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スナフキんさんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[51985]2006年7月4日
スナフキん
[51952]2006年7月2日
スナフキん
[51779]2006年6月16日
スナフキん
[51735]2006年6月12日
スナフキん
[51725]2006年6月12日
スナフキん
[51661]2006年6月5日
スナフキん
[51534]2006年5月29日
スナフキん
[51474]2006年5月25日
スナフキん
[51452]2006年5月23日
スナフキん
[51339]2006年5月15日
スナフキん
[51292]2006年5月12日
スナフキん
[51018]2006年4月26日
スナフキん
[50823]2006年4月15日
スナフキん
[50649]2006年4月10日
スナフキん
[50639]2006年4月10日
スナフキん
[50519]2006年4月7日
スナフキん
[50483]2006年4月6日
スナフキん
[50445]2006年4月5日
スナフキん
[50420]2006年4月4日
スナフキん
[50127]2006年3月28日
スナフキん
[50108]2006年3月27日
スナフキん
[49823]2006年3月13日
スナフキん
[49725]2006年3月7日
スナフキん
[49530]2006年2月28日
スナフキん
[49208]2006年2月15日
スナフキん
[48875]2006年2月1日
スナフキん
[48781]2006年1月27日
スナフキん
[48692]2006年1月24日
スナフキん
[48501]2006年1月18日
スナフキん
[48313]2006年1月13日
スナフキん

[51985] 2006年 7月 4日(火)10:10:58スナフキん さん
えびの市成立にかかる問題
[51968]白桃さん
私は人口にかかる話題があまり得意でないのでなかなか話についていけないのですが、えびの市成立時のすったもんだについて資料室長から入れ知恵をもらったので参考までに。

[51976]でsuikoteiさんがフォローされていますが、私が聞いた話によればえびの市成立の際には、1966.01.20に出てきた各町の国勢調査人口数値の合計33,101人でもって自治省を納得させたのだそうです。この時点はもちろん私は生まれていないので事情をよく知らないのですが、当時は新聞などでも「それはずるいのではないか」などとかなり叩かれたのだそうです。その証拠を示せと言われても、さすがにそこまで昔の新聞スクラップは保存していないので、あくまでも「伝聞」に過ぎない不確実な情報ですが…。

白桃さんの書かれた時系列年表を見ながら、あくまでも個人的な見方として考えますと多分、えびの市成立時点では、国勢調査がその2ヶ月前に実施されていた事実はあっても、そこで市となる人口要件3万人を割り込んでいたかどうかの結果が判明していなかったために、その5年前である昭和40年の国勢調査数値で3万人を越えているから、と納得させざるを得なかった、というえびの市の言い分が見えてくるような気がします。

勝手なこじつけですが、えびの町が誕生した1966年からえびの市へ昇格した1970年までの間に、1968年この地域に甚大な被害をもたらしたとされるえびの地震発生の記載が、勤務先の資料から見つかりました。要件云々以前に、震災復興のため財政基盤強化を計りたく市制施行を推し進めざるを得なかった、とか言う事情はあったのか、なかったのか…。
[51952] 2006年 7月 2日(日)20:29:53スナフキん さん
北埼玉ネタに、ちょっと便乗
私も今日、レンタカーを借りて北埼玉・行田まで行ってきましたのでちょっと話題に便乗。

ブログにもしたためた通り、知り合いに届け物をするのが主目的なのですがそれだけでは面白くないので、20年以上ぶり(小学生以来)にさきたま風土記の丘に行ってみました。もちろん行田名物古代蓮も気になったのですが、知り合いの「1時間前にもうだいぶ閉じてた」の言にスッパリアキラメ。早起き早寝なんですね、蓮って。以前に1度、行ったこともあるし…その時は屋外で「生ダークダックス」(大汗)に遭遇し、小林亜星氏を間近で見て感動したんですが(笑)。

古墳へ行ってびっくりしたのは、鉄剣出土で全国的に知られた稲荷山古墳、小学生の頃は円丘部分しか残っておらず学芸員にわざわざ「ここは前方後円墳だとされています」と説明されたはずなのに…何と前方後円墳になっていました! 当時あった環濠は埋められて玉砂利が敷き詰められており、資料館学芸員に尋ねると昨年度中に復原事業が完成したとのこと。他にも、当時は立ち入りができなかったはずの将軍塚古墳に、展示室を埋設構造で設置してあったりしていました。資料館内部の展示も、小学生だった頃には発見もされていなかった埋蔵物がガラスケースに入っていたりします。まったく、数千年の時の流れを研究する考古学に向き合って、たった20年ばかりのタイムラグをここまで実感させられるとは…文字通りの「浦島太郎」状態です(汗)。公園内の環濠に、「古代」かどうかは分からないけれど蓮が浮いていて花をつけていました。まぁ今日のところは行田の蓮ってことで、これでいいかなと。名物と言われる「ゼリーフライ」も食べたし(爆)。

武蔵水路を北上するルートは当時の社会科見学で利根大堰へ行ったのと同じ。学芸員さん曰く「今でもそのコースで回る団体はいますよ」とのこと。時代は変わっても、古墳群も武蔵水路も、重要度は少しも昔と変わっていないようで妙に安心します。武蔵水路の長野サイフォン・白鳥田サイフォンは今回も素通りしてしまいましたが、小学生の時分にこの設備に異常に執着して、しばし図書館に入り浸った(アヤシイ…)ことをちょっと思い出しました。埼玉の小学生は多分かなりの確率でこの武蔵水路を、重要な飲料水供給ルートとして教わるはずですが、同様に荒川から取水しているはずの東京都ではどうしているんでしょうねぇ?

帰りは、熊谷市内で整備中の環状道路の一部、荒川を渡る(沈下橋に代わる)久下永久橋が気になって遠回りしてでも通ってみました。いやぁ、部分的高速道路(笑)。高崎線をまたいでから荒川の橋本体まで、距離はわずかですが分岐・合流のランプウェイを有し、事情を知らない人ならまず対面通行の高速道路と思ってアクセル踏みまくるはず。かく言う私も、メータが80指しているのにしばらく気づかなかったりして(自爆)。

自宅に最も近いであろう広域農道をフル活用しての往復でしたが、帰りは道の駅いちごの里よしみに寄り道。ここ、吉見町民会館が必要以上に大きくて、逆に道の駅の施設群は実際よりもずっと小さく見えます。これらハコモノをジャカスカ作って税金使い込んで、財政状況が悪化したために東松山との合併で肘鉄を食らわされたのですから、猛省してもらわにゃいけませんね。

蒸し暑い一日でしたが、頭も体も動かした、健全な日曜日でした。
[51779] 2006年 6月 16日(金)00:08:56スナフキん さん
東京駅のこと
[51767]N-Hさん
すでに[51772]でsuikoteiさんが書き尽くしていますが、念のため私のお宝である1972年11月号(suikoteiさんのものより、8ヶ月あと)の時刻表でも当たってみました。ちなみに私のものは復刻版でなく、実物です。紙はすでに変色し、文字も潰れかかっているものが散見されて見にくいことこの上ありませんが、これで徹夜しろと言われたら、やり通す自信はあります(爆死)。

特急に関しては、suikoteiさんの記述から若干の変更が見られます。ただ、東北線方面の青森・盛岡・秋田・仙台へは変わらずに直通特急が走っていますし、高崎線方面でも新潟・長野・直江津へやはり直通便があります。熱海-前橋の普通便も見えました。この他定期便で県庁所在地に絡むところでは急行「日光」が宇都宮、といったところでしょうか。

まあこれらに関しては、今の社会情勢とはまったく異なる時代の状況だけに一概に良い悪いを判断するのは難しいと思いますが、ただ1つ、いまよりもはるかに時はゆっくり流れていたであろうことは確かだと思います。
[51735] 2006年 6月 12日(月)12:59:40スナフキん さん
超高層、フォローありがとうございます
[51727]YSKさん
ここまで書いてきて違う場所だったら恥ずかしい
大丈夫です、その公開生放送、モデルルームを見学後に見てきましたから(笑)。てっぺんから足元を(こわごわ)見ると、人だかりがしていたので何事かと思って急行したら、ラジオ局の腕章をつけた人たちが「撮影禁止」の札を持ってウロウロしていました。私、最上階からこの人だかりを撮ってしまったんですが(自爆)。ただ残念なことに、私の行った時間帯が中途半端だったために、最上階からのラジオ中継とは前後してしまって鉢合わせすることはありませんでした。

たくさんのショップともつながった
生活圏が近接しているので、自分と関係のない店舗を除いて全部の店を一通り利用していますが…一応モール形式にはなっていますけど、「たくさん」という感じはしないなぁ(苦笑)。

