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琉球の文化

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記事数=49件/更新日:2016年1月26日

琉球の言葉、音楽、食物(昆布と豚肉)、交通など 生活・文化に関係する記事を集めました。
沖縄本島はかなり大きな島ですが、珊瑚礁(ウルマ)の島で、雲を呼ぶ高山がなく、多くの離島と同様に、水の確保に苦心しています。
海水淡水化の記事[58819]は、沖縄もこの施設を必要とする地域であることを示すために入れました。

タイトルは便宜上 「琉球の文化」 としましたが、もちろん共通する点のある奄美も視野に入ります。

落書き帳アーカイブズには、既に 沖縄・奄美情報交差点 がありますので、こちらも御覧ください。

交通関係について、上記アーカイブズに [6777] 沖縄県営鉄道の記事があり、別に路面電車があったことも 言及されています。
これに対する疑問[6784] もありましたが、沖縄軌道という 首里−那覇間の「電車」が 1914〜1933年に存在したことを確認した(和久田康雄:私鉄史ハンドブック)ので、この場を借りて補足しておきます。
なお、県営鉄道(1914〜1945)と 路面電車以外にも、馬車軌道が存在しました。与那原−泡瀬間と那覇(垣ノ花)−糸満間。

アーカイブズには、「ゆいレール」で変わる、沖縄の交通事情 もあります。
今回の hmtマガジンでは、(琉球とは言い難いが)大東諸島への短距離航空路[58887] や、奄美の路線バス事情、奄美経由の海上ルートで 鹿児島と那覇とを結ぶ 国道58号[66054]、平安座の「海中道路」[66904] も収録しました。

現在では 「琉球の文化」と言えるかどうか 疑問なのですが、琉球 という畳表があります。現在は希少な高級品とされ、大分県や中国からの輸入品が僅かに存在するだけですが、へりが高価だった昔は、丈夫なへりなし畳として 広く使われたようです。

この特集の登録直後に書き込みのあった 沖縄の苗字[80988] を追加収録しました。
[40993] には、代表的な名字が「比嘉」であることの他、奄美の1文字姓[40956]についての 更なる言及もあります。
“何を隠そう、私の苗字”という発言のあった記事も収録してあります。

もう一つ 登録直後記事を追加収録したのが 八重干瀬(やびじ)[80979]です。これは自然現象ですが、便宜上こちらに入れました。
沖縄本島に比べて話題になる機会の少ない 先島諸島に関する記事[80962]の仲間です。
これも自然現象ですが、沖縄に降った雪の記録[89879]も追加。

★推奨します★(元祖いいね)

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[3972]2002年10月18日
ken
[3978]2002年10月18日
桃象
[6043]2002年12月7日
らるふ
[9045]2003年2月11日
Issie
[9677]2003年2月23日
Issie
[9964]2003年2月28日
ぷりぷり
[9980]2003年2月28日
BANDALGOM
[15803]2003年5月24日
OguriCap
[18501]2003年7月21日
Issie
[18979]2003年8月11日
グリグリ
[18989]2003年8月11日
琉球の風
[19038]2003年8月15日
グリグリ
[19063]2003年8月16日
ありがたき
[19084]2003年8月17日
Issie
[19089]2003年8月17日
琉球の風
[21103]2003年10月15日
琉球の風
[22519]2003年12月4日
hmt
[24299]2004年1月31日
夜鳴き寿司屋
[25464]2004年2月27日
まるちゃん
[31412]2004年8月5日
Issie
[31498]2004年8月7日
作々
[37020]2005年1月23日
Issie
[40956]2005年5月9日
トライランダー
[40993]2005年5月10日
EMM
[57321]2007年3月17日
小松原ラガー
[57377]2007年3月21日
hmt
[58702]2007年5月27日
Issie
[58876]2007年6月6日
役チャン
[58887]2007年6月7日
N-H
[58819]2007年6月3日
hmt
[58891]2007年6月7日
役チャン
[58906]2007年6月8日
役チャン
[58964]2007年6月10日
役チャン
[62199]2007年10月23日
Issie
[62203]2007年10月24日
くは
[65278]2008年5月28日
N-H
[65574]2008年6月22日
中島悟
[66054]2008年8月16日
hmt
[66904]2008年10月2日
hmt
[74134]2010年2月11日
じゃごたろ
[80979]2012年6月19日
hmt
[80988]2012年6月22日
伊豆之国
[85726]2014年6月15日
hmt
[85843]2014年7月20日
じゃごたろ
[85847]2014年7月20日
グリグリ
[85849]2014年7月20日
右左府
[85851]2014年7月20日
hmt
[87242]2015年2月1日
hmt
[89879]2016年1月26日
hmt

[3972] 2002年 10月 18日(金)13:52:57ken さん
琉球語
立て続けにすみません。
[3967]
何かの言語学関係の本で読んだのですが、語彙の一致率などから、2つの言語の疎遠を(一応科学的に)判定する方法があるらしいのですが、
日本語(標準語)と琉球語(本島ウチナーグチ)の関係は、英語とドイツ語の関係よりも遠い、というのを読んだことがあります。

方言と呼ぶか、別の言語と呼ぶか、も、政治の匂いのする話ですね。
カタルーニャ語とか。
[3978] 2002年 10月 18日(金)16:10:55桃象[桃象@国仲涼子ファン] さん
琉球語
[3972]
>何かの言語学関係の本で読んだのですが、語彙の一致率などから、2つの言語の疎遠を
>(一応科学的に)判定する方法があるらしいのですが、

言語距離ですね。異なる言語同士の言語距離を算出する方法にはいろいろな方法があります。ただ,最近は統計学理論の整理,計算技術の発達等に伴い,どの方法でも似たような結果が出る傾向が顕著になっています。


>日本語(標準語)と琉球語(本島ウチナーグチ)の関係は、
>英語とドイツ語の関係よりも遠い、というのを読んだことがあります。

言語距離の算出結果をどう解釈するかによっても,結論は千差万別になります。(地理ネタとは関係なくなりますので,ここでは詳しくは触れません)確かに日本語と琉球語の音韻変化に基づく言語距離は英語と独語の関係はともかく,北欧諸言語,南欧諸言語のそれよりもはるかに離れていることは確かなようです。


>方言と呼ぶか、別の言語と呼ぶか、も、政治の匂いのする話ですね。

ある著名な言語学者は「言語学とは政治である」という名言を残しています。この線で行くと市町村合併や境界策定は正に政治そのものですね(笑)。少なくとも平成の大合併は市民不在の政治にはなってほしくないものです。

==
[6043] 2002年 12月 7日(土)14:01:55らるふ さん
汽~て~き
[6028] 雑魚 さん
>和風というと、「笑点」 主題曲の様な、いわゆる 「ヨナ (四七) 抜き」 の事でしょうか。
「フラットが3つあってシ♭を使わない和風五音階」と言えばハ単調でしょう。長調にも単調にも四七抜きがあります。この場合単調の方で、「ギターの流し」のムードが漂う悲しい演歌に使われる音階だと思いますね。(まあ、音頭と付くからにはそれなりの拍子で演奏されるのでしょうが)
ちなみに長調の二六抜きは琉球音階ですが、単調の二六抜きはブルーノートになります。

>「蛍の光」 の場合、元々は西洋の曲と記憶しますが。
「蛍の光」は確かスコットランド民謡ですね。明治時代に作られた日本の歌は英国の伝承民謡(これが本来のフォークで、長調の四七抜きはよく使われるようです)のメロディの影響がわりとあるようです。英国のフォークソングには「鉄道唱歌」と頭のメロディがそっくりなものもあります。(ムリヤリ鉄道に結び付けてしまいましたが・・・)
[9045] 2003年 2月 11日(火)10:13:22Issie さん
ウクラインスカ・モーヴ・
[9042] 般若堂そんぴん さん
[9043] ニジェガロージェッツ さん
それによりますと,「Г」は「h」であり,「g」は「Г」の右肩から上に鈎型に突出した形の文字です.

ウクライナ語の地位は長い間非常に不安定で,ロシアでプーシキンが現代ロシア語の基礎を確立した19世紀の前半,ウクライナではシェフチェンコがプーシキンと同じような役割を果たしました。リトアニア・ポーランドの支配下にあった16世紀ころから形成されてきた独自の文章語を基礎にしたものです。その過程で,ロシア語とは若干音の割り振りの違うアルファベットが成立しました。
革命後,かなりの紆余曲折があって最終的にはウクライナにもボルシェビキ(共産党)の政権が成立し,1922年の「ソビエト同盟(いわゆるソ連)」の結成に参加します。
当初,モスクワの共産党政権からある程度の独自性を与えられたウクライナ政府の下で現代ウクライナ語の姿が確定します。「2つの Γ 」もここで正書法の中に位置づけられました。
ところがスターリン政権の下でモスクワの統制が強化され,ウクライナ語に対する圧迫も激しくなってきました。その象徴が「g を表す Γ 」の廃止であり,これは「h を表す Γ 」に統合されました。これがロシア語の「Γ」と同じ形だからですね。
以後,共産党支配のウクライナでは鉤が上に向いた「g を表す Γ」を使用することができず,アメリカ合衆国に亡命したウクライナ人のコミュニティで使用されるだけでした。
共産党政権が崩壊しソ連が解体した後,ウクライナはロシアとの違いを強調するようになりますが,「g を表す Γ」が再び正書法の中に位置づけられたかどうかの情報は,私は持っていません。

もっとも,ウクライナ語では h で発音することのほうが圧倒的に多くて,g を表記しなければならないことはあまり多くないようです。基本的には外来語用の文字に近い。
ウクライナ語やロシア語も含めてスラブ語一般に共通することですが,ここでは h と g はたいへん近い音に認識されていてお互いに通用するようです。それをそれぞれの言語での正書法が確立する過程で h で表記してみたり g で表記してみたり,キリル文字圏であれば Γ の発音に違いがあらわれたり。
スメタナの「わが祖国」の第1曲「ヴィシェフラット」はプラハにある城郭のことで,チェコ語で「高い城」という意味ですが,この hrad はセルビア語では grad (Beograd :ベオグラード=白い都城)となり,ロシア語では gorod (Novgorod :ノブゴロド=新しい都城)となります。この h と g はお互いにつながりがあるのですね。

ウクライナ語の正書法は,ロシア語のそれを参考にしつつ独自に成立したものですから,いくつかの点でロシア語のアルファベットとの違いがあります。
ロシアでは革命後に廃止して И に統合されてしまった I があって,これが母音 i を表していること。一方で И も用いられるけれどもこの発音はロシア語の Ы に近く,ウクライナ語には Ы がないこと。В が w と発音されることが多い,等々。

この点,日本本土のいわゆる「日本語」と琉球諸島の言葉を考える上で興味深いものがあります。
琉球は14~15世紀に本土とは別個の王国として成立し,16世紀前半には中継貿易を背景に整備された官僚組織を持つ国家に成長しました。16世紀後半の国際環境の変化で衰え,1609年に島津氏により征服されてその支配下に入るけれども,「国家」としての姿と機能は維持して19世紀後半の「琉球処分」に至る。
この間,琉球王朝では対外的な公式文書は漢文でした。しかし,国王の発行する辞令などの文書は主に“ひらがな”で表記され,古い歌謡を集めた「おもろさうし」も“ひらがな”表記でした。
この“ひらがな”表記は琉球独自のもので,もちろん本土での発音を踏まえたものではあるけれども,こまごまとした発音には本土と違いがある。さらに,16世紀からの400年間の琉球の言葉自体の発音の変化もあって,現在「おもろ」を音読するとき,その“かな”の読み方は本土のものからはかなり変わったものになっています。
琉球は結局,日本に併合されて独自の文章言語を発達させる機会を失ってしまうのですが,もし独自の琉球文語のようなものを確立させていたならば,そこには現在のロシア語とウクライナ語の間と同じような関係が成立していたかもしれません。

沖縄には口語であるウチナーグチによる膨大な作品があり,現在でも活発に制作されていますから,これを基礎にした「独自の文章語」を確立するのにかなり近い位置にあると思われるのですが,ここから先が難しいようですね。
そういえば,元東北大医学部の教授で現在は岩手県気仙地方で開業されている山浦さんというお医者さんが気仙地域の言葉に独自の正書法と文法書を編纂して「ケセン語」として発表されていますね。最近,聖書の一部をケセン語に「翻訳」したことが新聞に紹介されていました。
かつてプーシキンやシェフチェンコが,あるいは二葉亭四迷ら明治の文豪が行ったことです。
こうしてできあがった「ケセン語」が地域の多くの人に使用されるようになれば,「新しい文字言語」の成立となるわけですけどね。
[9677] 2003年 2月 23日(日)10:29:40Issie さん
赤い花なら曼珠娑華
[9674] uttさん
[9676] 白桃 さん
演歌というかいわゆる歌謡曲の世界では、長崎、神戸、京都、大阪、東京、横浜が6大都市ですね。

先日,FMのある番組で「雨のオランダ坂」「長崎シャンソン」「長崎物語」と長崎の歌がたてつづけに流されるのを聴いて,確かに長崎って「キャラが立っているよな」と納得してしまいました。
キリシタンと南蛮貿易,つづく鎖国時代には「唯一の対外門戸」(実は違うけど),蘭学,これをひっくるめた「異国情緒」に加えて,被爆体験…
さだまさし(グレープ)の「精霊流し」まで,しっかりとこの流れに入るような気がしますね。
ただ,その「キャラ」も最近は薄れがちな気が…。

宮崎もかつては「南国情緒」で売り出してしましたよね。
その象徴がデュークエイセスの「フェニックス・ハネムーン」。
NHKの番組「夢であいましょう」の中で全国各都道府県の歌を作るという企画(NHKはこういう企画が好きですね)で生まれた中の1曲だと聞いています。
(だから,この企画でそれぞれの県の歌が作られているはずです。「いい湯だな」(群馬),「筑波山麓男声合唱団」(茨城)なんかもその一例。)
ともかく,こちらは海外旅行が自由化されて新婚旅行客が宮崎を離れてしまって,もはや「キャラ」を完全に失ってしまった感じがあります。

その点,千葉ってのはキャラの立っていないところですねぇ(歌謡界では)。
千葉が舞台で思い浮かぶのは,「矢切の渡し」(松戸市)と「お富さん」(木更津市)くらいです(「お富さん」って木更津が舞台の歌舞伎ネタソングだけど,実は琉球音階でできてるんですね。これがヒットにつながった,という人もいます)。

それと、小柳ルミ子の「私の城下町」はどこ?

