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落書き帳から選び抜いた珠玉の記事集

稚内市にある「村」 −字名としての「〜村」−

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記事数=29件/更新日:2006年2月5日/編集者:YSK

全国には、市なのに「〜村」と称する住所を持つ地域があるようです。その実例と由来とに言及した記事をアーカイブしました。地名コレクション内、字名の“村”コレクションもぜひご参照ください。

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1353]2002年5月2日
深海魚
[1379]2002年5月5日
たけもと
[21440]2003年10月24日
ペーロケ
[21444]2003年10月25日
Issie
[21446]2003年10月25日
NS
[21455]2003年10月25日
ゆう
[21461]2003年10月25日
KMKZ
[21762]2003年11月4日
TGRS
[41762]2005年5月31日
hmt
[41815]2005年6月1日
中島悟
[41822]2005年6月2日
トライランダー
[41828]2005年6月2日
YUTA
[41842]2005年6月2日
トライランダー
[41887]2005年6月4日
YUTA
[41902]2005年6月4日
中島悟
[42252]2005年6月11日
中島悟
[42381]2005年6月15日
EMM
[42453]2005年6月18日
てへへ
[42494]2005年6月20日
にまん
[42504]2005年6月21日
U-4
[43133]2005年7月19日
ニジェガロージェッツ
[43555]2005年7月26日
miki
[45136]2005年9月25日
ニジェガロージェッツ
[45240]2005年9月29日
グリグリ
[45508]2005年10月8日
88
[46204]2005年10月26日
にまん
[46555]2005年11月8日
ばいちょう
[48799]2006年1月28日
みやこ♂
[48800]2006年1月28日
YSK

[1353] 2002年 5月 2日(木)15:58:17深海魚[雑魚] さん
稚内村
北海道の稚内市に「稚内村」、留萌市に「留萌村」と云う所が有ります。
道路地図を見ると、市街地から完全に外れた山間部を指して居る模様で、
斯様な地域分けに至った経緯や類例に付いて御教示を頂きたく。

一方、茨城県水戸市の「見川」及び「見川町」の様に、他地域の方には
非常に紛らわしい地名も散見される様ですが、こうした事例の成因とは
何でしょうか? 加えてこうした場合、レス 375のリンクにて指摘される
「まち/ちょう」の呼称区分の地域傾向とは関連性が有るのでしょうか?
[1379] 2002年 5月 5日(日)00:11:49たけもと さん
Re: 1353
>北海道の稚内市に「稚内村」、留萌市に「留萌村」と云う所が有ります。
>道路地図を見ると、市街地から完全に外れた山間部を指して居る模様で、
>斯様な地域分けに至った経緯や類例に付いて御教示を頂きたく。

稚内村・留萌村ともに、いわば取り残された大字とでも言うべきものです。
かつては稚内地区はすべて稚内村、留萌地区は全て留萌村でした。
都市化されたところから徐々に新しい地名が独立していき、最後に残ったのがそれです。
[21440] 2003年 10月 24日(金)23:46:29【1】ペーロケ[愛比売命] さん
字名としての「~村」
[21428]kenさん
三丁目さん引用の記事には
特例措置として
とありますので、何か特別なことのように思いますが、
 私は、某新聞社(名誉毀損を避けるため、あえて伏せさせていただきます。)の、「市町村の下層の、大字レベルで村と称している例は現在、稚内市稚内村しかない」などと書いてあった記事が非常に気になりましたが、実は市の下部の大字レベルで「村」と称する場所は結構あるんですよね。(久々に新聞に突っ込みを入れました。まちがっとるぞ~ってメール出そうかな(笑))

 例えば広島県や山口県では、例えば「光市室積村」「下関市豊浦村」「呉市宮原村」「呉市庄山田村」などが残っています。いづれも市街地に近接した山林地帯で、住居表示実施地区の残りみたいな位置にあるのが興味深いですね。合併前の村は有力な村であり、中津江村のように「村」の名前が旧村民に定着されていた村だったのかなと推測されます。「市」ではありませんが、熊毛郡平生町には「平尾町平生村」が「平生町平生町」に隣接しています。。。ここまで来れば、訳分からないですね(笑)

#この場合、「松山市中村」などは除外すべきか。。。

(追加)それぞれの地図を付けてみました。

「光市(大字)室積村」
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=70000&el=131%2F59%2F46.007&pnf=1&size=500%2C500&nl=33%2F55%2F39.777

