都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
YTさんの記事が20件見つかりました

… スポンサーリンク …


記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[103711]2022年1月10日
YT
[99297]2020年3月26日
YT
[99289]2020年3月23日
YT
[99264]2020年3月17日
YT
[99136]2020年1月30日
YT
[99134]2020年1月30日
YT
[99132]2020年1月30日
YT
[99130]2020年1月28日
YT
[98131]2019年7月21日
YT
[98110]2019年7月14日
YT
[97583]2019年3月22日
YT
[97521]2019年2月9日
YT
[97520]2019年2月9日
YT
[97514]2019年2月4日
YT
[97511]2019年2月2日
YT
[97507]2019年1月29日
YT
[97502]2019年1月27日
YT
[97499]2019年1月25日
YT
[97046]2018年11月28日
YT
[97037]2018年11月26日
YT

[103711] 2022年 1月 10日(月)20:46:21YT さん
久々の投稿と今後の予定
何というか、色々なことが重なって、こちらのサイトから遠ざかってしまっているYTです。遠ざかってしまった原因としては

1.二人目の子供も生まれ、休日がすっかり子供のための時間になってしまったこと(これが一番大きい)
休日は朝から晩まで一緒に遊び、寝かせつけるとそのまま一緒に寝てしまう・・・ある意味休日を健康的に過ごすことになって、これはこれでいいのでしょうけど、調べものをする上では弊害となっています。

2.雑務の増加
自分は某大学で研究職を務めていますが、微妙に地位が中間管理職的なものとなり、雑務も増えてしまいました。拘束時間が増えることにより、勝手に専門外の調べものをする時間が減ってしまいました。

3.コロナの影響
某大学には豊富な古文書・図書があるのですが、コロナによって特に文系学部の図書室は事前予約を必要とするため、思い立った時に調べものというのができない状況となってしまいました。コロナが収束したと思いきや、この状況は3年目以降も続きそうです。

と、こういう状況が続いてしまっていますが、総務省統計図書館所蔵の戸籍表を元に、明治22年および明治23年の詳しい市区町村別本籍人口、現住人口(官報ベースと日本帝国民籍戸口表ベース)の再計算を今年中に行うことを目標に何とか頑張ります。
[99297] 2020年 3月 26日(木)02:16:20【6】YT さん
足柄郡
[99296] じゃごたろ さん

それは神奈川県の「足柄上郡」「足柄下郡」です。普通「上○○郡」「下○○郡」とか「北○○郡」「南○○郡」となるのが普通ですが、なぜここだけは「上足柄郡」「下足柄郡」とならずに、「足柄上郡」「足柄下郡」となったんでしょうかね?


明治維新の頃であれば、大和国には葛上(かつらぎのかみ→かつじょう)郡・葛下(かつらぎのしも→かつげ)郡、城上(しきのかみ→しきじょう)郡・城下(しきのしも→しきげ)郡、添上(そふのかみ→そえかみ)郡・添下(そふのしも→そえしも)郡、摂津国には島上郡(しまのかみ→しまかみ)、島下(しまのしも→しましも)郡、駿河国には長上(ながのかみ→ながかみ)郡・長下(ながのしも)郡(中世に消滅)があり、また古代には河内に堅上(かたかみ)郡・堅下(かたしも)郡(→大県郡)がありましたので、さほど珍しい名称ではないと思います(特に畿内と東海では一般的?)。ただ、足柄郡の例を除き、明治30年頃までに他はすべて合併等で消滅してしまったので、たまたま足柄上郡・足柄下郡の例が残ってしまったです。

一応『日本歴史地名体系』から解説を引用すると、奈良時代においては足上郡(あしのかみぐん)・足下郡(あしのしもぐん)が存在し、「足上郡」に関しては「続日本紀」霊亀元年(西暦715年)3月25日の条、「足下郡」に関しては正倉院文書の相模国封戸租交易帳(天平7年(西暦735年))にまで用例が遡るそうです。また倭名類聚抄では「足上」と書いて「足辛乃加美(あしがらのかみ)」と訓読させている例がみられることから、足柄上郡・足柄下郡の呼称も古代に遡り、郡名の起源は足下郡に属する郷の足柄「阿之加良(あしのがら)」に由来すると考えられます。「古事記」によると「足柄之坂本」でヤマトタケルが白い鹿に出会い、「常陸風土記」にも「足柄の岳坂」の記述があることから、「足柄」という地名は郡設置以前から存在し、「足柄郡」という呼称も地域名としては存在したが、郡としては最初から二分割されていたようです。

ただ様々な荘園の分割によりいつしか郡が意識されなくなり、平安後期の「更科日記」には「西富郡」という郡名が登場し、さらに後北条氏支配下の戦国時代の相模国は西郡(にしごおり=足柄上郡+足柄下郡に相当)・中郡・東郡・三浦郡・小坂郡(鎌倉郡)の五郡に再編され、「足柄(上・下)郡」は長らく記録から途絶えます。後に江戸時代の正保郷帳編纂の頃になって「足柄上郡」「足柄下郡」の古代に遡る(といっても完全には同じではない)地域区分が復活し、現在に至る、とのことだそうです。

【追記:江戸幕府による古代郡名の復活について】実のところ、郡というものは古代から脈々と伝わったわけではなく、荘園制度によって一度古代の郡域が乱され、そして幾つもの異なる郡へと再編されてしまっているケースが多いのです。江戸幕府は、郷帳・国絵図作成や朱印状の発給を通じて日本の国土を支配する過程で、国→郡→村という階層構造の把握と再編を行い、延喜式・倭名類聚抄に記された古代の郡名と郡域の復活を図りました。その修正の最大のものが寛文4年(1664年)の寛文印知で、正保郷帳記載の郡名や郡域がかなり訂正されています。しかしながら乱れた郡制を完全に正すことは不可能で、郡名を変えず領・庄名をもって郡名に変えざるを得なかったり、郡名を誤ったりと、色々なことが起こっています。例えば安芸国では寛文4年(1664年)古郡名復古の幕命により、安南郡を安芸郡、安北郡を高宮郡、佐東郡を沼田郡、佐西郡を佐伯郡と改めましたが、延喜式・倭名類聚抄や中世の郡域と異なり、豊田郡内の古沼田郡、高田郡内の古高宮郡とは全く違う地域となってしまい、民間ではなお従来の郡名も通用したという、古郡名復古の誤用が起こりました。

なお寛永17年~18年(1640年~1641年)の小田原領検地帳では「西郡」表記、正保年間(1645年~1648年)に作成された相模国の正保国絵図の写本とされる「慶安年間写 相模国国絵図」では「足柄上郡・足柄下郡」表記、万治元年~3年(1658年~1661年)の小田原領検地帳では「足柄上郡・足柄下郡」表記となっており、「足柄上郡・足柄下郡」の復古は正保の頃と思われます。ただし小田原藩領内の検地帳以外の行政文書では「小田原領西筋・中筋・東筋」という区分の方が一般的だったようです。
[99289] 2020年 3月 23日(月)13:29:08【1】YT さん
広島県 甲第137号布達はM.11.11.11.ではなくてM.11.11.1では?
[99259] むっくん さん
[99285] ekinenpyou さん

広島県 甲第137号布達 M11.11.11 M11.11.11

郡区町村編制法 - Wikipediaでの施行日がM11.11.1とあったため、以下の資料類を再確認した。

広島県史. 第1編(左隅)
公文録・明治十二年・第百七十一巻・府県判任官進退録第九(2コマ)

以上より、布達がM11.11.11に出されたという点に少々疑問が生じました。
(絶対にあり得ない話ではないと思いますが・・・)

戦後改訂された版の『広島県史』調べてみましたが、『広島県史 近代現代資料編I』(1974年)の393~394頁によると
八〇 郡区編制 明治一一・一一・一
               〔「広島県報」〕
 県甲第百三十七号
 今般第十七号公布ニ依り、従前之大小区ヲ廃シ別冊之通郡区編制所轄相定メ候条、此旨布達候事
  明治十一年十一月一日
    広島県令藤井勉三代理
           広島県少書記官 平山 靖彦

    郡区編制

|沼田郡 郡役所位置 沼田郡 南下安村
|高宮郡
  但元ト(二・七)大区ヲ所轄ス

 安芸郡 同     海田市
  但元ト三大区ヲ所轄ス

 佐伯郡 同     廿日市
  但元ト四大区並第一大区庚午新開ヲ所轄ス

 山県郡 同     加計村

 高田郡 同     吉田村

 賀茂郡 同     四日市

 豊田郡 同     忠海村

 御調郡 同     尾道

|深津郡 同     深津郡 福山
|沼隈郡

|安那郡
|品治郡 同     芦田郡 府中市村
|芦田郡

|甲奴郡
|世羅郡 同     世羅郡 甲山町
|三谿郡

|三次郡 同     三次郡 上里村
|恵蘇郡

|奴可郡 同     奴可郡 西城町
|三上郡

 神石郡 同     小畑村

 広島区 区役所位置 広島大手筋一丁目
  但元ト一大区(庚午新開ヲ除クノ外)ヲ所轄ス


また『広島県史年表(明治) 明治元年(1868)~明治45 年(1912)』(pdf)(24コマ目)

1878 明治11 戊寅

11- 1大区小区を廃し広島区と22 の郡を置き,15 の郡区役所を置く〔甲137〕。
11- 1広島県,新設の郡区庁の事務分課を庶務・勧業・租税・勧学・出納の5 掛と定める。177
11- 1町村戸長選挙規則制定〔甲138〕。
11- 1福山支庁廃止〔甲144〕。
11- 1区長・学区取締・医務取締・浦役人を廃止〔丙201〕。
11- 1広島左官町の瀬川浅吉,本覚寺の上隣りへ四階楼を新築し,飲食店を開店〔広島新聞10.5〕。

少なくとも『広島県史』(1972年~1984年版)の方では、明治11年11月11日絡みの法令や記述を確認できませんでした。『広島県史』の活字化の過程で元史料(「広島県報」)の記述を写し間違えた可能性は否定できませんが、[99285]でekinenpyouさんが見つけた戦前の『広島県史』の記述と、公文録の記録からすると、広島県 甲第137号布達が出されたのは明治11年11月1日の可能性の方が高いと思います。

【誤字訂正】
[99264] 2020年 3月 17日(火)16:48:20【6】YT さん
長野県のM12.1.4布達は乙第1号布達
[99259] むっくんさん
郡区町村編制法時の各府県布達の状況を詳しくまとめて頂き、ありがとうございます。
読んでいて所々「?」の箇所があったので、その辺についてこちらで調べさせて頂きました。

1.熊本県の郡区

熊本県 甲第5号布達? M12.1.20? M12.1.20?

熊本県 熊本区 甲第5号布達? M12.1.20?~M22.3.31


新熊本市史 史料編 第六巻 近代I』(1997年)の243~247頁収録の「39 〔郡区町村編成〕(抄) 明治12.1.20 布達便覧」により、甲第5号布達、M12.1.20共に間違いないと思います。以下、細かい町丁村名については(中略)と省略して引用しますと:

甲第五号
 今般太政官第十七号布告ニ拠り、従前ノ大小区画ヲ廃シ郡区トナシ、郡区ノ分割及郡区役所ノ位置別冊ノ通相定候条、此旨布達候事。
  明治十二年一月二十日    熊本県令 富岡敬明

熊本区
 役所ヲ飽田郡新町三丁目ニ置キ熊本区役所ト称ス。
  所轄町百十八 内丸印中二ヶ所当時陸軍省所轄、一ヶ所県庁敷地
 細工町一丁目 細工町二丁目 細工町三丁目
(中略)
 新屋敷町 白川町
飽田郡 詫摩郡
 役所ヲ飽田郡春日村ニ置キ飽田詫摩郡役所ト称ス。
  所轄町三 村百三十九(注:明治十二年一月二十五日甲第二十九号二つにより、「村百三十九」を「村百四十」と正誤。)
 上立田村 下立田村 弓削村
(中略)
以下詫摩郡
 本山村 平田村 高江村
(中略)
 鹿帰瀬村 戸島村
     <以下他郡は略>


『新熊本市史』は、現在熊本市の主な境域となっている熊本区・飽田郡・詫摩郡分しか掲載しておりませんが、明治12年1月20日甲第5号布達には郡区の設置と郡区役場の設置がすべて含まれていたことがわかるかと思います。

2.茨城県の郡区

茨城県 丙第123号布達? M11.12.2 茨城郡→東茨城郡、西茨城郡
葛飾郡(茨城県管下)→西葛飾郡
相馬郡(茨城県管下)→北相馬郡


なぜ「?」を残したのか分かりませんが、リンク先の通りM11.12.2の丙第123号布達で間違いないと思います。一応『茨城県史料 = 近代政治社会編 II』(1976年)の76~77頁から「一八 郡役所設置位置」の「丙第百弐拾三号」を引用しますと:

