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MIさんの記事が10件見つかりました

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[99341] 2020年 4月 5日(日)17:22:29MI さん
M22高畠村→M28高畑町→M38高畠町→S29社郷町→S30高畠町
[99339] オーナー グリグリ さん、
 [99336] むっくん さんと、[99337] MIからのデータ整理有難うございます。
その上で、あらためて『高畠町史』下巻の第二章第五節 補筆・特筆の第一項(p.691~711)を読み直してみました。執筆者の思い入れが強烈に入っている感じもしますが、如何に高畑と高畠が混用されてきたかを検証しています。そして[99337]でご紹介した県告示の「高畑村」は「高畠村」の誤記であったと判断せざるを得ないことが分かりました。ここでは関連すると思われるところのみ抜き出して引用します。

一、わが町、行政地名検証-「高畑」と「高畠」
(一) 検証の必要性
 明治の村々大合併以前の元村「高畑村」の地名は「高畑」であって、「高畠」ではなく、むしろ幕藩体制期を通じ地元では、「高畑村」と書記している。よって、「高畑」を「高畠」とも書いたとか、「高畠」を「高畑」とも書いたとか、「高畑」も「高畠」も同じであるというように簡単にかたづけることは出来ない重要な問題である。
 したがって右の検証には、歴史の事実に基づいて記述することが必要となる。(三)、史的検証は、そのために登場するのである。現行行政地名「高畠町」の「高畠」や、同「高畠町大字高畠」の「高畠」を、そのまま過去に遡って適用することは許されないのである。ところが、過去の書類を広く閲覧すればするほど、「高畑と高畠」との混用が多いのに驚くのである。とくに明治期以後において顕著である。よって、その理由を究明することが当然の事実として浮上する。
(略)
一、近代資料、左に前述した、高畑と高畠の混用例をみよう。なお、その時期区分として、
・明治二年以降、明治二二年四月一日の町村制施行直前までの期間…略称(イ)期間
・明治の村々大合併、町村制施行以降、高畑町と名称変更までの期間…略称(ロ)期間
・明治二八年一二月一二日成立の高畑町以降、第一次高畠町成立(注 明治三八年一月一三日)直後期にわたる期間…略称(ハ)期間
(略)
混用の実相 (ロ)期間
 明治の村々大合併による「わが郷土の新しい村々の構成」は、県令第二一号によるもので内務大臣の許可を経て、その村々の区域・名称が決定されたものである。この際、高畑村・安久津村・金原村・小郡山村・高安村・泉岡村・塩森村・二井宿村の八か村、いわゆる高畑村外七か村の組合村は、新村「高畑村」と「二井宿村」とに分離するのであった。
 そのうち、新村「高畑村」は二井宿村をのぞく七か村の合併であった。ところが、新村構成申請の際の新村名が、(イ)期間の混用の実態を反映して「高畠村」としてあったのである。ここに厳然たる事実として新生「高畠村」(注 第一次)が誕生したのである。当時、誕生した合併村のうち、屋代村は別格(注 一〇か村合併で新村名を旧村名からえらばず)としても、四か村合併の亀岡村も、五か村合併の和田村も、九か村合併の糠野目村も合併各村中の大村名に決定した。わけて「高畑村」は従来の実績からも当然新村名として登場するはずであった。しかし、厳然たる事実として「高畠村」が誕生したが、「高畑村」「高畠村」混用の実相は、明治二八年一二月一二日、高畠村が町制施行に際し、伝統ある「高畑」を採用し「高畑町」と改称するまで続くのである。遺憾と叱咤しても歴史の真実は遺憾ともすることが不可能である。
 しかも、この混用の実相は、勢力的には「高畑村」の名称が多く、さらに村役場用の罫紙には「高畠村」または「高畠村役場」と印刷されているにも拘らず、「高畑村長」「高畑村々会議長」をはじめ、「高畑村大字○○」という具合に記述されている文書をみるわけである。かくみれば単なる混用の実相とのみ言及することはできないのである。すなわち、
 いったん提出された書類、とりわけ申請書の重大性を今更に反省しても、如何ともならぬ当時の官庁の権力下に、憤懣やるかたなく、当時の村内にみる多数のこの種の文書が作成されたのであろうか。ともあれ、明治二二年四月一日発足という新村は山形県の方針であったから、新生高畠村は正式村名として、明治二八年一二月一二日の「高畑町」の発足まで採用されねばならぬ明治の行政村名であることを認識せねばならぬわけである。しかも、混用の資料左の通り、
(略)

