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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

企業城下町を訪ねて

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記事数=16件/更新日:2006年2月19日/編集者:special-week

地域から発展した企業。その地を本拠地として、着々と業績を伸ばし、各界の代表として君臨する企業がある。その企業の工場や営業所などを一手に引き受けているのが企業城下町である。企業城下町は、その企業から受ける恩恵も多大であるが、逆にそのイメージから脱却しにくいという面も併せ持つ。日本各地の企業城下町を訪ねてみよう。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1118]2002年3月16日
miki
[2823]2002年8月29日
深海魚
[5137]2002年11月20日
YSK
[6502]2002年12月15日
いな
[6510]2002年12月16日
Issie
[6516]2002年12月16日
深海魚
[6517]2002年12月16日
YSK
[6519]2002年12月16日
白桃
[6545]2002年12月16日
いな
[6546]2002年12月16日
special-week
[6557]2002年12月17日
夜鳴き寿司屋
[6583]2002年12月17日
黒髪
[7106]2002年12月29日
深海魚
[7688]2003年1月14日
ケン(地理好き)
[9574]2003年2月21日
三丁目
[22191]2003年11月22日
Issie

[1118] 2002年 3月 16日(土)21:26:23miki さん
>1117
広島市に囲まれた広島県の府中町がそうですね。
あそこはマツダの企業城下町ですからね。
[2823] 2002年 8月 29日(木)17:56:56深海魚[雑魚] さん
北九州
[2821]
私の場合、北九州市というと、新日鉄の企業城下町であり、かつての一大炭田だった
筑豊地区への入口という印象がありますね。そうした高度経済成長期を支えた産業が
落ち着いた現在、比較的近接する福岡市が、県のみならず九州の中心としての地位を
高める傍ら、県都ではない事もあって、求心性を打ち出しにくくなった事の結果では
ないかと考えます。日豊線や長崎・佐世保線の特急が、現在は基本的に博多を始発と
しているのも、その表れではないかな。

合併前の旧自治体の陣容を見ると、市は福岡より北九州の方が多い様に感じますが、
どんなものでしょうか。
[5137] 2002年 11月 20日(水)21:46:52YSK さん
群馬の謎に迫る(足利市は栃木県ですが・・・)
[5127]実は小学生さん
>その掛川城も東海大地震でドカドカーッって崩れてしまわないか
>最近、とても不安です・・・。
そうですか。逆に考えれば、そういったことが起こると惜しいと感じられるほど素晴らしいお城なのでしょうね。是非行ってみたいですね。
それはそうと、太田市はある意味では「城下町」です。それは・・・、富士重工業の「企業城下町」。町の経済のかなりの部分が、この自動車メーカーの主要工場が立地することにより潤っています。「太田市スバル町」なんて町名もできてしまいました。
みなさん、もっとスバル車買ってくださいね~。

>ところで、群馬県で思うことをいくつか挙げます。鉄道ネタですが。

>◎両毛線ってなんであんなにくねくねしてるの?
作られた当時の目的のためですね。1889(明治22)年に両毛線は全通したのですが(山手線が一周完成するのより早かったのです)、両毛線の役割は、当時日本の主要輸出品であった生糸や絹織物を横浜港へ効率よく運ぶことでした。ですので、伊勢崎、桐生、足利、佐野などの、機業(織物を織る産業のことです)の盛んな都市を結ぶ格好になりました。群馬県の冬の風物詩「上毛かるた」の「ま」の札を紹介いたします。

繭と生糸は日本一(最近斜陽化の一途ですが)

>◎東武伊勢崎線、館林-太田間は足利へ北上、また南下していて、なんかやだ・・・
>東武小泉線の方がまっすぐで好き!
そうですね。私も、特急りょうもう号で北千住や浅草に向かうとき、足利を通るのが遠回りであるように感じることがあります。
これは、やはり両毛地域の諸都市を結んでいくという発想があったためでしょうね。いまでこそ太田市と足利市は似たような人口規模ですが、足利市(隣の桐生市も)の市制施行は1921(大正10)年と早く、東武線は1925年までには完成しますが、この当時足利や桐生はこの地域ではずば抜けた中心性を持つ都市だったのです。
また、小泉線ですが、こちらは太田と小泉に勃興した軍需産業との関連がありそうですね。現在の大泉町には東京三洋電機の大工場がありますが、かつては太田市の富士重工業の工場敷地などとともに、「中島飛行機」という、軍用の飛行機を作る工場でした(その中島飛行機は戦後解体され、今の富士重工業に発展したのです)。そういった工業地帯を結ぶ動脈として作られたのではないかと私は考えますね。

