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県民性は存在するか?

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記事数=10件/更新日:2004年1月10日/編集者:YSK

甲子園や国体などの都道府県対抗の競技会に象徴されるように、わが国の地域性を語るのに、都道府県は欠くことのできない枠組みの1つであるようです。しばしば「県民性」が話題になりますが、この「県民性」とは一体どのようなものなのでしょうか?また、そもそもそういった性向は存在するのでしょうか?

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[7496]2003年1月9日
BANDALGOM
[7514]2003年1月9日
Issie
[7517]2003年1月9日
YSK
[7521]2003年1月9日
Firo
[7531]2003年1月10日
深海魚
[7566]2003年1月11日
蘭丸
[7600]2003年1月11日
Issie
[7846]2003年1月18日
YSK
[8147]2003年1月24日
白桃
[23621]2004年1月10日
まるちゃん

[7496] 2003年 1月 9日(木)08:43:44BANDALGOM[越後系下総人] さん
県民性から考えれば新潟県は東北地方
[7486]Issieさん
私は父方の祖父が新潟県人です。
私が生まれる6年前に他界しているので、市町村までは分かりませんし、その人となりもよく知りませんが(東京の下町で左官をやっていたということと、酔っ払っては星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返していたということしか)、父親やその兄弟の気質、性格を見ていると、本やネット上で書かれている新潟の県民性がよく現れていますし、千葉県北西部のベッドタウンで生まれ育った私にもそれはあると思っています。

Issieさんは「県民性はあまり信じない」とHPに書かれておられましたが、私は歴史や気候風土を反映した気質・性格という面において県民性はあると信じております。
新潟県のそれは東北6県(宮城県は若干違うという話も聞きますが)と何ら変わりのないものという印象です。
実際に私の父親やその兄弟の気質・性格は、私の岩手県の友人や、青森県出身の中学時代の先生とも本当によく似ています。政治家でいえば山形・庄内のKさんと(笑)。
一般的な東北人のイメージがまんま表れている人たちです。

長野県や北陸3県とも似た部分はあると言えなくもないですが、やはり「似て異なる」ものを感じます。
一般的な東北人のイメージとして、口数が少ない、暗い、生真面目、といったことがあるわけですが、長野県人は今まで付き合った人たちを見る限りではさほど暗くはないわけです。
また北陸3県は関西の影響を受けている地域ですが、関西人に似た性格のきつさを感じました。
それはやはり親不知による隔たりといえるでしょうか。

「中部地方」というのはもはや死語といっていい地方区分と思いますが、上記の観点から考える限りでは新潟県は北陸ではないですし、「甲信越」とか「北信越」といった地方区分もどうかと思います。
新潟県と山梨県は県民性を見ても、地理的条件を見てもまったく別の地域という感がありますし、長野県と北陸3県もやはり「似て異なる地域」と思います。

もう一つ、位置的に見ても新潟県は東北といえるのではないでしょうか。
北緯37度線が通る県には福島・新潟・栃木・群馬・長野・石川・島根(竹島)があるわけですが、栃木・群馬・長野県では37度線を超えるのは県のごく一部、石川県も能登半島の北半分ですね。
一方で新潟県は県域の大半が37度線以北にありますが、県域の大半が37度線以北なのは上記の県では他に福島県だけです。
また新潟県は新潟市のすぐ北、佐渡島の中央には38度線が通りますが、38-39度のところには山形・宮城県の大半と、秋田・岩手県の一部まで入るわけです。

これらの点から、私は「東北7県」を支持します。
[7514] 2003年 1月 9日(木)23:07:23Issie さん
新潟県は東北?
[7486] 越後系下総人さん
[7506] utt さん
>私も新潟県は東北地方のような気がします。

ここで何度か話題になっているとおり,別に地方区分というものに決まったものがあるわけではなく,あくまでも便宜的なものに過ぎませんから,要はそのときの状況に応じて最も適当と思われる区分を自由にしていいわけです。その区分に説得力があるなら,多くの人がそれに倣っていくだろうから,その区分が定着することになるはずです。
気象・気候といった自然現象と文化,経済など,それぞれ次元の違うものですから(お互いに関連はあるわけですが),当然それぞれに違う区分が行われたって一向に構いません。

新潟県も必要に応じて東北地方に含まれることは珍しくないですよね。
最初に思いつくのは,新潟県に電力を供給しているのは「東北電力」だということ。白桃さんが“観光地”に挙げられている柏崎の原発は「東京電力」なんですけどね。
交通公社の時刻表でも新潟県の私鉄・バスは長い間「東北地方」の見出しの下に掲載されていました。

