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「平野」とはどのような地形か?

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記事数=18件/更新日:2004年3月6日/編集者:YSK

一般に「平野」というと、平坦で標高の低い地域が卓越する場所というイメージがありますが、実は「平野」と呼ばれる場所の中でも台地やそれに伴う坂など、多様な地形が存在するようです。

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[3904] 2002年 10月 16日(水)00:10:55YSK さん
平野について
[3901]
>仙台平野が北上川流域を含み得るとの解釈ですが、東北線沿線で見た場合、塩竃市から
>松島町にかけては、多島海を形成する程に海岸は急峻であり、内陸経由の国道四号線沿
>線を見ると、三本木町以南は丘陵気味ですね。これでも連続した平野なのかな。
手元にある帝国書院の「標準高等社会科地図 七訂版」をみると、「仙台平野」という文字が古川市付近から仙台市付近にかけて書かれており、[3897]にて私の書いた「広義の」仙台平野を踏襲しています。とはいえ、ご指摘のとおり北上川流域の平野(以下、「仙台平野北部」と書きます)と、仙台市付近の平野(以下、「仙台平野南部」と書きます)との間には丘陵地が卓越し、これらを一括して「平野」というには無理があるのではないかという疑問も生じてきます。そもそも、「平野」って何なのでしょうか。

実は、いくつもの使い分け方があるのです。
(1)一定の基準の標高よりも低い地域を機械的に呼ぶ場合
簡単に言えば、標高の低い地域、具体的には標高100メートル以下程度の地域ということになります。仙台平野北部と南部の間の丘陵地は概ね標高100メートル以下なので、両平野一括して「仙台平野」と呼ぶことができるというわけです。
(2)標高の低い地域で、かつ地表が比較的平坦な地域を呼ぶ場合
これは、狭義の平野、仙台平野北部や仙台平野南部などがあてはまります。
(3)河川の堆積作用により形成された低平な土地を指す場合
「台地」や「沖積地」などと呼ばれます。これは、土地の成因による分類で、以下に書きます。

その他、「低地」や「平地」なども「平野」と同義で使われる用語ですが、これらの用語も上の(1)~(3)の意味で用いられます。

ちなみに、仙台平野北部と南部の間の丘陵地はいわゆる「台地」です。これは、比較的古い時代にできた平地の名残です。また、それ以外の川沿いの低い土地は「沖積地」といい、比較的最近できた平地で、今まさに形成が進んでいる平地です。
日本の平野は川が一生懸命土砂を削ったり堆積させたりしてできました。氷期が強まったり弱まったりしたことにより海面の高さが高くなったり低くなったりしたのですが、低くなったとき川は遠のいた海面のレベルまで台地を削り、逆に高くなったときは近づいた海面に近づくよう土砂を堆積させました。つまり、日本の平地は、地球が暖かくなったり寒くなったりすることが繰り返された結果、作られたのです。

参考までに、気象庁の宮城県の気象区分はずばり「平野」と「山沿い」です(宮崎県も平野と山沿いに分けますが、「北部」と「南部」にさらに細分します。宮城の場合、細かい注意報が出る場合を除けば南北に細分しません)。
[12578] 2003年 4月 6日(日)22:50:20三鈴 さん
谷と坂
[12556]太白 さん
東京の都心は、関東平野の縁(へり)にある割には意外と起伏があります。
[12562]三丁目 さん
東京、というと、広い関東平野の海に近い方なので平坦な印象がありますが、結構アップダウンがあるのですよね。
台地も低地も併せて「関東平野」と一括りに見ると、そういう意外感もありますね。
でも東京の都心は、武蔵野台地と荒川などによる沖積平野との縁(へり)に位置しているので、
その結果として、台地に侵食して入り込んだ谷や、台地と低地とを結ぶ坂が多くなっているわけです。

東京など、東国では、「四ツ谷」「渋谷」「日比谷」「千駄ヶ谷」・・・と、「や」と呼ぶことが多い「谷」ですが、
京都など、畿内では、「鹿ケ谷」「黒谷」など、「たに」と呼ぶことが多いようですね。
この境目は、いったいどのあたりになるのでしょう。

かつて、「坂の名前と(下町の)橋の名前を覚えないと一人前の運転手とはいえない」といった話を、
東京のタクシーの運転手さんから伺ったことがあります。
アップダウンがあるので歩くのは大変なのですが、
でも、例えば渋谷だけでも、「宮益坂」「金王坂」「道玄坂」「スペイン坂」・・・と、
それぞれの坂ごとに表情があり、そうした多様さが、のっぺりした平坦な街にはない、
東京の魅力の一つなのではないかなぁとも思ったりします。