さだまさしの「案山子」に出てくる「城跡」はどこかな,とも思うのでした。
[9964] 2003年 2月 28日(金)03:52:08ぷりぷり さん
唐突ですが
[9929]touhembokuさん
 春先の四国はとても好きです。私のイメージを書きますと,
「菜の花とお遍路さん」
「菜の花と吉野川」
「水平線の霞む太平洋」
 ただ,3泊4日では幾らも廻れないことはご承知おきを。高速道路がだいぶ伸びたといっても時間距離でみると四国は「大陸」です。あっちこっち欲張ると走りっぱなしの移動旅になる可能性大。


(本題)
 10年近く前,沖縄県のある島にハマり,年いちで通った時期がありました。そのときあったことをつらつらと。決して面白がって(funny)いるわけではなく「日本は広い」ということを感じた単純な事実の羅列です。

1.ことば
 なんといってもこの衝撃は忘れられません。年輩者同士の会話は全く理解不能でした。あるおじさん(50代後半)と飛行機の中で知り合いになり,結局ずーっとお世話になったのですが,私と話すときは教科書のような言葉遣いでした。特に印象に残っているのは「何人(なんにん)」を必ず「何名(なんめい)」と言うことでした。「何名来られますか」のように。このおじさん以外も使っていたので沖縄では標準かも。方言は覚えきれないほど豊富でした。いん(海),ま(馬),すっじゃ(さとうきび)・・・。
 年輩者同士の会話ではこんな感じでした。

近所のおばさんがおじさんの家へ用事を伝えにやって来ました。
おばさん「○○○○。○・・・(会話続く。所在なげに泡盛片手に話を聞く私)・・・。(ちらっと私の方を見て)○○○○?(多分これは誰か? とおじさんに聞いたのだと思う)」
おじさん「ヤマトから来たぷりぷりさん。○○○・・(話は続く)・・・

2~3分の会話の中ではっきり聞き取れたのはこの一文だけでした。なお,離島で「本土」というと沖縄本島を指し,九州以北は「日本」とか「ヤマト」を使うそうです(年輩者だけかも)。

 また,母音が aiueo ではなく aiuiu になるようです。「御嶽」が「うたき」に,「こっちへ来る」が「くっちぃくる」に聞こえます。このことでの笑い話もありましたが,下ネタ関連なので控えます。
 ただしヤマトからの外来語は aiueo でそのまま使います。たとえば「おはよう」を「うはゆう」とは言わないようです。
 宮古地方なので古代日本語(らしい)の発音が残っています。「はひふへほ」が半濁音になるようです。「花」を「ぱな」と表記した商品や,先日紹介した「い」や「り」の半濁音で表したりしていました(民俗資料館だけ)。

2.たべもの
 (一般家庭にお世話になってですが)揚げ物がとても多い。島に行くのはきまって9月で暑い時期だったせいもあるのでしょうが,傷むのが早いためか親族の集まりで持ち寄られるどの重箱も内容の9割が揚げ物でした。これで飲み続けるのはちょっと辛いものがありました。
 ある重度の二日酔いの朝,近所の食堂に行って「親子丼」を頼むと厨房から炒める「ジャー」という音が。不安におののいていると予想どおりてかてかに光った親子丼でした。恐るべし。
 昆布が多量に使われています。歴史的な背景(島津と蝦夷の交易)があるそうで,今でも昆布を産しないのに消費量は全国第2位だとか。
 豚肉がほとんどです。農協スーパー(Aコープ)には豚肉のみだったような。しかもスライス肉はなし。すべて小さいながらブロックでした。耳(ミミガァ)もパックでありました。お世話になったおばぁは「牛肉なんてぜんぜんおいしくないよぉ」と言っていました。山羊は食べたことないそうです。(沖縄本島では食べるようで,電話帳には「○○やぎ肉店」といった牛肉を供する店と間違えそうなものもあります)
 白米は高価なようで,いただいたご飯も粟だったか稗だったかを混ぜたものでした。

3.車
 小さい島だけど車はそれなりに台数がありました。ただしご多分に漏れず離島名物「ナンバープレートの付いていないやつ」が多数見られました。
 スーパー隣の空き地へ錆だらけの廃車を捨ててあったので,その後へ駐車して買い物をしました。ご想像どおり「だれだ,私の車の後へ停めたのは,出られんではないか」と叫ぶおじさんが店内へ入ってきました。島で一番きれいなのは黒っぽい少々ヤンキー系のハードトップでした。フルスモーク,ダッシュボードにチンチラですが,やはりナンバーはありません。ドリンクホルダーにはオリオンビールがささっていました。
 島の人(女性)に
「この島は,ナンバーの無い車が多いですね。」 というと
「ナンバーもないけど,免許もないよぉ」 と快活に返答いただきました。本当かな。

4.酒
(眠たくなったので中断。続けて書いてもいいですか?)
[9980] 2003年 2月 28日(金)11:07:10BANDALGOM[地域研究家] さん
沖縄と韓国
[9964]ぷりぷりさん
あるおじさん(50代後半)と飛行機の中で知り合いになり,結局ずーっとお世話になったのですが,私と話すときは教科書のような言葉遣いでした。特に印象に残っているのは「何人(なんにん)」を必ず「何名(なんめい)」と言うことでした。「何名来られますか」のように。このおじさん以外も使っていたので沖縄では標準かも。
沖縄では昔、学校で方言を使うと「方言札」を下げられて処罰されたといいますね。
そのために沖縄の年配の人たちは、非常にきれいな標準語を話すと。

植民地の韓(朝鮮)半島や台湾、あるいはアイヌ民族などに対しても、これと似たようなことが行われたのですが、韓国でもまたお年寄りが日本語を話す時は、きれいな標準語になりますね。

反日感情ばかり伝えられる韓国ですが、私の経験から得た感じでは、植民地支配を直接経験した60代以上の人たちは、むしろ日本人に親近感を持つ人たちが結構いるものです。
こちらが日本人だと分かると、頼んでもいないのに日本語を話したり(私も韓国語の日常会話はできますから)、「私は昔、東京の蒲田にいました」とか「私は昔、茨城県の土浦にいました」などと話しかけてきたりします。
さらに聞いた話では、「さくらさくら」や、はたまた「君が代」まで歌う人がいるとか。

豚肉がほとんどです。農協スーパー(Aコープ)には豚肉のみだったような。しかもスライス肉はなし。すべて小さいながらブロックでした。耳(ミミガァ)もパックでありました。
沖縄は豚を頭から足の先まで、「鳴き声以外は全部」食べることで知られていますね。
これは韓国でもそうですが、沖縄と韓国は本当によく似ています。
時間に鷹揚な「ウチナータイム」と「コリアンタイム」、「テエゲエ主義」と「ケンチャナヨ精神」([9571]参照)、旧正月を大事にするところ、「会えばみな兄弟」という情文化などなど。

これらのよく似た文化は、長い間中国の冊封体制下にあったという共通の歴史によって形成されたものといえますね。
[15803] 2003年 5月 24日(土)09:37:11OguriCap さん
昆布ロード
[15770]裏日本人さん
私も「新潟と北陸が日本海側の2大地域というよりはほぼ全て」との言葉には、[15777]般若堂そんぴん さんと同じ意見を持つ者ですが、確かに日本海側の各地域は細切れで、つながりは薄いですね。
人の行き来がなければ、つながりを持ちようがないのは当然のことで、私の住む富山で言うと、西に向かうと高速道路にしろ、特急にしろ、敦賀を過ぎると太平洋側に向かってしまいます。東に向かうと新潟で止まってしまいます。それよりも遠くの日本海側とは縁がないという感じです。
日本海東北自動車道ができれば、山形、秋田、青森が近くなりますが、計画自体がぶつ切りで、貫通することは望めなさそうです。

と、ここからは富山の話。
富山は日本海側の他の地域とよりも、北海道とつながりが深いようです。
奇しくも一昨日、北陸銀行と北海道銀行が経営統合に基本合意しました。
交流のない地域同士の地方銀行の合併はありえないでしょうし、今現在でも北陸銀行は道内に25店舗ありますが、この数は準地元銀行とも言える数ではないかと思います。
もちろんこれには理由があるはずですが、私は漠然と、明治の開拓時代に多くの県人が渡ったことや、富山の売薬産業の関係でつながりが深いのだと思っていましたが、面白いページがあったので、かいつまんで紹介します。

富山は一世帯当たりの年間昆布消費金額が日本一だそうです。この理由は江戸時代、北前船の港として機能していたため、北海道の海産物が多く流通するようになり(運搬を手がけた業者には富山の売薬業者が数多くいた)、独特の昆布の食文化を作り上げていったようです。昆布は北海道から富山、鹿児島へと運ばれ、琉球を通じて清国へ密輸され、清国からは漢方薬の原料が逆ルートで運ばれ、富山の製薬業の発展に寄与したそうで、これを「昆布ロード」というのだそうです。
その後明治時代になり、県民の北海道移住や漁業出稼ぎが始まり、中でも昆布の産地である羅臼町への移住が多く、彼らがふるさとに昆布を送ったことが、今でも羅臼昆布の人気が高い理由だそうです。
ということで、下記ページを見ると、昆布から始まった富山と北海道のつながりが見えてきます。

http://www.pref.toyama.jp/sections/1015/ecm/back/2000jul/tokushu/index2.html

ちょっと興味がありますので、他にも離れた地域間のつながりをご存じの方は、御紹介下さい。
ところで、富山ではおにぎりにとろろ昆布を巻くのはごく一般的な食べ方ですが、最近富山だけの食べ方だと聞きました。
私は県外に十年以上住んでいましたが、どうだったのか思い出せません。
他の都府県の人にすれば、珍しい食べ方なのでしょうか?
また、北海道の人はどうなんでしょう?
気になります。

[15742] utt さん、[15761] miki さん 、[15772] ken さん
きゅうまるまる草原
私も伏せ字だと勘違いしました。
誤解って、本当に思わぬところから生じるものですね。
何でこんなところに伏せ字を使うのだろうと不審を抱いたところだったので、kenさん、ひいてはmikiさんのおかげで勘違いが解けました。ありがとうございます。(そして心の中で…uttさん、誤解してすみませんでした)

[15779] 雑魚 さん、[15781]ken さん、 [15782]般若堂そんぴん さん
「次は山形です。」と言うべきところ、「次は山形でした。」………これって地元固有の言い回しなんですかね。
いやあ、すごい違和感がありますね。
実際のイントネーションを聴けば方言として納得するのかも知れませんが、許せない日本語だ(笑)

[15795]TACO さん
井上靖と旭川はどういう関係があるのですか?
NSさんがお答えを用意されているかもしれませんが、もしそうでしたらNSさん、ごめんなさい。
私は井上靖研究家を自負しているもので。
井上靖氏は、両親とも湯ヶ島出身ですが、父親が陸軍軍医だった関係で、旭川で生を受け、一年間当地で育ちました。
氏は幼い頃母堂から、五月の旭川の百花が一時に開く美しさを聞かされ、旭川という地にしかも五月に生を受けたことに、誰よりも恵まれた出生を持っていると幼心に思ったと書かれています。
[18501] 2003年 7月 21日(月)12:22:06【1】Issie さん
Re:峠
[18492] 琉球の風 さん
「○○峠」と、名前をもつ峠地形が一切無いのは沖縄県くらいではないでしょうか?

台地地形の本島中南部はともかく,北部のヤンバルは山地帯ですから“地形としての峠”がないはずはないですよね。
「峠」がない,のではなくて,「峠」と呼ばない,だけではないかと思います。

沖縄と本土の間には言葉に微妙なズレがありますよね。「ムイ(もり)」は「森」ではなく「山」という意味だったり,「ハル(原)」は「原っぱ」というよりもまずは「畑」だったり(何と英語 [field] なんかと同じ用法ですね)。「カー(川)」が意味するものも本土とは違うようです。

実は本土の中でも「峠」という表現が必ずしも共通なわけではないようです。
広島市周辺では「たお」と呼んでいるようですね。それを表記するための漢字もありますが,あまり一般的ではありません。
各地方には,それぞれの呼称があるように思います。
古語では「坂」が「峠」を意味していました。

もしかしたら,本土で「峠」という表現が普及したのは,そう古いことではないのかもしれません。

※もう1つ,考えられそうなことは
1)琉球処分後に設置された沖縄県は,とくにヤンバルについての道路整備に熱心でなかったのではないか(道路整備が遅れたのは本土も同じ)。
2)沖縄県には“46府県+北海道”の中で唯一,陸軍の師団が置かれなかった。軍事行動上必要な地理情報の収集にもあまり熱心でなかったのではないか(敗戦前に全国の地形図を作製していたのは陸軍である)。
3)そのようなわけで,「本土式」の「峠」地名が与えられる機会がなかった。
…なんてことを考えてみましたが,ま,これは眉につばをつけといてください。
[18979] 2003年 8月 11日(月)15:41:04【1】オーナー グリグリ
沖縄 vs 本土
[18953] 琉球の風 さん
今朝、ゆいレールこと沖縄都市モノレールが開通しました!これで、日本で唯一鉄道のない県という汚名(?)を返上しました。
鉄道がないから汚名だなんてことはないでしょう。それより渋滞解消になればいいですね。
ところで、JR指宿枕崎線の西大山駅が「日本最南端の駅」から「本土最南端の駅」にモニュメントの名称を変えたというニュースが流れていますが、「本土」という言い方ってどうなんでしょうか。沖縄の人自身も「本土」という呼称を使っているので気にしなくていいのかと思いますが、何となく気になります。

