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右左府さんの記事が30件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[82835]2013年1月31日
右左府
[82749]2013年1月18日
右左府
[82374]2012年12月24日
右左府
[81171]2012年7月22日
右左府
[81116]2012年7月15日
右左府
[80629]2012年4月29日
右左府
[80613]2012年4月28日
右左府
[80495]2012年4月1日
右左府
[80439]2012年3月27日
右左府
[80402]2012年3月13日
右左府
[80356]2012年3月1日
右左府
[80346]2012年2月28日
右左府
[79396]2011年9月27日
右左府
[77761]2011年3月12日
右左府
[77615]2011年2月7日
右左府
[77595]2011年2月4日
右左府
[76285]2010年10月2日
右左府
[76138]2010年9月4日
右左府
[75324]2010年6月9日
右左府
[74465]2010年3月28日
右左府
[74418]2010年3月23日
右左府
[74358]2010年3月15日
右左府
[74337]2010年3月14日
右左府
[74289]2010年3月7日
右左府
[74244]2010年3月2日
右左府
[74237]2010年2月28日
右左府
[74199]2010年2月22日
右左府
[74073]2010年1月30日
右左府
[74050]2010年1月25日
右左府
[73984]2010年1月18日
右左府

[82835] 2013年 1月 31日(木)23:41:15右左府 さん
あきた県民手帳
[82832] グリグリ さん

私は5年前(2008年)からスケジュール帳として「あきた県民手帳」を愛用しています。
大きさ、厚さ、書き込み量などが私にはちょうどいいんですよね。年末年始に県内書店等で販売しており、定価500円(税込)。
内容は以下の通りです。(県HPの紹介ページ…http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1137567664228/index.html


《表紙裏見開き》「秋田県市町村区画図」
 (市町村区画・主要道路・鉄道・空港)、東西南北端の地名・緯経度、主な山岳、主な河川、主要気象データ
平成25・26年カレンダー
《中表紙》県章
秋田県民歌、県民の歌、秋田県のシンボル(花・木・鳥・魚)

年間計画表(見開き1年)
2012年12月~2014年3月 月別カレンダー(見開き1月)
2012年12月~2013年12月 週別予定表(見開き1週間)
横罫メモ、 無地メモ

《資料編》
■名簿編
県議会議員名簿(氏名、住所、電話番号、政党etc.)、 県関係国会議員名簿、 中央主要官公庁等一覧(中央省庁等の所在地、電話番号)、 仙台市所在中央官公庁等出先機関一覧、 県内主要官公庁等一覧、 秋田県(本庁)機構一覧、 県機関一覧

■秋田県勢便覧
秋田県の歴史、 人口の推移、 人口動態、 年齢階級別人口、 主要死因別死亡者数、 産業別就業者数、 産業別平均賃金、 製造業事業所数・従業者数等、 物価、 商業事業所数・従業者数等、 鉱工業生産指数、 県民経済計算、 県民租税負担額、 学校,児童・生徒・学生数,教員数、 卒業者の産業別県内・県外就職者数、 年金・保険の状況、 医療・衛生
●秋田県の日本一
●全国からみた秋田県の地位(各種統計の順位等)
●市町村の庁舎所在地と主要統計(合併前の庁舎所在地つき)
●都道府県の庁舎所在地と主要統計
●ふるさと秋田元気創造プラン

■生活編
県民相談窓口、 救急医療機関、 各種施設の利用案内、 県内主要美術館・博物館・民俗史跡資料館・記念館等一覧、 ふるさとの行事、 県内観光案内所・秋田県の観光のお問い合わせ、 秋田県観光案内人団体一覧、 道の駅一覧、 書簡用語、 郵便料金早見表、 計量単位換算表、 印紙税早見表(抄)、 親等表と戸籍法による届出、 市町村合併一覧、 秋田県・調査統計課ホームページ紹介(アドレス等)、 交通ネットワーク(飛行機・列車・高速バス・高速道路・フェリーの路線紹介等)、 年齢早見表、 おぼえ、 観光マップ
《裏表紙裏見開き》東京地下鉄路線図


資料編は情報量が豊富で読み応えがあります。
東京の地下鉄路線図があるものの、首都圏JR・私鉄路線図はおろか秋田県の鉄道路線図がないのが残念と言えば残念……(^_^;)
[82749] 2013年 1月 18日(金)00:08:40右左府 さん
第三十六回十番勝負(一般コース)
問一:笛吹市
問二:嬉野市
問三:白石市
問四:宮古島市
問六:瑞浪市
問七:鹿角市
問八:妙高市
問九:常総市
問十:青梅市
[82374] 2012年 12月 24日(月)12:24:26右左府 さん
Re: 式の展開
[82370] 白桃 さん
ちょうどヒマを持て余してたので考えてみました。

