[81809]でクイズ形式で出題した道中記ですが、この辺で答え合わせにしましょう。
初日(8月21日)の夜、高速バスに乗り込んだのは、横浜駅東口のYCAT。余談ですが、このときは横浜駅には余裕を持って着いたはずだったのですが、迷路のような地下道で右往左往した上、ようやくYCATにたどり着いてからも、長距離バスも多数出ているはずなのに、空港行きのバス停の案内ばかりが目立って長距離バスの乗り場の案内が不親切なことも手伝い、結局店や係の人に乗り場の場所を聞き、乗り場にたどり着いたのは出発の7~8分前になっていたのでした。しかし、このバスの出発点は、【A市】横浜市内ではなく、大宮駅。【B市】は、さいたま市です。足柄SAで休憩を済ませた後、長い夜の眠りに入るのですが、なかなか寝付かれなかったのは、2年前の夏の京都行き
[76074]のときと同じ。夜が明けないうちから、閉まっているカーテンを時々開けるといったしぐさを繰り返しながら、本州最西端の山口県に入って、下松SAで朝一番の休憩。山口市内で山陽道から中国道へはいり、しばらくして「美祢市」=【C市】の表示を見たときは一瞬違う方向に紛れ込んだかと錯覚したのですが、やがて再び瀬戸内側に戻り、下関市【D市】に入り、平家滅亡の地・壇ノ浦を眼下に見ながら関門海峡を渡って、いよいよ九州に入ります。【E市】は、かぱぷうさんの出身地・門司港界隈のレトロ観光や鉄の町・八幡の「工場萌え」が話題を呼んでいる北九州市、【F市】は元大関・魁皇、現・浅香山親方の故郷の直方市。そしてこのバスの終点【G市】は、福岡市。バスを降りたのは博多駅前のターミナルですが、終着は西鉄のターミナル・天神。ちなみにこのバスの愛称は、「Lions Express」。西鉄ライオンズの本拠地だった福岡と、西武ライオンズの本拠地がある埼玉県、二つの「獅子」ゆかりの町を結ぶ路線として、西鉄バスと西武バスが共同運行している、日本一長距離を走るという高速バス路線です。この博多駅で、九州新幹線に乗り換え、向かった先【H市】は、鹿児島市。このときに払った切符代は、乗車券と自由席特急券の合算で9,660円。「Lions Express」のバス代が「閑散期割引」で8千円だったので、前もって調べていたこととはいえ、これより高い値段に腹が立ったのでした。蛇足ながら
高い汽車賃にはそれこそ腹立つ乗り
と書いたのは、問題の市にはしなかったのですが、読売・原監督が生まれた大牟田市をこの新幹線が通っていることに引っ掛けた駄洒落だったのでした。さすがに新幹線、あっという間に佐賀県・熊本県を過ぎ、いよいよこれまで未踏だった2県のうちの一つ、鹿児島県に。終点の鹿児島中央駅で降り、早速午後の半日コースの観光バスに乗り込み、市内観光へ。西郷どんが最期を遂げた地・城山に上ると、錦江湾越しに聳える桜島の雄姿が間近に見えて、「ついに鹿児島に来たんだ」という感慨が沸いてきたのでした。それから「磯庭園」の名で親しまれた仙巌園をじっくり散策した後、フェリーでその桜島へ。中腹の「
湯之平展望台」に上り、周りを見渡すと鹿児島市街から見るのとはまた違った景色が。道筋のあちこちに噴火よけのコンクリートの避難小屋が建っていて、これは浅間山や草津白根などでも見た景色だったのですが、まさに「火山と闘い、そして共生する」という気概が感じ取れたのでした。この桜島出身で、蹴球日本代表の柱として活躍する、遠藤保仁選手。港で出会った蹴球少年たちの中から、未来の遠藤選手が生まれるのでしょうか…。再びバスに戻り、バスは最後の帰路へ。終点は鹿児島中央駅なのですが、中心市街の天文館でバスを降り、市電に乗り換えてこの日の宿へ。夕食を終えて部屋に戻って外を見ると大雨に。天文館をぶらり散策することはできませんでした。ところで、この観光バスでは、ガイドさんから「外に出るときは桜島の灰をよけるため、傘を用意している人はさして歩くようお願いします」とアナウンスしていたのが印象に残りました。ホテルに着いてから脱いだ靴を見ると、新品の茶色い靴だったのが、灰で真っ白になっていたのにびっくり。改めて桜島の降灰のすごさを感じたのでした。
