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[67007] 2008年 10月 13日(月)18:53:38【1】むっくん さん
北海道一級・二級町村制&指定町村制(前編)
[66994]88さん
期待しています。
声援ありがとうございます。


それでは[66971]拙稿で予告した北海道一級・二級町村制の施行地指定の全文紹介です。

まずはおさらい。

◎まず北海道一級町村制は勅令第159号(M30.5.29)として公布されました。しかし施行される前に、同法は勅令第51号(M33.3.23)で修正されました。
北海道一級町村制を施行される町村は
第百十七條 此ノ勅令ヲ施行スル場合ニ於テ初メテ一級町村ト爲ス地ハ内務大臣之ヲ指定ス
にあるように内務大臣からの指定を受けることになりました。そしてその施行時期は
第百十六條 此ノ勅令施行ノ時期ハ内務大臣之ヲ定ム
とあるように、これも内務大臣からの指定をうけることになります。
#北海道一級町村制の上記2つの条文は勅令第51号(M33.3.23)での改正による変更、即ち条文番号「第百五條」から「第百十六條」への変更、「第百六條」から「第百十七條」への変更、「拓殖務大臣」との文言から「内務大臣」への変更、を反映しています。

◎北海道二級町村制は勅令第160号(M30.5.29)として公布されました。しかし施行される前に、同法は勅令第37号(M35.2.22)で全面改正されました。
北海道二級町村制の施行される町村については
第六十五條 二級町村ト爲ス地ハ内務大臣之ヲ指定ス
にあるように内務大臣からの指定を受けることになりました。そしてその施行時期は
第六十四條 本令施行ノ時期ハ内務大臣之ヲ定ム
とあるように、これも内務大臣からの指定をうけることになります。


(1)最初に内務省令第19号(M33.5.19)で16町村が北海道一級町村制施行地として指定されました。この16町村には明治33年勅令第51号で改正された北海道一級町村制(明治30年勅令第159号)がM33.7.1より施行されました。

(2)次に内務省令第6号(M35.3.5)で旭川町が北海道一級町村制施行地として指定されました。旭川町にはM35.4.1より北海道一級町村制が施行されました。

(3)次に内務省令第7号(M35.3.13)で62町村が北海道二級町村制施行地として指定されました。この62町村には北海道二級町村制(明治35年勅令第37号)がM35.4.1より施行されました。

(4)次に内務省令第1号(M39.2.22)で73村が北海道二級町村制施行地として指定されました。73村にはM39.4.1より北海道二級町村制が施行されました。

(1)(2)(3)(4)の指定地としての施行については[63738](hmtさん)で既出です。さて次からが本題となります。

(5)内務省告示第26号(M40.3.12)で15町村が北海道一級町村制施行地として指定されました。15町村にはM40.4.1より北海道一級町村制が施行されました。

(6)内務省告示第32号(M42.3.17)で9町村が北海道一級町村制施行地として指定されました。9町村にはM42.4.1より北海道一級町村制が施行されました。

(7)次に、内務省告示第11号(T4.3.16)で24村が北海道二級町村制施行地として指定されました。24村にはT4.4.1より北海道二級町村制が施行されました。
内務省告示第十一號
北海道二級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正四年四月一日ヨリ施行ス但數村合併ノ分ハ現在ノ村名ヲ大字トシテ之ヲ存ス
大正四年三月十六日 内務大臣 子爵大浦兼武
村名所属郡名区域
新篠津村石狩郡新篠津村
千歳村千歳郡千歳村 蘭越村 島柵舞村 長都村
落部村茅部郡落部村
大島村松前郡江良町村 原口村 清部村
熱郛村歌棄郡熱郛村 作開村
雨龍村雨龍郡雨龍村
北龍村雨龍郡北龍村
美瑛村上川郡美瑛村
下名寄村中川郡下名寄村
下富良野村空知郡下富良野村
天鹽村天鹽郡天鹽村
美幌村網走郡美幌村 杵端邊村 古梅村 活汲村 逢媚村 翻木禽村
斜里村斜里郡斜里村 蒼A(A:おうへんに冐)村 止別村 朱圓村 遠音別村
常呂村常呂郡常呂村 少牛村 太茶苗村 手師學村
鐺沸村常呂郡鐺沸村
興部村紋別郡興部村 瑠橡村 沙留村
雄武村紋別郡雄武村 幌内村 澤木村
壮瞥村有珠郡壮瞥村
鵡川村勇拂郡鵡川村 井目戸村 萌別村 生鼈村
人舞村上川郡人舞村
屈足村上川郡屈足村
本別村中川郡本別村 押帯村 勇足村 幌蓋村 負箙村 嫌侶村
白糠村白糠郡白糠村 庶路村
歯舞村花咲郡友知村 沖根婦村 珸瑤A(A:おうへんに冐)村 沖根邊村 婦羅理村 歯舞村

(8)次に、内務省告示第12号(T4.3.17)で11町村が北海道一級町村制施行地として指定されました。11町村にはT4.4.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第十二號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正四年四月一日ヨリ施行ス
大正四年三月十七日 内務大臣 子爵大浦兼武
虻田郡倶知安村
余市郡大江村
空知郡江部乙村
上川郡士別村
上川郡上名寄村
苫前郡苫前村
網走郡網走町
常呂郡野付牛村
勇拂郡厚眞村
浦河郡浦河町
河西郡帯廣町

(9)次に、内務省告示第14号(T8.3.24)で16町村が北海道一級町村制施行地として指定されました。16町村には北海道一級町村制がT8.4.1より施行されました。
内務省告示第十四號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正八年四月一日ヨリ施行ス
大正八年三月二十四日 内務大臣 床次竹二郎
龜田郡 龜田村 銭龜澤村 戸井村
上磯郡 木古内村
瀬棚郡 瀬棚村
空知郡 歌志内村 上富良野村
夕張郡 由仁村 夕張町
上川郡 東川村 當麻村
勇拂郡 苫小牧町
河西郡 芽室村
中川郡 川今村 幕別村
厚岸郡 濱中村

(10)次に、内務省告示第15号(T8.3.24)で16村が北海道二級町村制施行地として指定されました。16村にはT8.4.1より北海道二級町村制が施行されました。
内務省告示第十五號
北海道二級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正八年四月一日ヨリ施行ス但數村ヲ合併シテ一村ト爲スモノニ付テハ現在ノ村名ヲ大字トシテ之ヲ存ス
大正八年三月二十四日 内務大臣 床次竹二郎
村名所属郡名区域
椴法華村龜田郡椴法華村
北村空知郡北村
上北龍村雨龍郡上北龍村
中川村中川郡手鹽國中川村
常盤村中川郡手鹽國常盤村
山部村空知郡山部村
南富良野村空知郡南富良野村
占冠村勇拂郡占冠村
幌延村天鹽郡幌延村 沙流村
遠別村天鹽郡遠別村
徳舜瞥村有珠郡徳舜瞥村
幌別村幌別郡幌別村 鷲別村 登別村
白老村白老郡白老村 社臺村 敷生村
似灣村勇拂郡似灣村 累標村 穂別村 邊富内村
昆布森村釧路郡昆布森村 跡永賀村 仙鳳趾村
尺別村白糠郡尺別村

(11)次に、内務省告示第75号(T12.3.28)で24村が北海道一級町村制施行地として指定されました。24村にはT12.4.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第七十五號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正十二年四月一日ヨリ施行ス
大正十二年三月二十八日 内務大臣 水野練太郎
龜田郡湯川村
山越郡長萬部村
岩内郡前田村
同郡發足村
古宇郡泊村
虻田郡東倶知安村
札幌郡琴似村
千歳郡恵庭村
雨龍郡秩父別村
空知郡三笠山村
同郡蘆別村
同郡中富良野村
枝幸郡枝幸村
禮文郡香深村
利尻郡鬼脇村
同郡鴛泊村
網走郡美幌村
上川郡上士別村
同郡美瑛村
中川郡美深村
勇拂郡安平村
上川郡屈足村
同郡人舞村
中川郡本別村