「下関市(大字)豊浦村」
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=130/58/40.595&scl=70000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=33/59/19.655&size=500,500

「呉市(大字)宮原村」
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=70000&el=132%2F34%2F27.570&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F12%2F50.423

「呉市(大字)庄山田村」
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=132/34/10.859&scl=70000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=34/15/53.402&size=500,500

「平生町(大字)平生村と平生町(大字)平生町」
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=132/04/34.018&scl=25000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=33/56/13.577&size=500,500
[21444] 2003年 10月 25日(土)00:09:22Issie さん
Re:字名としての「~村」
[21428] kenさん
[21440] 愛比売命 さん

そうですね。
さしあたりの問題は「特例」の中身ですが…。

市の下部の大字レベルで「村」と称する場所は結構あるんですよね。

そ。
私も,ともかくすぐに「稚内市(大字)稚内村」を連想したけれども,決して珍しいことではないですよね。

要は,当該市町村の流儀ではないかと思います。
合併後の大字編成に際して,「佐村」「中村」などの旧村名から「村」をはずして「佐」「中」としてしまった市町村もあれば,横浜市のように一律「村」を「町(ちょう)」につけかえて大字名(町名)とするところもある。「村」を「町」ではなく「区」につけかえて「○○区」としている町村だって,全然珍しくない。
その1つのパターンとして「○○村」という形でそのまま大字名にしてしまうことがあっても,必ずしも異とすることはないでしょう。

村役場とか村議会と村長も残す、という意味ですかね。

…というものであれば,本当に「ビックリ!」ですが,そのような例は「特区」(←この制度自体,一貫した全体的方針のない「思いつき」の政策に過ぎないとしか思えず,私には全く意味不明ですが)といえども,耳にしたことはないですけれども。
[21446] 2003年 10月 25日(土)00:38:29【1】NS さん
Re:字名としての「~村」
[21440]愛比売命さん
私も、某新聞社(名誉毀損を避けるため、あえて伏せさせていただきます。)には、「大字に村を付けている例は現在、稚内市稚内村しかない」と書いてあった記事が気になりました
(中略)
広島県や山口県では、(以下略)
稚内市においても「稚内村」の他に「抜海村」「声問村」「宗谷村」が残っています。それこそ、
[21444]Issieさん
要は,当該市町村の流儀ではないかと思います。
でしょうね。それこそ、もし南空知地区の合併が成ったとしたら「岩見沢市北村」なんてのもあり得るかも?(北村は元々1900年に岩見沢村から分立)
[21455] 2003年 10月 25日(土)07:02:48ゆう さん
Re: 字名としての「~村」
全国あちこちに「中村」「木村」「本村」「野村」「大村」「宮村」といった「村」がつく字名がありますが、これらのうちの一定割合(すべてとは言いません)は、もとはそういう名前の村だったのではないかと思っています。そういうのも含めるとたくさんの例があることになります。

[21440]から、某新聞社
市町村の下層の、大字レベルで村と称している例は現在、稚内市稚内村しかない
は調査不足ですよね。


【蛇足】
[21440]愛比売命さん
名誉毀損を避けるため、あえて伏せさせていただきます。
新聞社も含めて報道機関に何か求められているのかを考えれば、名誉毀損にはなり得ないと思いますよ。

[21446]NSさん
mikiさん、こういうケースでも新聞社名を明らかにすべきと考えますか?
あと、もし宜しければ、伏せ字を殊更に嫌悪する理由をお教え頂ければ幸いですが・・・
横からしゃしゃりでて恐縮ですが、「某新聞社」は社名を伏せてるだけです。「朝○新聞」「○売新聞」などだったら伏せ字です。
この場合、つまり「名誉毀損を避けたい」と意識する場合に、伏せ字で実名を避けたつもりでいるような人がいるとすれば、それはまた次元の違う問題だと思いますが。


#私ってば、身よりも足が長い…
[21461] 2003年 10月 25日(土)11:36:58【2】KMKZ さん
埼玉県上尾市大字上尾村、板橋区志村
[21440]愛比売命 さん
某新聞社
市町村の下層の、大字レベルで村と称している例は現在、稚内市稚内村しかない
[21444]Issie さん
私も,ともかくすぐに「稚内市(大字)稚内村」を連想した

私がすぐに思いついたのは、上尾市大字上尾村でしたね。○○市○○村で○○が同じになるパターンは、ここしかないと思っていましたが、稚内市にもありましたか。

埼玉県上尾市大字上尾村
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.58.45.612&el=139.36.9.946&la=1&sc=4&CE.x=266&CE.y=252