 以上のことから、[99339]
以下のように修正したいと思います。
1889(M22).4.1 新設/村制 東置賜郡 高畠村 東置賜郡 高畠村, 安久津村, 小郡山村, 泉岡村, 塩森村, 金原村
1895(M28).12.12 町制 東置賜郡 高畑町 東置賜郡 高畠村
1905(M38).1.13 改称 東置賜郡 高畠町 東置賜郡 高畑町
1889(M22).4.1 高畠村が村制施行
が正しいのだと思います。その上で付記することがあるとすれば、
・M22に成立した高畠村は高畑村と表記されることも多かった。
・M28の町制に関する県告示(明281212第262号)も変更前を高畑村と誤記してしまった(県報に正誤が出たかは不明)。
と、こんな感じでいかがでしょうか。
[99337] 2020年 4月 4日(土)23:05:17MI さん
Re: 市区町村変遷情報
[99336] むっくん さん
 山形県東置賜郡高畠町に関する件ですが、数年前に山形県庁内にある行政情報センターで確認した明治28年12月12日山形県告示第262号は
東置賜郡高畑村ヲ高畑町ト改稱ス
同郡赤湯村ヲ赤湯町ト改稱ス
であって、市制町村制施行時から「高畠」ではなく「高畑」であったのです。
 そして郡市町村廃置分合一覧表には明治三十八年九月二十五日許可で、高畑町から高畠町へ改められたとありますが、一方で『高畠町史』下巻p678には次のように記述されています。
(八)高畑町を高畠町と改称
 現高畠町地域の当時の町村は、高畑町・二井宿村・屋代村・亀岡村・糠野目村の一町五か村であったが、そのうちの高畑町は地域的にも歴史的にも行政的にも名実ともに実績をもち、ここに明治三八年一月を迎えた。そして種々の論議のなかに、同年一月十三日を期して高畑町より高畠町への改称を県より認証されるのである。その改称の要因については、本章第五節 補筆・特筆の第一項「行政地名検証-高畑と高畠」を、くれぐれも熟読玩味して、歴史の真実を、固有行政地名の重大性を体得されたいのである。
 その詳細については同書を参照していただきたいと思いますが(国会図書館デジタルコレクションの図書館送信資料にあります)、上述の1905(明治38)年1月13日が「高畠町」の成立日であるとされていますので、
 1889(M22).4.1で高畑村
 1895(M28).12.12に高畑村を町制施行して高畑町
 1905(M38).1.13に高畑町から高畠町へ改称
が正当であると思われます。
[99317] 2020年 3月 30日(月)21:48:56MI さん
Re2:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(2020.3.26)
[99306] オーナー グリグリ さん
中核市、特例市のデータを追加した上で「全国の市区町村数の推移」を更新いたしました。
 早速の更新有難うございました。これを受けて当方のデータにも中核市、特例市の追加作業を行っております。官報の政令を確認しているのですが、その際に一つ気づいたものをお知らせします。
 全国の市区町村數の推移で2017年4月1日に中核市が47+1=48、特例市が37-1=36 となっているのは八戸市が施行時特例市から中核市になったものだと思いますが、その日付は1月1日です。履歴情報の詳細情報や下記の政令をご確認ください。
平成28年6月15日政令第237号
 地方自治法第二百五十二条の二十二第一項の中核市の指定に関する政令の一部を改正する政令
内閣は、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の二十二第一項の規定に基づき、この政令を制定する。
地方自治法第二百五十二条の二十二第一項の中核市の指定に関する政令(平成七年政令第四百八号)の一部を次のように改正する。
「佐世保市」を「佐世保市 八戸市」に改める。
 附則
この政令は、平成二十九年一月一日から施行する。

 以上、よろしくお願いします。
[99302] 2020年 3月 27日(金)19:15:00MI さん
Re2: 全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(2020.3.26)
[99299] MI で修正した箇所以外で、当方で確認した史料により履歴情報の修正をお願いしたいものを以下に記します。

●徳島県
19080720 0 1 3 43 16 0 61 640 5 25 1160 10995 12221 +6町 -6村
36徳島 19080720 0 0 0 1 0 0 1 10 0 0 17 122 140 +6町 -6村
 履歴情報で国府町(1908.7.1)、立江町(1908.7.10)への町制施行は、徳島県立文書館で閲覧した明治41年7月10日徳島県令77号
名東郡國府村國府町ト那賀郡鷲敷村ヲ鷲敷町ト同郡立江村ヲ立江町ト板野郡板西村ヲ板西町ト阿波郡八幡村ヲ八幡町ト麻植郡鴨島村ヲ鴨島町ト爲シ本月二十日ヨリ施行ス
により、いずれも 7.20 が正当です。

●愛媛県
18981121 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 976 11972 13000 +4町 -4村
38愛媛 18981121 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 16 283 300 +4町 -4村
 履歴情報では4村の町制施行が三島町(1898.11.21)、小松町(11.22)、北条町(11.28)、川之江町(12.21)となっているものですが、これらはいずれも明治31年11月21日愛媛県告示187号に拠るものであることを愛媛県立図書館で実見しております。あいにくこれだけ撮影をし忘れてしまい、告示文が不明なのですが、日付はすべて11.21正当です。

19010815 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1064 11872 12994 +2町 -2村
38愛媛 19010815 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 18 283 302 +1町 -1村
 履歴情報は1901.8.20に久万町村から久万町に町制施行とありますが、明治34年8月15日愛媛県告示328号で
明治廿三年法律第七十七号ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ縣下上浮穴郡久万町村ヲ久万町ト改稱ス
とあるもので、8.15正当です。

19191031 0 1 3 43 14 0 73 638 7 25 1352 10711 12143 +1町 -1村
38愛媛 19191031 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 27 269 297 +1町 -1村
 履歴情報では岩松町への町制施行を1919.10.3としていますが、大正08年10月24日愛媛県告示582号で
大正八年十月三十一日ヲ期トシ縣下北宇和郡岩松村ヲ岩松町ト改稱ノ件許可セリ
とあることより10.31正当です。

●高知県
19010601 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1049 11886 12993 +3町 -3村
39高知 19010601 0 0 0 1 0 0 1 7 0 0 14 183 198 +3町 -3村
 履歴情報では1901.6.2に久礼町への町制施行となっていますが、明治34年06月01日高知県告示101号で
高知縣土佐郡江ノ口村ヲ江ノ口町同高岡郡久禮村ヲ久禮町同香美郡岸本村ヲ岸本町ト變更ス
とあることを高知県立図書館で実見しました。江ノ口町・岸本町と同様6.1正当です。

●福岡県
18910428 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 753 12787 13580 +2町 -2村
40福岡 18910428 0 0 0 1 0 0 2 31 0 0 21 363 386 +1町 -1村
 履歴情報では1891年2月1日に若松町の町制施行としているものですが、明治24年04月28日福岡県告示034号で
遠賀郡若松村ヲ自今若松町ト改稱ス
を福岡県立図書館で実見しました。日付は4.28正当です。

18940726 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 832 12760 13633 +1町 -1村
40福岡 18940726 0 0 0 1 0 0 2 31 0 0 28 356 386 +1町 -1村
 履歴情報では1894年8月1日に文字関村から門司町への町制施行ですが、明27年07月26日福岡県告示066号で
企救郡文字關村ヲ門司町ト改稱ス
とあることから、日付は8.1正当です。

