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[71798] 2009年 8月 27日(木)14:14:31【1】hmt さん
支庁を考える (10)日本のスイス?-山国の支庁
支庁の中で 北海道はやはり「大物」。これに特化した話題を長く続けましたが、少し休んだ後で、このシリーズ の方向を変えます。

[71676]で “話題になることの少ない「支庁」という存在” と書きましたが、検索してみると、最初の 1000件の中に 31件もあり、この落書き帳では 最初から かなりメジャーな話題でした。
アーカイブズの原型と思われる構想のテーマ候補にもなっていました。[819] オーナー グリグリさん参照

支庁をその所管区域から見ると、都道府県の全域を区分する支庁と、一部の地域に設けられた支庁とがあります。
北海道の場合は、実質的には北海道全域を区分しながら[71705]、条例の上では、郡部だけに設けられたものでした。

気象予報区区分[36482] futsunoおじさんの発言
新潟県の正式(?)地方名称としては「上越」「中越」「下越」「佐渡」になります。
に見られる有名な地方区分。
これは 新潟県内を支庁に分けていた時代 の遺物ではないかと考えて、調べてみました。痕跡は残るものの詳細は不明。

新潟県HPを見ると、例えば 教育庁 の中には上越・中越・下越の3教育事務所がありますが、現在の大部分の組織は、県の全域を3~4区分しているようには見えません。

県の全域を区分する支庁。その確実な実例としては、2004年まで存在した千葉県の10支庁[71552]、2001年に設けられた山形県の4総合支庁[71553]があります。
しかし、全県域を区分する支庁は、少数派のようです。

歴史的に見ると、多くのケースでは、県内の僻地における行政を目的として、支庁を設けているようです。

私が子供の頃に愛用していた 帝国書院の 昭和13年文部省検定済・朝鮮総督府検定済 「改訂新選詳圖・帝国之部」[30154]
この地図帳には、北海道の14支庁、長崎県離島部の3支庁(南松浦・壱岐・対馬)、更には 樺太や南洋群島の支庁([35703]の48と53) だけでなく、本州の陸地にも、いくつかの支庁が記されていました。
#  [25914]で紹介されている復刻版(1934年版)と概ね同じです。

岩手県下閉伊支庁・福島県南会津支庁・岐阜県飛騨支庁・三重県南牟婁支庁・和歌山県東牟婁支庁。
府県名よりも小さな赤い文字の支庁名と、県境より少し細い境界線が描かれている府県のミニ版。
さすがに首都?(宮古、若松、高山、木本、新宮)が赤くは塗られていませんでしたが、世界地図で見る スイス・アンドラ・バストランド(現・レソト)[70231]・チベットなどの山国と同様に、子供心をかきたてる 不思議な存在でした。

[730] によると、1926年設定の 25支庁のうち、山間地域にあるのは 12支庁。うち4つは 1932年に消滅しているので、残るは8つのはず。地図帳では四国・九州の3支庁が見つからず、上記5支庁を確認。

地図帳では見ることができないものの、宮崎県西臼杵支庁 は、かつて存在した山間地域 12支庁のうち、唯一現存する支庁と思われます。
但し、1926年からの生き残りではなく、1947年の西臼杵地方事務所を経て、地方自治法体制になってからの宮崎県条例で、改めて設置されたものでした(1950年4月再発足)。

# hmt の記事数が ちょうど 1000に達しました。
明日からは落書き帳に参入して 7年目になります。
[71797] 2009年 8月 27日(木)14:14:20YearOfTheCat さん
8月1日現在の県人口で大きな異変が…
よくこのサイトを色々なデータの参考として拝見させてもらっているのですが
初めて書き込みさせていただきます。

ここに来るような方ならもちろんご存知かもしれませんが
8月の各県の推計人口で青森県と沖縄県(地元)の人口がとうとう逆転しそうです。
沖縄県の8月1日現在の人口はすでに発表されていて結果は先月比873人増の1,383,549人。
青森県の今月の推定人口の発表はまだなのですが7月1日現在では1,383,903人で
その差が354人しかないのでそれ以上減少してしまうと都道府県人口ランキング現在31位の沖縄県が
トップ30入りを果たし、残念ながら青森県がトップ30から転落してしてしまいそうです。

あと香川県の人口推移も気になります。
今月は人口減が緩やかになりましたが1,000,327人なので
100万人を割るのは時間の問題のようです。
こうなると四国4県のうち3県が100万人未満の県になってしまうのは
少し残念な気がします。母の実家の和歌山県もこの1,2年で100万人を切ってしまいそうな感じですし…

人口がすべてではありませんが増えるのに比べて減ってしまうのは
やはり淋しいですね。
[71796] 2009年 8月 26日(水)22:26:42【3】山野[山野] さん
西方町否決→再審議の可能性あり
でるでるさんへ
午前中に開かれた西方町臨時議会で栃木地区との合併か、鹿沼かの双方の賛否を問う住民投票条例案が否決されました。
(上記のが[71792]に書いてあった内容。(冒頭修正)記事統合に伴い、削除済み。)

(ここからが再掲載の記事。)
…えっと、しつこいようですが西方町で否決された同議案が28日に再度、提案される可能性があります。
理由は、議長が辞職してしまい跡継ぎが決まらず会期延長したのと同案に賛成を示す議員さんが1人居るらしいので
再採決となるようです。←(ここの部分は、このブログの内容から。)

内容が被るので、[71792]の記事を統合(削除)した上で再度、掲載します。
それにしても、ゴタゴタな町だな西方って。
[71795] 2009年 8月 26日(水)21:49:23笠津前浜 さん
ジオパーク
[71780] MasAka さん

そもそも現世の露頭に現れている地質構造(堆積構造や断層・褶曲など)は過去の地球が当時の活動の「遺産」として残していったものですから、私はこの表現に特に違和感は覚えませんでした。

その考え方もわかります。私は、遺産という言葉には人類が為した上で残ってきたものというイメージを強く持っているため、違和感を感じたのでしょう。

昔NHKで出版された本「未来への遺産」の表紙にあったツタンカーメン王の黄金マスクに対する強烈な印象が今も残っているせいかもしれません。

(記事を見て単純に、世界遺産はWorld Heritageなのに地質遺産がGeo Park?と思ったということもあります)
[71794] 2009年 8月 26日(水)19:33:59山野[山野] さん
解散予定日(新宮)
でるでるさんへ
新宮地区の合併協解散予定日は9月18日のようです。参照記事
[71793] 2009年 8月 26日(水)12:48:56第2町人 さん
[71788] Issie 様

インターネットでご覧になれるところでは、朝日新聞のマイタウン京都に「こころ 京に訪ねて」「京の人」という企画ものがあります。

気になるのが「京の人」に登場する中に、舞鶴や美山や比叡山(!)の方がいらっしゃること。
京都市内にゆかりがないわけでもなさそうですが…選定基準が気になるところですね。
[71791] 2009年 8月 26日(水)07:07:15おがちゃん[日本人] さん
富岡市→下仁田町→富岡市→安中市→下仁田町→佐久市
おはようございます。日本人です。

どうしてもこの手の話題になってしまうと参加したくなってしまう・・・。

[71790] 2009 年 8 月 25 日 (火) 22:56:25 伊豆之国 さん
「上信越自動車道は軽井沢町を通らない」(碓氷軽井沢ICは安中市)
その通りです。
実際、上信越自動車道の安中市周辺は市域がいり組んでいます。
そのため、富岡市&下仁田町に2回ずつ入ったり佐久市の前に下仁田町が入ってきたり軽井沢町を通らなくなるわけです。
さて、軽井沢町を通らず、碓氷軽井沢ICが安中市を通過していたことは、今の安中市にとっても2つの1Cがある市となったのですが、合併前には松井田妙義ICと碓氷軽井沢ICは両方とも松井田町にあったICでした(つまり合併前には安中市にはICが1つも無く、高速道路も通らなかった)。
因みに、この2つのICを持っている町と言うのは大合併前でも日本にはあまり多くなく、[15250]ペーロケさんが書き込まれてますように、普通のものが8町、反則パターンが5町あったのですが、大合併後にはこの13町から7町まで減ってしまったわけなのですが、増えた分を合わせると正確には何町あるのかわかりません(どなたか調べてください)

中央本線は中央市を通らないが、中央自動車道は中央市を通る
そういえばこの中央市は第二十三回十番勝負に使われましたね。しかし、中央本線は中央市を通っていないのですよね。おかげでほんのわずかではありましたが調べる羽目になりました。
「中央自動車道は中央市を通る」というのは初めて知りました。(中央自動車道は毎年1回走るかどうかですから)とは言ってもわずかにかすっている程度ですね。
[71790] 2009年 8月 25日(火)22:56:25伊豆之国 さん
「ご当地」の話題なのに、乗り遅れてしまいました‥
[71775]オーナー グリグリさん
「豆相」という地域名
ですが、
[71778][71783]hmtさん
相模を走っていないのに、豆相鉄道とは?
[71779]Issieさん
(御殿場線上の)三島駅の開業は1898(明治31)年で意外に遅い。国府津から御殿場・沼津を経て静岡まではすでに1889(明治22)年に開通しています。つまり,鉄道は9年間も三島を素通りしていたわけ。…これには宿場と何かあったのかもしれない,と憶測したくもなりますが,どうなんでしょう
お二方が詳細に書き込んでくれたお蔭で、「ご当地」の話なのに出番がほとんどなくなってしまいました‥。ということで、今回の書き込みはほんの補足程度に。
さて、現在の伊豆箱根鉄道駿豆線の前身・豆相鉄道。相模を全くかすっていないのに「豆相」を名乗ったのも不思議ですが、あるいは箱根の山を越えて行く壮大な「夢の路線」の構想を抱いていたのでしょうか‥。この「豆相鉄道」は、当初の計画では沼津を起点としていたそうですが、鉄道誘致に乗り遅れて衰退が進んでいた当時の三島の町民が、積極的に用地を提供するなど活発に動き、当時の長泉村に三島駅(現在の下土狩駅)を設置すると共に、起点もこの新駅に変更することに成功、こうして「豆相鉄道」は明治31年6月15日に(旧)三島-南條(現・伊豆長岡)間で営業を開始することになったのです。三島駅の開業が遅れたことについては、三島市史によると
当時の三島宿民には未だに幕末徒歩時代の夢が忘れられなかったものか、新しい交通機関によって町の発展を願う者は数少なかった。現実にこの頃の旅行者の総ては依然として昔ながらの駕籠、或いは馬の背を借りるという状態であったので、旅籠は栄え宿場は殷賑を極めるとあってみれば岡蒸気(ママ)と称される欧米風の乗物の出現には無関心であることが寧ろ当然であった
(原口隆行氏著「鉄道唱歌の旅・東海道線今昔」→[68592])とあり、当時の三島町を挙げて猛反対したように書かれていますが、真相はというと、[71779]でIssieさんがおっしゃるような線形・地形の関係のほかに、かといって全く反対がなかったというわけでもなく、町民の一部に反対が出たりして前述のように駅の誘致に出遅れ、線路が町から遠いところを通り駅もできなかった、というところではないかと思うのですが‥。
東海道線が御殿場廻りだった頃の三島駅は,伊豆の中心都市である“行政上の三島町”ではなくて,「隣国」の駿河にあった
[70888]ぺとぺとさん
三島高等学校(中略)のように別自治体にあるもの
私立三島高校は三島市にはなくて「駿河」の長泉町にあります(昭和34年までは三島市にありました‥学校HPより)。

ところで、先日の大地震ですが、父の実家に電話したところ、「ほとんど被害もなく、無事」ということで、まずは一安心‥。

話は変わりますが、前回の書き込み[71758]関連で。
「上信越自動車道は軽井沢町を通らない」(碓氷軽井沢ICは安中市)
「中央本線は中央市を通らないが、中央自動車道は中央市を通る
この二つ、実際に通って初めて知りました‥。
[71789] 2009年 8月 25日(火)21:49:12hmt さん
「にもかかわらず」
[71787] inakanomozart さん
「にもかかわらず」という言い方は地元民としてはいささかおもしろくありません。(笑)

駿河区という名を使った地元に対する批判の意図など全くないのですよ。
実は、「駿河」という地名から真っ先に思い浮かべる地域は、私にとっても 沼津よりも静岡 なのです。(笑)

[71783]において、“Issie さんの発言(中略)にもかかわらず”と書いたのは、
“こちら(外野席)では、こんな議論もあったが”
というくらいの、軽い意味です。
[71788] 2009年 8月 25日(火)21:05:46【1】Issie さん
東路(あづまぢ)の果てから
[71786] なると金時 さん
とりあえず、京都新聞のHPから見出しを拾ってみました。

京都からの応答を期待していました。ありがとうございます。
で,

京、じゃなくて今日だけでこれだけあります。

文化果つる地にある東夷(あづまえびす)にとって,これは衝撃的な事実でした。

[71785] 油天神山 さん
「京の伝統」「京のおばんざい」「京の茶漬」

のように,古くからの伝統を背景としたものを語る時の「京」については違和感がありません。ところが,“ホテルの宿泊プラン”などという“同時代的な事柄”を語るのに「京」という呼称が使われているのに真面目な話,大変ビックリしました。
京都ではこれが“当たり前”の表現なんですねぇ…。[71782] の繰り返しですが,東京では絶対にしない表現です,たぶん。
これは京都独特の表現なのか。それとも天王山の向こうの大阪でも普通なのか。いま少し,興味のあるところです。
[71787] 2009年 8月 25日(火)20:37:39inakanomozart さん
駿河と駿府
[71783] 2009 年 8 月 25 日 (火) 14:18:00 hmtさん
にもかかわらず、その1年半後の 2005年4月に 静岡市駿河区が誕生。
今度は、駿河という地名が、かつての駿河府中付近の狭い地域に限定された地名になってゆくのでしょうか?

駿河という地名の発祥がいくら沼津近辺であろうとも、駿府は長く駿河の府中(言わば駿河の中心)であったのですから「にもかかわらず」という言い方は地元民としてはいささかおもしろくありません。(笑)
それと、駿河区は全域「駿府96か町外」で、ほとんどが戦後に住宅地化した地域なので、駿河府中附近という言い方もちょいと違和感があります。(近くだと言われればそのとおりですが)
[71786] 2009年 8月 25日(火)20:24:46なると金時 さん
京に田舎あり
とりあえず、京都新聞のHPから見出しを拾ってみました。
二十世紀ナシ つややか 京で初競り
銅製の照明 暖か 東近江の作家、京で個展
投票したら お安く宿泊 京の3ホテルが選挙プラン

京、じゃなくて今日だけでこれだけあります。
てことで全然珍しくありません。正直、私も「Issieさんは何を言ってるんだろう」と思ったくらい。(まあ京都市民になって10年しかたってませんが)
見出しなので、京都より一文字少ない京を用いた、というのも有力かとは思いますが、私の推測では、これらの京は「京都市」を指しているということだと思います。
ちなみに上記の記事も、上から下京区、右京区、下京及び中京区の出来事です。
「京都」だとそれが京都府を指すのか京都市を指すのかわかりにくいため、このような表記を用いているんじゃないでしょうか。
HP内の地域ニュースの区切りも「京都 市内版」となっており、同様の配慮をしているようです。

おまけですが、最近CMでお馴染みの「京都銀行」、名前といい、本社の場所(烏丸五条)といい、いかにも市内の老舗銀行てな感じですが、ここ、もともとは福知山市が発祥の地だったりします。つまり京都市民にとっては完全によそもん。よって、京都市の指定金融機関になっておりません。(京都府の指定金融機関にはなっています)
[71785] 2009年 8月 25日(火)19:59:57油天神山 さん
ゑひもせす京
このタイトル、前にも使ったことがあったなぁ・・・。[58646]

[71782]Issieさん
この新聞記事のタイトルのように「京都」そのものを単独で指し示す際に「京」と略してしまう用法は“今でも”よくあることなのか。

確かに京都を「京」と略してしまう用法、時々見られるものには違いありません。しかし用例をいろいろ思い浮かべてみると、「京の○○」という形が大部分のような気がします。「京の伝統」「京のおばんざい」「京の茶漬」など。概して『京都そのものを「京」と呼んでいた』時代からの古い伝統を強調したいときに用いられることの多い、今となってはいささか商業色を帯びた表現と言えるかも知れません。

そうそう、「京田辺市」や「京丹後市」といった用例もありますね。似たような命名として「大阪狭山市」がありますが、この名称を決めるときに「大狭山市」とか「阪狭山市」といった形は考慮される余地がなかった筈で、やはり「京」一字で「京都」を表す、ということの独特さが現れているようです。

その一方で「京は」「京が」「京を」といった用例はちょっと記憶にありません。ご紹介の新聞記事の「京などに」という使用法には、私も軽く違和感を覚えましたね。

余談ですが、「京の茶漬」という言葉、元はと言えば主に大阪人が京都人の吝嗇精神や婉曲な言葉遣いを揶揄した悪口なのですが、面白いことに今は京都にも「京の茶漬」を出すお店があるのですね。例えばこちら
以前この店の前を通ったときに「どんなお茶漬かな。注文してからいくら待っても出て来なくて、諦めて帰ろうとしたら出てくるのかな?」などと冗談を言い合ったものですが、この写真を見るとお茶もお漬物もおいしそう。何だか「大阪の人間がなんぼ悪口を言うたかて堪えまへん」という大人(ここはタイジンと読んで下さいませ)の風格すら感じるのでした。
でもお茶漬一杯1050円は高いなあ・・・そんなことを思う私は京都の人間より余程しぶちんかも知れません。
[71784] 2009年 8月 25日(火)16:10:58【1】山野[山野] さん
合併協定調印式(富士宮)
でるでるさんへ
本日(午前中)予定通り、富士宮市と芝川町にて合併協定調印式が行われました。

所変わって、群馬の中之条地区は、明後日27に日に第一回目の協議会を開催する予定。
参照記事

*1,誤字修正。
[71783] 2009年 8月 25日(火)14:18:00hmt さん
「駿豆」と「駿河」
[71779] Issie さん
元々「駿豆線」とは三島町内と沼津駅を結んでいた軌道線の名前(駿豆電気鉄道)だったようです。

なるほど、言われてみれば駿豆電気鉄道は、沼津(駿河)と三島(伊豆)を結ぶ電車の会社名としては当然でした。

鉄道線(豆相鉄道>伊豆鉄道)の方が距離も長いし、こちらが本線と思ってしまうのですが、支線のように見える軌道会社(駿豆2国に供給エリアを持つ電力会社?)が鉄道を買収したのならば、買収された鉄道の起点(当時の三島駅)が駿河国内にあったことを持ち出すまでもなく、当時は「駿豆」でよかったわけですね。

起点が駿河でなくなった今も「駿豆線」を名乗っていますが、遂に上州に到達できなかった「東上線」[39241] に比べればましか。

鉄道以外において「駿豆」が使われた事例として、静岡県の 駿豆水道事業
♪富士の白雪ゃノ~エ が 融けて流れて 湧き出した三島の柿田川から、水源に恵まれない熱海市などへの給水。

スルガ銀行も沼津だし、駿河国そのものは広い地域です。

[21201] Issie さんによると、「駿河」というのは,本来は富士山麓あたりの地名で、現在の「駿東郡」の古称が「駿河郡」だったとか。
そして、1912年 駿東郡小山町 が誕生する直前に、東海道本線「小山駅」が「駿河駅」に改称されているのですね。

東北本線と重複していた「小山駅」の同名回避という理由はわかりますが、わざわざ小山町誕生の時期に合せたのは?
本来は広域地名である「駿河」をピンポイントな駅名に使ったのも不思議。
東海道本線が駿河国に入って最初の駅だから?

しかし、1934年の丹那トンネル開通で本線の座を失い、御殿場線に。戦時中には単線化。それでも相変わらず駿河駅を名乗り続け、1952年に至り駿河小山駅に改称。

[21201] Issie さんの発言
【駿河が】静岡県東部の地名であるとすると,静岡で「駿河」を名乗るのには少なからず違和感を感じます。
にもかかわらず、その1年半後の 2005年4月に 静岡市駿河区が誕生。
今度は、駿河という地名が、かつての駿河府中付近の狭い地域に限定された地名になってゆくのでしょうか?

駿河から、ふと思い出した言葉が “奈良の神主 駿河の神主”

(伊豆箱根鉄道が)まさに「豆相地域」を舞台に(中略)箱根登山鉄道 と激しい競争を繰り広げることになるのは,有名なお話。

映画化もされた獅子文六の小説「箱根山」の題材。半世紀前、1956年から1961年にかけての事件。
[71782] 2009年 8月 25日(火)13:21:28【1】Issie さん
いろはの最後
いろはの最後は,どういうわけか伝統的に漢字1文字の「京」ということになっていますが,“今となっては”ちょっと珍しい用法に遭遇。

何気なく Yahoo のニュースを見ていたら,次のようなタイトルのニュースがありました。

「女子プロ野球、来春に発足へ 京などに2球団」

元の記事 は京都新聞のものらしい(←一応記事にリンクを張ったけど,すぐ流れてしまうかもしれませんね)。

タイトルを見てとっさに「あれっ」と思ったのは,「京などに」という部分。最初,「東京」の脱字かと思いましたが,「京都」を表しているのですね。で,ふと疑問に思ったのが,この「京=京都」という用法。
確かに昔は京都そのものを「京」と呼んでいたし,「京・阪」「京・津」,最近では「京・田辺」「京・丹後」などのように地名やそれに類する呼称を合成する際のパーツとして,「京」を京都の意味で使うことは全く珍しくないけれど,この新聞記事のタイトルのように「京都」そのものを単独で指し示す際に「京」と略してしまう用法は“今でも”よくあることなのか。この記事のタイトルも,「京都などに」と書いても全然不都合はないと思うのですが。これが大阪や神戸だったら,たぶん「阪などに」「神などに」とは書かないでしょう。東京でも「東京などに」としか書かないな。

京都新聞ですから,地元のメディアですよね。大阪のメディアだったら,どうでしょう。たぶん,東京のメディアは絶対に「京などに」とは書かないと思います。
京都では,こういう「京」の使い方が今でも行われているのかな,と思ったのでした。
[71781] 2009年 8月 25日(火)09:59:53Issie さん
ジオパーク糸魚川
[71770] hmt さん
地質の世界遺産・ジオパークに有珠山・糸魚川・島原半島を認定

[71780] MasAka さん
この3ヶ所は、昨年日本ジオパーク委員会が設立され、世界ジオパークネットワークに加盟できる体制がようやく整ったことからその日本第1号として申請されており、このたび晴れて認定されたというわけですね。

[71531] で触れた「戸土(とど)」に上がる前に,ちょうど 糸魚川市博物館(フォッサマグナミュージアム) に行って来たところでした。博物館では「ジオパーク」認定へ向けての取り組みを盛んにアピールしていましたが,こんなに早く認定されるとは,ね。
実際,糸魚川市は「糸魚川静岡構造線」という“地質遺産”を“観光資源”として活かそうと,ずいぶん努力をしているようです。フォッサマグナミュージアムの展示も工夫されていておもしろかったし,根知谷の入り口にある糸静線の露頭周辺も,その場で学習ができるように案内板などがよく整備されています。ちょうど断層帯と「塩の道」のルートとがほぼ重なる(断層活動との関連で形成された細長い谷や尾根の鞍部などは古来,道として利用されてきましたから,得てして断層と街道は一致するのですね)ので,博物館でも両者を絡めたエクスカージョン(←地理では「巡検」と言うのだが)ができるようないくつものコースを設けて,ルートマップを配布したりしています。恒常的な学習と研究の拠点として利用していこうという姿勢が見えて感心しました。

けれども,観光資源として“地域経済の起爆剤”となるかというと,ちょっと考えてしまいます。
中国の桂林,あるいは国内の有珠山や島原と比べて,そもそも「断層」というものは極めて地味なものです。何かの理由で地表に現れた“露頭”以外は地面の下にあるもので目には見えない。断層関連(と思われる)地形にしても,「それなりの目」で見ないと判別できません。それこそ,「予習→その場での学習→復習」というプロセスが必要です。
根知谷の露頭では崩壊を防ぐために崖の上半分を黒っぽい石垣で固めているのですが,“ちょっとした演出”か,断層線の上と思しき所にある石の境目を漆喰のようなもので白く目立たせてあります。本物の断層は石垣の下に露出していて,もちろんここにもきちんとした案内があるのですが,地味。本物ではない石垣の境目の方がずっと目立つのですね。テレビのニュースでもこの露頭が映されましたが,やっぱり焦点は石垣の方に行っていた気がします。これがある意味,象徴的。
何かの拍子で立ち寄った観光客にとって,初めて見る分にはそれなりに面白いけれども,それだけでリピーターになるかというと,それはたぶん無理。そこにある“地質遺産”が何を物語っていて,どのように私たちの生活にかかわっているのか,もっとアピールすること。一言でいえば,普通の人が「糸静線見に行こうよ」とわざわざ言えるような場所にすることが必要なのでしょうね。

少なくとも,これだけ力の入った取り組み,「財政難」を理由に縮小・廃止されることのないように願っています。
どんなに長生きしてもせいぜい120年,「歴史」として記録してあってもせいぜい4千年,という私たちの「時間感覚」とは全く桁の違う時間の中で形成された地質遺産。たいていは極めて短期的な時間でしかものを見ない経済の尺度ではなく,じっくりと時間をかけた取り組みが進められることを期待しています。
[71780] 2009年 8月 25日(火)02:32:00MasAka さん
ジオパーク~地質遺産
この辺は一応私の専門分野(?)なので……。

[71770]hmtさん
その中に、洞爺湖有珠山(北海道)、糸魚川(新潟県)、島原半島(長崎県)が日本国内で初めて入っています。

この3ヶ所は、昨年日本ジオパーク委員会が設立され、世界ジオパークネットワークに加盟できる体制がようやく整ったことからその日本第1号として申請されており、このたび晴れて認定されたというわけですね。日本は全地球的に見てきわめて特徴的な地質構造を持った地域で、地質学的に重要なフィールドが多数あるため、今後その数は増えていくものと思われます。

しかし、ジオパークの定義として、単に学術的に貴重かどうかだけではなく、組織立てて運営や保護管理を徹底したり、教育・普及活動を行う場所ともするなどの社会的条件も課されており、日本においてはこれまで地質学が社会的に大きく認められるような地位を占めていたとは言えず、そのためには今後一般市民に対して地質学をより身近なものとしてとらえてもらう取り組みも必要と考えられます。

