↑は「夕」と「タ」を使い分けているのですが、判別できますか? 前回の「日」 or 「曰」よりは見やすそう・・・・。
引用する文献を、その都度正確に表記するのも見苦しく字数ばかりかかるので、ここで一度まとめます。今後、基本的にはこの記事番号を引用します。(時々はフルに文献名を書きます。)
略称 | 正式名称等 |
「総覧」 | 「全訂 全国市町村名変遷総覧」(1991年8月、自治省行政局振興課監修、日本加除出版) |
「幕末以降総覧」 | 「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版(1,2)(別冊)」 |
(1,2)(別冊) | (2000年9月、西川治監修、太田孝編著、東洋書林) |
「辞典」 | 「市町村名変遷辞典 三訂版」(2003年8月(3版)、地名情報資料室編、楠原佑介責任編集、東京堂出版) |
「消えた辞典」 | 「消えた市町村名辞典」(2000年9月、地名情報資料室編、楠原佑介責任編集、東京堂出版) |
「便覧」 | 「旧市町村名便覧」(1999年4月、日本加除出版株式会社出版部編、日本加除出版) |
その1 埼玉県の分立・分割について
[55656] hmt さん
旧町村民に 戦時合併からの離脱自決権 を認めた臨時措置
鳩ヶ谷町
総理府告示は、埼玉県知事からの届出を告示しているのに、準拠法も区域も埼玉県告示 から変わっているのですね。
県告示(1950/10/11)の段階では誤っていたものを、地方自治庁に指摘され、届出を修正したのでしょうか。
それとも県告示と国への届出とは「別の手続き」であり、準拠法も区域も異なったままで正しいのか?
埼玉県告示では
地方自治法の一部を改正する法律(昭和25年法律第143号)附則第6項の規定により
となっていましたが、
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地方自治法の一部を改正する法律(昭和二十五年五月四日法律第百四十三号)
附則
6 第七十六條第四項中「その総数の三分の一の数に」の下に、「、第七十四條の二乃至第七十四條の四の規定は、同項の規定による請求者の署名に」を加える。
(項番号がないので引用者が補記、また、条はなく項のみの法律です。)
――――――――――――――――――――――――――――――
第74条の2~第74条の4は、署名の有効数等の規定を同じ法律で追加したものですから、単に署名の数だけの条文で埼玉県では誤って告示してしまい、総理府告示で補正したものと思われます。
さて、引用していただいた昭和23年改正法の附則第二條。
>簡単に翻訳すると、
>「戦前・戦中にいやいや合併したところは、今なら簡単な手続きでもとの市町村に戻れます」ということでしょう。
(↑この段、88分の再引用(引用者注))
とありますが、これは誤解ではないでしょうか。
私の文章表現不足で申し訳ありません。
「拡大後の大きな自治体の住民」ではなく、附則第2条第1項で『その変更に係る区域の住民』とあるように、「元の自治体の住民」の意思でということを「簡単な手続き」と言う表現で端折りました。
市町村の廃置分合、境界変更をする主体は 住民 であるということが、「住民」を主語とする文章によって明確に示されています。
「民主主義」という言葉が高らかに謳われた時代です。
あくまでも、手続きを簡単にした規定ではなく、合併した自治体内で少数派になった旧町村民の自決権を認めた臨時措置であることを御認識願います。
「住民」と言う言葉ですが、旧自治体も、その長も議会も存在しないのですから、「住民」という言葉しかないのでしょう。もっとも、本則であれば「新自治体全体での意思」というのが成立したばかりの地方自治法の本旨でしょう。しかし、強制合併とも言われる経緯が経緯だけに、戦前・戦中の市町村の旧来への復帰を認めた経過措置的な特例でしょう(企業も従前のように分割された時期ですし)。なお、
――――――――――――――――――――――――――――――
附則
第二條
5 第三項の投票において有効投票の過半数の同意があつたときは、委員会の報告に基き、都道府縣知事は、当該都道府縣の議会の議決を経て市町村の廃置分合又は境界変更を定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――
とあるように、決定権は都道府県知事にあるところは、従来どおりの「市制町村制」時代を踏襲したのでしょうか?
地方自治法第7条では総理府告示(当時)で効力が発生するのですから。
浦和に行く機会が少ないもので…。近場でどの程度のことがわかるかな?
