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紅葉橋律乃介さんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[42765]2005年7月2日
紅葉橋律乃介
[42430]2005年6月16日
紅葉橋律乃介
[42338]2005年6月14日
紅葉橋律乃介
[41874]2005年6月4日
紅葉橋律乃介
[41790]2005年6月1日
紅葉橋律乃介
[41490]2005年5月22日
紅葉橋律乃介
[41329]2005年5月18日
紅葉橋律乃介
[41286]2005年5月17日
紅葉橋律乃介
[41152]2005年5月14日
紅葉橋律乃介
[41050]2005年5月11日
紅葉橋律乃介
[41022]2005年5月11日
紅葉橋律乃介
[40910]2005年5月9日
紅葉橋律乃介
[40863]2005年5月8日
紅葉橋律乃介
[40831]2005年5月7日
紅葉橋律乃介
[40818]2005年5月6日
紅葉橋律乃介
[40635]2005年5月4日
紅葉橋律乃介
[40587]2005年5月3日
紅葉橋律乃介
[40489]2005年5月1日
紅葉橋律乃介
[40352]2005年4月28日
紅葉橋律乃介
[40062]2005年4月19日
紅葉橋律乃介
[40059]2005年4月19日
紅葉橋律乃介
[39962]2005年4月17日
紅葉橋律乃介
[39922]2005年4月17日
紅葉橋律乃介
[39879]2005年4月15日
紅葉橋律乃介
[39834]2005年4月14日
紅葉橋律乃介
[39825]2005年4月14日
紅葉橋律乃介
[39782]2005年4月13日
紅葉橋律乃介
[39741]2005年4月13日
紅葉橋律乃介
[39687]2005年4月12日
紅葉橋律乃介
[39594]2005年4月10日
紅葉橋律乃介

[42765] 2005年 7月 2日(土)21:52:41紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
一つの郡に複数の市
 複数の郡で成立した市が話題になっていますが、逆に一つの郡の範囲で複数の市、というのはどうでしょうか。
 埼玉県北足立郡を見ると(他の郡もそうですが)、たくさん市制を敷いていますね。残念ながら(?)さいたま市は岩槻市を編入してしまいましたから、“越郡”ですね。そんな細かいことを言わなければ、都市部では珍しくないのかも知れません。

 ちなみに、我が空知郡内では8市成立しています。空知10市の中で、夕張郡の夕張市、雨竜郡の深川市以外は空知郡内で収まっています(深川市は空知郡音江村も入ってますが、それはこの際考えないことにしておきます)。
[42430] 2005年 6月 16日(木)23:31:33紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
迷所
[42413] 11:03:17【1】 JOUTOUさん
岩見沢に居住経験がありながら、言われてみると一度も行ったことなかったです。

 たしかに、開催中には“用事”がなければ競馬場へは行きませんよね。わたしも近所ですが、開催中は夕方になると道路が込むので、危ないなあ、と思っているくらいで…。

 開催してない期間に、場内へ入ることはできます。入場料がかかるんですが、実は(しやくしよのあるまどぐちにただけんがあるよ)…。昔は花火大会もここで開催されていたので、案外行ったことある市民は多いかも知れないです。

 今はちょっと見づらくなりましたが、競馬場から観る夜景は綺麗だと言う話です。岩見沢では数少ない名所の一つだとか。
[42338] 2005年 6月 14日(火)00:00:05紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
北海道の行政というもの
[42327] 20:42:21 北の住人さん
明治32年以降順次、1・2級町村制適用
大正11年以降順次、市制施行
昭和18年 町村制適用

 もう少し細かく見てみると、

 明治32年「北海道区制」施行(「市」ではなく自治体の「区」を置いた→もと郡区町村編制法の「区」で名称変わらず)
 明治33年以降順次「北海道一級町村制」「北海道二級町村制」施行
 大正11年「北海道区制」を廃し、「市制」施行(順次施行されたのではなく、道内にあった「区」はすべて「市」になった)
 昭和18年「北海道…町村制」を廃し、「町村制」施行(もと二級町村は内務大臣指定町村として相変わらず)
 昭和21年 指定町村制度を廃し、普通町村へ

