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ekinenpyouさんの記事が10件見つかりました

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[95625] 2018年 3月 31日(土)21:52:23ekinenpyou さん
境界変更の分類についてなど
大字領域の解釈や変遷については北海道も特殊ですが、藩政村から大字へ変わった地域でも伝統を軽視した?結果
(大字自体が)消滅したり、領域が形骸化してしまう点については皆様ご存知の通りです。

上記の端的な一例はメンバー千本桜さんのホームページ(地理と地域)
大河原町の住所と大字の考察で詳しい解説がなされております。

境界変更の分類については議論が尽きないと思いますので、大まかに掲載・非掲載を分けてデータを
作成しておくという案で取りあえず良いのではないかと思います。
(できる限りデータ化しておきたいということですが、例えば[93900]むっくんさんの
大阪市の区設置に関するご意見も将来的には漏らさず忠実にデータ化するという認識で良いのでしょうか?)

別件で、[94787]むっくんさんの「若年首長の判明率想定(都道府県別)」などを拝見して、
類似の調査?をされている方がいらっしゃるようでレファ協に下記のような質疑応答がありました。

過去に行われた市町村長選挙の日付全てを調べたい
昭和40-50年代の地方選挙の候補者名・年齢などを調べたい

都道府県の「年鑑」「議会史」などで判明しなかった分を「選挙の記録」などで調べるという方法については
[94695]むっくんさん・[92936]Nさんなどで示されているので、ネットで見られるものはかなり広範囲に確認が
終えていると思いますが、紙ベースの資料にまで調査対象を広げるのは大変そうですね。
(当選者の氏名&年齢だけでも全国規模でわかるものがあれば良いですが期待は薄いかも・・・)

以下、少し長い余談

[95609]うっかりじゅうべえさんの
現:北九州市小倉南区大字田代・八幡東区大字田代について、素朴な疑問を1点

藩政村の頃、筑前国遠賀郡大蔵村(字?田代)は豊前国企救郡田代村と
別の地域であったという点はおっしゃる通りかもしれないのですが、
企救郡田代村の町村制施行以降の沿革を一部要約すると

M22.4.1企救郡西谷村大字?田代→S16.4.1小倉市→S29.4.1田代の一部を八幡に分割(以下略)

以上の通りで、この例はルールにもありますが
同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名
ということにもなるのではないかと思われるのですが、いかがでしょう?
(八幡市側に編入された場所の地名が田代だったかは未確認ですが)

参考・企救郡誌(S6)の町村大字略誌名所旧跡(西谷村)大日本郡分地図(福岡県)
S29.4.1の部分編入前は小倉(右中ほど)八幡(右下隅)双方の市に田代があったらしい。
(恐らく小倉は大字田代・右上だったと思いますが、八幡は大字大蔵字田代・左下)
[95621] 2018年 3月 30日(金)21:18:22ekinenpyou さん
可住地面積・メンバー紹介記事お礼について
しばしば過去ログにも登場している可住地面積について
e-Statの大幅リニューアルでサイトが重くなった?とかいう愚痴はともかくとして
こちらから市区町村別データ(Excel)をダウンロードできます。

こちらで任意の市区町村を選択し、次に表示項目選択のデータ種別で指標データを選ぶと
可住地面積1km2当たり人口密度も簡単に見られる。

データの中からごく一部を抜粋してみます(左が総面積で右が可住地面積)
静岡市葵区 1,073.76→145.37・浜松市天竜区 943.84→90.44・札幌市南区 657.48→113.48

上記のようなケースでは当然ながら人口密度が大幅に上昇し
同一市内の区ごとの比較などに参考として役立つことでしょう。
(住もうと思えば、林野にも住めないこともないという考えはとりあえずさておき)

しかしながら、ルール上は林野・湖沼に分類されなければ可住地ということになりますから、
そのまま人口密度を計算すると稀に他の区域との比較に適さないケースもあります(以下のような例)
北九州市戸畑区 16.61→16.05