隣接する地名が上尾宿で、上尾が中山道の宿場だったのと関係あるのでしょうが、JR高崎線のすぐ東に平行する旧中山道(国道ではなくて県道)からは1キロ以上離れています。


[21455]ゆう さん
全国あちこちに「中村」「木村」(中略)もとはそういう名前の村だったのではないか
Issieさんの例のHPによれば、板橋区志村(しむら)は、北豊島郡志村でした。「志村」を「志」や「志町」にしたら語呂が悪いので「志村」のままなのでしょうね。
[21762] 2003年 11月 4日(火)22:15:43TGRS さん
奥明方→明方→明宝
岐阜県郡上郡明宝村は、[21740]かおらいさんの仰るとおり、
1970.4.20奥明方村明方村
1992.4.1明方村明宝村
と名称変更していますね。1965年以降ではその範囲は変わらず名称変更を2度も行った自治体はここだけなので、気になっておりました(なぜ1965年以降かというと私の使っている資料にはそれ以降の情報しかないので)。しかも市制・町制に伴う名称変更でもないですし。

1992年の名称変更は、
この明方村の特産物である「明宝ハム」及び「めいほうスキー場」があまりにも有名になり過ぎて
とのことですが、1970年の名称変更も、「明るい村づくりをスローガンに「奥」の字を取り(『角川日本地名大辞典』より」と、
所謂、村名変更による村おこし
なのですね。

[21737]スナフキんさん
和良村は「和良町○○」と「村→町」へ置き換えてしまうのに、明宝村はなぜか「明宝○○」…どうしてここだけ、一般名詞部分を撤去してしまうんでしょうね?
については、私は「明宝」に「町」は付けたくなかった、のかな、と思っております。「村ブランド」というものもありますし、本当は「郡上市明宝村○○」にしたいところだけどそれは不自然なので(日田市中津江村や稚内市稚内村などの前例があるとはいえ)より自然な「郡上市明宝○○」にしたのかな、と。あくまで推測ですが。

[21761]太白さん
私の書き込みに関連して書き込みしなおしていただいたようで、お手数おかけしました。
[41762] 2005年 5月 31日(火)11:15:20hmt さん
「龍神村」は不滅です
[41759]miki さん
このような表記では「まだ龍神村があるのか」と誤解を招いてしまいます。

田辺市との合併後も、「まだ龍神村がある」のですね。
合併前:日高郡龍神村大字龍神○○番地
合併後:田辺市龍神村龍神○○番地

この表示、好きです。自治体名は変っても、これまで親しまれてきた「龍神村」という地名が生き残ります。
[41815] 2005年 6月 1日(水)22:48:08中島悟 さん
○○市△△村
[41762]hmtさん
合併後:田辺市龍神村龍神○○番地
この表示、好きです。自治体名は変っても、これまで親しまれてきた「龍神村」という地名が生き残ります。
[41769]スナフキんさん
同類項は「日田市中津江村」が該当しますね。

へぇー。こういう例は佐賀市三瀬村だけかと思っていましたが、よそにもあったのですね。

旧自治体名称を残すところは決して少なくないのですが、意外に「村」をそのまま「○○村」で存続させるケースは少なく、
一体、全国ではどれくらいあるのでしょう?
[41822] 2005年 6月 2日(木)00:21:16【1】トライランダー さん
〇〇市△△村
[41815] 中島悟 さん

私が調べた範囲ですが、旧村名かどうかは分かりませんが、稚内市抜海村、声問村、宗谷村というのがあります。
また、市ではありませんが、北海道厚田郡厚田村、押琴村、濃昼村、小谷村、古潭村、聚富村、別狩村、嶺泊村、望来村、安瀬村、北海道浜益郡浜益村柏木村、川下村、群別村、尻苗村、浜益村、実田村、北海道古宇郡神恵内村赤石村、神恵内村、珊内村、古宇郡泊村興志内村、茅沼村、盃村、泊村、堀株村、青森県三戸郡五戸町蝦川村があります。

〇〇郡△△町××町というのはよくありますが、△△村××村というのは珍しいですね。
ちなみに島根県にま郡にま町大字にま町、皆さん、漢字に直すとどうなるかわかりますか?
[41828] 2005年 6月 2日(木)01:52:25YUTA さん
稚内市△△村
 YUTAです。皆様こんばんは。

