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[63806] 2008年 2月 25日(月)01:32:04むっくん さん
人口データに対応した郡市区町村の廃置分合等に対応する書籍
[63726][63734][63735]hmtさんで明治31(1898)年12月31日、明治36(1903)年12月31日、明治41(1908)年12月31日、大正2(1913)年12月31日、大正7(1918)年12月31日という人口のデータをご紹介されていますが、この間の郡市区町村の廃置分合等に対応した書籍が内閣統計局より出版されています。

郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明治39年)
郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明治42年)
郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大正4年)
郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大正9年)

これら4書に掲載されている廃置分合等の総数は1466件で、市区町村変遷情報に記載されているものにその内で対応する箇所は1420件です。そして1420件のうちで市区町村変遷情報と食い違いを見せているのが少なくても220件はあり、その大半が実施日の若干のずれです。
#「総数は1466件」と「対応する箇所は1420件」という2者の差は、市制町村制が施行されていない地域(北海道・沖縄県・島嶼)の“行政区画としての”町村の廃置分合に対応します。
#「少なくても220件」という表記をしたのは、市区町村の廃置分合の実施日の記載ではなく、明治○○年△月□日許可(町村制(明治21年法律第1号)第4条第1項もしくは改正町村制(明治44年法律第69号)第3条第1項の「内務大臣ノ許可」)を記載しているところにおいて、市区町村変遷情報での市区町村の廃置分合の実施日と整合しないわけではないところは、数としては勘定に入れなかったという意味です。

さて、市区町村変遷情報記載の実施日が正しいのか、上記4書記載の実施日が正しいのか判断するにはまずは府県の告示(や府令県令や内務省告示)にあたる必要があるのでしょう。しかしながら告示に実施日が書かれていないときはどのように判断すれば良いのでしょうか。
これ以上書くと話の内容が変わりますので、本稿はここまでとします。
[63807] 2008年 2月 25日(月)01:54:43むっくん さん
県告示と廃置分合等の実施日の関係
[63806]の続きです。

市制町村制施行後の市町村などの廃置分合等がなされる場合、市となる場合は内務省告示が根拠となります。町村となるときは、「内務大臣の許可」(町村制(明治21年法律第1号)では第4条第1項、改正町村制(明治44年法律第69号)では第3条第1項)を受けて府県が出す告示(時には府令県令)が根拠となります。

ここで私は一つの疑問を持っています。[63806]拙稿でも触れましたが、「府県告示(や府令県令)」と「廃置分合等の実施日」の関係です。
ここでは市区町村変遷情報記載の実施日が絶対に正しいものという前提の上で議論を進めます。

町村などの廃置分合等がなされる場合は、

(1)府県告示(や府令県令)に廃置分合等の実施日を記してあるもの
e.g.青森県西津軽郡木造町の分割&編入(1,2,3,4,5)([63657]拙稿参照)
告示:青森県告示第308号(明36.10.3)、明治37年4月1日に実施との記載あり
実施日:1904(明37).4.1

(2)府県告示(や府令県令)に廃置分合の実施日を記していない、かつ、告示と廃置分合等の実施日が同じもの
e.g.岐阜県益田郡三郷村の町制[63716]拙稿参照)
告示:岐阜県告示第199号(明30.10.29)
実施日:1897(明30).10.29

(3)府県告示(や府令県令)に廃置分合の実施日を記していない、かつ、告示よりも廃置分合等の実施日が早いもの
e.g.石川県鳳至郡穴水村の町制
告示:石川県告示第230号(明36.8.22)
実施日:1903(明36).8.10

(4)府県告示(や府令県令)に廃置分合の実施日を記していない、かつ、告示よりも廃置分合等の実施日が遅いもの
e.g.京都府愛宕郡野口村の分立[63657]拙稿参照)
告示:京都府告示第8号(明25.1.29)
実施日:1892(明25).2.13