その理由については過去ログに鋭い考察がなされた書込みがありますので、一部を再掲させていただきます。

[88737]かぱぷうさん
戸畑区の人口は現在5万8千人と大きく減らしましが、それでも面積が16.61km2と狭いので3537人/km2の人口密度を有します。そして、その狭い区面積の半分近くは製鉄所の敷地が占めているのでその分を除くと7000人/km2近い人口密度を有することとなるのです。


こうした市域で人口密度比較などを行う際には注意を要します。
(迂闊にデータの取り扱いを誤れば、地域に詳しい識者の方には地域のことをよく理解していない旨お見通し)

以上、少し遅れましたが、かぱぷうさんへの当方メンバー紹介文の
お礼もかねて投稿させていただきます、年度末のお忙しい中ご対応ありがとうございました。
初心者の方にとっては何だか古臭くてとっつきにくい・詳しい方にとっては既知の内容ばかりと
イマイチな投稿が目立ちますが、その点はご容赦ください。
[95606] 2018年 3月 26日(月)22:11:36ekinenpyou さん
Re:松蔭神社(←ココにも誤字があります。)など
[95599]伊豆之国さん

当方の簡単なクイズ?にお付き合いいただきありがとうございます、
タイトルもさることながら見事な模範回答です。(確かに佐賀県にも・・・)
答については皆様おわかりだと思うので今回は省略としてクイズを終了します。
(万一わからないという方はコメントいただければ対応しますが)

話がかなり飛びますが、上記だけですと少々書込みの資料価値が乏しいので1件小ネタを追記しておきます、
色丹島(北方領土)の読みですが古くから「シコタン」ということでよろしいようです。

色丹はアイヌ語で「大ナル」「最モ良キ」「真ノ」村または場所の意味
古くは志古丹・支古丹とも書かれた(訛りで「シセコタン」島としている資料もあるらしい)
一方で斜古丹「シャコタン」は島北東部の地名(同名の集落や近隣に斜古丹崎・斜古丹山などがある)で
これが島(近隣小島含む)の村名になりS8.10.1に色丹村へ改称(左側上部の村名変更)

参考・色丹村勢一斑 昭和12年版 (画像2枚目島内全図、3枚目右端沿革)
大日本地名辞書 続編(色丹、左下から次ページへ続く、同書のM19千島国ヘ編入はM18の誤記と思われる)
太政官布告 第1号根室県下「シコタン」島千島国ヘ編入

※Wikipediaにおける下記箇所は事実かどうか少々疑問
色丹島
古くは「斜古丹」「支古丹」とも表記された。
島の名称で「斜古丹」は疑問

色丹村
M17.7.11から斜古丹村が存在していたように記述されているが成立はM20.5.23と思われる
(M18.1.6色丹郡成立の段階でもまだ村ではない)
北海道庁布令全書. 明治20年1-6月(左端)・M20.6.7官報(雑事欄)(左上の新村設置)
[95597] 2018年 3月 25日(日)17:46:52ekinenpyou さん
地名などの誤記誤植について
特急マガジン5期5色(誤記誤植)のお話を読んだついでに
正誤字新辞典(S5)という辞典を元ネタとして1件投稿しておきます。

※当然ながら文言で古いものがありますが、中高生以上の方はある程度理解できると推測
誤用とされている例でも現在は定着しているものもあり(例・慣用読みなど)、
年代による(判断)基準の違いとか共通点が見られる部分などをご覧になっていただければ一興

その1・PCなどの普及で(近年は)あまり見られなくなった誤記
飛騨国(弾ではない)新潟県(瀉ではない)

飛弾さんという名字の方はそれなりにいらっしゃるらしい(出典名字由来net)

その2・誤記だった可能性があるが現在では正誤の判断が難しいもの
鍛冶と鍜治
本来は上記の組み合わせだったようだが、双方とも良く似て紛らわしい字だった影響か
「鍛治」という地名表記もそれなりに見られる。

参考・鍛治町(Wikipedia)

