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信濃川と千曲川 〜場所によって名前の変わる川〜

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記事数=16件/更新日:2005年12月10日/編集者:YSK

信濃川と千曲川は、同じ川でも場所によって名前の変わる川の例です。このような川のローカルな呼称が複数存在する例を集めてみました。一般に、場所ごとに別の呼び名があっても、河川管理上水系単位で名称がつけられるのが通例でのようで、このあたりの詳細に議論が展開しました。

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[20031] 2003年 9月 19日(金)09:26:00スナフキん さん
基準の見直しにより、消滅の地名(悲)
ふと、地図の校正をしていて気になる自然地名が目に止まりました。こと自然地名に関しては様々な観点から同一地物・複数名称になることも多く、その判断が非常に難しいため、明確なよりどころとして「国土地理院の地形図」を元に文字編集している地図が昨今は多いようです。しかしこの目に止まった自然地名、地形図に全面的に因ったとすると、消えてしまうのです。

名栗川

地形図上にはこの名称は表示されておらず、名栗村上流域に至るまでずっと「入間川」です。埼玉県内のみならず、川遊びやキャンプ・ハイキングなどのアウトドア志向の高まりにより、「名栗川」は広く市民権を得た名称だと思っていましたが、地理院からは完全に無視された格好です。恐らく、現地で野営経験のある者から言わせれば、名栗村内では「入間川」と言っても話が通じないほどではないかと思うのですが、だからと言って出典に従わない例外をどんどん作ってしまうと収拾がつかなくなってしまう上、編集者の意図が強く働きすぎる恐れもあるので、なじみ・愛着のある川名ですが涙を呑んで地図上からは消えてもらいました…。ちなみに、コンサイスの地名辞典にはしっかり掲載されています。

これと似たケースがいくつかあって、悩みの種です。落書き帳発足直後の話題(アーカイブス:途中で名前が変わる川や街道の由来とは?)にかぶりますが、その後例が挙がっている様子もないのでここで書き記しておきます。

六郷川

これも地形図を調べても、縮尺を問わず「多摩川」と書かれているだけですが、地名辞典には明確に「六郷川」として項目が立っています。地形図がそれを示していないので、具体的にどこからそう呼ぶようになるのかがイマイチはっきりしません(これは上記名栗川にも言えることですが)。県境で明確に名称の変わってしまう「信濃川・千曲川」や「紀ノ川・吉野川」、「宇治川・瀬田川」とはまた違うニュアンスを感じるのですが、どう表現していいものやら…。

また、地理院もどうしたらいいか分からないのか、括弧書き・サブネーム付きで表現されているもののうち、メジャーどころでは以下のようなものを確認しています。実際にはもっとあるでしょうね。

高瀬川(七戸川)
阿賀川(大川)
相模川(馬入川)
熊野川(新宮川)

特に4番目の熊野川は地理院も大混乱しており、再三括弧の中身が入れ替わったりしています。親玉というか、総元締めにフラフラされると困るんですよねぇ。もともと建設省(現国土交通省)は河口から源流に至るまで、徹頭徹尾名称は通すという方針をうち立てたことが過去にある(資料室長・談)ようですが、信濃川で例外を認めたことでほつれが生じ、今は事実上サジナゲ状態に陥っているのが実状のようです。

気になる書き込みがありますが、レスはまた後ほど。ただ今、一応勤務中なので(自爆)。
[42933] 2005年 7月 10日(日)01:38:52YSK さん
保津川、大堰川、桂川
みなさんにご教示いただきたいことがございます。京都府を流れる桂川の名称についてです。

私は、一般名としては「桂川」と呼ばれるこの川は、保津峡付近(亀岡市~京都市右京区/西京区)で保津川という名前になり、渡月橋付近で「大堰川」となり、下流では「桂川」となって淀川に合流すると考えていました。

しかしながら、ネット検索しますと、たとえばウィキペディアでは、

京都市右京区京北町流域では上桂川(かみかつらがわ)、園部町に入ると桂川、亀岡市に入ると大堰川(おおいがわ)、亀岡市から嵐山あたりまでは保津川(ほづがわ)などと名を変える。

と説明しています。一方、亀岡市保津町より上流は「大堰川」であり、大堰川→保津川(保津峡付近)→大堰川(渡月橋付近)→桂川である、とする説明をするサイトも見られます。

