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千本桜さんの記事が50件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[102260]2021年8月23日
千本桜
[102157]2021年7月7日
千本桜
[101489]2021年3月29日
千本桜
[101480]2021年3月22日
千本桜
[101479]2021年3月21日
千本桜
[101472]2021年3月16日
千本桜
[101463]2021年3月11日
千本桜
[101430]2021年2月28日
千本桜
[101428]2021年2月27日
千本桜
[101425]2021年2月25日
千本桜
[101411]2021年2月21日
千本桜
[101391]2021年2月9日
千本桜
[101350]2021年1月26日
千本桜
[101332]2021年1月22日
千本桜
[100873]2020年12月6日
千本桜
[100866]2020年12月2日
千本桜
[100855]2020年11月24日
千本桜
[100101]2020年8月14日
千本桜
[100066]2020年8月6日
千本桜
[100053]2020年8月1日
千本桜
[100032]2020年7月26日
千本桜
[100029]2020年7月25日
千本桜
[100021]2020年7月24日
千本桜
[100002]2020年7月19日
千本桜
[99991]2020年7月17日
千本桜
[99788]2020年5月18日
千本桜
[99403]2020年4月29日
千本桜
[99277]2020年3月20日
千本桜
[99184]2020年2月17日
千本桜
[99181]2020年2月16日
千本桜
[99087]2020年1月17日
千本桜
[98772]2019年12月29日
千本桜
[98567]2019年11月10日
千本桜
[98558]2019年11月6日
千本桜
[98554]2019年11月6日
千本桜
[98514]2019年9月25日
千本桜
[98512]2019年9月23日
千本桜
[98511]2019年9月23日
千本桜
[98498]2019年9月20日
千本桜
[97672]2019年5月2日
千本桜
[97649]2019年4月23日
千本桜
[97612]2019年4月4日
千本桜
[97565]2019年3月7日
千本桜
[97530]2019年2月12日
千本桜
[97529]2019年2月11日
千本桜
[97161]2018年12月25日
千本桜
[97157]2018年12月24日
千本桜
[97151]2018年12月21日
千本桜
[97138]2018年12月17日
千本桜
[97134]2018年12月17日
千本桜

[102260] 2021年 8月 23日(月)07:39:19千本桜 さん
はりぼて準名邑
[99315] 白桃さん
「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」という字句から連想するのは、町場の規模です。それが白桃さんの意図に叶っているかどうかは分からないのですが、私にはそのように映るのです。そうした場合、町場だけで構成された町村と、周辺の農村集落を多く含んだ町村との間に、溝を感じてしまうのです。
例えば、準名邑に選ばれた宮城県丸森は、農山村集落を多く含んでいるため、面積が広くて人口も多い。しかし、町場の規模は、同じ凖名邑の亘理・中新田などに比して小規模である。それに対し、凖名邑に選出されなかった宮城県吉岡は、周辺集落を少ししか含まず、面積が狭く人口数も多くない。しかし、町場の規模は丸森より大きい。そのような訳で、私は丸森を「はりぼて凖名邑」または「上げ底凖名邑」・「粉飾凖名邑」と呼び、吉岡を「実質凖名邑」と呼びたいのですが、いかがでしょうか。でも、これを言うと、全国各地に同様事例があるので、面倒臭くなりそうですが‥‥。
白桃さんの体力が戻って来たので安心して、少し難問を投げかけてみました。
[102157] 2021年 7月 7日(水)05:31:15千本桜 さん
ごぼう抜き
昭和の大合併の時もそうでしたが、特に平成の大合併以来、市区町村を単位とする人口統計に味気なさを感じるようになりました。とは言っても、2020年国勢調査の市区町村人口速報値が公表されましたのに、これに関する書き込みがないのは少し残念。そこで、人口をネタに軽いクイズを1問。ほんとに軽いクイズなので、がっかりしないでください。
以下に、2015年国勢調査人口が大河原町より上回っていた11市を書き出します。ところが、2020年国勢調査ではそれらの11市をごぼう抜きにして大河原町が上位に立ちました。ごぼう抜きにされた市の中で、1市だけ名称を伏せて「A市」としておきました。さて「A市」とはどこでしょう。

2015年順位2015年市町名2015年人口2020年順位2020年市町名2020年人口
1位美祢市26,159人1位大河原町23,575人
2位大月市25,419人2位A市23,488人
3位にかほ市25,324人3位にかほ市23,455人
4位上野原市24,805人4位美祢市23,267人
5位A市24,801人5位江津市22,979人
6位飛騨市24,696人6位上野原市22,677人
7位村山市24,684人7位飛騨市22,556人
8位江津市24,468人8位村山市22,537人
9位江田島市24,339人9位大月市22,525人
10位養父市24,288人10位勝山市22,180人
11位勝山市24,125人11位養父市22,137人
12位大河原町23,798人12位江田島市21,937人
[101489] 2021年 3月 29日(月)11:39:56千本桜 さん
大日本國東山道陸奥州驛路圖や仙台藩の商業統制
[101486] ekinenpyouさん

(表記ルール明細は)必要であれば調べてみますが、
国絵図の図式規定を知りたいと思っていますが、私は検索が下手でお目当のものに辿り着けません。国絵図読解事典なるものがあることには辿り着きましたが、本年2月に発行されたばかりで県の図書館にも置いていないようです。ekinenpyouさんに大きな負担がかからない範囲で調べることができましたら是非お願いします。

大日本國東山道陸奥州驛路圖という資料に金ヶ瀬宿※10丁24間とあり、(計測距離と)極めて近い値になっているようです。(この距離が当時の東西木戸間距離?)
こちらのブログに詳細解説がありますが、(増補行程記のように)タッチの異なる写し?と思われる2点が存在しいずれもネット閲覧できます。(金ヶ瀬宿が描かれている箇所を示しておきます) 筑波大学附属図書館の日本國東山道陸奥州驛路圖 3・青森県立図書館の大日本国東山道陸奥州駅路図(20コマ)
東山道陸奥州駅路図は3種とも初めて目にしました。吉田初三郎の鳥瞰図を思い起こさせる素晴らしい鳥瞰図だと思います。初めて見るものなので新たな疑問が湧いてきたりして、かなり面白いです。疑問の1つは、白石驛と金ヶ瀬驛の間にある「宮驛」を「大宮驛」と記していることです。別の資料では「刈田宮」と表記しているのを目にしたことがありますが「大宮」という表記は初めてです。本当に「大宮驛」と称していたかは疑問ですが、新鮮な驚きであるのは確かです。このような目する機会の少ない資料をリンクしてくださるekinenpyouさんと、その場を提供してくださっているグリグリさんにリスペクト申し上げます。