(12)次に、内務省告示第80号(T12.3.30)で25村が北海道二級町村制施行地として指定されました。25村にはT12.4.1より北海道二級町村制が施行されました。
内務省告示第八十號
北海道二級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正十二年四月一日ヨリ施行ス但數村ヲ合併シテ一村ト為スモノニ付テハ現在ノ村名ヲ大字トシテ存ス
大正十二年三月三十日 内務大臣 水野練太郎
村名所属郡名区域
大澤村松前郡大澤村、上及部村、荒谷村、炭焼澤村
小島村松前郡根部田村、赤神村、札前村、茂草村、雨垂石村
貝取澗村久遠郡貝取澗村、平田内村、長磯村
政泊村壽都郡政泊村
樽岸村壽都郡樽岸村、湯別村
幌加内村雨龍郡幌加内村
高江村新冠郡高江村、大狩部村、葉朽村、受乞村、元神部村、比宇村、泊津村、去童村、姉去村、萬揃村、滑若村
平取村沙流郡平取村、紫雲古津村、荷菜村、二風谷村、荷負村、長知内村、幌去村、貫氣別村、荷菜摘村
右左府村沙流郡右左府村
鳥取村釧路郡鳥取村
淕別村足寄郡淕別村、利別村
足寄村足寄郡足寄村、螺灣村
舌辛村阿寒郡舌辛村、徹別村、蘇牛村、飽別村
熊牛村川上郡熊牛村、塘路村、虹別村
弟子屈村川上郡弟子屈村、屈斜路村
太田村厚岸郡太田村
別海村野付郡別海村、平糸村、野付村、(根室郡)西別村、(同)走古潭村、(同)厚別村
標津村標津郡標津村、伊茶仁村、(野付郡)茶志骨村、(目梨郡)忠類村、(同)薫別村、(同)崎無異村
植別村目梨郡植別村
泊村國後郡泊村、東沸村、米戸賀村、秩苅別村
留夜別村國後郡留夜別村、大瀧村
斜古丹村色丹郡斜古丹村
紗那村紗那郡紗那村、有萌村、別飛村
留別村擇捉郡(紗那郡)留別村、(振別郡)振別村、(同)老門村、内保村、丹根萌村
蘂取村蘂取郡蘂取村、乙今牛村

次稿に続きます。

【1】明治40年内務省告示第26号と明治42年内務省告示第32号の記載を追加
[67008] 2008年 10月 13日(月)18:54:03【4】むっくん さん
北海道一級・二級町村制&指定町村制(後編)
[67007]の続きです。

(13)次に、内務省告示第149号(T13.3.24)で6村が北海道一級町村制施行地として指定されました。6村にはT13.4.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第百四十九號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正十三年四月一日ヨリ施行ス
大正十三年三月二十四日 内務大臣 水野練太郎
札幌郡 札幌村
積丹郡 余別村
上川郡 多寄村
天鹽郡 天鹽村
利尻郡 沓形村
静内郡 静内村


◎この後北海道一級町村制及び北海道二級町村制が全面改正されS2.10.1より施行されました。(公民権及び議員選挙に関する規定は次の総選挙より施行されました)。

北海道一級町村制(勅令第269号)(S2.8.27)
(中略)
第十六条 初メテ一級町村ト為ス地ハ内務大臣之ヲ指定ス
附則
(略)其ノ他ノ規定ハ昭和二年十月一日ヨリ之ヲ施行ス

北海道二級町村制(勅令第270号)(S2.8.27)
(中略)
第百五十六条 初メテ二級町村ト為ス地ハ内務大臣之ヲ指定ス
附則
(略)其ノ他ノ規定ハ昭和二年十月一日ヨリ之ヲ施行ス


(14)次に、内務省告示第51号(S6.3.18)で2村が北海道一級町村制施行地として指定されました。2村にはS6.4.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第五十一號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和六年四月一日ヨリ施行ス
昭和六年三月十八日 内務大臣 安達謙蔵
札幌郡 藻岩村
上川郡 神居村

(15)次に、内務省告示第96号(S7.5.12)で白石村が北海道一級町村制施行地として指定されました。白石村にはS7.6.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第九十六號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和七年六月一日ヨリ施行ス
昭和七年五月十二日 内務大臣 鈴木喜三郎
札幌郡 白石村

(16)次に、内務省告示第219号(S8.4.28)で鳥取村が北海道一級町村制施行地として指定されました。鳥取村にはS8.5.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第二百十九號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和八年五月一日ヨリ施行ス
昭和八年四月二十八日 内務大臣 山本達雄
釧路郡 鳥取村

(17)次に、内務省告示第101号(S9.3.3)で遠軽村が北海道一級町村制施行地として指定されました。遠軽村にはS9.4.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第百一號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和九年四月一日ヨリ施行ス
昭和九年三月三日 内務大臣 山本達雄
紋別郡 遠軽村

(18)次に、内務省告示第125号(S12.3.18)で愛別村が北海道一級町村制施行地として指定されました。愛別村にはS12.4.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第百二十五號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和十二年四月一日ヨリ施行ス
昭和十二年三月十八日 内務大臣 河原田稼吉
上川郡 愛別村

(19)次に、内務省告示第105号(S13.3.22)で6町村が北海道一級町村制施行地として指定されました。6町村にはS13.4.1より北海道一級町村制が施行されました。
内務省告示第百五號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和十三年四月一日ヨリ施行ス
昭和十三年三月二十二日 内務大臣 末次信正
常呂郡 留邊蘂町
紋別郡 上湧別村
斜里郡 斜里村
三石郡 三石村
河西郡 川西村
虻田郡 虻田村


◎この後勅令第443号(S18.5.25)で北海道一級・二級町村制は廃止され、北海道一級町村は本州の町村と同等の町村となりました。勅令第444号(S18.5.25)で北海道二級町村は指定町村になりました。これら2つの勅令はS18.6.1より施行されました。
勅令第四百四十三號
市制町村制施行令中左の通改正す
(中略)
第十章 北海道ニ於ケル町村ニ関スル特例
第七十四條 4 第一項ノ町村ニシテ内務大臣ノ指定スルモノ(以下本章中ハ指定町村ト称ス)ニ付テハ前項ノ規定ニ依ルノ外町村制第七條、第四十七條、第五十七條、第六十條乃至第六十四條、第六十七條、第七十一條、第八十三條、第八十五條及第八十八條ノ規定ニ拘ラズ第八十四條乃至第九十三條ノ規定ニ依ル
(中略)
第百四十九條 2 (略)、其ノ他ノ部分ハ昭和十八年六月一日ヨリ之ヲ施行ス
3 北海道一級町村制、北海道二級町村制、樺太市制施行令及樺太町村制施行令ハ之ヲ廢止ス

勅令第四百四十四號
市制町村制等改正経過規定
(中略)
第二章 北海道ニ於ケル町村ニ関スル規定
第十九條 従前ノ北海道二級町村タリシ町村ニ付テハ市制町村制施行令第七十四條ノ改正規定ニ依ル内務大臣ノ指定アリタルモノト看做ス
(中略)
附則
本令ハ昭和十八年六月一日ヨリ之ヲ施行ス


(20)次に、内務省告示第49号(S21.5.1)で13村が指定町村の指定から外れ、本州の町村と同等の町村となりました。
内務省告示第四十九號
市制町村制施行令の規定による左の村の指定はこれを廢止する
昭和二十一年五月一日 内務大臣 三上正造
石狩支庁管内 手稲村
渡島支庁管内 知内村
檜山支庁管内 上ノ國村
後志支庁管内 喜茂別村 狩太村
空知支庁管内 幌加内村
上川支庁管内 上川村 知寒村 劍淵村
留萌支庁管内 上平蘂村
宗谷支庁管内 中頓別村
網走支庁管内 置戸村 瀧ノ上村


