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hmtさんの記事が10件見つかりました

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[96468] 2018年 9月 9日(日)19:30:56hmt さん
Re:お伝えすべきこと
[96466] ニジェガロージェッツ さん
何かひとつ,お忘れではないですか?

ごめんなさい。
[96467] 2018年 9月 9日(日)18:55:44hmt さん
気象庁の震度観測点
北海道胆振東部地震を機会に、これまで気象観測地点ほどには話題になっていなかった 震度観測点に注目しました。

気象庁が発表する地震情報は、全国を188地域に区分した 地域名 を用いて発表されているそうです。
広い北海道は緊急地震速報が 道央(地域数9)道南(10)道北(8)道東(11)の 38地域。
その他は凡そ4~2地域よりなる府県予報区ですが、奈良県だけは全県が1地域です。
島嶼のある都県では、下記のように多数の地域が設定されています。
東京都は23区など3地域の他に 伊豆諸島(5)と小笠原(1)で9地域。長崎県は6地域。
鹿児島県は6地域と奄美群島(2)で8地域。
沖縄県が3地域と大東島・宮古島・八重山(3)で8地域。

これら 188地域に設けられた気象庁の震度観測点は 670で、全国で約1300ヶ所(約17km間隔)という アメダスの約半分の密度です。

しかし、全国には その他に、地方公共団体の 2913、防災科学技術研究所の 789と、多数の地震計が存在するようです。大学等の研究機関にも地震計があるでしょう。

[96463]では民間報道を引用して「厚真町鹿沼で震度7を観測」を伝えました。
しかし その後の調査で、2018/9/7 16時00分の報道発表・「平成30年北海道胆振東部地震」について(第6報)を知りました。
関係データ、地図、逆断層型の発震機構(速報)を含めて詳しい内容が記されていたので、改めて この pdf発表 をリンクしておきます。

震度7が観測された観測点「厚真町字鹿沼(あつまちょうしかぬま)」のデータ
地域名称:胆振地方中東部 震度観測点の所在地:勇払郡厚真町字鹿沼200-2
緯度経度:北緯42度37.4分、東経141度55.2分 地図   観測開始:2012/10/2

参考までに、胆振地方中東部で最古の観測点は、室蘭の旧気象台(大正12年6月)でした。
現存する震度観測点は、室蘭、苫小牧、登別、白老町、厚真町の5地点です。
また胆振地方西部には、現在のところ伊達市に1地点存在するだけですが、2000年頃に何ヶ所かあったのは、有珠山噴火に対応した臨時の観測点であろうと推察します。
[96463] 2018年 9月 7日(金)18:04:33hmt さん
地震に使われた地名 胆振
[96461] グリグリさん
北海道大地震(北海道胆振東部地震)に関するNHK情報ほか

北海道全域に及ぶ大停電を引き起こした昨日の地震。
ニュースを見ながら気になっていたのが、記録された最大震度と気象庁の呼び名でした。

気象庁の震度データベース検索により、「最大震度6強以上」を検索したら 2016年4月の熊本地震。
よく見ると、発生日時が2018//9/5までとなっており、昨日の記録は対象外でした。

気象庁は6日午後、北海道の胆振地方で起きた地震について、厚真町鹿沼で震度7を観測していたと発表した。
これまで気象庁は、強い揺れの影響で複数の観測点で震度の情報が送られてきていないとして、震度分布図からは震度7を観測している場所がある可能性は否定できない、としていた。
という 昨日15:25現在の報道が示しているように、正式の記録として残すデータについては、慎重な姿勢で臨んでいるようです。

参考までに、厚真町鹿沼付近の地図

気象庁の呼び名については、昨日17:30に 「平成30年北海道胆振東部地震」と決定されて発表あり。

参考までに、ウェザーニュースに紹介された 気象庁が名称を定めた地震現象のリストを列挙。

チリ地震津波   北美濃地震   宮城県北部地震   越前岬沖地震   新潟地震   松代群発地震
えびの地震   1968年日向灘地震   1968年十勝沖地震   1972年12月4日八丈島東方沖地震
1973年6月17日根室半島沖地震   1974年伊豆半島沖地震   1978年伊豆大島近海の地震  
1978年宮城県沖地震  昭和57年浦河沖地震   昭和58年日本海中部地震   昭和59年長野県西部地震   
平成5年釧路沖地震   平成5年北海道南西沖地震   平成6年北海道東方沖地震   平成6年三陸はるか沖地震
平成12年鳥取県西部地震  平成13年芸予地震   平成15年十勝沖地震   平成16年新潟県中越地震   
平成19年能登半島地震  平成19年新潟県中越沖地震   平成20年岩手・宮城内陸地震   
平成23年東北地方太平洋沖地震   平成28年熊本地震