[72228]千本桜 さんを拝読すると(金ヶ瀬には)大河原のように市日記載が見あたらないことから
商業活動許可は出ていない(広義の)町場(に準ずる)領域だったということになるのでしょうか。
※例えば(金ヶ瀬より戸数の少ない)槻木は市日記載あり?
だいぶ以前の書き込みにも目を通して頂きありがとうございます。その記事は「宮城県史 第6章 農民支配と商業統制」を基にして書きました。仙台領南部で商業活動が許された町場は藩政中期において、岩沼・亘理・村田・角田・川崎・金津・金山・船岡・丸森・大河原・白石の11町だったようです。また、後に槻木も加わり、さらなる後に金ヶ瀬にも市が立ったと、何かの本に書いてあったように記憶しているのですが、曖昧な記憶で文献名も忘れてしまいました。金ヶ瀬は褌町で細長い町場を形成していましたが、在に当たる村落が少なくて中心性に欠けていました。
少し余談になりますが、地理用語・歴史用語・社会用語で「宿・驛・町・街・まち・マチ・市街」という言葉をどのように解釈し、どのように使い分けしたら良いのやら迷うことがありますね。金ヶ瀬を表す場合も、東山道陸奥州駅路図は接尾辞に驛を用いて金ヶ瀬驛とし、安永風土記は町を用いて金ヶ瀬町としています。
[101480] 2021年 3月 22日(月)00:59:21千本桜 さん
Re:白色の日記念・クイズ2題
[101468] 伊豆之国さん
【問A】:岐阜県白川町、佐賀県白石町(想定解数:5町、該当しない町:千葉県白子町)
一見したとき答えはアソコかな?と気がついたのですが、ヒントを見ているうちに訳が分からなくなりました。なぜ白石市、白馬村、旧白鳥町が該当して、白山市、白川村が該当しないのか皆目見当がつきません。でも、こんな夜遅くまで悩んでいてもしょうがないから誤答覚悟で答えます。答えは和歌山県白浜町。間違っていたらかなり恥ずかしいけれど‥‥。
[101479] 2021年 3月 21日(日)23:52:02千本桜 さん
正保・天保国絵図は宿駅と村をどのように表記したか
[101449] ekinenpyou さん
正保・天保国絵図などいろいろ調査していただきましてありがとうございます。多謝!
国絵図から読み取れる柴田郡内の宿駅は11宿ですが、もう1宿、船岡宿というのがあります。船岡は要害(城下町)として知られていますが、奥州街道から外れているため宿駅としての認知度は低いようです。しかし柴田町史 通史編1は次のように書いています。
宿駅という言葉は一般に町場とほとんど同義語として用いられる。舟岡は幹線街道である奥州街道からはそれるが、枝分かれした脇往還亘理道の宿駅という一面も有していた
そこで、船岡宿を含めた柴田郡内の12宿駅が正保・天保国絵図ではどのように表記されていたかを一覧表にしてみました。

宿駅名藩政村名正保国絵図に表記された名称天保国絵図に表記された名称M22町村制現行自治体
金ヶ瀬宿平村金ヶ瀬宿と平村がある平村があり平村之内金ヶ瀬宿もある金ヶ瀬村大河原町
大河原宿大河原村大河原宿があり大河原村がない大河原村があり大河原宿がない大河原町大河原町
船迫宿船迫村船迫宿があり船迫村がない船迫村があり船迫宿がない槻木村柴田町
槻木宿入間野村入間野宿と記され槻木宿がない入間野村があり入間野村之内槻木村もある槻木村柴田町
船岡宿船岡村船岡村があり船岡宿がない船岡村があり船岡宿がない船岡村柴田町
村田宿村田郷村田宿があり村田郷がない村田郷があり村田宿がない村田村村田町
菅生宿菅生村菅生村があり菅生宿がない菅生村宿とある富岡村村田町
碁石宿支倉村支倉村と支倉村之内碁石村がある支倉村があり支倉村之内碁石宿もある富岡村川崎町
小野宿小野村小野宿があり小野村がない小野村があり小野宿がない川崎村川崎町
川崎宿前川村前川村と前川ノ内川崎宿がある前川村があり前川村ノ内川崎宿もある川崎村川崎町
野上宿今宿村今宿と記され野上宿と今宿村がない今宿村があり今宿村之内野上宿もある川崎村川崎町
笹谷宿今宿村今宿ノ内笹谷宿があり今宿村がない今宿村があり今宿村之内笹谷宿もある川崎村川崎町
宿駅と村は別物だと思うのですが、国絵図は宿駅と村を同一視しているように感じました。図式規定が付されておらず作者の意図が分かりませんが、例えば正保国絵図には大河原宿があって大河原村はありません。対して天保国絵図には大河原村があって大河原宿がありません。大河原宿を記載しても大河原村を記載しなければ、宿場の有無は伝わっても村全体を表したことにはならないし、大河原村を記載しても大河原宿を記載しなければ、街道にとって重要施設であるはずの宿場の有無が伝わらないと考えます。なので宿駅名と村名の双方を表記すれば良いと思うのですが、各国藩によって村の面積が異なるから全藩統一した表現は難しいのでしょう。例えば駿河国の藤枝宿は八つの村に跨っていたそうです。ざっと見たところ藤枝宿を構成していた8村あわせても、平村や大河原村1村の面積と同じくらいに見えました。

次に少し話が変わりますが、(享保の新町成立以降)金ヶ瀬宿の所属地名変遷を以下のように推測しました。
年代地名
~明治初期柴田郡平村(刈田郡には跨らず)
明治初期~同郡同村字町※
M22町村制施行同郡金ヶ瀬村大字平字町
そして昭和31年、大河原町と合併して現在の柴田郡大河原町金ヶ瀬字町になりました。地名の変遷にはドラマを感じます。宮村の金ヶ瀬宿は洪水で壊滅し平村に移転してきました。当初は平村の一角に金ヶ瀬宿があるという感覚だったでしょう。しかし宿場に新町が増設されて平村の村落部と金ヶ瀬宿の町場人口が逆転。平より金ヶ瀬の方が多用される地名になったと推測されます。明治22年、平村・堤村・新寺村が合併。新村名は平村になるかと思いきやさにあらず。平村の町場名をもって金ヶ瀬村になり、平村は金ヶ瀬村の大字平になりました。平村の金ヶ瀬から金ヶ瀬村の平へ立場が逆転。平村は金ヶ瀬宿に庇を貸して母屋を取られたようなものです。現行大河原町誕生の際に、消滅する金ヶ瀬村の名を継承させるために大字平を金ヶ瀬に改めました。その煽りを食らって消滅に追い込まれた平が不憫です。

※現在の小字(公称)地名「字町」はM6地租改正の頃に成立?
(小字「字町」の成立過程については調べきれませんでした、江戸時代から既に存在?)
「明治6年(1873)柴田郡金ヶ瀬村大字平字町戸割図」とあり、この時点で既に成立していた模様
(ただし金ヶ瀬村は当時まだ無いので、正確には柴田郡平村?)
地租改正にあたっては字の範囲を確定し字限図も作られたでしょうから、明治6年には「町」という名の字があったと推測しますが、江戸時代となると?です。字町戸割図は町の民俗資料収蔵室にあるようなので問い合わせたところ、本年2月の福島県沖地震で被害を受けたようで、現在は入室できない状態です。

旧小野村の場合、釜房ダムの完成で地形がだいぶ変わったところもありますがこのあたり?
現在の小字地名「字町」は藩政時代集落名として使われたもの(いわゆる通称地名)に由来?
宮城県内には仙台市七北田字町、村田町大字村田字町、大河原町金ヶ瀬字町など、「町」という名の小字が随所にあり、川崎町大字小野字町もその中の一つです。この「町」という小字は、概ね藩政時代の宿場町の区域と重なります。
[101472] 2021年 3月 16日(火)19:43:47千本桜 さん
あれから10年、クイズここはどこでしょうの解答
[101464] 伊豆之国 さん
[101466] ekinenpyou さん
[101467] hmt さん

[101463] あれから10年、クイズここはどこでしょうにお付き合いくださいましてありがとうございました。みなさま、正解です。
答えは、A=宮城県、B=名取市、C=閖上地区、D=福島県、E=相馬市、F=松川浦、G=山元町、H=中浜小学校でした。

まず、宮城県名取市の閖上地区へ。名取市は震災で甚大な被害を被ったが、この10年間に人口を5,000人以上も増加させた稀有な市である。市内には隣県からも集客する巨大なショッピングモールがあり、福岡・那覇はもとより、ソウル・台北などの海外都市とも空路で結ばれている。しかし、海沿いの閖上地区は10年前に津波にのまれて壊滅した。閖上地区は一級河川名取川の河口に発達した港町で、人口集中地区を形成していたこともある大きな市街地だったが、今は更地状態の宅地が強風に煽られて土けむりを上げている。

