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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

「中部地方」の範囲はどこまでか?

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記事数=15件/更新日:2003年5月30日/編集者:YSK

東海地方や北陸地方、三重県や山梨県の位置づけなど、多くの問題を一段とややこしくしている感のある地域区分、「中部地方」。この地域区分についてメッセージを集めました。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[427]2001年10月21日
長野っ子
[428]2001年10月21日
Issie
[551]2001年12月8日
杉並
[2968]2002年9月9日
桃象
[2969]2002年9月9日
深海魚
[7480]2003年1月8日
般若堂そんぴん
[7496]2003年1月9日
BANDALGOM
[7521]2003年1月9日
Firo
[13859]2003年4月23日
三丁目
[13866]2003年4月23日
三鈴
[14602]2003年5月3日
まがみ
[15947]2003年5月26日
NS
[16084]2003年5月29日
ありがたき
[16142]2003年5月30日
紅葉橋律乃介
[16174]2003年5月30日
Issie

[427] 2001年 10月 21日(日)10:38:14長野っ子 さん
山梨県って正確には何地方?
ちょっとくだらない質問で申し訳ありませんが、最近ものすごく疑問に
思うことがあります。それはわが長野県のお隣の山梨県が時と場合によっては関東地方に入ったり、関東甲信越地方っていったり、また僕が小学校の頃は中部地方とも教わりました。本当は山梨県は何地方なんでしょうか?ちなみにわが長野県も北信越とか山梨県と一緒に関東甲信越や中部にも入ります。また、新潟県も北陸に入ったり、関東甲信越や中部に入るし、もちろん、3県だけで甲信越のこともあるし、また、三重県も近畿や東海や中部ともいうし、いったい甲信越とか東海北陸ってどうなっているの?
[428] 2001年 10月 21日(日)12:04:43Issie さん
地方:どれも正解
長野っ子さん

「地方」というのは正式な行政区分でも何でもなくて,それぞれの便宜上“慣用”で勝手に使っているだけなので,どれが正解でもどれが間違いというのは一切ありません。
お役所だって,それぞれ「関東」に入れてみたり,長野県と一緒に「甲信」といってみたりまちまちです。
学校では「中部地方」としているけれども,これも明治以来そういう習慣になっているだけの話です。
専門家の世界では「岐阜+長野」で「東山(とうさん)地方」,「岐阜+長野+山梨」で「中央高地」なんていうこともありますね。
「甲斐国」でその昔は「東海道」に所属していたんだけど,「東海地方」ということはあまりないですね。逆に「東海道」ではなく「東山道」に属していた美濃国と飛騨国からなる岐阜県が「東海地方」だったりします。

まあ,もう一度結論を言えば,何も決まりなんてない,ということです。
[551] 2001年 12月 8日(土)13:14:56杉並 さん
三重県について
はじめまして、悩んでたらここに流れ着きました。
いままで三重は東海であり中部であると思ってました。しかし、
中部地方と近畿地方2種類の地図が両方存在するんですよね。
三重は中部地方でいいですよね?
[2968] 2002年 9月 9日(月)11:45:21桃象 さん
山梨県は中部地方なのですか?
初めまして。

貴サイトのホームページに描かれている日本地図では,山梨県は中部地方に区分けされているようですが,私が深く関わっている活動の世界では山梨県は関東地方に区分けされる場合が多いようにも思います。また,昭和30年代に発表された道州制の先駆けともとれる地方区分け案でも山梨県は関頭地方に相当する地方に区分けされています。また最近の道州制案でもやはり山梨県は南関東地方に区分けされる場合が多いようにも思います。実際のところはどうなのでしょうか。

また中部地方も実際には東海地方と北信越地方に更に区分けされる場合が少なくない模様ですが,道州制案では,中部地方案の方が有力なのでしょうか。

皆様のご教示のほどをお願い致します。

==
[2969] 2002年 9月 9日(月)12:14:56深海魚[雑魚] さん
山梨県
[2968]
甲信越、東海、北陸といった地域を中部地方の下位区分と考えるなら、山梨県は
中部地方に属する事になります。ただし、Issieさんが以前に指摘をされた様に、
こうした地方名は、明確な定義を伴わない便宜的な性格が強いとの事らしいので、
殊更に悩む必要は無いのかも知れません。

