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キーワード「京北」を含む記事が10件見つかりました

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[110021] 2024年 2月 10日(土)01:20:33【1】訂正年月日
【1】2024年 2月 10日(土)01:36:48
サヌカイト さん
変遷情報エクセルデータ中間報告(1) 10府県における各市町村を構成する施行時の郡及び自治体の数
[110000]グリグリさん
 リリースおめでとうございます。時間がとれずにすぐには反応できませんでしたが、「縦横比が1に近い市町村」という内容には、[105910]を思い出さずにはいられませんでした。その時は単純に経緯度で比較したので、当然ながら距離で比較すれば縦長の部類になっていますが、今回のデータを見てもやはり有意にまとまって…いるはずもなく。緯度の違いにより経度差と距離は比例しないことを考慮しても、結局は惜しくもなかったのだなと改めて思い返していました。

ーーーーーーーーーー
本題、というか上の内容を書くついでになりますが、いま取り組んでいることの紹介です。

 激動の市町村を調べた際に変遷情報のエクセルデータがあったら、と思っていました。そこで1年ほど前からこんな感じに整備しはじめたのですが、しばらく「生」コレに力を入れていたので、放置してしまっていました。その制作も終わった今、気が向いた県から少しずつ進めてやっと下記の10府県が完成したので、中間報告としてそのデータでできる一例を示そうと表題のデータを書き込んでみます。かなり長くて見づらい上に、なんの意味があるのかと言われるとそれまでですがご容赦ください。

データ内容
〇エクセルデータは都道府県市区町村の変遷情報に完全に準拠しています。
〇ただし、一部の境界変更などは、その範囲をこのサイトの詳細情報以外に拠っている(採用対象外のものを含む)場合があります。
〇下記データは現在及び平成の大合併前(1999/3/31)自治体の境域に含まれる郡及び構成する施行時市町村の数をまとめたものです。
〇端的に言うと、[100095]MIさんのデータに近いものになっていると思います。
〇表の横幅の関係上「市制町村制施行時市町村の数」を「1889」と略しています。
〇「郡数」の郡は市制町村制施行当時のもののみです。
〇県の中では、「1889」降順→「郡数」降順→「市町村名」現在の市町村名での五十音順(エクセル順)です。
〇市町村の中では、所属する自治体の多い順に郡を表示しています。
〇一部しか含まれないものも、すべて1と数えています。
〇複数の郡にまたがらないものは別表にまとめてあります。
〇元のエクセルデータ自体に間違いはほぼないと思いますが、下記データの集計にあたってちょっと危うい場面があったのでもしかすると誤り、重複があるかもしれないことを予めお詫びしておきます。

(開く)青森県

(開く)宮城県

(開く)千葉県

(開く)新潟県

(開く)山梨県

(開く)京都府

(開く)島根県

(開く)徳島県

(開く)長崎県

(開く)宮崎県

作成した10府県は完全に私の気まぐれで選んでいます。今後もなんとなく増やしていきますが、先に欲しい県やデータがあればお申し付けください。いずれは全都道府県をなんらかの形で公開できたらと思っています。

追伸 逆に「生」コレの残っている課題([109399])のほうには全く手が付けられておらず、恐縮しています。なるべく早く解決させたいのですが、なかなか腰が重い…。
[109348] 2023年 12月 4日(月)18:35:13【3】訂正年月日
【1】2023年 12月 4日(月)20:59:12
【2】2023年 12月 5日(火)18:11:50
【3】2023年 12月 5日(火)19:00:40
むっくん さん
若年で当選した首長PART25(西日本編)
>グリグリさん
前稿に引き続き、若年で当選した首長への情報提供です。

まずは新規情報です。敬称略で記します。

石浦 逸治(京都府北桑田郡弓削村/北桑田郡京北町)
生年月日1907(M40).9.10
北桑田郡弓削村
1949(S24).8.、1950(S25).9.現在弓削村長。1951(S26).8.現在弓削村長ではない。
自治年鑑1948年版でも既に村長より、おそらく1947(S22).4.5に初当選したと推測される。
1947(S22).4.- 1期
就任日年齢は39歳6-7ヶ月
北桑田郡京北
1955(S30).3.27-1961(S36) 2期
就任日年齢は47歳6ヶ月
参考:京都年鑑昭和25年版(編・出版:都新聞社、1949)、京都年鑑昭和26年版(編・出版:都新聞社、1950)、京都年鑑昭和27年版(編・出版:都新聞社、1951)、全京都年鑑昭和34年版(編・出版:夕刊京都新聞社、1958)、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)、Wikipedia(京北町)京都府の歴史年表(PDF)17コマ

福井 鐡治(京都府与謝郡市場村/与謝郡野田川町)
生年月日1913(T2).2.1
1958(S33).10.現在野田川町長、1958(S33).12.21の次期町長選挙で当選した方は別の方。
京都府与謝郡市場村
1948(S23).5.- 2期
就任日年齢は35歳3ヶ月
京都府与謝郡野田川町
1955(S30).3.20- 1期
就任日年齢は42歳1ヶ月
参照:全京都年鑑昭和34年版(編・出版:夕刊京都新聞社、1958)、野田川町誌(編・発行:野田川町、S44.6.1)、京都府の歴史年表(PDF)17コマ

往西 駿太郎(奈良県添上郡平和村)
生年月日1907(M40).12.1
1947(S22).4.5無投票当選、1951(S26).4.23無投票で再選
1947(S22).4.- 2期
就任日年齢は39歳4ヶ月
参考:奈良県年鑑昭和29年(編・発行:奈良タイムス社、S28.11.1)

内藤 倉三郎(奈良県添上郡帯解町)
生年月日1911(M44).10.18
1947(S22).4.5無投票当選、1951(S26).4.23無投票で再選
1947(S22).4.- 2期
就任日年齢は35歳5ヶ月
参考:奈良県年鑑昭和29年(編・発行:奈良タイムス社、S28.11.1)

中田 寛孝(奈良県吉野郡大塔村)
生年月日1917(T6).6.21
自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)では村長ではなくて、1948(S23).11.20村長、1953(S28).11.1現在36歳で村長、1956(S31)現在元村長。以上より任期を次の通り推測します。
1948(S23)- 2期
就任日年齢は30-31歳
参考:奈良県要覧昭和24年度版(編・発行:奈良タイムス社、S23.11.20)、奈良県年鑑昭和29年(編・発行:奈良タイムス社、S28.11.1)、奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)

