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みやこ♂さんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[54275]2006年10月1日
みやこ♂
[54231]2006年9月28日
みやこ♂
[53827]2006年9月5日
みやこ♂
[53646]2006年8月27日
みやこ♂
[53645]2006年8月27日
みやこ♂
[53396]2006年8月15日
みやこ♂
[53385]2006年8月15日
みやこ♂
[53348]2006年8月13日
みやこ♂
[53345]2006年8月13日
みやこ♂
[53194]2006年8月9日
みやこ♂

[54275] 2006年 10月 1日(日)01:23:43みやこ♂ さん
ふるさとの街を見渡せる幸せ
わたくしの師匠筋にあたる人物がこんなことを言っていました。「ふるさとの街を見渡した経験によって,思い出は深まる。ふるさとへの愛情を育てたいのなら,ふるさとの街が印象深く見える場所を用意してあげることが大切だ」と。

我がふるさと,佐野の町を見渡す場所といえば,かつてはJR両毛線佐野駅のすぐ北側にある城山でした。この山の南端に立つと,旧佐野市街,いわゆる旧佐野町は一望のもとだったのです。子供のころの記憶では,当時はロクに高い建物もなかったし(今でもないけど),渡良瀬川のほうまでよく見えたような気がするなぁ。
ところが近年,佐野駅の南北間連絡歩道が高架でかかってしまい,駅舎も空中へ浮上。城山の地盤高とほぼ等しくなってしまいました。だいぶ「見えなくなってしまった」んですよ。もう少し設置場所をずらすとか,駅舎は元通りの場所に建て直すとか,替わりの展望場所を用意するとか,そういう「景観的配慮」がなされたかったことが,とても残念です。

そこで,というわけでもありませんが,ちょっとまとめてみました。題して「ふるさとの街を見渡そう(市街地展望)」です。
[54231] 2006年 9月 28日(木)17:33:26みやこ♂ さん
しまった!!
[54227]YSK さん
油断をしていますと身近な市の出題がなされるかもしれません。
[53827] 2006年 9月 5日(火)19:19:13みやこ♂ さん
深田クラブのページにて
[53649] futsunoおじ さん
[53646]の「昭和59(1984)年に昭文社から“日本二百名山”が刊行された」というわたくしの書き込みですが,どうやら間違っていたようです。どうもすみません。これの書き込みについては,深田クラブのHPを参考にしました。この中の【深田クラブ著『日本200名山』の選定経緯と刊行について】というところに
『日本二百名山』はクラブ創立10周年を記念して選定され、それを昭和59年(l984)年、『日本200名山』(昭文社)として刊行したものです。
と明記してありまして,それをそのまま鵜呑みにしたものです。
ところが futsunoおじ さんの蔵書は「昭和62年9月初版発行」ですし,実を言えばわたくしの所有する本も同年同月の初版。こりゃおかしいゾと思いまして同サイトをよく見ると,「クラブの紹介」の方では
3.出版及び執筆関係
 1987年9月 『日本二百名山』を昭文社より刊行。第7版まで刊行される。
とありました。また,「1987年9月初版~3刷の表紙」という画像も収められていましたので,どうやら1984年説は何かの勘違いのようですね。「昭和62年9月初版発行」が最初でよさそうです。たいへん失礼いたしました。


ところで futsunoおじ さんは「日本百名山」の「4刷」をお持ちなのですね。すごいですねぇ。わたくしの蔵書は「12刷」で,しかも親友のおじいちゃんからの形見分けです。わたくし,長いこと文庫本でしか日本百名山を目にしておりませんでした。
[53646] 2006年 8月 27日(日)21:09:27みやこ♂ さん
そして「日本○百名山」
追録した「奥越後三山([53605] 山登りのネタ探し人さん)」で「荒沢岳」が登場しました。この山,[53633]で futsunoおじ さんもご紹介のとおり,「ミスター日本二百名山」なのであります。そこでせっかく(?)ですので,「日本○百名山」についてちょっとだけ書かせていただきましょう。

深田久弥(ふかだきゅうや)の「日本百名山」は,昭和39(1964)年に単行本として発表されました。ただそれは,昭和34年(1959)3月号から毎月2山づつ,「山と高原」という雑誌に連載された記事をまとめたものでした。
彼自身,日本のめぼしい山を百山選ぼうと発想したのは,戦前のことであったようです。「日本百名山」に
わが国の目ぼしい山にすべて登り、その中から百名山を選んでみようと思いついたのは、戦争前のことであった。その頃ある山岳雑誌に「日本百名山」と題して二十五座ぐらいまで連載したが・・・
との記載が見られます。