だから,別に「東北地方」に含めたって,一向に構わないんですけどね,
けれども,いざ「東北」と言われると違和感を感じないでもない。
確かに福島県との結びつきはあるのです。東蒲原郡はかつての会津藩領でしたから特にそうなのですが,阿賀野川を介した会津地方と新潟地域とのつながりは,それなりのものがあるように感じます。けれども,ほかの東北各県と新潟県との結びつきってあるのかしら。新潟と仙台と,どれだけの結びつきがあるんだろう。
それなら東京との結びつきのほうがずっと強い。
だから「関東甲信越」なのですね。
別に「甲信越」相互に結び尽きがあるのではなく,「甲」も「信」も「越」もそれぞれ別個に「関東」というよりは東京に結びつく,そういう単位でのくくり方ですね。
無理に「東北」に入れるよりは,その方が私にはスッと来るような気がします。

>私は歴史や気候風土を反映した気質・性格という面において県民性はあると信じております。

うん。私も全否定はしない。
同じ地域の中で生きていてお互いに「文化を共有」しているわけですから,ものの見方や考え方,生活の習慣や嗜好性といったものを共有することは当然にあるだろうと思います。そこに一定の傾向が見られるであろうことは十分に想像できます。
私が信用しないというのは,それを「勤勉」とか「我慢強い」とかと言った単純な言葉でステレオタイプ化し,本質的には便宜的な区分に過ぎない都道府県で区切ってそこの住民にあてはめようとすることです。そのステレオタイプに照らし合わせて,ある人のパーソナリティの中でそれにあてはまると思う部分を取り出して,「あるある!」「そういやそうだよね」と納得してしまう。「○○県人は××だから…」と,その人の全人格をわかった気になってしまう。そこが信用できない。
こういう受け取られ方なら,それは血液型による性格判断と本質的に変わらない。4つの類型が47の類型に変わっただけ。
私には「信州人」の友達がたくさんいますが,「信州人ってのはね…」という話を聞いて「ああ,確かに思い当たるフシがあるよね」と思うことはあるけれども,それがその人たちの全部じゃない。よく言われる「信州人は理屈っぽい」という言葉で“十把一からげ”できるかというと,そんなはずはない。
話のタネとしては面白いけれども,それだけのこと。少なくとも「県民性による性格判断」というのは信用できないな,と思うのでした。
[7517] 2003年 1月 9日(木)23:45:17【1】YSK さん
県民性について
[7514]Issieさん
私も、「いろいろな局面によって、いろいろな地域区分があるのにな・・・」とぼんやりと感じながら最近の書き込みをみていたのですが、どうもうまく言葉にできませんでした。私の言いたいことがすべて凝縮されたレスをありがとうございました。やはり、“落書き帳顧問”のお言葉には含蓄がありますね。

まあ、東京の影響の強い関東地方の人間であることの感覚が多分に働いているのかもしれませんが、私も新潟県をどの地方に区分するかといわれれば、「関東甲信越」地方ということになると思います。私がこのような判断をするもう1つの重要な素地として、私が都市地理学、特に都市に集積する経済的な諸要素の結合関係を分析すること、を長らく専門にしてきたことも大きくこの考えに影響しています。やはり、東京の影響は、無視できないのですね。

Issieさんが問われていた仙台と新潟との結合関係ですが、都市地理的な観点から言えば、関係は薄いと思われます。東北6県をテリトリーに置きつつ、東京に結合する仙台。関東地方の諸県とともに、東京との結びつきが強い新潟。東北電力などの例外もありますが、基本的に両都市の属する経済地域は異なると思われます。

とはいえ、先に気象的な特色から新潟=北陸というのも一理があるとしたIssieさんのお話や、文化人類学的な考察から、新潟に東北の色を感じ取られた感覚についても、私は認められてしかるべきであるという意見にかわりはありません。地域を見る切り口が違えば、地域も全く違ったものに見えるのはごく自然なことだと思うからです。

ここで話題を変えて、地元群馬のお話を。みなさんは、群馬というと、かかあ天下に義理人情、夏の雷に冬のからっ風と、強烈な県民性の存在をお感じになるでしょうか?確かに、気象的には内陸性の気候が卓越し、等質的な色彩の強い群馬です。

しかし、江戸期に大きな藩が存在せず、天領や旗本領などがモザイク状に入り組み、自分の村と隣の村とが別々の領主に支配されるといったことが珍しくなかった土地柄も影響し、実は県内の諸地域に経済的な一体性はそれほどないというか、前にもこの掲示板でお話をさせていただいたのですが、似たような規模の都市が続く分散的な地域構造が卓越する県なのであります。

私の町太田も、前橋や高崎を向くというよりは、隣の足利(栃木県です)との結びつきの方が強い。むしろ、東京との直接的な結びつきの方が、前橋・高崎との結びつきよりも強いとさえいえるような土地柄です。また、隣の足利とて、はるかかなたの宇都宮を志向するよりは、太田や桐生、東京のほうを向いている。