※文字が見づらい方は適宜漢字拡大表示ツールなどを活用してみてください。

以下余談(簡単すぎるクイズなので答えなくても全く問題なし)
実は拙稿[95491]で示した都内地形図の説明ページにも誤記が含まれていましたが、それはどの部分でしょうか?
一応ヒントを記しておきます。
「誤記の方は漢字単独で市名になる」
[95590] 2018年 3月 24日(土)14:44:41ekinenpyou さん
Re:槐戸・市区町村変遷情報の境界変更について
[95579]グリグリさん
お忙しい所、拙稿[95569]の掲載対応ありがとうございました。
(現地名が具体的に示せなかったので参考程度という意味あいで投稿しましたが、十分満足のゆく内容だと思います)

[95577]むっくんさん・[95583]グリグリさん
回答ありがとうございます、収録基準ついての説明(見解)についてはおおむね理解できました。

以下、少し長くなりますが当方の所感などを述べます。
境界変更についてはある程度(規模の大小などによって)分類され、
それを選択表示させることができれば閲覧者にとっても有益なのですが
(2) 境界変更(大)まで 実質的に「藩政村」の変遷を記載

上記を満たしているか分類(判別)する過程において少々手間がかかるケースがあり、
各人により見解(解釈)が異なる可能性もあると感じております、
具体例として[93775][93776]むっくんさんの投稿から2件を選んで例に示します。

1.新潟県
# 1921(T10).11.20 境界変更 南蒲原郡三条町 南蒲原郡 三条町, 大島村の一部(大字島田)

上記が抜けているというご意見について
大島村(※大字島田)は既存7大字とは少々異なるもの(新設大字?)である可能性があり
これを実質的に「藩政村」の変遷と解釈してよいのかどうかについては
各人により見解が異なる可能性があると考えます。
※後年の地形図だと川の対岸、三条町側に「島田」とあるのでその付近?

参考
新潟県市町村名全書. 明治42年12月改正(右端の大島村)・南蒲原郡史(T4)(右ページ中ほど大島村)
南蒲原郡全図(M29.5)(左上付近)・5万地形図(三条・S6修正)(スタンフォード大学サイト内、地図右上)

2.北海道
#67 1916(T5).4.1 新設/町制 常呂郡野付牛町 常呂郡野付牛村, 「常呂村の一部」
「」の箇所は境界変更により編入されており、かつ大字単位ではないので掲載除外すべきであるというご意見について

町制同日の境界変更は常呂村大字少牛村・手師学村の各々一部を編入したもので、
編入前後の地図を比較すると、編入後は町の北東部で境界が大きく拡張しているように思われる。
(常呂村大字太茶苗村のあたりに達している)
実態として※大字少牛村の領域の大半は野付牛に編入された可能性があり、
これを概ね大字単位の境界変更ではないと解釈してよいかについても判断が分かれる可能性があると考えます。

※常呂村に残った大字少牛村についてはかなり領域が狭かった可能性があり、翌月T5.5に早くも廃止されている模様(大字手師学村は残った)

参考
野付牛町勢一斑 大正5年(画像3枚目右下・6・7枚目)・網走支庁管内明細図(T7)(画像3枚目の真ん中付近)
北海道行政区画. 昭和2年5月30日現在(右端の常呂村)
[95570] 2018年 3月 21日(水)10:06:21ekinenpyou さん
Re:自治体越えの地名(板橋区舟渡/川口市舟戸町)
本件少し長くなるので、別投稿としました

[95554]特急とりあたまさん
東京都板橋区舟渡/埼玉県川口市舟渡町


[95556]hmtさんで既にコメントがありますが、
川口市の方は舟戸町(ふなとちょう・渡→戸)で住居表示実施による新しい町名なので
板橋区舟渡(ふなど)とは「たまたま読み方が似ているだけの地名」ということになるのかもしれません。

※Wikipediaの舟戸町 (川口市)にも同様記載あり、面積は広いですが人口はゼロらしいです。

また板橋区舟渡の由来ですが
Wikipediaの舟渡 (板橋区)に地名の由来が記載されており似たような記述が他所にもあるので
恐らくだいたいあっていると思いますが、一応古い資料も確かめてみました。
北豊島郡誌の左ページ(蓮沼村の小名)に確かに「舟渡」の記載があります。

