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YTさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[80936]2012年6月4日
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[80928]2012年6月2日
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[80902]2012年5月27日
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[80506]2012年4月3日
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[80489]2012年4月1日
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[80480]2012年4月1日
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[80394]2012年3月12日
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[80385]2012年3月8日
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[80384]2012年3月8日
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[80377]2012年3月4日
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[80371]2012年3月4日
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[80370]2012年3月4日
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[80369]2012年3月4日
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[80368]2012年3月4日
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[80367]2012年3月4日
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[80366]2012年3月4日
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[80347]2012年2月28日
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[80339]2012年2月26日
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[80336]2012年2月26日
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[80334]2012年2月25日
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[80328]2012年2月24日
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[80326]2012年2月24日
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[80325]2012年2月24日
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[80324]2012年2月24日
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[79623]2011年11月12日
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[79620]2011年11月11日
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[79614]2011年11月10日
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[79611]2011年11月8日
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[79607]2011年11月6日
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[79597]2011年11月3日
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[80936] 2012年 6月 4日(月)13:59:53【1】YT さん
初期のDIDの定義
[80934] 千本桜 さん

例えば山梨県韮崎市のDID人口は昭和35年に4,070人、昭和40年に3,479人となっています。5,000人以上という規定を大きく下回っています。しかも、35年、40年の2回とも下回っているのは、やっぱり変ですね。昭和40年の調査で規定人口を大きく下回っているDIDとして、山梨県韮崎市3,479人、佐賀県厳木町3,565人、群馬県安中市4,401人、徳島県鴨島町4,490人、富山県福野町4,555人、北海道歌志内市4,593人などがありますが、これもやはり,『人口集中地区の設定に当たって,昭和40年国勢調査人口ではなく,昭和39年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』となるのでしょうか?。

当時の人口集中地区の定義を見る限り、韮崎市のケースなどは、前年度作成の世帯人員概数の算出が妥当で無かったとしか言えないですね。

総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 昭和35年国勢調査による人口集中地区の人口,面積,および地図』(日本統計協会,1961年)によると、

 人口集中地区は,昭和35年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定されている。すなわち,昭和35年国勢調査調査区(1調査区は,約50世帯を含み,全国が446,512の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,昭和34年10月1日現在,人口5,000人以上の地域を構成している場合,これらの調査区の集まりを「人口集中地区」として設定した。

1. 人口集中地区は,昭和34年10月1日現在作成の「昭和35年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数にもとづいて設定されているので,昭和35年10月1日現在では,設定基準の人口5,000人に達しない人口集中地区が若干ある。


総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 昭和40年国勢調査』(日本統計協会,1966年)によると

 人口集中地区は,昭和40年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和40年国勢調査調査区(1調査区は,約50世帯を含み,全国が約49万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,昭和39年10月1日現在,人口5,000人以上の地域を構成している場合,これらの調査区の集まりを「人口集中地区」として設定した。

1. 昭和40年国勢調査の人口集中地区は,昭和39年10月1日現在作成の「昭和40年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数に基づいて設定されているので,昭和40年10月1日現在では,人口5,000人に満たない人口集中地区が若干ある。

総理府統計局編『わが国の人口集中地区 : 国勢調査報告 昭和45年 別巻』(日本統計協会,1972年)によると

 人口集中地区は,「市区町村の区域内で人口密度の高い調査区がたがいに隣接して,その人口が5,000人以上となる地域」をいう。
 今回の人口集中地区は,昭和45年国勢調査調査区を基礎単位地域として設定された。すなわち,昭和45年国勢調査調査区(調査区は,調査員の受持ち区域のことで,1調査区は約50世帯を含み,全国が約8万の調査区に区分されている。)のうち,原則として,人口密度の高い調査区(人口密度1平方キロメートルあたり約4,000人以上の調査区)が市区町村内でたがいに隣接して,人口(昭和45年国勢調査時現在)5,000人以上の地域を構成する場合,この地域を「人口集中地区」とした。

(2) 昭和40年の人口集中地区は,今回と異なり,昭和39年10月1日現在で作成の「昭和40年国勢調査調査区一覧表」の世帯人員概数に基づいて設定されているので,昭和40年の人口集中地区のなかには,人口5,000人に満たないものもある。

連合集中地区、準人口集中地区の設置も昭和45年の国勢調査からで(連合集中地区人口は昭和35年に遡って昭和45年版に掲載されている)、昭和35年・昭和40年の国勢調査の時と設置基準が少しだけ変わったことになります。

まあそれとは別に、

 また,準人口集中地区の境界を表示した地図は,本報告書には収録されていないが,総理府統計局に保管され,所定の手続きにより,一般の利用に供されている。

こちらの方はもっと楽に閲覧できないのでしょうかね?
[80928] 2012年 6月 2日(土)18:56:38【1】YT さん
DIDの定義 【訂正】
[80922] 白桃 さん

---ここで話を中断してすみませんが、昔の国勢調査資料をみてますと5000人に満たないのに、DIDになっているところがかなりあります。これは今と定義が違っていたのか、それとも準人口集中地区をも含めていたのか、詳しい方、お教えください。----
それはそれとして、不思議だったのは古座町のDIDの在り処です。

今手元に『我が国の人口集中地区』がないので正確な解説は書けませんが、確か当初は速報値だったか住基人口だったかをもとに人口集中地区を設置したため、国勢調査人口が確定した後、DID人口が基準値を下回ってしまう場合があるという註釈があったと思います。

というか、今はこういうサービスもあるんですね。
http://nlftp.mlit.go.jp/ksj/jpgis/datalist/KsjTmplt-A16.html

その昔某所でこういう試算をしたことがありますけど、今ならもっと楽ですね。
http://mimizun.com/log/2ch/geo/1078037542/104-180

【追記】自宅に帰ってからDIDに関する文書を見返したところ、上の暫定人口・住基人口というのは間違いで、以下の理由によるものでした。

『昭和35年国勢調査の人口集中地区の中には,5,000人に満たないものもあるが,これは,人口集中地区の設定に当たって,昭和35年国勢調査人口ではなく,昭和34年10月1日現在の調査区設定時の推定人口を用いたためである。』
[80902] 2012年 5月 27日(日)16:52:12YT さん
細倉マインパーク
[80895] 千本桜 さん [80846] 白桃 さん

DID(人口集中地区)がはじめて登場した1960年(昭和35年)の国勢調査ですが、東北地方のDID人口を見ていてアレっ!と思ったのは、宮城県の鶯沢町(現:栗原市)に6,269人のDID人口が記載されていることです。

自分の母の実家が、その細倉鉱山から山一つ越えたところです。とはいえ、

細倉という名の行政区はありません。したがって、細倉という地名は旧村名、大字名、小字名、行政区名のいずれにも該当しない俗称になりますが、地元の人はどのように地名を使い分けているのか気になります。

うーん、親戚との会話では、なんとなく細倉の町並みを含めて鶯沢を呼んでいたような気がします。細倉鉱山の跡地の一部を慶応大学が買ったので、地元では慶応のキャンパスが出来る!とか喜んでいたのですが、いつまでたっても建物が出来ず、しょんぼりという情況です。

初めて鶯沢町の細倉鉱山へ行ったのは昭和42年か43年のことでした。

自分は生まれてすらない・・・。母の実家に何度か行くきっかけになったのは祖母が数え100歳で亡くなった10年前からで、昔の繁栄については良く知りません。親戚のお産婆さんは、1940年代に忙しい時期には毎日のように鶯沢の方で、新生児を取り上げていたと言いますから、今では考えられない程、人が多かったのでしょう。数年前に車で通った記憶では、細倉一帯には古い看板の小さな商店街の残骸が道沿いに立ち並ぶが、そのほとんどが営業しておらず、かといって残っている家も周囲の米農家のもののため、案外裕福そうに見える、といった印象です。

当時、細倉はDIDを形成しない栗駒町岩ヶ崎の都市機能に依存していました。

現在でも岩ヶ崎があの辺りの中心部を担っていたと思いますが、車があれば20~30分ほどで築館、若柳に出られるんですよね。新幹線のくりこま高原駅には何もなかったのですが、最近になってイオンが出来たため、新しい拠点性が生まれたようです。新幹線の駅を栗原電鉄と交差させるように作っていたら、まだ栗原電鉄が生き残る道もあったでしょうが、5年前には廃線となりました。別に地元の住民はほとんど鉄道を使ってなかったのですが、やっぱり鉄道が無くなると地域も寂しいものになります。さらに4年前の栗駒山直下の地震(実家の隣の家の主人がNHKのニュースに出ていました)では、山塊崩落した地区の傍には戦後満州引揚者の集落があったのですが、ますます人口流出・過疎化に拍車がかかっている状況です。

と言いつつ私の母の実家(私の母もそこで生まれたわけではなく、祖母も亡くなるまで都会で暮らしており、祖父の生まれた家といった方が正確ですが)にも、15年程前から誰も住んでいません。直系の親戚はみんな都会で暮らし、誰も農業をやりたがらないのです。
[80506] 2012年 4月 3日(火)18:45:45YT さん
1965年~2005年の国勢調査人口について
[80492] オーナー グリグリさん

お言葉に甘えてYTさんから人口統計のご提供をいただければと思います。私宛に直接メールでお送りいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。>YTさん

すみません。

4月1日の午後10時頃、落書き帳の内容を見た直後に6 MBほどのサイズのファイルを添付したメールを送信しておりますが、届いておりませんか?

サーバー側でスパムメール扱いされているのでしたら、ファイルサイズを小さくして送り直します。
[80489] 2012年 4月 1日(日)14:59:16YT さん
1965~2005年の国調人口
[80487] hmtさん

[80441] hmt
昭和55年(1980)以前の資料については、当時の印刷物を PDF化した文書により提供されています。
[80476] Issie さん
やっと実現していたのですね。そのままではたとえば表計算ソフトの表に取り込むことのできない pdf(というか,画像)ファイル ではあっても。

このようなわけで、1980年以前については、今回の手法が使えません。

実のところ、1965年、1970年、1975年、1980年分に関しては既にエクセルファイルにまとめているので、1965年~2005年までの人口統計はただちに提供できます。

3年前に人口データを一個のエクセルファイルにまとめるという計画を建てた頃、統計局のエクセルファイルからスタートして、1985年から順繰りに時代を遡って人口データを入力していましたが、国勢調査の「町・村」の区分が実際に発足した日付と前後していて間違っているケースが多々あることが判り、各都道府県毎に一気に遡って入力する方式に変更しました。

もっともこういうのは勢いに任せてやった方が良く、当初の予定よりも遅延していますが・・・

二年ほど前に、pdfから画像をOCRで処理して文字・数字を読み取る方法として、幾つかソフトを試しましたが、良質のソフトが見つからず、そちらは断念しています。
[80480] 2012年 4月 1日(日)00:15:12【1】YT さん
明治31年以降の北海道、九州、沖縄県の市町村別人口の変遷
前の投稿[73960]から2年以上空いてしまいましたが、福岡県と佐賀県の市町村別人口の変遷と、2010年国勢調査の結果を加えたエクセルファイルを、以下のサイトにアップしました。これで北海道と九州、沖縄県に関し、明治31年以降の23回分の国勢調査・人口調査、国勢調査以前の5回分の人口静態統計の結果が入っているはずです。

http://touch.moe-lovers.net/up_ssize/download/1333204853.xls/attach

ダウンロードパスは Kyushu です。ファイルサイズは約1MBで、圧縮を掛けていません。

参考資料は[73422]にまとめた通りです。市町村は原則として第1回国勢調査報告書の順に並べております。統計の方は自由に使っていただいて構いませんが、間違いがあっても責任は取れません。また、間違いに気付いた場合は指摘を御願します。

また北海道の戸町役場連合の取り扱いについては[74304]以降進展がなく、資料不足の状況です。

[80479] hmt さん

統計局によるweb上での公開は、すべてが実現したわけでなく、まだ途上であるようです。
例えば、第2回(大正14年)と第3回(昭和5年)報告による市町村別人口を見ることは、まだできません。

大正14年の国勢調査の市町村別人口については以前より近代デジタルライブラリーで閲覧できますが、昭和5年の国勢調査の市町村別人口についても最近近代デジタルライブラリーで閲覧可能となっております。市町村の廢置分合境界變更及名稱變更(自大正十四年十月二日至昭和五年十月一日)もこのように見ることができます。

近代デジタルライブラリーと統計局のデータにより、内地で実施された全ての国勢調査による市町村別人口を閲覧できることになりました。しかしながら戦中・戦後に実施された臨時の人口調査(昭和19年、昭和20年、昭和21年)と昭和23年の常住人口調査についてはまだオンラインのデータが揃っていません。

[76192]でむっくんさんが紹介されたように、昭和20年の人口調査については

S20…昭和二十年人口調査ノ結果ニ拠ル昭和二十年十一月一日現在ノ都道府県郡島嶼市区町村別人口(PDF)

でも閲覧できるようですが。

近代デジタルライブラリーでは、朝鮮・台湾・樺太などの外地、関東州、南洋群島、青島守備軍管轄地区などで日本が実施したセンサス(国勢調査、臨時戸口調査、島勢調査)の一部も閲覧できます。ただ朝鮮で実施された臨時戸口調査の結果や昭和19年に朝鮮・台湾で実施された臨時の人口調査の結果も閲覧できません。

【追記】 本当は3月31日のうちに投稿を済ませたかったのですが・・・
エイプリルフールネタではありません。
[80394] 2012年 3月 12日(月)15:40:14【1】YT さん
アイグロマツ
[80393] 般若堂そんぴん さん

私は生物の専門家でも、農林業を営んでいるわけでもありませんが、アイグロマツはアカマツとクロマツの一代交雑種だけではなく、自然の交雑でも生まれ得る中間雑種だそうで、アカマツとクロマツの割合により様々な中間的な形態をとるそうです。

柴田勝 「組合せ交配による2,3の日本マツ類における稔性差異」 日本林學會誌 52巻 (6号), 178-185頁 (1970年)の要旨によると、
マツ類における交雑育種の研究のため, クロマツ×アカマツと, クロマツ×天然アイグロマツの組合せ交配(13×20)を行なった。その結果, 交配稔性(種子生産力)に関して次のことが明らかになった。(1) 母本, 父本間に顕著な稔性の違いがあり, いわゆる, 一般組合せ能力に差異のあることが認められた。(2) 父本の稔性値と雑種性との間には高い相関が認められたので交配稔性の差異は遺伝子構成の異なる2つの組織, すなわち, 胚組織と雌性配偶体組織との親和性, または交互作用によると, 推定された。(3) 雑種性の指数としては, 解剖学上針葉における2層以上の下表皮厚膜細胞数のほうが, 樹脂道指数(R.D.I.)よりはるかに相関が高かった。(4) 交雑親和性遺伝子を有すると推定された特殊個体DEN S_1が, 20の父本の一つに認められた。これは解剖学上アカマツと分類される個体であるが, その高い稔性から, 交雑親和性遺伝子を有する"潜在的雑種アイグロマツ"と定義できると思われた。

まだ遺伝子レベルの解析が行われていない時代の日本語論文ですが、確かにアカマツとクロマツの一代交雑は色々生殖上問題があったりするようです。一方で執筆者は天然アイグロマツ同士の交配も行っており、天然アイグロマツや潜在的雑種アイグロマツと推定されるアカマツは高い稔性(有性生殖の過程に異常がなく、交配により子孫を作り得ること)を有しているということで、種子ができても何ら問題ありません。
[80385] 2012年 3月 8日(木)04:03:50【3】YT さん
明治5年石高考 続き
[80384]の石高を比較すると、数値的には(1)~(4)のグループと、その他に分類できると思います。

(7) 菊地利夫氏の『新田開発』、『続新田開発』の石高は、様々な本に引用されており、慶長・正保・元禄・天保・明治石高の基本となっていますが、菊地氏が元文献としてあげている東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には空欄が大量に目立ち、これだけで表を作成することは不可能です。よって菊地利夫氏はさまざまな文献から数字を持ってきていることが伺えるのですが、残念ながら他の引用文献をきっちり明記していません。

(6) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は、奄美群島が大隅国の後ろに、「同属島」として収録されており、薩摩から大隅への移管が決定された明治12年以降に作成された表と推測されます。収録されている明治石高は不完全で、一部明らかに『旧高旧領取調帳』からの掲載が載っています。明治5年石高として引用するのには不適切です。

(5) 『旧高旧領取調帳』はそもそも府藩県三治制以前の旧領との対応の調査がメインです。明治12年前後から各府県が調査結果をまとめたらしいですが、石高もそれぞれの府県の調査次第で地租年次はばらばらです。

残りの(1)~(4)はかなり数字が似ています。

(3) 『明治八年共武政表』は明治5年~明治7年の数字が混在しており、明治5年石高とは限りませんが、大体(1)、(2)、(4)と似ています。郡別石高が利用できます。

(4) 『地理局雑報』の「大日本石高反別古今比較表」は合計と文献の総数が一致しており、また地理局は租税寮の統計を引き継いでいて色々信用できそうですが、筑後と豊後の数字が混同されているなど、間違いがあります。旧国別石高のみで、郡別石高が利用できません。

(2) 『日本地誌提要』は外部に向けて本として発売されたもので、これらの中では一番公的な数字として引用できそうですが、合計と文献値が一致しません。旧国別石高のみで、郡別石高が記載されていません。

(1) 東京大学史料編纂所所蔵『郡村石高帳』は、租税寮が集めた原本に一番近いもので信頼できそうですが、『日本地誌提要』や『地理局雑報』の石高と一部異なります。郡別石高が利用できますが、一部の郡別石高の記述を欠きます(対馬の石高は「麦高」)。あと菊地利夫氏によると

3.正保郷帳に村数が記載されていない国は15か国もあるが、内務省・地誌課の郡村石高帳の末尾に「村数五万五千百八十村」と記してある。

だそうですが、東京大学史料編纂所所蔵『郡村石高帳』にはそのような記述がありません。菊地利夫氏は別の『郡村石高帳』の写本を参考に石高をまとめたのでしょうか?

なぜ明治5年石高にこだわるかというと、菊地利夫氏による明治初期の町村数(6万8858村)の記述の信頼にも直結するからです。地租改正前の町村数に関しては後日改めてまとめます。

【追記:[80384]では郡別石高の記載のある『続・新田開発』(1986年)の旧国別石高を引用しましたが、一般には『新田開発』(1963年)に掲載されている旧国別石高が、様々な本で引用されています。両者では微妙に明治石高が異なります。

『新田開発』(1963年)では、「(1)正保二年、元禄十年、天保元年の統計は「郡村石高帳」(東大史料編纂所)による。(2)明治六年は宮内省租税寮統計による。」と記述しています。ただし東大史料編纂所の『郡村石高帳』は租税寮蔵本の明治石高の写本で、正保・元禄・天保の石高が掲載されているのは『正保・元禄・天保・明治村高比較表』です。

このように菊地氏の本では石高に関する限り、引用の仕方がいい加減で信用できません。】
[80384] 2012年 3月 8日(木)04:03:04【3】YT さん
明治5年石高
正保郷帳の村数・石高をまとめる前に、そもそも明治5年の地租改正前の石高として正しい値は何なのか?という問題に直面しましたので以下旧国別に7つの文献の石高をまとめました。合計は単純に足した数字、総計は文献に記載の数字です。

(1) 東京大学史料編纂所所蔵 『郡村石高帳』
「明治六年六月以租税寮蔵本膀写峻功」との記載があり、石高は明治5年の地租であると推測されます。

(2) 元正院地誌課編 『日本地誌提要』 日報社 (1875年)
「戸数人口共ニ戸籍寮明治六年癸酉ノ表簿ニ据リ、田圃租税ハ其前年ノ数ニ係ル」とあり、石高は明治5年の地租であることがわかります。

(3) 陸軍参謀部編 『共武政表』 青史 (1875年)
石高については何をもとにしたか明記されていません。

(4) 「大日本石高反別古今比較表」 『地理局雑報』 (8号) (1878年)
「石高ハ明治五年郡村地租帳」とあり、石高は明治5年の地租であることがわかります。

(5) 木村礎校訂 『旧高旧領取調帳』 近藤出版社 (1969年~1979年)
旧領毎の旧高を各県にまとめさせたもので、石高は府藩県三治制下の地租もあれば、それ以降のものも混ざっているようです。

(6) 東京大学史料編纂所所蔵 『正保・元禄・天保・明治村高比較表』

(7) 菊地利夫 『続・新田開発―事例編』 古今書院 (1986年)
「この統計の原本は内務省地誌課が正保郷帳・元禄郷帳・天保郷帳と明治六年の郷村石高帳を筆写した記録であり、東京大学史料館に所蔵されているものである。」とあり、一応東京大学史料編纂所所蔵 『正保・元禄・天保・明治村高比較表』をもとにしているはずです。