高崎市役所も24階建てですよ
ああっ、やっぱり…。高崎市内には超高層、あるかもしれないなと思いつつも、前橋よりもはるかに訪問回数の多い高崎駅周辺に飛び抜けて背の高いビルがあった印象がなく、つい県庁まで遠望してしまいました(苦笑)。住宅地図で調べたら、地上は21階のようですね。おっ、うちの超高層の方が高いぢゃん、と思いきや高さは102.5mで、約95mのこちらよりも高かったり。オフィスビルは天井高が異なるので、フロア数=建物高さにはなりません。では群馬県庁はと住宅地図を開くと…建設中(ガッカリ)。ホームページを見たら33階! そんなに高かったかなぁと感心してしまいました。
[51725] 2006年 6月 12日(月)00:10:36スナフキん さん
ちょっと超高層ビルを考える
先週から、自宅近くの駅前に完成した超高層賃貸住宅のモデルルーム公開が始まりました。オープンは来週末まで続きます。今や都心部では超高層ビルは当たり前であり、何をもって「超」なのかは意見が分かれそうですが、自分はおおむね20階建て以上なら超高層かな、とかあいまいに考えています。もっとも、昨今の高層化はこれを上回る規模で進んでいて、都心部ではもはや30階建てクラスも珍しくなくなってきており、20階では基準が甘いかもしれません。特に、今まではオフィスビルが圧倒的に多かった超高層ビルに、賃貸または分譲のマンションが次々と加わっていますね、時代は変わったものです。

私は、山登りの経験があるにもかかわらず高いところはあまり得意でないのですが、それでも飛行機搭乗中に上空から、超高層ビルの上層から、周りの景色を眺めるのは結構好きです。真下を見ちゃうともうダメですが、視線をなるべく水平にすれば、多少へっぴり腰(汗)でも長いこと眺めていられます。あるいは、地図屋たる職業がそうさせているのかもしれませんが、メンバーの中にもたぶん、そんな人がいるのでは?

しかも新しもの好きな私は、モデルルームオープン初日に最上階へ行って、新調したてのデジカメでもって手当りしだいに景色を撮りまくってきました。警備で巡回している人からは「なんじゃこいつ?」みたいな目で見られはしましたが、絶景なることこの上なかったです。ましてや、この建物は立ち上がる前から、私がほぼ1週間ごとにでき上がり高くなっていく様子を画像で記録し続けた建物。たぶん眺める景色は他の人とはまた違うように見えたことでしょう。

都心部では増殖した超高層ビルも、埼玉のこの辺りまでくるとさすがに相当まばらになります。まとまって背の高い構造物が望めたのは、さいたま新都心と大宮駅周辺、隣のふじみ野駅周辺と新所沢駅周辺くらいなもの。よく考えたらこの建物より北側には、ここ以上に高い建物ってないのかもしれません。さすがに新所沢変電所が立地する土地柄、高圧線の鉄塔はやたらに林立していますが、ビルとなると…ひょっとしたら沿線はおろか、終点の寄居を通り越してさらに北、群馬県庁くらいまで超高層ビルはないのではないか? というくらい、逆に北側の眺めは遮るものも少なく、すばらしいものでした。

間取りがまた、最上階の天井高を活かしたデュアルフロア構造で、ロフトがあったり床下収納があったり、中には風呂場に窓があって展望風呂だったり、それでいて四六時中得られるワイドビュー…競争率の激化は必至です、どの間取りもほとんど1部屋しかないですし…。ところで、住居の「ロフト」って考え方は日本固有のものではないように思うのですが、どうなのでしょうね? 「屋根裏部屋」と言ってしまえば確かにそう見えなくもないですけど…。部屋の中に数段の段差がある生活、毎日にメリハリがつくと捉えるか、いちいちの昇り降りは億劫と捉えるか…日本での住まい選びも多様化してきたようですね。ちなみに、私はこの最上階、家賃を払おうにも収入不足で、入居できません(号泣)。
[51661] 2006年 6月 5日(月)22:27:13スナフキん さん
環八全通、その後
[51543]音無鈴鹿さん
早速、開通区間を実走されたのですね。今回開通区間には事実上の自動車専用区間も含まれるため、マイカー所有が(収入の面で)ままならないスナフキんは、車を借りでもしない限りここを走ることはできそうにありません。

少し遅めのレスになってしまいましたが、自分自身で開通後の姿を見るまでは何かを書いたりするのは、こと環八に関しては控えようと思っていたためでした。で、日曜日に開通後の様子を初めて見に行ってきました。その他周辺の整備状況など詳しいことはブログにちまちま書きましたので、気になる方はそちらをご覧ください。もちろん私は道路の「走行」はできないので、トンネル上から眺めるだけです。根本的に自分がやっていることは開通前も開通後も変わらないのですが、足元ではすでに車が通っていて様相が一変しています。防音壁があり、設備も車の流れも高速道路のよう。週末の昼下がりとあって交通量はまずまず、信号は区間1ケ所のみで車も極端に多くないことから流れは順調そのものでした。

ただ、意外だったのは井荻トンネル。開通したのだから当然渋滞も解消するのかと思いきや、引き続き工事をしているらしく相変わらず朝の交通情報では「環八の井荻トンネルは工事のため~」のクダリが繰り返されています。北町若木区間の側道及び歩道整備工事と同じく、本線をとにかく通すことが最重要課題で、他が多少おろそかになっても全通を優先させたのでしょう。TNさんが指摘された、「超突貫工事」を裏付ける一つの現象と言えそうです。

ブログの繰り返しですが、私がここ環八の最後の開通区間をここまで気にしたのはたぶん、仕事がそうさせたのだと思います。でも、地図屋の仕事は道路を分かりやすくユーザに示すまで。そこから先、示された道路をいかに利用し、有効なものにしていくかは何も地図屋だけの仕事とは限りません。道路を通過する人はもちろん、沿道の住民もかかわりのあることのはず。ともあれ、私がこの区間に執着する必要はほぼなくなりました。トンネル出口直上から北側を眺めながら、鳥肌がたちそうだけど充足感、涙が出そうだけど拳を握りしめたくなる手ごたえ…なかなか言葉で表しにくい、複雑な心境になりました。それもたぶん、自分が地図を描くことを仕事にしているからなのかもしれませんが。
[51534] 2006年 5月 29日(月)00:51:40スナフキん さん
mixiのこと
どうも複数の方の書き込みを見る限り、落書き帳メンバーにもいく人かのmixi参加者がいらっしゃるようですね。かく言う私もそうだったりします(汗)。

ただ、あくまでも落書き帳は落書き帳。共通の参加者同士で交流するのはよいけれど、mixiに落書き帳コミュを立ち上げて「第二落書き帳」にするのは変だし、この場を提供して下さっているグリグリさんにも何だか悪いので、やめましょうね(笑)。

私の場合、ブログはmixi内でやっているわけではないですし、正直地理・地図の話題を仕事以外でやるのは当落書き帳だけでもうおなかいっぱい(大汗)なので、mixiでは地理的アクションも、鉄的アクションもしていません。埋没しそうですけど、かすみさん同様落書き帳でのハンドルネームと同じ名前を使っているので、見つけやすいかもしれません、興味のある参加者は詮索してみてください。
[51474] 2006年 5月 25日(木)13:48:47スナフキん さん
環八のこと
[51466]TNさん
タイトルの本題はともかく…
肺が菌に侵され
とてつもない難病に見えるのですが…心配です。でも、PCに向かって文字は打てているから、大丈夫なのかな?