GLinGLinの「蝶切手の魅力」に沖縄が占領下にあったときに発行されていた「琉球郵政」の切手があります。 http://butterfly.kje.jp/ryukyu/ryukyu.html
このページにも「本土」と「沖縄」のギャップについて少し書いてあります。
[18989] 2003年 8月 11日(月)17:40:26琉球の風 さん
Re:沖縄 vs 本土
[18979]オーナーグリグリ様
「本土」という言い方ってどうなんでしょうか。沖縄の人自身も「本土」という呼称を使っているので気にしなくていいのかと思いますが、何となく気になります。
そうですね。気にする人は気にするでしょう。ちなみに私もその内の一人です。しかし、「内地」と呼ぶ人も未だにいるので、「本土」はやや配慮(軟化)されたというイメージを持っている県民も少なくないようです。従って、私のように気にしている県民はおそらく少数派でしょうね。しかし、いずれにしろ、西大山駅以南・ゆいレール以北に鉄道が存在しない以上、「JR最南端駅」と称するのが一番妥当であっただろうな、と思います。ところで、切手のページで述べられていた、「日本語事件(?)」の件ですが、私の姉が20世紀も終わりに近づいた頃、熊本県内の某大学の面接で、面接官に「あ、日本語話せるんですね。英語か方言だけと思ってましたから、どう対応すればよいものか、困ってたんですよ」と言われたそうで、姉はかなりお怒りでした。復帰直後なら理解できますが、未だにこういう人はいるようですよ。話はもどりますが、私は「本土」という意味を会話中で示す時は、常日頃から「県外」という言葉に置き換えて喋っています。いわゆる「ナイチャー」も「県外の人」へ置き換えています。少々たどたどしい気もいたしますが・・・・。
[19038] 2003年 8月 15日(金)08:35:51【2】オーナー グリグリ
Re:沖縄 vs 本土
[18989] 琉球の風 さん
そうですね。気にする人は気にするでしょう。ちなみに私もその内の一人です。しかし、「内地」と呼ぶ人も未だにいるので、「本土」はやや配慮(軟化)されたというイメージを持っている県民も少なくないようです。
やはりそうでしたか。テレビなど見ていても沖縄の人自身が抵抗なく「本土」を使っているので、気にする方がかえって良くないことかなと思っていました。「内地」はあまり使われなくなったと推測しますが、明らかに戦前用語で良くないですね。ところで北海道でも同じような使い方が沖縄ほどではないにしてもあると思いますが、どうなんでしょう。少なくとも「本土」という使い方は耳にしたことがあります。同じように、四国、九州、あるいは、離島などではどうなんでしょう。

「内地」だと「外地」という対語があるのですが、「本土」に対する対語は何でしょうか。とくにないのかなぁ。普通に考えれば「島」あたりか。フランスなどの海外県を持つ国であれば「海外領土」などになるのでしょうが。結局、「本土」の対語として「植民地」的なニュアンスがあるため気にする人は気にするのでしょう。それが、本来の「島」の対語という意味合いで使われるようになりつつあって、あまり気にする人がいなくなったということか。

そう言えば、米国のアラスカ州とハワイ州には区別する呼び方があったように思いますが?
[19063] 2003年 8月 16日(土)02:46:43ありがたき さん
フライドポテトのフレーバー
[19054]琉球の風 さん

ファーストフード店でフライドポテトにケチャップがついてくるのは沖縄だけではないでしょうか?

ファーストフードF社の横浜駅西口の店舗では、フライドポテト用のソースとして、ケチャップ、たらもソース、わさびマヨネーズ他数種類が別料金なしに用意されていました(最近行っていないので直近情報は未確認)。形態としては、使い捨てプラスチック製小皿にチューブボトルに入った各種ソースを好みの量とって自分のテーブルに持ち帰るもので、1回用の小袋とか、カウンターで種類と量を決められることはなかったです。別料金不要ということでついつい全種類を制覇したのですが、その時はなんだかポテトだけでおなかいっぱいになったような気分になりました(欲張ったバチがあたった模様)。

戦後のアメリカ文化の影響なのだそうで、米国資本の「A&W」が1960年代に進出、後発の日本資本もこれにならった結果だそうです。

横田や横浜ノースなどの米軍基地関係の施設がある近辺では(その店舗独自のサービスと思慮されるのですが)ケチャップが準備されているところがまま見受けられます(全国的かどうかはわかりませんが、わたしの行動範囲の中ではそういう印象を受けました)。
米軍近隣店舗に限らず、1回使いきりの小袋入ケチャップをくれるところもごくたまにありますね。ファーストフードF社では、20円だか別料金追加で数種類のフレーバーからひとつ選択して味付けできるものもありましたっけ。

尚、一度かじったポテトの噛み口を更にケチャップをつける行為はしてはいけません。

ということは、テーブル据付のドボン容器でケチャップが置いてあるのですか?だとしたら大阪の串かつ屋さんのソース「二度付けはあかんで」と同じスタイルですね。
[19084] 2003年 8月 17日(日)10:20:27【1】Issie さん
安里屋ユンタ
[19078] 松戸 さん
「安里(あんり)市」

漢字だけ見ると,沖縄っぽい名前ですね。
那覇市の郊外に「安里(あさと)」という地名があります。
「安里屋(あさどぅや)ユンタ」は宮古島の民謡。

「里見」というのは本来は上州の地名(碓氷郡。1955年の合併以降は群馬郡榛名町)なのですが,実現すれば,これも旧領主が持ってきた地名,ということになるのかな。
上州出身の里見氏は,同じ上州出身の新田一族ということになっています。が,安房里見氏開祖の里見義実は実在の人物ではない,という説もあります。
…とすると,滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」は,その構想の根底からひっくり返ってしまいます。もっとも,物語のクライマックスの「国府台合戦」は義実の数代後の話ですから,別に史実はどうでもよいのですが。

ちなみに,物語の冒頭に登場する「安西景連」,物語全般を通して狂言回しのような役割をする「金碗(かなまり)大輔=ゝ大(ちゅだい)法師」の苗字は,それぞれ地元の地名です(「かなまり」は現在は「神余」と表記する)。
一応,義実実在説に従えば,上州から移転してきた里見義実が,地元勢力の安西氏を討ち滅ぼし,その前後に金碗(神余)氏をはじめとする辺り一帯の小領主を配下に組み込んで安房の支配権を確立し,戦国大名に成長した…,というお話が見えてきますね。
[19089] 2003年 8月 17日(日)17:45:24琉球の風 さん
おっ
[19078]松戸さん
[19084]Issieさん
「安里(あんり)市」....漢字だけ見ると,沖縄っぽい名前ですね。
なんとなく画面をスクロールしていて「おっ」と目が止まりました。何を隠そう、「安里」は私の苗字ですから(もちろん読みは「あさと」です)。沖縄での「安里さん」の多いこと、多いこと。こっちでは、とてもメジャーな苗字なんです。那覇市のほか中城村と具志頭村にも確か、「安里」という地名がありますが、沖縄では地名より苗字という印象が強いかも知れません。県外からどこぞやの勧誘電話がかかってくると、「あんり様のお宅でしょうか?」という読み間違いがよくあるものです。

[19088]OguriCapさん
しまなみ海道を自転車で往復してきました。
高速バスも大幅削減され、寂しいしまなみ海道ですが、「児島坂出ルート」「神戸鳴門ルート」あわせて、いつか渡ってみたいものです。しかし三本渡るとすると、通行料が恐ろしい額になってしまいますから、「同時に」となると気が引けてしまいます。これに加え、「豊予海峡大橋」「紀淡海峡トンネル」を造るとどうなる事やら・・・・。
[21103] 2003年 10月 15日(水)20:26:26琉球の風 さん
県鉄の最期
[21079]深海魚さん
是非 「ザコ市」 に改称して頂きたいものです。(笑)
合併などで公募が行われる暁には、ぜひ推薦しておきましょう(笑)

[21096]
(沖縄県営鉄道)
最近、沖縄県営鉄道(ケービン)の軌道跡を周回散策するべく、ルート確定の過程上に県鉄に関する資料をあさっていて初めて知ったのですが、このケービンに関する廃止手続は、戦火の混乱から運輸省(当時)に提出されずじまいだそうで、「米軍統治に伴う日本国内法の適応から外されたことによる消滅」として扱われたそうです。「廃止」ではなく「消滅」、少し特殊な事情が絡む事例ですね。また、1988年まで残っていたという嘉手納線の佐阿天原(さーてんばる)橋梁は、五歳までその近所に住んでいたにも関わらず、その姿は写真でしか知りません。今は普天間川の河底に、橋脚の土台がわずかに一本分残るばかり。あの頃、このジャンルへの興味さえ持っていたならば・・・・と悔やまれる今日この頃です。戦火に消え、戦後の都市化の波に翻弄され、その遺構さえ失われていったケービンの、正に「消滅」の名に相応しい哀愁ただよう薄幸の結末でした。
[22519] 2003年 12月 4日(木)18:46:32【2】hmt さん
沖縄の旧国宝
[22514] N-H さん
現在の国宝は、戦後1950年の文化財保護法に基づき、「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」 を国宝として指定したもので、 「沖縄に国宝がない」 というのは、この意味です。

一方、「沖縄には戦前、11件の国宝があった」 という時の国宝は 別の意味で、1929年の国宝保存法に基づいて指定されたもので、戦争等で失われたもの以外は、戦後の制度では重要文化財になりました。現行法の国宝に指定されていないものは 「旧国宝」 とも呼ばれています。
用語の混乱があるといけないので、念のため。

http://www.ne.jp/asahi/okinawa/hiro/kokuhou.htm には、沖縄の旧国宝として23件が挙げられています。
だいぶ数が増えましたね.

【2】追加
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7888/galu_agency-kita_027.htm の国宝一覧表にはグリグリさん出題の7道県の以外に3県の記載がないのですが、朝日新聞社の「日本の国宝」バックナンバー http://www3.asahi.com/opendoors/span/kokuhou/backnum/ を見ると【097】福島には国宝があるようです。【084】新潟・【084】富山両県は【090】群馬・【026】徳島・【024】佐賀・【022】熊本・【021】宮崎・【021】沖縄各県と共に県名のみ記載で所蔵機関の記載がなく、国宝のない県かとも思われますが、目次だけでは確認できません。
…ということで、[22505] M.F さん が正解か否かは確認できませんでした。
[24299] 2004年 1月 31日(土)00:41:28夜鳴き寿司屋 さん
奄美群島「大島県」
[24278] 太白 さん
明治19年から大正15年までは「大島県」というのが存在したようですが、他の「府県」とは異なるという理解でよいのでしょうか

 この情報は初見ですね。念のために「大島県」で検索してみたのですが、該当する情報はないようですが、名瀬市立奄美博物館のHPの記載に

http://www.city.naze.kagoshima.jp/museum/museum/museum.html
薩摩藩治下時代から続いた奄美への支配はそのまま引き継がれ、県は商社をつくって黒糖販売の独占をはかります。しかし明治の中期になると、奄美は経済的に切り離され、独立経済となり、それは1940年まで続きました。

 という記載がありましたので、黒糖に関してだけかもしれませんが鹿児島県とは別の経済圏を形成していた可能性があるようです。どうも鹿児島県の管轄に入らないほど「大島郡」に与えられた権限が大きかったかもしれないですが、それも戦前の府県に相当するものではなく、俗称の類だと思われますがどなたか追加データがいただけたらありがたいです。
[25464] 2004年 2月 27日(金)21:22:00まるちゃん さん
新設医大の謎
[25376] faith さん
これは設置時期の違いでは?
各ケースにあたったわけではありませんが、文部省が「新構想大学」を設置しだした1973以降に設置のものは、既存の大学ではなく、単科大学として設置されているのだと思います。
(山形大学あたりが時期的にはボーダーラインだったために既存の大学の学部増設になっているのでしょうか。)
詳細なレスありがとうございます.
「新構想大学」という単語も初めて聞いたので,調べてみると.
中央教育審議会大学分科会の連絡会の資料の中にありました.
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/006/011001/011001c.htm

これによると,
新構想大学の設置(48~56) 19大学
新設医科大学(48.9~53.10)12大学
とありました.
旭川医大,山梨医大(現山梨大),浜松医大,富山医薬大,福井医大(現福井大),滋賀医大,香川医大(現香川大),高知医大(現高知大),島根医大(現島根大),佐賀医大(現佐賀大),大分医大(現大分大),宮崎医大(現宮崎大)の12新設大学を指すものと思います.

新構想大学は昭和48年以降の設置のようですが,
昭和45年(1970) 4月 秋田大学医学部
昭和48年(1973) 9月 山形大学医学部
昭和48年(1973) 9月 愛媛大学医学部
昭和48年(1973) 10月 筑波大学医学専門学群
昭和54年(1979) 10月 琉球大医学部
の設置で,琉球大を除くと,単科医大となった上記の12大学に比べ,ご指摘のように,比較的早いようです.
旭川医科大学も,昭和48年9月と早いのですが,統合すべき総合大学がなかったことからでしょうね.

琉球大の沿革を調べて,少し変わったものを見つけました.
昭和47年5月15日 沖縄の本土復帰により、琉球大学及び同短期大学部は、国に移管され国立大学となり、琉球大学附属病院は、琉球大学保健学部附属病院となった。
保健学部附属病院とはなかなか珍しい.
医学部より先に保健学部があったので,こうなったのでしょうね.

http://www.u-ryukyu.ac.jp/general/outline/history.html#04
[31412] 2004年 8月 5日(木)02:08:32Issie さん
ウンタマギルー
[31390] 昆布in さん
運玉森

運玉森(うんたまむい)と言えば,「ウンタマギルー」という映画がありましたね。
検索してみたら,高嶺剛監督の1989年作品。主演が小林薫さん。

何がすごいって,この映画,全編がウチナーグチ・オンリーなのですね。
いや,占領統治を行っている米軍関係者はもちろん英語をしゃべっていますが。
途中,ウチナーグチ訳の「インターナショナル」も聴けてしまう…。

ウチナーグチに親しんでいなければ,字幕がないと全く言葉がわかりません。

そうそう,
沖縄の本土復帰が決まったことを知らせる「親方(うぇーかた)」の話す,映画全編最後のセリフ…
 「これからは沖縄は日本(にっぽん)だ!」

これだけが完全なヤマトグチで,聞き取ることができました。
[31498] 2004年 8月 7日(土)05:25:18作々 さん
レスポンス
[31331] 佐賀県 さん
長崎県 vs. 鹿児島県
[31429] らるふ さん
青森と鹿児島の似県簿
[31437] 愛比売命 さん
続、似県簿
鹿児島出身者としては反応せずにはいられません。
なるほど、とても興味深く読ませていただきました。しかし、まったく考えもつきませんでした。今まで考えたことがあったとしても鹿児島と青森は両方とも端から2番目だ、ぐらいしかなかったので。こういうのって以外と内にいるひとって気が付かないのかもしれません。色々と見えすぎてしまって。それとも私だけ?
何となく、長崎と青森に親近感が沸いてきました。


[31468] 白桃 さん
唐芋、琉球芋、薩摩芋
琉球芋って何処で呼んでいるんだろうと思って検索かけてみたら、引っかかったのは我が鹿児島でした。そう言えばそういう話の流れでしたね。
しかし、えーっ、そんな呼び方すんの~?って感じです。うーむ。聞いたことがない。一体何処で呼んでいるんだろう。そういう地域があるのかしら。
鹿児島ではやっぱり「唐芋」か「薩摩芋」ですね。「どちらかといえば「唐芋」=方言、「薩摩芋」=標準語って感じでしょうか。薩摩芋」はちょっと丁寧な言い方のような気もします。そう言えば「辛いも飴は富士飴で~す」ってCMもあったなぁ。
それにしても「琉球芋」なんて呼んでいた時代があったのかなぁ。無きゃこんな言葉できないよなぁ。
[37020] 2005年 1月 23日(日)10:56:28【2】Issie さん
うちなーぐち
[37011] くるり さん
沖縄県の標準語は「琉球語」