 [41815] 中島悟 さん
 [41822] トライランダー さん
旧村名かどうかは分かりませんが、稚内市抜海村、声問村、宗谷村というのがあります

 稚内市のHPによりますと、稚内市は昭和30に宗谷村を合併しています。
 また、抜海村と声問村は、公的なHPからの情報ではありませんが、どちらも元は独立した村であり、大正の頃に稚内村と合併したようです。

 ちなみに稚内村は、明治33年に宗谷村からの分村で誕生しています。
 分村した稚内村が発展して市になり、本家とも言える宗谷村を合併したことになりますね。
[41842] 2005年 6月 2日(木)17:30:50トライランダー さん
〇〇市〇〇村
[41833] KMKZ さん
[41828]YUTA さん
先ほど全国郵便番号簿を見たところ、いずれも北海道ですが、厚岸郡浜中町浜中村、後静村、釧路郡釧路町跡永賀村、昆布森村、礼文郡礼文町香深村、船泊村がありました。


[41831] かすみ さん
今日のひとりごと。
邇摩郡仁摩町の仁万駅…全部漢字が違う。

そうですね。邇摩郡仁摩町仁万町 が正解でした。
この地名もどんな由来なのか調べてみたいですね。
[41887] 2005年 6月 4日(土)04:52:20YUTA さん
町村の中の△△村
 YUTAです。サッカーを見てたらすっかり遅くなってしまいました。

[41822] [41842] トライランダー さん

 北海道の、稚内以外の町村ついても調べてみました。
 ここで調べた中では、「△△村」という住所は、すべて元は独立した村だったようです。

<町村名><今は住所になっている村名>
浜益村柏木村、川下村、群別村、尻苗村、浜益村、実田村
厚田村厚田村、押琴村、濃昼村、小谷村、古潭村、聚富村、別狩村、嶺泊村、望来村、安瀬村
神恵内村赤石村、神恵内村、珊内村
泊村興志内村、茅沼村、盃村、泊村、堀株村
浜中町浜中村、後静村、琵琶瀬村、散布村
礼文町神崎村、船泊村
釧路町跡永賀村、昆布森村、仙鳳趾村

 浜中町と釧路町以外の町村には、上記の住所以外の住所がありません。
 つまり、町村のすべての住所が「△△村」となっています。

 浜益村には、茂生村、清水村、黄金村という村が合併されていますが、住所には残っていません。(黄金村は、柏木村、川下村、尻苗村、実田村、清水村の5村による合併で誕生し、5年後に浜益村と合併しています。)

 「厚田村」、「浜益村」は今年10月に石狩市に編入されますが、住所としては名前が残るんですね。

 礼文町には、船泊村と合併した神崎村、香深村と合併した尺忍村がありましたが、こちらも住所には残っていません。
 神崎村と船泊村が合併して礼文村になったのは昭和31年で、それ以外の合併はすべて明治時代です。

 浜中町には、霧多布村も合併されています。こちらは、霧多布東○条、霧多布西△条という形で残っています。
 また、浜中村だった頃に榊町も合併されていて、「榊町」という住所がそのまま残っています。今とは「村」や「町」の意味が違うんでしょうが、「村+町→村」になっていますね。
 全国に「△△町」という住所は数多くありますが、元自治体だった△△町が合併され、△△町という住所が残る…という例は他にあるでしょうか?
[41902] 2005年 6月 4日(土)13:15:42中島悟 さん
独立できなかった村
[41887]YUTAさん
北海道の、稚内以外の町村ついても調べてみました。
ここで調べた中では、「△△村」という住所は、すべて元は独立した村だったようです。
北海道の事情は、内地とはかなり異なっています。
稚内市のある宗谷郡を例にとってみると

明治11年 宗谷郡に6村設定 6村戸長役場を宗谷村に設置
明治21年 戸長役場を宗谷村から稚内村に移転
明治33年 稚内村が宗谷村から独立
大正13年 猿払村が宗谷村から独立
昭和24年 稚内市制施行
昭和30年 稚内市が宗谷村を合併

つまり、ネーミングはされたものの声問村などに役場があった期間はなく、
たぶん将来独立することを期待して6村が作られたのでしょうが、
そのうち実際に自治体になったのは宗谷・稚内・猿払の3村だけで、
声問村など3村は独立を果たさないまま現在に至っています。
(云わばスコットランド・・・ちょっと違うな、UAEのドバイ状態?)
[42252] 2005年 6月 11日(土)22:47:10中島悟 さん
Re:稚内村と宗谷村 ~宗谷郡の6村~
[42102]北の住人さん
地方自治体としての独立と言う意味では、当時はどの村も自治体と言えるような状態で無かった訳で、明治33年に1級町村になった稚内村がこの付近では最初かと思います。
改めて調べ直してみると、仰るとおりのようで、稚内村は「宗谷村」から分離独立したのではなさそうです。