◎この後、勅令第467号(S21.10.4)で市制町村制施行令が改正され、S21.10.5から施行されるました。S21.10.5に指定町村という制度が廃止されてようやく北海道の総ての自治体が本州などの自治体と同一の制度に属することになりました。(勅令第468号(S21.10.4)によれば、公民権及び議員選挙に関する規定は次の総選挙より施行されました)。
勅令第四百六十七號
市制町村制施行令を次のやうに改正する。
(中略)
第七十三條 3 第十章乃至第十二章を削る
附則
(中略)
その他の規定は、昭和二十一年十月五日から、之を施行する。
(略)

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さて以上を踏まえて市区町村変遷情報との比較などをしてみます。

内務省告示第11号(T4.3.16)では
1915.04.01 村制 上川郡人舞村 上川郡 人舞村
1915.04.01 新設/村制 上川郡屈足村 上川郡 屈足村
1915.04.01 新設/村制 花咲郡歯舞村 花咲郡 歯舞村, 婦羅理村, 沖根辺村, 沖根婦村, 珸瑤A(A:おうへんに冐)村, 友知村
であるが市区町村変遷情報では
246 1915.04.01 村制 上川郡人舞村 上川郡 人舞村の一部
247 1915.04.01 新設/村制 上川郡屈足村 上川郡 屈足村, 人舞村の一部
250 1915.04.01 新設/村制 花咲郡歯舞村 花咲郡 歯舞村, 婦羅理村, 沖根辺村, 沖根婦村, 珸瑤瑁村, 友知村
となっています。

内務省告示第14号(T8.3.24)の中川郡川今村とは果たしてどこなのでしょうか、私には全く分かりません。

内務省告示第80号(T12.3.30)では
1923.04.01 新設/村制 野付郡別海村 野付郡 別海村, 平糸村, 野付村, 根室郡 西別村, 走古潭村, 厚別村
1923.04.01 新設/村制 標津郡標津村 標津郡 標津村, 伊茶仁村, 野付郡 茶志骨村, 目梨郡 忠類村, 薫別村, 崎無異村
1923.04.01 新設/村制 択捉郡留別村 紗那郡 留別村, 振別郡 振別村, 老門村, 択捉郡 内保村, 丹根萌村
であるが市区町村変遷情報では
355 1923.04.01 新設/村制 野付郡別海村 野付郡 別海村, 平糸村, 野付村, 西別村, 走古潭村, 厚別村
356 1923.04.01 新設/村制 標津郡標津村 標津郡 標津村, 伊茶仁村, 茶志骨村, 忠類村, 薫別村, 崎無異村
362 1923.04.01 新設/村制 択捉郡留別村 択捉郡 留別村, 丹根萌村, 内保村, 振別村, 老門村
となっています。
#択捉郡留別村については[63733](右左府さん)[63736](紅葉橋律乃介さん)で既に指摘がなされているようですが、市区町村変遷情報には未だ反映されていないようです。

内務省告示第49号(S21.5.1)の上川支庁管内知寒村とは和寒村の誤記載で、留萌支庁管内上平蘂村とは小平蘂村の誤記載で、網走支庁管内瀧ノ上村とはおそらく滝上村であると推測します。

【2】勅令第467号、勅令第468号、内務省告示第14号の日付を訂正。
【3】勅令第468号の施行日に関する記述を訂正。
[67022] 2008年 10月 14日(火)22:57:49むっくん さん
北海道一級・二級町村制&指定町村制(補足)
[67007][67008]拙稿で北海道一級町村制、北海道二級町村制、指定町村制の施行地指定の紹介をしましたが、一点見落としがありましたので追記します。


(6’)内務省令第7号(M42.3.17)で19村が北海道二級町村制施行地として指定されました。19村にはM42.4.1より北海道二級町村制が施行されました。

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次は市区町村変遷情報との比較です。[67008]拙稿で市区町村変遷情報と内務省令&内務省告示の比較をしましたが、見落としていた点がありましたので追記します。

内務省令第19号(M33.5.19)では
27 1900.07.01 新設/町制 檜山郡江差町 檜山郡 東新町, 北新町, 中新町, 川原新町, 片原町, 詰木石町, 豊部内町, 九艘川町, 中歌町, 姥神町, 津花町, 浜茂尻町, 酒田町, 新地裏町, 新地町, 法華寺町, 上野町, 佐平治町, 弥陀堂町, 切石町, 影ノ町, 沢茂尻町, 中茂尻町, 小平沢町, 碇町, 寺小屋町, 五勝手村
と五勝手“村”となっていますが、市区町村変遷情報では
27 1900.07.01 新設/町制 檜山郡江差町 檜山郡 東新町, 北新町, 中新町, 川原新町, 片原町, 詰木石町, 豊部内町, 九艘川町, 中歌町, 姥神町, 津花町, 浜茂尻町, 酒田町, 新地裏町, 新地町, 法華寺町, 上野町, 佐平治町, 弥陀堂町, 切石町, 影ノ町, 沢茂尻町, 中茂尻町, 小平沢町, 碇町, 寺小屋町, 五勝手町
と五勝手“町”となっています。

内務省令第7号(M35.3.13)では
76 1902.04.01 新設/町制 美国郡美国町 美国郡 小泊村, 船澗村, 厚苫村, 幌武意村, 婦美村
99 1902.04.01 新設/町制 浦河郡浦河町 浦河郡 浦河村, 向別村, 後鞆村, 井寒台村
103 1902.04.01 新設/町制 河西郡帯広町 河西郡 下帯広村, 荊苞村
と成立したのは町となっていますが、市区町村変遷情報では
76 1902.04.01 新設/村制 美国郡美国村 美国郡 小泊村, 船澗村, 厚苫村, 幌武意村, 婦美村
99 1902.04.01 新設/村制 浦河郡浦河村 浦河郡 浦河村, 向別村, 後鞆村, 井寒台村
103 1902.04.01 新設/村制 河西郡帯広村 河西郡 下帯広村, 荊苞村
と、成立したのは村となっています。

内務省令第1号(M39.2.22)では
138 1906.04.01 新設/村制 岩内郡前田村 岩内郡 前田村, 老古美村, 梨野舞納村, 幌似村の一部
139 1906.04.01 新設/村制 岩内郡発足村 岩内郡 発足村, 幌似村の一部
と幌似村は前田村及び発足村に編入されますが、市区町村変遷情報では
138 1906.04.01 新設/村制 岩内郡前田村 岩内郡 前田村, 老古美村, 梨野舞納村, 幌似村
139 1906.04.01 村制 岩内郡発足村 岩内郡 発足村
と幌似村は前田村のみに編入されることになっています。

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[67009]紅葉橋律乃介さん
原文が「川今村」だとすれば、「川合村」の誤記ではないでしょうか
フォロー有難うございます。おそらく「川合村」の誤記で間違いないと思います。

「蒼瑁」(あおしまい)と「珸瑤瑁」(ごようまい)である
どうやらA(A:おうへんに冐)という記載がそもそも正確性を欠く記述でした(汗)。正確にはA(A:おうへんに胃、ただし胃の田を日に換える)という漢字のようです。

私は漢字の旧字体・異字体の知識をほとんど有していませんので、現在の表記でどの漢字で記載するのが適切なのかと問われても、判りかねますが。。。
[67053] 2008年 10月 18日(土)18:01:41【2】むっくん さん
北海道一級・二級町村制&指定町村制(補足2)
[67007][67008][67022]拙稿で北海道一級町村制、北海道二級町村制、指定町村制の施行地指定の紹介をしました。

以前[66971]拙稿で、北海道一級・二級町村制の根拠を見つけた経緯を、法令全書をパラパラと閲覧していて見つけた、と書きました。
このようなイレギュラーな形で見つけたので、おそらく何箇所か見落としがあるのではないか、とつかんぼやんと北海道年表と比較したところ、案の定、数点見落としがありました(大汗)。