次に、南下して福島県相馬市の松川浦に向かう。松川浦は風光明媚で松川浦県立自然公園に指定されている。松川浦を訪れるのは、震災の爪痕を観察するためだが、同時に美味しい昼飯を食うためでもある。穴子丼が食べたくて、お目当の食堂に到着したが、あいにく定休日。予定を変更し、落書き帳でおなじみの白桃さんを案内したことがある食堂へ。今は入院中で美味しいものも食べられないでいるだろうに、自分だけが美味しいものを食べて申し訳ないと思いつつ天丼を食す。

最後に、北上して宮城県山元町の中浜小学校へ向かう。山元町は昭和時代に山下村と坂元村が合併してできた町で、特産品は、いちご、りんご、ホッキ貝である。入り組んだリアス海岸が津波被害に遭うのは想像できるが、単調な海岸線のこの町が津波に襲われるとは思いもしなかった。山元町の人口は、この10年間に5,000人近く減少し、減少率は29.3%である。内陸部の集落は助かったが、海岸部の集落は全滅した。中浜集落もその1つである。集落の家屋は無くなっているが、ぽつんとひとつ、中浜小学校の校舎が残されている。山元町震災遺構中浜小学校だ。
[101463] 2021年 3月 11日(木)22:15:12千本桜 さん
あれから10年、クイズここはどこでしょう。
今日は東日本大震災から10年、各地で追悼式などが行われたようです。密になるのを避け、昨日のうちに被災地3ヶ所を巡ってきました。A〜Hの名称をお答えください。

まず、A県B市のC地区へ。B市は震災で甚大な被害を被ったが、この10年間に人口を5,000人以上も増加させた稀有な市である。市内には隣県からも集客する巨大なショッピングモールがあり、福岡・那覇はもとより、ソウル・台北などの海外都市とも空路で結ばれている。しかし、海沿いのC地区は10年前に津波にのまれて壊滅した。C地区は一級河川B川の河口に発達した港町で、人口集中地区を形成していたこともある大きな市街地だったが、今は更地状態の宅地が強風に煽られて土けむりを上げている。とりあえず、B川の河畔に建つ震災復興伝承館へ入館。小さな伝承館だが、震災前のC地区の街並みを再現したジオラマが置いてある。メインストリートには銀行があり、いろいろな店が並んでいたのが分かる。生活感が感じれれる手作りジオラマを見て退館すると、目の前には商店もなければ一般家屋もない乾燥したメインストリートが走っていた。そんなメインストリートにカメラを向ける私を、同行者は少し苛立ちながら見ている。今回の同行者は学力は優秀だが地理的なことには興味がないようだ。何しろ、相馬を「あいば」と読んだ人である。まだ16歳頃の若い時だったが「あいば」はないだろうと思った。すぐそこがC漁港だから見に行こうと言うと、「漁港なんて、どこも同じだべ」と言う。そんな言葉を無視して強引に車を漁港に横付けする。晴天の中、C漁港の風景は震災など無かったかのように明るい色をしていた。

次に、南下してD県E市のF浦に向かう。F浦は風光明媚でF浦県立自然公園に指定されている。F浦を訪れるのは、震災の爪痕を観察するためだが、同時に美味しい昼飯を食うためでもある。穴子丼が食べたくて、お目当の食堂に到着したが、あいにく定休日。予定を変更し、落書き帳でおなじみの白桃さんを案内したことがある食堂へ。今は入院中で美味しいものも食べられないでいるだろうに、自分だけが美味しいものを食べて申し訳ないと思いつつ天丼を食す。F浦に来るとドライブしたくなる道路がある。天橋立よりも長い砂州の上を走る道路である。右にF浦、左に太平洋を望みながら走るのは爽快である。もっと先に丹下左膳の碑があるから見に行こうと言うと、地理的なことに興味のない同行者は「丹下左膳の碑を見て何になる」とか「どこまで行っても同じ風景だべ」と、のたまう。確かに丹下左膳の碑を見たからといって、いまさら人生どうなるわけではないが、見ないで過ぎるのが勿体ないと私は思うのである。それじゃ鵜ノ尾埼灯台を見に行こうと、同行者を促して小高い丘の階段坂道を登る。たいした距離でもないのに息がきれる。しかし、青空を背景にした白い灯台と広い海を見て、ホッと安心の溜息をつく。まるで、10年前の津波など無かったような美しい風景だった。

最後に、北上してA県G町のH小学校へ向かう。G町は昭和時代に◯下村と坂◯村が合併してできた町で、特産品は、いちご、りんご、ホッキ貝である。入り組んだリアス海岸が津波被害に遭うのは想像できるが、単調な海岸線のこの町が津波に襲われるとは思いもしなかった。G町の人口は、この10年間に5,000人近く減少し、減少率は29.3%である。内陸部の集落は助かったが、海岸部の集落は全滅した。H集落もその1つである。集落の家屋は無くなっているが、ぽつんとひとつ、H小学校の校舎が残されている。G町震災遺構H小学校だ。入館料は400円。ガイドに誘導されながら内部を見学。津波に襲われた当時のままだから廃墟状態である。1階、2階と進み、いよいよ屋上の屋根裏倉庫に入る。震災当日、ここに避難した児童や住民たち90人の命を守った屋根裏倉庫である。床はコンクリートの打ちっ放しで床板などは無い。10年前のあの夜は寒かった。懐中電灯2つだけの闇の中、津波の恐怖と寒さの中にいた児童たちを思うと涙が出る。屋根裏倉庫を抜け出し、屋上から外の景色を眺める。家屋を無くした集落跡地には道路だけが延びているが、ここに人々の生活があったことを思うとやるせない。

被災地見学をする際は、ガイドさんに説明して頂くことをおすすめします。
[101430] 2021年 2月 28日(日)20:10:19千本桜 さん
武奥増補行程記
[101417] ekinenpyouさん
刈田郡→武奥増補行程記(千本桜 さんサイト内で、寛延4年(1751)の道中図「増補行程記」とあるものと同じ?)
上記ekinenpyouさんの書き込みに対し、[101428] で「同じものですね」と答えましたが、異なるものであることに気がつきました。[101428]の書き込みは「異なるものですね」に訂正しておきました。惑わせてしまい申し訳ありませんでした。作者は同じ清水秋全となっていますが絵や文字のタッチが違うところをみると、武奥増補行程記は誰かが模写したのでしょうか? 調べてみたのですが詳しいことは解りませんでした。
[101428] 2021年 2月 27日(土)19:30:10【2】千本桜 さん
Re:奥羽街道の金ヶ瀬宿は複数郡に跨っていた?
[101417] ekinenpyou さん
金ヶ瀬宿の「家向き俗説」を(個人的に裏付け調査もしながら)ようやく読破しました。この俗説は各所で引用されており、(観光などで)現地を訪れた方も(その説で)納得してしまっているようですね。
お付き合いいただいてありがとうございます。金ヶ瀬宿の「家向き俗説」は長文ですから、読破するのが大変だったでしょう。感謝申し上げます。町内外を問わず、この俗説に興味をもたれる人を大歓迎です。
街道歩きや宿場めぐりの愛好家が、たまにこの街にやってきます。角川地名大辞典や町史などで、あらかじめ勉強してくる人も多いようですが、辞典や市町村史に誤りがあっても、それを見破るのは難しいですね。また、古文書には嘘が含まれていることもあるようで、200年前のフェイク「椿井文書」のような例もありますから要注意です。

