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YSKさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
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[65931]2008年8月5日
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[68367] 2009年 1月 17日(土)22:41:51【1】YSK さん
神戸市東部の地域名称
穏やかな冬の一日となった当地です。掃除や洗濯が十分にできました。

さて、皆様に教えていただきたい件がございます。神戸市東部、山際一帯の一般的な地域呼称はどのようなものでしょうか。
現在、2007年12月に神戸市内で行ったフィールドワークについて記録を整理しております。
具体的なルートは、阪急芦屋川駅より西して、JR摂津本山駅~阪急岡本駅あたりを経由しながら阪急六甲駅まで、ほぼ阪急線に沿うように進むというものでした(本当はもう少し西へ行こうと思ったのですが、夕刻が迫り時間切れ&足バテバテで断念)。

このエリアについて、日常的な視点などを重視しながら文章を考えていこうと思っております。

上記地域を表現するのに、地元の方々も納得するようなよい言い方はないでしょうか。「東灘区から灘区にかけての山手」といった行政チック?な表現ではなく、簡潔で地域の姿を反映した表現があれば良いのですが、何分土地勘がなく、よい表現に巡り会えることができておりません。「甲南山手」なんていう言葉も思いつきましたが、JR駅名を想起させるかもしれませんし、どうなのでしょうか?

地域の事情にお詳しい皆さんのアドバイスをいただけますと幸いです。
[68360] 2009年 1月 17日(土)14:03:53【1】YSK さん
だだっ広い関東平野
さきほど「だだっ広い」と書きましたが、関東平野に他地域にしか住んだことがない方がやってきて真っ先に感じることのひとつに、「だだっ広い」ということがあるのだそうです。先日、職場の研修の講師が広島市からやってきて、「あなた方は感じていないかもしれませんが、周囲の山々が迫っておらず彼方に見えるのみ、こんなだだっ広い空間にいること自体違和感を感じる。これもこの地域の特徴だ」といった趣旨の発言をされていました。

関西からつくばにおいでになるのでしたら、きっと「関東平野はだだっ広い」とお感じになるのではないかと思います。落ち着かれましたら、ご感想をお聞かせくださいますと幸いです。
[68359] 2009年 1月 17日(土)13:59:40YSK さん
自家用車は必要か
[68356]油天神山さん
わたくし運転免許を持っておりません。つくばで車なしで暮らしていけるものでしょうか? 新居は職場から車で十分、自転車でも通勤可能な場所、と聞いていますが・・・。

急に異動が決まったということで、お疲れ様です。モータリゼーション真っ只中の両毛エリアの人間より申し上げますと、自家用車なしでも生活は可能ではないでしょうか。私の住む両毛エリアではほぼ全滅しているといっても過言ではない路線バスも、つくば市周辺ではそれなりの本数が運行されているようですし、自家用車もあれば少し行動範囲が広くなるかな、といった程度で、生活に必要不可欠なものであるとまではいかないような気がいたします。

一方、私の住む両毛エリアではまとまった市街地がなくて職場にしても商業施設にしてもだだっ広い平地に点在している上に、高度成長期に工業化を押しし進めた結果道路網も発達しているので、自家用車の利用が加速度的に促進され、全国にも類を見ない自家用車利用地域となっております。
[68295] 2009年 1月 12日(月)16:57:28YSK さん
ろうばい・成人式
昨日は安中市(旧松井田町)にある「ろうばいの郷」に蝋梅を見に行ってまいりました。偶然ろうばい祭りが開かれておりまして、入場料が無料でした。ろうばいも見頃で、かぐわしい香りを冬空に漂わせておりました。松井田町が存在していた頃から蝋梅で有名だった当所は、私も何度か訪れたことがあり、「松井田の蝋梅」との認識が強いのですが、訪れていた人が「今、安中に蝋梅を見に来ている」と電話しているのを耳にし、複雑な心境になりましたね。

さて、昨日は群馬県内各地で成人式が行われ、太田市(旧新田町)出身の早稲田大学野球部・斎藤佑樹投手が太田市で行われた成人式に参加したニュースも報道されました。全国区の人気の方なので、報道を目に耳にされた方も多いのではないでしょうか。その報道の中で、

地元の群馬県太田市で行われた成人式に出席した。273人が集まり

という項目を見て、この成人式の参加人数、太田市の実人口を知っている方なら「おや?」と思われるかもしれませんが、事情を知らない層から見れば、「ずいぶんと人口が少ない場所」と認識されてしまうかもしれません。実は太田市の成人式は、旧太田市4会場、旧尾島・新田・藪塚本町で各1会場の計7会場で分散開催されており、斎藤君はそのうち地元の新田会場に出席したということで、この273人というのは新田地域に居住する新成人を中心とした人数ということなのでした。太田市としては実際には2,273人が新成人を迎えられたそうです。

こんなところにも地域の実情と報道との間の微妙なずれが垣間見られました。
[68071] 2009年 1月 4日(日)00:40:52YSK さん
地域の違いを楽しむ
最近スーパー等で和菓子が並んでいるところを注意深く見るようになりましたが、今のところ「すあま」に出会うことはできておりません・・・。いつ会えるでしょうか、すあま。

[68013]ペーロケさん
(私が某番組に対して「大阪目線ばりばり」と表記したことに対し)
そういう見方もありますか。
補足いたしますが、私は先般の特番のみからそう感じているのではなく、レギュラー放送(関東広域圏では木曜夜に放送されています)も含め、総合的な判断としての感想であることをご理解ください。レギュラー放送では47都道府県のうち3分の1程度の都道府県の出身タレント等が呼ばれる形態となっているのですが、大阪は毎回呼ばれ、しかも毎回複数のタレントが呼ばれ、さらに毎回大阪専門のコーナーが設けられ、大阪が相当な厚遇を受けています。その姿に「東京目線一辺倒」な雰囲気を感じることが私として本当になかったので(東京目線と感じることもあるが、それ以上に大阪が幅を利かせている)、素直な感想をお話ししただけです。