りんけんバンドの作品に「志情(シナサキ)」というラブソングがあります。
私,この歌を初めて聴いたとき,たいへんびっくりしました。

りんけんバンドが「本土」で知られるようになったのは,「ありがとう」や「乾杯さびら」(オリオンビールのCMソング)あたりの歌からだと思いますが,どちらも“うちなーぐち”で歌われた「沖縄」の色の濃い作品です。
りんけんバンドよりも一回り先に「本土」で知られるようになった 喜納昌吉とチャンプルーズ は,より強烈に「沖縄」を主張していました。
ほかに「本土」で聞かれる“うちなーぐち”の音楽と言えば,“島唄”などと呼ばれる伝統的な沖縄歌謡のようなもので,つまり「沖縄」を離れることがなかった。

ところが「志情」には,そのような「沖縄色」がない,あるいはあっても極めて希薄です。
別に舞台が沖縄である必要もなく,たとえば東京のお台場でも成立するような内容です。70年代アイドルの歌の中にも,同じような内容のものはあったのではないかしら。
それを“うちなーぐち”で歌ったことに,たいへん驚いたのでした。
“うちなーぐち”には,そのような表現力があるのか,と。

以前,沖縄では“うちなーぐち”でニュースを読む「方言ニュース」というプログラムがラジオで放送されていました(今でも,やっているのでしょうか)。音楽や演劇の分野でも“うちなーぐち”による作品が蓄積されています。
“うちなーぐち”についての体系的な文法を(場合によっては,独自の表記法の考案も)扱った一般向け入門書が出版されている点も,“変わった,珍しい”単語や語法が断片的にしか一般には紹介されない「本土」の「方言」研究と違うところです。

標準化された語彙集(辞書)と文法,そして統一された表記法が整備され,それが公教育の場で「国民」に教育される,というのが19世紀以降の「近代国家」における「国語」の確立の上で重要な要素でした。
象徴的なのは「民族の共栄」を標榜したソ連で,“認定された”各民族ごとに標準化された文法と統一されたアルファベットが制定されて多くの近代言語が確立されました。中央アジアのトルコ系諸言語(カザフ語・ウズベク語・キルギス語・トルクメン語・アゼルバイジャン語・タタール語,その他)が最終的に確立したのはこの言語政策によります。同じ政策によって,旧ユーゴスラビア連邦では,第2次大戦後に「現代マケドニア語」という言語が確立しました(ほとんど同じ言葉が話されているブルガリアでは,これをブルガリア語の「方言」としています)。
近代の日本列島でその流れの上に乗って確立されたのが,いわゆる「標準語」(共通語)です。

沖縄地方で行われている“うちなーぐち”は,現在の日本列島の中では「標準語」に次ぐ位置にあるのかもしれません。

けれども,現実には「東北弁」で東北地方の言葉を一くくりにすることはできず,「大阪弁」とは言ってもどの私鉄の沿線かで微妙に言葉が違っている(らしい…。あたしにゃ,区別できない)のと同様,沖縄本島内だけでも那覇・首里を中心とする南部と,北部のヤンバルとではかなり言葉が違うようです(昔は那覇と首里でも違っていたようですが,沖縄戦でシャッフルされてしまったのだそうです)。
「方言研究」の世界では「本島中南部方言」と「本島北部方言」とを区分しています。「北部方言」は,むしろ「奄美方言」との共通点が多いらしい。
さらに「沖縄・奄美」の言葉に対して,比較的新しい時代(もちろん15世紀以前)に首里政権によって「征服」された宮古・八重山の言葉は「外国語」ほどに違うらしい。

いや,長々と書いてしまいましたが,
要するに,「楽天・地域密着へ東北弁使え」とは「わかってないよなあ」,というみなさんの意見に同感なのです。

…こんなこと言うなら,「ものゴッツい」という応援歌の歌詞はないよなあ,とも思うのでした。
[40956] 2005年 5月 9日(月)18:29:36トライランダー さん
苗字の話
[40953] ケン(地理好き) さん
珍名に見える苗字のことですが纐纈は岐阜・愛知、阿比留は千葉・九州(特に長崎県対馬)に多いと思います。

纐纈(こうけつ)は確かに中部地方にそれなりに多いですね。名古屋市の守山にいた時、同じ学年に2人いたような記憶があります。
阿比留は確かに対馬に多いですね。九州の場合対馬以外では聞いたことがありませんので、九州全般に多いわけではありません。
ちなみに対馬という名字は、何故か津軽に多く、対馬には1人もいません。
離島つながりで。元々同じ琉球だった奄美諸島は、沖縄風の名字は殆どいなくて、1文字姓が多いです。
[40993] 2005年 5月 10日(火)06:19:31EMM さん
名字レスれす
名字の話だけするとそれだけで長くなってしまいかねないので、地理と絡めつつ書いてみましょう。
(資料の本がどこかに埋まって見あたらなかったので、ちょっちうろ覚えで書いているところもありますが…)


[40953] ケン(地理好き)さん

[40926]で挙げた名字は[37875]に引き続きの登場です。
ちなみに、阿比留はほとんどが対馬にあり、千葉県にはごくわずかしか見られないはずです。
千葉で見られる「あびる」姓は安蒜、畔蒜などです。
ただし、阿比留ももともとは関東の姓で、安蒜、畔蒜などと由来は同じらしいです。
かつて対馬の防衛(海賊征伐だったかも)のために派遣された武士の一団がルーツの名字だとか。

宇賀神は、落書き帳のメンバー何人かにとってはそれほど珍しくない名字だと思います。
どうすか?<みやこ♂さん、Gさん、いっちゃんさん
と言うことで、栃木に固まっている名字です。
早乙女、五月女なんかも栃木ですね。

沖縄の名字でも3000位以内に入ってくるのは山ほどあります。
電話帳で1000軒以上出ていれば3000位前後になりますので…
代表はなんと言っても比嘉。

新湊は珍名さんで有名ですが、ほかにも特徴のある町はいくつもあります。
[20868]で取り上げてますのでご参照下さい。
(ほかにも、輪島市や珠洲市、富来町なんかもさりげなーく珍しい名字が多いような)


[40956] トライランダーさん

纐纈は圧倒的に愛知・岐阜です。
北陸は中京との関係が比較的強いので、時折お見かけすることがあります。
たいていは「私の旧姓は珍しいんですよ」とか来るのですが、私は平気で「纐纈さんですね。愛知か岐阜の方ですか?」とやるので変な顔されます。
[40528]ひげねこさんの「美女と秋田」のエピソードと近いものがあるかも…

対馬と津島は確かおおむね同じ由来、と言う話だったはず。
(これも埋まってしまった資料の本に出ていた記憶があるのですが…)
ちなみに、青森県は弘前藩と南部藩で名字の傾向ががらっと異なっており、南部の方は名字の種類が多く、特徴的なものも多いのに対し、弘前の方はそれほどバラエティには富んでいないそうです。
対馬、津島は弘前藩側の名字になります。
ほかに弘前藩側の名字として特徴的なのは工藤、三上、成田、小山内、福士、今(こん)、神(じん)、小田桐など。なぜか一戸も弘前側の名字のようです。
(工藤は全県的に見られますが、どちらかというと弘前側が多い)
南部藩側は岩手県域も含めて種類が多いかわりに数がばらけますが、特徴的なのは田名部(たなぶ)、中野渡(なかのわたり)、苫米地(とまべち)、下斗米(しもとまい)、蝦名、竹ヶ原、小比類巻、小向など。
字面的にも差があるようです。

奄美諸島は確かに一文字姓が多く、それもほかではあまり見られないものが色々あります。
ホンジャマカの恵俊彰、歌手の元ちとせなんかは典型的な奄美の名字です。
ほかにも例えば徳、保、勇、福、常、興、積、与、且、納、屋、などなど。
一文字姓が多いのは、薩摩藩が奄美諸島を支配していた頃の政策に由来しています。



#土、日と無茶な生活をした反動で、昨夜は飯喰ってシャワー浴びたらすぐにベッドに沈没。
でもすげー半端な時間に目が覚めた……
[57321] 2007年 3月 17日(土)23:53:53小松原ラガー さん
沖縄・・・
小松原ラガーです。

本日のテレビでも取り上げられていましたが、石垣市というか石垣島が人口急増中とか。おかげで沖縄県の人口増に「貢献」している模様ですが、たまたま見つけたこの記事、思い切り文化を感じました。牛乳パックそのものは本土製の1リットルのものを使っていても、中身はしっかり1/4ガロン=946ミリリットルとか。過去の経緯、その他は記事をご覧になってほしいのですが、他にこのようなご当地ならではの事例ってあるでしょうか。少し考えましたが、すぐには思いつきません・・・

餃子は一列に並べるのではなく、丸鍋で焼いて円形に並べる。⇒いまいち
関西のうどん屋のたぬきときつね。⇒これも今市

(すこしアルコールが入っているせいか、頭が回っていません。)

#全く別の話ですが、材料費の高騰でわが神戸市は近々学校の給食費が値上げとか。
#こら~っ。その前に滞納してるやつ、ちゃんと払えよ~~っ。

P.S.
パソコンの接続、会社のLAN接続を無線にしたら、とたんに家の無線LANの銚子が超不安定になった。狭い家とはいえ、コンセント、ルータ、プリンタの場所がばらばらで、めちゃ不便・・・と、ほ、ほ・・・
[57377] 2007年 3月 21日(水)16:23:32hmt さん
畳表は「備後」と思っていたが
いぐさの話題
[57284] hiroroじゃけぇ さん
一番目立つ「畳表」の原料、「い草」の生産地ぐらい知っておいて欲しいものです。
[57288] ペーロケ さん
都道府県単位で「8割以上が熊本県」という常識ならともかく、

恥ずかしながら、「備後表」(びんごおもて)からの連想で、主生産地は広島県東部とばかり思っていました。
国内の主産地は熊本県(肥後表)、次いで福岡県(筑前表)が少々ということなのですね。
もっとも、中国からの輸入品に押されて、国産の藺草自体が希少になりつつあるようですが。

熊本県と言えば、八代市 の新市名候補として、「いぐさ市」の応募もあったとか。[11018] はやいち@大内裏 さん

“(稲の)田植えはまだまだ先だと思いますが”というEMMさんのご指摘[57286]の通り、田植えの季節が全く違いますね。
いぐさの植え付け時期は、11月下旬から12月頃。備後の寒田植 という言葉があるようです。
重労働は、氷の張る季節の田植えだけでなく、梅雨明けの酷暑の最中に、刈り取り・泥染め・乾燥作業があります。

地名ゆかりと言えば、数十年前には「琉球」という縁のない畳も普通に使われていました。
琉球畳の原料は「いぐさ」ではなく、「シチトウイ」(七島藺)という全く別の多年草(カヤツリグサ科)だそうです。
現在、沖縄で栽培されているのは備後草が訛った「ビーグ畳」で、七島藺は大分県などで僅かに栽培されるだけの希少品になり、琉球畳は特殊な高級品になっているとか。

昔は、「いぐさ」の重要な用途が畳の他にもありました。
それは、灯明に使う「灯心」です。「いぐさ」を蒸して皮むきして取り出す、スポンジ状の白い芯です。
なぜか「灯芯」ではなく、「灯心」と書きます。
「いぐさ」は、別名「灯心草」とも呼びます。
[58702] 2007年 5月 27日(日)11:38:02Issie さん
“にし”は北
[58692] EMM さん
そして上がったお日様はやがて西に向かい水平線に入っていくから「西」=「いり」。

そして,沖縄の言葉で「にし」は「北」を意味します。
秋,風向きが変わって初めて吹く北からの季節風は「みーにし」。“にし”が北風で,“みー”は 本土方言 の「にい <にひ(新)」に当たります。
沖縄と本土とでは,しばしば m と n の入れ替えが起こるのですね。
だから,「宮城」は首里や那覇などの 本島中南部方言 では「ナーグスク」(首里の士族階級[さむれー]成人男子の発音では「ナーグスィク」)となります。

ただし,那覇を構成していた4町のうち「西村」は「ニシムラ」,同じく「東村」は「フィガシムラ」と読んでいました。

上にちょっと書いたように「ウチナーグチの地名」と言っても一筋縄ではいかなくて,恐らく「ウチナーグチのスタンダード」というべき,首里・那覇方言 でも「首里の知識階級」(元さむれー)と「那覇の庶民」のどちらの発音を“標準”とするかが,問題になります。
まず問題なのが「首里」。
さむれー達の発音は「シュイ」。庶民の発音は「スイ」。
どちらを標準とするか。

次に地域間の差異があります。
宮古島の「平良」。
宮古島の発音では「ピサラ」のように聞こえます(実際に /pisara/ と発音するわけではありません。最初の pi の母音 i に独特の響きがあって,それに次の ra の r が影響を受けてさらに独特の音となり,これをカナで「正確」に表記することは不可能です。結果,多くの日本語話者には「ピサラ」のように聞こえる,ということです)。
これを 那覇・首里方言 では「フィララ」と発音しますが,“標準”とすべきはどちらか。
なお,本島内に分布する「平良」地名は多くが「テーラ」と読まれます。だから,「たいら」。

宮古・八重山ほど極端ではなくても,本島内の中南部と北部の間にも大きな“方言”の違いがあって,本島北部方言は語法(文法)や発音の面ではむしろ奄美に近いと言われています。

・「ハ行」が「バ行」「パ行」に変わる場合がある

これは本来「パ行」であったものが,那覇・首里方言 で「ハ行」や「ファ行」に変わったものと考えられています。これについては 本土方言 でも同様であって,ここでは「ファ行」を経て「ハ行」や「ワ行」に変化しました。けれども,本島北部や奄美,先島では「パ行」のまま保たれて,「花」が「パナ」などと発音されます。

そんなこんな,もともと明確に“標準”というべきものがないところに,本土方言の「標準語」のカナの発音に当てはめて「読みの標準化」を図った結果(まず,その一段階前に,「ウチナーグチでの読みの標準化」があったのでしょうが),今,目に見るように複雑な沖縄の地名が出来上がったのでしょう。