 丙第百弐拾三号
本年太政官第拾七号公布ニ依リ従前ノ大小区画ヲ廃シ郡治分画及郡役所位置左ノ通相定候条此旨布達候事
  明治十一年十二月二日     茨城県令 野村維章
  郡治分画
 常陸国東茨城郡  東茨城郡役所  東茨城郡水戸
 常陸国西茨城郡  西茨城郡役所  西茨城郡笠間町
 常陸国那珂郡   那珂郡役所   那珂郡菅谷村
 常陸国久慈郡   久慈郡役所   久慈郡太田村
 常陸国多賀郡   多賀郡役所   多賀郡高萩村
 常陸国真壁郡   真壁郡役所   真壁郡下館
 常陸国鹿島郡   鹿島郡役所   鹿島郡鉾田村
 常陸国行方郡   行方郡役所   行方郡麻生村
 常陸国新治郡   新治郡役所   新治郡土浦町
 常陸国筑波郡   筑波郡役所   筑波郡谷田部町
 常陸国信太郡   信太
             郡役所  信太郡江戸崎村
 常陸国河内郡   河内
 下総国西葛飾郡  西葛飾
             郡役所  猿島郡境町
 下総国猿島郡   猿島
 下総国結城郡   結城
 下総国岡田郡   岡田郡役所   豊田郡本宗道村
 下総国豊田郡   豊田
 下総国北相馬郡  北相馬郡役所  北相馬郡取手宿
     〔茨城県布達〕


3.新潟県の郡区

新潟県 甲第42号布達? M12.4.28? 蒲原郡→北蒲原郡、中蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡
魚沼郡→北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡
頸城郡→東頸城郡、中頸城郡、西頸城郡

新潟県市町村合併誌 上巻』(1962年)の157頁収録の「甲第四十二號」により、甲第42号布達、M12.4.28共に間違いないと思います。以下、「甲第四十二號」と「甲第四十三號」を引用しますと:

 甲第四十二號
 昨十一年太政官第十七號公布ニ依リ従前ノ大小区ヲ廃シ郡区名称区域別冊之通相定候条此旨布達候事
 明治十二年四月廿八日
                新潟県令 永山盛輝


 甲第四十三號
 今般郡区制定候ニ付郡区役所位置左ノ通リ相定候左番地並開庁日限等追テ相達候迄ハ旧大小区ノ事務従前ノ通都テ旧正副区長ニ於テ取扱候条此旨布達候事
 明治十二年四月廿八日
                新潟県令 永山盛輝
    新潟区     新潟西堀通六番町
    北蒲原郡    新発田町
    中蒲原郡    新津町
    西蒲原郡    巻村
    南蒲原郡    三条町
    三島郡     与板町
    古志郡     長岡町
    北魚沼郡    小千谷町
    南魚沼郡    六日町村
    中魚沼郡    十日町村
    刈羽郡     柏崎町
    東頸城郡    安塚村
    中頸城郡    高田町
    西頸城郡    糸魚川町
    岩船郡     村上町
    雑太郡     
    加茂郡     相川町
    羽茂郡     


同日に甲第42号布達と甲第43号布達が出ており、郡区役所位置は分けて公布したようです。ただ最初に確認した『新潟県史 資料編15 近代三 政治編I』の方では「「県治報知」明治十二年」を典拠とする甲第43号しか収録されていなかったため、非常に混乱しました。困ったことに、『新潟県史 別冊1 年表・索引』の方では、以下のように謎のM12.4.9という数字が登場してしまいます。

1879  明治12.4.9  郡区改正によって、蒲原郡を4郡、魚沼・頸城郡を各3郡、岩船郡、刈羽郡、三島郡、佐渡3郡に分け、新潟に区制を敷く。これにより大区小区制廃止される((6)619)
1879  明治12.4.28  初代郡区長として16人が任命される((6)619)。


ここで「(6)619」というのは同じ新潟県史の通史編6巻の619頁を指しますが、通史編には叙述的な一般通史が記載されているだけで、詳しい日付や典拠までは示されていません。

さらに『新潟県のあゆみ : 概説』(1990年)の方の年表では:
1879  明治12.4.9  郡区改正、1区17郡となる。大区小区制廃止

新潟県百年史 下巻』(1969年)の方の年表では:
明治12(一八七九)  4-9  郡区改正、蒲原郡を四郡に、魚沼・頸城郡を各三郡に分け、新潟に区制を布く。これにより大区小区制廃止(新潟市史)。

ここでM12.4.9というのが古い方の『新潟市史 上下巻』(1934年;1973年に複製版)を典拠としていることが示されましたが(新しい方の『新潟市史』(1990年~)の方では新潟区の成立日を確認できなかった)、これ以上調べる気力が無くなったので放置します【追記2:調べました】。とりあえず『新潟県市町村合併誌』ではM12.4.9の出来事について何も触れていないので、何かしら間違った日付が残ってしまったと思われます。また元々新潟県の郡の区分の方は、あらかじめ事前に決められているものなので、その時の布告を誤って判断してしまった可能性もあります。

4.長野県の郡区


長野県 乙第4号布達? M12.1.4? 佐久郡→南佐久郡、北佐久郡
 高井郡→上高井郡、下高井郡
 水内郡→上水内郡、下水内郡
 筑摩郡→東筑摩郡、西筑摩郡
 安曇郡→南安曇郡、北安曇郡
 伊那郡→上伊那郡、下伊那郡


長野県史 近代史料編 第二巻(二)政治・行政 郡政』(1982年)の27~29頁収録の「一四 明治十二年一月 県令十六郡名称並郡役所位置・所属・町村等制定達」により、「乙第4号布達」ではなくて「乙第1号布達」が正しいと思われます。以下山林反別の情報を(中略)と省略して引用しますと:

乙第一号
 明治十一年第十七号公布ニ依リ、郡町村ヲ編制シ、郡ノ名称及郡役所ノ位置、所属町村別冊ノ通相定候条、此是布達候事
 但 郡役所仮位置ノ箇所ハ、位置未定ノ義ト可相心得事
  明治十二年一月四日     長野県令 楢崎寛直

 (別冊)
 「明治十二年乙第壱号布達
  編制郡町村
     長野県」
南佐久郡     郡役所位置 臼田村
(中略)
北佐久郡     郡役所位置 岩村田町
(中略)
小県郡     郡役所位置 上田町
(中略)
諏訪郡     郡役所位置 上諏訪村
(中略)
小県郡     郡役所位置 上田町
(中略)
上伊那郡     郡役所位置 伊那村
(中略)
下伊那郡     郡役所位置 飯田町
(中略)
西筑摩郡     郡役所位置 福島村
(中略)
東筑摩郡     郡役所位置 北深志町
(中略)
南安曇郡     郡役所位置 豊科村
(中略)
北安曇郡     郡役所位置 大町村
(中略)
更級郡     郡役所位置 塩崎村ノ内篠ノ井駅
(中略)
埴科郡     郡役所位置 屋代町
(中略)
上高井郡     郡役所位置 須坂町
(中略)
下高井郡     郡役所位置 中野町
(中略)
上水内郡     郡役所位置 長野町
(中略)
下水内郡     郡役所位置 飯山町
(中略)
     (『乙号布達綴 明治十二年』 長野市 長野県庁所蔵)


【追記】なお長野県の場合、郡の分割の方は既に明治11年12月10日付で長野県令楢崎寛直が内務卿伊藤博文に宛てた『内務省宛県令十六郡設置認可伺』(庶第486号)の方に詳しい予定が示され、明治11年12月21日付で内務卿伊藤博文が「書面伺之通聞届候事」として印を押したとしています(『長野県史 近代史料編 第二巻(二)政治・行政 郡政』に収録の史料で、典拠は(『公文編冊 官省指令 一 職務之部 知事官房外 明治十一年』長野市 長野県庁所蔵)としている)。つまりあらかじめ県の方で郡区の分割を決定して内務省に提出し、内務省から返事を貰い、改めて布達を出して郡区の分割を正式に公布するという手続きが存在したことになります。よって新潟県の場合は、郡の分割がこれらよりも前に実施されたと誤解するような文書の混入で、明治12年4月9日実施という誤った情報が一部で採択されたものと思われます。

【追記2】『新潟市史 上巻』の608頁に以下の文章があるのを確認しました。

 明治十二年四月九日、郡区改正あり、県下を新潟区・北・中・西・南蒲原郡・三島・古志郡・北・南・中魚沼郡・刈羽郡・東・中・西・頸城郡・岩船郡・佐渡三郡(雑太・加茂・羽茂)の一区十七郡に割ち新潟一円寄居・白山外新田を新潟区となし、新潟町会所を新潟区役所と改め、市中を二百四十一町一村と定めたり。


とあり、どこにも布達等の情報がありません。さらに612頁には

 明治十二年郡区改正に際し、西島屋野島を出来島新田に復帰せしめ、寄居白山外新田を合して、新潟区新潟町と称し、新潟町会所を新潟区役所と改め、四月三十日を以て、改正による処務を開始せり。


とあり、郡区が成立したとされるM12.4.9の日付も、布告のあったM.12.4.28の日付もなく、新潟区自体の都合による業務開始の日時が掲載されているだけです。よって、M12.4.9は根拠の乏しい数字ということで無視して良いでしょう。

【追記3~6】誤字修正、及び新潟県の甲第四十三號布告の文章修正
[99136] 2020年 1月 30日(木)10:47:26YT さん
99134の訂正
[99135] 白桃さん

ということから、「1947年国調時の境域に組み替えた1940年(昭和15年)国調時の小田原の人口」は55,005ということなのでしょうが、なぜ
昭和10年の国勢調査時の酒匂村の人口7,004人中、3,167人分(45.2%)
となっているのか、つまり、「昭和15年の国勢調査時の酒匂村の人口7,376人中・・・」になっていないのか?。
厚かましいお願いで恐縮ですが、この点、おわかりになれば教えてください。

すみません。内容を十分に検証せずに[99134]を投稿してしまいました。正しくは

「昭和15年(1940年)10月1日の国調時の酒匂村の人口7,376人中、3,167人分(42.9%)が小田原市に入った」

ということになります。
[99134] 2020年 1月 30日(木)04:08:59【1】YT さん
酒匂村の人口の約半分
[99133] 白桃さん

お願い
小田原が1940年(昭和15年)に市制施行した際に、【酒匂村の一部】がくっついていますが、それが何人だったかお判りになる方がおられましたらお教えください。


『昭和25年 国勢調査報告 都道府県編 第7巻 その14 神奈川県』収録の「第1表 面積、人口及び人口密度―市・町・村 (大正9年~昭和25年)」の脚注によると、【昭和10年→】昭和15年の国勢調査時の酒匂村の人口【7,004→】7,376人中、3,167人分(【45.2%→】42.9%)が小田原市に入ったようです。

105) 昭和15.2.11. 足柄下郡足柄村を足柄町とする。((15,188) 備考 昭和5 (13,580)、大正14 (12,868)、大正9 (11,945))
115) 昭和15.12.20. 足柄下郡小田原町 (27,860)、足柄町 (16,807)、大窪村 (4,688)、早川村 (2,483) 及び酒匂村の一部 (3,167) をもって小田原市 (計 55,005) を設置。


昭和10昭和5大正14大正9
(備考)小田原町27,74326,10225,33023,014
足柄町105) 参
大窪村4,4463,6443,6663,301
早川村2,4132,2012,2802,296

120) 昭和 17.4.1. 足柄下郡酒匂村を酒匂町とする。((7,376) 備考 昭和10 (7,004) 昭和5 (6,530)、大正14 (6,480)、大正9 (5,536))

【訂正】【】の部分を修正しました。
[99132] 2020年 1月 30日(木)00:33:10【1】YT さん
1944年2月22日人口調査における市部人口について新たな資料
日本占領関係資料の存在を [99122] ekinenpyou さんによって教えてもらいましたので、自分でも色々1944年人口調査の資料を漁ってみたところ、「米国戦略爆撃調査団文書(RG243」に分類されている「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」にまとめられている1944年2月22日現在の「市」の人口が、1977年出版の『昭和19年 人口調査 集計結果摘要』記載の「市」の人口と異なることに気付きました。

『昭和19年 人口調査 集計結果摘要』では、第2表に「都道府県、市町村及び男女別人口」がまとまっていますが(但し東京都に関しては集計後の原表が、1977年の出版までに何者かによって持ち去られてしまったため、1954年末~1955年始頃の境域で集計されてしまっている([98110]参照))、一部の市町村に関しては「報告もれ等を補正した人口」として、欄外に1,000人単位で修正人口が掲載されています。しかしながら「米国戦略爆撃調査団文書」に収録されていた「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」の人口は、大垣市を除き概ね『集計結果摘要』記載の人口を上回っていました。以下両者の人口と差分をまとめます。

A人口: 『集計結果摘要』記載人口
A'人口: 『集計結果摘要』記載の「報告もれ等を補正した人口」
B人口: 「米国戦略爆撃調査団文書」「Population statistics: Population of cities on I February 1944. Report No. 55a(4)(d), USSBS Index Section 2」記載人口

