の住民にとり、タナボタ的な2つの特例、つまり優遇措置によって市になり、合併特例債を利用したことが本当に幸せにつながったかどうかは、議論のあるところでしょう。

しかし、私としては上に引用した地方分権一括法附則第157条第6項の条文
平成十一年四月一日以後に行われた市町村の合併
を見ながら、「篠山市こそが平成の大合併第1号であった」という結論を導くのに躊躇しません。
[74505] 2010年 3月 31日(水)23:51:41オーナー グリグリ
平成の大合併マップ
平成の大合併も一区切りとなりました。当サイトの立ち上げは1996年(厳密には1995年末)。平成の大合併が始まる前でしたが、当サイトは平成の大合併とともに成長してきたといって間違いないでしょう。区切りの今日、何か記念をと考えていましたが、何とか一つだけ記念ページを作成しました。平成の大合併マップです。

平成の大合併マップ

上記ページは、平成11年(1999年)3月31日現在の市区町村の分布図です。地図をクリックすると、平成22年(2010年)4月1日現在の市区町村の分布図に切り替わります。合併により町村が市に塗り変わったことが一目瞭然です。

いずれ、都道府県市区町村のタイトルページのマップもこの地図(アニメーション)に置き換えたいと思っています。
[74822] 2010年 4月 10日(土)18:52:47MasAka さん
都道府県別の市町村減少率
おととい4月8日(木)付の読売新聞朝刊解説面が平成の大合併特集だったのですが、タイトルにあるような一覧表が掲載されていました。

表の記載内容については昨年11月に[72683]でグリグリさんが書かれた表とほぼ同一ですので、具体的な数値についてはそちらを参照していただきたいと思います。記事を読むと西高東低とか、大都市部では合併が進まなかったなど、分析内容もほぼ同じなので、読売新聞の記者が東京新聞の記事をパクったんではないかと思いました。しかも掲載時期も十番勝負の開催期間中ですね(笑)。

なお、新聞記事には減少率で都道府県を塗り分けた地図も載っていましたが、特に瀬戸内海をぐるりと取り囲むように減少率60%超の県が集中している(岡山・広島・山口・大分・愛媛・香川)のが目を引きます。また、減少率60%を超えている新潟県と秋田県に挟まれた山形県は両県と対極的でほとんど市町村が減っていない(減少率20.5%でワースト6位)のも面白い点だと感じました。

ここで私が立てた仮説として、村が多く残っているところほど市町村合併が進まなかったのではないか、と考えてこれらのデータを加工してみると以下の通りとなりました。減少率最大値とはその数の村がある都道府県のうち、最大の市町村減少率となっている都道府県の値、同平均値とはその数の村がある各都道府県の平均をとったものです。

村数減少率最大値減少率平均値
073.4%60.1%
169.0%41.8%
265.4%48.9%
363.8%41.7%
473.2%64.2%
542.4%42.4%
657.8%46.8%
852.1%36.2%
922.6%22.6%
1217.0%17.0%
1534.4%25.0%
3535.8%35.8%

おおむね村の数が増えるごとに減少率が少なくなる傾向が見て取れるかと思いますが、グラフにすると村数4(新潟県)と35(長野県)のところが大きく傾向から外れる(村の数に比して減少率が高い)ことになります。この点について、新潟県は東日本で最大の市町村減少率を記録しているのが効いていると思われます。一方長野県の場合はもともと村の数が多かったので、35.8%という市町村減少率は全国的に見ると低い数字ですが(下から13番目)、平成の大合併が終わってもなお35村が生き残ったことが影響していると考えられます。合併しても町などに昇格せず、村のままという自治体もありましたし(筑北村・阿智村)。それにしても、北海道以外で自治体数が以前100を超えていたのがこの新潟県と長野県ですが、平成の大合併による市町村減少率については大きな差(ダブルスコア)が出ましたね……。

ちなみに十番勝負ですが、たまには早解きに挑戦してみようと思った矢先にカゼを引いたり、その後泊まりがけで出張に行ったりしている間に早解きはおろか完答の芽すらなくなってしまったので、結局今回もいつも通りのんびり構えることにします(^^;;
[75438] 2010年 7月 4日(日)18:22:29【4】むっくん さん
市制施行の要件
hmtマガジン発足おめでとうございます。