たとえば,「宮城」という地名を
 ナーグスィク/ナーグスク → みやぐすく → みやぎ
のどの段階で“固定”するかで,読みが変わってきますね。

で,基本的にこれらの「表記と読みのシステム」は,まずもって,沖縄(琉球)の中で独自に発達してきたものです。

「む」「ぬ」は母音が無音化して「ん」になる場合がある

単語の発音の変化としてはそうなのですが,たとえば「ん」に「武」を当てる沖縄独特の用字法は,初めに「む」と読んでいたものが「ん」に変わった,というよりは,最初から「ん」という音を表す漢字として「武」が使われた,と考えるほうが素直に思います。
よく,薩摩藩が琉球を征服したときに「外国」であるよう見せるために独特の漢字表記を「押し付け」たと言われますが,これはたぶん“俗説”であって,たとえば「真栄原」などのような表記法は沖縄で独自に発達したと考えた方が良いと思っています。

「本土」において,「相模(さがむ)国」,「相楽(さがらか)郡」などという表記が工夫されたことがありました。
本来,「相」という字に「サガ」などという音はありません。日本語の地名を漢字で無理に表記しようと足掻いた結果,sang というような音である「相」に a という母音を付け加えることで無理やり saga と読むことにして,「相模」「相楽」と書くことにしました。
これと同じような工夫を,沖縄の人は沖縄で独自にやったことだろうと思います。たぶん,すでに本土の言葉とは少なからず違った発音をするようになった沖縄の言葉の理屈に従って。

カナ表記に関して,これはもちろん言うまでもなく「本土」からの“輸入品”ですが,「おもろさうし」や首里王府の発給する(沖縄語による)文書などでは,本土のカナ表記法とは違う,沖縄の言葉の理屈に従ったカナ表記システムができあがっていました。
残念ながら,この表記システムは庶民階層まで一般化することなく,「近代沖縄語」の表記法として発達することがなかったので,現代,島唄などの歌詞カードなどにおけるウチナーグチの表記法は,本土方言の「標準語」のそれを基にして手を加えたものを使わざるを得ない状況にあるわけです。

や,長々書いてしまいましたが,事の始まりは,

「保栄茂」は「ほえいも」が訛って「びん」になったと言うのが通説らしい

この「ほえいも /hoeimo/ 」という“出発点”が正しいのかどうか,ということなのでした。
ここには恐らく沖縄の言葉独自の理屈があるはずで,
少なくとも,本土方言の「標準語」(しかも現代の)に“標準化”された発音が「訛った」ものではないだろうと思います。
[58876] 2007年 6月 6日(水)19:23:27役チャン さん
最短航空路線? 奄美・喜界島
先日トカラ列島をめぐる船で奄美大島に行き、さらに喜界島に渡りました。ここへも船で行きたかったのですが鹿児島と奄美を結ぶフェリーが早朝夜間に寄航するほかは昼間の渡船というようなものがなく、効率よく動くために飛行機を利用しました。おそらく日本一飛行距離の短い路線ではないでしょうか。

喜界島は奄美大島の北東にある隆起珊瑚礁の上にある平坦な島で、周囲およそ50Km、面積60K㎡、東京23区で最も広い大田区と同じくらいです。奄美空港付近からが最も近いようで、海を隔てた約25キロ先には喜界島空港があり相互に肉眼で見ることができました。ふたつの空港の滑走路もほぼ並行しています。36人乗りのサーブ340Bというプロペラ機は7人の乗客を乗せ奄美の滑走路をほんの助走程度という感じで走るとすぐに浮上、2分後に「ただ今から着陸態勢に入ります」とアナウンスがあり3分後に着地、並行する滑走路間をU字型に飛んだだけで正味5分の飛行でした。

喜界島の空港ターミナルは木造平屋で、鉄道駅舎というよりは駅横にある日通の事務所のようでした。駅前広場のようなところから海岸に並行する線路ならぬ滑走路に並行するメイン・ストリートには椰の並木が続き、意外なことに喫茶店やレストランが何軒も並んでおりいずれも営業中でした。その道を1キロくらい進むと鹿児島銀行の支店や信金、生協などのある町の中心部に出て、そこから右折し坂を登った先の高台に町役場がありました。

昨年(2006年)2月に移転し業務を開始したという真新しい建物で、2階建てながらかなり大きなもので、300席のホールなどをもつコミュニティーセンターも併設されています。また建物横は広い公園になっていて、太平洋や奄美大島が一望できました。大きな建物ですが、変に意匠に凝るようなところがなく、デザインもシンプルで機能本位という印象を受けたのは、バブルがはじけた後のものだったからでしょうか。

抜けるような青空のせいもありましたが、この島が明るく活気のあるような印象を受けました。人口8600人というのは決して多いとは言えませんが、簡単に隣町などに行けないことから経済活動や文化活動はすべてを島内で完結させなければならず、そうだとすればこのくらいの人口規模でもある程度の賑わいというものが持続できるのでしょうか。ヨーロッパなどで人口が1万人にも満たない町でも中心市街地が意外に賑わっているのを見て不思議に思ったことがありますが、そういうことなのかも知れません。丁度一年前に行った八丈島と同じくらいの人口で、そういえば中心部の町並みも同じような規模だったことを思い出しました。大島運輸(株)と書かれたマイクロバスが自由乗降バスと書かれた看板を掲げて走っていました。

途中の店で昼食を食べ空港に戻りました。先ほど乗って来たプロペラ機は鹿児島に向かい、2時間後に別の機が鹿児島から飛んで来て奄美に向かうのでそれに乗りました。帰りはU字ではなく、風の影響かZ字状に飛んだので飛行時間は8分でした。

喜界島滞在はわずか2時間でしたが、空港から歩いて行ける役場というのも高知空港近くの吉川村以来で、そこよりも近かったと思います。しかし離島の役場だともっと近いところが他にもあるかも知れません。
[58887] 2007年 6月 7日(木)10:53:41N-H さん
最短航空路線
[58876] 役チャン さん
おそらく日本一飛行距離の短い路線ではないでしょうか。
奄美空港~喜界島空港間はだいたい20kmちょっとくらいかと思いますが、残念ながら上には上があるのでした。
それは、南大東空港~北大東空港間の路線です。正味10kmちょっとくらいではないでしょうか。
航空路線的には、那覇⇒南大東⇒北大東⇒那覇などというような順に飛行していますので、実際には両島間のみ利用する人がどれくらいいるのかはわかりません。
[58819] 2007年 6月 3日(日)18:51:20【1】hmt さん
水道の蛇口の向こう側(6) 河川以外の水源
[9323] ペーロケ[utt] さん
ハウステンボスでは、海水を淡水化して利用しているみたいです。
[58725] むっくん さん
水不足に対する最終的な切り札は海水の淡水化施設を作ることでしょうね。沖縄県や福岡市のように。
[58726] スナフキん さん
「余計なことに金を使うくらいなら、海水淡水化プラントをもっと作ったらえぇ」の言葉がすべてを物語っています。

特殊なケースについて海水淡水化が実用化されていることは確かですが、海水を水道の水源とすることは、エネルギー的には非常に大きな負荷になることを、最初に認識しておく必要があります。

新潟大学化学工学資料の中の 海水淡水化 を見ると、
海水の浸透圧 π は約25気圧(25×105Pa)である。
と書いてあります。
わかりやすく言えば、海水を淡水化するということは、高さ 250mの滝を逆流させるだけのエネルギーが理論的に必要だということです。単位を換算すると 1m3あたり 0.69 kwhです。

実現できる技術としては、この理論値よりもはるかに大きなエネルギーが使われます。
同じページによると、単蒸留の蒸発潜熱は、浸透圧からの理論値の1000倍近い 626 kwh(1m3あたり、以下同じ)であり、海水淡水化技術の主役である多段フラッシュ蒸留でも 42 kwh。更に、真空・冷凍-蒸気圧縮プロセスの全エネルギー消費は 10.6 kWhとあります。

適当な半透膜を開発すれば、海水側に圧力をかけることにより、浸透圧に逆らって真水を押し出すことができるのですが、実際には 60気圧程度の圧力をかけ、膜モジュール内を流れる抵抗もあるので、前記 0.69 kwhの理論値ではゆかず、逆浸透法 のエネルギー消費は 8 kwh程度だそうです。

沖縄県企業局 によると、1997年に北谷町に完成させた逆浸透法による 4万m3/日の海水淡水化施設は、総事業費 347億円の 85%を国庫補助により、 1m3あたり約 170円の造水コストになるものと試算されています。

この4万m3/日という数字は、[58781]の吉野川水利権の時に用いられていた単位に換算すると、0.46 t/秒に過ぎませんから、海水淡水化は、いかに莫大な設備費がかかるものかがわかります。
沖縄の場合は、大きな河川を生み出す森林(面積と共に雲を生み出す高さが必要)に欠けるという特殊事情から、85%の国庫補助によってでも、海水淡水化を実現させる必要があったものと理解されます。

「雲を生み出す高さ」と言えば、洋上アルプスの屋久島は、小さな島なのに水があふれています。
余剰水を沖縄に輸出できないものか?

塩分濃度の大きい海水を淡水化するのは、このように大変なことですが、少し塩気があって飲用に適さない地下水など、もっと塩分の少ない水源があれば、逆浸透法は、もっと効率よく利用できるでしょう。水道水中に塩分が多い米国の西海岸などでは、家庭用の逆浸透装置もあると聞いています。

河川以外に求めるべき水源は、海水だけではありません。
下水処理水のリサイクルも考えなければいけないのですが、まず着目すべきものは、都会に降って無駄に流れ去る雨水でしょう。
東京ドームの屋根から集めた雨水は、雑排水を浄化処理した水と混合されて、中水としてリサイクルされています。一応、上水とは区別していますが、水道の水質基準を満たしているようですから、イザとなれば飲めるでしょう。

雨水は、降り始めの1.5mm程度は二酸化炭素や大気中の汚染物質を多く含んでいますが、最初の2mm程度を捨てれば、あとは天然の浄化システムにを通った水です。

本格的な雨水貯留施設では雨量計と連動した弁を使うと思いますが、家庭用ならば、雨樋の先に設けた太目のバイプによって屋根上2mmに相当する初期雨水を溜めるという簡便な排除装置により、これから溢流する雨水を自家用の中水として別に蓄えることもできると思います。

そういえば、昔は広く利用されていた「天水桶」という言葉も、死語になっているようです。
[58891] 2007年 6月 7日(木)17:53:34役チャン さん
最短航空路は南北大東島
[58887] N-H さん
奄美空港~喜界島空港間はだいたい20kmちょっとくらいかと思いますが、残念ながら上には上があるのでした。それは、南大東空港~北大東空港間の路線です。正味10kmちょっとくらいではないでしょうか。
おっしゃる通りでした。昨年行ってきたのに船だったのですっかり忘れていました。この二つの島の滑走路はほぼ一直線上にあるので風向きによっては正味飛行時間は1~2分ということもあるかも知れませんね。

ご参考までに、私が船で行ったときの航路です。
那覇(泊港)17:00 →翌日7:40 北大東島 8:40 → 9:30 南大東島(西港) 14:00 →15:00北大東島(西港) 泊
北大東島(江崎港) 翌日14:20 →15:10 南大東島(亀池港)16:20 →翌日7:20那覇(泊港)
南大東島で下船し約4時間島内散策をした後北大東島に渡り民宿に泊まり翌日の便で戻りました。

飛行機は(曜日によって順序が変わりますが)南北両方の島にそれぞれ25分間だけ駐機し那覇に戻りますから、両方の島を見物をするには両島に泊まらなければならず最低でも2泊3日は必要です。
船の場合は合計4日必要ですが初日と最終日は沖縄本島で有効に使え、片道料金4620円は飛行機の通常料金の四分の一以下、これには2泊分の宿泊料も含まれているので日程面でも費用面でも船の方が断然有利です。

島での乗下船はコンタナ大のケージ(鳥かご)に入り、クレーンで吊り上げられて移動するものですが、ゆっくりと丁寧に行うのでスリルは感じられず、エレベーターに乗っているようなもので、船に乗降する方式の中では客にとって最も安全で楽な方法と言えるかも知れません。
   
ところが北大東島(江崎港)からの乗船だけは「はしけ」でした。埠頭の上に置かれたボートに乗せられライフ・ジャケットを着けさせられます。ボートはクレーンで吊るされ海面に下ろされ、それから本船に向います。船横の一箇所扉の開かれた部分に横付けされると、波で激しく上下するなか、ボートが最も上昇したタイミングでひとりづつ本船に飛び移ります。他人のを見ているとむずかしそうですが、中から船員が手を差し伸べてくれるので思ったよりは怖くはなかったです。しかし船だとこういう目に逢うこともあります。

それに船は699tの貨客船なのでかなり揺れます。
飛行機か船か、さあ、どちらを選びますか?
[58906] 2007年 6月 8日(金)11:28:38役チャン さん
奄美大島の路線バス
奄美大島内の市町村役場めぐりを路線バスで行いました。何かのご参考になるかも知れませんので報告します。

奄美大島には平成の合併以前は7市町村がありましたが、そのうち名瀬市と笠利町、住用村が2006年3月に合併し奄美市になりました。間に龍郷町を挟んだ笠利町とは飛び地合併で話題になったところです。島の人口は82千人、面積712万㎡は佐渡より狭く対馬より広い、どちらも単独の市になったのだからここだって当然そのような話はあったのでしょうが、いずれにせよ私はこの7庁舎に行きました。

島には奄美交通と道の島交通という2つのバス会社があります。ほぼ全島に路線を張り巡らせている奄美交通は鹿児島交通の子会社で岩崎グループに属します。これに対し道の島交通は2005年1月までは岩崎バスと称していたのですが、鹿児島の岩崎グループとは全く関係がなく、改名した理由のなかには紛らわしいということもあったようです。南海日日新聞2005.1.15記事 奄美交通に比べるとかなり小規模で空港へも乗入れておらず、大半は奄美交通と同じ路線を補完するように走っていますが、宇検村だけはこの社のものでしか行けません。

それにしても両社とも経営が苦しいのか、とにかく走っているバスがかなり古いものばかりでした。いずれも本州や九州からの中古車でしょうが車体が所々錆たり腐食しているところに何度も塗装を施していて失礼ながら何とかの厚化粧といった感じです。ただしどのバスも乗って感じるのは足回り、すなわちエンジンの調子はそんなに悪くなさそうなことです。これはわが国の自動車工業の技術水準の高さなのかも知れず、日本の車はかなりの長期間、走行性能は落ちないものなのかも知れません。或いは道路が良いからかも知れませんが。逆に言えば、外見の劣化とかスタイルの陳腐化だけで車を買い変えているユーザーがまだまだ多いのかも知れません。