こういった地域構造のまちに育った私にとっても、1つの県が1つのカテゴリーによって拘束されるという、「県民性」(Issieさんのご意見同様、全部は否定しませんが)という言葉に絶対的な信用を置く気持ちにはなれないんです。地域には地域の優れた個性があります。県民性という概念も、その個性を知る上で示唆を与える一要件であるとは思いますが、それに過度に拘りすぎて、県内諸地域のローカルな特色を看過することがあっては、その地域の本質を見逃すことにもなりかねません。

要は、1つの見方だけでなく、さまざまな視点から地域を見据え、その地域を理解していくことが大切なのではないかな。そう思うわけです。

#県民性の話をしているつもりが、いつの間にか、地域性の話に摩り替わってしまいましたね。地域マニアのYSKならではの性分として、どうかお許しください・・・。
[7521] 2003年 1月 9日(木)23:58:58Firo さん
Re:宮ヶ瀬/新潟の所属・県民性
[7470]issie先生
そうですね。宮ヶ瀬は私も思いついたのですが、確かにライトアップされてたり、清川村は、
他にこれといった産業もないですし、でも、考えてみれば「ダム」なんですよね・・・
それが、素朴な疑問として残ったので・・・
それから、三浦市は観光資源もありますけど、やっぱり三崎漁港や農業のイメージが強いですね。
[7486]issie先生[7496]越後系下総人さん
新潟の所属については、確かに難しいですね。信越、北陸、中部、東北、う~ん。
でも、中部地方という捉え方は最近はまずしないですね。
信越という捉え方は、天気予報もそうですけど、郵便局を統括する地方郵政局のグループ分けで
使用されています。新潟県、長野県で信越郵政局を構成しています。
もっとも、これは、地域性というよりは、いずれの県も面積が広く、局数も比較的多いからだと
思われます。
そして、文化的なつながりなどからすると、私も新潟は東北の方がふさわしいかなというように
思います。
私の父が所有していた、もう30年以上前の帝国書院の地図帳では、新潟県は東北の所属になって
いた記憶があります。
歴史的な面や、共通した苗字が多い点など、特に山形県などとのつながりが深い印象があります。
それから、新潟県人は他地域と比較して明確な県民性があるように思います。
新潟県人は特に郷土愛みたいなものが強い気がしませんか?
新潟出身の著名人、たとえば、故三波春夫さん、林家こん平師匠、以前ここでも話題になった
漫画家の魔矢峰央氏などを見ているとそんな気がするのですが
[7531] 2003年 1月 10日(金)01:12:44深海魚[雑魚] さん
レス諸々
当地では先週以来、快晴続きなのですが、こういう時に限って事務仕事ばかりでして、「宇都宮に行ったら
日光男体山が凄く綺麗だったべ。」 と吹聴する同僚の何と憎たらしい事か (笑)

[7505] 白桃さん
レス有難うございました。個別の事例について、私なりに考えてみたいと存じます。

[7507] Issieさん
>だから少なくとも,この駅名は所在地の地名によるものと言えなくもないのです。
なるほど、確かに 「白根」 の地名が残っていますね。味方村域に位置しながら、JTB版の時刻表では
確か市代表駅扱いだった様に記憶しているので、市名としての位置付けとばかり思っていました。なお、
私は月潟が終着駅だった当時、同地をドライブしましたが、道路が狭隘気味で、往来に難儀した記憶が
あります。同鉄道の駅跡で開けた印象があったのは、燕の他、灰方と小中川くらいでしたね。

[7510] TNさん
なるほど、準急Aの代替措置だったのですね。この列車は、北千住-太田で概ね市代表駅を選んで
停車している印象があり、相応に利便性が高い様に感じていました。しかし、動物公園や春日部への
停車は、浅草・北千住直通客だけで十分な需要があったとされる傾向との整合性がどうなっているか、
少し気になりますね。

[7514] Issieさん
新潟県と東北地方との関連性について、単に県境前後の区間にてハンドルを握っただけの印象から
述べれば、その物理的隔たりから、何らかの地域分けを感じます。まずは只見線沿線の六十里越峠。
ここはいかにも県境という感じの分水界で文句無し。次に阿賀野川流域ですが、並行する磐越西線の
上野尻-鹿瀬における深山幽谷振りは相当なもので (地形の険しさゆえか、この辺の国道49号線は
南側の鳥井峠を経由していますね。) 鹿瀬、津川界隈出身の知人の話から推定される会津地方への
志向度を考えると、やはり県境たる必然性を感じます。荒川流域の場合は、小国町が山形県に属する
特異な地勢状況ながら、以西の赤芝峡などは相応に難所の趣。残る日本海岸は、親不知に匹敵する
地形的障害は無いまでも、村上-鶴岡で朝日連峰がらみの急峻な海岸線が続いていますね。