 これ以降は他の府県と同じはずです。
[41874] 2005年 6月 4日(土)00:03:21紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
読み書き
[41860] 6月 3日(金)16:46:28 右左府さん
くどうぐん

 微妙な違いですね。もしかすると、誤差の範囲内かも知れません。村名と違うと言うのが気になりますが…。
 北海道に国郡が設定されて、当初は違う読み方をされていたのが、「留萌」(るるもっぺ→るもい)・「苫前」(とままとい→とままえ)・「浜益」(はまましけ→はまます)というのも挙げられます。市町村制はおろか、郡区町村編制法以前のことですから、「改称」がいつなのかははっきりしません。

あつさぶむら

 北海道内の、市町村名と字名をすべて記した書物が出ています(毎年発行ではなかったような)。
 古い版を開いてみると、微妙に詠み方が違うものもありました。
 例に出ていないものでは、「長万部」(おさまんべ)や「倶知安」(くちあん)というのもありました。いずれも、後の版ではいつの間にか“改称”されています。

 「まち」と「ちょう」までは分かりませんか? これも資料によって“まちまち”なんですが…。
[41790] 2005年 6月 1日(水)00:31:09紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
あの辺の郵便局
[41788] 2005年 6月 1日(水)00:21:56 N-Hさん
すぐ隣の手広の住所の名をちゃっかり拝借しています。

 うちの最寄り郵便局は、5条東15丁目にあっても、「岩見沢日の出」郵便局。実際には日の出○という住所が向かい側にずっと続いています。こういった例は珍しくないのかも知れません。
[41490] 2005年 5月 22日(日)00:48:49紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
岩見沢市の山
 「山」と言っても登るあれではなく、最大人口のこと。
 4月末日現在の、住民基本台帳人口(空知支庁分)が発表されました。例年どおり、我が岩見沢市は、3月末で減ったあとに4月末に少しは盛り返しました。このまま増減を繰り返し(と言いつつ微減)、来年の3月末にはまた減少するのでしょう。
 ところが、来年3月27日には北村・栗沢町を編入し、逆に過去最大値を記録するはずです。もしかすると、平成18年4月末日の人口が、(新)岩見沢市の最大人口になるんでしょうか…。

 ちなみに、空知管内全体では、3月末現在でほとんどの市町村が過去最低(昭和27年以降)を記録しましたが、4月末でさらに更新した市町村が…。
 3~4月に目についたところでは、
 ・幌加内町が2千人割れ(昭和62(1987)年4月に3千人割れ)
 ・妹背牛町が4千人割れ(平成4(1992)年3月に5千人割れ)
 ・新十津川町4月末が「7,777人」
 ・岩見沢市が8万3千人割れ(平成15(2003)年3月に8万4千人割れ)

 月別の資料は空知地方毎月末人口をご覧ください。
[41329] 2005年 5月 18日(水)18:53:50紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
感謝
[41310] 08:54:22 じゃごたろさん
大変失礼いたしました。
[41324] 17:52:28 YSKさん
見かけ上「さん」が抜けたように見えたのだと思いますよ。

 わたしは別にどっちでも良かったんですが、2度にわたって書かれている上に[41191]でニジェガロージェッツさんが引用されていましたので、逆に目立つようで恥ずかしい…。
 原因も分かりましたので、お気になさらないでください。


 これで経験値が上がった、と言うことで…。
[41286] 2005年 5月 17日(火)20:19:51紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
敬虔値
[41124] 2005年 5月13日(金)20:35:26【2】 じゃごたろさん
95. 紅葉橋瑤知朗 さん 43点 (2,4,1,1,12,27)