線路際まで開削し、トンネル断面の外縁にパイプを挿入したのちにくり抜く、といった手法が想像されます。
実は私も21日、現地に出撃(汗)したのです。自分で地図帳に赤線を引いて訂正しておきながら、こんな大幹線の開通に知らんぷりはできません(笑)。ここにも直後にそのことを書き込もうかと思ったのですが、自分のブログで「これでもか!」というくらいにみっちり書き込んでしまったのでまあいいやと、サボってしまいました。

私が向かったのは練馬区北町~板橋区相生町区間であり、こちらでは残念ながら笹目通りとの分岐部にかかる資料を一緒に入手することはできませんでしたが、東武東上線交差部にかかる資料などはゴッソリ入手できました。それには、専門用語を連発して恐縮ですが「開削工法の応用で築造した」旨の記述が見えました。線路際までオープンカットで構築し、線路直下のみ現地で築造したボックストンネルをスライド挿入した、とあります。これには線路部分の地盤を支えるための補助工法が当然必要なはずですが、それについては記載がありません。日刊建設工業新聞にも南田中トンネルの詳細は掲載されましたが全体的に図面が少なく、そもそも北町若木区間の詳細は載っていませんでした。開通式がこれからなので、新聞記事をもう少し注意して見てみることにします。

あまりの突貫工事ぶりに見ていて気の毒です。
当日も、注意深い人ならば突貫工事ぶりが足を踏み入れただけで分かったはずですね。ブログの記述と重なりますが、明かり部分は前日の豪雨で洗い流されていたとは言え、覆いのあった部分の舗装は歩いていてもまだべとつきが分かるほどでした。アスファルト舗装に「生乾き」という概念があるのかどうかは分かりませんが、たぶんそういう状態で日曜日の当日を迎えたんだろうと思います。

首都高中央環状線に対しても、渋滞緩和の効用についてそれほど期待を抱いておりません。
現状では首都高速中央環状線のうち王子区間が完成していますが、これも開通後の効果として大々的に報じられた渋滞の解消が思ったほどに現れていないのでは?と私も感じています。池袋線から中央環状線への流量よりも、東北道・常磐道方面から池袋線への流量の方が上回っている印象で、渋滞情報を聞いていても開通後はかえって竹橋を頭にした5号池袋線の渋滞が伸びてしまったように思います。従来はいくつものJCTを経なければ到達できなかった山の手エリアへよりスムーズに行けるようになったことが、かえって交通量のアンバランスを招いてしまったともとれ、道路建設計画の難しさを感じます。

余談ですが、私のブログのアクセス記録を見ると、環八をタイトルに据えて記述した記事だけが、他記事のアクセス数の6倍近くに達しています。一地図屋の書いている戯言にも関わらず、世間一般の関心は非常に高いようです。
[51452] 2006年 5月 23日(火)09:11:21スナフキん さん
やはりメガライナーは転用…
昨年8月に秋葉原~つくば間に首都圏新都市鉄道<つくばエクスプレス>が開業し、その後減便などの改定を経て去就が注目されていた常磐道高速バスつくば線の巨大車両「メガライナー」ですが、どうやら第二の人生が決定したようです。知り合いからの情報では、今月中にもつくば線からは撤退し、整備及び国土交通省の特認が下り次第、現在はダブルデッカーでの運行が定着した東京~大阪間の「青春ドリーム号」に回って席数を増加させる方針なのだとか。高速道路の走行はともかく、東京や大阪の一般道路の通過に問題はないのか、疑問が残りますが…。私が予想した「鹿島線転用説」はものの見事にひっくり返されました(大汗)。

それにしても、決して夜行バスとしては設備が恵まれているとは言いがたい「青春ドリーム号」、設定当初は定着するのか首をかしげていたものですがいつの間にか、2階建てバスを投入するほどに利用者が増えていたんですね。昨今は東京~大阪ですと航空運賃が叩かれ気味なところへ、新幹線も割引手段を増やすなど全般的に運賃が低廉化する傾向にあるようですが、そのさらに下を行く激安夜行バスがここまで支持されているとは…こんなところで景気って、本当に回復基調にあるんだろうかと疑問に思ってしまう今日この頃です。
[51339] 2006年 5月 15日(月)13:01:48スナフキん さん
ワラヂヤ地図のこと
ワラヂヤ、自己破産の時は「え~っ?」と思ったのですが、それも数年前の話なのですね。神戸オフの際にも、実はワラヂヤの「ザ・マップ京阪神」を持っていったのはワケアリのつもりでした(汗)。ワラヂヤの、特に市街図に関してはとにかく見やすくて、土地勘のない私のような人間が地図編集する際にはとっても役に立ちました。ただ、最後の最後までデジタル化に乗り遅れてしまったのがつまづきの大きな要因だったのかなという気がしています。手元にオフの時に持ち出した道路地図を広げて見ていますが、阪急の三国駅が改築中で、アナログ作業でもって苦しい手直しをしているのがよく分かります。線の形はちょっとイビツだけど、決して見易さを犠牲にしてはいないのです、やはりワラヂヤの消滅は惜しまれます。それにしても、漢字だと「和楽路屋」だったんですね、そんなに昔のことは知らなかったので(勤務先保有の地図はみんな「ワラヂヤ」って書いてあります)驚きました(←知らなさ過ぎ)。

[51318]ニジェガロージェッツさん
この地図の片隅には「(株)デジタルマップス」と社名が入っています。
この会社については存じておりませんでした。ワラヂヤの資産はそれなりの価値があったはずですが、前述のようにほとんどが「アナログ資産」だったはずで、それが「デジタル」と名のつく会社に移ったのかなぁ…(?)という妙な感じもするのですが。でも、すべてが失われてしまうよりは何らかの形でモノが生かされる方が断然いいので、完全消滅したのではないことを知って少しホッとします。ネットを詮索すると、どうもあるんだかないんだか、正体が不明の会社ではあるようです(苦笑)。

とにかく、ワラヂヤの市街図からは結構多くのことを教わった気がします。町別色分けの淡い感じや、町名を青文字にすることによってここまでおとなしい表現になるんだということ、郊外の段彩における色使いなど、参考になる点が多くありました。こういう表現を用いた道路地図をリリースしている会社、今はないような気がします。やっぱり惜しまれる存在だったように思いますね。
[51292] 2006年 5月 12日(金)13:44:54スナフキん さん
宮地岳線も高架になるのですね
[51290]かぱぷうさん
西鉄香椎駅もいよいよ高架になるのですね。去年の晩秋、九州新幹線の帰りに通りかかったら高架構造がすでにできており、高架になったものだと早とちりしてその後西鉄本社に問い合わせてしまったのを思い出しました。電話口では「来春には切り替えの予定です」と知らされたのですが、すっかり忘れたまま季節は移ろって春になってしまっていました(汗)。

その時でさえ、南福岡駅が大きく改築されていたり、箱崎がやはり高架になっていたり、香椎操車場跡地にどっかり高架構造の新駅が、西鉄と同居する形でできていたりと、ここ数年の変化に目を丸くしたものです。その前というと、2001年の池島炭鉱閉山の時に遡りますけど、この時は往復ともブルートレインだったので福岡県内は暗いまま通過してしまいました。だとすれば、ずいぶん前から九州はご無沙汰していたことになります…。いけませんね、西日本はどうしてもスパンが長くあいてしまう傾向が強いです。それが経県値にも如実に現れているのですが(汗)。

末端廃止の情報が取り沙汰される一方で、残存区間は近代化を進めるのですね…はたから見ているとやるせない感じです。でも、車両はさほど以前と変わっていないみたいですが(爆)。

ちなみに、わが社の地図はそれほど詳細な図を扱っていないので、高架になる分には(線路の位置が大ずれしたり駅が動いたりしない限り)それほど影響は大きくありません。しかし逆に地下になるとこれは大変。実線を破線に、スミのアミを落としてネズにしないといけないほか、地下駅は原則駅名記載をしないルールにしているので、駅名は撤去することに。いま作成中の訂正用冊子には、東急目黒線がダウングレードするような指示書きをする羽目になってしまいました。個人的には何とかしたいのですが…。
[51018] 2006年 4月 26日(水)09:26:46【1】スナフキん さん
ちょっと違うけど面白いバス
先日、広島プチオフに私が参加したときと同様に日中12時間をバスに揺られる愚行を実行した知り合いが、ちょっと面白いバスの話をしていました。

彼はマツダミュージアムの見学ツアーに参加したらしいのですが、広大な工場敷地内で集合場所とされたのはJRの向洋駅近く。ところがミュージアム自体は宇品の方にあるため、集合場所からバス便乗になったそうです。このバス、何と工場内で従業員輸送用に使われているバスそのものだったとか。さすがに従業員輸送との混用はしていなかったとのことですが、随所にしっかりバス停まであって驚いた、と熱っぽく語ってくれました。車はいたってマツダ仕様なのですが、どうやら運転士は広島バスに委託しているみたいだ、とも。もっとびっくりしたのは、有名な企業専用橋「東洋大橋」を、何と渡ることができるらしいということ。これを聞いただけで広島を再訪したくなった私は、多分ビョーキなのでしょう。プチオフの際にこのことを知っておれば、アストラムラインもスカイレールも全無視して見学しただろうに…悔やまれます。

一般に敷地内に乗り入れる路線と異なり、敷地が広大であるがために従業員移動用として設定されているバスは、当然一般人が利用できるはずがないのですが、このケースでは例外的に「その車」には乗ることができるみたいなのでちょっと脱線気味とは思いますが紹介してみました。

