[7183] 雑魚 さん
>ちなみに数年前、ガーラ湯沢で滑った時は 「♪どこまでもー」 がゲレンデで
>何度も繰り返し流された為、割と好きな曲ながら辟易した記憶があります。
もう8シーズンほどスキーとはご無沙汰なのですが(そういう人が増えたので「シュプール号」の運転がなくなったんでしょうね。考えてみれば,スノーボードがゲレンデを滑っているのを見たことがないのでした),今までで一番快適なスキーを楽しめたのは1989年1月7日のことでした。
耳障りな音楽もなく,自然の音だけで,何と快適なことだったか。われわれには「最高」の1日でした。
あの日1日限りの「特別な日」だったからなのですが,何でああいう当たり前のことが日常できないのか。
>もう一つ特異的に感じるのは、子吉川の河口付近に位置しながら港湾機能は全く無いという点ですね。
おそらく城下町が建設された時点では港湾機能が意識されていたと思います。海路の方が陸路よりもはるかに便利であった時代,立ち寄る船もあったのでは。
ただ,ここの最大の弱点はヒンターランド(後背地)が圧倒的に狭いということにあるのではないか。由利地域の中心とは言っても,逆に言えば由利地域だけ。雄物川河口の土崎(秋田),最上川河口の酒田,そして阿賀野川と信濃川河口(加治川も合流していた)の新潟・沼垂,かなりの奥行きを持つ大河川河口の港町とは違って,多分にローカルな存在であるように思います。
土崎も酒田も新潟も,河川交通と海上交通の結節点という位置から全国規模の物流にリンクし,集積した商業機能を背景に近代港湾へ発展していくけれども,本荘はあくまでも由利地域のローカルな中心地から抜け出すことができなかった。そんな感じがします。
そういえば,秋田県の中では由利地域だけがどうも孤立しているように見えますね。
今や奥羽本線はブツ切りにされて連続性を失ってしまったけれども,それでも雄物川最上流の湯沢・雄勝地域まで一続きのイメージは強い(もはや鉄道の時代ではないから,奥羽本線が分断されようが何の関係もない?)。米代川上流の大館・北秋田地域もそう。
では同じ「羽後」に属していた山形県の酒田・飽海地域とのつながりはあるのかというと,どうもそういう感じも薄い(つまりね,「庄内」のうち,なぜか飽海郡だけは「羽前」でなく「羽後」に分割されたのです)。
もう1つ。庄内と下越のつながりはどうかというと,鼠ヶ関や笹川流れの存在は伊達ではなくて,やはり強くはない。庄内が新潟県でも秋田県でもないのは,やはり必然的です。
確かに,新津・新潟から鶴岡・酒田,(羽後)本荘を通って秋田まで,「羽越本線」という鉄道で結ばれているけれども,これはあくまでも近世の「北前船」の代替であり,近畿・北陸と北海道の間の通過交通のために存在する。新潟・新発田・村上,鶴岡・酒田,秋田といった拠点都市を中心とする輸送需要はそこそこあっても,お互いの都市圏間の輸送需要はそう多くない。
羽越本線というのは“幹線”でありながら,以前から実は普通列車の非常に少ない路線でした。なもんで,実に地味な路線なわけですが,JRが近畿と北海道を直結する旅客輸送から撤退した以上,この区間を通しで走る列車が削減されるのはしかたのないことかもしれません。
実際,今回乗車した青森-秋田間の「かもしか2号」も,秋田-新潟間の「いなほ6号」(青森始発)も全区間を通しで乗った乗客は多くなく,ほとんどは青森-弘前とか,大館-秋田とか,村上-新潟とか,県内ローカルの高速バスの代わり,のような利用者が多い印象を受けました青森県から秋田県,秋田県から山形県,という県境越えの需要は多くなさそう(秋田から乗った「いなほ」,秋田で乗客が入れ替わった後,鶴岡までは大変すいていました。鶴岡で通路に人が立ち始め,村上で混雑が激しくなる。「いなほ」が酒田止まりを基本としているのは,やはり理にかなっています)。
ならばね,数県を通り抜ける「特急」でなく,特急車両を利用したローカルな速達列車でいいわけです。青森-弘前・大鰐間とか,大館-秋田-羽後本荘間とか。信越線の新潟県内区間では,今回の改正で特急の「みのり」が廃止されたわけですが,実はそれは“快速”の「くびき野」に置き換わっただけ。特急料金が不要になった分,かえってサービスが向上したのかもしれない(それでも,新潟地区で発達した高速バスに対抗できるかどうかは?ですが)。
何か,本荘から話がズレてしまった。
ともかく,こうなってくると「取り残される」ことへの本荘の危機感は十分現実的になってくるような気がしますね。