そこで見落とし分を官報で調べてきましたので、以下に追記します。


(10’)内務省告示第51号(T10.3.31)で8町村が北海道一級町村制施行地として指定されました。8町村には北海道一級町村制がT10.4.1より施行されました。
内務省告示第五十一號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正十年四月一日ヨリ施行ス
大正十年三月三十一日 内務大臣 床次竹二郎
札幌郡 廣島村
忍路郡 鹽谷村
高島郡 高島村
雨龍郡 一已村
上川郡 永山村
上川郡 比布村
空知郡 富良野町
紋別郡 紋別町

(10’’)内務省告示第52号(T10.3.31)で音更村が北海道一級町村制施行地として指定されました。音更村には北海道一級町村制がT10.4.1より施行されました。
内務省告示第五十二號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ大正十年四月一日ヨリ施行ス
大正十年三月三十一日 内務大臣 床次竹二郎
河東郡 音更村

(13’)内務省告示第49号(S4.3.4)で6村が北海道一級町村制施行地として指定されました。6村には北海道一級町村制がS4.4.1より施行されました。
内務省告示第四十九號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和四年四月一日ヨリ施行ス
昭和四年三月四日 内務大臣 望月圭介
瀬棚郡 利別村
空知郡 赤平村
上川郡 神樂村
常呂郡 相内村
常呂郡 端野村
沙流郡 門別村

(19’)内務省告示第106号(S14.3.14)で5村が北海道一級町村制施行地として指定されました。5村には北海道一級町村制がS14.4.1より施行されました。
内務省告示第百六號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和十四年四月一日ヨリ施行ス
昭和十四年三月十四日 内務大臣 候爵木戸幸一
千歳郡 千歳村
雨龍郡 沼田村
網走郡 女満別村
有珠郡 壮瞥村
河西郡 大正村

(19’’)内務省告示第118号(S15.3.15)で3村が北海道一級町村制施行地として指定されました。3村には北海道一級町村制がS15.4.1より施行されました。
内務省告示第百十八號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和十五年四月一日ヨリ施行ス
昭和十五年三月十五日 内務大臣 伯爵兒玉秀雄
阿寒郡 阿寒村
紋別郡 下湧別村
磯谷郡 南尻別村

(19’’’)内務省告示第176号(S18.3.30)で3村が北海道一級町村制施行地として指定されました。3村には北海道一級町村制がS18.4.1より施行されました。
内務省告示第百七十六號
北海道一級町村制施行地ヲ左ノ通指定シ昭和十八年四月一日ヨリ施行ス
昭和十八年三月三十日 内務大臣 湯澤三千男
網走郡 津別村
常呂郡 佐呂間村
川上郡 弟子屈村


ふーっ。これで漏れはないとは思いますが。。。
#なお、つかんぼやんと北海道年表では、1946年9月に指定町村の広尾村が町制を施行して広尾町となった時、広尾町の指定町村の指定は廃止された、と記載されていましたが、広尾町の指定町村の廃止をする旨の内務省告示(もしくは内務省令)は見つかりませんでした。
[67671] 2008年 12月 22日(月)20:50:1688 さん
市区町村変遷情報小レス(北海道) その1
[67007][67008][67022][67053]むっくんさん
遅くなりました。
実は、下記の調査・投稿準備とともに、日ごとの市区町村数(一級町・村、二級町・村などの内訳も含む)の変遷表を同時並行で作成し、検証の一助としていたのですが、後で述べるように日付や内容に疑義があるものも多く、この表の投稿は後日とすることにしました。さらなる皆様のご指摘を待って、投稿したいと思います。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」の正式名称は、いつものとおり、[55681]の冒頭にあります。
「パラパラ」は、むじながいりさんのHP「つかんぽやと」(ご自身のサイトでは「エイちゃさん」)の「パラパラ地図」の中の北海道年表です。

[67008] むっくん さん
■T4(1915).3.16内務省告示第11号によるT4(1915).4.1付け施行について
上川郡人舞村上川郡屈足村と修正しました。
なお、花咲郡歯舞村の変更対象市町村のうちの「珸瑤『瑁』村」の『瑁』は、JISコード6070、区点コード6480の、
(1)漢音ボウ、呉音モウ(諸侯が参朝したときしたとき、差し出す圭の上に、天子にかぶせあわせてしるしとする玉)、
(2)呉音マイ、漢音バイ(「●瑁(タイマイ)」熱帯の海にすむかめの一種、●は「王偏+毒」)、
ということで、「王+冒」のようです(「王+昌」ではありません)(「新版 漢字源」(1999年4月1日改訂新版第6刷、学習研究社))。[67009]紅葉橋律乃介さんもフォローありがとうございました。
■T12(1923).3.30付け内務省告示第80号によるT12(1923).4.1付け施行について
野付郡別海村標津郡標津村択捉郡留別村と、変更対象町村の所属郡を修正しました。

[67022] むっくん さん
M33(1900).5.19付け内務省令第19号によるM33(1900).7.1付け施行について
檜山郡江差町となった変更対象町村のうち、誤:五勝手町、正:五勝手村と修正しました
M35(1902).3.13付け内務省令第7号によるM35(1902).4.1付け二級町村制施行について
★美国郡美国町について
内務省令・・・M35(1902).4.1美国町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1美国村(二級村)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1美国町(二級町)、M42(1909).4.1美国町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1美国村(一級・二級の記載なし)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1美国村(一級・二級の記載なし)、M42(1909).4.1美国町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1美国村(二級村)、M42(1909).4.1美国町(一級町)
内務省令のとおりと考えると「M35(1902).4.1付けで従前の5村(非自治体)が合併し、美国町として二級町となる」です。二級町から一級町になった経緯がむっくんさんの調査からは不明ですが、「パラパラ」ではM42(1909).4.1で一級町となっています。一級町になるのあたっては、内務省令など何らかの手続きが別途あるものとは思います。
とりあえず、M35(1902).4.1付けで美国郡美国町として二級町発足と修正しました
なお、町のまま、「北海道二級町村制の二級町」から「北海道一級町村制の一級町」となるのは、「市制町村制の町」から「地方自治法の町」となるのと同様ですので、個別情報としては市区町村変遷情報には掲載しないこととします。将来、整理が十分にできて解説ページが充実した際には、何らかの説明の記述をしたいと考えています。
★浦河郡浦河町について
内務省令・・・M35(1902).4.1浦河町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1浦河村(二級村)、T4(1915).4.1浦河町(一級・二級の記載なし)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1浦河町(二級町)、T4(1915).4.1浦河町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1浦河村(一級・二級の記載なし)、T4(1915).4.1浦河町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1浦河村(一級・二級の記載なし)、即日浦河町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1浦河村(二級村)、T4(1915).4.1浦河町(二級町)→浦河町(一級町)・・・※浦河村(二級村)→浦河町(二級町)が不明
これも先ほどの美国町と同様です。とりあえず、M35(1902).4.1付けで浦河郡浦河町として二級町発足と修正しました
★河西郡帯広町について
内務省令・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)
「総覧」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)
「幕末以降」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)、T4(1915).4.1帯広町(一級町)
「便覧」・・・M35(1902).4.1帯広町(一級・二級の記載なし)
「辞典」・・・M35(1902).4.1帯広町(一級・二級の記載なし)
「パラパラ」・・・M35(1902).4.1帯広町(二級町)、T4(1915).4.1帯広町(二級町)→帯広町(一級町)
これも先ほどの美国町・浦河町と同様です。とりあえず、M35(1902).4.1付けで河西郡帯広町として二級町発足と修正しました
M39(1906).2.22付け内務省令第1号によるM39(1906).4.1付け施行について
ご指摘のとおり、岩内郡前田村岩内郡発足村と、岩内郡幌似村が両村に分かれるよう修正しました。