文献郡村石高帳日本地誌提要共武政表地理局雑報旧高旧領取調帳村高比較表菊地利夫
山城222,368.705170222,368.705170212,368.705630222,368.705170222,222.854730222,265.053730222,265
大和503,686.236760502,686.236760502,686.236760503,686.236760497,405.171330497,404.439530497,404
河内293,118.587200293,118.587200293,145.484200293,118.587200293,308.705200293,308.642200293,208
和泉176,190.776100176,190.776100175,635.166100176,190.776100171,222.653200171,295.214200171,295
摂津416,521.935800416,387.620800416,387.620800416,387.620800416,136.411920416,521
伊賀110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917.966400110,917
伊勢714,376.415000714,376.415000714,376.415000714,376.415000696,928.601200714,376
志摩19,279.20300019,279.20300019,279.20300019,279.20300021,535.23300019,279
尾張764,774.166200764,774.166200764,774.166200764,774.166200764,695.937100764,976.391200764,976
三河472,373.710000472,373.710000472,373.710000472,373.710000472,345.024390472,373.740000472,373
遠江372,546.349010372,546.349010372,546.349010372,486.019010373,182.967650372,878.971100372,878
駿河251,954.164860251,782.795400242,046.455950251,918.964450251,865.541850251,865.541850251,865
甲斐312,185.176850307,584.333490307,584.333490307,584.333490311,502.686690311,502.686690311,502
伊豆84,037.20836083,894.25280083,894.25280083,894.25280084,153.59458082,690.44780082,690
相模289,776.731970289,844.162310289,700.225310289,844.162310290,914.210590290,469.843400290,469
武蔵1,282,000.7709001,282,000.4549301,209,639.0561601,282,000.7709001,273,540.1270101,282,000
安房95,641.42350095,641.42350095,641.42350095,641.42350095,760.30696095,641
上総427,313.770940427,313.770940427,313.770940427,313.770940425,958.033020427,313
下総685,027.998250685,027.998250685,027.998250687,373.860550683,746.122490685,027
常陸921,629.152500921,635.781500921,605.208500912,453.540500921,620.733340921,629
近江857,849.525280857,849.525280857,849.525280857,849.525280858,524.203800857,757.156280857,757
美濃729,654.883650729,654.883650729,654.883650729,654.883650654,657.501060729,831.999650729,831
飛騨57,196.05800057,196.05800057,196.05800057,195.99300057,182.17600057,243.31000057,243
信濃786,950.000980786,411.668380785,717.961980786,411.668380778,219.374100779,462.689600779,462
上野635,851.107340636,116.851340645,883.186840636,116.851340637,017.253830635,766.802340635,766
下野758,648.440710762,851.630820763,103.440620763,103.440620765,997.680318762,523.695690761,523
磐城650,488.882370650,488.882370650,488.882370650,488.882370600,036.141240660,840.157370660,845
岩代760,923.545940760,937.750910760,987.163910760,974.680910745,253.591660750,628.221910750,628
陸前700,649.308000700,649.308000700,649.308000700,649.308000701,507.120000700,368.594000700,360
陸中471,842.912000469,073.737000513,978.982000469,073.737000465,451.122000465,451.122000465,451
陸奥423,000.838000423,100.838000422,259.871000423,100.838000422,139.779000422,139.779000422,139
羽前946,971.305680946,971.304910946,971.305610946,971.305680945,416.861600945,709.286900945,709
羽後568,474.889350568,474.889450568,274.889450568,760.275450560,914.624350568,477.384350568,477
若狭91,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767.05810091,767
越前690,243.617750690,249.700400690,243.617750690,243.617750680,924.173550690,243
加賀508,609.127390508,572.547390508,572.547390508,578.372390508,609
能登305,482.643960305,666.036340305,666.036360307,686.221360305,482
越中877,764.107000877,764.107000863,243.885450899,831.939000877,760
越後1,150,567.5234901,150,836.3685801,150,566.1374881,150,836.3285901,150,507.7919501,149,017.3233501,149,017
佐渡135,206.123000135,206.123000135,514.481000135,206.123000132,687.251000135,095.962000135,095
丹波329,465.473860329,465.473860329,440.739460329,465.473460324,465
丹後148,002.130300148,002.130300148,002.130300148,002.130300154,172.669900148,000
但馬148,147.754270148,147.754270148,133.549870148,147.754270148,147
因幡195,632.645000195,632.645000195,632.645000195,632.645000193,334.946000195,632
伯耆251,069.407000251,069.407000251,069.407000251,069.407000245,034.773000251,069
出雲320,709.911000320,709.911000320,709.911000320,709.911000320,709
石見182,136.898500182,136.898500182,136.898500182,136.898500182,136
隠岐12,562.90700012,562.90700012,562.90700012,562.90700012,562
播磨660,557.816260660,557.816250660,557.816260660,557.816260656,119.108400660,557
美作262,333.864000262,333.864000262,333.864000262,333.864000262,156.353000262,333.867000262,333
備前418,964.538000418,964.538000418,964.628000418,964.538000423,190.534000418,964.435000418,960
備中371,355.175800371,355.175800371,355.106800371,355.175800372,534.287400371,441.375800371,441
備後315,876.181550315,876.181550315,876.262550355,704.437100315,511.340650315,511.340550315,511
安芸314,669.487100314,669.487100314,669.487100314,669.487100313,164.685000313,164.685000313,164
周防552,160.215180552,160.215180552,160.216980552,160.215180548,871.447830552,160.215180552,160
長門458,143.489890458,143.489890458,143.489890458,143.489890454,263.019560458,143.489890458,143
紀伊444,283.133350444,283.133350444,283.133350444,283.133350444,047.996710444,165.259450444,165
淡路136,637.981830136,642.763130136,637.981820136,637.981820136,637
阿波310,484.464740310,484.464740310,484.464740310,484.464740306,732.739386316,732.739370306,732
讃岐302,481.216200309,814.753800309,814.753800309,814.753800293,629.620300311,064.753800311,064
伊予443,321.658842475,556.573340443,321.688420443,855.058320434,356.976250442,079.976470442,079
土佐510,572.194700512,698.991000512,698.991000512,698.991000494,091.429000510,572
筑前633,404.635400633,404.635400633,404.635400633,404.635400633,433.649400633,434.649400633,434
筑後536,742.902650536,742.902650536,902.236650459,184.417000536,841.458650536,841.458650536,841
豊前366,948.081380366,948.081380366,948.081380366,948.081380363,350.518280366,948
豊後459,184.417340459,184.417340459,184.417340459,184.417340459,184.461440459,189.417340459,184
肥前685,116.897620685,117.597620669,518.512180685,117.597620680,997.013920691,444.730250691,444
肥後851,237.052910851,237.052910851,237.052910851,237.052910851,219.885650851,237
日向418,142.356650418,142.356650418,142.356650418,142.356650417,393.172000418,142
大隅261,793.742710261,793.742710276,119.478300261,793.742710261,168.372000261,793
薩摩323,483.000000323,483.502510310,627.311860323,483.502510319,146.709000425,833
壱岐32,853.88500032,853.88500032,853.88500032,853.88500035,042.62900035,042.62900035,042
対馬5,818.1160000.0000000.0000000.0000000.000000
琉球94,230.70094094,230.70094094,230.701000123,711
奄美52,793.39202052,793.39202032,828.70000052,793
合計32,335,180.07175232,366,784.81887032,119,461.01075832,296,285.15736029,096,156.38193420,004,826.53639032,439,432
総計32,351,879.64422232,296,285.15736032,439,434
[80377] 2012年 3月 4日(日)17:21:05【2】YT さん
文献毎の元禄・天保の村数・石高の違いの比較
[80371]の註11と註12が判り難いので、各文献毎の元禄・天保の村数・石高の違いを以下にまとめ直しておきます。

旧国文献元禄村数元禄石高天保村数天保石高備考
山城国葛野郡YT集計・大野瑞男7935,224.1118008135,446.999010
山城国葛野郡村高比較表7035,224.1118008135,446.999010元禄村数誤記
山城国YT集計・大野瑞男459224,257.788160477230,131.760865
山城国村高比較表450224,257.788160477230,131.760865元禄村数誤記
相模国淘綾郡YT集計・村高比較表207,830.425100198,110.611560
相模国淘綾郡大野瑞男207,830.425000198,110.611560元禄石高誤記
武蔵国YT集計・村高比較表2,9511,167,862.9833903,0421,281,431.068820
武蔵国大野瑞男2,9511,167,862.9833903,4121,281,431.068820天保村数誤記
磐城国白河郡YT集計20541,959.0200009343,677.955000元禄石高誤記を仮定
磐城国白河郡大野瑞男・村高比較表20541,959.2000009343,677.955000
陸奥国YT集計4,3651,921,934.8874504,5192,874,239.059880元禄村数誤記を仮定
陸奥国大野瑞男・村高比較表4,3631,921,934.8874504,5192,874,239.059880
安房国YT集計・大野瑞男27293,886.21023028095,736.239070
安房国村高比較表22293,886.21023028095,736.239070元禄村数誤記
下総国YT集計・大野瑞男1,486568,331.1137401,623681,062.631660
下総国村高比較表1,186568,331.1137401,623681,062.631660元禄村数誤記
備中国YT集計・大野瑞男468324,455.623000484363,915.614210
備中国村高比較表486324,455.623000484363,915.614210元禄村数誤記
長門国YT集計・大野瑞男173166,623.645000150404,853.333000
長門国村高比較表123166,623.645000150404,853.333000元禄村数誤記
壱岐国YT集計・大野瑞男5018,072.8060005032,742.921000
壱岐国村高比較表5218,072.8060005032,742.921000元禄村数誤記
対馬国YT集計・大野瑞男1240.0000001400.000000
対馬国村高比較表1240.0000001240.000000天保村数誤記
琉球国YT集計・大野瑞男71123,711.81348071123,711.813480
大隅属島村高比較表1932,828.7000001932,828.700000奄美群島を琉球から分離
琉球村高比較表4690,883.1134804690,883.113480村数誤記
松前嶋YT集計・大野瑞男1280.000000
松前嶋村高比較表集計なし
全国総計YT集計63,22825,910,641.41806063,69030,558,917.841139
全国総計大野瑞男63,22625,786,929.60458063,93230,558,917.841139松前嶋・元禄琉球石高除外
全国総計村高比較表62,83125,910,641.41806063,54030,558,917.841139

この他、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には郡別石高の誤記等が多数ありますが、国別石高はほぼ大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」と同じです。

元禄の国別石高は、『地方凡例録』『竹橋余筆別集』『第2次農務統計表』等にも掲載されています。
[80371] 2012年 3月 4日(日)07:02:40【2】YT さん
元禄郷帳(6)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
西海道総計7,4683,655,547.3287707,5094,114,612.705576
筑前国総計902606,981.420000901651,782.278440
筑前国遠賀郡9649,283.4936009560,146.856380
筑前国宗像郡6450,511.5530006458,264.704240
筑前国鞍手郡7759,025.6328007761,964.898950
筑前国穂波郡6232,635.9836006238,621.534670
筑前国嘉麻郡6840,914.9619006846,702.663060
筑前国上座郡3821,205.7204003825,971.100000
筑前国下座郡4218,933.6750004221,277.952460
筑前国夜須郡5637,481.4808005640,238.912130
筑前国御笠郡5932,535.2020005937,952.316000
筑前国粕屋郡8452,897.8940008465,150.184100
筑前国席田郡98,719.91000099,924.840070
筑前国那珂郡8134,367.2490008143,851.417640
筑前国早良郡5238,698.2690005246,321.317700
筑前国志摩郡5136,096.1980005148,084.341640
筑前国怡土郡6343,674.1969006347,309.239400
筑前国外新田高50,000.000000
筑後国総計709331,497.769000710375,588.897800
筑後国生葉郡5412,675.8370005414,890.817000
筑後国竹野郡8912,397.8120008914,199.382000
筑後国山本郡3012,804.1020003012,910.215000
筑後国御原郡3520,587.4300003522,409.750000
筑後国御井郡7136,780.4660007139,458.100000
筑後国上妻郡10929,616.46200010934,763.278000
筑後国下妻郡3321,518.2260003321,975.513000
筑後国三潴郡14090,223.688000141102,169.008000
筑後国山門郡8657,371.5440008666,010.654000
筑後国三池郡6237,522.2020006246,802.180800
豊前国総計668273,801.848300677368,913.640500
豊前国企球郡9531,981.1970009548,832.533000
豊前国田川郡6339,573.6970006356,879.086000
豊前国京都郡6622,222.7370006634,271.442000
豊前国仲津郡7427,642.3450007440,773.455000
豊前国築城郡3915,556.7090003922,844.107000
豊前国上毛郡7330,113.2460007340,495.081400
豊前国下毛郡8136,688.1127008147,779.353100
豊前国宇佐郡17770,023.80460018677,038.583000
豊後国総計1,516369,546.7916001,473417,514.227150
豊後国国東郡18454,453.07260018379,407.481900
豊後国速見郡12450,314.12500012054,838.713400
豊後国大分郡23061,871.97900022765,466.122300
豊後国海部郡15448,435.83900015456,685.475970
豊後国大野郡39557,769.00200039559,737.313000
豊後国直入郡25435,879.05100025437,304.699000
豊後国玖珠郡6429,333.4970004831,097.550170
豊後国日田郡11131,490.2260009232,976.871410
肥前国総計1,418572,284.1231001,400706,470.723196
肥前国基肄郡229,122.3400002211,992.375000
肥前国養父郡2310,601.4720002313,204.107000
肥前国三根郡4824,335.4600004825,835.460000
肥前国神崎郡10949,335.27100010952,335.271000
肥前国佐嘉郡172102,779.196000172115,290.067000
肥前国小城郡14446,409.68800014452,409.688000
肥前国松浦郡488131,439.361500486189,934.677696
肥前国杵嶋郡11467,436.36100011485,436.361000
肥前国藤津郡7930,750.0840007935,750.084000
肥前国彼杵郡10740,854.0486009152,988.135500
肥前国高来郡11259,220.84100011271,294.497000
肥後国総計1,124563,857.1780001,116611,920.291100
肥後国天草郡12321,768.9760008824,967.232100
肥後国蘆北郡3017,534.5600003019,218.576000
肥後国球麻郡4522,192.3200007241,816.887000
肥後国八代郡6942,881.9270006944,160.986000
肥後国益城郡287123,433.380000287129,228.847000
肥後国宇土郡4925,709.5850004925,996.826000
肥後国飽田郡9451,033.4820009452,333.379000
肥後国詫摩郡2919,088.2360002920,333.164000
肥後国合志郡6034,691.1800006036,672.280000
肥後国山本郡3317,387.1000003317,708.082000
肥後国玉名郡11073,927.90200011079,038.508000
肥後国山鹿郡4433,116.9680004433,316.519000
肥後国菊池郡6726,463.2600006727,233.981000
肥後国阿蘇郡8454,628.3020008459,895.024000
日向国総計398309,954.528170483340,128.861790
日向国諸県郡175127,218.913320175127,277.596520
日向国宮崎郡2936,533.7235202936,592.398520
日向国那珂郡7878,572.9173307890,835.434330
日向国児湯郡4737,582.8990004842,729.890600
日向国臼杵郡6930,046.07500015342,693.541820
大隅国総計230170,833.451000230170,833.451000
大隅国菱刈郡139,986.856000139,986.856000
大隅国桑原郡3221,824.0430003221,824.043000
大隅国始羅郡3926,643.4620003926,643.462000
大隅国囎唹郡6343,884.4800006343,884.480000
大隅国肝属郡3842,015.9880003842,015.988000
大隅国大隅郡3220,192.3130003220,192.313000
大隅国熊毛郡95,205.71900095,205.719000
大隅国馭謨郡41,080.59000041,080.590000
薩摩国総計258315,005.600120258315,005.600120
薩摩国鹿児島郡2730,339.6942002730,339.694200
薩摩国谿山郡615,047.895500615,047.895500
薩摩国給黎郡610,464.207000610,464.207000
薩摩国揖宿郡716,857.056700716,857.056700
薩摩国頴娃郡715,939.384700715,939.384700
薩摩国河辺郡3535,045.7180003535,045.718000
薩摩国阿多郡2023,570.4705002023,570.470500
薩摩国日置郡4851,648.0439004851,648.043900
薩摩国薩摩郡3342,719.1347503342,719.134750
薩摩国伊佐郡5238,401.3624705238,401.362470
薩摩国出水郡723,735.256000723,735.256000
薩摩国高城郡88,445.99140088,445.991400
薩摩国甑嶋郡22,791.38500022,791.385000
壱岐国総計5018,072.8060005032,742.921000
壱岐国壱岐郡2310,049.4710002317,577.855000
壱岐国石田郡278,023.3350002715,165.066000
対馬国総計1240.0000001400.000000
対馬国上県郡570.000000650.000000
対馬国下県郡670.000000750.000000
琉球国総計71123,711.81348071123,711.813480
琉球国沖縄嶋2762,199.0000002762,199.000000
琉球国計羅摩嶋1203.0000001203.000000
琉球国戸無嶋145.100000145.100000
琉球国久米嶋23,677.70000023,677.700000
琉球国粟嶋1727.4000001727.400000
琉球国伊恵嶋13,643.00000013,643.000000
琉球国伊是那嶋1750.2000001750.200000
琉球国恵平屋嶋1541.6000001541.600000
琉球国喜界嶋56,932.40000056,932.400000
琉球国大嶋710,455.500000710,455.500000
琉球国徳之嶋310,009.700000310,009.700000
琉球国永良部嶋34,158.50000034,158.500000
琉球国与論嶋11,272.60000011,272.600000
琉球国宮古嶋612,458.792420612,458.792420
琉球国八重山嶋116,637.321060116,637.321060

五畿八道郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
北海道総計1280.000000
松前嶋総計1280.000000

全国郡名元禄村数元禄石高元禄永高天保村数天保石高天保永高
全国総計63,22825,910,641.418060永高1369貫801文63,69030,558,917.841139永高1367貫670文

註8) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、元禄の琉球国の内訳が掲載されていないが、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』で元禄分も内訳が掲載されており、天保郷帳の記載をそのまま採用した。

註9) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、喜界嶋
大嶋、徳之嶋、永良部嶋、与論嶋が「大隅属島」と区分されており、本表の作成が明治10年以降であることが伺われる。また沖縄嶋、計羅摩嶋、戸無嶋、久米嶋、粟嶋、伊恵嶋、伊是那嶋、恵平屋嶋を全て合わせて「沖縄嶋」と集計している。

註10) 天保の松前嶋村数総数として、枝村を含む和人居住地の村数128を採用した。史籍研究会 『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』 では、ほかに蝦夷人居所402箇所(箱館附場所8箇所、東蝦夷128箇所、西蝦夷195箇所、国後島8箇所、択捉島11箇所、奥尻島・利尻島・礼文島3箇所、樺太49箇所)と他の島25の記載があるが、これらは村数として集計されていない。

 松前東西夲村枝村共
一人居村數    百弐拾八箇村
    内四拾四箇村 枝村

 箱舘附場所之内
一蝦夷人居所   八箇所

 東西蝦夷地
一蝦夷人居所   三百弐拾三箇所

一惣嶋数     三拾壱ヶ所
    但嶋々之内蝦夷人居所 七拾壱ヶ所

区分人居数備考
松前東西本村枝村128枝村44を含む
蝦夷人居所402
 箱館附場所8但し蝦夷人居住の名称が記載されていない
 東西蝦夷地323
  東蝦夷128郷帳から集計
  西蝦夷195郷帳から集計
 嶋々之内71惣嶋数は31ヶ所
  クナシリ嶋8郷帳から集計
  ヱトロフ嶋11郷帳から集計
  大嶋1集計上仮定
  リイシリ1蝦夷人居所壱ヶ所有(名称なし)
  レブンシリ1蝦夷人居所壱ヶ所有(名称なし)
  カラフト嶋49郷帳から集計

大嶋(奥尻島)には「蝦夷人居所壱ヶ所有」等の記述がないが、嶋々の中での蝦夷人居所の集計は70となってしまう。そこで奥尻島の項目に記載されるべき「蝦夷人居所壱ヶ所有」の記述が脱落したと仮定した。

註11) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、元禄村数6万3226・元禄石高2578万6929石6斗0升4合5勺8才と記載されているが、上記表の元禄村数6万3228・元禄石高2591万0641石4斗1升8合0勺6才との差はそれぞれ陸奥国の村数合計不一致+2、琉球の元禄石高12万3711石8斗1升3合4勺8才に相当する。また大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、天保村数6万3932と記載されているが、上記表の元禄村数6万3690との差は誤集計による武蔵国の村数の差-370と松前嶋の村数+128に相当する。