近年ではそのような取り組みの1つとして日本の地質百選の選定が挙げられます(百選と言いつつ120箇所もありますが……)。この地質百選には地震や火山活動に起因するものも多く含まれ、日本は地震・火山大国であることを改めて認識させられます。

[71774]笠津前浜さん
地質は遺産ではなかろうに、と思うのです。

日本地質学会webサイトのジオパークについての解説文そのものに「地質遺産」という用語が堂々と使われています。おそらく「世界自然遺産」のようなイメージで使っているんでしょうね。そもそも現世の露頭に現れている地質構造(堆積構造や断層・褶曲など)は過去の地球が当時の活動の「遺産」として残していったものですから、私はこの表現に特に違和感は覚えませんでした。
[71779] 2009年 8月 24日(月)16:09:14【4】Issie さん
づのくに
[71778] hmt さん
1912年に駿豆電気鉄道。これも駿河の路線なし。

1934年に丹那トンネルが開通して熱海廻りルート上の現在位置に移転するまで 三島駅 は現在の御殿場線上にありました。現・下土狩駅。所在地は「駿東郡」ですから,駿河。というわけで,一応「駿豆線」ではあったのですね。

※つまり,東海道線が御殿場廻りだった頃の三島駅は,伊豆の中心都市である“行政上の三島町”ではなくて,「隣国」の駿河にあったのでした。“川向う”でも同じ国内の 厚木駅(厚木ではなく海老名に所在) や 新潟駅(新潟ではなく沼垂(ぬったり)に所在) と,どちらがビックリ度が高いでしょうかね。三島の宿場が鉄道を嫌ってああいうルートになった(いわゆる「鉄道忌避」),…わけではありませんね,たぶん。御殿場から山を下ってくるには,いや,それ以上に沼津から当時の非力な蒸気機関車で御殿場まで山を登っていくには,あのルートが合理的だったのでしょう。
ただし,(御殿場線上の)三島駅の開業は1898(明治31)年で意外に遅い。国府津から御殿場・沼津を経て静岡まではすでに1889(明治22)年に開通しています。つまり,鉄道は9年間も三島を素通りしていたわけ。…これには宿場と何かあったのかもしれない,と憶測したくもなりますが,どうなんでしょう。官設鉄道(東海道線)の三島駅開業と同時に,豆相鉄道も1ヵ月前の開業時に暫定ターミナルとしていた三島町内(三島町駅)から三島駅に乗り入れて,両線の乗換駅となりました。
ちなみに,東海道新幹線の開業は言うまでもなく1964年のことですが,(現在の)三島駅に新幹線が停車するようになったのは1969年。こちらも5年間,三島を素通りしていたのでした(ただし,車両基地が三島にあるので運転上の停車はあったのですが)。歴史は繰り返す…。
私が初めて新幹線に乗った時,ちょうど三島の駅が工事中でした。

話を戻して…,
そんなわけで,豆相鉄道は「駿河国内の伊豆三島駅」をターミナルとしていたので,辛うじて「駿豆線」の面目を保っていたわけですが,元々「駿豆線」とは三島町内と沼津駅を結んでいた軌道線の名前(駿豆電気鉄道)だったようです。さらにさかのぼれば,函南に水力発電所を設けて,静岡・神奈川両県の境界エリアに電力を供給していた「駿豆電気」がルーツだとか。戦時中の電力国家管理以前は電力会社が副業で電気鉄道を経営するのはよくあったことで(だから,田舎にも電車が走っていた),「駿豆」もその例の1つ,というわけですね。
豆相鉄道は1898年の開業後,1907年に「伊豆鉄道」に譲渡され,さらに1912年に「駿豆電気鉄道」に買収されたのでした。その後,若干の曲折を経て1923年に“堤資本”傘下(後の西武系列)に入り,1941年に同じく堤資本傘下の 大雄山鉄道 を合併して,1957年に「伊豆箱根鉄道」と改称します。そして,まさに「豆相地域」を舞台に“五島慶太資本”傘下(東急系列。戦後の“大東急”解体後は小田急系列)の 箱根登山鉄道 と激しい競争を繰り広げることになるのは,有名なお話。
その間に,1934年の東海道線のルート変更および三島駅移転の結果,駿豆線は駿河から撤退し,「駿豆」の名前の元となった軌道線は1963年に廃止されたのでした。

総称というよりも境界領域という気もします。

「武相」も同じような意味で使われている気がします。
ところで,字を逆にした「相武」を「さがむ」と読むと,「相模国」成立前に配置された国造(相武国造)にあてられた表記と読み。後の相模国の東半分=相模川以東もしくは西岸の秦野盆地等も含めた地域(逆に言えば,足柄地域と三浦半島を除いた地域)の旧名,と推定されているようです。
市ヶ谷から移転してきた陸軍士官学校の別称を発祥とする「相武台」は,移転当時の陸軍大臣・杉山元の揮毫による“公式解釈”(旧士官学校=現米軍キャンプ座間内の「相武臺の碑」碑文)によれば,武官養成学校にふさわしく「武ヲ相(み)ル台」という意味で,相模・武蔵とは関係ない(だから“合成地名”ではなく,偶然の一致),ということになっています。
もちろん,両国にまたがるという意味で「相武」が使われる例も多いようです。
[71778] 2009年 8月 24日(月)14:09:48hmt さん
♪三島は近年ひらけたる 豆相線路のわかれみち
[71775] オーナー グリグリさん 豆相(ずそう)
伊豆と相模の両国を表すのではなく、伊豆と相模の境界エリアである湯河原や熱海のあたりをさす地域名のようです。

後北條氏から韮山代官所・足柄県[24127]に至る密接な関係を背景に、なんとなく 伊豆と相模の総称 として「豆相」という地名を理解していましたが、御説のように、総称というよりも境界領域という気もします。

江ノ島方面から伊豆の山々を望む表現として「豆相越しの夕陽」という使い方

これで思い出したのが、徳富健次郎「自然と人生」に収録されている「相模灘の落日」というエッセイの冒頭です。

秋冬風全く凪ぎ,天に一片の雲なき夕,立つて伊豆の山に落つる日を望むに,世に斯る平和のまた多かる可しとも思はれず。
初め日の西に傾くや,富士を初め相豆の連山,煙の如く薄し。

「芦花公園」というと、蘆花が晩年に永住した東京府北多摩郡千歳村粕谷(現・世田谷区)と思いますが、浪子と武男の純愛物語「不如帰」(ほととぎす)を 旅館に滞在 して執筆した 逗子にも、蘆花記念公園があります。

“富士を初め相豆の連山”には、一瞬「エ?!」となりましたが、別格の富士を筆頭に記し、その前景をなす伊豆の山々を続けた表現なのでしょう。
「豆相」でなく「相豆」でしたが、これも せいぜい箱根まで で、丹沢・大山には及ばない用法と思います。

タイトルは、もちろん1900年に発表された大和田建樹作詞 地理教育 鐵道唱歌第壹集 の16番。
相模を走っていないのに、豆相鉄道とは?
1912年に駿豆電気鉄道。これも駿河の路線なし。大雄山鉄道を合併した1941年に伊豆と相模の路線が揃ったのに、駿豆鉄道。伊豆箱根鉄道という実態に合った名になったのは、1957年でした。

なつかしのメロディーの定番「湯の町エレジー」(1948)では、豆相の山々とは呼ばずに、♪伊豆の山々月淡く…
[71777] 2009年 8月 24日(月)01:43:31oki さん
富来の明治合併村と祭り
富来の明治合併村と祭り

また書き込みの間が開いてしまい、はるか昔(8/11)のことになりますが、まず御礼を。

[71594] [71596] なると金時 さん
新幹線が今止まってますよ。
運転再開したそうです。
情報提供有り難うございました。
現在、我が家ではテレビが映らない状態のため、この情報がなければ、東京駅へ行ってから右往左往するところでした。前日の地震に比べて揺れが小さかったため、新幹線が止まるなど想定外だったもので。
結局のところは、新幹線が2時間半遅れたため、予約していた高速バスには乗れなかったのですが、何とかその日のうちに帰郷することができました。感謝いたします。

さて、富来についてですが、[71678] でEMM さん から教えていただいた周辺の祭り情報と、近世村、近世郷庄、明治合併村の関係を以下のようにまとめてみました。

明治村近世村郷庄役場
富来村地頭町富木院八朔祭り
富来村領家町富木院八朔祭り
富来村高田富木院八朔祭り
富来村七海富木院八朔祭り
富来村生神熊野方郷八朔祭り
富来村牛下熊野方郷八朔祭り
東増穂村相神富木院八朔祭り
東増穂村八幡富木院八朔祭り
東増穂村里本江富木院八朔祭り
東増穂村給分富木院八朔祭り
東増穂村八幡座主富木院
東増穂村中泉富木院
東増穂村相坂富木院
東増穂村草江富木院
東増穂村大鳥居富木院
東増穂村中浜富木院中浜祭り
西増穂村酒見富木院酒見大祭
西増穂村稲敷富木院稲敷祭り
西増穂村栢木富木院栢木祭り
西増穂村大福寺富木院大福寺祭り
西海村風無藤掛郷西海祭り
西海村風戸藤掛郷西海祭り
西海村千浦藤掛郷西海祭り
西浦村鹿頭藤掛郷鹿頭祭り
西浦村赤崎藤掛郷赤崎祭り
西浦村前浜藤掛郷前浜神社
西浦村小窪藤掛郷
西浦村篠波藤掛郷
西浦村深谷藤掛郷
(※「-」は不明、「○」は明治合併村の町役場所在地です)

これから見ると、明治の富来村に合流した6村は、すべて八朔祭りに参加しています。東増穂村の村々も、多くが八朔祭りにキリコを出しているようです(祭りの状況が不明な村のうち八幡座主村はもともと八幡神社の神田で、中泉村、相坂村は神戸だったそうです)。
逆に西増穂村は、すべて八朔祭りとは別に個々の近世村単位で祭りを行なっていると考えられます。
一方、西海村に合流した3村(久喜は千浦の枝村だったと考えられます)は西海祭りをともに開催しているようですが、西浦村は西増穂村と同様、各村が個別に祭りを行なっていると見られます。

このような近世村(現在の大字)と祭りとの関係が、明治合併期以降に生じたか、それ以前からの慣行だったかは即断できません(富来地区とそれ以外で八朔祭りの開催日時が違っていた時期もあるようですし)。しかし、祭りの主体となる各神社は明治以前の創建でしょうから、江戸時代には神社(=祭り)と近世村(大字)との基本的な関係ができていた、と考えてもいいのではないかと思います。
同じ神社の祭りを共催する近世村は、日常生活の面でも密接な関係を持っていたと考えられます。その意味からすれば、この地域の明治合併村は、祭りの共催関係に象徴される相互間の関係の深さをもとに、合併の単位を決めていったと見ることができます。
ここで、富来院のうち八朔祭りに参加する村々が富来村と東増穂村に分かれたのは、前者が地頭町村などの町場、後者が農漁村だったからでしょう。熊野方郷に属していた生神、牛下両村が(明治)富来村に属したのは、外浦街道や渡海船などを通じて「富木宿」と密接な関係を持っていたためだと考えるのですが、両村が八朔祭りに参加していることからして、江戸時代にはすでに富来八幡の氏子であったのだと思います。
西増穂村になった4村は、ひょっとすると中世の酒見村の系譜を伝えるものかもしれません。
西海村と西浦村に関しては、歴史地名体系の千浦村の項に「風戸村から前浜村にいたる村々では刺網鯖漁が行われ、西海刺鯖として金沢表へ運ばれた(能登志徴)」とあるので、江戸時代にはかつての藤掛村全域が「西海」と呼ばれていたようです。位置関係から見て、西浦というのは西海のうちの西浦を意味するのではないかと思われます。また、西海村になった3村は現在西海祭りを共催していますが、風戸の松ヶ下神社、風無の西海神社、千浦の渡会社は、江戸時代にはすべて神明宮で、明治以降に改称しています。もともとは一つの神社で、集落の拡大分化とともに分祀されたのかもしれません(神明社は伊勢内宮の末社ですから、前に触れた富来御厨との関係も考えられますが、これだけでは何とも言えません)。

かなり時間がかかりましたが、私が分かる範囲での、「富来」の歴史を、古代~明治合併期にわたってまとめてみました。次回は、以上を踏まえた上で、[70743] でEMMさんが、[70753] で千本桜 さんが提起された、「富来」、「西海」の冠称に対する私の解釈を書き込みたいと思います。
また、お二人の間の行き違いについて、その背景として近世村の在り方に関する東国と西国の相違があるのではないか、との仮説を立てているので、引き続きその点についても投稿したいと考えています。

現在青森市におり、初めて自宅以外から書き込みしています。1週間ほど滞在する予定ですので、時間が取れれば三内丸山遺跡を見ておきたいと思っているところです。
[71776] 2009年 8月 24日(月)00:34:48山野[山野] さん
住民アンケート(西尾、他)
でるでるさんへ(追加情報)
[71702]の補足。
幡豆郡4市町は今秋頃にも住民アンケートを実施する方針のようです。中日新聞
[71775] 2009年 8月 24日(月)00:14:54オーナー グリグリ
豆相(ずそう)
最近、ちょっと古い小説(大正時代)を読んでいたのですが、「豆相」という地域名が出てきたのが新鮮でした。使い方としては、「箱根から豆相へ....」「三保から豆相の間を....」の2例です。伊豆と相模の両国を表すのではなく、伊豆と相模の境界エリアである湯河原や熱海のあたりをさす地域名のようです。

落書き帳でも過去に話題になっているだろうと検索してみました。→ 「豆相」を含む記事(記事引用も含む)
最初の記事がhmtさんの[61304] (2007年9月25日)で、意外と最近の記事しか引っ掛かりませんでした。それも、豆相人車鉄道(熱海鉄道の前身)と豆相鉄道(伊豆箱根鉄道の前身)に関する記述です。私が読んだ小説でも、豆相人車鉄道が蒸気機関車による軽便鉄道となった熱海鉄道が登場しています。ついでに、国府津と小田原間の小田原電気鉄道も登場します。

小説では鉄道名称ではなく、地域名称として豆相が使われている訳ですが、現在でも使われているのかなと思い検索してみました。検索結果のほとんどが、前述の二つの鉄道名称ですが、古い文献では地域名称として使われているのがいくつか見つかりました(例:豆相記)。また、最近の個人ブログで江ノ島方面から伊豆の山々を望む表現として「豆相越しの夕陽」という使い方をされている方がいました。あまり一般的ではないと思うのですが、湯河原辺りではどうなんでしょうか。

その湯河原町に「相豆新聞」というローカルペーパー(?)を出している有限会社相豆新聞てのがあるようです。
[71774] 2009年 8月 24日(月)00:13:50笠津前浜 さん
ジオパーク
[71770] hmt さん
地質の世界遺産・ジオパークに有珠山・糸魚川・島原半島を認定

ジオパークという考え方は知りませんでした、また勉強になります。wikipediaによると「地質学的に見て貴重な特徴などを持つ地域を指定し、保全、利用する自然公園の考え方。」とのこと。これが「国際的なジオパーク運動」となると「保全や科学教育、ツーリズムに利用しながら地域の持続的な経済発展を目指す仕組み」となるそうで、ひとつのお墨付きを得たね、地域頑張りましょう、といった感じなのかな。

ちと気になったのはリンク先の時事ドットコムの記事。【貴重な地形や地質を持つ、世界遺産の地質版「世界ジオパーク(地質遺産)」】とありましたが、地質は遺産ではなかろうに、と思うのです。
[71773] 2009年 8月 23日(日)23:33:50【1】山野[山野] さん
リコール成立
本日実施された、安土町リコールの結果です。町長解職の結果
賛成:4137票
反対:2787票
尚、出直し町長選は10月上旬に実施されるとの事ですが、仮に反対派の町長が誕生しても
既に官報告示済みの為、任期は半年ほどになります。(浪岡の様に分立運動が起こる可能性・大)

*1,町長選の予告を追加。(0:21)
[71772] 2009年 8月 23日(日)20:47:58山野[山野] さん
臨時会
でるでるさんへ
栃木地区との合併推進派の方のブログからですが西方町長は26日にも臨時会を開き住民投票条例案を提出される予定との事。
[71771] 2009年 8月 23日(日)20:32:25千本桜 さん
了解しました
[71767] オーナー グリグリさん
了解しました。グリグリさんにまでご心配をおかけいたしまして申し訳ございませんでした。
[71770] 2009年 8月 23日(日)19:14:57hmt さん
地質の世界遺産・ジオパークに有珠山・糸魚川・島原半島を認定
報道 によると、UNESCO Global Geoparks Network(GGN)は、本日中国泰安の会議で新たに5地域を「世界ジオパーク(世界地質遺産公園)」に認定したとのことです。
その中に、洞爺湖有珠山(北海道)、糸魚川(新潟県)、島原半島(長崎県)が日本国内で初めて入っています。

GGNは、世界遺産条約の活動をしているUNESCO(国連教育科学文化機関)の支援で2004年に設立された機関ですが、こちらは世界遺産のように条約に基づくものではありません。

登録地の数は、これで19ヶ国、63地域になります。既登録リスト を見ると、中国が最多で、事務局(パリ)のあるヨーロッパがこれに次いでいます。

2008年サミットの開かれた洞爺湖の周辺では有珠山が2000年に噴火、それ以前にも昭和新山を含めて度々の活動記録[23960]の25。
温泉に恵まれた島原半島の雲仙岳も1990-95年の活動における火砕流被害を忘れることができません。形成された熔岩ドームは、平成新山と命名[23960]の95。18世紀末には島原大変・肥後迷惑の大災害も。
そして、糸魚川静岡構造線の断層地形。つい先日[71550] Issie さんの「稗田山崩れ」の記事があり、私も[71580]でレスしました。

特色ある地質景観や温泉は観光資源ですが、災害との付き合いも逃れることができません。
ジオパーク活動 は、自然的な価値や保全だけでなく、地域振興なども目指しているようです。
[71769] 2009年 8月 23日(日)13:32:15maki さん
合併以前から…?
これがノートパソコンからの初書き込みです。自宅にいますが…

[71760]鳴子こけしさん
これはあくまで私の考えですが…

白河と奥州は「合併による2度通過で、異なるイラスト(旧町村のものを流用)」
佐野はおそらく「合併前の佐野市域のみ通過しているため、同一のイラスト」

合併前の市町村界にあった看板を合併後の市町村界に移すというパターンもありますが、佐野は最初から(合併前から)2度通過するルートのため、このような形になったのでしょうかね…?

もちろん、確定ではありません。
[71768] 2009年 8月 23日(日)08:19:04YT さん
北海道の郡と支庁の微妙な関係
[71765] 紅葉橋律乃介 さん

疑問な点があります。この統計資料は、北海道の支庁内が郡別に記されています。こういった場合、道庁が国なりに報告する場合、「郡別」になっていたのでしょうか。「支庁別」の資料を国が郡別に分け直していたとすれば、あるいはこの段階で占冠村が室蘭支庁に“紛れ込んだ”のではないかと…。

[71677]のエクセルにまとめる際には無視して支庁別に集計しましたが、明治31年明治36年明治41年の『日本帝国人口静態統計』では支庁単位の集計がされておらず、郡単位の集計がされています。上川郡(石狩国)、上川郡(天塩国)、上川郡(十勝国)、中川郡(十勝国)、中川郡(天塩国)などは別個の郡として扱われていますが、明治36年の『日本帝国人口静態統計』段階では空知・上川支庁に分かれているはずの空知郡、室蘭(胆振)・岩内(後志)支庁に分かれているはずの虻田郡、そして室蘭(胆振)・上川支庁に分かれているはずの勇払郡はすべて同一の郡として集計されています。

そして大正2年大正7年の『日本帝国人口静態統計』では、空知郡、虻田郡、勇払郡は支庁下で別個に集計されています。但し支庁名の括弧書きなしに、すべて「空知郡ノ内」「虻田郡ノ内」「勇払郡ノ内」という郡名で集計されており、別個の郡として認識はされていないようです。また上川郡(天塩国)、上川郡(石狩国)は、同一の上川支庁であっても最初から別の郡として集計されています。また区は支庁に含まれないものとして集計されます。

大正9年以降の国勢調査では、得撫郡・新知郡・占守郡という特殊な三郡を除き、北海道では郡による集計が全く行われず、支庁で集計されています。市(大正9年のみ区)は支庁に含まれぬものとして別個に扱われます。

以上から占冠村に関しては、郡から支庁へ業務(例えば人口・戸数の国への報告)が移る過程で混乱が起こったように見えますね。明治41年、大正2年の占冠村、勇払郡、室蘭・上川支庁の人口に関しては、次のファイルで修正します。

郡名支庁の変遷
上川郡(石狩国)上川支庁
上川郡(天塩国)増毛支庁→上川支庁
上川郡(十勝国)河西支庁→十勝支庁
中川郡(十勝国)河西支庁→十勝支庁
中川郡(天塩国)増毛支庁→上川支庁
虻田郡室蘭支庁→室蘭・岩内支庁→室蘭・後志支庁→胆振・後志支庁
空知郡空知支庁→空知・上川支庁
勇払郡室蘭支庁→室蘭・上川支庁→胆振・上川支庁
天塩郡増毛支庁→留萌支庁→宗谷・留萌支庁

またhmtさんの[71731]の支庁の変遷を読んで思い立ったのですが、明治31年の人口では、札幌区・函館区は札幌支庁、函館支庁に含まれるものとして、他の支庁と同格に分類し直し、区制を施行する前後の「区」は区別するべきだったかも知れません。この辺も次のファイルで修正したいと重います。

現在のところ北海道、宮崎県、鹿児島県、沖縄県について明治31年から平成17年までの27回分の国勢調査、人口調査、戸口調査の人口をまとめ終えました(奄美諸島、沖縄県の場合は昭和20年~昭和23年のデータを欠く)。近々どこかにアップし直します。
[71767] 2009年 8月 23日(日)08:01:09【1】オーナー グリグリ
千本桜さんへ
いつも貴重な書き込みをありがとうございます。

富来に関する考察で熱心な議論が展開されており、私も興味を持って拝見させていただいています。内容が深くて薄学な私には議論に参加できそうもありませんが、中学生時代に夏休みの合宿体験で訪れた地であり、思春期の甘酸っぱい想い出とともに、夜明けの富来湾で眺めた空の色の変化と静謐と荘厳に満ちた海の情景が忘れられません。

一つ気になったことがありますのでお伝えします。

[71763] 2009 年 8 月 23 日 (日) 00:11:23 千本桜 さん
話をそらさないで下さい。削除した上で再投稿したのかを質問しているのではありません。EMMさんは[71240]に訂正の手を加えていますね。はっきり言えば、千本桜を貶める非常に幼稚な発言をした後に、その部分を削除しています。それなのに、書込み訂正回数を示す【数字】がタイトルバーに表示されていない。とても無気味です。私が問題視しているのは、千本桜を貶めたかどうかではなく、書込み訂正をした痕跡を隠していることにあります
般若堂そんぴんさんが[71736]で言われたような手順を除けば、訂正記録がないままに書き込みを訂正する方法はいっさいありません。管理人の私が直接修正することはできますが、訂正機能がなかった時代にはそのような処置を行っていましたが、現在は行っていません。また、[71240]は、2009 年 8 月 1 日 (土) 05:57:45 に最初の書き込みが行われた後、いっさい手は加わっておりません。これはシステムの履歴(ログ)で確認済みです。また、一旦削除して再書き込みしたものでもありません。千本桜さんの方で何か思い違いがあるようです。よろしくお願いいたします。

【追記】
「薄学」という言葉は正しい用語ではありません。「博学」に掛けて逆の意味を出してみましたが、正しい用法と勘違いされるとよろしくありませんので追加コメントしておきます。正しくは「無学」または「浅学」を使うべきです。
[71766] 2009年 8月 23日(日)03:51:53じゃごたろ さん
データベース的市町村情報
こんばんは、じゃごたろです。
世界陸上を観戦しながらの書き込みです。

[71684] グリグリさん
見果てぬ夢?

