さて、
[78672]の続き、ようやくまとまりました。。
昨年、拙稿
[75428]で「能登半島の夏の始まりを告げる行事」として
宇出津のあばれ祭りを紹介しました。
その際に、
リンクしたサイトの紹介文を読むと、京都の祇園祭と関連のあるお祭りでした。
と言う事を書いたところ、
[75432]hmtさんより、祭りの内容の違いから関連性はあまり高く無いのではいかと言う旨の投稿がありました。
一部にについては拙稿
[75433]で反論しましたが、実はそこで触れていない部分についても調べていまして、その結果「あばれ祭りは祇園祭の重要な部分をきちんと受け継いでいる」と言えそうだ、と言う事が分かりました。
ところが、調べるのに時間がかかってしまった結果、秋風が吹き始める頃になってしまっており、「夏祭り」の投稿としては時期を外してしまいました。
調べた内容の具体的なところは昨年の筑波山オフ会の際にhmtさんに直接お話しさせて頂いているのですが、せっかくなら文章としてまとめたいという気持ちも持っておりまして、どうせ投稿するならあばれ祭りの時期に合わせて投稿したい…と言う事でこの時期まで待っておりました。
ポイント毎にまとめます。
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1.疫病対策で祇園社から牛頭天王を勧請したことがあばれ祭りの由来とあるが、八坂神社の祭神との関連性は高くないのでは?
wikipediaなどで京都八坂神社の歴史を紐解いてみると、江戸時代には延暦寺の支配下にあり、
牛頭天王やその妻・息子達を祭神(本尊?)とする神仏習合色の強い社であったようです。
牛頭天王はその起源は明確ではないようですが、祇園精舎の守護神とされることから牛頭天王を祀る社が祇園社と呼ばれたようです。京都八坂神社は感神院祇園社。
また、牛頭天王は時代とともに素戔嗚尊と同一視されるようになりましたが、明治時代に神仏分離令が発せられると感神院祇園社の祭神は牛頭天王から素戔嗚尊に置き換えられてしまい、さらに仏教用語である「祇園」の名も忌避され八坂神社と改められ、今に至っています。
(なお、先にリンクしたwikipediaを読むと祇園社の名が先にあったととれる記述もある。また、牛頭天王→素戔嗚尊を祀る神社のうち、愛知の津島神社や東京の素戔嗚神社などは祇園社ではなく天王社と称しており、八坂系とは別系統とされる。さらに、関東に数多くある氷川神社の祭神も素戔嗚尊だが牛頭天王信仰とは関係がない。以上参考まで。)
さて、宇出津に祇園社から牛頭天王が勧請されたのは江戸時代です(
参考)。
(桜井源五という人物が勧請したとされていますが、前述のHPによると桜井家が引越十村として宇出津に移ってきた1664年から百姓一揆の責を問われ珠洲郡松波へと移った1756年までの間に3人の桜井源五がおり、実際に勧請したのがどの桜井源五なのかは分かっていないとの事。ただ、いずれにしても江戸時代なのは間違いない)
であればその頃の京都の感神院祇園社の主祭神は牛頭天王であり、「祇園社に関係ある何かにあやかった」とか言うレベルではなく直系の分社であると言う事です。
そして、勧請の際に祇園祭にあやかった祭礼が行われるようになり、それが後のあばれ祭りと言う事になります。
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2.祭りが行われる日が7日ではない
これは
[75433]で触れていますが、あばれ祭りの開催日は元々7月7~8日だったものが7月第1金・土曜日に変更されています。
あばれ祭りの場合、「地域の住民がこぞって参加する」「遠方に在住している宇出津出身者が帰省してきて祭りに参加する」「能登の夏祭りの先駆け、天下の奇祭と言う事で観光客も多数訪れる」と開催日をずらす方に働く要因が全てそろっています。
また、これは特にあばれ祭りに関して言われていることではないのですが、能登ではこんな都市伝説が広く語られています。
「ある集落に夏祭りの時期になると毎年何日も会社を休む男がいた。ある年、例年のように祭りの時期に合わせて休みを申請したところ、『以後出社に及ばず』と申し渡されてしまった(つまり、クビになった)」
この「ある集落」がはっきりしていないところが都市伝説っぽい。
これは元々は「それだけ能登の男衆は祭りに熱中する」というような意味合いで語られていたらしいのですが、近年は「景気の低迷の影響で休みが取りづらくなった」「他地区から能登に流入した企業の中に、地域の祭礼にあまり理解を示さないところがあるらしい」等々でこれが洒落にならなくなってきてる…と言う感じに話が変わってきています。
こういう話が出てくるぐらい、平日開催では人手が集まらなくなってしまった地区があるようです。
なお、
輪島大祭のように今でも昔ながらの開催日で執り行われている能登の夏祭りもあります。
(輪島大祭は輪島の町場にある4つの神社の大祭が連続して行われるものですが、そのうち海士町の祭りである奥津比め神社(「め」はしらやまさんの「め」の字と同じで、JIS第2水準まででは表示不能)の期間は舳倉島がほぼ空になってしまい、航路も休止になります。もし夏場に舳倉島に行きたいと考えている方がいた場合は要注意)
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3.キリコ(奉灯)の出るあばれ祭りは、東北の巨大祭り灯籠と同じく七夕祭りの灯籠流しが変形した祭りなのではないか。
