ひろきです。
横レスになり恐縮ですが、区名変更の直接請求がされたこともあって投稿させていただきます。
「個性を嫌い、伝統・歴史を否定する 悪い意味でのイナカモノ根性の塊」としていわれなき批判の対象にされた「見沼区民」の主張の正当性はきちんと主張しなければならないと思いまして。
しつこいようですが、どうかお許し下さい。
見沼区関係の皆様や私の発言は検索すれば出てきますので、
[4768]に引用されている天下の朝日新聞の投稿欄「声」の投稿を抜粋し検討してみようと思います。
2002年10月26日朝日新聞「声欄」
歴史ある見沼 なぜ嫌うのか
地図地名研究家 今尾恵介(東京都日野市 42歳)
さいたま市の行政区名案の一つに「見沼区」が選ばれたのは、従来の政令指定都市では歴史的地名と関係のない安易な命名が多いなかで、高い見識を示していると思う。 (中略) 「中央」とか「本町」を求める精神こそ「悪い意味でのイナカモノの証明」ではないだろうか。 (中略) 「見沼区」は埼玉県が全国に誇れる区名である。
所と話題変わって、1994年前半期に論争を巻き起こした「湘南ナンバー」についての資料をご覧下さい。
湘南の歴史的由来と変遷:「湘南」はどこか
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/389_4.html
気象庁の地域細分:湘南ってどこ?
http://homepage1.nifty.com/tenki/weather/shonan.html
神奈川県ナンバープレート管轄地図
http://www.linkclub.or.jp/~kikuhide/number/map/m37.html
このとき「良識派」マスコミの論調で湘南ナンバーが「高い見識を示している」「(歴史的に湘南でない地域で湘南ナンバー管轄地域になる所の、極少数の老人等の疑問の声に対して)「小田原」とか「箱根」とか「足柄」を求める精神こそ「悪い意味でのイナカモノの証明」ではないだろうか」「神奈川県が全国に誇れるナンバープレート名である」と論評したところがあったでしょうか?
私は寡聞にして知りません。 あったかもしれませんが見沼区反対運動への批判記事の数百分の一にも満たないでしょう。
鎌倉、逗子、葉山の「うちこそ本家湘南なのに、なんであんな伊勢原・秦野や小田原や箱根や足柄みたいなイナカが湘南ナンバーになるんだ!」というふうな声を好意的に報道し、その伊勢原・秦野・小田原・箱根・足柄での棚から牡丹餅を喜ぶ人々を嘲笑するような報道が目立ったことを覚えています。
次に、見沼田んぼの範囲です。 「見沼区」は旧大宮市東部の東大宮、大和田、七里が中心です。
見沼田んぼの範囲(見沼区は旧大宮市東部)
http://www.pref.saitama.jp/A06/BI00/nouson/suiri/minuma101.jpg
http://member.nifty.ne.jp/vega-hoshino/Minuma/Minuma.gif
旧浦和市の地盤
http://www.jiban.co.jp/jibankaisetu/saitama/urawa/P11_urawa.htm
旧大宮市の地盤
http://www.jiban.co.jp/jibankaisetu/saitama/oomiya/P11_oomiya.htm
湘南ナンバー批判の論法を「見沼区」に当てはめれば、 歴史的な見沼と範囲が大きくずれた区名設定こそ伝統を踏みにじり歴史を冒涜する行いにほかなりません。
見沼区反対運動批判の論法を湘南ナンバーに当てはめれば、 歴史的な湘南とナンバー施行地域は多少の食い違いがあるにせよ重なる部分も大きく、個性があり伝統と歴史を尊重した素晴らしい誇るべき命名行為になります。
しかし多くのマスコミ、人々は同じ論法で以上2つの社会現象に接したわけではありませんでした。
明らかなダブルスタンダードで接したことがおわかりかと思います。
見沼区反対運動は個性を嫌い、伝統・歴史を否定する醜い行い。 見沼区はすばらしい名前ではないか、と善意か悪意かに関係なく主張された皆様。
相模湖あたりの中央線沿線の若者が湘南ナンバーを喜ぶ姿を見たときに、それでも湘南ナンバーについて「高い見識を示している」「「小田原」とか「箱根」とか「足柄」を求める精神こそ「悪い意味でのイナカモノの証明」」「神奈川県が全国に誇れるナンバープレート名」だと、言ったり書いたりしなくとも、そういう印象を抱いたでしょうか?