人口も釣り合わすために左辺は自ずと小規模自治体に限られてきますが、有力候補「大川」「平谷」「北山」「三島」などは使い勝手のいいようで意外とうまい掛け合せがありません。
どうも、現存する自治体ですと (A+B)(C+D)=AB+AD+BC+BD 型で人口を釣り合わすのは困難なようです。

ならばと、違う型を幾つか考えてみました。

【1】(A+B)C=AC+BC

(伊+江)東=伊東+江東
左辺:伊江村 4,643 ×東村 1,827 =8,482,761
右辺:伊東市 70,999 +江東区 465,527 =536,526

【2】A+C/D=(AD+C)/D

北+東/栄=(北栄+東)/栄
左辺:北区 333,769 +東栄町 3,692 =337,461
右辺:(北栄町 15,267 +東村 1,827 )/栄村 2,160 ≒7.91

【3】A/B+C/D=(AD+BC)/BD

大/豊+飯/田=(大田+飯豊)/豊田
左辺:大豊町 4,566 +飯田市 104,728 =109,294
右辺:(大田区 694,615 +飯豊町 7,791 )/豊田市 420,848 ≒1.67

(※人口は2011年10月1日の推計人口)

う~ん、美しさの欠片もない……f^_^;)
[81171] 2012年 7月 22日(日)23:52:31右左府 さん
役場巡り/旧雄踏町役場
[81169] 菊人形 さん

 初めまして、私も似た趣味を持つ者です。落書き帳メンバーには他にも役場巡りをされてる方が何名もいらっしゃいますよ。既に私はご投稿の内容に興味津々となっております。
 とはいっても、私が訪ねた役場はまだ200足らずで菊人形さんの足元にも及びませんが……。私の場合、役場巡りに加えて町歩きなども一緒に行っており、一日で訪ねられるのは多くて4か所程度。一応大合併以前の自治体全訪問を表向きは目指してはいますが、マイペースにのんびり進めています。

役目を終えた旧町村の庁舎
 移転や解体は予想以上に多くの所で行われていますね([74337])。姿を消す前にすべて訪ねておきたいと大合併当時は思っていたのですが、今はほぼ諦めています。

 この方面ではまだまだ初心者ですが、宜しくお願いします。

********************************************

 ついでに、今さらながら一つ訂正を……。
 一昨年[74337]にて 「浜松市の旧雄踏町役場は昨年9月私が行った時既に解体工事が進んでいました」 などと書きましたが、これは大嘘です。私が見た現場は解体工事ではなくて改築工事でして、2010年より「浜松市外国人学習支援センター」として引き続き使用されていました。
[81116] 2012年 7月 15日(日)21:56:40右左府 さん
公式フェイスブック情報
> グリグリさん

フェイスブックの自治体アカウントを幾つか発見しましたのでご報告します。
地元紙で秋田県三種町のアカウント開設が報じられており、それをきっかけに辿っていったら見つけられました。
記事によると、三種町のアカウント開設は「県内の自治体では横手市に次いで2番目とされる」とのこと。)

○奥州市
http://www.facebook.com/oshucity

○陸前高田市
http://www.facebook.com/RikuzentakataCity

○大槌町
http://www.facebook.com/town.otsuchi

○横手市
http://www.facebook.com/YokoteCityOffice

○三種町
http://www.facebook.com/mitanetown

○宇多津町
http://www.facebook.com/pages/%E5%AE%87%E5%A4%9A%E6%B4%A5%E7%94%BA%E5%BD%B9%E5%A0%B4/193751057392624


奥州市が三種町や陸前高田市の記事ににコメントしていたりと、自治体同士のやり取りも見られますね。
[80629] 2012年 4月 29日(日)09:31:53右左府 さん
第三十四回 十番勝負
問七:いちき串木野市
問九:四日市市
問十:福山市
[80613] 2012年 4月 28日(土)23:41:52右左府 さん
第三十四回 十番勝負
問四:青森市
[80495] 2012年 4月 1日(日)23:46:19右左府 さん
「県北」
[80462] Issie さん
まずどれくらいの県で「県北」という地域呼称が行われ,次に「県北」をどのように読んでいるか,という疑問

秋田県では 「県北」「県央」「県南」 の三地域区分・呼称が広く使われています。
そして「県北」の読みは「けんぽく(半濁音)」。

なお、それぞれの指す地域は以下の通り。
 県北……能代市・山本郡、大館市・北秋田市・北秋田郡、鹿角市・鹿角郡
 県央……男鹿市・潟上市・南秋田郡、秋田市(・河辺郡)、由利本荘市・にかほ市(・由利郡)
 県南……大仙市・仙北市・仙北郡、横手市(・平鹿郡)、湯沢市・雄勝郡
 ※県央を秋田市(・河辺郡)のみとし男鹿南秋・本荘由利を県北・県南とする場合もあり。