註12) 東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、元禄村数6万2831と記載されているが、上記表の元禄村数6万3228との差は琉球の村数の差+6、山城国葛野郡の村数の差+9、安房国村数総計の差+50、下総国村数総計の差+300、備中国村数総計の差-18、長門国村数総計の差+50、壱岐国村数総計の差-2、陸奥国村数合計不一致+2に相当する。また東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、天保村数6万3540と記載されているが、上記表の天保村数6万3690との差は琉球の村数の差+6、対馬国総計の差+16、松前嶋+128に相当する。
[80370] 2012年 3月 4日(日)06:31:45【1】YT さん
元禄郷帳(5)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
山陽道総計4,7872,376,120.1260004,8133,211,546.810710
播磨国総計1,800568,517.5790001,796651,964.813500
播磨国明石郡14952,401.44600014757,016.077000
播磨国美嚢郡15540,975.39000015744,146.518300
播磨国加古郡9836,894.6710009950,014.762000
播磨国印南郡11435,819.46200011645,658.439700
播磨国加東郡14750,116.50600015155,819.578100
播磨国加西郡12238,085.77200012339,078.271900
播磨国多可郡12433,887.11100012434,140.639000
播磨国神東郡7922,056.5370007928,484.534090
播磨国神西郡6718,164.5240006922,055.429060
播磨国飾東郡7029,861.1180007139,532.590000
播磨国飾西郡7931,563.4420007740,382.596000
播磨国揖東郡13448,490.09600013055,691.947900
播磨国揖西郡10229,658.70300010133,118.687100
播磨国赤穂郡13238,868.03600012544,078.249600
播磨国佐用郡8823,350.3440008724,187.595400
播磨国宍粟郡14038,324.42100014038,558.898350
美作国総計592259,353.701000628262,099.098000
美作国東南条郡1410,654.0130001410,838.443000
美作国東北条郡3215,120.8030003215,411.158000
美作国西北条郡2310,487.7840002310,765.428000
美作国西々条郡5126,335.8440005126,800.651000
美作国大庭郡4720,351.9650004720,836.769000
美作国真嶋郡9532,943.5410009633,194.017000
美作国久米北条郡3328,777.4800005028,870.413000
美作国久米南条郡5422,774.7880006022,982.121000
美作国勝南郡6824,495.7160007024,654.139000
美作国勝北郡5333,965.4220005734,139.459000
美作国英田郡6413,509.2320006413,659.633000
美作国吉野郡5819,937.1130006419,946.867000
備前国総計646289,224.710000673416,581.854000
備前国御野郡6142,707.1900006352,800.666000
備前国津高郡9338,271.1000009347,395.655000
備前国赤坂郡9437,964.0400009444,132.424000
備前国磐梨郡6421,288.7400006427,217.612000
備前国和気郡8620,978.6500008928,713.035000
備前国邑久郡7145,583.9500007869,534.016000
備前国上道郡9653,001.760000108100,072.824000
備前国児嶋郡8129,429.2800008446,715.622000
備中国総計468324,455.623000484363,915.614210
備中国上房郡2722,005.0272002724,720.902500
備中国阿賀郡3332,531.2213003433,161.099400
備中国哲多郡2922,753.5033002922,804.433100
備中国川上郡5325,523.8657005431,213.727000
備中国小田郡7036,497.7560007137,269.410300
備中国後月郡3717,790.2480003618,003.581000
備中国下道郡1713,826.7709001718,973.970200
備中国賀陽郡7645,007.1756007849,346.670410
備中国都宇郡3928,251.4050004335,682.231200
備中国浅口郡4448,981.2398004954,726.799900
備中国窪屋郡4331,287.4102004638,012.789200
備後国総計494295,678.888000494312,054.932000
備後国御調郡5929,269.1040005937,037.740000
備後国世羅郡4929,571.4250004933,193.055000
備後国三谿郡3818,156.2550003819,245.673000
備後国三上郡1812,836.5620001813,654.330000
備後国奴可郡3917,637.2280003919,792.879000
備後国甲怒郡3215,519.2430003215,574.586000
備後国沼隈郡4326,070.2540004326,425.202000
備後国深津郡3225,564.9170003225,652.294000
備後国安那郡2924,658.9530002924,725.729000
備後国品治郡2111,573.5100002111,709.049000
備後国芦田郡2817,453.3350002817,567.020000
備後国神石郡3822,330.4650003822,344.401000
備後国三次郡4323,093.1750004323,093.175000
備後国恵蘇郡2521,944.4620002522,039.799000
安芸国総計436269,478.310000436310,648.489000
安芸国沼田郡3320,822.3380003328,895.157000
安芸国佐伯郡6334,798.0700006339,797.503000
安芸国豊田郡5651,414.8580005657,797.663000
安芸国山県郡6428,518.6690006430,646.105000
安芸国高宮郡3216,193.7960003217,732.512000
安芸国賀茂郡8849,298.8920008856,010.134000
安芸国安芸郡3825,356.6850003835,841.634000
安芸国高田郡6243,075.0020006243,927.781000
周防国総計178202,787.670000152489,428.677000
周防国大嶋郡2713,195.6150002731,870.020000
周防国都濃郡3334,913.9830002593,332.799000
周防国佐波郡2426,791.0140001883,044.548000
周防国玖珂郡4453,532.78100036103,659.279000
周防国吉敷郡2338,635.3460002098,751.511000
周防国熊毛郡2735,718.9310002678,770.520000
長門国総計173166,623.645000150404,853.333000
長門国豊浦郡6645,082.22900065127,286.534000
長門国大津郡1818,214.1370001542,798.047000
長門国美禰郡1831,921.7450001559,959.307000
長門国厚狭郡3332,306.4630003284,785.952000
長門国阿武郡3738,515.0300002288,817.320000
長門国見嶋郡1584.04100011,206.173000

旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
南海道総計4,5251,546,000.6775404,4511,889,261.906450
紀伊国総計1,413397,668.0190001,337440,858.377710
紀伊国伊都郡12734,180.58900014737,534.277570
紀伊国那賀郡22984,008.94900024890,741.177040
紀伊国名草郡15081,695.75300015087,979.907000
紀伊国海部郡6321,081.6780005925,750.744800
紀伊国在田郡14642,574.11600013747,308.213000
紀伊国日高郡18344,910.90200014848,671.176200
紀伊国牟婁郡51589,216.032000448102,872.882100
淡路国総計23770,428.10000025197,164.784000
淡路国津名郡12137,207.90000012252,609.821000
淡路国三原郡11633,220.20000012944,554.963000
阿波国総計455193,862.285000455268,894.329000
阿波国三好郡2815,805.7100002820,489.375000
阿波国美馬郡219,950.6790002112,738.871000
阿波国阿波郡327,873.5560003210,704.226000
阿波国板野郡10134,721.69200010152,738.087000
阿波国麻植郡3614,482.3800003515,642.831000
阿波国名西郡3917,211.9260003923,005.650000
阿波国名東郡5225,404.7870005432,998.102000
阿波国勝浦郡3214,188.6210003330,091.430000
阿波国那賀郡8842,182.9310008755,534.426000
阿波国海部郡2612,040.0030002514,951.331000
讃岐国総計385186,394.041000377291,320.256400
讃岐国大内郡3410,200.0000003414,871.661000
讃岐国寒川郡2513,600.0580002621,522.707000
讃岐国三木郡2011,619.4770002017,203.116000
讃岐国山田郡3018,178.2500003028,372.544000
讃岐国香川郡4721,904.7730004737,302.399000
讃岐国阿野郡3517,759.2590003529,495.136000
讃岐国鵜足郡2716,183.6970002729,038.844000
讃岐国那珂郡4119,460.1360004029,032.730900
讃岐国多度郡2114,676.8100002218,984.071000
讃岐国三野郡2819,043.7610002732,401.830000
讃岐国豊田郡4713,859.7660003922,067.593000
讃岐国小豆嶋97,916.25100098,994.386000
讃岐国塩飽嶋181,250.000000181,250.000000
讃岐国直嶋3741.8030003783.238500
伊予国総計959429,163.258540955460,997.639340
伊予国宇摩郡5121,223.1310005122,572.198800
伊予国新居郡5226,083.8770005233,731.476000
伊予国周布郡3721,342.5850003623,054.416000
伊予国桑村郡2713,434.1320002714,634.317000
伊予国越智郡9538,584.0590009246,221.629000
伊予国野間郡3014,989.2250003016,522.458000
伊予国風早郡8417,635.8560008418,417.696000
伊予国和気郡2214,246.1260002216,198.524000
伊予国久米郡3115,790.2570003117,333.347000
伊予国伊予郡3424,011.8670003426,686.227000
伊予国浮穴郡9935,656.6110009937,769.192000
伊予国喜多郡8333,939.7700008334,720.057000
伊予国宇和郡279130,409.808540279130,409.808540
土佐国総計1,076268,484.9740001,076330,026.520000
土佐国安芸郡11022,181.99900011030,056.362000
土佐国香我美郡14739,610.93000014747,268.056000
土佐国長岡郡14736,549.45200014744,910.837000
土佐国土佐郡10320,784.92000010329,250.880000
土佐国吾川郡6921,750.0490006926,222.405000
土佐国高岡郡22057,328.97600022072,984.692000
土佐国幡多郡28070,278.64800028079,333.288000
[80369] 2012年 3月 4日(日)06:26:26YT さん
元禄郷帳(4)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
北陸道総計8,9123,008,193.6391708,9103,622,488.969650
若狭国総計25588,281.52240025591,018.822200
若狭国大飯郡7419,970.7386007420,320.601600
若狭国遠敷郡12243,030.14980012244,219.201600
若狭国三方郡5925,280.6340005926,479.019000
越前国総計1,541684,271.8096001,533689,304.819870
越前国足羽郡16091,963.62800016092,863.626000
越前国吉田郡13979,289.73840013980,804.032000
越前国丹生郡22987,599.48990022987,973.148800
越前国今立郡20185,667.18500020286,200.011000
越前国南条郡9337,203.2910009235,639.510500
越前国坂井郡350185,485.161000349185,521.392000
越前国大野郡28395,534.80930027697,491.640700
越前国敦賀郡8621,528.5070008622,811.458870
加賀国総計770438,281.770000768483,665.848700
加賀国河北郡17877,939.34000017790,700.563000
加賀国石川郡243177,262.010000235183,508.752000
加賀国能美郡215117,348.830000213131,299.724700
加賀国江沼郡13465,731.59000014378,156.809000
能登国総計681239,208.795400666275,369.990210
能登国羽咋郡19081,788.89800019191,031.531500
能登国鹿嶋郡15374,990.11410015085,955.788910
能登国鳳至郡25654,737.48300025064,961.548500
能登国珠洲郡8227,692.3003007533,421.121300
越中国総計1,441611,000.1000001,376808,008.461820
越中国新川郡511197,612.040000486282,103.413820
越中国婦負郡18664,648.00000018084,671.080000
越中国射水郡240138,183.340000220171,283.951000
越中国砺波郡504210,556.720000490269,950.017000
越後国総計3,964816,775.7307704,0511,142,555.535850
越後国頚城郡1,087206,834.8056701,098224,528.938600
越後国苅羽郡19169,986.95900019075,500.337470
越後国魚沼郡58080,827.973000409100,305.259500
越後国古志郡21745,039.04200026869,545.390100
越後国三嶋郡21463,876.69400022477,727.699030
越後国岩船郡24348,501.17900025060,478.961000
越後国蒲原郡1,432301,709.0781001,612534,468.950150
佐渡国総計260130,373.911000261132,565.491000
佐渡国加茂郡10046,656.55400010047,492.368000
佐渡国雑太郡10062,375.91100010063,226.834000
佐渡国羽茂郡6021,341.4460006121,846.289000

旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
山陰道総計4,2201,372,238.9974004,2141,499,296.436760
丹波国総計902293,445.547400880324,136.268670
丹波国桑田郡21450,385.34560021556,805.634000
丹波国船井郡20442,313.44100020353,256.533290
丹波国何鹿郡7741,305.5053007142,361.920400
丹波国天田郡10450,106.53480010450,915.453720
丹波国氷上郡17164,169.94570017368,546.206660
丹波国多紀郡13245,164.77500011452,250.520600
丹後国総計392145,821.182000388147,614.804460
丹後国与佐郡9242,056.6520009242,655.397000
丹後国加佐郡13738,302.58100013738,991.085460
丹後国中郡3321,558.6650003321,738.797000
丹後国熊野郡5318,885.7530005318,979.097000
丹後国竹野郡7725,017.5310007325,250.428000
但馬国総計627130,673.235000623144,313.084030
但馬国朝来郡9020,682.9520009020,739.756000
但馬国養父郡10420,916.71000010023,692.594000
但馬国二方郡547,926.735000549,840.706000
但馬国七味郡596,700.000000738,783.642000
但馬国気多郡8017,940.6470007519,959.944400
但馬国城崎郡7920,370.2080007921,660.814630
但馬国美含郡7411,098.3060007211,628.509000
但馬国出石郡8725,037.6770008028,007.118000
因幡国総計535170,728.289000553177,844.624000
因幡国岩井郡4619,554.3760005020,713.069000
因幡国法美郡6018,806.1880006019,123.253000
因幡国八東郡8523,128.5760008823,244.984000
因幡国八上郡5820,010.1600006020,577.499000
因幡国智頭郡9614,380.0560009814,563.432000
因幡国邑美郡3215,491.0280003516,461.596000
因幡国高草郡7835,553.3080008037,823.506000
因幡国気多郡8023,804.5970008225,337.285000
伯耆国総計710194,416.567000754217,990.822280
伯耆国河村郡10222,727.80500010425,312.890000
伯耆国久米郡11137,829.47100011939,064.655000
伯耆国八橋郡10328,625.19400010731,842.697000
伯耆国汗入郡7424,320.8960007427,062.298060
伯耆国会見郡14954,863.12000017361,940.043000
伯耆国日野郡17126,050.08100017732,768.239220
出雲国総計504282,489.739000504302,627.465000
出雲国嶋根郡5123,120.0340005124,783.438000
出雲国秋鹿郡2010,416.2670002011,308.918000
出雲国楯縫郡2313,172.1370002315,835.685000
出雲国出雲郡1922,142.5040001923,437.342000
出雲国神門郡8559,698.3000008567,525.408000
出雲国飯石郡6130,630.3380006131,395.580000
出雲国仁多郡7221,330.5420007221,557.964000
出雲国大原郡5825,871.4800005826,844.848000
出雲国能義郡7743,274.4840007745,638.197000
出雲国意宇郡3832,833.6530003834,300.085000
石見国総計489142,499.235000451172,209.768320
石見国安濃郡3614,175.6010003014,510.167000
石見国邇摩郡5716,157.4680004616,647.348000
石見国邑知郡11333,889.64000010236,781.165600
石見国那賀郡12036,271.34100011648,549.446720
石見国美濃郡10026,962.3380009633,108.396000
石見国鹿足郡6315,042.8470006122,613.245000
隠岐国総計6112,165.2030006112,559.600000
隠岐国海士郡82,419.63300082,465.515000
隠岐国知夫里郡53,159.64400053,204.464000
隠岐国越智郡162,859.831000162,982.675000
隠岐国周吉郡323,726.095000323,906.946000
[80368] 2012年 3月 4日(日)06:13:10【1】YT さん
元禄郷帳(3)
旧国名郡名元禄村数元禄石高天保村数天保石高
東山道総計14,6246,463,940.15250014,6917,954,049.255308
近江国総計1,516836,829.7207801,516853,095.305590
近江国犬上郡12460,879.83100012461,982.733400
近江国愛知郡11864,319.20860011764,666.171600
近江国神崎郡8347,877.7670008248,303.651000
近江国蒲生郡227136,324.050400228139,585.483400
近江国甲賀郡13775,838.86914013778,128.377110
近江国野洲郡8165,361.0706008166,901.354200
近江国栗太郡11364,573.50700011568,292.251600
近江国滋賀郡8745,314.3672008845,989.544100
近江国高嶋郡15273,468.28560015674,026.516480
近江国伊香郡7136,024.2770007136,248.370800
近江国浅井郡14576,209.87100014276,680.282900
近江国坂田郡17890,638.61624017592,290.569000
美濃国総計1,631645,101.5030001,602699,764.321660
美濃国不破郡4637,893.4100004540,331.586300
美濃国多芸郡6932,369.5390006135,766.985600
美濃国石津郡9126,987.9003009128,571.290300
美濃国安八郡16485,561.57300015293,744.053000
美濃国池田郡6718,577.6270006724,067.901000
美濃国大野郡11949,500.81900011953,522.503190
美濃国本巣郡7234,971.8830007140,176.696800
美濃国席田郡95,579.21400095,755.002900
美濃国方県郡5034,306.7360005035,671.334700
美濃国厚見郡5736,284.5010005841,606.605100
美濃国山県郡5525,614.0580005526,330.754000
美濃国武儀郡14632,485.86400014534,192.459800
美濃国郡上郡16929,933.15010016431,310.303700
美濃国加茂郡12843,500.10060012145,762.914070
美濃国恵那郡7934,307.1500008040,381.050300
美濃国土岐郡5619,625.5410005621,553.070280
美濃国可児郡9632,128.8920009532,578.749260
美濃国各務郡3520,009.5010003720,330.165900
美濃国羽栗郡6521,074.8960006521,773.703460
美濃国中嶋郡3012,694.5360003314,587.327000
美濃国海西郡2811,694.6120002811,749.865000
飛騨国総計41444,469.21900041456,602.309000
飛騨国大野郡13617,166.53500013622,077.814000
飛騨国吉城郡17819,556.99600017824,326.598000
飛騨国益田郡1007,745.68800010010,197.897000
信濃国総計1,697615,818.7375401,615767,788.077600
信濃国佐久郡18677,658.72400018896,780.355100
信濃国諏訪郡14435,019.91490013544,006.476600
信濃国伊那郡298122,687.946940284134,043.131760
信濃国筑摩郡23154,806.43920023382,080.154840
信濃国小県郡12166,143.50600012076,990.992000
信濃国埴科郡3720,780.2140003723,641.649300
信濃国更級郡7845,977.2260007356,610.989700
信濃国安曇郡17938,944.23850018060,123.870900
信濃国水内郡26584,671.523000214108,542.528500
信濃国高井郡15869,129.00500015184,967.928900
上野国総計1,213591,834.4488701,217637,331.633100
上野国邑楽郡8578,956.2270008680,504.195190
上野国新田郡11365,525.33327011467,345.843880
上野国山田郡5836,217.5215006337,049.574050
上野国佐位郡4016,913.5970003621,295.298700
上野国那波郡6027,023.3920005129,853.997170
上野国群馬郡205114,860.111000209120,700.294840
上野国勢多郡17660,519.83100017877,365.379950
上野国利根郡11730,758.97300011730,899.889900
上野国吾妻郡8824,888.8198008825,273.832300
上野国碓氷郡6440,375.8240006841,415.381700
上野国片岡郡34,267.61400034,267.614000
上野国多胡郡2712,289.6998002712,669.119700
上野国緑埜郡4529,136.3595004531,484.950620
上野国甘楽郡13250,101.14600013257,206.261100
下野国総計1,361681,702.8014601,365769,905.027038
下野国河内郡205106,289.230200202110,593.296010
下野国芳賀郡188115,280.724650192133,083.251715
下野国塩谷郡14649,015.09790014455,006.084520
下野国那須郡29997,336.793600298125,398.651200
下野国足利郡4632,149.3305004633,097.686880
下野国簗田郡2814,028.7950002814,158.903933
下野国安蘇郡6462,835.6345006465,725.910510
下野国都賀郡372196,730.720110378223,852.678270
下野国寒川郡138,036.475000138,988.564000
陸奥国総計4,3651,921,934.8874504,5192,874,239.059880
磐城国総計1,326517,082.530950963613,924.675660
磐城国白河郡9341,247.68200010264,170.258000
磐城国石川郡7436,254.8250007648,998.149000
磐城国田村郡15094,130.250350138106,752.851850
磐城国菊多郡9538,245.2356006740,000.479510
磐城国白川郡20541,959.0200009343,677.955000
磐城国磐前郡14949,654.19700010954,816.129300
磐城国磐城郡8430,245.4040004832,041.668000
磐城国楢葉郡9227,425.6540003831,117.724000
磐城国標葉郡7620,224.9040005522,725.790000
磐城国行方郡14447,807.3130009651,141.621000
磐城国宇多郡6927,493.9760004631,918.070000
磐城国宇多郡(1)6022,373.7360003724,898.190000
磐城国宇多郡(2)95,120.24000097,019.880000
磐城国刈田郡3319,991.5600003323,539.230000
磐城国伊具郡3626,534.8100003639,442.940000
磐城国亘理郡2615,867.7000002623,581.810000
岩代国総計1,306641,269.5165001,305755,703.961220
岩代国会津郡28573,389.91800028587,294.666500
岩代国大沼郡15345,658.47620015352,691.176000
岩代国耶麻郡27297,659.420500274122,848.020000
岩代国河沼郡20055,304.00130020074,384.265000
岩代国岩瀬郡7860,430.0485007969,159.628900
岩代国安達郡7371,206.8330007090,795.913030
岩代国安積郡4837,752.9200004754,704.447290
岩代国信夫郡108111,540.283000108114,457.251600
岩代国伊達郡8988,327.6160008989,368.592900
陸前国総計702398,958.830000702697,838.180000
陸前国柴田郡3519,885.6200003530,527.780000
陸前国名取郡6144,514.9400006164,249.900000
陸前国宮城郡7847,578.6300007875,435.820000
陸前国黒川郡4931,311.4100004943,611.090000
陸前国賀美郡3824,779.6500003839,247.460000
陸前国玉造郡2117,723.0700002124,906.980000
陸前国志田郡6429,256.0600006457,195.750000
陸前国遠田郡5831,040.7700005860,747.280000
陸前国栗原郡9281,354.89000092135,970.380000
陸前国登米郡2418,271.0600002440,372.090000
陸前国牡鹿郡605,420.4600006014,927.350000
陸前国桃生郡6519,748.4700006573,441.620000
陸前国本吉郡3315,173.1000003321,682.680000
陸前国気仙郡2412,900.7000002415,522.000000
陸中国総計530228,520.614000537423,134.490000
陸中国磐井郡8659,317.0100008683,017.320000
陸中国胆沢郡3747,582.4500003777,031.250000
陸中国江刺郡4126,627.4000004140,586.650000
陸中国和賀郡4421,885.6600004638,362.692000
陸中国稗貫郡5215,112.2030005242,447.666000
陸中国紫波郡5116,380.0040005147,185.279000
陸中国岩手郡5412,223.4140005535,903.389000
陸中国鹿角郡338,272.3250003318,983.063000
陸中国閉伊郡9113,666.7800009426,725.210000
陸中国九戸郡417,453.3680004212,891.971000
陸奥国総計501136,103.3960001,012383,637.753000
陸奥国二戸郡488,148.3040004813,888.542000
陸奥国三戸郡6718,874.0140006738,575.259000
陸奥国北郡505,983.9280005413,911.722000
陸奥国津軽郡336103,097.150000843317,262.230000
出羽国総計2,4271,126,248.8344002,4431,295,323.521440
羽前国総計1,195733,879.2304001,204804,569.693740
羽前国置賜郡260193,993.534200260216,161.220230
羽前国村山郡422352,513.707200430366,147.135970
羽前国最上郡12851,072.34180012862,387.453800
羽前国田川郡385136,299.647200386159,873.883740
羽後国総計1,232392,369.6040001,239490,753.827700
羽後国飽海郡25462,318.74500026774,428.472400
羽後国秋田郡25364,320.82100028384,719.960000
羽後国川辺郡4816,520.1960005322,083.154000
羽後国雄勝郡8340,891.2450008654,836.706000
羽後国仙北郡16482,030.53300017593,611.794000
羽後国山本郡7020,347.1530007628,453.063000
羽後国平鹿郡9551,195.36000010759,950.292000
羽後国由利郡26554,745.55100019272,670.386300