>◎東武小泉線は東小泉で分かれてるけどなんで?
熊谷市から北の妻沼町まで、「東武熊谷線」という電車があったのを知ってますか。この路線と小泉線の支線を結び、利根川を渡る新線を作る計画があったのです。このことについては、雑魚さんをはじめ鉄な方々の方がお詳しいと思いますので、詳細は省きますが、結局実現を見ることはなく、熊谷線は廃止されてしまいました。利根川には橋げたまで完成していたのです。今は完全に撤去されてしまいましたが。なお、西小泉駅より利根川に向かって、路線とすべく整備された線路があったそうなのですが、今では「いずみ緑道」という散策ルートに変わっています。

>◎大泉って小泉と大川の合成地名だと思うけど、小泉町でもよかったんじゃない?
>大川って村だし。それに東武小泉線もあるし、駅名も全部小泉ってついてるし。
確かに町の名前が「大泉」で、駅名は「小泉」とは、紛らわしいですよね。とはいえ、町であろうと村であろうと自治体に違いないのだから、村だから名前を残せないというのはちょっと飛躍したご意見ではないでしょうか?大泉町発足の時の様子を私は知る由もありませんが、両町村が合併するにあたり、対等合併という意味を含めて、今の名前を選択したのでしょう。現在の大泉町は人口4万を超え、製造業の発達により財政力も豊かで、県内唯一の交付税を受けない自治体です。また、都市化も進み、小泉町と大川村がどのあたりで境を接していたのかは、今では全く想像できません。

>◎前橋と高崎って合併しないの?でも岡山と倉敷と同じように合併しなさそう。
私も前橋と高崎は合併しないと思うし、この2都市が並立して県央地域を作る姿こそが群馬の地域性なのだと思っています。
前橋と高崎については、拙書き込み[3396][3365][3357][2768]で書いていますので、こちらを参照してくださいね。
[6502] 2002年 12月 15日(日)23:12:01いな さん
協力依頼;企業城下町について調べたい・・・
皆さんの知識を借りて、いわゆる「企業城下町」を調べ上げたいと思いますので、ご協力お願いします。

市町村名企業名その製品コメント(その理由)時期(最隆盛期)
豊田市トヨタ自動車自動車挙母市から市名変更してまで・・・2002現在
こんな感じで、表を作っていきたいと思います。

産業によっては、隆盛期を過ぎているものもありますが、かつての栄光を呼び覚ます意味でも残したい。
企業名単位でのものになるようにしたい(業種名ではない)

お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いします。
[6510] 2002年 12月 16日(月)01:00:11Issie さん
企業城下町:野田
本当は「企業城下町」とする基準をきちんと定義しておいたほうがいいのですが,とりあえず大雑把に扱っちゃいましょうか。
こんなのはいかが?

市町村名企業名その製品コメント時期(最隆盛時)
野田市キッコーマン醤油野田市駅のまわりは醤油工場

今や東京のベッドタウンですから,人口に対するキッコーマン関係者の比率は高くなくなっているでしょうが,市政などに対する影響力は今も結構強いようです。
「醤油」という需要の安定した食品を生産する企業ですから,いつが隆盛期なのか…。

一応,お約束の定番も挙げときますね。

市町村名企業名その製品コメント時期(最隆盛時)
水俣市チッソ肥料足尾と並ぶ公害の原点戦前?

[6508] 夜鳴き寿司屋 さん
>また福山市のある大きな道路は通称「鋼管通」ともいいます。

NKKの製鉄所は川崎にもあって,「鋼管通」も同じく存在します。ただし,こちらは“道路の通称”としてだけではなく,川崎区内の行政上の“町名”として。

関東で「川崎製鉄」の製鉄所があるのは川崎ではなくて千葉ですね,ややこしいことに。
だいぶ薄まってしまったけど,千葉市にとって工業都市化への第一歩は川鉄の進出でした。「お殿様」というほどの存在ではないけれど,千葉市産業界での川鉄の存在感は大きなものがあったかもしれません。鉄鋼業界そのものと同様,今はだいぶ縮小していますけどね。
[6516] 2002年 12月 16日(月)09:48:40深海魚[雑魚] さん
企業城下町
[6510] Issieさん
「企業城下町」 これも調べ始めると際限無く奥の深い内容かも知れませんね。域内経済における
依存度などを勘案して定義付ける事は困難ですが、思いつくままに挙げると、こんなところですか。
現況については委細承知しておりませんが。