一方交通体系で見ると、笹子、小仏と二つの峠があるものの、経済上は明らかに
東京志向が強い様で、税務上、山梨県が東京国税局の管轄である事には必然性を
感じます。ちなみに新潟と長野は関東信越局、北陸三県は金沢局で、名古屋局に
属するのは静岡、愛知、岐阜、三重の四県と記憶します。

詳細は忘れましたが、以前、韮崎以西の中央線車窓から、名刹名勝の類だったか
「関東三大○○」 との看板を一瞥した事があります。

ちなみに三重県が近畿地方に属するとの説には、少し違和感を感じます。確かに
伊賀地方の一部は大阪の通勤圏に含まれますが、桑名、四日市、津と続く伊勢湾
沿いの県主要都市は、交通体系から考えても名古屋志向が強いと思われますので。
[7480] 2003年 1月 8日(水)21:50:13般若堂そんぴん さん
新潟県は何地方か? をほんのわずかだけ考える
[7476]startさん
新潟県は中部地方だったり甲信越地方だったり北陸地方だったり東北7県のひとつだったり……
北陸道ということでご勘弁願えないでしょうか?
[7496] 2003年 1月 9日(木)08:43:44BANDALGOM[越後系下総人] さん
県民性から考えれば新潟県は東北地方
[7486]Issieさん
私は父方の祖父が新潟県人です。
私が生まれる6年前に他界しているので、市町村までは分かりませんし、その人となりもよく知りませんが(東京の下町で左官をやっていたということと、酔っ払っては星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返していたということしか)、父親やその兄弟の気質、性格を見ていると、本やネット上で書かれている新潟の県民性がよく現れていますし、千葉県北西部のベッドタウンで生まれ育った私にもそれはあると思っています。

Issieさんは「県民性はあまり信じない」とHPに書かれておられましたが、私は歴史や気候風土を反映した気質・性格という面において県民性はあると信じております。
新潟県のそれは東北6県(宮城県は若干違うという話も聞きますが)と何ら変わりのないものという印象です。
実際に私の父親やその兄弟の気質・性格は、私の岩手県の友人や、青森県出身の中学時代の先生とも本当によく似ています。政治家でいえば山形・庄内のKさんと(笑)。
一般的な東北人のイメージがまんま表れている人たちです。

長野県や北陸3県とも似た部分はあると言えなくもないですが、やはり「似て異なる」ものを感じます。
一般的な東北人のイメージとして、口数が少ない、暗い、生真面目、といったことがあるわけですが、長野県人は今まで付き合った人たちを見る限りではさほど暗くはないわけです。
また北陸3県は関西の影響を受けている地域ですが、関西人に似た性格のきつさを感じました。
それはやはり親不知による隔たりといえるでしょうか。

「中部地方」というのはもはや死語といっていい地方区分と思いますが、上記の観点から考える限りでは新潟県は北陸ではないですし、「甲信越」とか「北信越」といった地方区分もどうかと思います。
新潟県と山梨県は県民性を見ても、地理的条件を見てもまったく別の地域という感がありますし、長野県と北陸3県もやはり「似て異なる地域」と思います。

もう一つ、位置的に見ても新潟県は東北といえるのではないでしょうか。
北緯37度線が通る県には福島・新潟・栃木・群馬・長野・石川・島根(竹島)があるわけですが、栃木・群馬・長野県では37度線を超えるのは県のごく一部、石川県も能登半島の北半分ですね。
一方で新潟県は県域の大半が37度線以北にありますが、県域の大半が37度線以北なのは上記の県では他に福島県だけです。
また新潟県は新潟市のすぐ北、佐渡島の中央には38度線が通りますが、38-39度のところには山形・宮城県の大半と、秋田・岩手県の一部まで入るわけです。