保津川より下流における川の名前の変容はどのサイトや書籍・地図などでも一致しており、それが正解であろうと思います。問題は、保津峡より上流部分の名称です。上述のとおり桂川とするもの、大堰川とするもの、双方のサイトが検索されます。国土地理院のウォッチずでは、上流(京都市右京区京北町付近)は「桂川」と表記されているようです。

このあたりの詳細をご存知のかた、ご解説いただけますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。

同じ川が場所によって名前が変わる例としては、信濃川/千曲川、瀬田川/宇治川/淀川などが思い起こされますが、こういった川は他にどのような例があるのでしょうか。
[42934] 2005年 7月 10日(日)03:29:25たもっち さん
桂川
[42933] YSKさん
桂川上流部の名称がよくわからないとの書き込みにレスしたいのですが、僕もよくわかりません(笑)。
ただ、漠然と持っているイメージは、YSKさんとほとんど変わりません。少々違うのは、川の名前が変わってしまうではなく、本当の名前はずっと「桂川」であって、場所によって「保津川」「大堰川」と呼ばれるのは、ローカルな通称なんだと思っていました。そして、それらの名前で呼ばれる範囲というのは、特にきちっと決まっているわけではないと思っていました。
YSKさんも検索で既に見つけられているかもしれませんが、僕が淀川水系について調べる時に非常に頼りにしているサイトの桂川のページの中にも、
*呼称の変遷については、漁協の管理範囲や橋標の表記などを参考に分類しました。厳密なものではなく、また河川法では全て桂川です。
という記述がありましたので、やはり、正式には、すべて「桂川」でよいようです。また、ウオッちずでも、YSKさん言及の京北あたりに限らず、源流から淀川合流地点まですべて「桂川」としか記載されていないようです。

ちなみに、「大堰川」の由来については、上記のサイトの中に、堰堤があったためだというような記述があります。これは、亀岡盆地内の八木町での話ですが、そういえば、嵐山にも大きな堰があります。どちらが先かはわかりませんが、そういう共通点があるために、少し離れたところ同士で同じ名前を使うようになったのかもしれません。「保津川」「保津峡」の名前については、保津町(昔の保津村)から来ているのではないでしょうか。逆に、保津川の流域だから保津村になったという可能性もなくはないですが。

果たして、YSKさんの疑問に対して、お役に立ったものかどうかわかりませんが、一応、僕の思いを書かせていただきました。

さて、ここからは余談です。
この書き込みのタイトルを書こうとしたときに、「かつらがわ」が最初「葛川」と変換されました。最近、こちらの変換を使用したのかどうか、今ひとつ記憶にないのですが、使ったとすれば、多分、大津市にある葛川のことだろうと思います。これをきっかけに、このあたりの水系がどうなっているのか、地図でたどってみたところ、源流のひとつがこのあたり[37912]あたりで話題になっていた能見峠あるいは久多峠です)から発しているのに気が付き、とても驚きました。なぜ驚いたかというと、峠西側の能見川はすぐに「桂川」に合流するのです。つまり、この峠から西に流れると「桂川」に合流し、東に流れると、「葛川」を流れることになります。これら2つの「かつらがわ」の間には何か関係があるのでしょうか。それとも、ただの偶然でしょうか。
ちなみに、「葛川」という川は見当たらず、川の名前は安曇川です。その後は、琵琶湖に注いだあと、瀬田川、宇治川を経て、大山崎あたりで桂川と合流します。峠で分かれてから合流するまでのそれぞれの流路を地図でたどってみて、改めて淀川水系の思わぬ懐の深さを思い知りました(笑)。

もうひとつ余談です。
ウオッちずで「葛川」を検索してみたところ、「葛川○○町(かつらがわ○○ちょう)」が並んでいる中にひとつだけ、「葛川中村町(くずかわなかむらちょう)」というのがありました。やっぱり、ウオッちずの振っている仮名は信用できません・・・。
[42935] 2005年 7月 10日(日)04:07:23美濃織部 さん
場所によって名前が変わる川
[42933]YSKさん
同じ川が場所によって名前が変わる例としては、信濃川/千曲川、瀬田川/宇治川/淀川などが思い起こされますが、こういった川は他にどのような例があるのでしょうか。

ダム湖コレの編集から気付いたものがいくつかあります。

○阿賀野川(新潟県)/阿賀川(福島県) 阿賀川河川事務所
○富士川/釜無川 (←市川大門町と増穂町の間に架かる富士川大橋より上流を釜無川と呼ぶようです。甲府河川国道事務所
○庄内川(愛知県)/土岐川(岐阜県) 庄内川河川事務所
○熊野川(三重県・和歌山県)/十津川(奈良県)/天の川(奈良県天川村) 紀南河川国道事務所
○紀ノ川(和歌山県)/吉野川(奈良県)
○江の川/可愛川(三次市より上流?)