19060501 0 1 3 43 16 0 56 640 5 21 1124 11338 12523 +15町 -16町 +41村 -190村
40福岡 19060501 0 0 0 1 0 0 4 19 0 0 39 338 381 +1町 -1村
 宗像郡神湊町の町制施行について、履歴情報では1906.5.2となっておりますが、県立図書館では史料を見つけられませんでした。しかし各種史料や郡市町村廃置分合表明治二十二年以後市町村変遷すべてで5.1となっており、当方はこれを録りました。ご確認をお願いします。

●佐賀県
19360211 0 1 3 43 14 0 128 629 0 74 1718 9668 11514 +2町 -1町 -4村
41佐賀 19360211 0 0 0 1 0 0 2 8 0 0 18 105 125 +1町 -1村
 三養基郡田代町への町制施行について、履歴情報は1936.4.1を採っていますが、昭和11年02月14日佐賀県告示077号で
三養基郡田代村ヲ田代町ト爲シ昭和十一年二月十一日ヨリ之ヲ施行ス
とあることを佐賀県公文書館で実見しました。1936.2.11正当です。

●長崎県
19250310 0 1 3 43 14 0 100 637 0 25 1526 10443 12069 +1町 -1村
42長崎 19250310 0 0 0 1 0 0 2 9 0 0 12 180 194 +1町 -1村
 壱岐郡武生水町への町制施行日について、履歴情報では1925.4.1を採っていますが、大正14年03月06日長崎県告示091号で
壹岐郡武生水村ヲ武生水町ト爲シ大正十四年三月十日ヨリ施行ノ件三月三日許可セリ
とあることを確認済で3.10正当です。これは長崎県立長崎図書館が運用していた「長崎県公報目次検索」からダウンロードしたのですが、現在は見られなくなっています。

●熊本県
19010912 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1065 11871 12994 +1町 -1村
43熊本 19010912 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 31 335 367 +1町 -1村
 葦北郡で日奈久町へ町制施行した日付として履歴情報は1902.4.1を採っていますが、これは『辞典』『総覧』『幕末』すべてこの日付なので当然と思われたのですが、熊本県立図書館で実見した明治34年9月12日の熊本県告示第352号で
縣下葦北郡日奈久村ヲ日奈久町ト改稱ス
とあることより、当方のデータではこの1901.9.12としてあります。なお明治34年9月25日 官報広告p316でも「葦北郡日奈久村ヲ日奈久町ト改稱セリ」と過去形で記されております。

19060510 0 1 3 43 16 0 56 640 5 21 1125 11265 12451 +8町 -7町 +26村 -99村
43熊本 19060510 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 34 329 364 +1町 -1村
 上益城郡で春日町の町制施行ですが、履歴情報の4.1は、『辞典』『総覧』『幕末』すべてこの日を採っているものです。しかし明治39年5月10日熊本県告示第127号が以下の通りです。
縣下飽託郡春日村ヲ春日町ト改稱セリ
また郡市町村廃置分合表でも「明治三十九年五月十日實施」とあることから、当方では5.10としております。

19060801 0 1 3 43 16 0 57 640 5 21 1129 11101 12292 +1市 +1町 -1町 -1村
43熊本 19060801 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 35 328 364 +1町 -1村
 阿蘇郡内牧町の町制施行日ですが、履歴情報の4.1は、『辞典』『総覧』『幕末』すべてこの日を採っているものです。しかし明治39年8月1日熊本県告示第219号で
縣下阿蘇郡内牧村ヲ内牧町ト爲シ本年八月一日ヨリ施行ス
とあり、また郡市町村廃置分合表も「明治三十九年八月一日實施」ですので、当方では8.1を採っています。

 以上、ご確認をよろしくお願いします。
[99300] 2020年 3月 26日(木)23:04:47【2】MI さん
Re: 全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(2020.3.26)
[99299] MI で修正した箇所以外について、履歴情報と食い違っているが保留しているものは以下のとおりです。

●徳島県
19070101 0 1 3 43 16 0 58 640 5 21 1134 11067 12264 +4町 -1町 +4村 -16村
19071101 0 1 3 43 16 0 61 640 5 21 1142 10963 12171 +6町 -6村
36徳島 19070101 0 0 0 1 0 0 1 10 0 0 5 134 140 +1町 -1村
36徳島 19071101 0 0 0 1 0 0 1 10 0 0 11 128 140 +5町 -5村
 海部郡日和佐村→日和佐町、勝浦郡小松島村→小松島町について、当方のデータは『辞典』を採っており履歴情報と食い違っておりますが、他の史料も混乱しています。なお同じ時期の名西郡石井村→石井町、阿波郡市香村→市場町、三好郡貞光村→貞光町、三好郡井川村→辻町については日付は揃っております。
町名 履歴情報辞典 総覧 幕末 MI
日和佐町1907110119070101190711011907110119070101
(1101)
石井町 1907110119071101190711011907110119071101
市場町 1907110119071101190711011907110119071101
貞光町 1907110119071101190711011907110119071101
辻町 1907110119071101190711011907110119071101
小松島町1908110119071101190811011908110119071101
(19081101)
 これについて、徳島県立文書館で調査したのですが、史料を探し当てられませんでした。いずれ再度訪れてみようとおもっています。一方、1931年の『現行徳島県令規全集 下巻』p159には、市町村制に関する県令や告示などの沿革が掲載されています。明治38年10月県令38号は富岡町と池田町への町制施行で確認済です。また41年7月県令77号は国府町、鷲敷町、立江町、八幡町、鴨島町、板西町への町制施行で確認済みです。このことから推測すると、明治40年10月県令55号というのが日和佐町、川島町、市場町、小松島町、石井町、辻町、貞光町への町制施行だと思われるのですが、現時点ではこのまま保留にしたいと思います。