註5) ※大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では陸奥・出羽の石高は有力大名の知行を元に区切った郷帳毎に集計されているが、判り易いように明治以降の国(磐城・岩代・陸前・陸中・陸後・陸奥・羽前・羽後)で集計した。郷帳別集計は以下の通り。

旧国元禄村数元禄石高天保村数天保石高郡構成
陸奥(1)910272,011.816000912337,218.127500会津,大沼,耶麻,河沼
陸奥(2)516341,022.558850512434,581.248070白河,石川,岩瀬,田村,安達,安積
陸奥(3)905277,935.643600543300,419.556810菊多,白川,磐前,磐城,楢葉,標葉,行方,宇多(1)
277,935.463600(白川郡の石高修正後(註6を参照))
陸奥(4)197199,867.899000197203,825.844500信夫,伊達
陸奥(5)970600,000.000000970992,057.260000刈田,柴田,伊具,宇多(2),亘理,名取,宮城,黒川,賀美,玉造,志田,
遠田,栗原,登米,牡鹿,桃生,本吉,気仙,磐井,胆沢,江刺
陸奥(6)531128,000.000000542288,874.793和賀,稗貫,紫波,岩手,鹿角,閉伊,九戸,二戸,三戸,北
陸奥(7)336103,097.150000843317,262.230000津軽
出羽(1)260193,993.534200260216,161.220230置賜
出羽(2)422352,513.707200430366,147.135970村山
出羽(3)12851,072.34180012862,387.4538最上
出羽(4)639198,618.392200653234,302.256140田川,飽海
出羽(5)978330,050.859000972416,325.355300秋田,川辺,雄勝,仙北,山本,平鹿,由利

註6) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」によると、
元禄郷帳陸奥の村数は計算によると4,365村と2村多く、石高集計は1,921.935.06745となり0.18多い。郡石高に2升を2斗の誤記があるか。これを除いて計算は全て合う。
該当する郡は磐城国白河郡しかないため、元禄の磐城国白河郡石高を4万1959石2斗から4万1959石2升に修正した。陸奥国村数総数として計算値4365を採用した。

註7) 近世絵図地図資料研究会編『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳』解読篇と史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』の比較において、平鹿の村数に関し、集計数と実際に記載されている村の数が一致しないが(記載されている村は109項目で、集計数107よりも2村多い)、集計されている村数の方を採用した。
[80367] 2012年 3月 4日(日)05:54:32【2】YT さん
元禄郷帳(2)
旧国名郡名元禄村数元禄石高元禄永高天保村数天保石高天保永高
東海道総計15,1305,933,115.744030永高1369貫801文15,3236,652,134.556760永高1367貫670文
伊賀国総計182100,540.002000182110,096.536000
伊賀国阿拝郡6939,413.8900006944,046.739000
伊賀国山田郡2516,499.0200002518,112.130000
伊賀国伊賀郡5027,953.1800005030,216.981000
伊賀国名張郡3816,673.9120003817,720.686000
伊勢国総計1,400621,027.4420001,325716,451.492700
伊勢国桑名郡10447,568.50100016965,115.467000
伊勢国員弁郡10847,388.92200010649,923.482000
伊勢国朝明郡6229,404.5880006433,379.119000
伊勢国三重郡9060,712.5020008967,495.527000
伊勢国鈴鹿郡9252,618.3620008866,770.783500
伊勢国河曲郡4232,393.8170003834,225.721000
伊勢国安芸郡6944,212.9830006147,637.997000
伊勢国安濃郡8558,012.4500008561,058.720000
伊勢国一志郡15890,911.429000131109,890.107000
伊勢国飯高郡11446,486.07700011352,486.684500
伊勢国飯野郡4223,405.2540003925,724.922000
伊勢国多気郡17442,396.07300012948,237.689000
伊勢国渡会郡26045,516.48400021354,505.273700
志摩国総計5620,061.6410005621,470.398000
志摩国答志郡3712,130.1440003712,953.658000
志摩国英虞郡197,931.497000198,516.740000
尾張国総計989521,480.5180001,008545,875.793000
尾張国愛知郡12284,471.46500012289,511.329000
尾張国春日井郡181106,046.728000189111,764.184000
尾張国丹羽郡11759,404.17800011859,541.518000
尾張国葉栗郡4113,768.8430004113,905.615000
尾張国中嶋郡16882,312.97000016782,252.940000
尾張国海東郡13882,837.87800013888,891.311000
尾張国海西郡7525,084.8760009128,835.934000
尾張国知多郡14767,553.58000014271,172.962000
三河国総計1,267383,413.4423001,292466,080.746800
三河国額田郡16243,258.32920016851,914.880350
三河国賀茂郡34764,522.71550034766,953.239700
三河国碧海郡12582,402.09710012996,999.709340
三河国幡豆郡13852,453.90800015170,047.589170
三河国宝飯郡10851,463.86120010857,482.798620
三河国設楽郡22827,055.35200022930,083.289080
三河国八名郡6521,549.0253006526,984.123000
三河国渥美郡9440,708.1540009565,615.117540
遠江国総計1,093328,651.4365801,094369,552.575180
遠江国榛原郡13846,517.58450014150,013.144290
遠江国城東郡11561,029.94341010869,036.653990
遠江国佐野郡9426,770.2773009429,157.595630
遠江国山名郡10137,532.61150010839,931.417220
遠江国周知郡9223,108.9840009425,074.530840
遠江国磐田郡11,042.71700011,042.717000
遠江国豊田郡25350,462.04263025954,455.891990
遠江国長上郡12325,721.61700012030,518.565680
遠江国麁玉郡51,400.94500052,491.601290
遠江国敷知郡12841,215.08624012149,063.076640
遠江国浜名郡21,079.95600021,267.403000
遠江国引佐郡4112,769.6720004117,499.977610
駿河国総計795237,937.407280780250,538.753090
駿河国志太郡12550,538.35333012654,391.493390
駿河国益津郡3211,847.7430003212,136.855300
駿河国有渡郡9836,001.8085509936,856.146150
駿河国安倍郡11719,855.47750012220,866.577730
駿河国庵原郡8121,771.7706008222,100.558100
駿河国富士郡16148,257.39130014851,536.759520
駿河国駿東郡18149,664.86300017152,650.362900
甲斐国総計849253,023.271030769312,159.329490
甲斐国山梨郡14669,707.60929014679,515.564200
甲斐国八代郡17961,374.54804018067,867.079490
甲斐国都留郡18819,681.10000010721,568.381500
甲斐国巨摩郡336102,260.013700336143,208.304300
伊豆国総計28583,791.28235028484,171.293620
伊豆国君沢郡6922,793.0349006922,904.626560
伊豆国田方郡7125,765.3910007125,839.911680
伊豆国加茂郡12830,628.87945012730,811.558880
伊豆国那賀郡174,603.977000174,615.196500
伊豆国伊豆国附諸嶋320.000000
相模国総計679258,216.582020永高1348貫801文671286,719.756890永高1346貫670文
相模国三浦郡7622,627.1120007824,501.660860
相模国鎌倉郡8927,645.145600永高1348貫801文8931,007.243250永高1346貫670文
相模国高座郡11847,128.75610011852,288.371000
相模国愛甲郡4720,596.0997504526,334.314820
相模国大住郡12364,424.02307011865,967.408400
相模国淘綾郡207,830.425100198,110.611560
相模国足柄下郡8425,904.4344008330,854.909000
相模国足柄上郡9530,249.6230009435,304.732800
相模国津久井県2711,810.9630002712,350.505200
武蔵国総計2,9511,167,862.9833903,0421,281,431.068820
武蔵国豊嶋郡11744,150.24939011448,850.729390
武蔵国荏原郡9832,086.0953009433,689.395660
武蔵国橘樹郡12451,944.29694012854,460.972600
武蔵国久良岐郡5316,301.8112505417,121.590960
武蔵国都筑郡7522,964.4051807627,625.565900
武蔵国多摩郡374122,142.995490403139,613.056790
武蔵国新座郡3112,247.0602003714,248.759120
武蔵国入間郡24374,599.885600261100,250.571220
武蔵国高麗郡10525,466.94365010527,485.482440
武蔵国秩父郡8229,952.7200008331,478.139900
武蔵国男衾郡358,022.140440369,311.752230
武蔵国大里郡4321,112.0737004623,648.419700
武蔵国比企郡15656,079.42410015861,348.774280
武蔵国横見郡4219,720.8250004520,553.968300
武蔵国足立郡432134,065.882470445149,435.660590
武蔵国葛飾郡269116,788.092920281119,628.871590
武蔵国埼玉郡421266,408.245100427283,630.873110
武蔵国幡羅郡5938,665.8872005939,623.301560
武蔵国榛沢郡8329,040.9679408132,132.306090
武蔵国那賀郡136,588.735900136,941.410100
武蔵国児玉郡6327,265.6106006327,652.553000
武蔵国賀美郡3312,248.6350203312,698.914290
安房国総計27293,886.21023028095,736.239070
安房国長狭郡6222,868.9406306223,000.026730
安房国朝夷郡6122,388.9636006222,660.437190
安房国平郡7325,931.2420007326,207.544350
安房国安房郡7622,697.0640008323,868.230800
上総国総計1,149391,113.9541101,194425,080.453410
上総国天羽郡7624,450.6449007724,527.427950
上総国周淮郡10624,246.17580010926,757.986980
上総国望陀郡19354,087.64276019459,935.734480
上総国市原郡18352,701.93158018456,273.210810
上総国夷隅郡15665,060.07920016969,222.310260
上総国埴生郡4917,092.2586104718,081.662710
上総国長柄郡12455,546.83180015162,613.545830
上総国山辺郡13046,979.42960013453,043.157920
上総国武射郡13250,948.95986012954,625.416470
下総国総計1,486568,331.1137401,623681,062.631660
下総国葛飾郡30997,626.153950340121,576.637030
下総国猿嶋郡6927,591.6940007445,830.467100
下総国結城郡4224,624.0929005135,082.435100
下総国豊田郡7739,303.3832008039,198.679300
下総国岡田郡2816,876.9078003923,003.471030
下総国相馬郡13455,250.71100014264,621.125530
下総国千葉郡12839,139.33608013743,423.836290
下総国印旛郡22261,568.29933026070,037.223250
下総国埴生郡5924,309.3413006325,750.313620
下総国香取郡286127,106.103850297148,245.912450
下総国匝瑳郡6330,167.9451106937,560.160990
下総国海上郡6924,767.1452207126,732.369970
常陸国総計1,677903,778.458000永高21貫000文1,7231,005,707.489030永高21貫000文
常陸国茨城郡303157,751.588000304175,012.579850
常陸国那珂郡143102,969.278000142116,809.580000
常陸国久慈郡170100,869.871000162108,768.322000
常陸国多賀郡8857,288.2900009263,777.313320
常陸国新治郡179104,103.493000179114,881.835710
常陸国真壁郡218125,341.177000永高21貫000文234133,508.768160永高21貫000文
常陸国筑波郡15871,975.94400017480,624.753980
常陸国信太郡8842,114.4040008944,944.276890
常陸国河内郡11754,092.54000013063,528.781810
常陸国行方郡8943,175.4870008954,223.147070
常陸国鹿嶋郡12444,096.38600012849,628.130240

註1) 史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』では天保の伊豆国附諸嶋として17村1湊2郷12嶋(無高)の総計32の地名の記載があるが、伊豆国の集計から除外した。

註2) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」によると
内閣文庫所蔵「元禄郷帳」の相模国石高集計に誤りがあり、郡別石高を計算集計してこの表の同国石高とした。
とあるが、史籍研究会『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』では元禄の相模国石高総計を25万8216石5斗8升2合2勺と記載しており、25万8216石5斗8升2合2才よりも0.00018石多い。

註3) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では元禄の相模国淘綾郡の石高を7830石4斗2升5合と集計しているが、これでは相模国の合計が一致しないため誤植(1勺が脱落)と判断した。史籍研究会『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』の記載に従い相模国淘綾郡の石高として7830石4斗2升5合1勺に修正した。

註4) 大野瑞男「国絵図・郷帳の国郡石高」では、天保の武蔵国村数を3412と集計しているが、誤読・計算間違いと判断した。史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』の記載に従い、天保の武蔵国村数として3042を採用した。
[80366] 2012年 3月 4日(日)05:33:21【2】YT さん
元禄郷帳(1)
以前、[76916][76917][76918][76919][76920][76921]にて史籍研究会 『天保郷帳 1 (内閣文庫所藏史籍叢刊 55)』 汲古書院 (1981年)、史籍研究会 『天保郷帳 2: 附元禄郷帳 (内閣文庫所藏史籍叢刊 56)』 汲古書院 (1981年)記載の石高と近世絵図地図資料研究会編 『天保郷帳 : 天保五年甲午十二月石高帳 : 解読篇(近世歴史資料集成第7期第1巻第3分冊)』 霞ケ関出版 (2010年)との村数、石高比較をしましたが、その後、むっくんさんの指摘により、[79622][79623]に示すように、史籍研究会本や国立公文書館のデジタルアーカイブに収録される際、『天保郷帳』の原本の一部が欠けたり別のところに挿入されるなどの問題が発生したことが判りました。

一方それ以前の江戸時代の郷帳である、『正保郷帳』や『元禄郷帳』記載の村数・石高については、例えば農商務省農務局 『第2次農務統計表』 (1881年)の石高があります。本落書き帳でも、過去に[59109]でokiさんがまとめてます。

年号西暦町数村数石高基礎資料
正保21645554595545923292668正保国絵図
元禄101695627916279127095466元禄郷帳
天保11829634726347230553440天保郷帳
明治61873697366973632555897郡村石高帳(宮内省租税寮)
明治6187311942688208076231017135府県概表(東京・有隣堂)
明治81975125936825980852日本全国戸籍表(内務省)
明治191986125375871971256地方行政区画総覧(内務省地理局)

(※この数値は、年次も含めて必ずしも正しいとは限りません。私が現時点で把握している数値というにすぎません。また明治になって町が出現するのは、村高がないため幕府の郷帳に記載されていなかった、城下町等を構成する町々が統計に表われてくるからです。江戸期の郷帳では城下町以外の町(新田、宿、浦など含め)も村の中に入っていますが、明治以降の町(これは町だけ)は、新田等を含む村と別扱いです。)

さて、日本史辞典等に収録されている江戸時代の旧国別石高の引用元として、菊地利夫 『新田開発』 至文堂(1963年)が挙げられ、正保2年、元禄10年、天保元年、明治6年の村数、石高が旧国別にまとめられています。『新田開発』記載の村数、石高は以下の通りで

年号西暦村数石高
正保2年1645年24,553,757
元禄10年1697年63,27625,867,392
天保元年1829年63,54030,558,917
明治6年1873年32,008,292

註によると
註(1)正保二年、元禄十年、天保元年の統計は「郡村石高帳」(東大史料編纂所)による。(2)明治六年は宮内省租税寮統計による。

一方、菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』 古今書院(1986年)では、一歩踏み込んで国郡別村数・石高がまとめられています。註によると

1.郷帳の総石高(村数)
 正保郷帳:2334万2672石(2万2399村・記載数のみ)
 元禄郷帳:2594万5712石(5万8796村)
 天保郷帳:3055万6770石(6万2084村)
 明治郷帳:3243万9434石(6万8858村)
2.正保郷帳に記載がない国高は慶長3年(太閤検地)の石高を参考のため総石高の中にしようした。
 上総国 37万8892石
 陸奥国(磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥)167万2806石
3.正保郷帳に村数が記載されていない国は15か国もあるが、内務省・地誌課の郡村石高帳の末尾に「村数五万五千百八十村」と記してある。

そこで東京大学史料編纂所で調べたところ、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』、『郡村石高帳』(共に手書き写本)という史料があることがわかり、閲覧しましたが・・、その結果どうやら菊地利夫氏は『正保・元禄・天保・明治村高比較表』や『郡村石高帳』だけで表を作成したわけではなく、他の文献を参考にしつつもそれらの出典を明記せず、斗以下の位を切り捨ててしまっていることが判りました。例えば地租改正直前の明治石高と町村数については、明らかに『郡村石高帳』以外の数字を混ぜています。菊地氏がまとめた石高と、東京大学史料編纂所所蔵の『郡村石高帳』、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は微妙に異なり、東京大学史料編纂所所蔵写本には石高や村数・町数に空欄があります。さらに『日本地誌提要』 (1875年)、『明治八年 共武政表』 (1875年)、木村礎校訂 『旧高旧領取調帳』 近藤出版社 (1969~1979年)に記載されている地租改正前の石高や村数・町数とも全部微妙に異なり、どれを基礎史料にするべきなのか、答えが出ません。

また正保郷帳に関しては、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には空欄が多々あります。これに関しては近い将来和泉清司 『近世前期郷村高と領主の国別データ : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』 岩田書院 (2008年)と菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の三点を用いて比較検討しようと思っています。

さて、東京大学史料編纂所所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』は元禄村数・石高、天保村数・石高についてはほぼ全て記載しております。表の作成者・作成年は不明ですが、墨の上から何者かによる鉛筆や朱書きによる修正が加えられています。菊地利夫 『新田開発 : 続 事例編』の石高は修正後のものを採用している場合がありますが、この修正はしばしば桁の読み間違い等に起因する計算間違いを堂々としており、最初に写本を作成した人のものがよっぽど信用できます。最後の頁に元禄、天保の総合計がまとまっており

総合計
 元禄
  村 六万弐千八百三拾壱 (横に修正:六万三千弐百七十六)
  高 弐千五百九拾壱万〇六百四拾壱、四壱八〇六 (横に修正:弐千五百八拾七万六千三百九拾弐、八四九弐六)
    永千三百六拾九、八〇壱

 天保
  村 六萬三千五百四拾
  高 三千五拾五万八千九百拾七、八四壱壱三九
    永千三百六拾七、六七

後から再計算をした何者かが修正した数字を書き込んでしまっていますが(元禄村数6万3276は『竹橋余筆別集』巻八「諸国村数書付」の記載を元に修正したと想像されます。なお同じ頁の直後には、江戸時代初期の大藩の人口変遷が記載されていることでも有名な書)、村数はともかくとして、石高の方に関しては修正前の方が原本のものに近いと思われます。

元禄郷帳に関しては大野瑞男 「国絵図・郷帳の国郡石高」 『白山史学』 (23号) 1-50頁 (1984年)という論文の中で国郡別村数・石高をまとめています。以下説明を引用すると:

正保郷帳が残されている国々では郡村別にその石高が判明するが、本稿ではこれを省略し、元禄郷帳高と天保郷帳高を国郡別に末尾に付表として紹介した。前述したように、天保郷帳は内閣文庫に全部残されているので、その石高は容易に知ることができるが、元禄郷帳は内閣文庫に一七カ国分しかなく、全国的にそれを知ることはできない。「六拾余州郡名村数高附記」や国立史料館所蔵「諸国郷帳」には国郡別に高の記載があるが若干の誤りがあり、「地方凡例録」巻之四下「日本国総石之事」は国別の石高が記されるが、これも誤りがある。そこで著者はこれらの史料の国郡別石高を計算等により詳細に検討し、現在一番正しいと思われる数字を付表に記した(28)。

(28) 内閣文庫所蔵「元禄郷帳」の相模国石高集計に誤りがあり、郡別石高を計算集計してこの表の同国石高とした。国立史料館所蔵元禄の「諸国郷帳」は大和を欠くが、郡別石高記載は、河内内交野、摂津兎原、陸奥名取・江刺・津軽、丹後与佐、但馬気多、美作英田、紀伊牟婁の各郡に誤りがあり、備後安那郡の石高記載を欠く。内閣文庫「六拾余州郡名村数高附記」の元禄郡別石高の誤りは、遠江山名・豊田、駿河志太、相模鎌倉・高座・大住・愛甲、武蔵男衾・足立、下総印旛、上野邑楽、出羽村上、丹後与佐・竹野、因幡智頭、伯耆日野、備後御調・沼隈、安芸沼田、豊後日田の各郡、村数の誤りは、山城葛野、河内讃良、相模足柄下、武蔵幡羅、備中国および後月、淡路津名、筑前鞍手、壱岐国の各国郡である。また「竹橋余筆別集」巻八「諸国村数書付」の国別村数は上総・陸奥・出羽・若狭・長門のそれが誤りである。「地方凡例録」の元禄・天保石高合計は天保の末尾九札を省略したのみで正しい。