京都の祇園祭のメインイベントと言えるのは宵山です。
しかし、
祇園祭のwikipediaの宵山の項を見ると、
祇園祭のハイライト。元々は付け祭りだったが、こちらの方がはるかに大規模になった。
とあります。じゃあ祭礼の一番重要なところはどこか?と言う事でさらに読み進めて行くと、
神幸祭・還幸祭(神輿渡御) [編集]こちらが本来の神社の中心行事。神幸祭は山鉾巡行で浄められた四条寺町にある御旅所へ、八坂神社から中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)の大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る神事。この夜から7日間滞在する。974年(天延2年)に御旅所(現在と所在地は異なる)を朝廷より賜り、行われるようになった。また子供神輿である東若御座神輿も参加する。
とあります。さらに、
神幸祭は朝の雅やかな山鉾巡行とは打って変わって、夕刻より行われる神輿渡御は勇壮豪快で荒々しいのが特徴である。3基の大神輿を総勢1000人以上もの勇猛な男達により担ぎ揉まれて神輿が暴れ狂う様は圧巻である。いわゆる暴れ神輿というものである。
と書かれている。神幸祭だけでなく、還幸祭でもやはり御輿が暴れ回るとのこと。
なぜ御輿が暴れるのか?なのですが、牛頭天王は元々「疫病を引き起こす祟り神」とされており、その牛頭天王を分霊した御輿を暴れ回らせて満足させることにより疫病を引き起こさせないようにした…と言うのが暴れ御輿の由来のようです。
そして、その「牛頭天王を分霊した御輿」の通り道を清めるために奉納されたのが山鉾。
一方、あばれ祭りの方はと言うと、「能登のキリコ祭りの先駆け」と言った風に紹介されることもあるのでどうしてもキリコに目が行きがちです。
しかしながら、こちらもキリコは宇出津の町衆が奉納するもので、実際に祭りの中心となるのはあばれ御輿。
あばれ祭りはきちんと祇園祭の本来の形(「牛頭天王(→素戔嗚尊)を分霊し暴れまくるあばれ御輿」+「あばれ御輿の通り道を清めるための付け祭り」)を踏襲している、と言えます。
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おまけ.じゃあなぜ祭りの名前が「祇園祭」じゃないのか?
実は、本稿をどうしても落書き帳に投稿したかった一番のポイント。
宇出津のあばれ祭りが祇園祭を踏襲した祭りだとすれば、なぜ祭礼の名前が「祇園祭」ではないのだろう?
これはhmtさんからの指摘には触れられておらず、いろいろ調べているうちに自分が疑問に思ったことです。
そしてこの疑問の解決法、すぐに思いつきました。
「祇園祭の神事としての一番重要な部分があばれ御輿であることからすると、あばれ祭りが「あばれ祭り」となったのはそのあばれ方に起因しているのではないか?それならば、見比べてみれば良いのではないか?」
今は便利な世の中で、インターネットを探すといろんな祭りのビデオを見ることが可能です。
YouTubeで「祇園祭の神幸祭」と「あばれ祭り」のあばれ御輿の「あばれ方」を見比べてみましょう。
まずは祇園祭の神幸祭のビデオ。
1、
2、
3(その他、「祇園祭 神幸祭」での検索結果は
こちら)
確かに山鉾巡行とは趣を異にしますね。勇壮です。
では、あばれ祭りはというと…
1、
2の1・
2の2・
2の3、
3(その他、「あばれ祭り」での検索結果は
こちら)
祇園祭の神幸祭と比べるとあばれ方が尋常じゃない。
御輿を道や壁に叩きつけ、海や川に放り込み、とどめに火の中に放り込んで破壊の限りを尽くす。
このように「御輿がとんでもない暴れ方をする」事から祇園祭ではなくあばれ祭りと呼ばれるようになったものと推測しています。
この暴れ方の凄さは宇出津が漁師町であることの影響もありそうですが、2つの御輿が奉納されることからお互いが暴れ方を競っているうちに「御輿を破壊しまくる祭り」になっちゃったのかなぁ、とも推測します。
実は「あばれ祭りが今の形に固まるまでの経緯」を記した資料や古文書はあまり残っていないようで、ある程度推測を挟まざるを得ないところはありますが、「あばれ御輿が暴れまくる祭りだからあばれ祭り」なのは間違いないでしょう。
あ、もし「来年以降にあばれ祭りを見に行ってみよう」と思っていらっしゃる方がもしいたら気をつけてほしいのですが、特にクライマックスの「カンノジ参り」ではあばれ御輿に近づいてはいけません。
まず間違いなくケガします。
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#以下余談。
いろいろ調べているうちに、あばれ祭りよりもさらにトンでもねぇあばれ御輿があるのを見つけました。
あばれ祭りでは御輿の土台は再利用するので、破壊すると言ってもある程度御輿の形は残った状態で神社に戻ってきます。
ところが、長野県上伊那郡宮田村にある津島神社の
みやだ祇園祭のあばれ御輿は神社の階段から何度も投げ落とされて完全に破壊されてしまいます。(ビデオ
1、
2)
これは想像を絶するとしか言いようがない。
それから、ちょっと変わった「御輿」が暴れまくるところもありました。
群馬県前橋市の「大胡祇園まつり」では
獅子頭が、京都祇園祭の山鉾の一つである南観音山を抱える百足屋町では宵山の夜に
観音様がそれぞれ男衆に担がれて暴れまくってます。
(南観音山のあばれ観音については
こちらもご参照ください)
※ビデオのリンクを増やし、それに合わせて本文も修正