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伊豆之国さんの記事が5件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[91505]2016年9月25日
伊豆之国
[91457]2016年9月20日
伊豆之国
[91416]2016年9月17日
伊豆之国
[91324]2016年9月3日
伊豆之国
[91287]2016年8月28日
伊豆之国

[91505] 2016年 9月 25日(日)23:46:08伊豆之国 さん
"Supertown"歩き & 「(にわか)領地」訪問はお預け(天気予報に振り回されたみちのく独り旅)
去る21日より2泊3日で、宮城・岩手両県の旅。今回はその道中記を。
今回の道中、夏休み中に本業の多忙(八王子市の物件([91416])もその一つなのですが)で取れなかった休暇をこの時期になってようやく取れたことによるものでした。けれども折からの台風の接近を初め、とにかく天気予報がころころ変わり、直前になって宿と泊まる日だけは決めてきてネットから予約は取り、訪れる場所は既に決めていたものの、スケジュールははっきり言って出発当日の朝まで「ほとんど白紙状態」だったのでした。
初日は、ともかく「晴れ間は出る、雨の確率は低い」と言うことで、「町歩き」を。東京駅から新幹線で、福島駅で降りて在来線に乗り換え、白石駅で下車。40年ほど昔、その白石市にある「小原温泉」に一泊し、「蔵王のお釜」を見たり、遠刈田温泉にあるこけし工房を見学したりした記憶が残っているのですが([90481])、 そのとき素通りした、伊達家重臣・片倉家の城下町、白石の市街地の町歩きから。(「にわか領主」である)掛川城と同様、木造で平成7年に天守閣が再建された白石城(白石市HPより)、市内で唯一残ったと言う武家屋敷豪商の屋敷を回り、名物の「温麺(うーめん)」(私は小原温泉に泊まったときよりも前、子供のころから知っていたのですが、実際に味わったのは40何年ぶり…)をご馳走。でも、駅前通から中心市街の印象はというと、人影もまばらで店じまいして久しいような商店も目立ち、やはり千本桜さんが危惧されていた通り([90177])
白石は仙南の中心都市から脱落
と言うのも案外当たっているような感じも見受けられ、新幹線の駅が白石駅に併設されなかったこと、その新幹線駅「白石蔵王駅」も町外れの田んぼの中にあって利用客数も伸びず、1日の乗降客数は1000人にも満たず「閑散駅」の地位に甘んじたままになっているようです。
ところで、この白石城主として、戦国末期より明治に至るまでこの地を治めてきた片倉氏。伊達政宗の幼少時代から後見人として仕えてきた初代・片倉小十郎景綱の子、二代目小十郎重長は、優れた武勇で名を轟かせ、「大坂夏の陣」ではあの真田信繁(幸村)と激闘を繰り広げ、「鬼小十郎」と恐れられた武将でした。その信繁が死を前にして、重長を「敵ながら大した者だ」と褒め、自らの子女をその重長に託し、そのとき預かった阿梅は、後に重長の後妻となっています(白石市HPより)。私が白石駅で降りて町のほうに出たとき、「『真田丸』ゆかりの町」の幟が立っていたのを見て、「何でやねん?」と怪訝に思ったのですが、白石城のすぐ下にあった「探訪ミュージアム」を見てきてその関係を知ったのでした。
白石駅からは再び「鈍行」で大河原駅で降り、いよいよ千本桜さんの地元、”Supertown”大河原の市街地に出ます。駅前の印象では、白石のそれよりも栄えている印象で、白石川に架かる橋を渡って旧街道沿いの中心街へ。豪壮な商家もあり、「町」としては結構栄えているな、という印象を受けましたが、明らかに店じまいしたような感じの商店も多く、千本桜さんがおっしゃる通り([90177])、人口こそ微増しているものの、繁栄に「陰り」が見えているような雰囲気にも思えたのでした。それから繁昌院にお参りした後、白石川を再び渡って、この町のシンボルでもある土手の桜並木へ。曇り勝ちの天気で、遠くに見えるはずの蔵王連峰は雲の彼方でしたが、桜の葉が青々と茂り、薄暗い土手の道を延々と歩いて行くのも、心地よい気候とあいまって、それはそれでまた風情があるものだな、と思ったのでした。やがて町境を越えて柴田町に入っても桜並木はなお続き、右手からは東北本線の線路も並行。今も結構な本数が走っている長い編成の貨物列車と、2~4両の短いローカル鈍行列車との対比に、今の東北本線の地位と役割が見えてきたのでした。今年の春にできたばかりの陸橋「しばた千桜橋」を渡って東北線と県道を越え、新幹線がなかった頃にはいつも気になっていた風景であった、「伊達騒動」を基にした小説「樅の木は残った」で名高い船岡城址へ。足元を見ると、真っ赤な彼岸花が今まさに花盛り…。曇り空で方角もよくわからず、ともかく坂道を下りて平地に出ると、「しばたの郷土館」があったので、資料館の中を見学。市街の中心部、船岡駅の方角と思しきほうへ向かって歩き、やが県道が見えてそちらに出て、駅に向かって歩くことに。交差点を左折したところが駅なのですが、この船岡駅の駅舎、「第一印象」では「昔の役所か、学校か、武道場か?」と言ったように見えて、これが「駅」だとは一瞬信じられないような戸惑いを抱いたのでした…。船岡駅周辺の印象も、柴田町自体が槻木との「中心が2つある町」であるせいなのか、大河原よりは少し小さい、むしろ仙台のベッドタウンの色彩が強い、と言った感じに見受けました。