[67215] むっくん さん
■M32(1899).10.1小樽区区制施行に伴う変更対象町村について
ご紹介のM32.9.4付け内務省令第46号に従い、郡名等を修正しました
■M33(1900).7.1 根室郡根室町町制施行に伴う変更対象町村について
ご紹介のように、一部の郡名を花咲郡と修正しました
■宗谷郡稚内村(一級村)→稚内町(一級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・M34(1901).5.1
「幕末以降」「パラパラ」・・・M34.5.11
「辞典」・・・M34.5.1(11)
でした。従来から信憑性が高いと判断しているご紹介の郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)に従い、M34(1901).5.11町制施行と判断し、修正しました
なお、上記一覧表では「稚内村を稚内町に改称すると」の表現ですが、これを一級村から一級町とした、と判断しました。
■紋別郡湧別村(二級村)からの上湧別村(二級村)・下湧別村(二級村)の発足経緯・年月日について
「総覧」「便覧」・・・M43(1910).4.5、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
「幕末以降総覧」・・・M43(1910).4.5、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
「パラパラ」・・・M43(1910).4.1、湧別村を上湧別村・下湧別村に分割
「辞典」・・・M43(1910).4.1(5)、湧別村から上湧別村が分立、同日付けで残余の湧別村が下湧別村に改称
ご紹介の郡市町村廃置分合表(明治42年1月1日-大正2年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大4)7コマに従い、M43(1910).4.1付けで湧別村から上湧別村が分立、残余の湧別村を下湧別村に改称と修正しました。
なお、上記一覧表では「湧別村ヲ分割シテ上湧別村ヲ新設」との表現をしてますが、「湧別村ヲ分割シテ湧別村及上湧別村ヲ新設」との表現ではないことから、分割ではなく分立と判断しております。
■T7(1918).2.1付け室蘭区 区制施行時の従前の町村について
「総覧」「便覧」・・・室蘭町
「幕末以降総覧」「辞典」・・・室蘭町,輪西村,千舞鼈村,元室蘭村
そもそも「総覧」「便覧」は、全国的に市制町村制施行以前の町村名はまったく記載されておりません。「辞典」は、ご丁寧に「非自治体の室蘭郡3村」とも書いてあります。
室蘭区区制施行の件は、内務省令?を確認できていないのですが、おそらく、ご紹介の郡市町村廃置分合表(大正3年1月1日-大正7年12月31日)(編著・出版:内閣統計局、大9)5コマ室蘭市HP資料(pdfファイル)からも、室蘭町(一級町)と3村(非自治体)により発足した、と記述があると推測して間違いないでしょう。このため、室蘭町+3村と修正しました
#室蘭町には北海道一級町村制が既に施行されていますが、輪西村, 千舞鼈村, 元室蘭村の3村は未だ町村制が施行されていない地域です。そのため、将来的に北海道においても市区町村変遷履歴情報市制町村制施行時の情報に分離して記載するとき、記載方法にどのように記載するのが良いのやら。。。
まさしく、心配していただいたとおりで悩ましいのですが、これはそのときまでにじっくり考えることとしたいと思います(つまりは「先送り」)。
■T9(1920).6.1付けの中川郡下名寄村からの中川郡智恵文村・美深村の発足経緯について
「総覧」・・・下名寄村を下名寄村・智恵文村に分割、下名寄村が美深村に改称
「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・下名寄村から智恵文村が分立、同時付けで残余の下名寄村が美深村に改称
文献で使用している言葉上の「分立」「分割」に関わらず、法人格が継承されたか否かを読み取り上記に整理しました。
しかし、この「分立」「分割」については、告示等の明確な資料がない限り、信憑性が高いと感じられる「辞典」を一次資料としているので([55654][55681]拙稿)、「辞典」のとおりとしました。つまり、下名寄村から智恵文村が分立、残余の下名寄村を美深村に改称と修正しました。
新たな明確な資料を確認できれば、再度対応したいと思います。
■T12(1923).4.1付けの新冠郡新冠村の発足経緯について
「内務省告示」・・・T12(1923).4.1付けで高江村として二級村設置([67007] むっくん さん(12))
「総覧」・・・T12(1923).4.11付けで高江村として二級村設置、同日付けで高江村を新冠村に改称
「幕末以降総覧」・・・T12(1923).4.11付けで新冠村として二級村設置
「便覧」・・・T12(1923).4.1高江村発足、同日付けで高江村を新冠村に改称
「辞典」・・・T12(1923).4.11付けで高江村設置(一級村・二級村の区別なし)、同日付けで高江村を新冠村に改称
各文献で記述が異なりますが、次の3とおりが考えられます。
(1)内務省告示の「T12(1923).4.1付けで従前の11村(非自治体)が合併し、高江村として二級村となる」を絶対のものであると解釈する。つまり、「高江村(二級村)を新冠村とする」の改称が施行されたのはT12(1923).4.1付けではなく、それ以降の別の日である(ただし、どの文献もうまく一致する記述はない)。
(2)内務省告示の「T12(1923).4.1付けで従前の11村(非自治体)が合併し、高江村として二級村となる」は正しく、また、同日付で別の手続きにより「高江村(二級村)を新冠村(二級村)とする」が施行された。
(3)内務省告示の「T12(1923).4.1付けけで従前の11村(非自治体)が合併し、『高江村』として二級村となる」が実は誤字で、「T12(1923).4.1付けでけで従前の11村(非自治体)が合併し、直接、『新冠村』として二級村となる」である。つまり、「高江村(二級村)」は瞬間にも存在しない。
二級村を設置する内務省告示は、まず間違いはないでしょう。告示の誤字というのはやはりそもそもはあってもならないものですし、明治初期や第二次大戦直後の混乱期を除くと、まず寡少であろうと思われますので、(3)はまずないでしょう。(1)もあり得るのですが、「改称した他の日」の見当がつかない以上、(1)も考えにくいです。やはり(2)が有力であろうと思われます。
ちなみに、改称に関して法的根拠を探すと次のとおりでした。
M30.5.29勅令第159号北海道一級町村制
第三条 町村ノ廃置分合ヲ要スルトキハ拓殖務大臣ノ許可ヲ得テ北海道庁長官之ヲ定ム
2 町村ノ境界若クハ名称ヲ変更シ又ハ町ヲ村ト為シ村ヲ町ト為スコトヲ要スルトキハ北海道庁長官之ヲ定ム但シ境界ノ変更ニシテ郡若クハ区ノ境界ニ渉ルモノハ拓殖務大臣ノ許可ヲ受クヘシ
及びM30.5.29勅令第160号北海道二級町村制
第三条 一級町村制第三条ハ二級町村ニ関シ之ヲ適用ス
であり、北海道の二級町村の改称は北海道庁長官の権限のようですので、内務省令や内務省告示ではなく、こちらの資料を探す必要がありそうです(注:「拓殖務大臣」はその後すぐに再編により「内務大臣」に)。これは、現在の地方自治法でも、根拠は廃置分合は総務省告示であり、改称は各自治体の条例であることとも似ています(拙稿[55225]参照)。
新冠村の場合は経緯として、
・最初は「高江村」として二級町村制を施行する予定であったが何らかの事情変更で後から新冠村となった
あるいは、
・従前の高江村に配慮して形式上は「高江村」として二級町村制施行ということにし、予定どおり「新冠村」に改称という二段階の手続きを敢えて選択した
といったことがあったのでは、と想像します(あくまで想像です)。
いずれにしても、T12(1923).4.1付けで新設合併で高江村として二級町村制実施、同日付けで新冠村に改称と、記載をまとめました。

次投稿に続きます。
[67672] 2008年 12月 22日(月)20:50:1788 さん
市区町村変遷情報小レス(北海道) その2
[67671]の続きです。
以下は、直接はむっくんさんのご指摘外ですが、むじながいり(エイちゃ)さんへの業務連絡を兼ねての、私の編集メモです。同趣旨ですのであわせて掲載します。