むしろ逆の印象、「歴史ある湘南を僭称して喜ぶ若者の姿こそ、悪い意味でのイナカモノの証明」とお思いになったのではないでしょうか。
「さいたま市」「野田ナンバー」命名の際に少なくない住民の不満が出ましたが 大きな住民運動にまでは発展しませんでした。 しかし見沼区改称を求める反対署名は77,000筆(人口150,082名<当時>)でした。 ちなみに旧与野市域の中央区改称を求める反対署名は5,077筆(人口86,929名<当時>)です。
[4768]の投書では「一部」だそうですが、いったいなぜここまで事実を歪曲してまで住民を辱め、「誇り」を強制せんとするのか理解に苦しみます。
「見沼区」は、個性的ではあるかもしれませんが 伝統と歴史に照らし合わせれば区域と区名の大幅な乖離が存在し非常に問題があると結論することができます。 仮に見沼に尾瀬沼や五色沼のような景勝価値がコンセンサスとして成立していれば、棚から牡丹餅を喜ぶ東大宮、大和田、七里住民は 逆にマスコミ等によって嘲笑されていたでしょう。 伝統と歴史の僭称を批判されていたでしょう。
見沼の歴史は新住民であっても地元民が一番良く知っているのです。 見沼龍神の伝説も、吉宗公の新田開発の歴史もです。 そして現在の見沼が行政や当該地主や広域住民にどう扱われてきたかもよく知っているのです。 ⇒
http://www.green-s.org/minuma/minuma.htm
見沼に対する広域的(埼玉県東部)な非常に悪いイメージが強く残存していることを行政関係者はよく知っていながら、なぜそれを隠して「市民運動」的な賛美のみを羅列して住民投票を無視してまで「見沼区」を押し付けるのか。 行政が見沼田んぼを汚しイメージの悪さを育んできた最大の戦犯であったことを頬かむりしておきながら、なぜ見沼のイメージの悪さの事後改善努力の責任の一端を 歴史的に見沼でなく民意も拒絶している地区が大部分の「見沼区」民にも押し付けようとするのか。
浦和びいきで大宮嫌いで知られる現市長が、本家本元の見沼である旧浦和市東部を「緑区」としながら旧大宮市東部を「見沼区」としたのは何なのか。 そんなに個性的で素敵な名前だというなら、本家本元の見沼を含まない「敵地・大宮」にプレゼントしてくれたのはなぜなのか。
そして多くのマスコミや部外者が、9年前の湘南ナンバー批判の論法とはうって変わって(実態は僭称になってしまうにもかかわらず)「見沼の伝統・歴史を否定・冒涜している」「見沼はすばらしい。 見沼を誇りに思えない住民は醜い」と一方的な非難の大合唱を浴びせ掛けたのか。 「良識的」とされる人ほど。
過去ログで私の発言がありますので、暇ならそれをご覧になった上で熟考してみて下さいませ。
批判は一向に構わないのです。
なぜ、住民の声に耳を傾けることもなく、理性を失い非難の声を浴びせるばかりだったのかを考えていただきたいのです。 理性を失っていなければ、伝統や歴史を重視するのなら イメージが良かろうと悪かろうと区域と区名の乖離から(湘南ナンバー批判の論法と同じく)旧大宮市東部を「見沼区」とすることに異議を唱える以外にないのですから。
やはり、多くの「良識派」を自認する人々には無意識のうちに埼玉県を差別する気持ちがあったのではないでしょうか。
湘南ナンバーの管轄地域設定のおかしさに気が付くマスコミや人々が「見沼区」の区域と区名の食い違いに気が付かないはずはないのです。
ひながな「さいたま市」、抽象的で無個性な「北区」「西区」「桜区」「南区」「緑区」「中央区」などと命名する連中に 伝統と歴史を尊重する姿勢など微塵もないことに気が付かないはずはないのです。
湘南ナンバーの時のように、もし多摩地域や神奈川県で同じような政令市の区名選定で抽象区名だらけのところに1つポツンと本来の地域とずれた自然環境保護にちなんだ区名がつけられていたら マスコミはすぐこのおかしさを声を大にして指摘するでしょう。 「伝統と歴史への冒涜」というニュアンスで。
埼玉だから、本来の地域とずれていてもどうでもいい。 他区の命名と比較すればおかしいことにも無視を決め込む。 だから最高責任者の特定地域びいき・特定地域嫌いの傾向があり事態の裏を読もうとすることもない。
9年前の湘南ナンバーへの管轄地域設定への態度とはがらりと違い、伝統・歴史面では多々の矛盾を抱えながらも 伝統・歴史を口実に地元民が嫌がる地名を強制し、反対運動に心ない言葉を浴びせる。
新潟県巻町の原発反対運動、長崎県の諫早湾干拓反対運動、滋賀県豊郷町の豊郷小取り壊し反対運動では「民意無視」を口を極めて行政を非難しながら、見沼区反対運動に対しては(伝統・歴史面で錯誤的なのに)行政の「英断」を手放しで賛美し、住民の過半数が反対の請願に署名していても「住民エゴ」と弾劾する。
無意識にこうなっているだけなのかもしれません。 しかし論理的一貫性がなく矛盾していることは明らかです。
私には、多くの「良識派」を気取る人々の心の奥底に「埼玉にはこれからもダサイタマであってほしい」という気持ちが潜んでいるのではないかと思います。 そうでなければ、多くの住民が地域差別を訴えているのに、部落差別や朝鮮人差別のように社会全体からアプローチして問題の本質を探る努力をして差別からの解放の手を差し伸べようと なぜしないのか。 なぜ深く考えもせず、差別される側に全責任を帰結させて終わりにするのか。 いつも!
