みなさん、こんばんは、地球人です。
年末でとにかく忙しくて、しばらく書き込みができない状況でした。
[35592] 佐賀県 さん
長崎県佐世保市は「させぼし」と発音しますが、地元の人とかでも「させほ」と濁らないで発音されることがあるようです。
レスが遅くなってしまいました、すみません。
佐世保の読み方ですが、確かに、「させぼ」と「させほ」の両方、使う人がいますね。どちらが正しいのか、昔はどちらだったのか、ということを調べたりもしましたが、よくわかりません。
もっとも、ご存知のとおり、佐世保市は人口約4000人の佐世保村から人口が急増しましたので、今の佐世保市民のほとんどは、流入者を先祖に持っていることになりますので、読み方がまちまちなのもわかる気がします。
佐世保という地名については、次の説があります。
(1)佐世保には「サセブ」と呼ばれる木が繁茂していたから。
(2)佐世保は「佐世」と「保」の結合地名で、佐世保の「世」は古訓で「シ」である。佐世は「サシ」で「瀬」をさし、「サシ」から「サセ」に転訛したもの。「保」は地団が地名化したもの。
(3)大宝令で「五家を以て保となす」と定めた当時、ここらあたりに、5、6軒の家があったので、近くの佐世の名をつけて「佐世保」となった。
(4)アイヌ語で「サ」は広いという意味、「セブ」は谷という意味で「サセブ」から「サセボ」に転訛したもの。
(5)神功皇后の三韓征伐のとき、途中で風のために船の帆が裂けたので修理のため佐世保港に寄られた。それが「サケホ」と呼ぶようになり、それが「サセボ」に転訛した。
また、「サセボ」「サセホ」の読み方については、いろいろな呼び方をしています。
(1)室町時代の松浦党一揆契諾状に「させほ石見守元」の名がある。
(2)江戸時代の元禄3年に記された大村記には、「させぼ」と濁って記録してある。
(3)明治時代の海軍は「させほ」。
(4)大正時代の佐世保日日新聞はSASEHO。
(5)大正12年2万5000分の1地形図は「させぼ」。
(6)大正12年の鉄道省旅行案内は「させほ」。
(7)昭和12年大日本職業別明細図(地図)長崎県版は「させほ」。
(8)国鉄の呼び方は、以前は「させほ」現在は「させぼ」。
ということで、未だに決着は見ていません。