船岡駅から東北線で白石駅に戻り、バスで遠刈田温泉のリゾートホテルに。夜遅くに露天風呂に入ると、外は雨…。雨は翌朝起きたときも降り続いていましたが、直行バスで仙台に戻ったころにはすっかり上がっていて、仙台駅からは市内の観光地巡りのバスで青葉城址へ。伊達政宗の銅像の前で、「(戦国市盗り合戦の)初代青葉城主の座を目指しての挑戦([91287])」を「宣言」したのでした(笑)…。既にお昼を過ぎたので、名物の「牛タン」定食で空腹を満たすことに。先のバスが片道の環状ルートで、仙台駅に戻るまでに行きの倍の時間がかかるため、待っていたタクシーに乗り、仙台駅からは仙石線で、これまで何度も訪れているとは言え、やはり「定番」の松島を目指したのですが、既に雨が降り出し、松島海岸駅に着いた頃には本降りになっていたため、湾内一周の観光船で再び松島海岸に戻ることに(塩竈行きの船もあったのですが、30分後の出航で、しかもこの天気では近くの名所巡りも億劫で…)。本塩釜で降りての鹽竈神社への「(にわか)領地獲得御礼」参りも、「この雨の中、しかも前日からの長い歩きで足がガタガタでは…」と、この時点でほぼ断念(翌日に回すことも決して不可能ではなかったのですが、どう見ても日が暮れてからになりそうなので)。仙台駅に戻り、新幹線で2日目の宿泊地・花巻へ、と言うことにしたのですが、荷物を預けていた仙台駅の構内の広さに道に迷い、次に北上・新花巻に停まる列車まで1時間待ち。この間に宿に「予定より遅れる」旨の電話を入れ、地下の売店で「どうしても買っておきたかった」名物「九重」([60404])を買い、北上駅で「鈍行」に乗り換えて花巻駅へ。この時間帯にバスがないので、タクシーで花巻温泉へ。この豪華な高級ホテルの和室が、直前のネット予約で1万円を切る値段で、しかも一泊2食付で泊まれるとは、「価格破壊もここまで進んだとは…」と驚いたものでした。ホテルでは隣接する同一グループの宿と合わせて温泉の「梯子」、館内には昔の風景も展示され、この地を走っていた「軽便電車」(HP,[73249])の写真も…。ちなみにこのホテル、同じグループの経営する3軒のホテルが渡り廊下でつながっていて、実質的には1軒の巨大ホテル。しかし、渡り廊下でつながっている各棟は、傾斜地に建っていることもあって、渡り廊下でつながる同じレベルの階が、それぞれ「1階」「2階」「3階」と異なっていて、ちょうど私がこの旅に出る直前に話題になった「建物の階数の数え方論争」を思い出していたのでした。
ところで、花巻と言えば、その花巻東高校出、「二刀流」の日本ハム・大谷選手。でも、楽天に入れなかったことで、「もし楽天に入っていれば、田中マー君がメジャー入りしてからこんなに弱くなるようなことはなかったのでは…」と複雑に思っている東北人も多いのでは、と妙なことも思ったりしたのでした…。
翌朝、起きてみたら外は雨でしたが、9時過ぎに宿を出た頃には上がり、時折晴れ間も出て汗ばむ陽気。送迎バスで新花巻駅に出て、宮澤賢治記念館を見学。地図を見て新花巻駅の近くにあることを知り、歩いても行けなくはない距離でしたが、駅前は閑散としていて本当に何もないような殺風景、どの方向へ歩いたらよいのかよくわからないので、駅前で待っていたタクシーを使うことに。「雨ニモ負ケズ」や童話の世界で子供の頃から親しんでいた賢治でしたが、文人としてだけではなく、鉱物、農業、天文、音楽など、幅広い分野の知識を豊富に備えた「マルチ人間」だったと言うことを、今更ながらその多芸多才ぶりに感心したのでした。
新花巻駅に戻り、新幹線とは対照的な狭いホーム1本だけの釜石線乗り場から「鈍行乗り継ぎ」で平泉へ。過去2度訪れているのですが、今回は実に30年ぶり、もちろん世界遺産になってからは初めて。毛越寺はその当時の印象がすっかり抜け、中尊寺にしても、金色堂まで続く長く薄暗い参道のイメージぐらいしか残っていなくなっていて、実際に歩いてようやく当時の記憶が蘇ってきた、と言う感じだったのでした。  
本堂を過ぎ、拝観券の売り場まで来て、財布を見ると…残り1千円を切っている!金色堂だけは何とか見られる金額なのですめが、宝物殿・秘仏拝観と共通券が買えない…。ここまできたのに万事休すか…」と慨嘆…身軽で歩くために、平泉駅のコインロッカーに重いバッグを預けていたのですが、その中に万札が入っていたのでした…。でもすぐに振り返って横を見ると、信用金庫のATMがあり、郵貯カードも使える!これぞまさに「地獄で仏」。郵貯カードを持ってきていたので、必要金額を引き出し、無事共通券を買って、大震災以来5年ぶりに公開された秘仏→宝物殿→金色堂の順に拝観を済ませ、土産物屋が軒を並べる、バス停のある麓に戻ってみると、既に雨が本降りに。参道を歩いているうちは鬱蒼と茂る並木が雨除けになっていて、雨天になっていたのを感じさせなかったのでした。
予定外のタクシー利用が続いたことなどもあって、平泉駅から鈍行乗り継ぎで、帰りの新幹線は仙台駅からと決めることに。ここまで昼食抜きできたこともあり、最初の乗り継ぎ駅・一ノ関駅で、既に冷え切っていた売れ残り?の駅弁。一ノ関駅からは小牛田行きとまたも細切れ、しかも悪評高い「701系」の長椅子式車両。でも空腹に耐え切れず、昨年の東海道中([88822])と同様、弁当を頬張るのを強行。小牛田駅で仙台方面へと乗り継ぐのですが、仙台行きの電車が出発する直前、忘れ物に気づき、さっき乗ってきた電車が折り返して一ノ関行きになる電車に大急ぎで戻ると、その忘れ物が無事すぐに見つかり、結局次の電車に乗り換えて仙台駅に。新幹線に乗り換えて東京駅に着き、新宿で小田急に乗り換え…。嗚呼、帰り道は遠刈田、いや遠かった…。