地図で見るとの奄美大島の形はなんとなくグレートブリテン島の北部、スコットランドに似ています。深く切り込まれたいくつかの湾がだんだん狭くなり、そして川となったところに集落が発達している。名瀬や龍郷がそうであり、宇検の集落も同様で、グラスゴーやインバネスなどに似ています。しかし地形は全く異なり、奄美は険しい山地の連続で、特に島を横断する山並がいくつもあり洗濯板のようです。鹿児島から沖縄まで続く国道58号線が北部の笠利からから南部の古仁屋まで73.3Km、本島内を縦貫していますがその間に長さが1キロ以上のトンネルが6つ、その内2つは2キロ以上です。また名瀬からはどこに行くにもまずトンネルです。

名瀬から他の6つの庁舎へ行くバスは、2社を合わせればほぼ1時間に1本は走っています。しかし宇検村だけは往復2.5本しかなくここが行程上のクリティカル・パスとなり、途中に喜界島への往復を含め足掛け3日をかけることになってしまいました。
宇検へは島の道交通本社前から乗車しましたが、ここで事前に切符を買うと5%引きでした。20人乗りくらいのマイクロバスは、高校生などでほぼ満席の客を乗せ国道58号線を南下、いくつかの長いトンネルを抜け島の東側に出て、旧住用村の役場、現在は奄美市の住用総合支所のある西仲間に到着しここでバスを乗換えました。 
同じ大きさのマイクロバスでしたがこちらはかなり旧式で、ここだけは他と違ってエンジンまでも劣化しているのか苦しそうな音を出しての走りでした。国道から島を横断する道路に入ると密林の中のカーブが続く道には集落など全くありません。30分近く走りようやく人家が見え出した頃からひとりふたりと客が降りて行きます。リクエストされてではなく、運転手がバス停でもないところで勝手に停めているので完全にルーチンワーク化されているようです。やがて焼内湾のリアス式海岸のような地形の最奥とでも言ったら良いのか、役場のある湯湾という所に着きました。宇検村の集落はこの焼内湾の沿岸に沿って点在しており、乗って来たバスはこのまま湾北岸方面に走り去りました。一方南岸の集落へはまた別のマイクロバスがここから出ており1人の高校生だけが乗り換えて行きました。

以下に島内での行程を記しましたので参考にしてください。

5/16 (水)    
宝島10:30 → 13:35名瀬港フェリーとしま2248名瀬市(奄美市)
入舟町15:09 → 15:51大和浜奄美交通バス2249大和村
大和浜16:24 → 17:05入舟町奄美交通バス
5/17 (木)     
入舟町7:43 → 8:19龍郷役場前奄美交通バス2250龍郷町
龍郷役場前8:40 → 9:05赤木名奄美交通バス2251笠利町(奄美市)
赤木名9:58 → 10:06万屋奄美交通バス
万屋10:07 → 10:25奄美空港徒歩1.6Km
奄美空港12:08 → 12:17喜界島空港JAC38332252喜界町
(12:11離陸)(着陸12:16)
喜界島空港12:20 → 12:35喜界町役場徒歩1.5Km
喜界島空港14:29 → 14:44奄美空港JAC3832
(14:33離陸)(着陸14:41)
奄美空港14:55 → 15:40朝日通奄美交通バス
道の島交通本社16:30 → 17:02西仲間道の島交通バス
西仲間17:04 → 17:46湯湾道の島交通バス2253宇検村
5/18 (金)    
湯湾6:53 → 7:21 新村 道の島交通バス
新村 7:22 → 7:34 西仲間 道の島交通バス 2254住用村(奄美市)
住用中学前 8:40 → 9:14 古仁屋小学校前 奄美交通バス 2255瀬戸内町
古仁屋 10:50 → 13:07 平土野(徳之島) フェリーきかい
[58964] 2007年 6月 10日(日)11:56:51役チャン さん
徳之島の路線バス
トカラ列島[58582]、喜界島[58876]、奄美大島[58906]と続けたので徳之島で締めくらせて下さい。
ご興味がありましたらお読み下さい。

徳之島へ行く方法は以下があります。
(1)飛行機:鹿児島から毎日2便 (M81:163人乗) 
(2)飛行機:奄美大島から毎日2便(サーブ340B:36人乗)
(3)フェリー亀徳港: 鹿児島→名瀬→亀徳→和泊(沖永良部)→与論→本部→那覇 毎日1便
(4)フェリー平土野港:鹿児島→喜界→名瀬→古仁屋→平土野→知名(沖永良部)2~3日に1便、うち三分の一は平土野止まり

私は奄美大島の古仁屋から(4)で徳之島入りをし(1)で鹿児島に戻りました。
(4)は2800トンの「フェリーきかい」で360人の総定員に対し乗客はたったの5人と軽トラック1台だけでした。帰りの(1)はほぼ満席でした。なおたまたま鹿児島からの(3)到着時に亀徳港で見ていたら100人くらいの下船と30人くらいの乗船がありました。

平土野の港では1台だけ待っていたタクシーが誰も乗らないので役場の方に向かって歩いていた私を追いかけてきて、島の中心亀津までバス料金で行くから乗ってくれと言ってきました。こちらは公共交通を乗りにわざわざ遠くまで来たのに料金が安いからと言ってタクシーに乗るわけには行かず、と言って説明してもわかってもらえそうにないので、すぐ近くに用があるので歩いているのだと言って断わりました。

徳之島の路線バスは徳之島総合陸運(株)が運行しています。この会社は他にも観光バスやタクシー、航空代理店、燃料スタンドなどを経営しており、私が泊まったホテル、グランド・オーシャン・リゾートもこの会社のものでした。路線バスは8系統あるのですが、今年(2007年)4月1日より亀津~空港線 亀津~犬田布線以外の6系統が地方公共交通特別対策事業(県単独補助事業)による廃止路線代替バスへと移行しています。南海日日新聞2007.4.2記事 またこの時にダイヤ変更をしており、私はそのことを知らず変更前のもので計画していたので少々戸惑いました。

徳之島には天城、伊仙、徳之島の3町があり、当初予定はこの順番に、すなわち反時計まわりにバスを乗り継ぐものでしたが、天城・伊仙間が減便になり、徳之島町の亀津に出てから伊仙まで往復するという、バス料金が余計にかかるものとなってしまいました。
廃止路線代替バスは一瞬見ただけですが、同じような車体で代替バスという表記がなされていたくらいだったと思います。経営体は変わったものの車両や運転手を含めて徳之島総合陸運(株)に一括アウトソーシングしているのではないでしょうか。
バスの時刻表はここから見ることができます。

乗車経路は以下の通りです。
5/18 (金)    
古仁屋 10:50 → 13:07平土野フェリーきかい2256天城町
平土野 14:07 → 14:54亀津徳之島総合陸運バス
亀津15:00 → 15:31伊仙町役場徳之島総合陸運バス2257伊仙町
永野商店前17:10 → 17:35亀津徳之島総合陸運バス2258徳之島町
5/19 (土)    
亀津(ホテル前)10:45 → 11:35徳之島空港徳之島総合陸運バス
徳之島空港12:28 → 13:25鹿児島空港JAL3794
鹿児島空港16:19 → 17:58羽田空港ANA628

以下徳之島の印象です。
平土野から亀津へのバスは空港発の小型バスで乗客は私1人でした。島の中央部を横断し東海岸の花徳というところに出てそこからサンゴ礁の続く海岸沿いに走り亀津に着きました。
想像していた以上に大きな島という印象で、中央部など広い高原状になっています。バスの運転手の話では、この島は奄美大島よりも耕地面積が広く、以前は米の二期作を行っていたが、政府の転換奨励で今は砂糖キビを作っている。雨も多く島の南部を除いては干ばつの恐れは少ないが、それでも現在奄美群島内では最大規模のダムを建設中で、今この島内にあるすべてのダムの貯水量を足したものよりもはるかに大きく、2011年度の完工予定に対し進捗率は50%だが、ここに来てこんな大きなダムがはたして必要かという議論が起きているそうです。亀津のバスターミナルは一方通行の狭い道に商店一軒分だけの今にも崩れ落ちそうな古い木造の待合室があるだけの建物でした。

なお平土野港入港直前に船上から正面の小高い丘の上にイスラム寺院のような金ピカに輝く大きな丸屋根と尖塔をもった新興宗教の総本山のような建物が見えました。山上の宮殿に向かうような石段も見え、これが天城町の町役場でした。
いろいろな珍しい形の庁舎を多く見てきましたが、今までで最も驚かされたものでした。上陸し近づけば近づくほどますます寺院のような、或いは宮殿のような感じのするものでした。70段くらいの石段を登るとアラビア風の鉄格子の門があり、そこを入ると噴水のある池を囲むようにドームを正面にコの字型にブルーの建物が囲んでいます。柱はすべて円柱でとにかく異国情緒が漂います。経費節減のためか池に水はなく、建物も空調を止めているので全ての窓や入口がオープンになっていました。これで合併して支所にでもなったら、それこそ空洞の多い柱だらけの建物が噴水を囲む、アルハンブラ宮殿のようになってしまうのではないかと思いました。
新聞を賑わす選挙のやり方など政治に熱心な島という印象だったので他の2町もこれと競うような奇抜なものかと半ば楽しみにしていたら、意外にもどちらも古いのままの、特徴のないものでした。バスの運転手は、合併はもうこれ以上国?県?に抵抗できず時間の問題だろうと言っていました。
[62199] 2007年 10月 23日(火)23:54:28Issie さん
月ぬ美しゃ(つくぬかいしゃ)
今夜は十三夜で,今年は運良くきれいな月が見られました。
「月がきれいなのは十三夜」とは,その昔,NHKの「みんなのうた」で紹介された宮古島民謡の「月ぬ美しゃ」という歌で知りましたが,この歌,初めに宮古島方言(ミャークフツ)で歌ってから次に“日本語訳”で歌うという形式で,何しろ初めの“ミャークフツ”の歌詞が全くわからないので驚いて,憶えているのでした。これが“ウチナーグチ”(沖縄中南部方言)とは,さらに全く違うのですよね。

…という話は脇に置いて,
たまたまお仕事の関係で遭遇した情報なのですが,「日経グローカル」という雑誌で興味深い記事に出遭いました。最新号の 1つ前の号 (No.85,2007.10.1号)なのですが,特集は「都市圏の盛衰 ---2005年国勢調査にみる」というもの。
特集のリード文に,こんなことが書かれています。

--------------------------------------------------------------------------------------
都市の実力は行政区分である市町村単位の統計値ではみえにくい。核となる都市とその周辺地域を「都市圏」としてひとくくりにし,社会的,経済的なつながりの強い地域の集合体でとらえたほうが正確だ。そこで2005年国勢調査の「従業地・通学地集計」をもとに都市圏を設定してみた。……
--------------------------------------------------------------------------------------

以下,これに基づいて各「都市圏」の構造や,前々回(2000年)国勢調査による「都市圏」との比較による変化などを論じています。…まだ,あまりきちんと読んでいないのですけどね。
じっくり読むと結構面白く,こちらでも興味を持たれる方が多いのではないかと思い,紹介させていただきます。
ただ,あまり一般的な雑誌ではないですから,すこし大きめの図書館でないと置いていないかもしれません。

蛇足
[62194] 日本人 さん
【5】[62196]k-ace さんのご指摘により訂正をしました。

だから,これは時間の前後関係に混乱を生じさせるから,よほどのことがない限り,してはいけないことだと思うのです。
[62203] 2007年 10月 24日(水)01:54:30くは さん
沖縄本島中南部語にて
[62199] Issie さん
月ぬ美しゃ(つくぬかいしゃ)
月ぬ美しゃヤ 宮古民謡アイビラン.八重山民謡ヤイビーン.

…とウチナーグチで書いてみました。ヤイマグチで書きたいところですが、文法書が手に入らないもので…。

何しろ初めの“ミャークフツ”の歌詞が全くわからないので驚いて,憶えているのでした。これが“ウチナーグチ”(沖縄中南部方言)とは,さらに全く違うのですよね。
「ありがとう」と「いらっしゃい」を比較するだけでも全然違っていて面白いですよね。
これらを琉球語(または日本語)の「方言」として分類することもありますが、別の言語と捉える向きもあるようです。学説によると「奄美大島北部語」「奄美大島南部語」「喜界語」「徳之島語」「沖永良部語」「与論語」「国頭語」「沖縄本島中南部語」「宮古語」「八重山語」「与那国語」 は、それぞれ独語と仏語程度の違いがあるとか。これらに「日本語」「アイヌ語」「朝鮮・韓国語」「日本語手話」を加えたものが、日本にある言語だそうです。
#mon とやると喜界語モードになったりして…(古いネタですみません)
[65278] 2008年 5月 28日(水)06:40:08N-H さん
お富さんが琉球音階?
[65275] Issie さん
作曲の 渡久地正信さん が奄美/沖縄の出身(沖縄生まれ,奄美育ち)で,“琉球音階”で作られているらしい。

ん? そうですか?
琉球音階は5音音階のひとつですが、「ドミファソシ」でできているのが普通。
一方、「お富さん」は「ドレミソラ」の5音音階ですね。ごく普通のいわゆる「陽旋法」。
民謡でもよくあるし、童謡にも多い音階。スコットランド民謡なんかでも使われる、「ヨナ抜き音階」がこれです。「蛍の光」なんかがそう。
日本の民謡によくある「どこかマイナーな響き」というのは、5音音階でも「陰旋法」というやつで、「ラシドミファ」からなっているやつです。

ただし、お富さん、リズムは典型的な琉球民謡の「チャンカチャンカ」というやつですね。
[65574] 2008年 6月 22日(日)04:57:38【1】中島悟 さん
♪以心伝心しよう~心開いて~
沖縄の苗字といえば大城さんや金城さんが卓越していると思われがちですが、
意外にも「石敢當」さんのお宅が多いこと多いこと・・・

冗談はさておき、[65562]星野彼方さん
沖縄はレンタカーが多いですね。私は運転に自信がなく、身軽でもなかったので
タクシーを一日借り切ったのですが、流石に勝手を知っているだけあって
観光シーズンの渋滞しているレンタカーを後目にかなりスムーズに動けました。
アクアポリスも見たかったのですが、随分前に中国へ売り払ったそうでガッカリ。

沖縄は気温も暑いが、人情も厚いです。
よちよち歩きの子供が道端でコケると、近くのおばさんが駆け寄ってくれる。
また別の場所でコケると、今度は若いねーちゃんが駆け寄ってくれる。
砂浜をずーっと歩いていったら、若いにーちゃん達が相手してくれてる。
福岡に帰ってきて、空港を出たところでまたコケた。
誰も寄ってこない。
ああ、沖縄っていい所だなあと改めて感じ入った次第。


ところで、タイトルの大城さん、念のため調べたら宮崎出身でした。とほほ
[66054] 2008年 8月 16日(土)11:13:03hmt さん
「海を挟んで近接する」都道府県(続編) 海上国道
隣接とまでは言わないが、「海を挟んで近接する」可能性のある都道府県 10組を[66032]で挙げました。
それには、領海12海里 のベースとなる「直線基線」が引かれる「至近距離」の島の存在を利用しました。

前報の末尾で、甘い基準ならば、鹿児島県と沖縄県も「近接」に含めたくなることを記しました。
今回は、そのようなケースにおける「近接」の根拠として、海を越える国道に着目してみます。

国道58号(鹿児島市-那覇市)の経由地の中には、“鹿児島県大島郡瀬戸内町、沖縄県国頭郡国頭村”が記されています。
国道という視点からすると、奄美大島と沖縄本島とは国道として連続していることになります。
だからといって、鹿児島県と沖縄県とが「隣接」しているというのは無理な気がするので、「近接」にしておきます。
実際に鹿児島県内で沖縄県に最も近いのは、もちろん与論島ですが、国道からは無視されています。

同様な視点からすると、国道436号(姫路市-高松市)の経由地には“香川県小豆郡内海町”があり、兵庫県(姫路)と香川県(小豆島)も国道により「近接」していることになります。

ここまではよいのですが、国道499号(長崎市-阿久根市)となると、いささか問題があります。
この国道の経由地として 一般国道の路線を指定する政令 に記された地点は、長崎半島の先端に近い“長崎県西彼杵郡野母崎町”(現・長崎市脇岬町)です。現実には野母崎(脇岬港)と阿久根との間の航路はなく、国道としての指定は有名無実と思いますが、名目的には長崎県と鹿児島県とが国道により「近接」?