*ちなみに、それを気にして勤務先の住宅地図を見てみましたが、当然マツダ敷地内にバス停の記載はありません、念のため。

#最後の一文を後から追加。
[50823] 2006年 4月 15日(土)22:56:00スナフキん さん
目黒競馬場跡を、期せずして訪問
今日は、本当なら新宿をかすめてはいけない日でしたが…やむなく山手線で通過・乗換。まるで線路が輻輳する駅構内とは思えないくらい作業員だらけになっていて、地を這う線路が見えないほど。もちろん何をどうする作業をしているのかなんて車内からでは分かりっこありません。週末なのに山手線は、埼京線も湘南新宿ラインも動かないためにラッシュ並み混雑でグッタリ。しかも、当初の目的だったゆりかもめ延伸区間の初乗りは、こともあろうに昨晩の脱輪・脱線で空振り三振。関係者の話を間接的に聞いたら、問題は単純ではなさそうで深刻であるらしいとか。

同行の知り合いと協議の結果、なぜか目黒区や品川区界隈をウロウロすることに(謎)。その途中、以前話題になった「元競馬場前」バス停を、2度も、しかも同じ方向に向かう形で素通り。うち1度は、ホンモノの競馬場跡地をバス路線が縦断してくれたのですが…当たり前ですが競馬場らしさなんてかけらも残っていません(笑)。総じて住宅地であり、感慨もへったくれもあったものではありませんでした。むしろ、その直前に目黒不動の門前までバスがヅカヅカ進入していったことのほうがインパクトが強く、2度目の「元競馬場前」通過時もやはり直前の祐天寺商店街を「そこどけそこどけ」状態でヅカヅカバスが走り抜けるダイナミックぶりに唖然としてしまって、競馬場跡がかすんでしまいました~ 

その後は江ノ電に乗ったり、小田急電鉄の検査列車に遭遇したり…

最後のクダリは駄文にて、突っ込みは無用です(苦笑)
[50649] 2006年 4月 10日(月)17:31:19スナフキん さん
無視できなくなってしまった「まなづる」
[50529]でhmtさんが指摘された事実、なるべくなら知らんぷりして(汗)通したかったのですが…索引の校正をしていて、知らぬ存ぜぬで通せなくなってしまいました(大汗)。でも、校正作業を中断して脱線すると集中力が切れるので、最後まで校正を終えて調べてみたんですが…この、何か心に引っかかったまま「ま」~「わ」の校正をするのって、実にイヤな感じです。

このテの話での多数決は、モノの本質を見極めるのに何の足しにもならないことは分かっているのですが、まあ比較対照する意味が全くないというわけでもないと思うので、ありったけの資料で調べてみました。

「まなづる」(濁る)派:
角川地名大辞典
わが社に近い(スミマセン、あからさまに示すと正体がばれます・汗)資料2種類
神奈川県百科事典
町役場ホームページ
町発行の印刷物(郷土誌・町勢要覧・パンフレットなど)
平成17年版市町村要覧

「まなつる」(濁らない)派:
国土行政区画総覧
日本行政区画便覧
平成16年版以前の市町村要覧
2005年10月1日国勢調査速報値
(三省堂コンサイス地名事典)

以前私のおバカで話題を撒いてしまった「いわき市」の時ほど混沌としておらず構造は単純ですが、数の上では拮抗しています。しかも、わずかに分が悪い方に「重い資料」がのっかっています。ちなみに、三省堂の地名事典にカッコが付してあるのは、参照資料を「市町村要覧と国土行政区画総覧」と断っており、マゴ引きとも考えられるためです。但し同時に、「別訓」として濁るまなづるを立てており、中立とも取れるスタンスです。

概して言えるのは、「アーカイブズ・呼称が複数ある地名 ~地名呼称の多様性~」でも指摘されている通り自治省~総務省における見解と地元が主張する見解が異なっているようだ、と言うことです。読みを変えるのでも、例えば和歌山県広川町がそうであったように告示の対象となるはずですが私も見覚えがなく、合併告示に埋もれてしまったとも思えません。

市町村要覧の冒頭、凡例部分には出所明示がしてありますが、ここには平成17年4月に各都道府県に照会したとあります。つまり問い合わせ先は国の機関たる総務省ではなく地方に直接問い合わせた、ということです。しかもこの内容を見る限り、市町村要覧の内容全般が総務省の監修を受けているという事実もどうもないようです。そもそも編者である市町村自治研究会なる団体がどれほど総務省との関わりがあるのかは私も分かりませんが、改めてこの方針を貫いたところ地元が主張する「まなづる」表記が表に出てしまった…そんな事情なのではないかと(あってほしいという希望も含めて、ですが)。

上記は、私の大したこともない知識で記述しています。間違いがありましたらフォローをいただければと思います。
[50639] 2006年 4月 10日(月)09:45:17スナフキん さん
東京の動脈がつながるらしい
新年度から「ブログ」なるものを始めてみているのですが、本人がモノグサなのでなかなか毎日続けるのが難しいです。不思議と、自筆で書く日記は10年以上続いているんですが…習慣になれば続くようになるのかな?

さて、週末をはさんでちょっとしたニュースが耳に入ってきました。東京を取り巻く環状道路のうち環八通りは、ここに出入りする皆さんならご存じかもしれませんが現在ブツ切れ状態で供用されています。それが、この5月28日にも1本につながるのだとか。時折耳にする渋滞情報でいつも聞こえてくる「井荻トンネルは工事のため…」のクダリは、実はこの延伸工事のためだったことを、今更ながらにして知りました。地図屋としては情報遅すぎですが(汗)。

で、スナフキんはその情報を知らないまま、健保スポーツクラブが近くにあるのをいいことに日曜日、現調に行ってしまいました。今年始め、スポーツクラブに行くようになった当初はまだまだこんなのできんな…と思っていたものが、照明や看板が立つなど驚くほどに工事が進捗していました。あとは整地して舗装する程度になってはいましたが、それでも開通総延長からしてあと数ヶ月でできるようなものかいな? と疑念を抱いていたんですが…ホントにできてしまうようです。現地工事看板によれば、本来なら平成17年度中には完成させるはずだったようですが、それが遅れて新年度にずれ込んだもののようです。個別に見ると、練馬北町商店街の分断はアクロバットな急勾配で何とか避けられました。東武東上線直下の北町若木トンネルは、線路に直接影響させることなく掘り抜いてしまいました。どういう工法でやったんだろう? 他方、線路をまたぐ自転車・歩行者・車椅子用跨線橋は別工程らしく、竣工予定はシール貼りして平成18年7月となっていました。既存の環八通りは随所に3車線区間が介在しますが、今回開通区間のうち練馬区~板橋区間に関しては遠望した限り、側道への分岐部を除き中央分離帯ありの原則片側2車線構造のようです。

開通道路のパイプが極太な分、開通後にどれほど交通流動が変化し、渋滞状況が変化するのかちょっと興味のあるところです。
[50519] 2006年 4月 7日(金)09:22:13スナフキん さん
少しフォロー
[50495]千本桜さん
私の記述が恣意的過ぎて気を遣わせてしまいました、ゴメンナサイ。

ただ、自分自身ちょっと気になる点があってあえてひっくり返したままの記述をしてしまいました。「らづつ」と書かれた地図、タイトルが「いわき市全図」とあるのです。つまり、いわき市として合併を果たして以降に調製された地図であり、奥付も昭和42年12月となっています。自分は、昭和40年代に入ってもなお右から左へ読んでいたんだろうか、これは何かの間違いでは? と思ってそのまんま記述をしたわけですが…1/5万地形図のバックナンバーを見たら、昭和44年発行の「平」図幅も逆読みのままです。44年と言えば私の生まれるわずか5年前(汗)であり、いくらなんでもこの頃は今と同じになっていたはずだろうと思うのですが、地形図ではその辺りの反映が著しく遅れていたんでしょうか。そんなことは自分で調べるべきでしょうが、自分としてはちょっと不思議です。
[50483] 2006年 4月 6日(木)13:22:54スナフキん さん
いわき市の情報、感謝転じて懺悔へ
皆さんにご協力いただいたお陰で真相の判明したいわき市の合併前自治体名称、実は私の調べ方が足りませんで、社内に保存してあった過去の地域資料の存在をすっかり忘れていました。これを引っ張り出して見ればすべての疑問は解決できたはずなのに…皆さんに余計な労力を使わせてしまいました、懺悔。

「観光 うちごう」とか「観光の常磐市」、そんなタイトルのパンフレットが出てきました、何だかとっても興奮。ものすごく古い全域管内図には、うちごうなんて駅名すらなくて「らづつ」と書かれていました。そうか、内郷市の中心集落の名前は内郷じゃなかったんですねぇ…。そう言えば昔、内郷機関区とかいう国鉄の機関車車庫もありましたっけ。石炭産出地域であってこその立地だったのでしょうか…。