と、大きく分けて上記の4つにすべての場合を分けられます。
(1)と(2)の場合は自然で何の問題も無いと考えられますが、問題は(3)と(4)の場合です。

まずは(3)の場合についてです。
近代自治制度の市制町村制以前であるならば、町村の廃置分合等が後で布達などで出される場合も珍しくはありませんでした。
例えば、大阪府示第177号達(明17.9.5)では明治17年2~8月の大阪府管内の町村合併&改称が記されています。自治体というよりも実質的には行政区画であった市制町村制施行前でも、この達の冒頭の「本年(自二月至八月)」とあるように、明らかに以前の町村合併&改称である旨が分かるように記されています。
ましてや近代自治制度である市制町村制が施行された後に、以前になされた町村の廃置分合等を何の断りも無く、告示等で出すことがあるのでしょうか。
例えば1908(明41).3.16の泉北郡東中百舌鳥村と深井村の境界変更の場合では、境界変更以後に出された大阪府告示第96号(PDF)(明41.3.31)(pp.2-5にあります)中には当然1908(明41).3.16になされたと書いてあるように、以前の実施日を書くのが自然なのではないでしょうか。
ということで、私は(3)の場合はまずは存在しないものと考えますがいかがでしょうか。

次に(4)の場合です。
まずは、廃置分合等に先立って完全に府県内で内務大臣の許可が下りたらすぐに廃置分合等が出来るように、各府県は当然に完全なる根回しを行っているものと考えられます。その上で、各府県は内務大臣に廃置分合等の許可の申請を出しているのでしょう。
そして内務大臣の許可が下りて各府県庁に許可状が到達すると、各府県は速やかに告示を出すものと考えられます。また告示を出す時点で廃置分合等の実施日を告示の日付より大幅に遅らせることが確定しているならば、告示にその旨を記すのが自然であると考えられます。
ということで、(3)の場合だけでなく(4)の場合も原則としては存在しないのでしょうか。
しかしながら今とは異なり、各町村への告示の到達には日数がかかります。告示の日付ではなく告示の到達して各種事務作業を行った後の日を法的には廃置分合等の実施日としているのかもしれません。
それでも、上記の京都府愛宕郡野口村の分立の実施日の説明は困難であるものと思われます。当地は現在の佛教大学の北隣あたりで、京都府庁からは約4kmの位置にあるため、1時間も歩けば到達することが出来ます。さらにはおそらく分立の準備はあらかじめしていたのでしょうから、京都府の告示がなされた日に分立できたのではないのでしょうか。分立するまでにさらに半月も必要だったのか個人的にはかなり疑問が残るところです。

以上はあくまでも私の考えであって、実際は異なるかもしれません。本当はどうなのでしょうか。
おそらく今後市区町村変遷情報の精度を挙げるために府県の告示にあたる必要が数多く出てくることでしょう。しかしながら上記のことがどうなっているのかが分からない限りは、廃置分合等の実施日の本当のところはよく分からないことになりかねないと私は考えます。

参考
町村制(明治21年法律第1号)
第四条 町村ノ廃置分合ヲ要スルトキハ関係アル市町村会及郡参事会ノ意見ヲ聞キ府県参事会之ヲ議決シ内務大臣ノ許可ヲ受ク可シ
町村制(明治44年法律第69号)
第三条 町村ノ廃置分合又ハ境界変更ヲ為サムトスルトキハ府県知事ハ関係アル市町村会ノ意見ヲ徴シ府県参事会ノ議決ヲ経内務大臣ノ許可ヲ得テ之ヲ定ム所属未定地ヲ町村ノ区域ニ編入スルトキモ亦同シ


以下、余談です。

市制町村制施行前の布達でも、実は
自今本県布達は発布の翌日より七日を以て施行期限とす
但実施を要し即日より施行するもの及特に施行の日を掲げたるものは此例に在らす
右布達候事
山梨県甲第68号布達(明18.8.19)による)
との布達があります。市制町村制施行後の県告示においても市制町村制施行前の山梨県布達の時とはさほど変わらないままで、県告示から実施までにある程度の時間的猶予があることが原則だったのかもしれません。
[65444] 2008年 6月 8日(日)10:31:27【2】むっくん さん
広島県史、沖縄県の郡
[65332][65333]88さん

