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hmtさんの記事が5件見つかりました

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[92745] 2017年 3月 14日(火)16:32:28【1】hmt さん
洛北の「大原村」 琵琶湖との分水嶺は 府県境からずれて大字境界
[92744] ペーロケさん
逆に、琵琶湖集水域が全て滋賀県とも限らないのですよね。このあたりは京都府ですが、琵琶湖集水域でもあります。

地形図 を見ると、京都府左京区の久多川は東の滋賀県に入って安曇(あど)川に合流し、比良山地の西にある朽木谷を北流し、高島市の大きな三角州から琵琶湖に注いでいます。

変遷情報 を見ると1949年(昭和24)に 愛宕郡八瀬村・大原村・鞍馬村など8村が京都市に編入されています。この内の7村は左京区であり、その末尾に久多村が見えます。

地形図をスクロールすると、約10km南に大原百井町があります。
ここも京都市ですが、百井川も久多川と同様に安曇川に合流します。
そして前記7村の内 「明治22年 大原村」の前身には 百井村の名がありました。

大原と言えば洛北の有名地ですが、その付近を流れる高野川の水系は鴨川>桂川を経て淀川に合流します。
「明治22年 大原村」の中で、分水嶺(百井峠)の北にあった一部【旧・百井村】だけの降水が 琵琶湖へと注いでいたようです。

大原地区にある分水嶺の両側の百井川と高野川。最終的には 共に淀川水系ですが、前者は安曇川>琵琶湖>宇治川経由、後者は鴨川>桂川経由であり、合流するのはずっと先です。分水嶺の地位は、京都府と滋賀県との境界と一致しないだけでなく、京都府愛宕郡大原村内の「大字境界」というレベルにまで下っていました。

裏付ける史実を調べたわけでもなく、単なる推測ですが、[92744]で示された関西の特徴
歴史が古いためか、為政者の経済力やら地位などで、「峠の向こうも領有」なんて事が多かった名残で、都道府県境が分水嶺と一致しない所が多いのかなと推察します。
これを示す実例かもしれないと思われたので、参考までにフォローしてみました。

【1】修正と共にタイトル変更
[92743] 2017年 3月 12日(日)18:10:35hmt さん
国立公園(2)国立公園の名称変更
[92742] で言及した一覧表の作成に着手しました。最初に気になったのが 国立公園名の変更 です。

国立公園の最初に改称例は 1955/3/15で、富士箱根国立公園の伊豆半島地域への拡張による「富士箱根伊豆国立公園」への変更でした。
国立公園の場合は この方式が前例として定着してしまったのですが、さすがに三連称名はいかにも長すぎ、しばらくの後続改称は二連称名でした。
1956/7/10 十和田八幡平国立公園、1956/7/20 雲仙天草国立公園、1963/4/10 大山隠岐国立公園、一つ飛んで 1986/9/10 阿蘇くじゅう国立公園、2007/8/1 西表石垣国立公園、そして 2013/5/24 三陸復興国立公園。

1964/3/16に 霧島国立公園が 屋久島地域と錦江湾国定公園とを編入しましたが、新名称は「霧島屋久国立公園」で、鹿児島県の地名三連称となる「霧島屋久錦江湾国立公園」は実現しませんでした。
錦江湾は島津家久の歌に由来する鹿児島湾の別名で、「鹿児島県民のほとんどは、錦江湾と呼んでいる。」そうです(Wikipedia)。

この愛着ある「錦江湾」が、思わぬ展開で復活したのは、48年後でした。
世界自然遺産に登録(1993)された屋久島が 独立した国立公園として分離することになり、いわば「名称の空席」ができたのです。このようにして 2012/3/16に三度目の名称である「霧島錦江湾国立公園」が実現し、同時に錦江湾北部・姶良カルデラ関係の国立公園拡張も行なわれました。

ついでに記すと、3月16日というのは 国立公園指定記念日です。遡れば 1934/3/16に瀬戸内海・雲仙・霧島の3ヶ所が最初に国立公園として指定された日だったのでした。[34551]地球人さん

ここまでは、国立公園の指定地域変更と名称とを合致させようとする動きとして理解することができます。
でも、[92742]で記したように、国立公園地域の一部が陸前に及んでも「陸中海岸」で済ませている例もありました。

名称が地域の全体をカバーしていない代表例は「秩父多摩国立公園」でした。
首都圏に近い関東山地にあるこの国立公園は、火山国の日本では珍しい 水成岩の岩塊 を主としており、埼玉県の「秩父」・東京都の「多摩」という地名により代表されていました。