今回は内陸でしたが、昭和57年には「浦河沖地震」というのがあったのですね。
1968年と平成15年と2回の十勝沖地震、平成5-6年の釧路沖、北海道南西沖、北海道東方沖。

「胆振」という国名は、室蘭・苫小牧という港湾都市名[78736]に比べて、知名度が低いように思われます。
せっかくの機会?なので、過去記事の中から北海道胆振国[72049]をリンクしておきます。
「胆振東部」と言えば、石勝線のトマムまでが「胆振国勇払郡」でしょうが、占冠村は胆振管内ではなく上川管内です。明治初期に鵡川を遡り到達した時代に定められた胆振国の範囲と、現状との違い。
[96451] 2018年 9月 1日(土)18:46:46hmt さん
船迫(ふなばさん)
[96448] 千本桜 さん
「船迫」は「ふなばさま」と読むのですが、昔の人は「ふなばさん」と発音していました。

これは、成田(なりた)を「なんだ」、上町(かみまち)を「かんまち」と発音する事例、すなわち 後続音のある「普通の撥音便」とは 異なるケース と考えるべきではないでしょうか?

船(ふな)迫(はざま→ばさま)という漢字の切り方を無視して、
「ふなばさま」を「ふなば さま」→「ふなば さん」と発音するのは、ありそうなこと。

そんなことを考えながら[96449]を見たら、
天神様、白桃様、とか言いづらいというか、「てんじんさん」と言った方が親しみをもってきこえる???

口語の変化です。私も 文字にとらわれない「白桃さん」説に賛成票。
[96450] 2018年 9月 1日(土)17:45:51hmt さん
多摩川の南北にある「野川」という地名
[96446] うっかりじゅうべえ さん
自治体越えの地名掲載の神奈川県川崎市「野川」が、住居表示されるようです。

自治体の境界で分断された地名として取り上げられた地名「野川」は、1889年の町村制施行より前には、神奈川県橘樹(たちばな)郡「野川村」でした。
地図を見ると鶴見川の支流・矢上川が流れています。この川の通称が「野川」だったのかもしれません。

明治合併で成立した 宮前(みやさき)村の大字になった「野川」。
関東大震災【今日は95年の記念日】の翌年に成立した川崎市は、昭和戦前時代(1927-1939)に近隣10町村【+日吉村の一部】を編入しており、宮前村野川も、1938年に川崎市野川になりました。

この付近の交通環境を大きく変えた 第三京浜道路は 1965年全線開通。
川崎市が政令指定都市になった 1972年には そのまま高津区野川になりましたが、1982年の分区で 宮前(みやまえ)区が作られた際には、第三京浜の西側一帯だけでなく、矢上川より北・神明社のある一角も宮前区になりました。
町区域の設定図を見ると、この区域が今回の住居表示で「野川本町3丁目」になるというので、どうやらこの一角が、「野川」という集落が本来存在した地であると理解できます。

地図で付近を見渡すと、第三京浜と武蔵野貨物線【地下】とが交差する地点で、ICや貨物駅の存在から物流拠点としても利用されてきたが、宅地化に対応して、今回住居表示を実施することになったものと理解されます。

この付近には、「たちばな古代の丘緑地」などもあります。
橘樹郡の由来に関係する弟橘姫の故事。そんなことを思い出しながら、橘の記事[64972]

ここで、対象の「野川」が変ります。
実は「川崎市の野川」は、その存在自体を今回初めて知りました。
[60771]で言及されていることは、本文を書いた後で、偶然知りました。

視野を川崎から少し広げると、北方には 多摩川が都県境を流れています。

その多摩川に、東京側の武蔵野台地を水源として 合流してくる支流が 「野川」です。
国分寺崖線から流出し、現在は二子玉川で多摩川に合流していますが、古い地形図では現在よりも西を流れています。戦後の六郷用水流路廃止による流路変更があったようです[79306]