市区町村変遷情報の変更作業ご苦労様です。

[65051]で参照した広島県史・年表(別編1)(編・出版:広島県、1984)についてなのですが、あくまでも年表ですので、
1894(明治27)〔甲午〕
政治・経済
9-15 天皇,広島に到着し,第5師団司令部庁舎に大本営を開設。
などの出来事と同列で
1907(明治40)〔丁未〕
政治・経済
1-1 安佐郡三篠村・賀茂郡仁方村に町制施行(’06告示382・430)
などと書かれていました。告示日と施行日の関係についてはよく分かりませんが、上述の三篠村町制の記載などより、(ア)県告示には施行日が記載されているものがあり、(イ)少なくても施行日が記載されているものについては「告示日=施行日」とはなっていない、ということだけは言えるのではないかと思います。
もっとも私は、「京都府が事実上編集したとも言える『京都府市町村合併史(京都府立総合資料館編、1968)』では、ある時期以降は施行日についての記載があるためにそれに従い、ある時期までの告示は施行日についての記載が無いために“告示日=施行日”とみなしている」ということより、『広島県史』においても『京都府市町村合併史』同様の取扱いをしている、と何の根拠も無い推測(憶測?)をしていますが。。。

また、
広島県市(広島県告示)だけが各市販の文献と異なる例が多数でした
とありますが、賀茂郡内海町と芦田郡出口町の町制についても、広島県史・年表(別編1)の方が正しいと思える補強証拠はあります([65051]では省略しましたが)。

・賀茂郡内海町の町制施行日についてですが、明治29(1896)年末の「市町村現住人口」を記している内務省告示第63号(M30.10.16)ではM29.12.31には内海町となっています。
・芦田郡出口町の町制施行日についてですが、明治30(1897)年末の「市町村現住人口」を記している内務省告示第92号(M31.9.13)ではM30.12.31には芦田郡出口町となっています。

[65051]で指摘した時には私もうっかり見逃していましたが、出口町の所属した郡は当時は芦品郡ではなくて芦田郡のようです。お手数ですが修正をお願いします。

#「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」の各文献の根拠はそもそも何なのか、ということを個人的には知りたい。。。


最後に、一点確認です。
[64956]拙稿で、沖縄県にM29(1896).4.1に島尻郡,中頭郡,国頭郡,宮古郡,八重山郡の5郡が新たに設けられたことを市区町村変遷情報に追加されてはいかがでしょうか、との提案をしました。
この件は、米軍統治下に関連しての将来構想がらみで現在は意図的に市区町村変遷情報には反映させていないのか、それとも単なる見落としなのか、はたまた単に不採用にした(おそらくないでしょうが)のかいずれなのでしょうか。
[65445] 2008年 6月 8日(日)10:38:46【1】むっくん さん
法令とその施行日との関係
前稿[65444]で広島県史での廃置分合等の施行日のことについて触れました。

以前[63807]拙稿で、私は「県告示と廃置分合等の実施日の関係」について疑問を呈しました。
国の“施行期日について規定していない”法令とその施行日との関係が分かると、「県告示と廃置分合等の実施日の関係」についての何らかの参考となるかもしれません。
ということで調べてみました。
もちろん、基本的には法律等でも施行期日について附則等で規定しているのが通常なのでしょうが、規定していないときもおそらくあろうかとは思いますので。


(1)“施行期日について規定していない”法律
法律については特に定めのない限り、法例(明治31年法律第10号)(M31.6.21)
第1条 法律は公布の日より起算し満二十日を経て之を施行す但法律を以て之に異なりたる施行時期を定めたるときは此限に在らず
により、公布の日から起算して満20日を経過した日から施行されることになります。

法例(明治31年法律第10号)により全面改正される前の法律の法例(明治23年法律第97号)(M23.10.7)にも
第1条 法律は公布ありたる日より満二十日の後は之を遵守す可きものとす但法律に特別の規定あるものは此限に在らず
との規定があるのですが、施行が2回延期されて施行されることなしに、法例(明治31年法律第10号)(M31.6.21)で全面改正&廃止となります。