東京の坂の名前・所在・謂れなどを網羅した本があると、
東京の街歩きのガイドとしても面白いと思うのですが、
あるいは既にそういう出版物もあるのでしょうか?
(ここ数年、東京から離れたところで暮らしているので、出版事情にも疎くなりがちです‥泣)
[12586] 2003年 4月 6日(日)23:32:19KMKZ さん
関東盆地、春の小川は渋谷川
[12562]三丁目 さん
実はかねてから思っていたのですが。。。東京、というと、広い関東平野の海に近い方なので平坦な印象がありますが、結構アップダウンがあるのですよね。
実は、構造的には関東平野は盆地でして、東京は、その盆地の縁にあたります。

http://www.kumagaya.or.jp/~sizensi/exhibit/theme86/86_2f_exhibit.html 埼玉県立自然史博物館
関東地方は、平野の中央部は沈降(ちんこう)し、周縁(しゅうえん)部が隆起(りゅうき)するという運動を長い間続けています。そのため、砂や泥などが海底にたまってできた地層は、凹状に曲がり古い時代の地層ほど著(いちじる)しくなっています。こうして、関東平野の地層は、すりばち状にたわみ、このような運動を関東造盆地運動と呼(よ)んでいます。
 造盆地運動の影響を受けながらも関東地方全体が隆起し陸地となりました。そこには河川が発達し、丘陵地・台地や低地が形成されました。丘陵(きゅうりょう)地や台地には火山灰が降り積(つ)もり、風化して赤土となりました。これが関東ローム層と呼ばれているものです。


[12567]ちりたま さん
渋谷は渋谷川が台地を浸食してできた地形
ところで、あの「春の小川は、さらさら行くよ」という童謡の舞台は、明治時代の渋谷川で、開業当初の渋谷駅の近くには、水車小屋があり、狐が山手線の列車にひかれて死んだこともあったそうですよ。かっては、のどかな場所だったのですね。

http://www.we-love-shibuya.co.jp/ongakukai/ 渋谷街角音楽会
童謡「春の小川」が渋谷が発祥地ということで、どこにあったのか生まれた場所を訪ねてみました。
[12637] 2003年 4月 7日(月)19:54:47三丁目 さん
平野、盆地
[12556]での太白さんのお話をきっかけに、

[12578]三鈴さん
東京の都心は、武蔵野台地と荒川などによる沖積平野との縁(へり)に位置しているので、その結果として、台地に侵食して入り込んだ谷や、台地と低地とを結ぶ坂が多くなっているわけです。

[12586]KMKZさん
構造的には関東平野は盆地でして、東京は、その盆地の縁にあたります。

[12632]KMKZさん
関東平野に限らず日本の大きな平野の幾つかは実質的な盆地(構造盆地)らしいのですが

と、東京都心部の地形的な成り立ちがわかり、大変勉強になりました。ありがとうございました。

ところで、これは地理学なのか、地形、地勢、地質学?の話になるのかわかりませんが、そもそも「平野」の定義はあるのでしょうか。

実は、拙稿[12542]を書きこむに当たり、友人とメールのやりとりしているときに、釧路平野ってあるのかな?という話になり、私の高校時代の古地図で確かめてみたら、しっかりと釧路平野と書いてあったので、この質問は一旦やめたのです。

ちなみに、このときの疑問は、釧路湿原のような湿地帯は、乾燥していない土壌だから平野とは言わないのかな?あまり釧路平野とは聞かないよなあ、だったのですが、先述のとおり「平野」でした。

もともと、三角州、扇状地、など海岸に面してできた平地を総称して平野と言うのでしょうか。河岸段丘でできた平地も場所によっては平野になるのでしょうか。関東平野と括られた表現になるから、東京は平坦だ、というイメージにつながるのでは、と思っていたものですから。

同様に、盆地は、周囲を山に囲まれた平坦な土地、という理解でよいのでしょうか。平野と同様に、厳密な分類はされないものなのでしょうか。ご教示頂けると幸いです。

それにしても、十勝平野、関東平野、濃尾平野、大阪平野は構造盆地というのも驚きました。いやあ、本当に勉強になります。

実はこの文章は、職場で用意しておいた原稿なのですが、「[12632]KMKZさん」は、一生懸命追いかけて読んで、たった今付け加えたのでした。
[12638] 2003年 4月 7日(月)20:07:30YSK さん
平野について
[12637]三丁目さん
地理学なのか、地形、地勢、地質学?の話になるのかわかりませんが、そもそも「平野」の定義はあるのでしょうか。
拙稿[3904] をご覧いただければと思います。
地理学を専攻していた私の感覚ですと、地図帳などにおける「平野」は、標高の低い平坦地(標高100メートル以下のことが多いようです)を指すことが多いように思います。
#地形学は、自然地理学の範疇に含まれます。私は理学部で地理学を学びましたので、ほんのちょっとですが、地形学もかじりました。

関東平野の台地と段丘等については、稿を改めたいと思います。

[3904] 内では、宮城県の気象予報区域が「平野」と「山沿い」であると書いていますが、現在は「東部」と「西部」に変更されています。
Issie さん[10480]及び拙稿[10419]を参照ください。
[12664] 2003年 4月 7日(月)23:18:28YSK さん
続・平野について
[12643]三丁目さん
レスありがとうございます。