ちなみに、郡名・市名・旧町名「仙北」は「せんぼく(濁音)」なんですよね。
[80439] 2012年 3月 27日(火)23:25:20右左府 さん
Re: 人口データ更新
[80438] グリグリ さん
連日の更新作業お疲れ様です。

人口データですが、沖縄県渡名喜村の2010年国調人口が誤っています。
 誤)45人 → 正)452人
[80402] 2012年 3月 13日(火)23:06:26右左府 さん
「歳の差」と「都市の差」
[80399] 白桃 さん

“イメージ”は B が一番近いですかね。
実際の都市規模を知識として知っていても、それとは一線を画した序列イメージが頭に染みついています。実際の規模順に並べなさいと言われたらC~Dの順番を答えそうです。

さらに言うと、まだ地理に疎かった10年ほど前はまさに A の通りのイメージを持ってました。

一応、昭和最後の年に生まれ、ついこの間まで学生だった身なのですが……f^^:
[80356] 2012年 3月 1日(木)23:23:20右左府 さん
昭和4年の花巻町・花巻川口町合併について
本題から逸れるのですが、気になったことが一つ。

[80346]拙稿でも引用しましたが、『花巻市史 近代篇』巻末「花巻市制申請書(付、町村沿革)」にある花巻町の沿革に、
昭和四年四月一〇日花巻川口町に花巻町が合併して町名も花巻町(大字花巻、北万丁目、高木、里川口、南万丁目、下根子、西十二丁目、外台)と改め現在に至つている。
とあります。また、「第一章 行政の変遷/第十節 その後の合併」にも旧花巻町・花巻川口町合併の経緯として
昭和四年一月四日両町会において知事の諮問に対して、花巻町の花巻川口町への編入合併を可とする旨の答申をし、併せて名称を花巻町と変更することが決定された。 (「岩手県町村合併史」による)
と書かれています。

つまりいずれも昭和4年の花巻町・花巻川口町合併について “花巻川口町が旧・花巻町を編入、即日改称し新・花巻町となった” としているのですが、 市区町村変遷情報 及び つかんぼやと ではこれについて “新設合併” とされています。
はて、どちらが正しいのか……?


ちなみに、同書によれば合併時の両町の人口等は以下の通り。(「第一章 行政の変遷/第十節 その後の合併」より)

面積(反)人口戸数
花巻川口町9,9629,8421,914
花巻町7,7464,019742
17,70813,8612,656
[80346] 2012年 2月 28日(火)00:42:20右左府 さん
里川口・花巻川口
横から失礼します。

[80334] YT さん、[80332] htmさん ほか
明治22年の町村制で発足した自治体は、『花巻市史』にも「里川口町」と記されていたのでしょうか?

幸いなことに近所の図書館に『花巻市史 近代篇』が所蔵されており、早速確認してきました。


まず、「第一章 行政の変遷/第八節 町村制施行」にて以下のように記されています。(表中の漢数字は算用数字に改めた)

 明治二十二年(一九八九)の町村合併による市町村区域および資力に関する調書である「新町村区域資力調」(岩手県庁所蔵)から、旧町村名、新町村名、面積、人口、個数、合併を要する事由を次に列挙し参考に供したい。(現花巻市分のみを記する)

新町村名旧町村名面積人口戸数合併ヲ要スル事由
(略)
花巻町花巻4041,868401(別記1※)
北万丁目21430249
高木村ノ内53239360
6722,409486
 
里川口町里川口1013,679896(別記2※)
南万丁目211589112
高木村ノ内731
3214,2711,009
(以下略)

【当初は里川口町】説を一応は裏付けますが、あくまで他資料の引用です。(「新町村区域資力調」もやはり県作成の資料?)

同章ではこの後 「里川口町→花巻川口町改称」 については一切触れられず、大正12年の根子村合併・昭和4年の花巻町合併について触れた「第十節 その後の合併」にて
第十節 その後の合併
一、根子村合併
 大正十二年(一九二三)六月一日花巻川口町と根子村が合併し、人口約九千人の花巻川口町が誕生した。合併の事由、経緯の概要は次の通りである。
(略)
 根子村は、花巻川口町に隣接してその南の方にあつた村である。この合併によつて北上川西岸部の地区であつた根子村はなくなつたが、その地域の下根子、西十二丁目、外台は町の大字として残された。
と、突如「花巻川口町」が現れています。


章は変わって、 「第二章 明治期の諸相/第八節 町政の一面」。ここでは歴代町長の施政について記されており、
 第八節 町制の一面
 明治二十二年(1989)の町村制実施によつて、里川口村、南万丁目村、高木村の一部が合併、里川口町と改称された。
 里川口町の初代町長は柏葉富次郎、……(略)
 明治三十五年(一九〇二)病で退職した柏葉のあとに六月から二代目の町長として松川他次郎が就任した。……(略)
と、やはり【当初は里川口町】説に立った記述に始まります。