(2)“施行期日について規定していない”皇室令、勅令、閣令及び省令
皇室令、勅令、閣令及び省令の施行期限についても特に定めのない限り、公式令(明治40年勅令第6号)(M40.2.1)
第11条 皇室令、勅令、閣令及省令は別段の施行時期ある場合の外公布の日より起算し満二十日を経て之を施行す
により、公布の日から起算して満20日を経過した日から施行されることになります。

(3)“施行期日について規定していない”軍令
軍令については特に定めのない限り、軍令ニ関スル件(明治40年軍令第1号)(M40.9.12)
第4条 軍令は別段の施行時期を定むるものの外直に之を施行す
により、公布の日から即日施行されることになります。


#蛇足ですが、法例(明治23年法律第97号)公式令(明治40年勅令第6号)軍令ニ関スル件(明治40年軍令第1号)の前に公文式(明治19年勅令第1号)(M19.2.26)という勅令が存在していました。公文式(明治19年勅令第1号)公式令(明治40年勅令第6号)の前身と言える勅令で、公式令(明治40年勅令第6号)によって全面改正&廃止となりました。
[67319] 2008年 11月 22日(土)15:28:43むっくん さん
下市村(広島県賀茂郡)と坂出村(香川県阿野郡)
[67313]hmtさんで面積の「不統一」に疑問を投げかけておられるのを見て、市区町村変遷情報の市制町村制施行時の記載にも「不統一」と思われる箇所があったことを思い出しました。
ここでは市制町村制施行時での下市村(広島県賀茂郡)と坂出村(香川県阿野郡)を具体例として取り上げます。

広島県賀茂郡下市村は広島県の県令甲第22号(M22.3.8)
県令甲第22号
市制町村制施行に付市町村区域名称市役所町村役場市等別表之通相定め本年4月1日より施行す但合併に係る旧町村名は大字として之を存す
明治22年3月8日 広島県知事 千田貞隆
県令甲第22号別表
(中略)
賀茂郡
町村名 区域(旧町村名) 町村役場位置
(中略)
竹原町 下市村
(略)
にて市制町村制を迎えることになりました。ところが明治22年4月1日に竹原町としての実体はなく、竹原町としての実体が備わったのは4月17日でした。
そこで市区町村変遷情報では4月1日に下市村として市制町村制を迎え(現時点では広島県まで辿り付いていませんが、今後記載されるのでしょう)、4月17日に町制を迎えたという実体を重視して、県令記載とは異なる
1 1889.04.17 町制/改称 賀茂郡竹原町 賀茂郡 下市村
という日付を採用しています。
参考:広島県HP広島県統計年鑑第2回(昭和31年)5市町村の変遷(エクセル形式)、角川日本地名大辞典34広島県(編:角川日本地名大辞典編纂委員会、出版:角川書店、1987)

一方香川県阿野郡坂出村は香川県の県令第84号(M22.12.28)
県令第84号 12月28日
来明治23年2月15日より県下に市制町村制を施行するに付町村の区域別冊の通分合改称す
但合併に係る旧町村名は大字として之を存し飛地は各其所在町村の地籍に編入す
(中略)
阿野郡
新町村名 旧町村名
坂出町  坂出村
(略)
にて市制町村制を迎えることになりました。こちらも明治23年2月15日には坂出町としての実体はなく、坂出町としての実体が備わったのは6月1日でした。
広島県賀茂郡下市村の事例を踏まえれば1890.6.1町制と記載されるはずが、市区町村変遷情報では
7 1890.2.15 町制 阿野郡坂出町 阿野郡 坂出村
と記載されています(引用者が坂出町から坂出村へと誤記を修正)。まさしく不一致です。
参考:香川県立図書館HP(香川県史別編II年表近代(編集・発行:香川県、出版:四国新聞社、1991)からの転載)
1890(明治23年)
政治・経済
6・1(略),阿野郡,(略),坂出,(略),那珂郡四条,七箇村役場がそれぞれ開庁(香川県政史年表)

