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スナフキんさんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[53081]2006年8月6日
スナフキん
[52960]2006年8月3日
スナフキん
[52907]2006年8月1日
スナフキん
[52876]2006年8月1日
スナフキん
[52722]2006年7月28日
スナフキん
[52475]2006年7月20日
スナフキん
[52394]2006年7月18日
スナフキん
[52298]2006年7月16日
スナフキん
[52155]2006年7月13日
スナフキん
[52091]2006年7月8日
スナフキん
[51985]2006年7月4日
スナフキん
[51952]2006年7月2日
スナフキん
[51779]2006年6月16日
スナフキん
[51735]2006年6月12日
スナフキん
[51725]2006年6月12日
スナフキん
[51661]2006年6月5日
スナフキん
[51534]2006年5月29日
スナフキん
[51474]2006年5月25日
スナフキん
[51452]2006年5月23日
スナフキん
[51339]2006年5月15日
スナフキん

[53081] 2006年 8月 6日(日)00:49:47スナフキん さん
教育用地図帳のこと、地図屋としての、その悩み
レスしたい書き込みはいくつかあるのですが、その前に。

まず始めに、教育用地図帳とよりどころについての問題は、非常な複雑な事柄を内包しています。多方面から様々な書き込みが見られますが、私自身もそのすべてに目を通し、かつそしゃくしているわけではないので、この書き込みは私からの一方通行気味になることをお許しください。

くだけた話、私自身は恒常的な作業担当としてではないものの、教育用地図帳の編集・制作作業に携わった経験があります。ですから、ある程度の事情は飲み込めているつもりです。しかしそれとは別に、自社が独自に出版している地図帳の記載事項について問い合わせがあった場合、私はかなりの確率でこんなニュアンスでもって答えています。

「学校教育で使用されている地図帳には、そのように記されています。弊社ではそれをひとつの基準として、地図帳の掲載内容を編集させていただいております。」

これが例えば日本の自然地名や標高数字になってくると「国土地理院」を引き合いに出します。字名クラスだと「国土行政区画総覧」の存在を示し、典拠であると説明することも。海外の山岳標高になってくると「理科年表」が重要なバイブルとなります。モノによって参考資料は異なりますが、教育用地図帳による部分は多いと言えるでしょう。あまりここで例示すると企業秘密および取引先との守秘義務に抵触するので、変に詳しくは書けませんがご勘弁を。

上記の返答内容に「教育用地図帳は正しく、絶対なものである」とはどこにも見えません。しかし、相手方には「教育用地図帳は正しいのだな」と抱かせるには十分な内容でもあります。そういう意味では、私の応答内容は決して好ましいものではないのかもしれません。

ですが、ちょっと言い訳をさせてください。それならどうやって相手に納得してもらえばいいでしょうか? 台湾は中国と同じ色が伏せてあるが別の国ではないのかとか、樺太のかなりの部分が白く抜けているが印刷ミスではないのかとか、問われた時に答える手段としてやはり教育用地図帳を出す以外に有効な手段がないことが多いのです。

確かに、私も前述のように編集経験があるので教育用地図帳こそが絶対の信頼を置けるものだとは思っていません。「大和…」の例を引き合いに出すまでもなく、日本国内でさえ地域によって地名呼称が変化することは決して珍しいことではありません。多分書いている私以上に皆さんがそれをご存じでしょう。しかし、日本国中ほとんどの人が1度は手にした事のある地図として、教育用地図帳の存在があるのは事実として動きません。問い合わせの相手は地図の記載内容に疑問を抱いているわけですから、それを受けているこちらとしては納得してもらえる一番いい方法(無難な方法、に置き換えられるかもしれません)を探さなければなりません。

論争を巻き起こすつもりはないのですが、結局自分では欠点・短所が分かっていても教育用地図帳にはその浸透度の点から、どうしてもしがみつかざるを得ない、そんな矛盾があります。私が答えている内容は世間に誤解を与えているのかもしれませんが、それはどうしようもなくやむを得ずのことと、納得していただきたく思います。
[52960] 2006年 8月 3日(木)16:28:24スナフキん さん
上福岡七夕まつり、事実上の中止へ
あんまり気になるので先ほど、アクセスが極めて集中していてブラウズ困難な我が市役所のホームページを確認したところ、本日付で急きょ、週末に行われる予定だった「上福岡七夕まつり」が規模を大幅縮小する旨のアナウンスが行われました。市では最大のイベントを縮小する理由は言うまでもなく、プールでの死亡事故に他なりません。市内の小・中学校プールの使用停止に続き、市民、ことに子供たちの夏の楽しみが大人の不始末で奪い去られるという、恐れていた事態にまで発展してしまいました。市役所自体がお祭り気分でないのは明白ですが、こんな形で悪いニュースが重なる自分のまちに、いったいどういうふうに接していいか、どんな姿勢で向き合うべきかも分からなくなります。事故後の情報はその後も毎日のように続報が伝えられ、ネガティブイメージは増幅されるばかりです。

「縮小」と言うと聞こえはいいですが、中止イベント欄にはほとんどが記載されており、竹飾りは実施するとは言えもはや「中止」といっていい縮小内容です。さすがに露店は、金銭が絡むためにドタキャン状態の今回の縮小にそれほど同調しないと思いますが、客足が大きく落ち込むのは決定的です。

いいニュースが欲しいのですが…どんどん泥沼化していく自分のまちに、市民としてどうしていいか分からず辛い心境の日々が続きます…ふぅ。
[52907] 2006年 8月 1日(火)23:39:13スナフキん さん
合併も遠い一要因なのか…
[52893]k-aceさん
フォローありがとうございます。件の記事、私も指摘以前に目を通しました。私が書き込んだ後に調査の結果分かった事実のようです。