私の[3904]の「平野」についての基準:
(1)一定の基準の標高よりも低い地域を機械的に呼ぶ場合
(2)標高の低い地域で、かつ地表が比較的平坦な地域を呼ぶ場合
(3)河川の堆積作用により形成された低平な土地を指す場合

ですが、[3904]に一部言及しましたとおり、(1)と(2)の分類は標高や地表面の平坦さなど実際の土地の形状に着目した分類方法、(3)は土地の成因に着目した分類方法であるといえると思います。

仙台平野の事例を紹介しましたが、地図帳では古川市を中心とした北上川流域の平野から、仙台市周辺の平野までを総括的に「仙台平野」と扱うことが多いようです。これは、「標高100メートル以下」という基準を当てはめて、(1)の方法によっているといえますね。

しかしながら、この広義の仙台平野は、松島周辺や大和町あたりの丘陵性の地域も含んでいて、標高が100メートル以下であっても、丘陵性の地域を「平地」と判断しないほうがより適切であると判断される場合、これを「平野」の範疇から除外して、北上川流域の平地と、仙台市周辺の平地とを別個の平野と見なす分類方法も成立し得るわけですね。この場合が、上記(2)による分類です。

以上の(1)、(2)はその土地の成因には全く影響されない分類です。気候学など、土地の成因よりも、土地の形状や標高により影響される分野の研究などでは、上記の分類がより適切な分類法となる場合もあるのですね。

(3)は、土地の成因に着目した分類法です。
とはいいましても、その地形のできた年代、場所などにより、いくつかに再分類できますね。

一般的には、「沖積平野」と「洪積台地(以下、単に「台地」といいます」という分類があります。台地は比較的古い時代に形成された堆積性の低地です。千葉県あたりの下総台地などが典型ですね。

氷河期には海岸線が遠のき、河川はその海面レベルに向かって土地を浸食します。一方、間氷期(氷期と氷期の間の暖かい時期)には海面が上昇するので、逆に河川は海面レベルに合わせようと堆積作用を強めます。日本の平地のほとんどはこういった河川の浸食・堆積作用の繰り返しによって形成されたもので、古い時代の堆積平地の名残(台地)と、現在進行形で浸食・堆積が行われているより低平な土地(沖積平野)とによって、大まかに平野を分類することができます。

河口付近に土砂が堆積し、幾筋かの分流が発達した場所は特に「三角州(デルタ)」と呼ばれたり、産地から平地に出た辺りに土砂が堆積された場所は特に「扇状地」と呼ばれたり、更なる分類が行われるわけですね。これらは流入する河川の規模、沿岸流の規模、海底の地形の違い、また地殻変動などのその他の要因によって、さまざまなバラエティを見せ、広島市の太田川河口のような規模の大きいデルタが形成されることもあれば、富山県黒部川河口のように、扇状地がそのまま海岸線に接するような場所もあるわけですね。以上は、いずれも地形学的な議論をするきなどには、極めて重要な要素となります。

つまり、様々に分類される「平野」ですが、その分類をしようとする意図によってそれぞれに合理的な分類方法が採用されているということであると思います。地図帳や中学校や高校の地理で地図帳のような平野の分類方法が主に採用されている理由は分かりませんが、少なくとも地図帳にでているような分類方法のみを念頭に置いていると、関東平野における多様な平地の起伏などは意外に感じられることでしょうね。

私は、専門にはしませんでしたが、地形学を少しかじったこともあり、行く先々で「あれは洪積台地だ」とか、「すごい河岸段丘だね」とか、「自然堤防に集落が立地してるね」とか、そんな観察をしてしまいます・・・。
[12672] 2003年 4月 8日(火)00:36:35YSK さん
構造盆地(関東平野南部)
東北(上越)新幹線に乗って、上野駅を過ぎて地上に出ますと、山手線が下を通過する崖が意外なほど高低差があるのに気がつきます。初めてこのことを発見した時は、東京付近における台地と低地との高低差を改めて実感したものです。このことも、関東平野の南部が構造的に沈降していることの影響と見ることができるのだと思います。

一方、東京付近から横浜にかけての台地には、多摩川が形成した数段の河岸段丘も発達しており、それらも多様な起伏をこの地域に形づくっています。

また、同じ関東平野でも私の住む両毛地域周辺では台地と低地とを分かつ崖の比高はせいぜい5、6メートルほどの規模です。内陸ということもありますが、これも沈降という営力の多少も影響しているのではないかと考えています。
[12681] 2003年 4月 8日(火)09:03:09KMKZ さん
下町低地
[12672]YSK さん
東京付近における台地と低地との高低差を改めて実感したものです。このことも、関東平野の南部が構造的に沈降していることの影響と見ることができるのだと思います。
構造盆地としての関東平野の中心は埼玉県栗橋付近で、この付近が沈降し、周囲は隆起しているのですから、共に関東平野の中心から離れている東京の下町と山手の高低差は、下町付近が沈降した結果ではないのでは?