そこで大野瑞男氏の論文を元に、元禄・天保郷帳記載の国郡別村数・石高をまとめてみました。

旧国名郡名村数元禄石高村数天保石高
畿内総計3,5621,555,484.7526503,6511,615,527.199925
山城国総計459224,257.788160477230,131.760865
山城国葛野郡7935,224.1118008135,446.999010
山城国愛宕郡7427,299.4350108127,333.996955
山城国宇治郡4415,396.5780005115,529.308290
山城国紀伊郡2926,496.6863503427,629.177220
山城国乙訓郡5026,341.7062005226,581.054210
山城国久世郡3926,478.5992004228,551.929260
山城国綴喜郡5230,107.6536005431,554.361100
山城国相楽郡9236,913.0180008237,504.934820
大和国総計1,405500,497.3086801,354501,361.691560
大和国添上郡13060,086.89398011459,131.251960
大和国添下郡6539,176.8090006440,360.993000
大和国平群郡7731,756.9329007632,013.967700
大和国山辺郡14448,825.50900011849,302.054100
大和国宇陀郡11231,442.54300011533,947.189100
大和国式上郡5724,649.1007005624,693.371700
大和国式下郡4027,227.8520004027,183.681000
大和国十市郡7837,392.5696007737,574.865100
大和国広瀬郡3218,580.5910003218,806.474000
大和国葛上郡6228,084.8490006224,562.222000
大和国葛下郡7842,949.9550007842,911.795000
大和国高市郡11141,408.00650011341,740.820900
大和国宇智郡6018,291.0470005918,520.477000
大和国忍海郡195,576.019000195,576.019000
大和国吉野郡34045,048.63100033145,036.510000
河内国総計511276,329.829540545293,786.634500
河内国茨田郡8137,824.1150008138,300.402000
河内国交野郡3922,768.6720003823,678.967800
河内国讃良郡3211,021.2295403415,369.614000
河内国河内郡2615,229.3500002916,077.050000
河内国若江郡5235,482.6420006140,197.137000
河内国高安郡145,705.779000145,983.594000
河内国渋川郡2521,808.4500003123,131.327300
河内国大県郡114,708.446000144,717.102000
河内国志紀郡1913,012.9620002213,516.655300
河内国丹北郡4125,259.5450004323,781.078000
河内国丹南郡4320,103.7160004922,567.589800
河内国八上郡1213,078.6030001213,071.953000
河内国古市郡157,263.449000167,290.764400
河内国安宿部郡42,384.97500052,584.879000
河内国石川郡4824,894.3710004825,167.527000
河内国錦部郡4915,783.5250004818,350.993900
和泉国総計317161,692.126400320172,847.986000
和泉国大鳥郡8346,266.4941008847,880.918200
和泉国泉郡8928,945.3513008931,077.962200
和泉国南郡6933,553.1210006737,289.234600
和泉国日根郡7652,927.1600007656,599.871000
摂津国総計870392,707.699870955417,399.127000
摂津国嶋上郡6132,738.3260006533,358.527600
摂津国嶋下郡9852,680.2942009956,801.122600
摂津国豊嶋郡8830,788.4320009331,754.987800
摂津国能勢郡3612,530.8320003612,663.819000
摂津国有馬郡8944,039.2730009045,863.202400
摂津国八部郡4418,465.6010004519,533.489500
摂津国兎原郡4912,331.6860005113,882.315000
摂津国武庫郡4820,409.8536705023,571.739300
摂津国川辺郡18864,116.69600019366,655.747700
摂津国西成郡8345,785.36400012253,032.160000
摂津国東成郡5735,772.5860006236,632.425000
摂津国住吉郡2923,048.7560004923,649.591100
[80347] 2012年 2月 28日(火)05:25:11YT さん
岩手県下之町村
[80346] 右左府 さん

『花巻市史 近代篇』のご紹介有難うございます。

とりあえず、
[80336]で私が書いた、
以上により、明治11年~明治13年の『共武政表』と明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』で「花巻」という名前の下に示される約400戸の輻輳地・市街は、実は町部分(藩政時代の四日町+一日市町)のみではないかと私は考えるに至りました。
は取り消しですね。花巻村と四日町、一日市町が分離していた時代、どうやら花巻村は幕末~明治維新でも十数戸レベルで、事実上無視できるサイズだったようです。

その代わり『都府名邑戸口表』記載の明治17年1月1日調人口は、花巻401戸1868人+北万丁目49戸302人+里川口896戸3679人+南万丁目112戸589人=1458戸6438人に大体対応することが示唆されます。ということは寛政3年(1791年)の町方4595人が三町に対応するとして、寛政4年(1792年)の町方5406人は、三町+里川口村+花巻村+南万丁目村+北万丁目村ぐらいに対応するのでしょう。

なお、近代デジタルライブラリーの『岩手県下之町村』(1925年)では、最初から花巻川口町扱いになっていました。

本村は元里川口と称せり、町村制実施の際南万丁目村並に高木村の内字(中川原の内瀬川筋嘉平治潤より北上川直径の零度以南限り)を併せ花巻川口町と称す。
[80339] 2012年 2月 26日(日)16:48:48【1】YT さん
江戸時代の花巻の人口について
江戸時代の花巻の人口について[80328]で言及した『花巻市史 近世篇二』(1982年)からの引用を紹介します。

『邦内郷村志』によると、花巻三町の人口は、川口町2685人、四日町702人、一日市543人、合計3930人とあります。この他組同心38戸、竈数71家とありますが、これだけでは武家人口は推定できません。

さて、江戸時代の盛岡藩の藩内の人口構成は、『雑書』という盛岡藩藩内史料に詳しく掲載されているそうです。私はその原本を読んだことがありませんが、高橋梵仙の『日本人口史之研究』(1955年)の方に掲載されている数字を多少加工してwikipediaの江戸時代の日本の人口統計の方にまとめました。「多少加工」というのは高橋梵仙氏の表自体に明らかな項目ズレという誤植があったり、男女合計や小計に不一致があったりするからです。本当は原本や、原本から作成した活字本を閲覧出来れば良いのですが。

上記表では「四町」と町人人口を纏めてしまいましたが、雑書原本の天和三年(1683年)の御領分切支丹によると

盛岡御町
一、壱万弐千三百弐十四人 内 男六千七百四十七人 女五千五百十七人
郡山御町
一、弐千百六十七人 内 男 千百三十壱人 女千三十六人
花巻御町
一、四千六百五十四人 内 男 弐千五百十六人 女弐千百三十八人
三戸御町
一、千四百九十壱人 内 男 八百弐十九人 女六百六十二人

という具合に盛岡藩内の四町の人口が紹介されています。ここで『岩手県史』からの記述を引用すると

天和三年(1683年)には花巻の町人が四千六百五十四人とある。その外花巻侍を百五十戸とし、一戸六人とすると九百人、足軽六十戸として三百六十人、合わせて五千九百十四人、その他を加えると六千人前後あったことが推考されよう。

とのことで、花巻城下に暮らす武家、寺社方人口は1400人程度と推定されています。

一方花巻の人口変遷は、高橋梵仙氏からの引用に従うと(天保5年の数字は『岩手県史』から)

元号西暦町方人口元号西暦町方人口元号西暦町方人口元号西暦町方人口
天和3年1683年4,654元文3年1738年6,364宝暦12年1762年4,987天明4年1784年4,517
貞享元年1684年4,611元文4年1739年6,365宝暦13年1763年4,035天明5年1785年4,565
元禄3年1690年4,842元文5年1740年6,268明和元年1764年4,079天明6年1786年4,548
元禄4年1691年4,821寛保元年1741年6,193明和2年1765年4,091天明7年1787年4,585
元禄6年1693年5,025寛保2年1742年5,881明和4年1767年4,353天明8年1788年4,568
元禄7年1694年5,339寛保3年1743年4,757明和5年1768年4,216寛政元年1789年4,598
元禄8年1695年5,417延享2年1745年4,894明和6年1769年4,126寛政2年1790年4,586
元禄9年1696年4,960延享3年1746年4,890明和7年1770年4,119寛政3年1791年4,595
元禄12年1699年5,188延享4年1747年4,780明和8年1771年4,126寛政4年1792年5,406
元禄13年1700年5,187寛延2年1749年4,592安永元年1772年4,152寛政5年1793年5,422
元禄14年1701年5,278寛延3年1750年4,547安永2年1773年4,138寛政6年1794年5,383
正徳元年1711年5,199宝暦元年1751年4,438安永3年1774年4,637寛政7年1795年5,399
正徳2年1712年5,261宝暦2年1752年4,513安永4年1775年4,539寛政8年1796年5,376
正徳3年1713年5,399宝暦3年1753年4,544安永5年1776年4,541寛政10年1798年5,393
享保3年1718年4,974宝暦5年1755年4,563安永6年1777年4,548享和3年1803年5,431
享保5年1720年5,055宝暦6年1756年4,753安永7年1778年4,523天保5年1835年4,622
享保12年1727年4,866宝暦7年1757年4,453安永8年1779年4,552天保10年1839年5,415
享保18年1733年4,857宝暦8年1758年3,691安永9年1780年4,544天保11年1840年5,401
享保19年1734年4,928宝暦9年1759年3,751天明元年1781年4,550
元文元年1736年4,921宝暦10年1760年3,811天明2年1782年4,561
元文2年1737年4,327宝暦11年1761年3,863天明3年1783年4,569

上の数字は近代以前の日本の都市人口統計にも掲載しましたが、男女別人口と合計が合わないところなどは加工しています。『岩手県史』、『花巻市史』にしても『雑書』に当たって数字をまとめていない(高橋梵仙→岩手県史→花巻市史の順に引用している)し、高橋氏自身、数字は知り合いからの紹介として解説しているので、誤植や計算間違いの真相は判りません。

ただ、『雑書』によると寛政年中の花巻の人口は約5400人で、『邦内郷村志』の4000人とは1400人の差があります。『岩手県史』の解説にある武家、寺社方推定人口約1400人がいい感じに当てはまりますが、そもそも『雑書』では武家、寺社方人口を別にカウントしています。『花巻市史』の方では解説していませんが、『雑書』が現住人口ベースの統計であることが関わっているのかも知れませんし、『邦内郷村志』の方が家持ちの人口しかカウントしていないせいなのかも知れません。でも一番ありえそうなのが、町の範囲が異なるせいでしょう。その差は花巻村と川口村(民戸合計21戸)だけでは説明がつかず、南万丁目村、北万丁目村等、かなり広い範囲も花巻に加算されているのでしょう。

『雑書』の人口に計外推定人口1400人(若干多過ぎる気もしますが)を合算することで、花巻の人口を計算さますと、花巻の人口は17世紀末順調に増え、1695年頃の元禄年中に6800人(町方5417人)に達しましたが、その後は人口減少に転じます。1738年~1742年の間は人口が1000人程急増していますが、おそらく町の範囲に変更があっただけと思われます。宝暦の大飢饉後に急激に人口が減少し、宝暦8年(1758年)には約4200人(町方3811人)と人口が底となります。宝暦12年(1762年)の突発的なプラス1000人を無視すると、18世紀末には花巻の人口は約6000人(町方約4600人)で安定しますが、寛政4年(1794年)以降、再び人口がプラス1300人となり、三町の外側まで加えた人口となったのでしょう。以降天保5年(1834年)を除き、三町の外側まで加えた地域が花巻人口として登録されています。『日本地詩提要』や『共武政表』の人口4426人は、天保11年(1840年)の人口5401年からマイナス1000人となっていますが、こちらは三町内だけの人口なのでしょう。

なお注意なければならないのは『雑書』の人口は信頼に欠ける点が残っています。『盛岡市史』の編纂に関わっている森嘉兵衛が指摘したように、宝暦の大飢饉以降、どうも盛岡藩は飢饉による人口減少の責を幕府から問われることを恐れ、人口データを集計段階で捏造したのではないかという疑いを持たれています。歴史人口学者の速水融も「近世日本の人口構造と変動」で指摘しているように、宝暦2年(1752年)以降総人口が約35万人で固定されており、しかも安永6年(1777年)から寛政2年(1790年)の間は1年を除いて性比が112.9に固定されており、「ある意味では、性比まで考慮するかなり高度の人口への知識を持った者の仕業とい言わざるを得ない」というわけです。

実は人口の捏造は盛岡藩だけでなく、長州藩も行っています。延享3年(1750年)の人口を幕府に報告する際、藩主の了解のもと郡レベルで配分して6000人の人口水増しを行ったことが『公儀事諸控』に記述されているそうです。長州藩の場合は藩の控えの人口史料と幕府への報告人口とに差がある年が他にもありますが、盛岡藩ほど極端な異常は見られません。
[80336] 2012年 2月 26日(日)02:13:57【3】YT さん
明治初期の稗貫郡内の市街・町村等の人口変遷、「花巻」も町部のみの可能性
第2回(明治11年、人口は明治12年1月1日調)と第3回(明治12年、人口は明治13年1月1日調)の『共武政表』における稗貫郡内の輻輳地の人口をチェックしました。

せっかくなので明治6年~明治22年の稗貫郡内の市街・町村等の人口変遷としてまとめておきます。

『日本地誌提要』 明治6年1月1日調本籍人口
名邑市坊戸数人口
花巻31,0274,426

『明治八年共武政表』 明治6年1月1日調本籍人口
輻輳地(千人以上)戸数人口
川口町1,0274,426
大迫村2191,100

『明治十一年共武政表』 明治12年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
下根子120618326292
里川口8313,4481,7731,675
花巻4011,709894815
八幡132707351356
好地161827425402
大迫3591,723922801

『明治十二年共武政表』 明治13年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
大迫駅3001,452766686
好地村内石鳥谷113575285290
八幡村47230117120
花巻駅3811,749901848
里川口村8233,4521,7931,659
下根子村321548173

『明治十三年共武政表』 明治14年1月1日調本籍人口
輻輳地(百人以上)戸数人口
大迫3071,483783700
石鳥谷117549278271
八幡51229103126
花巻3891,590806784
里川口8273,3721,7421,630
下根子1201497871

『都府名邑戸口表』 明治17年1月1日調本籍人口・現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
都府名邑本籍戸数本籍人口現住戸数現住人口
花巻1,4236,1521,4156,048

『地方行政区画便覧』 明治17年1月1日調本籍人口
戸長役場ノ所在地村数戸数口数村名
大迫村41,3087,418大迫村・亀ヶ森村・内川目村・外川目村
関口村87894,460関口村・八重畑村・滝田村・猪鼻村・五大堂村・
東中島村・新堀村・戸塚村
高木村57664,063高木村・東十二丁目村・矢沢村・高松村・幸田村
好地村96163,712好地村・北寺林村・大瀬川村・八幡村・中寺林村・
大興寺村・富沢村・松林寺村・長谷堂村
湯本村115393,031湯本村・二枚橋村・台村・北湯口村・糖塚村・
大畑村・南寺林村・金矢村・小瀬川村・椚目村・
狼沢村
東宮野目村135963,254東宮野目村・下似内村・北飯豊村・葛村・江曽村・
西中島村・黒沼村・小森林村・田力村・庫理村・
柏葉村・上似内村・西宮野目村
里川口村71,6537,472里川口村・南万丁目村・花巻村・北万丁目村・下根子村・
西十二丁目村・外台村
円万寺村119516,386円万寺村・膝立村・鍋倉村・湯口村・西晴山村・
上根子村・中根子村・下シ沢村・鉛村・豊沢村・
太田村

『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』 明治19年12月31日調本籍人口・現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
市街・町村公称町村数本籍戸数本籍人員現住戸数現住人員
大迫11,8133502911,701
川口16343,0356543,180
花巻13881,8294021,868
里川口17663,5277963,707
亀ヶ森村2531,4612441,443
内川目村4182,7533962,723
外川目村2341,5302131,523
新堀村2241,9273241,902
東十二町目村2121,0672121,067
太田村3382,4853382,454

『法令全書』 明治22年12月31日調現住人口 (現住人口は出入寄留者のみを考慮し、逃亡失踪者、陸海軍の兵営艦船に在る者、監獄に在る者、外国行きの者の加除は考慮せず)
町村名現住人口市町村制施行時の合併
花巻町2,507花巻村・北万丁目村・高木村の一部
里川口町4,619里川口村・南万丁目村・高木村の一部
大迫町1,918大迫村
内川目村2,745内川目村
外川目村1,589外川目村
亀ヶ森村1,437亀ヶ森村
八重畑村2,437八重畑村・関口村・滝田村・猪鼻村・五大堂村・東中島村
新堀村2,223新堀村・戸塚村
矢沢村3,804矢沢村・高松村・幸田村・東十二丁目村・高木村の一部
好地村2,760好地村・北寺林村・大瀬川村・大興寺村・松林寺村・富沢村・長谷堂村
八幡村2,134八幡村・中寺林村・南寺林村・江曽村・西中島村・黒沼村・小森林村
湯本村2,965湯本村・北湯口村・大畑村・二枚橋村・台村・金矢村・小瀬川村・椚ノ目村・狼沢村・糖塚村
宮野目村2,759東宮野目村・西宮野目村・葛村・田力村・庫理村・柏葉村・上似内村・下似内村・北飯豊村
根子村1,539下根子村・西十二丁目村・外台村
湯口村4,453湯口村・円万寺村・鍋倉村・膝立村・西晴山村・上根子村・中根子村・鉛村・下シ沢村・豊沢村
太田村2,629太田村

こうやって並べてみると、藩政時代の花巻三町(河口町・四日町・一日市町)・里川口村・花巻村から、里川口村・花巻村への統合は、明治8年末~明治11年前半頃に行われたと推測されます。また[80328]で、
里川口と花巻の人口は4年後の明治17年1月1日調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』に比べると共に300人程少なく、つまり明治十年代の里川口・花巻はかなりの人口増加をしていることが明らかです。
などと書いてしまいましたが、明治12年~明治14年の間は花巻周辺の人口はむしろ減っていたようで、明治10年代前半は人口減少、明治10年代後半は人口増加など、人口の流出・流入が劇的に起こっていたようです。戸数の方(もしかしてこの場合は家数?)は大きな変化はありません。

なお明治17年の『都府名邑戸口表』の花巻の本籍人口1423戸6152人は、明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』 の里川口766戸3527人+花巻388戸1829人=1154戸5356人と比べても多すぎます。人口だけなら変動の範囲内ですが、戸数が200戸も違います。

以上により、明治11年~明治13年の『共武政表』と明治19年調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』で「花巻」という名前の下に示される約400戸の輻輳地・市街は、実は町部分(藩政時代の四日町+一日市町)のみではないかと私は考えるに至りました。明治19年の川口634戸3035人+花巻388戸1829人=1022戸4864人は、『日本地誌提要』・『共武政表』の明治6年の花巻/川口町の本籍人口1027戸4426人と(特に戸数が)良く対応しています。このことは同時に[80330]の白桃さんの考えが正解に近いことも示唆しますね。
[80334] 2012年 2月 25日(土)16:50:27YT さん
花巻川口村、里川口村
[80332] htmさん

これまでに言及していなかったのですが、実は「里川口町」が 『花巻市史』【近代篇?】においてどのように記載されているか気になっています。

ズバリお尋ねします。
明治22年の町村制で発足した自治体は、『花巻市史』にも「里川口町」と記されていたのでしょうか?