翌朝、ホテル近くの鶴丸城跡などを少し散策した後、市電に乗って鹿児島中央駅に。そこで次の行き先をどうするか悩みます。【I市】指宿市の「
砂蒸し風呂」か、【J市】南九州市の知覧の武家屋敷か。結局、知覧行きのバスの時間までだいぶ間があることがわかったのと、9時54分発の指宿行きの特急「指宿のたまて箱」の指定席が取れたので、指宿へ。駅を降りてバスに乗り換え、「砂蒸し風呂」を体験。しかしあまりの砂の熱さに、5分と我慢できず、シャワーで砂を落とし内風呂へ。帰りもバスで指宿駅から列車に乗り換える予定だったのですが、バスが遅れたため指宿駅で列車への乗換えが厳しくなり、次の列車は「たまて箱」で、全席指定で取れる保証がないのと、バスが鹿児島市内直通だったためそのまま乗り続けることに。そして、小松原ラガーさんゆかりの地・谷山で市電に乗り換え、郡元で乗り継いで鹿児島中央駅に戻り、特急「きりしま」に乗って、いよいよ最後の未踏県となった宮崎県を目指します。遠ざかる桜島を見送りつつ山間にはいり、やがて県境を越えて宮崎県に。列車は宮崎駅行きですが、降りたのは同じ宮崎市【K市】内ながら一つ手前の南宮崎駅で、そこで日南線に乗り換え、「こどものくに」という聞きなれた響きにホームシックを思いながら、この日の宿がある青島で列車を降ります。宮崎・日南海岸というと、かつては「新婚旅行のメッカ」として超メジャーな観光地として知られたところですが(
[64071]Issieさん)、このとき降りた青島駅は無人駅となっており、駅前や海岸への道筋も閑散としていて、合宿に来ていた学生の姿だけが目立ち、往時の賑わいを想像してみるのも、わが親父の故郷・伊豆がその後にたどってきた道と二重写しとなってなぜか切ない気持ちになったのでした。海辺のホテルに着いてからいったん外に出て、夕暮れの海岸から橋でつながっている青島の「鬼の洗濯板」を見て宿に戻り、宮崎県では貴重な?温泉(
[64080])で一風呂浴びて夕食に。夜中に目が覚めてふと外をのぞくと、満天の星空。冬の星の代表・オリオン座がもう東の地平線の上に姿を見せていて、早くも冬の装いが見えていたのが印象的でした。蛇足ですが、みかんの品種に「青島」というのがあるのですが、宮崎県ではなく静岡県の特産で、開発した人の苗字にちなむものです(
[70661]inakanomozartさん)。
次の朝、またも次の行き先で「二者択一」となり、堀切峠から日南市【L市】の鵜戸神宮を目指すかつての「ゴールデンコース」にも惹かれましたが、結局前日に知覧の武家屋敷町に行けなかったことから、列車で同じ日南市にある城下町、飫肥に行くことにしました。城跡や武家屋敷、商家などを見て回り、ご当地グルメ「
おび天」もいただいて、再び列車で南宮崎に戻り、駅近くのバスターミナル「宮交シティ」から博多行きの高速バスに乗る予定だったのですが、生憎満席だったため、急遽、政令指定都市になったばかりの熊本市【M市】を目指し、そこから新幹線で博多に戻ることに。霧島連山を仰ぎながらバスは快調に走り、県境の長いトンネルを抜けると熊本県に。時間の余裕不足と列車本数の少なさから今回の旅では諦めた、「日本三大車窓」の一つに名を連ねる肥薩線の「矢岳越え」の絶景も、高速道のトンネルで一気に抜けたとあってはまるで興ざめ、その後に続く球磨川の渓谷もやはり長いトンネルで抜け、風情も何もありませんでした…。熊本駅に着いて、行き交う市電を眺め、空腹に耐えかねて駅ビル内の店で夕食に。そのため、【G市】福岡市での時間の余裕がなくなり、夕闇の中洲・長浜界隈を歩いて名物グルメを味わう暇はなく、行きと同じ「Lions Express」で横浜へと戻ったのでした。
[81822]かぱぷうさん
お察しの通り、お見事でした。満点を差し上げます…。
…今回の長旅で、いままで「未経県」だった宮崎・鹿児島両県が共に「○」(宿泊)となり、「生涯経県値」は
186点になりました。これまで最後の「経県」だった平成7-8年(1995-96)の年末年始の沖縄旅行以来、実に16年半余りの月日を経て、ようやく全都道府県が●(訪問)以上となったのでした。なお、その他の各種経県値等については、後日書き込むことにしています。
♯宮崎→熊本間のバスの車窓風景について追記しました。