[67949]右左府さんがお話しされている東京の男性が各地の女性と付き合いながら各地の文化を紹介していくコーナーにしても、各地のいろいろな文化的事象が紹介されていくので、その地域の違いを純粋に楽しみながら見ております。

確かに文化的事象を取り扱うのに都道府県の枠組みに固執しているといった意見もありますし、私も現に感じていることです。しかし、それは私自身が番組が発信している内容、特に地域的な分布状況に係る表現を鵜呑みにしなければ済む話で、各地に現れている地域的な違いを純粋に楽しむスタンスで見るようにすればOKかな、と。この番組の12月11日分の放送は山形県のみを紹介する内容になっており、山形県における一般的な地域区分「庄内・最上・村山・置賜」まで図解して紹介するなど、この手の番組にしてはけっこう工夫している部分があるなと感じていました。

でも、一般大衆を相手に地域的な文化を題材とした話をするときは、「都道府県」とか「市区町村」などの一般的に普及した区画を用いることは、その人がその範囲を十分に理解できているかどうかは別として、一番頭に入っていきやすい手法であることは、その地域的範囲の適切性の是非もありますが、やむを得ないものではないかと感じています。そこまで厳密にしようとすれば、例えば都道府県単位に発表される天気予報も適切でないなんて話になってしまいます。

要は、こういった話をする際、ある程度多くの人がぴんときやすい「ものさし」が必要で、見る側がいかにその内容を鵜呑みにせず、理解できるかが重要なのではないか、ということですね。そういった部分をテロップ等でしっかり紹介する必要があるのかもしれませんが、もともとバラエティ番組で教養番組ではないわけですから、そのあたりのさじ加減は難しいのかもしれませんね。番組最後に例えば「この番組の内容は視聴者からの投稿や番組の取材に基づき、都道府県を単位に紹介していますが、地域や個人によってその内容が異なる場合があります」などといったお断りの文を掲載するなどの工夫はできるかもしれませんね。

2009年となりましたが、実は私はまだ自分のHP上に「2007年分」に訪れた地域の紹介文をまとめる作業を終えることができていません。地域ごとに多様な姿があり、それをいかに偏見なく、また魅力的に、そして私自身の目線に合わせて紹介することができるか、その作業は本当に難しくて、時間を要しています。
[67941] 2009年 1月 2日(金)04:45:19YSK さん
秘密のケンミンSHOW
私はこの時間「相棒スペシャル」を観てましたので、先ほど録画したものを観ました。

[67922]ペーロケさん
全都道府県の中で大阪府民だけが知らなくて、兵庫や京都じゃ知っているという内容なら、大阪府民が特殊なんだろうなということで分かるんですけど、他県出身のゲストに聞けばほとんどの人が知らない、関東と東北にしか存在しない物だという結果に。たまたま出演していたゲストが知っているかだけの判断ですけど、これじゃあ、この食べ物がある地域の方が「特殊」じゃん、と思ったのは私だけでしょうか
ご指摘の食べ物とは「すあま」のことだろうと思います。私が無知なだけかもしれませんが、私もこのお菓子の名前をはじめて知りました。一応検索してみたのですがどうやら群馬県でも販売されているもののようですが、身の回りではあまり一般的ではないように思います。なので、この菓子の紹介のくだりではちょっとやりすぎなのではないかと思いましたね。

私はこの番組が好きでけっこう観ているのですが、レギュラー版では47都道府県全員は集められない中で、大阪は必ず複数のタレントが呼ばれて(他都道府県の場合、コンビ等でない限り複数のタレントが呼ばれることは原則ない)大阪のコーナーが用意され、毎回フィーチャーされて放送されており、大阪目線ばりばりの番組であるように感じます。それもそのはずで、実は読売テレビ(東京支社のようですが)制作の番組です。サブ司会のアナウンサーも読売テレビのアナウンサーですしね。

そんな中でもたとえば「愛媛県南予地方では」とか「道南地方では」とか、今回の放送でも「岩手県沿岸限定」とか、それなりに地域性に配慮した演出もされているなど、それなりの工夫の跡も見られるように感じていました。従来の都道府県単位一辺倒、東京目線一辺倒の番組作りは必ずしもなされていないと思っていましたが、今回のスペシャル、とくに「すあま」の項に関してはちょっと違和感を感じたのも事実です。
[67814] 2008年 12月 31日(水)23:57:02YSK さん
Regional Explorer in 2008
今年も残りわずかとなりました。荒天の地域も多いようですね。ご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

今年は諸事情があって夏季にフィールドワーク活動を休止したことに伴い、まとまった日程を確保して行うフィールドワークも実施しなかったことから、経県値や認市度(経県を市に置き換えて計算したもの)にはあまり大きな変動がありませんでした。その中でも、生涯経県値1ポイントアップ(青森県宿泊)や認市度ベースで、未踏が宿泊を上回るなどの結果も残すことができました。

認市度2007年末2008年末
「宿泊した市(居住を含む)」8.9%9.1%
「歩いたことのある市」26.2%29.7%
「乗り換えで接地した市」5.3%4.8%
「通過したのみの市」50.4%47.8%
「未踏の市」9.2%8.6%

しかしながら、地道に地域を巡って、地域を見つめるというスタンスはだいぶ身についてきたように思います。こちらでの情報などを参考にさせていただきながら、2009年も可能な限り、地域を見つめてまいりたいと思っております。

皆様たいへんお世話になりました。良いお年をお迎えください。

※諸事情により、新年のご挨拶はご遠慮させていただければと思っております。
[67739] 2008年 12月 27日(土)21:37:05【2】YSK さん
2008年、ラストは仙台!
こんばんは、YSK@仙台です。昨日で年内の業務は終了し、本日は仙台にやってきております。新幹線で来ましたが、新白河から郡山付近までは雪の中でありました。在来線は強風の影響等でかなりの遅れが出ていたようです。山形新幹線は倒木で一時不通だったとか・・・。

仙台は晴天でしたが、風が冷たく、山からスピルオーバーしてくる小雪が終始舞う天候でした。まあ、典型的な仙台の冬の天候で、仙台らしい冬を感じることができたかなと思ってます。光のページェントも楽しめました。