♯書き込みの途中で誤操作したため、いったん削除した上で改めて書き込みし直しました。
[91457] 2016年 9月 20日(火)23:16:52【1】伊豆之国 さん
町田市役所は何階建て?
[91440] 桜トンネルさん
[91441] MasAkaさん
[91447] 白桃さん
浦安市役所は何階建て?
財産管理課の方曰く、「10階建てです。11階建てというのは、屋上にソーラーシステムのちょっとした部屋があり、そこは機械室といえば、機械室と言えなくもない。」というお話
建築士歴20数年の私からお答えいたします。
建築基準法では、「屋上」建築物の一部(階段室、エレベーター昇降路の最上部など)や広告塔、装飾塔などの部分について、次のような規定があります。
こちら(新宿区発行の資料(ガイドライン)ですが、同様の資料は他の多くの自治体でも作成されています)によると
高さおよび階数については、(中略)一定の条件を満たす屋上部分であって、当該部分の水平投影面積が建築面積の1/8以内のものは、高さ・階数に算入されない
(建築面積の1/8以内であれば)階数に算入しない建築物の屋上部分
『昇降機塔、装飾塔、物見塔、その他これらに類する建築物の屋上部分』とは、屋根及び柱若しくは壁を有し(つまり屋内的空間を有し)、形式的には「階」に該当するが、常時不特定多数の者の利用がなく、用途、機能、構造上、屋上に設けることが適当であると認められる部分をいう。 また、「その他これらに類する建築物の屋上部分」には、階段室、昇降機及び昇降機の昇降ロビー(通常の昇降に必要な規模程度のものに限る。)を含むものとする
とあり、このあと「判断に迷う部分」の例として、
昇降機用機械室…(階数に)算入しない
空調機械室、排煙機械室、発電機室、吊上式自動車車庫の機械室等…算入する
などとあります。
問題の浦安市役所の場合、仮に実施設計に忠実に施工されていたというのであれば、このデータの16ページを見ると、11階には「空調機械室」が存在しており、また各階の床面積は
11階 793m2
1階 2495m2
とあり、「11階」の面積が建築面積(「庇」の出など複雑な問題もありますが、一般には1階の床面積とほぼ同じとみなすことが多い)の8分の1を優に超えているため、浦安市役所の建築基準法上の階数は「11階」建てということになります。