■空知郡奈江村(二級村)→砂川村(二級村)の改称年月日について
「総覧」「便覧」・・・M36(1903).8.12
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・M36(1903).8.23
「辞典」・・・M36(1903).8.12(23)
なお、「パラパラ」でも砂川村→砂川町は1923.6.1付けなので、M36(1903).8.23付けの砂川『町』は誤記のはずです。
しかし、郡市町村廃置分合一覧表(明治31年12月31日-明治36年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明39)の9コマに、空知郡奈江村の砂川村への改称はM36(1903).8.22実施とあります。
よってこれに従い、M36(1903).8.22改称と判断し、修正しました
■札幌郡豊平村(一級村)→豊平町(一級町)の施行日について
「総覧」「パラパラ」・・・M41(1908).6.1
「幕末以降総覧」・・・M41(1908).6.12
「辞典」・・・M41(1908).6.1(12)
しかし、郡市町村廃置分合表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42)の12コマに、豊平村→豊平町はM41(1908).6.12実施とあります。
よってこれに従い、M41(1908).6.12町制施行と判断し、修正しました
■留萌郡留萌村(一級村)→留萌町(一級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・M41(1908).6.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・M41(1908).6.21
「辞典」・・・M41(1908).6.21(1)
しかし、郡市町村廃置分合表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42)の12コマに、留萌村→留萌町はM41(1908).6.12実施とあります。
よってこれに従い、M41(1908).6.12町制施行と判断し、修正しました
■空知郡滝川村(一級村)→滝川町(一級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・M43(1910).11.5
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・M43(1910).11.3
「辞典」・・・M43(1910).11.3(5)
しかし、郡市町村廃置分合表(自明治42年1月1日至大正2年12月31日)(著・出版:内閣統計局、T4.3)の7コマでは、M43(1910).10.3実施とあります(一級・二級の別は記述なし)。
よってこれに従い、M43(1910).10.3町制施行と判断し、修正しました
■常呂郡鐺沸村(二級村)→佐呂間村(二級村)の改称年月日について
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」・・・T4(1915).11.1
「パラパラ」・・・年表では遺漏だが地図ではT4(1915).11.1付けで記載あり
郡市町村廃置分合表(自大正3年1月1日至大正7年12月31日)(著・出版:内閣統計局、T9.3)の7コマでは、T4(1915).11.1実施とあります(一級・二級の別は記述なし)。
よってT4(1915).11.1改称で間違いないと判断し、そのままとしました
■紋別郡紋別村(二級村)→紋別町(二級町)の施行日について
「総覧」「便覧」・・・T8(1919).4.1
「幕末以降総覧」「辞典」「パラパラ」・・・T8(1919).5.1
悩ましいのですが、このように記述が分かれた場合、「総覧」よりも「辞典」の方が正しいことが多いです。根拠はなく、過去の経験からの感覚ですが。
このため、とりあえずT8(1919).5.1付け町制施行と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
■上川支庁中川郡美深村(二級村)→美深町(一級町)の施行年月日、経緯について
「パラパラ」・・・T12(1923).4.1、美深村(二級村)→美深町(一級町)
「告示」・・・T12(1923).4.1、美深村(二級村)→美深村(一級村)
「便覧」・・・T12(1923).4.1、美深村→美深町(一級・二級の別不明)
「幕末以降総覧」・・・T12(1923).4.1美深村(二級村)→美深村(一級村)→美深町(一級町)
「辞典」・・・T12(1923).4.1(30)、美深村→美深町(一級・二級の別不明)
これらのことから、3とおり考えられます。
(1)内務省告示の「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深村(一級村)」を絶対のものであると解釈する。この場合、「美深村(一級村)→美深町(一級町)」が施行されたのはT12(1923).4.1付けではなく、それ以降の別の日である(ただし、どの文献にも施行日の記述はない)。
(2)内務省告示の「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深村(一級村)」は正しいが、同日付で別の手続きにより「美深村(一級村)→美深町(一級町)」が施行された。
(3)内務省告示の「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深村(一級村)」が実は誤字で、「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深町(一級町)」である。つまり、「美深村(一級村)」は瞬間にも存在しない。
先述のT12(1923).4.1付けの「非自治体の11村→新冠郡高江村(二級村)→新冠郡新冠村」の例と同様ですが、やはり(2)が有力であると推定します。
このため、内務省告示とは単純には一致しませんが、「T12(1923).4.1付け美深村(二級村)→美深村(一級村)→美深町(一級町)」と判断し、そのままとしました
■網走郡美幌村(二級村)→美幌町(一級町)の施行年月日、経緯について
「パラパラ」・・・T12(1923).4.1、美幌村(二級村)→美幌町(一級町)
「告示」・・・T12(1923).4.1、美幌村(二級村)→美幌村(一級村)
「便覧」・・・T12(1923).4.1、美幌村→美幌町(一級・二級の別不明)
「幕末以降総覧」・・・T12(1923).4.1、美幌村(二級村)→美幌村(一級村)→美幌町(一級町)
「辞典」・・・T12(1923).4.1(30)、美幌村→美幌町(一級・二級の別不明)
これも先ほどの美深村→美深町と同様に、T12(1923).4.1付けで内務省告示のとおり美幌村(二級村)→美幌村(一級村)となったのと同日付けで美幌村(一級村)→美幌町(一級町)になったと推定し、そのままとしました
■虻田郡弁辺村→豊浦村の改称年月日について
「総覧」「便覧」・・・S7.4.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・S7.6.1
「辞典」・・・S7.6(4).1
悩ましいのですが、このように「辞典」が( )つきで記述している場合は「総覧」が誤っている例が多いです。根拠はなく、過去の経験からの感覚ですが。
このため、とりあえずS7(1932).6.1付け改称と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
■S7(1932).6.1付けで紋別郡渚滑村の一部から下渚滑村が分立した件について
「総覧」「幕末以降総覧」「辞典」「便覧」・・・記載あり
「パラパラ」・・・年表では遺漏
ただし、「パラパラ」の年表で同日付けで
『白石村[二級村]→白石村[一級村]分立』
との記述があり、下渚滑村の記述の残骸があります。誤記orバグでしょう。二級村の数の計は正解で、地図も正しく記載されています。
もちろん、そのままとしました
■S8(1933).10.1付けでの寿都郡寿都町,雅泊村→寿都町の変更種別 新設 or編入
「パラパラ」・・・編入
「総覧」「辞典」・・・新設
「幕末以降総覧」「便覧」・・・(変更種別記載なし)
そのまま、新設としました
■松前郡福山町→松前町の改称年月日について
「総覧」「便覧」・・・S15.7.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・S15.7.15
「辞典」・・・S15.7.1(15)
先ほどの例と同様、このような例では「辞典」が( )つきで記述している場合は「総覧」が誤っている例が多いことから、とりあえず、S15(1940).7.15付け改称と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
■札幌郡琴似村→琴似町の町制施行年月日について
「総覧」「便覧」・・・S18.2.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」・・・S17.2.11
「辞典」・・・S17(18).2.11
同様に、とりあえず、S17(1942).2.11付け町制施行と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
■空知郡赤平村→赤平町の町制施行年月日について
「総覧」「便覧」・・・S18.2.1
「幕末以降総覧」「パラパラ」「赤平市HP『赤平市の歴史』」・・・S18.2.11
「辞典」・・・S18.2.11(1)
同様に、「辞典」が( )つきで記述している場合は「総覧」が誤っている例が多いことから、とりあえず、S18(1943).2.11付け町制施行と判断し、修正しました
もちろん、新たな根拠資料を発見できれば即座に対応します。
―――――――――――――――――――――――――
以上です。
いつものように長くなりました。北海道の市町村の諸制度の変遷については、やはりなかなか複雑です。
むっくんさん、いつもありがとうございます。また今後ともよろしくお願いいたします。
[70240] 2009年 5月 21日(木)18:57:15【1】hmt さん
かつて北海道に存在した広大な村の面積
[70233] k-ace さん
北海道で過去1000平方km以上だった村で現在複数の自治体にわかれているケースを調べてみました。

北海道に限れば 別の面積資料があるのかもしれませんが、20世紀前半以前における 全国市町村別面積の 唯一の資料 は、「昭和10年全国市町村別面積調」だそうです。[67057]統計局HPの 資料解説 による。
この1935年データを用いて、北海道に存在した、かつての広大な村の面積で、k-ace さんのデータで「?」となっているものの値を求めてみました。