ローカルな通称なら、さらに多くありそうです。

おまけ
熊野川は、熊野川水系でなく新宮川水系なのですね。地元の要望から熊野川に名称変更したものの、水系名は新宮川のままのようです。ダム湖コレの水系名も変更しました。

おまけその2
紀伊の南部を「南紀」でなく「紀南」と呼称する例は珍しいような。と思ったら、JAやゴルフ場などけっこうあるみたいですね。
[42937] 2005年 7月 10日(日)09:07:45かぱぷう さん
場所によって名前が変わる川
夜明ダム(≒福岡・大分県境)を境に
 筑後川/三隈川
と通称が変わる例があります。
[42940] 2005年 7月 10日(日)13:07:07ゆう さん
川の名前あれこれ
私もたもっちさん([42934])と同意見です。

その川の近くで生活する人々が、眼の前の流れ、或いは生活の範囲内の流れに対して、それぞれ名前をつけたのが、桂川(葛野川)であったり、保津川であったり、大堰川であったりしたのではないでしょうか。
一方、公的機関が河川の上流から下流まで一元管理するためにつけた名前には「桂川」が選ばれた、ということだと思います。淀川への合流部より上流の公式名は「桂川」ですが、その他の名前も息づいているんですね。

美濃織部さんご指摘([42935])の熊野川/新宮川は、公式名と通称の実態がずれ過ぎていたために改称の要望が出た例ですし、他には四万十川/渡川の場合は、下流の名前が公式名になったものの、後から「四万十川」の知名度が上がり公式名を変えてしまった例ですよね。

「江の川」という表記は河川法による指定が初出という話を聞いたことがあります。島根県側では「江川」、広島県側では「郷川」、三次より上流部では「可愛川」と通称されていた、と。
「江の川」指定によって「郷川」は廃れたものの「江川」は今でも使われているようです。


p.s.
7月7日の清須市登場で市りとりが2市伸びました。
[42942] 2005年 7月 10日(日)14:47:20般若堂そんぴん さん
散漫なレース,二題(最上川と松川,日の丸と子どもの描く太陽の色)
[42933]YSKさん
同じ川が場所によって名前が変わる例としては、信濃川/千曲川、瀬田川/宇治川/淀川などが思い起こされますが、こういった川は他にどのような例があるのでしょうか。
あくまでもローカルな名称だと思いますが,米沢市街地を流れる最上川は松川(まつかわ)と呼ばれています.
「最上川の河川敷」というよりも「松川の河川敷」といったほうが話が通じます.
松川橋市立松川小学校松川公園もあります.

[42938]中島悟さん
そして[42787]hmtさん同様、私も「太陽=赤、月=黄」の回路が出来上がってしまってます。
いや~刷り込みって怖いですね~(笑)
多くの国・地域の子どもたちが太陽を黄色く描く中で,日本の子どもたちが描く太陽の赤はやはり「日の丸」の影響でしょうか.
先日,病院からの帰りに見た夕日は異様に赤く巨大で不気味でした.やはり太陽は黄金色がいいな.そういえば,レイ・ブラッドベリの短編に「太陽の黄金(きん)の林檎」という作品があります(未読).
[42945] 2005年 7月 10日(日)15:23:09hmt さん
尾瀬も「北陸」?
[42935] 美濃織部 さん   場所によって名前が変わる川
阿賀野川(新潟県)/阿賀川(福島県) 阿賀川河川事務所

阿賀川河川事務所(福島県内を管轄)のページを開いたら、国土交通省北陸地方整備局の名が目に入りました。
鬼怒川から峠を越えた先に「北陸」とは、ちょっと驚き。

そこで、新潟市にある北陸地方整備局のマップを見たら、北陸信越5県の他に福島県の面積の40%を占める会津地方(阿賀川流域)、山形県の一部(荒川流域)、岐阜県の一部(神通川流域)に及ぶ広大な「北陸」が広がっていました。