今回の仙台チェック
五橋(住居表示は一番町一丁目ですが、五橋と言った方がとおりがよさそう)の「仙台トラストシティ」着工、「ミッドプレイス」も順調に工事が進む
地下鉄東西線工事、着々と進行中
ファッションビル141が三越に全館を賃貸、「三越定禅寺通り館」としてオープン

これで宮城県が宿泊となり、2008年の経県値は70ということになりました。大フィールドワークを実施しなかったので、まあこんなところでしょう・・・。

寒くなってきております。皆様どうかご自愛ください。

末筆となりますが、千葉関連、明石関連等でメッセージをくださいましてありがとうございました。地域文執筆等に参考とさせていただければと存じます。
[67630] 2008年 12月 18日(木)22:18:04YSK さん
交通由来地名?
こんばんは、本日は穏やかな陽気の当地でしたが、風が次第に出てきて、金曜日は寒くなりそうです。

最近、やっと去年9月、千葉市街地を歩いた記録を整理できたのですが、千葉市のプロフィールが書かれたサイトの多くが、中世の千葉氏の隆盛に係る千葉の町場としての成立を紹介した後、いきなり明治期の千葉県成立に伴う県庁設置に話が飛んで、以降急成長した、といった文脈で語られているように感じます。近世の千葉市街地はどのような変遷を経たのか気になっております。

そして、もうひとつ気になるのが、中央区本千葉町です。京成千葉中央駅東口一帯の住所地名なのですが、[27070]Issieさんなどのお話にもあるとおり、京成千葉中央駅はもともと国鉄本千葉駅のあったところのようですね。JR本千葉駅の現在地への移転が1958(昭和33)年2月とのことなので、この「本千葉町」がかつての本千葉駅と関連があるかどうかは微妙なところですが、実際はどうなのでしょうか、ちょっと気になります。

千葉市中心部はJR千葉駅前の賑わいとは対照的に空洞化が叫ばれて久しいようで、私の地域紹介もそのことを触れざるを得なかったのですが、「扇屋ジャスコ」の跡地に「きぼーる」なる施設ができたり、セントラルプラザ跡地が超高層マンションとなったり、ここ数年変化が起きているようです。今後も可能な限り注目していきたいエリアのひとつですね。
[67525] 2008年 12月 7日(日)01:27:02【1】YSK さん
年またぎ経県と冬桜
[67519]スナフキんさん
お久しぶりです。人生最高経県値まであと1ポイント(茨城県のみ「歩き」、今後引越予定なし)と迫っている私ですが、今年も茨城県での宿泊は無さそうです・・・。
年またぎの経県値のカウント方法ですが、微妙な問題ですね・・・。参考までに、私の場合、宿泊チェックイン日に宿泊したとみなしてカウントしておりますので(参考:市への到達度リスト)、2009年の経県にはおそらく含めないで計算すると思います。

[67523]伊豆之国さん
鬼石の冬桜(藤岡市の冬桜、という表現に未だ違和感を感じてしまいます・・・)に、この間(11月30日)に行ってきました。ここの見所はなんといっても「桜と紅葉がセットで観られる」ということでしょうか。ここは「桜山」と呼ばれる山の斜面に冬桜が植栽されていまして、頂上からは雄大な奥多野の山々をバックに紅葉と桜を楽しめます。30日現在では、頂上付近は紅葉は見頃一歩手前、桜は七分咲き程度のようでした。この週末はおそらく見頃になっているのではないかと思います(30日の段階でも十分に楽しめました)。ただ、ここはいかんせん山ゆえに一本道なので、見頃の時期には頂上まで1時間以上かかるという、とんでもない渋滞が発生することがありますので、要注意です。
[67524] 2008年 12月 7日(日)01:14:11YSK さん
岩槻、武蔵野の情景
こんばんは、日中は穏やかでしたが、夕方以降徐々に寒さが増してきている当地です。本格的な寒波がやってきているようですね。

さて、先日より6年ぶりに再開している「シリーズさいたま市の風景」、土曜日は第二弾として、6年前はさいたま市の一員にはなっていなかった岩槻へと行ってまいりました。人形の町だけあって、市街地には名前が聞いたことがあるものも含め、たくさんの雛人形や羽子板などを扱う店が立ち並んでいました。藩政期は城下町であった岩槻はまた、岩槻公園(岩槻城跡)をはじめ、江戸期の雰囲気を感じさせる事物がまた多いのも特徴的でした。現代的な住宅地域となっていても、薬医門風の門構えが風格を感じさせる一角があったり、旧藩校の建物が埼玉県下で唯一残されていたり(遷蕎館;せんきょうかん)と、思わぬ発見に出会える町であると感じました。

岩槻の町からは、少し郊外のエリアまで足を伸ばしてみました。前回の見沼再訪でも書きましたとおり、さいたま市を歩いていて感じることは、里山のみずみずしさです。台地に切れ込むように中小の河川が流下し、見沼田んぼなどの小規模な沖積低地が展開するさいたま市域は、そうした台地と低地との境の斜面などを中心に落葉広葉樹林が穏やかに広がります。この季節は足元いっぱいに降り積もった落ち葉を踏みしめながら、豊かに染まった赤や黄色や茶色の木々が、本当に目にやさしく輝くようで、空気はひんやりしていますが心はあたたかさに満ち溢れてきます。畑には小松菜やブロッコリーなど、これからうまみを増してくる野菜がふんだんに植えられていて、随所に心踊らされる風景がありました。

武蔵野、ほんとうによい風景ですね。帰路には久しぶりのさいたま新都心・けやきひろばへ。恒例のイルミネーションを楽しみました。
[67505] 2008年 12月 5日(金)00:22:12YSK さん
新大阪
関西に行く時、帰路はたいてい新幹線利用となるので、宿の拠点は新大阪にすることが多いです。ただし、フィールドワーク実施時(11月22日~24日)は多くの人々が観光等で関西を訪れていたようで、どうしても大阪で宿泊先を確保できず、22日は少し離れた姫路での宿泊となりました。