一方、まだ建て替えられて日が浅い地元の町田市役所も、建築基準法上、微妙な問題が発生しています。
2015年2月9日から、町田市庁舎の屋上の一部を「屋上展望テラス」として一般開放します
現在の町田市役所は、竣工当初は「10階建て」となっていると見られ、「屋上」は「PH(=Penthouse、塔屋)」となっています。しかし、この「屋上展望テラス」ができたことにより、前記の資料によると
常時不特定多数のものが利用する階段室や昇降ロビー(屋上庭園や屋上広場等を利用するためのもの)…算入する
とあるので、建築基準法上の「階」に該当することになり、町田市役所は「11階」建て、と言うことになってしまいます。

「階」の数え方では、傾斜地とか崖地に建てられている建物についても厄介です。詳しい説明は省きますが、よく崖地に建っているホテルなどで、「玄関が3階にある」とか「地階にも客室がある」と言った例を見かけることがあり、「基準法上は○階でも、そのホテルでは△階と称している」と言うのもあるようです。また斜面に立てられたホテルなどでは、棟ごとに建物の「平均地盤面」が異なるため、渡り廊下で同じレベルにあるのに、A棟では2階なのがB棟では1階、と言うのもよくあります。市役所の庁舎についても、このような立地条件にあって、階数の数え方がわかりにくいところもありそうです。
「地階」の定義についての詳しい説明が書かれたデータを、平塚市の資料よりリンクしておきます。

閑話休題。デスクトップ鉄さんのクイズ、わかったものだけ。
問一:下諏訪(JR東日本・中央本線・長野)
問三:若狭高浜(JR西日本・小浜線・福井)
[91416] 2016年 9月 17日(土)21:27:44伊豆之国 さん
京王御陵線
今週前半、k-ace殿のお膝元・武蔵国八王子城「本丸」に2日連続で「突撃」してきた(といっても実は市役所への社用ですが…)韮山城主伊豆守でございます。