市区都府県庁A人口A'人口B人口差分(B-A)
札幌市北海道庁225,842225,981139
旭川市北海道庁92,12092,221101
小樽市北海道庁151,905152,148243
函館市北海道庁196,680197,351671
室蘭市北海道庁124,034124,04915
釧路市北海道庁58,92858,96234
帯広市北海道庁38,03938,06627
北見市北海道庁32,20432,2040
夕張市北海道庁75,01075,0100
岩見沢市北海道庁35,34835,3502
弘前市青森県51,03451,0395
青森市青森県100,077100,09316
八戸市青森県77,90977,9145
盛岡市岩手県90,38490,494110
釜石市岩手県41,25541,2550
宮古市岩手県34,73134,7310
仙台市宮城県261,117264,000264,2773,160
石巻市宮城県35,08735,0870
塩竈市宮城県32,12832,1280
秋田市秋田県97,36197,875514
能代市秋田県39,97539,9750
山形市山形県79,18479,20622
米沢市山形県46,82746,8314
鶴岡市山形県35,19235,1953
酒田市山形県39,18539,1905
福島市福島県47,45647,46610
若松市福島県46,74446,7495
郡山市福島県58,27958,2845
平市福島県28,73128,75625
水戸市茨城県66,08266,0820
日立市茨城県84,69984,6990
土浦市茨城県40,31245,00045,1604,848
宇都宮市栃木県90,14590,788643
足利市栃木県47,71547,7150
栃木市栃木県30,56930,854285
佐野市栃木県42,33442,3340
前橋市群馬県85,00885,386378
高崎市群馬県71,03071,04313
桐生市群馬県77,20577,2050
伊勢崎市群馬県40,45840,4580
川越市埼玉県38,45438,873419
熊谷市埼玉県52,20952,26657
川口市埼玉県99,45099,4500
浦和市埼玉県79,98780,161174
大宮市埼玉県69,93870,771833
千葉市千葉県110,130110,995865
銚子市千葉県62,90262,9020
市川市千葉県69,71169,7110
船橋市千葉県60,76260,7620
館山市千葉県31,07431,349275
木更津市千葉県31,55535,00035,2363,681
松戸市千葉県37,01137,0110
特別区東京都6,558,1616,577,62019,459
八王子市東京都77,47877,694216
立川市東京都51,62455,1443,520
横浜市神奈川県1,019,4661,035,0001,034,74015,274
横須賀市神奈川県298,132334,000333,50535,373
川崎市神奈川県380,919381,458539
平塚市神奈川県47,34650,00050,2192,873
鎌倉市神奈川県43,14843,1568
藤沢市神奈川県52,99254,6641,672
小田原市神奈川県57,51457,751237
新潟市新潟県177,289177,767478
長岡市新潟県67,12167,13918
高田市新潟県29,48229,4842
三条市新潟県36,45336,4530
柏崎市新潟県30,98230,9820
富山市富山県160,537160,58144
高岡市富山県112,818112,8257
金沢市石川県193,560193,812252
七尾市石川県31,26231,2653
小松市石川県52,20652,690484
福井市福井県99,47799,50629
敦賀市福井県30,54430,5440
甲府市山梨県105,001105,528527
長野市長野県77,66978,118449
松本市長野県70,24770,687440
上田市長野県34,52834,5379
岡谷市長野県34,08934,14556
飯田市長野県27,43727,4403
諏訪市長野県29,81629,8193
岐阜市岐阜県174,676175,655979
大垣市岐阜県56,99756,990-7
高山市岐阜県34,41334,4218
多治見市岐阜県30,67530,6750
静岡市静岡県211,666212,151485
浜松市静岡県162,754162,81662
沼津市静岡県57,33258,154822
清水市静岡県77,56577,5650
熱海市静岡県27,39827,40911
三島市静岡県35,83335,8330
富士宮市静岡県32,52532,5250
名古屋市愛知県1,344,1001,349,0001,349,2255,125
豊橋市愛知県141,220141,23515
岡崎市愛知県80,07380,443370
一宮市愛知県66,38066,3800
瀬戸市愛知県39,29239,461169
半田市愛知県60,72160,7210
春日井市愛知県38,40643,00043,2644,858
豊川市愛知県46,81675,00074,86928,053
津市三重県74,39375,6501,257
四日市市三重県114,250116,000116,3792,129
宇治山田市三重県64,79264,80715
松阪市三重県34,17534,1750
桑名市三重県42,92142,9210
上野市三重県31,32931,3290
鈴鹿市三重県55,05960,00059,5104,451
大津市滋賀県65,99566,662667
彦根市滋賀県39,69939,7034
長浜市滋賀県39,18639,1860
京都市京都府964,466965,399933
福知山市京都府30,67630,6760
舞鶴市京都府103,698121,000120,97517,277
大阪市大阪府2,833,3442,843,0002,842,9549,610
堺市大阪府217,939221,000220,8142,875
岸和田市大阪府77,71577,7150
豊中市大阪府43,98543,9850
布施市大阪府132,402132,537135
池田市大阪府36,07336,0730
吹田市大阪府63,92863,9280
泉大津市大阪府26,64126,6410
高槻市大阪府30,58430,5840
貝塚市大阪府40,96940,9690
神戸市兵庫県918,032919,1411,109
姫路市兵庫県102,359103,7331,374
尼崎市兵庫県270,073270,0730
明石市兵庫県78,58578,5850
西宮市兵庫県127,457127,4570
洲本市兵庫県27,59627,60711
飾磨市兵庫県36,68536,6850
芦屋市兵庫県37,76237,7620
伊丹市兵庫県40,70840,7080
相生市兵庫県33,52536,00036,0692,544
奈良市奈良県60,21560,727512
和歌山市和歌山県205,396205,505109
新宮市和歌山県29,71729,7170
海南市和歌山県27,16127,1610
田辺市和歌山県30,73530,78348
鳥取市鳥取県45,44945,4490
米子市鳥取県46,99447,03036
松江市島根県54,28254,791509
浜田市島根県31,48531,4927
出雲市島根県36,26936,2690
岡山市岡山県160,902162,0001,098
倉敷市岡山県38,63138,842211
津山市岡山県39,03739,05518
玉野市岡山県45,02045,134114
広島市広島県336,483343,000343,0346,551
呉市広島県293,632339,000339,27845,646
三原市広島県42,05242,0520
尾道市広島県48,36548,864499
福山市広島県57,49057,4900
下関市山口県206,961207,142181
宇部市山口県124,109124,309200
山口市山口県37,03737,11780
萩市山口県30,96030,9600
徳山市山口県42,16943,4521,283
防府市山口県59,20259,776574
下松市山口県38,16438,1640
岩国市山口県53,67255,1771,505
小野田市山口県51,27651,2760
光市山口県35,36250,00050,44615,084
徳島市徳島県116,734117,218484
高松市香川県107,202107,23735
丸亀市香川県25,67725,69114
坂出市香川県30,47530,4750
松山市愛媛県120,091120,636545
今治市愛媛県54,34154,3509
宇和島市愛媛県51,30651,32014
八幡浜市愛媛県30,69030,6900
新居浜市愛媛県51,60551,6050
西条市愛媛県35,13835,273135
高知市高知県136,699137,103404
福岡市福岡県324,499325,9251,426
若松市福岡県87,97689,7811,805
八幡市福岡県252,662252,6620
戸畑市福岡県82,73182,7310
直方市福岡県42,91942,9190
飯塚市福岡県44,76444,78521
久留米市福岡県92,02092,565545
大牟田市福岡県179,574179,5740
小倉市福岡県184,230192,000192,3688,138
門司市福岡県135,482135,4919
田川市福岡県67,48667,4860
佐賀市佐賀県49,17949,479300
唐津市佐賀県38,88338,8830
長崎市長崎県270,113272,000272,3122,199
佐世保市長崎県241,239265,000265,21823,979
島原市長崎県29,78529,7850
諫早市長崎県45,60748,00047,6432,036
大村市長崎県54,21866,00065,89111,673
熊本市熊本県211,011211,691680
八代市熊本県38,64538,6494
人吉市熊本県32,77232,7720
荒尾市熊本県44,31044,560250
大分市大分県80,00381,7871,784
別府市大分県67,26667,2693
中津市大分県41,09341,10411
日田市大分県36,33736,3370
佐伯市大分県32,96433,176212
宮崎市宮崎県79,32380,164841
都城市宮崎県59,57559,5750
延岡市宮崎県72,56672,5715
鹿児島市鹿児島県189,991190,925934
川内市鹿児島県33,85533,8550
鹿屋市鹿児島県52,14652,1460
那覇市沖縄県66,36366,3630
首里市沖縄県17,96417,9640
豊原市樺太庁42,15142,1510

【註】『集計結果摘要』には東京都武蔵野市(54,249)・三鷹市(36,943)・青梅市(26,927)・府中市(30,003)・昭島市(21,088)の人口の記載があるが、これらは1944年当時は存在しない。また豊原市の人口については[98110]を参照。

以上より「米国戦略爆撃調査団文書」でまとめられた市の人口は、『集計結果摘要』で「報告もれ等を補正した人口」とされているものに近く、調査をまとめた原表に1人単位でさらなる報告漏れ等の補正を加えたものが、「米国戦略爆撃調査団文書」のRG243 55a(4)(d)記載人口で、2000人以上の人口補正が合った場合のみ、「報告もれ等を補正した人口」として『集計結果摘要』の欄外に概数が記載されたと思われます(1977年段階で原表が失われた東京都を除く)。となると、『集計結果摘要』は補正人口に関する情報を大分切り捨てて活字化したことになります。

【追記】なお、日本全国での補正人口については[82202] にまとめた通りで、日本全国で+392,607人、都道府県別では広島県の+67,383人、神奈川県の+64,619人、長崎県の+46,344人、愛知県の+39,545人、東京都の+32,532人などの修正が加えられており、空襲等により一部集計結果が焼失してしまったことに対する補正と思われます。
[99130] 2020年 1月 28日(火)23:08:26YT さん
国勢調査報告書の情報の劣化?
DIDの集計を途中で放置して1年近く過ぎてしまい、ひさびさの書き込みです。

[99122] ekinenpyou さん

上記の詳しい経緯はわかりかねますが、S19.2人口調査における東京35区人口を記した資料は現存しています。

ご紹介ありがとうございます。ただ特別区部の問題は一部解決しても、以下のように多摩地区や島嶼部では分離できない人口情報が残ってしまっています(このほか人口異動を伴う境界変更が色々ありますが、練馬区が分離していなかったりするところから、多分そこまでは考慮されていません)。

集計調査摘要記載の市町村名1944.2.22銃後人口合併年月日1944.2.22当時の市町村
青梅市26,927(1951.4.1)西多摩郡青梅町・霞村・調布村
府中市30,003(1954.4.1)北多摩郡府中町・西府村・多磨村
昭島市21,088(1954.5.1)北多摩郡昭和町・拝島村
南多摩郡町田町19,481(1954.4.1)南多摩郡南村・町田町
三宅村2,615(1946.10.1)神着村・伊豆村・伊ヶ谷村
八丈村6,453(1954.10.1)三根村・樫立村・中之郷村・末吉村・鳥打村

CD収録一覧の6コマ(参考)に
10 都道府県間境界変更一覧
11 市区町村合併情報
とあってそのあたりに記載があるのかもしれませんが、統計表(CD収録)には含まれていないようなので、
冊子媒体付属のCDを確認しなければならないのでしょうか???

題名から察するに、冊子体の『平成27年 国勢調査報告 第1巻 人口・世帯総数』の方で、「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」(792頁~801頁)と「参考5 市区町村の変更情報一覧(平成22年10月2日~平成27年10月1日)」(802頁)のことだと思います。この内「参考4 都道府県間の境界変更一覧(大正9年10月2日~平成27年10月1日)」に記入されている平成22年10月2日以降の異動は以下の相模原市~町田市のみです。

年月日移動地域
平成22.12.1神奈川県相模原市の一部(9世帯23人)を町田市に編入
平成22.12.1東京都町田市の一部を相模原市に編入(人口異動なし)
平成25.12.1神奈川県相模原市の一部(4世帯6人)を町田市に編入
平成26.12.1東京都町田市の一部を相模原市に編入(人口異動なし)

また、「参考5 市区町村の変更情報一覧(平成22年10月2日~平成27年10月1日)」の方は、熊本市の区の設置以外、基本的に人口の異動を伴う境界変更の情報が皆無です。

都道府県名実施年月日旧市町村名合併の内容合併、市・町制施行後の状況市区町村コード
岩手県2014.1.1岩手郡滝沢村市制滝沢市03216
2011.9.26東磐井郡藤沢町一関市へ編入一関市(同郡消滅)03209
栃木県2014.4.5下都賀郡岩舟町栃木市へ編入栃木市09203
2011.10.1上都賀郡西方町栃木県へ編入栃木市(同郡消滅)09203
埼玉県2012.10.1南埼玉郡白岡町市制白岡市11246
2011.10.11鳩ケ谷市川口市へ編入川口市11203
千葉県2013.1.1山武郡大網白里町市制大網白里市12239
石川県2011.11.11石川郡野々市町市制野々市市(同郡消滅)17212
愛知県2012.1.4愛知郡長久手町市制長久手市23238
2011.4.1幡豆郡一色町・吉良町・幡豆町西尾市へ編入西尾市(同郡消滅)23213
島根県2011.10.1簸川郡斐川町出雲市へ編入出雲市(同郡消滅)32203
2011.8.1八東郡東出雲町松江市へ編入松江市(同郡消滅)32201
熊本県2012.4.1熊本市政令指定都市熊本市43100
2012.4.1中央区43101
2012.4.1東区43102
2012.4.1西区43103
2012.4.1南区43104
2012.4.1北区43105

総務省統計局の方針が変わったのでしょうか?どうみても境界変更の情報が足りていません!