新潟県が「北陸」に入るか否かについては、アーカイブズ北陸地方とは、どの範囲か?で論議されていますが、国土交通省の見解では、新潟県に流れ込む川の流域はすべて「北陸」という感じです。このように、目一杯広げた解釈もあるのですね。
ということは只見川上流の尾瀬も含まれるわけで、河川管理上の「北陸地方」は群馬県の一部に及んでいるのでしょうか?
(尾瀬のほかに、信濃川水系の野反湖[5119]もあります。)

焼島潟の記事[42835]を書いた時に参照した明治20年頃の地勢図では、河口まで「阿賀川」になっていました。
その後、地元での呼び方を尊重して、新潟県に入ってからの公式名称を「阿賀野川」に改めたのでしょう。

「公式名称」というのは、公的機関が河川を管理するための名前([42940]ゆうさん)ですが、この川の場合、河川事務所が2つあることが、「阿賀川」と「阿賀野川」の両方を公式名称として残すことに役立ったものと思われます。
両者の境界は福島県と新潟県の県境であると思われるのですが、流域図では、阿賀野川が福島県側に食い込んでいます。

新潟県内を管轄する阿賀野川河川事務所のページを見たら、[42835]で書いた信濃川への合流(1633)後の正徳絵図と分離(1731)後の宝暦絵図を含む河道の変遷図がありました。参考までにリンクしておきます。

阿賀野川・阿賀川の上流は「大川」と呼んだ筈だと、ウオッちずで確認してみました。大川ダム上流の田島までずっと「阿賀川(大川)」となっており、公式には「阿賀川」であるものの、事実上は「大川」が使われていることを考慮した折衷表記と思われます。
[42949] 2005年 7月 10日(日)21:52:06梅8 さん
場所によって名前の変わる川>関川/荒川(新潟県頚城地方)
[42935]美濃織部さん
 新潟県西部の焼け山を源流とし、妙高市、上越市を経て、上越市直江津で日本海に注ぐ関川も二つの名前を持っています。上越市稲田橋より上流が「関川」で下流が「荒川」です。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B7%9D_%28%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%29

 ただし、
  http://www.wada.jorne.ed.jp/area/mizu1.html
 の記事にあるように、「関川」「荒川」が混在して使われていたような印象です。近年、河口部の大改修をおこなったころより「関川」に統一された感じがします。
 
 この川の最下流の橋は「荒川橋」です。
[42973] 2005年 7月 12日(火)12:57:52ペーロケ[愛比売命] さん
縄張り
[42945]hmtさん
国土交通省の見解では、新潟県に流れ込む川の流域はすべて「北陸」という感じです。このように、目一杯広げた解釈もあるのですね。
 「国交省の見解」というのはちょっと発展しすぎかもしれません。なぜなら、拙稿[16095]でもさらりと書きましたが、国交省って、一応各地方ごとに出先機関があるのですが、統一した地域区分ってあるようで無かったりします。しかしまあ、[16095]当時とは異なり、運輸局の区分でも新潟が東北地方でなくなっていますので、統一させようという動きなんでしょうかねえ?しかし、近畿地整には福井県も入っているのが多少気になりますが。まあ、ケースバイケースで区分しているものでしょうね。ただ、河川は他の場合と比べると事情が異なるようです。
 同じ国交省が管理している国道は、会津地方はもちろん、東北地方整備局の管轄です。北陸地整と東北地整の境界は分水嶺ではなく、都道府県境と一致しています(多分)。国道の場合は一本の国道を分割して管理することも可能ですし、恣意的に分割することが出来ます。維持工事などでは近くの都市を基地にした方がかえって都合がいいかもしれません。まあ、都道府県ごとに区分した方が地元との関係も分かりやすいので一般的でしょうが。
 しかし河川の場合は、拙稿[42661]でも書いたとおり、あくまで流域全体で管理するものですから、流域が違う地方に属するからと言って分割して管理するには不都合なんです。阿賀野川流域の場合も同様に、会津地方と新潟平野を切り離して管理することはできません。渇水のときに会津ばっかり水を取っていたら、新潟まで回りません。洪水のときもしかり。だから、恣意的に分割できないんですよね。