この甲斐もあり23日は姫路・明石フィールドワークを行うことができ、姫路城も初めて体験することができたのですが・・・。23日は本当に穏やかな晴天で、穏やかな瀬戸内海に向かう播磨エリアの地域性をどこか髣髴とさせるような、やさしい色彩の青を空は呈しているように感じられました。明石は地域区分としては播磨エリア(東播磨)に属し、町を歩いていても会社名等に「東播磨○○」とか「東播○○」などといったものが散見されたのですが、一方で神戸市とも密接な結びつきがあると思われます。日常生活圏としては明石市周辺はどのように捉えたらよいのでしょうか、気になるところではあります。

ところで、新大阪です。ここは市街地の中心駅というよりは広域的な移動の拠点駅としての位置づけがより濃厚です。駅前もタクシープールや駐車場、バス停などが機能的に集約されていて、それらをホテルやオフィスビルなどが取り囲む風景は、交通結節点として特化した、無機質な印象を刻ませるものとなっているように感じられます。人々がせわしなく歩き、大都市・大阪が引き寄せるダイナミックな躍動感を存分に感じることができる駅構内のそれとは本当に対照的です。

ここ数年新大阪は上述のとおり関西訪問時の拠点として使っているのでようやく駅の構造にも慣れてまいりまして、そんな駅の内外で好対照を見せる新大阪でも、日々多くの出会いや別れや日常の生活があって、いろいろなドラマがもしかしたらあるのかもしれないなどと考えが及ぶような余裕も出てまいりました(大阪駅の構造は1年に数回しか来ない者には複雑すぎて、まだまだよく分かりませんが・・・汗)。そうしたドラマを思うとき、活気に満ちた駅中とは一線を画す構外の無機質な風景は、人々のこうした輝きや悲しみや懐かしさを一緒くたに包含したような、無常や可能性、うまく表現できませんが、そういった人間の弱い部分とか、ピュアな部分とか、そういった部分をあるいは象徴しているのではないのかな、とも感じるのでありました。

末筆ですが、新大阪駅、在来線部分に設置されたエスカレータはことごとく「右寄り」に列ができていましたが、新幹線ホームへ上がるエスカレータは「左寄り」に列ができていたのが興味深かったですね。
[67500] 2008年 12月 4日(木)22:12:23【1】YSK さん
自治体名セット
「高校」の修学旅行先が京都奈良でした。うろ覚えですが、当時群馬県立の高校の修学旅行は京都・奈良が西限で、大阪以西は許されていなかった、なんていう噂話も聞いたことがあります。

現在、「美味し国伊達な旅」をキャッチコピーに、自治体とJRが一体となって進める観光キャンペーン仙台・宮城デスティネーションキャンペーンが展開されており、我が家の新聞折り込み広告にもこのキャンペーンだけのオリジナル広告が入るなど気合の入った宣伝が行われています。

ここで気になる表現が「仙台・宮城」。宮城県をターゲットにしたキャンペーンなのですが、「仙台」が冠されています。「宮城」だけではやや押しが弱いため、知名度抜群の「仙台」をトッピングしたのでしょうか。この「仙台宮城」あるいは「宮城仙台」といった言い回しは、このキャンペーンに限らずしばしば見受けられます。
[67492] 2008年 12月 4日(木)00:23:29YSK さん
巨瀬村
[67491]は原文のまま引用しておりますが、市区町村変遷履歴情報(岡山県)を見ますと、「巨瀬村」は上房郡の所在で、1954年5月1日に新設の高梁市として合併、消滅していますね。

英田郡ですと、同年7月1日に美作町に編入されている「巨勢村」があるようです。
[67491] 2008年 12月 4日(木)00:11:19YSK さん
安久利
[67489]Issieさん
[67488]右左府さん

NHK朝の連続テレビドラマ小説「あぐり」の原作となった、吉行あぐり著「梅桃が実るとき」より引用しますと、

今度こそは男の子をと待ちかまえていた両親は、よほどがっかりしたのでしょう。私に「安久利(あぐり;YSK註)」という名前をつけて、この次には男の子が生まれることを願いました。両親の郷里である岡山の在、岡山県英田郡巨瀬村あたりには、そういう昔からのいい伝えが残っていたのだそうです。

とのくだりがあります。現在101歳になられるあぐりさんは、最高齢の美容師で、作家の吉行淳之介さんや吉行理恵さん(いずれも故人)、女優の吉行和子さんのお母様としても知られております。
[67469] 2008年 12月 1日(月)20:51:10YSK さん
見沼再訪
こんばんは、最近は朝晩を中心にかなり冷えるようになっている当地です。周辺の里山の木々もようやく色づき始めています。

さて、本日土日出勤の代休を頂き、さいたま市のJR東浦和駅~東武野田線七里駅までの区間のフィールドワークを実施いたしました。落書き帳草創期をご存知の方はぴんとくるかもしれませんが、2002年11月に実施し、内容をご紹介していた「見沼探訪[4456]」を再びなぞる地域歩きです。当時はさいたま市は成立していたものの、政令指定都市以降を翌年4月に控え、新しい区名についての議論が白熱していたときで、区名案(現在は区名になっています)のひとつであった「見沼区」について、「よく知らないなら、実際に行ってみよう」と思い立ち、見沼田んぼを含むエリアを歩いた、という経緯がありました。その後もついでにさいたま市内の他地域も見てみようと、JR大宮駅~JR西浦和駅、JR西浦和駅~JR指扇駅、JR指扇駅~大宮市街地、さいたま新都心~浦和市街地、と立て続けに3本のフィールドワークを敢行しました。

あれから6年が経過し、さいたま市の諸地域をまた見てみたいという思いが強くなって、今回の見沼再訪の実現となりました。今回は前回とは逆の東浦和駅からのスタートで、2002年当時のルートをメインとしながらも、新しい場所に行くなどオリジナリティも加えたルート取りをしました。

今日は雲ひとつない晴天でたいへん気持ちよいフィールドワークができました。当時を思い出しながらも、ひときわ印象に残ったことは、このエリアにふんだんに分布する里山の緑、集落を取り巻く屋敷林の緑、水辺に輝く穏やかな緑の美しさでしたね。木々は鮮やかに紅葉・黄葉して、冬のクリアな青空に映えていました。