柴田郡誌(M36)より、所属する郡に関する記事を引用します。
金ヶ瀬の市街は藩政の頃は凡中央より二分して柴田刈田の両郡に分属し東方は柴田郡平村と称し西方は刈田郡金ヶ瀬驛と称したり
これは疑わしい記述です。金ヶ瀬市街(金ヶ瀬宿)は、柴田・刈田両郡に分属していたのではなく、片倉家・伊達家に分属していたのです。そして、平村の中に形成された市街が金ヶ瀬驛ですから、「東方は柴田郡平村と称し西方は刈田郡金ヶ瀬驛と称したり」という記述も、地理的にしっくりしない表現です。柴田郡誌(M36)は、刈田郡の白石城を居城とする片倉家の飛び地は、柴田郡にあっても、どこにあっても、刈田郡として扱われたかのような書き方をしていますが、そんな事実はないはずです。そこで、同じように片倉家の領地で飛び地の広淵村(旧桃生郡広淵村、現石巻市広淵)を調べて見ました。

角川地名大辞典から広淵村を引用すると
広淵村:江戸期から明治22年の村名。桃生郡深谷代官区26村の中心で代官所が置かれ、明治期は21年まで郡役所が置かれていた。寛永5年、片倉小十郎重長が広淵谷地・ぼためき谷地などを拝領、片倉谷地・白石谷地などと呼ばれた。
と書いてありますが、刈田郡として扱われていたとは書いてありません。

また、平凡社日本歴史地名大系から広淵村を引用すると
白石城城主片倉小十郎重長が当村谷地など18ヶ所を知行地として給与され、片倉重久ら家臣の二、三男30人余を移住、開墾させて新田に居住させた。新田町は片倉小十郎家中町とも称された。
と書いてありますが、刈田郡に属していたとは書いてありません。

以上のことを金ヶ瀬宿に当てはめると、片倉家の領地である刈田郡宮村の金ヶ瀬宿が洪水で壊滅し、伊達藩から柴田郡平村の一画を知行され、そこに金ヶ瀬宿を移転させた。しかし、移転したのは金ヶ瀬宿であり、刈田郡宮村が移転した訳ではない。従って、柴田郡平村に形成された金ヶ瀬宿を指して刈田郡金ヶ瀬驛と表記するのは間違いだと思います。

しかし、大河原町史には次のことが書いてあります。新町が増設された享保年間の文書に基づいているようです。要約すると
金ヶ瀬宿の本町は柴田郡平村の地には違いないが、片倉家の知行所であるから刈田支配が当然である。ところが新町は藩の直轄地であるから、年貢は藩の蔵に直接納入することになる。また、百姓からの諸願もこれまでどうり柴田代官所へ差し出すように、ただ町内に発生する諸事件の取締については、片倉家の支配を受けよという扱い方である。こうして新町は貢租関係諸願は柴田扱いにて藩庁へ、治安その他取り締まりは刈田扱いと二重構造になったのである。
以上のことから、金ヶ瀬宿を二分していたのは柴田郡と刈田郡ではなく、現代で言う税務署や裁判所の管轄境であることが分かります。ですから、片倉支配・大河原代官所・藩庁直轄扱い・白石代官所扱いと書けば良いのに、郡名を用いて刈田支配・柴田代官所・柴田扱い・刈田扱いと書いたことで、柴田・刈田両郡に二分されているような誤解が生じたのではないか。柴田郡誌(M36)の記述は、そうした誤解の上にたって書かれた可能性が高いと思います。

なお、柴田郡誌(M36)には「(明治)維新の際(刈田郡)金ヶ瀬駅を平村に合併し柴田郡に編入」という記述もありますが
この記述も柴田郡誌(M36)の誤解でしょう。もともと金ヶ瀬駅は柴田郡平村の一部でしたから、維新の際に編入された訳ではありません。維新の際に片倉支配が解かれたことを書きたかったのかもしれません。

郡境が存在したという記述自体も不適切(誤り?)だったのかもしれません。
金ヶ瀬宿を二分していたのは郡境ではなく、片倉家と伊達家の領域境ですから、不適切だと思います。

刈田郡の飛び地?が柴田郡の宿内に存在し、それが「金ヶ瀬駅」だったという可能性もゼロではありませんが・・・
たぶん、それはゼロだと思います。片倉家=刈田郡ではないのに、「片倉家の飛び地」を「刈田郡の飛び地」と言い表したことから生じた誤報でしょう。金ヶ瀬本町は片倉家の飛び地ですが、刈田郡の飛び地ではないと考えます。

柴田郡→日本分国図(仙台領)(正保国絵図摸写図?平村とは別々)・天保国絵図陸奥国仙台(こちらは平村之内)
村や宿(町場)を三つに分類してみます。町場を持たない村、村名と同名の町場を持つ村、村名と異名の町場を持つ村の三つです。町場を持たない村は「堤村」「新寺村」のように村名だけの表記で済みます。村名と同名の町場を持つ村については、町場名を採択して「大河原宿」「船迫宿」と表記し、村名の「大河原村」「船迫村」を省略しているようです。問題は村名と異名の町場を持つ村です。「平村」と「金ヶ瀬宿」、「前田村」と「中田宿」のように村名と宿名を併記しているものもあれば、入間野村の槻木宿を「入間野宿」、小堤村の亘理宿を「小堤宿」と表記したりしています。これは、単純に村名と町場名の混用とみるべきか、それとも、厳密な規定に基づいているのか私には解りません。参考までに、村の中の町場[47401]

刈田郡→武奥増補行程記(千本桜 さんサイト内で、寛延4年(1751)の道中図「増補行程記」とあるものと同じ?)
異なるものですね。武奥増補行程記は金ヶ瀬に刈田郡と註記していますが、柴田郡とするのが正しいと思います。百歩譲って、刈田郡宮村から移転した金ヶ瀬本町に対してのみ刈田郡を註記するなら、分からないわけではありません。しかし、絵図は新町を含めた金ヶ瀬全体を描いています。金ヶ瀬全体を刈田郡とするのは間違いだと思います。増補行程記の絵図はデフォルメが激しくて、山と川の位置関係が明らかに間違っている場所もあります。

現在の小学校近郊にある古い建物として光澤山 明増寺(浄土真宗本願寺派)というお寺があり嘉禄2(1226)年創建とのことで、位置が変わっていなければ(寛永の)金ヶ瀬宿移転前から存在していたことになります。
(寺院関係者の方は)この俗説についてどのような見解を持っているのでしょうか・・・
明増寺は昔、田んぼの中(現在の中学校のところ)にありましたが、明治23年に現在地(小学校のところ)へ移転しています。寺院・神社の関係者も俗説を史実と信じているのが現実です。

1字訂正 「平村」と「金ヶ瀬村」を「平村」と「金ヶ瀬宿」に訂正しました
[101425] 2021年 2月 25日(木)14:41:54千本桜 さん
白桃クイズに挑戦
[101422] オーナー グリグリさん
【市人口ミステリー:消えた63,738人の謎】by 白桃
思わず「くそ〜〜〜!」と叫びたくなるほど素晴らしい出題です。クイズ東大王やQさま!!に取り上げて欲しい。
白桃さん、その看護師は男か女か知りませんが、下の名前を「としみ」または「あきら」と言いませんでしたか。消えた63,738人のうち、何割かは天神や中洲で働いているのでしょうね。

[101420] 未開人さん
問題2に関しては視点が難しいかとは思います。(因みにこれを調べている途中に岐阜県庁の情報を見つけました)
問題2 日本の都道府県庁のうち、茨城県庁と石川県庁のみに共通する特徴を答えよ。
茨城県庁で瞬時にひらめいたのは、中心街から離れた郊外に位置しているということです。ということは「ある特定の区域から外れた場所にある県庁」で、その「特定の区域」とは、白桃さんの好物のアレですね。確かに特殊な視点かもしれませんが面白いと思います。