深田久弥は昭和46(1971)年,山梨県の茅ヶ岳を登山中に亡くなりました。終焉の地には石碑が建てられているそうです。当時,深田は「世界百名山」を執筆中で,やはり雑誌に1月2山づつ,連載していました。たしか40座くらいで絶筆となっています。

その後,昭和53(1978)年に至り,日本山岳会が「日本三百名山」を発表します。これは「山日記」という登山用の手帳(のような本)で発表されたものでした。手帳大ですから山の詳しい説明などもなく,山名とか標高とか,どの辺にあるとかのデータしかなかったはずです。
【この「山日記」,かつてお茶の水橋そばの茗渓堂(めいけいどう)という書店から毎年出版されていたのですが,何年か前に絶版になりました。オレンジ色の鮮やかなカバーがかかっていて,山行記録を書き込めるようになっていたなぁ・・・。数冊持っていたのですが,すっかり仕舞いこんでしまって,残念ながら今は参照することができません。】

さらに昭和59(1984)年,かの昭文社から「日本二百名山」が刊行されます。著者は「深田クラブ」。深田久弥その人や深田文学,深田百名山を愛する人々の集まり,といっていいかもしれません。最初はクラブ内の選考委員会で検討し会報で公表,その後出版物としてとりまとめたもののようです。クラブ創立十周年記念事業であるとか。
(てっきり深田久弥の存命中に発足したクラブだと思っていましたが,こうしてみますと,お亡くなりになった後のようですね。)

このような流れで,「日本○百名山」が確立していったわけです。現在では,その他「花の百名山」「○○○の百名山」「日本百山」などの類書もた~くさん出されています。そうそう,山に限らず,「滝」「谷」「湧水」「道」「渚」など,「百選もの」は文字どおり「百花繚乱」の趣がありますよね。
もしかしたら「百選もの」って,百くらいあるのかも。あとで「百選コレクション」でも作ってみようかしらん。


・・・ちょっとだけ,のつもりでしたが思いの外長くなってしまいました。興味のない方には長々とお目汚し,失礼いたしました。
[53645] 2006年 8月 27日(日)21:04:18みやこ♂ さん
ふたつのお願い
[53605] 山登りのネタ探し人 さん 毎度お世話になっております。「裏越後三山」をご紹介くださり,ありがとうございます。
ところで,ちょっとしたお願いがあります。わたくしこのHPで「三山コレクション」や「アルプスコレクション」などをはじめとして,地名コレクションの編集をさせていただいている者です。
今まで何度も情報をお寄せいただいておりますが,どうか,隅っこで結構ですから「みやこ♂」の一言をお書き込みいただけますと助かります。
当方いつもROMってはおりますが,なかなか書き込みには不自由しておりまして,ちょっと間が開きますと検索に苦労してしまうものですから。いやなに「そんなものはちゃんとメモしておけば済む」といえばそのとおりではありますが。

・・・かくして早速(でもないですけど),「裏越後三山」追録させていただきました。ご確認ください。また futsunoおじ さん の[53633]も,大変わかりやすい説明なので,記事リンクを張らせていただきました。


それともう一つのお願いをfaith さんに。
faith さん,ご覧になっていますか。 再登場を願っているものがここにも一人いることをご承知ください・・・。
[53396] 2006年 8月 15日(火)18:57:17みやこ♂ さん
山頂と三角点と山岳標高
[53356] 北の住人 さん 「山の高さ」
木々の中の最高点より、視界の良い三角点の方が、山頂としての雰囲気があるそうです。
まさにおっしゃるとおりで,頂上をちょっと離れた場所に良い展望所がある,というのも良く聞くお話です。
常念岳自体は,山頂も良い展望台になっていますが,[53194]で例示した「前常念岳」は,見通しが良く効くので一等三角点設置の場所に選ばれたと聞いています。わざわざキッチリ絶巓に置かなくても,「コストパフォーマンス的にここでいいやぁ~」という話があったとか,なかったとか。
[53370] 千本桜 さん のおっしゃる「蔵王山脈の前烏帽子岳」も同様の理由と想像します。