渚滑村 面積? 現在は紋別市の一部、滝上町

紋別郡渚滑村 は、1918年滝上村を分立、1932年下渚滑村を分立しているので、1935年当時は3村でした。
1935年面積資料によると、渚滑村と下渚滑村は合計で 468.86 (単位km2、以下同じ)、滝上村 714.06 となっており、合計面積は 1182.92 でした。
なお、この面積調よりも後に、渚滑村→上渚滑村(1937)、下渚滑村→渚滑村(1940)という改称が行なわれています。何か事情がありそうですね。

茂寄村 面積? 現在は大樹町の一部、広尾町、幕別町(旧忠類村の部分)

広尾郡茂寄村 の成立も、渚滑村と同じ明治39年(1906)4月1日で、 北海道二級町村制 の第2次指定によるものでした。同時に当縁郡が廃止され[63738]、その一部はこの茂寄村になりました。
茂寄村は、1926年に広尾村と改称。1928年にその一部が分立して大樹村になっていますから、1935年当時の面積は、広尾村 595.53 + 大樹村 830.68 = 1426.21です。

本別村 面積? 現在は足寄町の一部、本別町

十勝国中川郡(天塩国にも別の中川郡あり)本別村 は、1915年成立。[67007]の(7)にあるように二級町村指定。1921年西足寄村が分立。従って1935年の面積は 本別村 440.37 + 西足寄村 900.73 = 1341.10。
なお、現在市区町村面積6位(町村では1位)の足寄郡足寄町1408.09は、1955年にこの西足寄町(1950)と足寄郡足寄村との合併により生まれました。足寄郡足寄村は、以前は釧路支庁の所管でしたが、1948年に中川郡西足寄村と同じ十勝支庁管内に変わっています。
1935年の面積は、釧路国足寄村が522.07で、西足寄村との合計は現在の面積と合いません。これは 1988年に 面積測定の基準が変更された [67248] ためです。基準変更前後の面積を厳密な数字で比較することはできません。

大正村 面積? 現在は帯広市の一部、中札内村、更別村

河西郡大正村 は 1915年に3村合併で成立。市区町村変遷情報にも、本別村で記した[67007]の(7)にも記されていませんが、つかんぼやんと北海道年表 によると、大正村も二級町村指定。1924年川西村分立。1935年面積は 大正村 558.76 + 川西村 444.38 = 1003.14と、ぎりぎりで 1000 のハードルをクリア。

【訂正】[70263]参照
上記の“大正村も二級町村指定”は、不正確な表記であり、“大正村は引き続き二級町村指定地”と訂正します。

#士別村(現在の士別市の一部)、上名寄村(現在の名寄市の一部、下川町)とかはどうなんだろう?

天塩国上川郡(石狩国と十勝国にも別の上川郡あり) 士別村 も1906年の二級2次組。1935年には士別町になっていますが、面積 152.74、上士別村(1913分立)676.88にこの値を加えても 1000 には届きません。
同じく天塩国上川郡下川町の前身・下川村 は、上名寄村でなく名寄町からの分立です。1935年面積は、下川村 672.00 + 名寄町 205.23 = 877.23 で、これも 1000に及ばず。

なお、1935年の面積が 1000 を越えていた村は、石狩国上川郡上川村 1038.00、十勝国上川郡新得町 1062.83、阿寒郡舌辛村 1309.48、野付郡別海村 1386.66、標津郡標津村 1273.99、択捉郡留別村 1429.73、紋別郡生田原村+遠軽町の合計 1286.04、枝幸郡枝幸村 1097.32、幌延郡幌延村 1115.49でした。
[70258] 2009年 5月 22日(金)15:01:31むっくん さん
北海道に存在した広大な村
[70233]k-aceさん

一級町村制、二級町村制が施行された後に限定しないのならば、明治30年7月の北海道庁告示第142号で成立した石狩国空知郡富良野村もありますね。その範囲としては、
南は胆振日高両国に接す、北は石狩国上川郡に界す、東は十勝国に界す、西は石狩国上川郡界より発する「ナエ」川を下り空知川に落合ひ同川を遡りて「モシリケシユオマナイ」川を遡り歌志内村及夕張郡に界す
とあります。今で言う富良野市(600.97km2)、空知郡上富良野町(237.18km2)、中富良野町(108.70km2)、南富良野町(665.52km2)の区域で、総計1612.37km2にもなります。

北海道って一度分立した自治体が再度合併するケースもありますが、分立したままのところもあります。戦前に広大な村があったのはなぜなんだろう?(未開拓地が多かったから?)
これはまさしくその通りなのではないでしょうか。
明治に入ってからの北海道での市区町村の成立順を見てみます。

(1)ある未開の地域に和人の集落が一つ出来ます。集落が継続的に形成されさらに発展することまで確認されたりすると、その周辺の広大な地域も含めて一つの村として北海道庁告示で公示されます。
北海道庁令第1号(M23.1.15)で成立した石狩国空知郡瀧川村(現:深川市の一部、滝川市)や、先に挙げた石狩国空知郡富良野村(現:富良野市、空知郡上富良野町、中富良野町、南富良野町)などがこの例にあたります。

(2)次に、村として成立しているところで別の未開の地域が新たに開墾されます。成立した別の集落とその周辺地域を以てして、別の村を作るのが適当とされれば別の村が分立して成立するのでしょう。
明治26年12月の北海道庁令第45号で月寒村より分立して成立した石狩国札幌郡広島村(現:北広島市)、明治32年5月の北海道庁告示第142号で石狩国樺戸郡月形村より分立して成立した石狩国樺戸郡浦臼村(現:樺戸郡浦臼町)などがこの例にあたります。

(3)そしてその後、北海道一級町村制や二級町村制が施行されます。

(4)(3)の一級町村制や二級町村制に際し、一級町村制や二級町村制を施行する地としてふさわしくないとして分立を余儀なくされるところもあります。
北海道庁告示第207号(M33.6.7)で石狩国空知郡岩見沢村(現:岩見沢市の一部)よりM33.7.1付けで分立を余儀なくされた石狩国空知郡北村(現:岩見沢市の一部)がこの一例です。

(5)とは言え、中には北海道一級町村制や二級町村制が施行された後に開発が進行したため(3)と(2)の時間的順序が逆になるところもあります。

ここで注目したいのは(1)で、特に比較的早くに1村として成立したところでは、1郡1村ないしはそれに近い形で村が成立したところも珍しくはありません。このため広大な面積を持つ村というのも出来たのではないでしょうか。
先に挙げた石狩国空知郡富良野村というのはまさしく1郡1村です。


[70240]hmtさん
河西郡大正村 は 1915年に3村合併で成立。市区町村変遷情報にも、本別村で記した[67007]の(7)にも記されていませんが、つかんぼやんと北海道年表 によると、大正村も二級町村指定。
これを読んで、[67007]で私が書き落としをしたのかと思いました。
改めて読み返しましたが、河西郡大正村を構成することになった3村(上帯広村,幸震村,売買村)には、内務省令第7号(M35.3.13)でM35(1902).4.1に二級町村指定されたことは書いており、書き落としではなくて一安心です。
では、なぜ内務省告示に記載が無いかといいますと、北海道二級町村制(勅令第37号)(M35.2.22)では
第六十五條 二級町村ト爲ス地ハ内務大臣之ヲ指定ス
と二級町村ト爲ス「地」とあります。
複数の二級村が合併したとしても、合併で成立する村の区域は二級村の指定を受けている「地」であるから、その「地」に新たに成立する村は当然に二級村でなる、ということに他ならないという論理なのでしょう。
ということで、現在の市区町村変遷情報の記載には当然何の問題もありません。
[70263] 2009年 5月 22日(金)20:17:05hmt さん
「幸福」への切符
[70258] むっくん さん
書き落としではなくて一安心です。