仕事関連で新潟県や山形県の出身の年輩者と話をした経験からしても、「新潟=東北」 とする構図に
いささか違和感を感じる雑魚でした。まあ、あくまでも他県ドライバーの勝手な主観ですが。

[7515] 管理人様
>他の人の分も載せるのは欲張りだというのが可笑しかったんです。
そういう事ですか。私としては、採用して頂いた上にあれこれ提案するのは僭越か、との趣旨でした。

>本来の企画主旨を最大限活かせるのはやはり雑魚さんをおいて他の選択肢はないと確信
うーん、問題は私がレスを返す事が少ない常連の方に対して、ネタ振りを含め、どれ程確たる印象を
持ち得たか、という事なんですよね。例えば、今年に入ってから書込みのあった 「自分色登録者」 に
対して、箇条書き程度に他薦文を募集した上で編集、という事であれば、道は開けるかも知れません。
それ以前に、難読地名の修正申告をそろそろ確定集計しませんと。(汗)

>回答は今夕22時以降という事で = 正解は22時以降に発表... という意味にも取れますよ。
言葉足らずでしたかね。「回答は22時以降に御願いします。」 とするべきだったかな。

[7517] YSKさん
>1つの県が1つのカテゴリーによって拘束されるという、「県民性」(中略)という言葉に絶対的な信用を
ある程度の平坦地続きにあって、南部に東京通勤圏を擁し、一方北部に山村が少なくない、群馬・栃木・
茨城の三県は、行先次第で東京からの交通機関のベクトルが微妙に異なる点も含めた同様の事情から
統一カラーかくありき、というのは打ち出しにくい地域かも知れませんね。

実は数時間前から頭痛です。にもかかわらず、酒瓶ラッパ飲みでこんな時間帯までネットとは不摂生の
極みですね。以上、キラー (天敵?) まで登場した雑魚でした。
[7566] 2003年 1月 11日(土)09:27:44【1】蘭丸 さん
関東甲信越地方
 ようやく本年初の本格的書き込みができました。
 「新潟県は何地方か」が物議を醸しているようですね。私も、以前の書き込みで同様の事柄に言及したことがある者として発言させていただきます。

[7532]NSK さん
>このような地形による閉鎖性が、近隣県との交流を阻んでいると思います。

 本当にそうでしょうか? たしかに、自然地理的な視点からのみ見た場合は、「閉鎖的地形」で当たっているかもしれませんが、人文地理的、社会経済的な視点から見た場合、新潟県は「閉鎖的」ではないと思います。

 新潟県は、地勢的に東京と日本海側(北陸、新潟、山形、秋田)を結ぶ線上に位置し、実際にも関越自動車道、上越新幹線という大動脈が通っています。さらに言えば、上信越自動車道も、正式には「関越自動車道上越線」です。
 この2つの陸上幹線ルートは、単に新潟県と東京とを結んでいるわけではありません。関越自動車道は長岡で北陸自動車道に接続し、その先は日本海沿岸東北自動車道が延伸の予定です(新潟県内の一部区間はすでに供用中のようです)。また、上越新幹線は越後湯沢で北陸方面への特急「はくたか」と、新潟で東北方面への特急「いなほ」と接続しています。特に、北越急行線+北陸本線は東京-北陸間を連絡する一大幹線ルートとしての役割を担っています。
 こういった高速交通網は、なにも田中元首相の一存で建設されたものではなく、実際に、上越新幹線が構想された当時の上越線は、すでに過密状態で、何らかの方法での線増が必要でした。その幹線としての実態から、一時は高崎線+上越線を「上越本線」にする計画もあったようです。
 以上のようなことから、新潟県と東京との関わりにおいては、一定の古さをともなった密接な関係があると思います。

 新潟県は、自然地理的には外部から遮断されてはいますが、社会実態からは決して閉鎖的ではないと思われます。とはいえ、開放的かといったらそうでもない印象はありますが...。

[7496]越後系下総人 さん
[7506]utt さん
[7521]Firo さん

 新潟県を東北地方に含める考え方は、たしかに過去には存在したようです。しかし、現在、「東北」と言う場合、大多数の人は明らかに奥羽地方のことを指していますから、この区分けは定着し得なかったということになります。

 越後系下総人 さんご指摘の緯度による観点ですが、私はこのような論拠にはあまり説得力を感じません。なぜなら、福島県と新潟県が同緯度にあるといっても、ちょうどこのあたりは本州の幅が広がり始める部分に当たり、新潟県を東北地方に含めた場合、ずいぶん裾が広がってしまい、いささか不自然な感じがするからです。