『花巻市史』を調べる気になったのは、その点も兼ねてでしたが、残念ながら自分がアクセスできる図書館に所蔵されていたのは、熊谷章一著『花巻市史』(1962年~1982年)の内、古代中世篇、近世篇:2、民俗篇、神社篇だけで、近世篇:1と近代篇は所蔵していませんでした。

しかしながら同じ著者熊谷章一による『花巻の歴史』(1958年)と『花巻のあゆみ : 花巻開町三百七十年祭記念』(1962年)の方では、いずれも明治22年の町村制発足の段階で「花巻川口村」が成立したかのように書いており、『花巻の歴史 近代篇』を取り寄せても同じようなことしか書いていないのではないかと予想されます。

一方及川雅義著、及川惇編 の『花巻の歴史 上下巻』(1983年)では、巻末の年表に里川口村の記述がありましたが、大正12年の根子村編入の段階で「里川口村」と記載しており、逆に花巻川口村の存在を無視しています。

戦後刊行された『岩手県史』は既に調べた方がいらっしゃるようですし、調査漏れも限られてしまっているようです。
[80328] 2012年 2月 24日(金)19:27:20【1】YT さん
花巻
[80327] hmt さん
市街名=町村名 であったとすると、考えられるのは、北岩手郡川口村【現在は岩手町】です。

実のところ、その可能性を念頭に置いていたのですが、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』には北岩手郡川口村(本籍438戸2576人、現住418戸2506人)の記載があるので、一応は違うと思われます。

ちなみに明治17年よりも前のデータを見ると、『日本地誌提要』では明治6年1月1日調の花巻の人口は3市坊1027戸4426人とあり、明治八年『共武政表』では、川口町1027戸4426人、大迫村219戸1100人の記載があります。『日本地誌提要』の3市坊からなる「花巻」と『共武政表』の川口町の人口が一致することから、両者は同じ市街の異なる通称であることが判ります。この時の花巻を構成する三町とは、川口町、一日市町、四日町のことなのか、それとも里川口村+花巻村+αのことなのかは判りません。

明治11年、明治12年の第二回、第三回『共武政表』に何と記載されているのかは、今手元にコピーがないので詳しく書けませんが、明治13年の第四回『共武政表』(人口は明治14年1月1日調)では、
町村戸数人口
大迫3077837001483
石鳥谷117278271549
八幡51103126229
花巻3898067841590
里川口827174216303372
下根子1207871149

とあり、里川口と花巻の人口は4年後の明治17年1月1日調の『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』に比べると共に300人程少なく、つまり明治十年代の里川口・花巻はかなりの人口増加をしていることが明らかです。よって人口の比較だけで明治6年の人口4426人の範囲(明治6年の3市坊)を判断するのは困難です。

参考までに『花巻市史 近世篇二』(1982年)を閲覧したところ、『邦内郷村志』という史料に寛政年中(1800年頃)の戸数が掲載されているそうです。リンク先の何巻に書かれているかまでの情報はありませんが、『花巻市史』での引用を引っ張ってくると

○川口村 又云里川口村
 民戸廿四軒 川口村不入市中戸数

○河口町 慶長頃北松斎初而云此坊中
     (中略)
 民戸六百四十八軒 二千六百八十五人(男千四百九十一人 女千百九十四人)
 組同心三十八戸 竈数七十一家 有定法故也

○花巻村
 村民戸七軒 此外入市中

○四日町 城下三町最初之市場也云。 昔名之四屋田屋五群居焉。北秀愛移之後立市町云々。
○一日市町 同処是従河口町後立云。
 民戸百三十九軒。組十九組 竈数十六 男百三十人 女二百十三人 一日市町
 民戸百七十九軒。組廿九 竈二十一 男三百八十九人 女三百十三人 四日町
   右民戸寛政初改

つまり江戸時代の時点では、花巻三町は四日町、河口町、一日市町から構成され、市中として扱われていない郷村としての花巻村、川口村(里川口村)が別にあったとになりますが、後者の戸数は併せて30戸ほどしかありません。あと「民戸」と断っているので、寺社や武家の戸数・人口が加算されていないのでしょう。『地方行政区画便覧』の段階では、おそらく河口町・川口村を併せて里川口村、四日町・一日市町・花巻村を併せて花巻村として扱ったようにみえます。明治一桁代の『日本地誌提要』や『共武政表』の段階では、まだ江戸時代の三町を引き摺り、町外の里川口村と花巻村の人口を除いているように見えます。

なお、『邦内郷村志』では、栃内村73軒、笹間村162軒、横志田村28軒、尻平川村5軒、轟木村105軒、太田村264軒、成田村73軒、十二丁目村73軒、外台村0軒、向下根村76軒、南万丁目村29軒、北万丁目村30軒、下根子村不明、上根子村146軒、西晴山村15軒、円満寺村49軒、膝立村22軒、湯口村115軒、鉛村15軒、下沢村24軒、豊沢川村17軒、鍋倉村71軒、下似内村18軒、上似内村46軒、東宮野目村33軒、庫裡村19軒、柏葉村30軒、田力村23軒、葛村107軒、小瀬川村44軒、椚木目村32軒、猿沢村37軒、金矢村15軒、台村25軒、湯本村65軒、大畑村37軒、二枚橋村3軒、北湯口村75軒、宮野目村49軒、糠塚村33軒、東十二丁目村170軒、高木村155軒、高松村128軒、矢沢村142軒、幸田村35軒となっています。

一軒平均10人程度なので、1800年頃の高木村は約1600人と意外と大きい村となっています。北万丁目村と南万丁目村は併せて600人程度ですが。
[80326] 2012年 2月 24日(金)11:43:44YT さん
訂正:川口は郡名が誤植?
[80323] 白桃さん

すみません。今日になって[80324][80325]の記事を読み返し、川口=湯口村の誤植には矛盾があることに気付きました。

明治19年末の川口(1町村)の本籍人口634戸3035人と太田村の本籍人口338戸2485人の合計972戸5520人を、明治17年始の円万寺外十ヶ村連合村の本籍人口951戸6386人と比較すると、本籍人口はともかくとして戸数が上回ってしまいます。

明治十年代は戸数と、世帯数・家数との混乱があるものの(公式には「戸数」=「世帯数」の筈だが、昭和以降には「世帯」という呼称が確立し、むしろ今では「戸数」=「家数」に戻る?)、戸数/人口比に目立った違いがないので、私が提唱した「川口は湯口村の誤記」の可能性は低いようです。

もっとも川口村は他にもあります。「郡名を誤植し、配置する場所も間違えた」という可能性が一番高いように思えてきました。
[80325] 2012年 2月 24日(金)04:12:43YT さん
高木村について
[80324]を書いた直後、花巻町、里川口町、矢沢村に分割された「高木村」の存在が気になり、旧高旧領取調帳データベースで稗貫郡の明治石高をチェックしましたが・・・高木村・湯口村双方の石高も余り高くないですね。まあ江戸時代に市街地の中心であったであろう里川口村の石高はもっと低いし、さすがに同一郡内であれば流通の範囲内なので石高自体は都市人口は当然ながら、農村人口の参考にはなりませんが。

石高が高いといえば、北万丁目村、南万丁目村、下根子村、上根子村も気になりますが、このうち北万丁目村、南万丁目村、下根子村(根子村1539人の一部)の人口は3000人以下は確実です(後述参照)。

石高
太田村3,999.164
新堀村3,161.787
花巻村1,713.702
北万丁目村1,565.941
下根子村1,429.763
上根子村1,424.331
鍋倉村1,393.238
南万丁目村1,272.402
矢沢村1,271.705
亀ヶ森村1,266.346
湯本村1,221.582
大瀬川村1,169.290
北湯口村1,168.740
八幡村1,141.654
高松村1,013.878
西十二丁目村1,002.933
東十二丁目村976.638
北寺林村958.070
八重畑村951.716
大興地村945.221
大畑村926.353
円万寺村911.671
南寺林村908.349
膝立村905.660
葛村876.181
五大堂村864.936
高木村829.167
中寺林村815.708
西宮野目村809.998
上似内村765.839
東宮野目村745.846
湯口村725.423
好地村715.087
滝田村663.654
中根子村660.675
関口村660.556
外川目村650.951
内川目村621.291
狼沢村599.962
椚目村575.152
糠塚村565.010
小瀬川村535.894
金矢村485.158
二枚橋村393.148
富沢村378.426
大迫村363.409
猪鼻村363.279
戸塚村363.214
黒沼村343.795
小森林村324.486
東中島村323.686
下似内村318.052
北飯豊村309.761
台村238.657
田力村231.422
柏葉村231.298
里川口村226.530
幸田村226.331
江曾村203.164
庫理村196.509
西晴山村150.133
西中島村142.631
外台村130.342
下シ沢村87.998
長谷堂村84.309
豊沢村74.338
松林寺村62.928
鉛村55.182


明治17年始の本籍人口は高木村+東十二丁目村+矢沢村+高松村+幸田村=4063人
この内東十二丁目村の明治19年末の本籍人口は1067人なので、
高木村+矢沢村+高松村+幸田村≒3000人 (本籍人口ベース)

よって矢沢村、高松村、幸田村の人口がそれぞれ100人レベルでないと
高木村=川口村≒3000人
は成立しないので、高木村=川口村の可能性はきわめて低いと思います。

なお、明治22年末の現住人口と、明治19年末の現住人口からは

花巻町-花巻村=北万丁目村+高木村の一部(I)≒750人 (現住人口ベース)
里川口町-里川口村=南万丁目村+高木村の一部(II)≒900人 (現住人口ベース)
矢沢村-東十二丁目村=矢沢村+高松村+幸田村+高木村の一部(III)≒2650人 (現住人口ベース)

なので、花巻町、里川口町に吸収された高木村の一部(I+II)の合計は約450人 (現住人口ベース)
北万丁目村(1565石)と南万丁目村(1272石)の合計は約1200人 (現住人口ベース)

と見積もれます。
[80324] 2012年 2月 24日(金)03:29:14【2】YT さん
川口は湯口の誤植の可能性
新年色々と忙しかったのですが、久々に書き込みます。

[80323] 白桃さん

「川口3,180人」はどこへ行ってしまったのでしょうか。川口が、里川口と花巻に「分割編入」されたというのであれば、なんとなく辻褄はあうのですが、そういうことが書かれているものも見あたりません。

これですが、私は「湯口」の誤植を疑います。

『地方行政区画便覧』には里川口村、南万丁目村、花巻村、北万丁目村、下根子村、西十二丁目村、外台村の七村で戸長役場を形成し、1653戸7472人が暮らしたとありますが、ここには川口村の名前はありません。なお『地方行政区画便覧』記載の人口は年次が定まっていませんが、稗貫郡の人口7218戸39796人が明治17年1月1日調の本籍人口と一致することから、七村合計7472人は明治17年1月1日調の人口であることがわかります。

戸長役場ノ所在地村数戸数口数備考
大迫村41,3087,418亀ヶ森村、内川目村、外川目村を含む
関口村87894,460八重畑村、新堀村を含む
高木村57664,063東十二丁目村、矢沢村を含む
好地村96163,712八幡村を含む
湯本村115393,031
東宮野目村135963,254西宮野目村を含む
里川口村71,6537,472花巻村、西十二丁目村を含む
円万寺村119516,386湯口村、太田村を含む
稗貫郡計687,21839,796

ちなみに同じ明治17年1月1日調の人口を記した『都府名邑戸口表』(1884年)によると、花巻の本籍人口は1423戸6152人、現住人口1415戸6048人となっています。

一方、『市街名邑及町村二百戸以上戸口表』記載の稗貫郡の市街・町村の明治19年12月31日調人口を書き出すと

市街・町村名本籍人員本籍戸数現住人員現住戸数
大迫(1村)1,8133501,701291
川口(1村)3,0356343,180654
花巻(1村)1,8293881,868402
里川口(1村)3,5277663,707796
亀ヶ森村1,4612531,443244
内川目村2,7534182,723396
外川目村1,5302341,523213
新堀村1,9272241,902324
東十二町目村1,0672121,067212
太田村2,4853382,454338

現住人口3180人の川口は1村からなる市街地とありますので、明治22年末の市町村制施行時の現住人口も3000人を超えていて当然なのですが、『法令全書』の明治22年末の人口と比較すると、合併後に該当し得る人口3000人以上の町村は里川口町、矢沢村、湯口村しかありません。

町村名現住人口市町村制施行時の合併
花巻町2,507花巻村, 北万丁目村, 高木村の一部
里川口町4,619里川口村, 南万丁目村, 高木村の一部
大迫町1,918大迫村
内川目村2,745内川目村
外川目村1,589外川目村
亀ヶ森村1,437亀ヶ森村
八重畑村2,437八重畑村, 関口村, 滝田村, 猪鼻村, 五大堂村, 東中島村
新堀村2,223新堀村, 戸塚村
矢沢村3,804矢沢村, 高松村, 幸田村, 東十二丁目村, 高木村の一部
好地村2,760稗貫郡 好地村, 北寺林村, 大瀬川村, 大興寺村, 松林寺村, 富沢村, 長谷堂村
八幡村2,134稗貫郡 八幡村, 中寺林村, 南寺林村, 江曽村, 西中島村, 黒沼村, 小森林村
湯本村2,965湯本村, 北湯口村, 大畑村, 二枚橋村, 台村, 金矢村, 小瀬川村, 椚ノ目村, 狼沢村, 糖塚村
宮野目村2,759東宮野目村, 西宮野目村, 葛村, 田力村, 庫理村, 柏葉村, 上似内村, 下似内村, 北飯豊村
根子村1,539下根子村, 西十二丁目村, 外台村
湯口村4,453湯口村, 円万寺村, 鍋倉村, 膝立村, 西晴山村, 上根子村, 中根子村, 鉛村, 下シ沢村, 豊沢村
太田村2,629太田村

里川口町は旧里川口村がメイン、矢沢村は明治19年末の東十二丁目村の人口1067人を減じると3000人未満、なので残るは湯口村ということになります。よって「川口」は「湯口」の誤植と私は判断しましたが、どうでしょうか?
[79623] 2011年 11月 12日(土)05:18:06【2】YT さん
天保郷帳からの新しい?発見
[79622]むっくんさん

天保郷帳の本来の原本においては、1頁に4村を記載するのが原則となっていたように見受けられます。とするならば、天保郷帳の編纂の過程、もしくは天保郷帳より天保郷帳(複製本)(編:史籍研究會、1984)を作成する過程で、中来島村、上来島村、八神村、角井村、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の8村を記載した2頁分を挟む位置を誤った、と考えるのが妥当です。

天保郷帳の原本は、四村ずつ書いていたんですね。今になって気付いたのですが、現在は天保郷帳の中身を国立公文書館のデジタルアーカイブで見ることができるようです。同じ紙に表裏それぞれ四村ずつ書き記すため、頁綴じを間違える時は合計八村ずつ間違えてしまうようです。

出雲国郷帳の場合、神門郡の中で中来島村、上来島村、八神村、角井村の四村が表(25/74頁左)、長谷村、佐見村、和泉村、頓原村の四村が裏(26/74頁右)に記載されていますね(頁へのリンクの仕方が分からないので、とりあえず郷帳の表紙にリンクしておきます)。これら全てが本来なら飯石郡に入るべきものなのでしょう。

村名石高
中来嶋村1,594.562000
上来嶋村1,417.101000
八神村1,085.685000
角井村805.478000
長谷村701.090000
佐見村527.351000
和泉村1,385.685000
頓原村153.110000
合計7,670.062000

村数差8村石高差7,670.062石と見事に一致しました。

一方土佐国高岡郡の7,454.235石の方は、どうも国立公文書館の方では修正済みで、ちゃんと高岡郡から吾川郡へ移されています(71/142頁~72/142頁)。ここで16の村が2枚の紙ではなく、3枚の紙に渡って描かれていることから、国立公文書館で公開されている天保郷帳と、史籍研究會編の天保郷帳では、写本自体が異なることが分かります。【追記:後述のように両者は完全に同一の書類を撮影・印刷したり画像化したもので、「写本自体が異なる」というのは私の勘違いでした。】

村名石高
弘岡中ノ村1,470.395000
弘岡下ノ村1,585.227000
八田村1,058.820000
伊野村1,744.217000
賀田村175.083000
神ノ谷村239.551000
小野村121.875000
鹿敷村138.269000
勝賀瀬村119.459000
楠ノ瀬村62.783000
柳ノ瀬村150.413000
柏原村53.949000
上八川村214.407000
大窪村113.500000
野地村111.157000
寺野村95.130000
合計7,454.235000

村数差16村石高差7,454.235石と一致しました。

こうなってくると、国立公文書館で公開されている天保郷帳をチェックすると、伊那郡で欠けている8つの村が分かるかも知れません。そこで信濃国郷帳の伊那郡をチェックしたところ、61/211頁目の8つの村が、史籍研究會編『天保郷帳』に記載されていないことに気付きました。

村名石高
和知野村114.701000
千木村59.203000
小野村118.946000
早稲田村168.857000
小中尾村77.673000
田上吉田村152.144000
井戸村38.817000
帯川村10.160000
合計740.501000

村数差8村石高差740.501石と一致し、更に史籍研究會編『天保郷帳』から漏れた村の名前が今判明しました。

武蔵国上郷帳の場合、入間郡とされる150/190頁左~152/190頁右の部分が高麗郡所属16村です。

村名石高
向郷村36.490000
川崎村112.851000
下川崎村163.462650
平松村224.941000
根岸村236.420000
野田村481.076000
篠井村799.419400
岩澤村414.159500
佛子村239.796000
阿須村153.663000
落合村154.590000
岩渕村273.650000
前ヶ貫村114.347000
川寺村281.364000
笠縫村194.328000
双柳村445.625000
合計4,326.182550

再び村数差16村石高差4,326.18255石と一致しました。

残るは上野国利根郡から碓氷郡に誤って入っているであろう16村ですが、国立公文書館の天保郷帳では、すでに利根郡の109/164頁~110/164頁に収録されています。

村名石高
阿能川村36.686000
谷川村27.925000
鹿野沢村15.008000
吉本村3.634000
大穴村36.236000
幸知村11.822000
湯檜曾村9.279000
網子村30.719000
向山村3.977000
栗沢村18.094000
夜後村9.792000
藤原村339.023000
戸倉村91.556000
土出村220.328000
腰本村225.109000
東小川村277.213000
合計1,356.401000

村数差16村石高差1,356.401石と一致しました。

村数が一致していないのは、あと松前嶋(17村多い)と出羽国平鹿郡(2村多い)ですが、この辺は枝村の扱いの不一致などが原因でしょう。

【追記】 史籍研究會編の『天保郷帳』は、国立公文書館に所蔵されている内閣文庫の『天保郷帳』を撮影・収録したもので、現在国立公文書館のデジタルアーカイブで閲覧できる『天保郷帳』と完全に同じもののはずです。伊那郡の八郡が抜けたのは撮影・編者のミス、上野国利根郡の16村、土佐国吾川郡の8村の扱いが異なるのは、撮影・編者のミスなのか、後に気付いた人が並び替えたのかしたのでしょう。
[79620] 2011年 11月 11日(金)04:21:03【1】YT さん
奥羽民政取締時代、三戸県は存在しなかった?
[79607][79611][79614]の続きです。[79614]を書いてからまだ一日しか経っておりませんが、そこで書いた意見を180度変えた結論に達しました。つまり奥羽民政取締時代、「三戸県」は存在せず、「北奥県」こそが採用されていた県名であろうということです。結論を変えるに至ったのは、『三戸町通史』(1979年)、及び『三戸町史』「上巻」(1997年)を閲覧し、より確かな裏付けが得られたからです。

まず『三戸町通史』の記述です。おそらく平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)、『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)の記述は、この『三戸町通史』が典拠となっていると思われます。

 こうして三郡の取締は、明治二年二月八日津軽藩から黒羽藩へと移された。しかし実際には津軽藩では最初から家中の士を派遣した形跡はみられないという。津軽藩は現地に出張しないうちに黒羽藩と交代させられたようである。
 黒羽藩では、藩主大関美作守の片腕として家老の職にあった村上一学を派遣した。

     4 三戸代官所引継ぎと三戸御所役所時代

 村上一学を中心とする黒羽藩の一行は、明治二年四月七日に盛岡に到着、四月二十六日「三戸代官所」において、南部藩代表新渡戸伝と黒羽藩代表村上一学との間で引継ぎを完了した。
 黒羽取締となった三郡は、この時から一般に三戸県であると考えられていた。
 ところが、次のような布告が管内に出されている。
  是迄官所或ハ仮屋ト相唱候由之処、県名被仰出候迄、三戸御役所ト可称事
                    (『萬日記』明治二年四月二十六日の条)
  明治二年五月八日 野辺地代官所及びその支配地は黒羽藩へ引渡。県名未決定で、三戸御役所と称す。
                    (西村文書『海陸日記』)
 ちなみに、三戸境沢石井家文書『萬日記』の右条項筆者石井久右衛門は、当時三戸代官所御物書であり、南部藩側の一員として黒羽藩への引継ぎに立ち合っている。
 以上の事から黒羽藩へ引き渡された当初は県名が定まっておらず、単に「三戸御役所」という名称が用いられていた。

     5 北奥県

 北奥県は、黒羽藩が陸奥国三郡の取締にあたって設けられた県名であるが、いつから呼称されたかは判然としない。
 明治二年五月十八日付黒羽藩「藩治職制」には村上一学の役名として「北奥県権知事」とあるが、『新渡戸日誌』に北奥県の名が出てくるのは、明治二年六月十九日が始めてである。
 また蟹他町の『安田家文書』には、北奥県が巳六月(明治二年六月)に仙台屋彦兵衛にあてた次の公文書「申渡覚」がある。藩政時代安田家は野辺地で仙台屋彦兵衛と称して、船問屋を営んでおり、文書の内容は、従来どおり船問屋職を認めるというもの。
          本町
            船問屋
               彦兵衛江
      申 渡 覚
  廻船地役 船問屋 地船取締
  並 冥加金取立 其外総而是迄
  之通 其方江申付もの也
    巳六月
      北 奥 県 (印)
                    (『安田家文書』)
 これらのほか、諸史料から北奥県の呼称が明確化してくるのは、明治二年六月であるといえよう。
 しかし果たして中央政府が北奥県を認めていただろうか。明治二年八月設置された按察府という中央政府の役所では、この北奥県は認められているが、それまでは認められた形跡はないようであるという。
 ただし、北奥県の名は、太政官制による三戸県の明治二年九月十九日開庁まで続くことになる。

     6 三戸県の設置

 明治二年八月七日九戸県が建置され、その管轄範囲は北・三戸・二戸・九戸・鹿角の五郡と決定したが、同年九月十三日八戸県と改称、さらに同年九月十九日三戸県と改称された。この間実際は、九戸県も八戸県も開庁されていないし、八月十八日付黒羽藩取締が免ぜられ、村上一学は、改めて八戸県権知県事に任命も三戸にいて陸奥三郡の支配をしている。三戸県に改称と同時に村上一学は三戸県権知県事に任命、三戸県御役所が開庁され、太政官制に基づく県政を開始することになる。
 三戸大神宮所蔵の「三戸県役所新築記念奉納額」(明治三年季春)には黒羽藩出身の三戸県庁員の氏名が記されている。(三戸城温故館出陳)
 三戸県は公的には明治二年十一月二十八日廃され、江刺県に併合されるが、明治三年三月三戸県権知事源朝臣光雄(村上一学)名で交付した褒状が三戸町に現存する。

大分長い引用となりましたが、このようにきっちり元文献を挙げて考察しています。一部『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)と内容が被っていますが、本町船問屋彦兵衛への辞令は、『野辺地町史』では西村文書『海陸日記』からの引用となっているのに対し、『三戸町通史』では辞令を受け取った仙台屋彦兵衛こと安田家の『安田家文書』を元文献としており、後者の方が正しい引用をしております。