[101417] ekinenpyouさん
金ヶ瀬宿について書こうと思っていましたら、「くそ〜〜〜!」と叫びたくなるほど素晴らしい白桃さんのクイズをみて、そちらを先にさせていただきました。金ヶ瀬宿については、間違いのないように、じっくり考えておこたえします。
[101411] 2021年 2月 21日(日)20:07:09千本桜 さん
「本山町街」ってなに? 「日光市街」ってどこ?
[101408] 駿河の民 さん
私は本山町に訪れたことがありますが、嶺北の中心地となっており、大きな高校や病院があったことが記憶に残っています。

私は昔々、大豊町の国道32号を自転車で走ったことはありますが、本山町には行ったことがありません。そこで、ストリートビューで模擬ドライブしてみました。出発点は大豊町高須の国道32号と439号の交差点付近。道路案内板は、直進32号「高松・三好市」、左折439号「本山」と標示しています。左折して439号を本山へ向かいます。

やがて大豊町域を過ぎて本山町域に進入。439号は本山の市街地を迂回するバイパスですが、バイパスと旧道の分岐点に、右折439号「田井」、直進「本山町街」の道路案内板がありました。直進すると本山の市街地(町場・街並み)に到達するのは理解できるのですが、「本山町街」という標記に違和感を感じました。「本山市街」と表示するのが正しいと思うのですが、皆さんは「本山町街」の標記をどのように思われますか。「町街」って、なに?

高知県の案内板は、町村部に「市街」を用いないのかなと思い、いの町を調べてみました。すると、国道33号枝川ICの所に、直進「松山・佐川」、左折「四万十市」、右折「いの町市街」の案内板がありました。町であっても「市街」と標記してあります。しかし「いの町市街」の「町」は不要でしょう。「いの市街」で良いだろうに、と思いました。個人的感覚が許されるなら「伊野市街」にしたいところです。

次に富山県南砺市を観察します。南砺市には福光・井波・福岡・城端の市街地があります。国道304号を北進し、福光駅前の交差点に近づいてきました。案内板には、直進「金沢・砺波」、右折「福光駅」、左折「福光市街」と書いてありますが、「南砺市街」とは書いていません。次に、福野を目指して県道20号を走ります。福野の町場入口に近づくと、左折「高岡・砺波」、直進「福野市街」の案内板がありました。あぁ良かった。「南砺市街」なんて書いてあったら頭にくるところだった。ついでに井波も観察しましたが、やはり「井波市街」と書いてあります。市街地名を標示するときは、市町村名にとらわれなくても良いというのが、私の考えです。

ついでに、日光市の国道119号をJR日光駅に向かって西へ走ります。すると、121号との交差点を過ぎたところに、直進「日光の社寺11km・日光市街3km」の案内板が。日光駅は10km先なのに、「日光市街3km」は変ですね。もう、おわかりの方もいるでしょうが、「日光市街」とは今市の市街を指しているのです。すると、日光駅前から神橋にかけて広がる旧日光市の市街地は日光市街地ではないことになります。私の感覚では、旧今市市の市街地は「今市市街」と書き、旧日光市の市街地を「日光市街」と書いて欲しかったと思います。
[101391] 2021年 2月 9日(火)17:47:22千本桜 さん
伊予石城駅
[101384] ekinenpyou さん
武蔵大和駅のように旧国名が複数連続する鉄道駅をお答えください

旧国名の定義次第ですが、奈良時代に短期間だけ存在した石城国がOKなら、伊予石城駅も該当しますね。
[101350] 2021年 1月 26日(火)19:45:24千本桜 さん
びびらずに定説を覆す
[101339] オーナー グリグリさん
家向き俗説、拝読しました。徹底した検証が説得力があり、たいへん興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
お読みいただきまして、こちらこそありがとうございました。城下町や東海道・中山道の宿場町と違って、金ヶ瀬宿の場合は資料や痕跡があまり残っておらず、少し苦労しました。定説を覆すのですから、ぬかりがあってはならないと、20数年かけて調査しました。(笑
[101332] 2021年 1月 22日(金)22:29:30千本桜 さん
金ヶ瀬宿の「家向き俗説」
金ヶ瀬(かながせ)は奥州街道に発達した宿場町で、本町と新町から成る。本町は白石の片倉家、新町は仙台の伊達家の領地である。町の長さは、およそ1,100メートル。途切れのない一連の町並みだが、町の中央を境に家向きが一変する不思議な町だ。この町には、誰もが信じて疑わない俗説がある。本町と新町は互いに反目し、背中合わせに家を建てたと言うのだ。本町は片倉様の白石城へ、新町は伊達様の仙台城へ向かって玄関・縁側を配置したと言うのだから面白い。この俗説は、大河原町史や角川日本地名大辞典にも史実として記述され、今では動かぬ定説となっている。だが、その真相はいかに!
 定説を覆すのは難しい。下手をすると変人扱いされかねない。しかし、定説といえども間違いは間違い、嘘は嘘である。金ヶ瀬宿の「家向き俗説」に関する調査レポートを作成しましたが、図版を多用しているため落書き帳に書き込めませんので、ここに貼らせて頂きます。 金ヶ瀬宿の「家向き俗説」
 たとえ権威のある地誌でも、間違いはあるということです。

白桃さん、快復を祈ってますよ。
[100873] 2020年 12月 6日(日)07:52:58千本桜 さん
古川と北上
[100867] 白桃さん
神風※「そうですね。玄人好みの好取組です。地力では古川だと思うのですが、北上は付け人の江釣子の力も借りており、全く予想できません。」

付け人ですか〜 言い得て妙!
江釣子が北上に一途な付け人だとすると、古川の付け人たる三本木は時々隠れて仙台へ浮気する、そんな感じでしょうか。鹿島台などは古川と別部屋だと思っている節があるから、大崎部屋をまとめるのは大変でしょう。
古川と北上は優劣付け難い成長都市で、独自の都市圏を形成しながら市街地を拡大してきましたが、微妙な違いを感じます。古川が下位の力士と対戦して勝ち星を増やしてきたのに対し、北上は花巻や水沢といった上位力士と戦って現在の地位を勝ち取った。そこに北上のダイナミックさを感じます。いずれにしても2020年国勢調査の発表が待ち遠しいですね。
[100866] 2020年 12月 2日(水)06:42:29千本桜 さん
「平成の大合併」なかりせば。古川VS北上を希望
[100865] 白桃さん

「平成の大合併」なかりせば。
東北地方における2つの成長都市、旧古川市と旧北上市の推移を対比したいので、ご協力お願いします。
1・旧古川市VS旧北上市
2・「旧古川と旧三本木を併せた古川」VS「旧北上と旧江釣子を併せた北上」
3・現大崎市VS現北上市
以上、3種類を[100865]の書き込みと同じパターンでお願いします。
[100855] 2020年 11月 24日(火)06:22:17千本桜 さん
Re:消えゆく「商業高校」
[100854] 白桃さん
アレ、もう一つ何処だっけ???(笑)

ソレ、スーパータウン大河原のことでしょう。
県立高校が2校ある少し珍しい町ですが、令和5年度には大河原商業高校と柴田農林高校が統合するので1校になる予定です。
新高校名を募集しているとは聞いていませんが、募集するとなれば皆さん、「千本桜高等学校」で1票投じてくださいますようお願いします。
[100101] 2020年 8月 14日(金)17:04:43千本桜 さん
花巻は総合都市
[100078] 白桃さん
花巻を「温泉都市」というのもヘンですね。では、花巻を何の街と呼べば良いのでしょうか?