宗谷村外5村戸長役場
 [稚内・抜海・声問]→(M33年)一級町村稚内村
 [宗谷・泊内・猿払]→(M33年)宗谷村外2村戸長役場→(M42年)二級町村宗谷村

稚内市のホームページを参考にしたのですが、かなり端折ってあった模様。
しかし、二級村が自治体かどうかという以前に、宗谷村は戦後の地方自治法のもとで数年間存在していたのですから、宗谷村が独立していなかったというのは言いすぎかと。

ついでに各村の戸数も調べてみました。
村名M12頃M24年
抜海51
稚内35365
声問921
宗谷6927
泊内42(のちに消滅)
猿払35
6村中4村で戸数わずか1ケタ!いやはや、ここまで激しいとは思わなかった。
[42381] 2005年 6月 15日(水)17:37:40【3】EMM さん
字名の“村”コレ情報提供
>愛比売命さん

ふと気がついたのですが、富山県南砺市利賀村がコレクションに入ってないですよね。
是非とも追加していただきたく思いますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。


※過去記事を確認したのですが、南砺市が誕生する際、4つあった村の中で利賀村だけが旧来の字名にすべて「利賀村」を冠した(ただし旧利賀村利賀のみ南砺市利賀村利賀ではなく南砺市利賀村になった)ことに触れた記事って無かったんですね。誰か触れてるもんだと思いこんでました…
[42453] 2005年 6月 18日(土)17:19:03てへへ さん
字名の“村”コレ 追加
富山県魚津市にもあるようです。
石垣新村(いしがきしんむら)、大谷村(おおたにむら)、六郎丸村(ろくろうまるむら)
3つとも近所です。このあたりです。
石垣新村は石垣+新村の合成でしょうか?新村ならば中村のように全国いたるところに分布しているような気がします。コレクションへの採否はおまかせします。
[42494] 2005年 6月 20日(月)22:39:49にまん さん
大字村コレクション
いつのまにか大字村コレクションが始まっているんですね。

載ってますね。我が地元豊浦村が、[42045]でも少し触れているとおり、住居表示で今はなくなりましたが以前は大字豊浦町がありました。
場所としては、この辺りで、現在の長府金屋町、長府中之町、長府土居の内、長府中浜町、長府南之町、長府惣社町の各町の一部(旧街道沿い)になります。それ以外の松小田、才川を除く長府○○町の全てが大字豊浦村でした。現在残っているのは、住居表示をしなかった最周辺部ということになります。

この区分は市町村制以前のもので、町の中心部と周辺部&農村部といったイメージだと思います。豊浦村が「村」付きなのは、豊浦町との区別のためなんでしょう。

それから、豊浦村の読みなんですが地元では「とよらそん」です。郵便番号簿なんかも「とようらむら」とされていますし、地元でも最近は新住民が増えてますのでそう読まれているのかもしれませんが、小学校や高校は「とよら」ですし、史跡「豊浦宮」も「とよらのみや」ですので、個人的には「とよら」と読んでほしいところです。

山口県については、手元に明治7、8年頃の大小区制時代の地名を整理した資料(当然復刻版です)があるので、それを見てみると、コレクションされている平生村、室積村についても当時既に、「平生町」「平生村」「室積浦」「室積村」が別々に記載されているので、これが大字「村」が残っている理由だと思います。
ちなみに、大字室積浦はこのあたりの海岸線に沿った所になります。

ついでなので、その他に「村」と「町」等がセットになっているところを探してみたところ、次のようになっていました。

錦見町、錦見村(岩国市)現在は全域で住居表示がされているようです。
宇佐村、宇佐郷(錦町)大字宇佐と大字宇佐郷でした。
柳井津町、柳井村(柳井市)大字柳井津と大字柳井でした。
三田尻町、三田尻村(防府市)ほとんどの地域で住居表示がされているようですが、少しだけ大字三田尻村が残っているようです。
清末町、清末村(下関市)清末町の地域は住居表示済みで、その他の部分も単に大字清末になってました。

ということで、追加は三田尻村1箇所だけですね。
[42504] 2005年 6月 21日(火)13:10:44U-4 さん
市内の村
そういえば村があったような気がしたので確認したところ、まだ生きていました。