念のため平成22年度版の「参考6 廃置分合・境界変更・名称一覧」の「(2) 市区町村の境界変更一覧 (平成17年10月2日~平成22年10月1日)」が印刷されている冊子体を確認したところ、『平成22年 国勢調査報告 第1巻 人口・世帯総数』の方に収録されていました。しかしながら今回の平成27年度版では、市区町村の境界変更一覧は1巻に収録されていません。このほか、1巻の内には都道府県ごとに面積や人口集中地区の変更の情報はまとまっていますが、どこからどうみても境界変更の情報が、都道府県単位の場合しか掲載されていません。『人口等基本集計結果』で各都道府県の項目も調べましたが、やはり面積の変更とDIDの変更の情報は載っていても、稲沢市と清須市、貝塚市と泉南郡熊取町、高岡郡中土佐町と四万十町の間の人口異動を伴う境界変更についての情報は全く掲載されていませんでした。

これについては総務省統計局に問い合わせた方が良い案件かも知れません。
[98131] 2019年 7月 21日(日)15:49:46【1】YT さん
北海道の道名について
先日NHKで放送の「永遠のニシパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」を見ました。面白かったのですが、途中の時代描写が駆け足で、もう少し3回ぐらいに分割してじっくりとしたドラマ映像化をして欲しかったと思いました。一方で無駄にフィクション描写を増やすくらいなら、ドキュメンタリー番組として作り直して欲しい気もします。

[98123] hmt さん

この資料には、蝦夷地全体を指す「北加伊道」など6つの地名候補は示されていないようです。


いしかり市民カレッジの「第1回「明治維新と北海道~蝦夷地から北海道へ」」に詳しい経緯が載っていますが、北海道の6つの地名候補については、松浦武四郎が明治2年(1869年)旧暦7月17日付で上申した「蝦夷地道名之儀勘弁申上候書付」に掲載されているようです。残念ながら原本の写しは、北海学園大学が北駕文庫として所蔵しており、オンラインで全貌を閲覧できませんが、「北加伊道」部分の意見書については、いしかり市民カレッジのサイトで閲覧ができます。

・「北加伊道」の項には、江戸中期の尾張国の医師・伊藤信民が出版した『参考熱田大神縁起』(文化8年(1811)の「頭書」を引、「加伊」の字を使った理由を、「夷人自呼其国加伊。加伊蓋其地名。其地名加伊、其人鬚長故用蝦夷字。...」と、「夷人」が自らの「国」を「加伊」と呼んでいたから、と記している。
*文久2年(1862)に出版した『天塩日誌』安政4年(1857)6月27日の部分に、現在の音威子府の辺りでアイヌの長老アエトモから「カイとは此国に産れし者の事」という話を聞いた、という話題を紹介している。

⇒武四郎としては、「北加伊道」に、「北のアイヌ民族が暮らす大地」という意味を込めた、と考えられる。

この内、松浦武四郎著『天塩日誌』『参考熱田大神縁起』の該当箇所]は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。

『天塩日誌』には松浦武四郎が音威子府の地に住む長老アエトモから聞いた話として、以下の文章が確認できます。

北蝦夷にてアイノ(蝦夷人の通称)をカイナーと呼しが此山中に来り見るに同じくカイナーと呼けり。・・・右にて考る時は此国はカイと言やらん


ただ、いしかり市民カレッジの講座の解説によると

(1) 実は、「北海道」は既定路線であった?
・水戸藩主徳川斉昭著『北方未来考』に「松前蝦夷、西ハカラフト、東ハシコタン等、北ハ千島カンサツカ迄ヲ北海道と定、新二国名御附二相成」とある。
・新政府役人であった井上石見と三澤揆一郎が慶応4年(1868)に提出した意見書に「蝦夷二嶋の儀は...北海一道を置かせられて至当の御儀と存じ奉り候、是迄、五畿七道の内、北海道の名目がこれ無きは、祖宗の深意、今日を待たせられ候にもこれ有るべきか」とあって、武四郎の提案以前、政府内部では既に道名として「北海道」が候補に上がっていた。
⇒五畿七道に照らせば、「北海道」は、ある意味、自然な名付けとも言える。
(2)決定過程の資料が確認できない。


とあり、本当に松浦武四郎が「ほっかいどう」を決めたのか、単に空気を読んで「ほっかいどう」を提案した形にしたのかは、はっきりしないところがあるようです。いずれにせよ、旧国名や郡名はほぼ松浦武四郎が提案した通りに採用されたようです。

【誤字等の修正】
[98110] 2019年 7月 14日(日)00:23:50YT さん
昭和19年2月22日における、樺太庁の銃後の市町村別現在人口
[97521]を書き込んだ後、仕事が忙しくなって、DIDの再チェックの作業が止まってしまってもう5ヶ月ぐらい経ってしまいました。こういうのは勢いがないと難しいですね。

それはさておき2ヶ月ほど前、人口集中地区関係の調べものをするために新宿区にある総務省第二庁舎にある総務省統計図書館に行った際、長年懸念事案であった、昭和19年人口調査における東京都の人口問題[82202][82278][85612][85625][85700]に関し、「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化したものをDVD化したものが、総務省図書館にあることに気付き、閲覧しました。

その結果・・・全国の都道府県、市町村の男女別人口表が見事に収録されていることが分かったのですが、肝心の東京都の部分の3頁分が欠落していましました。表には判子で通し番号がなされているので、丁度東京都の市町村別人口の表だけ作成後に紛失してしまったと断定できます。つまり1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』において、東京都に関しては1955年1月頃の境界によって人口が集計されてしまった原因は、おそらく「昭和19年人口調査結果原表」に通し番号が振られた時期(1949年出版の『昭和15年國勢調査昭和19,20,21年人口調査結果報告摘要』のために整理されたと思われる)から、1977年出版の『昭和19年人口調査 集計結果摘要』のために「昭和19年人口調査結果原表」をマイクロフィルム化した時期までの約30年弱の間に、職員の誰かが東京都の部分の表3頁を抜き去ったまま、返さなかったことが原因と考えられます。

こちらの方は残念な結果でしたが、それとは別に樺太の市町村別人口の表が収録されていることを発見しました。

というわけで、10年前[70223]

樺太の昭和15年調国勢調査人口、昭和19年2月22日調人口調査人口について市町村・大字別人口を調べましたが、どうも総人口(昭和15年10月1日現在人口41万4891人、昭和19年2月22日調現在人口39万1825人)以外の統計は、これまで公表されないという結論に達しました。

と書きましたが、今回新たに昭和19年2月22日調人口調査人口の結果が存在することが分かりました。16年前にニジェガロージェッツさんが、1920年から1935年までの国勢調査時の樺太の大字別人口をまとめられましたが([10790][10885][11105][11247][11285][11305])、今回紹介する1944年2月22日人口調査における市町村別人口は、書籍で公開されていない新しい情報の追加となると思います。

ただ(1) 残念ながら大字別人口の表はない (2) 原表に読めない箇所がある、という問題があります。特に読めない問題は深刻です。多分マイクロフィルム化した際に白黒データとなってしまったため、原表の折れやかすれや汚れが全部一緒の濃淡となってしまったのでしょう。今の技術でならグレースケールで処理できそうなものですが、そこは残念です。特に好仁村と海馬村の部分が読解不能(丁度そこで原表が二つ折りになって保存されていたと推測される)なのですが、何とか総数からの減算で、表の人口を埋めました。

地域総数備考
樺太庁計206,764184,756391,520
(樺太庁計追記)3032305
(追記修正後の樺太庁計人口)207,067184,758391,825
市部計20,95820,90941,867
(市部計追記)2822284
(追記修正後の市部計人口)21,24020,91142,151
郡部計185,806163,847349,653
(郡部計追記)21021
(追記修正後の郡部計人口)185,827163,847349,674
豊原市20,95820,90941,867
(豊原市追記)2822284
(追記修正後の豊原市人口)21,24020,91142,151
豊原支庁48,89845,03393,931
 豊北村2,1081,7743,882
 川上村3,3512,6135,964
 落合町15,36213,38028,742
 栄浜村1,6231,8413,464
 白縫村2,5602,0374,597
 大泊町11,70011,35923,059
 千歳村1,1541,2052,359
 深海村7698091,578
 長浜村1,9791,6153,594
 遠淵村1,0531,0362,089
 知床村1,0971,1422,239
 富内村1,1611,0962,257
 留多加町3,2783,6356,913
 三郷村1,4001,1792,579
 能登呂村303312615
真岡支庁46,39744,58890,985
(真岡支庁追記)21021
(追記修正後の真岡支庁人口)46,41844,58891,006
 本斗町5,6135,67011,283
 内幌町6,1595,24911,408
 好仁村2,8532,3235,176女数読解不能、総数は51*0か51*6
 海馬村297320617男数と総数読解不能、女数320か325か326
 真岡町10,22410,39520,619
 (真岡町追記)21021
 (追記修正後の真岡町人口)10,24510,39520,640
 広地村2,3412,3994,740
 蘭泊村2,9893,0806,069
 清水村2,3811,9084,289
 小能登呂村1,8921,6873,579
 野田町3,4973,4966,993
 泊居町5,1445,23510,379
 名寄村1,4761,5353,011
 久春内村1,5311,2912,822
恵須取支庁55,86344,829100,692
 珍内町6,7555,66112,416
 鵜城村2,3071,8484,155
 恵須取町18,80917,15935,968
 塔路町15,44611,02526,471
 名好町9,0256,79315,818
 西柵丹村3,5212,3435,864
敷香支庁34,64829,39764,045
 元泊村2,6002,3664,966
 帆寄村9836921,675
 知取町7,5937,47715,070女数477→7477に訂正
 敷香村16,79313,81330,606
 内路村2,9252,4885,413
 泊岸村3,2032,0775,280
 散江村5514841,035

上で(追記)と書いたのは、原表に数字が追加で書き込まれている箇所です。おそらく刑務所等に収監された在監人の人数と思われますが(『昭和17年 樺太要覧』によると、豊原市と真岡町に刑務所があって、受刑者合計401人)、これを合計した数字を仮に(追記修正後の人口)として上にまとめました(原表にはこの数字は掲載されていない)。よって[82278]
もっとも豊原市の人口が

男 女 男女合計
20,958 20,909 41,867

となっており、[82202]の樺太市部の人口42,151人と矛盾します。
に関しては、疑問が解決しました。

なお国立公文書館の方には「昭和15年・国勢調査結果原表・第14表(三重県~樺太)」なるものが存在するので、もしかしたらこちらも請求すれば、昭和15年10月1日における樺太庁の市町村別、大字別人口の情報が得られるかも知れません。
[97583] 2019年 3月 22日(金)10:24:37YT さん
Googleマップとゼンリンの契約解除
1ヶ月ほど前から仕事が再び忙しくなり、DIDの再チェックの作業が止まってしまっています。

[97574][97577] ekinenpyou さん
遅ればせながら、分かり易い時系列地図を作成して頂きありがとうございます。

※H27長野県松本市DID1の人口は138,658・面積は30.02が正当など(元データは同市DID1&2合計値を誤記と推測)

手元の『平成27年 我が国の人口集中地区 人口集中地区別人口・境界図』のコピーでは、そもそも松本市DID1の人口は138,658人、面積は30.02 km2と印刷されています。よって国土数値情報ダウンロードサービスの誤入力が原因ですね。

「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが
転じて、実態上の面積が0.1km2を下回っていた激レア?な人口集中地区がもしあった場合、
人口密度は5万を大きく上回ることもあるという事ですね・・・

[97521]に示すように、5万人/km2を超えるDIDは過去に10箇所程度しかありません。時間があれば全部検証しますが、例えば一番人口密度が高い、昭和40年の久留米町IのDIDの当時の人口集中地区について、地図から大雑把に面積を求めてみると、大体0.7 km × 0.2 kmの長方形で、総面積は0.14 km2と推定されます。よって、人口密度は8,705/0.14 ≒ 62,179前後となります。人口密度が5万人を切るには、面積が0.1741 km2以上あることが必用ですが、一応該当DIDは0.75 km × 0.22 km = 0.165 km2の長方形にすっぽり入る感じなので、実際に人口密度が5万人を超えたDIDは過去に存在したことは間違いないと思います。

それとは別に、気になったニュースがあります。

「Googleマップが劣化した」 不満の声が相次ぐ ゼンリンとの契約解除で日本地図データを自社製に変更か

なんでもGoogleマップとゼンリンの契約解除により、Googleマップのデータがカーナビの代用品とするには心もとないことになりそうとのこと。それよりも、ここのサイトでのGoogleマップの使用に多少なりとも影響が出るかも知れません。
[97521] 2019年 2月 9日(土)17:54:56【3】YT さん
人口密度5万人/km2以上の人口集中地区の共通点といえば…
[97508] 白桃さん

2.DID人口5,059人の方は、世界的に見ても人口密度が超高かったのです。また、DIDエリア内には世界遺産に登録されているものがあります。

該当人口集中地区は昭和35年において唯一人口密度が5万人/km2を超えていました。しかしながら昭和40年にはこれを上回る、人口密度87,050人/km2という人口集中地区が、現在の東京都東久留米市上の原1丁目~2丁目(東久留米団地)にありました(久留米町第1人口集中地区)。