●福岡県
18891001 0 1 3 43 0 0 38 716 0 21 704 12338 13080 +3市 +29町 +996村
40福岡 18891001 0 0 0 1 0 0 2 31 0 0 20 364 386 +2村
 下座郡蜷城村、福田村の一部を分割して金川村と立石村を新設したものについて、当方は立石村について『辞典』の日付を採っています。履歴情報では1889年のみで日付不明となっていますが、数年前に福岡県立図書館で調査した際にはこの頃の県告示で所蔵が欠落してあるものがあり判然としていないものでした。これについて『甘木市史』p73には、
・同(明治)二十二年九月、(福田村)一ツ木(ママ)、来春、頓田、古賀、堤、柿原は分離し、相窪村を加えて十月十三日新たに立石村を設立した。
とありますが、一方で蜷城村について
・同年(明治二十二年)十月相窪村が組合を離れて立石村に加わり、翌二十三年二月組合村を解散し、蜷城村、金川村がそれぞれ独立村となった。
ともあってよく分からないのです。これについてはこのまま保留しておくことにします。
 なお、『福岡県史資料 第2輯』には明治二十二年町村合併調書が掲載されており、当初下座郡では三奈木村、蜷城村、福田村が成立した経緯が述べられています。

●熊本県
18981113 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 972 11976 13000 +1町 -1村
43熊本 18981113 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 27 346 374 +1町 -1村
 牛深町への町制施行日について、当方は『辞典』の日付11.13を採っておりましたが、『総覧』や『熊本県市町村合併史』は11.23でした。保留にさせてください。

18990619 0 1 3 43 19 0 51 652 4 21 992 11951 12998 +1町 -1村
43熊本 18990619 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 29 339 369 +1町 -1村
 玉名郡で伊倉町に町制施行したものですが、当方は『郡市町村廃置分合一覧表』の許可日を
採っておりました。履歴情報の2.2は『辞典』や『総覧』にもある日付ですが、許可日以前ということで保留といたします。

18991128 0 1 3 43 18 0 51 652 5 21 993 11948 12997 +1村 -2村
43熊本 18991128 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 29 338 368 +1村 -2村
 日吉村の新設について、『郡市町村廃置分合一覧表』の許可日を採っております。『辞典』や『総覧』は4.1ですが、許可日以前ということで保留させてください。

●宮崎県
19480502 1 1 2 43 14 0 232 623 23 57 1836 8512 10603 +1町 -1村
45宮崎 19480502 0 0 0 1 0 0 3 8 0 0 23 63 89 +1町 -1村
 北諸県郡で三股町の町制施行について、履歴情報の5.3は『辞典』『総覧』『幕末』すべてがこの日を採っているものです。しかし当方は昭和23年6月2日総理庁告示第112号
地方自治法第八條第三項の規定により、昭和二十三年五月二日から、宮崎縣北諸縣郡三股村を三股町とする旨、宮崎縣知事から届出があつた
とあることから、5.2としているところです。
 これについては[86677] むっくん さんの記述
町制施行日はS23.5.3であったという訂正が官報にて後日に為された
も承知しておりますが、その訂正を発見できずにおります。詳細をお教え願えれば幸に存じます。
 そういう事情で、この件は保留とさせていただきたいのですが、私自身も5.3が正しいだろうとは思っております。実は一昨年に宮崎県文書センターで調査をしたのですが、「昭和二十三年 三股村、町制関係」には県議会に提出する議案として
北諸縣郡三股村の申請に基き縣議会の議決を経て村を町とし昭和二十三年五月三日からこれを施行する
とある文書も確認しております。

●鹿児島県
19460202 1 1 2 43 14 0 208 624 35 56 1809 8608 10660 +1村
46鹿児島 19460202 0 0 0 1 0 0 3 12 0 0 51 85 139 +1村
 大島郡十島村については、[99222] MI で述べたとおりで履歴情報とは食い違っております。

#徳島県の例を追加しました。
[99299] 2020年 3月 26日(木)19:56:50MI さん
全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(2020.3.26)
[99241] [99246] MI
整理でき次第ご連絡しますのでよろしくお願いします。
 あれこれ調べて時間がかかってしまいましたが、一通り修正が終わりました。
訂正した箇所を以下に列挙します。履歴情報と食い違っているが保留しているものや、ご確認いただきたいものについては稿を改めます。
 また、[99285] ekinenpyou さん、[99289] YT さんご指摘の広島県 甲第137号布達については、当方も『広島県市町村合併史』で確認いたしましたので、これも合わせて1878.11.1に修正しました。

全国の市町村数推移一覧表(ctv_total.xlsx)
各都道府県の市町村数推移一覧表(ctv_total_pref.xlsx)
郡の変遷(gun.xlsx)

 なお、説明において常に確認している参考文献を以下のように省略して示すことにします。

『市町村名変遷辞典』を『辞典』
『全国市町村名変遷総覧』を『総覧』
『幕末以降市町村名変遷系統図総覧』を『幕末』

●山梨県
18920329 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 783 12779 13602 +1村
18920401 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 782 12778 13601 +1市 -1町 +2村 -3村
19山梨 18920329 0 0 0 1 0 0 1 9 0 0 0 246 247 +1村
19山梨 18920401 0 0 0 1 0 0 1 9 0 0 0 245 246 +2村 -3村
 東八代郡で3村合併による黒駒村、南巨摩郡の穂積村、それに南都留郡長浜村の成立については、主に『辞典』の記載を元にしていたものが残ったままになっておりました。[69558] 88 さんからご指摘のあった明治25年3月31日 山梨県告示34号
町村制第四條第一項ノ順序ヲ經東八代郡上黒駒村(同郡下黒駒村が欠落?…MI註)同郡藤之木村ヲ合併シテ黒駒村南巨摩郡増穂村ノ内小室、高下ノ二組ヲ分離シテ穂積村南都留郡西湖村ノ内長濱組ヲ分離シテ長濱村トス
や、明治25年4月22日官報付録p2
山梨縣ニ於テハ町村制第四條第一項ノ順序ヲ經東八代郡上黒駒村下黒駒村藤ノ木村(ママ)ヲ合併シテ黒駒村(クロゴマ)、南巨摩郡増穂村ノ内小室高下ノ二組ヲ分離シテ穂積村(ホズミ)、南都留郡西湖村ノ内長濱組ヲ分離シテ長濱村(ナガハマ)トセリ此段公告ス
から、次のようにいずれも3.31に修正しました。
18920331 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 783 12778 13601 +3村 -3村
19山梨 18920331 0 0 0 1 0 0 1 9 0 0 0 245 246 +3村 -3村