昭和時代に育まれたイメージですが、花巻はコンパクトな市街地(DID)に商業機能がぎゅっと詰まった濃密な商業都市のイメージがあります。中心街の上町・吹張町・鍛治町はアーケード街でデパートが2店あり、黒沢尻(現在の北上市)からも集客していました。さらに工業も盛んで交通の要衝、そして地域文化の発信基地でもありましたから、複合都市または多機能都市と呼ぶべきでしょうか。以上は私の主観ですが、客観的にはどのように評価されていたか。昭和60年発行の角川日本地名大辞典岩手県には「県央の中核総合都市」と書いてあります。なるほど「総合都市」か。大正・昭和の花巻を的確に言い表わしていると思います。

角川地名大辞典は、中・南部の内陸都市を次のように評価しています。南から順に、一関市は「県南の雄都」、水沢市は「県下第一の穀倉地帯」、北上市は「内陸部の工業都市」、花巻市は「県央の中核総合都市」です。水沢市だけ異なる目線で書かれていますが、他と合わせるなら「県南最大の商業都市」と書くのが良いのでは?

東北本線に沿って一列に並ぶ一関・水沢・北上・花巻の団子4兄弟は、私にとって昔も今もパワースポットです。この4都市を思うと力が湧いてくるのです。仙台や盛岡に呑み込まれまいとする自立心。そして一関は両磐の、水沢は胆江の、北上は和賀の、花巻は稗貫の中心都市としての強い自負心がある。地域に深く根を張った姿は地方小都市の鑑のような存在です。

性格も規模も似通った団子4兄弟。力関係が微妙に揺れながらも均衡を保ってきましたが、この均衡を破ったのが北上です。昭和の頃は一関・水沢・花巻の下位に置かれた北上が大躍進。今では中・南部の最大都市に成長し、その煽りで花巻の影が薄くなりました。昭和40年代と現在の都市の大きさを見比べてみましょう。自治体やDIDの大きさではありません。概ね市街地に相当する区域に集積した都市産業から弾き出した都市の大きさです。こういうのは細かい数値を出しても意味が無いので、大まかに出します。

昭和40年代の都市の大きさ/最大都市水沢を100とした場合、花巻95、一関90、北上60
現在の都市の大きさ/最大都市北上を100とした場合、水沢69、一関66、花巻65

一関・水沢・花巻は常に優劣つけがたい同規模都市ですが、北上が大変貌を遂げました。大正・昭和の頃は一関・水沢・花巻が親分で北上が子分。しかし今では北上が親分で一関・水沢・花巻が子分になってしまいました。都市に感情は無いけれど、そこに思いを寄せる人には感情があります。花巻に思いを寄せる人には無念の思いがあるのではないでしょうか。
[100066] 2020年 8月 6日(木)06:40:58千本桜 さん
Re:案外健闘している温泉地に関する問題
[100065] 白桃さん
D市は、案外盲点かもしれません。東海地方の市で、市域には4つの温泉街があります。その4つは、もともと別の町にありました。
確かに盲点だと思います。あの大県では最大の温泉場なのでしょうが、私の住んでる地方ではかなり知名度が低いです。ひらがなで書くと濁音が2つあるので語感がゴツいですね。
[100053] 2020年 8月 1日(土)22:10:05千本桜 さん
メッシュ統計で遊ぶ 〜金融・保険業の集積〜
地域メッシュ統計を用いて、宮城県南部の中心・拠点となる都市を探ってみました。
基礎となるデータは、平成28年経済センサスから抽出した金融業・保険業の従業者数です。金融業・保険業に的をしぼったのは、都市の中心性・拠点性は金融業・保険業の集積に端的に現れるのではないかと考えるからです。
対象地域は、仙台市以南の全市町です。自治体人口の多い順に並べると、名取市(79,141人)、岩沼市(44,378人)、柴田町(38,728人)、亘理町(32,884人)、白石市(32,863人)、角田市(28,154人)、大河原町(23,683人)、丸森町(12,481人)、山元町(11,757人)、蔵王町(11,449人)、村田町(10,601人)、川崎町(8,478人)、七ヶ宿町(1,254人)になります(令和2年7月1日推計人口)。この地域には335,851人が住んでいますが、風格のある中心都市がないのが特徴です。

集計は次の手順で行いました。
1・宮城県南部の地図に3次メッシュ(1kmメッシュ)を掛けます。
2・平成28年経済センサスを基に、個々の3次メッシュに金融業・保険業の従業者数を記入します。
3・辺が接していることを条件に、従業者数1人以上のメッシュを連結し、金融業・保険業集積地域を画定します。
4・金融業・保険業集積地域を都市とします。
5・各都市に従事する従業者数を算出します。
6・各都市に名称を付します。
6・各都市の中心地点にマークを付します。中心地点の特定は各種要素を基に判断しました。

上記集計の結果、宮城県南部で金融業・保険業の従業者数が最も多いのは大河原で、名取・岩沼・白石・角田と続くのが解りました。ただし、この大河原には柴田町船岡の市街地も含まれています。大河原市街の端と船岡市街の端は至近距離にあるため、同じメッシュに覆われます。しかし、人家の無い丘陵で隔てられた2つの市街地を1つにまとめて良いものか、引っ掛かります。そこで、参考までに大河原と船岡に分割してみました。その結果、大河原299人、船岡108人となりました。
また、辺は接していないが角だけ接したメッシュも取り込んで集計すると、船岡、名取、岩沼の数値が少し増えます。これを「緩めの集計」としてカッコ書きで記載しました。

都市名金融保険従業者数緩めの集計中心地点摘要
大河原407人(416人)ここ大河原町の中心市街地
※大河原299人(299人)ここ大河原町の中心市街地
※船岡108人(117人)ここ柴田町の中心市街地
名取400人(429人)ここ名取市の中心市街地
岩沼298人(302人)ここ岩沼市の中心市街地
白石243人(243人)ここ白石市の中心市街地
角田202人(202人)ここ角田市の中心市街地
亘理83人(83人)ここ亘理町の中心市街地
永野41人(41人)ここ蔵王町の中心市街地
村田26人(26人)ここ村田町の中心市街地
丸森23人(23人)ここ丸森町の中心市街地
川崎21人(21人)ここ川崎町の中心市街地
山下20人(20人)ここ山元町の中心市街地
槻木18人(18人)ここ柴田町の副次市街地

1kmメッシュの性格上、船岡市街を巻き込んでトップに立った大河原ですが、明治初期の警察署設置を振り返れば、これも納得できる結果なのです。明治初期、宮城県は仙台、古川、石巻、大河原に警察署を設置しました。その時の大河原署は、今回取り上げた宮城県南部の全域を管轄していました。
[100032] 2020年 7月 26日(日)20:12:24千本桜 さん
日本の大都市トップテン
[100031] mg さん
解説ありがとうございました。
中心地の推定方法には書き込みたいこともあるのですが急遽予定を変更し、mgさん作成の2015年連担DIDと私が作成した1970年連担DIDを見比べながら、45年の時の流れと都市の盛衰に思いを馳せたいと思います。題して、日本の大都市トップテン。
mgさんの(西神戸)と(川越)は外しました。なぜ外したかはお分かりですよね。お察しください(笑)。また、mgさんの「阪神」は「大阪」と表記させてください。その上で2015年と1970年を見比べると、順位の変動はあるものの、1位から10位までの顔ぶれは同じです。

都市名2015年連担DID人口1970年連担DID人口連担DID人口増加数連担DID人口増加率
東京29,185,222人15,787,678人13,397,544人84.86%
大阪10,566,568人8,904,319人1,662,249人18.67%
名古屋3,402,687人1,893,961人1,508,726人79.66%
福岡1,994,305人771,654人1,222,651人158.45%
札幌1,970,696人802,751人1,167,945人145.49%
京都1,811,936人1,194,984人616,952人51.63%
広島1,087,579人623,983人463,596人74.30%
仙台1,066,096人448,135人617,961人137.90%
北九州833,027人857,409人-24,382人-2.84%
熊本656,931人346,885人310,046人89.38%