「三戸御役所」または「三戸県御役所」についても、もっと具体的なことが記述されています。『野辺地町史』では石井『万日記』から引用として「三戸御役所」と記述するなど、笹澤魯羊の著作である『田名部町誌』(1935年)と『下北半嶋史』の記述と微妙に異なる布告内容を記載しており、私は[79614]で疑念を表明しました。ところが『三戸町通史』によると、この布告文は南部藩の書記であった石井久右衛門が明治2年4月26日に書き記したものだとの、より具体的な説明があり、完全に同時期に記述されたものであることが明らかです。これに対し「三戸県御役所」を採用している『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)、『むつ市史』「近代編(明治・大正時代)」(1986年)などは、笹澤魯羊の著作である『田名部町誌』、『下北半嶋史』からの引用であり、「三戸県御役所」という言葉は事実上笹澤魯羊の著作が元文献ですが、「三戸県御役所」設置の申渡覚は5月と少し遅れており、オリジナルからのコピーであることが伺えます。なによりも笹澤魯羊本人は、何の文書を元にこの文を書き起こしたのか記していません。笹澤魯羊とは、明治中頃に生まれた地元の政治家で、これらの地方史を熱心に書いているのはいいのですが、如何せん、当時としてはこれでもよかったのですが、元文献が何なのかという点に注意を払って執筆していません。

『三戸町通史』は、「三戸御役所」のみならず、「三戸県御役所」の存在も明らかにしています。即ち三戸県成立の明治2年9月19日に、「三戸県御役所」が開庁したと記述しています。こうなってくると、ますます笹澤魯羊のソースを疑いたくなります。笹澤魯羊の記述に比べ、石井久右衛門『万日記』の方が内容が長く、引継ぎ当日の布告文として日記に記していることから、後者の方がよりオリジナルに近いと予測されます。笹澤魯羊の文書は一月のズレがあり、おそらく何度かの文書の写しをはさんでいます。ほんの数ヶ月後には「三戸県御役所」が成立し、それが一年間以上役所として機能していた事実があり、写本作成の仮定で「三戸県御役所」と上書きしてしまうような事態が起こっても不思議ではありません。

北奥県については、『三戸町史』(1997年)にも記述がありますが、ほぼ『三戸町通史』(1979年)と同じ内容なので省略します。ただ、三戸県が廃止されたあとも「元三戸県」という官庁名が存続したことが指摘されています。『野辺地町史』と内容が被っていますが、より詳しい考察が書かれているので以下引用します。

 石崎宜雄教授(弘前大学教育学部)は、元三戸県が斗南藩と併存した固有の官庁名であると指摘している。
 『元三戸県について考察する』から要点を紹介してみる。
 元三戸県は、明治三年四月十八日、三戸県から斗南藩へ事務引継ぎが行われたあと、その残務整理のために暫定的に残された官庁であり、もともと、明治二年十一月三日、表むきには陸奥国において三万石支配を命ぜられ、斗南藩と名のるに至った松平容大が、年をあけてようやく明治三年五月十五日に至って、「斗南藩知事」に任命されるという不測の事態の結果、三戸県は事実上残存せざるを得ない破目におちいり、明治三年四月に至ってようやく、事実引継ぎに至るまで漕ぎつけることができたというなかから出て来る稀有の現象でもあったのである。
 太田家文書(五戸町大字手倉橋)御廻状御沙汰書写帳の中から、はっきり「元三戸県」と表示され、官庁印までも押捺した文書が発見された。
(内容省略)
 午とは庚午、明治三年のことであるがその四月十八日に、三戸県と松平家の間において、三戸・二戸・北郡の内から三万石の引渡しが完了したことを告げる公文書であるが、その後書に
「是迄取残御用之儀元三戸県ニ而万端取扱候条、為心得相達候。且村之社寺向江も可相達候事」といい、「元三戸県」という表示のもとに指示している。
 その意味で「元三戸県」とは、元の三戸県ではなく、固有の官庁名であるということが明らかになった。
    (中 略)
 明治三年四月十八日に「引渡済」とはいっても、それは単に書類の上のことであったろうし、斗南藩も藩として責任ある姿勢を打ち出しうるようなものではなかったはずである。三戸県から元三戸県へ、三戸県は元三戸県と呼称をかえつつ、「是迄取残御用之儀」といいつつ、万端にわたってとりあつかっていかなくてはならなかったものがあったのである。その点明治三年五月十五日の松平容大斗南藩知事はまさに可能なかぎりでの早期発令とみるべきである。

以上、時系列をまとめると以下の通りです。

日時(旧暦)出来事引用元
明治2年2月8日黒藩藩、陸奥国北郡・三戸郡(内八戸藩領を除く)・二戸郡の民政取締を拝命
明治2年3月29日黒羽藩取締地の県名確定まで「北奥県」と仮称黒羽藩史資料(『野辺地町史』引用)
明治2年4月26日三戸代官所において引継ぎ
上と同日三戸代官所に三戸御役所を設置万日記(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)
明治2年5月8日県名未定につき三戸御役所と呼称海陸日記(『三戸町通史』等で引用)
明治2年5月三戸代官所に三戸県御役所を設置笹澤魯羊「田名部町誌」「下北半嶋史」
上と同月7ヶ条の「県治要領」を布告笹澤魯羊「田名部町誌」「下北半嶋史」
(『岩手県史』『むつ市史』『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』等でも引用)
明治2年5月18日「北奥県権知事」の記述黒羽藩「藩治職制」(『三戸町通史』等で引用)
明治2年5月28日七戸藩の分離・成立
明治2年6月彦兵衛への辞令安田家文書(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)
明治2年6月19日「北奥県」の記述新渡戸日誌(『三戸町通史』等で引用)
明治2年8月7日県設置布告により九戸県を設置
明治2年8月18日黒羽藩取締地の廃止
明治2年9月13日九戸県を八戸県と改称
明治2年9月19日八戸県を三戸県と改称、三戸県御役所を設置
明治2年11月黒羽藩取締地を廃し三戸県御役所を設置する布告久慈毅一郎文書(『岩手県史』引用)
明治2年11月3日斗南藩の分離・成立
明治2年11月28日三戸県を廃し、江刺県に併合
明治3年4月18日旧三戸県の業務を斗南藩に引継ぎ(但し旧三戸県は暫く存続)太田家文書(『三戸町通史』『野辺地町史』等で引用)

こうまとめてみると逆に浮いてくるのが、笹澤魯羊が記述する「三戸県御役所」だけです。おそらく写本作成の際に「三戸御役所」と、5ヶ月後に改めて設置された「三戸県御役所」を混合したのでしょう。しかしこれが『岩手県史』などに引用されてしまいます。

一方『北奥県』の成立時期ですが、黒羽藩が仮の名を定めた明治2年3月29日で問題ないと思われます。『三戸町通史』等は6月を正式に定まった時期として想定しているようですが、5月18日には黒羽藩の藩政史料に「北奥県権知事」の記載があるようですし、なし崩し的に仮称が採用されたというのが実態でしょうから。

なお『黒羽藩史資料』其二、其三も閲覧しましたが、内容は慶応4年(明治元年)4月始~12月末までの黒田藩の公的な従軍日誌の手書きの写本で、該当する部分は記載されていませんでした。
【重複除去、年表修正等】
[79614] 2011年 11月 10日(木)03:59:24【1】YT さん
三戸県→北奥県 か 北奥県→三戸県 か
[79607][79611]の続きです。

『田名部町誌』(1935年)の増補版(1937年)、『むつ市史』「近代編(明治・大正時代)」(1986年)、笹澤魯羊著『下北半嶋史』(1952年)の改定四版(1966年)、『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)における北奥県・三戸県の記述をまとめます。

まず[79606]に記した『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)からの引用と被りますが、『田名部町誌』では以下のように記述されています(旧字体は新字体に変換)。

依て明治二年二月九日更めて、上野国黒羽城主大関美作守へ、新に右三郡の取締を命ぜられた。同年四月廿六日、三戸に於て南部藩代表新渡戸伝氏と、黒羽藩権知県事村上一学氏等との間に、北郡の引渡手続を了した。三戸代官跡に、黒羽藩の役所を置きて、三戸県と唱ひ、三戸県御役所と称した。

          検断 宿老 老名 肝入
      申 渡 覚
今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属大関美作守え御取締被仰付、権知県事支配と成候間今後天領と可相心得、此旨村々老名小前末末迄不洩様可申聞候
 猶其方共始め是迄領主より役筋申付置候分、如貫更に役儀申付候間弥以精勤可相励者也
  五月
是迄官所或は仮屋と相唱候由之処、県名被仰付候得者三戸県御役所と可称事

  五月
 田名部新町の南入り口と、柳町の北入り口との二ヶ所へ檜の標柱を建てた。標柱は七寸角総丈け一丈五尺にして、根本三尺を土入として、表面に「御領 大関美作守取締所」右側面に「陸奥国北郡田名部駅」と認めてあつた。

 (7ヶ条の覚を省略)

 明治二年五月十二日、黒羽藩、役人初めて田名部へ到着した。検断への申付に「其処有合之品にて取賄馳走ヶ間敷儀一切差出申間敷事、相成者宿茂壱軒に取計可申事」とある。同年七月七日、支配地観察のために権知県事村上一学氏以下十人到着した。田名部には調役大属高梨伴右衛門、戸上史生の両氏が在勤した。役向取扱上の達示が出て居る。

『下北半嶋史』もほぼ似たような記述ですが、申渡覚に年号が入っている点が微妙に違うので、別個書き出します。『むつ市史』の方は、『下北半嶋史』の記述を引用しています。

(前略)、明治二年二月九日、更めて上野国黒羽城主大関美作守(栃木県那須郡黒羽町)が取締を命ぜられた。同年四月二十六日三戸代官所にて、南部藩代表の新渡戸伝と、黒羽藩代表との間に、引継手続きを終わって、三戸代官所跡に開庁して三戸県と唱えた。田名部の検断、宿老、老名、肝入一統に対して、次の通り申渡された。
      申 渡 覚
今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属大関美作守え御取締被仰付、権知県事支配と成候間、今後天領と可相心得、此旨村々老名小前末末迄、不洩様可申聞候
 猶其方共始め是迄領主より役筋申付置候分、如貫更に役儀申付候間、弥以精勤可相励者也
   巳五月(明治二年)
是迄官所或は仮屋と相唱候由之処、県名被仰付候得者、三戸県御役所と可称事

以上、『田名部町誌』、『下北半嶋史』、『むつ市史』及び『岩手県史』([79611])はすべて「三戸県」のみを記載し「北奥県」について何も触れていません。一方、平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)、『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)よりも後に出版されている『野辺地町史』「通説編第二巻」(1997年)では、むしろ「北奥県」しか取り上げていません。

 ともあれ、旧盛岡藩領は没収され政府直轄領となった。その北奥の地が津軽取締となて、廃藩置県に至るまでは変遷めまぐるしい。概括のために現上北・下北郡域でまとめると次のようになる。
明治元年(一八六八)
 一〇月一〇日、秋田・弘前藩、盛岡城請取に入城(盛岡藩領は政府直轄地となる)
 一二月 七日、南部信民、高一万意思をもって家名相続を許される。
 一二月一七日、弘前藩に陸奥国北郡・三戸郡(内八戸藩領を除く)・二戸郡の取締を命ずる。
明治二年(一八六九)
  一月二八日、南部信方、北郡七戸通外に一万石を与えられる。
  二月 八日、弘前藩取締御免、黒羽藩に右三郡の取締を命ずる。
  三月二九日、黒羽藩取締地の県名確定まで、「北奥県」と称する。
  四月二六日、三戸代官所において、旧盛岡藩領内の黒羽藩取締地への引き継ぎをする。
  五月二八日、南部信方、領地朱印状高一万石余を交付される(七戸藩の成立)。
  八月一〇日、黒羽藩取締地より、七戸藩一万石余を請取る。
  八月一八日、黒羽藩取締地を「九戸県」とする。
  九月一九日、九戸県を「三戸県」と改称する。
 一一月 三日、松平慶三郎、陸奥国の内に三万石を与えられる(斗南藩の成立)。
明治三年(一八七〇)
  一月――日、斗南藩、三戸県の内、北軍田名部通・野辺地通、三戸郡五戸通・三戸通(七戸・八戸藩を除く)を請け取る。
明治四年(一八七一)
  七月一四日、廃藩置県により「斗南県」「七戸県」となる。

このように最初から一環して「北奥県」であったとの記述となっています。

 黒羽藩は現栃木県にある藩であったから、南部彦太郎旧領の請取のための陣容をそろえて出立したのは、三月十二日であった。その間、県名は「北奥県、確定ノ県名ニアラズ、今マ姑ラクノ旧文ヲ存ス」(黒羽藩史資料)こととした。

ここに来て『黒羽藩史資料』という一次史料に、当初「北奥県」という仮称が黒羽藩内で提唱されたという記述があることが分かりました。

 四月二十六日、三戸代官所において引き継ぎが行われた。
 北奥県役員は、
  権知県事  村上一学
  権判県事  風間六之丞 小山勘解由
  調  役  小山権四郎 那須真小一 高梨伴右衛門(以下略)
であった。そして、次のような「達」が出され、ここに「北奥県」による取締が始まった。

   今般三戸官処付之村々、天朝御料ニ被属、大関美作守江御取締被仰付、権知県事支配たる間、今後天領ニ可相心得、此ノ旨村々老名・小前末末迄、不洩様可申聞セ候。猶、其ノ方共始メ是迄従領主役筋申付ケ置キ候分、如旧慣更ニ役儀申付ケ候。弥以テ精勤可相励もの也。
   付、此ノ度御一新御趣意申渡ス義茂有之候得共、三郡御引請之上追而可相達候。是迄官所或ハ仮屋と相唱候由之処、県名被仰出候迄、「三戸御役所」と可称事。(石井「万日記」)

石井「万日記」からの引用とされる布告の内容は『田名部町誌』、『下北半嶋史』、『むつ市史』及び『岩手県史』([79611])記載の布告と一部違いますが、何より大きな違いは「三戸県御役所」と書かず、「三戸御役所」と書いている点です。これは原資料の違いのせいなのか、それとも意図的なものなのか、よく分かりません。ただ石井「万日記」の記述を採用すると、「三戸県」という呼称の根拠がなくなります。

 北奥県役人が野辺地を通行したのは五月八日で、田名部に出張所を置いたのが十二日。野辺地は、この田名部出張所管内にあったと考えられ、権判県事―小山勘解由が責任者である。
 「西村家文書」には「北奥県分局野辺地御役所」と記されているから、これが代官所に代わる役所となったのだろう。そして、次に見られるような「覚」が出されている。
             本町船問屋 彦兵衛江
     申渡覚
  廻船地役 船問屋 地船取締並冥加金取立 其ノ外総而 是迄之通 其方江申付もの也
     巳六月  北奥県 (陸奥国黒羽役所)
                  (西村家「海陸日誌」)

このように明治2年旧暦6月頃に野辺地の分局に勤めていた西村家の何某により、北奥県の辞令が船問屋に出されています。『野辺地町史』にはこの原文のコピーが「北奥県辞令」という題とともに掲載されていますが、「北奥縣」「巳六月」「御役所」という手書きのサインで〆られ、「役」の漢字の上に「陸奥国黒羽役所」という字が細かく入った丸いハンコが押されているようです。ただ、「縣印」は押されておりません。平凡社『日本歴史地名大系』の
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。
の根拠はこの西村家の「海陸日誌」(に挟んであった辞令の写し?)でしょう。

 ところが八月十日、七戸藩一万石余が成立。黒羽藩取締地「北奥県」のうちから、七戸通の格村々と五戸通十三カ村が七戸藩領となった。黒羽藩取締地は南北に分断されたことになって、これが後の斗南藩に甚大な影響を与えることになる。
 取締区域の変更によるのだろう。八月十九日、「今般、九戸県支配ニ被仰付候間、知県事着県次第同県ヘ引渡可申事。九戸県、今般改テ新県被建置候事」(太政官日誌)。正式名称が「九戸県」に決まったが、名称に齟齬があったとみられ、九月十九日、「三戸県」と改められる(この間「八戸県」改称があるが、これは疑問である)。
 この三戸県も、松平慶三郎に三万石が与えられることになる。十一月二十九日、「三戸県、今般其ノ県被廃江刺県ヘ合県被仰付候事」(太政官日誌)で、あっけなく消滅したが、実際として、会津藩士が移住してくる明治三年二月頃までは「三戸県」名が使用されている。
(中略)
 窮民の救済に「三戸県御役所」が立ち上がったことを証する文書がないばかりか、諸記録にすら痕跡をとどめていない。わずかに町の篤志家が穀物を提供した記録が残るのみである。
(中略)
 会津藩に新藩の設置が許されたのが明治二年十一月三日、これがようやく三戸に達したのは翌年の二月六日(石井『万日記』)。そして、引き継ぎが行われたのが四月十八日であることが、次の達で知られる。
   兼而相達シ置キ候通、松平家、三戸・北郡、二戸郡之内高三万石、今十八日引渡シ相済ミ候条、此ノ段、小前末々迄無漏早々可相触者也
    但シ是迄取残シ御用之儀、元三戸県ニ而万端取扱ヒ候条、為心得相達候。且村之社寺江も可相達候事。
         午四月十八日       元三戸県御役所 在判
(手倉橋・太田文書『近代化のなかの青森県』所収)

三戸県成立後は、全部わざわざ「三戸「県」御役所」と書き記していますが、それだけに石井『万日記』の「三戸御役所」表記が浮きます。現時点での自分の判断は以下の通りです。

明治2年旧暦2月8日 黒羽藩は弘前藩民政取締地を継承、「北奥県」を仮称(『黒羽藩史資料』による)。
明治2年旧暦4月26日 事務引き継ぎ、「三戸県」と呼称(『田名部町誌』他による、ただし一次史料名の記載なし)。
   ただし野辺地分所では「北奥県」の呼称を使用し続けたため、旧暦6月付の「北奥県」の辞令が残った(西村家『海陸日誌』による)。

つまり三戸県→北奥県ではなく、どちらかというと北奥県→三戸県ではないかと思います。黒羽藩取締地の役所の置かれた田名部町、むつ市の地方史では三戸県が優先して使われているようですし。

【追記】 読み返したところ、『田名部町誌』と『下北半嶋史』の著者は、同じ笹澤魯羊でした。よって『むつ市史』を含め、全て地元むつ市に保管されている史料を使って書いたと思われます。
[79611] 2011年 11月 8日(火)03:10:13【3】YT さん
『岩手県史』における羽黒藩取締下の三戸県の記述
[79607]の続きです。

『角川日本地名大辞典』と『岩手県史』における北奥県・三戸県の記述をまとめます。

まず『角川日本地名大辞典』「2 青森県」(1985年)による「北奥県」の記載は以下の通りで、平凡社『日本歴史地名大系』「3.青森県の地名」(1982年)とほぼ同じ資料に基づいて書いたと推測されます。

この黒羽藩取締は,はじめ単に三戸御役所などと称されるだけであったが,やがて北奥県と県名を称するようになった。県名の由来は,陸奥国の盛岡以外に通称名である北奥にちなむものであろう。

平凡社の『日本歴史地名大系』と『角川日本地名大辞典』はほぼ同時期に出版されていますが、青森県に関しては平凡社の方が先に出ており、もしかしたら平凡社版の記述をそのまま持ってきたのかも知れません。

一方『岩手県史』第六巻「近代編1」(1962年)の方は、「第二章 直轄期」のために272頁~397頁を割いており、「第三節 三戸県治」は、323頁~335頁まで記載があります。以下県名等と関りのありそうな文章を抜粋します。

 官においては、これによって明治二年二月八日、津軽越中守の取締りを免じて、その跡役に黒羽藩主(下野)である大関美作守(増勤)を任命し、取締りを交替させた。そこで黒羽藩においては、藩士の中から民政に長じた村上一学(光雄)以下を選抜し、現地に派遣して、その事務に従わさせた。
 村上一学は、明治二年四月七日盛岡に到着し、同十三日盛岡において、南部家側から一先づ諸帳簿類の引渡しを受け、同十六日現地に向けて出発し、四月二十六日、三戸御代官所において、正式に三郡の事務を引継ぎ、目録を交換している。

この辺の引継ぎの史料として、『出陣日記附録』、『南部家記録』、『太素日誌』、『野田日記』からの引用を挙げています。

     四 庁舎の設置と新旧役員

 明治二年四月二十六日、三戸代官所において、陸奥三郡の事務を引継いだ村上権知県事は、三戸代官所跡を治所とし、その管轄を三戸県と称して見治を行ない、庁舎を三戸県御役所と称したが、同五月には、北郡田名部通り代官所から、このことについて「申渡し」がおこなわれている。
 その趣意は、今度天領となり、大関美作守の取締りに属して権知県事の支配になったから、肝入・宿老・検所三役をはじめ末端の百姓までよく徹底するように。なお村役等はいままでどおり任命するし、また従来代官所のことを官所とか仮屋と唱えて来たが、県名がつけられたことであるから「三戸県御役所」と称するようにとのことであった。

中略

申渡覚

今般田名部代官所附村々、天朝之御料被属、大関美作守ヘ御取締被仰付、権知県事支配ト成候間、今後、天領ト可相心得
此旨村々老名小前末末迄不漏様可申聞候。
 猶其方共初メ是迄領主ヨリ役筋申付置候分、如貫更ニ役儀申付候間、弥次精勤可相励者也。
  五月
是迄官所ハ仮屋ト相唱候由之処、県名被仰付候得者、三戸県御役所ト可称事。
  五月               『田名部町誌』より