国立公園面積の37%を占める山梨県(東京都28%,埼玉県27%,長野県8%)からは 1987年頃から働きかけがあったようですが、2000/8/10 三連称の「秩父多摩甲斐国立公園」への改称が実現しました。
東京湾に注ぐ秩父と多摩だけでなく、駿河湾に注ぐ川を持つ甲斐が、山地トリオの一角に加えられたのでした。
[92742] 2017年 3月 11日(土)14:57:16【1】hmt さん
国立公園(1)三陸復興国立公園
[92739] k-ace さん 奄美群島国立公園
[92740] Takashi さん
日本で5番目の 世界自然遺産登録(2018年夏) を目指す「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の推薦書は、2017/2/1に 日本政府からユネスコに提出、受理されました。朝日デジタル
今回の「奄美群島国立公園」誕生は、「やんばる国立公園」[90614]に続いて、この世界自然遺産登録を見据えたものなのでしょう。

但し、国立公園と世界遺産とは目的が違うため、両者が相容れない事例もあります。
[79238] hmt
1972年に小笠原国立公園が指定された時には、南硫黄島も入っていましたが、1975年に国立公園区域から除外。
なぜ? それは、自然公園法に基づく国立公園が「自然環境の保護」と同時に「利用増進を図ること」を目的としているからです。南硫黄島の「手つかずの自然」を保護するには、これでは不十分。

なお やんばる国立公園 は、ピーくん さんの記事の3ヶ月後、2016/9/15に指定されました。
ヤンバルクイナやヤンバルテナガコガネで知られるヤンバルには 「山原」という字が使われており、沖縄本島北部、山が連なり森が広がる地域です。

それはさておき、今日は 大地震と津波のあった 2011/3/11 から6年を経過した記念日です。

国立公園と言えば、リアス式海岸で知られた 陸中海岸国立公園 があった…
と考えているうちに、「三陸復興国立公園」という名に変っていることに気がつきました。

落書き帳過去記事にも登場していない。これはまずい。…というわけで、少し書きます。
環境省の 国立公園一覧 の東北地区を開くと、次の記述。

戦後の1955年に指定された「陸中海岸国立公園」が、大地震津波の2年後 2013年に区域を拡張して「三陸復興国立公園」に改名。陸域面積 28537haで、青森・岩手・宮城の3県にまたがる。

なるほど、区域が拡張されて「陸中海岸」という名が不適当になったわけか。
Wikipediaにも同様の記載があるが、「面積は12,212 ha」とあり、大幅に違う。

そこで環境省のページに戻って、概要・計画書を見ると、陸域公園面積(ha)は 宮城県 14882、岩手県 11232、青森県 2423 合計 28537ha。

計画変更などの経緯という項目があり、昭和30年の公園指定から平成27年までの要点がわかりました。
昭和39年:陸中国南端の釜石市大根崎から南の宮城県気仙沼市(陸前国)まで公園区域が拡張されているが、まだ陸奥国に及んでいないので「三陸」を使わずに済ませていたようです。
平成25年:青森県蕪島など(陸奥国)の拡張あり、公園名称変更。

そして、面積への影響が大きかったのは平成27年の拡張でした。
平成27年:宮城県内牡鹿半島など区域拡張。これは南三陸金華山国定公園(139km2)を編入したもので、これにより三陸復興国立公園の面積は大きく広がり、宮城県区域が最大になりました。
Wikipediaに記されていたのは2012年(陸中海岸時代)の面積のまま未修正だったのでした。

国立公園の区域拡張による名称変更はずっと前からあります。
みやこ♂さんの記事がある 尾瀬のような国立公園分割事例 も見逃すことができません。

この記事は、とりあえず 三陸復興国立公園 についてのみ記しましたが、記事検索してみると、霧島錦江湾国立公園など近年名称変更された国立公園も登場していません。
今回の記事で概ね理解できた調査手法を用いて、全国の国立公園について、簡単な変遷履歴を含めた一覧表を作っておきたいと思っています。

ずっと昔のことになりますが、[23882] グリグリさん に記されている構想にも沿ったものであろうと思います。
こちらも構想がありまして、どちらかというと「都道府県プロフィール」のメニューにしようかと思っていました。日本三景、日本三名園、国立公園、国定公園、世界遺産、島、湖沼、など基本情報に加え、百名山、滝百選、など。えい、時間よ止まれ!

