[66998] YT さん
大隈重信文書を検索してみたところ、明治8年の府県別面積が以下の史料に町反で載っていました(90~93頁)。
リンク先からView Openすると、84コマの大きなpdf文書が現れました。なんと!左縦書きですね。
(4コマ)明治8年5月 統計寮
総例 昨年中我寮に於て作為せし諸表を蒐輯して1冊とし之を第1回統計表とす
[66993]を書いた時は、統計院(明治18年12月統計局)による「第一統計年鑑」(明治15年)が最初の公表だと思っていましたが、それよりも前に統計寮による資料があったのですね。
(9コマ)第13 庁位置戸口面積表【説明】
戸数人口は明治5年戸籍表に拠ると雖も社寺は原書に従て之を除き庁の位置は6年末の査定に従ふ…
面積は仮に耕地山野の両反別(5年の調査に係る)を以て推算表出す
(48、49コマ)第13 庁位置戸口面積表【本表】
東京府、京都府、大坂府の3府に続いて、茨城県、磐前県、石川県、岩手県、浜松県、…広島県とイロハ順で60県。
総計面積 3,478,490町17087、戸数 6,886,994、人員 31,912,264となっています。
明治15年統計院の面積算出は“伊能忠敬ノ大国三万六千分ノ一ヲ本トシテ算出シ”
[66997]と、現在の面積調と同じく地図に基づいて測定する方法でしたが、こちらは“耕地山野の両反別”調査に基づくというから、いわば「検地方式」のようです。
面積には、“(明治)5年の調査”を使っていますが、他の項目では明治6~7年のデータもあり、府県別は明治8年という発行の時期を反映したものとなっています。
具体的な例で説明すると、明治5年の“耕地山野の両反別”調査の際に存在した(第一次)香川県は消滅しており、讃岐の値は、阿波・淡路と共に名東県に含まれています。
[66998]で指摘されているように、当時は開拓使が管轄していた
北海道 が除外されています。
もちろん、千島も含まれていません(千島樺太交換条約
[43845]は第1回統計表の発行と同じ明治8年5月)。
沖縄は、明治5年に琉球王国を廃止して設置した琉球藩の時代。明治12年3月の琉球処分
[9303]より前で、これも除外。
そして、もう一つ除外されていたのが小笠原。幕末の回収後に始まった日本統治も、生麦事件の影響で早々と撤退。明治8年は、ようやく明治丸を派遣して再度小笠原領有の動きを始めた時期でした。
[26683]
第1回統計表の面積単位に使われた「町」は、1町=10反=100畝(せ)=3000歩です。
1歩(1坪)は1間四方で、メートル法ならば33分の60mの2乗ですから、約3.3058m2。地価について“3.3平方メートルあたり○○円”という表現は今でも使われています。
律令時代には、長さの単位「町」と関連した「1町四方の面積」すなわち3600歩でしたが、中世以後3000歩に変化。
[67006]同様に、事実上現在と同じメートル法換算が通用すると考えると、面積の1町=0.009917355…km2(約1ヘクタール)。
63府県総計 347万8490町17を換算すると 3万4497.4 km2
アレレ!?
北海道などが除外されているにしても、この面積は明らかに小さすぎます。
明治15年統計年鑑面積
[66996] から北海道千島琉球小笠原を除いた 18541.14方里、つまり 285968.74km2の 12%しかありません。
区域の変化のなさそうないくつかの県を選んで、県の面積も比較してみましたが、いずれも9~13%程度であり、何か共通の問題がありそうですが、解決の糸口は見えず謎のまま。
どこかで一桁間違えた? まさかね。