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『松原』

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編集者:EMM

「○○松原」コレクションです。
日本国内には無数の松林が見られますが、その中でも海岸、河岸にある松林のなかには「○○松原」という名で呼ばれているところが各地で見られます。
海岸の松原は防砂・防風、河岸の松原は治水の役割を果たしており、先人が長い年月をかけて植林し、育て、守ってきたものです。
また、かつては旅人や路面を風雨や日差しから守るために各地の街道沿いに松や杉の並木が整備されていましたが、その中でも枝振りが見事な松の木が長く連なっている並木が「○○松原」と呼ばれたりもしています。
…… 説明の続き

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コレクション数:85 件/最新更新日:2023.01.09
青森県所在地現地状況備考
漁火の松原いさりびのまつばら上北郡おいらせ町現存
淀の松原よどのまつばら八戸市現存(一部被災)関連記事[65243]
種差海岸の景勝地で、遊歩道が整備されている。大正時代に地元の青年団により植栽されたものとのこと。
種差海岸として日本の白砂青松100選、遊歩百選に選定されている。
岩手県所在地現地状況備考
高田松原たかだまつばら陸前高田市被災→再整備(公園)江戸時代に地元の豪商と仙台藩により砂州上に松が植栽されたのが始まりで、7万本の松が防潮林だけで無く景勝地として親しまれてきた。長年、陸前高田の町を津波の害から護ってきたが、平成23年に発生した東日本大震災の際に10mを越える大津波によってほぼすべての松がなぎ倒され、松原のあった砂州も大きくえぐられてしまい壊滅状態となった。しかし、松原西側に生えていた1本の松の木が奇跡的に倒れずに耐え、後に「奇跡の一本松」と呼ばれ復興のシンボルとなった。地盤沈下による塩害などにより一本松は枯死したが、伐採後防腐処理を施され、元の場所にほぼ元の姿で復元されている。なお、高田松原の跡地やその周辺は「高田松原津波復興祈念公園」として整備が行われ、再生された砂州に4万本の松が植樹されている。
国指定名勝(東日本大震災被災後も継続)、日本百景、日本の白砂青松100選、日本の渚百選、日本の都市公園百選、日本の歴史公園100選、森林浴の森百選、美しい日本の歴史的風土100選。
宮城県所在地現地状況備考
余景の松原よげのまつばら東松島市被災→再整備松島に連なる名勝地であることから、仙台藩4代藩主伊達綱村により「余景の松原」と命名された。平成23年に発生した東日本大震災の際に大津波で大きな被害を受けたが、道路沿いなどに津波に耐えた松が残っている。
名取の松原なとりのまつばら名取市被災→再整備参考サイト
平成23年に発生した東日本大震災の際に大津波や火災でで大きな被害を受けた。地元の方により植林が進められているとのこと。
秋田県所在地現地状況備考
風の松原かぜのまつばら能代市現存日本最大の松林、と言われている(参考記事[44760])。その歴史は藩政時代にまでさかのぼることができるが長らく特定の名称は無く、昭和62年に公募により「風の松原」と命名された。(参考サイト
日本の白砂青松100選、日本の自然100選、森林浴の森百選(能代海岸の松原として)。
夕日の松原ゆうひのまつばら潟上市~秋田市現存関連記事[36904]
天王町の出戸浜から秋田市飯島にかけて広がる海岸松林。秋田県秋田総合農林事務所(現・秋田県秋田地域振興局農林部)によって愛称の公募が行われ、平成13年に命名された。防砂林としての歴史は藩政時代にさかのぼるようである。
山形県所在地現地状況備考
万里の松原ばんりのまつばら酒田市現存都市化が進んでおり、残った部分の一部が光が丘公園として整備されている。