[1639]Issie さん
実は関東平野の中で一番低くなっているのは栗橋のあたりで(ここがどんどん沈んでいるのです。逆に南部の東京湾岸地域はどんどん持ち上がっている),そこを荒川・利根川・渡良瀬川の3大河川が寄ってたかって埋めている最中です。

http://www.con-pro.net/readings/soil/chapter01.html 伊藤教授の土質力学講座
山手台地の表層は立川および武蔵野の関東ロ-ム層であって、古富士山の
噴火による火山灰が風にのって運ばれ堆積されたもので、立川ロ-ム層の時
代は表-1.1に示すヴェルム氷期末であり、(中略)
現在の下町あたりには幾すじもの深い谷が刻まれており、なかでも利根川の前身で
ある古東京川が、現在の大宮から川口そして江戸川区の荒川放水路付近を通
って、現在の東京湾の海底に達して、台地から数十メ-トル深い谷をつくっ
て南下していたと想像されている。
下町の低地は、氷河期に形成された谷に旧利根川などが土砂を堆積させた結果として形成されたのだと思います。
[12717] 2003年 4月 8日(火)21:15:03三丁目 さん
でえたんち、釧路?、北海道限定の話題です。
[11974]uttさん
釧路川の北側は湿原の泥炭地帯が広がっていた

泥炭地だとよく聞いていたのは、石狩平野の一部や、サロベツ原野などだったので釧路?泥炭地?と思いました。確かに、釧路市には炭坑がありますけれども。それで、調べた結果をご紹介します。

現在の釧路市平地部と釧路町、標茶町、鶴居村にわたる釧路湿原の低地一帯は、内陸部の丘陵地に縄文期の貝塚遺跡が発見されていることから、数千年前までは海湾であったと推定されます。それが現在の海岸線付近に砂洲ができたことで汽水の潟湖となり、海面の低下により浅い湖沼となって、水草の沼沢地に変わっていったと考えられています。

北海道のような寒冷地では、こうした低層湿原の湖底には、枯草が腐敗せず泥として堆積することにより、泥炭層が形成されています。つまり、釧路の地質は、釧路川左岸の丘陵地は、数万年前から陸地だった岩盤または火山灰地であり、釧路川右岸は河口から大楽毛に至る海岸線は、1~2キロメートルの幅で砂丘地で、それにより内陸部は泥炭地(低湿地)ということになります。

オマケの情報。
今回調べていく中で、私は初めて知ったのですが、根釧台地は、根室支庁の別海町、中標津町を中心として、一部が釧路支庁の浜中町、厚岸町、標茶町にわたっている地域のことで、根室市域も釧路市域も入っていないのですね。おそらく旧国名で、根室国と釧路国にまたがる台地なので、そう命名されたのでしょうけど。

自分が知らないことを調べる、って面白いですね。久しぶりに、感じました。。。イエイエ、ワタクシが何もかも知っている、ということでは、ありませぬのですよ。逆に、こちらの掲示板では教えて頂くことばかりです。
[12735] 2003年 4月 9日(水)00:47:33【2】YSK さん
すみません、珍しくちょっと泥酔中でして・・・
[12733]ちりたまさん
細かいフォロー申し訳ございません。私も、地形学は専門にせず、概略の概略をかじった程度ですので、やはりぼろが出てしまいますね。「河成段丘は“主に”海水面の上昇、下降に起因しますので」としたほうが良かったと思っていたのですよね・・・。
詳しくご説明いただきまして、ありがとうございました。

[12732]津軽衆さん
私は過去ある時期6年間仙台在住でしたので、夏の青森も体感したことがありますが、津軽半島方面は、北海道に行ったときに電車で通過した程度ですね。八甲田や白神山地、下北半島も含めて、夏の時期にも行ってみたいものです。

昨年末から今年初めに青森へ行ったのは、青森から下関まで本州日本海側を縦走したいという欲求からでして、実際青春18きっぷを駆使して日本海岸を縦走しました。

[12710]三丁目さん
レスありがとうございます。
ご指摘の金沢平野の事例からすれば、「金沢平野」は機械的に標高100メートル(一般的な数値ですので、多少の数値の変動はあるかと思います)以下の比較的低平な土地を指す用語で、その「平野」を成因的に分析すると、手取川などの扇状地や下流域の沖積平野などとなるということなのだと思います。このように「平野」を規定するのは、気候学的に一定標高以下の土地が似たような気象条件に置かれるということもあるでしょうが、この場合はおそらく人間の経済活動が主に行われる(市街地の形成や農地の形成など)地域としてこの意味での「平野」にあたる地域がその中心的な場所になるということが含まれてのことなのかもしれないな、とYSKはふと思いました。

[12704]KMKZさん
レスありがとうございます。
江戸が都市として町割を進める際に、まず入り江だった日比谷を埋め立てたという話をきいたことがあるのですが、関東平野南部のおもな沖積地は、縄文海進時をピークに相当部分が入り江であったのですよね。家の近所の群馬県板倉町辺りでも、貝塚が発見されているようです。