私があえて「原因はともかく」とグレーな表現を使ったのは、合併が遠い原因であって欲しくないと思う反面、実際には遠い原因として指摘されるのかもしれないなという懸念も持っていたからでした。その懸念が当たってしまったようです。

ただ、記事中には住民として疑問を感じる部分もあります。生命に関わる「点検」という重要な業務の頻度を半減させたのは言語道断ですが、その理由として挙げている「合併で管理施設が倍増し職員の手が回らなくなった」という点です。実は、合併後の「ふじみ野市」は、旧上福岡市が管理していた市営プールも保有しています。今回事故の起きた旧大井町管理のものと合わせれば倍増したことになるのですが、この旧上福岡市管理のプール、シーズンが始まる直前になって「低湿地で、しかも廃棄物の直上に建設したために、ひび割れ部分から有害物質がプール水に混入する恐れがある」というとんでもない事実が急浮上し、この夏の営業を取り止めたというすったもんだがあったばかり。よって、単純に考えれば営業を取り止めた側の職員を回せば従来通りの点検体制はとれていたはずで、「職員の手が回らなくなった」というのはどうもその場しのぎの言い逃れに聞こえます。第一、手が回らなくなったからと言って、手を抜けば重大な事故を引き起こしかねないことが容易に想像できる点検業務頻度を半分にしていい、はずないですよね。市民の、いやここは市の境界線に近いですから、近隣住民の生命を軽んじていると責められても仕方のない対応です。ここに住まう一市民として、情けないとしか言いようがありません。

もっとも苦痛なのは、「あぁ、死亡事故を起こしたプールのある、あの市ね」と他の人から自分の住所について言われ、思われること。自分には何の非もないのに、周りからこんなレッテルを貼られるのは、辛いです。汚名を返上する、何か明るいニュースが、ふじみ野市に欲しいです…。
[52876] 2006年 8月 1日(火)09:24:39スナフキん さん
新しい市町村の名前、もっと「いいこと」で有名になってほしい…
周知の通り、私の住む市で、何とも痛ましい事件が起こってしまいました。市が運営・管理する施設で、原因はともかく幼い子供がなくなったのは事実です。プール排水溝絡みの事故、なかなか根絶できませんね、どうしてなんでしょう。

常日頃思うのですが、合併して新しくなった自治体の名前、もうちょっといいニュースで全国に知ってほしいものだと思うのは、多分合併した自治体に住まう私だけではないでしょう。合併直後に市民病院で不祥事が発覚した「射水市」、殺人事件で全国ニュースでも連呼され続けた「洋野町」、5億円強奪の犯人逮捕でこれまた連呼された「下野市」、そして今回の「ふじみ野市」…。その意味では旧「二ツ井町」を含む新「能代市」もこの中に入ってしまうかもしれません。「洋野町」は直前にロシアからの一時帰国ニュースで大きく名を売っていたのでまだ「まし」ですが…。

しかも、市内最大のイベントで最も周辺からの集客があるとされる「上福岡七夕まつり」を週末に控えた、その週初日の事故でタイミングも悪すぎます。それとこれとは関係ない、と言ってしまえばそれまでですが、お祭り気分に水を差す事故だったのは間違いなく、私自身もテンションが物凄く下がりました。

嫌なニュースがことさら目立つ昨今の社会情勢と、合併が繰り返された地方自治体を巡る情勢とをごっちゃにするのはおかしいかもしれませんけど…もうちょっと、いい世の中になってほしいものです。

最後に苦言。最近、「ガイドライン」をきちっと把握していないと思われる書き込みが少し目に付きますね。オーナー自身がおっしゃっているように、ここは自由広場ではありません。自分ただ一人の独りよがりで、文章を書き連ねる場ではないはず。私にはそれら書き込み、個々人の思い込みによるところを強く感じます。プレビューで読み返す習慣をつけたほうがよろしいかと。
[52722] 2006年 7月 28日(金)00:23:40スナフキん さん
線路廃止の後(跡?)のはなし
[52711]みかちゅうさん
鉄道の話題なので、食い付きます。ただし、ヒンシュクものにならない程度に…(汗)。

横川-軽井沢、鉄道復活へ
確かに夢のある話ですね。記事を見る限り、実現性もそれなりにありそうです。ただ、ハードルは決して低くはないでしょうね。一定の需要が見込めるかどうかはともかく、この区間はそれなりの距離があります。現在のトロッコ運行体制をそのまま持ち込むことは事実上不可能でしょう。そうなると、一旦は止めた電力再供給の問題が発生します。仮に線路は単線化するとしても、距離は長いですし自然条件および線路の敷設条件も厳しい区間、保守の手間は想像以上のハズ。すでに廃止後10年近くが経過し、一部朽ち始めている施設群再整備の問題や、本格的にやるとなれば必要になる専用機関車の耐用年数の問題も浮上するでしょう。季節営業などと中途半端にやってしまうと、非営業期間に軌道は荒れまくります、それは黒部峡谷鉄道や立山砂防軌道など先例が教えてくれていること。今後どうなるのか、単に鉄ヲタとしてのみならず地図編集者としても注目です。