 もっと恣意的に分割しているのが港湾。九州地整港湾空港部ではなんと、九州と山口県下関市の合併前の範囲が管轄なんです。旧豊浦郡には国が管理するような港湾施設がないのなら問題はないのでしょうが。

(余談) 横浜税関は飛び地だし、となれば、その横浜税関管轄の飛び地である千葉県にある成田は二重飛び地??
[42974] 2005年 7月 12日(火)15:39:50【1】hmt さん
「相模川(桂川を含む)」という括弧つき正式名称の川
焼島潟[42835]関連で 阿賀野川/阿賀川の記事[42945]が先行しましたが、
同じ川が場所によって名前が変わる例
という話題の発端は、「保津川、大堰川、桂川」[42933] YSK さんでした。

同じ名前を持つ「桂川」ですが、こちらは京都ではなくて、富士山北麓・山中湖や忍野八海を水源とする桂川。
甲斐の国から相模の国に入ると、「相模川」になります。信濃の国を離れて越後の国に入ると「信濃川」([77] Issieさん)とは逆。

…で、公式の名前は? と、国土交通省関東地方整備局 相模川の歴史 を見ると、次のように記してありました。

相模川は正式名称を「相模川(桂川を含む)」とされており、山梨県内では現在でも「桂川」という呼称がとられています。…
桂川と相模川
 相模川は一般に呼び習わされているこの名称のほかに「桂川」という名称を持っています。この2つの名称は「相模川(桂川を含む)」として、昭和44年に一級河川に指定された時に正式名称として登録されました。これは、相模川が山梨県内の区間においては桂川と呼ばれ、この名称が古くから親しまれており、この名を残したいという希望が強くあったためです。現在でも相模川の山梨県内の区間は「桂川」という呼称がとられています。

写真を見ると、「一級河川・相模川・山梨県」という標識板の上に「通称・桂川」とという標識板がついています。

このことから、「相模川(桂川を含む)」という括弧つきの「正式名称」は、山梨県内の現地呼称「桂川」と神奈川県内の現地呼称「相模川」とを勘案して登録された「河川管理用の名称」であって、公文書には用いられるものの、「地名」としての「桂川」や「相模川」を置き換えるものではなく、河川標識も従来の名前によっているいことがわかります。

話は少し飛びますが、同様に「さいたま市」は「行政管理用の名称」であり、「地名」としての「浦和」や「大宮」に取って代わるような性格のものではないと考えます。ところが、現実には道路標識の行先をわざわざ「さいたま」に書き換えてしまい、この落書き帳でも話題になりました。
例えば、[37066] ただけん さん
たぶん所沢市街だったとおもうのですが、
さいたま← →さいたま
という標識(ただし記憶はあやふやですが)をみてビックリした記憶があります。

なお、この件については、総務省の行政苦情救済推進会議によると、
道路管理者に改善を求めたところ、「さいたま」と表示していた道路案内表示の一部は、行先の方面を分かりやすくするため、「旧浦和」、「旧大宮」、「旧与野」の文字を追加して表示することになりました。
により、一応は解決したようです。

[1271] オーナー グリグリさんも、
「小倉(北九州市の新幹線停車駅)」「八戸(本八戸駅がより市の中心に近い)」といった説明を加えれば済むことです。
と、発言されていますが、括弧つきの正式名称「相模川(桂川を含む)」は、この趣旨に沿ったものでしょうか。

相模川に戻ると、その河口部には、「馬入川」という名もあります。
建久九年(1198)の暮、橋供養に訪れた源頼朝の馬が暴れて水に入ったのが由来とされています。この時に落馬したと伝えられる頼朝は十数日後に死亡。働き盛りの権力者を襲った突然の事故と あっけない死。義経や平家の怨霊に祟られたという説が流布した所以です。関東大震災の際に、現在の馬入川から約1.2km離れた(現)茅ヶ崎市内で地上に現れた橋脚がこの事件の現場ではないかと推測され、史跡「旧相模川橋脚」に指定されています。

河口に近い部分だけに特別な通称名があるという点では、六郷川[20031]と共通します。
隅田川も、以前は荒川下流部の通称名とされていましたが、放水路が荒川の本流になった現在は、荒川の支流(派川)の名になりました。隅田川の河口部には「大川」[33296]の名もありましたが、現在は「大川端リバーシティ」などに用いられている程度でしょう。