ご心配をかけたことをお詫びします。
[70240]hmtの“大正村も二級町村指定”が、不正確な表記だったのが原因なので、“大正村は引き続き二級町村指定地”と訂正する旨を追記をしておきます。

前身の村が既に二級町村指定地なので、合併や分立により生まれた村は、改めて「指定する」必要はない……という論理なのですね。
確かに、[67007]の(7)“24村にはT4.4.1より北海道二級町村制が施行されました。”という記載に間違いはありません。

改めて認識したのは、これは“T4.4.1より北海道二級町村になった”村々のリストではないこと。
これは、郡区町村編制法による町村から北海道二級町村制へと移行した町村のリストでした。

従来からの二級町村指定地3村の合併で生まれた「大正村」も、二級町村からの分立で生まれた4村(多度志村・和寒村・置戸村・武華村)も、この時に誕生した二級町村ですが、それは既に施行されている北海道二級町村制の枠内での廃置分合であり、新たに枠内になった前記24村とは異質の変遷でした。

このような混乱を生じた原因は、市町村変遷履歴情報において、両者が同居しているからではないでしょうか?
つまり、現状では“「市制町村制」施行時以降の都道府県別変遷一覧”(北海道)に記されている情報の一部は、“「市制町村制」施行時の都道府県別一覧”(北海道は未入力)に記載されるべきではないかということです。

1915年4月1日のデータを例にとると、「村制」又は「新設/村制」と記されている前記24村は、根拠が郡区町村編制法から北海道二級町村制へと移行したものなので、“「市制町村制」施行時(北海道)”に移動するのが適切ではないかということです。

“現在の市区町村変遷情報の記載には当然何の問題もありません。”というご意見[70258]もありますが、この件、ご検討願います。>88さん。

これに対して、新制度の枠内での廃置分合は9町村。上記二級内施行地内で新たに生まれた5村の他に、芽室村(編入あり)と浦河町・網走町・帯広町(廃置分合と共に二級から一級への変更あり)が該当。
野付牛村は、二級から一級への変更だけでなく、分立による村域の変更もありますが、これらはいずれも変遷情報の集録対象外ということで、リストに入っていません。

河西郡大正村を構成することになった3村(上帯広村,幸震村,売買村)

幸震村は、福井県大野からの移民が、「サチナイ(乾いた川)」に当てた漢字が音読みされたものとされます。
昭和初期に帯広から南に向かって建設された広尾線の幸震駅は、戦時中に大正駅に改称。
幸震と福井とからの合成地名「幸福」を名乗る駅ができたのは、気動車になってからでしょう。

もともと「福井」も北ノ庄から改められた縁起の良い地名[64833]ですが、福井団体によって北海道に移植された「福」は、1973年のテレビ放送(新日本紀行)をきっかけに、「愛の国から幸福へ」【注意!音が出ます】の縁起切符ブームを巻き起こしました。
1987年広尾線廃止。現在は十勝バスの縁起切符があるそうです。
[70485] 2009年 6月 14日(日)22:51:23【1】88 さん
市区町村変遷情報小レス・暫定レス
お疲れさまです。
私自身、今年の2月くらいから多忙な日々が続いており(3月から4月にかけて小休止がありましたが)、これからも少なくとも1箇月以上は多忙な日々が見込まれます。市区町村変遷情報関連も、じっくり時間が取れないため、まとまった作業ができておりません。申し訳ありません。このため、途中経過での暫定レス、簡易なものだけのレスをしておきます。

[68561][68580][68593][68594]hmt さん
■ 岐阜県大野郡の標記の件
ご指摘をありがとうございます。[68580] hmt さん ご推察のとおり、効率よく作業できるのは確かで、編集作業も一部着手した状態ですが、まずは、M22(1889).7.1付けの市制町村制施行時の情報(岐阜県)を、「(飛騨国)大野郡」「(美濃国)大野郡」と、修正しました。ご確認ください。M30(1897).4.1付けの郡再編・明治の大合併については、追って作業予定です。

[69735][69889][69930][69931] むっくん さん
■市区町村変遷情報(市制町村制施行時)鹿児島県、宮崎県、大分県の件
ちょっと確認・整理に時間を要し、まとまった時間がなかなか取れないため、積み残しにしています。少々お待ちください。
それにしても、この時期、県令・県告示と、この時期の資料としてよくご紹介いただいている、次の資料との不整合がよく目に付きます。
・「新旧対照市町村一覧」(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、M22(1889))(第1冊)(第2冊)
地方行政区画便覧(著・出版:内務省地理局、明20.10)
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、明26.11.9)
郡区町村一覧(著・出版:内務省地理局,M14.3)
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(著:中村芳松,M28.3)
通常であれば、本来の根拠である県令・県告示の記述を採用し、他の資料は「資料」に過ぎないため誤字や「誤りの連鎖」があると判断することが一般的です。ただ、この明治初期の時代、行政も、印刷技術も、熟度はまだまだでしょうから、悩ましいものです。試行錯誤しながらとなりそうです。

[69986] むっくん さん、[69997] hmt さん
■栃木県下都賀郡藤岡町+谷中村→藤岡町 施行年月日について M39(1906).5.11 or M39(1906).7.1、変更種別 新設 or 編入
「総覧」・・・M39(1906).5.11、新設
「幕末以降総覧」・・・M39(1906).5.11、新設・編入の別は記載なし
「便覧」・・・M39(1906).5.11、新設
「辞典」・・・M39.5.11、編入
ご紹介の郡市町村廃置分合一覧表(明治36年12月31日-明治41年12月31日)(著・出版:内閣統計局、明42.12.10)に従い、また、「廃村」という実態をも鑑み、M39(1906).7.1付け編入と判断し、修正しました。ご紹介のように、おそらく、M39(1906).5.11付け栃木県告示第176号により、施行日はM39(1906).7.1付けでしょう。

[70240][70263] hmtさん
[70258] むっくん さん
■北海道の市区町村変遷情報について
[70263] hmtさん
現状では“「市制町村制」施行時以降の都道府県別変遷一覧”(北海道)に記されている情報の一部は、“「市制町村制」施行時の都道府県別一覧”(北海道は未入力)に記載されるべきではないかということです。
はい、おっしゃるとおりです。私もそれを十分認識しております。
北海道と沖縄県については、制度自体を私自身は十分に理解しておらず、後回しにしておりました。
そのうち、北海道については昨年末にかなり検討し、その上でさまざまな疑問点等を[67671][67672]拙稿で述べました。むじながいりさんのHP「つかんぽやと」(ご自身のサイトでは「エイちゃさん」)の「パラパラ地図」との相違点などについて検討し、整理後、「市制町村制施行時の情報」の北海道に反映させる予定でした。その後、むじながいりさん(エイちゃさん)への私からの連絡等も遅延し、そのままになっています。ようやく、つい数日前、むじながいりさん(エイちゃさん)への連絡を敢行しました。
その後、整理していきたいと思いますので、お待ちください。

■沖縄県の市区町村変遷情報について
一方の沖縄県については、[69541][69564][69565] むっくん さん、[69553] Issie さんにご紹介をいただき、せっかくなので具体的に各資料を片っ端から再確認に着手しました。その後、遅々として進まず、現在に至っています。北海道については上述のようにかなり整理・確認できましたが、沖縄県についてはまだまだです。少々お待ちください。

[70463] k-ace さん
[70469] むっくん さん
■京都府天田郡上夜久野村と夜久野町の境界変更 S33(1958).11.1 or S33(1958)11.11
官報情報検索サービスより、
● 総理府告示 第三百六十号
町村の境界変更
 地方自治法第七条第一項の規定により、京都府天田郡夜久野町大字大油子及び小倉の区域を上夜久野村に編入する旨、京都府知事から届出があつた。
 右の境界変更は、昭和三十三年十一月一日からその効力を生ずるものとする。
昭和三十三年十月二十日
 内閣総理大臣 岸 信介
です。よって、そのままとS33(1958).11.1付け施行としました


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