釜石新日本製鉄
ひたちなか および日立日立製作所
鹿嶋および神栖住友金属工業
日光および足尾古河電工
太田および大泉富士重工
豊田トヨタ自動車
倉敷川崎製鉄
新居浜住友鉱山
北九州新日本製鉄
佐世保佐世保重工
長崎および香焼三菱重工
[6517] 2002年 12月 16日(月)10:46:01YSK さん
群馬県大泉町
[6516]雑魚さん
企業城下町についてですが、
大泉町は、どちらかというと三洋電機の町のような気がしますね。
同社における、東日本最大クラスの生産拠点があり、その経済力により、大泉町は交付税不交付団体になっているといっても過言でない状況です。
ただ、近々生産部門が撤退し、配送部門のみが残るという話もあるようです。
[6519] 2002年 12月 16日(月)11:37:10白桃 さん
Re:企業城下町
[6516]雑魚さんへ
 倉敷市・・・川崎製鉄となっておりますが、少し?です。確かに水島の中核にはなっておりますが、倉敷市全体からみた場合どんなもんでしょうか。同じ岡山県であげれば、玉野市・・・三井造船が極めつきだと考えます。
[6545] 2002年 12月 16日(月)21:06:17いな さん
城下町≠名産地
[6508] 夜鳴き寿司屋 さん
[6510] Issie さん
[6516] 雑魚 さん
[6517] YSK さん
[6519] 白桃 さん
みなさん、ありがとうございます。

私の知りうるレベルでの企業城下町・・・<イメージ先行かも?

市町村名企業名その製品コメント時期(最隆盛時)
宇部市宇部興産機械・化学宇部モンロー主義といわれた石炭がだめになっても化学製品で生き残り
延岡市旭化成化学陸上競技の方が有名かも?いまも・・・
小野田市小野田セメントセメント繁華街の名がセメント町昭和20~30年代
釜石市新日本製鐵鉄鋼製品北の鉄人・ラグビーも有名高炉の火も消えいまでは・・・
門真市松下電器産業家電製品ナショナルの町いまも・・・

単独企業の影響力(業績など)が大きいもの(これも曖昧ですが)と言うことを基準にと思ったのですが、条件として
うまく表現できていませんでした。

紡績業などの場合は、市町村はその業種で発展したんだけども、たくさんの中小零細企業が集まっていたことから
影響力をあたえるような企業を特定できないんですね。
一宮市織物の町
伊予三島・川之江紙のまち
瀬戸市瀬戸物の町
東大阪市(腕のいい)機械工業の町

コンビナートは多くの企業の集合体につき、1社をあげることは無理
徳山市石油化学コンビナート出光石油・徳山曹達ほか
四日市市石油化学コンビナート三菱油化・大協石油ほか
なお、徳山曹達は数年前に社名を「トクヤマ」に変更しています。

ライバル社が同じ町にいることから、その企業の城下町となりえない
浜松市ホンダ・スズキオートバイ製造業
浜松市ヤマハ・カワイピアノ製造業
産地と城下町とはやっぱちがいますよね・・・
[6546] 2002年 12月 16日(月)21:22:21special-week[ヒロオ] さん
企業城下町の定義とは?を考える
企業城下町の話題で盛り上がっていますね。

ところで、書き込んでいる人の中にも指摘している人がいらっしゃいますが、企業城下町の定義とはなんなのでしょう?
 清水の鈴与、半田のミツカンなどその土地土地を支えている有名な企業はありますが、いまいちピンときません。モータリゼーションの発達、都市間交流の進展によりこういった企業城下町といった名前ももはや時代錯誤的なのかもしれません。そう考えると都市が発達していくことがなんだか悲しいような気もします。
 名産品は気候条件や地理条件などを背景にしているので、まだまだ特定できるのですが、企業は立地条件のいい場所を求めて、移動したり、同業種企業が熾烈を極めていたりしているのでなかなか一概には言えませんね。
[6557] 2002年 12月 17日(火)00:18:59夜鳴き寿司屋 さん
企業城下町(広島・愛媛限定版)
所在地企業業種コメント最盛期
広島県沼隈郡沼隈町常石造船造船この町に他に企業がない朝鮮戦争からオイルショック迄
広島県因島市日立造船造船現在は見る影なしオイルショックまで
広島県安芸郡府中町東洋工業(マツダ)自動車現在は本社機能のみ現在も?
愛媛県新居浜市住友鉱山銅関連別子銅山の関連で昭和時代中期まで
愛媛県今治市新来島ドック造船一度潰れたオイルショックまで