東京の膨張が凄いですね。大阪との規模は開く一方です。広域中枢都市の福岡、札幌、仙台の増加率は驚異的ですが、広島が少し疲れたのかな? 人口減の北九州には何と声をかけたらいいのやら言葉が見つかりません。10位の熊本は地味ながら底力を発揮しています。我こそは熊本のライバルと思っているであろう那覇、静岡、新潟、鹿児島、金沢、浜松、岡山の皆さん、トップテン入を目指して頑張りましょう。
[100029] 2020年 7月 25日(土)21:54:18千本桜 さん
推定中心地の位置
[100023]ekinenpyou さん
教えて頂きまして、エクセルへの変換と左揃え・右揃えができました。ありがとうございました。エクセルは使い慣れていないので勉強のためと思い、ソートしたりセルの幅を広げてみたり、あれこれ試しているうちに、今度は文字が変な書体に変わってしまい、慌てています。元の書体に戻す方法が解らず悪戦苦闘中ですが、いろいろ操作していくうちに覚えるでしょう。
ところで、[100021]
「推定中心地」という項目がありますが、これは当該DIDを覆うメッシュの中で最も小売販売額の多い4次メッシュを指し、その4次メッシュの中央部に自動的?にポイントマークが付されているようにお見受けしましたが、このような受け止め方でよろしいですか。
と書きましたが、あれは完全に私の思い違いでした。四次メッシュのデータを持ち合わせていないので何とも言えないのですが、どうも四次メッシュの交点にポイントマークが付されているようです。白石、角田、大河原、柴田などもekinenpyouさんご指摘の成田2と同じく、交点にマークが付されているようです。やはり詳細はmgさんの解説待ちですね。mgさん、お忙しいでしょうが宜しくお願いいたします。
[100021] 2020年 7月 24日(金)21:38:34千本桜 さん
Re:連担 DID 別統計
[100013] mg さん
連担 DID 別統計を拝見させて頂きました。多くの時間を費やされたことと思います。「苦しくもあり楽しくもあり」そのような時間を過ごされたのではないでしょうか。ありがとうございました。まだ全部に目を通した訳ではありませんが、表組を見て思ったことで、一つお願いがあります。DID名や推定中心地名の文字を左寄せに、人口や中心地規模の数字を右寄せにして頂けないでしょうか。その方が見やすくなり、mg さんが苦労して作った統計表が生きてくると思います。それから、「推定中心地」という項目がありますが、これは当該DIDを覆うメッシュの中で最も小売販売額の多い4次メッシュを指し、その4次メッシュの中央部に自動的?にポイントマークが付されているようにお見受けしましたが、このような受け止め方でよろしいですか。
[100002] 2020年 7月 19日(日)22:46:53【1】千本桜 さん
グリグリさん10万番達成おめでとうございます。およびRe:都市を表す統計
[100000] グリグリさん
100000達成おめでとうございます。素晴らしいサイトを運営していただき、心より感謝申し上げます。私が初めて書き込まさせていただいてから17年が経ちますが、その間にずいぶん勉強させて頂きました。このサイトがなかったら、知らないまま一生を終えていただろうと思えることがたくさんあります。今後とも勉強させて頂きたいので、グリグリさんが健康で活躍されることを心よりお祈りしております。


[99990] mg さん
mgさんは、すでに相当な域に達しておられると感じました。私としては、ただただ賛同するのみです。今では「都市を表す統計」がいろいろ公表されて便利になりましたが、昭和30年代ごろは市町村単位の常住人口ぐらいしか目にすることができませんでした。それで、5年に一度の国勢調査が終わると、地元新聞紙に県内市町村の人口集計結果が掲載されるのですが、それが楽しみで切り抜いて保管したりしたものでした。市町村の人口増減がどのように推移するのか気になって、次回の国勢調査結果を見るまでは「死んでなるものか」と、子供心に思ったものです。
私にとって「都市を表す統計」への関心は、次のように移り変わりました。

第一段階:市町村を単位とする統計。
昔はこれしかなかったので仕方がありません。しかし、格となる集落(町場)を複数かかえる自治体や、面積の異なる自治体を一緒くたにして、その人口の多寡で「都市の大きさ」をイメージすることにフラストレーションを感じていました。

第二段階:DIDを単位とする統計。
市町村単位の統計にフラストレーションを感じていた私は、ある時、古びた町役場の片隅で「昭和35年国勢調査結果報告書DID人口集中地区人口」を見つけたのです。高校生の時でしたが、「何て素晴らしい統計なんだ!」と、衝撃が走りました。しかし、それなりに都市的であるはずの角田市にはDIDがなく、角田よりも都市的とは思えない名取市閖上地区にDIDがあることや、栗原郡北部の中心を担う栗駒町岩ヶ崎にはDIDがなく、岩ヶ崎の都市機能に依存する鴬沢町細倉地区にDIDがあることに違和感を感じました。

第三段階:DIDと事業所統計をリンクさせた統計。
あれは昭和49年のことです。仙台の官報販売所で総理府統計局発行「昭和47年事業所統計調査報告 別巻 人口集中地区 国勢統計区編」に出くわしたのです。それには個々のDIDごとに産業別の事業所数や従業者数が記載してあります。これを基にデータを加工すれば自分の知りたい「都市の大きさ」に辿り着けると感じ、昇天しそうな感激を憶えたものです。水原弘♪「君こそわが命……あなたをほんとはさがしてた〜君こそ命 君こそ命 わが命」。そんな感じで今も私の宝物です。

第四段階:メッシュ統計。
三十数年前、縁あって地形図にグリッド(メッシュ)を引く仕事をしたことがあります。メッシュ統計図の走りの頃ですが、メッシュ統計の出現は、これまた昇天ものの感激でした。「市町村」という「地理的に矛盾を孕んだ地域区分」から解き放された思いがしたのです。と言う訳で現在、私の興味の的はメッシュ統計です。

いろいろ書き込みましたが、ここで気分転換。メッシュ統計を用いて、フィクションの世界で遊びましょう。
題して、「市」に殴り込みを掛ける「町」 〜大河原町&中標津町〜

まず、平成27年国勢調査時に人口2万3千〜4千人を数えた市に登場してもらいます。人口23,035の美唄市から24,805人の上野原市までの10市です。彼らは「市」だから「町」よりも都市的でイメージが良いはずだと思っています。養父市は大河原町のことを関宮町や大屋町のような山間の田舎だと思っています。主産業は、こけし製造。町には信号機が1つだけ。話す言葉はズーズー弁。「町」と言う接尾辞にまどわされ、マイナスイメージを膨らませているようです。大河原が但馬の中心地・豊岡のような大都会であることを知る由もありません。また、江田島市は中標津町を原野の中の一軒家だと思っています。産業は牛の放牧だけ。話す言葉はロシア語。スーパーの「ゆめタウン江田島」や「ダイソー」が自慢の江田島は、中標津をコンビニもない田舎だと思っています。やはり、「町」と言う接尾辞にまどわされ、マイナスイメージを膨らませているようです。中標津が根室を凌ぐ大都会に成長したことを知る由もありません。でも、養父市や江田島市に罪はありません。国土を市部と郡部に色分けし、「市」になるとイメージがアップするなどどホラを吹き、暗に郡部にマイナスイメージを植え付けてきた国の罪です。

それでは、平成27年国勢調査時に人口2万3千〜4千人を数えた市に大河原・中標津両町を加え、人口順に縦一列に並べます。
行政人口:平成27年国勢調査、 DID人口:平成27年国勢調査、 年間小売販売額:平成26年商業統計メッシュデータ
※年間小売販売額は、販売額1億円以上の3次メッシュを小売集積メッシュと定め、辺が接していることを条件に小売集積メッシュを繋ぎ合わせて算出しました。