さて、そのk-ace殿がおっしゃっていた通り([91410])、今晩の某公共放送の「中洲産業大学教授・森田一義氏」の番組は、八王子市の「高尾山」でしたが、この番組の後半で、昭和20年に「休止」扱いとなった後、一部が「高尾線」として昭和42年に復活し、残りの部分が廃線となった「京王御陵線」([77604])の痕跡の映像(Street Viewより)が出てきました。この映像に出てきた、今では住宅街のど真ん中になった場所に2本だけ残った、この「御陵線」の橋脚にまつわる話も紹介されていました。
[91324] 2016年 9月 3日(土)22:46:26【1】伊豆之国 さん
電子基準点 & 佐渡市 & 江津市
[91323] Takashiさん
「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)」が、17日発売の同誌で連載を終了
その昔「下総国葛飾郡亀無村」と呼ばれていたその町のお巡りさん、なぜ苗字を「佐渡」に変えなかったんでしょうかねぇ?…今晩の某公共放送の「中洲産業大学教授・森田一義氏」の番組の舞台は、その佐渡市でした。

さて、十番勝負も終わって、(気が早いですが)次に控えるのは「クイ図・五番勝負」。3年前のその五番勝負・問一の共通項になった「電子基準点」の話題が、先日の新聞記事に出ていました。→毎日新聞・8月30日夕刊より
国土地理院がプロジェクト 設置校で出前授業
国土地理院(茨城県つくば市)は今年度、大地のわずかな動きを観測できる「電子基準点」を設置した全国の小中学校に職員を派遣し、出前授業をするプロジェクトを始めた。地震や火山などの監視に重要な役割を果たしている装置だが、設置校でもあまり知られていないため、出前授業をきっかけに防災に興味をもってもらい、地理好きの子どもを増やそうという狙いだ。
電子基準点は高さ約5メートルのステンレス製の柱。球形の先端部分で人工衛星の電波を受信し、全地球測位システム(GPS)を使って位置を毎秒観測する。微小な地殻変動を観測し、ひずみをとらえられるため、今年4月の熊本地震でも発生メカニズム解明などに活用され、火山活動の監視にも使われている。
設置数は1995年の阪神大震災前は全国210カ所だったが、その後に防災対策充実のため約1300カ所に増やされた。電波受信の障害となる建物が周囲になく、公用地で管理がしやすいなどの理由で、うち約600カ所は小中学校にある。しかし、設置校に知られていないため地理院は昨年度、沖縄県内数校で出前授業をしたところ好評で、全国展開することにした。
今年度は静岡県内で既に行ったほか、茨城県でも開催予定がある。
辻宏道・地理院測地観測センター長は「日本は災害が多く、地殻変動が激しい。電子基準点が防災に欠かせないことを伝えたい」と話している
私自身も(おそらく落書き帳メンバーの方々の多くも)この「クイ図」で出てくるまでその存在を全く知らなかったこの「電子基準点」、しかも我が家から徒歩圏内にあったと知って([84379],[84386])早速見に行ったところも、小学校の校庭の隅。しかしその小学校のHPを見てもどこにもこの「電子基準点」のことはどこにも見当たらず([84435])、やはりこの新聞記事にあるように、設置されている学校ではせめてその存在意義やシステムについての説明ぐらいは授業の中でやってほしい、と思うのですが。

[91317] k-aceさん
これ、ForeverではなくHOWEVERですね
失礼いたしました…。"Forever"なら、歌舞伎の「隈取」のようなメイクで人気を博した、「接吻楽隊」と言う名の海の向こうのバンドにあったような…。やはりこの手のものには「オジサン」はちょっと付いて行けないですねぇ。

[91295]他 山野さん
[91308] ピーくんさん
[91309] k-aceさん
[91312] Nさん
やはりと言うか、廃止がほぼ決定となった三江線ですが、「普段の利用客が皆無」の駅も結構あると言うこちらのような現状を見せ付けられると、やはり鉄道として生き残るのは相当厳しい、「廃線やむなし」というのも仕方がないのでしょうか。
この三江線が廃線になると、江津市にある「千金」駅が消え、「金華」駅が消えた北見市に続いてまた一つ、十番勝負・第40回問八の想定解が減ることになります。
[91287] 2016年 8月 28日(日)14:50:32【1】伊豆之国 さん
市盗り合戦・戦略編
前回[91283]の最後でチラッと触れた
今回の「戦略」
に関して、いくつか解説から。で…