あと、県単位でいえば岡山県は学校制服が、広島県は針が、愛媛県はタオルの生産量が多いとかありますが、零細企業ばかりなので、どちらかといえば企業城下町というよりも地場零細産業ですね。
[6583] 2002年 12月 17日(火)15:31:19黒髪 さん
re:企業城下町
[6545]いなさん
>小野田市 小野田セメント セメント 繁華街の名がセメント町 昭和20~30年代

私も10分前までは知りませんでしたが,「小野田セメント株式会社」という企業は無くなっていますね。
1994年に「秩父セメント」と合併し「秩父小野田株式会社」,1998年に「日本セメント株式会社」と合併し,現在では「太平洋セメント株式会社」というらしいですね。
本社は東京都千代田区とのこと。
[7106] 2002年 12月 29日(日)13:27:19深海魚[雑魚] さん
旧中里村
[7105] TNさん
>里川流域に一部日立市域(中深荻、東河内など)がありますが、常陸太田より
>日立を編入先に選んだのはその当時の日立市の絶大な影響力の所産でしょうか。
[2388] でたけもとさんがリンクを示された日製関連のサイトによれば、御指摘の里川水系域を擁した
中里村 (久慈郡?) が日立市に編入されたのは 1955年 (と辛うじて判読の由) です。この地域から
銅山の跡を経て日立市中心部に至る道路は現在でも結構な峠道の趣で、道路整備が覚束なかった
当時は往来も一苦労かと思います。一方、里川沿いの国道 349号線も、国道と称するに足る陣容が
整ったのはここ十数年来の話で、一帯の旧道を走ると幹線道路にしては脆弱との印象を覚えます。

1950年代半ばといえば高度経済成長期の真只中であり、重厚長大産業の一翼を担っていた日製の
企業城下町としての日立市の拠点性は、現在より格段に高かったと考えられ、そうした産業構造上の
陣容に加えて、中心街への峠道の沿道に銅山が位置した地勢も相まって日立市編入となったのでは
ないかと考えます。

現在は、国道349号線バイパスが、水戸市街を貫く梅香トンネルまで一体的に整備されている事から、
沿道の郊外型店舗の存在にも鑑みて、経済的なベクトルは常陸太田市、那珂町、水戸市への志向が
強まっている様に思われます。最終的に笠間から北茨城に至る予定と思しき広域農道は、349号線と
交差する常陸太田市町屋地区の一帯が最後の未開通区間となっており、全通の暁には旧中里村の
地勢も微妙に変わって来る事でしょう。
[7688] 2003年 1月 14日(火)18:22:30ケン(地理好き) さん
北九州市八幡
北九州市のことですが、八幡は企業城下町として栄えましたが、黒崎は古くから宿場町として栄え、現在は北九州市の副都心として発展しています。
八幡西区の人口増が目立っているのは筑豊電鉄の沿線である永犬丸、香月、楠橋地区などです。
[9574] 2003年 2月 21日(金)18:10:55【1】三丁目[YJ3] さん
室蘭と苫小牧
先般、企業城下町のことが話題に上がってたので、室蘭のことが出るかなあと期待して読んでいたのですが、残念ながら出ませんでした。と言うか、北海道の都市についての話題は、今まであまり出ていないようですね。[9071]地域研究家さんがふれられている程度でしょうか。私の記憶でも、学校の地理で北海道については、リトル東京の札幌とか、釧路港がかつてナンバーワンだったとか、程度のことしか習わなかったと思います。だから北海道の都市のことは話題に上がりにくいのかなと思ったので、簡単に述べたいと思います。