市と町の違いで触れられている、市となるための要件(人口要件)をまとめてみました。以下、時系列で並べます。

M22~23市制町村制施行時
人口凡そ2万5千人以上
市制町村制理由での
今此市制を施行せんとするものは三府其外人口凡二万五千以上の市街地に在りとす。尤郡制制定の時に至て其要件を確定することある可しと雖も今内務大臣の定むる所に従て之を施行せんとす。
との文言)

? 内務省で市制施行の内規制定
人口3万人以上と規定(法律上の規定はなし)
#地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)53頁の記述による

S18 内務省での市制施行の内規改正
人口5万人以上(法律上の規定はなし)
#地方自治制度(著:秋本敏文・田中宗孝、出版:ぎょうせい、S53.8.31)53頁の記述による

S22.5.3 地方自治法(S22.4.17法律第67号)施行
人口3万人以上で都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項)

S23.1.1 法律第169号(S22.12.12)で地方自治法改正
人口3万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)

S29.9.20 法律第193号(S29.6.22)で地方自治法改正(政令第227号(S29.7.31)でS29.9.20施行)
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・すでに申請されている場合は従前のまま、つまり人口3万人以上でかつ連たん戸数は6割以上、かつ都市的業態人口は6割以上、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(昭和29年法律第193号附則第2項1号)
・知事の合併計画に基づき、かつS41.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(昭和29年法律第193号附則第2項2号)

S33.4.5 法律第53号(S33.4.5)で地方自治法改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・S33.9.30までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(地方自治法附則第2項)
・知事の合併計画に基づき、かつS41.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(昭和29年法律第193号附則第2項2号)

S38.6.8 法律第99号(S38.6.8)で地方自治法改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・知事の合併計画に基づき、かつS41.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(昭和29年法律第193号附則第2項2号)
・地方自治法第8条の町村を市とする処分でS42.12.31までに申請した場合は国勢調査のかわりに当該市町村の人口に関する指定統計調査による人口によることも可(地方自治法附則第20条の3)

S40.3.29 市町村合併特例法(S40.3.29法律第6号)が成立
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・知事の合併計画に基づき、かつS41.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(昭和29年法律第193号附則第2項2号)
・S42.3.31までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から4万人以上に緩和(地方自治法附則第20条の3)
・地方自治法第8条の町村を市とする処分でS42.12.31までに申請した場合は、国勢調査のかわりに当該市町村の人口に関する指定統計調査による人口によることも可(地方自治法附則第20条の4)

S45.3.12 法律第1号(S45.3.12)で地方自治法改正(政令第14号(S45.3.12)により法律第1号(S45.3.12)の施行期間はその施行の日より二年間)
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
S47.3.11までに申請した場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から3万人以上に緩和(ただし人口3万人以上5万人未満の場合では、連たん戸数、都市的業態人口は7割以上を満たすこと)(地方自治法附則第20条の5)

H10.12.18 法律第145号(H10.12.18)で昭和40年法律第6号市町村合併特例法が改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
H17.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から4万人以上に緩和(市町村合併特例法第5条の2)

H12.12.6 法律第138号(H12.12.6)で昭和40年法律第6号市町村合併特例法が改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・H16.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、人口3万人以上(市町村合併特例法第2条の2)
・H17.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、上記原則の人口要件が5万人以上から4万人以上に緩和(市町村合併特例法第5条の2)

H15.7.9 法律第105号(H15.7.9)で昭和40年法律第6号市町村合併特例法が改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
H17.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、人口3万人以上(市町村合併特例法第5条の2)

## 昭和40年法律第6号市町村合併特例法は同法附則第2条第1項により平成17年3月31日限りで失効。失効期日は法律第50号(H7.3.29)の改正による。

H17.4.1 (新)市町村合併特例法(H16.5.26法律第59号)が成立
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
・H22.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、人口3万人以上((新)市町村合併特例法第7条第1項)
・H22.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、上記原則のいずれかを欠いていても可((新)市町村合併特例法第7条第2項)