上記の政令を見て“情報が不正確”([66029] 日本人さん、[66031] makiさん)などと指摘しないでください。
政令の改正により 野母崎町が長崎市に編入された 2005年の合併結果が反映されるまでは、この表記のままで「読み替え」た法令が適用されているのです。
法令に限らず、民間のHPその他の資料も、原則として発表された時点での情報と考えてください。ウエブ情報の場合、日付が不明な場合も多いのですが、市町村合併の結果を忠実にフォローして修正することなど不可能というのが現実でしょう。

脇道に入りましたが、海上を経由して指定された国道に戻ります。
長崎県と熊本県の間が最も近接している早崎瀬戸には国道389号が設定されています。
この国道は、起点の大牟田から少し南下した後で、熊本県の長洲から長崎県の島原半島に渡り、口之津から早崎瀬戸を越えて熊本県の天草へ、更に牛深から長島海峡を鹿児島県へと渡り、最後に海上架橋の黒之瀬戸大橋で四度目の海を越えて阿久根に至るルートです。

長崎県島原半島は、この389号 口之津ルートだけでなく、その東側(島原三角間)には 57号、西側の橘湾口(長崎天草間)には 324号と、合計3本もの国道で熊本県と結ばれています。
長崎・熊本の両県は、陸上での「隣接」こそないものの、極めて密な「近接」関係にあるものと判断されます。

山口県・愛媛県の間は、防予諸島の南を通る岩国松山航路が国道437号に指定されました。
愛媛県・大分県の間の豊予海峡(速吸瀬戸)には 197号があります。
長崎県・熊本県を含むこれら3組は、既に[66032]で近接県に算入しています。

橋/トンネルによる接続ある県の間には、もちろん海を越える国道が存在しています。
列挙すると、山口県・福岡県の国道2号(関門海峡、県境の表示)、千葉県・神奈川県の間は 409号東京湾アクアラインのほかに、16号(富津走水)も存在します。兵庫県・徳島県は大鳴門橋の 28号。岡山県・香川県は下津井瀬戸大橋の 30号。広島県・愛媛県は多々羅大橋の 317号。
北海道と青森県の間には、函館と下北半島大間を結ぶ国道 279号(338号)。青函トンネルに近いのは福島三厩間の 280号。

陸上でも隣接している愛知・三重県の間の国道は伊良湖水道 42号(259号)。そして佐賀・長崎県の壱岐水道 382号。

海上部分の両側が同一県内にある国道は、260号 英虞湾、269号(448号) 鹿児島湾口、350号 佐渡、384号 五島列島、390号 沖縄県、485号 隠岐、487号 江田島。
[66904] 2008年 10月 2日(木)22:51:59【2】hmt さん
海を越える道-橋梁・堤防道路・海底トンネル(1) 日本
「海を越える道」について書いてみます。

海を越える道というと、オーナーグリグリさんの「海上架橋」[57062]があります。
最初に例示されているのは、海上をかすめたという感じの 房州大橋。道路の一部が海上を通過する場所を発見する面白さという観点でしょうか。

海上を通過する様子もさまざまです。陸が通りにくかった点は房州大橋と同じでも、はみ出した先が湾ではなく日本海そのものである親不知の北陸自動車道[57134]。まともに湾口を横切る真鶴道路の岩大橋[57156]。人工島に渡るための関西国際空港連絡橋(スカイゲートブリッジ)など。
[57062]は隅田川河口の埋立地を連絡する橋にも言及しており、境界線について のシリーズで海と陸との境界を考える契機になりました。

「海上架橋」は、最初は経県のオプション[57022]として取り上げられ、 書き込み が続いた後、[57151]で地名コレクションの方に誘導され、太白さん[60626]により準備中です。

今回は、海上をかすめたり、湾口・埋立地を連絡する短い橋とは少し異質の、普通には船が使われるような「海を隔てた地域」を結ぶ固定連絡設備の代表的なものを、取り上げてみます。

わが国において この種の固定連絡設備が建設された代表的なルートは、本州と四国とを連絡する3つの橋梁ルートですが、この他に、津軽海峡(鉄道トンネル)、関門海峡(単線並列の在来線・国道・新幹線の各トンネルと関門橋)、それに東京湾横断道路がよく知られています。
この6つのルートは県境でもあり、都道府県隣接数のまとめ[40541]にも記されています。

ここに6ルート以外で唯一の県境架橋として挙げられているのが岡村大橋。この7号橋を含む 安芸灘諸島連絡架橋 [47126] は、11月18日開通予定の 豊島大橋(3号橋、愛称は県の鳥にちなむアビ大橋)により、呉から愛媛県岡村島までの島伝い海上ルートが開通することになります。
その一部である大崎下島広域農道は安芸灘オレンジライン[46678]と呼ばれています。
島伝いに更に東に延長して西瀬戸自動車道(しまなみ海道)につなぐルートは構想段階。

【追記】
県境へのこだわりや、近年出現している長大橋の影で、つい書き落としてしまいましたが、架橋技術の上で一時代を画した「海を越える橋」として、西海橋と若戸大橋とを追加しておきます。

1955年 針尾瀬戸[18561]に架けられた 西海橋 は、当時世界第三位のアーチ橋でした。50年を経た現在、隣に新西海橋が作られています。

若戸大橋が完成したのは1962年9月。洞海湾の両側は(当時)若松市と戸畑市。北九州市発足 の少し前です。
1989年に2車線から4車線への拡幅工事(歩道廃止)をしましたが、更に沈埋トンネル工法による 新若戸道路 を工事中です。完成予定は2006年春から2年遅れる見通し。もうそれも過ぎていますね。

西海橋や若戸大橋によって培われた長大橋技術は、関門橋(1973)、南備讃瀬戸大橋(1988)、明石海峡大橋(1998)と記録を更新してゆきました。【追記終】

津軽海峡の公海の下を通る青函トンネルの場合は、海底の国有地[66873]として処理できない部分があり、自治体の海上境界問題の中では、やや特異な立場にあるものと思われます。閣議決定により特別な編入手続きが行なわれた[46750]のも、そのためでしょう。

一方、橋梁よりももっと陸続きに近い固定連絡設備として、連絡堤防があります。こちらは埋立地扱いかもしれません。

国内で代表的な連絡堤防は、沖縄県うるま市の平安座(へんざ)島と勝連半島との間 約5kmを結ぶ「海中道路」です。
これは、米軍が水陸両用車を使って、文字通り海中の干潟を通行した頃に由来する名とか。
島民悲願の道路建設は 1961年から具体化し、村人総出の石運びによる基礎作りも、台風被害により断念。
そこにガルフ石油の石油備蓄基地(現在は出光系の沖縄石油)建設計画が登場し、1971年「海中道路」開通。
【追記】全部土手の上かと思っていましたが、斜張橋 の部分があるのですね。地図

中海の大根島に通じる 大海崎堤防と森山堤防 は、2005年の合併前は、松江市・八束町・美保関町の境界にありました。
[74134] 2010年 2月 11日(木)09:18:17じゃごたろ さん
縦貫軸
おはようございます、じゃごたろです。
本日は祝日。いまでは「祭日」という言葉はなくなったのですね。

[74133] ひぃ さん
[74131] Issie さん

はい、もちろんその点は承知の上での書き込みです。
国土の縦貫軸に沿った方向が「縦貫」で、それを結ぶように交差するのが「横断」。
ですから、
本州の脊梁山脈を“横切る”のだから,私はごく当たり前に「横断」だと思っていました。
専門家の仰る通り、まったくもってごもっともです。

国道1号から国道5号まで線引きすると、札幌~函館、青森~仙台~東京~名古屋~大阪~広島~下関~北九州~熊本~鹿児島というように、日本列島に沿うように一本の線(函館から青森もつながってるとして)となります。これが国土を縦貫する主たる路線。そして国道6号から国道12号までが、それを補完する縦貫軸の別路線ということになります。

国道13号から国道40号までは、この縦貫軸が通過しない県庁所在地や北海道の主な支庁所在地、かつて鎮守府であった重要な港(室蘭、横須賀、敦賀、呉、佐世保)、そして伊勢神宮を結ぶネットワークを形成するもの。国道41号から国道57号は後で追加されたもので、さらに沖縄返還後に鹿児島から那覇をつなぐ縦貫軸として国道58号が追加されました。

ちなみに「中部縦貫道」というものもちゃんと存在していますね。
そもそも、中国自動車道という営業路線名の高速道路も法令上では「中国縦貫自動車道」、徳島自動車道と松山自動車道(川之江東JCT~川之江JCTは高知自動車道)は「四国縦貫自動車道」として東西方向に縦貫してるのでした。
[80979] 2012年 6月 19日(火)22:30:48【1】hmt さん
八重干瀬(やびじ) 春の大潮で数日間だけ出現する「うるま」
台風4号のニュースで、大潮と気圧低下が重なり高潮のおそれありとの警告。

高潮と逆方向の潮位への影響ですが、hmtマガジン編集で頭の中に残っていた沖縄方面の情報に、「大潮」という KW とが重なり、思い出したのが 八重干瀬(やびじ) です。「希少地名 (海岸)」コレクション に収録済み。[27615]

宮古島の北 5~15kmの約 200km2 の海域に、旧暦 3月3日前後などの 大潮となる数日間、干潮時に「幻の大陸」が出現します。
高気圧も影響しますが、多くの観光客を集めています。

1999年に、日本初の珊瑚礁主体の地形図が刊行されています。月刊GSIマップニュース No.86

八重(多くの)干瀬(低潮時に干上がる岩礁帯)という意味です。第十一管区海の相談室

【追記】
うるま市HPから うるまの名称選定理由について
[80988] 2012年 6月 22日(金)22:46:13【1】伊豆之国 さん
沖縄の苗字
[80978]hmtさん
hmtマガジンの沖縄シリーズ第3弾 特集: 琉球の文化 をアップしました
新シリーズUPということで、自称「落書き帳の苗字ネタ四天王の末席」に位置する者として、「沖縄の苗字」にまつわる話題を書き込んでみようと思います。
皆さんもご承知のように、沖縄の苗字は、「ヤマト」(本土)の苗字とは全く異なる独特のラインアップ・響きを持つものとして広く知られています。沖縄の苗字の由来と歴史については、専門の方々に譲ることとして、ここでは現在の沖縄の苗字について調べてみることにします。
「苗字館」のデータによると、沖縄県内の苗字ランキングは次のようになっています。それに全国のランキングと、沖縄が占める比率を表にまとめてみました。

沖縄ランク苗字県内登録数占有率(%)県内で多い地域全国ランク沖縄以外で多い地域
1比嘉910885450
2金城890977422
3大城815369408浜北区を中心に、浜松市周辺に多く見られる([65589])。伊豆市にも
4宮城654056416東京都足立区の地名から発祥と見られる武蔵の宮城氏が関東一円に分布。仙台市周辺には宮城県宮城郡発祥の氏も
5新垣530584731
6玉城509481738
7上原479820211各地に分布、群馬・長野県境付近が最も多い(安中市で2位[65455])
8島袋431687897
9平良390778892
10山城325252うるま市([71931])753山城国発祥の氏が各地に散在?
11知念2965841192
12宮里2853661004薩摩川内市発祥の氏が鹿児島県薩摩地域に見られる
13仲宗根255285沖縄市1347
14下地249369宮古島市1170紀伊半島の三重・和歌山県境付近にまとまって見られる
15照屋2389841401
16砂川236246宮古島市875兵庫県高砂市、香川県さぬき市など、集中する地域が数箇所見られる
17仲村216435767各地に点在。千葉県北部が多い
18城間2158831501
19新里1826681467
20新城1811701500
21安里1751841785
22伊波171581うるま市([71931])1777神奈川県相模地域に「いなみ」と読む姓が見られるが数は少ない
23赤嶺1710691554大分県豊後大野市に集中(市内14位)
24上地169357宮古島市1358「下地」と同様、三重・和歌山県境付近にある程度見られる
25石川15661.6うるま市27全国に平均して分布。県ランク最高位は栃木県の8位([76151])
26又吉156386浦添市1998
27具志堅1460862104
28高良1364661817本土での読みは「こうら」が主流?
29松田12641.7読谷村49全国に広く分布。やや西日本に多い
30国吉1220531659千葉県市原市から千葉市南東部にかけて見られる。市原市かいすみ市の地名から発祥か

この表において、「(沖縄)県内で多い地域」が空欄になっているのは、数の上で那覇市が最多となっている苗字です。人口比率では那覇市を上回る地域がある苗字はかなりあるものと思われます。
[85726] 2014年 6月 15日(日)11:49:50hmt さん
沖縄県 地名の読方
北大東村(きただいとうそん)に所属するラサ島に関して復習した記事[85717]で、現在の所属が決定したのは、1972年沖縄復帰の際であるという前提での推察を記しました。
しかし、その経緯が 戦前の「大字―字関係」に遡るかもしれない と思い直し、一応調べてみました。