[12688]KMKZ さん
東京湾も盆地
フォロー痛み入ります。一見単調そうに見える平野でも、多様な地形発達史により複雑な地形が形成されている、そういった目で地形を見ると、新たな発見もあるのかな、そう思います。
[12876] 2003年 4月 11日(金)15:45:19【1】ペーロケ[utt] さん
釧路について
[12717]三丁目さま
釧路市の歴史についての詳しい解説、ありがとうございます。

泥炭地だとよく聞いていたのは、石狩平野の一部や、サロベツ原野などだったので釧路?泥炭地?と思いました。確かに、釧路市には炭坑がありますけれども。
九州は炭鉱は多いけど泥炭なんてものは存在しないように、実は、炭鉱と泥炭はあまり関係がありません。
石炭とは、有機物が地中で非常に長時間の高温、高圧を受けて形成されたものです。
一方、泥炭とは、三丁目さまのおっしゃったとおり、
草や木などの植物が湖沼や湾などの底で腐敗せずに堆積したものです。
普通は植物は腐りますが、北海道は寒冷地なため腐敗速度が遅く、
腐敗しきらない生のままで堆積していくようです。
そう、腐敗しないので、掘ったら大昔の大木の根っこがそのまま出てくることもあります。
だから、簡単にいえば、湿ったおがくずの上に乗っているような感じです。
北海道の沖積平野では、石狩平野やサロベツに限らず、ほとんど泥炭層であります。
ただ、上記で「あまり関係がない」のは、寒冷地での石炭形成には、植物の泥炭化が関わっている、
との学説があるようです。
話は変わりますが、十勝川温泉とか塘路温泉などの「モール温泉」も泥炭由来とか聞いたことあります。
肌がスベスベというより、ヌルヌルの膜が付いた変な感じでしたけど、
まさか、そのまま石炭化しないでしょうね(苦笑)

あと、根釧台地の範囲に厳密な定義はあるのでしょうか??
釧路川左岸の丘陵地は、・・・
とおっしゃっているように、釧路市域にも台地が広がっており、
幣舞橋の坂を登ったあたりも、「根釧台地の端くれ」だと思っていたのですが。。。違うのかな??

[12545]社会科で習ったのは「根釧」台地として、記憶にある音は「コンセン」ですが、地元では「センコン」と言うそうです。
ちなみにinfoseekで調べたところ、「釧根」では499件、「根釧」では1049件ヒットしました。
農林業関係では、根釧を使うことが多いようです。

フリーズドライされるのでしょうね。
あまり見たくありませんね(苦笑)
釧路は冬は雪が少ないぶん、体感温度は放射冷却で余計に寒いそうです。

根室本線が釧路まで開通し,終着駅だった当時は,釧路川北岸はまだ市街地ではなく,・・・
以前、札幌の図書館にて、当時の釧路の古地図を見た経験がありますが、
鉄道開通当時の市街地は南大通周辺に限られていて、
幣舞橋北部はポツポツと人が住み始めた程度で、ようやく区画整理に手をつけられたとか何とか。。。
それと、漁業のまちとの印象から、南のほうが先行して発展していたと思っていたのですが、実際は
2市街地が両立発展してきたのが,1960年代頃までの釧路の歴史だと考えられます。
なのですね。

1970年代後半から,漁業と炭鉱の衰退によって,南地区の人口が減少したことと,・・・
海の男は大金を持っているものの、それを使える時間(陸にいる時間)が限られているため、
それはそれは豪快に使った、とのこと。それで、南大通では道東一の歓楽街になっていたそうで。。。
(タクシードライバー談)
しかし、今の南大通には当時の繁栄を物語る面影もないですね。
幣舞橋のロータリーも南大通よりも、昆布森地区に繋がる道路の方が圧倒的に交通量が多かった気がします。
[22677] 2003年 12月 10日(水)21:30:56Issie さん
関東平野の範囲
[22545] トミ さん
神奈川県内での関東平野の西端、南端はどこですか??

西端は丹沢東縁,南端は相模湾および三浦半島の海岸線です。つまりこの説明では,三浦半島も含めて丹沢の東の神奈川県東部全域が関東平野に含まれることになります。

地形区分については行政区分のように「定められた境界線」があるわけではありません。
その地形をどのように捉えるか,どこに視点を置いてどのように体系づけるかで,最終的には研究者によってまちまちなものになります。けれども当然に最大公約数のような区分はあるわけで,上はそのような区分の1つです。

ここで参考にしたのは,
 貝塚爽平ほか編『日本の地形4 関東・伊豆小笠原』東京大学出版会,2000年
の口絵図。
これによれば関東平野の西縁は,関東山地および丹沢山地の東縁にあたる以下のライン:
 松井田-富岡-寄居-飯能-青梅-五日市-高尾(浅川)-城山-伊勢原-松田-国府津
北端は榛名・赤城・足尾・那須・八溝・筑波の各火山および山地の麓のライン:
 松井田-渋川-伊勢崎-桐生-栃木-今市-那珂川・阿武隈川水系分水界-烏山-筑波山南麓-笠間-金砂郷-常陸太田-日立市久慈
この両ラインの南東側全域が大区分での「関東平野」となっています。
房総丘陵など,少し油断をして準備を怠ると遭難できてしまえたり,空手家が清澄山にこもって修行をしたりと十分に「山深い」のですが,ここでは「関東平野」に含まれています。