万里の松原を含む庄内海岸砂防林が日本の白砂青松100選に選定されている。
福島県所在地現地状況備考
舟戸松原ふなとまつばら南相馬市被災→再整備鹿島区北海老字釜舟戸付近の海岸に広がる松原。マルシャリンバイの群生地がある事でも知られていた。平成23年に発生した東日本大震災の際に大津波で大きな被害を受け、集落南部の高台に松が残るのみとなったが海岸林の再生が進められている。一角が第69回全国植樹祭の会場となった。
茨城県所在地現地状況備考
童子女の松原おとめのまつばら神栖市現存(公園)(一部被災)愛し合う男女が松の木に変身したと言う常陸国風土記中の伝説が名前の由来。図示した付近は公園として整備されている。(参考サイト
中田の松原なかだのまつばら古河市痕跡→再整備江戸時代、日光街道の中田宿から古河宿の間に一里に渡って松並木が整備されており、これが「中田の松原」と呼ばれていた。幕末の志士・清河八郎が記した「西遊草」という手記の中で中田の松原に触れられている。昭和初期に行われた道路拡張の際に多くの松が切られ、更に戦時中に寝間で掘り返されたため江戸時代からの松は残っていない。現在、旧日光街道の茶屋新田付近に街路樹として松が植えられており、齊藤モータース付近の歩道に中田の松原に関する説明板が設置されている。参考サイト
埼玉県所在地現地状況備考
草加松原そうかまつばら草加市現存札場河岸公園旭町2丁目南側間の旧日光街道沿いに広がる松並木。国指定名勝「おくのほそ道の風景地」の1つとして指定されている。遊歩百選。
千葉県所在地現地状況備考
磯の松原いそのまつばら千葉市現存(公園)この近隣はかつて遠浅の砂浜と松原が広がっていたが、相次ぐ開発と海岸埋立により昭和30年代にほぼ無くなってしまった。昭和56年、千葉市制60周年を記念して「磯の松原造成事業」が計画され、人工砂浜「いなげの浜」に市民の手によって6万本の松が植栽された。(参考サイト)また、かつての海岸松原の名残の松は稲毛公園に残っている。
日本の白砂青松100選。
富津岬松原ふっつみさきまつばら富津市現存富津岬から岩瀬川にかけて見られる松原。富津岬付近は富津公園として整備されているが、富津海水浴場から東は幅が狭くなり、ところによっては他の樹種も混在している。昭和22年から防風林として整備されたもの。富津岬から西に人工島が連なる様子から「関東の天橋立」とも呼ばれる。日本の都市公園百選(富津公園として)。
東京都所在地現地状況備考
大宮松原おおみやまつばら大島町現存(公園)大島町野増の大宮神社参道入り口付近に広がる松原。松原公園として整備されており、大島節の歌碑が建てられている。参考サイト
新潟県所在地現地状況備考
瀬波の松原せなみまつばら村上市現存付近で江戸時代から盛んに栽培されていた茶を潮風から守るために整備された防風林が由来。このほかに、肴町から瀬波に向かう街道沿いに松並木が整備され松原八丁と呼ばれていたが、平成11年に最後の1本が伐採されている。参考サイト
越の松原こしのまつばら佐渡市現存関連記事[33213]
富山県所在地現地状況備考
古志の松原こしのまつばら富山市現存富山市岩瀬~浜黒崎間に連なる松並木。加賀藩主前田利長が北陸道の美観を保ち、かつ積雪時の目印とするために植えたものと伝わる。
日本の白砂青松100選。
福井県所在地現地状況備考
気比の松原けひのまつばら敦賀市現存一夜にして松原が出現し異賊の侵入を防いだという伝説があり、この伝説から「一夜の松原」と呼ばれることもある。関連記事[58771]参考サイト
国指定名勝、日本の白砂青松100選、遊歩百選、日本の自然100選。
恋の松原こいのまつばら三方郡美浜町痕跡宇波西神社東北側から久々子湖沿岸にかけてあったとされる松原。古美の松原(こみのまつばら)とも伝わる。平安時代には既に松原があったようである。悲恋に関する伝説が伝わっており、謡曲「恋松原」として歌われている。現在は案内板に並んで1本の松が生えるのみである。参考サイト