いけませんね、過去の資料に見惚れ始めたら仕事に手がつかず、きりがありません(大汗)。
[50445] 2006年 4月 5日(水)09:28:42スナフキん さん
助け舟に感謝です
いわき市の合併に伴う不思議に関して、十番勝負の最中だというのに多くの皆さまから情報をいただきました。個々の引用は数が多くなるので省略しますが、私の個人的な仕事上でのつまづきにフォローを下さり、ありがとうございました。本業の地図屋が「お手上げバンザイ」しても、博学な方々からの意見が頂戴できるこの場は、どちらかというと知識の乏しい「バカ地図屋」にとっては本当に貴重です。

お寄せくださった情報より、好間は「村」であり久之浜は「町」であることが確定・判明できました。結果的には市町村要覧の情報(=多数決による決定)で正しかったことになります。ただ、それですべての問題が解決したわけではありません。国土行政区画総覧と地元新聞社の百科事典という有力な情報ソース上での誤植事実は動かないわけで、出版業という同業他社の立場で考えるとこの事例は肝に銘じておいたほうがよさそうです。

人間のやることですからミスはつきものです。それに甘えてはいけませんが、完全に排除することは難しいといえるでしょう。けれども、例えば「葛」の字を外字にし忘れたとか、「ヶ」の字を大きくしてしまったとかいうレベルのミスと、町・村を取り違えるミスとでは明らかに重大性が異なります。今回のケースはメジャーな事例でありながら、超のつく大規模合併で関係自治体の数が多かったことが混乱を助長したように思えます。翻って、平成の大合併の嵐が吹き荒れる中、自分との因果が薄く土地勘もあまり働かない場所でも大規模な合併がいくつも興りました。登米市しかり、新潟市しかり、上越市しかり、高山市しかり、そして浜松市しかり、です。挙げておればきりがありません。今後10年20年が経過した後でも、上越市で「清里町」とか、浜松市で「龍山町」とか、自分で書いてしまわないようしないといけませんね。

最後は守りの姿勢で結んでしまったスナフキんでした。
[50420] 2006年 4月 4日(火)20:35:14スナフキん さん
ちょっと気になる昔の「いわき市」
十番勝負の最中に、どうせすぐ流れてしまうと分かっていながら書き込んでしまいます。

仕事で、昔の合併をほじくり返していてちょっと気になることがありました。皆さんよくご存じのいわき市は、「超」のつく規模の大きな合併を経て成立しています。その合併前の自治体名称を調べていたら、どうも資料によって記述がまちまちなのです。しかもそれは、誤字脱字とかいう単純なものではなく、町か村かを取り違えているという結構重要な違いでして、頭を抱えてしまいました。

具体的には、合併を詳細に記したものとしては最も身近と思われる「市町村要覧」。このいわき市の項には
合体 平市 磐城市 勿来市 常磐市 内郷市 四倉町 遠野町 小川町 好間村 三和村 田人村 川前村 久之浜町 大久村
とあります。何の疑いもなく、別資料で校正しようと国土行政区画総覧(これにも各自治体の末尾に行政変更の内容が記載されています)を出してきて、見てビックリ!
平市・磐城市・勿来市・常磐市・内郷市と、石城郡四倉町・遠野町・小川町・好間町・三和村・田人村・川前村、双葉郡久之浜村・大久村を廃し、いわき市を置く
とあったのです。上下をよ~く見比べてください。町村の違う箇所が2ヶ所もあるのです。この、公的色のきわめて強い書物の食い違いというのは厄介で、どちらを信用していいものか非常に困惑します。最終的には出典明示して逃げるしかないかな、と思うのですがそれではプロらしくない(汗)ので、他資料も総ざらいしてみました。

勤務先に最も縁が深い(?)事典をひもとくと
勿来市・磐城市・常磐市・内郷市・平市、石城郡田人村・遠野町・好間村・三和村・小川町・四倉町・川前村、双葉郡久之浜町・大久村が合併
とあります。順序こそ違えど、内容は市町村要覧と一致します。

では、角川の地名事典はどうでしょうか。
いわゆる常磐5市に好間村・遠野町・田人村・三和村・四倉町・川前村・久之浜町・大久村・小川町の4町5か村が合併
でした。省略はされていますが、これも市町村要覧の内容を裏付ける形になっています。なるほど、単純に国土行政区画総覧の誤植かと思ったのですが、福島民報社の発行する福島大百科には
平・磐城・勿来・常磐・内郷市と、四倉・遠野・小川・久之浜・好間町、三和・田人・川前・大久村
とあるのです。何と地元の新聞社は、冒頭に示した2つの有力公的文書のいずれでもない記述をしています…??? 決して、史実が風化してしまうほど昔ではないはずの事実が、どうしてここまでぐちゃぐちゃになってしまうのでしょう?

さらに追い討ち。アーカイブスにもなっている”「いわき市」について語ろう”の中で、何とこの混乱を裏付けるかのようにIssieさんのデータが誤植。三丁目さんが何気なく誤植を指摘されていますけど、この混乱はどうも根が深いような気がしてきました。

こうなったら地元の主張に頼るしかないッ、といわき市webの歴史コーナーを調べてみたら…
好間村→いわき市
久ノ浜町→いわき市
って言うか、参考になりません、町・村の違い以前に自治体名を間違ってるし(爆死)。

困ったなぁ。どなたか「これ!」という真相もしくは明示できる資料をご存じの方、いらっしゃいませんか?
[50127] 2006年 3月 28日(火)12:56:08スナフキん さん
ゆりかもめは…
[50119]みかちゅうさん
今回も落書き帳の中で行っている方がいるとすれば
実は私、延伸区間に乗りに行っていません。それどころか、ゆりかもめは一部区間しか乗ったことがなく、今回中間駅となった有明では乗降経験ゼロという有様です(汗)。先の書き込みで最後に記した通り仕事がかなりハードで、そのくせ体調を崩しかけておりこのまま人ごみに紛れ込んだら症状悪化は決定的で、怖くてしばらく行けそうにありません。体調の良し悪しにかかわらずもともと人ごみは大嫌いなので、よく考えたら鉄道の純粋な開業に当日立ち会ったのって、昭和60年9月30日の埼京線を最後に、一切ない気がします。電化したとか、貨物線を旅客列車が走るようになった、とかはちょこちょこ当日に行っているはずですが。逆に路線や列車・車両の消滅時はまめに行っていますね。こういう時は自分の好き嫌いそっちのけで体が動いてしまうのですが、例えば東急東横線の桜木町駅最終日に人ごみからインフルエンザをもらってきたりなど、しっぺ返しを食うこともあってちょっぴり反省材料です(汗)。

ベイエリアの交通手段では、値段の面でハンデはあっても利便性で勝るりんかい線・ゆりかもめに軍配が上がりそうです。日中の本数が少ないとは言え池袋・新宿・渋谷から、黙って乗ってしまえば時刻通りにベイエリアに達することができる直通メリットは大きいですし、ゆりかもめは全区間高架構造ですから眺望代だと思えば高値にもまだ納得がいくというもの。

対するバスは、一般利用客の多くが抱く「都内のバスに、ダイヤ・時刻表はあってないようなもの」という既成概念が重くのしかかって、なかなか利用者数を伸ばすのが難しいのではないでしょうか。道路がみっちりで動かないのでは、いくら値段が安くてもガマンに限度があります。ベイエリアの道路はそれでも新しく築造されたものがほとんどで十分な幅員を確保してあるものも多いですが、やはり週末を中心にマイカーが押し寄せるとオーバーフロー気味になるのが、渋滞情報をラジオで聞いたりしていてよく分かります。

東京都の都合上なかなかできないのでしょう。
神戸空港では、ポートライナーをなるべく使ってほしいということなのか、神戸市内中心部各地からポートアイランド・空港までを結ぶ神戸市交通局のバスは設定されていないようです。片方を立てれば片方が引っ込む、いわゆるもぐら叩きき理論ですが、既得権益を守っているようにも見え、あまり露骨な措置もどうなのかなぁとか思ったりします。
[50108] 2006年 3月 27日(月)22:58:02スナフキん さん
街も鉄路も、あたらしくなった日
慌しくて自分の書き込み頻度が鈍っていた最中に、とうとう記事番号が50000を突破したのですね。サーバの占有スペースは雪だるま式に膨らんでいく一方なので一概に「おめでたい」と言えるのかなぁ、とオーナーを気遣って格好つけてみたりしますが、すごいことではあります、拍手。