三角点や三角測量のお話しは,皆さん先刻ご承知のはず。なのでちょっとくどいかも知れませんが・・・。
そもそも三角点は,三角測量のための測量点ですから,高さよりもむしろ「平面での位置を確定させる」ことが主たる役目なわけです。したがって選点作業では「見通しが効くこと」が絶対条件になるので,結果として山頂や山頂付近の見晴らしの良いところに埋設されることが多くなりました。
しかも三角点には標高数値が与えられており,一方で水準点は平地に設けられることが多いようですから,山岳地では高さを知るためには三角点の数値を用いるほかなく,自然と「三角点は山の高さを表しているもの」と思われるようになったのでしょう。

選点作業に際して,もうひとつ重要な要素があります。それは「将来的に三角点標柱の維持が容易であること」です。つまり,いくら見通しが効いても,そこが険しい岩峰だったりすると,埋設した三角点の周囲が落ち着かず,やがて標柱自身が転がってしまう危険性が高いので,避けるわけです。
たとえば富士山頂の剣ヶ峰や槍ヶ岳山頂などは,無理して建てたがために,三角点標柱が維持できなくなった例です。
富士山頂の二等三角点は,剣ヶ峰の崩壊により当初の標柱が倒壊の危機に瀕し,改埋されました。この際,三角点自身の標高も変わりました。ただ,安定した地盤にまで標柱を下げると「富士山の標高がかわってしまう」と言われたがために,無理矢理(?)にコンクリートで固め,四捨五入して3776mになるよう,3775.6mに設定されています (ちょうど3775.5mにしなかったのは,10cmの余裕をみた,ということなのでしょうか.とはいえ,実際に「富士山の一番高い場所」は今でもちゃんと3776mあるそうですが。

すなわち,ここでは「三角点標高が山の高さを表すこと」を明確に意識しています。
槍ヶ岳(二等三角点)も,あのへんで一番目立つ峰だけに,何が何でも山頂に三角点を置きたかったのかもしれません。ただ,せっかく無理して設置したのに,とうの昔に倒壊し,そのまま復旧されることなく,今では失われてしまったようです。

これらをまとめると,「三角点標高は山の高さを表しているわけではないが,だからといって全く無視しているわけでもない」ということになるでしょうか。積極的に「山の高さ」を知ろうとしては,いなかったわけですから。
であるからこそ,平成3年の「日本の山岳標高一覧 -1003山-」が画期的だったと考えるわけです。


トコロデ,じつはわたくし,三角点の標高数値を疑っております。
たとえば現行の1/5万地形図での「槍ヶ岳」では,明治末期の測量成果がそのまま使われています。以前見比べたことがあったのですが,主な山岳標高の数値に変化はありませんでした。
むろん,当時の測量官の腕を疑うものではありませんし,測量機器の精度も,そのころ既に充分なものであったことは承知しています。明治期以降,現在に至るまでに改測作業も行われています。でも,それ以外の要素に対する疑義なのです。
色々な困難な条件が重なり合った明治期の山岳地帯での測量で,1mや2mくらいの誤差はあってもよさそうに思えるんだけどなぁ。
どこかで誰かが「今さら変更なんてできないぞ,なぁ~」と言っているような気がするのですが。
[53385] 2006年 8月 15日(火)12:57:38みやこ♂ さん
恋のベンチシート
[53370] 千本桜 さん
・・・山小屋にジュークボックスが有ると思った、この感覚。沢田研二♪「勝手にしやがれ」。
「ジュークボックス」ではありませんが,「山頂に行けばジュースの自動販売機(ジュースボックス?)がある」と,後輩をだまして頑張らせたことがあります。「ジュースを冷やす電気はどうするんですか」という鋭い突っ込みがあったので「馬鹿,今どき風力発電でも太陽光発電でも,何でもあるだろう」と苦しいウソをつきました。
山頂に着くと後輩は,かわいそうに息も絶え絶え「センパイ,自販機はどこスか・・・」 
実際にはそんなものがあろうはずもなく,かわいそうな後輩くん,がっかりして放心状態に陥るわけです。そこですかさず,「○○,よく頑張ったな」とリュックから冷えたジュースを差し出す,と。

・・・悪い先輩でしたが,それが伝統というものです。

さて,みやこ♂,明日から旅に出ます。行先のヒントは「EMM さん/5th」です。何のことだか。
※(標題,中身と微妙に違うな・・・いや,全然違う。)
[53348] 2006年 8月 13日(日)15:22:59みやこ♂ さん
なあるほど
[53346] いっちゃん さん
確かに見えました (*_*)v  ひゃあぁ~,それにしても 1980年スか,つい最近じゃないですか。