吉尾 利太郎(よしお りたろう)(奈良県生駒郡片桐村/片桐町)
生年月日1910(M43).8.9
1947(S22)村長、1951(S26)再選
1947(S22).- 2-3期
就任日年齢は36歳7ヶ月-37歳4ヶ月
参考:奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)

住川 逸郎(すみかわ いっお)(奈良県吉野郡川上村)
生年月日1908(M41).2.23
1948(S23).11.20村長。1954(S29)別の方が村長で、1956(S31)現在元村長との肩書き。
自治年鑑1948年版では既に村長より、おそらく1947(S22).4.に初当選したと推測される。
1947(S22).4.- 1-2期。
就任日年齢は39歳1-2ヶ月
1957(S32).2.23の選挙で現職に競り勝ち当選。
1957(S32).2.- 1期以上
就任日年齢は49歳0ヶ月
参考:奈良県要覧昭和24年度版(編・発行:奈良タイムス社、S23.11.20)、奈良県年鑑昭和30年(編・発行:奈良タイムス社、S29.10.1)、奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)、奈良県年鑑昭和33年(編・発行:奈良タイムス社、S32.10.1)、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)

藤枝 昭信(ふじえだ しょうしん)(奈良県磯城郡三宅村/参議院議員/奈良県磯城郡三宅村)
生年月日1909(M42).2.25
磯城郡三宅村
自治年鑑1948年版でも既に村長より、おそらく1947(S22).4.に初当選したと推測される。
1947(S22).4.- 1期。
就任日年齢は38歳1-2ヶ月
[95317]拙稿での考察より、1948(S23).6.18での参議院議員の立候補にあたり辞職したものと考えられる。
参議院議員
1948(S23).6.18-1950(S25).5.2 1期
就任日年齢は39歳3ヶ月。
磯城郡三宅村
1954(S29).10.1では村長ではないが、1955(S30).4.30の統一地方選挙の前に村長となっています。1958(S33).5.1現在は村長であり、1967(S42).5.1現在は村長ではない。法律上統一地方選挙の前の一か月は選挙がないので任期は次の通りです。
1955(S30).3.以前- 1-3期
就任日年齢は45歳7ヶ月-46歳2ヶ月
参考:奈良県年鑑昭和30年(編・発行:奈良タイムス社、S29.10.1)、奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)、選挙ドットコムWikipedia(藤枝昭信)、全国町村会史(編・出版:全国町村会、1958)全国町村長名簿昭和42年5月1日(編・出版:全国町村会、1967)

上平 高敬(かみたいら こうけい)(奈良県吉野郡下北山村)
生年月日1915(T4).9.5
1955(S30).4.30-1963(S38).4.29 2期
就任日年齢は39歳7ヶ月
1967(S42).4.30- 2期以上
就任日年齢は51歳7ヶ月
参考:奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)、下北山村史(編:木村博一、出版:下北山村、S48.3.31)

寺尾 清三(高知県安芸郡安田町)
1963(S38).4.26無投票当選。1967(S42).4.28無投票当選時43歳。1966(S41).3.25、1970(S45)、1972(S47).3.1、1979(S54).11.、1980(S55).11.、1981(S56).11.も町長。1962(S37)、1990(H2).8.は町長ではない。
前町長は1963(S38).4.17に県議会議員となっているので任期は当選日からとなります。
1963(S38).4.26- 5-7期
生年月日は1923(T12).4.29-1924(T13).4.28。
就任日年齢は39歳と推測。
参考:高知年鑑昭和38年版(編:高知新聞出版部、出版:高知新聞社、S37.10.20)、高知年鑑昭和39年版(編:高知新聞出版部、出版:高知新聞社、S38.10.31)、高知年鑑1980年版(編:高知新聞出版部、出版:高知新聞社、S54.11.)、高知年鑑1981年版(編:高知新聞出版部、出版:高知新聞社、S55.11.)、高知年鑑1983年版(編:高知新聞出版部、出版:高知新聞社、S57.11.)、選挙の記録(昭和42年)(編・出版:高知県選挙管理委員会、1967)、広報うまじ昭和41年3月25日(PDF)2コマ右上、広報やすだ令和5年(2023年)8月1日(PDF)9コマ、全国町村会五十年史(編・出版:全国町村会、1972)、安田町町勢要覧1990(編:安田町総務課、出版:安田町、1990.8)

川村 英雄(高知県長岡郡吉野村)
生年月日1907(M40).11.
1952(S27).8.1現在44歳8-9ヶ月の時には既に村長
自治年鑑1948年版でも既に村長より、おそらく1947(S22).4.に初当選したと推測される。
1947(S22).4.- 2-3期
就任日年齢は39歳4-5ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)
#自治年鑑1948年版の高知県では(1947(S22).8.1幡多郡大正村の町制、1947(S22).11.3幡多郡三崎村の町制、1948(S23).4.1香美郡大忍村の分割、1948(S23).5.3高岡郡与津村の改称が未反映)より1947(S22).4.5の統一地方選の結果そのままと判断しています。

高橋 耀明(たかはし ようめい)(高知県安芸郡畑山村)
生年月日1908(M41).1.
1952(S27).8.1現在44歳6-7ヶ月の時には既に村長
自治年鑑1948年版でも既に村長より、おそらく1947(S22).4.に初当選したと推測される。
1947(S22).4.- 2期
就任日年齢は39歳2-3ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)

竹葉 快助(たけば かいすけ)(高知県幡多郡下川口村/下川口町)
生年月日1910(M43).6.
1947(S22).5.7-1954(S29).7.30 2期
36歳10-11ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、土佐清水市史(下巻)(編:土佐清水市史編纂委員会、出版:土佐清水市、1980)

都築 良宏(高知県長岡郡西豊永村)
生年月日1909(M42).10.
1947(S22).4.8-1954(S29).5. 2期
就任日年齢は37歳5-6ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、大豊町史近代現代編(編:大豊町史編纂委員会、発行:大豊町教育委員会、S62.9.1)第一章(PDF)71コマ,164コマ