廃線区間が点線で記入されているのは編集者の趣味なんでしょうか?
少しでも復活の話がある部分については、表現上含みのあるものにしていますね。北海道ちほく高原鉄道や高千穂鉄道でも同様の表現が見られます。「趣味」と言うより、次回改定時万が一復活した場合の痛みが少ないように、という予防的意味合いが強いものと思われます。ただ実際には、データ上残しておいて色を入れない、あるいは隠してしまう、と言った芸当はできるはずなので、それをやらずにあえて線を表現しているのは類似例があることも考えると、統一した社内見解に基づくものではないかと推測します。こういう時は、道路地図でない他のガイドブックなどの表現も見てみると、会社としての主張が見えてくることも。会社として「何が何でも残しておけ」ということなら、書物が変わっても表現上廃線が消えてなくなることは考えにくいです。逆に「本によって、良きにはからえ」であれば消されてしまう可能性が高いですね、本来必要でない線ですから…。
[52475] 2006年 7月 20日(木)09:24:38【1】スナフキん さん
出先での被災は、嫌ですねぇ
[52462]いっちゃんさん
ヴェネチアと化した松江の街。結局市内での予定はキャンセル。ホテルから駅へ向かう際には靴を脱ぎ、ズボンを膝上までまくり、裸足でジャブジャブと歩きました
何だかコントチックに軽いタッチで書かれていますけど、実はこれってすごく大変なことなのでは…。ホテルの場所がどこだかはっきりしませんが、私も松江には2泊した経験があります。松江温泉に近い官庁街の方なら、JR松江駅まで歩くとちょっとした距離になるはず…裸足で歩く勇気は私には起きそうもありません(汗)。

お仕事で行かれていたようなので止むを得ない行動だったのでしょうね。私も(数少ない)出張で仙台に出た際、時ならぬ春の大雪で仙台駅前がグッシャグシャだった経験はありましたが…今回の災害とは、比になりませんね。しかもその翌日、地下化を果たした仙石線の陸前原ノ町まで現地調査に行けているし(爆)。

私が出かけた先で悪天候にたたられることは、仕事で出ることは少なくても旅での遭遇率は結構高い方かも。そのほとんどが集中豪雨による鉄道の不通という形で行程に悪さをするというもの。全く動きが取れなくなるまで至っていませんが、その場における臨機応変かつ適切な対応をしないとどんどん深みにはまって選択肢がなくなる可能性があり、こればかりは旅慣れておくしか対処法はないのかもしれません。いずれにしても、出先で被災したときの記憶ってそこに極端に凝縮されてしまって、他の印象が全部薄れてしまうんですよね。不慮のトラブルはないにこしたことはありません。そんな中、十番勝負に挑むいっちゃんさんは、やはり並大抵の人物ではありませんね(笑)。

以上、いっちゃんさんのお勤め先とタッグを組むことになりそうなバス会社を利用して、やっぱり不慮のトラブルに巻き込まれてしまったスナフキんがツラツラと書いてみました。
[52394] 2006年 7月 18日(火)17:00:03スナフキん さん
北海道、少しレス
十番勝負ですぐに流れていってしまいそうなので、少しだけのレスを。

[52330]星野彼方さん
羊蹄山もさらには駒ヶ岳もずっと雲の中でまったく見ることが出来ませんでした。
北海道でも、安定して山塊が望むことのできる山って、意外に少ないのかもしれません。まっかり温泉で地元の雑談を聞いていても、羊蹄山が全部見えることってそんなに多くないのだとか。駒ヶ岳は私、東室蘭を出た先で寝台列車の車窓から噴火湾の向こうにきれいに望むことはできました。北海道で晴天率の高い場所って、どこなんだろう? 話はそれますが、室蘭の先で駒ヶ岳に対峙するのは自分には何か変な感じです。これから噴火湾沿いを半周していってあの麓を目指す、と頭で分かってて地図も眺めるのですが…正面に見える山が道南の盟主・駒ヶ岳というのはやはり妙に感じてしまいます、なんででしょうねぇ?

こんなことを事前に見聞きもしていなかったのですが、ちょっと気づいたこと。帰りの北斗星2号で車掌の案内曰く、「函館の次は、明朝福島到着…」え、青森は? さらに曰く「車掌は蟹田まで乗務します…」あれ、青森ぢゃなかったっけ? さらに日付が変わってもっとびっくり。確か千歳線や室蘭線・噴火湾沿いでは個室に座って背中向きに走っていたはず、それなのに起床したら自分は進行方向に向かって座ってる??? 進行方向を2度変えるなら同じように背中向きに走っていなければならないはず。戻ってきて時刻表を調べてみて、今年春の改正でコッソリ、北斗星の全列車が青森「駅」を経由しない短絡線を通るようになったこと、それに伴ってスイッチバック・方向転換も函館での1回に減じられたことを、今更知りました。地図に全く関係のないこととは言え、時刻表を深読みしなくなった証拠ですねぇ…。
[52298] 2006年 7月 16日(日)22:56:05スナフキん さん
ミニトリップと、「未来予想図」のこと
本日は十番勝負開催日だったのですね。私は以前にも書きましたが、この手のクイズは苦手だし答えられないと何だか立場上恥ずかしいので、始めからサジを投げてます(大汗)。

それを放り出して、仲間と東急電車乗り回しをしてきました。いえ、ただ遊びに出たのではないのですよ。ちゃあんと、地図で直した通りに改良されているか、集めた資料の通りに工事が進んでいるかを見に行ったのです(精一杯の言い訳)。

つくづく思うのですが、ここまで改良工事や車両の取替えを熱心にやっている民鉄(JRは除く、という意味で)は、他にないのではないでしょうかねぇ…。東急線って、いつでも、どこかで、必ず線路が絡む工事をやっているような印象が強いです。

今回は、今月に入って劇的な地下化を遂げた目黒線不動前~洗足間、いよいよ高架駅部分が姿を現し始めた東横線元住吉駅、線路の一部切り替えも行われて工事が本格化している田園都市線二子玉川~溝の口間、余分な土地がほとんどないのに追い抜き設備を力ずくで作ろうとしている大井町線旗の台駅を中心に見て回りました。これらが完結しても、次に東京メトロ13号線と接着のための東横線渋谷駅地下化工事、さらにその後にはホントに実現するのかと首を傾げたくなる、大倉山から新横浜経由で横浜羽沢貨物駅に至る連絡線の建設が次々と控えていて、プロジェクトの完結は全然見えません。これら全部を地図あるいは路線図上に「予定線」として、本当に入れてしまっていいものかどうか…いま着手をしているものはともかく、青写真しか描けていないものは今後どうなるか全く不透明なので、怖くて書き入れることができていません。