確認のため書きます。 「見沼区」民は 自分たちが見沼を忌避している以上に、周囲(区外の埼玉県東部住民)が見沼を忌避しており 見沼とは無関係の高台に住む自分たちの土地まで区名からくる誤解により偏見を抱かれ資産価値が相対的に下落し、利便性が変わらずに市内で相対的にイメージが悪くなり地価が下がることで、いわくつきの区というレッテル貼りが為されるという不安から 反対運動が起きたんです。 住民の過半数が陳情書に署名するという、大都市圏では戦後空前の規模で。
埼玉・千葉に対する県名差別と農村差別の2つが根底にあるとも私は過去に書きました。
それがいけないと批判することは私も同意し、かつ私が最も願ってやまないことです。
しかしこの2つの差別が根本的に解決されるための明確なスキームが示されないかぎり、私は「見沼区」に反対しつづけます。
念願の東区に改称されても心ない人に過去を蒸し返され後ろ指をさされることが明白であることを覚悟してでも、です。
草加のせんべいを誇り、岩槻の人形を誇り、氷川神社を誇り、小江戸川越・喜多院を誇り、吉見百穴を誇り、秩父を誇っても ダサイタマと十把一からげに嗤う人が絶えなかったことを 私は知っています。
地域差別を気にしない人がどんなに移住してきても、差別を気にしながら嫌々移住してくる人も絶えず 長年の官民による郷土愛の啓蒙がどうやらまったく効果がなかったことを 私は知っています。 むしろ差別を気にする人が虚栄心に満たされる、世田谷区や目黒区のような地域ばかりが皮肉なことに誇りに満ちていることも。
埼玉・千葉に対する県名差別を問題提起しても、差別側を一切問題にせず被差別側の「誇りの無さ」「自虐性」への責任の押し付けにすり替えられ社会問題として認知されてこなかったことを 私は知っています。 そうした問題の所在のすり替えを行う人が被差別部落出身者、在日韓国・朝鮮人、同性愛者、障害者にも差別の原因は同じ「誇りの無さ」「自虐性」にあるとは決して言わないことも。 被差別部落出身者、在日韓国・朝鮮人、同性愛者、障害者で差別が気にならない、受けたことがないという人がいても「差別などない」とは言わないことも。
私は以上の現実を噛み締めた上で、郷土の誉れを守るために言いたい。
なぜ区域からすれば偽りの伝統・歴史を背負い誇りに思わなくてはならないのか。
なぜイメージの悪い見沼を誇りに思わない権利があってはならないのか。
なぜ、世の中の醜い現実を批判しつつも解決できるわけもなく、「見沼区」民が広域住民の差別意識の業(ごう)をひとえに背負わされねばならない理由があるのか。 人の心の本能的な醜さなどうにもならないなら、せめて今以上に誤解によりさらに偏見を抱かれることを避ける為に自衛的にマシな無個性の区名への改称を希望することの どこに間違いがあるのか。 当該地区が人の業(ごう)をひとえに背負わされる摂理などないはずです。
「自分さえよければいい」のではありません。 「なぜ自分たちばかり責められ、マスコミ等は周囲や、さらには大きい構造に目を向けずに面白半分で笑いものにしつづけるのか」、その欺瞞があるかぎり永遠に納得できないのです。
私は見沼区に反対します。 反対運動批判が欺瞞に満たされているかぎり 郷土の伝統と歴史を知り、郷土の誉れを守る為に。 これから好奇と悪意で敷き詰められた茨の道を歩むことになろうとも。
駄文長々と大変失礼致しました。