こちらの「野川」は、落書き帳の初期から登場している 有名河川?です。

[19260] グリグリさん 武蔵野夫人
TNさん[19236]がご紹介されている野川の源流です。

[38583] 音無鈴鹿 さん
それら湧水を集めて国分寺崖線に沿って流れているのが野川。上流端は日立中央研究所のなかです。

川崎市の多摩丘陵にある「野川」の数km北の 多摩川対岸には、武蔵野台地から流れ出る「野川」がある。
2つの「野川」は 偶然の一致 と思われるので、地名コレクション「自治体越えの地名」の趣旨である
同一地域を表す地名が、都道府県境、市町村境、区境によって分断された地名
に該当するものでないことを お断りしておきます。

変遷情報検索で調べてみると「○野川」という村名は66件も出てくるが、単純な「野川」という村名は5村のみ。山形 福島 神奈川 滋賀 岡山 各1村

過去記事検索で「野川」を調べると、吉野川 阿賀野川 熊野川 など多数がヒットしてしまいます。
単純な文字だけで構成されているだけに、「野川」【例えば[5320]】だけを拾うのは困難でした。

このように、単純な言葉ですが、「野川」自体は「ありふれた地名」ではない。
偶然にしても、多摩川の南北に「野川」があったのは、やはり「珍しいこと」として記録しておきたい。
そんな軽い気持ちからの書き込みでした。
[96440] 2018年 8月 26日(日)16:23:43【1】hmt さん
Re:「万歳がえし」なるもの
[96439] スナフキん さん
ネット情報を鵜呑みにするならば、どうもこれは北陸地方や長野県の一部地域で行われているもののようですが

私も体験はしていませんが、普通の万歳三唱だけでなく、「お返しつき」のバージョンが存在するようですね。
既にご存知のネット情報と思われますが、参考までに 少し列挙しておきます。

砺波市 「万歳返し」の思い
「万歳返し」っていうのは少なくとも私のふるさと福井にはなかったように思う。インターネットで調べると、信州の方では結婚式や家の建て前のときに行われるようである。

長野の締めはバンザイとバンザイ返し?
長野市とくに若穂【注】(中略)主催者から参加者に向けて万歳が送られ、その後に万歳を受けた方がお返しに万歳もあります 万歳返しとでもいうのでしょうか、

【注】本筋の「万歳がえし」と無関係だが、信州の地名に関連して追記
「わかほ」は、犀川・千曲川合流点付近の東岸で、1959年合併した3村(綿内 川田 保科)由来の合成地名。
「豊科」の同類です。「しな地名」[77926]の一つで呼ばれる保科観音のお寺は、清水寺(せいすいじ)と読みます。

万歳三唱(2)
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県外から転勤などで長野県にいらして一番最初に遭遇し、戸惑うのがこの「万歳三唱」ではないでしょうか?
県民にとっては当たり前のしきたりのですが・・・
【具体的な例より】
指名された発声者の音頭で万歳三唱をし、主催者は有り難く礼をしてお受けします。
次に、主催者は上座から(或いは上座から辞して)、代表者がお客様に対して万歳唱三唱のお礼を述べ、続いて 返礼の万歳三唱をいたしたい旨 を伝え、全員の賛同を得ます。
その際、主催者側代表は全員での万歳のご唱和をお願いします。
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万歳のお返しもあります。 ちなみに富山県です。
[96430] 2018年 8月 23日(木)19:12:11hmt さん
台東区はお台場の東?
台東区。ekinenpyouさんの記事を発端になり、その読み方が話題になっています。記事集

中心になっている中国語の読み方については、私は全くの無知であり、議論に加わることができません。
そこで 初心に戻り?、落書き帳の古い記事を検索してみました。

その結果、とんでもない 誤解記事を発見してビックリ。
[1933] mikiさん 地名+方角の区
東京都...江東区(江戸川の東)、台東区(お台場の東)

さすがに、投稿直後に Issieさんによる修正意見[1996]が出ていました。
「江東区」は“隅田川の東”,「台東区」は“台地(具体的には本郷台かな)の東”という意味です。

台東区には上野公園になっている台地があり、「上野の山」と呼ばれています。
江戸時代は、この台地の全域が 東叡山寛永寺の境内でした。
戊辰戦争では、江戸で唯一の戦場になりました。新政府軍の指揮官は西郷隆盛。銅像は何故か着流し姿。
「台東」の意味は、“台地の東”よりも、“上野の台地と、その東に広がる低地【下谷・浅草】”と理解するのが適切ではないでしょうか?