 また、新潟県と東北地方との文化的「つながり」ですが、私はそれほどないのでは?と考えます。
 理由はいたって単純明快です。それは、古代から東北地方は「みちのく」であり、新潟県は北陸とともに「越の国」あるいは「こしぢ」であった歴史的事実からです。少なくとも前九年の役、後三年の役などがあった当時までは、畿内から見た場合、心理的に「越の国」は蝦夷征討の最前線としての「内地」であり、対する「みちのく」は征服すべき「外地」という位置付けだったと思われます。
 その後の歴史を見ても、上杉謙信は鶴岡八幡宮で「関東管領」上杉家を相続したように、関東と新潟県との関わりは東北との関わりよりも濃かったと言えます。謙信の史実は、単に越後に落ち延びた山内上杉氏を継承したといえばそれまでですが、鶴岡八幡宮でその儀式が執行された点は興味深い事実だと思います。

 こういった歴史的経過は、その後も両者の文化的差異に多大な影響を与えていると私は見ています。代表例は方言で、福島県、山形県は東北地方の方言の影響下にありますが、新潟県は一部地域(下越の岩船地方)を除けば東北地方の影響を受けておらず、関東や関西の影響を受けているようです。
 私は、大学時代に学業やアルバイトなどで、同年代の5人の福島県出身者、同じく4人の新潟県出身者と関わった経験がありますが、福島県出身の5人中3人が関東とは異なる独特なイントネーションを持っていたのに対し、新潟県の4人からはイントネーションの差異を感じませんでした。あんまり面白味がないので、そのうちの2人には「新潟って訛りないの?」なんて聞いたこともあります。実際に方言関係の本を見ると、新潟県は関東のイントネーションの圏内にあるようです。

 それから、「県民性」が話題になっていますが、そもそもこれは「県民」性であって「地方」性ではありませんので、同じ地方に属する県が共通の「県民性」を持つ必然性なんてどこにもないと思います。同じ関東でも、神奈川県と群馬県や群馬県と千葉県の間の「県民性」の共通性はほとんどないでしょうから。

 以上のようなことから、私は新潟県を東北地方に含める考え方は、「中部地方」という区分けをすることと同じような違和感を感じます。

[7514]Issie さん
>それなら東京との結びつきのほうがずっと強い。
>だから「関東甲信越」なのですね。
>別に「甲信越」相互に結びつきがあるのではなく,「甲」も「信」も「越」もそれぞれ別個に「関東」という>よりは東京に結びつく,そういう単位でのくくり方ですね。
>無理に「東北」に入れるよりは,その方が私にはスッと来るような気がします。

 私も、このような感覚に近いものを持っています。NHKの天気予報では「関東甲信越」という括り方が実際に使われていて、私はこの区分に多少の違和感を感じていたのですが、Issie さんのこのご見解を読んで、「なるほど」と納得した次第です。単に「甲信越」ではなく「関東甲信越」であることがポイントですね。新潟県も長野県も山梨県も、厳密にいえば「中部地方」ですが、この地域区分に実質的意義がまったく感じられないことからすれば、やはり「関東甲信越」がもっともしっくり来ると言えますね。
 「甲信越」相互に関わり合がないとはいっても、信越本線を介した新潟県と長野県、中央本線を介した山梨県と長野県のつながりは存在します。
 千葉県の上総・安房(南房総)が当然のように関東に含まれてくることを思えば、まだ、この三者のほうが東京との結び付きが強く、「関東」のカテゴリーに含んでも、さほど違和感を感じません。長野新幹線開業以後、そういった感はいっそう強まっています。

 私は、年に数回スキーをするのですが(今冬もすでに神立高原と舞子後楽園にそれぞれ1回ずつ行ってきました)、苗場、ガーラ湯沢~石打丸山、上越国際などは、東京からの近さや都会的雰囲気などから、東京の植民地かと思ってしまうくらいです。〈あくまで個人的感想です。新潟県民の方、ご容赦ください。〉
 また、私は仕事柄、佐川急便をよく利用するのですが、新潟県は長野県とともに「信越」という地帯に区分されていて、料金は「関東」とまったく同じ設定になっています。例えば、北海道や鹿児島に荷物を送る場合、東京からも長野や新潟からも同一料金であり、その他の府県に宛てた場合も同様です。そして、この「関東」には山梨県も含まれています。
 とにかく、「甲信越」は東京との結び付きが強いと感じる根拠はいろいろとあります。