それは,この区域が周りをとりまく(といっても北側と西側ですが)山地から流れ出した久慈川・那珂川・鬼怒川・利根川・荒川・多摩川・相模川とその支流が運び出した土砂が堆積して形成された現在および過去の堆積面であるからです。周囲の山地や火山とは形成過程が違うのです。
その上で,この「関東平野」は幾つかのブロックに区分されます。それは現在の地形の違いであり,どの時代に土砂が堆積して平坦になったのかに対応しています。

房総丘陵や三浦半島(三浦丘陵)などは,この中で最も古い時代の「平坦面」で,ここを横断する何本もの活断層の活動による隆起と,その間にも継続した河川の侵食によって起伏に富んだ丘陵となったものです。

「多摩丘陵」は,東京都の(南)多摩地域だけでなく,神奈川県内の三浦半島の付け根(おおよそ鎌倉-金沢ライン以北)までを含む丘陵地域を指しますが,この区域は房総丘陵や三浦半島よりも一時代新しい(逆に言えば,次に古い)平坦面です。ここも長い間の侵食によって刻まれて丘陵化しているのですが,少し離れて眺めると尾根筋の高さがそろっていることからわかるように,元は平坦な地形であったと考えられています。

その次の時代に作られた平坦面が,現在「台地」となっている相模原・武蔵野・常総・下総・鹿島などの台地です。ここはまだ台地化して時間が余り経過しておらず,広大な部分が平坦なまま残されています。けれども末端部から小河川による樹枝状の侵食が進行しており,たとえば武蔵野台地の東末端部が複雑な起伏の「山の手」となっているわけです。

そして現在まさに土砂の堆積が進行して成長しつつある平坦面が,それぞれの河川に沿った低地です。相模平野,多摩川低地,荒川低地,中川低地,利根川中流低地,利根川下流低地(本来は鬼怒川下流)などがこれにあたります。
また,これらとは違う要因で形成されたものですが九十九里平野(過去の海底が隆起して陸地化した「海岸平野」)も含まれます。

「関東平野」とは,これら全体の総称とされているのです。
[22718] 2003年 12月 11日(木)21:48:45【1】Issie さん
平野の定義
[22701] N-H さん
房総南部の標高は最大で400メートル強ですが、とても「平野」のイメージとはかけ離れていますね。

実は,私もここまで含まれることには少し変な気がしています。
つまることろ,「平野」をどのように定義するかによるのでしょう。

件のシリーズでは次のような定義をしています。
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…平野は海抜高度と起伏が小さく,平坦な地表面が占める面積が広い。日本列島の大地形は基本的に地殻変動によって規制されており,山地は相対的な隆起地域であり,平野は相対的な沈降地帯に分布している。
 海抜高度や起伏が数百m以下で,主として斜面からなる地形は,丘陵といわれる。丘陵の定義はかなり定性的であるため,山地や平野とは独立して扱われたり,山地あるいは平野の一部とされてきた。たとえば多摩丘陵は関東平野の一部を構成するが,出羽丘陵は出羽山地とも呼ばれる。本書では,地形発達史的な観点から,丘陵は平野を構成する地形として扱う。

米倉伸之・貝塚爽平ほか編 『日本の地形1 総説』 東京大学出版会,2001年,p.200
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「定性的」,つまりそれぞれの丘陵の性質によって,ということですね。
このシリーズとは逆に「山地」として扱う,ということもあり得るのでしょう。
ただし,上記文章のように「多摩丘陵は関東平野の一部」ということで,ほぼ一致しています。

南部の嶺岡山付近のみ火山岩や変成岩から組成されていると習いました。

私は嶺岡山のあたりに行って見てきたことがないので実物がどのようなものなのか知らないのですが,嶺岡山地は主に火成岩由来の変成岩である蛇紋岩でできていて,それが尾根筋では地表付近に現われているようですね。
蛇紋岩は確かに火成岩由来ではあるのですが,これは火山活動によって地表に噴き出てきたわけではなく(このような火山岩[噴出岩]の代表が安山岩や玄武岩),地下深くでマグマがゆっくり固化してできた深成岩(花崗岩が最も代表的)や半深成岩が地下で変成作用を受けてできあがったものです。それが地殻運動で地表付近にまで上がってきたと考えられています。