下谷区と浅草区とが統合されて台東区になったのは、敗戦直後の大都市改革[74935]の一環でした。
具体的には 1947年3月15日に 都心部の区を中心に統合が行われて、35区が「22区」になりました。
昭和22年東京都告示第127号
左側に3月5日施行とありますが、ごれは誤記で、右側の昭和二十二年三月十五日施行が正しい。

台東区について言うと、既に当用漢字表は1946/11/26に公布されているのですが、これが新字体になる「当用漢字字体表」の告示は1949/4/28ですから、「臺東区」で告示されていると推察します。
告示の原文を確認したいと思いましたが、不成功。

[96417]伊豆之国 さん
「台」と「臺」は、本来はそれぞれ別の字で、どちらも中国に古くからある漢字です。

…というわけで、Wikipedia台東区>名称由来に記された
康煕字典にめでたい意味で載る瑞祥地名でもある。
のは、「臺東区」であろうと推察しました。

そこで、ekinenpyouさんに存在を教えていただいた康煕字典で、至部8画の「臺」を覗いてみました。
東という字は末尾から3行目にありましたが、「臺東」という地名は未発見。
念の為、略字の 「台」にも「台東」は見当たらず。

あまりパッとしないレポートですが、読み方とは無関係に「台東」を調べた結果でした。
[96402] 2018年 8月 19日(日)11:26:02hmt さん
海と島(31)ユルリ島の馬
時折綴っている「海と島」シリーズです。島の人口とか無人島とか居住者の有無に関係したトピックスも多いのですが、今回の「居住者」は 人ではありません。

日曜日朝のNHK「さわやか自然百景」。今朝のテーマは、根室沖3kmに浮かぶ双子の無人島、ユルリ島とモユルリ島でした。

「鵜の島」を意味するアイヌ語と根室沖という場所から連想するのは歯舞群島ですが、歯舞群島の勇留島(ゆりとう)は根室半島の東にあります。
これに対して、ユルリ島【2km2】と より小さなサイズのモユルリ島【0.3km2】とは、根室半島の南にあり、いずれも周囲を断崖で囲まれた平坦な台地の島です。地理院地図

遠目には同じように見える平らな無人島ですが、上陸してみると草の丈が大違いです。
ユルリ島には、以前に昆布漁師が持ち込んだ馬が野生化して、背丈の高い草を食べるため充分な光を浴びた花々が草原に咲き乱れます。

昆布漁が盛んだった1950年代のユルリ島には人が住み込み、馬を使って昆布を引き上げた断崖上の平地を、昆布干場として使っていました。

時代が変わり干場としての利用が終わると、人々は島を去りました。
しかし、馬は食肉として売られることなく、積雪も少なく、水と草の豊富なユルリ島に残されました。山のない島ですが、ミズゴケによる貯水能力があり、雪の下で 馬の命を支える環境があったのですね。
最盛期には30頭にも増殖した馬。近親交配を防ぐためにオス馬の入れ替えも行われたそうです。

2006年、漁師の高齢化に伴い全てのオス馬を引き上げ、14頭のメス馬が残され、馬の数は少しずつ減少。
北海道ファンマガジンによると、2011年8月に12頭いたのが、2014年2月に6頭と2年半で半減。そして、2018年の今回取材時には3頭。

人間の都合で連れて来られ、野生化への道をたどった居住者の馬がゼロになるのは時間の問題でしょう。
そうなると 当然ですが、植生への影響があります。
海鳥たちとオジロワシとの攻防も、その行方は如何。
島という限定された世界でも、自然の姿は移り変わっているようです。
[96393] 2018年 8月 17日(金)17:30:10【1】hmt さん
横綱朝潮の出身地
[96392] うっかりじゅうべえ さん
兵庫県   8 朝潮太郎(初代)
鹿児島県  5

スポーツは不得意分野なのですが、1953年のクリスマスに、鹿児島県への復帰が実現した奄美群島[56304]のことにも関係するので、ちょっと口を出しておきます。

1956年から1961年までの間の大相撲で、幕内優勝5回を記録した朝潮太郎。
本名の「米川」から始まり「朝汐」も使ったようですが、太い眉毛と立派な胸毛の大柄な姿で記憶に残る力士。
その名は「朝潮太郎」です。大阪場所での活躍が特に目立つ力士でした。

1959年の大阪場所後に 46人目の横綱に昇進。深川・富岡八幡宮境内の「横綱力士碑」にその名が刻まれる際、既存のスペース満席のため、初の 「張出横綱」にされてしまった。そんなエピソードを新聞で見た記憶があります。