改称があったと思しき時期の町政に関する記述の中でそれに触れた箇所は見当たりませんが、その後の三代目町長時代に触れた段落にて
 里川口町(明治三十年十月三十日、花巻川口町と改称)の三代目の町長は菊池末治である。……(略)
とあり、[80320] むっくん さんがご覧になった資料と一致する 【明治30年10月30日改称】 がさらっと書かれていました。

本書中で 「里川口町→花巻川口町改称」 を明記した箇所は他に見当たらず、これが唯一の記述と思われます。町村制に触れた箇所でもなく括弧書きだけの記述ではありますが、それなりに意味はあるものではないでしょうか。


……と、以上は【当初は里川口町】説に沿った記述なのですが、一か所これに反する記述を見つけました。
巻末の 「史料/四、花巻市制申請書(付、町村沿革)」 に、昭和29年の花巻市新設の際県に提出された市制申請書とともに合併前の各町村の概要・沿革が書かれています。その中の 花巻町 の項に、
 (略)明治二年盛岡藩に属し、同三年盛岡県同五年岩手県管轄となり現在に至つた。当初は花巻村、里川口村、高木村、北万丁目村、南万丁目村、根子村は夫々一戸町役場の下にあつたが、明治二二年町村制実施に際し、花巻川口町(里川口村、南万丁目村と高木村の一部を合併)花巻町(花巻村、北万丁目村と高木村字小舟渡を合併)根子村となり更に大正一二年郡制廃止とともに同年六月根子村が花巻川口町に編入し、次いで昭和四年四月一〇日花巻川口町に花巻町が合併して町名も花巻町(大字花巻、北万丁目、高木、里川口、南万丁目、下根子、西十二丁目、外台)と改め現在に至つている。
と、【当初から花巻川口町】説が現れているのです。
なお、申請書は原文の引用と思われるのですが、その後に続くこの「町村沿革」が申請書の一部なのか著者が添えたものなのかは不明です。

市史ですらこうした扱いの “里川口・花巻川口問題”、なかなか一筋縄ではいきませんね。

***********************************

(※)引用した表中「合併ヲ要スル事由」を以下に記します。(ひらがなは原文ではカタカナ)

別記1:本村は花巻北万丁目及高木村の内北上川以西字小船渡の一部落を合併す其地勢南は里川口町東は高木村の内飛地字小船渡西は湯口村に境し従来里川口町と共に花巻の総称あれとも延長なる坂路を以両地を隔て随て民情相協はす人民亦分離して一町をなさんことを冀望し資力に於て両町とも不足なきを以て各独立とす

別記2:旧村里川口南万丁目の二村は連軒櫛比して一町をなせり而して高木村の内字中川原は里川口村に接続し瀬川其間を貫通し所謂花巻川岸なるもの此地ナリ故に従来船舶の出入貨物運漕里川口町に関係し交通上尤至便の地なるにより村民の意向と郡戸長聯合会の意見を聴き之を合併す
[79396] 2011年 9月 27日(火)22:18:09右左府 さん
事務連絡
そっちの分野に関わる者として、見過ごせなかったので。

[79387]いろずー さんの書き込みについて。

先日、あるSNS内の掲示板(mixi“コミュニティ”のトピックス)でも非常に似た文面・内容の書き込みを見かけ、恐らく同一人物のものと思われます。
あちらでも何人もの方から注意を受けているのですが、当人はほとんど反省の色もなく同じような投稿を繰り返していました。

mixiと同一人物かどうかにかかわらず……
個人のブログや日記で書く分には何を書こうが当人の勝手です。しかしこうした掲示板のように人々が情報の交換・共有をする場において、ああいった無意味かつ不快な書き込みを繰り返すのは迷惑千万です。
そもそも、この落書き帳とはほぼ関係のない書き込み。(斐川西中学校が出雲市になる事をどうこう書いてますが、何のことやら。)当該書き込みは即刻削除してもらいたいところです。

……と、以上は本人ではなくグリグリさんへの事務連絡、ということで。
mixiやこちらの書き込みを読む限り、注意して即座に改善される見込みは薄いと思われます。


※ここで言うのも何ですが、あの話題自体は地理的観点からの考察を加える価値もなくはないんですよね。
まあ、その話はいずれ気が向いたときに……。
[77761] 2011年 3月 12日(土)00:59:36右左府 さん
地震
私はずっと都内の自宅におりますが、こちらでもかなり揺れました。すぐさま窓や戸を開け放ち、外に避難……こんな事をしたのは初めてです。
秋田県内の実家・親戚の無事は確認しましたがその後連絡はつかず、東北他地域の知人や親戚の安否も多くは分かりません。むやみに電話もできず、メールの連絡すら困難。そもそも向こうは停電でPCも使えず、携帯電話の電池も切れる頃のはず。
また、一部自治体や地元新聞社のウェブサイトもアクセスできない状態が続いています。(東奥日報などは見られましたが。)