 おかしいなあ…。と思ったら、[41152]
▲(通った):秋田県、山形県、福井県、千葉県、神奈川、新潟県、富山県、石川県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、滋賀県
 と書いてしまいました。「福井県」が2つありますね(神奈川に県を付けてないのは故意です)。お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、「福島県」の間違いでした。
 これで値は1点増えて、44点になりますか。

 さて、北斗星で東京へ行ってまいりまして、大宮まで北斗星で。以降目的地まで京浜東北線や総武線を使いました。帰りにちょっと大宮駅から出ましたので、●(歩いた)に「埼玉県」が、▲(通った)に「栃木県」が加わり、5月15日現在では48点になりました。


 ところで、
紅葉橋瑤知朗[41152]
 なのはなぜ?
[41152] 2005年 5月 14日(土)02:39:34紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
東京訪問を前に
 急に東上することになりました。それを記念して(?)、ざっと「経県値」を算定してみました。

 ◎(住んだ):北海道、茨城県
 ○(泊った):青森県、岩手県、東京都、京都府
 ●(歩いた):大阪府
 △(降りた):宮城県
 ▲(通った):秋田県、山形県、福井県、千葉県、神奈川、新潟県、富山県、石川県、福井県、岐阜県、静岡県、愛知県、滋賀県

 以上、わずか44点でした…。


 悔しいので、「経支庁値」もやってみましょう。

 ◎(住んだ):空知
 ○(泊った):上川、石狩、胆振、日高、渡島
 ●(歩いた):留萌、後志、網走、十勝、釧路、根室
 ×(掠らず):宗谷、檜山

 以上、43点。満点は90点ですが……。
[41050] 2005年 5月 11日(水)19:05:11紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
宍道堅志
 むかしむかし、疑り深い人がおりました。その名も「しんじ・かたし」…。

 冗談はさておき、その土地の人には普通であっても、全国的にみると“珍しい”苗字。面白いですね。ありふれた苗字であっても、「故郷(くに)は○○で、地元にはいっぱいいる…」というような話を聞いたことがあります。

[41040] 13:03:13 愛比売命さん
一(にのまえ)さん

 これも、シコ名っぽい名前ですねえ。ほかにも「一」では「かずはじめ」とか、「子」で「えとがしら」とか。これは「い」の「かながしら」に似てますが…。
[41022] 2005年 5月 11日(水)01:10:42紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
珍名賛
[41010] 2005年 5月10日(火)18:41:19 右左府さん
「い」と書いて「かながしら」と読む苗字があると、或る本に書かれていました。

 その昔、「い」と書いて「かながしら」という力士がおりました。「京」で「かなどめ」、「九」で「いちじく」とか。これはシコ名ですが、案外そういう遊び心(?)で届け出たのかも知れませんね。

 ちなみに、わたしの「紅葉橋」っていう苗字は聞いたことないですね…。


[41016] 00:03:52 ひげねこさん
於曽能(おその)

 パン屋さんですか(失礼)?
[40910] 2005年 5月 9日(月)00:53:33紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
難しい
 全部同じ答えを書いて、当たればもうけもの。と思ったんですが…。

 問六:岩見沢市
[40863] 2005年 5月 8日(日)01:35:04紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
公称16歳から2年
[40839] 5月 7日 (土)09:11:57 白桃さん
私が相撲に感心を持ち始めた頃の横綱は、千代の山、吉葉山、鏡里、栃錦でした。もう、照国、東富士、名寄岩(大関)なんかは引退しておりました。

 わたしは双羽黒と北勝海が同時に横綱・大関に昇進したニュースからかも知れません(1986年)。ちなみに、生まれた年は、照国・千代の山・吉葉山・栃光(大関)が亡くなった年なんです。