ただ、同じような考え方の企画としてWikipediaのページがありますね。

確かにあそこにもそういう情報があります。しかしあそこは統一感があるようでない、個別の記事の寄せ集めであり「データベース」的記述を排除しようという方針です。逆にここは「データベース」であることが強みであり、そういう点を強調できれば差別化は十分可能だと思います。ただし重要視すべきなのは、どのような項目をデータベース化するかという「明確な方針」と、全市町村のデータを網羅的に収集するという姿勢が必要かと思います。

例えば、人口以外では「市町村のシンボル」という新たなデータベースを立ち上げ、「シンボル」という点でも検索でき、「市町村」という点でも他の人口等の他のデータを含めて検索・表示できる、といったようにすればいいのではないでしょうか。

運営的には、あのサイトのように自由に編集可能だけれど、地名コレクションのように「責任者」を決めるという方式あたりが妥当かと。どういうことかというと、「責任者」一人で情報収集するのは大変なので、情報収集して編集するのはメンバーなら誰でもできるが、それをデータベースとして有効にする(つまりはフラグをたてるだけ)のは責任者だけができるといった運用が現実的ではなかろうかと思ったりもします。
[71765] 2009年 8月 23日(日)01:04:50紅葉橋律乃介 さん
しむかっぷ
 北海道の人口についてのお話の続きです。

[71693] 8月17日(月)00:24:14 YTさん
ただ残念ながら公的機関のまとめたものにも関わらず、「村」と「町」の誤記が10箇所以上あったと思います(一々メモを取りませんでしたが)。国勢調査の報告書自体も「村」と「町」の誤記が同程度あったと思いますが、両者の間違いは色々異なったりします。
 道庁統計課のホームページについての話題ですが、エクセルファイルで公表されていることから、数年前に入力・公開された物なのでしょう。
 平成12年調査までのデータで“北海道の国勢調査人口”をうちのホームページに載せましたが、人口自体は合計で照合が容易なのに対し、市町村名は正しいのかどうかは疑問でした。調査日現在の市町村名で入力されているのかどうか、また、「町・村」と「むら・ちょう」といった読みがなが合わない例が多数見受けられました。

 ホームページのデータの原資料を読んだことはありませんが、これらの表を改めて入力した結果、前後の調査の市町村名を流用した結果、町制した村の読みを「むら」のまま「町」に変更した、あるいはその逆もあったのでしょう。

1944年の人口調査の扱いにも苦慮しています。改めてこの年の人口調査をみたところ、ほぼ全ての府県で市町村別人口の合計と都道府県の人口の間に不一致があります。


 さて、[71673]
大正2年12月31日調の日本帝国人口静態統計では、占冠村は室蘭支庁勇払郡占冠村として集計されています。同時期の虻田郡などは、わざわざ後志支庁と室蘭支庁に分けて集計していっます。

 これは、確かにおかしいですね。記録の上では、明治39(1906)年に占冠村は既に上川支庁に移管されています。
 虻田郡については、既に明治32(1899)年に倶知安村が岩内支庁に移管されていますが、43年に真狩村・狩太村が後志支庁の新設に合わせ、室蘭支庁から移管されており、上記の「日本帝国人口静態統計」に反映されています。所管支庁も、合併前の旧3支庁ではなく、統合された状態で記されています。

 疑問な点があります。この統計資料は、北海道の支庁内が郡別に記されています。こういった場合、道庁が国なりに報告する場合、「郡別」になっていたのでしょうか。「支庁別」の資料を国が郡別に分け直していたとすれば、あるいはこの段階で占冠村が室蘭支庁に“紛れ込んだ”のではないかと…。


 公的機関ですから、そういうことはない…のでしょうか?
[71764] 2009年 8月 23日(日)00:50:08なると金時 さん
地方鉄道の現況
今年もいつものようにお盆は徳島に帰っておりました。
目的の一つとして、
すだちくんTシャツを手に入れることがあったんですが、無事任務遂行できました。
で、このTシャツ、売り上げの一部を阿佐海岸鉄道の援助に回してるらしいです。
なんだかもう絶滅危惧種の保護みたいなんですが、現状はそれに近いかも。
[71763] 2009年 8月 23日(日)00:11:23千本桜 さん
不思議
[71737] EMM さん
そして[71240]については「削除→再投稿」と言うことは誓って行っていないと言うことは明言いたします。
話をそらさないで下さい。削除した上で再投稿したのかを質問しているのではありません。EMMさんは[71240]に訂正の手を加えていますね。はっきり言えば、千本桜を貶める非常に幼稚な発言をした後に、その部分を削除しています。それなのに、書込み訂正回数を示す【数字】がタイトルバーに表示されていない。とても無気味です。私が問題視しているのは、千本桜を貶めたかどうかではなく、書込み訂正をした痕跡を隠していることにあります。
[71762] 2009年 8月 22日(土)21:18:41星野彼方 さん
第二十三回十番勝負 感想
大変遅くなりましたが、第二十三回十番勝負の感想をお送りします。今回は運良く金メダルも取れ、最後はばたばたしましたが、完答も出来ましたのでまずまずの結果と受け止めております。次回も楽しみにしておりますので、グリグリさん、よろしくお願いします。

では回答順にどうぞ。

問三 夏の甲子園出場校 花巻市
今回は始まる前に、時期的に高校野球は出題されなさそうだけど、まさか、去年の夏の、とか、今年の春の、とかはないよねぇ、なんて思っていました。それはともかく、十番勝負開始直前に「今日はどこが決まったかな」と各地の予選の結果を確認していたことが幸運でした。去年の夏の第二十回十番勝負のようなこともあるので、罠かもしれないと思いつつ、想定解数の「前後」もあることだし、間違いはないだろうと勝負に出ました。花巻市は、まず、なぜか東北三県が頭に浮かび、酒田市は以前回答に使っているので除外(第十回問七:奥の細道)。名桜は元秋田経法大附属だということは知っていて、秋田市にあるんだろうけど、最近千葉商大附で失敗しているので確認が必要。でも、確認していると金メダルを逃しそうな気がする。ということで花巻市になりました。ちょっと最初の回答にしてはヒントになりすぎたかな、と思ったけど、仕方ないよね(開き直り)。

問八 夜景百選 淡路市
[71712] の通りなんだけど、なぜ当時淡路市にしようと思ったかとんと思い出せない。

問一 複数の衆議院小選挙区にまたがる 高知市
お題の市と雲南市でぐぐったらあの Wikipedia のページが出てきました。数も合いそうだったので、いっちゃんさんを信用して。高知市は以前誤答になったことがあるから。
それにしても、みどり市や小美玉市や江田島市やふじみ野市や吉備中央町などが複数の小選挙区またがるってのはどうよ。選挙毎に組み替えるとなると大変なのもわかるけど、どうにかならんものか。

ここで一泊二日大井川鉄道の旅に出る。十番勝負もそんなつもりはなかったのに中断。

問二 JRの路線名(完全一致、本線もあり) 日南市
鉄分豊富なので、あそこまで出ればさすがに気付きます。でも、お題が同じ問題があるのに、いきなり中央市や武蔵野市を答えるのはすごいな。

問四 都道府県市郡区町村と同音異字 さくら市
宮古島市と三原市は区だと気づいたときのすっきり感は何とも言えないものがあった。区となにかのダブルで該当する市にしようと思いさくら市とみどり市のどちらにしようか悩んで、結局、日の目を見ない市だった頃に封印解除したいと思っていたさくら市にしたのですが、緑町はなくなっていましたね。兵庫県の緑町が合併で南あわじ市になったことはわかっていたのですが、どこか他にありませんでしたっけ?(ないみたい。広島県美土里町も消滅)

問五 2000年から五万人増 久留米市
いろいろ調べていたら、横手市と唐津市の合併相手の当時の人口の合計が5万人強であることに気付きました。そして、唐津市は2段階で合併していたことを思い出し、2段階目の七山村を抜けば5万人を少し切りそうだ、横浜市も1939年(昭和14年)の合併あたりで5万人以上増えているんだろう、ということで、共通項は合併で5万人増えた市だ、と勘違いしていました。実は最初の計算も七山村抜きだったんですけどね。ってことは唐津市は元の唐津市本体が人口減少中ということか。
久留米市はかつて誤答になった市からの敗者復活。

問六 スイカの産地 かほく市
尾花沢市を調べていてスイカの産地だと知ったとたん、あ、富里市も山鹿市もそうじゃん、あ、あの記事か?と連鎖でひらめきました。かほく市はそろそろ石川県から答えておかなきゃ、と思ったから。何人かの人が述べていましたが、この傾向の問題が今までなかったのが不思議なくらい。今後も要チェック?
ところで、十番勝負期間中のダウンロード数急増に農林水産省が気付いているかどうかが気になっています。数十じゃ急増とは言えないかも知れないけど。

問八 複数の村に接する 日田市
どうやって気付いたか忘れてしまった。とにかく、気付いて最初に答えようと思ったのは八女市。合併で該当しなくなるだろうと思ったから。しかし、確認すると今も該当していなかった。それじゃあ、と、このとき気付いた日田市にした。八女市が該当していたら、問五の久留米市は仙台市に変更するつもりだった。仙台市と泉市の合併は1988年。2000年からだと5万と増えてない。あぶないあぶない。

ここで行き詰まる。そしてアナグラムヒント

問七 都道府県の人口密度に近い 白山市
似たような問題に二度もやられてしまうなんて。アナグラムもきちんと解けていたのに、都道府県の何に近いのかさっぱり。想定解数も47じゃないし。距離が近いのか、時間的に近いのかすらわからず、迷走しっぱなし。統計もそれなりに確認はしていたんだけど、比較対象が他県込みとは考えつかなかった。
共通項にたどり着いてから、全都道府県について調べてみると、宮崎県は白山市になる、ということで白山市にしました。

問十 市議会議員定数に合併特例適用中 真岡市 ×米子市 ×伊達市(北海道)
アナグラムから市議会議員定数の特例のことだろうとは気付いたのですが、いやはや、なんとも。米子市が誤答になった時点で、現在も適用中ということだとわかっていたのに、また伊達市を答える馬鹿。とにかく、合併時に特例を適用していて、その後市議会議員選挙をしていなければ大丈夫だろうと思い、「伊達市 北海道 市議会議員選挙」で検索したら選挙があった形跡が見付けられなかったのでいっちゃいました。誤答になった後、北海道を抜いて検索したら簡単に確認できてがっくり。真岡市は、今回既に栃木県のさくら市を答えているので避けたかったのですが、合併は今年だし、特例を適用していることは確認できたし、これで駄目ならもうこの考えが駄目、ということで投入しました。これなら問四はみどり市にしておけばよかったとちょっと後悔。
[71761] 2009年 8月 22日(土)21:14:43futsunoおじ さん
応援には行きたし されど甲子園は遠い!
甲子園での戦績が下位に低迷している新潟県代表校ですが今大会は華々しい活躍で明日が準決勝になります。
ところが試合内容とは逆にスタンドで応援する人数では劣勢の様子です。これまでの対戦校に比べて球場まで遠いとの理由がありますが、高校野球に対する熱意や経験の差があるようにも思えます。「JTB新潟支店が募集した応援ツアーは、受け付け開始30分で定員に達した。」とのことで喜ばしいようですが、定員は49人ということで、つまりこれ以上の思い切った対応は様々な理由でできないということなんでしょう。

これも選手たちが結果を出してくれれば応援する市民も対応になれてくるはずですから、できれば優勝旗が清水トンネルを、いや親不知の険を越えて来ることを願っています。
[71760] 2009年 8月 22日(土)20:44:13鳴子こけし さん
う~む
[71757]makiさん
東北道で看板2つは4市(佐野、白河、奥州、平川)あるのですが、前3つはちゃんとイラストつきです(白河市は合併により2度通過、奥州市は旧衣川と旧胆沢・水沢地域。イラストは異なる。佐野市のイラストは同一)。
えっと、白河市と奥州市の場合は、もともとの市町村名の部分を新市名に変えた結果、イラストだけ違う看板が出来上がったものと思われます。佐野は、う~むよく分かりません。誰か答えてぇ~。

(またやってしまった、他力本願。)
[71759] 2009年 8月 22日(土)20:16:02Issie さん
河東線
[71758] 伊豆之国 さん
ということで、その長野電鉄に。元日比谷線の車両で、冷房もなし。こんなことでは先が‥。

まあ,河東(かとう)線ですから…。今は「屋代線」と言うのですが。
旅客・貨物の両方について国鉄(JRではない)からの直通がなくなった時点で河東線の役割がグンと落ちましたからね。
四半世紀前には「地下鉄」を建設したり(←長野市民には単なる「地下区間」ではなく「地下鉄」なのです),特急用・普通用のそれぞれについてオリジナルの新型車両を導入したりと,メインライン(長野-須坂-信州中野-湯田中)方面では積極的な投資をしていた 長電(ながでん) も,河東線の南部区間(屋代-須坂)への投資はその当時から“控えめ”でした。「ま,河東線だからね」というのは四半世紀前から聞かれたフレーズです。
伊豆之国 さんが初めに利用されたように,長野市中心部と松代地区との輸送の主役は 川バス(川中島バス) です。その川バスの地位も,通勤をはじめ地元住民の移動の主役は自動車に移って久しいし,観光客の輸送もどうでしょうか…。実は私も一昨年の夏の平日の真昼間に長野駅から松代へ川バスを利用しましたが,お客さんは…。別の事情によるものなのでしょうが,松代のバスターミナルも小さくなっていて,少しさびしく感じました。

四半世紀前には「地下鉄」を建設できた長電本体も,今は厳しそうですね。
車両そのものについては,東京圏の大手私鉄(営団地下鉄も含む)から中古車両が大量に供給されている事情もあるのですが,それにしても自前でオリジナル車両をつくる余裕もないのかもしれません。
長電に限らず,地方の私鉄はどこも厳しそうですよね。「鉄道」そのものを維持すること自体がもはや相当に辛いところに来ているのではないか,なんて印象があります。
[71758] 2009年 8月 22日(土)18:00:12伊豆之国 さん
Have you never been mellow‥新秋の信濃路へ
一昨日より一泊二日の信濃路の旅。このご時世、ともかく高過ぎる新幹線を避けて、新宿から高速バスに。初日はまず川中島古戦場へ。八幡原史跡公園ではボランティアの観光ガイドのおばさん(失礼)につかまり、信玄・謙信一騎打ち(史実かどうか疑わしいそうですが)の銅像や合戦にまつわる遺跡などの懇切丁寧な説明に聞き入ることに。そのあと長野市立博物館へ。川中島合戦関係の展示ももちろんですが、特別展示コーナーでやっていたのが、信州では極めて見えにくいという「不老長寿の星」カノープス([65609]かぱぷうさんの記事のリンク、拙稿[58968])の写真展。ただでさえ見える限界線に近い上、山に南の視界を遮られることが多く、平地では見える場所も限られ、しかも真冬の最中にしか見ることができない。そんな悪条件の中でもかなりの数の写真が撮られ、そして地平線すれすれに描くその軌跡はまさに奇跡。大町市の木崎湖で真冬の湖上に現れるという「龍燈」の伝説も、この「カノープス」ではないかと言われ、やはりこの星が湖上に現れた写真が展示されていました。
それから松代の町を散策。松代を訪れるのは約30年ぶり。真田宝物館・文武学校・象山記念館などを見てきましたが、真田家住宅は長期間の整備工事中で庭園の一部しか見られなかったのがちょっと残念‥。ところで、[67371]みやこ♂さん
三山コレクション
ですが、「松代三山」というのがあります。といっても本物の山ではありません。幕末の松代で活躍した3人の学者、佐久間象山・山寺常山・鎌原桐山を指してこのように呼ぶそうです(長野市の観光パンフレットより)。どうぞ「三山コレクション」の「番外編」に登録してはいかがでしょうか(笑)。
「本物」の山で「松代三山」を選ぶとすれば、皆神山妻女山、それと佐久間象山の号の由来になった象山あたりでしょうか。
松代駅前で長野駅行きのバスをタッチの差で逃し、30年前とほとんど変わらぬたたずまいの松代駅で時刻表を見ると、屋代行きの電車の出発時間まであと少し。ということで、その長野電鉄に。元日比谷線の車両で、冷房もなし。こんなことでは先が‥。

この日の宿は、じゃごたろさんのお膝元、諏訪湖畔に。大花火大会(15日)は終わったのですが、これ以外にも夏休み中には毎日ミニ花火大会が行われ、15分間で800発の花火が打ち上げられ、夕食後に湖岸に出かけてしばし見物。翌朝起きて露天風呂に行くと、外の風の涼しさに「秋がそこまで来ている」ことを実感。宿を出てからは片倉館、諏訪市美術館と回り、ともかくその建物のすごさに感心。諏訪大社の下社秋宮を参拝した後、オルゴール博物館時の科学館へ。アンティークなオルゴールの透き通ったメロディーにはちょっぴり涙も‥。それから松本に出て、松本電鉄に乗換え。珍品の踏切は今も健在。大庭駅で降り、松本市歴史の里へ。結局帰りもやはり「あずさ」ではなく、高速バスで新宿に直行‥。
これで今年の経県値は、長野○、群馬・山梨△(横川SA・双葉SAで休憩)が加わり、ようやく20点に‥。

♯今回のタイトルに拝借したのは、[61183]のタイトルで使った曲の原題(うろ覚えですが)です‥
[71757] 2009年 8月 22日(土)14:01:31【1】maki さん
イラストなしは…
[71741]鳴子こけしさん

東北道で看板2つは4市(佐野、白河、奥州、平川)あるのですが、前3つはちゃんとイラストつきです(白河市は合併により2度通過、奥州市は旧衣川と旧胆沢・水沢地域。イラストは異なる。佐野市のイラストは同一)。
平川市は合併で誕生した市なのでどうなのでしょうか…まだ私は確かめていません。
看板なしなら館林なども該当しますが。

そういえば、関越道には高崎市の看板が3つあったりします(こちらも合併による)。
前橋は2~3度も通過しているのに看板1つ…


ついでに合併情報も書こう…と思ったら[71756]山野さんに先を越されてました。

【1】よく考えたら奥州市も2度通過していますね。ということで文を一部訂正。
[71756] 2009年 8月 22日(土)13:51:50山野[山野] さん
法定協設置(中之条)
でるでるさんへ
昨日までに、中之条町と六合村は臨時議会を開き2町村での法定協設置案が可決されました。
合併方式は六合村を同町へ編入とし、期限内合併を目指す方針です。
[71755] 2009年 8月 22日(土)12:33:59ヌオ さん
Re:思考の落とし穴
[71753]油天神山さん
山手線・京葉線・赤羽線(埼京線)は該当しませんよねぇ。

あ、もちろんそれはそうですよね。お恥ずかしい(汗 
[71733]の資料を作っているときに、彼ら23名も市としてカウントすることにしていたので、その思考が残ったままでしたm(_ _)m
[71754] 2009年 8月 22日(土)11:55:14油天神山 さん
思考の落し穴
[71751]ヌオさん
これは、やはり市が密集している大都市近郊では多くなりそうですね。少し考えるだけでも、東京近郊だと、山手線・京葉線・赤羽線(埼京線)・武蔵野線・南武線・横浜線・鶴見線など

山手線・京葉線・赤羽線(埼京線)は該当しませんよねぇ。
でも、ヌオさんの感覚はとてもよくわかります。私もよくやるんです、こういう勘違い。

例えば十番勝負の想定解数を数えるとき。今回の問三などは実に典型的な例でして、「想定解数の上限は48市」と言われると「え、なんで? 代表校は49校なのに」と一瞬思っちゃうんですよね。で、よくよく考えた末にようやく「東東京地区に市域は含まれない」ということに気づくという・・・。

そんな訳でわたくし、ヌオさんの勘違いはに大いに共感するものであります。
[71753] 2009年 8月 22日(土)05:19:31でるでる さん
平良市と下地町の合併撤回
[69565]むっくん さん
[69568]MI さん
[71746][71748] 88 さん
[71747]右左府 さん
平良市と下地町の合併撤回

宮古毎日新聞に、平良市下地町の合併撤回に関係すると思われる記事がありました。
この記事と、皆さんからの情報を参考に、時系列にまとめてみます。

1961年(S36)6月8日平良市議会が下地町との合併を決議
7月14日琉球政府告示第139号(PDF)(1961年10月30日に合併)
9月9日市町村合併に伴い下地町長(盛島明得氏)が解職(リコール?)。下地町議会解散請求に基づき臨時議会を招集、下地町長の退職について同意し、議員の総辞職を決定
9~10月頃下地町長に下里芳蔵氏が無投票で当選。議員の総辞職に伴い、新議員無投票当選
10月30日当初の合併予定→延期
1962年(S37)1月平良市、下地町の合併問題で、下地町の世論調査の結果、反対多数。下地町議会は合併取り消しを決議
2月28日琉球政府告示第40号(PDF)(1963年2月1日合併に変更)
1963年(S38)1月30日琉球政府告示第21号(PDF)(合併の撤回)
2月1日合併予定日→中止
2005年(H17)10月1日平良市、宮古郡城辺町、下地町、上野村、伊良部町が合併し、宮古島市誕生。

大まかな経緯ではありますが、平良市と下地町との合併を巡っては、町長や議会のリコールや世論調査で合併反対多数など、やはり様々な事情があった模様です。

その後、平良市、下地町を含めた宮古地区の平成の合併協議の際にも、構成自治体の離脱や復帰、住民投票、解職請求(リコール)など、様々な動きがありました。
[71752] 2009年 8月 22日(土)04:11:32【1】山野[山野] さん
最後の賭け?
昨日、合併議案を反対多数で否決した西方町にて町長は、来週にも臨時会を開き住民投票条例を提案する方針を固めた。
ただ、鹿沼派が活気付いている事もあり、否決された場合は同地区の合併は白紙。協議会は解散となるでしょう。

(追加:リンク切れの報告)
でるでるさん、更新ご苦労様です。
ついでと言っては何ですが、今月31日に解散予定の新庄地区合併協HPが
早くもリンク切れとなっていましたので修正の方お願いします。
[71751] 2009年 8月 22日(土)02:04:06【1】ヌオ さん
躍進?など・・・
[71734]にまんさん
山口県ですが、そう遠くない将来に阿東町が山口市と合併することがほぼ確実ですから、そうなると、町の駅が一気に9つも減って5つに。市内の駅の率は96.428%となり、一挙に2位まで順位を上げそうです。
御指摘ありがとうございます。阿東町と山口市の合併が実現すれば、割合で見ると広島の上を行くことになりますね。他に、合併で躍進(?)する可能性があるところは、鹿児島県の姶良市が誕生すれば、町の駅のうち4駅が市の駅へと変わるので、広島県と同率の95.890%となりますね。もしこれらが実現すれば、滋賀・大阪・山口・広島・鹿児島・東京の順位となり東京都はトップ5から陥落ということに・・・


[71739]大龍エクスプレスさん
市しか通らないJR線
これは、やはり市が密集している大都市近郊では多くなりそうですね。少し考えるだけでも、東京近郊だと、山手線・京葉線・赤羽線(埼京線)・武蔵野線・南武線・横浜線・鶴見線など、大阪近郊では大阪環状線・桜島線・おおさか東線・JR東西線・福知山線・湖西線などが挙げられそうです。

※誤字訂正
[71750] 2009年 8月 22日(土)01:36:07般若堂そんぴん さん
EMMさんへ
EMMさんへ
[71737] EMMさん
(前略)そして[71240]については「削除→再投稿」と言うことは誓って行っていないと言うことは明言いたします。
憶測で語ってしまいました.お許し下さい.
ただ,「自らの投稿を不適切であると考え削除し,間を置いて訂正した文章を投稿する」という事があったとすれば,それを「酷すぎる手口」とは思えず,また [71735] 千本桜さんが
落書き帳の信頼に係わる出来事です。
との御懸念をお持ちのようでしたので,つい余計な口をはさんでしまいました.

千本桜さんに対しても失礼であったかも知れません.お許し下さい.
[71749] 2009年 8月 22日(土)00:07:47【1】油天神山 さん
感想文~十番勝負の新たな地平あるいは検索派の悔恨~
こんばんは、えらく遅くなりましたが、恒例の十番勝負感想文です。
お盆休みまでに書き上げて帰省しようと思っていたのに、筆が全然進まないまま盆休みが明け、さらに一週間近く経ってしまいました。夏バテですかねえ・・・。

では、例によって解答順に。

[70959]7月25日(土)22:40:52
問一:丸亀市(7位)
いつものように五市まとめてGoogleに始まり、いろいろと検索を試してみたものの、芳しい結果は得られず(なぜこれで問八が解けなかったかは後述します)。いい加減嫌気が差してきたところで他のアプローチを試みます。
選挙ネタ、それも衆議院の小選挙区関連の問題が出ることはある程度予想していましたので、どうやらIssieさんのページをパクったらしいWikipediaの小選挙区制選挙区一覧へ飛び、各問題のお題の市を順々に調べにかかると、問一(もちろん問二もですが)の市がすべて「選挙区が分割されている市区町村」に含まれることがわかります。該当する市を数えれば82市。よし、問一が解けた!

[71029]7月26日(日)13:48:56
問三:長野市(11位)
近年、とみに高校野球への関心が薄れてしまっていまして、予選の結果なども全然把握しておらず、お題の市を見ても全然ピンと来ませんでした。
結局のところ、多数の採点保留が出ているのが大きなヒントになりました。翌朝になってようやく高校野球に思い至りました。とは言うものの、この時点で既に代表が決定している所は全部答えられていて身動きが取れない。「今回はノー誤答で行きたい!」という思いがあるので先物買いもしにくい。「仕方がない、今日の決勝戦の速報をチェックして、結果が出次第書き込もう」と考えました。
確かこの日は千葉と長野の決勝戦があったんですよね。しかし千葉はU-4さんが朝のうちに木更津市を答えてしまった。そこで長野大会に照準を合わせ、信濃毎日新聞のHPで速報を逐次チェックしていました。
そうしたら長野日大高が序盤から大量リードを奪っている。「こりゃ長野市で決まりやな」と思ったものの、イマイチ天気が宜しくないのも気になります。この先雨天ノーゲームになって再試合で逆の展開、なんてことになったらいやだな。でも早く答えないと誰かに持って行かれるかも知れないし・・・悶々とすること数十分。結局5回裏が終了して試合が成立したのを見届けて、解答に踏み切りました。

この問題に関してはいろいろご意見もありましたが、既に何度か出題されていて、普通に出したのでは即座に解答ラッシュとなりそうな問題に新たな切り口を与えた点、私は大いに評価しています。共通項がわかっているのに答えられないのは悶々として精神衛生に宜しくありませんでしたが、そもそも十番勝負自体がすき好んで悶々とするものですからねえ。

余談ながら、今回の解答ついでに久々にわが母校の結果を確認しましたが、初戦敗退でした。

[71037]7月26日(日)15:37:30
問二:赤穂市(17位)
やっぱり鉄道系の問題に弱くなってます。問一とお題の市を揃えるなどは確かに上手い迷彩ですが、ここまで解答が出揃わないとわからないとは・・・。

[71092]7月27日(月)09:42:32
問四:古賀市(13位)
これも必要以上に苦しんだ感があります。大仙市と仙北市、高槻市と茨木市、などと余計なラインを結んで「隣接系?」などと考えたのが間違いの元でした。

[71093]7月27日(月)10:40:36
問八:池田市(16位)
これは大失敗でした。「五市まとめてGoogle」で「夜景百選」のページはヒットしたのに、[71649]ぺとぺとさんが仰っているのと全く同様に、
公的機関が選出したものではないことから、十番勝負の問題になることはないだろうと勝手に思い込んでいました。
という理由で弾いてしまいました。
しかしいかにも夜景っぽいお題の市の選択と考え合わせれば、せめて想定解数を数えるくらいはしておくべきだった・・・と後悔しています。検索派を自称する私がこの問題でメダルを取れないのは情けない。

[71103]7月27日(月)13:03:30
問九:いわき市(11位)
wikipediaでお題の市や正解の市を見ていてようやく気づきました。せっかく作った隣接自治体データベースは想定解数の確認に使っただけ・・・。おまけにデータに一箇所誤りがあったせいで、求めた想定解数も一つ少ないし・・・。肝心の役に立ちません。私に触発されてご自分でもデータベースを作成したという桜トンネルさんはきちんと活用しておられて偉いなあ。

[71113]7月27日(月)19:01:17
問六:倉吉市(12位)
西瓜というと黒部しか思つかないんですよね、情けないことに。そんな訳でお題を見ても何も閃かず。
ただ、これは落書き帳で「尾花沢市 富里市 山鹿市」で記事検索すれば、EMMさんがすいかの産地に言及した[70759]は拾えるんですよね。羽咋市と豊川市を入れたら駄目ですが。
この辺り、第二十一回の問八「ラムサール条約登録湿地がある市」で「五市まとめてGoogle」より「四市(あるいは三市、二市)」の方が有効な場合がある(最新の合併が反映されていなくて、お題にある美祢市を検索語句に入れると漏れる)ことを思い知らされたのですが、その教訓が生きていない! もっとも、これをやると検索回数が飛躍的に増えるので途中で飽きちゃって、わかっててもなかなか実行できないんですが。
結局、wikipediaの記述を隅々まで見渡して、ようやくスイカに気づきました。

これは十番勝負に新たな領域を切り開いた、実に良い問題であったと思います。何で今までこの手の問題がなかったんだろう、と思うくらいです。「こんなのEMMさんのためのボーナス問題じゃないかぁ」などと憎まれ口を叩きたくならないでもないですが、新傾向の問題のきっかけとなった[70759]は金メダル級のお手柄だと思います(それに私自身、とても勉強になりました)ので、暴動を起こそうなんて気は毛頭ないです。

[71171]7月29日(水)14:28:30
問五:太田市(10位)
これは検索が自分の首を締める結果になった事例です。
落書き帳で「笠間市 日光市」で記事検索したらまず[70517]グリグリさんの「合併により人口密度が高くなった市」がヒットしたのです。とは言えこの記事にあるように、そんな市は他に静岡市と廿日市市しかないということで、これが共通項ではないことは明らか(それでも静岡市を答えておけば結果的に正解にはなったのですが、ノーミス完答を目指している身には怖くて答えられませんでした)ですが、諦めきれずに合併と人口密度の周辺をいろいろ探り続け、結果的にだいぶ回り道をしてしまいました。
その後この検索結果をもう少し遡ることで、白桃さんの[53436]やいっちゃんさんの[53344]を見つけ、一気に疑問は氷解したのでした。
もっとも共通項に気づいた後も、組み替え前の2000年人口データを探し出すのに手間取ったりして、解答するのにはかなりの苦労がありました。

[71322]8月3日(月)01:16:46
問十:豊川市(8位)
ここで2問を残して停滞。問十に関してはお題の市および該当しない市がいずれもこの数年のうちに合併を行っていることに気づき、合併がらみだろう、というところまではたどりついたものの、そこから全く進むことができず、七転八倒しながら週末を迎えました。
週末は帰省していまして、日曜の朝、自宅のPCから第一ヒントを確認。アナグラム自体はそう苦労せずに解けましたが・・・問七「何かが近い」何かって何? 問十「特別に決める」一体何を決めるの?