 長くなりましたが、新潟県は「北陸」「中部」「東北」なんかよりも「関東甲信越」である、という考え方を私も支持します。あるいは「広域関東」か、単に「関東」でもいいかと思います。
[7600] 2003年 1月 11日(土)22:34:35【1】Issie さん
信濃の国は十州に境連ぬる国にして
県の形,というと,私は小学校の時に教わった千葉県の略図の書き方を思い出します。
東京湾岸と九十九里浜をかたどった円弧を2つ,それに房総半島を表す三角形の二辺と,江戸川と利根川を表す三角形の二辺,利根川下流には佐原市の「水郷」地域を示す出っ張り加えて…
全体では「ペン先の形」とでも言うべきものかな。
小学校4年の時の副読本「すすむ千葉県」に載っていたものです(あれっ?「のびゆく千葉県」だったかな? 確か,副読本と千葉テレビの教育番組と,どちらかが一方の題名だったな)。

「形」といえば,一番有名なのは「長靴の形」と表現されるイタリアでしょう。この表現は,統一後しばらくして発表されたデ・アミーチスの『クオレ』に早くも登場するものですから,「統一イタリア」というアイデンティティと不可分な概念なのでしょう。
でもね,イタリアが「長靴の形」になったのは,19世紀半ばにサルデーニャ王国が主体となって統一国家が成立してからなんですよね。それまでは,「長靴の形」のイタリア国家など存在したことがないのだから。
『クオレ』には「統一イタリア」の“少国民”として期待されるべき少年像というものが大変露骨に表現されていて,その点で典型的な「19世紀の児童文学」ですが,その意味で戦前・戦中の日本では好意的に受け入れられたようです(要は,ひところの「カルピス劇場」の原作となった作品群です。E.マロの『家なき子』『家なき娘(アン・ファミーユ)』や,J.スピリの『アルプスの少女(ハイジ)』などなど。当時これらのアニメーション作品を制作した人たちは,まさしくかつての「少国民」世代ですからね)。

実は前の発言では触れなかったのですが,「県民性」で1つ無視できないのは,近代以降の府県単位の義務教育を通じて植え込まれた「県民意識」です。
自県の形を「舞う鶴の形」と形容する「上毛かるた」,これはおそらく群馬県の義務教育界のチャンネルを通して,群馬県の小学校で教育を受けた子どもたちを通じて定着した「自県のすがた」ですよね。
これと全く同じ機能を果たして全国的に有名なのが,長野県の県民歌「信濃の国」です。

 信濃の国は十州に境連ぬる国にして
 聳ゆる山はいや高く流るる川はいや遠し
 松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地
 海こそ無けれ ものさわに よろず足らわぬことぞなき

平面上の形を表現してはいないのですが,これで「長野県のかたち」を表現してしまいます。
そしてこの後は『クオレ』よろしく県内の各地から満遍なく題材を掘り起こして歌に織り込み,
最後は
 「吾妻はや」とし日本武尊(やまとたけ) 嘆きたまいし碓氷山
 穿つトンネル二十六 夢にも越ゆる汽車の道
 道一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
 古来山河の秀でたる国は偉人のある習い
でしめくくる。

長野県では「を」という文字は [wo] と発音するべきものという教育がされているようです。東京(標準語)では「お」と「を」は同じ発音だよ,と何度言っても信じてもらえませんでした。そのくせ,「をぢさん(叔父さん)」の“を”を“お”と区別することは一切していませんから,文字で表記される「助詞の“を”」ないしは「文字の“を”」だけを [wo] と発音すべきだと思い込まれているようです。
きっと,これも小学校で「を」という字を教えるときに刷り込まれたものなのでしょうね。そして,長野県の小学校ではそのように教えられているのだろう。

その意味では都道府県の枠組みで人々の性格をくくってしまうことも,あながち荒唐無稽ではないわけです。何だかんだ言っても,義務教育は都道府県単位で行われているわけですから。
[7846] 2003年 1月 18日(土)02:54:28【1】YSK さん
県民性 ~県単位の地域性の視点から考える~
かなり遅いレスで申し訳ないのですが、公言してしまった以上、考えてみたいなと思います。

まず、「地域性」という言葉についてです。一定の空間にいて、地形的、気候的、あるいは文化的などの視点から、特定の等質性あるいは結節(機能)性が認められる場合、その空間(地域)には「地域性」があるということになります。

さらに、「地域」という言葉ですが、これには上の文章にもありますとおり、「等質地域」と「結節(機能)地域」という2つの概念に分類することが多いようです。
「等質性」は、地形的・気候的特性や、人文的な諸属性などに共通した性向がみとめられるようす、「結節(機能)性」は、たとえば通勤流動や買物行動などの人間の移動や、物流や情報流などにおいて、地域間に結合関係が認められる性向のことです。等質性が認められることによって識別される地域が「等質地域」であり、結節性が摘出されることによって割り出される地域が「結節地域」であるということになりますね。