●大阪府
18900401 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 728 12791 13559 +1町 +2村 -3村
27大阪 18900401 0 0 1 0 0 0 2 27 0 4 12 309 323 +1村 -2村
 志紀郡で道明寺村と沢田村の合併については、明治23年3月31日(府公報340号追加) 大阪府令27号
町村制第四條ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ受ケ志紀郡道明寺村澤田村合併及名稱左ノ通相定ム
より日付を3.31に改めて、以下のように訂正しました。
18900331 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 727 12791 13558 +1村 -2村
18900401 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 728 12791 13559 +1町 +1村 -1村
27大阪 18900331 0 0 1 0 0 0 2 27 0 4 12 309 323 +1村 -2村

19390701 0 1 3 43 14 0 149 626 0 82 1726 9427 11302 +5町 -2町 +2村 -15村
27大阪 19390701 0 0 1 0 0 0 6 7 0 15 30 160 196 +3町 -1町 -5村
 中河内郡で平岡町への町制施行について、当方は『辞典』『幕末』の日付を採っておりましたが、昭和14年7月12日 大阪府告示844
「中河内郡枚岡村ハ昭和十四年七月十五日ヨリ枚岡町ト爲セリ」
にしたがい、7.15に修正しました。
19390715 0 1 3 43 14 0 149 626 0 82 1725 9428 11302 +1町 -1村
27大阪 19390715 0 0 1 0 0 0 6 7 0 15 30 160 196 +1町 -1村

●奈良県
18900923 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 730 12791 13561 +3村 -1村
29奈良 18900923 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 11 148 159 +3村 -1村
 これは奈良県吉野郡龍門村を上龍門、中龍門、竜門三ヶ村に分割したと扱っていたものですが、[66971] むっくん さん、[66994] 88 さん を確認した上で、県告示にしたがい日付を9.29に、また分立に改めました。
18900929 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 730 12791 13561 +2村
29奈良 18900929 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 11 148 159 +2村

18911016 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 775 12777 13592 +3町 -3村
18911022 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 775 12778 13593 +2村 -1村
29奈良 18911022 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 16 144 160 +2村 -1村
 奈良県宇智郡阿太村を大阿太村と南阿太村に分割した日付を10.22としていましたが、[66971] むっくん さん、[66994] 88 さん にしたがい9.24に改めました。
18910924 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 772 12781 13593 +2村 -1村
18911016 0 1 3 43 0 0 40 716 0 21 775 12778 13593 +3町 -3村
29奈良 18910924 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 16 144 160 +2村 -1村

18930927 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 813 12777 13631 +1町 -1村
29奈良 18930927 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 18 142 160 +1町 -1村
 奈良県宇陀郡榛原村が榛原町になった日付。[66971] むっくん さん、[66994] 88 さん を確認した上で、日付を9.29に改めました。
18930929 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 813 12777 13631 +1町 -1村
29奈良 18930929 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 18 142 160 +1町 -1村

18940608 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 827 12774 13642 +2村 -1村
29奈良 18940608 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 18 143 161 +2村 -1村
 奈良県吉野郡国樔村を中荘村と国樔村に分割したとしていたものですが、[66971] むっくん さん、[66994] 88 さん を確認した上で日付を6.14に、また中荘村の分立に改めました。
18940614 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 827 12774 13642 +1村
29奈良 18940614 0 0 0 1 0 0 0 15 0 0 18 143 161 +1村

●島根県
19371228 0 1 3 43 14 0 146 628 0 80 1706 9533 11385 +1町 -1村
19380101 0 1 3 43 14 0 146 628 0 80 1707 9532 11385 +1町 -1村
19471218 1 1 2 43 14 0 220 624 23 57 1837 8542 10622 +1町 -1村
32島根 19371228 0 0 0 1 0 0 1 16 0 0 29 242 272 +1町 -1村
32島根 19390211 0 0 0 1 0 0 1 16 0 0 29 241 271 -1村
 島根県邑智郡粕淵村から粕淵町へと、同県八束郡恵曇村から恵曇町へ、それぞれ町制施行の日付を入力ミスしていたことが判明しました。いずれも1947(昭和22)年12月28日に改めました。
19380101 0 1 3 43 14 0 146 628 0 80 1706 9533 11385 +1町 -1村
から
19471228 1 1 2 43 14 0 220 624 23 57 1839 8540 10622 +3町 -3村
までと、
32島根 19390211 0 0 0 1 0 0 1 16 0 0 28 242 271 -1村
から
32島根 19471228 0 0 0 1 0 0 3 16 0 0 32 213 248 +3町 -3村
までが修正となります。

●福岡県
18970603 0 1 3 43 0 0 43 573 2 21 926 12038 13009 +1町 -1村
40福岡 18970603 0 0 0 1 0 0 2 19 0 0 31 352 385 +1町 -1村
 宗像郡津屋崎町への町制施行の日付ですが、『辞典』などを確認しまして履歴情報にあるとおり、6.4 に訂正しました。
18970604 0 1 3 43 0 0 43 573 2 21 926 12038 13009 +1町 -1村
40福岡 18970604 0 0 0 1 0 0 2 19 0 0 31 352 385 +1町 -1村