気仙沼の津波と火災、私も映像を見て声が出ませんでした。私事ですがここは一昨年の夏に泊まりがけで旅した場所で、その見覚えある街や景色が津波に呑まれさらに炎に包まれているのが俄かに信じられません。
三陸は狭い地域に市街が密集していますが、中でも気仙沼中心部は古い建物が建ち並ぶ街並みが今も記憶に残っています。それだけ火災の影響も大きくなるのでしょう……とにかくショックです。

被災状況は都市部から徐々に明らかになっていますが、町村部の情報が伝わるのはやはり遅いですね。今回の地震に限った事ではありませんが……。
[77615] 2011年 2月 7日(月)23:20:59右左府 さん
豆まき、駅近役場
既に“春”になりましたが……。

[77598] oki さん
鬼を払うために撒いた落花生も、食べる対象にするのでしょうか?
私は家でも幼稚園でも屋内だけで撒いていました。
豆はすべて鬼を追い払うためのもので、鬼のお面を付けた鬼役の人に対して投げ付けていました。
豆は食べ物=食べる物であって、食べないという発想は皆無ですね(^_^;)

これはあくまで私の周囲での話で、この地域全体がどうなっているのかは私も分かりません。
いや、そもそも上記のような豆まきのスタイルって、伝統行事とは一線を画した、ただの現代っ子の“パフォーマンス”的な物に過ぎないのでしょうか。他の方の話す“豆まき”と同列に扱っていいものか……。

[77611] k-ace さん
駅に一番近い市役所・町村役場・特別区の区役所
[77613] oki さん
鉄道駅の多い大都市の方が有利でしょうね
私が行った所だと、太白区役所も地下鉄の 長町南駅 が目の前ですね。(連絡通路等はないはず) 麻生区役所も新百合ケ丘駅北口を出ればすぐの所に見えますが、150mほどは歩きます。
大都市以外では、本庁舎ではなくなりましたが栃木市の大平総合支所(旧大平町役場)が健闘しています。建物までの最短距離は50mほどでしょうか。正面玄関までは100mちょっと歩きますが。 秋田県三種町の琴丘総合支所(旧琴丘町役場)も鹿渡駅からやはり100mほどです。
[77595] 2011年 2月 4日(金)23:31:33【1】右左府 さん
節分にまくもの
[67949]でもさらっと書いたんですが、私は数年前に初めて“節分に落花生をまく”のが全国共通でない――という事を某TV番組で知りました。
過去記事を見たところ、意外にもあまり触れられてません(関連記事)。
気になって調べてみたところ、WikipediaAll About で解説されてました。概ね北海道・東北・北陸(信越?)・九州の一部でメジャーとの事です。

この風習も恵方巻同様広まる……ことはないでしょうね(^_^;) ただ、元々は北海道が発祥のようで、そこから上記範囲にのみ広まったという経緯が興味深いところです。また、こちら東京のあるスーパーでも節分用に落花生が売られているのを最近見掛けました。元から売られていたのか、最近売られ始めたのか――。
私からしてみれば大豆(食べ物)を撒く(そして処分する)なんて罰が当たる!という感覚で、それに比べて落花生は合理的に感じるのですが……。

ちなみに、小袋入りの菓子をまくという方法がある事もつい先日知ったばかりで、2年前同様びっくりしているところでした。
[76285] 2010年 10月 2日(土)01:19:47右左府 さん
大潟村の特異性
ちょっと興味深く感じた事があったので紹介します。大したことではありませんが……。

前回の国勢調査結果を基に大潟村の人口・産業等々を調べていたら、ある数字が目につきました。「昼夜間人口比率 121.9%」。
最初はどこの大都市かと思いました。村で昼間人口が夜間を上回るとは……。
そこで今度は、同様に昼夜間人口比率の高い村のデータを並べてみたのですが(下表)、そこでまた大潟村に際立つ数字を発見。「第1次産業従業者割合77.9%」

昼間人口(人)昼夜間人口比率(%)第1次産業従業者(%)第2次産業従業者(%)第3次産業従業者(%)
1飛島村 13,711313.813.628.856.2
2泊村 3,309151.48.835.156.0
3六ヶ所村 15,434 136.915.041.343.2
4大衡村 7,406132.116.429.753.3
5大滝村 2,282123.814.66.778.7
6十四山村 6,873122.39.731.957.8
7大潟村 3,970121.9 77.91.320.5
8恩納村 11,694121.417.312.168.7
9留寿都村 2,617120.929.37.563.3
(昼夜間人口比率120%以上の村を、その高い順に掲載)