人口密度5万人/km2を超えた人口集中地区をまとめますと、以下の通りです。

コード上位区分DIDs人口面積人口密度調査年
13-031東京都北多摩郡久留米町I8,7050.187,050昭和40年
22201静岡県静岡市II7,3940.173,940昭和55年
11329埼玉県入間郡日高町5,9230.159,230昭和50年
11219埼玉県上尾市VI5,6350.156,350昭和50年
14109神奈川県横浜市港北区III5,3260.153,260昭和50年
14109神奈川県横浜市港北区III5,2010.152,010昭和55年
11221埼玉県草加市II5,1350.151,350昭和50年
42-012長崎県西彼杵郡高島町II5,0590.150,590昭和35年
27207大阪府高槻市V5,0020.150,020昭和50年

【昭和35年と昭和40年は自治体コード導入前なので、国勢調査報告書記載の通し番号を仮に載せてます。】

これらの共通点といえば・・・要するに面積0.1 km2の人口集中地区です。人口集中地区は人口5,000人以上と定義されていますので、0.1 km2の人口集中地区は即人口密度5万人以上となります。また人口集中地区の面積が小数点以下第2位までとなって以降は人口密度5万人以上の人口集中地区はなくなりました。「有効桁数」が1桁に過ぎない、どころか1という数字で割るという行為により1桁目すら怪しいことを考慮すれば、そもそも人口密度が正確に5万人/km2以上だったのかも怪しいのですが、まあこういう結果となりました。
[97520] 2019年 2月 9日(土)17:32:26【1】YT さん
昭和60年人口集中地区の泉大津市の面積データ
[97507]で昭和55年の人口集中地区の面積データについて、表に記載されていない小数点以下第2位の数字までが人口密度、面積総計の算出に使われているケースをまとめましたが、同様に昭和60年の人口集中地区についても、該当する人口集中地区をまとめました。その結果、

(4)全域が人口集中地区に相当する市区町村の人口密度は,建設省国土地理院の「昭和60年全国都道府県市区町村別面積調」の面積を用いて算出したため個々の数値を計算して得た数値と一致しない。

に該当しない地域であるはずの、大阪府泉大津市についても、なぜか小数点以下第2位までの数字が使われていたことを見出しました。

まず、市区町村の全域が人口集中地区となっている場合の、昭和60年の『我が国の人口集中地区』記載の小数点以下第1位までの面積(面積1)、「全国都道府県市区町村別面積調」記載の小数点以下第2位までの面積(面積2)、およびそれぞれの数字を用いて算出した少数点以下第1位までの人口密度(人口密度1=人口/面積1,人口密度2=人口/面積2)とその差(人口密度1-人口密度2)を、数字に影響が出る連合人口集中地区(特別区部、横浜市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市、広島市、福岡市)と都道府県(埼玉県、東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、広島県、福岡県)、全国のデータと共に以下にまとめます。実際に『我が国の人口集中地区』に記載されている面積は面積1で、記載されている人口密度は人口密度2であり、人口密度や面積の集計・算出に実際に使われている数字は、小数点以下第2位までの数字です。

コードDIDs人口面積1面積2人口密度1人口密度2人口密度差
00000全国73,344,12110,570.710,570.716,938.46,938.40.0
11000埼玉県4,204,944553.6553.577,595.67,596.0-0.4
11220与野市71,5978.38.288,626.18,647.0-20.9
11223蕨市70,4085.15.0913,805.513,832.6-27.1
11226鳩ヶ谷市55,4246.26.208,939.48,939.40.0
13000東京都11,483,075994.7994.7311,544.311,543.90.4
13100特別区部連合8,354,615597.9597.8913,973.313,973.5-0.2
13101千代田区50,49311.511.524,390.74,383.17.6
13102中央区79,97310.110.057,918.17,957.5-39.4
13103港区194,59120.019.999,729.69,734.4-4.8
13104新宿区332,72218.018.0418,484.618,443.641.0
13105文京区195,87611.411.4417,182.117,122.060.1
13106台東区176,80410.010.0017,680.417,680.40.0
13107墨田区229,98613.813.8216,665.716,641.524.2
13108江東区388,92736.936.8910,540.010,542.9-2.9
13109品川区357,73220.920.9117,116.417,108.28.2
13110目黒区269,16614.414.4118,692.118,679.113.0
13111大田区662,81449.449.4213,417.313,411.95.4
13112世田谷区811,30458.858.8113,797.713,795.32.4
13113渋谷区242,44215.115.1116,055.816,045.110.7
13114中野区335,93615.715.7321,397.221,356.440.8
13115杉並区539,84233.533.5416,114.716,095.519.2
13116豊島区278,45513.013.0121,419.621,403.216.4
13117北区367,57920.620.5517,843.617,887.1-43.5
13118荒川区190,06110.310.3418,452.518,381.171.4
13119板橋区505,55631.931.9015,848.215,848.20.0
13120練馬区587,88747.047.0012,508.212,508.20.0
13121足立区622,64053.353.2511,681.811,692.8-11.0
13122葛飾区419,01733.933.9012,360.412,360.40.0
13123江戸川区514,81248.348.2610,658.610,667.5-8.9
13203武蔵野市138,78311.011.0312,616.612,582.334.3
13204三鷹市166,25216.816.839,896.09,878.317.7
13208調布市191,07121.821.798,764.78,768.7-4.0
13210小金井市104,64211.411.359,179.19,219.6-40.5
13211小平市158,67320.920.857,592.07,610.2-18.2
13214国分寺市95,46711.411.408,374.38,374.30.0
13216田無市71,3316.96.8910,337.810,352.8-15.0
13217保谷市91,5688.88.7710,405.510,441.0-35.5
13219狛江市73,7846.26.1511,900.611,997.4-96.8
13222東久留米市110,07913.012.988,467.68,480.7-13.1
14000神奈川県6,622,947835.2835.187,929.87,930.0-0.2
14100横浜市連合2,673,495289.3289.269,241.39,242.5-1.2
14101鶴見区237,08332.632.567,272.57,281.4-8.9
14103西区78,8586.36.2712,517.112,577.0-59.9
14104中区118,27419.119.126,192.46,185.96.5
14105南区191,57812.512.5115,326.215,314.012.2
14130川崎市連合1,056,101117.1117.129,018.89,017.31.5
14131川崎区193,95432.932.945,895.35,888.17.2
14132幸区137,30610.110.0613,594.713,648.7-54.0
14133中原区183,45514.614.5812,565.412,582.6-17.2
14134高津区152,72616.116.149,486.19,462.623.5
23000愛知県4,336,549714.2714.186,071.96,072.1-0.2
23100名古屋市連合2,008,458253.5253.477,922.97,923.8-0.9
23101千種区163,76218.618.558,804.48,828.1-23.7
23102東区71,5067.77.709,286.59,286.50.0
23103北区175,82717.617.629,990.29,978.811.4
23104西区143,11717.117.108,369.48,369.40.0
23105中村区153,12616.316.319,394.29,388.55.7
23106中区67,2789.59.527,081.97,067.014.9
20107昭和区108,43410.910.929,948.19,929.918.2
23108瑞穂区115,12211.411.3610,098.410,134.0-35.6
23109熱田区65,0218.18.138,027.37,997.729.6
23112南区162,96818.618.568,761.78,780.6-18.9
23341西琵琶島町17,8623.23.215,581.95,564.517.4
26000京都府2,055,488231.6231.598,875.28,875.5-0.3
26100京都市連合1,332,038124.2124.1910,724.910,725.8-0.9
26102上京区92,8977.07.0113,271.013,252.118.9
26104中京区100,0157.27.2413,891.013,814.276.8
26106下京区78,7446.76.7411,752.811,683.169.7
27000大阪府8,127,754824.2824.219,861.49,861.30.1
27100大阪市連合2,635,604211.8211.8412,443.812,441.52.3
27101北区44,5015.55.548,091.18,032.758.4
27102都島区91,9255.95.8615,580.515,686.9-106.4
27103福島区57,4974.74.6812,233.412,285.7-52.3
27104此花区68,98711.111.086,215.06,226.3-11.3
27105東区27,5855.95.924,675.44,659.615.8
27106西区58,1575.35.2710,973.011,035.5-62.5
27107港区92,0338.38.2611,088.311,142.0-53.7
27108大正区82,3309.29.158,948.98,997.8-48.9
27109天王寺区55,9394.74.6811,901.911,952.8-50.9
27110南区34,8073.02.9611,602.311,759.1-156.8
27111浪速区49,0743.83.8312,914.212,813.1101.1
27112大淀区46,7844.54.5110,396.410,373.423.0
27113西淀川区92,41113.113.127,054.37,043.510.8
27114東淀川区170,83113.213.1512,941.712,991.0-49.3
27123淀川区159,98112.712.7112,596.912,587.09.9
27115東成区83,8974.54.5118,643.818,602.441.4
27116生野区162,0588.28.2419,763.219,667.296.0
27117旭区110,1476.16.1118,056.918,027.329.6
27118城東区157,4668.58.4718,525.418,591.0-65.6
27124鶴見区89,3368.18.1011,029.111,029.10.0
27119阿倍野区112,4346.16.0618,431.818,553.5-121.7
27120住吉区162,3529.29.1617,647.017,724.0-77.0
27125住之江区135,92319.319.277,042.67,053.6-11.0
27121東住吉区149,3319.79.6815,394.915,426.8-31.9
27122西成区144,2607.47.4219,494.619,442.052.6
27203豊中市413,21336.636.6011,290.011,290.00.0
27205吹田市348,94836.636.609,534.19,534.10.0
27206泉大津市67,72311.511.475,889.05,904.4-15.4
27209守口市159,40013.113.1312,167.912,140.127.8
27223門真市140,59012.212.2111,523.811,514.39.5
27226藤井寺市65,2528.78.707,500.27,500.20.0
27341忠岡町17,2233.63.564,784.24,837.9-53.7
28000兵庫県3,786,168478.9478.877,906.07,906.5-0.5
28202尼崎市509,11549.549.4710,285.210,291.4-6.2
34000広島県1,650,227269.3269.346,127.86,126.90.9
34100広島市連合781,291103.8103.847,526.97,524.02.9
34101中区135,88314.714.749,243.79,218.725.0
40000福岡県2,988,378478.3478.346,247.96,247.40.5
40130福岡市連合1,033,018127.9127.948,076.88,074.22.6
40133中央区140,70714.814.849,507.29,481.625.6

さて、問題となるのが泉大津市の人口集中地区ですが、[97502]でも書いたように、昭和55年の面積の数字が、昭和60年版でいつの間にか修正されてしまったという曰くつきの人口集中地区です。昭和60年版の『我が国の人口集中地区』に記載の数字をまとめると以下の通りです。

DID人口(S55)人口(S60)増減率(%)面積(S55)面積(S60)人口密度人口%(S55)人口%(S60)面積%(S55)面積%(S60)
206 泉大津市67,43567,7232880.411.011.55,904.499.9100.097.199.5

まず人口集中地区の人口密度5,904.4人/km2から人口集中地区の面積を計算すると、67,723÷5,904.4≒11.46992 km2、つまり面積としては11.47 km2が人口密度の算出に使われています。なお昭和60年の国勢調査報告書記載の泉大津市全域の人口と面積はそれぞれ67,723人、11.53 km2です。よって人口集中地区が占める割合は人口では67,723/67,755≒0.99953、面積では11.47/11.53≒0.99480、つまり%の小数点以下第2位で四捨五入すると100.0%、99.5%となり、『我が国の人口集中地区』の記載とも一致し、全域に占める人口集中地区の割合は、人口の方では全域ではないにも関わらず「100.0%」表記になってしまうのです。なお11.5km2で人口密度を小数点以下第1位まで算出すると5,889.0人/km2となるので、『我が国の人口集中地区』では泉大津市に限り、原則を破って少雨数点以下第2位までの数字を面積の算出に使ったという事実が判明しました。

なお平成2年版の『我が国の人口集中地区』をチェックすると・・・なぜか昭和60年における泉大津市の人口集中地区が全域に占める面積の割合が勝手に100.0%に修正されています。11.47 km2では99.5%、11.5 km2では99.7%となってしまうので、100.0%に該当するのは11.53 km2以外考えられません。ところが人口の方は67,723人のまま修正されていません。

DID人口(H02)人口(S60)増減率(%)面積(H02)面積(S60)人口密度人口%(H02)人口%(S60)面積%(H02)面積%(S60)
206 泉大津市67,03567,723-668.0-1.011.711.55729.5100.0100.0100.0100.0

仮に11.53 km2に後から修正されたとすると、面積が+0.06 km2となり、四捨五入後の大阪府の面積は824.3 km2となっていまいます・・・が、平成2年版以降に記載の昭和60年の大阪府の人口集中地区面積は824.2 km2のままです。よって平成2年版の『我が国の人口集中地区』が、昭和60年における泉大津市の人口集中地区の面積が全域に占める割合に関して誤植をしてしまったと考えるのが妥当です。