今日は、最終日を除けば年度末最後の大安。ゆりかもめが豊洲まで延伸を果たす日でした。朝の通勤からこれを気にして、有楽町線の車両ドア上にある停車案内や路線図を気にしたりするなど、何ともいやらしい会社員ぶりですが、朝の段階ではいずれにもゆりかもめが伸びた記述は見えませんでした。なのにその隣にはゆりかもめ延伸を知らせる広告があり、何とも皮肉。これを見てニヤッとしたりするのですから、やっぱりいやらしい人間です(大汗)。ぢゃあ、今後有明・お台場界隈にはどう行ったら安くて時間もかからず経済的かを調べてみようと、夕方に大手の検索サービスでルートを探索したら…うわ、もう豊洲乗換えが表示される! ネットの情報はホントに早いなあと痛感しました。地図があらゆる手を尽くして追いかけようともとても追いつかない俊敏さで、もはやこのスピードには地図屋はお手上げです。夜の帰宅時には、勤務先最寄り駅の路線案内と出入口・階段案内はどうなったろうと見てみましたが、いずれも豊洲駅に「ゆりかもめ」の表示はありません。まだ直していないんだ、しょせんゆりかもめは地下鉄じゃないもんなと、ニヤリとしたのです。ところが、入ってきた列車は行き同様東京メトロの車、乗ってビックリ! 朝はそのままだったはずの路線図も停車案内も、フルリニューアルされていたのです。日中の閑散時間帯に広告を入れ替えることはよくあることなのですが、路線図はともかく、豊洲にちょろっと加筆すればいいだけの停車案内は、事実上の新品。使用フォントが総取替えになっていたほか、ラインカラーサークルに路線を示すアルファベットを入れた新サイン表示に統一されたスタイルに一新されていたのです。何にそんなに驚いたのかというと、実はここで新調してもこの案内は最長でもあと2年の命であることが今からハッキリしているわけです。13号線の名前が決まり、運行ダイヤも決まれば今のスタイルを維持するのは到底困難なはず。だから自分は今回のゆりかもめ延伸、絶対従来のようにシール貼りで対応するのだろうと思っていたのですが…東京メトロがここまでやる気と資金(汗)とを出すとは! ちなみに、(東武東上線)霞ヶ関も鶴ヶ島も、ひばりヶ丘も「ヶ」の字は小さいですが、市ケ谷だけ大きい「ケ」の字で表示されていました、ホントかなぁ…(影響され過ぎ?)

その驚きも束の間、自宅最寄り駅で下車すると今度は、やはり行きには何もなかった壁に、今月30日に駅前再開発施設がオープンする旨知らせるポスターがあちこちに貼られているではありませぬか! さらに、階段を下りて2度ビックリ。今まで施設の部分試験点灯は随時行われていましたが、今晩は駐車場棟・モール棟・クリニック棟すべての照明を点灯させる、事実上オープンと同様の全点灯試験が初めて行われていました。私が今の住まいに移って2年余り。この再開発の変貌を毎週・あるいは毎日のように見つめ続け、写真におさめ続けてきただけに、あぁ、やっとここまできたんだなぁの思いを強く抱きました。撮りためた画像は100ではきかぬほどになってしまい整理もままならない有様ですが、今後の激変は限定的なものに限られるはずで、自分がコツコツやり続けてきた日課がひとつなくなって肩の荷が下りたような、そんな気もしました。

大きなハコモノなどの開業は変に縁起を担いだりすることが多いのですが、なぜかこの「coconeかみふくおか」の場合は30日の仏滅オープン(大汗)だったりします。さすがに当日休みをとって、というほどいまは自分自身がヒマでないのでそこまでやりませんが、目立った娯楽施設のない、どちらかというと純粋な商業集積施設で沿線からどれほどのお客を呼び込めるのか、どれほどこの地域が活性化するのか、今後が見ものです。
[49823] 2006年 3月 13日(月)13:23:30スナフキん さん
別寒辺牛の由来、一説
[49725]で、私がほのめかした別寒辺牛の由来、その続きです。なお、前項では「由来の真相」と書きましたが、アイヌ時代の史実は確定していない事柄も数多く、以下に紹介する由来はあくまでも「一説」であると思ってください。他に見解があってもおかしくないと思うので…(アイヌ語地名の由来って、そういうことが往々にしてありますよね)。

ネイチャーウォッチングの際にいただいたウォーキングマップには、塘路湖の中に確かに「ペカンペ(ひしの実)」とあります。塘路湖がペカンペの産地であることは今も昔も変わらないようです。しかし、集落の名前も湖の名前にも「ペカンペ」は現れず、逆にはるか遠い厚岸の方には「ペカンペ」と関係がないのにその名前を付した地名が残っている…。この妙な状況を、同伴してくださった地元のネイチャーガイドの方は「アイヌ部族間の争いが引き起こした結果だ」と説明してくれました。

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塘路アイヌは、その昔は純然たる内陸アイヌであり、日々の食糧は狩猟に頼らざるを得ない、どちらかといえば力の弱いアイヌ部族であったようです。伝説の内容はさすがに覚えていませんが、自然現象による啓示により塘路湖に実るひしの実が食材として有用なことを知った塘路アイヌは、これを機に食に飢えることなく、日々の生活を安定的に送ることのできる部族へと変わり身を遂げました。ひしの実は乾燥させることで長期保存が可能なので、多少の不作年があっても飢えに苦しむことは激減したようです。塘路湖には淡水魚(ハンドルネームが出てきてしまいました、ゴメンナサイ!)も生息しているため動物性たんぱく質にも事欠かず、塘路のアイヌは富める部族になったのです。

それをねたんだのが、どうも厚岸アイヌであったようです。厚岸は海べりであり、内陸はやせた根釧台地ですから、どうしても食材は海産物に重きを置かざるを得ないのですが、こればかりは自然が相手なので獲れる量は一定にはできません。年によっても多い少ないの波があり、生活は決して安定しているとは言えなかったようです。そういった環境にあって、毎年ほぼ一定量の保存食が確保できる塘路の地は、のどから手が出るほど欲しい立地だったことでしょう。こんなことから、厚岸アイヌはたびたび塘路アイヌとの間で対立していました。これは史実として裏づけされており、現に塘路湖を見下ろすサルボ展望台近くには、厚岸の方角を向いたチャシ跡が残されています。これは、厚岸からの攻撃に対する防御のために塘路アイヌが築いた砦であるとされています。

つまり、厚岸のアイヌはペカンペという自分たちの生活を安定させてくれる産物を求めて、塘路に攻め込む、まさにそのルートがこんにちの別寒辺牛川沿いだというのです。確かに、多少の回り道には思えますけど、厚岸から塘路を目指すルートとしてこんにちの別寒辺牛川及び主流上流をたどると塘路湖の東畔に達することができます。私はこの時、周りの地図ともにらめっこして比較的説得力があるなあと思ったのです。
[49725] 2006年 3月 7日(火)09:24:50スナフキん さん
プチオフから帰っています
スナフキんは広島で開催されたプチオフから日曜日に帰還しています。ただ、帰ってから本来週末にやらねばならないことが山とあったこと、それよりも実家にいる妹が予定日よりもかなり早くに産気づいて入院し、ドタバタしたことなどがあってすっかり帰還報告が遅くなってしまいました(そして、3人目の甥っ子が生まれました)。参加された皆さま、翌日もアグレッシヴに行動された皆さま、お疲れさまでした。そして手配等してくださった88さま、ありがとうございました。絶対私が最遠方からの参加と思っていたのですが…上には上がいました、いっちゃんさん、恐れ入りました(笑)。まがみさん、18きっぷはうまく使えましたか?(謎)

行きは結局、最長不倒と思われる(バスに詳しい方、間違っていたらフォローください)昼行高速バス「弥次喜多ライナー」で10時間以上揺られて広島へ。帰りはひかりレールスター~北野の異人館街を入館したり飲食したりせず歩くだけ歩いて(汗)、ポートライナー~神戸空港、スカイマーク便で羽田へ戻りました。行きもさることながら、帰りの行程だけでもかなりのハプニングや驚きがあり、神戸空港のコメントもしたいのですが、いまは仕事中なので(大汗)詳しい記述はやめます。

三角線やループ線、気になるけれどこれを気にしていると多分仕事にならなくなる(汗)ので、私から詮索したりコメントを入れたり、実際に探したりするのは、やはりやめておきます。