こうして並べてみると分かる通り、他の村々は工業団地や発電所、リゾート地を抱えており、当然1次産業従業者割合は低くなっています。高くて留寿都村の3割弱。
その中で大潟村のそれは抜きんでており、これは全市町村の中でも最高値です。なお50%を超える村は下表の5村のみで、町も浜中町(52.2%)のみとなっています。、

昼間人口(人)昼夜間人口比率(%)第1次産業従業者(%)第2次産業従業者(%)第3次産業従業者(%)
1大潟村3,970 121.977.91.320.5
2川上村4,780 100.470.94.324.7
3北村3,308 91.457.19.533.4
4南牧村3,714106.356.56.136.8
5相馬村3,241 84.455.013.631.2

昼間人口が夜間人口を2割以上上回りながら、その8割近くが第1産業従業者。当たり前といえば当たり前なのですが、こうして実際の数字を見ると大潟村の特異性がよく分かりますね。
[76138] 2010年 9月 4日(土)00:36:21右左府 さん
自治会の「区」
[76137] まかいの さん
自治会、町内会を「○○区」と呼ぶ

1年前に山梨県増穂町(当時)を訪れた時、町内各所に設置された防災倉庫や資源回収倉庫に「大椚区」「天神中条区」などの区名が書かれているのを見かけました。
私の地元でいう町内会と同じものだろうと思ったのですが、どうなんでしょう。
[75324] 2010年 6月 9日(水)14:18:16右左府 さん
自治体越え地名、県下三都市
「自治体越え地名」、情報提供です。

川崎市宮前区野川/川崎市高津区野川
川崎市高津区梶ケ谷○丁目/川崎市宮前区梶ケ谷
高津区から宮前区が分区した際に生じたのでしょうか。いずれも左側に記した側が大部分を占めており、地元でも「野川=宮前区」「梶ケ谷=高津区」のイメージが強かったように思います。

山本郡八峰町峰浜坂形/能代市坂形
山本郡八峰町峰浜内荒巻/能代市外荒巻
いずれも元は同一の自治体(山本郡塙川村→峰浜村)に属していたのが、能代市との境界変更で分断されたものです。ちなみに、大字の(峰浜)坂形に属する「字強坂」も同様に分断されています。

秋田市金足追分/潟上市天王字追分
こちらは詳しい事情はよく分かりません。


県下三都市決定戦、秋田県の場合はどうだろうと考えてみました。
昔なら迷わず「秋田・能代・横手」だったでしょうが、今は「秋田・横手・大館」が無難のようにも思えます。(まさか「秋田・横手・男鹿」なんてひねくれたチョイスをする人は……。)
[74465] 2010年 3月 28日(日)00:03:40右左府 さん
略称地名
[74457] 白桃 さん
都市名の省略

東京の「国分寺」を「ブンジ」と略すのを稀に聞きますが、一般的ではない気がします。(そもそも駅名?)
微妙な例ですが、私の周りでは「武蔵村山」はまず「ムサムラ」と略されてますね。

伊勢市の旧称「宇治山田」はどうだったんでしょう。
現在は 宇治山田高校・宇治山田商業高校 の校名にその名が残っていますが、校名の略称は「山高」「山商」だそうで。


「元八」で連想したのですが、秋田県羽後町には「元西」という地区があります。旧村名でもある「元西馬音内」の略でしょう。
ここにある郵便局の名前は「元西馬音内」ですが、小学校や公民館、保育所、それに農協の支店名はいずれも「元西」となっています。小字名にも「字南元西」というのがあるようです。
[74418] 2010年 3月 23日(火)23:52:57右左府 さん
ムサコ
[74400] かぱぷう さん
むさこ(武蔵小杉)

こっちに暮らしてやっと3年経ったばかりの者の感覚ですが……。
武蔵小杉は「コスギ」ですね。ここを「ムサコ」と呼ぶのは聞いたことがありません。
私は「ムサコ」と聞くと「武蔵小金井」を連想しますし、逆に「武蔵小金井」の駅や駅周辺の街を指すときにも「ムサコ」と言ってます。(ちなみに、小金井全体(?)の街は「小金井」。)

ちなみに、「ムサコ=武蔵小金井」の略称は小金井に住む友人が使うのを聞いて知りました。
でも、そもそも「ムサコ」って普段話題に上がるような街でもないので、専らその友人との会話でしか使ってないかも。