房総丘陵や三浦半島は,まず海底で土砂の堆積が始まり,それが活発な地殻運動によって隆起した結果,丘陵化したものと考えられています。
房総丘陵の北部,上総丘陵の部分では基盤となる地層の上にそのような堆積層が厚く積もっているようです。一方の嶺岡山地で蛇紋岩の層が地表付近に現われているのは,あまりに急速な隆起の結果,その上を覆っていた堆積層がすべて削り取られてしまい,それよりもずっと硬い蛇紋岩の層が削り残された,ということ。
まわりの山々と山容が違うのも,山地を構成する地層が違うからでしょうね。

…久しぶりに,学生時代の地学のテキストを引っぱり出してしまいました。
[25709] 2004年 3月 4日(木)07:41:37ペーロケ[愛比売命] さん
あえて地形的制約があるところに作った都市について
[2568]まるちゃんさん
 まあ共通点には少々強引な部分もあるかと思いますが、地形的制約がないのに海岸線に沿って市街地が細長い形状で伸びている市は他に釧路市と新潟市くらいしか思い浮かびませんもの。そのうえ、
『ちょっと大きめの川の河口から岬に向かって市街地が細長く伸びている』と言ったら、新潟市が外れちゃいます。

 ところで、岡山市の件にも共通することですが、地形的制約が少ない平地の真ん中よりも、あえて狭いところに街が発達した場所が気になります。平地が多いところと少ないところ、どっちが街を広げやすいかといえば、圧倒的に平地が多いところでしょうね。例えば広島市はもう平地が少なくていっぱいいっぱい、丘陵地を削ってがんばって団地を造成していますが、岡山市はまだまだ平地が羨ましいぐらいに有り余っているので、街の規模を広げるのにまだ山を削る必要はそんなにないような気がするのです。それだけハンデがあるにもかかわらず、広島市は岡山市にはない魅力があるのでしょう。きっと。岡山市は広島市と比べてあれだけ平地にも交通にも恵まれているのに、四国も含めた瀬戸内の中心としてもうちょい頑張って欲しいものです。
 こういった場所って他にもたくさんありそうです。例えば神戸市、特に三宮あたりはあのあたりで最も狭いところにあえて繁華街の中心があるのですね。その一方で神戸市に比べて圧倒的に平地に恵まれすぎている播州には神戸市に対抗できるほどの大きな都市が発達していません。大津市も琵琶湖の湖東部にくらべて平地に恵まれていませんし、北九州市も遠賀川流域や行橋付近に比べて、福岡市は筑後平野に比べて平地に恵まれていないのに、大都市が形成されていますね。。。

 こんな悩みを考えないでも広大な平地が広がる関東地方が羨ましいと思う今日この頃。。。
[25712] 2004年 3月 4日(木)11:07:56N-H さん
Re:あえて地形的制約があるところに作った都市
[25709]愛比売命さん
こんな悩みを考えないでも広大な平地が広がる関東地方が羨ましいと思う今日この頃。。。
横浜に住み横須賀に日参する私からすると、とても上記のご感想には実感が沸きませんなあ。
ちなみに、私が通勤時にくぐるトンネル(地下鉄なんかじゃなくって山岳トンネルに限ります)の数を数えてみると、片道で24箇所もありますぞ!
首都圏生活者の私は毎日毎日48回も山の下を掘ったトンネルをくぐって生活しているのです。これから勘定するに、私は月にだいたい1000回もトンネルを通っていることになります。

たまに高崎線や上越新幹線に乗って北へ移動すると「広大な平地が広がる関東地方」をつくづく実感しますね。

横浜も横須賀もとっくに平地なんか使い果たしてどんどん山を切り崩してますからね。

地形的制約が少ない平地の真ん中よりも、あえて狭いところに街が発達した場所が気になります。
これはやはり港がキーワードになることが多そうですね。天然の良港ができる背景には陸地部分の急峻な地形がからむことが多い。
横浜も横須賀もそのうちにはいります。神戸、長崎、函館などみなその範疇かな。

あと、思いつくのは、
・城下町:敵に攻め入られにくい地形の部分に町をつくったケース。城下町とはちょっと違いますが、鎌倉なんかはこのケース。
・鉱物資源:銅山を背景にした日立市など。
[25735] 2004年 3月 4日(木)22:05:49YSK[両毛人] さん
平地と都市
[25709]愛比売命さん
地形的制約が少ない平地の真ん中よりも、あえて狭いところに街が発達した場所
都市、と言いますかその一歩前の集落の話になりますが、集落が発達しやすい場所は、水の得やすい場所、また水が逆に多い場所にあっては、水害から逃れやすい場所、ということになりますね。

なんか、地理の授業みたいになってしまいますが(汗)
以下の地形図を見ますと、河川のつくった自然堤防上に列状に集落が形成されているほか、微高地に亀田町の市街地が乗っている様子がわかりますね。

(2万5千分の1地形図「新潟南部」より)
http://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/nph-mm.cgi?mesh=5639602&res=0

それ以外の低地は、基本的に水田として利用されています。これは耕地としての重要性もありますが、一義的には冠水しやすい低湿地は、居住には向かなかったということであると思います。また、仮に市街地化しようとしても相当の土木技術が必要とされることもあったことと思います。