中平 益穂(高知県幡多郡沖ノ島村)
生年月日1908(M41).4.
1947(S22).4.10-1951(S26).4.1、1951(S26).4.24-1954(S29).3.29の2期
就任日年齢は38歳11ヶ月-39歳0ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、宿毛市史(編:宿毛市史編纂委員会、出版:宿毛市教育委員会、1977.3)

難波 誠一(高知県高岡郡長者村)
生年月日1911(M44).2.16
1947(S22).4.7-1949(S24).10.1 1期
就任日年齢は26歳1ヶ月
参考:仁淀村史(編:仁淀村史編纂委員会、出版:仁淀村教育委員会事務局、1969)

大野 年盛(高知県高岡郡長者村)
生年月日1917(T6).12.11
1949(S24).10.28-1954(S29).8.31 2期
就任日年齢は31歳10ヶ月
参考:仁淀村史(編:仁淀村史編纂委員会、出版:仁淀村教育委員会事務局、1969)

岡林 定(おかばやし さだむ)(高知県吾川郡小川村)
生年月日1916(T5).3.
1948(S23).4.-1955(S30).4. 2期
就任日年齢は32歳0-1ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、香北町史(編・出版:香北町教育委員会、1968)

小松 聡夫(こまつ としお)(高知県香美郡暁霞村)
生年月日1923(T12).12.
1951(S26).5.1-1955(S30).4.30 1期
就任日年齢は27歳4-5ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、香北町史(編・出版:香北町教育委員会、1968)

筒井 架裟喜(直和) (高知県吾川郡上八川村/高知県吾川郡吾北村)
生年月日1922(T11).1.
高知年鑑昭和28年では筒井 架裟喜で1952(S27).8.1現在30歳6-7ヶ月の時には既に上八川村の村長。吾北村史では筒井 架裟喜ではなく筒井 直和となっており
吾川郡上八川村
1948(S23).4.-1952(S27).6. 2期
就任日年齢は26歳2-3ヶ月
吾川郡吾北村
1964(S39).5.15-1972(S47).5.14 2期
就任日年齢は42歳3-4ヶ月
1976(S51).5.15- 4期以上
就任日年齢は54歳3-4ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、吾北村史(編・出版:吾北村、1977.11.)、筒井直和伊野町・吾北村・本川村合併協議会だより(PDF)10コマ
昭和58年筒井直和村長、 高知県町村会会長就任
平成3年筒井直和村長、 全国町村会長に就任

三浦 不可止(みうら ふかし)(高知県香美郡西川村)
生年月日1915(T4).1.
1949(S24).1.31と1952(S27).8.1で村長
1949(S24).1.31以前- 2期
就任日年齢は34歳0ヶ月以前
参考:高知県年鑑1949年版(編:栗尾結城、出版:高知新聞社、S24.1.31)、高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)

徳弘 勝(高知県長岡郡大津村)
生年月日1912(M45).6.
1951(S26).8.-1971(S46) 5期
就任日年齢は39歳1-2ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、大津村史(編・出版:大津村、1958)、高知市合併50周年記念誌「はばたけ大津3」(PDF)14コマ
当時の大津村長は、昭和26年から5期20年の大ベテランである徳弘勝氏
16コマ
当時、大津村の職員は、徳弘勝村長(昭和46年より古田俊雄村長)

中嶋 精一郎(高知県吾川郡弘岡上ノ村/高知県吾川郡春野村)
生年月日1918(T7).11.25
吾川郡弘岡上ノ村
1947(S22).4.-1956(S31) 3期。
就任日年齢は28歳5ヶ月
吾川郡春野村
1956(S31)-1959(S34)の1期。
就任日年齢は37歳10ヶ月-38歳1ヶ月
#春野村成立は1956(S31).9.30で選挙はおそらく1956(S31)10-12月と推測されます。
参考:高知年鑑昭和31年(編・出版:高知新聞社、S30.9.15)、『春野町史』(編:春野町史編纂委員会、発行:春野町、S51)中表紙・口絵(PDF)11コマ、昭和後期の春野(PDF)4コマ,7-8コマ

西森 勢喜(高知県高岡郡尾川村)
生年月日1911(M44).8.
1949(S24)-1954(S29) 2期
就任日年齢は37歳4ヶ月-38歳4ヶ月
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)、佐川町史(下)(編・出版:佐川町、1981)

八児 勝(福岡県嘉穂郡桂川町)
1966(S41).7.10当選時38歳。1967(S42).4.28に3回目の当選、1971(S46).4.25に43歳で4回目の当選。1975(S50).4.27に現職で落選。
1963(S38).5.1-1975(S50).4.30 4期
就任日年齢は34-35歳。
生年月日は1927(S2).7.11-1928(S3).7.10。
参考:選挙の記録(昭和42年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1967)、選挙の記録(昭和43-44年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1970)、選挙の記録(昭和46年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1971)、選挙の記録(昭和50年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1975)、Wikipedia(桂川町)

西村 文夫(福岡県田川郡大任町)
1967(S42).4.28に新人で34歳で1回目の当選、1971(S46).4.25に現職で39歳で2回目の当選。1975(S50).4.27に現職で41歳で落選。
1967(S42).4.-1975(S50).4. 2期
参考:選挙の記録(昭和42年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1967)、選挙の記録(昭和46年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1971)、選挙の記録(昭和50年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1975)、福岡県年鑑昭和48年版(編・出版:西日本新聞社、1973)、福岡県年鑑昭和50年版(編・出版:西日本新聞社、1975)、福岡県年鑑昭和51年版(編・出版:西日本新聞社、1976)

阿曇 礎興(福岡県糟屋郡志賀島村/福岡県糟屋郡志賀町)
1967(S42).4.28に現職で6選で52歳。自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)でも村長で、1971年に志賀町は福岡市に編入されたことから、次のように推測します。
1947(S22).4.-1971(S46).4. 6期
就任日年齢は32歳。
生年月日は1914(T3).4.29-1915(T4).4.28。
参考:選挙の記録(昭和42年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1967)、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)

中牟田 良秋(福岡県早良郡早良町)
1969(S44).8.25当選時38歳(前町長任期満了に伴う選挙)。
1970(S45).3.1に町長退職による選挙があった。別の方が当選。
1974(S49).2.24当選時43歳(前町長任期満了に伴う選挙)
1969(S44).8.-1970(S45) 1期
1974(S49).2.-      1期
生年月日は1930(S5).8.26-1931(S6).2.24。
参考:選挙の記録(昭和43-44年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1970)、選挙の記録(昭和45-46年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1971)、選挙の記録(昭和49年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1974.12.)