帰省中は家族優先のため、あまり十番勝負に深入りできず(いや、深入りできてもお手上げだったと思いますが)、そのまま第二ヒント待ちとなりました。
この日のうちに帰省から戻らなければならず、日曜の夜、新幹線の車中で携帯から第二ヒントを確認。アナグラム自体はそう苦労せずに解けましたが・・・問七「都道府県の何か」だから何かって何? 問十「数が多いまま」だから何の数? ・・・ん? 「数が多いまま」「特別に決める」? あ、議員定数!(しかしここで、「市議会の定数が地方自治法に定める議員定数の上限を超える市」と考えてしまったのです)
何にしても、帰宅までは検証もできません。十二時過ぎに帰宅し、PCを立ち上げて市区町村変遷情報の最近の記事、市区町村プロフィールの人口データ、wikipediaの議員定数のページ、」それに「ザ・選挙」の市議選の結果をを付き合わせた末に豊川市をひねり出しましたが・・・無論こんな方法では想定解数を数えるなどは無理な話で、しかも後から確認してみると、上記の共通項にはお題の前橋市は該当しないことが判明しました。まあ、こんな状態で一発で正解できたのは運が良かったと言うべきでしょうね。
正直なところ「市議会議員定数に合併特例法が適用されている」かつ「地方自治法に定める議員定数の上限を超えていない」というのがどういうことなのか、未だきちんと理解できていません。

[71336]8月3日(月)12:18:55
問七:北見市 (6位)
福生・綾瀬・豊橋と、お題の市の中に前回の問四「都道府県の人口密度に一番近い市(都道府県ごと)」に該当する市が三つもあることには早くから気づいていたような気がしますが、しかしそうでない市もあるし・・・これも大いに苦しみました。
問十を答えた晩はそれ以上とても考えられずに寝てしまい、翌朝出社してからようやく「都道府県の何かに近い」ことと上記三市が結びつきました。あとはデータベース検索を使って検証するだけ。苦しみ抜いた十番勝負もようやく終了しました。

まとめ
今回はこれほどの難問が待ち受けていたにも関わらず、十一回目の参戦にしてついに初のノーミス完答を達成できました。また、メダルは獲得できなかったものの自己最高タイの正答ランキング三位に入ったことには大いに満足すべきでしょう。もっとも最終局面では、私より先を走っておられたいっちゃんさん、なると金時さん、実那川蒼さんが次々と転倒するのを尻目にゴールインしたようなところがありまして、まあ三着はタナボタですな。
しかし一方で検索派の油天神山としては、検索一発で解けた問八やキーワードを工夫すれば共通項にたどり着ける問五・問六にここまで手間取ったのは痛恨の極みでもあります。

ともあれ皆さんお疲れ様でした。今回はいくつもの新機軸が打ち出されて、たいへん実り多い十番勝負であったと思います。それだけに苦労もひとしおでしたが。
最後に出題者のグリグリさんに感謝し、それから新たな世界が開けた十番勝負を祝福しつつ、いつもながら長々しい感想文を終えたいと思います。
[71748] 2009年 8月 21日(金)23:51:3988 さん
Re:平良市と下地町の合併撤回
[71747] 右左府 さん
平良市と下地町の合併撤回の根拠ですが、[69568]にてMIさんが紹介されている琉球政府告示第21号ではないでしょうか。
失礼いたしました。そのとおりですね。[69568]MI さんの投稿を完全に失念しておりました。ご紹介の告示も目を通した記憶はあるのですが・・・。ご指摘ありがとうございました。また、MIさんにも失礼いたしました。
[71747] 2009年 8月 21日(金)23:25:05右左府 さん
平良市と下地町の合併撤回
[71746] 88 さん

平良市と下地町の合併撤回の根拠ですが、[69568]にてMIさんが紹介されている琉球政府告示第21号ではないでしょうか。
[71746] 2009年 8月 21日(金)23:09:1888 さん
市区町村変遷情報小レス(沖縄県)
[69110][69541] むっくん さん
■M41(1908).4.1付け沖縄県及島嶼町村制の施行時の情報について

[69110] でご紹介いただいたように、M40.3.16付け勅令第45号沖縄県間切並東京府伊豆七島及小笠原島ニ於ケル名称及区域ノ変更等ニ関スル件が、M40(1907).10.12付け内務省令第24号によりM41(1908).1.1付けで施行され、この時点で、
間切を村(町村制未実施地域の村)とし、村(沖縄県に従来よりある間切の下位区分)を字とするものでした。
と、むっくんさんのご紹介を理解しました。従前の編集で「××村」を自治体扱いして羅列していましたが、勅令施行後は「○○村」は2種類あり、元「△△間切」の「△△村」が自治体に相当し、その下位区分である元々の「□□村」は「字の名称」ということですね。
これを踏まえ、
M41(1908).4.1付け沖縄県 沖縄県及当初町村制施行の情報を修正しました。
―――――――――――――――――――――――――
[69553] Issie さん
[69564][69565] むっくん さん
沖縄県公文書館のサイトのご紹介及び各検証作業をありがとうございます。それぞれ、可能な限り確認してみました。また、ご指摘のあった、各情報の相異の検証は次のとおりです。

■中頭郡北谷村の一部が分立して中頭郡嘉手納村となる分立年月日について 1949.12.4 or 1948.12.4
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」とも・・・S23(1948).12.4
単に入力ミスのようです。ご紹介の1948.12.4付け沖縄民政府告示第34号(pdfファイル)に従い、1948.12.4付け分立と修正しました

■S28(1953).10.1付けで真和志市が発足する従前の町村名について 真和志町 or 真和志村
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」とも・・・真和志村
単に入力ミスのようです。ご紹介の1953.10.1付け琉球政府告示第112号(pdfファイル)に従い、真和志村と修正しました

■那覇市が真和志市を編入する編入施行年月日について 1957.12.7 or 1957.12.17
「総覧」・・・S32(1957).12.7
「幕末以降総覧」・・・S32(1957).12.7
「便覧」・・・S32(1957).12.7
「辞典」・・・S32.12.7(17)
「辞典」の括弧書きの記載、そして何よりもご紹介の1957.12.17付け琉球政府告示第242号(pdfファイル)に従い、1957.12.17付け編入と修正しました

■八重山郡 大浜村→大浜町の町制施行年月日について 1947.9.1 or 1947.9.20
「総覧」・・・S22(1947).9.1
「幕末以降総覧」・・・S22(1947).9.1
「便覧」・・・S22(1947).9.1
「辞典」・・・S22.9.1(25)
「辞典」の括弧書きの記載とも微妙に異なりますが、ご紹介の石垣市長の発言や沖縄県作成の八重山歴史略年表(pdfファイル)に従い、S22.9.20付け編入と判断し、修正しました

■平良市と宮古郡下地町との合併について
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」とも・・・記載なし
ご紹介の1961.7.14付け琉球政府告示第139号及び1962.2.28付け琉球政府告示第40号を拝見しました。確かに、この2つの告示だけを見ると、延期されたとはいえ合併を実施していなければならないはずなのですが、現実は、平良市と下地町はご紹介のようにS47(1972).5.15の沖縄返還時も、またその後もH17(2005).10.1の宮古島市の発足まで別々に存在していましたから、何らかの事由により合併が取りやめとなっ他としか思えません。むっくんさんも書いていらっしゃるように、その根拠規定は不明ですが。

遅くなり失礼いたしました。また、毎回のことですがありがとうございます。今後とも、よろしくお願いいたします。

―――――――――――――――――――――――――
以下、まったくの余談です。
明日22日(土)から数日間、かぱぷうさんの地元へ旅立ちます。
[71745] 2009年 8月 21日(金)21:39:03紅葉橋律乃介 さん
支庁で考える
 「支庁を考える」シリーズを、興味深く読ませていただいております。北海道の人間だから、かも知れませんが。

 さて、このタイミングに合わせた? とも思ってしまうのですが、

[71685] 8月16日(日)15:02:29 hmtさん
施行日を定める規則が7月に制定されたかどうかは不明です。従って、10月1日施行もどうなることやら。

 「7月制定」という話は聞いたことがありません。聞いたことがないので、10月に施行されるわけがないと思っていました。

 北海道新聞「支庁再編、10月施行延期 町村会 農・水課集約に反発」より、一部抜粋。
道は20日、3月末に成立した改正支庁再編条例の施行時期について、目標としてきた10月1日から先送りする方針を固めた。道が示した再編後の組織体制や機能分担案に対し、道町村会などが修正を求めていることから、これらの調整を最優先すべきだと判断した。道は町村会などの理解が得られ次第、条例の施行日を決める方針だが、協議が難航すれば、新体制のスタートは来年度以降にずれ込む可能性もある。

 施行日は町村会との協議の後に決められますが、「周知期間」も設けなければなりませんから、とりあえず今年中の施行はないようです。

 それよりも気になるのが、「幌加内町、空知残留の可能性も 」の方。
道の支庁再編の10月1日施行がずれ込む見通しとなったことを受け、空知支庁から上川総合振興局管内への編入が決まっている空知管内幌加内町の森谷広町長は20日、北海道新聞の取材に対し「あらためて町民への説明会を開き、反対が大勢なら空知にとどまる」と述べ、移管希望を撤回する可能性を示した。道によると、同町が空知に残るには再び条例を改正する必要がある。

 当初の支庁の再編案では、石狩・空知・後志・胆振・日高が「道央支庁」になり、札幌に支庁が置かれるはずでした。それならば、札幌よりも近い旭川に置かれる支庁管内に移りたいと、幌加内町が要望。
 その後、紆余曲折を経て、支庁(総合振興局)は岩見沢に置かれ、支庁の数・範囲も含め、現在とほとんど体制が変わらない予定です。これでは、わざわざ変更を要望した意味がない…ということでしょう。

 情勢によっては、未施行のまま再改正される可能性もあります。


 道外の人にとっては“地名もどき”としてどうでも良い存在かも知れませんが、道民にとっては違うものと考えます。
 と言ったところで、気にしないんでしょうね…。
[71744] 2009年 8月 21日(金)19:44:58hmt さん
支庁を考える (9)北海道の「支庁」-その概略史(戦後編)
北海道庁官制の戦前体制は、前報[71731]のような経過による50年を経て、1947年に施行された日本国憲法・地方自治法の戦後体制に移行します。
ここで国の地方官庁である「北海道庁」から、地方自治体の「北海道」への大転換がありました。

支庁の性格も、本庁の出先機関であるという点では従来通りながら、地方官庁から自治体の機関へと大きく変りました。

新しい法令体系の下、従来北海道の支庁の存在根拠になっていた「北海道庁支庁ノ名称位置及管轄区域ニ関スル件」という明治30年勅令第395号[71731]は消滅しました。
代って、戦後の支庁の存在根拠になったのは、地方自治法155条第1項でした。
普通地方公共団体の長は、その権限に属する事務を分掌させるため、条例で、必要な地に、都道府県にあつては支庁(中略)及び地方事務所、(中略)を設けることができる。

つまり、戦前のような北海道特有の制度ではなく、東京都の島嶼部や島根県の隠岐に設ける支庁と、いわば「同じ制度の下の支庁」になりました。
“同じ”と言っても、それは地方自治法レベルで“同じ”というだけで、条例レベルでは「都道府県ごとに別の制度」という方が実態には合っているでしょう。

ともかく、この新しい支庁制度は、1947年5月3日から1年以上を経た1948年10月20日から、「北海道支庁設置条例」(昭和23年条例第44号)という形で施行されました。
支庁とは? に全文が掲載されています。
変遷情報 のこの日付には、3町村の支庁変更情報だけが示されていますが、すべての支庁がこの日を境に新制度に移行したことになります。

ここだけ時代が先行しますが、これ以後、現在まで支庁変更の事例はなく、実施が近いとされている支庁再編に伴なう2件[65633] が61年ぶりの事例になります。
天塩郡幌延町  留萌支庁から宗谷(総合振興局)管内へ
雨竜郡幌加内町 空知支庁から上川(総合振興局)管内へ

1948年に戻ります。
日本国憲法第92条や地方自治法第1条で述べられている「地方自治の本旨」からすれば、条例で設置される新しい支庁の所管区域は、市部・郡部を区別する必要などなくなったはずでした。
市部に対してはある程度の自治を認めながらも、こと郡部に対しては、北海道庁が専制支配することができた戦前体制の道具であった従来の支庁とは違うものなので、これは当然のことです。

ところが、民主主義的な考え方は、そう一朝一夕に身につくものではないのですね。
現実に制定された北海道支庁設置条例の別表に記された所管区域は、従来と同じく「郡部だけ」でした。

この時の「ボタンの掛け違え」が、その後60年以上にわたり、北海道当局には「地域たる支庁」と「条例の支庁」の使い分けを余儀なくさせる結果となり、落書き帳では 北海道の支庁は市を所管しているのか? という話題を生んだのだと思います。

昨年、条例改正の機会に、支庁である総合振興局の管轄区域に市を加えて、この掛け違えを正そうという試みがなされました。
しかし、残念ながらこの改正は実現しませんでした[71685]。その理由は、公職選挙法にあったようです。

衆議院(小選挙区選出)議員の選挙区を定めた公職選挙法第13条には、“別表第一に掲げる行政区画その他の区域”とあります。その区域とは、府県に関しては原則として市・郡であり、必要に応じて町村などの下位区分が記されています。
「支庁管内」という区域が記されているのは、北海道と東京都だけです。
東京都は島嶼部での郡の代わり?[71480]であり、北海道は「役に立たない郡」[71695]を無視した結果と思われます。

ともかく、北海道支庁設置条例を、「北海道総合振興局設置条例」の別表第1(北海道公報掲載[71685])のように改めると、公職選挙法に影響を与えてしまうということになります。
公職選挙法別表第一を、他の府県並みに市・郡単位の記載に改めれば解決する問題でしょうが、法律改正が間に合わず、今回のボタン掛け直しは実現しませんでした。

明治30年(1897)に生まれ、110年以上も使われてきた北海道の「支庁」。
親方である本庁の変身に伴ない、支庁の性格も変化しましが、現在も「行政機構」のままである点は変りません。
「中間階層として役に立たない郡」に代って広域指標には使われるものの、「府県」のような実体を備えた存在に進化しようもない「支庁」は、「地名もどき」の存在に留まっています。

総合振興局や振興局になった後、この「地名もどき」の使われ方はどのようになるのか?
「支庁」という言葉が表舞台から消えて、従来からも使われてきた「○○管内」に統一されるのでしょうね。

明治時代の用例、堺県管内[17181]、埼玉縣菅内[37601]、宮城県管内[42730]、滋賀県管内[64158]、岡山県管内[65091]などには、「県」という1字が入っていましたが、地名もどきとしては長すぎる「○○総合振興局管内」という使い方になることは、まずないでしょう。
[71743] 2009年 8月 21日(金)19:07:06山野[山野] さん
合併協定調印式(加須)
もう一つ。本日、加須地区4市町は予定通りに合併協定調印式が行われました。

でるでるさんへ
栃木地区の情報と共に更新の方お願いします。
[71742] 2009年 8月 21日(金)18:27:49【2】山野[山野] さん
栃木地区、合併破談
でるでるさんへ
本日、西方町議会にて1市4町の合併議案を採決した結果、
賛成4、反対5で反対多数により否決されました。
参照記事:1市4町不成立 西方町議会が否決(下野新聞)
これで、同地区の合併は白紙となり、西方町は鹿沼市との合併を進める事になりそうです。
(追記)
あ、でも旧日光市のように住民投票をして同枠組みで賛成多数だったことから
議会に再提案で可決された事もあったので、こちらの可能性もあるかな。

*1、リンク先変更。
*2、追記。
[71741] 2009年 8月 21日(金)18:23:11鳴子こけし さん
Re:イラストがない?
[71740]makiさん
東北道で「イラストなしの市町村境界看板」を発見したのです。
記憶によれば仙台と平泉だったかな?
これは、走行中に同じ市町村を二度通るときに発生する現象と思われます。

東北道は、仙台市を一度通った後、名取市を通過して再度仙台市を通ります。
この場合、一度目の看板はイラストがありますが、二度目の看板にはイラストがないということになります。平泉も同様です(奥州市を通過する)。
他にも同じようなケースがないかと探してみましたが、少し探しただけでは見つけられませんでした。
[71740] 2009年 8月 21日(金)16:49:17maki さん
イラストがない?
ご無沙汰しております。秋田へ行く前の記事が最新の書き込みでした。
十番勝負は参加できる時間が取れませんでした…ログは見ていたのですが。

実は、つい先週和歌山に行きました。2泊予定が1泊になったのですが…
東名高速(焼津~袋井の上り)が通行止め状態ということもあり、中央道経由で行かざるを得ませんでした
(中央道→東名高速→名古屋高速→東名阪道→伊勢道→紀勢道、結果的に中央道を全線走破した形)。
上りが早く復旧していたら…

その前に秋田旅行関連の話。
東北道で「イラストなしの市町村境界看板」を発見したのです。
記憶によれば仙台と平泉だったかな?
サイズが小さいので気づきにくい…

合併関連の看板は更新済みでした。
ちなみに、大崎と栗原では「市」と「町」だけを隠して旧市町名を残していました
(1番最初は合併後の市名だけでしたが)。

で、和歌山は宿泊地への往路に国道311号線を利用したのですが…途中から悪路に。
復路は国道168号線経由だったのに…カーナビの設定をちゃんとしておけばよかったな…。
帰りは潮岬と紀伊大島に立ち寄りました。

とりあえず合計経県値は107点になりました(岩手+3、秋田+4、三重+2で合計3、和歌山+4)。
実は和歌山(本体)へ行く途中で奈良も通過していたりするのですが。
なお、東名阪・伊勢道の境界看板は更新済みでした(紀勢道は元から合併後の表記)。
でも東名阪の看板が足りなかったような…弥富と蟹江の間に看板がない。

関係ありませんが、上信越道の安中市の看板はまだないのかな?そして高崎市は…?
[71739] 2009年 8月 21日(金)13:59:52スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
市しか通らないJR線(茨城編)
[71733]ヌオさんの記事と関係ありそうなことを発見したので、報告します。

路線名所在市名
水戸線小山市、結城市、筑西市、桜川市、笠間市
水郡線(常陸太田支線)那珂市、常陸太田市※1
鹿島線香取市、潮来市、鹿嶋市
※1(上菅谷~常陸太田間)


上記3線は、僕の地元の茨城県内で見つけた、「市しか通らないJR線」です。
とりあえず、3線見つかりましたが、このようなJR線は都市部に行くほど増えると思われます。
[71738] 2009年 8月 21日(金)02:17:00【1】YT さん
明治11年~13年の『共武政表』での富来の記載
富来村の話題が出てきますが、近代デジタルライブラリーで検索できない明治11年から明治13年までの『共武政表』での記載は以下の通りです。

明治12年1月1日調の人口を収録しております明治11年『共武政表』では、
地名戸数人口
地頭町村2031,015
領家町村132612

明治13年1月1日調の人口を収録しております明治12年『共武政表』では
地名戸数人口
富来駅3481,626
但領家町村、高田村、地頭町村合、土俗富来駅ト唱フ
地名戸数人口
領家町村114480
高田村43226
地頭町村191920

明治14年1月1日調の人口を収録しております明治13年『共武政表』では
地名戸数人口
富来3881,821
但地頭町村、領家町村、高田村合、土俗富来ト唱フ
地名戸数人口
地頭町村198927
領家町村136620
高田村54270

明治12,13年の『共武政表』では、富来(駅)=地頭町村+領家町村+高田村という扱いになっています。

参考までに

【明治14年の数字修正・追記】198+136+54=388戸ですが、927+620+270=1,817人で、1,821人に5人足りません・・・
でも原文では「一、八二一」「千八百廿一人」と富来の人口を二度書いているので、合計の方には間違いはないと思います。内訳の方は何度読んでも、「九百二十七人」「六百二十人」「二百七十人」と書かれているんですけどね。
[71737] 2009年 8月 21日(金)01:42:34EMM さん
謝罪しても謝罪し切れませんが
[71735] 千本桜さん
上記の書込みはEMMさんの誤解と邪推の産物です。
はい。あの一言はEMMの妄言でありました。
千本桜さんの仮説に対応しようといろいろ調べていったところ資料が多岐にわたり容易にまとめることができなくなってしまった事からの焦りと、[71198]でより詳細な資料を基にまとめられたokiさんに対する嫉妬心とから生じたものでした。
その上、引っ込みが付かなくなって[71239][71403]でさらに失礼な書き方をしております。
EMMが無礼な発言をした、と言うのは消しようのない事実です。
千本桜さんには心からお詫び申し上げます。
また、巻き込んでしまった形のokiさん、白桃さん、いっちゃんさん、並びに多大なるご心配・ご迷惑をおかけしてしまったグリグリさんや落書き帳メンバーの皆さんにもお詫び申し上げます。
どうもすいませんでした。

なお、私の本意はあくまで「富来のことを深く知ってほしい」と言うことであったと言うこと、そして[71240]については「削除→再投稿」と言うことは誓って行っていないと言うことは明言いたします。
[71736] 2009年 8月 21日(金)00:44:05般若堂そんぴん さん
手口
[71735] 千本桜さん
EMMさんは[71240]を書込み訂正しているのに、【1】や【2】という訂正記録が表示されていません。 EMMさんは、ご自身に都合の悪くなった書込みを人に知られず訂正する裏技をお持ちなのですね。落書き帳の信頼に係わる出来事です。

EMMさんが投稿した記事をを一度削除し,次の方の記事が投稿される前に訂正した記事を投稿なさった,ということではないでしょうか.
私もまたその「酷すぎる手口」とやらを使用した事がありますので.
[71735] 2009年 8月 20日(木)23:31:45千本桜 さん
酷すぎる手口
[71198] EMM さん
千本桜さんの「中途半端な資料による中途半端な考察」
上記の書込みはEMMさんの誤解と邪推の産物です。私は、ただ単にピンポイント富来の存在を確認したかっただけ。そういう段階でした。それなのに、中途半端な考察と決めつけられても何のことだかさっぱり分かりません。
EMMさんは[70838]
「富来」という地名は、歴史上出現して以来徹頭徹尾広域地名である…明治以前に富来村(富木村)なんてものが実在したことはなかった
と書込んでいますから、ピンポイント富来の存在を否定したい気持ちが先走るのでしょう。でも、他の人の意見を拒絶するのは良いことではありません。
もしかして互いの書込みの中に誤解を誘発する書込みは無かったかと再度読み直してみました。そこで、EMMさんが大幅な書込み訂正をしていることを知りました。[71239][71240][71427]を訂正していますね。訂正前の文を私は読んでいます。小学生でも「これは変だぞ」と思うくらい酷い個人攻撃が書いてありましたね。大幅に訂正するなら、訂正機能を使わずに新たな項を立てて書込むのが道理かと思います。自分に都合の悪いことを隠してしまおうとするのは良くないことです。これだけなら本日あえて書込みするつもりはありませんでした。しかし、どうしても書込まなければならない重大なことに気がついてしまったのです。EMMさんは[71240]を書込み訂正しているのに、【1】や【2】という訂正記録が表示されていません。 EMMさんは、ご自身に都合の悪くなった書込みを人に知られず訂正する裏技をお持ちなのですね。落書き帳の信頼に係わる出来事です。
[71734] 2009年 8月 20日(木)23:03:19にまん さん
2位に躍進?
[71733] ヌオ さん