地図にはよく「予定線」なるものが盛り込まれています。地図会社によって、その図の性格や目的によって盛り込み基準はまちまちでしょうが、実際に使う皆さんはどれくらいそれを気にしているものなのでしょう。現状を知る上では必要のない記述で、言わば「未来予想」の部分になるのですが…。

新アドレスになってのテスト書き込みにしては長くなってしまいました…。

ひとこと:誤解をはばからずに書いてしまえば、今回ますます目黒線が「地下鉄」だと思われるんではなかろうか(実際には地上部を走る区間も決して短くないのですが)と考え込んでしまいました。ちょうど、旧新玉川線がそうであったように。「地下鉄」という言葉は、どんどんボーダレスになっていき、やがては消えてしまうのかもしれません。
[52155] 2006年 7月 13日(木)16:59:51スナフキん さん
私も北海道に行って来ました
[52127]の星野彼方さんの書き込みにタイトルがかぶってしまいましたが、まあ事実なのでしょうがありません。書き込み内容も似てしまいますがご了承ください>星野彼方さん

今回の目的は…
1.現在、路線高速バス昼便としては最長走行距離を誇る「青森上野号」(運行:弘南バス)の乗車。3月の広島プチオフ時に乗った「弥次喜多ライナー」は当時最長でしたが、この5月に廃止となってナンバーワンが入れ替わったため、意地でも乗りたくなったもの。私はいつからこんな不健全でバカ旅好きになってしまったんでしょう…。

2.ここ数年満室で嫌われ続けていた、北日本一背の高いビル「JRタワーホテル日航札幌」への宿泊。昨年、バーで夜景は堪能できましたが、やっぱりホテルなら泊まらないと…。特定のホテルに泊まりたい、こんな欲求は今までありませんでした。

3.これも去年大雨で嫌われてしまった羊蹄・ニセコの山々の、神々しい姿を拝むこと。同時に去年入りこぼしたニセコ界隈の名湯にも入浴すること。
でした。

高速バスは、雨の中仙台近郊で高速道路の事故不通という最悪なハプニングに遭遇。仙台界隈は、高速道路と仲良く並行するはずの国道4号が大きく海側を迂回するため(逆に高速が山側を回るため、の方が適当かな?)、下道で不通区間をつなぐのが東北道では一番大変そうな場所。それを事前に心配していたのに、まさにツボにはまってしまうとは…参りました。見たいとも思わないのに地下鉄車両や仙台市営バスを見たり、国道4号の渋滞を経験するオマケはつきましたが、20分延ほどで青森終着し事なきを得ました。むしろその後入ろうと思っていた青森市内の温泉銭湯が廃業しており、汚い体で訪道する事になってしまったことの方がショック。

ホテルからの眺めは最高でした。ただ、当日日中に羊ヶ丘(はあんまり高くないけど)や藻岩山、観覧車ノリアなど高いところからやたらに市街を眺めていたので、夜景のインパクトはすごかったけど日中の眺めはまずまずといったところ。札幌ほど開けて巨大な街の眺めだと、どうしても大きすぎて捉えどころがないというか、どこを見ていいのか迷うというか、そんな感じがしてしまいます。コンパクトで、しかも街の形がはっきり浮き出る函館の夜景と比べると、スケールはともかく美しさという点で札幌のそれは劣ってしまうのかもしれません。けど、高性能デジカメを入手していたおかげで、今までとは比べものにならないくらい美しい夜景写真をホテルから撮ることができました。5万円の大枚をはたいて買っただけあり、さすがです。22階の温泉、こんな高層部で全裸入浴するなんて、自分の価値観では全く考えられないことのはずなのに、いざやってみると驚くほど違和感ないのが不思議でした。テレビ塔の時計を見下ろしながら髪を乾かしたり耳掃除したり…絶対におかしな体験なんですが奇異な感じはしません。あまり足元直下を見下ろしたりしなかったからなのでしょうか。ともあれ、札幌をまともに観光したのは恥ずかしながら、何度も北海道に来ていながら今回が初。ずっとずっと、いつでも来られるからと思って真面目に見ていなかったし後回しにしていたし…そんな人、他にいませんか?

訪道2日目、レンタカーで巡った羊蹄・ニセコとも、何とか中腹よりちょっと上までは見ることができました。まっかり温泉で粘ってみたけど、結局頂上の雲が取れたのは羊蹄南東方にある兄弟山稜の尻別岳のみ。逆にこの後雲は下りてきてしまい、夜には雨となり翌日までこれを引きずることに。今年も羊蹄・ニセコは私に笑顔を見せてはくれませんでした。麓の温泉は予定通りもれなく巡れましたが、何となく消化不良な感じです。ここ数年に限った話かもしれませんが、道南~道央南部では6月下旬から7月中旬にかけ、内地で言うところの「梅雨」に近い天気が数日続くことがあります。「北海道は梅雨がない」とはよく言われる話ですが、この定説も気候の変動によってなのか少しずつ揺れ動いてしまうのかも…。この時期は花も美しい時期を迎えるだけに、残念です。一面に咲き誇るじゃがいもの花は、雲のかからない羊蹄山の全容をバックに写したかった…。訪問はたったの1年ぶりだったにもかかわらず、プリンスホテルが全面撤退を表明したり、宿近くの昆布温泉郷でホテルが1軒閉業してぺしゃんこになっていたり…昨年、「ニセコは人口が増えている」と聞かされた同じ露天風呂で、一転この地域の先行きを案ずることになってしまいました。

星野彼方さんに似せて、私もざっと日程などを。

9日 上野→青森→車中泊
10日 札幌市内(札幌ドーム、羊ヶ丘、中島公園、藻岩山、北海道神宮、ノルベサ)→市内泊
11日 札幌→小樽→(レンタカー)→赤井川→京極→真狩→ニセコ泊
12日 ニセコ→倶知安→ワイス→小樽→札幌→車中泊