持永 秋雄(佐賀県小城郡牛津町(旧)/佐賀県小城郡牛津町)
1964(S39).10.2現職で53歳で当選(任期満了S39.10.25に伴う選挙)。1972(S47).10.8現職で7選時62歳(S47.10.24任期満了に伴う選挙)。1980(S55).9.28選挙には出馬せず。ずっと任期満了で来ていたと仮定すると1956(S31).10.25-になります。
小城郡牛津町(旧)
1949(S24).5.-1956(S31).9. 2期
就任日年齢は38-39歳
小城郡牛津町
1956(S31).10.- 7-8期
就任日年齢は45歳
生年月日は1909(M42).10.9-1910(M43).10.8。
参考:選挙の記録(昭和47年)(編・出版:佐賀県選挙管理委員会、1973)、牛津町史(著:伊東祐治、編:牛津町史編纂委員会、出版:牛津町、1958)、選挙の記録(昭和55年)(編・出版:佐賀県選挙管理委員会、1980)

村岡 英二(むらおか えいじ)(佐賀県小城郡三日月村/三日月町)
生年月日1912(T元)
小城郡三日月村
1949(S24)- 2期
就任日年齢は37歳
小城郡三日月村/三日月町
1960(S35).5.20-1988(S63) 7期
就任日年齢は47-48歳
1964(S39).4.29現職で51歳で当選(任期満了S39.5.19に伴う選挙)。1980(S55).4.20に現職で無投票当選6選目(通算8選目)67歳。通算35年町(村)長より推測。
参考:小城市HP、選挙の記録(昭和40年)(編・出版:佐賀県選挙管理委員会、1965)、選挙の記録(昭和55年)(編・出版:佐賀県選挙管理委員会、1980)

久々原 忠海(長崎県西彼杵郡脇岬村/西彼杵郡野母崎町)
生年月日1909(M42).10.17
1959年現在野母崎町(S34.5.-)で脇岬村(S22.4.-)とあわせて通算4期目とあり、昭和42年5月1日は町長ではないことより
西彼杵郡脇岬村
1947(S22).4.- 2期
就任日年齢は37歳5-6ヶ月
西彼杵郡野母崎町
1955(S30).5.- 2-3期
就任日年齢は45歳6-7ヶ月
参考:長崎県人事年鑑1960(編・出版:長崎新聞社、1959.12.1)、第15回参議院人事委員会第3号昭和27年12月3日(PDF)12コマ最上段、全国町村長名簿昭和42年5月1日(編・出版:全国町村会、1967)

平田 次夫(長崎県北松浦郡南田平村)
生年月日1911(M44).5.19
自治年鑑1948年版で村長となっていることより、1947.4.5の統一地方選挙で当選したものと推測。南田平村は1954(S29).4.1田平町になりますが、村長としての経歴しかないとのことなので
1947(S22).4.- 1-2期
就任日年齢は35歳10-11ヶ月
参考:長崎県人事年鑑1960(編・出版:長崎新聞社、1959.12.1)、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)

藤田 友一(長崎県南松浦郡玉之浦町)
生年月日1908(M41).4.11
自治年鑑1948年版で村長となっていることより、1947.4.5の統一地方選挙で当選したものと推測。1958(S33).5.1現在と1959(S34).12.1現在と1967(S42).5.1現在も町長で、1971(S46).4.25現職で落選。
1947(S22).4.-1971(S46).4. 6期
就任日年齢は38歳11ヶ月-39歳0ヶ月
参考:長崎県人事年鑑1960(編・出版:長崎新聞社、1959.12.1)、自治年鑑1948年版(編:自治調査会、出版:ニュース社、S23.6.15)、全国町村会史(編・発行:全国町村会、1958)、全国町村長名簿昭和42年5月1日(編・出版:全国町村会、1967)、、選挙の記録(昭和46年)(編・出版:長崎県選挙管理委員会、1971)

道脇 喜一(長崎県南松浦郡奥浦村)
生年月日1914(T3).4.16
1947(S22).4.-1954(S29).3. 2期
就任日年齢は32歳11ヶ月-33歳0ヶ月
参考:長崎県人事年鑑1960(編・出版:長崎新聞社、1959.12.1)

中島 太郎(長崎県諫早市/衆議院議員)
生年月日1907(M40).10.24
諫早市
1947(S22).4.9- 2期
就任日年齢は39歳5ヶ月
衆議院議員議員
1953(S28).4.19- 2期
就任日年齢は45歳5ヶ月
参考:長崎県人事年鑑1960(編・出版:長崎新聞社、1959.12.1)、諫早市制十年誌(編:諫早市編纂室、出版:諫早市、1951)、長崎県(PDF)13コマ
[109353]Nさんにもありますが、日本の歴代市長第3巻(編・出版:歴代知事編纂会、1985.5)575頁では生年月日は1888(M21).8.19となっています。

松下 正保(長崎県南高来郡南有馬町)
生年月日1920(T9).8.6
1958(S33).5.1現在は町長ではなく、1959(S34).12.1現在と1967(S42).5.1現在と1972(S47).3.1現在では南有馬町町長。仮に1959(S34).4.30の統一地方選挙で当選したとすると、
1959(S34).4.- 4期以上
就任日年齢は39歳8ヶ月
参考:長崎県人事年鑑1960(編・出版:長崎新聞社、1959.12.1)、全国町村会史(編・発行:全国町村会、1958)、全国町村長名簿昭和42年5月1日(編・出版:全国町村会、1967)、全国町村会五十年史(編・発行:全国町村会、1972)

追加情報です。

石山 義雄(滋賀県愛知郡愛知川町)
生年月日1932(S7).6.8
就任日年齢は38歳10ヶ月
参考:滋賀年鑑 昭和49年版(監修:滋賀県、出版:滋賀日日新聞社、1973)

畑中 重次(兵庫県多紀郡村雲村)
生年月日は[97678]とは異なり1912(M45).3.16とありました。
参考:選挙の記録(昭和33・34年)(編・出版:兵庫県選挙管理委員会、1959)