中略

     五 三戸県の廃合

 明治二年八月、九戸県が置かれ、黒羽藩取締りの三戸県は解体された。しかもこの九戸県は、置県後四十幾日にして八戸県(三戸県)と再度県名をあらため、九月十九日には三度三戸県と改称し、また村上一学(光雄)は、九月十三日同県の権知事に任ぜられた。
 従って知事以下の諸官員は、おおむね黒羽藩士がそのまま新しい三戸県の官吏に就任している者が多い。これが四転して、三戸県が江刺県に合わせられた時にも、黒羽藩士が江刺県官吏として、少なからず出仕している。
 新しい三戸県は、陸奥国の二戸郡・三戸郡・北郡と、陸中国の鹿角郡と九戸郡を管轄におさめ、これを支配することになり、その治所を「三戸県御役所」と称し、いろいろな願書や伺い書や届け書などを受付けすることになった。そして肝入・宿老・検断などの村方役も、前々の通りそのまま役目を継続させられている。

            九戸郡野田北野守 久慈吉野右衛門
                     烏谷 孫右衛門

是迄黒羽藩取締之場被免、今般改而三戸県被置、別紙写之通拝命、且陸奥国・二戸郡・三戸郡・北郡、陸中国・鹿角郡・九戸郡・管轄被命、依之已以来可為支配事。
一、以来三戸県御役所ト相称シ、諸願伺届宛右同断可相認事。
一、其方共、後モ如旧慣申付候条、弥以精勤可相勤事。
   附 御一新以来御趣意可申渡儀有之御役共近々其地出張之上可相達候事。

右之通扱中、小前末々迄無脱漏可申聞者也。
 明治ニ巳年十一月            三戸県御役所
              九戸郡侍浜 久慈毅一郎文書、森氏筆者本による

まあこのぐらいで、後は北奥県に関する記述はありません。

一方今日、『青森縣史』(1926年)の方を読んできましたが、色々とがっかりする内容でした。『青森縣史』は「通史」としてまとまっておらず、全ての項目が「年表」の形で羅列されていました。しかも第2~3巻 藩政時代(津軽篇)、第4~6巻 藩政時代(南部篇)と分かれており、明治初期の内容は第3巻と第5、6巻に分かれているのですが、内容はもっぱら藩の政治や人事で、他藩取締期に関する記述はほとんど見当たりませんでした。

2001年より新しい『青森県史』の執筆が始まったようですが、まだ資料編しか出ていないようです。『青森県史』「資料編 近現代 1 近代成立期の青森県」が該当しそうですが、中身は見ていません。

北奥県の元記述にあたれるとすれば、あとは『岩手県史』が引用している『田名部町誌』(1935年)ぐらいでしょうが、nacsis webcatに登録されている所蔵図書館は弘前大学だけで、閲覧が困難です。増補再版(2版)(1937年)や3版(1939年)も、内容が同じなら、なんとか閲覧できる目処は立ちますが。
[79607] 2011年 11月 6日(日)15:45:32YT さん
北奥県、奥羽民政取締地、大名預所の変遷の謎
[79604] hmtさん

[75939]の末尾付近では“これらの「県」の性格は よくわかりません。”と書いたのですが、改めて考え直してみた結果、“正式なもの”の意味次第ではあるが、否定的な結論に傾いています。

貴重な意見ありがとうございます。

昨日『角川地名大辞典』の各巻の附録に含まれている府藩県変遷図を見比べ直しましたが、確かに『宮城県』の巻では涌谷県、栗原県という県名をわざわざ書き加えていますが、『青森県』『岩手県』『福島県』の巻では、花巻県、伊沢県、桑折県等の県名を変遷図から外しています。これらの県は法的には同格のはずですが、『角川地名大辞典』では各巻毎に編集者の意見が異なるのか、ばらばらの対応をしていることになります。『角川地名大辞典』で採用されているからといって、正式な県と考えるのは妥当ではないかも知れないことになりますね。

登米県に関する宮城県の行政区画の変遷の図は、多分日付等が若干間違っています。

地方沿革略譜 では置県2年8月7日となっていますが、先にリンクしたように太政官布告は8月18日です。このような食い違いは多々あります。

宮城県の行政区画の変遷の図で間違っていると感じたのは、置県の日付の方ではなくて、涌谷県を完全に併合したのが9月28日となっている点です。9月28日は石巻県を合併した日であり、涌谷県は8月中旬段階では廃止されている筈なので、変遷表の作成者がミスしたのでしょう。


平凡社の日本歴史地名大系2青森県のp.16下に次のように記されています。(p.36、p.42も言及あり)
黒羽藩では初めその支配地に対し特定の県名を付けず「三戸御役所」管内として取り扱っていたが、おそらく同2年6月の前半頃 北奥(ほくおう)県 という正式の名称を決定したと思われる。しかしまもなく 8月18日に各藩に取締を命じていた地域に正式の県を置くことになり、新たに九戸県が設定されて、それに包括された。

一昨日、『岩手県史』<第6巻・近代編1>の記述を確認したところ、コピーを取らなかったので正確には記憶しておりませんが、奥羽民政取締時代のためにわざわざ独立の章を設けていました。50頁ぐらいに渡り、三戸県、花巻県等の県政(それぞれ節の名称にしている)をまとめており、斜め読みする限り黒羽藩民政取締時代の項目に「北奥県」の名前を確認できませんでした。

しかしながらhmtさんの書き込みを読み、昨日晩に慌てて図書館に駆け込んで平凡社の『日本歴史地名体系』「青森県」の巻を確認したところ、確かに近代以降の概説内で北奥県について書いてます。しかしながら『日本歴史地名体系』「岩手県」の巻の方では、北奥県については特に触れられていないようです。少し残念なのは『日本歴史地名体系』「青森県」では、何の文献を元にこの文章を書き下したのかが書いてなかった点です。

一方同時に『角川地名大辞典』を読んだところ、こちらも「岩手県」の巻では特に「北奥県」に触れていませんが、「青森県」の巻の「北奥県」の項目を読んだところ、同じ人が執筆したのではないかと錯覚するぐらい、ほぼ同じ文章の説明を確認しました(この辺は昨日コピーを取ったのですが、その後深夜まで色々仕事をした関係でうっかり仕事場にコピーを置いてきてしまいました)。しかし残念ながら、『角川地名大辞典』「青森県」の説明でも何の文献を元に記述したのかが書いてありません。

おそらくですが、私が想像するに、岩手県側の執筆で使われる地方史書籍と、青森県側の執筆で使われる地方史書籍とで、「三戸県」・「北奥県」に関する扱いが異なるのでしょう。『岩手県史』や、『岩手県史』を元に作成されている『千田稔、松尾正人『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』(1977年)の「東北地方民政取締諸藩」では「三戸県」しか扱われていませんでした。そうなってくると、例えば[『青森県史』での明治初期の黒羽藩民政取締地の記述がどうなっているのかが気になります。これについては月曜日以降に調べてみます。


現時点で奥羽民政取締地について多少なりとも包括的な文章を書いている書物として確認しているのは、『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』だけです。できれば奥羽民政取締地のみならず、各地に大量に存在していた藩預所の変遷を詳しくまとめた書物があるだけでもかなり色々な謎が解けるのですが。[79270][79307]でまとめたように、『明治二己巳年 租税取調帳』(pdf)によると、明治2年末の時点で福井藩、岡山藩、彦根藩、大垣藩、龍野藩、松代藩、岸和田藩、高槻藩、津山藩、高知藩、大洲藩、金沢藩、人吉藩、佐伯藩、名古屋藩、伊勢神宮領?の各預所があることになっていますが、『当巳年御収納高帳(諸府藩県明治二年収納高帳)』(pdf)の目次には他に見慣れない藩の名前もありますし、服藤弘司『大名預所の研究』創文社(1981年)によると、慶応4年の段階で以下の大名預所があることになっています(原資料は小野清『徳川制度史料』(1927年))。これらの預所はどこに行ったのでしょう。

藩預所石高旧国
高取39,000大和
彦根34,000近江
高槻32,000摂津河内
岸和田11,000和泉
大垣69,200美濃
福井45,000越前
金沢14,000能登
松本54,000信濃
松代20,000信濃
飯田700信濃
桑名48,000越後
高田48,000越後
新発田15,000越後
米沢13,000越後
会津74,000下野陸奥越後
松前14,000出羽
龍野46,000播磨美作
津山16,000美作
岡山6,000備前
松江12,000隠岐
高松2,000讃岐
松山19,000伊予
大洲1,000伊予
久留米22,000豊前
佐伯2,000豊後
熊本22,000豊後
柳河9,000筑後
島原15,000肥後
人吉500日向
延岡6,000日向
飫肥8,900日向(原書では高欠)
高鍋8,800日向(原書では高欠)
[79597] 2011年 11月 3日(木)06:10:28【5】YT さん
伊沢県、花巻県、栗原県、涌谷県、桑折県、三戸県、盛岡県、北奥県は正式な県?
YTです。

府藩県三治制下に東北地方に設置された県の内、諸藩の民政取締の下で称された県名を正式のものとみなすべきなのかどうなのか、皆さんの意見を聞きたく、以下まとめました。

自分はもともと、府藩県の設置・改名・廃止日時等が参考書や資料によって大分異なるので、『職務進退録』、『太政官日誌』、『法令全書』、『太政類典』、『地方沿革略譜』、『明治史要』、『府藩県廃置分合一覧』等の資料に従って日時の違いをまとめようと考えました。作業を進めていく内に、これらの資料に載っていない県がwikipediaに載っていることに気付きました。

それは、胆沢県の前身の栗原県と、登米県の前身の涌谷県です。これらの県は宮武外骨『府藩県制史』(1941年)、『日本近現代史辞典』(1978年,時野谷勝編集「府藩県対象表」)、松尾正人『廃藩置県』(1986年)、京大日本史辞典編纂会『新編日本史辞典』(1990年)、『岩波日本史辞典』(1999年)、勝田政治『廃藩置県』(2000年)、松尾正人『廃藩置県の研究』(2001年)にも掲載されていません。

これらの項目を書いた人に尋ねたところ、これらの県名は『角川日本地名大辞典』に書かれており、宮城県広報課の作成した「県の行政区画の変遷」にも記載されているとの返事を頂きました。実際に『角川日本地名大辞典』を読むと、確かに栗原県、涌谷県の記述があります。それぞれ『一迫町史』(1976年)、『涌谷町史』下巻(1968年)に記載されているとのこと。この内『涌谷町史』の方に目を通したところ、以下のような記述が見つかりました。

伊達安芸領のみならず、遠田郡内に知行高を有していた仙台藩の家中および士凡・百姓・町人・寺社領まで土地は残らず没収され、土浦藩取締地となった。三月末、土浦藩士奥田図書は権知県事として属官二十余名とともに涌谷要害屋敷に入り、涌谷県役所を設けた。

涌谷県江出張土浦相模守家中(「佐々木龍治留」―筆者蔵)
一、権知県事  奥田 図書
一、権判事   渡部 整作
一、同     寺町  鼎
一、調役    野崎孫太郎
一、〃     金田  甫
一、〃     藤井  央
外、書記調役補四名、筆生二名、捕亡十一名
註「榕園日録」によると、附属の小者まで総員二十四名が、二年三月二十九日・三十日の両日にわたって涌谷町に着いた。

明治二年八月十八日、涌谷県に栗原県の一部を併せ新しく登米県が置かれた。県庁所在地は涌谷で、旧館を本庁とした。

『栗原郡誌』(1918年)の方では栗原県・涌谷県は完全に無視されていますが、『宮城縣史本篇3(近代史)』(1964年)によると明治2年旧暦3月28日に、土浦藩、宇都宮藩の各取締所に涌谷県、栗原県が設置された状況が、「仙台領より宮城県に至る行政区割の推移」という表にまとまっていました。涌谷県は明治2年旧暦8月7日に登米県(「18日合轄トアリ」)、栗原県は明治2年旧暦8月12日に胆沢県となっています。

それぞれの県設置についての詳しい説明は書いてありませんが、以下の説明が載っておりました。

諸藩私有地が没収され、新政府直轄地として管理されるゆおになった新政治体制による県治が施行され、取締りの諸藩から権知県事・同判事以下の県管が現地に派遣された。この期間は短いが、制度上の変革にはのちの郡県制の端緒となったものもある。

直轄期は、取締り発令日の元年十二月二十三日から、藩県改置の日二年八月十八日までということであるが、実際には事務引渡しの関係から、取締りの各藩吏員は翌二年の春になって任地につき、同年秋から三年初めにかけて設置された藩県に土地を交付し、引渡しを完了して解任となる状態もあった。東北各地で直轄地の取締りを命ぜられた諸藩主は全部では十五にも達しているが、これらに対する共通の沙汰書によれば、戦乱ののちとて人民が甚だ苦しんでいるので、民政に通じている家来を選んで派遣し、新政にもとづき人民を撫育するよう、かつ新県を建てる場所の検見を命じている。

かくて諸藩ではその管轄地を県と称し、「奥羽取締規則」に従って政治を行ったが、その主なるものは、租税の収納・金礼・撫恤・月給・小吏の月給その他であった。

ここでようやくキーワードである「奥羽取締規則」なるものに出会いました。『法令全書』通番明治元年太政官布告第1129に、明治元年旧暦12月23日の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」が載っております。

其方儀今般奥羽御領之内民政取締被 仰付候就テハ兵乱之餘人民愁苦之情状追々被 聞食深ク被為痛聖念候ニ付、兼テ民政相心得候家来精撰之上彼地出張申付 朝廷之御政体ニ基キ人民撫育ニ厚ク心ヲ用ヒ 御一新之 御趣意遺洽ク貫徹致シ候様可取計旨、御沙汰候事
 但出張地所之儀ハ府縣掛ヘ可伺出事
 別紙
今般家来之者奥羽出張之上ハ新縣御取建ノ場所ヘ検分ヲ遂ケ見込可申出候様可致事

その後、廃藩置県関係の書物を読み漁ったところ、ようやく千田稔、松尾正人『明治維新研究序説: 維新政権の直轄地』の「東北地方民政取締諸藩」という表に、三戸県(0次)、伊沢県(胆沢県ではない)、花巻県、盛岡県(0次)、栗原県、涌谷県、桑折県などの聞きなれない県名が、民政取締期間に存在していたことになっておりました。

以下情報をまとめます(黒羽藩、松本藩に関しては、民政取締期間を原表より修正、【表が見にくいので分割】)

民政取締藩旧領主国名郡名権知県事
弘前藩盛岡藩陸奥北・三戸・二戸
黒羽藩盛岡藩陸奥北・三戸・二戸村上一挙
沼田藩盛岡藩陸奥東磐井
前橋藩盛岡・仙台・一関藩陸中胆沢・東磐井・西磐井久永真里
松本藩盛岡・仙台藩陸中紫波・稗貫・和賀・上閉伊・江刺・気仙西郷庄右衛門
松代藩盛岡藩陸中岩手・鹿角・九戸・紫波・稗貫・上閉伊・下閉伊小幡内膳
宇都宮藩仙台藩陸前栗原大羽楯之進
高崎藩仙台藩陸前牡鹿・桃生・本吉大野千楯
土浦藩仙台藩陸前登米・遠田・志田奥田図書
中村藩棚倉・二本松・磐城平・福島・関宿・会津藩・幕府磐城・岩代岩瀬・信夫・安達・安積・磐前・伊達志賀三左衛門
笠間藩棚倉・二本松・磐城平・福島藩・幕府磐城・岩代岩瀬・信夫・安達・安積・磐前・伊達加茂卓見
三春藩棚倉・磐城平・泉湯長谷藩磐城磐城・猶葉・菊多
守山藩棚倉藩磐城・岩代白河・石川・岩瀬三浦多門
館林藩会津藩・幕府領岩代大沼・河沼・耶麻・安積・会津・南会津・蒲原本多黒兵衛
新庄藩会津藩・幕府領岩代大沼・河沼・耶麻・安積・会津・南会津・蒲原竹村直紀
久保田藩庄内・米沢・天童上山・羽後亀田・羽後松山藩羽前・羽後田川・置賜・村山・飽海・由利・仙北・河北佐竹大和・和田掃部之助
新発田藩庄内・米沢・天童上山・羽後亀田藩羽前・羽後田川・置賜・村山・飽海・由利・仙北・河北溝口半兵衛

民政取締藩民政取締期間備考
弘前藩元年12月7日~2年2月8日旧盛岡藩領民の津軽氏排斥運動により2年2月8日に黒羽藩と交替
黒羽藩2年2月8日~2年8月7日2年2月8日に弘前藩民政取締地を継承、三戸県を称す、2年4月26日事務引き継ぎ、7ヶ条の「県治要領」を布告
沼田藩元年12月23日~2年2月30日2年2月30日に前橋藩と交替
前橋藩2年2月30日~2年8月18日2年2月30日沼田藩民政取締地を継承、伊沢県を称す、2年3月東磐井郡は旧磐城平藩の転封地となる、4月に19ヶ条の「心得書」を布告
松本藩元年12月7日~2年8月18日花巻県と称す、2年3月に「町村役人心得条目」の布達、遠野出張所開設、2年7月22日和賀紫波稗貫郡は盛岡藩復帰
松代藩元年12月7日~2年8月7日盛岡県と称す、2年5月3日県役所開庁、「心得条目」訴訟箱の設置、2年7月22日和賀紫波稗貫郡は盛岡藩復帰
宇都宮藩元年12月23日~2年8月7日2年3月22日に栗原県を称す、2年8月県下に村明細帳の提出を指示
高崎藩元年12月7日~2年7月20日2年7月20日に桃生県を置く、8月13日石巻県になる
土浦藩元年12月7日~2年8月7日2年3月22日に涌谷県を称す、2年3月28日土浦藩知事涌谷着
中村藩元年12月7日~2年7月20日桑折県を称す(磐城平民政局支配に代わる)、2年2月11日に県治の指針を示した「布達」を発行
笠間藩元年12月7日~2年7月20日
三春藩元年12月7日~2年8月7日
守山藩元年12月7日~2年8月7日2年4月金礼貸与の実施(須賀川生産方に金礼1,000両を貸与)
館林藩元年12月7日~2年5月4日郷村高帳の引き継ぎのみ、若松民政局支配が行われる
新庄藩元年12月23日~2年5月4日郷村高帳の引き継ぎのみ、若松民政局支配が行われる、2年6月岩代国巡察使により解任される
久保田藩元年12月7日~2年7月20日2年2月22日弁官へ官員派遣延期願を出願、酒田民政局の支配が行われる、同藩は郷村高帳の引き継ぎのみ
新発田藩元年12月7日~2年7月20日郷村高帳の引き継ぎのみ、酒田民政局の支配が行われる

「大日本維新史料稿本」明治元年12月16日・2年1月9日の項,「各県公文録」、『岩手県史』<第6巻・近代編1>、その他より作成

【原表での民政取締期間は、黒羽藩:2年2月18日~2年2月8日(開始、終了共に明らかに間違い)、松本藩:元年2月30日~2年8月18日(開始が明らかに間違い)。前橋藩、松本藩の民政民政取締期間(~2年8月18日)は、それぞれ8月12日(胆沢県置県の日)、8月7日(江刺県置県の日)の間違いという気もしましたが、『宮城縣史』が「直轄期は、取締り発令日の元年十二月二十三日から、藩県改置の日二年八月十八日まで」、登米県に関して「18日合轄トアリ」と書いているので、そのままにしました。各藩の民政取締地とその後の府藩県三治制下の県との関係は以下の通りです。

弘前藩取締地→黒羽藩取締地(三戸県→北奥県?)→九戸県→八戸県→三戸県→斗南藩・江刺県に編入
沼田藩取締地→前橋藩取締地(伊沢県)→胆沢県
松本藩取締地(花巻県)→江刺県・西部は盛岡藩(→盛岡県)
松代藩取締地(盛岡県)→江刺県・西部は盛岡藩(→盛岡県)
宇都宮藩取締地(栗原県)→胆沢県・一部登米県
高崎藩取締地→桃生県→石巻県→登米県に編入
土浦藩取締地(涌谷県)→登米県
中村藩取締地(桑折県)→福島藩・一部若松県
笠間藩取締地→福島藩
三春藩取締地→白河県
守山藩取締地→白河県
館林藩取締地→若松県
新庄藩取締地→若松県
久保田藩取締地→酒田県→山形県
新発田藩取締地→酒田県→山形県

登米県に関する宮城県の行政区画の変遷
の図は、多分日付等が若干間違っています。】

伊沢県、花巻県、盛岡県、栗原県、涌谷県に関しては、実は hmtさんが、[76252][75939][75924][75516]で触れられています。hmtさんが書かれた北奥県については、自分の方では確認できていません。岩手県の状況については、岩手県立博物館たよりNo.101「岩手県の誕生」(2004年,pdfファイル)の方にもまとまっています。桑折県については過去に誰も触れていないようです。

そこで皆さんに聞きたいのですが、一般的な廃藩置県関連の書籍や明治政府の公式の文書では全く取り上げられていない、これらの諸藩の民政取締の下で称された県名(伊沢県、花巻県、栗原県、涌谷県、桑折県、三戸県、盛岡県、北奥県;この内三戸県と盛岡県は、別の時期に県名として復活している、北奥県に関しては『岩手県史』の記述をまだ確認していない)というのは、正式なものとみなすべきでしょうか?

【引用文など一部訂正、備考を別表に、題名に他三県名を追加】


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