Wikipediaの「武蔵小杉」のページには以下のようにありますね。
愛称的呼称として地元住民を中心に「コスギ」と呼ばれる。その一方で、川崎市が再開発にあたり「MUSACO(ムサコ)」という名称を推奨したが、この呼称に対する反発が大きく根付いていない。 もっとも、「ムサコ」は東京都品川区の武蔵小山や、同小金井市の武蔵小金井などの愛称としてすでに使われているため、同所と混同しやすい。
[74358] 2010年 3月 15日(月)12:55:10右左府 さん
樺太の市町村
[74352] 紅葉橋律乃介 さん
敷香村の町制施行ですが、6月4日付ではなく7月1日付ではないでしょうか。根拠となる告示は以下のようになっています。
 樺太庁告示第九十三号
大正十二年三月樺太庁告示第三十八号中左ノ通改正シ昭和五年七月一日ヨリ之ヲ施行ス
 昭和五年六月四日
       樺太庁長官 縣 忍
敷香支庁ノ部敷香郡ノ内「敷香村」ヲ「敷香町」ニ改ム

それと、
38年の塔路町分立時、果たして「名好郡」だったのかどうか…
少なくともこの時点ではまだ名好郡だったと思われます。樺太の町村の名称・区域の根拠となる 大正12年樺太庁告示第38号 が塔路町分立に際して改正されていますが、その告示が
 樺太庁告示第三十号
大正十二年三月樺太庁告示第三十八号中左ノ通改正シ昭和十三年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
 昭和十三年三月二十四日
       樺太庁長官 今村武志
泊居支庁ノ部名好郡中左ノ如ク改ム
 恵須取町|名好郡内ヨリ塔路町及名好村ヲ除キタル地域一円
 塔路町|【略】
 名好村|【略】
となっており、名好郡所属が確認できると思います。
[74337] 2010年 3月 14日(日)00:43:51右左府 さん
旧役場のその後
[74336] k-ace さん
昨年まで白石町役場だった旧有明町役場は福祉スペースに活用。白石支所(旧白石町役場)、福富支所(旧福富町役場)は廃止、解体とのこと。

大合併のピークから早4年、つい最近触れられた有田町[73212]や秋田県美郷町[73214]の他にも、旧役場の機能廃止や解体のニュースがあちこちで聞かれるようになりましたね。約20年持ちこたえてきたつくば市も、最近話題になっている新庁舎への移行に伴い旧役場は多くが解体されるとのことです。

役場というとその市町村の核というイメージがあり、その庁舎が解体されるというのは旧市町村の廃止を強烈に印象付けるものだと思います。
近年は公共施設の耐震強度が強く意識されていますし、維持管理費などを考えても当然の措置なのでしょう。

最近これ関連のニュースを見て、既に姿を消した、あるいは消える予定の役場はどのくらいあるんだろうと気になっています。
私が確認した所だと、浜松市の旧雄踏町役場は昨年9月私が行った時既に解体工事が進んでいました。
秋田県三種町の旧山本町役場も既に解体され、総合支所の事務所は隣接していた町施設内に移転。
八峰町は先日新庁舎での業務を開始しました。峰浜庁舎(旧峰浜村役場)は火災で既に焼失していますが、旧八森町役場も築年数を考えると解体されるんでしょうかねえ……。

[59558]役チャンさんが仰っていた事が現実になってしまい、役場巡りが趣味の人間は色んな意味で危機感を抱いています。
[74289] 2010年 3月 7日(日)20:14:15右左府 さん
面積調の注記
[74281] グリグリ さん
面積調の特記(所属未定地?)

次のような記述もありました。
根室市の面積には、歯舞群島の面積99.94k?が含まれています。

少なくとも竹島は所属未定地ではないようです。竹島の所属についてまとめられたむじながいりさんのHPによると、昭和14年に五箇村所属となっています。

また、昭和63年の面積調にはこれらのうち歯舞諸島(←当時はこの表記)と竹島の注記しかありません。尖閣諸島の注記は平成元年、他はいずれも平成16年の面積調から記載されています。

自国の領有権を主張するなどの政治的意図があってこのような注記を付けたのか、あるいは領土問題の表面化を受けて(対内的に)紛らわしさを取り除くために付けたのか、そのいずれかだと私は思いますが……。
[74244] 2010年 3月 2日(火)22:04:59右左府 さん
日本海中部地震の命名
[74243] hmt さん
なぜ「日本海中部地震」なのでしょうね?