青の松原あおのまつばら大飯郡高浜町現存参考サイト
静岡県所在地現地状況備考
千本松原せんぼんまつばら沼津市現存日本百景、日本の白砂青松100選。
細井の松原ほそいのまつばら静岡市痕跡元々は江戸時代の東海道の松並木として整備されたもの。海岸からほど近いため、防風の狙いもあったものと想像される。太平洋戦争時に松根油の原料として全ての松が切られてしまった。現在、国道1号線辻町交差点付近に「ほそいの松原」の説明板が設置され、その横に平成4年に植えられた松が見られる(ストリートビュー)。
三保松原みほのまつばら静岡市現存天の羽衣伝説で知られる。かつては三保半島全域が松原であったらしい。
世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産、国指定名勝、日本の白砂青松100選、新日本観光地100選、新日本旅行地百選、美しい日本の歴史的風土100選。
岐阜県所在地現地状況備考
千本松原せんぼんまつばら海津市現存宝暦治水工事の際、薩摩藩士によって植えられた松原。治水神社南端から南に連なる堤防上に連なる。油島千本松原とも。
油島千本松締切堤が国指定史跡に選定。新・日本の街路樹百景、美しい日本の歴史的風土100選。
千代の松原ちよのまつばら飛騨市公園宮川沿いに「千代の松原公園」として整備されている。松のほかに桜も多く植えられている。南側には千代の松原公民館がある。
三重県所在地現地状況備考
二見松原ふたみまつばら伊勢市現存二見浦に広がる松原。ここ近年マツクイムシの被害が激しい。参考サイト(PDF)
阿児の松原あごのまつばら志摩市現存国府白浜に広がる松原。隣接する海水浴場の名前にもなっている。
有馬松原ありままつばら?熊野市現存?昭和初期に鉄道省が発行した「日本案内記」の七里御浜の説明文中に有馬松原の記載がある。現在でも熊野市有馬町の海岸には海岸林が残るが、道路側は他の樹種が多く、松は海側に部分的に残るのみではないかと思われる。参考文献
市木松原いちきまつばら?南牟婁郡御浜町現存?昭和初期に鉄道省が発行した「日本案内記」の七里御浜の説明文中に市木松原の記載がある。現在でも御浜町下市木の海岸には海岸林が残るが、道路側は他の樹種が多く、松は海側に部分的に残るのみではないかと思われる。参考文献
井田の八丁松原いだのはっちょうまつばら?南牟婁郡紀宝町現存昭和初期に鉄道省が発行した「日本案内記」の七里御浜の説明文中に井田の八丁松原の記載がある。現在でも道の駅紀宝町ウミガメ公園東側海岸に松林が残るが、他の樹種が増えつつあるようである。参考文献
滋賀県所在地現地状況備考
千々の松原ちぢのまつばら彦根市現存かつては三里に渡って松が植えられていたという。
京都府所在地現地状況備考
日間の松原ひまのまつばら京丹後市現存関連記事[41964]
久美の浜海岸(海岸コレクション)/丹後砂丘(砂丘コレクション)に広がる松原。松原が広がる砂嘴は天橋立に習い「小天橋」とも呼ばれる。
大阪府所在地現地状況備考
八丁松原はっちょうまつばら?高槻市痕跡京口から西国街道に至る街道沿いに植えられた松並木。高槻市松原町の松原公園に八丁松原の石碑があり、付近の歩道に近年植えられた松の木が見られる。参考サイト
千本松原せんぼんまつばら貝塚市現存(公園)元々この付近には遠浅の砂浜と松林が連なっており、その様子から昭和初期に作られた駅の名が「二色浜」と名付けられた。戦後、米軍に一時接収された浜寺公園の代替地として海水浴場機能を持つ二色の浜公園が整備され、現在に至っている。日本の白砂青松100選(二色の浜公園として)。
佐野の松原さののまつばら泉佐野市痕跡古くから景勝地として知られ、平安期以降の和歌や、新井白石の漢詩にも詠まれている。しかし、宅地化が進んで松林はほとんど失われてしまい、現在は佐野中学校周辺にわずかに残る程度である。