さて、[42940] ゆう さんの記事にあるように、生活圏の異なる人々が暮らして、それぞれの地域での呼び名を伝えてきた大きな川では、同じ川が場所によって名前が変わるのは自然なことでしょう。一方、河川管理者にとっては、あちこちで名前が変るのは困る。というのが河川名称の悩み所です。

公式名称は下流の「渡川(わたりがわ)」だった川[20034]が、「四万十川」の知名度が上がり公式名を「渡川水系四万十川」変えてしまったり(1994/7/25)、一度は「新宮川」を公式名称にしたが[10360]、実態と離れすぎていたので「新宮川水系熊野川」に変更[42935](1998/4/9)とか。
スナフキん さん[20031]によると、過去に建設省が河口から源流に至るまで、徹頭徹尾名称は通すという方針をうち立てたものの、信濃川で例外を認めたことでほつれが生じ、今は事実上サジナゲ状態に陥っているとのこと。総元締めにフラフラされると国土地理院も大混乱で再三括弧の中身が入れ替わり、スナフキん さんもお困りの様子。
[42976] 2005年 7月 12日(火)17:59:34hmt さん
国土の縄張り
[42973] 愛比売命 さん
国交省って、一応各地方ごとに出先機関があるのですが、統一した地域区分ってあるようで無かったりします。
同じ国交省が管理している国道は、会津地方はもちろん、東北地方整備局の管轄です。

そうですね。「国土交通省の見解」というのは、拡げ過ぎで、せいぜい「国土交通省河川局の見解」なのでしょう。
河川に限定しても、長野県南部(天竜川流域)は中部地方ですから、広大な北陸地方マップを、そのまま鵜呑みにするわけにはゆきません。

九州地整港湾空港部ではなんと、九州と山口県下関市の合併前の範囲が管轄なんです。

「九州」という名は付いていますが、下関地方合同庁舎にあるのですね。まあ、海の視点では、下関と北九州は陸上以上に一体感があるのでしょう。

海を隔てた「国土の縄張り」と言えば、京浜河川事務所が、沖ノ鳥島[26266]の管理もしているのは、注目に値します。
1999年に改正された海岸法により、沖ノ鳥島の保全は国の直轄管理区域になったことは既に記した通りですが、その担当が、なんと京浜河川事務所なのです。
たしかに「港湾」ではない。でもなぜ「河川」?

京浜河川事務所のページには、護岸工事開始前1987年10月撮影の沖ノ鳥島・北小島と東小島の写真が出ています。護岸工事後の姿はこちら
[42979] 2005年 7月 12日(火)23:36:15【3】EMM さん
実は陸地系と水面系の仁義なき争い…か???
[42945][42976] hmtさん
[42973] 愛比売命さん

国交省の国道事務所、河川事務所、港湾事務所を直接所管しているのはそれぞれ地方整備局の道路部、河川部、港湾空港部で、その各部のさらに親玉は本省の道路局、河川局、港湾局(+空港は航空局)でしょうから、各事務所の地方別の区域わけの違いは本省の各局間の見解の相違、と言うことになるのでしょうね。
気になるのが、何でこんな風になったんだろう、と言うこと。
各地方整備局の所管出先の担当区域の重なりを調べていくと、
・1県まるまる道路関係の事務所がA地方整備局所管で河川関係の事務所がB地方整備局所管、と言うところは無かった。
・1県まるまる道路関係&河川関係の事務所がA地方整備局所管、港湾事務所がB地方整備局所管と言うところはある。(福井県)
・国道河川事務所、港湾空港事務所はあるが、国道港湾事務所や河川港湾事務所は全く無い。
と言う点が何か気になります。

また、地方整備局の設置に関する法律等について電子政府の総合窓口で調べてみると、「地方整備局組織規則(平成十三年一月六日国土交通省令第二十一号)」が引っかかってきまして、それによると地方整備局の河川部の事務分掌の中には海岸保全に関することも入っているものの港湾部だけが除外されており、そちらは港湾空港部の所管となっていました。