[40858] 5月 7日(土)23:16:37【1】 ふぁいんさん
私は廃線になる前年(1994年)に「深名線」に運よく?たまたま?乗ることが出来ました。

 はじめて旭川市へ行った年です。「ドラえもん」のCDを最初に買った年…(笑)。

20~30分後の宗谷線快速旭川行と3~4時間後の深名線朱鞠内行(朱鞠内で深川行接続)があったのですが、

 う~ん、待ち時間がかなり長いですね。面白そうとは思えど、後者を選んだのは運命的ですね。

果たして江差線(木古内~江差)や留萌線・札沼線(北海道医療大学~新十津川)は10年後にまだ生き残っているのだろうか・・・

 実は、留萌本線と札沼線は3月に乗りました(乗車区間一覧)。北海道新幹線や深川留萌自動車道の開通によって、ますます…?

 それより、
おそらく紅葉橋瑤知朗さんと私は同級生。

 ほんまですか?? 生年月日のヒントを見て頂ければ…(分かる人専用自己紹介)。



 ところで、空知地方毎月末人口を久しぶりに更新しました。順調に人口減が続いています。
[40831] 2005年 5月 7日(土)02:15:48紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
紅葉橋注
[40829] 01:55:00 白桃さん
照国だか名寄岩だか忘れましたが・・・

 名寄岩でした。「怒り金時」と漢字で書くのが一般的?

 ちなみに、まだ名寄市には行ったことがないんですよ。その昔深川から名寄までの「深名線」ってのが走ってましたが、運良く特定地方交通線の廃止を免れたものの、わたしが高校3年生の時に廃止されてしまいました。
 我が岩見沢から高校生のお小遣いでは、深川・名寄までは遠すぎました。今だったら迷わず行くところなんですが(ふるさと銀河線乗車を計画中)…。
[40818] 2005年 5月 6日(金)23:28:23紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
愛称略称
[40806] 2005年 5月 6日(金)20:58:07【1】 Issieさん
W,…じゃなかった,BSさえもが(以下引用略)

 「セ」界のチームであれば、略称は「YB」だったと思います。実は新生バファローズの略称が「Bs」なんですね(sは小文字)。
 ちなみに、昔はアルファベット1文字で表されていましたが、いつの間にか2文字も出てきています(先代バファローズは最初から2文字でしたが)ね。

 このアルファベットの略称って、いつ頃から使われだしたのかなあ…(とまたまた関係ない話題が疑問に)。
[40635] 2005年 5月 4日(水)23:19:41紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
合併の流れは分かっても…
[40593] 00:27:55 EMMさん
おそらく、JAいわみざわの管内のど真ん中にJAみねのぶの管轄があると思うのですが、それでよいのでしょうか?

 当該JAのホームページを見ても、「どの辺が管轄区域」かは書いていませんね。岩見沢市内にも「峰延町」(岩見沢市 各町名別人口)がありますから、この辺はJAみねのぶの担当ではないか、と思っていますが…。
[40587] 2005年 5月 3日(火)23:27:50紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
知らなかった
[40576] 2005年 5月 3日(火)21:49:00 EMMさん
・JA岩見沢(岩見沢市、栗沢町、北村、三笠市、江別市、美唄市、月形町)

 江別や月形にもかかっていたとは知りませんでしたね。そう言えばこの農協は大同合併して成立したわけですが、北村には「北海北村」と「空知大富」の2農協ありました。ちなみに、農協名は「いわみざわ」とひらがな表記です。農協の設立当初はいろいろ細かく分かれていたようですね。

畜産農家だけや果樹農家だけで結成された農協

 ありますねえ。こちらでは「サツラク牛乳」ってのはおなじみですが、もともと「札幌酪」農協、今はそのまま「サツラク」農協があります。酪農の組合なんですね。
[40489] 2005年 5月 1日(日)23:47:29紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
まぼろ市・あわや町・もしや村
[40475] 21:36:20【1】 ふぁいんさん
そういえば昔、幻の北海道「羽幌市」ってのがあったらしいですね。