さて、市区町村変遷情報には実体を優先して記載するのが適当なのか、県令を優先して記載するのが適当なのか、判断に迷うところです。

この点、国がどうしていたのかが参考となると考えられます。[65445]拙稿でも以前記載しましたが、国では公文式(明治19年勅令第1号)(M19.2.26)ではこの点につき、
第13条 法律命令の発布の当日より施行せしむることを要し又は特に施行の日を掲げるものは第10条第11条第12条の例に依らず
と定めています。このことより、おそらく施行日があるものは実体によらずに法的には施行日に従うものと考えられます。

となれば、広島県及び香川県においても実体はともあれ、法的には県令の施行日によると考えるのが自然ではないか、と私は考えます。
実際、広島県史・年表(別編1)(編・出版:広島県、1984)においては、1889.4.1に賀茂郡下市村が賀茂郡竹原町となった、と記載されています。

ということで、賀茂郡下市村が竹原町となった記載を
1889.04.01 町制/改称 賀茂郡竹原町 賀茂郡 下市村
と訂正するのが適当であるものと考えられます。

#以上、長々と書きましたが、結局は以前[64782]拙稿で疑問を呈したことを何とか自力で説明しただけ、と相成りました。
[69366] 2009年 4月 19日(日)00:09:25【1】むっくん さん
告示日=施行日?
[69153]88さん

88さん、お待たせしました。[68872]拙稿で
県令・県告示に施行日の記述がないときの考え方について、「告示日=施行日」と単純に考えてしまうことは、おそらく誤り
と書いたことの詳細を記します。
#以下の法令の引用では片仮名を平仮名に、旧字体を新字体に改め、条文の項の箇所を一部アラビア数字で追記しています。

まず、当時の府県の県令や告示などが何に依拠することで法的効力を持つかです。
これは勅令第54号(地方官官制)(M19.7.20)の
第三条 知事は部内の行政及警察事務に付其職権若くは特別の委任に依り法律命令の範囲内に於て管内一般又は其一部に府県令を発することを得
第四条 府県令は官報其他特に定むる方法に依り一般に公布したる後其効力あるものとす
に依拠します。
#上記では法的効力を及ぼす箇所の条文のみを抜粋して引用しています。

-----------------------
地方官官制はその後勅令第225号(地方官官制)(M23.10.11)にて全文改正されます。
第十条 知事は部内の行政事務に付其職権若くは特別の委任に依り法律命令の範囲内に於て管内一般又は其一部に府県令を発することを得
2 府県令は特に施行の日を掲くるものを除くの外官報其他特に定むる方法に依り部内に公布したる後七日を以て施行の期限とす但島地は其所管島庁若くは郡役所に到達したる翌日より起算す

さらにその後勅令第162号(地方官官制)(M26.10.31)にて全文改正されます。
第七条 知事は部内の行政事務に付其職権若くは特別の委任に依り管内一般又は其一部に府県令を発することを得
-----------------------


さて地方官官制という勅令を受けて、各府県では公布式が制定されます。例えば宮城県では県令第1号(M19.7.27付)で
県令は奥羽日々新聞を以て公布し公布の後七日を以て施行の期限と為す
 但公布の当日より施行せしむることを要し又は特に施行の日を掲けたるものは此期限に依らす
と県令についてだけ特に施行期限を定めています。このような府県が大半です。

しかし県令以外の告示などについても施行期限を定めているところもあります。例えば、山口県の場合では県令第1号(本県布令式)(M19.8.4付)で
第一条 勅令第54号地方官々制第3条に拠り県令を発する時は「県令第何号」の符号を以て発令す
第二条 管内一般へ一時告示すへきものは「告示第何号」の符号を以て発令す
第三条 県令告示は防長新聞に掲載するを以て公布式とし防長新聞各郡区役所へ到達後七日を以て施行の期限とす
第四条 防長新聞各郡区役所へ到達日数は左の日割に拠る但見島郡は所轄戸長役場へ到達の翌日より起算す
大島郡 四日  玖珂郡 二日  熊毛郡 二日  都濃郡 二日
佐波郡 二日  吉敷郡 即日  厚狭郡 二日  豊浦郡 二日
美祢郡 二日  阿武郡 二日  大津郡 三日  赤間関区 二日
第五条 県令は防長新聞に掲載するの外郡区役所戸長役場前に30日間掲示す(二十一年県令第十九号を以て更正)
第六条 天災時変に依り防長新聞到達日数内に到達せさる時は其到達の翌日より起算す
第七条 県令及告示の発布当日より施行せしむるを要すもの又は施行期日を掲けたるものは第三条第四条第六条の例に依らず
と告示についても施行期限を設けています。