まあ泉大津市のケースは、人口集中地区の人口が全域に占める割合が四捨五入の結果100.0%になるという例外的な事態に至った結果、面積の方でも特殊な処理をしたのかも知れませんが、このような特殊例がほかにも出てくるかも知れません。
[97514] 2019年 2月 4日(月)23:22:58【1】YT さん
昭和40年の大阪市連合人口集中地区を構成する区の人口集中地区について
[97513] ekinenpyou さん

[97511]での投稿に関し、色々誤った点を指摘して頂き、大変申し訳ありません。先週の土曜日の昼にまとめた際、その辺のチェックを怠っていました。

参考・S45は全国1003・大阪府62(S50横浜市連合DIDのような集約漏れが原因?) → S55で全国1002・大阪府61

これも昭和55年版で数値を入力していて、昭和45年・昭和50年版で数字が異なることを完全に見落としていました。今調べ直したら、昭和45年版、昭和50年版ともに昭和40年の大阪府のDID数が62、全国が1003となっており、昭和55年版で再修正が行われたようです。

改めて昭和35年と昭和40年のDID数をまとめると以下の通りです。

都道府県S40年版S45・S50年版S55年版以降
全国 (S35)970888891
全国 (S40)108610031002
東京都 (S35)492424
東京都 (S40)563333
神奈川県 (S35)443636
神奈川県 (S40)524343
愛知県 (S35)574646
愛知県 (S40)695656
京都府 (S35)211313
京都府 (S40)261818
大阪府 (S35)634242
大阪府 (S40)826261
兵庫県 (S35)403434
兵庫県 (S40)423636
福岡県 (S35)514851
福岡県 (S40)464242

今となっては大阪市内のどのDIDが、昭和45年、昭和50年版で想定された、昭和40年の連合人口集中地区から抜けてしまったのか不明です。昭和40年の人口集中地区地図を見ると、大阪市を構成する22区の第1となる人口集中地区(城東区I、東住吉区I、およびその他20区の人口集中地区)が明白に連担しており、連担していないのは城東区IIと東住吉区II(八尾市を介して実際には市外から連担している)、東住吉区III、東住吉区IVでした。よってDID数に関しては82-22+1=61となる、昭和55年版以降の数字が正しいです。

【題名等訂正】
[97511] 2019年 2月 2日(土)17:31:03【1】YT さん
昭和35年の北九州市人口集中地区と、昭和50年の横浜市連合人口集中地区に関する問題点
もう少しまとまってから投稿しようと思いましたが、[97510]で白桃さんが「連合人口集中地区」について投稿されたので、改めて表題の件について問題点等を投稿します。

昭和35年の国勢調査で人口集中地区が設置された際、当初同一政令都市(東京都特別区部を含む)で連担していても、区が異なれば異なる人口集中地区が設定されていました。しかしながら昭和45年の国勢調査で編纂された『わが国の人口集中地区』では、「連合人口集中地区」が新たに設置されました。その際、過去の人口集中地区の数についても、

連合人口集中地区は、1人口集中地区として数えた。


との修正が加わり、東京都・神奈川県・愛知県・京都府・大阪府・兵庫県・福岡県の昭和35年と昭和40年度の人口集中地区数に変更が遡って加えられました。というわけで昭和35年版の『わが国の人口集中地区』、昭和40年度版の『わが国の人口集中地区』と、昭和45年度版以降の『わが国の人口集中地区』を比較すれば、過去の連合人口集中地区を構成する区の数が分かります。

都道府県S35(S35/S40版)S35(S40/S45版)S35(差)S35(S55-H27版)S40(S40版)S35(差)S40(S45-H27版)S40(差)
全国97088882891791086100284
東京都4924252425563323
神奈川県4436836852439
愛知県5746114611695613
京都府2113813826188
大阪府6342214221826121
兵庫県4034634642366
福岡県5148351046424

実のところ、昭和45年以降に再集計された、昭和35年と昭和40年の連合人口集中地区を構成する区の情報は、「わが国/我が国の人口集中地区」シリーズに記載されておりません。しかしながら、上の人口集中地区数の情報と、昭和35年、昭和40年の人口集中地区の地図を比べることにより、以下のように昭和35年、昭和40年の連合人口集中地区の構成が判明します。

昭和35年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,108,157466.617,377.126千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区I,足立区II,足立区III,足立区IV,葛飾区,江戸川区
横浜市連合1,015,01087.611,586.99鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,磯子区,金沢区II,港北区I
名古屋市連合1,446,705128.711,240.912千種区,東区,北区,西区,中村区I,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区,南区
京都市連合1,137,51578.314,527.79北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区,右京区,伏見区I
大阪市連合2,973,635186.515,944.422北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区
神戸市連合944,39750.518,700.97東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区,長田区,須磨区
(北九州市連合)696,13466.810,421.24八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市


昭和40年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,762,034507.717,258.324千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区I,足立区II,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合1,341,258117.511,415.010鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区IV
名古屋市連合1,650,018146.211,286.014千種区I,東区,北区I,北区II,西区,中村区,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区,南区,守山区
京都市連合1,157,39977.214,992.29北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区I,右京区I,伏見区I
大阪市連合3,089,450191.216,158.222北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区I,阿倍野区,住吉区,東住吉区I,西成区
神戸市連合992,08754.518,203.47東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区I,長田区,須磨区
北九州市連合867,88795.69,078.35門司区,小倉区,若松区,八幡市I,戸畑区

さて、上で問題となるのが昭和35年の「北九州市連合人口集中地区」です。昭和45年版の『わが国の人口集中地区』で過去に遡って人口集中地区が設置された際、北九州市に関しては、昭和35年の人口集中地区が設置された市町村数の項目に

昭和38年に北九州市となった若松市,八幡市,戸畑市,小倉市及び門司市はまとめて1市として数えた。


という脚注が入り、更に福岡県の人口集中地区数も51から48へと、3つ減っています。よって北九州市成立前にも関わらず、北九州市連合集中地区が過去に遡って設置され、集計されたことになります。具体的に当時の地図を見ると、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の4地区が連担しており、若松市は分離していることから、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の4地区に北九州市連合人口集中地区が設置されたことになるかと思います。ところが昭和55年度版の『我が国の人口集中地区』以降では、上の脚注が消え、さらに福岡県の昭和35年の人口集中地区数が、再び51に戻っています。以上をまとめると

(1) 昭和35年の国勢調査時には、八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の人口集中地区は連担していた。
(2) 昭和45年の国勢調査時に「連合集中地区」という概念が導入された際、昭和35年の八幡市I,戸畑市,小倉市,門司市の人口集中地区に関し、「北九州市連合人口集中地区」という集計がなされた。
(3) 昭和55年の国勢調査時になって、北九州市成立以前にまで「北九州市連合人口集中地区」を設置するのは変だという話になったのか、昭和35年の「北九州市連合人口集中地区」はなかったことになった。

こういう流れがあったと思われます。よって現在において過去の連合人口集中地区を議論する場合、昭和35年の連合人口集中地区は、特別区部・横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市のいわゆる六大都市にのみ、後から設置され、昭和40年の連合人口集中地区は北九州市を含めた七大都市に、後から設置されたとする解釈が正しいと思われます。

さて、昭和45年度から導入された『連合人口集中地区』ですが、昭和45年、昭和50年度版では連合人口集中地区を構成する区の人口集中地区にはアスタリスク(*)がつけられたものの、連合人口集中地区としての人口、面積の集計がなされておらず、連合人口集中地区としての集計がなされたのは昭和55年度版の『我が国の人口集中地区』からです。念のため昭和45年度、昭和50年度版の連合人口集中地区の集計を行ったところ、昭和50年の横浜市連合人口集中地区におかしな点を見出しました。

昭和45年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
特別区部連合8,793,123549.316,007.923千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合1,809,305192.09,423.513鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ケ谷区,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,瀬谷区
名古屋市連合1,771,396182.99,685.118千種区I,東区,北区,西区,中村区,中区,昭和区I,昭和区IV,瑞穂区,熱田区,中川区I,中川区II,港区I,港区II,港区III,南区,守山区,緑区I
京都市連合1,194,98490.013,277.69北区,上京区,左京区,中京区,東山区I,下京区,南区I,右京区,伏見区I
大阪市連合2,969,242202.914,634.022北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区I,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区
神戸市連合972,76561.015,947.07東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区I,長田区,須磨区
北九州市連合857,409110.17,787.55門司区,小倉区I,若松区,八幡市I,戸畑区

昭和50年の連合人口集中地区
DIDs人口 (人)面積 (km2)人口密度 (人/km2)構成DIDs数構成DIDs
札幌市連合966,057112.18,617.88中央区,北区I,東区I,白石区I,豊平区I,豊平区II,南区I.西区I
特別区部連合8,643,033576.914,981.923千代田区,中央区,港区,新宿区,文京区,台東区,墨田区,江東区,品川区,目黒区,大田区,世田谷区,渋谷区,中野区,杉並区,豊島区,北区,荒川区,板橋区,練馬区,足立区,葛飾区,江戸川区,(境界未定地域)
横浜市連合(修正前)2,106,371227.09,279.214鶴見区,神奈川区I,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,保土ケ谷区II,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,緑区V
横浜市連合(修正後)2,195,811239.59,168.315鶴見区,神奈川区I,西区,中区,南区,保土ケ谷区I,保土ケ谷区II,磯子区,金沢区,港北区I,戸塚区I,港南区,旭区,緑区V,瀬谷区
川崎市連合947,293102.89,214.95川崎区,幸区,中原区,高津区I,多摩区I
名古屋市連合1,903,057221.08,611.121千種区,東区,北区I,北区II,西区,中村区,中区,昭和区,瑞穂区,熱田区,中川区I,港区I,港区II,南区,守山区I,守山区II,緑区,名東区I,名東区II,天白区I,天白区III
京都市連合1,194,276100.611,871.510北区,上京区,左京区,中京区,東山区II,下京区,南区I,南区II,右京区,伏見区I
大阪市連合2,778,268206.213,473.726北区,都島区,福島区,此花区,東区,西区,港区,大正区,天王寺区,南区,浪速区,大淀区,西淀川区,東淀川区,東成区,生野区,旭区,城東区,阿倍野区,住吉区,東住吉区,西成区,淀川区,鶴見区,住之江区,平野区
神戸市連合908,74367.613,442.97東灘区,灘区,葺合区,生田区,兵庫区,長田区,須磨区I
北九州市連合880,031127.76,891.47門司区,若松区,戸畑区,小倉北区,小倉南区I,八幡東区,八幡西区
福岡市連合852,862104.08,200.65東区,博多区,中央区,南区,西区I

上の表は基本的に*印のついた人口集中地区のみを合算して算出した値なのですが、これを人口集中地区の地図と比較すると、昭和50年の横浜市におかしな点がありました。

昭和50年(1975年)の横浜市瀬谷区周辺の人口集中地区地図(背景の地図は現在のもので、上に昭和50年の人口数中地区のShapeFileを張り付けたもの)をこちらにアップロードしましたが、昭和50年の横浜市瀬谷区の人口集中地区はどうみても隣接する旭区の人口集中地区と連担しているにも関わらず、『我が国の人口集中地区』の表では連合人口集中地区に含まれていません(アスタリスク(*)の表記がない)。瀬谷区は昭和45年の段階でがっつり長い接線を通じて旭区と連担しており(さらに前の昭和40年の戸塚区第4人口集中地区~保土ケ谷区の時代から連担している)、これが別個の人口集中地区されることが変なのです。

また昭和50年の神奈川県の人口集中地区の数の集計は52とあるのに対し、連合集中地区を構成する人口集中郁を全部別個の人口集中地区として数えた場合、その合計は70となります。川崎市連合人口集中地区を構成する人口集中地区が5、横浜市連合人口集中地区を構成する人口集中地区が14とすると、連合人口集中地区を1個として数えた場合の神奈川県人口集中地区の数は70-4-13=53となり、合計が合いません。この52という数字は平成27年度版の『我が国の人口集中地区』でも取り消されずに採用されている数字です。

以上から、昭和50年度版の『我が国の人口集中地区』において、「正誤表」からは記載が漏れてしまったものの、昭和50年の横浜市連合人口集中地区は実際には横浜市瀬谷区人口集中地区を含むものとして集計するのが正しく、瀬谷区の項目から誤ってアスタリスク(*)が欠落してしまったと判断しました。

なお、昭和35年~昭和45年の連合人口集中地区に関しては、wikipediaの「人口集中地区」の項目で誰かが(私ではありません)集計した結果が載っております。ここに記載の数値はほぼ私の集計と同じで、昭和35年の北九州市連合人口集中地区は設置しない点も同じですが、昭和55年の横浜市連合人口集中地区の方は瀬谷区を除いた数値を採用しています。

【リンク等を修正】
[97507] 2019年 1月 29日(火)23:52:17【1】YT さん
昭和55年人口集中地区の面積データの、表に記載されていない小数点以下第2位の数字について
[97506] ekinenpyou さん

どっとうpろだ.orgにアップロードされた画像の閲覧(参照)可能期間は恐らくかなり短いので、
(掲示板のログなどで)画像参照用として使うのはあまり適さないかもしれません。