18990215 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 984 11964 13000 +2町 -2村
40福岡 18990215 0 0 0 1 0 0 2 19 0 0 36 347 385 +1町 -1村
 数年前に福岡県立図書館で調査したのですが、なかなか目指す典拠を探し当てられないものが多く残っております。この遠賀郡八幡町への町制施行日について、当方では『辞典』や『総覧』などの日付を採っていましたが、履歴情報は1900.2.10となっています。これは郡市町村廃置分合一覧表で許可日としているものであることを、[65629] 88 さん で確認したところですが、あれこれ探していたなかで『福岡県史資料第3輯』p813の明治二十二年以後市町村変遷には明治33.2.15とあるのを見つけました。10日許可で15日施行であれば、既存の資料は大正三年を二年と写し間違えたと納得もできますので、当方はこの1900.2.15に修正することとしました。
19000215 0 1 3 43 18 0 51 652 5 21 998 11944 12998 +1町 -1村
40福岡 19000215 0 0 0 1 0 0 3 19 0 0 36 346 385 +1町 -1村

19040101 0 1 3 43 16 0 55 640 5 21 1108 11484 12652 +1町 +2村 -6村
40福岡 19040101 0 0 0 1 0 0 4 19 0 0 38 340 382 +1村 -3村
 3ヶ村を合併した京都郡犀川村の新設ですが、履歴情報では郡市町村廃置分合一覧表より1905.2.1を採っていることを[65446] むっくん さん、[65629] 88 さん で確認いたしました。『福岡県史資料第3輯』p813の明治二十二年以後市町村変遷の明治37.2.1は誤りと判断して明治38.2.1に訂正いたしました。
19040101 0 1 3 43 16 0 55 640 5 21 1108 11486 12654 +1町 +1村 -3村
19050101 0 1 3 43 16 0 55 640 5 21 1114 11474 12648 +1町 -1町 -2村
40福岡 19050201 0 0 0 1 0 0 4 19 0 0 38 340 382 +1村 -3村

●熊本県
18981231 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 981 11967 13000 +1町 -1村
43熊本 18981231 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 345 374 +1町 -1村
 天草郡で町山口村から本渡町への町制施行ですが、当方の入力ミスで12.21正当でした。訂正します。
18981221 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 979 11969 13000 +1町 -1村
43熊本 18981221 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 345 374 +1町 -1村

18990324 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 991 11952 12995 +3村 -8村
43熊本 18990324 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 340 369 +3村 -8村
 宇土郡で三角村、不知火村、郡浦村の新設日ですが、『郡市町村廃置分合一覧表』の3.24許可を採っておりましたが、『熊本県市町村合併史』などの日付(三角村と不知火村が3.30、郡浦村は4.1)に修正いたしました。
18990330 0 1 3 43 19 0 48 655 4 21 991 11953 12996 +2村 -6村
18990401 0 1 3 43 19 0 51 650 4 21 989 11954 12998 +3市 +5郡 -10郡 +1町 -3町 +8村 -7村
43熊本 18990330 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 341 370 +2村 -6村
43熊本 18990401 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 28 340 369 +1村 -2村

19001010 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1026 11923 13007 +1町 -1村
43熊本 19001010 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 30 337 368 +1町 -1村
 阿蘇郡で宮地町への町制施行について、『郡市町村廃置分合一覧表』の許可日を採っておりましたが、『熊本県市町村合併史』などの日付1901.1.1に修正いたしました。
19010101 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1029 11918 13005 +2町 -2町 -1村
43熊本 19010101 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 30 337 368 +1町 -1村

19010314 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1039 11907 13004 +1村 -2村
43熊本 19010314 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 30 336 367 +1村 -2村
 天草郡で栖本村の新設について、『郡市町村廃置分合一覧表』の許可日を採っておりましたが、『熊本県市町村合併史』などの日付4.1に修正いたしました。
19010401 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1042 11894 12994 +3町 -4町 +3村 -12村
43熊本 19010401 0 0 0 1 0 0 1 12 0 0 30 336 367 +1村 -2村

●大分県
18921028 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 794 12776 13611 +2村 -3村
44大分 18921028 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 16 264 280 +1村
 北海部郡四保戸村を分割して保戸島村を置き、残部を四浦村に改称したものと、佐加村を佐賀村に改称したものについては、『辞典』『総覧』双方の日付を採用していましたが、[71721] 88 さんご説明の明治25年10月6日 大分県告示第66号の日付に修正しました。
18921006 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 794 12772 13607 +1村
44大分 18921006 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 16 264 280 +1村

18931214 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 818 12773 13632 +1町 -1村
44大分 18931214 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 19 261 280 +1町 -1村
 玖珠郡森町への町制施行ですが、『辞典』『総覧』『幕末』は共通の日付12.1でしたが、当方は誤って官報に記載された日付を採っておりました。[95577] むっくん さんにある1893年12月13日 大分県告示第116号:より、12.13に修正しました。
18931213 0 1 3 43 0 0 41 716 0 21 818 12773 13632 +1町 -1村
44大分 18931213 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 19 261 280 +1町 -1村

18970309 0 1 3 43 0 0 42 621 2 21 922 12667 13633 +3町 -3村
44大分 18970309 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 23 258 281 +2町 -2村
 東国東郡で安岐町と富来町のそれぞれ町制施行について、『辞典』『総覧』『幕末』いずれも採用している日付にしておりましたが、明治30年3月16日 大分県告示第32号の日付3.16に修正しました。
18970316 0 1 3 43 0 0 42 621 2 21 922 12667 13633 +2町 -2村
44大分 18970316 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 23 258 281 +2町 -2村