以上のことを踏まえれば、「県単位の地域性」を考えるということは、「県単位の等質地域または結節地域」について考察するということになります。[7517]にて、地元群馬県の地域性について若干書きましたが、
気象的には内陸性の気候が卓越し、等質的な色彩の強い群馬
としましたとおり、群馬県は自然環境的に、一定の等質性を持つ地域が広がります(山沿いはまた別個の自然環境類型に含まれますが)。
しかし、これは同時に埼玉県北部から栃木県、茨城県内陸にかけて連続するものであります。そもそも、山や川などの自然の事物が境界に用いられることが多いものの、人為的に画された行政地域なのですから、等質性を問題にすること自体、無理があるのかもしれません。

そこで、注目されるのが、わが国の縦割り行政の中で確立した、東京(大阪、名古屋)-広域中心都市-県庁所在都市というヒエラルヒー的な図式の中、強化された都道府県単位の都市システムです。行政機関のみならず、たいていの企業組織においても、この図式のなかで支店などのブランチを設置し、結果として上記の都市システムを強化させることとなりました。札幌、仙台、広島、福岡を「札仙広福」と呼び、支店経済のまちとして同じような性格の都市とするみかたも、この都市システムの存在を支持するものといえるのでしょう。戦後日本の高度成長は、この結節構造を強化させる方向にはたらき、結果として、多くの府県庁所在都市が成長を見せることとなりました。

この都市システムの視座に立てば、「県単位の地域性(県単位の結節地域)」を認めることには、一定の必然性があるといえます。

しかしながら、ローカルな視点(人々の日常的な動きや、中小企業の経済活動など)に注目すれば、また違った結節地域の存在が見えてくることについては、過去この掲示板で何度かお話してきましたとおりです。
一例[7517]
私の町太田も、前橋や高崎を向くというよりは、隣の足利(栃木県です)
との結びつきの方が強い。むしろ、東京との直接的な結びつきの方が、
前橋・高崎との結びつきよりも強いとさえいえるような土地柄です。また、
隣の足利とて、はるかかなたの宇都宮を志向するよりは、太田や桐生、
東京のほうを向いている。

詳しくは、アーカイブズ「県境を越えて生活圏のつながりが大きい地域」内でもご紹介しています。http://uub.jp/arc/arc22.html

(県単位の)地域性と県民性は、類似する概念であるとはいえ、微妙に意味するニュアンスも違いますので、どこまで同一視することが許されるかは分かりませんが、私は日常的に展開されるローカルな視点から認められる地域性に注目する時、過度に県単位の地域性(あるいは「県民性」)を強調することには、若干の違和感を感じますね。

ですので、私の場合は、行政地域そのものを話題とする時(仙台市は東北地方にある、とか)及びすでに定義された地域区分を援用する時(気象予報区分で新潟県が北陸地方とされていることなど)を除けば、私が地方区分に言及するのは、都市システム的な視点からその都市(都道府県)の立地を地方区分する場合に限ります。

ちなみに、その考え方は
北海道ブロック:北海道(中心都市-札幌市)
東北ブロック:青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県(中心都市-仙台市)
関東甲信越ブロック:茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、山梨県(中心都市-東京特別区部)
東海北陸ブロック:富山県、石川県、福井県、静岡県、愛知県、岐阜県、三重県(中心都市-名古屋市)
関西ブロック:滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県(中心都市-大阪市)
中国ブロック:鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県(中心都市-広島市)
四国ブロック:徳島県、香川県、愛媛県、高知県(中心都市-高松市)
九州沖縄ブロック:福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県(中心都市-福岡市)
であります。

この分類は、中心都市として企業の支店が多く集積する都市を選定し、その支店が管轄範囲とする地域の最も一般的な範域を、その都市のテリトリーとして画定したものです。あくまで都市システムに注目した場合のみの視点からの分類で、分類に注目した場合それ以上の一切の意味を持たない分類です。

とはいえ、[7600]Issieさんが指摘されていらっしゃいますが、都道府県単位の義務教育のチャネルを通した、県単位の地域性情勢のための刷り込みもなかなか無視できない存在であることは私も十分に承知しています。「上毛かるた」の影響を強く受けてきた私は、長らく「群馬県」という地域性の存在に過度にこだわりすぎていて、その“呪縛”からなかなか自由になりきれない自分がいることもまた事実ですね。