御指摘ありがとうございます。手軽に直接リンクできるサイトで、まあ1ヶ月程度保存されていれば良いかぐらいの気持ちで使ったのですが、最後に作成したファイル以外全部消えてしまうとは思いませんでした。まあソフトの使い方の練習も兼ねていたので、重要な箇所に関してはいずれファイルを作成し直すと思います。

それはさておき[97502]で少し触れました、昭和55年の『我が国の人口集中地区』に記載の面積について検討した内容を以下まとめます。

人口集中地区の定義まわりは大体2回の調査ごとに細かい改訂が行われおり、昭和35年の回では1年前の調査で人口集中地区を設定していたのに対し、昭和45年の回からは1年前の調査で人口集中地区を設定することを止め([80928]参照)、準人口集中地区と連合人口集中地区の概念が導入され、さらに昭和55年の回からは面積に関して大きな改訂がなされました。

実のところ昭和55年の[『我が国の人口集中地区』]に記載されている面積の説明は、ほぼ昭和50年の『我が国の人口集中地区』に記載されている面積の説明と同じで:

2 面積
(1) 人口集中地区の面積は,原則として,人口集中地区境界原図に基づき,建設省国土地理院発行の5万分の1地形図を基図として作成した人口集中地区面積測定図によりプラニメーターを使用して測定した。ただし,市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合は,建設省国土地理院発行の「昭和55年全国都道府県市区町村別面積調」によった。
(2) 人口集中地区に含まれる河川の面積の中に含めたが,港湾に設定された水面調査区の面積は,当該人口集中地区の面積から除外した。
(3) 全国,都道府県及び市区町村の全域面積は,建設省国土地理院発行の「昭和55年全国都道府県市区町村別面積調」によっている。同書では,各面積を小数点以下第2位まで掲載しているが,本書では小数点以下第2位を四捨五入した数値を用いているため,必ずしも個々の数値を合算して得た数値と総数とは一致しない。

これに対して昭和60年版の『我が国の人口集中地区』から、以下の定義が加わりました。

(4) 全域が人口集中地区に相当する市区町村の人口密度は,建設省国土地理院の「昭和60年全国都道府県市区町村別面積調」の面積を用いて算出したため個々の数値を計算して得た数値と一致しない。

つまり人口集中地区の面積は小数点以下第1位までしか示されないが、昭和60年版からは、市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合、小数点以下第2位までの数字が載っている「全国都道府県市区町村別面積調」を使うようになったということになります。

しかしながら昭和55年度版の人口密度の数字を詳しく見ると、既に昭和55年度版から、市区町村の全域が人口集中地区に相当する場合、小数点以下第2位までの面積の数字を使って面積を算出していることが分かります。例えば昭和55年度の国勢調査で設定されている人口集中地区の人口と面積、人口密度は、それぞれ69,934,854人、10,014.7 km2、6,983.3人/km2(改訂後の数字、[97502]参照)と記載されていますが、69,934,854人を10,014.7 km2で割って得られる数字は6,983.22...人/km2となり、四捨五入しても6,083.3人/km2になりません。仮に計算に用いた面積が小数点以下第2位で離散したデータであると仮定するなら、10,014.66~10,014.74 km2の範囲では人口密度は6,083.2人/km2となり、人口密度に一致する面積は10,014.65 km2以外ありえないことになります。

以下、市区町村の全域が人口集中地区となっている場合の、昭和55年の『我が国の人口集中地区』記載の小数点以下第1位までの面積(面積1)、「全国都道府県市区町村別面積調」記載の小数点以下第2位までの面積(面積2)、およびそれぞれの数字を用いて算出した少数点以下第1位までの人口密度(人口密度1=人口/面積1,人口密度2=人口/面積2)とその差(人口密度1-人口密度2)を、数字に影響が出る連合人口集中地区(特別区部、横浜市、川崎市、名古屋市、京都市、大阪市、広島市、福岡市)と都道府県(埼玉県、東京都、神奈川県、愛知県、京都府、大阪府、広島県、福岡県)、全国のデータと共に示します。なお小数点以下第2位の数字がゼロの場合、人口密度に差はなくなりますが、昭和55年当時全域が人口集中地区であると設定された行政地区を示すため、表に残します。実際に『我が国の人口集中地区』に記載されている面積は、人口密度2であり、人口密度や面積の集計・算出に使われた数字は、小数点以下第2位までであることが分かります。


コードDIDs人口面積1面積2人口密度1人口密度2人口密度差
00000全国(改訂前)69,934,85410,015.610,015.556,982.66,982.60.0
00000全国(改訂後)69,934,85410,014.710,014.656,983.26,983.3-0.1
11000埼玉県3,781,440513.9513.877,358.37,358.7-0.4
11220与野市72,3268.38.288,714.08,735.0-21.0
11223蕨市70,8765.15.0913,897.313,924.6-27.3
11226鳩ヶ谷市55,9506.26.209,024.29,024.20.0
13000東京都(改訂前)11,294,147979.5979.4811,530.511,530.8-0.3
13000東京都(改訂後)11,294,147979.4979.3811,531.711,531.9-0.2
13100特別区部連合8,351,893591.9591.9414,110.314,109.40.9
13101千代田区54,80111.511.524,765.34,757.08.3
13102中央区82,70010.110.058,188.18,228.9-40.8
13103港区201,25719.519.4810,320.910,331.5-10.6
13104新宿区343,92818.018.0419,107.119,064.742.4
13105文京区202,35111.411.4417,750.117,688.062.1
13106台東区186,04810.010.0018,604.818,604.80.0
13107墨田区232,79613.813.8216,869.316,844.924.4
13108江東区362,27036.236.2410,007.59,996.411.1
13109品川区346,24720.520.5416,890.116,857.232.9
13110目黒区273,79114.414.4119,013.319,000.113.2
13111大田区661,14748.248.2013,716.713,716.70.0
13112世田谷区797,29258.858.8113,559.413,557.12.3
13113渋谷区247,03515.115.1116,359.916,349.110.8
13114中野区345,73315.715.7322,021.221,979.242.0
13115杉並区542,44933.533.5416,192.516,173.219.3
13116豊島区288,62613.013.0122,202.022,184.917.1
13117北区387,45820.620.5518,808.618,854.4-45.8
13118荒川区198,12610.310.3419,235.519,161.174.4
13119板橋区498,26631.931.9015,619.615,619.60.0
13120練馬区564,15647.047.0012,003.312,003.30.0
13121足立区619,96153.353.2511,631.511,642.5-11.0
13122葛飾区420,18733.933.9012,394.912,394.90.0
13123江戸川区495,23145.145.0610,980.710,990.5-9.8
13203武蔵野市136,91011.011.0312,446.412,412.533.9
13204三鷹市164,52616.816.839,793.29,775.817.4
13208調布市180,54821.821.798,282.08,285.8-3.8
13210小金井市102,45611.411.358,987.49,027.0-39.6
13211小平市154,61020.920.857,397.67,415.3-17.7
13214国分寺市91,01011.411.407,983.37,983.30.0
13216田無市66,9766.96.899,706.79,720.8-14.1
13217保谷市91,2598.88.7710,370.310,405.8-35.5
13219狛江市70,8366.26.1511,425.211,518.0-92.8
13222東久留米市106,55613.012.988,196.68,209.2-12.6
14000神奈川県6,109,371799.3799.297,643.47,643.5-0.1
14100横浜市連合2,419,231271.8271.808,900.88,900.80.0
14101鶴見区231,47731.531.507,348.57,348.50.0
14103西区80,5396.36.2712,784.012,845.1-61.1
14104中区121,47618.418.406,602.06,602.00.0
14105南区192,02012.512.5115,361.615,349.312.3
14130川崎市連合1,000,863113.8113.818,794.98,794.20.7
14131川崎区199,14832.532.476,127.66,133.3-5.7
14132幸区138,58510.110.0613,721.313,775.8-54.5
14133中原区185,28314.614.5812,690.612,708.0-17.4
23000愛知県4,146,376684.6684.596,056.66,056.7-0.1
23100名古屋市連合1,979,558247.4247.388,001.48,002.1-0.7
23101千種区166,83718.618.598,969.78,974.6-4.9
23102東区70,0467.77.689,096.99,120.6-23.7
23103北区179,26617.617.6110,185.610,179.85.8
23105中村区163,97816.316.3110,060.010,053.86.2
23106中区66,5629.59.527,006.56,991.814.7
20107昭和区112,91210.910.9210,358.910,339.919.0
23108瑞穂区120,67911.411.3610,585.910,623.2-37.3
23109熱田区65,5538.18.138,093.08,063.129.9
23112南区163,76818.618.568,804.78,823.7-19.0
23341西琵琶島町18,5333.23.215,791.65,773.518.1
26000京都府1,994,322224.2224.198,895.38,895.7-0.4
26100京都市連合1,347,797123.9123.8910,878.110,879.0-0.9
26102上京区99,2627.07.0114,180.314,160.120.2
26104中京区105,9217.27.2414,711.314,630.081.3
26106下京区86,8216.76.7412,958.412,881.576.9
27000大阪府(改訂前)7,957,380805.7805.709,876.49,876.40.0
27000大阪府(改訂後)7,957,380804.9804.909,886.29,886.20.0
27100大阪市連合2,647,484209.7209.7112,625.112,624.50.6
27101北区43,7415.55.547,952.97,895.557.4
27102都島区83,5845.95.8614,166.814,263.5-96.7
27103福島区60,1014.74.6812,787.412,842.1-54.7
27104此花区73,38611.010.976,671.56,689.7-18.2
27105東区27,1095.95.924,594.74,579.215.5
27106西区53,6955.35.2710,131.110,188.8-57.7
27107港区96,4168.38.2611,616.411,672.6-56.2
27108大正区84,0419.29.159,134.99,184.8-49.9
27109天王寺区55,2774.74.6811,761.111,811.3-50.2
27110南区36,9823.02.9612,327.312,493.9-166.6
27111浪速区50,1043.83.8313,185.313,082.0103.3
27112大淀区44,2284.54.519,828.49,806.721.7
27113西淀川区90,69113.113.126,923.06,912.410.6
27114東淀川区165,37013.213.1512,528.012,575.7-47.7
27123淀川区154,26912.712.7112,147.212,137.69.6
27115東成区89,1384.54.5119,808.419,764.543.9
27116生野区173,7838.28.2421,193.021,090.2102.8
27117旭区114,1826.16.1118,718.418,687.730.7
27118城東区157,1458.58.4718,487.618,553.1-65.5
27124鶴見区88,6878.18.1010,949.010,949.00.0
27119阿倍野区117,5276.16.0619,266.719,393.9-127.2
27120住吉区166,7989.29.1618,130.218,209.4-79.2
27125住之江区115,22717.317.256,660.56,679.8-19.3
27121東住吉区156,9999.79.6816,185.516,218.9-33.4
27122西成区150,8207.47.4220,381.120,326.155.0
27203豊中市403,17436.636.6011,015.711,015.70.0
27205吹田市332,41836.636.609,082.59,082.50.0
27209守口市165,63013.113.1312,643.512,614.628.9
27341忠岡町18,0533.63.565,014.75,071.1-56.4
28000兵庫県3,686,192460.7460.718,001.38,001.10.2
28202尼崎市523,65049.149.1110,665.010,662.82.2
28000広島県1,551,718245.7245.746,315.56,314.51.0
34100広島市連合698,84990.290.247,747.87,744.33.5
34101中区138,48614.714.749,420.89,395.325.5
40000福岡県2,857,791461.5461.486,192.46,192.7-0.3
40130福岡市連合966,247125.2125.187,717.67,718.9-1.3
40133中央区123,61413.113.089,436.29,450.6-14.4

注目するべき点は世田谷区のデータで、事実上人口最大の行政区である世田谷区の面積が、表の数字と計算に用いた数字が0.01 km2違うことにより、人口密度で2.3人/km2の差が出ています。つまり、小数点以下第1位まで示されている人口密度の数字で人口を割ることにより、人口密度の算出に用いた面積が仮に小数点以下第3位で離散したデータだったとしても正確な面積を算出することが可能ということになります。

実のところ平成12年以降の人口集中地区のデータはエクセル形式で既に入手済みなのですが、平成17年以降の国勢調査における人口集中地区の面積(小数点以下第2位で示されている)に関しては、個々の数字の合計が一致していないという問題を確認しており、これが何を意味しているのか、後々検討が必用となります。
[97502] 2019年 1月 27日(日)01:14:37【1】YT さん
昭和45年の国勢調査における人口集中地区面積の改訂について 追記
[97499] で疑問点として挙げた以下の点ですが、自己解決しました。

昭和45年の『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。


昭和50年の『わが国の人口集中地区』の方で、長崎県西彼杵郡高島町の昭和45年の人口集中地区の面積が、1.2 km2から1.0 km2に改訂されていました。よって改訂後の総面積は「6,444.1 km2」で正しいことになります。

昭和55年の『わが国の人口集中地区』に記載の、昭和55年の人口集中地区総面積と昭和60年の『わが国の人口集中地区』記載の昭和55年の人口集中地区総面積でも、0.9 km2の違いがあったのですが、こちらも昭和60年版でしれっと大阪府泉大津市の昭和55年の人口集中地区面積が11.8 km2から11.0 km2に改訂されていました。