今後、時間が許す限り、さいたま市内のフィールドワークを数本行ってみたいなと思っています。
[67398] 2008年 11月 26日(水)00:52:29YSK さん
MIDDLE OF NOWHERE
関西フィールドワークは、最終日(24日)の行程後半が降雨により中止を余儀なくされたほかは、予定通り行うことができました。傘も持たずに某所を歩行中、徐々に強くなる雨に打たれながらなんとか目的のルート途上の駅に到着したのですが、さすがに傘なしでこれ以上フィールドワークを続行することは困難と判断、その駅から新大阪に戻り、活動を終えました。まあ、日ごろの行いがあまりよくないのでしょうね・・・。

2003年、関西を見つめるきっかけとなった神戸フィールドワークに始まり、以後毎年続けている関西フィールドワークですが、毎回関西エリアの諸地域の味わいに溢れた姿に感動しています。何気ない普通の集落や、郊外を走る幹線道路に郊外型の店舗が張り付くようなエリアであっても、普通に昔ながらの穏やかな土蔵や町屋が建てられていたり、古墳や史跡が現代の住宅街と隣り合わせであったりと、重厚な歴史を重ねてきたこの地域の「すごみ」を毎回目の当たりにしております。もちろん、再開発等で変わり行く現代の町並みにも注目していますが、地域を読み解くにあたり歴史的な町並みや史跡などを軸としてお話しすることが多いのは、地域がそうした歴史の積み重ねにより成立してきた過程を大切にしたいからなんですよね。加えて先日お話ししたような関西の地域としての「あたたかさ」が何よりのスパイスとなっておりまして、ここ数年は訪れるたびに関西の魅力に取り付かれています。

何より、地域の姿を自分の目で見て、そのまま感じたことを大切にする、という視点を与えてもらったのは、関西を歩くようになってからではないかと感じていますね。これからも、もっともっと、「地域」の目線に軸足を置きながら、地域の姿をお届けできたらと考えております。本当、関西大好きです!
[67358] 2008年 11月 24日(月)00:02:29YSK さん
新快速
オフ会、盛り上がっているようで、何よりです。深夜になってきますので、体調管理には十分にお気をつけくださいね。

さて、こちらはフィールドワーク2日目が終了しました。種を明かしますと、毎年恒例の関西フィールドワークを実施しています。本当に、毎回訪れるたびに魅力的で輝きに溢れた地域ばかりで、たいへんに癒される行程の連続です。明日新幹線で帰路に就きますので、利便のためにただいま新大阪に滞在中です。

JRの追加料金の要らない長距離優等列車である「新快速」はたいへん便利で、今回のフィールドワークでも利用しておりますが、年々混雑がひどくなっているように感じられます。京都、大阪、神戸と大都市核が連続し、下車客と同程度の乗車客があってなかなか乗客数が減らず、かなりの長期間混雑する状況も見受けられます。でも、関西の皆さんはけっこうマナーが良いように感じる面があって、乗車時には下車する人を優先するマナーも定着していますし、車内でのあたたかい言葉のかけあいなどもしばしば耳にします。新快速に乗りながら、そうした関西のあたたかさに触れながら、ここ数年関西に惹かれ続ける魅力もその辺りにあるのではないかなどとも考えをめぐらせていました。

自己主張はするけれど、それと同じくらい他人を思いやる気持ちも持っている。そんなあたたかさですかね。上代より日本の中心的な地位を維持し続け、洗練された文化を生み出し続けてきたという地域的な土壌もあるのかもしれませんが、それぞれの地域がそれぞれに輝きを持って、個性的な姿を持つ関西。そうした地域性の根底にはそんな「あたたかさ」があるのではないか、と。

今回の関西フィールドワークでも、随所にそんな地域の「すごみ」を感じております。この思いを胸に、最終日の活動も気合を入れて取り組みたいと思います。
[67337] 2008年 11月 23日(日)08:53:13YSK さん
クイズも!
そうそう、こちらにも反応してみます。

[67332]桜トンネルさん
問三 太田市:2
変則的ですが、こんな回答でも大丈夫でしょうか?
[67336] 2008年 11月 23日(日)08:48:40YSK さん
出張フィールドワーク中
おはようございます。本格的な冬の寒さが強まりつつある今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。オフ会が開催される秋田県内陸地方も、かなりの寒さとなりそうです。東北在住経験者としても、本当に本当に寒いと思いますので、どうかお体を大切に、無理をなさらずに楽しんでくださいね。

さて、私は今年2回目の出張フィールドワークを昨日より明日までの日程で行っています。たまには在住地以外からの書き込みもしようと思い、書き込みをしてみました。今年は諸事情により夏季にフィールドワーク活動を自粛していたため、予定していた大フィールドワークを行うことができず、まとまった日程をとったフィールドワークは今年はこれが最初で最後となる見込みです。今回訪れている地域は最近注目している地域で、歩いてみると想像以上に魅力に溢れた地域で、歩いていて本当にあたたかい気持ちになれる地域でした。

フィールドワーク2日目の本日は、場所を変えて行います。今いる場所は初宿泊ではないものの、ほとんど町を歩いたことがないので、初訪問となる著名な史跡も含め、たいへん楽しみです。現在ホテルで自分のノートPCより書き込みをしていますが、ファイル転送できない環境のため、細かいご報告等は両毛に帰ってからということになります。

では、みなさんそれぞれの休日をお過ごしください。
[67183] 2008年 11月 3日(月)00:27:41YSK さん
東京フィールドワーク、仙台
こんばんは、秋らしい穏やかな晴天に恵まれた当地です。本日、今年に入って意識的に取り組んでいる東京フィールドワークに出かけてまいりました。暑くもなく、寒くもなく、歩くにはちょうどよい陽気で、たいへんさわやかな町歩きをすることができました。

[67174]ペーロケさん
仙台レスありがとうございます。仙台については私のページにある「クローズアップ仙台」が参考になるかと思いますので、ご覧になってくださいますと幸いです。