ここまでで、港湾関係だけが特に独立した形になっているような気がしてきました。

さらに過去の歴史を調べてみると、例えば京浜河川事務所の前身は大正8年、その近隣にある京浜港湾事務所の前身は大正10年には発足しています。
本当は福井県内の港湾事務所や河川事務所の歴史が分かればなお良かったのですが、とりあえず戦前にすでに現在の港湾事務所や河川事務所などの前身に当たる組織はあった訳です。

と、以上のことを並べていった時、ふと頭に浮かんだのが「戦前なら港湾関係は海軍、道路や河川関係は陸軍の影響下にあったんじゃないの?」と言うこと。
で、その関係で戦後の建設省の中でも港湾局とその他の局の管轄区域が違ってきたのでは、と言う気がしてきました。
(道路と河川の担当区域は元々同じ範囲だったのが、愛比売命さんが[42973]でおっしゃっている理由で河川の方がずれてきたのではないかと思っています)
これはあくまで想像にすぎません。裏は取れてません。
逆に国交省北陸地方整備局の港湾関係の管轄区域(福井県~新潟県)と海上保安庁第九管区海上保安本部の管轄区域(石川県~新潟県)がずれており、思いついたものの自信はあんまり無かったりします………



#ただ、旧陸軍と旧海軍間では様々な事に関して見解や体制の相違があり、あちこちで張り合っていたのは事実です。
また、その見解の相違が思わぬところで生き残っていてびっくりさせられることがあります。
例えば、同じある地形名に地形図と海図とで違う漢字が使われており、それが陸軍と海軍の見解の相違に起因しているらしいのです。
海上保安庁海洋情報部のサイト内に「海の相談室」というコーナーがあり、その中のFAQ集に関連したページがあります。
………これを見つけたが為に崎コレで「崎」と「埼」を分けるのをやめたがです………



※タイトル微修正、てにをはの修正
[42994] 2005年 7月 13日(水)16:13:42hmt さん
海の攻撃から陸地を守る
[42976] hmt
京浜河川事務所が、沖ノ鳥島[26266]の管理
たしかに「港湾」ではない。でもなぜ「河川」?
[42979] EMM さん
地方整備局の河川部の事務分掌の中には海岸保全に関することも入っているものの港湾部だけが除外

なるほど。
「海」 に飲み込まれそうな 「陸地」 である沖ノ鳥島を保全するのですから、当然 「陸地系」の部署 が出動するわけですね。
沖ノ鳥島こそ “陸地系と水面系の争い” が、たとえ話でなく、現実に問題化している現場なのでした。
[43000] 2005年 7月 14日(木)13:06:11有明つばめ さん
途中で名前の変わる川
 お久し振りです。

 途中で名前が変わる川としては、熊本県南関町から荒尾市を経て福岡県大牟田市へ流れる関川-諏訪川があります。
 総延長は25kmほどとそれほど長くない二級河川ですが、水源から南関、荒尾までが「関川」、大牟田に入る地点からが「諏訪川」となります。ただ、同じ大牟田でも駛馬地区では「馬込川」という呼称もあるようです(正式名称ではないようですが、昔の人はそう呼んでいたらしい)。
 ちなみにこの関川、上流は大牟田市の「道の駅おおむた」付近にありますが、この辺りでは「関川」と呼ばれたり「諏訪川」と呼ばれたりしているようです(正式にはどちらなのか分かりませんが)。
[43792] 2005年 8月 1日(月)03:01:53futsunoおじ さん
Re:千曲川と信濃川
[43780] 須坂市民・T さん
日本一長い川、一般に信濃川と言われますが、どうして千曲川ではダメなのでしょうか?

 河川の名称は上流と下流で異なる場合、下流側の名称を使用するのが原則のようです。 そんなこと誰が決めたのかと言えば国土省(旧建設省)河川局あたりでしょうか。 (その名称を使用して管理しているわけですから。)
 千曲川・信濃川はたしかに、県境によって名称が変わるわけですが、河川管理上では全体を示す名称として、原則に従い「信濃川」が使用されます。 (その支流を含めた流域全体では、「信濃川水系」ということに。)
 試験問題で「信濃川だと○で千曲川だと×」というのは長野県人にとっては受け入れがたいとは思いますが、千曲川の区間だけでは「日本一長い川」に該当しないと割り切って解答するしかないでしょう。

 これに関しては「落書き帳アーカイブズ 」、信濃川と千曲川 ~場所によって名前の変わる川~ も見てください。

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