こんばんは、じゃごたろです。
まずは、
[74345]グリグリさん、さっそくの対応ありがとうございました。まったく内容に変化を与えないのですが、微妙に動くのは美しくないので指摘させていただきました。
おそらく、「ポイントしたときに表示する」か「表示しない」のどちらかではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
特になにも設定していないのですが、Yahooなどで見ると、記事名は普段は下線なしでポイントしたときだけ下線が表示されるというもので、おっしゃるとおりでした。
では本題。
タイトルは、先週の3/13の長野日報朝刊の一面記事です。冒頭の要約の引用すると
岡谷市の人口(2月1日現在)が前月比45人減の5万2961人となり、5万3000人台を割り込んだ。5万2000人台は1960年以来。第4次総合計画(2009~18年度)で目標人口を5万3000人とする市は、・・・(以下省略)
とのこと。縦書きの記事を横書きにそのまま写したため、数字の表記に一部違和感がある方もいるとは思いますが、そのまま引用しました。
人口面ではかつては諏訪地域の筆頭だったのが、茅野市に追い抜かれ差がひらく一方。岡谷市は山麓の傾斜地も含めほぼ開発し尽くされているのに対し、茅野市は八ヶ岳山麓の広大な農地が徐々に宅地化されていて、まだまだ大きなキャパシティーがあります。諏訪出身でない知人が建てたマイホームの多くは茅野市か原村、富士見町などの八ヶ岳山麓を有する自治体です。
さて記事には人口の推移の棒グラフがあり、そちらも興味深いので、数値だけでも引用います。
年 | 男 | 女 | 計 |
1930 | 24446 | 52116 | 76562 |
1935 | 21896 | 37889 | 59785 |
1940 | 22060 | 34497 | 56557 |
1947 | 23457 | 28543 | 52000 |
1950 | 23357 | 27243 | 50600 |
1955 | 23472 | 27053 | 50525 |
1960 | 24627 | 27629 | 52256 |
1965 | 26943 | 30043 | 56986 |
1970 | 28722 | 31628 | 60350 |
1975 | 29632 | 32144 | 61776 |
1980 | 29936 | 32274 | 62210 |
1985 | 29904 | 31843 | 61747 |
1990 | 28985 | 30864 | 59849 |
1995 | 28210 | 29846 | 58056 |
2000 | 27644 | 28757 | 56401 |
2005 | 26697 | 28002 | 54699 |
2010 | 25737 | 27224 | 52961 |
近年では、戦後から高度経済成期に人口が増え続け1980年前後にピークを迎え現在に至ります。そこから30年で約一万人近くの人口が減少したわけですが、この減少率は多い方なのか少ない方なのか。
しかし最も注目すべきなのは、年表最初の1930年の人口が76000人以上であること。女性の人口が男性のそれの二倍以上であることからも、製糸産業華やかし往時に多くの女工さんがこの地にいたという状況をうかがい知ることができます。
私は野麦街道を継承した県道39号で野麦峠を通過したことがありますが、あんな人煙稀なる険しい峠道を女性が飛騨から信濃へと来たのかと思うと、想像を絶するものがあります。しかも野麦街道は現在の道路ではなく、地図上では登山道として記載される直線的なもので、かなりの傾斜だったことを覚えています。
以上この話題は、先週末書き込もうと思って今日に至っているのですが、新たに製糸業つながりでも一つの話題があります。これも3/15の長野日報朝刊の一面。
富岡市の「仏式繰糸機」復元事業
設計図貸与に賛否
という記事。要は富岡市が製糸業で使っていた仏式繰糸機の復元事業のために、岡谷市が所有する設計図を貸してほしいということに、岡谷市側では賛否あるということです。
富岡市は、「富岡製糸場」として社会の授業で一度は耳にしたことがあると思います。また、この富岡製糸場関連がユネスコの世界遺産暫定リストに登録されているのをご存じである方も多いと思います。
で、前述の新聞記事です。
記事によると、富岡市は世界遺産の登録に積極的であるが、当時の繰糸機がない。国内では唯一、姉妹都市である岡谷市に現存する。さらに岡谷市には、当時のものではないが1999年に復元した復元機の設計図があり、富岡市はそれを貸して欲しいということ。それで新たに繰糸機を作成して、訪れた方々に体験できるものを作りたいということらしいです。
この貸与するかどうかに賛否両論あるようです。岡谷市が独自に作製した復元機の設計図は知的財産であるということと、富岡市に貸与しても岡谷市には全く利益がなく、即決できないようです。
はてさて、その後の行く先はいかに、といったところです。