もう一か所の0.1 km2の改訂は東京都東村山市です。昭和55年版では、東村山市人口集中地区人口が東村山市の総人口(123,798人)の99.4%に相当する118,679人なのに対し、東村山市人口集中地区面積は東村山市の総面積(16.58 km2)の100%に相当する16.6 km2となっていました。昭和55年以降、人口集中地区設定区域が行政全域と一致する場合、面積の情報は行政域面積として採用されている下二桁までの数字を使う(即ち118,679/16.58 ≒ 7,158.0 人/km2)とされていましたが、実際に表に載っていた人口密度は118,679/16.6 ≒ 7,149.3 人/km2の方でした。

まあこの時点で色々矛盾があってもやもやしていたのですが(何故人口集中地区設定の人口が行政域全域じゃないのに、面積の方は行政域全域以上になる?)、これが昭和60年版では遡って総面積の99.5%に相当する16.5 km2に改訂されていました。

いずれにせよ、「正誤表」で対応できなかった修正が、次の国勢調査の報告書で修正されている例が色々あるみたいです。

【東村山市の詳細を追加】
[97499] 2019年 1月 25日(金)23:31:52【3】YT さん
初期の人口集中地区のデータの疑問点
[97021] 他 白桃さん
[97025] 他 千本桜さん
[97032] 他 ekinenpyou さん

数か月前から人口集中地区について話題になっていましたが、[97021][97032]で白桃さんやekinenpyouさんに国土数値情報ダウンロードサービスを紹介して頂いたことにより、自分は総ての人口集中地区のシェープファイルを入手することができました。ただ、シェープファイルを地図上に表示する方法が分からず、とりあえずフリーのSuperMap Viewer2008やQGIS3.44を導入しましたが、まだ使いこなすには至っていません。

それはさておき折角なので、改めて過去に調べた人口集中地区の連担について、人口・面積と変遷の情報をエクセルファイルにまとめ直すことにしました。とはいえ、過去の国勢調査のデータ自体は総務庁のサイトからダウンロードできますが、昭和や平成初期の報告書はpdf化された画像ファイルのままですので、数値を改めて入力し直す必要があります。現在、人口密度の計算で数値をチェックしながら1960年~1975年までの4回分を入力し終えましたが、結婚して子供が生まれてからというもの、深夜に作業するだけの気力が残らず、入力作業も相当時間がかかりそうです。今回は、[97037]でも指摘しました、

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。


について、昭和35年と昭和40年のケースで、問題点を指摘した地図画像ファイルを作成しましたので、それについて投稿します。また昭和45年以前のケースで国勢調査報告書自体に誤りがるという事例が複数見つかりましたので、それについてもまとめます。なお今日になってQGIS3.44で地図上にシェープファイルを表示させる方法が分かりましたが…SuperMap Viewerで作成したシェープファイル由来のみの画像を今回は用います。

昭和35年(1960年)の国勢調査で初めて人口集中地区が設置されましたが、同一自治体内で連続しているようにしか見えないのに、わざわざ別個の人口集中地区とされてしまっている例が全国で多数散見します。例えば『わが国の人口集中地区』収録の地図では、広島市Iと広島市IIはどうみても同一自治体内で連担してますが、人口集中地区としては別にされています。その同じ広島県の呉市Iと呉市IIまわりのシェープファイルをこちら(外部アップローダ)に示しますが、『わが国の人口集中地区』に表示された地図にせよ、今回のシェープファイルにせよ、一点で接しているように見えます。同様のことが福岡市Iと福岡市IIIの連担(外部アップローダ)でも言えます。

一方、昭和40年の松原市Iと羽曳野市IIIの方に関しては、『わが国の人口集中地区』収録の地図では、羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)に示すように、それぞれが一点で接しているようにみえます。ところがシェープファイルの方では、こちら(外部アップローダ)に示すように、接していません。(なお某所に投稿した昭和40年の阪神地区に取り込まれている「松原市I(河内天美)」は、「松原市II」の間違いであることが判明しました。)

『わが国の人口集中地区』収録の地図では、分かりにくいのですが、該当箇所は日本で5番目に大きい古墳である大塚山古墳(雄略天皇陵墓参考地)の北側で、近鉄南大阪線の北側の道路で接しているように見えます。先程地図を読み込ませることに成功したQGIS3.44で、該当する昭和40年の大阪府のファイルを読み込んだところ、どうも松原市Iのシェープファイルの座標が西方向にずれているのではないかという気がします。

【追記:QGIS3.44の使い方が分かって来たので、現在の地図に昭和40年の大阪府松原市I~羽曳野市III周辺の人口集中地区のシェープファイルを載せた画像を作成してみました(外部アップローダ)。『わが国の人口集中地区』収録の地図の羽曳野市III(外部アップローダ)や松原市I(外部アップローダ)が正しいとすると、松原市Iから大塚山古墳の北側の方まで伸びているはずの人口集中地区が、シェープファイルを作成した際に誤ってカットされてしまったことになります。】

以上のほか、昭和40年の『国勢調査報告 第1巻 人口総数』では、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市I、昭和35年の北海道の美唄市I→昭和40年の美唄市II、となっているのに対し、昭和40年の『わが国の人口集中地区』では美唄市I→昭和40年の美唄市I、昭和35年の美唄市II→昭和40年の美唄市IIとなっています。地図等との比較から美唄市の人口集中地区は番号が入れ替わっていたとするのが正しいことが分かります。ならば『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』の方が正しいのかといえば、そんなことはなく、『国勢調査報告書 第1巻 人口総数』では昭和35年の京都府宇治市II→昭和40根の宇治市II、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIIとなっているのに対し、『我が国の人口集中地区』の方では、昭和35年の宇治市II→昭和40年の宇治市III、昭和35年の宇治市III→昭和40年の宇治市IIとなっており、こちらに関しては『我が国の人口集中地区』の情報の方が正そうです。複数の図書館で昭和40年の『我が国の人口集中地区』の中身を確認しましたが、残念ながら正誤表の存在が確認できませんでした。

さらに昭和40年の『わが国の人口集中地区』では、関西のデータを中心に、昭和35年の人口集中地区が昭和40年になって分割されたのか、昭和35年の人口集中地区が昭和40年の人口集中地区Iに成長し、一方で別に昭和40年の人口集中地区IIが形成されたのか、表記法の統一が中途半端が故の曖昧表記が生じており、人口集中地区の地図の情報からの再チェックが必用そうです。

次の昭和45年の『わが国の人口集中地区』からは正誤表が存在し、割と重要な訂正がなされております。人口密度の訂正や面積・人口の割合と増加率の訂正を除くと、重要な訂正は以下の点です。

表側表頭
209 相模原市I面積 (km2) 昭和45年19.213.2
209 相模原市I面積 (km2) 昭和40年16) 8.317) 5.1
209 相模原市II面積 (km2) 昭和45年13.219.2
209 相模原市II面積 (km2) 昭和40年17) 5.116) 8.3
222 羽曳野市I人口 昭和40年12) 882114) 6823
222 羽曳野市I面積 (km2) 昭和40年12) 1.114) 0.7
222 羽曳野市II人口 昭和40年13) 337812) 8821
222 羽曳野市II面積 (km2) 昭和40年13) 0.712) 1.1
222 羽曳野市III人口 昭和40年14) 682313) 3378
222 羽曳野市III面積 (km2) 昭和40年14) 0.713) 0.7

また

東京都青梅市の人口集中地区面積および神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積は、再測定の結果、つぎのように訂正する。
・東京都青梅市の人口集中地区面積 ― (旧) 3.8 km2 (新) 5.8 km2
・神奈川県鎌倉市の人口集中地区I面積 ― (旧) 10.0 km2 (新) 15.3 km2

昭和45年の[『わが国の人口集中地区』によると、日本全国の人口集中地区面積は沖縄県を除いて6,392.1 km2, 琉球政府下の沖縄県の人口集中地区44.9 km2を加えて6,437.0 km2とされています。これに青梅市と鎌倉市Iの面積の訂正(+2.0 km2と+5.3 km2)を加えると、訂正後の昭和45年の人口集中地区面積は、トータルで6,444.3 km2になるはずです。ところが昭和50年以降の国勢調査報告書では、昭和45年の人口集中地区面積はトータルで6,444.1 km2と、0.2 km2少ない値となっており、現在に至るまでこの数値が使われております。東京都(805.6 km2 → 807.6 km2)や神奈川県(502.5 km2 → 507.8 km2)の面積は、それぞれ+2.0 km2, +5.3 km2増えているだけです。丸め誤差が原因とも考えられますが、そもそも昭和50年以前は、人口集中地区の面積は小数点以下第1位までの数字で固定されていますので、昭和45年の数字だけ例外が導入されたとは考えにくいです。よって訂正を行った際、合計を確認しなかっために誤った数値が独り歩きしている気がします。

なお昭和55年以降、全域が人口集中地区となった自治体に関しては小数点以下第2位までの面積(km2)が使われるようになりますし、平成17年以降だと、小数点以下第2位までの面積の数字を足しても合計が合わない(小数点以下第2位よりも細かい数字を用いている?)という状況となっています。

初期の連合人口集中地区の数値に関しては別の機会にまとめます。

【訂正1:後半の丸め誤差の説明を訂正】
【訂正2:松原市I~羽曳野市IIIの人口集中地区の分布示す画像ファイルを追加でアップロード】
【訂正3:その他誤字訂正】
[97046] 2018年 11月 28日(水)23:46:19【1】YT さん
DID上の隠れ大都市:明石と川越
すみません。[97027]で、

(川越は2005年以降完全に京浜とつながったような気がしますが、ちょっと2005年の集計結果が手元にないので確認できません)
と書きましたが、リンク先に示すように2015年現在も、柳瀬川を境とするDIDの途切れは健在で、富士見市~ふじみ野市~川越市~狭山市~入間市~飯能市と続く、DID上の隠れ大都市川越は今なお健在のようでした。

明石~垂水と阪神を結ぶラインも、山の方の妙法寺付近で分離したままのようです。

【地理院地図へのリンクの方法を修正】
[97037] 2018年 11月 26日(月)18:18:24【1】YT さん
DIDが点で接している場合の判断
[97019] 白桃さん
[97025] 千本桜さん
[97032] ekinenpyou さん

国土地理院の地図は、国道を赤色で表示し、人口集中地区の境界線も赤色で表示しています。そのため、判読しにくい個所が生じています。地図をどんどん拡大してみましょう。すると、鎌倉市の稲村ガ崎と坂ノ下の間は境界線が途切れずに連担していることが判読できます。なので、連担する大船、腰越、鎌倉は3地区あわせて1つの鎌倉市人口集中地区になり、それに連担する逗子市、葉山町の人口集中地区も大東京DIDに組み込まれます

例えば[97019]白桃さんで取り上げられている腰越と鎌倉のDIDは[97025]千本桜さんにもある通り
現状(H27)ごくわずかな領域がつながっているだけですが、平成7年以降現状に近い領域になったらしく、
平成2年はもう少し広い領域(連担が明瞭)だったようです。(DID面積はH2→H7で27.6→24.1km2と縮小)

先程図書館で歴代の「我が国の人口集中地区」収録の地図を閲覧してようやく意味がわかりました。平成27年度版の収録の地図の方では「鎌倉海浜公園」という文字の上の方にDIDが設置されているようですが、該当する箇所には公園はなく、道路そのものがDIDとして設置されているようですね。

ekinenpyou さんも分析されていますが、1960年(S35),1965年(S40)には、該当する道路周辺にはDIDはなく、1970年(S45)には腰越方面に向けて太い帯状のDIDが設置され、1975年(S50)~1990年(H2)は腰越と鎌倉中心部が太いDIDで接続されていたが、1995年(H7)から突然、鎌倉市内のDIDの設置が地形にそったきめ細かなものに変更となり、それと同時に坂ノ下は一本の道だけでDIDが繋がる状態となり、現在に至るようです。まあ理不尽といえば理不尽ですが、国勢調査の地区ごとの担当の裁量によるところが大きいのか、あるいは市街化調整区域の設置が絡んでいるのか、その辺の事情は分かりません。

それよりもDIDの設置でわけがわからないのは、

■□
□■

のように、交差点を挟んでDIDが接している場合、「我が国の人口集中地区」付録の地図の解像度だと、「点で接している」としか言えない状況で、両者を同一のDIDとするのか、別のDIDとするのか、2種類のケースがある点です。単に地図の解像度が悪いだけで、別のローマ数字が降られているは、「本当は両者は接していないから」という解釈も成立しますが、そうなってくると、異なるDIDについて地図から「接している」と判断して加算した場合、それが本当に接しているの?という疑問も生じ得ることになります。手元にDIDのチェックをした時のメモがないので記憶が曖昧ですが、確か1960年~2005年までの間で、10箇所近く悩むようなシチュエーションがあったように記憶しています。

【追記】あと、「我が国の人口集中地区」付録の地図では、それぞれの地図でタイトルに示されるメインとなる市区町村について、DIDが実線と実線内の赤枠で囲われて示され、周辺のDIDは斜線の赤枠で示されることで、複数のDIDが接していたり、近くに存在することを察することができるのですが、確か周辺のDIDの記入漏れがそこそこあったと思います。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示