問題になるのは、この朝潮の出身地です。
Wikipedia は、その冒頭に「鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)」と記しています。
そして、来歴の箇所の記載。「1948年(昭和23年)10月場所、本名の米川で初土俵。当時奄美は米軍の占領下にあったので兵庫県の親戚、大沢徳城を頼って貨物船に忍び込み密航、奄美が返還されるまで兵庫県(神戸)出身と番付に書かれていた。」と記しています。

奄美が鹿児島県に返還される前には、出身地を兵庫県と名乗っていた時代もあったのかもしれません。
Wikipediaの出生地:兵庫県など、古い情報の影響が残っているのかもしれない説の真偽はさておき、朝潮が奄美の徳之島で育ち、日本復帰後は「鹿児島県徳之島出身」であることを公称していたことに間違いはないと思われます。

してみると、出身地:兵庫県に該当するのは、増位山(父:大相撲では姫路市)2回と貴闘力1回の合計3回だけ。
出身地:鹿児島県に該当するのは、[96392]の5回【注】に朝潮5回を加え、合計10回ということになると思います。
【注】私なりの理解では、次の通りです。
若嶋津 2回(1984/3と1984/7)、霧島(1991/1)、30代横綱で西囎唹郡西国分村(現・霧島市)出身の三代目西ノ海嘉治郎(1925/5)、25代横綱で種子島出身の二代目西ノ海嘉治郎(1916/1)。
【追記】
16代横綱初代西ノ海嘉治郎の記事[96397] ekinenpyouさん を見て、西ノ海嘉治郎の代数と、三代目出身地を追記。
[96390] 2018年 8月 15日(水)21:44:57hmt さん
「山の日」に思う(2)
[96381] MasAka さん
山の日ということで、とりあえず近所の山にと思い立ち、今住んでいる川崎市の最高地点を目指して

都市化されつつある猛暑の多摩丘陵を脳裏に描きながら、「山」に関する 47都道府県ランキングを眺めてみる。
これが、体力のない hmtにとっては、精一杯の夏課題でした。

2016年の第1回「山の日」に作った表を少し修正。
傾斜地【山地+丘陵地】vs 平坦地【台地+低地+内水域】という対比で作ってみた結果が[96384]です。

山地と丘陵地とで約93%を占める高知県を筆頭に、42府県は 50%以上という山国の日本。
平坦地が半分以上を占めた「平坦県」は、大阪府50.8%、東京都53.2%、埼玉県61.5%、千葉県61.7%、茨城県69.1%だけでした。

茨城県は、台地率37%で首位、低地率27%も4位。これに 霞ヶ浦・北浦の内水域が加わっています。
[91185]では数値を挙げていませんでしたが、山地率23.7%の茨城県は、実は千葉県(7.6%)に次ぐ下から2番目だったのでした。
それでも、富士山の反対側から関東平野を見守る筑波山を擁し、お盆の墓参では稲田石の世話になっています。

石材、石炭、金属など特殊な「山の恵み」はさておき、最も一般的な資源は森林です。
前報の末尾にも記しましたが、都道府県データランキング 可住地面積の中に「森林面積」があり、首位の高知県83.30%と、末尾5都府県の顔ぶれは、偶々ですが[96384]と一致していました。

まんざら無関係でもないと思われるので、このリストの 森林面積(2009)と、前報の検討で用いた傾斜地【山地+丘陵地】面積との比率を都道府県別に求めてみました。

その結果、ランキング上位は 殆ど1。
北海道が1.048と1を越えている理由は、平地林の存在でしょう。以下 秋田 福井 茨城 青森 京都 岐阜 宮崎 山形 富山(0.927)。

注目したのは、今回も ランキング下位の都府県。
47位の大阪符0.631 を始めとして、45位 神奈川県0.725、44位 福岡県0.764、42位 東京都0.784。40位 愛知県0.791 は、大都市の領域が平坦地だけでなく 傾斜地に及び、丘陵地が 森林以外の都市施設に利用されつつあることを示しています。

そんな中で 41位 熊本県0.790を見ると、阿蘇の草千里のような、都市とは異なる利用形態も目に浮かびます。
そして、43位 広島県0.781と 39位 愛媛県0.796、そして 36位 山口県0.813 と並ぶと、先日の西日本豪雨災害との関連を考えたくなります。

森林面積が小さいデータが示している花崗岩の禿山。
森林保全によるメンテナンスが十分でない山は、豪雨により恐ろしい牙を向けてくる。
ごく大雑把なデータランキングですが、こんな教訓の材料にも。
「山の日」を機会に、そんなことを考えた次第です。


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