これらの点から、私は「東北7県」を支持します。
[7521] 2003年 1月 9日(木)23:58:58Firo さん
Re:宮ヶ瀬/新潟の所属・県民性
[7470]issie先生
そうですね。宮ヶ瀬は私も思いついたのですが、確かにライトアップされてたり、清川村は、
他にこれといった産業もないですし、でも、考えてみれば「ダム」なんですよね・・・
それが、素朴な疑問として残ったので・・・
それから、三浦市は観光資源もありますけど、やっぱり三崎漁港や農業のイメージが強いですね。
[7486]issie先生[7496]越後系下総人さん
新潟の所属については、確かに難しいですね。信越、北陸、中部、東北、う~ん。
でも、中部地方という捉え方は最近はまずしないですね。
信越という捉え方は、天気予報もそうですけど、郵便局を統括する地方郵政局のグループ分けで
使用されています。新潟県、長野県で信越郵政局を構成しています。
もっとも、これは、地域性というよりは、いずれの県も面積が広く、局数も比較的多いからだと
思われます。
そして、文化的なつながりなどからすると、私も新潟は東北の方がふさわしいかなというように
思います。
私の父が所有していた、もう30年以上前の帝国書院の地図帳では、新潟県は東北の所属になって
いた記憶があります。
歴史的な面や、共通した苗字が多い点など、特に山形県などとのつながりが深い印象があります。
それから、新潟県人は他地域と比較して明確な県民性があるように思います。
新潟県人は特に郷土愛みたいなものが強い気がしませんか?
新潟出身の著名人、たとえば、故三波春夫さん、林家こん平師匠、以前ここでも話題になった
漫画家の魔矢峰央氏などを見ているとそんな気がするのですが
[13859] 2003年 4月 23日(水)22:50:50三丁目 さん
三重県は中部地方
[5462]二ジェガロージェッツさん
このうち、「道州制案」は(中略)北海道、東北(6県)、関東(山梨を含む1都7県)、北陸(長野を含む5県)、東海(三重を含む4県)、近畿(2府4県)、中国(5県)、四国(4県)、九州(7県)

[11116]なもさん
近畿地方(2府4県)の中心点→大阪府 堺市から沖合4㎞の大阪湾上

2府4県で検索したら、過去の記事は2件だけ検索できましたが、私がかねてから不思議に思っていたのは、確かに経済圏として、中部地方(愛知県)との結びつきが強い一方で、県の一部は関西圏のベッドタウンでもあるという不思議な立地の県ですね。でも、尼崎市で「近畿地方は2府4県」と習った記憶があるので、疑問の余地のない話だと思っていました。2府4県は、私にとって固有名詞のような感じです。ちょうど、「関東地方は1都6県」と高崎で教わったのと同じように。
都道府県のことを習う小学4年生の、8月に転校したから、私にはこのような記憶があるのですけどね。

だから、私には三重県が近畿地方に入るとなると、非常に違和感があるのです。え?中部地方じゃないの?という感じです。近畿に入ってくるなよぉ、とまで言っちゃいましょうか?

中部ではないとすれば、ニジェガロージェッツさんがご紹介されている、東海、でしょうかねぇ。
[13866] 2003年 4月 23日(水)23:28:31三鈴 さん
中部圏開発整備法
[13862]YSKさん
近畿地方の範域を規定している根拠の1つに、「近畿圏整備法」があります。
中部圏開発整備法の第2条第1項では、
この法律で「中部圏」とは、富山県、石川県、福井県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県及び滋賀県の区域を一体とした広域をいう。
と定義しています。
三重県のみならず、福井県や滋賀県も、中部地方と近畿地方の両方に位置づけられているのですね!
[14602] 2003年 5月 3日(土)17:28:51【1】まがみ さん
東海および中京について
[14020]三丁目 さん
三重県さん、しつこいようですが少なくとも、近畿地方ではあなたのことをお仲間とは思っておりませんので、あしからずぅ。あ、でも、もしかしたら関西地方という括りだとお仲間なのかな?
私は「近畿地方」をどう教わったかは忘れてしまいましたが、確か「中部地方」は9県だったと思います。すると三重県は近畿地方になるわけで。

教科書的な区分の仕方だと、中部地方は、
北陸新潟県、富山県、石川県、福井県
中央高地山梨県、長野県、岐阜県
東海静岡県、愛知県
北陸、中央高地、東海という分け方は、主として地形的な面を重視したものでしょうか。この点、海に面しておらず、しかも旧“東海道”が通過していない岐阜県は「東海」の範疇に含めません。逆に、海に面し“東海道”に相当する静岡県は「東海」に含むとします。

#静岡県には特急「東海」が2往復走ってるし(^^;

一方、「中京」という区分は、中京工業地帯という名称にあるように、地形的というより経済的な面からの区分と考えます。愛知県のほか、岐阜県美濃、三重県北部も含むでしょう。県単位で区分せよ、と言われたら、愛知県・岐阜県・三重県かな(面積の大小ではなく、経済規模などから考えると)。

また「関西」は、その定義から判断して、三重県全域が含まれるのではなく、伊賀地方のみが該当すると考えます(YSKさん[13862]参照)。ただ、和歌山県南部・三重県南部・奈良県南部については、私は「関西」という感覚がないのですが、そのあたりに居住している方の意識としてはどうなのでしょうね。

