まずは三重県について。
大きな視点で見れば、
三重県=東海地方
であり、名古屋圏と見るのが一般的ですね。
ただ、大阪の影響が濃厚な名張市のような場所もあるし、南の東紀州地域のような独立性の強い地域もある。また、県の北~中央部は、県庁所在都市である津市が県内において抜きん出た存在でなく、似たような規模の都市が並んでいる。
次に、山口県ですが、ここはもっと複雑ですね。
以前気象台の担当区域についての書き込みがあったと思いますが、確か福岡管区気象台の受け持ちは「九州+山口県」だったと思います。
まあ、自然地理を第一とする気象地域区分と人文地理的な地域区分を一緒くたにすることは乱暴かもしれませんが、山口県と北九州との結びつきの強さの一端を示すものといえると思います。
「九州+山口県」を「十州」と呼ぶ言い方もあるとか無いとか。
一方では、広島の影響も受けている。
さらに、やはり同じような規模の都市が並んでいるのは、山口県も同じ。
こう考えてみると、両県とも大都市圏の影響は受けているとはいえ、もともと突出した都市がなく、分散的な都市の分布を持つ地域だったのではないかと思えてきます。
[3295]の私の書き込みに明治期・大正期の都市人口上位30を載せましたが、そこにある三重県、山口県の都市は下関だけです。
つまり、都市の分布の構図は、明治期(遡れば、江戸時代の城下町形成のときということでしょうか)に既にある程度固まっていたということなのでしょう。
三重県や山口県も、大都市圏にはさまれていたから突出した都市の成長が制約されるというよりは(もちろん、大都市圏の影響は多分にあるとは思いますが)、そもそも大きな都市がなくどんぐりの背比べの都市が並ぶ地域であって、その後に大都市圏の影響が及んでいったとみなす方がより正確なところなのではないかと思います。
以上を念頭において話をすれば、「何も1つの地域の中で、1つの求心性のある都市があって周囲をまとめていく」という形だけが、地域の形じゃない、ってことだと思うのです。分散的な都市分布の地域であっても、それらがスクラムを組んで機能を分担し、うまく地域を運営していく形だって、認められてもいいということではないでしょうか。
ただし、中央集権的で横のつながりの弱いわが国にあっては、後者の地域のあり方はまだまだ具体性を持つものではないでしょう。
でも、地域の活性化を図るにあたっては、この「分散型」地域タイプを育てていくことは必要不可欠なことだと思うのです。
そういった意味では、山口や三重は、重要な示唆を与える地域であるといえます。
伊賀地域でも、上野、名張、それぞれの個性を生かしながら、特色ある地域を作ってもらいたい。そう切に願います。
長々とすみません。何を隠そう、私の地元両毛も、「分散型地域」ですので。