[43765] 右左府 さん
井坂直幹(中略)能代の大人は皆「いさかちょっかん」と言ってます。勿論正しいのは上記の通り「いさかなおもと」。
最初に予備知識。
戸籍には「読み」が記されていないませんが、日本人の名前に多い、「良い意味の漢字2字」を並べた名は、もともと公家や武家の男子が元服する時に名乗る名前で、「訓で読む」という伝統がありました。これを「実名」(じつみょう)または「名乗」(なのり)と言いました。
# 地名についても、古くから「並用二字、必取嘉名」の原則がありました。
[37482]参照。
しかし、この実名(名乗)は、昔は生前に他人から呼ばれる名ではありませんでした。他人は、その人の大事な実名を尊重して、めったに口にしてはならないのです。
そこで、他人に呼ばせるための「通称」という名がありました。西郷吉之助というような名がこれです。○スケ(助・介・亮など)、○兵衛、○衛門、○蔵などは昔の官職まがいの言葉を含む通称です。太郎、二郎のように兄弟順(排行)由来の通称もありました。郎を省いて数字だけになった「源三」とかもありました。もっともこれは、「源蔵」を簡略化した可能性もあります。通称は「呼び名」ですから発音主体で、文字本位の「実名」と違って、漢字はどうでもいいようでした。○作、○吉も代表的な通称でした。
明治5年5月の太政官布告で、「従来通称名乗両用相用来候輩自今一名タルベキ事」になり、通称か名乗かどちらかを一つだけを選んで戸籍に記すことになりました。西郷吉之助は、名乗の「隆永」を選ぶつもりが、代理で届けた友人が間違えて父親の名乗の「隆盛」を届けてしまったのだそうです。名乗がほとんど使われていなかったという現実を窺がわせる逸話です。
枕話が長くなってしまいましたが、「井坂直幹」は「実名」系の名ですから、「なおもと」のように訓読みするのが正しいことになります。但し、この「訓読み」が曲者で、いくらでも読み方の候補があり、どれが正しいのか、中々分らないのです。例えば、
[43497]hmtでは、“徳川慶喜(よしのぶ)”と書いたのですが、「よしひさ」という別の読み方もあり、こちらの「読み」もかなり一般的に知られていたようです。
元来、「実名」は、本人が公の書類に署名するための「書き言葉」であり、「話し言葉」ではないので、どの読みが正しいのか、当人からの聞き書きとか、ローマ字のサインでもないと分らないのでしょう。
氏名に「ふりがな」を求められるようになったのは、ごく最近の習慣です。
さて、本題の「いさかちょっかん」のように名前を「音読み」するのは何故か。
最初に書いたように、他人は、その人の大事な実名を尊重して、めったに口にしてはならないのです。
「源氏物語」に登場する多くの人々が、官職やあだ名で呼ばれて、実名を明らかにしていないのはご承知の通りです。主人公の「光源氏」にしても姓は「源」だが、実名は不明。
実名を呼ぶことは、その人の人格を支配することになり、親や師でなければ許されることでないと考えられていました。
明治になって通称が廃止された後も、このような考え方は根強く残っていたと思われます。故人になった人物ならともかく、生きている人の通称がなくなってしまったので、どのように呼んだら失礼にならないのか困りました。
板垣退助(実名は正形)のように、通称の方を選んでくれた人はよいのですが、桂小五郎でなく木戸孝允(たかよし)になってしまった人をストレートに実名で呼ぶことには、はばかりがある。そこで、わざと「こういん」と音読みすれば、その人を直接指さず、「孝允」という文字を指すという間接的表現になるというわけです。
著名人の名を「音で呼ぶ」ことで、尊敬の念や親しみを表わすことになり、このような呼び方が広く行なわれたことと思います。
私が昔「なおもと」と言ったら祖母に「ちょっかん」と“直され”ました。何故この誤解が広まっているのか……。
というのは、実は「誤解」だったのではなく、郷土の偉人・井坂直幹さんに対する、能代の人たちの敬愛の念からだったのでしょう。
[43497]で、わざと音読みで“慶喜(けいき)さん…”と書いたのも、同じような考えからです。
実際、徳川慶喜家の中でも、世間でも、圧倒的に「慶喜(けいき)」という呼び方がされていたようで、本人もそれを好んでいたとのこと。
伊能忠敬も、正式の「ただたか」ではなく、「ちゅうけい」先生の方が良いですね。
本稿を書くにあたり、
高島俊男:お言葉ですが…〈7〉漢字語源の筋ちがいを参照しました。実名と通称に関する興味深い話がたくさん出ています。
おまけ
本来「音読み」である僧侶の名前を、訓読みにして俗人に戻ったことを示した例がありました。
大原崇孚(おおはらたかたね) 太源崇孚(たいげんすうふ)
[43558]のことです。還俗して武将だった時代の名前。