別寒辺牛のお話が出ていました。結論をここで端的に言ってしまうと、この地名の由来は[49684]で北の住人さんがおっしゃる通り、間接的ですがヒシの実から来ています。が、[49716]でhmtさんがおっしゃっているのも正論で、話はそう単純ではありません。数年前に塘路でガイドについてもらってネイチャーウォッチング&ウォーキングをした際、歴史上の話題から由来の真相を聞かされていますので、後ほど時間があるときにでも紹介します。
[49530] 2006年 2月 28日(火)12:53:32スナフキん さん
脱線気味のレス
[49519]Issieさん
有楽町線(8号線)の 小竹向原-和光市(→東上線方面) 間が実は「13号線」であることは“難易度”が若干高いとしても,池袋-小竹向原 間の「新線」が 13号線 であることは2002年当時,一応はアナウンスされているはずなんですけどねえ。
現在建設中の池袋~渋谷間が13号線であるのは相当の人が知っているようですが、そのほとんどがこれを完全に独立した新線だと思っている節があります(少なくとも私の身の回りにいる、鉄知識がほぼゼロの人たちは)。新線池袋で止まっている線路を伸ばすから、東武と西武とが乗り入れられるのだと説明すると、そうなのかと驚く(どうやって直通すると思っていたんだか…)、一般人の認識はその程度なのだろうと思います。勤務先にも、小竹向原から新線池袋に達する線路は現在千川・要町に止まる線路の真下にあって、さらにホームも既に作ってあってエレベータまでが達している話をして初めて、その事実を知る人もいるくらいです。そんな中、何だか妙な書物が出ているようですが間違った情報の刷り込みになりそうで、少し心配です。間違った情報ソースを元に地図の問い合わせが来るケースも少なくないのですよねぇ…。

ところで、「13号線」は建設路線名称であり、「供用時の路線名は公募する」という話を相当に公的な場で見聞きした覚えがあるのですが、開通まで1年余りとなった昨今でも動きはないようです。仕事上、あまり直前になってからドラ叩きされても直しが間に合わないので困ってしまいます。もっとも、実際には路線図の架け替えや駅の表示整備の都合もあるでしょうから年度が改まったあたりが公募の頃合でしょうか。勤務先でも先ごろその話になりまして、さしあたっては通過させている千川・要町の取り扱いがどうなるかが最大の関心事。個人的には、新設の急行は通過してしまってもいいから(恐らくは時間当たり片道4本程度なのでしょう)、駅構造物を再整備して普通便だけでも止めて欲しいなというのが、勤務先最寄り駅利用者としての思い。路線名は「明治通線」が無難な落としどころ、ひょっとすると使っていそうで実は鉄道路線名としては使っていなかった「渋谷線」(首都高速では使っていますが直接の干渉はないので問題ないでしょう)もありかなと。ただ、成立経緯はともかく名実共に最古の地下鉄たる銀座線が乗り入れている地名をぶん取ることが、東京メトロとしてどうなのかにこの名称の採用可否がかかっているような気が…。将来東急東横線との直通も目されており、その暁にはこの名称では面倒も起きるかも。JR山手線・埼京線の混雑緩和および旅客争奪戦への殴り込み(汗)を前面に出すなら「東京メトロ山手線」もありでしょとか、場所はぜんぜん違うし(大汗)開き直って「ハチ公線」、なんて無責任な名称候補も話の中から飛び出す始末。市町村合併時の名称決定の際もそうですが、公募の難しさって、こういうちゃらんぽらんな名前にも付き合わなければならないところにある気がします、はてさてどうなることやら。

さて、今週末は広島でのプチオフに参加します。帰りはひかりレールスター(それもサイレンスカー)を新神戸で捨てて、開港間もない神戸空港の離陸体験をする予定。でも、何だかポートライナーが順番待ちだとか、空港内入場制限だとか、ブームが加熱しすぎると一般利用者たる私が空港にたどり着けない不測の事態もあり得るんでしょうか。値段を下げる代わりにユーザサポートを縮小して合理化に努めるスカイマークの利用も初めてで、初物続きの締めくくりに一抹の不安を抱きます(しかも日曜日だし)。ちなみに往路は、帰りに利用する乗り物のいずれでもないモノで広島へ向かいます、さて何でしょうねぇ?
[49208] 2006年 2月 15日(水)13:12:13スナフキん さん
来月の改正のこと
[49197]まがみさん
長く慣れ親しんだ「準急浅草ゆき」「準急伊勢崎ゆき」などの行先表示がもう見られなくなる
あれ、まがみさんは伊勢崎沿線にお住まいだったことがあるのですか。かく言う私は居住経験はないくせに、沿線出没率は異常に高いのですが(汗)。やはり、鉄ごころがうずいてすごく気になるのですよ、毎日必ず見る車両が全然違う場所で全然違う使われ方をしてるのって。それこそ、複々線が今みたいに完結するはるか前、草加で止まっていた頃から足を伸ばしていましたっけ。松原団地や鐘ヶ淵で回送が回送を追い抜く下りのダイヤを見て、全部調べてやろうと病み付きになってしらみつぶしに定点調査をしたことも今は昔…(でも回送時刻表を記した大学ノートがいまだに残っている?)。下り列車もあの頃に比べると随分本数が増えました。第一、業平橋ではもう折り返したりしませんし、10両の列車はかなりの率で半蔵門線に入っていきますからねぇ…。今度の改正ではそれが主流になるとのこと、いやはや時代は変わりました。

そういう訳で、行先表示は相当の撮りためがあり、現在では半蔵門線直通用になってしまった車両の「準急 伊勢崎」や、宇都宮での「普通 栃木」(大汗)なども好んで撮っていたのですが、改正前までに1度はまた、私も足を運ぶのだろうと思います。どちらかと言うと、残りはするものの事実上腰砕けにされるのが確実な日光線系統の快速の方が気になっています。浅草~鬼怒川往復はパスネット残額から2000円ほどが能率よく消化できるので、温泉目当てと称して往復する回数が増えるかも…。何せ、来年には関東民鉄もICカード化が見えてきていますし、その時には定期券をICカード化したいので、この1年とちょっとの間で現在の磁気パスネットカード約5万円分(大汗)の処分を進めないといけません。折しも、先週JRの磁気イオカードが自動改札機に入らなくなり、券購入にしか使えなくなりました。パスネットもゆくゆくはこういう運命をたどるのかな、と思うと早めに消化しなきゃと気が急きます。昨秋から意図的に新規購入は取りやめていますが、1年で数万円分を使い切るのはなかなか大変です。こういう悩みを持っているのは私だけでしょうかねぇ…。
[48875] 2006年 2月 1日(水)09:48:42スナフキん さん
ちょこっとレス
明日まで(汗)の仕事を抱えていてあんまり進んでいないので、少うしだけレスを。
[48871]Hiro(&TOKO)さん
再論「ケ」と「ヶ」
非常に興味深い情報となりそうです。ニュアンスは微妙に異なりますが、「葛」の字をどうするかの話に通じるものがあり、地図作りとも関係大ありです。地元の見解は尊重すべきで、この結果をわが社製品にフィードバックすればいいのですが…他人の汗かき結果を横取りするようでいい感じじゃあないですね。

無難な落としどころとすればやはり、国土行政区画総覧や市町村要覧によったという判断基準に落ち着くのでしょう。でもこれら参考資料も、目次と扉・本文タイトルで「ケ」のサイズが揺れているところが、確かどこかにあったと思います。同じ資料内で統一がとれていないくらいですから、世間の認識(ケは大きいか、小さいか)はそれ以下かもしれません、「ケ」の大きさで問い合わせやクレームがわが社に舞い込んだ話は一度も聞きませんし。

鶴ヶ島はいまだ来ず、ですか。実家が市役所から車で数分のところにあるので、リタイアした母親に直接聞いて来いと言えなくもないのですが…こういう話って、聞く本人にある程度の意識がないと突っ込んだやり取りになった場合に面倒が起きるので、この選択肢はどうしても返事がなかったら、の最終手段としてとっておきます。あるいは、自分が実家まで出向いて行くか…でも有給休暇をとらないとだめだぁ(爆死)。