以上、久々に長々と書いてしまいました。
[8147] 2003年 1月 24日(金)22:08:32【3】白桃 さん
県民性プロローグ兼エピローグ
1.讃岐男に阿波女
 このことばは、香川県ではよく聞くことばです。徳島県の女性が働きものの美人で、香川県の男性がなまけもののハンサムである。という訳ではありません(香川県出身の白桃は自称ハンサムですが)。また、徳島の女性が香川に嫁入りしているケースが多く、たいがい円満な家庭を築いているということでもないようです。白桃、良くわかりませんが、大うそつきの汚名を覚悟であえて推量します。「阿波女」とは徳島出身の女性が、大阪の方の商家に奉公に出る機会が多くて、こまめに働くことに対する、いわば都会人からの「なぐさめの評価」であったのではないでしょうか。では、何故徳島の女性が働き口を大阪に求めたか、というと、江戸末期から明治・大正にかけてまで、メイン交通手段は船でしょうから、当時は香川より、徳島の方が大阪に近かった…(今でも、徳島、No.36、香川No.37として都道府県順番に残っています。)それと、徳島県の首邑、徳島市は蜂須賀公の城下町(四国最大)、しかも、藍による周辺地域の景気で明治初期の頃は全国10位の人口を擁する大トカイでした(ホントカイ?)。その頃、四国の他の3県からやっかみ半分で、「電車が市内に走ってないのは、徳島だけだ。」と言われていたようですが。しかし、明治新政府は、四国はどうでも良かったのか「四国の中心は徳島だ!」という決定をついに下さなかったのです。その恩恵を受けたのが山陽地方に最も近い高松でした。逆に徳島は、一時の繁栄が影をひそめ、過剰人口を抱えるに至った。そうなると、(鳴門ではありません)まず、女、農家の次男、三男が下働き、丁稚奉公に大阪に行ったのではないでしょうか。
 「讃岐男」は後からくっつけた言葉で、香川県人の狡猾さ?いや、小器用さ、調子よさがあらわれております。もっとも、その説明は雨が少ないという瀬戸内性(式)気候から説明すべきものではないと思います。オリーブを県花、県木とする香川は、雨量が少ない(特に夏)地中海地方の気候(ケッペンのCs気候;ちなみに小文字のsはSummerの略で乾燥している季節をさしています。)との類似が良く言われますが、毎年夏には、水不足に陥り、香川名物「ため池」だけではどうしようもなく、隣県徳島より吉野川の水、すなわち、香川用水を引いて徳島に感謝しております(徳島商出身、もと中日ドラゴンズの板東のことを、香川ではリンケンバンドと呼んでます…大ウソ)。冗談が多くてハナシがわけ判らなくなってきましたが、香川県は昔から水には苦労しておりまして、水利慣行を遵守するためにも、仲間うちではお互いケンカせず、利用できるものはすべて利用するというセコイ気質が生じたのではないかと、想像致します。(「讃岐の猿真似」、「サヌキの連れ小便」も保守的・妥協的県民性を示すことばです。)
 「県民性」という言葉をよく耳にします。白桃は、はっきり言いますがこれを否定いたします。自然環境から、安易かつ短絡的に下された語句ならば、なおさらのことです。地域の歴史(それも断面をとらえるのではなく)を踏まえ、自然環境を利用して長く営まれてきた社会集団としての人々の叡智(生活様式)にもっと敬意を表したいものです。でも矛盾するようですが「長野県は教育県だから、ヒワイな劇場は少ない。」というハナシを酒の席で良くする白桃です。(これも、香川の県民性が良く出ているのかも???)
 明日は、岡山です。本日のあるときまで回数、文字数ランキングともに15位、書き込み%2.1という美的バランスを保持した白桃も、この書き込みが命取りになりました。
 最後に、この駄文をYSKさんと、TNさんにお送りいたしますことを書き添えます。
[23621] 2004年 1月 10日(土)23:19:22まるちゃん さん
ういろう、県民性
[23608] かすみ さん
山口県を思い浮かべると「ういろう」が出てきます。てっきり名古屋だけの物と思い込んでいたのですが、こちらのもおいしいですね。両者、材料が違うとか・・・。他にも各地にういろうがあると後から知りました
山口より全国的に有名な名古屋のういろうは食べた事がないので、味比べはできませんが、名古屋のものが米の粉、山口のものがわらび粉や葛粉などの地下茎の澱粉を主原料として使うので、食感がだいぶ違うようですね。
また、小田原もういろうが名物のようですね。
そういえば、小田原と山口は、かまぼこでも名物が重なっていますよね。
http://www.ctv.co.jp/kusukusu/2002/0105/gimon.html (中京テレビの番組紹介より)

県民性が話題になっていますが、
以前、[19308] でTKS-H さんが、ご紹介された「ご当地の踏み絵」を久しぶりにのぞいてみると、内容が更新されていました。
地元の人しかしらないネタ、地元の人でも知らないネタもありますが、なかなか面白いですよ。
興味のある方、ご覧になって下さい。

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