以上より、施行期限の定めが無いものについては原則は公布から7日後(+郡役所に届くまでの日数)が施行期限であり、例外として当日に施行する旨の規定となっていることが分かります。これはこの2県だけではなく、施行期限について定めがあるところでは例外なくこのような規定となっているようです。
県令・県告示に施行日の記述がないときに、すぐさま例外規定である「告示日=施行日」であると看做すのは法律面からするとかなり危険な解釈とも言えるのではないでしょうか。

ただ[68872]拙稿を書いた後にいろいろと調べてみたのですが、告示についてまで施行期限を記している事例を山口県以外には発見できていないため、現段階では[68872]で留保した総ての事例(山形県、山梨県、静岡県、愛知県)には全く影響がなさそうです。[68872]拙稿は私の杞憂であったようです。
ということで、[68520]拙稿の検討をよろしくお願いします。


(余談)
もっとも現実問題としては、府県の公布式では「告示日=施行日」は例外であったことが分かってどうなのか、とも言えます。
結局のところ、以前[67521]拙稿で書いた
京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)では、船井郡須知村の町制以前では、根拠となる京都府告示に施行日を記載していないため、とりあえず「告示日=施行日」とみなしているとの記載
のようなことになってしまうのがオチでしょうから。。。
[69558] 2009年 4月 24日(金)23:22:5788 さん
市区町村変遷情報小レス 告示日と施行日の関係について など
[69541] むっくん さん
[69553] Issie さん
沖縄県の市町村の変遷について、資料情報などを頂きありがとうございます。じっくり、読み応えがありそうです。また、しっかり読んで理解できれば、沖縄の制度についての理解が深まりそうです。熟読・整理後に、また投稿したいと思います。
―――――――――――――――――――――――――
そのためにも、溜まっているレスを放出しておきます。

[68520][68872][69366] むっくん さん
いつもありがとうございます。
まずは、[69366] むっくん さん で解説のあった、告示日と施行日の関係についてです。以前にも、[65445] むっくん さんで、いろいろとご紹介いただきましたが、今回、私もいろいろと調べている中で、次の資料を確認しました。
「法制執務提要<第2次改訂新版>」(平成4年5月20日第2次改訂版第18刷、編者:佐藤達夫、発行:学陽書房)
編者の佐藤達夫氏は元法制局長官で、他の執筆者も法制局OBが名を連ねています。ちょっと長文ですが、p.342-343を引用します。
 施行期日のきめ方には、いろいろの規定の仕方があるが、前に法令の起案形式の項で詳述した。ただ、附則で特に施行期日を明示しなかった場合にはどうなるか、という問題がある。こういう例は、最近の立法ではほとんど見当たらないが、もしそういうことがあった場合には、法例第一条に、「法律ハ公布ノ日ヨリ起算シ満二十日ヲ経テ之ヲ施行ス但法律ヲ以テ之ニ異ナリタル施行期日ヲ定メタルトキハ此限ニ在ラズ」とあるから、法律については、この規定によることになることは疑いがない。会計検査院規則及び最高裁判所規則についても、同様の規定がある(会計検査院規則の公布に関する規則三条、裁判所公文方式規則三条)。また、地方自治体の条例、規則等についても、同様の規定があり、ただ、この期間を十日としている(地方自治法十六条三項・五項)。
 しかるに、その他の政令や省令等については何ら規定がないので、解釈上問題を生ずる。旧公式令、勅令、閣令及び省令については、右の法例の規定と同様のことを規定していたのであるが、この公式令が廃止されたあと、これに代わるべき立法がなされていないからである。実際問題としては、個個の政令、省令等において、原則として、その施行期日をそれぞれ定めているから、無理に解釈をきめる実益もないが、もしそういう例があれば、一般には、恐らく公布の日から施行すると解すべきであろう。
[65445] むっくん さん で、「法令とその施行日との関係」として、いろいろとご紹介いただきました。
上記文献中に出てくる法例(M31.6.21法律第10号)についても、ご紹介いただきました。
また、地方自治法の規定についてご紹介しておくと、次のとおりです。
第十六条
3 条例は、条例に特別の定があるものを除く外、公布の日から起算して十日を経過した日から、これを施行する。
4 (略)
5 前二項の規定は、普通地方公共団体の規則並びにその機関の定める規則及びその他の規程で公表を要するものにこれを準用する。但し、法令又は条例に特別の定があるときは、この限りでない。
さて、[69366] むっくん さん 及び上述の私の発見した文献から見ると、結果から見ると、告示日(公布日)=施行日という結論は同じのようです。これらにより、特に施行期日が定められていない場合、告示日(公布日)=施行日という結論でよい、と私も考えます。