19011101 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1060 11512 12630 +24町 -30町 +197村 -551村
44大分 19011101 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 26 253 279 +2町 -2町 -1村
 速見郡で御越町へ町制施行したものですが、『辞典』『幕末』の日付を採っておりました。これについては明治34年10月15日 大分県告示第197号の日付10.15に修正しました。
19011015 0 1 3 43 18 0 53 640 5 21 1067 11866 12991 +1町 +1村 -5村
44大分 19011015 0 0 0 1 0 0 0 12 0 0 27 253 280 +1町 -1村

●鹿児島県
19470905 1 1 2 43 14 0 217 624 23 57 1818 8566 10624 +1町 -1村
46鹿児島 19470905 0 0 0 1 0 0 4 12 0 0 52 83 139 +1町 -1村
 肝属郡で佐多町への町制施行したものですが、当方は『辞典』の日付を採っておりましたが、鹿児島県立図書館で昭和22年9月1日鹿児島県告示第287号を確認いたしました。
昭和二十二年九月一日鹿児島縣肝属郡「佐多村」を「佐多町」となすことを許可した
これにより、履歴情報同様の9.1に修正しました。
19470901 1 1 2 43 14 0 217 624 23 57 1817 8567 10624 +2町 +2村 -2村
46鹿児島 19470901 0 0 0 1 0 0 4 12 0 0 52 83 139 +1町 -1村

●沖縄県
19460516 1 1 2 43 14 0 207 624 35 56 1807 8608 10657 +1村
47沖縄 19460516 0 0 0 1 0 0 3 5 0 0 5 50 58 +1村
 国頭郡で羽地村から屋我地村を分村したものですが、当方では『辞典』や『総覧』に記された日付を採っておりました。しかし沖縄県公文書館で公開している1946年5月行政月報(83コマ)、および英文の111コマにより5.21正当であると判明しました。なおこの日付は『沖繩市町村三十年史』下巻p597にも記されております。
19460521 1 1 2 43 14 0 207 624 35 56 1807 8610 10659 +1村
47沖縄 19460521 0 0 0 1 0 0 3 5 0 0 5 52 60 +1村

19470201 1 1 2 43 14 0 210 624 35 57 1816 8597 10658 +1町 -1村
47沖縄 19470201 0 0 0 1 0 0 3 5 0 0 6 53 62 +1町 -1村
 宮古郡で城辺町への昇格については、『辞典』の日付を採っていましたが、『沖繩市町村三十年史』や『総覧』の記載によリ7.1に修正しました。
19470701 1 1 2 43 14 0 214 624 22 57 1816 8568 10620 +9町 -9村
47沖縄 19470701 0 0 0 1 0 0 4 5 0 0 5 53 62 +1町 -1村

19470901 1 1 2 43 14 0 217 624 23 57 1817 8567 10624 +2町 +2村 -2村
47沖縄 19470901 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 5 53 63 +1町 -1村
 八重山郡で大浜町への昇格日は『辞典』や『総覧』の日付を採っていましたが、八重山民政府指令第889号により、9.20(許可)と修正しました。
19470920 1 1 2 43 14 0 217 624 23 57 1818 8566 10624 +1町 -1村
47沖縄 19470920 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 5 53 63 +1町 -1村

19480701 1 1 2 43 14 0 233 622 23 58 1842 8503 10601 +1町 +2村 -3村
47沖縄 19480701 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 6 52 63 +1町 -1村
 八重山郡で竹富村から竹富町への変更は、辞典の日付を採っていましたが、1948年07月02日 八重山民政府指令地第175号により7.1に修正しました。
19480702 1 1 2 43 14 0 233 622 23 58 1843 8502 10601 +1町 -1村
47沖縄 19480702 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 7 51 63 +1町 -1村

19481201 1 1 2 43 14 0 234 622 23 58 1853 8485 10595 +3町 -1町 -4村
47沖縄 19481201 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 7 52 64 +1町 -1村
 八重山郡で与那国町への町制施行日は、辞典の日付を採っていましたが、1948年12月01日 八重山民政府指令第1024号により丸一年早い1947.12.1であることが分かりました。訂正します。
19471201 1 1 2 43 14 0 220 624 23 57 1835 8544 10622 +1町 -1村
47沖縄 19471201 0 0 0 1 0 0 5 5 0 0 6 52 63 +1町 -1村
[99258] 2020年 3月 15日(日)18:37:57MI さん
Re3: 郡区町村編制法による郡の制定
[99255] ekinenpyou さん、ご指摘有難うございます。早速修正しましたのでご確認いただけると幸いです。
郡の変遷(gun.xlsx)

既存47都道府県の誕生日も調べてみると結構面白いかも
 法令全書のデータも一部拾ってはあるのですが、これはこれで大変な手間がかかりそうで、現時点では深入りしないようにしております。
[99252] 2020年 3月 14日(土)18:16:02MI さん
Re: 郡区町村編制法による郡の制定
[99247] むっくん さん
[99248] hmt さん
 丹念にご確認を戴き、本当に有難うございました。当方の市町村データは市制町村制施行時から採っておりますが、それらが所属する郡については、自分でもはっきりとルールを定めていなかったことを改めて認識いたしました。
[76875] むっくん さん などに記されたリンクなどを確かめたり、国会図書館デジタルコレクションの図書館送信資料を調べたりして、少々時間がかかってしまいました。
 なお、上記リンクについては hmt さんが [99248] で書かれているとおり、そのままでは通らなくなっています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/」の部分を「http://dl.ndl.go.jp/」に置換していただけると助かります。(以前 [99173] でオーナー グリグリ さんに対応していただいたのと同様です。)
 また明治11年千葉県甲第65号布達は菜の花ライブラリー(pdf)の2~3コマに、埴生郡を上埴生郡と下埴生郡に区別した同年甲第81号布達の18コマにあります。
 さらに明治11年東京府甲49号布達のリンクが切れていますが、これは国立公文書館デジタルアーカイブの太政類典で見ることができます。