山口県ですが、そう遠くない将来に阿東町が山口市と合併することがほぼ確実ですから、そうなると、町の駅が一気に9つも減って5つに。市内の駅の率は96.428%となり、一挙に2位まで順位を上げそうです。

あ、長浜の合併の方が先になりそうだから、3位どまりですかね
[71733] 2009年 8月 20日(木)21:36:02【1】ヌオ さん
かつての大阪府は・・・
十番勝負の前の話題になりますが、[70924]の実那川蒼さんの記事において、滋賀県のJR駅は全て市内になるということでした。

そこで全国の都道府県において、各都道府県内にあるJR駅の市にある割合を調べてみました。


都道府県市内にある割合(%)
北海道198259646342.765※1
青森県4656410643.396※1
秋田県9214010686.792
山形県6040410457.692
岩手県10334814571.034
宮城県9836013473.134 
福島県7066514149.645
茨城県67517391.781
栃木県34904379.070
群馬県341635364.151
埼玉県601507580.000
千葉県13914115490.260
東京都1356014195.745※2
神奈川県9513010887.963
新潟県16021818984.656
富山県43404791.489
石川県241303764.865
福井県431806170.492
山梨県352005563.636
長野県104434319054.737
岐阜県53806186.885
静岡県71807989.873
愛知県681208085.000
三重県592308271.951
滋賀県50805886.207
京都府611027383.562
大阪府983010197.028
兵庫県12221014385.315
奈良県28403287.500
和歌山県404008050.000
鳥取県293406346.031
島根県603209265.217
岡山県11211012391.057
広島県1406014695.890
山口県12614014090.000
徳島県522307569.333
香川県42604887.500
愛媛県721108386.747
高知県252635446.296
福岡県11941316373.006
佐賀県471205979.661
長崎県28803677.778
熊本県501156675.758
大分県771008788.506
宮崎県631307682.895
鹿児島県66707390.411
沖縄県0000
全国計3398110496459873.902

※1・・・吉岡海底、竜飛海底の両駅は除く
※2・・・東京都の市内の駅の数には、特別区内の駅(76駅)を含む



割合だけを見て多い順に並べると、
大阪府97.028%
広島県95.890%
東京都95.745%
茨城県91.781%
富山県91.489%

逆に少ない順に並べると、
北海道42.765%
青森県43.396%
鳥取県46.031%
高知県46.296%
福島県49.645%

となります。手作業でカウントしたため、間違いがあるかもしれませんm(_ _)m

 人口との関係を見てみると、割合の下位の方は、人口の少ないところや、面積の大きいところが多く並んでいるようですが、必ずしも人口の多いところが並んでいるという訳ではないようですね。
 圧巻なのは大阪府ですが、大阪府の町内にある3つの駅の中で、関西空港駅(田尻町)は1994年6月15日開業、島本駅(島本町)は2008年3月15日開業なので、阪南市が市制施行した1991年10月から約2年半の間は、熊取駅(熊取町)の唯一つだけが町にある駅だったということですね。ちなみに、私鉄を併せて考えると、沖縄県はゆいれーるの駅が全て那覇市にあるので、100%になります。
 そして、話題になった滋賀県ですが、今のところはまだ8駅が町にあり、割合で見てもそこまで多くが市にあるという訳ではないようです。
[71732] 2009年 8月 20日(木)21:20:28山野[山野] さん
合併協定調印式(富士宮)
でるでるさんへ
富士宮市と芝川町は昨日、全ての協議項目の審議が終わり今月25日に合併協定調印式が行われるとの事。
参照記事:静岡新聞
[71731] 2009年 8月 20日(木)12:15:20hmt さん
支庁を考える (8)北海道の「支庁」-その概略史(戦前編)
北海道では、始めから14支庁だったわけではありません。一応の概略史を記してみます。

明治新政府の支配下になった蝦夷地改め北海道では、幕府直轄の箱館府は開拓使の所管となり、渡島半島にあった松前藩は、館藩>館県を経て弘前県>青森県の所管になりました。そして開拓を待つ残る地域について、明治2年に政府が決めた方針は分領支配でした。
分領支配とは、一部の要地を政府直轄地として確保するにとどめ、残る大部分を諸藩、省、士族、寺院等などに分割して、旧武士団を開拓と北辺防備の任に当たらせるというもので、その一例をリンクしておきます。徳島藩佐賀藩

結局のところ、この分割統治体制は長続きすることなく、明治5年9月に北海道のすべてが 開拓使直轄統治 という形で統一され、開拓使本庁が 東京から札幌に移転開設されました。
「支庁」の初登場はこの時で、函館・根室・宗谷(M6留萌M8廃止)・浦河(M7廃止)・樺太(M8廃止)の5つ。

開拓使廃止後、函館・札幌・根室の三県と農商務省北海道事業管理局との二重構造時代がありましたが、成果の挙らなかった三県一局体制は、明治19年の 内閣布告 で廃止され、“北海道庁を札幌に支庁を函館根室に置く”ことになりました。2代目の支庁です。

現在の支庁の直接の先祖は3代目です。
それは、北海道庁が、明治30年(1897)に数郡程度の単位で設けていた郡長・郡役所に代えて設置した19支庁でした。
函館支庁の管轄区域は函館区、札幌支庁は札幌区と札幌郡など5郡という具合で、郡区町村編制法時代の「区」は、郡と並んで支庁の管轄下にありました。明治30年勅令第395号

この明治30年とは、本州より南の府県では、従来からの行政区画であった「郡」に自治体的な役割も兼ねさせる「郡制」を施行するための準備として、郡の再編が行なわれた時代です。

北海道の支庁は、弱小の郡を統合した産物という点では、府県において再編された郡と共通点を持ちます。
しかし、郡会などにより人民の意思を多少なりとも反映させる自治体を目指した後者とは異なり、直轄植民地的な性格であった北海道の支庁は、あくまでも政府の統治体制下の北海道庁出先機関でした。

参考までに、明治38年の北海道庁官制 を見ると、1部 総務、2部 教育兵事民籍、3部 産業、4部 警察、5部 殖民、6部 土木運輸の6部制をとっており、これにより役所の主な仕事を推測することができます。

変遷情報 には 1897年のこの3代目支庁設置以降の情報が既に入力されています。

1899年の変遷情報として記録されている、北海道区制による3区(札幌・函館・小樽)と、亀田支庁→函館支庁とを説明します。
この北海道区制は、19支庁を設けた前記勅令よりも前に、明治30年勅令第158号 として公布されていましたが、施行は2年後になったものです。議会を備えた自治制度への第一歩ということで準備期間が必要だったのでしょう。

そして、北海道区制により新設された3区(札幌・函館・小樽)は、「札幌区」・「函館区」という名前は郡区町村編制法時代と同じであっても、北海道庁専制の郡部とは一線を画す存在として、支庁の管轄を外れることになりました。
かくして 1899年に従来の函館支庁は自然消滅し、郡部を所管する亀田支庁が函館支庁に改称しました。

支庁の数が14になったのは、3支庁統合による 後志支庁誕生 の1910年でした。
それ以後は、支庁の数には変りがありませんが、大正11年(1922)になってようやく北海道にも施行された「市制」による「市」も、当然のことながら支庁の管轄外になるので、北海道庁専制支配下の支庁の管轄する地域は、少しずつ減少したことになります。

1922年の4支庁改称(変遷情報の「支庁設置」は誤記?)は、このような市部と郡部との違いを、名称の上からも明確にするという趣旨からのものでしょうか。
[71730] 2009年 8月 20日(木)00:43:45【2】Issie さん
問一外伝:明治・大正期の小選挙区
この話題も五月雨式になって申し訳ありません。

「問一」に関連して,[71690] で1956年に成立の一歩手前まで行った 鳩山内閣(←もちろん,由紀夫首相でも邦夫首相でもなく,一郎首相の) の小選挙区案(ハトマンダー)について,「複数の衆議院小選挙区がある市」を見てみました。そこで,もう少し時代をさかのぼりましょう。
明治憲法の時代,現在の国会に当たる「帝国議会」の衆議院議員の選挙制度は 小選挙区制(1889年) → 大選挙区制(1900年) → 小選挙区制(1919年) → 中選挙区制(1925年) → 大選挙区制(1945年) → 中選挙区制(1947年) と変遷していきました(括弧内は,それぞれの選挙制度が制定された年。その制度で実際に選挙が実施されたのは,いずれもその数年後です)。
つまり,現行の小選挙区制に先立って過去に2度,小選挙区制が実際に採用されていたのです。

そもそも最初に帝国議会が創設されたとき,衆議院議員の選挙制度は小選挙区制から出発したのでした。
(なお,帝国議会のもう一方の院(上院)である貴族院では,衆議院(下院)とは違って,全議員を同じ制度で一斉に選挙するのではなく,さまざまな選出母体からそれぞれ違った方法で議員が選出されました。任期も選出母体によりバラバラで,したがって貴族院には「総選挙」はありません。ついでに,全く違う理由ではありますが,現行制度の 参議院 も,全員の選挙が行われた最初回(1947年)を除いて半数ずつ改選しますから,やはり「総選挙」はありません。地方議会は通常,全員を一斉に選挙するのですが「総選挙」とは言いませんね。だから「総選挙」が行われるのは衆議院議員だけです。)
さて,その最初の衆議院議員の選挙制度ですが,これは 1889(明治22)年2月11日 に公布された「衆議院議員選挙法」(明治22年法律第3号)によって定められています。
この 1889年2月11日 という日付,とても重要です。「きげんぶし(紀元節)」?…  いや,もちろん紀元節(きげんせつ)には違いないのですが,ただの紀元節ではなくて,この日に「大日本帝国憲法」(明治憲法)が“発布”されました。衆議院議員選挙法は,憲法と同じ日に公布されたのですね。ある意味,当たり前と言えば当たり前ですが。ちなみに,同じ日に公布された 明治22年法律第1号 は「徴兵令」,同第2号は「議院法」です(なお,「法律」全体の“第1号”は,前年(1888:明治21年4月17日)に公布された「市制・町村制」です)。
この“オリジナル衆議院議員選挙法”では,選挙区について以下の通り定めています。

--------------------------------------------------------------------------------------
第一条 衆議院ノ議員ハ各府県ノ選挙区ニ於テ之ヲ選挙セシム其ノ選挙区及各選挙区ニ於テ選挙定員ハ此ノ法律ノ附録ヲ以テ之ヲ定ム
 (第二条・第三条略:府県知事による選挙監督,郡長・市長を選挙長とする規定)
第四条 一市ノ域内ニ於テ数選挙区アルトキハ府県知事ハ区長ヲシテ其ノ選挙長タラシムヘシ
--------------------------------------------------------------------------------------

第4条で,1つの市が複数の選挙区にまたがることが予想されていますね。
そこで,具体的に選挙区割りと定数を定めた「附録」を見ましょう。こんな選挙区かあります。

東京府第1区麹町区・麻布区・赤坂区1人
第2区芝区1人
第3区京橋区1人
第4区日本橋区1人
第5区本所区・深川区1人
第6区浅草区1人
第7区神田区1人
第8区下谷区・本郷区1人
第9区小石川区・牛込区・四谷区1人
京都府第1区上京区1人
第2区下京区1人
大阪府第1区西区1人
第2区東区・北区1人
第3区南区1人

ちなみに,東京府第10~12区,京都府第3~6区,大阪府第4~9区は,それぞれの府の郡部が属する選挙区です(大阪府第8区 には 大鳥郡・泉郡 とともに「堺区」が含まれる)。
つまり,東京市・京都市・大阪市 の3市が「複数の衆議院小選挙区がある市」でした。
ところが,この法律の「附録」には「東京市」「京都市」「大阪市」の記載はどこにもありません。なぜかといえば,それはこの法律の公布日に注目。1889年2月11日には,まだ「市制」が施行されていないのですね。日本全国,どこにも「市」が存在しないのです。この「附録」に記載されている行政区画は「郡区町村編制法」によるものなのですね。だから,大阪8区にあるのも「堺市」ではなく「堺区」なのでした。
でも前述の通り,すでに「市制・町村制」(明治21年法律第1号)は公布されています。「市」が設置されるのは既定事項だから,本文の第1条や第4条に「市」が登場するのです。実際,この法律が公布された2ヵ月後の1889年4月1日から順次「市制」が施行されて,1890年7月1日に 第1回総選挙 が実施されることになります(この日をもって 衆議院議員選挙法 が施行)。そしてその年の11月29日に 第1回帝国議会 が開会され,この日“初めて”大日本帝国憲法が施行されました。

1900年,第2次山県内閣は衆議院議員選挙法を全面改正して小選挙区制を廃止し,代わって大選挙区制を導入しました。これは基本的に各府県ごとに定数を割り振って,府県単位で議員を選出するというものです。ただし,当時はまだ稀少な存在であった「市」は府県(郡部)選挙区から分離して1選挙区とされました。東京市は11人,京都市は3人,大阪市は6人が割り振られた“大選挙区”でしたが,ほかの市は定数1の“事実上の小選挙区”でした(1902年の改正で横浜市の定数は2人に増やされました)。

これが再び改正(部分改正)されて「小選挙区制」に戻したのが1919(大正8)年,“初の本格的政党内閣”の 原内閣(政友会) でした。「複数の衆議院小選挙区がある市」は以下の通り。

東京府第1区麹町区・四谷区1人
第2区麻布区・赤坂区1人
第3区芝区1人
第4区京橋区1人
第5区日本橋区1人
第6区本所区・深川区3人
第7区浅草区2人
第8区神田区・下谷区2人
第9区本郷区1人
第10区小石川区1人
第11区牛込区1人
京都府第1区上京区2人
第2区下京区2人
大阪府第1区西区3人
第2区東区2人
第3区北区3人
第4区南区3人

やはり,東京市・京都市・大阪市 の3市ですね。
ここで注目すべきは,「小選挙区制」なのに“定数3”なんて選挙区があることです。
実は,1889年の“第1次小選挙区制”でも 214 の“1人区”に対して“2人区”が 43 ありました。これで都合,総定数300 となるのですね(奇しくも,現行の小選挙区の定数と同じです)。2人区を作った表向きの理由は「市郡を分割しない」ため。
もちろん,1919年の“第2次小選挙区制”でも表向きの理由は同じなのですが,こちらの場合,295 の“1人区”に対して“2人区”が 68,“3人区”が 11 もあります(都合,総定数は 464)。「2人区を 20 も作った」と批判された ハトマンダー どころではありません。
種明かしをすれば,従前の大選挙区制で“事実上の小選挙区制”であった 市部選挙区 はそのまま,郡部選挙区 を分割したのですね。これで有利になるのは“第一党となるべき政党”,つまり与党である政友会。事実,この後,1920年5月10日に実施された第14回総選挙では 与党・立憲政友会:278(+113),野党・憲政会:110(-11),同・立憲国民党:29(-6) と与党の圧勝でした(括弧内は前回総選挙からの増減)。あまりに露骨。
その後,原首相が暗殺された後に第2次護憲運動が盛り上がり,(男子)普通選挙制の導入をめぐって政友会が分裂して実施された 1924年5月10日 の第15回総選挙で「普選法導入」を公約とした“護憲3派”(憲政会,政友会,革新倶楽部)が圧勝。1925(大正14)年の衆議院議員選挙法全面改正で,いわゆる「普通選挙法」が成立,男子普通選挙と同時に“中選挙区制”が導入されました。各選挙区の定数が「3~5人区」であるのはなぜかというと,これを作ったのが 護憲“3派” だからだってさ…。

詳しくは こちら をどうぞ。

つぶやき…
今回の解答にあたって多くの方が参照している Wikipedia の ここ 。何か,構成や言い回しがウチのページに似ているんだよね。履歴を見ると,「2002年区割変更」とか「選挙区が分割されている市区町村」という章が追加されたのは 2008年1月26日(協定世界時で) のことらしい。
ま,深くは追求しないけど,パクったのはこちらじゃないからね。
[71729] 2009年 8月 19日(水)23:35:31右左府 さん
秋田県内の市立高校
[71708] 桜トンネル さん

かな高校、市立高校一覧、いずれも大変興味深く拝見しました。

能代市 1校 市立商業高校
とありますが、正しくは「市立能代商業高校」です。
能代市唯一の市立高校であるこの高校も、県内で今進行している高校再編の一環で、近々県立能代北高校と統合されるようです。

合併できた北秋田市や北杜市などがあるのには驚きました
北秋田市立合川高校は元々、鷹巣阿仁地域5町村(鷹巣町・合川町・森吉町・阿仁町・上小阿仁村)による組合立の高校でした。校名は「秋田県公立合川高等学校」。
それが、この間の合併で組合の構成町村のうち4町が北秋田市となり、同時に上小阿仁村が組合から脱退したことで、北秋田市立となったようです。
ちなみに、北秋田市でも高校の統合計画があり、この合川高校を含む市内4高校全てが1校に統合される予定です。
[71728] 2009年 8月 19日(水)21:34:01オーナー グリグリ
いろいろと
まず、引き続き十番勝負の感想書き込みをありがとうございます。[71727]の小松原ラガーさんの記事までを第二十三回「傾向と対策」に追加しました。また、[71672]k-aceさんの記事を問七の解説記事に、[71690]Issieさんの記事を問一の解説記事に追加しました。ありがとうございました。

[71689]日本人さん、ご指摘をありがとうございました。修正しました。
[71691]白桃さん、ご理解とご協力をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
[71718]LsLxさん、ご説明をありがとうございました。もうあまり気にしないでください。かえって気を使わせてしまって申し訳ありませんでした。
[71721]88さん、業務連絡の件、対応しました。次回更新時に反映されると思います。
[71727] 2009年 8月 19日(水)20:13:20小松原ラガー さん
第二十三回 十番勝負 感想
小松原ラガーです。学校ネタで盛り上がっている中、季節外れぐらいに遅くなりましたが、私も今回の十番勝負の感想を。

【総評】
今回は、悔し恥し、もったいないの一言に尽きる十番勝負でした。例によって、参戦は皆さんの怒涛の回答ラッシュがひと段落し、そろそろヒントが・・・という頃でした。皆さんのやり取り/つぶやきをそれとなく眺めていて問三に気づき、早めにGET。その後の問題はヒント発信後でしたが、アナグラムヒントそのものはそれほど難しく感じず、9問まではわりとすいすいと来たのですが、そこからがまずかった。9問回答時点で9勝0敗、かつランキングもギリギリ20位内にいる程度だったのですが、最後の1問でなんと7連敗。よくわかりませんが、過去に同一問題の連敗記録というのはどの程度なのでしょうか?ひょっとしたら記録を作っちゃったのかもしれません。とうとう10連勝10問完答を逃し、9問どまりという結果でした。あ~ぁ、もったいない。

【個別】
問三:伊万里市でGET。[71158]
どうも問三に関して変だ。保留は多いし、みんなぶつぶつ言っているし・・・、と考えたときにテレビを見てハタと気がつきました。「あっ、そうか。今年の夏の甲子園の出場校のある市やんけ。保留になっているのは、まだ地方大会が終わっていないため確定しとらんのや。」と。別のことをしていたので、次の日にちゃんと調べて回答しようと思っていたいのですが、たまたまテレビで「佐賀県代表伊万里農林」とニュースでやっていたので、ササッと伊万里市で答えておきました。

問一:神戸市でGET。[71340]
これ以降は、全てアナグラムヒントが出てからですが、「一つじゃないの」、「区がいくつもある。」(正確には「いくつも区がある。」)は簡単に解けました。ただ、そこからは横着しました。単純に住所に区がある市や政令指定都市(区がある)ということかと考え、まだ出ていない地元の神戸市で答えました。実際には衆議院の小選挙区が複数ある市ということだったのですね。既出解をちゃんと調べるとかしてたら自分自身で迷宮入りしてしまってたかもしれません。まったくの結果オーライです。

問二:宇部市でGET。[71341]
これも、アナグラムの「本線もあるよ」、「昔の国鉄」は簡単にわかりました。ただ、問一と問二のお題の市を取り違えて考えてしまうという大歩危をしてしまい、問一を含めて数時間のロスをしてしまいました。とりあえず、「えきから時刻表」で愛知県だったか三重県だったかあたりから西に順番に探し始めて、あれも既出、これも既出、という感じでやっと山口県の宇部市(宇部線)にぶち当たりました。

問四:古河市でGET。[71344]
これも第二ヒントまで出てから。「読みだけ同じ」かつ「郡も対象」から共通項は簡単にわかりました。で、データベース検索だったか雑学だったで調べてもよかったのですが、手を抜いて、既出の市でペアとなる「市」がないかどうかを探して、古賀市に対してまだ古河市が答えられていないことを確認して回答しました。

問八:浦添市でGET。[71347]
最初のアナグラムは正直、しばらく解ききれませんでしたが、二つ目のアナグラムとセットになって初めて「暗くなってから」、「光輝く街」とわかりました。暗くなってから光り輝くとなれば、やはり夜景しかありますまい。私自身、結構夜景に関してはフェチであり、我が地元の神戸市は1000万ドルの夜景、かつ、3大夜景の一つ。この問題に関しては神戸市で答えたかったですが、世の中そんなに甘くなく、時すでに遅し。「夜景百選」でググッてみれば、想定解と同じ数の市があるではありませんか。神戸市を逃した小松原ラガーとしては、もうやけくそ。ということで、一番遠方の浦添市を回答しました。

問五:今治市でGET。[71365]
これもアナグラムは「単純比較」、「五万と増えた」と解いてはみたものの、「五万と増えた」が語呂的に今一つかなという気もしました。ま、でも単純にある時期からある時期までに五万人人口が増えた市だと考え、よく見れば合併によって市名がそのままで人口が五万人以上増えたのもありみたいだと考え、探しました。合併して五万人以上増えたケースをいくつか探しましたが、意外と残り少なく、多くの町村を巻き込んだ今治市で回答しました。

問六:霧島市でGET。[71370]
これは少々ずっこけました。アナグラムの「最近の記事」はすぐに解けたのですが、もうひとつを「なだのつくもの」=「灘のつくもの」と解いてしまい、???となってしまいました。「なんで山鹿市や筑西市、倉吉市に灘が関係あるの?まさかお酒?」とあらぬ方向に行ってしまいました。何度かアナグラムを読み返しているうちに「あっ、夏の果物やん」と気づき、あとはEMMさんの過去記事を探し、スイカの生産地を記事のリンクからしげしげと眺め、リストを最後のほうまで見たものだから南のほうの霧島市で回答しました。

問九:中野市でGET。[71375]
今となってはちょっと記憶があいまいなのですが、第一ヒントはちゃんと解けたかどうか・・・。ただ、第二ヒントは「隣が複数」と解けました。そうこうしているうちに第一ヒントの回答が「ムラムラしちゃう」と発表になり、「複数の村と隣接する市」とわかりました。「村」となればやはり長野県。探せばウハウハあるではありませんか。ということで、無難に中野市で回答しました。

問七:下松市でGET。[71418]
これもアナグラムが出てからの取り組みでしたが、「何かが近い」->これOK! その次に「都道府県の何か」->これもOK! ただ、その「何か」がなかなかわかりませんでした。そうこうしているうちに第三ヒント。・・・あっ、「県の密度が近い市」か?とわかりました。密度といえば当然人口密度。過去にも同じような問題がありましたが、今度は同一都道府県内をはずしての問題だなと気づきました。(実は過去の問題には苦しめられましたからよく覚えています。)あとは、都道府県プロフィールと市区町村プロフィールをにらめっこ。既出の市を避けて下松市で回答しました。

さあ、ここまで9連勝!なるか初の10連勝完答!

問十:うきは市[71440]、久留米市[71451]、南アルプス市[71507]、八戸市[71528]、薩摩川内市[71537]、栗原市[71575]、十日町市[71577]と全て×で連続7連敗でSoldOut。
いや、参りました。アナグラムは第二ヒントの「数が多いまま」と第三ヒントの「議員定数の特例」は解けました。それと、「特別に決める」から合併特例法で合併後の市議会議員の定数の多いままの市とは解釈できたのですが、よくよく調べてみると編入と新設合併の場合で扱いが異なったり、あと何が欠けているのかとうとう最後まで分からないままとうとう7連敗を喫してしまいました。あ~ぁ、私にはやはり才能がないのだろうか・・・。

以上ですが、今振り返ってみれば前回の第二十二回も9連勝まで行きながら、最後の一問の人口密度がらみの問題を解き切れずに9勝0敗で投了ということで、前回から少なくとも18連勝しながらそのあとに一つの問題で7連敗。「やっちゃいました!」という感想です。
最後におさらい。正答数ランキング32位、メダルランキング34位。通算では129勝41敗。しつこいですが、それにしても7連敗は痛かった。同一問題の最多連敗記録ではないでしょうか?