従って、「中部地方(下位区分として北陸・中央高地・東海)」「近畿地方」という区分と、「中京」「関西」という区分は、異なる次元での区分と考えていますので、どの県がどの地方に属するだとか、両者が競合することはないと考えます。

もっと言うと、最初に区分ありきだったのじゃなくて、ごちゃごちゃ色々とあるのを纏めてみよう、というのが「中部地方」「関西」みたいな区分を生んだわけで、もとより恣意的な面は否定できないでしょうね。地方区分というものは、「どれも正解」(Issieさん[428])というわけです。

また、テレビ等での天気予報は、
人々の移動可能性……京都の人が福井に出かけるときなどに、
京都にいながら福井の天気予報を見られると便利
気象観測点の制約の克服……たとえば兵庫県尼崎市に住んでいる人は、
兵庫県南部の天気予報と同じぐらい大阪府の天気予報を気にする
などを考慮すると、どうしても広い地域の天気予報が見られると便利ですよね。そのあたりの利便性を考慮しているからこそ、東京での天気予報に山梨県や静岡県伊豆地方の予報もあわせて放送したり、大阪での天気予報に福井県南部や香川県・徳島県の予報もあわせて放送しているのでしょう。

▼ネットで調べたらこのようなページを見つけました
(新潟県に所属について)http://mytown.asahi.com/niigata/news02.asp?c=5&kiji=242
(東海地方について)http://www.biwa.ne.jp/~toda-m/hometown/tokai.html
[15947] 2003年 5月 26日(月)13:47:07NS さん
中部地方の区分
[15944]紅葉橋瑤知朗さん
「全国市町村要覧」によると、新潟・富山・石川・福井県と山梨・長野・岐阜・静岡・愛知・三重県が分かれて統計が載っていました。
 前者は「北陸」としか呼びようがないです。後者は「中部」?
いくつかの企業や団体の区分等を見るに、
前者の区分ならば広義の「北陸」以外なら「北越」ではないでしょうか(狭義の「北陸」(富山・石川・福井)+「越後」?)。
後者なら「東海・甲信」でしょうし(広義(?)の「東海」(岐阜・静岡・愛知・三重)+「甲信」(山梨・長野))、そこそこ使われているようです。

[15945]ありがたきさん
「北信越」・・・北陸3県と新潟・長野の計5県を指す言葉
山梨は関東と一緒
「北信越」は「北陸」+「信越」(長野・新潟)ということでしょうから、そうなりますね。この場合、大抵三重は東海に入るでしょう。
[16084] 2003年 5月 29日(木)00:16:04【2】ありがたき さん
タマゴが先か、ニワトリが先か
[16076]紅葉橋瑤知朗 さん

越前と越中は越後とは遠い親戚くらいにしか思っていないものなの?

このタイトルを見せて頂いてまた改めて感じる事ですが、「永遠のテーマ」ですよね。「北陸道」「越前・越中・越後」の名称から、「北陸地方」には新潟を含む説もうなずけるのですが、[16080]雑魚さんが述べていらっしゃる
越前や越中から見た越後というのは、糸魚川の前後で連続する大地溝帯絡みの急峻な海岸線から、ある程度、地形的、経済的、文化的な隔たりはある様に感じますね。
というお話があっての「北陸」から新潟県は除くというのが、「元石川県民」である『わたし個人』の感覚です。あと、3つの「越」をひとつのグループに見る事に関しては、石川県が「越」を名乗っていない事からもあまりピンとこないというのが正直なところです。

省によって分け方が違うのが、いかにもお役所らしいです。

に関して、確かにお役所らしさ満点ですね。しかし、見方を変えて、状況状況で柔軟に対応している結果が省ごとに違っている理由と考えれば、これを「縦割り」とは見えなくなるかと。全ての行政サービスが、その管轄の本部まで行けと言われるのであれば大問題でしょうが、きちんと支所(支署)が設置されている訳ですから、受益者(住民)にとってはヘッドクォーターがどこにあろうと正直関係ないのかなとも。
余談。手前味噌ですが[15240]にまとめた税関の管轄については、新潟と富山の間に境界線があり、更に長野県も別管轄というのが珍しいかと思います。