でした。入浴温泉は赤井川、まっかり、ニセコ新見、ニセコ昆布、ニセコ湯本、ニセコ五色、倶知安、ワイス。2日で8湯ならまあまあのペースでしょうか。湯疲れも、慌ただしい感じもそれほどしませんでした。数は多いですが移動距離が短かったせいでしょう。私の場合はすでに乗り潰しは終えている(諦めている?)のでノンビリ旅ができますが、星野彼方さんは乗り降り自由きっぷだったので余計に「元取らなきゃ」感があったのでは?
[52091] 2006年 7月 8日(土)22:59:54スナフキん さん
浦島太郎化(?)予告
ここのところ書き込み頻度が落ちていたところへ、明日からは北海道旅行も重なるので恐らく落書き帳上では「浦島化」確実です(泣)。しかもここへきて、百貨店ネタで物凄いスピードで記事数が進んでいるし、あぁ…。

仕事が仕事なので、例えローカルであろうとも百貨店の名前くらいは大半を覚えているつもりでしたが…

[52032]TNさん
丸広東飯能店がいつの間にか閉鎖となっておりました。
へっ、閉店情報は、知らなかった…。私は過去に、飯能の2店舗は共存可能ではという趣旨の書き込みをしたはずですが、転覆によって私の書き込みは「ガセ」化してしまいました、ひ~。仕事上問題にはならないと思いますが、何だか地元ネタがお留守になっていたようでショックです。文字通りの「灯台元暗し」ですねぇ、困ったものです。あんな大きな建物、放っておくのは勿体ないですね。ランクの落ちる駅とは言え東飯能駅直結ですし、どこかが触手を伸ばしてきそうに思いますが、どうなるでしょうね?

あぁ、百貨店ネタならもっといろいろ書けそうですが…旅立ち前日なのでこの辺で切り上げます。
[51985] 2006年 7月 4日(火)10:10:58スナフキん さん
えびの市成立にかかる問題
[51968]白桃さん
私は人口にかかる話題があまり得意でないのでなかなか話についていけないのですが、えびの市成立時のすったもんだについて資料室長から入れ知恵をもらったので参考までに。

[51976]でsuikoteiさんがフォローされていますが、私が聞いた話によればえびの市成立の際には、1966.01.20に出てきた各町の国勢調査人口数値の合計33,101人でもって自治省を納得させたのだそうです。この時点はもちろん私は生まれていないので事情をよく知らないのですが、当時は新聞などでも「それはずるいのではないか」などとかなり叩かれたのだそうです。その証拠を示せと言われても、さすがにそこまで昔の新聞スクラップは保存していないので、あくまでも「伝聞」に過ぎない不確実な情報ですが…。

白桃さんの書かれた時系列年表を見ながら、あくまでも個人的な見方として考えますと多分、えびの市成立時点では、国勢調査がその2ヶ月前に実施されていた事実はあっても、そこで市となる人口要件3万人を割り込んでいたかどうかの結果が判明していなかったために、その5年前である昭和40年の国勢調査数値で3万人を越えているから、と納得させざるを得なかった、というえびの市の言い分が見えてくるような気がします。

勝手なこじつけですが、えびの町が誕生した1966年からえびの市へ昇格した1970年までの間に、1968年この地域に甚大な被害をもたらしたとされるえびの地震発生の記載が、勤務先の資料から見つかりました。要件云々以前に、震災復興のため財政基盤強化を計りたく市制施行を推し進めざるを得なかった、とか言う事情はあったのか、なかったのか…。
[51952] 2006年 7月 2日(日)20:29:53スナフキん さん
北埼玉ネタに、ちょっと便乗
私も今日、レンタカーを借りて北埼玉・行田まで行ってきましたのでちょっと話題に便乗。

ブログにもしたためた通り、知り合いに届け物をするのが主目的なのですがそれだけでは面白くないので、20年以上ぶり(小学生以来)にさきたま風土記の丘に行ってみました。もちろん行田名物古代蓮も気になったのですが、知り合いの「1時間前にもうだいぶ閉じてた」の言にスッパリアキラメ。早起き早寝なんですね、蓮って。以前に1度、行ったこともあるし…その時は屋外で「生ダークダックス」(大汗)に遭遇し、小林亜星氏を間近で見て感動したんですが(笑)。

古墳へ行ってびっくりしたのは、鉄剣出土で全国的に知られた稲荷山古墳、小学生の頃は円丘部分しか残っておらず学芸員にわざわざ「ここは前方後円墳だとされています」と説明されたはずなのに…何と前方後円墳になっていました! 当時あった環濠は埋められて玉砂利が敷き詰められており、資料館学芸員に尋ねると昨年度中に復原事業が完成したとのこと。他にも、当時は立ち入りができなかったはずの将軍塚古墳に、展示室を埋設構造で設置してあったりしていました。資料館内部の展示も、小学生だった頃には発見もされていなかった埋蔵物がガラスケースに入っていたりします。まったく、数千年の時の流れを研究する考古学に向き合って、たった20年ばかりのタイムラグをここまで実感させられるとは…文字通りの「浦島太郎」状態です(汗)。公園内の環濠に、「古代」かどうかは分からないけれど蓮が浮いていて花をつけていました。まぁ今日のところは行田の蓮ってことで、これでいいかなと。名物と言われる「ゼリーフライ」も食べたし(爆)。

武蔵水路を北上するルートは当時の社会科見学で利根大堰へ行ったのと同じ。学芸員さん曰く「今でもそのコースで回る団体はいますよ」とのこと。時代は変わっても、古墳群も武蔵水路も、重要度は少しも昔と変わっていないようで妙に安心します。武蔵水路の長野サイフォン・白鳥田サイフォンは今回も素通りしてしまいましたが、小学生の時分にこの設備に異常に執着して、しばし図書館に入り浸った(アヤシイ…)ことをちょっと思い出しました。埼玉の小学生は多分かなりの確率でこの武蔵水路を、重要な飲料水供給ルートとして教わるはずですが、同様に荒川から取水しているはずの東京都ではどうしているんでしょうねぇ?

