[12717]三丁目さま
釧路市の歴史についての詳しい解説、ありがとうございます。
泥炭地だとよく聞いていたのは、石狩平野の一部や、サロベツ原野などだったので釧路?泥炭地?と思いました。確かに、釧路市には炭坑がありますけれども。
九州は炭鉱は多いけど泥炭なんてものは存在しないように、実は、炭鉱と泥炭はあまり関係がありません。
石炭とは、有機物が地中で非常に長時間の高温、高圧を受けて形成されたものです。
一方、泥炭とは、三丁目さまのおっしゃったとおり、
草や木などの植物が湖沼や湾などの底で腐敗せずに堆積したものです。
普通は植物は腐りますが、北海道は寒冷地なため腐敗速度が遅く、
腐敗しきらない生のままで堆積していくようです。
そう、腐敗しないので、掘ったら大昔の大木の根っこがそのまま出てくることもあります。
だから、簡単にいえば、湿ったおがくずの上に乗っているような感じです。
北海道の沖積平野では、石狩平野やサロベツに限らず、ほとんど泥炭層であります。
ただ、上記で「あまり関係がない」のは、寒冷地での石炭形成には、植物の泥炭化が関わっている、
との学説があるようです。
話は変わりますが、十勝川温泉とか塘路温泉などの「モール温泉」も泥炭由来とか聞いたことあります。
肌がスベスベというより、ヌルヌルの膜が付いた変な感じでしたけど、
まさか、そのまま石炭化しないでしょうね(苦笑)
あと、根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
釧路川左岸の丘陵地は、・・・
とおっしゃっているように、釧路市域にも台地が広がっており、
幣舞橋の坂を登ったあたりも、「根釧台地の端くれ」だと思っていたのですが。。。違うのかな??
[12545]社会科で習ったのは「根釧」台地として、記憶にある音は「コンセン」ですが、地元では「センコン」と言うそうです。
ちなみにinfoseekで調べたところ、「釧根」では499件、「根釧」では1049件ヒットしました。
農林業関係では、根釧を使うことが多いようです。
フリーズドライされるのでしょうね。
あまり見たくありませんね(苦笑)
釧路は冬は雪が少ないぶん、体感温度は放射冷却で余計に寒いそうです。
根室本線が釧路まで開通し,終着駅だった当時は,釧路川北岸はまだ市街地ではなく,・・・
以前、札幌の図書館にて、当時の釧路の古地図を見た経験がありますが、
鉄道開通当時の市街地は南大通周辺に限られていて、
幣舞橋北部はポツポツと人が住み始めた程度で、ようやく区画整理に手をつけられたとか何とか。。。
それと、漁業のまちとの印象から、南のほうが先行して発展していたと思っていたのですが、実際は
2市街地が両立発展してきたのが,1960年代頃までの釧路の歴史だと考えられます。
なのですね。
1970年代後半から,漁業と炭鉱の衰退によって,南地区の人口が減少したことと,・・・
海の男は大金を持っているものの、それを使える時間(陸にいる時間)が限られているため、
それはそれは豪快に使った、とのこと。それで、南大通では道東一の歓楽街になっていたそうで。。。
(タクシードライバー談)
しかし、今の南大通には当時の繁栄を物語る面影もないですね。
幣舞橋のロータリーも南大通よりも、昆布森地区に繋がる道路の方が圧倒的に交通量が多かった気がします。