[40479] 22:30:10 KKさん
かつては夕張市からの分離独立の動きもあった…大夕張地区

 こういったケースを集めてみたら面白そうですね。「市になろうとして果たせなかった町・村」、「分離独立しようとして果たせなかった市町村」。合併が破談になったのは、最近ではおなじみですが、分町村が破談になったケースっていうのは、どれくらいあるんでしょうね。

 北海道空知支庁の栗沢町(2006年3月27日我が岩見沢市と合併予定)でも、美流渡地区に分離の動きがありました。炭鉱町の夢の跡…。
[40352] 2005年 4月 28日(木)22:22:55【1】紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
自動出身地変更再び
 発売中の雑誌「相撲」に、「平成の大合併で角界もてんやわんや」という特集記事が載っています。

 現在進行中、または既に行なわれた合併により、出身地が変わってしまう力士が一覧になっています。
 力士は取組前、「○○県○○市出身…」などと場内放送されるわけですが、現在は場所中でも期日にはキチッと変更されているようです。

 それにしても、毎号変わらないようでいて、実は「歴代横綱」表などの出身地が微妙に変わっているんですね。旭富士(青森県木造町)の出身地が「つがる市」に。過去の映像が出たら、吹き替えるんだべか…。

 ※誤字訂正
[40062] 2005年 4月 19日(火)02:15:42紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
4万石!
 前の書き込みが[40059]だったもので…。

[40016] 2005年 4月18日(月)22:25:54【1】 Issieさん
琉球政府公報に掲載された各告示によれば,琉球政府の行った「国勢調査」は次の5回です。

 最初の1回だけではなく、昭和35(1960)年までも12月1日現在なのですね。実は[39965]でお教えいただいたPDFファイルを開こうとしたのですが、わたしも真っ白なままでしたね。根気よく待っていれば良かったのかも知れませんが…。ありがとうございます。

▲中部地区
16 石川市
 これは、「郡」を「地区」と読んだだけではなく、市も含んでいますから画期的な区分ですね。市だけ町村と切り離すわけでもなく、本当に地域単位で区分されています。う~ん…。

△都市地区
30 首里市,31 那覇市,32 真和志村
 これも、今の分け方に慣れてしまった者としては目からうろこが落ちますね。さすがです。
[40059] 2005年 4月 19日(火)02:04:20紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
全来
 わたしのしょうもない疑問に答えて頂きまして、ありがとうございます。

 やはり、「全*」というのは他の都府県でも使っているのですね。まあ「全道」だって日常会話に使う機会はほとんどないわけですが、ニュースなどで聴く機会はあります。「道内各地」を省略した言い方、ということでしょうか…。
 「全府」については、「府」と言うのは自治体と言うより「政府」のように国の機関の様にも聞こえます。そこがほとんど見かけない理由なのか…。

 「来*」の話題が出ていますね。[39974]kenさんの「来秋」、来年の秋にどうするのかと思いました(笑)が、確かに「秋田に来た」とはこう表現するしかないですねえ。
 岩見沢にも「来岩」(たぶん「らいがん」と読むはず)と言う言葉があります。耳で聴いたことはありません。わたしも言ったことはありません。「来日」という言葉はあるんですけど…。別に日光に来たとは勘違いしないでしょうね。
 本当にコレクションしたら面白そう!?。


 むかしむかし、大阪相撲があった頃。東京に比べて実力が劣るので、見込みのある力士は東京で“修行”を勧められました。東京相撲に行くことを「東上」と言いまして、逆に大阪へ戻ることは「帰阪」と言いました。東京が上だったから「東上」と言ったわけですが、今の「上京」とは状況が異なりますね。 
[39962] 2005年 4月 17日(日)21:27:02紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
びみょう
[39936] 2005年 4月17日(日)14:36:41【2】 ふぁいんさん
残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁ
[39946]16:56:14 白桃さん
沖縄県発表のものには在留米軍人口が加算されていなかったのでは?自治体数については、本落書き帳アーカイブスにある「終戦後の沖縄に生まれた市とは?」に関係あるのでは?
[39953] 20:01:59 229さん
奄美諸島が関係してくるのではないでしょうか?
[39958] 20:35:04 229さん
これら20市町村の人口も20万人


