[16141] ken さん
千葉県には支庁があり、千葉県のサイト上や、県の各種資料での支庁の並び順は
ああ,そういうものもありますよね。
支庁の場合もそうですが,千葉県では郡区町村編制法下の「千葉市原郡役所」以来,千葉郡と市原郡とはセットに扱われることが多いですから(私が受験した頃の県立高校の学区も千葉市と市原市は確か同じ学区でした。もっとも,私は直前に県立高校を受けるのをやめましたが。私は旧千葉郡=習志野市に住んでいたので,私が受けようとしたのも旧千葉郡=千葉市の高校でしたよ),そうすると
千葉→市原→東葛飾→…
という順序となるのかもしれません。
…とは言っても,自治体コード導入直前の統計では前に述べたとおり,安房郡から房総半島を北上しているわけだし,導入当時は既に消滅していたのだから,「本来どこに入るだろう」なんてことをここで想像してみてもあまり意味がないような気もします。
[16142] 紅葉橋瑤知朗 さん
今度は山梨県が問題児
古代の区分では,甲斐国は「東海道」に所属します。
律令制の下での「道」には「国」の上位の行政区分としての意味と,各国府を結ぶ官道そのものを指す意味の両義がありました。中央からの命令や地方からの報告,あるいは地方同士の情報はこの官道を「逓送」することで末端まで伝えられました。「道」とは,その逓送ルートでもあったのです(「逓送」って,職務上あたしもよく使うんだけど,これって,やっぱ「お役所言葉」かしら)。
奈良時代,「東海道」は駿河国府(静岡)から足柄峠を越えて相模国府(大磯),三浦半島の走水(横須賀市)から浦賀水道を渡り上総の天羽郡(富津)で上陸して,上総国府(市原)→常陸国府(石岡)というルートが幹線とされていました。これに,短距離の支線が伊豆国府(三島),下総国府(市川)へ分岐し,さらに長い支線が現在の御殿場付近で分岐して篭坂峠・御坂峠を越えて甲斐国府へ向かっていました。
(甲斐国府の所在地は「甲斐府中=甲府」ではなく,現在の石和のあたりと考えられています。現在の「甲府」,すなわち甲斐府中が成立するのは中世の武田氏の支配下でのことです。おそらくは,律令国制が形骸化した後,源平抗争期から鎌倉初期にかけて,甲斐源氏の本流として甲州一円に支配権を確立した武田氏が国府の機能を吸収したことによるものだと思います。)
一方,「東山道」は近江から不破の関(関ヶ原)を越えて美濃に入った後,現在の中津川から木曽へは入らずに神坂(みさか)峠を越えて伊那谷へ入った後,善知鳥(うとう)峠から松本平→上田平を経て(信濃国府は当初上田にあったものが,後に現在の松本に移転した,と考えられています),碓氷峠から上野(こうずけ)→下野→陸奥・出羽,とつながっていました。
「武蔵国」は当初,東山道に属していました。
東海道の相模国府(大磯)から分岐して,現在の海老名・町田あたりを通過して武蔵府中に至り,さらに所沢→(東)松山を経て高崎・前橋あたりで東山道に合流する,という支線ルートがありました。
で,奈良時代には武蔵国府へは東山道本線上の上野国府から向かうというルートがメインとされていたのですね。だから,武蔵は東山道に属していました。
しかし,奈良末期から平安初期にかけての時期に,「東海道」の本線ルートの変更が行われて,相模国府から海老名(実は,相模国府の所在地には“大磯説”と“海老名説”の2つがあります。)→町田→関戸(多摩市)→武蔵府中を経て,豊島から荒川・利根川(中川・江戸川)下流の低湿地を突っ切って下総国府,さらに常陸国府へ,というルートに付け替えられました。その結果,武蔵は「東山道」から「東海道」へ所属替えになっています。
だから,再度整理すると
<東海道>:伊賀→伊勢→志摩→尾張→三河→遠江→駿河→伊豆→甲斐→相模→(武蔵)→安房→上総→下総→常陸
<東山道>:近江→美濃→飛騨→信濃→上野→下野→陸奥→出羽
となるのです。
けれども,戦国末期の武田氏支配以来,“東海道”の甲斐と“東山道”の信濃との結びつきは強いですよね。
武田晴信(信玄)の後継者は「諏訪四郎」勝頼でした。織田・徳川連合軍の高遠攻めで討ち死にした信玄の五男は,松本平北部の古代以来の豪族の名跡を継いだ「仁科五郎」盛信でしたね。武田氏滅亡後,三・遠・駿・甲・信の5ヵ国は徳川家康の縄張りとされたのでした。
後北条氏滅亡後の豊臣政権期から江戸時代,この地域は細切れにされますが,特に甲州と信州の諏訪・松本地方との結びつきは強まりますよね。
方言区分でも,この地域は「~ずら」圏としての特徴を共有します(下伊那南部と木曽は,信州のほかの地域とかなり方言的特徴を異にします。また,千曲川流域の東北信地域の方言も,諏訪・松本地域とは微妙に違います)。その点では,同じ「東山道」の美濃・飛騨よりも,甲州との共通点の方が多いかもしれません。
実は,「東山地方」という表現がしばしば使われるのは方言研究の分野なのですが,この点では甲州(山梨県)や,場合によっては駿河(駿豆地方出身の学生が「~(だ)らぁ」というのを,学生時代によく耳にしました)も含むのが妥当なのかもしれません。
つまりは,「フォッサマグナ」の西を限る「糸魚川・静岡構造線」沿いに特徴を共有する方言が分布する,ということです。