吉岡 信一(よしおか しんいち)(奈良県吉野郡丹生村)
生年月日1919(T8).1.1
就任日年齢は28歳3ヶ月
参考:奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)

泉 徳太(いずみ のりぶと)(奈良県宇陀郡大宇陀町)
参考:奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)

木村 鷹之助(きむら たかのすけ)(奈良県吉野郡下市町)
参考:奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)

三木 守人(みき もりと)(奈良県生駒郡郡山町)
参考:奈良県年鑑昭和32年(編・発行:奈良タイムス社、S31.10.1)

大崎 昌広(高知県高岡郡下半山村)
生年月日1918(T7).1.10
就任日年齢は29歳2ヶ月
参考:高知年鑑昭和31年版(編・出版:高知新聞社、S30.9.15)

黒石 義治(くろいし よしぢ)(高知県幡多郡平田村/高知県宿毛市)
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)

横山 明義(高知県香美郡上韮生村)
生年月日1919(T8).3.
1952(S27).8.1現在33歳4-5ヶ月で既に村長
参考:高知年鑑昭和28年(編:中島成功、出版:高知新聞社、S27.9.15)

梅野 茂芳(福岡県山門郡東山村/福岡県山門郡瀬高町)
山門郡瀬高町
1967(S42).1.20当選時56歳。
1967(S42).1.29-1971(S46).1.28 1期
参考:選挙の記録(昭和42年)(編・出版:福岡県選挙管理委員会、1967)、瀬高町誌(編:瀬高町教育委員会、出版:瀬高町、1974)

志賀 正親(大分県直入郡久住町 (旧)/大分県直入郡久住都町/久住町)
生年月日1919(T8).2.21
就任日年齢は35歳2-3ヶ月/36歳0ヶ月。
参考:選挙の記録(昭和38年)(編・出版:大分県選挙管理委員会、1963)

大久保 太郎(長崎県西彼杵郡為石村/西彼杵郡三和町)
西彼杵郡為石村
1951(S26).4.24-1955(S30).2.10 1期
就任日年齢は36歳4ヶ月
西彼杵郡三和町
1955(S30).3.20-1967(S42).3.31 3期
就任日年齢は40歳2ヶ月
参考:三和町郷土誌(編・出版:三和町、1986.1)

坂井 孟一郎(長崎県西彼杵郡香焼村/香焼町)
生年月日1910(M43).6.23
就任日年齢は36歳10-11ヶ月
参考:長崎県人事年鑑1960(編・出版:長崎新聞社、1959)

吉永 覚 1911.4-1921.4 鹿児島県囎唹郡岩川町 30歳代 1951(S26).4.23 1
正しくは
吉瀬 寛(鹿児島県囎唹郡岩川町)
生年月日1914(T3).4.20
1947(S22).4.5-1951(S26).10. 2期。
就任日年齢は32歳11ヶ月。
参考:大隅町誌(改訂版)(編:大隅町誌編纂委員会、発行:大隅町長永野静夫、H2.3.31)【第四編 近代・現代】第一章行政(PDF)57コマ

上別府 勲(鹿児島県薩摩郡永野村/鹿児島県薩摩郡薩摩町)
薩摩郡薩摩町は1958(S33)-1965(S40)の2期。
[102133]Nさんの1960年に薩摩町長との情報とも一致します。
参考:Wikipedia(薩摩町)


