郡区町村編制法による区の設置(1878)、市制町村制による横浜・神戸・名古屋3市の誕生(1889)、三市特例法によって骨抜きにされた時代を経て、ようやく自治体として誕生した東京・京都・大阪の3市(1898)。
後者には古い制度の名残の「区」がありますが、前者には「区」が存在せず、金沢・仙台・広島…と続く約40市の中で特に抜き出た存在には至っておりません。
明治21年の「市制町村制」という法律は、明治44年(1911)に全文改正されて、「市制」と「町村制」との別々の法律になりました。(
[51056]の末尾)
新しい「市制」の第6条では、
勅令ヲ以テ指定スル市ノ区ハ之ヲ法人トス其ノ財産及営造物ニ関スル事務…ヲ処理ス
と定められ、市との関係が問題になっていた(
[7772] Issieさん)区の権限が限定されました。
こうして、東京・京都・大阪という3つの「勅令指定都市」と、その内部の「区」との関係が確立し、現在の「政令指定都市」制度の起源となりました。
[53841] hmt
同じ明治44年の「市制」では、
内務大臣ハ(中略)区長ヲ有給吏員ト為スヘキ市ヲ指定スル
ことも定められました。
この規定に基づいて同年の内務省令第14号の指定を受けた名古屋市には新たに行政区が設けられ、昭和2年(1927)指定の横浜市、昭和6年(1931)指定の神戸市と続き、「区」が設置されました。
[10997] 三鈴 さん
このようにして、「区」を持つ六大都市が出揃ったわけですが、東京・京都・大阪は「勅令指定都市」、名古屋・横浜・神戸は「省令指定都市」という制度上の相違があったのですね。
根拠法令は異なっていても、六大都市の「区」は、ほぼ同じように機能していたように思われます。
それというのも、1931年に「区」が出揃う前から、これら6市は「大都市」の扱いを受けていたからです。
「区」の有無や「六大都市」という呼び名はともかくとして、これらの6市を「大都市」として扱った最初の事例は、大正7年(1918)であると思われます。
この年に、都市計画法の前身とも言える「東京市区改正条例」(それ自体は市制町村制と同じ明治21年に制定)が、京都・大阪・神戸・名古屋・横浜に準用されました。
翌大正8年(1919)に制定された「都市計画法」も、これら6市のみに適用されました。
同年制定の「道路法」でも、六大市の市長は府県知事に代り市内の国道の管理者になっています。
そして大正11年(1922)、「六大都市行政監督ニ関スル法律」
[53841] hmtが制定されます。
市ノ公共事務及法律ノ定ムル所ニ依リ市又ハ市長ニ属スル国ノ事務ニ関シ府県知事ノ許可又ハ認可ヲ要スル事件ニ付テハ東京市、京都市、大阪市、横浜市、神戸市及名古屋市ニ限リ勅令ノ定ムル所ニ依リ其ノ許可又ハ認可ヲ受ケシメザルコトヲ得
この法律によって、「法定六大都市」が誕生して、昭和18年(1943)の「東京都制」まで続くことになります。
「東京都制」によって、法律の名は「五大都市行政監督ニ関スル法律」に変わりましたが、この頃に国民学校に通っていたhmtは、ずっと「六大都市」で学習していたような気がします。
昭和13年検定の中学校地図帳に使われていた「七大都市」
[53814] という名も聞いた記憶はないし…
昭和25年文部省検定済「中学校社会科地図帳」
[25914] も「六大都市」。
戦後の日本国憲法の下、1947(昭和22)年の地方自治法で、都道府県から独立した存在となる「特別市」(
[369] Issieさん)の制度ができました。
しかし、「特別市を指定する法律」制定のために、日本国憲法で保証された住民投票の範囲をめぐって5大市と府県とは対立し、結局は特別市の指定は困難な状況となった中、1956(昭和31)年に、妥協の産物(
[370] Issieさん)である「政令指定都市」制度に取って代わられることになりました。
制度が「政令指定都市」になっても、東京を含めた数が6のうちは、「六大都市」と呼んでいたと思いますが、1963年以降だんだん数が増えてくると、「○大都市」という呼び名(
[53489]hiroroじゃけぇ さん)は、次第にすたれてきたようです。