派手な領地の盗り合いになった(なってしまった)序盤戦から一転、終盤戦は[91283]でも書いたように
「市盗り」とは離れて、「分散派」としての「原点」に立ち返って「未解答減らし」
に戦術を変えたのですが、これにはこの時点で残っていた市に「市盗り」につながりそうな市があまりなかったことも関係していて、問七で川崎市を取ったのも、以前に何か引っかかるものがあったことから([88652])、ここでまずひとつ片付けておこう、と言う意味も…。
唯一、入門コースに「浮気」した[91051]ですが、
戦術上どうしても取っておかなければならぬこの一問だけ答えておくことにします
問A:三島市
これはもちろん「領地奪回」への「予行演習」の意味であることはいうまでもありません…。以前、「クイ図」で静岡県西部に残る十番勝負の未解答市(今でも)を答えた([89119])のと同じ意味合いでした。
ちなみにこの問Aですが、「じま」と濁る輪島市とか宮古島市が「五島」(←これももちろんNG)になるところがこの問の「味噌」だったのでした…。東松島市は唯一「しま」の読みが2つ入るので、「その昔『上高地の玄関』だった駅」?(元の位置からは移設されています)
[91062] k-aceさん
将来的に入門コースに戦国市盗り合戦が採用された場合に向けてですか(中略)入門コースで三島市解答されても一般コースの領主に影響することはなさそうですが
[91118] k-aceさん
伊豆之国さんの戦術上って入門コースの完答のほうか。問Aの想定解数見てなかった。で売り切れ
そういう見方は「うがち過ぎ」ということでしょうか?…まぁ、いずれは「敵失」の発覚で「七夕」、いや「棚ぼた」で領主と言うことになっているF市と領地交換、と言うことになるのでしょうか?
ちなみに私が「入門コース」に参入したときは、一般コースの難問に苦渋したときの「気分転換」「憂さ晴らし」の意味からなので、「入門コース」を全問答えたことは一度もありません…。

一方、極上和牛のすき焼きが桜鍋に化けたあの市のほうは、もうこだわりもないので([90793])…
[90842],[91215] Nさん
松阪市を取られたのが致命的すぎる
ここはひとつ、かの地で一生の長い時期を過ごした国学者・本居宣長も愛してやまなかった「桜」狩りはお任せしましょうか…。ただ、この市には異常なほどの執着を抱いている「競馬場(と競艇場)と麦酒工場があり、斜張橋も2本架かり『中央市を通る高速道路』も通っている」その昔武蔵国の中心だった市に構える若手メンバーもおり、また私(母方の祖父が御浜町出身)と同じくこの県の血を4分の1受け継いでいる、七夕で名高い湘南の市を本拠とする有力メンバーも闘志を燃やしているかもしれませんので、ここはお三方でよく話し合っておいたほうがよいでしょうか。「永久保証の私」(←この市にある、「甲子園」で優勝経験もある高校のOGだと言う歌姫([89853]) に、こんな歌詞があるヒットナンバーがあり、若い女性の間でカラオケの定番になっているそうな)からのお願い、受けてもらえないでしょうか(笑)…。

領地奪還を目指す「官幣大社がある、その昔『女遊び』でも栄えたらしい」市のほかにも、まだ「宿題」としてどうしても盗っておきたい市があと2つ残っています…。中でも「修禅寺」と「浄蓮の滝」で名高い市のほうは、「領主」がもう長い間姿をくらましているので、攻略するチャンスはいくらでもあると思うのですが…。

…今回は、「五稜郭」を速攻で攻め落としたことが利いて、おそらく初めて領民数が200万人の大台を超え、領国数も差し引き2増となったのですが、「これが絶頂期」としてまだまだ気を引き締め、また新たなる挑戦も考えねばなりません…。さしずめ、[87301]
「城主狙い」ということになっている「青葉城」は(中略)本気で「白鳥」、じゃなくて「城盗り」に攻め込むことなどは毛頭考えておりません(笑)
とした「初代・青葉城主」狙い、前言を翻して攻略作戦を開始することにでもなりましょうか?…


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