むしろ、時代とともに変化する様子が面白いですね。戦前は青葉通りや広瀬通りなんて存在せず、戦後になって広い都市計画道路が整備されたというのがよく分かります。
私が指摘したいのは、こういった広幅員の道路が整備されても、城下町時代から形成されてきた街路網の形を大きく崩すものではなかった、ということです。仙台高裁前先から北目町にかけて市街地を斜めに横切る「五ツ橋通」や、青葉通の西側付近が碁盤目状の市街地の形をイレギュラーに貫く道路としてやや目立っていまして、多くの街路が既存の道路を拡幅したり、また碁盤目状の形を崩すことなく整備されています。広瀬通も西半分は「立町」を、そして東半分の一部は「元寺小路」を拡幅・整理したもののようです。

現在の地図では二十人町が広瀬通りにつながっているように見えますが、実は大町に繋がっており、広瀬通りは鉄砲町に繋がっていたとは。「X橋」というモノにすっかり騙されました。
「X橋(正式名称は「宮城野橋」)はJR線を跨ぐ橋ですね。ちなみに[67107]に書きましたとおり「大町」は東二番丁までで、この付近の通り名は「名掛丁」となります。そして広瀬通も戦前までの言い方で言うと「元寺小路」となります。X橋は東行きと西行きで一方通行路となっている2つの道路が橋上で1つに束ねられ、橋を降りるとまた2つに分かれるという構造の橋でした(下図)。その形から通称の「X橋」が広く知られており、正式名称の「宮城野橋」はあまり知られていないようです。

元寺小路(広瀬通)元寺小路・鉄砲町
名掛丁名掛丁・二十人町

X橋のうち、西南の名掛丁に下りる部分は再開発ビル「アエル」の建設に伴い廃止され、現在ではすべて元寺小路(広瀬通)へ下りるようになっています。

仙台駅東第二地区では既存の建物を必要以上に壊さず、時間をかけて少しづつ整備していっている
そんなことは無いですよ。二十人町や鉄砲町では建物の撤去が進み、拡幅や区画整理の済んだエリアではマンションなどが建った部分と更地の部分とがモザイク状に展開している光景を目にすることができます。JR仙石線の地下化が完成したあたりからこのエリアでも区画整理のピッチが徐々に上がっているようで、戦災を免れ、昔ながらの住宅地と近隣商業地域が広がっていたかつての鉄砲町と二十人町の風景はもうほとんど無くなっているといっても良い状況となっています。このエリアは2003年から定期的にフィールドワークして取材しておりますので、「クローズアップ仙台」内該当記事をご確認くださいね。

エスカレーター関係は稿を改めたいと思います。
[67173] 2008年 11月 2日(日)01:02:59YSK さん
仙台エスカレーター事情
こんばんは、最近は朝晩かなり涼しくなってきた当地です。今週金曜日は立冬で、暦の上では冬になります。初夏あたりから夜間のウォーキングを続けており、最近はオリオン座が東の空にしっかりと見えるようになっております。

[67145]ペーロケさん
仙台の街路網についてのレスありがとうございます。仙台の地図を時系列で見ると、仙台の町がいかにシステマティックに形成され、城下町時代に完成したそのベースが現在においてもはっきりと残されているかが理解できると思います。実際に現地をフィールドワークしますともっとよくそのことが実感されると思います。

仙台におけるエスカレータ事情のお話を興味深く拝見いたしております。年に2、3回は仙台を訪れて町の変化を見つめ続けてきた私の視点からは、仙台でエスカレーターの右に寄るか左に寄るかは特に決まっていない、あるいはエスカレーター上で秩序だってどちらかに寄って乗るという行為自体習慣化していない、と言ってもいい状態なのではないかと推測します。

仙台へは自家用車で、東北道をひたすら走って行くことが多い私ですが、最近ひょんなことから某地下鉄駅周辺で格安のパーキングを発見したことから、今ではその駐車場に車を止めて、地下鉄で市街地へ向かうことにしております。そのため地下鉄の仙台駅やJR仙台駅を利用する機会も多く、そこでの印象から、上記の推測を持つに至ったわけです。

大都市仙台とはいえ、都心の人口は相対的にさほど多くなく、多くの市民は郊外や都心近隣地域に居住し、日常の足の主役は自家用車であるという事情は他の非大都市圏域と変わりありません。日常的にエスカレーターを利用する層はあまり多くないと考えられます。結果として、エスカレーターを利用することはあっても、みんなで一定のサイドに寄って乗るという習慣が根付くまでには至っていない。いろいろな調査?で一定の傾向が認められないのも、そうした事情によるものと推測します。
[67107] 2008年 10月 23日(木)23:55:15【1】YSK さん
商店街の範囲に息づく旧町名
本日あたりから雨が降り始めた当地ですが、ここのところ穏やかな陽気が続いていたことから、週末ごとにフィールドワーク活動を行うようになりました。最近は東京に凝っておりまして、ちまちまと出かけておりました。また、今年は5年ぶりに原点に返って、あのエリアを重点的に再訪したいと考えています。

[67068]ペーロケさん
仙台へのレスありがとうございます。今年は既に3回も仙台に出かけておりまして、ここ数年の町の急激な変化をつぶさに見つめています。超高層ビルが増えてきたこと、有名海外ブランドのショップが出店するようになったこと・・・。数年前の仙台では考えられないような変化が起こっています。

土地勘がない故に、具体的な地名を言われてもピンと来なかったのですが、地図を片手に

そうですね、私が[67023]でご紹介した旧町名はほとんど住所地名として現存していませんから、なおさら分かりにくかったかもしれません。しかしながら、見かけ上は目立たなくなった旧町名も、意外な部分で今も息づいております。それが商店街の区分です。

