[24006] 花の東京都民 さん
西欧や米国は敵対してきたわけですが、何故日本だけが東側と交流を持ってきたのですか?
冷戦体制の元では日本も日米安保条約という「軍事同盟」に組み込まれていたのですが、東側諸国を封じ込める包囲網では日本は極東で緊張感が少なかったし、ヨーロッパのように「NATO軍」対「ワルシャワ条約機構軍」のような大規模な軍事衝突の可能性がなかったので、東欧とは直接利害が対立する訳ではなかったので交流がもてたと思われます。
ただ同じ社会主義国でも旧ユーゴスラビアはチトー終身大統領による独裁体制でありながら西側とは親密的でしたし、所謂西側も最後のファシスト政権であったフランコ指導のスペインが入っていましたので、米ソどちらかに付けば仲間になれたようですが、結構外れた国も多かったです。また東欧の国のなかでもルーマニアはやや西側寄りでした。
ベトナム戦争では日本は韓国のように参戦はしなかったですがアメリカ軍による北ベトナム爆撃を支持していましたが、アジア以外では日本の立場はフリーだったようですし、日本に対しては戦略上あまり対立を先鋭化しないように配慮していたようです。それに必要以上に対立するのもエネルギーのロスですし。
それにしても、かつては中国や北ベトナムのような共産主義国家になるのを防止するために設立したアセアン(東南アジア諸国連合)が、現在ではベトナムとラオスの社会主義市場経済を維持した国を加盟させて、中国と経済圏を構築しようとしているのですから時代は変わったものだと実感します。
日本は「北朝鮮」を国として認めていないのに、何故国名を記載するんですか?
外務省のHPでは台湾、香港、マカオと同じ「地域」扱いです。台湾と同じように北朝鮮も政府組織はあるのですが共通しているのは政治的理由で承認していないことです。少し前には日本はアフガニスタンを大部分を支配していたタリバンの「アフガニスタン首長国」は承認せず、北部同盟の「アフガニスタン」を承認していたのも政治的理由です。
それに北朝鮮の正式な国名は「北朝鮮」ではありません。おそらく国交回復(それまで現政権が持つかは別として)すれば「朝鮮」と呼称するようになると思われます。かつてドイツが分断国家であった当時はドイツ連邦共和国を「西ドイツ」、ドイツ民主共和国を「東ドイツ」と呼称していましたが、朝鮮半島や中国のように互いが正当な政権を主張するわけでは無かったので、比較的再統一の可能性が低いといわれていました。しかし現実ではわずか1年で達成しました。
それはさておき日本と北朝鮮とは1950年代に、国家として認めていないにも関わらず在日朝鮮人の帰国事業のために間接的に交渉していましたし、1970年代までは現在では想像出来ませんが、北側のほうが経済的に優位だったので(植民地時代には北朝鮮の方が社会資本が充実していた)南北とも交渉していました。
韓国と国交が正常化したのは1965年と戦後20年もたってからで、それまでは韓国を「南朝鮮」、北はそのまま「北朝鮮」と読んでおり現在でも年配の人が韓国を「南朝鮮」はというのは当時のなごりです。余談ですが韓国への郵便に「南朝鮮」もしくは「South Korea」と書くと受け取り拒否になります。また北朝鮮は英語では「DPR Korea」になりますが、当然北でも「North Korea」(アメリカのブッシュ大統領が呼称して北が反発していましたね)と書いてはならないそうです。
北朝鮮の国号を表記するのは以前は韓国と同様に国家承認していなくても、交渉の当事者として認めているうえ、国連加盟国なので国際社会では一応認知されていますのでこのままで良いと思います。
また報道関係で国名を言うのは、関係者との妥協で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と呼称し2回目以降は北朝鮮と略していいことになっているそうです。
私の回答としては「北朝鮮は国家承認してはいないが国家としての条件は備わっているし交渉当事者としては認めている。しかも国連加盟国である」とします。
余談ですが現在では北朝鮮の旧ソ連製機体が環境基準に不適合なので就航不可能ですが、北朝鮮の航空機も名古屋と新潟なら臨時便としてなら飛ばせる協定を日朝間で締結していました。(弾道ミサイル実験では経済制裁で一番最初にターゲットになっていました)
もっとも植民地支配していた20世紀前半には北朝鮮は「日本国内」の地域名だったともいえます。なぜなら北朝鮮の防衛は日本軍ではなく中国にあった関東州租借地や満州鉄道を防衛する「関東軍」が担当していたそうです。(南は朝鮮総督府配下の朝鮮軍が担当)
*文章加筆