新年明けまして、…と言いたいところですが、母の喪がまだ明けていない(
[86749])ので失礼させていただきますが、ともかく今年もよろしくお願いいたします。
さて、今年は未年。と言うことで、干支にちなんで「羊」「未」のつく地名にまつわるお話からはじめることとします。
「羊」も「未」も、共にこの字がつく地名は非常に少なく、稀少価値と言ってもよいくらいです。日本には、元々野生の羊がいなかったとされ、家畜としての羊は古くから入ってきたかもしれませんが、本格的に飼育されるようになったのは明治以降になってからと見られます。江戸時代以前には羊を身近に見ることができなかったから「羊」地名が少ない、と言うことになるのでしょうか。
ところで、「羊」のつく地名で最も有名なのは、「蝦夷富士」とも呼ばれる北海道の名峰「羊蹄山」と、同じく北海道は札幌市豊平区の、クラーク博士にもゆかりの「羊ヶ丘」ではないでしょうか。
「羊蹄山」は、古くは「後方羊蹄山」と書いて「しりべしやま」と呼ばれ、その由来は遠く「日本書紀」の「蝦夷『征伐』」の記事にも遡るといわれますが、真偽は定かではないようです。「しりべし」の読みは、「しりへ」に「後方」を当て、「羊蹄」が「し」で、これは「ギシギシ」という植物の古い呼び名で、その漢名を当てたようです(谷有二氏著「富士山はなぜフジサンか」(
[84027])より)。「後志」の地名も、この「しりべし山」と関係すると思われます。後になって、「後方」が方角を表しているものと誤解され、この2文字が外されて「羊蹄山」と書かれ、音読みされるようになったのが定着したようにも思われますが、本当はどうなのでしょうか。
埼玉県秩父市には「羊山公園」があり、春になると一面の芝桜で埋め尽くされる観光名所になっています(
秩父市HPより)。この「羊山」の由来にも関係ありそうなものとして、現在の群馬県高崎市にある「
多胡碑」と、この碑文に見える、人名と思われる「羊」という人物にまつわる伝承について、梅原猛氏の「塔」という著書(集英社・昭和51年発行)に詳しく書かれています。この「羊」という人物は、奈良時代の初め、和銅4年(711)に置かれた上野国多胡郡を賜って支配した豪族とされ、渡来人の一族ではないかと言われているようです。「羊」という人物は、秩父地方にも深いゆかりがあり、「羊太夫」という名で呼ばれて多くの伝承が残り、秩父市黒谷にある「和同開珎」鋳造の遺跡にも、「羊」が深くかかわっていたという話が伝わっているようです。秩父市の「羊山」も、この「羊太夫」伝説とつながっているのでしょうか。「羊」という人名は、昭和58年に東京都国立市の遺跡からの出土品に「武蔵国多磨 羊」と文字が書かれていたものがあり(
国立市HPより)、「羊」と名乗る複数の人物が関東地方各地にいたのかもしれません。
熊本県天草下島には、「
羊角湾」があります。
「未」のつく地名として、島根県安来市伯太町に「
未明」と書いて「ほのか」と読む風雅な地名があります。まだ夜が明け切れていない空の、ほのかな明かりを表したものでしょうか。広島県庄原市東城町には「
帝釈未渡(みど)」と言う地名があり、景勝地「帝釈峡」の一角を占めています。「地理院地図」では、このほかに小字クラスの地名や、河川名などでいくつかヒットするようです。「つくばみらい市」や横浜市「みなとみらい」の「みらい」は「未来」の意味でしょうが、漢字が当てられていません。
最後に脱線して、「星座」の話を。星占いでもお馴染みの「牡羊座」。春分の日から1ヶ月間が当てられていますが、長い間の地軸の「首振り運動」により、現在では実際の春分点は隣の「魚座」に入っているようです。「牡羊座」は、秋から初冬にかけて南の空高く見えますが、明るい星が少ないため、都会の空では見つけにくいでしょう。