帰りは、熊谷市内で整備中の環状道路の一部、荒川を渡る(沈下橋に代わる)久下永久橋が気になって遠回りしてでも通ってみました。いやぁ、部分的高速道路(笑)。高崎線をまたいでから荒川の橋本体まで、距離はわずかですが分岐・合流のランプウェイを有し、事情を知らない人ならまず対面通行の高速道路と思ってアクセル踏みまくるはず。かく言う私も、メータが80指しているのにしばらく気づかなかったりして(自爆)。

自宅に最も近いであろう広域農道をフル活用しての往復でしたが、帰りは道の駅いちごの里よしみに寄り道。ここ、吉見町民会館が必要以上に大きくて、逆に道の駅の施設群は実際よりもずっと小さく見えます。これらハコモノをジャカスカ作って税金使い込んで、財政状況が悪化したために東松山との合併で肘鉄を食らわされたのですから、猛省してもらわにゃいけませんね。

蒸し暑い一日でしたが、頭も体も動かした、健全な日曜日でした。
[51779] 2006年 6月 16日(金)00:08:56スナフキん さん
東京駅のこと
[51767]N-Hさん
すでに[51772]でsuikoteiさんが書き尽くしていますが、念のため私のお宝である1972年11月号(suikoteiさんのものより、8ヶ月あと)の時刻表でも当たってみました。ちなみに私のものは復刻版でなく、実物です。紙はすでに変色し、文字も潰れかかっているものが散見されて見にくいことこの上ありませんが、これで徹夜しろと言われたら、やり通す自信はあります(爆死)。

特急に関しては、suikoteiさんの記述から若干の変更が見られます。ただ、東北線方面の青森・盛岡・秋田・仙台へは変わらずに直通特急が走っていますし、高崎線方面でも新潟・長野・直江津へやはり直通便があります。熱海-前橋の普通便も見えました。この他定期便で県庁所在地に絡むところでは急行「日光」が宇都宮、といったところでしょうか。

まあこれらに関しては、今の社会情勢とはまったく異なる時代の状況だけに一概に良い悪いを判断するのは難しいと思いますが、ただ1つ、いまよりもはるかに時はゆっくり流れていたであろうことは確かだと思います。
[51735] 2006年 6月 12日(月)12:59:40スナフキん さん
超高層、フォローありがとうございます
[51727]YSKさん
ここまで書いてきて違う場所だったら恥ずかしい
大丈夫です、その公開生放送、モデルルームを見学後に見てきましたから(笑)。てっぺんから足元を(こわごわ)見ると、人だかりがしていたので何事かと思って急行したら、ラジオ局の腕章をつけた人たちが「撮影禁止」の札を持ってウロウロしていました。私、最上階からこの人だかりを撮ってしまったんですが(自爆)。ただ残念なことに、私の行った時間帯が中途半端だったために、最上階からのラジオ中継とは前後してしまって鉢合わせすることはありませんでした。

たくさんのショップともつながった
生活圏が近接しているので、自分と関係のない店舗を除いて全部の店を一通り利用していますが…一応モール形式にはなっていますけど、「たくさん」という感じはしないなぁ(苦笑)。

高崎市役所も24階建てですよ
ああっ、やっぱり…。高崎市内には超高層、あるかもしれないなと思いつつも、前橋よりもはるかに訪問回数の多い高崎駅周辺に飛び抜けて背の高いビルがあった印象がなく、つい県庁まで遠望してしまいました(苦笑)。住宅地図で調べたら、地上は21階のようですね。おっ、うちの超高層の方が高いぢゃん、と思いきや高さは102.5mで、約95mのこちらよりも高かったり。オフィスビルは天井高が異なるので、フロア数=建物高さにはなりません。では群馬県庁はと住宅地図を開くと…建設中(ガッカリ)。ホームページを見たら33階! そんなに高かったかなぁと感心してしまいました。
[51725] 2006年 6月 12日(月)00:10:36スナフキん さん
ちょっと超高層ビルを考える
先週から、自宅近くの駅前に完成した超高層賃貸住宅のモデルルーム公開が始まりました。オープンは来週末まで続きます。今や都心部では超高層ビルは当たり前であり、何をもって「超」なのかは意見が分かれそうですが、自分はおおむね20階建て以上なら超高層かな、とかあいまいに考えています。もっとも、昨今の高層化はこれを上回る規模で進んでいて、都心部ではもはや30階建てクラスも珍しくなくなってきており、20階では基準が甘いかもしれません。特に、今まではオフィスビルが圧倒的に多かった超高層ビルに、賃貸または分譲のマンションが次々と加わっていますね、時代は変わったものです。

私は、山登りの経験があるにもかかわらず高いところはあまり得意でないのですが、それでも飛行機搭乗中に上空から、超高層ビルの上層から、周りの景色を眺めるのは結構好きです。真下を見ちゃうともうダメですが、視線をなるべく水平にすれば、多少へっぴり腰(汗)でも長いこと眺めていられます。あるいは、地図屋たる職業がそうさせているのかもしれませんが、メンバーの中にもたぶん、そんな人がいるのでは?