芭蕉の辻(国分町通<南北の通り>と中央通<東西の通り>の交点)から東へ、一番町通り(かつての東一番丁)との交点から東二番丁までが「マーブルロードおおまち」商店街で、旧町名の「大町五丁目」にあたるようです(仙台城から近い順に大町頭、大町一丁目、・・・、大町五丁目までありました)。さらに東へ、東五番丁(現在の愛宕上杉通)の手前までが「クリスロード商店街」で、これは旧新伝馬町の範囲に符合します。そして、ここから東が「ハピナ名掛丁」商店街で、これは旧町名「名掛丁」が商店街の名前に生きていますね。名掛丁はこの地点で鉄路で分断されておりまして、線路の東側には西口では旧町名となった「名掛丁」が現役の町名として残っています。

このように、商店街の範囲に仙台城下町時代の町名の範域が残っているわけです。

ちなみに、リンクしたヤフー地図では「ぶらんどーむ一番町」商店街は青葉通まで達しているように記入されていますが(こちら)、これは現地に行けば分かりますが誤りでして、ぶらんどーむは中央通(かつての「大町」)との交点(藤崎デパート北西隅)までとなります。ここから南が「サンモール一番町」商店街で、青葉通を越えて南町通まで続いております。現在の幹線道路である青葉通ではなく、仙台城下町の伝統的な目抜き通りであった大町(中央通)が商店街の境界となっていることも、大町が仙台においてどのような位置づけにあったとおりであったかを物語っているように感じられて、たいへん興味深いです。

[67034]Issieさん
メッセージありがとうございます。今月上旬に仙台に行った際、お話の展示会の開催を知らせる旗を名掛丁で見かけました。開催前で残念ながら見ることはできませんでした。地図中心、興味深そうですね。手に入れてみようかなと思います。

[67051]千本桜さん
メッセージありがとうございます。名掛丁のミスのご指摘、ありがとうございます。手近にさまざまな資料があるのに確認を怠ってしまいました・・・。以前[66651]でお話しした仙台駅の東西自由通路は、まさに名掛丁のルートに当たりますね。これまでは暗く夜中通るのが恐い地下通路しかなかった部分に、明るい自由通路が完成しました。
[67023] 2008年 10月 14日(火)23:59:07YSK さん
仙台駅
現在の仙台市街地における繁華街の核はJR仙台駅西口を中心としたエリアと、一番町通と中央通とによって構成されるアーケード街を中心としたエリア(中心は広瀬通一番町付近)とです。双方は約1キロメートルほど離れておりますが、アーケード街で有機的に繋がっているため、人々の動線が確保され、ほぼ一体的な市街地を構成しています。

[67019]Issieさん
お話を拝見いたしましたが、仙台経験が相対的に長い私の意見は少し違います。

まず、明らかな誤りは、「芭蕉の辻」は大町と東一番丁の交点ではなく、大町と奥州街道筋(現在の国分町通)の交点です。ちなみに、「一番丁通」「大町通」という表現も厳密に言えば誤りで、それぞれ「東一番丁」「大町」とするのが正しいです。仙台的な語感では、「○○通」というのは「○○」へ通じる道及びその道沿いの町という意味です。芭蕉の辻以南の奥州街道筋は「南町」と呼ばれていましたが、その南町へ通じる東西の通りが「南町通」と呼ばれました。この通りは市電通りとなったため戦前から拡幅されまして、現在でも仙台市街地における重要な通りとなっています。一見市街地の南側を貫通する通りだからその名があると錯覚しますが、本来は当時一大繁華街であった南町へと通じる通りであるという意味でして、市電開通前は本当に細い路地であったようです。

仙台城下町建設にあたって、ベースラインとなったものが、南北の奥州街道筋と東西の大町で、大町は仙台城大手門から広瀬川の大橋を経て、まっすぐ城下を東西に貫通する目抜き通りでした。その交点が「芭蕉の辻」と呼ばれ、高札場ともなった、仙台城下町の一大結節点でした。現在では相対的に市街地の中心部から外れ、多く集積してきた卸売業等の店舗も郊外の卸町等に移転し、やや寂れた印象のエリアとなっていますが、日銀仙台支店をはじめとした金融機関は現在でも集積していまして、町の中心たる面影もまた残すエリアです。

大町は東に向かって新伝馬町(しんてんまち)、名掛丁(ながけちょう)を経て二十人町、原町へと至り、陸前浜街道筋へと連接しました。城下町時代から近代にかけても多くの商店が集まる中心市街地として繁栄していました。この大町~新伝馬町~名掛丁のうち、一番町通以東が現在「中央通」と呼ばれるアーケード街となっています。

一方で、現在の仙台駅のあるエリアは、北東に祀られる東照宮から南へ、宮町、東六番丁、清水小路を経て、藩政期は大寺であった大年寺へと一直線に繋がる堂々たる門前町通が形成されていまして、この周辺を中心市街地内に組み込む都市軸として機能していました。宮町は現在でも東照宮に向かって直線的な道路としてあり、清水小路は、東五番丁と一体となり、現在の「愛宕上杉通」となっています。東六番丁はといいますと、実はこの通りこそ、現在の仙台駅のある場所にあたります。仙台駅舎及び鉄路は東六番丁筋をまるまるつぶす形で完成しております。結果として上述の門前町を連接する南北の通りは遮断され、また当時繁華街であった名掛丁も東西に分断され、仙台市街地の都市構造は大きな影響を受けることとなります。特に名掛丁東部以東の陸前浜街道筋はさびれていくこととなります。

以上のような認識から、仙台駅のある場所は必ずしも「町外れ」ではなく、当時栄えていた町場の一部をまさしく“縦断”し、当時の人々の感覚では中心市街地の一部を横切ったように映ったことと思います。まあ、中心市街地の本当に中心という意味ではやや東にずれた位置ではありますが・・・。せめて宮町~東六番丁~清水小路の幹線を壊すことなく、その東に隣接して駅ができればまた違っていたのでしょうが、既存の住宅地域をなるべく壊さないように鉄路を通すため、当時直線的に繋がっていて土地を確保しやすかった東六番丁が駅舎の適地とされたのでしょう。

なお、

当初は長町方面からほぼ直線に現在の 宮城野貨物駅 付近を通過してそこに駅を設置する計画であったものを,住民の運動によって市街地に“できるだけ近いところ”まで線路を引き込んで,現在の位置に駅が設置されることとなった,という話が伝えられています。