答えを出すつもりではないのですが、わたしの中では「広義の中部地方」は愛知・三重・岐阜・静岡・山梨・長野・新潟・福井・石川・富山の10県で、そのうち「中京地方」が「愛三岐」と同一で愛知・三重・岐阜の3県、「東海地方」が愛知・三重・岐阜・静岡の4県、「北陸地方」は福井・石川・富山の3県、「甲信越地方」は山梨・長野・新潟の3県、さらに絞って「甲信地方」の山梨・長野、「信越地方」の長野、新潟、とこんな感じで線引きがフラフラします。
これらとは別の解釈で経済圏として見れば、近畿圏には2府4県に三重県と福井県嶺南地方を含めるのも有りだと思いますし、首都圏に山梨県を入れるのも有りだと思います。
[16142] 2003年 5月 30日(金)02:06:56紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
東山(とうさん)はつぶれない?
 自分色登録が成りました。これからもよろしくお願いいたします。

[16095]uttさん

>省内でもバラバラ

 統合からもう2年以上経ちましたね。
 まあ、同じ省になったからと言って、目的が違えば区割りも違ったって構わない。
 と言いつつ、人事異動の場合、混乱しそうではあります。

[16113]kenさん

>「中部地方」という概念自体が、もはや地域的一体性のないお役所的、便宜的区分なのかなあ、と思います。

 「中部」というのは、他の地域区分と比べて浮いていると思います。いかにも取って付けたような、という感じです。

>乞うご批判(笑)

 全部引用すると長くなりますから、何のことか知りたい方は[16113]を見ていただくことにして。
 人口バランスを加味すると、どうしても大都市圏が細かくなりがち。少ない地域だと、面積がだいぶ広がりますね。
 やっぱり北海道は北海道のままでしょうね……。

[16116]ありがたきさん

>「越前」「越中」「越後」のどれも、ほかの地域と結ぶ鉄道や道路の命名の時の略が「越」で、ややこしいですね。

 わたしは、まだ小学校以来の学習机を利用していますが、上のマットも当時のまま。
 「乗ってみたいな日本の鉄道」と題して、「時速250メートル 新幹線」懐かしの0系が……。
 さて、ちょうど手前左側に「加越」(米原―金沢・富山)、右側に「北越」(福井・金沢―新潟)が載っています。
 同じ「越」ですが、前者は「越中」、後者は「越後」なんですね。

[16123]Issieさん

>「岐阜+長野 <美濃・飛騨・信濃」には「東山(とうさん)」という括り方があります。「東海」とは,元の 伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆,つまり「三重+愛知+静岡+山梨」。“箱根と碓氷の向こう”は,「関東」として別扱い。

 偶然ですが、昨日、図書館で「日本史総覧」(新人物往来社刊)を読んで来ました。「北陸」は例の4県、「東山」(一般の変換方法では出ませんね)山梨・長野・岐阜、「東海」が静岡・愛知・三重県。
 <「東山地方」とは何ぞや>と思ったばかりだったのです。今度は山梨県が問題児(県人の方申し訳ありません)?!

>もしかしたら,現在の47都道府県をピースにしてパズルの組み換えをやっている限り,“より合理的”な地方区分は生まれてこないのかもしてませんねえ

 都道府県の枠組みを廃して「道州制」などに組替える時、いったん白紙から考えてもらいたいですね。覚えるほうは大変ですが(老後の楽しみになりそう?)。
[16174] 2003年 5月 30日(金)20:42:43【1】Issie さん
甲斐国の所属
[16141] ken さん
千葉県には支庁があり、千葉県のサイト上や、県の各種資料での支庁の並び順は

ああ,そういうものもありますよね。
支庁の場合もそうですが,千葉県では郡区町村編制法下の「千葉市原郡役所」以来,千葉郡と市原郡とはセットに扱われることが多いですから(私が受験した頃の県立高校の学区も千葉市と市原市は確か同じ学区でした。もっとも,私は直前に県立高校を受けるのをやめましたが。私は旧千葉郡=習志野市に住んでいたので,私が受けようとしたのも旧千葉郡=千葉市の高校でしたよ),そうすると
 千葉→市原→東葛飾→…
という順序となるのかもしれません。
…とは言っても,自治体コード導入直前の統計では前に述べたとおり,安房郡から房総半島を北上しているわけだし,導入当時は既に消滅していたのだから,「本来どこに入るだろう」なんてことをここで想像してみてもあまり意味がないような気もします。