しかも新しもの好きな私は、モデルルームオープン初日に最上階へ行って、新調したてのデジカメでもって手当りしだいに景色を撮りまくってきました。警備で巡回している人からは「なんじゃこいつ?」みたいな目で見られはしましたが、絶景なることこの上なかったです。ましてや、この建物は立ち上がる前から、私がほぼ1週間ごとにでき上がり高くなっていく様子を画像で記録し続けた建物。たぶん眺める景色は他の人とはまた違うように見えたことでしょう。

都心部では増殖した超高層ビルも、埼玉のこの辺りまでくるとさすがに相当まばらになります。まとまって背の高い構造物が望めたのは、さいたま新都心と大宮駅周辺、隣のふじみ野駅周辺と新所沢駅周辺くらいなもの。よく考えたらこの建物より北側には、ここ以上に高い建物ってないのかもしれません。さすがに新所沢変電所が立地する土地柄、高圧線の鉄塔はやたらに林立していますが、ビルとなると…ひょっとしたら沿線はおろか、終点の寄居を通り越してさらに北、群馬県庁くらいまで超高層ビルはないのではないか? というくらい、逆に北側の眺めは遮るものも少なく、すばらしいものでした。

間取りがまた、最上階の天井高を活かしたデュアルフロア構造で、ロフトがあったり床下収納があったり、中には風呂場に窓があって展望風呂だったり、それでいて四六時中得られるワイドビュー…競争率の激化は必至です、どの間取りもほとんど1部屋しかないですし…。ところで、住居の「ロフト」って考え方は日本固有のものではないように思うのですが、どうなのでしょうね? 「屋根裏部屋」と言ってしまえば確かにそう見えなくもないですけど…。部屋の中に数段の段差がある生活、毎日にメリハリがつくと捉えるか、いちいちの昇り降りは億劫と捉えるか…日本での住まい選びも多様化してきたようですね。ちなみに、私はこの最上階、家賃を払おうにも収入不足で、入居できません(号泣)。
[51661] 2006年 6月 5日(月)22:27:13スナフキん さん
環八全通、その後
[51543]音無鈴鹿さん
早速、開通区間を実走されたのですね。今回開通区間には事実上の自動車専用区間も含まれるため、マイカー所有が(収入の面で)ままならないスナフキんは、車を借りでもしない限りここを走ることはできそうにありません。

少し遅めのレスになってしまいましたが、自分自身で開通後の姿を見るまでは何かを書いたりするのは、こと環八に関しては控えようと思っていたためでした。で、日曜日に開通後の様子を初めて見に行ってきました。その他周辺の整備状況など詳しいことはブログにちまちま書きましたので、気になる方はそちらをご覧ください。もちろん私は道路の「走行」はできないので、トンネル上から眺めるだけです。根本的に自分がやっていることは開通前も開通後も変わらないのですが、足元ではすでに車が通っていて様相が一変しています。防音壁があり、設備も車の流れも高速道路のよう。週末の昼下がりとあって交通量はまずまず、信号は区間1ケ所のみで車も極端に多くないことから流れは順調そのものでした。

ただ、意外だったのは井荻トンネル。開通したのだから当然渋滞も解消するのかと思いきや、引き続き工事をしているらしく相変わらず朝の交通情報では「環八の井荻トンネルは工事のため~」のクダリが繰り返されています。北町若木区間の側道及び歩道整備工事と同じく、本線をとにかく通すことが最重要課題で、他が多少おろそかになっても全通を優先させたのでしょう。TNさんが指摘された、「超突貫工事」を裏付ける一つの現象と言えそうです。

ブログの繰り返しですが、私がここ環八の最後の開通区間をここまで気にしたのはたぶん、仕事がそうさせたのだと思います。でも、地図屋の仕事は道路を分かりやすくユーザに示すまで。そこから先、示された道路をいかに利用し、有効なものにしていくかは何も地図屋だけの仕事とは限りません。道路を通過する人はもちろん、沿道の住民もかかわりのあることのはず。ともあれ、私がこの区間に執着する必要はほぼなくなりました。トンネル出口直上から北側を眺めながら、鳥肌がたちそうだけど充足感、涙が出そうだけど拳を握りしめたくなる手ごたえ…なかなか言葉で表しにくい、複雑な心境になりました。それもたぶん、自分が地図を描くことを仕事にしているからなのかもしれませんが。
[51534] 2006年 5月 29日(月)00:51:40スナフキん さん
mixiのこと
どうも複数の方の書き込みを見る限り、落書き帳メンバーにもいく人かのmixi参加者がいらっしゃるようですね。かく言う私もそうだったりします(汗)。

ただ、あくまでも落書き帳は落書き帳。共通の参加者同士で交流するのはよいけれど、mixiに落書き帳コミュを立ち上げて「第二落書き帳」にするのは変だし、この場を提供して下さっているグリグリさんにも何だか悪いので、やめましょうね(笑)。

私の場合、ブログはmixi内でやっているわけではないですし、正直地理・地図の話題を仕事以外でやるのは当落書き帳だけでもうおなかいっぱい(大汗)なので、mixiでは地理的アクションも、鉄的アクションもしていません。埋没しそうですけど、かすみさん同様落書き帳でのハンドルネームと同じ名前を使っているので、見つけやすいかもしれません、興味のある参加者は詮索してみてください。
[51474] 2006年 5月 25日(木)13:48:47スナフキん さん
環八のこと
[51466]TNさん
タイトルの本題はともかく…
肺が菌に侵され
とてつもない難病に見えるのですが…心配です。でも、PCに向かって文字は打てているから、大丈夫なのかな?