次に、変遷情報への境界変更の収録基準については
[95557]むっくんさんにて細かな説明がなされておりますので、
当方からは2件の境界変更について官報掲載内容へのリンクを示しておきます。

1926(T15).10.1 横曽根村の一部(大字浮間)→岩淵町(町村境界変更・左下から次ページへ続く)
1950(S25).4.1 戸田町の一部(大字上戸田の一部)→板橋区(総理府告示第58号・左ページ中央上部)

なお、以下は個人的な見解ですが(変遷情報の)収録から漏れる境界変更の中には
(自治体なり地域の)沿革を要約したレベルの資料でも掲載されるものがあり、
例えば板橋区の区勢概要にはS25.4.1に戸田町の一部を編入し舟渡3丁目とした旨が記載されています。
(リンク先からダウンロードできるPDF15コマ参照)

ですので、例えば市の変遷が現状変遷情報とは別コンテンツに分かれているので、
そちら側にのみ掲載対象としてみるとか※国分寺市と府中市の境界変更などのように
何らかの形で埋没させず活用されることを期待したいと思います。

※告示は府中市例規参照

当方メンバー登録からまだ日が浅く細かなやり取りまでは把握していませんが、
現状は変遷情報に「(3-a) 境界変更(小)まで(人口異動あり)」に該当するものが残っていたら表示されているが、
本来は収録(表示)対象にすべきではないという認識で良いのでしょうか?
[95569] 2018年 3月 21日(水)10:02:05【1】ekinenpyou さん
現在の東京23区内に存在した「槐」(さいかち)
「槐」の字を使って(さいかち)と読む地名ですが、
現在の都区内エリアには少なくとも3箇所存在していたようです、
1つは[95551]伊豆之国さんで既に示されていますが、残り2つを示します。

2.千束村字槐戸(現:台東区)
Wikipediaの台東区の町名にも記載あり
読み典拠は官報(M16.11.9)右ページ中ほど、布達・東京府甲第61号・北豊島郡千束村槐戸浅草区ヘ編入

3.志村大字西台字槐戸(現:板橋区)
北豊島郡誌の右ページ、大字西台に属する小字より
読み典拠は同上の右ページ西台村の小名より
(年代が異なるため、槐土など多少の表記ゆれがありますがサイカチは共通の読みと推測)

以上のような例があることから、他にも都区内にあるかもしれません
収録については既に消滅していると思いますのでご自由にどうぞ。
(ログに残っていれば十分というレベル)

※官報日付誤記訂正(M16.1.9→11.9)
[95529] 2018年 3月 11日(日)10:09:13ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史(その3)など
[95517]むっくんさん
詳細なまとめ報告ありがとうございます、ネットでは得難い知識を得られる貴重な書き込みです。
本件はあまり知られていない部分であり、もしかすると地方自治百年史などの
専門書でも細かくは書かれていないかもしれません。

[95525]hmtさん
自治年鑑1948のデータは有用な情報が含まれている反面、国勢調査や変遷情報と矛盾する点もあるようです。
まるごと信用することはできない。そのように評価しました。

同感です、組合町村については各資料の記述に少々頼りないところがあるようですね。

例えばWikipedia(町村組合)にある
三重県 雲林院村・河内村組合(1889年~1956年)共同で組合役場を設置

ですが、終了年1956(S31)については[95517]むっくんさんの書込みの他
伊勢年鑑(S17)という資料でも村長・役場とも別々であることがわかりますから再考の必要があろうかと思われます。

※古くは役場を統合し組合村だった点は正しいようです
参考・新旧対照市町村一覧(M28)(左中ほど)
改正新旧対照市町村一覧(T2)(右上)では既に役場が別々なのでかなり早い段階で組合解消?