黒崎の松原くろさきのまつばら泉南郡岬町痕跡平安時代、紀貫之が土佐日記の中に書き記した松原。岬町淡輪の黒崎海岸にある舟守神社御旅所近くに土佐日記にちなんだ文学碑が建てられており、周辺にわずかに松が残る。参考サイト
兵庫県所在地現地状況備考
昆陽の松原こやのまつばら伊丹市痕跡(公園)奈良時代に行基が造営した昆陽池の周辺に広がっていた松原で、和歌や書物の中にも散見される。池は行基が造営した物の一部のみ残り、周囲が昆陽池公園として整備されているが、植えられている木々のうち松はごく一部でほとんどは他の樹種のため、現在は松原とは言いがたい状態である。公園の中に昆陽の松原が織り込まれた和歌の歌碑が建てられている。参考サイト
舞子の松原まいこのまつばら神戸市現存(公園)かつては日本三大松原の1つに称されるほどの松原で、明治時代には兵庫県立舞子公園として整備された。昭和初期の国道開発を端緒として周囲の都市開発や環境変化の影響で松原の規模は縮小したが、昭和40年代から松原の保全の取り組みが続けられている。参考文献
雀の松原すずめのまつばら神戸市痕跡関連記事[59088]
かつて魚崎の浜辺一体に広がっていた松原。仁徳天皇の御名代部を率いた雀部朝臣(ささべのあそん)がこの地に勢力を張っていたことが由来とされる。「源平盛衰記」にも名所として名が出てくる景勝地だったが、都市化が進むとともにほぼ全てが失われ、現在は魚崎西町四丁目3番地にある「魚崎西町ちびっこ広場」の中に名残の松とかつての姿を詠んだ歌碑2つが残るのみである。参考サイトストリートビュー
加古の松原かこのまつばら加古川市社叢古文書などに見られる、播磨国の海岸にあったとされる松原。浜の宮公園や浜宮天神社に見られる黒松がその名残と言われている。浜宮天神社には菅原道真お手植えと伝えられる「加古の浜松」(2代目)もある。参考サイト
粟生の松原あおのまつばら姫路市痕跡→再整備(公園、社叢)かつて白浜海岸に広がっていた松原の名。「粟生が松原」「恋の松原」「恋の浜」とも。天平宝字年間に当地に遷座した松原八幡神社の由来では松が一晩で粟のように生えたと伝わる。1940年代以降は都市化が進み、松原八幡神社の社叢などに名残を残すのみとなっている。白浜小学校横の広場に粟生の松原の石碑がある。近年、地域の有志が松原を目指して松原八幡神社境内周辺などに松の植栽を行っているとのこと。
慶野松原けいのまつばら南あわじ市現存国指定名勝、日本の白砂青松100選、日本の渚百選、快水浴場百選。
和歌山県所在地現地状況備考
佐野松原さのまつばら新宮市現存バス停名ともなっている。江戸時代に編纂された「紀伊続風土記」に「佐野松原」の記載があるようである(参考サイト)。松原の東側は平成に入ってから埋立地が造成されている。
島根県所在地現地状況備考
津田の松原つだのまつばら松江市痕跡元は松江開府と共に山陰道沿いに植えられた松並木で、明治期には見事な老松が連なる様から「松江名物 津田の松原」と呼ばれた。松の木は四百数十本を数え、昭和12年には国の名勝天然記念物となったが、第二次世界大戦中から戦後の混乱期にかけて松の木の多くが伐採され、その後も宅地化が進むと共に減少し、平成6年には松江市立津田小学校の校庭に残っていた最後の1本が伐採されている。現在、津田東交差点北側の旧街道沿いにかつての様子を再現した松並木が整備されている。参考サイト
吹上松原ふきあげまつばら益田市現存昭和初期に鉄道省が発行した「日本案内記」に吹上松原の記載がある。現在も益田市高津には海岸松林が残っている(西の方は松以外の樹種が増えている?)参考文献
屋那の松原やなのまつばら隠岐郡隠岐の島町現存日本の白砂青松100選。
広島県所在地現地状況備考
長門島松原ながとじままつばら呉市(倉橋島)現存倉橋島はかつて長門島と呼ばれ、万葉集の中の八首で「長門の島の小松原」などと詠まれている。桂濱神社の社叢や桂浜に広がる海岸松原が名残の地とされ、歌碑が建てられている。
西松原にしまつばら廿日市市現存厳島神社の西側に位置する松原。清盛神社の参道でもある。