訂正【1】
誤記を修正
訂正【2】
村岡 英二(むらおか えいじ)(佐賀県小城郡三日月村/三日月町)の任期を修正。
訂正【3】
[109353]Nさんの指摘による明確な誤記を修正
[106920] 2023年 2月 14日(火)15:09:15【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 25日(木)18:32:34 by オーナー(表組み改善)
白桃 さん
一対一の合併
市になるとき、あるいは市になってから、村を除く2つの自治体(2市、1市1町、2町)で合併が行われた全ケースを検証?してみました。モレは無いかと思いますが、[106915]で、むっくんさんが仰っているように、合併日は同じでも合併協議が異なるものもあり、実際の数はもっと多い可能性があります。
なお、人口は合併時の境域に組み替えた合併直前の国勢調査人口です。(ただし、1920年10月1日より前に合併が行われたケースは、合併直前の人口統計に記載された数値を使用しております。)
(1)市と町の新設合併・・・47例(人口比単純平均:5.69)
☆人口比が小さい5例
市名合併年・月---合併前市名人口(A)---合併前町名人口(B)--(A)/(B)
ふじみ野2005.10.上福岡市54,630大井町45,4881.20
児島1956.04.児島市37,891琴浦町25,0071.52
石岡2005.10.石岡市52,568八郷町30,5511.72
五泉2006.01.五泉市37,282村松町19,6801.89
山陽小野田2005.03.小野田市45,085山陽町22,3442.02
☆人口比が大きい5例
市名合併年・月---合併前市名人口(A)---合併前町名人口(B)--(A)/(B)
新宮2005.10.新宮市33,133熊野川町2,04316.22
米子2005.03.米子市138,756淀江町9,08115.28
青森2005.04.青森市297,859浪岡町20,87314.27
高岡2005.11.高岡市167,685福岡町13,54412.38
熊野2005.11.熊野市19,607紀和町1,62312.08
(2)市と町の編入合併・・・252例(人口比単純平均:18.45)
☆人口比が小さい5例
市名合併年・月---編入した市人口(A)---編入された町人口(B)--(A)/(B)
常総2006.01.水海道市41,867石下町24,6691.70
田原2005.10.田原市43,132渥美町22,4021.93
石垣1964.06.石垣市25,943大浜町12,5382.07
南魚沼2005.10.南魚沼市44,931塩沢町20,5612.19
取手2005.03.取手市82,527藤代町33,4662.47
☆人口比が大きい5例
市名合併年・月---編入した市人口(A)---編入された町人口(B)--(A)/(B)
京都2005.04.京都市1,467,785京北6,686219.53
東京1920.04.東京市2,347,442内藤新宿町16,287144.13
広島2005.04.広島市1,126,239湯来町7,895142.65
仙台1988.03.仙台市727,948秋保町5,171140.78
福岡1971.04.福岡市853,270志賀町8,79697.01
(3)町と町の新設合併・・・44例(人口比単純平均:2.41)
☆人口比が小さい5例
市名合併年・月---合併前町名人口(A)---合併前町名人口(B)--(A)/(B)
うきは2005.03.吉井町17,209浮羽町16,8361.02
牧之原2005.10.相良町25,656榛原町24,9891.03
出水1954.04.出水町22,212米ノ津町20,2801.10
東海1969.04.上野町30,637横須賀町26,4321.16
あわら2004.03.金津町17,822芦原町14,3561.24
☆人口比が大きい5例
市名合併年・月---合併前町名人口(A)---合併前町名人口(B)--(A)/(B)
新宮1933.10.新宮町25,179三輪崎町3,7886.65
土浦1940.11.土浦町31,000真鍋町5,2515.90
備前1971.04.備前町28,378三石町5,2695.39
鎌倉1939.11.鎌倉町29,412腰越町5,5235.33
富良野1966.05.富良野町30,030山部町6,5974.55
(4)町と町の編入合併・・・5例(人口比単純平均:3.75)
市名合併年・月---編入した町人口(A)---編入された町人口(B)--(A)/(B)
神栖2005.08.神栖町48,575波崎町39,0511.24
那珂湊1954.03.那珂湊町23,065平磯町10,6042.18
潮来2001.04.潮来町25,841牛堀町6,1034.23
那珂2005.01.那珂町45,983瓜連町9,0865.06
田原2003.08.田原町36981赤羽根町6,1516.01
(5)市と市の新設合併・・・7例(人口比単純平均:3.26)
市名合併年・月---合併前市名人口(A)---合併前市名人口(B)--(A)/(B)
西東京2001.01.保谷市102,720田無市78,1651.31
上越1971.04.高田市75,053直江津市45,3571.65
舞鶴1943.05.東舞鶴市56,154舞鶴市29,9031.88
静岡2003.04.静岡市469,695清水市236,8181.98
ひたちなか1994.11.勝田市109,825那珂湊市32,5773.37
福山1966.05.福山市170,158松永市34,6104.92
鹿児島1967.04.鹿児島市328,446谷山市42,6837.70
(6)市と市の編入合併・・・7例( 人口比単純平均:9.05)
市名合併年・月---編入した市人口(A)---編入された市人口(B)--(A)/(B)
那覇1957.12.那覇市110,740真和志市60,9421.82
函館1973.12.函館市241,663亀田市50,6234.77
仙台1988.03.仙台市727,948泉市124,2165.86
岡山1969.02.岡山市291,825西大寺市46,8686.23
川口2011.10.川口市500,598鳩ヶ谷市60,9088.22
さいたま2005.04.さいたま市1,024,053岩槻市109,2479.37
名古屋1963.02.名古屋市1,591,935守山市58,79827.07
[102324] 2021年 9月 9日(木)11:42:25智弁学園 さん
全国市獲り合戦~ルール説明編~
人口 面積 人口密度この3つの合計得点で競う
1位は区の場合はその区がその政令指定都市名となり、市町村の場合はその都道府県名になります。
例えば...東京北区の場合 北市となる 長野県松本市の場合は松本県となりますそのまま全国を勝てば松本国となります。
2位は補欠となります。
1位10pt
2位7pt
3位5pt
4位3pt
5位1pt
6位以下0pt
代表・補欠決定戦は1位が1pt 2位以下が0ptとなります。
[97589] 2019年 3月 24日(日)15:33:23オーナー グリグリ
植栽文字
植栽文字コレクションに、[97585]星野彼方さん(POLA袋井工場)、[97587]今川焼さん(花園大学京北校地)からいただいた情報を追加しました。青春18きっぷの車窓と国道162号の車窓から見つけていただくというのも、夢があっていいですね。これからもよろしくお願いいたします。
[97587] 2019年 3月 22日(金)23:38:26今川焼 さん
植栽文字
[97585] 星野彼方さんに便乗して植栽文字です。
京都市右京区(旧京北町)の国道162号を車で走行中にチラッと見えました。
こちらは大学の施設ですね。
「HANAZONO U.」で花園大学の京北校地のようです。
[85824] 2014年 7月 16日(水)19:42:47【1】白桃 さん
足桐京白三(高校野球連合チーム)
今夏の高校野球を見て驚くのは「連合チーム」の多さ。
高校球児、関係者誰もが、出来ることなら単独チームで出場したいと思っているのでしょうけど、現実はそうもいかない・・・。
心配性の私は、チーム名やユニフォームはどうするの?、もし勝ったら校歌は?、連携プレー、サインの打ち合わせはどうやるのか?
こういう「連合チーム」ですが、そのごくごく一部を地理雑学的?観点からみてみましょう。

人口減少地域の「阿霧釧東白」
阿寒高校(釧路市)、霧多布高校(浜中町)、釧路東高校(釧路町)、白糠高校(白糠町)
・・・一応、釧路総合振興局管内で納まってはいます。

東京にもあります「足桐京白三」
足立東高校(足立区)、桐ヶ丘高校、京北高校、京北白山高校(以上、北区)、三宅高校(三宅村)
・・・すっごい組み合わせ!!!

野球どころ?四国にもひとつ「高岡・窪川・西土佐・城山」
高岡高校(土佐市)、窪川高校(四万十町)、中村高校西土佐分校(四万十市)、城山高校(香南市)
・・・高知県東部から西部まで。

四国には「連合チーム」は一つしかありませんが、高校自体が合併・再編されたケースもあります。(甲子園出場経験でいえば、鳴門渦潮高校、海部高校)
当たり前のことながら、「連合チーム」は市町村の合併のように「地続き」という訳にはいきませんが、高校野球の人気の要因が“地元の代表”という点にもある、と考える私にとっては、やはり、複雑ですね。
せめて、チーム名ぐらいは、シャレたものにしてもらいたいですね。(福島県立二本松高校と香川県立三本松高校の連合名は「五本松」という意味ではありません。)
[79729] 2011年 12月 12日(月)02:11:20白桃 さん
「平成の大合併」と旧市町村単位での人口推移
[79650]で予告したように、「平成の大合併」は旧市町村単位での人口推移にはたして影響を及ぼしたのかどうか調べてみました。

