[5127]実は小学生さん
>その掛川城も東海大地震でドカドカーッって崩れてしまわないか
>最近、とても不安です・・・。
そうですか。逆に考えれば、そういったことが起こると惜しいと感じられるほど素晴らしいお城なのでしょうね。是非行ってみたいですね。
それはそうと、太田市はある意味では「城下町」です。それは・・・、富士重工業の「企業城下町」。町の経済のかなりの部分が、この自動車メーカーの主要工場が立地することにより潤っています。「太田市スバル町」なんて町名もできてしまいました。
みなさん、もっとスバル車買ってくださいね~。
>ところで、群馬県で思うことをいくつか挙げます。鉄道ネタですが。
>◎両毛線ってなんであんなにくねくねしてるの?
作られた当時の目的のためですね。1889(明治22)年に両毛線は全通したのですが(山手線が一周完成するのより早かったのです)、両毛線の役割は、当時日本の主要輸出品であった生糸や絹織物を横浜港へ効率よく運ぶことでした。ですので、伊勢崎、桐生、足利、佐野などの、機業(織物を織る産業のことです)の盛んな都市を結ぶ格好になりました。群馬県の冬の風物詩「上毛かるた」の「ま」の札を紹介いたします。
繭と生糸は日本一(最近斜陽化の一途ですが)
>◎東武伊勢崎線、館林-太田間は足利へ北上、また南下していて、なんかやだ・・・
>東武小泉線の方がまっすぐで好き!
そうですね。私も、特急りょうもう号で北千住や浅草に向かうとき、足利を通るのが遠回りであるように感じることがあります。
これは、やはり両毛地域の諸都市を結んでいくという発想があったためでしょうね。いまでこそ太田市と足利市は似たような人口規模ですが、足利市(隣の桐生市も)の市制施行は1921(大正10)年と早く、東武線は1925年までには完成しますが、この当時足利や桐生はこの地域ではずば抜けた中心性を持つ都市だったのです。
また、小泉線ですが、こちらは太田と小泉に勃興した軍需産業との関連がありそうですね。現在の大泉町には東京三洋電機の大工場がありますが、かつては太田市の富士重工業の工場敷地などとともに、「中島飛行機」という、軍用の飛行機を作る工場でした(その中島飛行機は戦後解体され、今の富士重工業に発展したのです)。そういった工業地帯を結ぶ動脈として作られたのではないかと私は考えますね。
>◎東武小泉線は東小泉で分かれてるけどなんで?
熊谷市から北の妻沼町まで、「東武熊谷線」という電車があったのを知ってますか。この路線と小泉線の支線を結び、利根川を渡る新線を作る計画があったのです。このことについては、雑魚さんをはじめ鉄な方々の方がお詳しいと思いますので、詳細は省きますが、結局実現を見ることはなく、熊谷線は廃止されてしまいました。利根川には橋げたまで完成していたのです。今は完全に撤去されてしまいましたが。なお、西小泉駅より利根川に向かって、路線とすべく整備された線路があったそうなのですが、今では「いずみ緑道」という散策ルートに変わっています。
>◎大泉って小泉と大川の合成地名だと思うけど、小泉町でもよかったんじゃない?
>大川って村だし。それに東武小泉線もあるし、駅名も全部小泉ってついてるし。
確かに町の名前が「大泉」で、駅名は「小泉」とは、紛らわしいですよね。とはいえ、町であろうと村であろうと自治体に違いないのだから、村だから名前を残せないというのはちょっと飛躍したご意見ではないでしょうか?大泉町発足の時の様子を私は知る由もありませんが、両町村が合併するにあたり、対等合併という意味を含めて、今の名前を選択したのでしょう。現在の大泉町は人口4万を超え、製造業の発達により財政力も豊かで、県内唯一の交付税を受けない自治体です。また、都市化も進み、小泉町と大川村がどのあたりで境を接していたのかは、今では全く想像できません。
>◎前橋と高崎って合併しないの?でも岡山と倉敷と同じように合併しなさそう。
私も前橋と高崎は合併しないと思うし、この2都市が並立して県央地域を作る姿こそが群馬の地域性なのだと思っています。
前橋と高崎については、拙書き込み
[3396][3365][3357][2768]で書いていますので、こちらを参照してくださいね。