というご説明は、仙台関連の多くの書籍で散見される内容ですね。

なお、仙台駅東口は「東○番丁」などの町場が割り出された足軽などの居住地及び市街地から移転された寺院が集積する寺町(新寺地区や連坊地区)でして、戦災が少なかったことから高度経済成長期も低層の住宅地域や寺院、近隣商業エリアが交錯するエリアでしたが、1970年代半ば頃から順次土地区画整理事業が進められ、「宮城野通」を中心とした現代的な都市地域へと生まれ変わりました。現在は、旧仙石線の鉄路が通ったエリアより北、二十人町から鉄砲町にかけてのエリアで土地区画整理事業が進行中で、完成の暁には、西口の広瀬通と繋がった一大幹線道路がエリアを貫通する予定となっています。
[66882] 2008年 9月 28日(日)14:37:49YSK さん
「中山」の北に「南中山」
[66878]hmtさん
仙台市には、「中山」の北に「南中山」があります(さらに、南中山の北には北中山があります)(地図)。これは、もともと仙台市と旧泉市と異なった自治体の中で別個に住居表示がされたものが、合併により同一市内になってしまったものです。

仙台市内・旧泉市内を問わず、広くこの一帯が「中山」と呼ばれていたため、自治体が異なっていた時代に双方で「中山」を用いた街区が誕生、後の合併に伴いそれらの中山地区がすべて仙台市内に存することになったことに伴う現象です。
[66662] 2008年 9月 8日(月)07:59:30YSK さん
!!
[66654]牛山牛太郎さん
早速の訂正ありがとうございました。ほんとうにおおぼけですね、エスパルと私自身は書いたつもりでした・・・。ちなみに、フォーラスとは、仙台市中心部、広瀬通一番町にあるデパート?ファッションビル?のことです。

一日の限られた時間の中で市街地を歩き回っているので、なかなか見たい部分全部をフォローできないのが悲しいところですね。仙台も最近は変化の加速度がけっこうなものなので、早めに次回の訪問を企画できればと思っております。
[66651] 2008年 9月 7日(日)22:43:14YSK さん
白露・仙台
本日は日帰りで仙台フィールドワークを実施してまいりました。6月の尾瀬散策[65511]以来の本格的なフィールドワークとなりました。あすと長町、仙台駅東口等のフォローアップのほか、いくつか新規の地域もめぐっております。

仙台のトピックとしては、(1)西口に「パルコ」「フォーラスII」がオープン、(2)川内追廻住宅の移転先となった旧仙台政府倉庫、遺産として残す声も少なくない中解体、(3)、仙台駅名掛丁東西自由通路開通、(4)東口区画整理・地下鉄工事順調に進行中、といったところでしょうか。

不順な天候の続く今日この頃ですが、本日の仙台も時折雨の降る蒸し暑い陽気でした。そんな中、萩が見頃を迎えつつある仙台市野草園(太白区茂ヶ崎)にも足を伸ばしてみました。白露の今日、園内の緑はたいへんたおやかでした。

#仙台市内に最近足をお運びになった方がいらっしゃるようですが、「神宮」が[66644]EMMさんのおっしゃる「SO大神宮」であるとするならば、すぐ横でシートに囲まれた工事現場の一角があったはずです。これは地下鉄新駅設置に伴う工事です。

個人的な事情から長期に宿泊を伴うフィールドワークは当面は企画できそうになく、今回のような日帰り中心の活動となる見込みです。
[66587] 2008年 9月 3日(水)07:49:03YSK さん
前橋市、大津市、尼崎市
前橋市、大津市、尼崎市の市長が2日に総務大臣に2009年4月1日付けでの中核市移行を求める申出書を提出したようです。今秋にも閣議決定がなされる見通しです。

ニュースソース(京都新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080902-00000028-kyt-l25
[66268] 2008年 8月 19日(火)23:25:22YSK さん
地域のまとまりとしての郡
[66220]揖斐の山さん
勢多郡、消滅へ
これで、来年5月5日、富士見村も前橋市に編入となり、勢多郡が消滅しますね。群馬県内でも有数の面積を持っていた勢多郡がなくなってしまうというのも、どこか感慨深いものがあります。

ところで、この勢多郡ですが、今般の大合併により4つの市へ分かれて移行しました。赤城村と北橘村は渋川市へ、富士見村(予定)、大胡町、宮城村、粕川村は前橋市へ、新里村、黒保根村は桐生市へ、そして東村は新設のみどり市へ、それぞれ移行していきました(いくこととなります)。桐生市とみどり市の部分はやや変則的な結果となりましたが、勢多郡はもともと渋川広域圏、前橋広域圏、桐生広域圏の3つに分かれていまして、そのとおりの枠組みでほぼ合併が進んだということになりますね。

広域的にそれなりの一体性を持ち、平成の大合併でも郡域を基礎として合併が進んだ地域が多いなど、郡は地域的なまとまりの単位として実質的な結合関係を維持するケースが少なくない中で、勢多郡は例外的に郡全体としての一体感のない郡でありました。

上毛三山のひとつである赤城山をとりまくような郡域設定がなされていることから、赤城山の上州における象徴性の表れなのかな(赤城山北麓、現在の沼田市利根町や昭和村などは、かつて「北勢多郡」として、勢多エリアの一角だったこともあります)とも考えるのでした。
[65931] 2008年 8月 5日(火)01:24:18YSK さん
旧藪塚本町
6月中旬の尾瀬フィールドワーク以降、諸事情によりフィールドワーク活動と自ホームページの更新作業等のすべてを休止しております。7日には立秋を迎えることから、そろそろホームページのタイトルロゴの更新あたりから活動を再開したいなとは思っております。そうです、もう残暑の季節も目の前です。

「塚」における「丶」のある・ないについての話題がまとまっておりますが、新・太田市となった旧藪塚本町の「塚」は「丶」のある「ひげ塚」を採用していました。太田市のホームページ内でも本来は「ひげ塚」だが、ホームページ上では便宜的に「丶」のない「塚」を使用している旨説明されています。


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