1.対象(旧)自治体:旧2829市町村
除外したのは、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、愛知県、大阪府、札幌市、仙台市、京都市(+京北町)、神戸市、広島市(+湯来町)、北九州市、福岡市、西宮市、尼崎市、明石市、宝塚市、伊丹市、川西市、三田市、芦屋市、猪名川町です。(対象から除外した理由は省略)
2.4つの類型化
単独系:平成の合併を行わなかった市町村
併A系:合併に参加した他の市町村のいずれをも、2000年※国勢調査時点での人口で2倍以上上回っている旧市町村
併B系:合併した旧市町村で、併A、併C以外の旧市町村
併C系:2000年※国勢調査時点での人口において、参加中トップ人口市町村の人口の半分に満たない旧市町村
[79650]では1990年国勢調査人口としておりました。
3.調査項目
1)2000年~2010年の人口減少率
2)1990年~2000年と2000年~2010年の人口減少率の比較※
[79650]では、単純に減少率の差を求める方法を考えておりましたが、それでは不十分だと気がつき以下のように致しました。
(2010年人口×1990年人口)÷(2000年人口×2000年人口)×100・・・「健闘値」と仮称
4.結果の概要
1)人口減少率(%)
全体3万未満1万未満5千未満1千未満
単独系-2.24-6.62-10.50-13.52-15.98
合併系-3.09-7.77-12.00-16.00-29.49
併A系-1.29-7.49-12.44-22.31
併B系-4.95-6.76-10.99-15.80
併C系-7.62-8.43-12.36-16.00-29.49
2)健闘値
全体3万未満1万未満5千未満1千未満
単独系95.6895.7896.4296.1287.77
合併系96.1894.7794.7893.9181.87
併A系96.7195.1496.2693.87
併B系95.1894.6895.5094.61
併C系94.9594.7394.4793.7981.87
5.(全般的)結論
・合併前の市町村単位でみると、合併しなかった市町村は、合併した市町村に比べて人口減少率が低く、健闘値も高い。
・人口規模も小さくなるにつれ、また、合併自治体の中において相対的に人口の少ない旧市町村ほど、人口減少率が高く、健闘値は低くなっている。

以上、稚拙な統計手法でもって粗い分析ではありますが、一応ご報告いたします。
[78653] 2011年 6月 27日(月)15:53:29むっくん さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時)京都府(その4)
[78652]の続きです。

下京区第22組
月見町, 毘沙門町, (中略), 下河原町, 鷲尾町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第23組
元日町, 住吉町, (中略), 艮町, 夷之町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(2)

下京区第24組
東錺屋町, 西錺屋町, (中略), 福島町, 和泉町
は現在下京区として最後より四番目に記載されている「上諏訪町」も下京区第24組であることを併せて
東錺屋町, 西錺屋町, (中略), 福島町, 和泉町, 「上諏訪町」
ではないでしょうか。
「上諏訪町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
参考:(3)

下京区第25組
大津町, 堺町, (中略), 栄町, 本塩竃町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(2)

下京区第26組
八ツ柳町, 波止土濃町, (中略), 南京極町, 都市町
は現在下京区として最後より三番目に記載されている「御影堂町」も下京区第26組であることを併せて
八ツ柳町, 波止土濃町, (中略), 南京極町, 都市町, 「御影堂町」
ではないでしょうか。
「御影堂町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
参考:(3)

下京区第27組
東橋詰町, 本町一丁目, (中略), 豊浦町, 大「坂」町, 鞘町一丁目, (中略), 鍵屋町, 西「ノ」門町, 大和大路一丁目, 大和大路二丁目, 茶屋町, 塗師屋町

東橋詰町, 本町一丁目, (中略), 豊浦町, 大「阪」町, 鞘町一丁目, (中略), 鍵屋町, 西「之」門町, 大和大路一丁目, 大和大路二丁目, 茶屋町, 塗師屋町
ではないでしょうか。
大「坂」町, 西「ノ」門町or大「阪」町, 西「之」門町については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が東山区大阪町東山区西之門町であることより(3)を採用しました。

下京区第28組
五条橋東二丁目, 石垣町西側, (中略), 北棟梁町, 「下新町」, 「上新町」, 鐘鋳町, (中略), 上馬町, 「庵町」, 東音羽町, 西棟梁町
は現在下京区として最後より二番目に記載されている「下梅屋町」も下京区第28組であることを併せて
五条橋東二丁目, 石垣町西側, (中略), 北棟梁町, 「下新シ町」, 「上新シ町」, 鐘鋳町, (中略), 上馬町, 「慈法院庵町」, 東音羽町, 西棟梁町, 「下梅屋町」
ではないでしょうか。
「下梅屋町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
「下新町」, 「上新町」, 「庵町」or「下新シ町」, 「上新シ町」, 「慈法院庵町」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が東山区下新シ町東山区上新シ町東山区慈法院庵町であることより(3)を採用しました。

下京区第29組
大宮三丁目, 御器屋町, (中略), 南油小路町, 松明町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(2)

下京区第30組
西玉水町, 東玉水町, 「榎町」, 打越町, (中略), 常葉町, 「新町」, 西境町, (中略), 紺屋町, 納屋町

西玉水町, 東玉水町, 「榎木町」, 打越町, (中略), 常葉町, 「新シ町」, 西境町, (中略), 紺屋町, 納屋町
ではないでしょうか。
「榎町」or「榎木町」については総ての資料で「榎木町」でした。
「新町」or「新シ町」については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が下京区新シ町であることより(3)を採用しました。

下京区第31組
本町六丁目, 本町七丁目, (中略), 南瓦町, 本池田町
は現状の記載で問題ありません。
参考:(3)

下京区第32組
境内町, 石橋町, (中略), 塩屋町, 金「替」町
は現在下京区として最後に記載されている「東寺町」も下京区第32組であることを併せて
境内町, 石橋町, (中略), 塩屋町, 金「換」町, 「東寺町」
となります。
金「替」町or金「換」町については(A)及び(2)が前者、(3)が後者で、現在の町名が下京区金換町であることより(3)を採用しました。
「東寺町」については(2)では記載がありませんが、他の資料では総て記載があります。
#「東寺町」とは府布達第418号(M12.11.1)で葛野郡八條村の一部が京都市街地へ編入されて東寺町(下京区第32組)と称したものです。