―――――――――――――――――――――――――
という結論を出したところで、閑話休題。[68520] むっくん さん のご指摘への対応です。

毎回私が参考にしている4文献([55681]冒頭、市区町村変遷情報トップページにも記載)では元号表記なのですが、私が西暦を( )で追記しています。ただし、「辞典」は( )で複数案を併記していることも多いので、混乱を防ぐために西暦併記を割愛しております。

■青森県上北郡野辺地村→野辺地町の町制施行年月日について M30(1897).8.27 or M30(1897).8.29
「総覧」・・・M30(1897).8.27
「幕末以降総覧」・・・M30(1897).8.27
「便覧」・・・M30(1897).8.27
「辞典」・・・M30.8(9).27
ご紹介のM30(1897).8.29付け青森県告示第166号に従い、M30(1897).8.29付け町制施行と判断し、修正しました

■山形県北村山郡楯岡村→楯岡町の町制施行年月日について M25(1892).3.18 or M25(1892).3.15
「総覧」・・・M25(1892).3.18
「幕末以降総覧」・・・S25.3.18(元号のみ誤記とするとM25(1892).3.18)
「便覧」・・・M25(1892).3.18
「辞典」・・・M25.3.18
ご紹介のM25(1892).3.15付け山形県告示第19号に従い、M25(1892).3.15付け町制施行と判断し、修正しました

■山形県最上郡古口村からの最上郡角川村の分立年月日について M25(1892).7.8 or M25(1892).6.18
■山形県最上郡豊里村からの最上郡豊田村の分立年月日について M25(1892).7.8 or M25(1892).6.18
「総覧」・・・M25(1892).7.8
「幕末以降総覧」・・・M25(1892).7.8
「便覧」・・・M25(1892).7.8
「辞典」・・・M25.7.8
ご紹介のM25(1892).6.18付け山形県告示第49号に従い、M25(1892).6.18付け分立と判断し、修正しました(最上郡角川村最上郡豊田村)。

■山形県西置賜郡白鷹村からの西置賜郡十王村の分立年月日について M25(1892).7.8 or M25(1892).6.21
■山形県西置賜郡豊川村の一部の西置賜郡添川村への境界変更年月日について M25(1892).7.8 or M25(1892).6.21
「総覧」・・・M25(1892).7.8
「幕末以降総覧」・・・M25(1892).7.8
「便覧」・・・M25(1892).7.8
「辞典」・・・M25.6.1(M25.7.8)
ご紹介のM25(1892).6.21付け山形県告示第50号に従い、M25(1892).6.21付け分立・境界変更と判断し、修正しました(西置賜郡十王村西置賜郡添川村)。

■千葉県安房郡館山町の新設合併年月日について T3(1914).3.1 or T3(1914).4.1
「総覧」・・・T3(1914).3.1
「幕末以降総覧」・・・T3(1914).3.1
「便覧」・・・T3(1914).3.1
「辞典」・・・T3.4.1
ご紹介の、従来から信憑性が高いと判断している郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9.3.31)などに従い、T3(1914).4.1付け新設合併施行と判断し、修正しました