青森県むつ市大畑町赤川村
 〃   〃   〃  小目名村
 〃   〃   〃  湊村
 〃   〃   〃  大畑村

合併前は下北郡大畑町大字大畑字○○村、藩政時代の村名がそのまま生きていると思われますが検証する術がありません。
残念ながら大字ではないのでコレクションに該当するかどうかわかりませんが、住所に市町村がすべて入っているところがミソ。
[43133] 2005年 7月 19日(火)03:27:40【1】ニジェガロージェッツ さん
地図に載っていない・・・
[42999] 愛比売命 さん
もちろん、採用です!ただし更新は週末。最近忙しいっす(^^;;)

「字名の“村”」コレクションに、拙稿[42980]でご紹介した神戸市兵庫区東尻池村と御崎村を採用内定、有難うございます。

但し、この2村は拙稿にも書いたように
地図にも載らない「幽霊住所地名」として存在
しており、ネット上はおろか、市販の紙の地図でもその存在を明記しているものを見たことがありません。
と、いうことで「どこにあんねん?」と聞かれても、「わからん!」としか答えようがなく、おそらく、法務局にある地籍地図のようなものでも持ち出さない限り、出てこないと思います。

参考までに、神戸新聞社編「神戸の町名」に収録されているのを一部引用すると、
==========
【東尻池村】(ひがししりいけむら)
神戸市内で残っている“村”は、御崎村と二つだけである。昔の村は、行政区画や町名改正によって数多くの町に分割され、村の名は一部の町名としていまもつづいているが、村名のまま残っているのは珍しい。
東尻池村はほとんどが長田区内で、由来についてはそこでふれているが、兵庫区では一部の国有地が人家や建て物もないまま、町名改正されなかったらしい。しかし、この“村”も近く消える運命にある。
==========

この本は昭和50年11月発行の古い版ですが、「近く消える運命にある」と紹介されていながら、今日でも存在しており、結構しぶといです。

御崎村については、
==========
【御崎町 御崎本町 御崎村】(みさきちょう みさきほんまち みさきむら)
旧御崎村からきた町名で、東尻池村と同様、村名を残している。
(中略)
御崎村は、古名と神社名から天明3年(1783)1月18日に村名となった。東尻池村と同じく、数多くの町名に分割されたが、一部の鉄道敷地が町名改正から取り残され、村名をいまに残している。
御崎町は大正15年1月に村名をそっくりいただいてつけられたが、実際は旧御崎村地内ではない。旧字名は東尻池村棟東、女郎塚・・・・(以下、省略)
==========

とあります。

戦前の神戸市市街地図を見ても、すでに両村は記載されていません。
もちろん、小生が昔から愛用している「ワラヂヤ」の地図にも載っていません。

 ♪地図は~ 和楽路屋~ 和楽路~屋~の~ 地~図~♪
  (↑メロディーを思い浮かべて、読んでいるそこのあなた! 相当、関西人度が高いです!)

地図リンクが出来ないとなると、コレクション登録は難しいかな?
[43555] 2005年 7月 26日(火)21:15:35miki さん
字名の村
熊本県上天草市松島町阿村
(旧天草郡阿村)
詳しくはこちら

http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=32/30/31.793&el=130/27/03.738&scl=25000&bid=Mlink
[45136] 2005年 9月 25日(日)00:43:27ニジェガロージェッツ さん
兵庫区の町名
神戸市兵庫区に残る「幻の村」として拙稿[43133][43143]にてご紹介した東尻池村と御崎村について、先日神戸地方法務局へ行った際に地図を検索したのですが、結果は残念ながら確認できませんでした。

その帰路、兵庫区役所へ寄り、両村について何か資料がないか調べて貰いましたが、職員でさえ両村の存在を知らない状態でした。
いろいろと所内の資料を探していて頂いたところ、手書きのメモにて面白いものが出てきました。

以下、全文を引用します。
==========================
東尻池村JR高架下
兵庫運河掘り残し部分
御崎村和田宮神社 笠松交差点
吉田新田吉田3 海
川崎町中央区東川崎町との境界部分 道路・水路のみ
地名は存在する
==========================