室蘭は、地形的には天然の良港です。すなわち、山坂が多く、平地の少ない地勢ということになります。室蘭本線を大動脈とする石炭積出し港、そして新日鉄(合併前の富士なのか八幡かは調べてません)や日本鋼管の製鉄所所在地として、最盛期は人口18万人を擁し、北海道一人口密度の高い地域でした。行政としても、胆振支庁舎があります。しかしながら、炭鉱業の衰退、鉄冷え、と主力産業がダメージを受け、人口も最盛期の2/3を割るまでに落ちてしまいました。蛇足ですが、北海道は空襲をほとんど受けてないと思ってたので、室蘭は空襲されたと聞き、意外に思ったものです。

と、暗いトーンになってしまいましたが、ここ20年近くは、市も観光に力を入れ、チキウ岬で地球のまるさを実感しようと、チキウ岬をシンボル的に売りの一つにしてます。皆さんも、ぜひそこで売ってるホッキ貝を食べてみてくださいね。

一方、苫小牧は、王子製紙を軸に戦後発展した工業都市です。王子製紙は自家発電設備を持ち、自前の社宅にはそれで電気を供給しているほどです。話がそれましたが、苫小牧東部(通称、苫東)に工業用地を大規模に造成したものの、オイルショックとともに甘い夢となり、失敗した国家プロジェクトの一つとして時々マスコミの話題に上がります。しかしながら、札幌や新千歳空港に近い立地に加え、札幌側の明野などの工業用地を宅地化していること(駅で言うと沼ノ端北側あたり)から、順調に人口が増えているところです。

で、何が言いたかったかというと、ライバル市の関係です。ローカルなネタかもしれませんけど。室蘭側は、戦前から栄え、胆振支庁舎もあるし、人口が減って苫小牧にも抜かされたけどまだまだ胆振地方の中心的な存在だぞ、と。かたや苫小牧は、室蘭?フフン、関係ないね、行政はそっちにあるかもしれないけどさ、という感じでしょうか。以上、長い前ふりでしたが、両市域に住んだ者として、ご紹介した次第です。でも、ライバルと言うよりは、室蘭が一方的に昔の栄光で強がっているだけかもしれませんね。ちなみに、両市ともに、ローカル紙の室蘭民報、苫小牧民報があります。

ついでに北海道の気候をご紹介すると、北海道にも「太平洋側」があります。代表的な都市をあげると、室蘭、苫小牧、帯広、釧路です。積雪が少ないので、ウインタースポーツにスケートが盛んなのです。帯広、釧路は住んだことがないので実感としてわかりませんけど、苫小牧は、札幌方面の雪が千歳を抜けてきて積もることがあります。室蘭は、年に数えるほどしか雪が積もらないから、北海道なのに雪道に慣れてないためか、ドカ雪が降ると道路が渋滞して大変でした。

思い出したのですが、飲み屋街について。室蘭市は、駅で言うとかつては輪西が鉄関係の人で潤ったそうですが、もうだいぶ寂しくなったらしく私自身は室蘭、東室蘭にしか行ったことがありません。でも、東室蘭の方へ比重は移っていると、居住当時に聞きましたから、今ではもっと差が大きくなっていると思います。苫小牧市は、駅では区別できないので町名になりますが、苫小牧駅からちょっと歩いた錦町が中心になります。こういったところにも両市の歴史の差が出ますね。

ところで、室蘭が空襲を受けたのに驚いた、と書きましたが、京都、金沢が空襲されなかったのは有名だとしても、他にも空襲されなかった都市はあるのでしょうか?逆に空襲された都市を列挙した方が、わかりやすいかもしれませんが。穏やかでないテーマなので、独言として流して頂いて構わないのですけれど。(最後の3文を流れと勢いで書いたものの、載せるかどうか、相当逡巡したので書き込むまで時間がかかってしまいました)
[22191] 2003年 11月 22日(土)18:47:24Issie さん
テーデーケー
…のカセットテープには,私たちが中学生だった頃に大流行したFM放送の「エアーチェック」で大変にお世話になりました。
ソニーやマクセルもあったんですがね,当時は市川市にTDKの生産拠点があって「地元・千葉(市川)の企業」という意識を持っていたもので,私は特にTDKの製品を愛用していました。
いつの間にか,生産拠点が移ってしまっていたんですねえ。

というわけで,デズニーランドのこともありますから,市川あたりなら「東京」でもまあ許容範囲ではないでしょうかね。

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