第1回国勢調査の2年後、大正11年末のデータと思われる 小川琢治編『市町村大字読方名彙』 沖縄県 島尻郡には、大東島という村名と、南大東島・北大東島・沖大東島の3大字が記されており、戦前の 沖大東島(ラサ島)が 北大東島に所属ではなかったことを確認しました。

これだけの結論ならば [85717]の追記で済ましてもよかったのですが、リンク資料を見ると、沖縄県全体について、地名の読方が現在と大きく違っていることに 目を引かれました。
時間をかけて比較検討したら面白かろうと思いましたが、とりあえず短いながら独立記事に仕立て、注目しておくことにしました。
[85843] 2014年 7月 20日(日)01:26:21【1】じゃごたろ さん
石敢當
こんばんは、じゃごたろです。
本日(正確には昨日)、沖縄から戻って来て、一休みしてたらこんな時刻になってしまいしました。

[85838] にまん さん
北海道のほうが大きいという意見は、この一覧表を集計したものと思われます。中身を見れば分かるように、米軍が一時的に使用する施設も含まれていて、面積でみると演習場が圧倒的になります。

これは「米軍専用施設」か「自衛隊との共用施設」かですね。演習場は自衛隊の施設を共有していてそれの広大な面積が計算に含まれているかどうかです。多くは語りませんが、『定義』によっては数字が大きく変わるという一例ですが、これは数字を扱う人の思惑によるところが大きいので注意が必要ということですね。


[85836] グリグリさん
カニ注意とかヤンバルクイナのとびだし注意標識は目に留まりましたでしょうか。

はい、特に国頭村内を運転していた時に見た記憶があります。あとは「ヤンバルテナガコガネの採取禁止」とか。カニは昼に通ったので、一匹だけ道路にいたのを見ましたが、逃げて行きました。沖縄に着いた初日の夕方の地方ニュースを見ていたらとょうどカニ(カニの種類は覚えていませんが)の話題があって、満月の夜にたくさんのカニが海へと移動して産卵するという内容で、道路を大挙して渡っていく映像が映されていました。


さて、タイトル。

「石敢當」を検索してみたら、「写真で見る沖縄」というサイトがありました。私もこちらのサイトの方と同じ勘違いをしていました。

玄関口(と思ったところ。本当はそうでもなかったかもしれない)に「石敢當(石敢当)」という表札(のようなもの)があり、それを複数見たので、沖縄だから珍しい名字の人がいるんだなあと思いました。しかしそれが地面すれすれにあるものもあり、なんでそんな位置にわざわざ付けているのか不思議に思っていました。

で、この「珍しい名字」が読みがわからなかったので、検索してみたら先ほどのサイトがヒット。ああ、勘違いなのでした。
[85847] 2014年 7月 20日(日)08:41:41オーナー グリグリ
コレクション
[85843] じゃごたろさん
「石敢當」を検索してみたら、「写真で見る沖縄」というサイトがありました。私もこちらのサイトの方と同じ勘違いをしていました。
「いしがんとう」と読むのですね。これは知りませんでしたし、沖縄を旅した際にも目に留まりませんでした。魔物退治とのことですがハブとは関係ないのかな。他の地方にも魔除けのお札のような似たような風習がありそうですが、まるで表札のような形状というのがユニークですね。これは苗字と勘違いします。

[85841] hmtさん
木製の刎橋としては甲州の猿橋があり、百済から渡来した技術者により7世紀に作られたと伝えられます。
このような小規模橋から技術が進歩して、何層もの刎木を使い 62mの長さのある愛本橋も作れるようになったのでしょう。
へぇ~、62mもあるんですね。猿橋は30mくらいなので、ほぼ倍ですね。これはすごいな。猿橋は実際に見ましたが、その構造の美しさと迫力にはちょっと感動しました。愛本橋が復元されるようなことがあれば、観光資源としても十分魅力的になるんじゃないかな。

[85842] EMMさん
どうも昭和30~40年代には「夜行高速バス」ならぬ「夜行急行バス」の路線が思わぬところにあったようですね。
石川のバス路線情報でいろいろとお世話になっているサイトもりさけてんの情報に寄りますと、かぱぷうさんの挙げられた広浜線よりは運行開始が遅めですが、石川県には昭和30年から49年まで金沢~珠洲間を結ぶ国鉄バス夜間急行「のと号」が走っていたとのこと。
このバスのこと、何となく記憶にありますが鮮明ではありません。私の兄が鉄道やバスが好きだったので話題にしていたからかもしれません。小学校入学前の富山に住んでいた頃に、自宅から少し離れた北陸本線まで、そのころ唯一の特急だった一日一往復の白鳥号を見に行くのによく付き合わされたものでした。

[85839] ピーくんさん
明日はこんなイベントが用意されています。オーナーグリグリさんは参加されますか?記念入場券は良いですね。総武鉄道市川-佐倉間120周年おめでとうございます。
へぇ~、こんなイベントがあるんですか。知らなかったです。

記念入場券はたまたまその場に居合わせたりした場合は、以前はつい購入したりしましたが、わざわざ出掛けてまでの興味はありません。というか、私の長年の趣味は切手収集なのですが、最近、集めたコレクションの行く末が心配になっています。家族は誰も興味がありませんから、いずれコレクションを処分なりしなければいけないと思っています。

そのこともあり、コレクションの有効な利用方法を考え始めており、切手収集に関する最近の状況について少し情報を集めています。それによると、コレクターの高齢化が著しく、遺族によるコレクションの処分相談が切手商に数多くあるそうです。遺族には価値がよく分らないことから、それなりに期待する人も多いそうですが、丁寧に分類整理されている収集品であったとしても、一括まとめての買い取り価格になってしまい、バラでの買い取りなどはむずかしいとのこと。実際に、昭和30年代以降の切手のほとんどは額面割れでの買い取りになります。これは日本切手の場合であって、外国切手のコレクションであれば、よほどの貴重なものや、今でもそれなりに人気のあるジャンルであって、かつ、丁寧に整理保存されている場合を除けば、段ボール一箱いくらという取引になるそうです。それでも引き取りたくない切手商も多いそうです。

最近は切手を使う機会も少なくなり、新発行される切手も日本に限らず海外でもキャラクター図案が大流行りとなって、古くからの収集家の情熱を削いでいますし、ましてや、新たな若い世代の収集家が生まれ難くなっています。そんな中で唯一の希望が、この世界でもやはり切手女子の登場です。目白にある切手博物館に最近何度か足を運んだのですが、必ず若い女性を見かけました。新しい切手の楽しみ方として期待が持てます。

記念乗車券の話から、最後は地理とは関係ない話になり、失礼しました。
[85849] 2014年 7月 20日(日)10:41:59右左府 さん
石敢當
[85843] じゃごたろ さん
[85847] グリグリ さん

「石敢當」、私も5年前に 宮古 へ行った際は至る所で目にしました。私の見たものは多くが 丁字路の突き当り にあったように記憶しています。
伊良部島で住民の方に尋ねたところ、じゃごたろさん ご紹介のサイトとほぼ同じ説明をされていました。ただし、その方は 「せきがんとう」 と読んでましたね。調べると、読み方は何通りもあるようです。(いしがんどう、せっかんとう、等)
なお、東京でも沖縄料理店の入り口脇にあるのを見たことがあります。


話は逸れますが、当時私が宮古の各所で目にして驚いたのが、ほとんど(すべて?)の小学校に公立幼稚園が併設されていることでした。
これは米軍統治時代の名残で、沖縄では就学前1年間は併設幼稚園に通うのが一般的となっているようです。(参考1参考2
[85851] 2014年 7月 20日(日)12:32:20hmt さん
石敢當 と シーサー
[85843] じゃごたろさん 石敢當
表札(のようなもの)があり、それを複数見たので、沖縄だから珍しい名字の人がいるんだなあと思いました。
[85847] グリグリさん
まるで表札のような形状というのがユニークですね。これは苗字と勘違いします。

過去記事を見たら [65574]中島悟さんが 「冗談」と断りを入れて
沖縄の苗字といえば大城さんや金城さんが卓越していると思われがちですが、意外にも「石敢當」さんのお宅が多いこと多いこと・・・

[85849] 右左府さん
私の見たものは多くが 丁字路の突き当り にあったように記憶しています。

角を曲がるのが苦手な魔物(マジムン)を激突させて砕く防壁ですが、低い位置で防ぐことができる小型の魔物と推察。
実はわが家も丁字路の突き当りにあり、高さ50cm程度の三波石[38580]が置いてあります。10数年前?に石敢當のことを知って以来、自分では、勝手に これを石敢當に見立てています。

さて、琉球における「魔除け」の代表格は「シーサー」です。こちらは石敢當と違い、屋根上のような高所に置いてあります。
防衛対象として想定している魔物が、石敢當とは異なる大物なのでしょう。

シーサーは獅子で、スフィンクス起源説もあるようです。屋根の上で火災などの災難から家を守る存在。
鯱鉾や鬼瓦も連想されますが、「阿吽」で一対をなすシーサーの形態は、神社仏閣の入口にある仁王門や狛犬とも関連するように思われます。
[87242] 2015年 2月 1日(日)12:26:42hmt さん
宮古島から開通した道路の西端にあるのは 下地島空港
[87240] k-aceさん
本日16時に宮古島市の宮古島と伊良部島を結ぶ、国内最長の無料で通行できる橋「伊良部大橋」(3540m)が開通しました。

伊良部大橋を含む道路は、沖縄県道252号で、その路線名は「一般県道平良下地島空港線」です。
沖縄県サイト 事業経緯によると、伊良部島の生活環境の改善・活性化などが図れる他に、下地島空港の利用促進に寄与するものと期待されています。

宮古島から新たに開通した陸路を 航空写真 で眺めてみます。
伊良部大橋は未完成ながら、画面右下の海上に特徴ある弧状の姿を見せ始めています。橋の東詰に県道252号の表示がありました。

目立つのは、やはり画面西端の 下地島空港にある 3000mの立派な滑走路です。落書き帳では、[83592]の末尾で僅かに言及。
以前は民間航空のパイロット訓練用に利用していましたが、日本航空(-2011)全日空(-2014)共に訓練を終了しているそうです。訓練用シミュレーターが進歩した結果でしょうか。
とにかく、現在は殆ど活用されていない状況のようです。

自衛隊の利用も検討されている筈ですが、政治問題がからみ 実現していません。
尖閣諸島に近い立地ということもあり、今後の動向に注目。

下地島と伊良部島との間の水路は狭く、航空写真では殆ど1つの島のように見えますが、県道の国仲橋を含む6本もの橋で結ばれていました[82809]
子ども達が飛び込みをしていた乗瀬(ヌーシ)橋【南端】は老朽化して解体されましたが、新しい橋に架け替えられるようです。

以下余談
「上地・下地」という地名は 沖縄では一般的に使われているようです。
[83592]では八重山の新城島に言及しました。干潮時には珊瑚礁が顕れて上地と下地の2島が連結します。
大字・小字名は、もっと近くにあります。宮古島市役所下地庁舎の所在地は 宮古島市下地字上地です。

念の為に記しておくと、平良市との合併が琉球政府告示後に撤回されたという 珍しい事例[71753]が紹介された 宮古郡下地町。これは勿論 空港の下地島ではなく、宮古島南部の「下地」です。本土復帰前のこと。
[89879] 2016年 1月 26日(火)18:52:22hmt さん
南の島に雪が降る
[89856] 山野 さん 奄美で「雪」
[89868] k-ace さん 沖縄本島で初の霙(みぞれ)観測
[89870] 山野 さん 
「初雪の観測ならず」って、じゃぁ何になるんでしょうね?単に「珍しく雪が降りました」ってだけの話?

[89868]に引用されていたウェザーマップ記事【下記】の意味は、私も気になりました。
久米島での雪の観測は1977年以来39年ぶり、名護市では初めてとなる。なお、両観測地点とも自動観測となっているので、初雪の観測とはならない。

気象観測統計の解説 のp.32に、「表 3.4-6 観測の自動化に伴う統計の切断年月日と地点」があり、最も早い初雪に関する統計が切断された日付が示されていました。

p.31末尾に記された本文の一部【要旨】と共に、名護・久米島に関する日付を再録します。
-------------------
1997(平成 9)年から順次、…自動観測(無人観測)に変更した。
このため、…統計開始からの極値・順位値(雪の最早・最晩)の統計を切断する。
表 3.4-6 統計の切断年月日と地点 
2002(平成 14)年 3 月1日 (名護)
2004(平成 16)年 10 月 1 日(久米島)
()で示す地点については積雪の観測廃止
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この情報に基づいて、少し舌足らずであったウェザーマップ記事を補うと、次のような趣旨になると思われます。

【公式発表ではないが】久米島での雪の観測は1977年以来39年ぶり、名護市では初めてとなる。
なお、両観測地点とも自動観測となって【積雪の観測が再開されているが、2002年以降に積雪の観測が廃止された時期があり、過去の統計とは切断されている。従って、公式には】両観測地点とも初雪の【最早記録を更新した】観測とはならない。

奄美大島の名瀬は、この表の中にありません。従って、名瀬については 長く続いていた雪なし記録統計が切断されることなく、[89856]で引用された「名瀬で115年ぶりに雪を観測」という記事にすることができました。
ところが、名護と久米島については記録が切断されているので、公式に「観測史上初」とか「39年ぶり」とか言うことができない。
どうやら、このような違いがあるようです。

「初雪」については、正式の用語は「その季節になって雪を観測した初日」らしいが、慣用になっている「初雪」を使って問題ないようです。気象観測統計の解説p.5及び9。
富士山では、2004年の無人化で初雪の観測が終了し、その後も各地の測候所が無人化または廃止されていることから、以前と比較すると、初雪を観測する地点は減少しています。
現地でなく、麓から見たのが「初冠雪」

タイトルについて
過酷な状態に置かれたニューギニア島[79420][83592]の戦場。そこに従軍していた加東大介【注】は、上官からの命令で演芸分隊を作り、ジャングルの中で芝居を上演しました。もちろん紙吹雪。その経験に基づく手記(1961)はテレビドラマや映画にもなりました(本人主演)。
戦後70年の2015年。前進座公演もありました。
【注】加東大介
戦前は歌舞伎(前進座)、戦後は映画(七人の侍など)で活躍した俳優。沢村国太郎、沢村貞子の弟という役者一家。長門裕之や津川雅彦は甥です。

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