それと,まだこのへんにも交換候補地はありますが,ここは無理でしょうね~(ちなみに雲竜寺には田中正造のお墓があります)。佐野から館林に向かう時,渡良瀬川を渡る手前で「群馬県」の看板が出てきて,いとをかし。
[53345] 2006年 8月 13日(日)12:40:59みやこ♂ さん
十番勝負初参加 感想
今までわたくし,十番勝負は傍観者だったのですが,今回初めて参加させていただきました。ではたった2問ですが,回答順に感想を(一応,正答率100% ←2/2ぢゃ,威張れないですけど)。

問十
[52678] 稲生 さん の書き込みでピーンと来ました。「そういうことか!」では我が栃木県から,ということで日光市をねらうも既に[52646] Zzz さんがご回答済みです。どうしようかな,と思ってよく見直してみたら,なんとHNと等しい読みの宮古市がまだ未回答!「こりゃ,門外漢の珍回答ゆえ,迷彩にもなるな」と早速記念の初回答を書き込みました。つられてしまった[52693] かぱぷう さん,ごめんなさい(でもちょっと嬉しかったりして ^^; ドウモスミマセン)。

問八
[52773] いっちゃん さん のヒントで,「複数の郡に跨る市域」であることを確信しました。まさにこのHPに相応しいお題です。ただ複数といっても,2つあるいは5つの郡ではクイズにならないでしょうから,「3つか4つの郡」と推定しました。
そうなると,すぐに我が郷土佐野市を連想したのですが,付帯条件について悩んでしまいました。つまり明治22年以降の市町村単位では,安蘇郡(おおかたの佐野市)と足利郡(吾妻村)の2郡だけしかありません。その他は微々たる境界変更でしかないわけです。
しばらく悩んでいたのですが,バクチにでることにしました。もし「3つの郡」なら「旧町村単位で3つの郡域にまたがる市」で,「4つの郡」なら「境界変更を含む」と (とはいえ当方,全国に「旧町村単位で3つの・・・市」がどのくらいあるかを把握しておりません)。
もし境界変更を含むなら,佐野市にも立派に資格があります。やっぱり「佐野市」を回答したかったので,「きっと4つの郡に違いない,そうだ,そうだ」と思うことにしたわけです。
4郡のうち,安蘇郡,足利郡については上述のとおりで,下都賀郡(三鴨村)の一部編入は過去記事([24594])にも記載したとおり。そしてあとの1郡は,群馬県との境界変更で邑楽郡域をお迎えしたことがあったんですね(旧田沼町,葛生町域の市境は,群馬県へ移る一方で,お迎えしていないハズ:1/20万の地勢図でも旧国境とのズレが確認できます.)。

これはあまり知られていないはず。しかもそう書く自分自身が,お迎えしたのが確かに邑楽郡域だと思うにしても,いつ,どの辺で境界変更があったのか全く記憶(知識)にないのであります。

だからバクチ。不安([53032]文末)。
「果たしてそんな,境界変更までも踏み込んだクイズなのか!そこまでやるのか!」と思いながらも「このHPならやりそう♪」という確信と,「佐野市と回答したかった♪」のと。
[53007] EMM さん,[53009] いっちゃん さん,お手間かけました。

それにしても
[53009] いっちゃん さん「この目で確かめました」
???あれれ???目に見える???もしかしたらわたくしの勘違い???あれれ???
[53194] 2006年 8月 9日(水)03:13:11【1】みやこ♂ さん
何を持って一山とするかなんて,誰にもわからない
近いところでは[52900] 北の住人 さん,[53170] 役チャン さん が「山って何?」と悩んでいらっしゃるようです。わたくし的には既にゲダツしておりまして(失笑),「そんなもん,テキトーでいいのよ,テキトーで」と思っておるところです([34307]中段)。
かつて futsunoおじ さんが[34266]
雑誌「山と渓谷」今年(2004,みやこ♂注)の7月号に”なにをもって「山」とするか”といった鼎談が載っていますが、統一した基準はない(作れない)というのが結論のようです。 多くの人が山だと認めたものが山であるようです。
と紹介されていますが,ここで「もうひとつの検討例」について,お示ししたいと思います。