地元では「青森県側への配慮」という話をよく聞きます。青森県にも被害があったのに「秋田県沖地震」では、秋田県だけ被害があったような印象を受けるから……と。真偽のほどはわかりませんが。

ちょうど4年前の「白神市」騒動の時、“秋田・青森間の名称問題の事例”として新聞のコラムなどでたまに採り上げられていました。
[74237] 2010年 2月 28日(日)21:30:10右左府 さん
小字の有無
[74206] oki さん
[74210] にまん さん
疑問にお答えいただきありがとうございます。御二方とも同様の見解で、私も納得できました。

住所の確定に必要がないにもかかわらず、(小)字単位の地名を記入している事例
前回の書き込みの後に、今回の疑問の発端であるマクドナルドの店舗所在地表記を一通り調べてみたのですが、他にも同様の事例がいくつか見られました。
小字不使用の地域があるという事実を最初知った時も驚きでしたが、今回のような事例もまた字地名に対する認識を象徴しているようで興味深いですね。
[74199] 2010年 2月 22日(月)01:26:45【1】右左府 さん
小字の表示について (宮古島市城辺字保良小字平安名/印西市草深字原)
質問というか何というか、興味深いなあと思ったことが一つ。

昨年11月に宮古島を訪れたのですが、東平安名崎にある史跡 マムヤの墓 に立っていた解説板に気になる記述がありました。史跡の所在地が「宮古島市城辺字保良一二二一-一(小字平安名)」と書かれていたのです。
この「小字平安名」は内地の小字に相当するものなのか、沖縄では「市町村-字-小字」という内地のような住所(字)の階層が存在するのか、ならば土地の登記などでは「字保良小字平安名」といった表示がなされているのか、あるいは単に慣用的な表記に過ぎないのか、……等々気になりました。

沖縄の行政区画や住所表示に関して、かつての「間切-村」が「村-字」となったという点は過去記事([69542]など) でも触れられているのですが、それ以上の部分に触れた記事が見当たらなかったもので。


続いてもう一つ、字に関すること。

関東あたりの町名地番整理未実施の住所表示は「大字-地番」のみで、小字は日常生活では用いない……というのが通例だと思います。ところが、ちょっと不思議な事例を見つけました。
印西市の印西牧の原駅近辺にマクドナルドが2店舗(千葉ニュータウンジョイフル本田店・464印西牧の原店)あります。その所在地が前者は「印西市草深1921番地」、後者は「印西市草深字原2029-3」とHPなどに記載されているのです。
なぜ片方だけ小字らしき「字原」が付いているのでしょうか。

なお、このエリアは上記のマクドナルドがある北総線北側が町名地番整理未実施のようで、そこにある他の店舗の所在地表示も各HPで一通り調べてみました。すると、「字原」が付くかどうかはまちまち。中には同じ地番でも「字原」が付いたり付かなかったり。一部の例を挙げると……

マクドナルド 千葉ニュータウンジョイフル本田店印西市草深1921番地
吉野家 ジョイフル本田千葉ニュータウン店印西市草深字原1921
コナカ 牧の原モア店印西市草深2072
マツモトキヨシ 牧の原モア店印西市草深字原2072番地
サーティワンアイスクリーム 牧の原モア店印西市草深字原2072番外

こちらの住所表示で小字を見たのも新鮮でしたが、その扱いがまちまちなのも不思議に感じられたので、ちょっと書き込んでみました。
[74073] 2010年 1月 30日(土)01:25:40右左府 さん
市の花、人口集中
[74070] k-ace さん
相馬市は市の花を季節毎に制定

調べてみたら同様の例がいくつかありました。
伊勢崎市も春夏秋冬それぞれに合わせて四つの花を指定しているようです。(ツツジ・サルビア・キク・スイセン)
四季全てではないですが、北斗市は春(さくら)・夏(マリーゴールド)・秋(ムクゲ)の三つを、筑西市は春(なしのはな)・秋(コスモス)の二つの花を指定しています。

変わり種だと、松戸市は のぎく・つつじ・あじさい を市の花としていますが、それぞれに「里の花・街の花・庭の花」という呼称を付しています。市の木についても、 ユーカリ・なし・しい・さくら それぞれを「国際交流の木・郷土の木・里の木・街の木」としているようです。
(「庭の木」はないんですね……。)


[74071] 山野 さん
三大都市圏(東京・名古屋・大阪)の人口が不況の影響で減少しているらしい
人口が減っているわけではなくて、人口集中の動きが止まりつつある、ということではないでしょうか。
依然三大都市圏全体の社会動態は転入超過であり(名古屋と大阪に限ると転出超過ですが)、その転入超過数が大幅に減少した、というのがこのニュースの伝えているところだと思います。
[74050] 2010年 1月 25日(月)20:15:07右左府 さん
市区町村変遷情報(宮崎県)
>88さん

市制町村制施行時の情報【宮崎県】の#66鵜戸村の項で、合併前の村名に「富士村」とありますが、これは「富土村」の誤りではないでしょうか。
明治22年3月29日の宮崎県令第十七号を見ると、明らかに「士」ではなく「土」のように見えます。現在の大字名も「日南市富土」となっているようです。
[73984] 2010年 1月 18日(月)01:45:26【1】右左府 さん
問六
[73963] グリグリ さん
除外市の長浜市は、1月1日の編入合併の前の合併が、2006年2月13日の浅井町、びわ町との1市2町による編入合併です。
2006年の合併は新設では……?(参考


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