■新潟県中蒲原郡鳥屋王村から鳥屋野村への改称年月日について M23(1890).12.17 or M24(1891).2.__
「総覧」・・・M23(1890).12.17
「幕末以降総覧」・・・M23(1890).12.17
「便覧」・・・M23(1890).12.17
「辞典」・・・M23.12.17
ご紹介のM23(1890).12.__付け新潟県令甲第86号M24.2.__付け新潟県令甲第17号、及びM24.2.__付け新潟県告示第17号を確認しました。ご指摘のとおり、一度取り消されていることを確認し、M24(1891).2.__付け改称と判断し、修正しました

■M34(1901).11.1付け新潟県古志郡下塩谷村 新設合併の合併前町村名について 五日市村 or 五日町村
「総覧」・・・五日町村
「幕末以降総覧」・・・五日町村
「便覧」・・・五日町村
「辞典」・・・五日町村
これは単なる入力誤りのようです。五日町村に修正しました

■石川県(能美郡→石川郡)しらみねむらの表記について 白峯村 or 白峰村
「総覧」・・・M22(1889).4.1は白峰村、S24(1949).6.1は白峯村
「幕末以降総覧」・・・M22(1889).4.1、S24(1949).6.1とも一貫して白峰村
「便覧」・・・白峰村
「辞典」・・・白峰村
「新版 漢字源」(1999年4月1日改訂新版第6刷、学習研究社)によると、「峰」(JIS区点コード4286、JIS16進コード4A76)の異体字として、「峯」(JIS区点コード4287、JIS16進コード4A77)が挙げられています。「島」「嶋」の関係と同じです。
このため、明白に「峯から峰への改称」が判明せず、また、「峰」が常用漢字でもあることから、むっくんさんの言及にもあった拙稿[67802]と同様に自動的に置き換えたと判断し、[56275]拙稿で提案させていただいた旧字体の例に倣い、ご紹介のあったM22(1889).3.8付け石川県令第23号の「白峯村」の表記にかかわらず、M22(1889).4.1時点から「白峰村」と表記することとします。よって、S24(1949).6.1付けの能美郡から石川郡への郡変更を「白『峰』村」と修正しました

■山梨県南巨摩郡増穂村からの南巨摩郡穂積村の分立年月日について M25(1892).4.1 or M25(1892).3.31
■山梨県南都留郡西湖村からの南都留郡長浜村の分立年月日について M25(1892).4.1 or M25(1892).3.31
■山梨県東八代郡黒駒村の新設合併年月日について M25(1892).4.1 or M25(1892).3.31
■同 合併前町村名について 「東八代郡下黒駒村,上黒駒村,藤野木村」 or 「東八代郡上黒駒村,藤野木村」
「総覧」・・・3件ともM25(1892).4.1(下黒駒村記述あり)
「幕末以降総覧」・・・3件ともM25(1892).4.1(下黒駒村記述あり)
「便覧」・・・3件ともM25(1892).4.1(下黒駒村記述あり)
「辞典」・・・南巨摩郡穂積村分立M25.4.1、南都留郡長浜村分立M25.3.29(M25.4.1)、東八代郡黒駒村新設合併M25.4.1(下黒駒村記述あり)
ご紹介のM25(1892).3.31付け山梨県告示第34号に従い、M25(1892).3.31付け分立・新設合併と判断し、修正しました(南巨摩郡穂積村南都留郡長浜村、(東八代郡黒駒村)。
なお、下黒駒村の取扱いについては、ご紹介の各資料の記載内容により、ご推察のとおり、M25(1892).3.31付け山梨県告示第34号が下黒駒村の記載が遺漏しているだけと私も判断し、そのままとしております。

■長野県西筑摩郡福島村→福島村の町制施行年月日 M26(1893).6.30 or M26(1893).5.27
「総覧」・・・M26(1893).5.27
「幕末以降総覧」・・・S26.5.27(元号のみ誤記とするとM26(1893).5.27)
「便覧」・・・M26(1893).5.27
「辞典」・・・M26.5.27
これは単なる入力誤りのようです。ご紹介のM26(1893).5.27付け長野県告示第56号もあり、修正しました

続きます。


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