例によって,国土地理院が平成3年に発行した「日本の山岳標高一覧 -1003山-」から引用します。お上がこの本を作るに際して,五百沢智也氏を委員長とし,ほか6名(みやこ♂お気に入りの西丸震哉氏[49655]も含む)からなる「山の高さに関する委員会」が設立され,山の高さについて検討しました。当然,その経過途中で「何を持って一山とすべきか」という討論がなされたようなのですが,この本にその概要がありましたので,以下抜粋します(この本,去年筑波の「地図と測量の科学館」のミュージアムショップに行ったときには,まだ在庫がありました.)。
そこには主要な検討事項として以下の(1)~(4)が記され,説明されています。

(1) 山とは
眺めた感じで一つの山の範囲を定める。山には一つの頂上に斜面が集まる単純なものもあれば,複数の峰,複数の頂上を持ち,全体の総称としての山名と部分的な峰や山頂部に別の山名を持つものもある。

(2) 頂上のとらえ方
山体を構成する岩石圏の最高地点とする。人工的建造物も山体の一部とは見なさない(これについては[34823]も参照ください)。

(3) 山と山名の取扱いについて
〔例として富士山(山頂は9つの峰からなり,中腹に宝永山/小御嶽,裾野に大室山/長尾山などの多くの寄生火山を有する)や南アルプス北岳(白根山と呼ばれる一連の山並みの最高峰で,白根山の標高を北岳で代表させるなら,間ノ岳や農鳥岳は埋没されてしまう),北アルプス穂高岳(これも最高峰の奥穂高岳で代表させると涸沢岳,北穂高岳,前穂高岳が埋没する)を掲げ,〕このように,山にはたくさんのピークが寄り集まって全体として一つの山をつくるケース,あるいは一つ一つが立派な山となるピークで,そのピークのそれぞれに部分的な部分的な山名もあり,同時にそれらをまとめた全体の山名も存在するというケースもある。
こうした各種のケースについて1つの山の範囲を統一した基準であきらかにすることは困難である。一つの方法として,隣合う山頂間の距離とその間の谷の深さとから,山を区分することを検討したが,それだけでは,全国の山を対象とするには不十分であることが判明した。そのため山を遠望したときの直感的印象,地域住民・登山関係者間での慣用などを併せとり入れて山を区分した。

(4) 標高について
三角点,標高点,等高線の3種類で対応した。
(長い引用,終わり:なお引用文は,文意が変わらない程度にアレンジさせて頂いたものもあります)

こうして,宝永山・間ノ岳・中白根山・農鳥岳・西農鳥岳・涸沢岳・北穂高岳・前穂高岳など,数々の峰が「山として」残されました。一番肝心な部分は(3)の最後の方,「一つの方法として,隣合う山頂間の距離とその間の谷の深さとから,山を区分することを検討したが,それだけでは,全国の山を対象とするには不十分であることが判明した」のくだりでしょうか。結局のところ「ケースバイケースで落ち着いた」ということです。
どうです?大したこと書いてないでしょう?
たとえば(3)の中頃,「たくさんのピークが寄り集まって全体として一つの山をつくるケース」「一つ一つが立派な山となるピークで,そのそれぞれに部分的な部分的な山名もあり,同時にそれらをまとめた全体の山名も存在するというケース」とありますが,この2つのケースの違いがおわかりになりますか?ほとんど一緒です。

(1)の異端の例では,たとえば「山」というと360度下に向かった斜面で囲まれていないといけない,という気がしますが,ところがどっこい,たとえば「前常念岳」などは一等三角点を有しているものの,実際には尾根の張り出しに過ぎない(里から見上げると立派な峰に見える,そういう意味では涸沢槍[41882]も類似例)わけです。
(2)の場合では,一番低い山として知られる「天保山」や「大潟富士」などは人工物なので,「山じゃない」ということになってしまいます。長らく天保山が「一番低い山」の座を誇っていたのは,「盛り上がった場所にある三角点としては一番低い」というのが,その根拠でありましたでしょう(落書き帳アーカイブズ地上で日本一低い場所はどこか?)。
本邦第3位の奥穂高岳山頂(3190m)に3mのケルンを作って,2位の北岳(かつて3192m,現在3193m)を凌駕しようとしたものの,ケルンは山の高さには認められないので結局シャレで終わった,のも有名な話([34266] futsunoおじ さん)。


だから結局,何か条件をつけをしないと山の定義は無理のようなんです。特に比較する場合,一般論として「何番目」とかというランキングしたりする場合は,「お楽しみ」とか「お遊び」の観点を忘れてはならない,つまりあんまり真面目に突き詰めないで,テキトーにやるのがいいのだ,とわたくし考えております。


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