 基本的に、むっくん さんに挙げていただいたものを反映したのですが、補足がいくつかあります。
・北海道は修正せずに保留してあります。これは当方のデータが都道府県と郡をセットにして扱っている関係上、開拓使時代も含めることは現時点では見合わせたいと思っているからです。
・滋賀県の浅井郡分割について。明治12年5月16日滋賀県甲第31号布達には既に「東浅井郡」「西浅井郡」と別々に記載されており、不思議に思ったのですが、明治13年5月29日滋賀県令甲第61号布達には次のように記されています。
本縣下淺井郡ノ儀ハ郡役所ノ名稱ニ限リ東西ノ文字ヲ冠冑シ來候處今般第貳拾貳號公布ヲ以テ右分割相成候ニ付テハ自今右郡名モ東西ノ文字ヲ冠胄稱呼スヘキ儀ト可相心得此旨布達候事
ということから、明治12年の時点では浅井郡が2つあったが郡役所の名称だけは東西を付けて区別していた。13年に郡名も東西を付けて文字通り別の郡となった、と判断することにしました。
(上記引用文中「第貳拾貳號」とは明治13年5月5日太政官布告第22号のことで、各府県の郡分割などを示したもの。)
・鹿児島県は明治12年2月17日に郡区町村編制法施行としましたが、大島郡だけは同年4月8日太政官布告第15号
鹿兒島縣管轄大島喜界島徳ノ島沖永良部島與論島ヲ以テ大島郡ト爲シ大隅國ヘ被屬候條此旨布告候事
とありますので、これのみ4月8日としました。

 修正済みのファイル郡の変遷(gun.xlsx)はこちら。
[99246] 2020年 3月 7日(土)19:22:56MI さん
郡の変遷
[99241] MI でお知らせしている市区町村数推移一覧表ですが、その後も細かなミスが発見されております。整理でき次第ご連絡しますのでよろしくお願いします。

 当方のデータベースやそれを用いた集計などについては、これまでも触れてきました。そこでは
過去も含めた全市町村の成立日・消滅日データ
を用いて様々な作業を行っているという説明をしているのですが、実物をご覧いただかないと意味が通じにくいと思いました。そうはいってもデータそのものは膨大なものですからちょっと考えまして、郡に絞ってご紹介しようと思います。例によってエクセルファイルにまとめましたので、ぜひダウンロードしてみてください。マクロは使用しておりません。
郡の変遷(gun.xlsx)

 ファイルは計5枚のシートから構成されています。そのうちの「歴代郡成立消滅日」シートが、データベース本体から各郡の成立日・消滅日を拾い出したデータになります。なお郡の名称は当方の作業用にサフィックスが付いているものもあります。また現存している郡は「消滅日」欄を「★」にしてあります。
 「変更前」「変更後」欄は、単純な郡名変更や所属府県(支庁)の変更によるもののみ記載してあります。A列とH列、I列、それに「work」シートは作業用のものです。

 「郡数推移一覧表」シートは、上記データを分析して、変更にかかわる日付順に郡の増減をまとめたもので、推移一覧表に示してあるものの一部にあたります。

 「日付毎郡一覧表」シートは、そのA1セルに年月日(YYYYMMDD)を入力すると、その日に存在している郡のみをリストアップしてくれます。

 「日付毎郡数一覧表」シートは、上記年月日における各都道府県の郡数を表示します。

 このようにして、成立日・消滅日データから様々な集計やリストアップができることがお分かりいただけると思います。ご質問やお気づきの点をお待ちしています。
[99241] 2020年 3月 2日(月)06:58:08【1】MI さん
 Re3:全国および各都道府県の市区町村数推移一覧表(改訂版)
これまでにご指摘いただいた点を極力反映したものができました。

[99237] ekinenpyou さん
★天塩郡Cは(520)幌延町で良いですが、★網走郡Bは(564)大空町と思われますがいかがでしょうか?
 おっしゃるとおりで、自分でも混乱してしまったようです。引用された3行を含む段落を次のように訂正します。

★の2郡のうち網走郡Bは、平成17年8月19日 総務省告示961号で
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、網走郡女満別町及び同郡東藻琴村を廃し、その区域をもって同郡大空町を設置する旨、北海道知事から届出があったので、同条第七項の規定に基づき、告示する。
 右の処分は、平成十八年三月三十一日からその効力を生ずるものとする。
とされたものですが、上述の例と同様に従来の網走郡(01541~01544)ではなく網走支庁(当時)の末尾に大空町(01564)と付加されたことを踏まえて郡の区別をしました。

 また天塩郡Cは平成20年6月30日 条例78号によって留萌支庁から宗谷総合振興局に移管されたものです。宗谷支庁には従来から天塩郡Bがあるのですが、上述の■と同じ理由で郡を区別することにしました。

[99237] ekinenpyou さん
明治32年(1899年) 10月1日 北海道 北海道区制施行 3区設置以降とすべきではないでしょうか?
 ごもっともだとも思うのですが、
[99239] hmt さん
「区の数」だけの問題ならばともかく、「郡の数」にも影響するので
ということもあり、悩ましく迷っています。当方のデータはいじらずに保留しておきます。

[99236] MI
・神奈川県の区数(保土ヶ谷区の件)を修正しました。
・北海道で2級町村から1級に変更になったものや、同様の変更があったものを推移一覧表から外しました。
・府県をまたぐ郡や町村の移管に関して、全国の推移一覧表と同様に各都道府県の一覧表からも外してしまっており、不具合を生じていましたので、後者に関しては増減を反映させるようにしました。
・その他、気づいた点をいくつか修正しました。

全国の市町村数推移一覧表(ctv_total.xlsx)
各都道府県の市町村数推移一覧表(ctv_total_pref.xlsx)

お気づきの点やご指摘をお願いします。

#虻田郡Aの消し忘れを訂正しました。


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