下京区第33組
清閑寺町, 「新熊野村」, 「泉涌寺門前」, 「上諏訪町」, 「御影堂町」, 「下梅屋町」, 「東寺町」
は「上諏訪町」が下京区第24組の町であり、「御影堂町」が下京区第26組の町であり、「下梅屋町」が下京区第28組の町であり、「東寺町」が下京区第32組の町であることも併せて
清閑寺町, 「今熊野町」
ではないでしょうか。
愛宕郡 新熊野村と泉涌寺門前はM4.4.民部省許可(PDF)で合併して今熊野村となりました。
今熊野村は府令第72号(M21.6.25)で下京区に編入され下京区第33組の「今熊野町」となりました。
参考:(2)


◎京都市以外
97 新設/村制 相楽郡加茂村 相楽郡 里村, 高田村, 大野村, 観音寺村, 「法華寺村」, 北村, 兎並村, 美浪村, 銭司村

97 新設/村制 相楽郡加茂村 相楽郡 里村, 高田村, 大野村, 観音寺村, 「法華寺野村」, 北村, 兎並村, 美浪村, 銭司村
ではないでしょうか。
確かに府令第26号及び新旧対照市町村一覧では「法華寺村」となっています。
しかし京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1418頁では「法華寺野村」となっています。
また天保国絵図&旧国旧高取調&(4)&郡区町村一覧(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治12年12月現在)&京都府管下郡区町村名録(村名之部)(編・出版:本城小兵衛、M14.7.)&(3)(明治19年1月現在)の総ての資料で一貫して法華寺野村となっています。
現在は木津川市加茂町法花寺野です。

125 新設/村制 北桑田郡宇津村 北桑田郡 中地村, 「栢」原村, 弓槻村, 栃本村, 下宇津村, 明石村

125 新設/村制 北桑田郡宇津村 北桑田郡 中地村, 「柏」原村, 弓槻村, 栃本村, 下宇津村, 明石村
ではないでしょうか。
確かに府令第26号及び新旧対照市町村一覧では「栢」原村となっています。
しかし京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1428頁では「柏」原村となっています。
また、天保国絵図では宇津柏原村でした。明治になってからの資料では旧国旧高取調&(4)&郡区町村一覧(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治12年12月現在)&京都府管下郡区町村名録(村名之部)(編・出版:本城小兵衛、M14.7.)&(3)(明治19年1月現在)と総ての資料で一貫して「柏」原村となっています。
現在は京都市右京区京北柏原町です。

185 新設/村制 何鹿郡以久田村 何鹿郡 栗村, 位田村, 大畠村, 今田村, 「館村」, 福垣村, 三宅村, 長砂村, 小崎新田

185 新設/村制 何鹿郡以久田村 何鹿郡 栗村, 位田村, 大畠村, 今田村, 「舘村」, 福垣村, 三宅村, 長砂村, 小崎新田
ではないでしょうか。
確かに京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1441頁及び(3)(明治19年1月現在)では 「館村」となっています。
しかし府令第26号及び新旧対照市町村一覧では「舘村」となっています。
また、天保国絵図では栗村之内・舘村、旧国旧高取調&(4)&郡区町村一覧(著・出版:内務省地理局、M14.3.)(明治12年12月現在)&京都府管下郡区町村名録(村名之部)(編・出版:本城小兵衛、M14.7.)では舘村となっています。

224 新設/村制 与謝郡栗田村 与謝郡 新宮村, 脇村, 中村, 小寺村, 上司「村」, 中津村, 小田宿野村, 島陰村, 田井村, 矢原村, 獅子村

224 新設/村制 与謝郡栗田村 与謝郡 新宮村, 脇村, 中村, 小寺村, 上司「町」, 中津村, 小田宿野村, 島陰村, 田井村, 矢原村, 獅子村
ではないでしょうか。
参考:府令第26号

237 新設/村制 与謝郡朝妻村 与謝郡 大原村, 新井村, 井室村, 六万部村, 泊村, 津母村, 峠村, 畑谷村

237 新設/村制 与謝郡朝妻村 与謝郡 大原村, 新井村, 井室村, 六万部村, 泊「リ」村, 津母村, 峠村, 畑谷村
ではないでしょうか。
参考:府令第26号

254 新設/町制 中郡峰山町 中郡 峰山吉原町, 峰山四軒町, 峰山不断町, 峰山上町, 峰山織元町, 峰山室町, 峰山呉服町, 峰山浪花町, 峰山白銀町, 峰山泉町, 「峰山光明寺町」, 杉谷村(微), 峰山御旅町, 峰山富貴屋町, 峰山堺町, 峰山古殿町

254 新設/町制 中郡峰山町 中郡 峰山吉原町, 峰山四軒町, 峰山不断町, 峰山上町, 峰山織元町, 峰山室町, 峰山呉服町, 峰山浪花町, 峰山白銀町, 峰山泉町, 杉谷村(微), 峰山御旅町, 峰山富貴屋町, 峰山堺町, 峰山古殿町
ではないでしょうか。
府令第26号でも京都府市町村合併史(編:京都府立総合資料館、1968)1457頁でも「峰山光明寺町」とは即ち杉谷村字奥谷ノ内・峰山光明寺町である旨の記載があります。

#114の村名が正しく表示されていません。
府令第26号に記載されている村名は、消滅時の1955.1.1亀岡市成立で記されている村名と同じです。

以上、多数になりましたがよろしくお願いします。
[76720] 2010年 11月 9日(火)18:12:26スカンデルベクの鷲[大龍エクスプレス] さん
地名コレクションいろいろ
おがちゃんさんへ
「兄弟姉妹」コレクションから
妹背橋 いもうとせばし 橋 山口県南陽市
の所在地、正しくは「山形県」南陽市だと思われます。

ぺとぺとさんへ
「四季」コレクションで未収録と思われるものがあったので報告します。
兵庫県加古郡播磨町古宮秋ケ池下(こみやあきがいけした)
秋田県由利本荘市福山上冬道沢(ふくやまかみふゆみちざわ)
秋田県由利本荘市福山下冬道沢(ふくやましもふゆみちさわ)
愛知県北設楽郡設楽町津具冬ケ洞(つぐふゆがほら)
京都府京都市右京区京北柏原町冬サコ(けいほくかしわらちょうふゆさこ)
徳島県那賀郡那賀町木頭助冬口上エ(きとうすけふゆぐちうえ)
徳島県那賀郡那賀町木頭助冬口谷下モ(きとうすけふゆぐちだにしも)
はどうでしょうか。ご検討お願いします。


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