H22.4.1 法律第10号(H22.3.31)(PDF)でH16.5.26法律第59号(新)市町村合併特例法が改正
(原則)
人口5万人以上(地方自治法第8条第1項1号)でかつ連たん戸数は6割以上(地方自治法第8条第1項2号)、かつ都市的業態人口は6割以上(地方自治法第8条第1項3号)、かつ当該都道府県の条例で定める都市的形態を備えること(地方自治法第8条第1項4号)
(例外)
H32.3.31までに市町村合併によって成立する場合は、上記原則のいずれかを欠いていても可((新)市町村合併特例法第7条)


<訂正>
【3】「H16.5.26法律第59号(新)市町村合併特例法はH22.3.31限りで失効。」との記載を削除しました。その代わりとしてH22.4.1の改正関連を追記しました。
【4】H17.4.1の新法での例外の一つを追記。
[75441] 2010年 7月 5日(月)17:37:48【1】hmt さん
平成22年改正(新)合併特例法
[75438] むっくん さん
H17.4.1 (新)市町村合併特例法(H16.5.26法律第59号)が成立
H22.4.1 法律第10号(H22.3.31)(PDF)でH16.5.26法律第59号(新)市町村合併特例法が改正
「H16.5.26法律第59号(新)市町村合併特例法はH22.3.31限りで失効。」との記載は誤りであったので訂正しました。

この法律は、「市町村の合併の特例等に関する法律」というタイトルで、平成17年度(2005年度)から5年間の時限立法として成立した法律でしたが、最近上記の改正がありました。

“この法律は平成22年3月31日限り、その効力を失う。”という時限立法により、平成の大合併終了 へと導くことは政府の5年前からの既定方針だったわけですが、実質的にはその方針を貫きながらも、特例法を改正して「10年延長」という形にしたのは、地方制度調査会答申(平成21年6月16日)に従ったものです。

上記 答申pdf の9/35に「市町村合併に関する方策」があり、次のように記されています。
市町村合併は、行財政基盤の強化の手法の一つとして、今後もなお有効であると考えられ、現行合併特例法期限後においても、自らの判断により合併を進めようとする市町村を対象とした合併に係る特例法が必要である。

その内容は、改正法 だけを見ても解り難いので、改正前の合併新法概要を参照しつつご覧ください。
改正前の合併新法概要はいろいろなページがありますが、岡山県HP 内を「合併新法 概要」で検索して出る pdfファイルが、条文との対応があり見やすいと思います。

合併新法の3ポイントのうち、第3章の合併特例区制度はそのまま存続。
第4章の都道府県の積極的関与による合併推進規定は削除。
そして、第2章で合併障害除去と称して設けられた地方自治法の特例のうち、地方税の不均一課税や議員の在任特例など存続。

問題の市となる要件ですが、[40363]に引用されている制定当時の第7条をご覧ください。
第1項が「3万人市」の特例で、これは既定方針に従って削除されました。
そして第2項。意外にもこれが平成22年改正法でも生き残っています。これはどのようなケースに使えるのか?
「赤歌合併」がその例になります。合併しても人口2万人未満の歌志内市と赤平市ですが、新設自治体は「市」を名乗ることができます。まがみさん[17199]が そのことを示した当時とは、合併特例法が変っているが、結果は同じ。

10年延長というのは、改正法の4コマに記された次のくだりです。
附則第二条第一項中「平成22年…」を「平成32年…」に改める。

それはさておき、
平成の大合併を事実上終了させた平成22年改正「市町村の合併の特例に関する法律」。
そうです、法律のタイトルが「…合併の特例等…」から「…合併の特例…」へと変りました。「等」が削除されて、平成17年に廃止される以前の「合併特例法」(昭和40年法律第6号)と同じ名に戻ったのですね。

この「平成22年改正法」の新しい通称が欲しいところです。
私としては「新合併特例法」でよいと思いますが、この言葉は 2005年から「合併新法」と同様に使われていて、改正前と区別できません。さて、どうしたものか。

【追記】
法律用語に詳しくないので、この法律に使われた附則第二条の「失効」を調べたら、参議院HPに解説がありました。
法律の停止・廃止・失効
“この法律は、平成二十二年三月三十一日限り、その効力を失う。”という状態が続けば、期限が来れば自動的に失効するので、その前に改正(別の立法措置)が行われたのですね。
停止・廃止・失効いずれも法律全体を対象とするものと理解されるので、3万人市特例を定めた第七条第一項のように部分的な条文を対象とする場合は、「削除」を使いました。

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