 うちの人口表、昭和25年の注釈には
昭和25年:沖縄県は12月1日現在人口。奄美諸島人口(216,110人)を含む。
 とあります。20人ほど違うようですが。
 また、昭和25(1950)~45(1970)年までは琉球独自で“国勢調査”を行なっていたようです。1950年のみ12月1日現在、それ以外は本土と同じく10月1日現在でした。

 北海道の国勢調査人口の参考資料 全国計
[39922] 2005年 4月 17日(日)01:48:00紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
全権前夫前途多難
 どうでも良いと言えばどうでも良いし、気になるといえば気になっていることがあります。

 北海道全体を指す言葉に「全道」があります。地区予選を勝ち上がって「全道大会」があったり、「全道各地で雪害…」というように使います。

 他の都府県では「全*」という言葉を使っているのでしょうか。「全県」「全府」「全都」。都府県民ではないので、これらの言葉を余り聞いたことがないんですが…。
[39879] 2005年 4月 15日(金)20:30:45紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
自分がヒントに入ってる?
[39786] 2005年 4月13日(水)23:32:17【2】 EMMさん
問九:
紅葉橋瑤知朗さん、mikiさん。

 ほとんど残ってませんねえ。

 問九:三郷市?

 妙高市がどこなのか気になってたんですが。
[39834] 2005年 4月 14日(木)23:03:29紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
ああ…
[39831] 2005年 4月14日(木)22:21:19【1】 ふぁいんさん
従来からあった函館区や札幌区と違い、小樽区は明治32年10月1日の北海道・区制施行(函館区・札幌区・小樽区)に伴って出来た

 実は、[39685](明治19年の人口上位)には小樽があるのに、[39686](明治22年の同)ではどうして外れているのかが気になっていました。
 函館や札幌は、自治体ではなくても行政区として他の都市と比較ができた。小樽はまだ通称(小樽市街地とか何とか)であったので、同列に扱うことはできなかった。そう考えられます。

小樽もある意味「合併都市」といえるのではないでしょうか?

 たとえば函館区や札幌区も、現在の規模から見るとかなり狭い範囲でしたし、たいていは市街地を構成する多数の町村が合併してできたのが「都市」ではないかと…。
[39825] 2005年 4月 14日(木)20:43:46紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
市区町村
[39798] 2005年 4月14日(木)00:42:06 ひげねこさん
函館に「旧函館区公会堂」という重文の建物があるのですが、なんで「区」か疑問に思ってました。ちなみにこの建物、明治43年に建てられたのですが、明治末まで北海道には「区」が存在したということでしょうか。「市」になっていたら、「旧函館市公会堂」のはずですよね。

 北海道では、大正11年まで「区」がありました。明治11~12年にかけて全国的に設置された区とはちょっと違うものですが、範囲が変わったわけではないですから、住民にとっては今の新設合併(中心となる市町村名がそのまま引き継がれる)のような感覚だったのでしょうか(と言うか、一般市民にとってはどっちでも良かった?)。
 沖縄県にも、大正10年まで「区」がありましたね。こちらは明治29年に設置されるまで、郡区編制法自体が適用されていなかった(「郡」というまとまりもない)ようです。
[39782] 2005年 4月 13日(水)23:12:36紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
不自治区
[39768] 2005年 4月13日(水)20:54:56 ふぁいんさん
明治30年5月25日以前にあった札幌区・函館区とは一体???