とありました。
このことから、東尻池村はこのあたり、御崎村はこのあたりこのあたりかと推測します。

さて、兵庫区といえば古くからの市街地であった兵庫津地域に職業由来町名を多くかかえていました。
笠津前浜さんご編集の職業由来町名コレクションには、船大工町と鍛治屋町が収められています。
この2町以外にも多くの職業由来町名がありましたが、一様に新住居表示実施にあわせ整理統合され、1970年代に消滅してしまいました。
これら失われた兵庫区の町名につきましては、拙稿[14959]にまとめております。
その中で、職業由来町名としては、
魚棚町うおだなちょう小売業文字通り魚屋があったところ
小物屋町こものやちょう小売業雑貨屋や小間物類を売る店があったことから
鹿屋町しかやちょう小売業もとは「ししがやちょう」。商家の屋号「妻鹿屋」より
富屋町とみやちょう小売業もとは「とみがやちょう」。商家の屋号より
松屋町まつやちょう小売業もとは「まつがやちょう」。商家の屋号「松屋」より
匠町たくみちょう職人大工さんや指物師が多く住んでいたことから
関屋町せきやちょうその他兵庫関あるいは兵庫関料と記録される津料徴収関所があった
算所町さんじょちょうその他もと産所村。産婦が当地へ来て分娩する風習があったことから
が該当するでしょうか。
[45240] 2005年 9月 29日(木)23:41:32オーナー グリグリ
今治市今治村
[44654] に書いたのですが、
「○○市○○村」は過去ログなども調べてみると、「稚内市稚内村」「留萌市留萌村」「上尾市上尾村」「今治市今治村」の4件がリストアップされますが、他にはありますかねぇ。
この4件以外に発見された方はぜひ報告をお願いします。

ところで、「今治市今治村」のこと。[44563] にも書きましたが、
「今治市今治村」というのも見つけました。比岐島、小比岐島、平市島、小平市島などの島嶼部になります。
この4島のうち有人島は比岐島だけです。

で、なぜ「今治村」となったのかその由来を調べようとしたのですが、手持ち資料と検索だけでは分かりませんでした。どなたか分かりませんか。
[45508] 2005年 10月 8日(土)14:48:2688 さん
今治市今治村
[45404] 拙稿でふれた、[45240] オーナー グリグリ さん「今治市今治村」のレスです。「小レス」と書いたものの、書き始めると長文になってしまいました。
参考資料は、「角川日本地名大辞典 38愛媛県」です。
(やはり、この辞典は読みごたえがある・・近々、徳島県と高知県も買おうかと・・)


関ヶ原の戦で徳川軍に加わった藤堂高虎は、慶長5年伊予で12万石を加増され20万石となり、越智郡唐子山東麓の国分城(地図)に入城しましたが、地勢が悪いため、慶長7年、越智郡「蔵敷村」の一部とその北隣の「今治村」の一部に築城し始め、慶長8年、今治城の城下町として「今治町」が形成されました。
この結果、城下町の「今治町」と、今治藩領の一部としての「今治村」が同時に存在しました。

明治4年7月14日、廃藩置県に伴って「今治県」が設置され、県庁はこの今治に置かれましたが、同年11月15日、今治県は松山・小松・西条の3県と伊予国内の旧倉敷県の一部と併合され、新「松山県」となり、県庁は松山になりました。明治5年2月9日、松山県は「石鉄県」と改称され、明治6年2月20日、神山県(宇和島県を改称)と合併して「愛媛県」が設置されました。その後、明治9年8月21日、香川県と合併して新「愛媛県」、明治21年12月3日に香川県が分離して、今の愛媛県になりました。

今治村には明治6年に郡会所(明治11年からは郡役所)が置かれ、越智郡8町108箇村の郡政の中心となりました。

明治22年、今治町と今治村は合併して新「今治町」となりました。旧今治町には大字として片原町1~3丁目、中浜町1~4丁目、新町1~3丁目、風早町1~4丁目、北新町・米屋町1~4丁目、室屋町1~4丁目、本町1~4丁目が設置されました。旧今治村は「今治町大字今治村」となりました。町役場は当初は「今治町大字本町」に置かれましたが、明治43年、「今治町大字今治村」に移転しました。
大正9年2月11日、今治町は日吉村(明治22年、日吉村、別宮村、蔵敷村が合併して設置)と合併して市制施行して「今治市」となりました。このとき、「今治町大字今治村」は「今治市大字今治村」としてそのまま存続し、旧今治町役場が今治市役所となりました。