[16142] 紅葉橋瑤知朗 さん
今度は山梨県が問題児

古代の区分では,甲斐国は「東海道」に所属します。

律令制の下での「道」には「国」の上位の行政区分としての意味と,各国府を結ぶ官道そのものを指す意味の両義がありました。中央からの命令や地方からの報告,あるいは地方同士の情報はこの官道を「逓送」することで末端まで伝えられました。「道」とは,その逓送ルートでもあったのです(「逓送」って,職務上あたしもよく使うんだけど,これって,やっぱ「お役所言葉」かしら)。
奈良時代,「東海道」は駿河国府(静岡)から足柄峠を越えて相模国府(大磯),三浦半島の走水(横須賀市)から浦賀水道を渡り上総の天羽郡(富津)で上陸して,上総国府(市原)→常陸国府(石岡)というルートが幹線とされていました。これに,短距離の支線が伊豆国府(三島),下総国府(市川)へ分岐し,さらに長い支線が現在の御殿場付近で分岐して篭坂峠・御坂峠を越えて甲斐国府へ向かっていました。
(甲斐国府の所在地は「甲斐府中=甲府」ではなく,現在の石和のあたりと考えられています。現在の「甲府」,すなわち甲斐府中が成立するのは中世の武田氏の支配下でのことです。おそらくは,律令国制が形骸化した後,源平抗争期から鎌倉初期にかけて,甲斐源氏の本流として甲州一円に支配権を確立した武田氏が国府の機能を吸収したことによるものだと思います。)

一方,「東山道」は近江から不破の関(関ヶ原)を越えて美濃に入った後,現在の中津川から木曽へは入らずに神坂(みさか)峠を越えて伊那谷へ入った後,善知鳥(うとう)峠から松本平→上田平を経て(信濃国府は当初上田にあったものが,後に現在の松本に移転した,と考えられています),碓氷峠から上野(こうずけ)→下野→陸奥・出羽,とつながっていました。

「武蔵国」は当初,東山道に属していました。
東海道の相模国府(大磯)から分岐して,現在の海老名・町田あたりを通過して武蔵府中に至り,さらに所沢→(東)松山を経て高崎・前橋あたりで東山道に合流する,という支線ルートがありました。
で,奈良時代には武蔵国府へは東山道本線上の上野国府から向かうというルートがメインとされていたのですね。だから,武蔵は東山道に属していました。
しかし,奈良末期から平安初期にかけての時期に,「東海道」の本線ルートの変更が行われて,相模国府から海老名(実は,相模国府の所在地には“大磯説”と“海老名説”の2つがあります。)→町田→関戸(多摩市)→武蔵府中を経て,豊島から荒川・利根川(中川・江戸川)下流の低湿地を突っ切って下総国府,さらに常陸国府へ,というルートに付け替えられました。その結果,武蔵は「東山道」から「東海道」へ所属替えになっています。

だから,再度整理すると
<東海道>:伊賀→伊勢→志摩→尾張→三河→遠江→駿河→伊豆→甲斐→相模→(武蔵)→安房→上総→下総→常陸
<東山道>:近江→美濃→飛騨→信濃→上野→下野→陸奥→出羽
となるのです。

けれども,戦国末期の武田氏支配以来,“東海道”の甲斐と“東山道”の信濃との結びつきは強いですよね。
武田晴信(信玄)の後継者は「諏訪四郎」勝頼でした。織田・徳川連合軍の高遠攻めで討ち死にした信玄の五男は,松本平北部の古代以来の豪族の名跡を継いだ「仁科五郎」盛信でしたね。武田氏滅亡後,三・遠・駿・甲・信の5ヵ国は徳川家康の縄張りとされたのでした。
後北条氏滅亡後の豊臣政権期から江戸時代,この地域は細切れにされますが,特に甲州と信州の諏訪・松本地方との結びつきは強まりますよね。
方言区分でも,この地域は「~ずら」圏としての特徴を共有します(下伊那南部と木曽は,信州のほかの地域とかなり方言的特徴を異にします。また,千曲川流域の東北信地域の方言も,諏訪・松本地域とは微妙に違います)。その点では,同じ「東山道」の美濃・飛騨よりも,甲州との共通点の方が多いかもしれません。

実は,「東山地方」という表現がしばしば使われるのは方言研究の分野なのですが,この点では甲州(山梨県)や,場合によっては駿河(駿豆地方出身の学生が「~(だ)らぁ」というのを,学生時代によく耳にしました)も含むのが妥当なのかもしれません。
つまりは,「フォッサマグナ」の西を限る「糸魚川・静岡構造線」沿いに特徴を共有する方言が分布する,ということです。

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