線路際まで開削し、トンネル断面の外縁にパイプを挿入したのちにくり抜く、といった手法が想像されます。
実は私も21日、現地に出撃(汗)したのです。自分で地図帳に赤線を引いて訂正しておきながら、こんな大幹線の開通に知らんぷりはできません(笑)。ここにも直後にそのことを書き込もうかと思ったのですが、自分のブログで「これでもか!」というくらいにみっちり書き込んでしまったのでまあいいやと、サボってしまいました。

私が向かったのは練馬区北町~板橋区相生町区間であり、こちらでは残念ながら笹目通りとの分岐部にかかる資料を一緒に入手することはできませんでしたが、東武東上線交差部にかかる資料などはゴッソリ入手できました。それには、専門用語を連発して恐縮ですが「開削工法の応用で築造した」旨の記述が見えました。線路際までオープンカットで構築し、線路直下のみ現地で築造したボックストンネルをスライド挿入した、とあります。これには線路部分の地盤を支えるための補助工法が当然必要なはずですが、それについては記載がありません。日刊建設工業新聞にも南田中トンネルの詳細は掲載されましたが全体的に図面が少なく、そもそも北町若木区間の詳細は載っていませんでした。開通式がこれからなので、新聞記事をもう少し注意して見てみることにします。

あまりの突貫工事ぶりに見ていて気の毒です。
当日も、注意深い人ならば突貫工事ぶりが足を踏み入れただけで分かったはずですね。ブログの記述と重なりますが、明かり部分は前日の豪雨で洗い流されていたとは言え、覆いのあった部分の舗装は歩いていてもまだべとつきが分かるほどでした。アスファルト舗装に「生乾き」という概念があるのかどうかは分かりませんが、たぶんそういう状態で日曜日の当日を迎えたんだろうと思います。

首都高中央環状線に対しても、渋滞緩和の効用についてそれほど期待を抱いておりません。
現状では首都高速中央環状線のうち王子区間が完成していますが、これも開通後の効果として大々的に報じられた渋滞の解消が思ったほどに現れていないのでは?と私も感じています。池袋線から中央環状線への流量よりも、東北道・常磐道方面から池袋線への流量の方が上回っている印象で、渋滞情報を聞いていても開通後はかえって竹橋を頭にした5号池袋線の渋滞が伸びてしまったように思います。従来はいくつものJCTを経なければ到達できなかった山の手エリアへよりスムーズに行けるようになったことが、かえって交通量のアンバランスを招いてしまったともとれ、道路建設計画の難しさを感じます。

余談ですが、私のブログのアクセス記録を見ると、環八をタイトルに据えて記述した記事だけが、他記事のアクセス数の6倍近くに達しています。一地図屋の書いている戯言にも関わらず、世間一般の関心は非常に高いようです。
[51452] 2006年 5月 23日(火)09:11:21スナフキん さん
やはりメガライナーは転用…
昨年8月に秋葉原~つくば間に首都圏新都市鉄道<つくばエクスプレス>が開業し、その後減便などの改定を経て去就が注目されていた常磐道高速バスつくば線の巨大車両「メガライナー」ですが、どうやら第二の人生が決定したようです。知り合いからの情報では、今月中にもつくば線からは撤退し、整備及び国土交通省の特認が下り次第、現在はダブルデッカーでの運行が定着した東京~大阪間の「青春ドリーム号」に回って席数を増加させる方針なのだとか。高速道路の走行はともかく、東京や大阪の一般道路の通過に問題はないのか、疑問が残りますが…。私が予想した「鹿島線転用説」はものの見事にひっくり返されました(大汗)。

それにしても、決して夜行バスとしては設備が恵まれているとは言いがたい「青春ドリーム号」、設定当初は定着するのか首をかしげていたものですがいつの間にか、2階建てバスを投入するほどに利用者が増えていたんですね。昨今は東京~大阪ですと航空運賃が叩かれ気味なところへ、新幹線も割引手段を増やすなど全般的に運賃が低廉化する傾向にあるようですが、そのさらに下を行く激安夜行バスがここまで支持されているとは…こんなところで景気って、本当に回復基調にあるんだろうかと疑問に思ってしまう今日この頃です。
[51339] 2006年 5月 15日(月)13:01:48スナフキん さん
ワラヂヤ地図のこと
ワラヂヤ、自己破産の時は「え~っ?」と思ったのですが、それも数年前の話なのですね。神戸オフの際にも、実はワラヂヤの「ザ・マップ京阪神」を持っていったのはワケアリのつもりでした(汗)。ワラヂヤの、特に市街図に関してはとにかく見やすくて、土地勘のない私のような人間が地図編集する際にはとっても役に立ちました。ただ、最後の最後までデジタル化に乗り遅れてしまったのがつまづきの大きな要因だったのかなという気がしています。手元にオフの時に持ち出した道路地図を広げて見ていますが、阪急の三国駅が改築中で、アナログ作業でもって苦しい手直しをしているのがよく分かります。線の形はちょっとイビツだけど、決して見易さを犠牲にしてはいないのです、やはりワラヂヤの消滅は惜しまれます。それにしても、漢字だと「和楽路屋」だったんですね、そんなに昔のことは知らなかったので(勤務先保有の地図はみんな「ワラヂヤ」って書いてあります)驚きました(←知らなさ過ぎ)。

[51318]ニジェガロージェッツさん
この地図の片隅には「(株)デジタルマップス」と社名が入っています。
この会社については存じておりませんでした。ワラヂヤの資産はそれなりの価値があったはずですが、前述のようにほとんどが「アナログ資産」だったはずで、それが「デジタル」と名のつく会社に移ったのかなぁ…(?)という妙な感じもするのですが。でも、すべてが失われてしまうよりは何らかの形でモノが生かされる方が断然いいので、完全消滅したのではないことを知って少しホッとします。ネットを詮索すると、どうもあるんだかないんだか、正体が不明の会社ではあるようです(苦笑)。

とにかく、ワラヂヤの市街図からは結構多くのことを教わった気がします。町別色分けの淡い感じや、町名を青文字にすることによってここまでおとなしい表現になるんだということ、郊外の段彩における色使いなど、参考になる点が多くありました。こういう表現を用いた道路地図をリリースしている会社、今はないような気がします。やっぱり惜しまれる存在だったように思いますね。


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