現在でこそ、土木技術の発達により、そこそこの低地でも大規模な宅地開発ができるようになりましたが、それでも低湿地の開発は難しいですし、都市開発区域で、市街化調整区域などの指定を受けている場合は、大規模な開発がしにくいという法制面での制約もあったりするようです。

と、いうことで、都市の発達史を考えますと、平地は必ずしも有利な地勢であったわけではなかったわけです。むしろ、港湾とか谷口などの交通の要衝などの機能面で有利な土地に都市は発達してきたと言えると考えます。

[25713]じゃごたろさん
仙台市街地は、広瀬川のつくる段丘上に立地していますね。青葉城下ということもあったと思いますすが、やはり沖積平野上よりは段丘上を指向した集落構造が基本にあったと考えています。また、高度経済成長期に主として丘陵地で宅地化が進んだのは、地勢的な要因や市街化調整区域の関係等のことでそもそも開発しにくい低湿地よりは、地価が安くより開発のしやすかった丘陵地が宅地開発の舞台となったということが大きいのだと思います。
[25746] 2004年 3月 5日(金)00:31:27ペーロケ[愛比売命] さん
平地は住みにくい?
[25712]N-Hさん
横浜に住み横須賀に日参する私からすると、とても上記のご感想には実感が沸きませんなあ。
 横須賀は訪れたことがありませんが、確かに以前訪れたフェリス女子大あたりは、結構坂が多いなあって感じましたよ。しかし、神戸市の背後に横たわる六甲山などに比べたら、制約度はまだまだ「甘い」と認識しました。その丘陵地の上に強引に宅地を造成しているので、「地形上の制約」を克服できるレベルではないでしょうか?もっとも、神戸市も西神や鈴蘭台などで一部山を削って団地を造成していますが、それでも六甲山が巨大な山塊として都市の拡張を遮っているようにも感じます。

 日立市をすっかり忘れていました。鉱物資源といえば、かつて石炭が採れた夕張市や歌志内市の立地もかなりの山奥ですね。

仙台市も広大な仙台平野の中央部ではなく、非常に山際に偏った市街の形成の仕方をしていますね。
 そういや松山市も道後平野の真ん中ではなく、やや北に偏っています。これは松山城周辺が石手川扇状地であると同時に、重信川が暴れ川であったため、当時の城主があえて松前城から松山城に本拠地を移したとか。。。

[25715]烏川碧碧さん
はじめから「都市を作ろう」と計画していたのであれば、あえて地形的制約があるところを選択せずに、平野部での都市建設も検討できたことでしょう。
 これを聞いて、帯広市を真っ先に連想してしまいましたよ。むしろ平地のど真ん中に拠点となる市街地を計画的に作った例のほうが少ないのかもしれませんね。
 もっと古くからの、平地の真ん中に造成された計画都市として、「平安京」なんてのもありますが、朱雀大路は現在の山陰本線二条駅付近だったと言われています。平安遷都から100年ほど経過した時、既に右京部分(西半分)は桂川の低湿地にあるため住みづらく、早々と寂れてしまったようですね。そのため、現在の京都の主要な市街地は、平安京の「左京」部分が中心になっているようです。

[25735]両毛人さん
都市の発達史を考えますと、平地は必ずしも有利な地勢であったわけではなかったわけです。
 詳細な解説ありがとうございます。やはりネックは「治水」なんですね。

 逆に考えますと、大きな川を挟んで両岸にバランス良く発展した都市も面白いですね。以前橋が多いとご指摘された足利市もそうですが、松江市、宝塚市、広義の都市として川西市+池田市など。これらの街は洪水のリスクを負ってまでも河川の水運が利益をもたらした結果と言えそうでしょうか??
[25788] 2004年 3月 6日(土)00:27:25【2】YSK[両毛人] さん
平野レス
[25746]愛比売命さん
以前、橋が多いとご指摘された足利市もそうですが、松江市、宝塚市、広義の都市として川西市+池田市など。これらの街は洪水のリスクを負ってまでも河川の水運が利益をもたらした結果と言えそうでしょうか??
足利は、機業地ということで、水が得やすく、かつ水運の利便も考えた立地なのだと考えますね。関西のほうは土地鑑があまり無く、確実なお答えはできませんが、水運や標高などの諸要素を指向した集落の立地を基礎として、その後の都市化の度合いなどが総合的に作用して、現在の都市地域は形成されているということですね。阪神地域も奥が深そうで・・・。これは歩いてみるしかないかな。

[25761]じゃごたろさん
旧道と呼ばれる昔の街道は、低湿地の真中ではなく、地盤の安定した段丘部や、山際を通っている場合が多いですね。
そうですね、仙台の場合も、もともとの奥州道中は現在の国道286号線のルートに近いあたりを通過し、越路から鹿落坂を通り、米ヶ袋あたりから仙台(千代)へ入っていたそうです。長町、河原町を通るルートに変わったのは、仙台城下町形成の後のことです。

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