わかる範囲で、また何かの折で結構です。私もまだまだ整理が追いついていませんので・・・。
その2 北海道の分立・分割について
[55667] 紅葉橋律乃介 さん
調査費30円なり
早速ありがとうございました(経費までかけていただいて・・・)。
で、私の書き方が不十分だったのですが、
官報情報検索サービスで、戦後(正確には1947(S22)年5月3日以降)の総理府等の告示は私で調査可能です。申し訳ありません。これ以前のものは、官報の紙(マイクロフィルム)や、各都道府県告示を調べるしかない、ということです。
分かりやすい例と言うことで、昭和23年4月1日付の「佐呂間町・若佐村」(分割設定)と、昭和27年8月1日付の「安平村・追分村」(分立)を北海道告示を抜き出してみましょう。
これらは、
官報情報検索サービスでは、次のとおりです。
――――――――――――――――――――――――――――――
● 総理廳告示 第八十号
村の廃置分合
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十三年四月一日から、北海道常呂郡佐呂間村の一部を分けて、あらたに若佐村を置き、その境界を次の通りとする旨、北海道知事から届出があつた。
昭和二十三年五月五日
内閣総理大臣 芦田 均
(「次の通り」は引用者略)
● 総理府告示 第二百十号
村の廃置分合
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十七年八月一日から、北海道勇払郡安平村のうち次の区域を分け、その区域をもつて追分村を置く旨、北海道知事から届出があつた。
昭和二十七年九月十一日
内閣総理大臣 吉田 茂
(「次の区域」は引用者略)
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このとおり、総理庁・総理府告示では、両方とも明らかに「分立」です。「分割」ではありません。北海道告示とは表現が異なります。
ところが、明らかな違いがあります。
佐呂間町の町長は、まず昭和22年4月の統一地方選で選出されたのち、改めて23年4月1日より4年間の任期を務めています。つまり、一旦3月31日で「佐呂間町」はリセットされ、若佐村と分かれたあと、改めて設置されたものと解釈できます(設置選挙は? という疑問がありますが)。
一方で『早来町史』(安平村は分村後「早来」へ改称)を読むと、早来村長の任期は分村後も途切れることなく続いています。つまり、早来から「追分村」が出て行った、と解釈できます。
町村長の任期との整合では、安平村の方は一致するのですが、佐呂間村は一致しません。佐呂間村長が辞職か何かして、再び選挙を行った、と言う理屈は考えられます。
また、
[55654] 拙稿でも書いたように、「辞典」を確認すると(これも「今頃」なのですが)、「若佐村」「追分村」はやはり分立で、総理庁・総理府告示と一致しました。よって、
若佐村、
追分村とも「分立」で処理させていただきます。
でも、やはり気になるのは、「市制町村制」時代の「分立」 or 「分割」です。しかも、北海道は一級町村制・二級町村制ですから、他の地域とはさらに異なるルールかも。一番間違いないのはやはり「北海道告示」でしょう。
「総覧」には、「分村により一級町村制を施行した村名」なる記載があります。例えばT8(1919).4.1に紋別郡上湧別村が上湧別村と遠軽村に分かれた際に、遠軽村がこの「分村により一級町村制を施行した村名」として挙げられています。つまり、上湧別村は『当然のこととして』一級町村制です。これも、「総覧」の本文では「分割設定」の表現なのですが、やはり「『分割』となっているが実は『分立』」と解釈するのが正答かもしれません。「辞典」も、「分割」でなく「分立」でした。このため、
遠軽村は分立としてとりあえず変更して処理しました。
「分立」「分割」に限っては、資料の優先順位を、
(1)総理府等の告示
(2)「辞典」
(3)「総覧」
にしようかと思います(従来は、「辞典」よりも「総覧」を一次資料にし、適宜総理府等の告示で補足していました。一致しなければもちろん告示優先。)。「市制町村制」時代は市以外は国の告示ではなく、都道府県告示しかないということですので(
[55276] Issieさん)、(1)を都道府県告示と読み替えます。
なお、これは当面の話であり、もちろん有力な資料があればそれに従います(やはり特に戦前の都道府県告示を確認したい)。また、この優先順位は「分立」「分割」限定としておきます(「辞典」は、「分立」「分割」に関しては法人格の継続をよく抑えた表現のようですので)。
今後、当面、「辞典」を確認の上、「辞典」に沿って順次当面処理しようと思います。
その3 「下夕村」 or 「下タ村」について
[55663]白桃 さん
富山県上新川郡に標記の村があり、「シタムラ」と読んでいたようですが、そうなると、「タ」は夕方の「夕」ではなく、カタカナの「タ」だったのですかね?
すでに皆様からのレスもありますが、私の手持ち資料5点(冒頭のもの)及び
官報情報検索サービスの告示を再確認しました。すべて、明白に「夕(ゆう)」ではなく「タ(た)」でした。よって、
修正しました。ありがとうございました。
毎度ながら、長文で失礼しました。