最後の最後に、出題、採点ほか運営をしていただいたオーナー グリグリさんはじめご参加のみなさん、ありがとうございました。感謝申し上げます。
[71726] 2009年 8月 19日(水)17:49:22むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)佐賀県
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)佐賀県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前にこの文章で用いた文献の紹介です。

(1)佐賀県統計書明治22-23年度(著:佐賀県内務部第一課、出版:佐賀県、M26.5.19)
#明治22年調べ。おそらく市制町村制施行時の廃置分合そのままであると考えられる。
(2)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12(香川・愛媛県の部分はM23.6))
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(3)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(4)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。

(1)から(4)は総てにおいて参照しました。
以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(1)のみを記載しました。

それでは本論です。

9 新設/村制 杵島郡山口村 杵島郡 山口村の一部, 八町村

9 新設/村制 杵島郡山口村 杵島郡 山口村の一部, 八「丁」村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)23コマ22コマの小城郡南多久村で、杵島郡山口村の一部の記載があるので、山口村の一部との記載で間違いは無いです。

18 新設/村制 杵島郡東川登村 杵島郡 永野村, 内田村, 袴野村

18 新設/村制 杵島郡東川登村 杵島郡 永野村, 袴野村
ではないでしょうか。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では永野村, 袴野村となっています。
ただし佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)では永埜村, 袴埜村となっていますが。。。

35 新設/村制 佐賀郡春日村 佐賀郡 尼寺村, 北村, 久池井村

35 新設/村制 佐賀郡春日村 佐賀郡 尼寺村, 久池井村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

37 新設/村制 佐賀郡松梅村 佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 鹿路村の一部

37 新設/村制 佐賀郡松梅村 佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 「神埼郡」 鹿路「山」の一部
ではないでしょうか。
佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)では「神埼村 鹿路山の内字名尾」となっていますが、これはおそらく「神埼郡 鹿路山の内字名尾」と書くべきところの誤りでしょう。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では佐賀郡 松瀬村, 梅野村, 神埼郡 鹿路「山」の一部となっています。

46 新設/村制 佐賀郡東与賀村 佐賀郡 下古賀村, 「立野村」, 「実久村」, 飯盛村, 田中村

46 新設/村制 佐賀郡東与賀村 佐賀郡 下古賀村, 飯盛村, 田中村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

71 新設/村制 神埼郡三瀬村 神埼郡 三瀬村, 藤原村, 杠村

71 新設/村制 神埼郡三瀬村 神埼郡 三瀬「山」, 藤原「山」, 杠「山」
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

77 新設/村制 神埼郡脊振村 神埼郡 広滝村, 腹巻村, 鹿路村の一部

77 新設/村制 神埼郡脊振村 神埼郡 広滝「山」, 腹巻「山」, 鹿路「山」の一部
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)21コマ
#上述の#37との関係上、鹿路「山」の一部との記載となります。

100 新設/村制 東松浦郡厳木村 東松浦郡 厳木村, 広瀬村, 浦川内村, 中島村, 牧瀬村, 瀬戸木場村, 波瀬村, 笂木村, 岩屋村, 本山村, 天川村, 広川村, 鳥越村, 平之村, 星領村の一部

100 新設/村制 東松浦郡厳木村 東松浦郡 厳木村, 広瀬村, 浦川内村, 中島村, 牧瀬村, 瀬戸木場村, 波瀬村, 「箞」木村, 岩屋村, 本山村, 天川村, 広川村, 鳥越村, 平之村, 星領村の一部
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)22コマ
読みはうつぼ木で、当地には箞木小学校があります。
#112東松浦郡浜崎村で星領村の一部との記載がある関係上、#100東松浦郡厳木村においても星領村の一部との記載のままとなります(22コマ)。

101 新設/村制 東松浦郡呼子村 東松浦郡 呼子村, 大友村, 小友村, 加部島, 小川島

101 新設/村制 東松浦郡呼子村 東松浦郡 呼子村, 大友村, 小友村, 「殿ノ浦」, 加部島, 小川島
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

103 新設/村制 東松浦郡七山村 東松浦郡 滝川村, 木浦村, 仁部村, 荒川村, 馬川村, 池原村, 藤川村, 城木村

103 新設/村制 東松浦郡七山村 東松浦郡 滝川村, 木浦村, 仁部村, 荒川村, 馬川村, 池原村, 藤川村, 「白」木村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)

133 新設/村制 養父郡轟木村 養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 「今泉村」, 「高田村」, 鳥栖村

133 新設/村制 養父郡轟木村 養父郡 轟木村, 藤木村, 真木村, 鳥栖村
ではないでしょうか。
参考:佐賀県統計書明治22-23年度(著・出版:佐賀県、M26.5.19)
[71725] 2009年 8月 19日(水)17:48:13【1】むっくん さん
市区町村変遷情報・長崎県
>88さん
市区町村変遷情報(長崎県)に誤りと思えるところがありましたので報告します。

○市制町村制施行時
1 新設/市制 長崎市 長崎区, 長崎区 上筑後町, (中略), 古河町

1 編入/新設/市制 長崎市 長崎区, 長崎区 上筑後町, (中略), 古河町, 西彼杵郡 上長崎村の一部, 下長崎村の一部
ではないのでしょうか。長崎県令第18号(M22.3.5)で上長崎村の一部と下長崎村の一部がM22.4.1に長崎区に編入された上で市制が施行されているため、編入/新設/市制という種別にしましたが、これで適切であるかは分かりませんが・・・。
これに伴い、
12 村制 西彼杵郡下長崎村 西彼杵郡 下長崎村
30 村制 西彼杵郡上長崎村 西彼杵郡 上長崎村

12 村制 西彼杵郡下長崎村 西彼杵郡 下長崎村の一部
30 村制 西彼杵郡上長崎村 西彼杵郡 上長崎村の一部
へと変更することになります。

31 新設/村制 西彼杵郡深堀村 西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 竿ノ浦村, 土井頸村, 平山村, 蚊焼村, 香焼村

31 新設/村制 西彼杵郡深堀村 西彼杵郡 深堀村, 大籠村, 香焼村
ではないでしょうか。
参考:長崎県令第19号(M22.3.5)

116 新設/村制 南松浦郡魚目村 南松浦郡 北魚目村, 曽根村

116 新設/村制 南松浦郡北魚目村 南松浦郡 北魚目村, 曽根村
ではないでしょうか。
参考:長崎県令第19号(M22.3.5)


--------------
○市制町村制施行時以外
4 1898.10.01 編入 長崎市 長崎市, 西彼杵郡 下長崎村, 戸町村, 上長崎村の一部, 淵村の一部
5 1898.10.01 編入 西彼杵郡浦上山里村 西彼杵郡 浦上山里村, 淵村の一部
2 1898.07.01 分立 西彼杵郡小榊村 西彼杵郡 淵村の一部

4 1898.10.01 編入 長崎市 長崎市, 西彼杵郡 下長崎村, 戸町村, 淵村の一部
5 1898.10.01 編入 西彼杵郡浦上山里村 西彼杵郡 浦上山里村, 淵村の一部
2 1898.10.01 改称 西彼杵郡小榊村 西彼杵郡 淵村
ではないでしょうか。
参考:県告示第129号(M31.7.22)
#長崎市に編入された上長崎村の一部は藩政村単位ではないものと考えられます。
[71724] 2009年 8月 19日(水)17:47:00【1】むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)熊本県
>88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)熊本県に誤りと思えるところがありましたので報告します。

本論に入る前に資料の紹介です。

(1)熊本県令第9号(M22.3.4)(現行熊本県令達類纂上巻明治26年7月刊(編著:熊本県知事官房、出版:熊本県、M26.11.18)に記載)
#市制町村制施行時の郡変更を記載。
(2)熊本県令第10号(M22.3.4)(現行熊本県令達類纂上巻明治26年7月刊(編著:熊本県知事官房、出版:熊本県、M26.11.18)に記載)
#明治22年4月1日に行われた町村分合の根拠。
(3)新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12.)
#市制町村制施行時の廃置分合そのまま。
(4)大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治24年2月ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(5)大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)
#市制町村制施行時の廃置分合に、明治26年末ごろまでの廃置分合も反映させたもの。
(6)地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)
#明治19年1月現在の町村名を記載。
(7)熊本県郡区便覧(編著:水島貫之、出版:活版舎、M12.12.)
#明治12年現在の町村名を記載。


(1)から(5)は総てにおいて参照し、(6)(7)は適宜参照しました。

以下、本文中での参照資料としては各資料が一致しているものについては、原則として簡略化して(2)のみを記載しました。
なお、「陳」と「陣」の違い、「坂」と「阪」の違いという表記の揺らぎの類は原則として省きました。ただし明治22年当時の資料が一致しているものや(6)(7)でも一致しているものは例外的に記載しました。

それでは紹介です。

28 村制 葦北郡吉尾村 葦北郡 吉尾村

28 新設/村制 葦北郡吉尾村 葦北郡 大岩村, 黒岩村, 上原村, 海路村, 吉尾村, 箙瀬村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

38 村制 葦北郡百済来村 葦北郡 百済来村

38 新設/村制 葦北郡百済来村 葦北郡 小川内村, 久多良木村, 田上村, 鶴喰村, 川岳村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

60 新設/町制 下益城郡小川町 下益城郡 小川町, 西小川村, 南小川村, 東小川村

60 新設/町制 下益城郡小川町 下益城郡 小川町, 西「北」小川村, 南小川村, 東小川村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

71 新設/村制 下益城郡豊田村 下益城郡 塚原村, 鰐瀬村, 沈目村, 陣内村, 藤山村, 阿高村

71 新設/村制 下益城郡豊田村 下益城郡 塚原村, 鰐瀬村, 沈目村, 「東阿高村」, 陣内村, 藤山村, 阿高村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

72 新設/村制 下益城郡豊福村 下益城郡 豊福村, 内田村, 「中間村」, 「西仲間村」, 竹崎村, 西下郷村

72 新設/村制 下益城郡豊福村 下益城郡 豊福村, 内田村, 「両仲間村」, 竹崎村, 西下郷村
ではないでしょうか。
まず、熊本県令第10号(M22.3.4)では「中間村」, 「西仲間村」ではなくて「西仲間村」のみとなっています。
しかし新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では「中間村」, 「西仲間村」ではなくて「両仲間村」のみとなっています。
さてどちらが正しいかですが、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在では「両仲間村」、「中間村」の両方がありますが、「中間村」は一つしかなく、これは#73豊野村の一部となった「中間村」ではないかと推測できます。
以上より「中間村」, 「西仲間村」ではなくて、私は「両仲間村」であると推測するのですがいかがでしょうか。

84 新設/村制 菊池郡迫間村 菊池郡 豊間村, 西迫間村, 市野瀬村, 重味村

84 新設/村制 菊池郡迫間村 菊池郡 豊間村, 西迫間村, 市野瀬村, 「大平村」, 重味村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

138 新設/村制 玉名郡大野村 玉名郡 中土村, 下前原村, 中土村, 大野下村

138 新設/村制 玉名郡大野村 玉名郡 「野口」村, 下前原村, 中土村, 大野下村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

145 新設/村制 玉名郡八嘉村 玉名郡 寺田村, 大倉村, 向津留村, 中阪門田村, 南阪門田村, 北阪門田村, 青野村, 田崎村

145 新設/村制 玉名郡八嘉村 玉名郡 寺田村, 大倉村, 向津留村, 中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村, 青野村, 田崎村
ではないでしょうか。
まず熊本県令第10号(M22.3.4)では、現在記載されているように中阪門田村, 南阪門田村, 北阪門田村となっています。
しかし、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)、大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)、大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村となっています。
過去に遡りますと、旧高旧領取調帳データベースでも中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村となっており、熊本県郡区便覧(編著:水島貫之、出版:活版舎、M12.12.)では中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村であり、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村となっています。
現在、玉名市中坂門田、玉名市南坂門田、玉名市北坂門田です。

これは以前88さんが[56275][66349]で書かれたことと関連するのですが、単なる表記の揺らぎの一つではないでしょうか。
「坂」という文字は「首が転げ落ちて(刎ねられ)土にかえる」という不吉な意味合いを持つため武家階級では嫌われ、全国至るところで「坂」の代わりに「阪」という文字が積極的に使用されました。期間としては幕末から昭和初期にかけてで、そのピークは明治10年代後半から明治20年代前半にかけてです。
ここ熊本県玉名郡八嘉村もその一例に過ぎないのではないでしょうか。
私は中「坂」門田村, 南「坂」門田村, 北「坂」門田村とした方が良いと考えますがいかがでしょうか。

169 新設/村制 合志郡北合志村 合志郡 新明村, 井坂村, 小原村, 麓村

169 新設/村制 合志郡北合志村 合志郡 新明村, 「伊」坂村, 小原村, 麓村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)
また、熊本県郡区便覧(編著:水島貫之、出版:活版舎、M12.12.)より明治12年現在や、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも「伊」坂村となっています。

178 新設/村制 山鹿郡千田村 山鹿郡 千田村, 持松村

178 新設/村制 山鹿郡千田村 山鹿郡 千田村, 持松村, 広村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

189 新設/村制 山本郡吉松村 山本郡 豊田村, 大井村, 今藤村, 平井村, 船島村, 伊知坊村

189 新設/村制 山本郡吉松村 山本郡 豊田村, 大井村, 「亀甲村」, 今藤村, 平井村, 船島村, 伊知坊村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

190 新設/村制 山本郡桜井村 山本郡 舞尾村, 滴水村, 「下滴水村」, 平野村, 荻迫村, 投刀塚村, 鐙田村

190 新設/村制 山本郡桜井村 山本郡 舞尾村, 滴水村, 平野村, 荻迫村, 投刀塚村, 鐙田村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

220 新設/村制 上益城郡白糸村 上益城郡 白石村, 津留村, 目丸村, 菅村, 新小村, 犬飼村, 長原村, 田吉村

220 新設/村制 上益城郡白糸村 上益城郡 白「藤」村, 津留村, 目丸村, 菅村, 新小村, 犬飼村, 長原村, 田吉村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第10号(M22.3.4)

234 新設/村制 託麻郡元三村 託麻郡 元三村, 飽田郡 野田村

234 郡変更/新設/村制 託麻郡元三村 託麻郡 元三村, 飽田郡 野田村
ではないでしょうか。
参考:熊本県令第9号(M22.3.4)、熊本県令第10号(M22.3.4)

237 新設/村制 託麻郡春竹村 託麻郡 春竹村, 八王子村

237 新設/村制 託麻郡春竹村 託麻郡 春竹村, 八王「寺」村
ではないでしょうか。
熊本県令第10号(M22.3.4)、新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22.12)では八王「寺」村となっています。
また、熊本県郡区便覧(編著:水島貫之、出版:活版舎、M12.12.)より明治12年現在や、地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、M20.10)より明治19年1月現在でも八王「寺」村となっています。現在は熊本市八王寺町です。
後に出版された大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)や大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)では八王子村となっていますが。。。。


(おまけ)
#66 中郡村のところにあるスペースを削除した方が見映えが良くなるのではないでしょうか。
[71723] 2009年 8月 19日(水)16:46:47Issie さん
消えなかった市立高校
[71708] 桜トンネル さん
岐阜市 1校 市立岐阜商業高校

[71722] 実那川蒼 さん
消えた市立高校のひとつに、滋賀県唯一の市立高校だった守山市立守山女子高等学校がありました。この学校は県立高校への統合ではなく、私立に移管されて市立高校としての幕を閉じた珍しい経緯を持っています。

昨年は 市立岐阜商業 の私学移管問題が話題になりましたね。奇しくも相手は立命館。
移管を進めたい市長と,存続派の多い市議会が対立。市民の意思を問うために市長が辞職して出直し市長選となるはずだったのに,存続派は候補を擁立できず,結局は(前)市長だけしか立候補がなくて無投票で再選(三選)。でも,市議会が改めて存続を決議したことで,市長も移管を断念した,というお話。

というわけで,あの一覧から 岐阜市 が消えずに済んだわけですが,この掲示板でもたびたび話題になる“伝統校”であっても,生き残るのはとても大変なのです。
[71722] 2009年 8月 19日(水)15:59:26【1】実那川蒼 さん
消えた市立高校
お盆休みは親と一緒に青春18きっぷで海南市まで旅行に行きました。最初は豊岡市の江原駅までの予定だったのですが、普通列車のみでは時間がかかり過ぎることが判明し、目的地変更となりました。

[71708](桜トンネルさん)
そして、次に市立高校のあるところを調べてみました。[2741]深海魚さんがある程度まとめられていますが、統合でなくなっていることもあったり、

消えた市立高校のひとつに、滋賀県唯一の市立高校だった守山市立守山女子高等学校がありました。この学校は県立高校への統合ではなく、私立に移管されて市立高校としての幕を閉じた珍しい経緯を持っています。

もともとの発祥は私塾の裁縫学校でしたが、1951年に守山町に移管、1959年に高等学校の認可を受け、守山町立守山女子高等学校となりました。1970年に市制施行のため守山市立守山女子高等学校に改称しました。裁縫学校に由来する被服科のほかに商業科と英語科を設けましたが、少子化による生徒数不足と校舎の老朽化に悩まされ、2006年に学校法人立命館に移管され、同時に男女共学となり、立命館守山高等学校と改称しました。ちょうどそのころ、平安女学院大学のびわ湖守山キャンパスが2005年に閉鎖され、立命館守山高等学校は2007年にその跡地に移転、同時に中学校を併設して現在に至っています。

ところで、この立命館守山高等学校には野球部がありません。おそらく女子高を前身とし、女子大の跡地に移転したために野球ができるグラウンドを持っていないのだと思いますが、同じく女子高を前身とする滋賀短期大学附属高等学校(旧・滋賀女子高等学校)は今年から滋賀県大会に出場しています。そういえば、今年甲子園に初出場した滋賀学園高等学校も女子高が前身(旧・八日市女子高等学校)でした。現在、滋賀県の女子高はすべて消滅しています。

【訂正履歴】
立命館守山高等学校の移転年を追加。
[71721] 2009年 8月 19日(水)15:00:1488 さん
市区町村変遷情報小レス(大分県その2・尼崎市)
[69931] むっくん さん
M22(1889).4.1付け大分県町村制施行時の情報について(その2)

■南海部郡 下入津村となる従前の町村名について 南海部郡 「竹野浦」, 「河内」, 西野浦 or 南海部郡 「竹野浦河内」, 西野浦
「幕末以降総覧」・・・竹野浦河内
「辞典」・・・竹野浦河内
ご紹介のように、当初は「幕末以降総覧」の記載を基に「竹野浦河内」で編集する予定だったのですが、M22.3.2付け大分県令甲第12号では「竹野浦」「河内」であることから、各種文献よりも県令を優先して「竹野浦」「河内」としたものです。
ご紹介の資料や、現在の佐伯市蒲江大字竹野浦河内に相当すると考えられることから、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記で「竹野浦河内」と判断し、修正しました

■南海部郡 明治村となる従前の町村名の一部について 南海部郡 「庄」木村 or 南海部郡 「床」木村
「幕末以降総覧」・・・床木村
「辞典」・・・床木村
ご紹介のように、当初は「幕末以降総覧」の記載を基に「床」木村で編集する予定だったのですが、M22.3.2付け大分県令甲第12号では「庄」木であることから、各種文献よりも県令を優先して「庄」木村としたものです。
ご紹介の資料や、現在の佐伯市弥生大字床木に相当すると考えられることから、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記で「床」木村と判断し、修正しました

■日田郡 中川村となる従前の町村名について 日田郡 湯山村, 「大鳥村, 柚野木村」, 赤岩村, 桜竹村, 女子畑村 or 日田郡 湯山村, 「合田村」, 赤岩村, 桜竹村, 女子畑村
「幕末以降総覧」・・・大鳥村,柚野木村がM8(1885)に合併して合田村、そのままM22(1889).4.1付けで中川村に
「辞典」・・・合田村として中川村に(M22.4.1付け合併では大鳥村,柚野木村はなし、それ以前は記載なし)
編集作業においてM8の合併を反映し忘れた入力誤りのようです。ご紹介のM22.3.2付け大分県令甲第12号その他に従い、「合田村」としてM22.4.1を迎え町村制を施行した(合田村消滅)と判断し、修正しました

■北海部郡 下ノ江村となる従前の町村名について 北海部郡 「下ノ江村, 黒岩村」, 田井村, 大野村 or 北海部郡 「下ノ江村」, 田井村, 大野村
「幕末以降総覧」・・・下ノ江村は黒岩村をM8(1885)に編入、そのままM22(1889).4.1付け下ノ江村に
「辞典」・・・M22.4.1付け合併では黒岩村はなし、それ以前は記載なし
編集作業においてM8の合併を反映し忘れた入力誤りのようです。ご紹介のM22.3.2付け大分県令甲第12号その他に従い、「下ノ江村」としてM22.4.1を迎え町村制を施行したと判断し、修正しました

■北海部郡 久原村, 上野村, 細村から誕生する町村名について 北海部郡 佐「賀」村 or 北海部郡 佐「加」村
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M22(1889).4.1では北海部郡佐加村、M25(1892).10.28付けで北海部郡佐加村→佐賀村
ご紹介の資料、特にM25.10月の大分県告示第66号の佐加村→佐賀村の改称を根拠として、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記で、正しくは高「瀬」村であったと判断し、修正しました

■北海部郡 四浦 or 四浦村, 保戸島から誕生する町村名について 北海部郡 「四浦村, 保戸島村」 or 北海部郡 「四保戸村」
「総覧」「便覧」・・・M22(1889).4.1では北海部郡四保戸村に(従前の町村名は記載なし)、M25(1892).10.28付けで四保戸村の一部(大字保戸島)が分立して保戸島村に、残余は同日付けで四浦村に改称
「幕末以降総覧」「辞典」・・・M22(1889).4.1付けで北海部郡四浦, 保戸島が合併して四保戸村、M25(1892).10.28付けで四保戸村の一部(大字保戸島)が分立して保戸島村に、残余は同日付けで四浦村に改称
ご紹介のように、当初は「総覧」ほかの記載を基にM22.4.1付け町村制施行時には「四保戸村」として編集する予定だったのですが、M22.3.2付け大分県令甲第12号では「四浦」、「保戸島」であることから、各種文献よりも県令を優先して編集したものです。
今回、改めてご紹介の各資料を拝見し、特にM25.10月の大分県告示第66号の
四保戸村を四浦村と改称し保戸島を割きて別に保戸島村を置く
の記述から、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記であると判断し、M22.4.1付けで「四保戸村」として町村制を施行したと修正しました
なお、改称と分立の順序が、資料によって異なるようです。
ご照会のM25.10月の大分県告示第66号では、上述のように、「改称してから分立」で保戸島村は四浦村から分立したようにも読めます。もっとも、分立してから改称とも読めなくもありません(ちょっと苦しいですが)。M26.7.27付け内務省告示第37号のM25.12.31現在市町村現住人口M25年中のや上記各文献では、明確に「分立してから改称」です(分立か分割かは不明瞭なところがありますが)。
このため、将来の再修正の可能性を残すとの条件付きで、あわせて、M25(1892).10.28付けで四保戸村から保戸島村が分立、同日付けで残余の四保戸村を四浦村に改称と追加(実は復活)しました。

■北海部郡 川添村 となる従前の町村名について 北海部郡 宮河内村, 広内村 or 北海部郡 宮河内村, 広内村, 「種具村, 迫村」
「幕末以降総覧」・・・種具村, 迫村あり
「辞典」・・・種具村, 迫村あり
ご紹介のM22.3.2付け大分県令甲第12号その他に従い、「種具村, 迫村」を含めた4村でM22.4.1を迎え「川添村」として町村制を施行したと判断し、修正しました

■北海部郡 津組村 となる従前の町村名の一部について 北海部郡 千「恕」村 or 北海部郡 千「怒」村
「幕末以降総覧」・・・千恕村
「辞典」・・・千怒村
M22.3.2付け大分県令甲第12号、ご紹介の資料及び当該地が現在の大分県津久見市千怒(ちぬ)であると考えられることから、千「怒」村と判断し、修正しました
―――――――――――――――――――――――――
なお、今回の一連の修正に伴い、M22(1889).4.1付け大分県町村制施行時の市町村数は、
修正前修正後町増減村増減
北海部郡四浦村, 保戸島村四保戸村-1村
宇佐郡四日市町四日市村-1町+1村
宇佐郡長洲町長洲村-1町+1村 
西国東郡来縄町来縄村-1町+1村
速見郡浜脇町浜脇村-1町+1村
速見郡別府町別府村-1町+1村
-5町+4村
の修正により、
修正前:19町261村 計280町村
修正後:14町265村 計279町村
となりました。

業務連絡。
グリグリさんへ。
大分県町村制施行時の町村数を、お手数をかけますが上記のとおり修正をお願いいたします。
―――――――――――――――――――――――――
[70574] むっくん さん
■T5(1916).4.1兵庫県尼崎市となる従前の「あまがさき」町の表記について 川辺郡 尼崎町 or 川辺郡 尼ヶ崎町
「総覧」・・・尼崎町
「幕末以降総覧」・・・尼崎町
「辞典」・・・尼崎町
ご紹介にもあった、M22(1889).2.22付け兵庫県令第24号市制町村制施行時の表記が「尼ヶ崎」ですから、これに従い、「尼ヶ崎」と判断し、修正しました
T5(1916).3.29付け内務省令第15号をも確認していただいて「尼ヶ崎」とのことなのででしょう。
―――――――――――――――――――――――――
まだ沖縄県関連や北海道関連、その他についてのレスはまだ積み残っていると認識しております。順次対応したいと思います。
[71720] 2009年 8月 19日(水)15:00:0488 さん
市区町村変遷情報小レス(大分県その1)
[69930] むっくん さん
M22(1889).4.1付け大分県町村制施行時の情報について(その1)

■宇佐郡 四日市村, 城井村, 吉松村, 石田村, 葛原村から誕生する町村名について 宇佐郡四日市「町」 or 宇佐郡四日市「村」
「総覧」「便覧」「辞典」とも、M22(1889).4.1では宇佐郡四日市村、M24(1891).11.2付けで宇佐郡四日市村→四日市町
「幕末以降総覧」・・・M22(1889).4.1では宇佐郡四日市村、M24(1891).11.3付けで宇佐郡四日市村→四日市町
ご紹介のように、当初は「総覧」ほかの記載を基に四日市「村」で編集する予定だったのですが、M22.3.2付け大分県令甲第12号では四日市「町」であることから、各種文献よりも県令を優先して四日市「町」とし、「総覧」に記載のあったM24(1891).11.2付けの四日市村→四日市町の情報を取り消したものです。
今回、改めてご紹介の各資料を拝見し、特にM25.7.15付け内務省告示第29号中の明治24年中の町村分合改称一覧で、四日市村→四日市町という「動き」が記述されていることから、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記であると判断し、四日市村として町村制を施行したと修正しました
また、あわせて、M24(1891)..11.2付けで宇佐郡四日市村→四日市町と町制施行した旨の情報を追加(実は復活)しました
施行日は「幕末以降総覧」ではM24(1891).11.3との情報もありますが、一次的な資料として「総覧」を使用していることを鑑みました。
#少し余談。それにしても、
以前は記載があった
(中略)
以前の記載では1891.11.2町制でしたが。。。
との情報をきちんとチェックされているのには、参りました・・・。

■宇佐郡 長洲村, 金屋村から誕生する町村名について 宇佐郡長洲「町」 or 宇佐郡長洲「村」
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」とも、M22(1889).4.1では宇佐郡長洲村、M24(1891).5.24付けで宇佐郡長洲村→長洲町
これもさきほどの四日市村の例と同様です。
ご紹介のように、当初は「総覧」ほかの記載を基に長洲「村」で編集する予定だったのですが、M22.3.2付け大分県令甲第12号では長洲「町」であることから、各種文献よりも県令を優先して長洲「町」とし、「総覧」に記載のあったM24(1891).5.24付けの長洲村→長洲町の情報を取り消したものです。
今回、改めてご紹介の各資料を拝見し、特にM25.7.15付け内務省告示第29号中の明治24年中の町村分合改称一覧で、長洲村→長洲町という「動き」が記述されていることから、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記であると判断し、長洲村として町村制を施行したと修正しました
また、あわせて、M24(1891)..5.11付けで宇佐郡長洲村→長洲町と町制施行した旨の情報を追加(実は復活)しました
以前は各種文献に従いM24(1891).5.24付けとしていたのは事実ですが、今回、ご紹介の大分県町村沿革誌の上部欄外の表記に従い、M24(1891).5.11付け町制施行と判断したものです。