水曜どうでしょうDVDにはまっている
これ、大泉洋さんのサイコロ「何が出るかな、何が出るかな~」ですか?
このDVD、1月1日の午前1時頃、勤務先で見てました(爆)。年越しソバは、年が越す前に食べるんじゃないのかな…と思いつつもどん兵衛をすすりながら、知り合いと二人で腹を抱えて笑いました。文字通りの「初笑い」ネタだったわけです(苦笑)。初日の出列車までの時間つぶしということで、知り合いが持ってきてくれたもの。夜行高速バス全盛時代の番組なので、今改めて見るとなかなか興味深いです。その後、利用率の悪い路線は順次削減され、現在はその頃ほど夜行バスの元気はありません。ついこの前も、東京-伊良湖岬の「伊良湖ライナー」が廃止されるなど、衰退傾向はわずかながらも続いているようです。そういう視点で見ると、東京から東北各地へ向かう路線は、いずれも善戦しているなぁ…なんて思ったりします。
[48781] 2006年 1月 27日(金)18:48:22スナフキん さん
都県境のバス
前にも書いたことがあるような、ないような…。
[48780]ryoさん
埼玉南西部-東京(多摩地区・練馬)は県境を意識しにくい地域です。
この地域は私、たぶん異常に強いです(笑)。旧社屋は朝霞市だったし、板橋区というかつての居住地も実際には高島平で県境を強く意識する場所でしたから…。でも、清瀬とか東久留米とか、西武沿線の話になるとめっぽう弱いのです。普段から慣れ親しんでいたわけではない路線なもので。ピックアップしてくださった路線の中に、旧社屋への通勤で毎日のように使っていた路線も含まれています。

まだ挙がっていないかな?という路線に、成増~高島平操車場線「高01系統」があります。小さい頃は頻繁に利用していた路線で、しかも出身幼稚園のすぐ裏を路線が通っていたこともあって非常に今でも身近に感じています。成増は東京都ですが、途中、吹上・吹上新道・下新倉の3停留所だけ、埼玉県をかすめて再び東京都に戻って終点の操車場を目指すというもの。これとほぼ同ルートをとり、さらに笹目橋を渡って埼玉へ走る路線はさらに面倒。下新倉までは「高01」と一緒ですが、このあと再び都内に戻っての停留所は笹目橋1カ所のみ。すぐに新大宮バイパスで県境を越えて再び埼玉県へ入っていってしまいます。複雑に入り組んだ境界線をかいくぐり、4度も行ったり来たりする路線は全国的にも珍しい部類に入るのでは。
[48692] 2006年 1月 24日(火)15:34:52スナフキん さん
Re:『地名』がブーム
[48647]グリグリさま
当該記事、切り抜き待ちの新聞の山から引き抜いて読んでみました。ことの善し悪しはともかく、こういった形でメディアが地図・地名・地理的要素を積極的に取り上げる頻度は、合併の大嵐を機に確実に増えたと思います。ただ、何度も書いているように、だから地図が売れているという実感は私にはないのが率直なところ。自社商品もこのような社会情勢にあっても、飛ぶように売れていったということはないようですし。売れているのは一部の、それこそ書店に商品を平積みさせてもらえるほどの営業力を持つ一握りの出版社なのだろうと思うのですが、世間の認識とは必ずしも一致していないようで、「売れ行きはいいんでしょ?」みたいなことを周りから言われることはたびたびあります。

民俗学者谷川健一さんの「文化財として尊重を」というコラムもあります。
顔写真入りでのデラックス掲載(?)ですね。個人的な主張の好き嫌いはさておき、直接的な接点はなくとも勤務先とこの方とは決して無関係ではないので、フムフム…みたいなスタンスで眺めました。…早晩、正体がばれてしまいそうですね。ハンドルネームが無効となる日も近いかな(大汗)。
[48501] 2006年 1月 18日(水)09:38:45スナフキん さん
大字・字、問いかけの答えなど
[48349]北の住人さん
北海道にもそのような例があるでしょうか。面倒でなければ2、3教えてください。
とのことでしたので、国土行政区画総覧を調べてみました。
釧路市の項目中、
音別町中音別
 通称 チノミ台
 通称 北栄
というふうに独立して立てられている部分がありました。字や通称の表現方法は、中黒「・」で結んで列記していくのが普通なのですが、ここではどういうわけか個別になっています。これは単に郵便番号が独立しているからそうしているだけなのか、それとももっと別な理由があっての措置なのかは私にも分かりません。他にも帯広市に、
清川町
 通称 仲通
 通称 本通
があったほか、士別市には、
西士別町
 通称 東の沢・中の沢
 通称 学田
 通称 新学田
のようなケースも。留萌市には、
三泊村
 字 ヲムロ
 通称 三泊町
???なんていうのもありました。字と通称の並列例はここだけではないようです。同じ留萌市内には、
字留萌
 通称 大和田町
 通称 藤山町
もあり、留萌市内においてはどうも「字」の概念がひとくくりでまとめられないように、私には思えるわけです。例示としてはこの程度でよろしいでしょうか。

私のフォロー以降に突っ込んだ見解が様々示されていますが、あくまでも私のフォローはフィーリングによるものであり、地方自治法など具体的かつ個別の法律話になるともう私は手も足も出ませんので脱落します(汗)。私が思うのは、恐らく大字や字は公的にはきっちり決められているだろうということ、けれどもその上下関係や相互関係を全国的に纏め上げるのは地域ごとの格差が激しく難しかろうということです。そしてそのことを私は必ずしも否定的には捉えてはいません。

何だ、地図屋のくせにとんずらか? と思われるかもしれませんが、所詮餅は餅屋ですから仕方ありません。地図屋にとって多くの知識を吸収するのは仕事上プラスになることではありますが、やはり法律の条文を読み解くのはあまりにも実作業からかけ離れすぎていて手に負えないのが実情です。後の議論は有識者ならびに関心のある方々に、無責任ではありますがお任せします。
[48313] 2006年 1月 13日(金)10:14:15スナフキん さん
大字のこと、少し補足など
[48271]グリグリさま
この説明でホッとしています。長年の疑問に対する回答にようやく出逢えた気持ちです。スナフキんさん、ありがとうございました。
レス元冒頭にも書いたように、あの文言は私が地図を編集していて思うことをしたためたものなので絶対ではなく、安心するのは早いかもしれませんよ(苦笑)。私自身「多分無理だと思います」という大いなる婉曲表現をしてますし。

ただ言えることは、全国的に統一性のないこれらの居住地名についてまとめたものが国土行政区画総覧であり日本行政区画便覧であるということ、それらもまとめこそすれども上下関係を中心に体系的に整理するまでには至っていないということです。また、最近の相次ぐ合併に伴って誤植や事実誤認が散見されることもあり、やはりこれをバイブルとして100%信用してよいとまでは言い難いですね。私が確認したとんでもない誤植は、岩手県西和和町(目次では正しく書かれていますが、大見出しにはこう書かれていました)なんてのがありましたし、青森県外ヶ浜町では旧蟹田町内の記述が町役場ホームページで見られる新住所一覧とかなり異なっている、といった具体例がありました。

普段からこのぶ厚い資料に目を通すことは日常茶飯事なのですが、例えば大字の下に相当する小見出しの「字」がなぜ同じ大字の中で2分割で表示されているのか(つまり「字」の項目が2つ以上立つ大字があるのです)、「字」と同格で表示されている「通称」との混在はどう説明すればいいのか、北海道などで大字に相当するランクに「字○○」という地名が記されているのはどう考えればよいのか、理解に苦しむ記述も多くあります。こういった表記の揺れを見ると、やはり地域ごとに異なる地名の考え方を纏め上げるのは、資料の収集能力があるはずの機関が作ったこれだけの物量の書物をもってしても難しいのだなぁ、と私は考えるのです。この公的要素の強い書物がこうなのですから、自分のところを含めて地図会社がこれを全国的に熟知し、完全に理解して地図作りができているはずがなく、殊に地名の上下関係だけに的を絞って道路地図を眺めておれば、おかしな記述は恐らく山ほど出てくるのだろうと思います(もちろん、自分のところで作ったアトラスを含めて、の話ですが)。ですから、
字、小字の概念も同じように捉えてよろしいんですよね。
についても、やはり全国的にきっちりと上下関係を明らかにするのは難しかろうと思います。前述の「字○○」が、「大字なし」と書かれていないのにズラズラ並んでいるのなどは、大字の下にあるべき字・小字と同じものには見えません。昨今の合併に伴う住所変更の取り扱いでよく見られる「大字の語句を削除」という処置も、では新住所は大字ではなくなるのか、大字だけれども表現をしないように改めるのか、それとも全部が字や小字のランクになるのかなど、実際には全く分からないです。まあ、一般人には分からないでも何の不都合もないのでそれでよいのでしょうけれど、こだわりのある人、地名を研究したり論じたりする人には不親切ではあります。

ただ最後に一つ言いたいのは、私は「これではまずかろう」とは思っていない、ということです。地域によって考え方が異なる、こういう独自性・主体性があってもいいじゃあないですか。逆に日本全国を杓子定規に当てはめることができる地名体系だったとしたら、私はとてもつまらないと思いますし、そもそも「国土行政区画総覧」などという分厚い資料の存在意義もなかったことでしょう。そういうファジーな部分を楽しめるのが、日本の国民性というか日本気質というか、そんな気もします。これを失うのはもったいない、というのが私の気持ちですね。


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