【1】シリーズ化に伴い、タイトル変更
[92736] 2017年 3月 7日(火)15:45:59hmt さん
高島市今津町天増川(あますがわ)
[92735] スナフキん さん
滋賀県全域が淀川水系とは限らない

このことは私も初めて知りました。具体的な地名を知るために平凡社の地図帳を開いて確認。
今津から小浜に通じる国道303号が県境を越える手前付近に「天増川」という集落が記されていました。

地理院地図をスクロールして 少し北(上流)に移動すると、河川名の「天増川」も確認できました。
南から合流する寒風川の谷と合わせて南北に長い谷ですが、滋賀県内で合流する3本の川【東の水坂峠からの流れもある】の何れが「北川」の本流であるかは判断できませんでした。

高島市で「北川」と言えば、琵琶湖に注ぐ安曇川(あどがわ)水系の川もあります。例えば 北川ダム
滋賀県内では、この北川の方が知られているのではないか? などと余計なことを考えてしまいました。

滋賀県の大部分は 琵琶湖→淀川水系。
しかし 北西部の北川水系だけでなく、東には木曽川水系もある とのこと[5119]
伊吹山南麓の米原市藤川付近で降った雨は、藤古川>牧田川>揖斐川を経て伊勢湾に注ぐようです。
[92734] 2017年 3月 5日(日)22:29:59hmt さん
都道府県の歌 市区町村の歌
先日、都道府県市区町村の歌に関するテレビ番組を見ました。
それによると、各地の自治体が制定している歌は 400を超えるとのことです。

話の発端は 和歌山県民歌の歌詞で、『和歌山は常春の国』『南国』『黒潮』と紀南のイメージが強い。これでは、橋本や高野山など冬が寒い紀北を連想しにくいという批判が県議会であったそうです。和歌山放送

県歌・県民歌はどの程度に存在するのか? 番組によると、47都道府県中の 42 が公式に制定しているとか。
でも、自分の居住地や出身地の県歌を知っていますか?
落書き帳メンバーの反応を見ても、あまり定着していないという印象です。[50696]の末尾[68694][68724][89539]
「なぜか千葉県民歌は知っています。」という方も。[68727]

そんな中で、学校教育などを通じて 全県民?の愛唱歌として定着しているように思われるのが、長野県歌「信濃の国」です。
この歌は もともと長野師範学校の校歌だったそうです[2751]。落書き帳にも度々登場しています。

信濃国=信州は 律令時代から存在した旧国の名称ですが、明治前期に作られた新しい地方制度では、これを一体とする行政区画になっていませんでした。1871年の3府72県時代には、信濃国北部は長野県でしたが、信濃国南部は飛騨国と共に「筑摩県」【県庁所在地:松本】を構成していました

現在では 「長野県」の ほぼ同義語のように使われている一体感のある地域「信濃の国」。この関係が生まれたのは、1876年(明治9年)8月に行なわれた 県の廃合・管轄替です。
この時に筑摩県は廃止になり、飛騨国は岐阜県へ、そして信濃国の南部は長野県と合併になりました。

松本が県庁を失った きっかけは、1876年6月の火災による筑摩県庁舎焼失と考えられています。
その結果の統合で成立した長野県ですが、70余年後の戦後間もない 1948年(昭和23年)1月、県庁別館が焼失。

これを機会に、松本側のかねての主張である 分県論が活発になり、定例県議会は大混乱になりました。
両派の攻防はあったものの、上程された分県意見書案は法定得票数に達せずということで決着。

県議会の記録の他に、当時駆け出しだったという県政記者の記録をリンクしておきます。
そのタイトルは 「分県」を救った『信濃の国』とされています。

上記採決で分県阻止派の巧妙な作戦が成功した後のこと
「信濃の国は、十州に、境連ぬる国にして・・」と『信濃の国』の歌の大合唱がまきおこった。議場の傍聴席にも伝播して「信濃の国」が議場にこだました。(中略)感激のシーンに、県議会はまた一つになった。

「県歌が長野県を分県の危機から救った」というよりも、[89539]で紹介されているように、「県歌で有耶無耶にした様な話」なのですが、互いに力を尽くした攻防の後、県歌の大合唱で仲直りできた…という感激の一幕だったようです。

所さんの番組では具体的な紹介がなかったものの、秋田県民歌も大作のようで、戦前から「三大県民歌」の1曲と称されていたようです。参考

市町村の歌も多数あるようです。

過去記事を検索して拾ったもの。
森鴎外作詞という 横浜市歌
英タイトル・英歌詞入りとはユニークな座間市[59067]
[35055]、習志野・相模原[50696][68730]、金沢[68720]、町田[68731]、茨城県13市[77019]など 。
私も今はなき「東京市歌」の冒頭を[74320]のタイトルに使ったことがあります。

所さんの番組を締めくくったのは、長~~~~い超大作。
全部演奏したら40分という 叙事詩・交響組曲「伊万里讃歌」でした。
伊万里合唱団>伊万里の歌の3番目に、縄文時代から現代まで8章からなる壮大な叙事詩の一部が紹介されていました。


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