■西国東郡河内村となる従前の町村名について 西国東郡 小田原村, 森村 or 西国東郡 小田原村, 森村, 「佐野村」
■西国東郡来縄「町」 or 西国東郡来縄「村」となる従前の町村名について 西国東郡 来縄村, 界村, 「佐野村」 or 西国東郡 来縄村, 界村
「総覧」「便覧」・・・M22(1889).4.1では来縄村、来縄村のままM40(1907).4.1付けで合併して西国東郡高田町の一部に(従前の町村名の佐野村の件は記述なし)
「幕末以降総覧」「辞典」・・・佐野村は河内村の一部に、M22(1889).4.1では来縄村
ご紹介のように、当初は「総覧」ほかの記載を基に来縄「村」で、佐野村も河内村の一部となるように編集する予定だったのですが、M22.3.2付け大分県令甲第12号では来縄「町」であり、佐野村は来縄町の一部となっていることから、各種文献よりも県令を優先して来縄「町」(佐野村を含む)としたものです。
今回、改めてご紹介の各資料を拝見し、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記であると判断し、来縄「村」、佐野村は河内村の一部と修正しました(西国東郡来縄村西国東郡河内村)。

■速見郡 浜脇村から誕生する町村名について 速見郡 浜脇「町」 or 速見郡 浜脇「村」
■速見郡 別府村から誕生する町村名について 速見郡 別府「町」 or 速見郡 別府「村」
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」とも・・・M22(1889).4.1では速見郡浜脇村・別府村、M26(1893).4.11付けで速見郡浜脇村→浜脇町、別府村→別府町
ご紹介のように、当初は「総覧」ほかの記載を基に浜脇「村」、別府「村」で編集する予定だったのですが、M22.3.2付け大分県令甲第12号では浜脇「町」、別府「町」であることから、各種文献よりも県令を優先して浜脇「町」、別府「町」としたものです。
今回、改めてご紹介の各資料を拝見し、特にM27.7.25付け内務省告示第95号中の明治26年中の町村分合改称一覧で、浜脇村→浜脇町、別府村→別府町という「動き」が記述されていることから、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記であると判断し、浜脇村、別府村として町村制を施行したと修正しました(速見郡浜脇村速見郡別府村)。
また、あわせて、M26(1893)..4.11付けで速見郡浜脇村→浜脇町、別府村→別府町と町制施行した旨の情報を追加(実は復活)しました(速見郡浜脇町速見郡別府町
なお、速見郡浜脇村→浜脇町、別府村→別府町と町制施行した旨の施行日については、以前は各種文献に従いM26(1893).4.11付けとしていました。今回ご紹介の資料では、M26(1893).4とまでしか特定できませんが、とりあえず、M26(1893).4.11付けとして編集しておき、さらなる根拠資料の発見に期待したいと思います。

■大分郡 東稙田村となる従前の町村名の一部について 東大分郡 高「城」村 or 東大分郡 高「瀬」村
「幕末以降総覧」・・・高瀬村
「辞典」・・・高瀬村
ご紹介の資料や、現在の大分市高瀬(周囲には同時に合併した岡川,田尻,光吉,寒田なども見える)からもM22.3.2付け大分県令甲第12号その他に従い、高「瀬」村と判断し、修正しました

■大野郡 新田村となる従前の町村名の一部について 大野郡 「西泉村」 or 大野郡 「玉田村」
「幕末以降総覧」・・・玉田村
「辞典」・・・玉田村
M22.3.2付け大分県令甲第12号その他に従い、「玉田村」と判断し、修正しました

■大野郡 野津市村となる従前の町村名の一部について 大野郡 「野口村」 or 大野郡 「野津市村」
「幕末以降総覧」・・・野津市村
「辞典」・・・野津市村
M22.3.2付け大分県令甲第12号その他に従い、「野津市村」と判断し、修正しました

■直入郡 松本村となる従前の町村名について 直入郡 穴井迫村, 君ヶ園村, 渡瀬村, 向山田村 or 直入郡 穴井迫村, 君ヶ園村, 渡瀬村, 「岩瀬村」, 向山田村
「幕末以降総覧」・・・岩瀬村あり
「辞典」・・・岩瀬村あり
M22.3.2付け大分県令甲第12号その他に従い、「岩瀬村」ありと判断し、修正しました

■東国東郡 国崎村となる従前の町村名について 東国東郡 川原村, 北江村, 田深村, 安国寺村, 鶴川村, 「小原村」 or 東国東郡 川原村, 北江村, 田深村, 安国寺村, 鶴川村
「幕末以降総覧」・・・小原村なし
「辞典」・・・小原村なし
ご紹介のように、当初は「幕末以降総覧」の記載を基に小原村なしで編集する予定だったのですが、M22.3.2付け大分県令甲第12号では小原村の記述があることから、各種文献よりも県令を優先して小原村ありとしたものです。
ご紹介の資料から、M22.3.2付け大分県令甲第12号のみが誤記で小原村は単に重複したものと判断し、修正しました

続きます。
[71719] 2009年 8月 19日(水)14:59:5688 さん
市区町村変遷情報小レス(鹿児島県・宮崎県)
[69735] むっくん さん
いつもありがとうございます。また、毎回ながら、大変遅くなりまして申し訳ありません。

M22(1889).4.1付け鹿児島県市制町村制施行時の情報について

■阿多郡伊作村となる従前の町村名の一部について 阿多郡 「花」熟里村 or 阿多郡 「華」熟里村
「幕末以降総覧」・・・花熟里村
「辞典」・・・花熟里村
ご紹介のM22(1889).3.5付け鹿児島県令第26号ほかに従い「華」熟里村と判断し、修正しました

■姶良郡帖佐村となる従前の町村名の一部について 姶良郡 納屋「村」 or 姶良郡 納屋「町」
「幕末以降総覧」・・・納屋村
「辞典」・・・納屋村(町)自体がなし(十日町もなし)
ご紹介の地方行政区画便覧ほかに従い、納屋「町」と判断し、修正しました

■南伊佐郡 山崎村 となる従前の町村の一部の郡の所属について 「南伊佐郡」 二渡村, 泊野村, 白男川村 or 「薩摩郡」 二渡村, 泊野村, 白男川村
「幕末以降総覧」・・・南伊佐郡
「辞典」・・・薩摩郡
■日置郡 串木野村 となる従前の町村の一部の郡の所属について 「日置郡」 羽島村 or 「薩摩郡」 羽島村
「幕末以降総覧」・・・日置郡
「辞典」・・・薩摩郡
■揖宿郡 山川村 となる従前の町村の一部の郡の所属について 「揖宿郡」 大山村, 岡児ヶ水村 or 「頴娃郡」 大山村, 岡児ヶ水村
「幕末以降総覧」・・・揖宿郡
「辞典」・・・頴娃郡
■南大隅郡 牛根村 となる従前の町村の一部の郡の所属について 「南大隅郡」 境村 or 「西囎唹郡」 境村
「幕末以降総覧」・・・南大隅郡
「辞典」・・・南大隅郡
この4例につきましては、ご紹介のM22.3.5付け鹿児島県令第35号に従い、郡名を訂正するとともに変更種別として「郡変更」を追加し、修正しました。
具体的には、「薩摩郡」 二渡村, 泊野村, 白男川村として南伊佐郡山崎村、 「薩摩郡」 羽島村として日置郡串木野村、「頴娃郡」 大山村, 岡児ヶ水村として揖宿郡山川村、 「西囎唹郡」 境村として南大隅郡牛根村、としました。

●M41(1908).3.20付け鹿児島県令第41号によるM41(1908).4.1施行の大島郡沖縄県及島嶼町村制施行について
■大島郡 十島村(この時は「としま」村ではなく「じっとう」村、関連記事) となる従前の町村名の一部について 大島郡 悪「名」村 or 悪「石」島
「幕末以降総覧」・・・悪石島
「辞典」・・・悪石島
■大島郡 龍郷村 となる従前の町村名の一部について 大島郡 龍「竜」郷村 or 龍郷村
「幕末以降総覧」・・・龍郷村
「辞典」・・・龍郷村
まずは、ご紹介のように大島郡十島村を悪名村→悪石島に、大島郡龍郷村を龍竜郷村→龍郷村に、それぞれ修正しました。

■大島郡 鎮西村 となる従前の町村名の一部について 大島郡 「興」路島 or 「与」路島
「幕末以降総覧」・・・与論村
「辞典」・・・与路村
■大島郡 島尻村 となる従前の町村名の一部について 大島郡 八重「等」村 or 八重「竿」村
「幕末以降総覧」・・・八重竿村
「辞典」・・・八重竿村
■大島郡 和泊村 となる従前の町村名の一部について 大島郡 根「打」村 or 根「折」村
「幕末以降総覧」・・・根折村
「辞典」・・・根折村
これらについても、現在の入力内容(興路島,八重等村,根打村)がM41(1908).3.20付け鹿児島県令第41号どおりとのことですが、ご指摘の各内容から鑑みると、与路島,八重竿村,根折村であると判断し、修正しました(大島郡鎮西村大島郡島尻村大島郡和泊村)。
―――――――――――――――――――――――――
[69889] むっくん さん
M22(1889).5.1付け宮崎県町村制施行時の情報について

まず、ご紹介いただいた資料の軽重の確認です。
M22(1889).5.1付け町村制施行に伴う廃置分合を記したM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号が、3種類の文献があり、それぞれ、微妙に差異がある、ということですね。しかも、その中で、
(1)は完全に発行当時のものと同じもののようです。
とのことですから、これらのなかでは「(1)宮崎県史資料編 近・現代3(編・発行:宮崎県、1995)」が最も信頼に値する資料ということですね。

■宮崎郡宮崎町となる従前の町村の一部の郡の所属について 「宮崎郡」 松山町, 瀬頭村 or 「北那珂郡」 松山町, 瀬頭村
「幕末以降総覧」・・・北那珂郡
「辞典」・・・宮崎郡
ご紹介の「宮崎県史資料編 近・現代3」のM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号、地方行政区画便覧ほかに従い、 「北那珂郡」 松山町, 瀬頭村と判断しました。また、「郡変更」については、その可能性もあるのかもしれませんが、現在のところその県令が見当たらないようですので、当面、「郡変更」はないものとして、つまり宮崎郡と北那珂郡の2郡にまたがる新設合併が行われ宮崎郡に所属したと判断し、修正しました

■児湯郡上穂北村となる従前の町村名の一部について 児湯郡 調殿「町」 or 児湯郡 調殿「村」
「幕末以降総覧」・・・調殿村
「辞典」・・・調殿村
ご紹介の「宮崎県史資料編 近・現代3」のM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号ほかに従い、調殿「村」であったと判断し、修正しました

■児湯郡東米良村となる従前の町村名の一部について 児湯郡 中尾「町」 or 児湯郡 中尾「村」
「幕末以降総覧」・・・中尾村
「辞典」・・・中尾村
ご紹介の「宮崎県史資料編 近・現代3」のM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号ほかに従い、中尾「村」であったと判断し、修正しました

■東臼杵郡東海村となる従前の町村名の一部について 東臼杵郡 「第」武「村」 or 東臼杵郡 「大」武村 or 東臼杵郡 「大」武「町」
「幕末以降総覧」・・・大武町
「辞典」・・・大武町
ご紹介の「宮崎県史資料編 近・現代3」のM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号ほかに従い、「大」武「村」であったと判断し、修正しました

■東臼杵郡南浦村となる従前の町村名の一部について 東臼杵郡 島「津」浦村 or 東臼杵郡 島「野」浦村
「幕末以降総覧」・・・島野浦村
「辞典」・・・島野浦村
ご紹介の「宮崎県史資料編 近・現代3」のM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号ほかに従い、島「野」浦村であったと判断し、修正しました

■東諸県郡倉岡村となる従前の町村の一部の郡の所属について 「東諸県郡」 金崎村 or 「宮崎郡」 金崎村
「幕末以降総覧」・・・宮崎郡
「辞典」・・・東諸県郡
ご紹介の「宮崎県史資料編 近・現代3」のM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号ほかに従い、「宮崎郡」金崎村であったと判断し、修正しました

■東諸県郡本庄村となる従前の町村名の一部・町村の一部の郡の所属について 「宮崎郡」 本庄「南」村 or 「東諸県郡」 「南」本庄村、
宮崎郡 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村 or 東諸県郡 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村,
「幕末以降総覧」・・・東諸県郡 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 南本庄村
「辞典」・・・東諸県郡 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 南本庄村
ご紹介の「宮崎県史資料編 近・現代3」のM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号ほかに従い、「東諸県郡」 十日町, 六日町, 向高村, 田尻村, 嵐田村, 「南」本庄村、であったと判断し、修正しました

■東臼杵郡南郷村となる従前の町村名の一部について 東臼杵郡 鬼神野「川」村 or 東臼杵郡 鬼神野村
「幕末以降総覧」・・・鬼神野村
「辞典」・・・鬼神野村
確かに、むっくんさんご推察のとおり、「鬼神野村」だとは思いますが、一連の廃置分合を「宮崎県史資料編 近・現代3」のM22(1889).3.29付け宮崎県令第17号の記述に重きを置いて判断することに統一する方が一貫してよいと思いますので、ご提案のとおり、まずは「鬼神野『川』村」でそのままとしました

続きます。
[71718] 2009年 8月 19日(水)11:26:33LsLx さん
また遅くなってすみません。(汗
[71683]オーナーグリグリさんへ
細かいことかもしれませんが、今回の件は刈谷市とあわら市との比較においてあわら市を田舎としていた点に引っ掛かりを感じた次第です。客観的にみて都会であることが明らかな名古屋市との比較や単にあわら市だけの話題の中での田舎表現であれば文脈にもよりますが問題ないと思います。
刈谷市とあわら市との比較においてあわら市を田舎とした理由は、
両市の位置を大体知っていたし
単純に刈谷市が名古屋市に近いイメージ等があったからです。
(地図帳やwikipediaで見た記憶が)
まあ名古屋市は都会であることが明らかですね.........
[71717] 2009年 8月 19日(水)00:36:24紅葉橋律乃介 さん
北海道市立高校
[71708] 8月18日(火)18:51:00 桜トンネルさん
 市立高校について。道内の公立高校名称については既述ですから、校名に「市立」と付いているもののみ拾っているのだと思います…が、[71713][71715]でMasAkaさんが、[71714][71716] ぺとぺとさんが“隠れ市立高校”を挙げておられますから、念のため道内の現存市立高校を挙げておきます。校名の「北海道」は省略し、「市立」は付けています。

市名学校名
札幌市札幌星園(※)、札幌啓北商業、札幌旭丘、札幌開成、札幌藻岩、札幌清田、札幌新川、札幌平岸(※)、市立札幌大通
函館市市立函館
岩見沢市岩見沢緑陵
滝川市滝川西
旭川市旭川北都商業(※)
士別市士別東
北見市北見似頃(※)
帯広市帯広南商業
釧路市釧路北陽

※札幌星園・札幌平岸高校は2011年廃止予定(市立札幌大通高校と再編統合)
※旭川北都商業は2011年廃止予定(改めて設置された旭川南高校と再編統合)
※北見似頃高校は2012年廃止予定(2009年度募集停止による)

 岩見沢緑陵高校は、私立岩見沢商業高校・岩見沢女子高校を統合して岩見沢市が引き継いだ学校。また、滝川西高校は、私立滝川商業高校を滝川市が引き継いだ学校。


 ついでに、私立で校名にひらがな・カタカナが入っている例。

札幌市札幌山の手
江別市とわの森三愛
函館市函館ラ・サール


 市立高校には、この春に閉校した学校もあったんですが…。
[71716] 2009年 8月 18日(火)23:46:18【4】ぺとぺと さん
市立高校
[71708]桜トンネルさん

五月雨式で恐縮ですが、追加情報です。
京都市立としてリストアップいただいている市立洛陽高校ですが、正しくは市立洛陽工業高校だと思われます。
また、帯広市の北海道帯広南商業高校、釧路市の北海道釧路北陽高校、岩見沢市の北海道岩見沢緑陵高校、大月市の大月短期大学付属高校などが、市立のようです。

北海道に関しては、上記で挙げた3校以外にもまだあるようです。このページで、支庁別に道立高校と市町村立高校が確認できますので、参考にされるとよろしいかと思います。

【4】いずれも情報の追加
[71715] 2009年 8月 18日(火)23:28:29MasAka さん
市立高校のある市・追加
[71708]の桜トンネルさんの市立高校リストですが、滝川市に北海道滝川西高校、井原市に井原市立高校を見つけました。

また、倉敷市に市立玉島高校を発見したので倉敷市は計3校ではないでしょうか。

これ、探すとまだまだ出てきそうな感じですねぇ。
[71714] 2009年 8月 18日(火)23:17:36【1】ぺとぺと さん
高校の名称
[71708]桜トンネルさん
興味深いデータのご提供、ありがとうございます。

大阪が学校の統合でひらがなのつく高校が増えたことがよく分かります。
知らない間に随分統合が進んだのですね。高校時代、試合で対戦したことのある学校が、いくつか統合の対象となっているのが寂しい限りです。島上などは、かつての郡名に由来する校名で、何とも残念な気がします。
ちなみに神奈川県の場合、学校統合で「ひらがな表記(一部を含む)」の学校が、私の思いつく範囲で2校(県立ひばりが丘、県立秦野南が丘)減りました。

伊賀市 あけぼの学園高校 1998年 名称変更 伊賀高校
伊勢市 伊勢まなび高校 2004年 名称変更 伊勢実業高校
いなべ市 いなべ総合学園高校 2001年 名称変更 員弁高校
津市 みえ夢学園高校 1997年 名称変更 津実業高校
福山市 芦品まなび学園高校 2000年 統合 府中高校、戸手高校、自疆高校、神辺高校
以前は「○○学園」というと、イコール私立のイメージがあり、大学時代の同級生の出身校である伊奈学園総合高校が、埼玉県立であると聞いたときは、斬新なネーミングだと感心した記憶があります。また、かつては都立大泉学園高校(こちらは地名から来ているのでしょうね。)という学校が存在したのですが、こちらは統合されて大泉桜高校に改称されてしまいました。

札幌市 1校 市立札幌大通高校
元札幌市民(丸4年間居住しておりました)より、追加の情報提供です。
このほかにも、札幌開成、札幌旭丘、札幌藻岩、札幌平岸、札幌新川、札幌清田、札幌星園、札幌啓北商業の8校があります。(札幌市教育委員会HP
北海道の場合、[70732]紅葉橋律乃介さんの記事にあるように、一部を除き道立・市町村立の区別なく「北海道○○高等学校」という名称となりますので、見分けがつきにくいですね。

郡山市 あかさ開成 1996年 開校
あさか開成の誤りですよね。

【1】事前のプレビューを怠ったため、書き込んだ後に[71713]MasAkaさんの記事に気がつきました。指摘内容も、参照HPも同じなのですが、[70732]紅葉橋律乃介さんの記事に触れていることもありますので、そのままにしておきます。
[71713] 2009年 8月 18日(火)23:05:17MasAka さん
市立高校
[71708]桜トンネルさん
間違いなどがあれば、ご指摘よろしくお願いします。
ってことなので、私が気づいたところを1点。

札幌市には市立高校が全部で9校あるようです(定時制のみの学校も含む)。
札幌市教育委員会の札幌市立高等学校一覧をご覧ください。

各高校の公式サイトを見ると、札幌市立の高校は大通高校を除いて正式名称に「市立」がつかず、「北海道札幌○○高校」のような校名になるのですね。道立高校も同じ命名法なので、一見しただけでは道立か市立かの区別がつきません。
[71712] 2009年 8月 18日(火)22:41:06星野彼方 さん
Re:[71609] 桜トンネル さん
日曜に実家から帰ってきてようやく過去記事を読み終えた星野彼方です。実家に帰っている間に大雨で佐用町を中心に大きな被害が出ていたり、地震で東名高速道路が不通になったり、二十三回十番勝負が終了したり、日本航空石川高校がサヨナラ勝ちしたり、阪神戦が早く終わってすっかり安心していたらその日に限っておっサンテレビがオリックス戦を中継していてよりによって延長に突入してそんなこともあろうかとあらかじめ後ろに45分も余分に予約しているのに大事な話を録画し損ねていたり、といろいろありました。あ、最後は実家に帰る前か。

実はまだ十番勝負の感想をつくっていないのですが、質問にだけ答えておきます。
[71609] 桜トンネル さん
問三解答後に、速攻で答えられた星野彼方さんは予想問題として集めていらっしゃったのでしょうか?

ん~、一言で言うと、「待てば海路の日和あり」かな。

Biglobeの経験値サービスが始まったときに、経験値のページから直接リンクされている「夜景百選」に気づいてチェックしていたのです。これはそのうち出題される、と思い、全市確認し、出題されるとしたらお題はこの5市かな、と予想をたて、さらに答えるとしたら淡路市だな、と決めていたのです。その日から、いつでも来い、と待っていたのですが、いつまでたっても出題されず、経験値のページからのリンクも切れ、正直忘れかけていました。
そして今回、なんと、お題として予想した5市そのままの問題があるではないですか。想定解数もそれぐらいだったし、思わず何も確認せぬまま「淡路市」を答えていました。回答直後に確認したら、今年になって白山市が追加登録されていることに気づき、ちょっとブルーになりましたが、同時に金メダルも確信しました。それにしても、じっと待っていて、やっと報われて、しかも金メダルをとれて、いや良かった。

じつは、他にもじっと待っている問題がいくつかあるんですけどね。報われる日が来るのはいつの日か。
[71711] 2009年 8月 18日(火)21:13:24山野[山野] さん
栃木地区5市町…結果は分からない
本日、予定通りに合併協定調印式が行われました。下野新聞より。
後は21日の合併議案審議…、先入観を持つのはよろしくありませんが、多分白紙になるのではないかなぁ、この合併論。
と言うのも、またもや例によってブログに鹿沼派が集会を開いて(該当箇所を引用しますと、)
西方町議五人が否決誓う(栃木地区合併問題)
また、とある町議の方が、下記のような発言をしたようで。
「町長からの圧力がありますが、何ら考えに迷いはありません。
21日の臨時議会には町議5人が考えを一つにし、一市四町の合併を阻止し、
否決することをお約束いたします」と一市四町の合併を否決することを支持者に約束した。
と、ありますので21日の議会では否決されて合併は白紙に戻る可能性が高いと思います。
ここ最近、住民投票などで連続して合併協議が破談していますので、どうなるか不明です。
[71710] 2009年 8月 18日(火)20:39:48つっつっつー さん
TXN、全政令指定都市カバーへ
今後の将来的な計画としては、地上デジタル放送に移行する2011年7月24日以降に、以下の構想が発表されている。
 宮城・広島の2県に新局を開局する。宮城県については東北地方で初となる。
 テレビ東京の放送エリアを新潟県や静岡県の駿河・伊豆地域にも拡大する。
 テレビ愛知の放送エリアを静岡県の遠江地域にも拡大する。
 テレビ大阪の放送エリアを京都府や兵庫県にも拡大する。
 TVQ九州放送の放送エリアを熊本県にも拡大する。
[71709] 2009年 8月 18日(火)19:41:26【2】Issie さん
霧高
[71708] 桜トンネル さん
横浜市 霧が島高校

「霧高」の名前は 霧が丘高校 が正解ですね。

ひらがな・カタカナの高校

本質的に性質の違ういくつかのパターンが混在しているので,分けて考えた方がいいかも知れませんね。

1:ヶ,が,の など,助詞由来の“名前の構成パーツ”を かな で表記している
 例)磐城桜が丘,上尾鷹の台高校,霧が丘高校 など

2:地名本体が かな表記
 例)むつ工業高校,いわき海星,さくら清修高校,流山おおたかの森(高校?),コザ高校 など

3:本来漢字で表記する(と思われる)地名を かな で表記
 例)みなと総合高校,となみ野高校,ありあけ新世高校 など

4:地名に付加された部分が かな表記
 例)田尻さくら高校,富山いずみ高校,伊勢まなび高校 など

5:学校の種別を表す部分が かな表記
 例)太田フレックス高校,小田原総合ビジネス高校,横浜サイエンスフロンティア高校,華陽フロンティア高校 など

6:どう分類したらいいだろう?
 例)咲くやこの花高校

「むつ」や「いわき」,「コザ」のように,そもそも地名自体が かな表記 だから漢字で表記しようのない“老舗”を別にすれば,やはり最近の流行りではあるのでしょうね。

私立をいれてしまうと該当するところが多くなりそうだったので・・・。

特にキリスト教系の学校では聖人名などを冠する場合が多いですから(地名とは本質的に全く無関係),これは賢明な選択ですね。

そうそう,追加のボヤキ。

合併できた北秋田市や北杜市などがあるのには驚きました。

「政令指定都市になるんだ」などと大言壮語を吐いておきながら,相模原市には 市立高校 がないんですよ。市立幼稚園でさえ,編入した 旧相模湖町立 の1園を除いて,旧相模原市域には1つもない。市立病院もない。神奈中バスが撤退してしかたなく旧藤野町がはじめた 町営バス も,合併したときに神奈中グループに委託してしまったので 市バス もありません。
別になくたっていい,っちゃあいいんですが(どうせ財政上のお荷物になるだろうし),「政令指定都市」になりたいんだったら,それにふさわしい“ハクづけ”ってものがあると思うんですけどね。
[71708] 2009年 8月 18日(火)18:51:00【2】桜トンネル さん
高校&大野市
こんばんは。夏休みがあと1週間もない桜トンネルです。