大字今治村の地域についてですが、越智郡役所は明治27年に日吉村大字蔵敷へ移転しましたが、明治28年には町立今治尋常小学校、明治32年には今治高等女学校が設置され、また、大正2年今治警察署が米屋町から移転、昭和12年には風早町から郵便局が移転するなど、市街化が進み、地内は神明町・明治町・常盤町1~9丁目などの通称で呼ばれていました。
正式には、次のとおり町名を設定していきます。(本当は「~丁目」もあるのが正答だが割愛)
昭和43年旭町,北宝来町,共栄町,栄町,末広町,大正町,通町,常盤町,松本町,南大門町,南宝来町,美保町,
別宮町,中浜町,米屋町,本町,片原町,風早町
昭和48年北浜町,共栄町,大正町,片原町,別宮町,中浜町,本町,室屋町
昭和53年大新田町
町名を羅列しましたが、もともとの今治村が、軒並み設定されていることを地図でご確認いただけばと思います。(地図
現今治市役所の所在地は、「今治市別宮町一丁目4番地1」です。

一方、今治市は、次々と周辺の町村と合併を重ねます。
昭和8年2月11日近見村と合併
昭和15年1月1日立花村と合併
昭和30年2月1日富田村,桜井町,清水村,日高村,乃万村,波止浜町と合併
昭和30年8月1日吉海町の一部(馬島)と合併
昭和35年8月1日波方町の一部と合併
(参考)
平成17年1月16日朝倉村,玉川町,波方町,大西町,菊間町,吉海町,宮窪町,伯方町,上浦町,大三島町,関前村と合併

さて、[44563]オーナー グリグリ さん
「今治市今治村」というのも見つけました。比岐島、小比岐島、平市島、小平市島などの島嶼部になります。
これら島嶼部は、距離的には昭和30年に今治市と合併した旧桜井町に近いのですが(比岐島へは桜井漁港から北東へ約6.5キロ、平市島へは約4キロ(地図))、航路の関係で、古くから桜井町(桜井村)ではなく今治村に属したのではないでしょうか。また、平市島には、戦国期には来島城の出城があったとの記載があり(「大洲旧記」)、古来より桜井よりは今治と交流が深かったのかもしれません。そして、地名としては、今治村の他地区とは異なり都市化が進むこともなく、町名設定の必要もなく現在に至ったと推測されます。
島名読み方面積周囲海抜人口
比岐島ひぎしま0.24平方km57.5m62人(S35)
小比岐島こひぎしま7ha1km60m0人
平市島へいちじま29ha3km95.9m0人
小平市島こへいちじま7ha1km52m0人
[46204] 2005年 10月 26日(水)23:02:06にまん さん
字名の村コレクション
[46145]たもっちさん、コレクション更新ご苦労様です。
さっそくですが、地元の山口県分について手元の資料で調べてみました。

宇部市中村
元大字中宇部の一部です。字名が住居表示によって独立したものと考えられます。

周南市中村
ここは少し複雑です。もともと小周防村(後に周防村)の字名でしたが、この地区だけが後に勝間村(後に熊毛町、周南市)に編入され大字名となっているものです。周防村に残ったところが、現在の光市大字小周防になります。ただ、手元の資料では同じ小周防村でも大小区制の小区が別になっていますから、当時から比較的独立した状況だったのかもしれません。

周南市野村
もともとは、富田村野村開作だったようです。住居表示の際あたりに開作がとれたのでしょう。ということで、人名由来の可能性もありです。ちなみに、近くにある「道源」「椎木」「小川屋」も、すべて「○○開作」でした。

玖珂郡由宇町中村
ここは、由宇町が明治以来自治体単位の合併をしないまま現在に至っているため、由宇村の字名が大字として生き残っているところです。
[46555] 2005年 11月 8日(火)15:46:30ばいちょう さん
字名の「村」
たもっち様
飯田市上村(合併協HP)
平戸市大島村(平戸市HP)
の追加をご検討ください。
[48799] 2006年 1月 28日(土)16:55:53【1】みやこ♂ さん
だいこんむら?
たもっち さん の「字名の“村”」コレクションに推薦です。
群馬県邑楽郡邑楽町大根村はどうでしょう?信号機にも「大根村」と札が下がってました(実はついさっき通って来たのです.)。
ところで読み方はタイトルの通りなのでしょうか?札のローマ字を確認し損なってしまいました。ご近所であろう YSKさん ならきっとご存じだと思うんですけど。
たもっち さん,YSKさん,いかがなものでしょうか。
※ コレクションページへのリンク追加
[48800] 2006年 1月 28日(土)17:19:56【1】YSK さん
また「つらい」が1UP
だいこんむらでOKです。

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