本件はそもそも若年で当選した首長の一覧から派生した話題なので
(最後まで残った役場事務組合については)具体的にどの町村であるか示す資料が見つかり
それが想定の範囲外であった場合にこちらへ報告するという形でよろしいのではないかと思われます。
[95514] 2018年 3月 5日(月)21:37:26ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史(その2)
少々遅れてしまいましたが、本件コメントします

[95493]むっくんさん
役場事務組合についての解説ありがとうございます、S18の法改正で確かに132条に但書が追加されておりますね。
129条で一部・全部の事務組合区別があるという点は把握できていたのですが
132条についてはあまり詳しく見ていませんでした。
拙稿[95492]
旧法では全部・役場事務組合の区別は不明瞭
は少々不適切な説明だったかもしれません・・・

最後まで残った役場事務組合が後免町・野田村ではないという点も了解です、ひっかけ問題?に誤答したようです。
一応高知県統計書(S34年の市町村職員数)でも確認

以下に、少々長文ですが役場事務組合について特徴などを簡単にまとめておきます。
(不確実な箇所が含まれていると思うので間違いなどがあればご指摘ください)

1.対象となっていた自治体や組織の仕組みなどについて

対象自治体は(一部事務組合と異なり)町村のみだったと思われます。(市は対象外)
出典:広域行政のあり方4コマ・参議院会議録情報地方行政委員会第8号(S28.7.13)にも下記記述あり

役場事務組合につきましては、地方自治法に組合というところの規定がございまして、その中の二百八十四条の第三項というところに、町村にのみ認められる組合として規定がございます。


2.Wikipedia(町村組合)以外でネット公開されている組合町村名や数などがわかる資料について

組合町村名については自治年鑑(1948年版)(町村長の氏名)
組合町村名が少々わかりづらい箇所があり(福島県など)補完としてこちらなども参照のこと
※旧法施行期間のものはこちら(S16)など(組合町村を明示)

数がわかる資料は例えばこちらにS27.11.10現在?の組合町村数が掲載されていることを確認

旧法施行期間刊行の内務省統計報告では町村会・組合会などの数(S17.12.15現在?)も記載されていますが
右側中央解説に組合会は町村制129条2項に拠って町村全部の事務を共同処理するため設置したものとあるので、
表に計上されているものは全部事務組合における組合会の数を示しているように思われる。
(一部事務組合の組合会もあるはずだが未計上?)

※町村会・組合会の数は実態と異なる可能性あり(和歌山・福井など)過去の同じ表とも比較してみた方が良い。
町村・役場数も誤りがある可能性があって、両者で集計日付が異なるため厳密な比較はやや難しいかもしれません。

上記資料を総合的に参照するとある程度は役場事務組合だった町村名を絞り込めると思うのですが、
肝心の「最後の一つは?」という答えはS34.10.1以前に消滅している町村がほとんどでよくわかりませんでした。
(従来から存在していたものでは無く新しく作られた組合だった可能性もあり?)
[95492] 2018年 2月 26日(月)21:42:25ekinenpyou さん
Re:町村組合の歴史
本件、それほど詳しくありませんが少し調べてみたので手短にコメントしておきます。

[95477]むっくんさんで紹介されていた参考資料に記載のある
第29次地方制度調査会答申ですがポイントをまとめたPDFがあって2コマ左上に
現行事務の共同処理の仕組みと運用についての概要が図でわかりやすくまとめられておりました。
これによるとかつての全部事務組合・役場事務組合は特別地方公共団体の一種だったようです。

その首長職はどのような形(肩書きなど)になるのかは
[95469]むっくんさんで既に解説があるのですが高知県誌で組合町村だった後免町・野田村を見てみると
人物の箇所(左端)には町長1名のみが記載されておりました。

※細かいですが地方自治法は日本国憲法施行のS22.5.3施行のはずなので[95458]むっくんさんで記載のある
蓑田 高さんがS22.4.-就任で正しければ恐らくぎりぎり旧法施行期間内にも中田・碇石村組合の村長?を
務めていたと推測、旧法では全部・役場事務組合の区別は不明瞭ですが旧法人の首長職消滅というルールは
地方自治法とだいたい同じだった模様

[95484]hmtさん
1959年まで残った役場事務組合の名は不明
むっくんさんから別途コメントがあるかもしれませんが
前述の後免町・野田村がS31.10.15の時点では唯一残った全部事務組合ということなので
(裏付けは取っていませんが)両町村が最終的には役場事務組合になって?
S34.10.1の合併で南国市となり全組合町村が消滅したのかもしれません。


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