さて、それでは本題です。[71616]でk-aceさんが
予選見ている中でこんな高校名見つけました。りんくう翔南高校(泉南市)。府立高校です。泉南高校と砂川高校が統合されてできた高校のようです。
と書いてあったことからふと、「ひらがな・カタカナの高校がある市ってどのくらいあるんやろう」と思って調べてみました。また、そのついでにその高校が出来た年などについても調べてみました。ただ、公立のみの該当としています。私立をいれてしまうと該当するところが多くなりそうだったので・・・。
では以下、集めた結果です。間違いなどがあれば、ご指摘よろしくお願いします。

市名高校名現校名になった年種類統合(旧)高校名
むつ市むつ工業高校1964年開校
大崎市田尻さくら高校2008年開校
郡山市あさか開成高校1996年開校
いわき市いわき海星高校1995年名称変更小名浜水産高校
いわき光洋高校1993年開校
磐城桜が丘高校2001年名称変更磐城女子高校
いわき総合高校2004年名称変更内郷高校
磐城翠の杜高校2004年開校
さくら市さくら清修高校2006年統合氏家高校、喜連川高校
太田市太田フレックス高校2005年開校
上尾市上尾鷹の台高校2008年統合上尾東高校、上尾沼南高校
さいたま市いずみ高校1999年名称変更与野農工高校
市原市鶴舞桜が丘高校2005年統合鶴舞商業高校、市原園芸高校
柏市柏の葉高校2007年統合柏北高校、柏西高校
流山市流山おおたかの森2008年統合流山中央高校、流山東高校
小田原市小田原総合ビジネス高校2008年統合小田原城東高校、湯河原高校
川崎市向の岡工業高校1962年開校
横浜市霧が丘高校1975年開校
みなと総合高校2001年開校
横浜サイエンスフロンティア高校2009年開校
小矢部市となみ野高校2001年開校
富山市富山いずみ高校2002年名称変更富山女子高校
魚津市新川みどり野高校2001年開校
富士吉田市ひばりが丘高校2004年開校
岐阜市華陽フロンティア高校2000年名称変更華陽高校
土岐市東濃フロンティア高校2004年開校
伊賀市あけぼの学園高校1998年名称変更伊賀高校
伊勢市伊勢まなび高校2004年名称変更伊勢実業高校
いなべ市いなべ総合学園高校2001年名称変更員弁高校
津市みえ夢学園高校1997年名称変更津実業高校
京都市京都すばる高校2003年名称変更商業高校
大阪市咲くやこの花高校2008年統合扇町高校、此花総合高校
門真市門真なみはや高校2001年統合門真高校、門真南高校
東大阪市かわち野高校2004年統合加納高校、盾津高校
みどり清朋高校2008年統合池島高校、清友高校
寝屋川市北かわち皐が丘高校2008年統合東寝屋川高校、四條畷北高校
高槻市槻の木高校2003年統合高槻南高校、島上高校
枚方市枚方なぎさ高校2004年統合枚方西高校、磯島高校
茨木市北摂つばさ高校2007年統合茨木東高校、鳥飼高校
泉南市りんくう翔南高校2009年統合泉南高校、砂川高校
神戸市六甲アイランド高校1998年統合赤塚山高校、神戸商業高校
奈良市西の京高校1978年開校
広島市美鈴が丘高校1988年開校
福山市芦品まなび学園高校2000年統合府中高校、戸手高校、自疆高校、神辺高校
北九州市ひびき高校2003年名称変更戸畑中央高校
大牟田市ありあけ新世高校2003年統合三池農業高校、大牟田商業高校、大牟田南高校
沖縄市コザ高校1945年開校

全部合わせて40市ありました。大阪が学校の統合でひらがなのつく高校が増えたことがよく分かります。他は名称変更や新しく開校したところが多くありました。

そして、次に市立高校のあるところを調べてみました。[2741]深海魚さんがある程度まとめられていますが、統合でなくなっていることもあったり、新しく開校したところもあるようなので、まとめてみました。(本当は十番勝負対策用として、集めただけなのですが・・・。)
では以下、集めた結果です。間違いなどがあれば、ご指摘よろしくお願いします。

旭川市1校旭川北都商業高校
岩見沢市1校岩見沢緑陵高校
帯広市1校帯広南商業高校
北見市1校北見似頃高校
釧路市1校釧路北陽高校
札幌市9校札幌新川高校、札幌啓北商業高校、札幌清田高校、札幌旭丘高校、札幌星園高校
札幌藻岩高校、札幌開成高校、札幌平岸高校、市立札幌大通高校
士別市1校士別東高校
滝川市1校滝川西高校
函館市1校市立函館高校
秋田市2校市立商業高校、市立御所野学院高校
北秋田市1校市立合川高校
能代市1校市立能代商業高校
酒田市1校市立酒田中央高校
山形市1校市立商業高校
盛岡市1校市立高校
石巻市2校市立高校、市立女子高校
仙台市5校市立仙台工業高校、市立仙台商業高校、市立仙台高校、市立仙台第二工業高校、市立仙台図南萩陵高校
伊勢崎市1校市立伊勢崎高校
太田市1校市立商業高校
桐生市1校市立商業高校
前橋市1校市立前橋高校
川口市3校市立川口高校、市立川口総合高校、市立県陽高校
川越市1校市立川越高校
熊谷市1校市立女子高校
さいたま市4校市立浦和高校、市立浦和南高校、市立大宮北高校、市立大宮西高校
柏市1校市立柏高校
千葉市2校市立稲毛高校、市立千葉高校
銚子市1校市立銚子高校
習志野市1校市立習志野高校
船橋市1校市立船橋高校
松戸市1校市立松戸高校
川崎市5校市立商業高校、市立川崎高校、市立高津高校、市立橘高校、市立川崎総合科学高校
横須賀市2校市立横須賀高校、市立横須賀総合高校
横浜市12校市立金沢高校、市立桜丘高校、市立鶴見工業高校、市立戸塚高校、市立東高校、市立港高校
市立みなと総合高校、市立南高校、市立横浜工業高校、市立横浜サイエンスフロンティア高校
市立横浜商業高校、市立横浜総合高校
新潟市3校市立高志高校、市立明鏡高校、市立万代高校
金沢市1校市立工業高校
小松市1校市立高校
長野市1校市立長野高校
甲府市1校市立甲府商業高校
北杜市1校市立甲陵高校
中津川市1校市立阿木高校
大垣市1校市立大垣第一女子高校
岐阜市1校市立岐阜商業高校
関市1校市立関商工高校
静岡市3校市立高校、市立商業高校、市立清水商業高校
沼津市1校市立沼津高校
浜松市1校市立高校
富士市1校吉原商業高校
豊橋市1校市立豊橋高校
名古屋市14校市立菊里高校、市立北高校、市立工業高校、市立工芸高校、市立向陽高校、市立桜台高校、市立西陵高校
市立中央高校、市立富田高校、市立名古屋商業高校、市立翠高校、市立名東高校、市立山田高校
市立若宮商業高校
京都市9校市立音楽高校、市立西京高校、市立銅駝美術工芸高校、市立塔南高校、市立日吉ヶ丘高校
市立伏見工業高校、市立堀川高校、市立紫野高校、市立洛陽工業高校
東大阪市1校市立日新高校
大阪市26校市立高校、市立生野工業高校、市立泉尾工業高校、市立泉尾工業第二高校、市立市岡商業高校
市立扇町高校、市立扇町総合高校、市立生野第二工業高校、市立工芸高校、市立此花総合高校
市立咲くやこの花高校、市立桜宮高校、市立住吉商業高校、市立工芸第二高校、市立中央高校
市立鶴見商業高校、市立天王寺商業高校、市立西高校、市立汎愛高校、市立東高校、市立東商業高校
市立東淀工業高校、市立南高校、市立都島工業高校、市立都島第二工業高校、市立淀商業高校
岸和田市1校市立産業高校
堺市5校市立工業高校、市立堺高校、市立商業高校、市立第二工業高校、市立第二商業高校
明石市1校市立商業高校
芦屋市2校市立高校、市立芦屋高校
尼崎市5校市立尼崎工業高校、市立尼崎産業高校、市立尼崎高校、市立城内高校、市立尼崎東高校
伊丹市1校市立伊丹高校
姫路市3校市立琴丘高校、市立飾磨高校、市立姫路高校
西宮市2校市立西宮高校、市立西宮東高校
神戸市13校市立科学技術高校、市立楠高校、市立神戸工科高校、市立神戸工業高校、市立神港高校
市立兵庫商業高校、市立神戸西高校、市立須磨高校、市立須磨翔風高校、市立長田工業高校
市立葺合高校、市立摩耶兵庫高校、市立六甲アイランド高校
奈良市1校市立一条高校
大和郡山市1校市立高田商業高校
海南市1校市立海南下津高校
和歌山市1校市立和歌山高校
松江市1校市立女子高校
井原市1校市立高校
岡山市1校市立岡山後楽館高校
倉敷市3校市立倉敷翔南高校、市立真備陵南高校、市立玉島高校
玉野市2校市立玉野商業高校、市立玉野備南高校
広島市8校市立安佐北高校、市立大手町商業高校、市立沼田高校、市立広島工業高校、市立広島商業高校
市立舟入高校、市立美鈴が丘高校、市立基町高校
尾道市1校市立尾道南高校
呉市1校市立呉高校
福山市1校市立福山高校
下関市1校市立下関商業高校
徳島市1校市立高校
鳴門市1校市立鳴門工業高校
高知市1校市立高知商業高校
北九州市1校市立高校
福岡市4校市立博多商業高校、市立福岡女子高校、市立福岡西陵高校、市立福翔高校
嘉麻市1校嘉穂総合高校市立大隈城山分校
久留米市2校市立久留米商業高校、市立南筑高校
長崎市1校市立長崎商業高校
熊本市2校市立千原台高校、市立必由館高校
別府市1校市立別府商業高校
出水市1校市立出水商業高校
指宿市1校市立指宿商業高校
鹿児島市3校市立鹿児島商業高校、市立鹿児島女子高校、市立鹿児島玉龍高校
鹿屋市1校市立鹿屋女子高校
霧島市1校市立国分中央高校

結果、91市ありました。阪神地区では市立高校が多いので、もっと多いのではないかと勝手に思っていたのですが、そんなに多くないことに驚きました。見たところ、県庁所在地などの大きい都市が目立ちますが、合併できた北秋田市や北杜市などがあるのには驚きました。

以下、レスです。

[71622] k-aceさん

予想問題が載ってる・・・。でも、想定解数が少なすぎるので、たぶん出題されないとは思いますが・・・。

[71638] 日本人さん

前回から急に室蘭市の使用頻度が増えたわけはきちんとあるのですが、とあるアニメの映画を久々に見てから急に使いたくなってしまいました(桜トンネルさんや、ぺとぺとさんならわかっていただけそうですが・・・。それとも『謎』ですか?)。

書き込み訂正で「謎」についてのコメントを付け加えられたようですが(映画と言う言葉も付け加えられたような気がするのですが、その辺はあまり覚えていません。)、そのようなことをしなくても分かります(笑)。崎守埠頭のやつですね。でも、その崎守埠頭ですが、実際にはないと思っていましたが、本当にあることを知ったときは驚きました。
ちなみに、実は僕も使用頻度を増やしたい市があるのですが、今回は未解答県庁所在地を潰すことに集中していたので、1回も使うことが出来ませんでした。今回は2問該当するのがあったのですが・・・。ひとまず、未解答県庁所在地をなくしてからとなりそうです。ただ、この市を解答していこうと思ってからもう2年近く経ってしまっているのですが、まだ1回しか使うことが出来ていないとは・・・。

[71688] スナフキんさん

この夏の移動を含め、皆さんの経県値上積み具合はいかがでしょうか。

ゴールデンウィーク以来全くありません(笑)。しかし、これから生涯経県値も増えることがあるので、また大きく伸びる予定です。そのおかげで、今年の夏(7月から9月)だけの経県値が37点となる予定です。

#500回書き込みがあと14記事までになりました。特に記念に何かしようとは考えていませんが、たぶん500回記念も十番勝負関係の書き込みになると思います。しかし、それはこれからの書き込み頻度に関わってくるので、どうなるかは分かりませんが・・・。

訂正【1】:[71709]Issieさん、[71713]MasAkaさん、[71714]ぺとぺとさん、[71715]MasAkaさん、[71716]ぺとぺとさん、[71717]紅葉橋律乃介さんからの情報を追記しました。皆さん、ありがとうございました。
訂正【2】:[71729]右左府さんからの情報を追記しました。ありがとうございました。
[71707] 2009年 8月 18日(火)17:26:02たこるまにあ さん
私市田原中継局設置の必要性
四條畷市の田原地区の一部と、交野市の私市地区の一部と、枚方市の穂谷地区の穂谷トンネルより南の場所では、
大阪府内であるにもかかわらず、現在テレビ大阪のデジタルが受信できない。
交野市私市3008-1のきさいちカントリークラブの敷地内に私市田原中継局を設置する必要がある。
他府県へのスピルオーバー(電波漏れ)を極力抑えるため、北・西・南の3方位に送信し、東には送信しない。
[71706] 2009年 8月 18日(火)16:02:57【1】hmt さん
支庁を考える (7)北海道当局は、支庁の所管区域に市部を含めている(その2)
「北海道支庁設置条例」で定められた支庁の所管区域には「郡」だけが記され、「市」は記されていません。
ところが、北海道当局は、支庁の所管区域に事実上市部を含める扱いをしています。
この謎を解く鍵らしい存在として北海道行政組織規則第37条がありますが、理解しにくいというのが前報[71705]の要旨でした。
条例の全文を含む資料は、支庁とは? 参照。

今回は「支庁長事務委任規則」の存在に気がつきました。このような別の例規で“支庁長において処理することとされている”事務が存在する。だから、例えば札幌市選挙管理委員会からの道議会議員選挙報告の受理は、北海道知事の委任により石狩支庁長が行なうという所轄関係が生まれるのでしょう。

ここで「所轄」という言葉を使いました。これは北海道行政組織規則第31条にならったものです。この条文もずいぶん解り難いのですが、こちらは、郡部にある出先機関の「所管支庁の長」、市部にある出先機関の「所轄支庁長」という使い分けをしています。
もっとも、前記北海道HPのように、郡部と市部とを区別せずに「所管区域」とするのが普通の使い方のようです。

更に北海道例規集を見てゆくと、北海道税条例には、次のように記されていました。
第2条 
道税の賦課徴収事務に関しては、江別市、千歳市、恵庭市、北広島市及び石狩市にあっては石狩支庁、函館市及び北斗市にあっては渡島支庁、小樽市にあっては後志支庁、旭川市、士別市、名寄市及び富良野市にあっては上川支庁、室蘭市、苫小牧市、登別市及び伊達市にあっては胆振支庁、釧路市にあっては釧路支庁、根室市にあっては根室支庁、帯広市にあっては十勝支庁、北見市、網走市及び紋別市にあっては網走支庁、夕張市、岩見沢市、美唄市、芦別市、赤平市、三笠市、滝川市、砂川市、歌志内市及び深川市にあっては空知支庁、留萌市にあっては留萌支庁、稚内市にあっては宗谷支庁の所管区域に属するものとみなす。

北海道行政組織規則第37条でなく、このような「みなし所管区域」で処理する事務もあるのですね。
34市が列挙されていますが、札幌市だけは含まれていません。

道税事務所の一覧表 を見たら、札幌だけは本庁税務課直属の税務事務所の所管で、それ以外は支庁の所管でした。政令指定都市とは関係なく、道庁地元の大都市だからでしょうね。

このようなわけで、すべての事務に共通というわけではないが、北海道当局は、事実上、支庁の所管区域に市部を含め、道全体に及ぶ地域区分として行政を進めているのが実情です。
しかし、基本となるべき北海道支庁設置条例における支庁の管轄区域が「郡」だけになっており、そのために、北海道行政組織規則第37条や北海道税条例第2条のような例規による辻褄あわせを余儀なくされていました。

この食い違いの原因は、1948年に条例を制定した際にやってしまった「ボタンの掛け違え」と言わざるを得ないでしょう。

支庁設置条例の管轄区域に市部を入れておけば北海道行政組織規則第37条は不必要だし、道税条例第2条も、“道税の賦課徴収事務に関しては、札幌市は石狩支庁の所管区域に属さないものとする”と簡潔に書くことができたのでした。

でも、ボタンの掛け直しができないまま60年を経過し、昨年の条例でようやく実現したと思ったらまたキャンセル[71685]
次回は、支庁の概略史をひもときながら、こんなことになった事情をを考えます。
[71705] 2009年 8月 18日(火)15:54:41hmt さん
支庁を考える (6)北海道当局は、支庁の所管区域に市部を含めている(その1)
支庁につき、前報[71695]では地図や地名という観点から考察しました。
そこでは特に断りませんでしたが、「支庁が意味する地域」は、市町村すべてを含むものでした。

ところが、法令上の「支庁」の根拠である「北海道支庁設置条例」における支庁の所管区域には「郡」だけが記され、「市」は記されていません。
つまり、市は郡に含まれないという常識的な解釈に従うと、「支庁には市が含まれない」ということになります。

「支庁には市が含まれるか否か」という問題を、当事者である北海道当局のHPで確認しておきましょう。

北海道の公式ホームページを見ると、左側に地図つきの「14支庁」があり、これを開いてみます。
14支庁の一覧 は、その冒頭で
※支庁・・・北海道の地域
と説明しています。なるほど、地方自治法155条で認められた“事務分掌”機関というよりも、“地域”と呼んだ方が支庁の実情に合っているのですね。

そして、地域区分を示す地図の下に示された14の支庁。石狩支庁を例として見ると、
札幌市中央区北3条西7丁目 道庁別館 という所在地の記載からは「役所」を意味しているようですが、続いて
札幌市 /江別市 /千歳市 /恵庭市 /北広島市 /石狩市 /当別町 /新篠津村
と6市2町村が列挙されており、石狩支庁の管轄区域、つまりは“地域”が市部に及ぶこと明白です。

どうやら、北海道行政の実務で使われている「地域たる支庁」は、地図や「地名もどき」でも使われている「市部・町村部を包括する地域」であり、地方自治法に基づく条例で管轄区域が“石狩郡”【現在は2町村】と定められている「条例の支庁」とは異なるようです。

役所の中での「地域たる支庁」と「条例の支庁」との使い分けについての明快な説明は未発見ですが、北海道HP内には 支庁とは? というページがあります。

ここでも 所管区域表 に市町村が列挙されています。
そして、支庁制度に関する法令として、地方自治法155条と 北海道支庁設置条例と並んで、北海道行政組織規則の抜粋 が紹介されています。

この北海道行政組織規則の第37条が「市」と「支庁」との関係を解く鍵であると思われるのですが、
次の表の左欄に掲げる市の区域に係る事務であって支庁長において処理することとされているものは、(中略)当該右欄に定める支庁長がつかさどる。
という文言が、どうも論理的には頭に入りにくいのです。
本来的には所管区域が郡部である支庁長なのに、市部の事務を“処理することとされている”とは?

この北海道行政組織規則第37条は、約5年前に [33354] Issie さん により紹介され、
この規則をもう少しきちんと読むと,何かヒントがあるかもしれませんね。
と書いてくれているのですが、上記のようなわけで、なかなか“きちんと読む”ことができなかったのです。
[71704] 2009年 8月 18日(火)15:34:38サッポロマン さん
海がある札幌市になるか!?
 札幌市内の高台や高層ビルから海が見えるが、現在札幌市には海がない。海がない政令指定都市は京都市と札幌市の2つだけである。
 ところが、石狩市と石狩郡の住民の多くが札幌市への編入を望んでおり、石狩市と石狩郡が札幌市に編入されて、石狩区となる可能性があり、将来的には海がある札幌市に生まれ変わるかもしれない。
 また、小樽市の銭函、星野町、桂岡町、見晴町、張碓町の5地区の住民の多くが、小樽市役所よりも手稲区役所のほうが近いことなどを理由に、札幌市手稲区への移管を望んでおり、銭函と張碓町には海がるため、こちらのほうが実現しても海がある札幌市となる。
[71703] 2009年 8月 18日(火)15:18:45hmt さん
「仙波山のたぬき」の正体は?
[71699]で触れた「わらべうた」の続き。

川越の歌と文学(1)の中に、あんたがたどこさ があり、その2番目に「参勤交代が作ったわらべ歌」という説(合田道人2004)が紹介されていました。
これによると、“肥後でごわす”でなく“肥後さ”と答えたのは江戸ぐらしの参勤族。
“仙波山のたぬき”の正体は、ここに祀られている家康でもいいのだが、それを上回る大狸の天海ではないかというのが、その結論でした。

参勤交代の肥後藩士が川越観光に来る機会はあったかもしれないが、この唄が徳川家康や天海僧正に対する風刺として、江戸時代に誕生したとは受け止めにくいというのが、私の考えです。

やはり、太田信一郎「童歌を訪ねて」(1988)に記された、幕末における東征軍兵士との問答説の方が納得できます。
川越に駐屯していた熊本の兵士は、江戸攻めを前にして、城のすぐ近くの喜多院境内・仙波東照宮
船場川には エビさがおってさ  それを漁師が 網さでとってさ
にかけて、
仙波山には たぬきがおってさ  それを猟師が鉄砲で撃ってさ
と唄ったのでしょう。

そして、江戸城開城・江戸が東京へと改められた後で故郷に凱旋し、熊本の子供たちに「東京で、こんな唄を はやらせてきた」と自慢したのでしょう。
だから
1番が「熊本の毬つき唄」  ♪船場川には エビさがおってさ…
2番が「東京の毬つき唄」  ♪仙波山には たぬきがおってさ…
となります。
これで、[71699]の第1の謎も解けたというのが、私の解釈です。

ついでに
最初に紹介した 川越の歌と文学(1) には、「とおりゃんせ」についても、多数の文献が紹介されています。
その舞台とされる川越天神・三芳野神社は、郭町二丁目という現在の町名が示すように、川越の城郭内にありました。仙波東照宮の北北東1kmほどです。

参考までに、別のアプローチからの謎解き もあります。

私の地元に近い川越関係を主として記しましたが、チャッピー さんの地元の唄については、「熊本の歌」参考資料 があります。
[71702] 2009年 8月 18日(火)13:36:47【1】山野[山野] さん
合併関連2件
でるでるさんへ
期限内合併を目指していた西尾地区ですが合併を1年先送りされる事になりました。
原因は東彼杵での破談の原因となった「電算システム統合問題」。
(尚、昨日の懇談会で決まったものは次の通り)
・合併期日:(予定)2011年3月31日。
・合併方式:幡豆、吉良、一色の3町を西尾市へ編入。
・新市の名称:「西尾市」を原則とし、協議。
・新市役所:現在の西尾市役所を使用。
・現、3町役場:支所とする。

また、昨日の山口市議会臨時会にて山口市・阿東町合併協議会の設置等、6議案が可決されたとの事。
[71701] 2009年 8月 18日(火)00:52:51【4】Issie さん
Re:渡島支庁の立地
[71700] ペーロケ さん
なんか現在の立地に政治的な綱引きがあった予感。。。

…かどうかは,わかりませんが,
1991年現在の地図を見ると,現在,渡島支庁の庁舎のある位置には運転免許試験場があったようです。だから,道の土地ではあったようですね。
運転免許試験場が函館本線の桔梗駅の近く(石川町:位置については 函館運転免許試験場のページ からどうぞ)に移転し,その跡地に支庁が移転してきたようです。で,元の支庁の跡地を市に移譲して,そこに市が図書館を持ってきた,ということですね。
いろいろ玉突きがあるけれど,移転はそれほど古い話ではないようです。

元から道の土地であったのならば,あまり政治的なお話でもないような気もしますが。
「県有地(この場合は道有地)の有効利用」やら何やらでお役所がヒッソリしたところに移転するのは,最近ではよくあることのようだし。

補足。
1991年当時,上川支庁の現在地(永山六条19丁目)には道道37号線をはさんだ対面の現在 永山中央公園 となっている所(永山六条17丁目・18丁目)にあった 上川農業試験場 の庁舎があったようです。農業試験場が現在地(比布町)に移転したのは1994年,上川支庁の庁舎が移転してきたのが1999年のことでした。
[71700] 2009年 8月 17日(月)23:51:56ペーロケ さん
渡島支庁の立地
 ご無沙汰してます。甲子園の熱戦が続きますが、残念ながら四国勢は早々と全滅。そういえば中国勢も全滅。あとは近畿勢+明豊を応援することにします。

 さて、[71695]hmtさんから北海道の支庁についての話題が出たところで、以前から疑問に思っていたことを書き込んでしまいます。

それは、渡島支庁の立地。日文研の函館市明細圖(1935)によると、基坂の上付近にあったものが、Wikipediaには
現在地に庁舎を移転するまでは五稜郭近隣の函館市五稜郭町26番1号(現在は函館市中央図書館が建っている)に庁舎を構えていた。
とあり、おそらくこのあたりでしょうか。そこから現在地に移転したのですが、私が不思議に思うのは、その立地が国道沿いや幹線道路沿いではなく交通の便がいいとは思えない住宅地の真ん中にあることです。

 例えば、郊外に移転した上川支庁も同様に旭川市街からかなり離れた立地であり、旭川市役所よりもむしろ比布町役場の方が近い場所にありますが、国道39号に面していないもののごく近い場所にあるため、交通不便で分りにくい場所にあるとは言えません。又、支庁は各地方の「県庁」にあたる施設だろうと個人的には考えていますので、移転した県庁の例も挙げると、広い駅前通りに面する石川県庁、水前寺公園前の電車通りから一本入った熊本県庁、国道へとアクセス道路が続く岐阜県庁、国道50号から一本入った県道沿いの茨城県庁と、いずれも交通の便も多少は考えられた立地になっています。しかし、渡島支庁の場合は、国道5号から案内するとすると、昭和高架橋から県道に入り、美原3の交差点で左折しここで右折し。。。と、かなりヤヤコシイ。

 過去に一般市民にとって県庁などはパスポート取得くらいしかお世話にならないのだから、別に交通不便な場所にあってもいいという意見もありましたが、例えば市や他の官庁、会社などは色々と折衝する機会もあるので、ここまで分り難い場所にあるのは不都合が起きそうな気がします。市役所からの距離もあることですし、交通事情までは詳しくありませんが、市役所から支庁まで、大雪の場合は下手すれば1時間以上かかるのでは?こんな立地で、非常時に司令塔として機能するんでしょうかねえ。

 なんか現在の立地に政治的な綱引きがあった予感。。。


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