山口県所在地現地状況備考
阿武の松原あぶのまつばら萩市現存菊ヶ浜付近の松原のかつての名。古くは和歌の歌枕として詠まれている(ただし、歌枕に詠まれたのは福島県伊達市付近にかつて存在した「阿武の松原(あうのまつばら)」であるとも言われる)。長州藩のお抱え力士であった第6代横綱・阿武松緑之助のしこ名の由来の地でもある。
阿武の松原おうのまつばら萩市現存萩市大井の海岸沿いにある松林。大井付近はかつて北長門を治めた国造阿武君の本拠地であったとされ、その時代から大井の海岸に広がる松原が阿武の松原と呼ばれていたと伝えられる。菊が浜が「あぶのまつばら」なのに対してこちらは「おうのまつばら」。
湖浜松原こはままつばら?長門市現存昭和初期に鉄道省が発行した「日本案内記」の青海島の説明文中に湖濱松原の記載がある。青海湖の砂州に植えられた松林。現在は「波の橋立」の名称が一般的と思われる。参考文献「橋立・天橋」コレクション
虹ヶ浜松原にじがはままつばら光市現存昭和初期に鉄道省が発行した「日本案内記」に虹ヶ浜松原の記載がある。現在、周囲の都市化は進んでいるものの、島田川西方から鳶の子川樋門付近にかけて松林が残っており、一部は公園となっている。参考文献
鞠生松原まりふまつばら防府市社叢関連記事[33521]
元々は海岸にあったが、埋め立てにより海岸線が移動し、現在は内陸部に位置している。室町時代には大内義弘がこの地に足利義満をもてなすための旅館を建てている。また、幕末、薩長の倒幕軍が集結した地でもある。
現在は都市化が進んでおり、厳島神社の社叢など一部を残すのみである。
糸根の松原いとねのまつばら山陽小野田市痕跡→再整備(公園)かつては沿岸の砂州上に広がる松原であった。現在は糸根公園として整備されている。山陽小野田市指定文化財。
白崎の松原しらさきのまつばら下関市痕跡→再整備(社叢)神功皇后の頃よりあったとされる松原。第二次世界大戦中に松原の多くが現在の海上自衛隊小月航空基地の敷地に組み込まれ、その後にマツクイムシの被害でほとんどが失われた模様。白崎神社の社叢も松原の名残のようで、参道入口に白崎の松原の説明板が建っている(GoogleMap登録写真)。参考サイト
徳島県所在地現地状況備考
千代の松原ちよのまつばら?小松島市痕跡→再整備(社叢)中田町千代ヶ原にあった松原で、名勝として知られ小松島の地名の由来の1つとされる。かつては松原付近に海岸線があった。比較的近年まで八幡神社の参道が樹齢数百年の松で埋め尽くされていたが、1980年代から松食い虫の被害が出始め、1999年に最後の老木が伐採された。2000年代に入り、松原復活を目指して地元小学生による松の植樹が行われている。参考サイト
横須の松原よこすのまつばら小松島市痕跡→再整備小松島市横須町~金磯町の横須海岸沿いに存在した松原。かつては四国十二景の1つに数えられ、小松島の名の由来の1つとされている。現在は海岸沿いにごくわずかな松が残るのみである(金磯町側の方がやや残っている松が多いようである)。近年、地域の住民や小松島高校の学生により松原復元の取り組みが行われている。参考サイト
大里松原おおさとまつばら海部郡海陽町現存同名の字名がある。
日本の白砂青松100選。
香川県所在地現地状況備考
白鳥の松原しろとりのまつばら東かがわ市現存関連記事[35418]
日本武尊伝説が伝えられる白鳥神社の北側に位置することからこの名で呼ばれる。白鳥神社の松原、三里松原とも呼ばれる。
日本の白砂青松100選。
津田の松原つだのまつばらさぬき市現存日本の白砂青松100選、日本の渚百選、日本の自然100選。
観音寺松原かんおんじまつばら観音寺市現存「銭形」の周辺。琴弾公園として整備されている。
日本の白砂青松100選、日本の歴史公園100選。
高知県所在地現地状況備考
琴ヶ浜松原ことがはままつばら安芸郡芸西村現存高知県指定名勝。和食松原とも。琴ヶ浜が日本の白砂青松100選に選定。
種崎千本松原たねざきせんぼん