 明治11(1878)年に郡区町村編制法が公布されています。順次全国で施行され、北海道でも翌12年に施行されています。もとからあった「郡」に郡役所を設けて“自治体”化したわけですが、大きな郡は分割し、人口集中地域は「区」を設け、その中でも特に集中している地域には複数の「区」が設けられています(東京や大阪)。
 市制施行の際に、「区」は「市」という名前で、本物の自治体になっていますね。

 明治22年の表では、ほとんどの区が「市」として載っているわけですが、19年の表では単に地名のみ。で、22年の表に戻ってみて、札幌や函館が「区」として載っている。確かにその通りなんですが、他の「市」とは趣が違うのでは? と思ったんですが…。
[39741] 2005年 4月 13日(水)03:07:55紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
国勢調査室
 5年に1度の国勢調査年にちなみ作成しました、北海道の国調人口ページ。ちょっとずつ改訂した結果、ようやくデータが出揃いましたよ。

 [35709]では
「郡」の最大人口を眺めてみたら面白そう
 なんて言っていたわけですが、北海道庁のサイトには「郡」の人口が載っておりませんでした。これでようやく判明(集計ミスがなければ)した、と言えましょう。


 また、[36078]では複数の支庁にまたがる郡の数字をまとめることに関して
一緒にすること自体、「あるはずのない数値」と言えるのではないでしょうか?
 と否定的な見解を書いていましたが、こちらの「市区町村プロフィール」でも合計値が示されていますので、「もともと同一の郡が支庁界で分断されている」という空知・勇払・天塩・虻田各郡の人口は、順位表においては合計値を採用しています。


 北海道の国勢調査人口の入口


[39708] 2005年 4月12日(火)16:24:49 平成少年さん
北海道民にとって「支庁」とはその程度なのでしょうか?

 「東北」を「遠北」、「九州」を「九周」とか。あるいは東京23区民が「渋谷」を「渋屋」と書くとか。そんなレベルでしょう。
 「支庁」と言うより「地方」名として日常使っていますから、その先生の常識が疑われるのでは? 「岩見沢」が書けるかどうか心配です。「北海道」、あるいは自分の住所は?
[39687] 2005年 4月 12日(火)01:45:12紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
北海道の区は
[39686] 2005年 4月12日(火)00:51:03 ふぁいんさん
函館区 北海道
札幌区 北海道

 北海道でも市町村制は施行されてませんが…。
[39594] 2005年 4月 10日(日)21:19:04紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
気になる北海道の町村制
[39570] 2005年 4月10日(日)16:21:38 seahawkさん
北海道に昭和20年頃まで存在した一級町村制、二級町村制についてです。あるサイトでは、発展の度合いに応じて二級から一級へと昇格させていったというふうに書いてあったのですが、それは必ずしも人口に比例してはいないようです。どのような基準で一級、二級と格付けされていたのかご存じであればご教示頂けないでしょうか?

 ご来訪ありがとうございます。人口の順に並べてみると、確かに人口の多寡で一・二級が決められたわけではないようです。そのうち注釈を付けますので、今しばらくお待ちください…。
 基本的に、わたしが参照しているのは北海道観光入門だったりするのです。ここでも簡単にしか書かれていませんね。

旧・幌向村は現在の岩見沢市幌向地区だと思っていましたが、南幌町だったんですね。

 町村制の前、戸長役場時代には、岩見澤村や旧・幌向村とは別に先・幌向村(プレホロムイ村と通称)がありました。この時の村の範囲は、今の岩見沢市・江別市・南幌町にまたがっていました。その後役場の管轄が色々変遷する中で、一部地域は岩見沢市の字となり、一部地域は再び独立して村制が敷かれたり(これが南幌町の前身の方の幌向村)…。文字だけでは分かりにくいですねえ。「岩見澤市史」に経緯が載っていました。

大正9年に人口が0人だった蘇牛村がとても気になりました。

 これは元のデータにはありませんでした。[35788]でも触れていますので、参考までに。


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