まつばら
高知市現存種崎千本公園が日本の白砂青松100選に選定。
入野松原いりのまつばら幡多郡黒潮町現存国指定名勝。入野海岸が日本の渚百選に選定。
大岐松原おおきまつばら土佐清水市現存大岐海岸周辺に見られる松原。
福岡県所在地現地状況備考
三里松原さんりまつばら遠賀郡岡垣町現存日本の白砂青松100選。
さつき松原さつきまつばら宗像市現存日本の白砂青松100選。
花見松原はなみまつばら福津市~古賀市現存
古賀松原こがまつばら古賀市現存市街地化が進む。
盾の松原たてのまつばら糟屋郡新宮町現存新宮松原とも。
奈多の松原なたのまつばら福岡市現存海の中道にある松原。
海の中道全体が日本の白砂青松100選、海の中道海浜公園が日本の都市公園百選に選定されている。
地蔵松原じぞうまつばら福岡市公園かつては多々良川河口から筥崎宮までの海岸沿い一面に広がっていた。
現在は都市化が進み、地蔵松原公園などにその名残を残すのみである。
箱崎松原はこざきまつばら福岡市社叢、公園かつては筥崎宮から御笠川河口までの海岸沿い一面に広がっていた。地蔵松原と併せて「千代の松原」とも呼ばれた。
現在は都市化が進み、千代東公園と筥崎宮の社叢、および九州大学構内の一部にその名残を残すのみである。
百道松原ももちまつばら福岡市痕跡かつては百道浜沿い一面に広がっていた。「紅葉松原」とも呼ばれた。
現在は海岸が埋め立てられて都市化が進み、西新・百道の町内に江戸時代からの松がわずかに点在して残っているのみである。
現在、百道松原の復活を目指した市民有志の手によって植えられた松原がシーサイドももち海浜公園に見られる。(参考ページ:NPO法人はかた夢松原の会
生の松原いきのまつばら福岡市現存日本の白砂青松100選。
大原松原おおばるまつばら?福岡市現存今津松原、今津長浜松原とも。
幣の松原にぎのまつばら糸島市現存日本の白砂青松100選。
佐賀県所在地現地状況備考
虹の松原にじのまつばら唐津市現存虹ノ松原とも。江戸時代は二里の松原と呼ばれていたとのこと。
特別名勝、国指定名勝、日本の白砂青松100選、日本の渚百選、森林浴の森百選、新・日本の街路樹百景、日本の自然100選、美しい日本の歴史的風土100選。
相賀の松原おうかのまつばら唐津市現存関連記事[33521]
長崎県所在地現地状況備考
千本松原せんぼんまつばら長崎市痕跡江戸時代に当地の地頭・福田長兵衛が津波除けに数百本の松を福田地区の海岸に植えたものが千本松原と呼ばれるようになった。明治初期には百数十本の松が見られたが、その後は虫食いなどで本数を減らし、第二次世界大戦末期にはほぼ全滅状態となった。現在、福田小学校付近に戦後に新たに植えられた松並木があり、その傍らに千本松原の案内板が設置されている。参考サイト
姫の松原ひめのまつばら北松浦郡小値賀町現存小値賀島内にはあちこちに防風林が整備されているが、その中でも志々伎神社付近は道路の両側に450mほどの松並木が続き、姫の松原の名で景観地として親しまれている。日本の白砂青松100選、新・日本の街路樹百景。
鹿児島県所在地現地状況備考
くにの松原くにのまつばら曽於郡大崎町現存日本の白砂青松100選。
隼人松原はやとまつばら指宿市公園今和泉島津家の別邸跡。隼人松原公園として整備されている。参考サイト
名残の松原なごりのまつばら熊毛郡屋久島町現存宮之浦港の入り口にある。宮之浦港を出港する船を見送り名残を惜しんだ場所であったため付けられた名のようである。戦後間もない頃までは現在よりも広大な規模であったらしい。現在は公園として整備されており、屋久島が世界遺産に登録された際に記念碑が建てられている。

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都道府県市区町村
地名や地形名をひたすら集める読者参加型

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