自治体名行政人口DID人口小売販売額
上野原市24,805人7,974人1,027,234万円
御坊市24,801人6,224人3,505,329万円
飛騨市24,695人5,400人942,757万円
村山市24,684人7,275人1,694,253万円
江津市24,468人-1,569,254万円
江田島市24,339人-533,281万円
養父市24,288人-1,255,646万円
勝山市24,125人9,936人1,414,846万円
大河原町23,798人16,263人7,098,824万円
中標津町23,774人9,663人5,564,309万円
紋別市23,109人15,822人2,440,407万円
美唄市23,035人10,663人1,659,662万円

「市じゃないのに、何で大河原町と中標津町をリストアップしたんだ」と、勝山市や紋別市がクレームをつけてきましたが、大河原町&中標津町は動じません。行政上は「町」であっても、小さな「市」よりも都市的であることを知っているからです。行政人口はほぼ同じですが、DID人口で大河原町&中標津町が頭角を現します。大河原町DIDは並みいる「市」のDIDをなぎ倒してトップに立ちます。中標津町DIDも紋別市、美唄市、勝山市を除く「市」のDIDをなぎ倒します。DIDを形成しない江津市、江田島市、養父市は、この状況に顔面蒼白。早々とリングから立ち去ってしまいました。

さらに、大河原小売集積ゾーン&中標津小売集積ゾーンの都市力は年間小売販売額で爆発します。大河原小売集積ゾーンは710億円、中標津町小売集積ゾーンは556億円。広域行政圏の中心都市を自負する御坊市、紋別市は「町」に負けてなるものかと必死に防衛するも、力およばず判定負け。他の「市」は言うまでもなくノックアウトされ、ロッカールームの端っこで泣いています。今まで「市」は「町」よりも都市的でイメージが良いと言われてきたが、それは幻だったのか。おお神よ、脆弱な「市」を救いたまえ。遠くからアリスの♪「チャンピオン」が聞こえてきます。

※大河原小売集積ゾーンは互角の力を持つ大河原町と柴田町に跨がっています。両町の市街地はメガネの形をしていて、ブリッジの部分で町並みが途切れます。なので、別々の都市に見えるのですが、メッシュ統計のように少し巨視的に捉えると1個の都市地域にまとめられてしまう。メガネの形をした大河原小売集積ゾーンをブリッジの所で分断し、ブリッジ部を柴田分に含めた上で大河原分と柴田分に分割すると、大河原分357億円、柴田分353億円で拮抗する。しかし、大河原と柴田には性格の違いがあります。柴田は食品スーパーなどの最寄品が充実し、大河原は家電などの買回品が充実している。当然、買回品の店舗が多く集まる大河原の方が広域商圏を形成することになります。
結局、DIDにしてもメッシュ統計にしても、地図や各種資料と照らし合わせながら使用することが肝要なのでしょう。

誤字を1文字訂正しました
[99991] 2020年 7月 17日(金)06:41:34千本桜 さん
都市の大きさ
[99990] mg さん
都市の規模や特定の地点の都会度を表す統計というのは何なのでしょうか?

はじめまして、千本桜です。
mgさんの目の向けどころが私と非常に似ているので嬉しくなり、思わず書き込んでしまいました。ただ、これからすぐに出かけるので、また後で書くことにします。DIDや商業統計については白桃さんも関心を持っておられるので、mgさんの仲間が増えて行くといいですね。
[99788] 2020年 5月 18日(月)20:34:18千本桜 さん
Re:名邑三世代.その22(新潟県・中編)
[99786] 白桃さん
これを見て、アソコが入ってない、どうして?と思われる方がいれば私は嬉しいのです。

荒い海を六日も漕いで
[99403] 2020年 4月 29日(水)07:55:00千本桜 さん
一目千本桜
年ごとに知名度が高まっている白石川堤一目千本桜ですが、今年はコロナウイルス蔓延防止のため、大河原・柴田両町は桜まつりを中止し、駐車場を閉鎖しました。4月8日頃に満開となりましたが、今はもう葉桜です。本来なら心浮き立つ春ですが、今年は重苦しい気持ちです。ゴールデンウィークですが外出を控えられ、ネットでお花見を楽しみましょう。風雪に耐え抜いた老木たちが、残雪の蔵王を背景に、圧倒的なボリューム感をもって咲き誇る一目千本桜の写真を大量にアップしました。今年撮影したものです。一目千本桜写真集2020
[99277] 2020年 3月 20日(金)08:14:32千本桜 さん
なぞなぞにはなぞなぞで
[99276] 白桃さん

どこの町長さんでっしゃろ?

かわいそうに、その町の町長は4度も叩かれているらしい。
[99184] 2020年 2月 17日(月)06:41:52千本桜 さん
ベッドタウンならぬペットタウン
私がまだシワもなく、髪の毛もフサフサ(実際はバリカンの坊主頭)していた小学生のころ、ベッドタウンや衛星都市と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは春日井市でした。ところで、沖縄県の北谷町。あれはベッドタウンなのでしょうか。行ったこともなく、知り合いもいない町ですが、イメージとしては新型のベッドタウンで、言うなれば「ペットタウン」のような気がしてなりません。bedベッドじゃなくてpetペットです。なぜペットタウンと感じるのか、書けば長くなるので止めておきますが、従来型のベッドタウンでは括りきれないような、そんなイメージでとらえています。
[99181] 2020年 2月 16日(日)21:49:50千本桜 さん
Re:広域都市圏主都市への通勤通学者数最多自治体と通勤通学度最大自治体
[99180] 白桃さん
よく考えれば意外なことではないのだけれど、一瞬意外に感じたのは、大阪市への通勤通学度最大自治体が王寺町だったことです。都市としては不名誉かも。王寺町のことは詳しく知りませんが、市に至らない町なのに、駅周辺の景観はかなり都市的で、その点ではスーパータウンの仲間だと思います。しかし、なぜか商業販売額や製造品出荷額が少ないですね。白桃さんは王寺町の中心性や拠点性をどのように評価なさいますか。
[99087] 2020年 1月 17日(金)21:40:06千本桜 さん
Re:大ムコウ(合併ウォッチャー)を唸らせる市は?
[99084] 白桃さん
宮崎県の、あの市と見間違えそうな……
町村制施行時に町になったということは、郡の中心町だったのでしょうが、そういうイメージが湧かないのは、大都市に近すぎるせいでしょうか。拠点性を感じませんね。その町を歩いたことはないけど。
[98772] 2019年 12月 29日(日)07:26:20千本桜 さん
大河原市
[98771] 白桃さん
宮城県推計人口(令和元年12月1日現在)についてでは、11月中に一番増加したのは【大河原市】になっています。訂正されないうちに、写真にでもとっておきますか…。

県内1位の人口増加はスーパータウン。これは昨夜、宮城県推計人口をチェックしていて気がつきました。しかも、ミス入力とは言え「大河原市」に昇格させていただいて非常に嬉しい! さらに、令和2年1月号「広報おおがわら」に掲載された町長の新年あいさつは「小さな町でも大きな役割を果たすスーパータウンとして、今後とも期待に応えてまいる所存です」というもので、これまた非常にに嬉しい! 「小さな町でも大きな役割を果たすスーパータウン」って、どこかで聞いたことがあるような文句だけど、千本桜の想いを町長が代弁してくれているんだね。たぶん当初は胡散臭いと思われていたであろう「スーパータウン」ですが、徐々に世間に認められつつあるようです。事実、市が2つあるのに、行政の中心も大河原町、商業の中心も大河原町、最高路線価も大河原町。このような地域に住んでいると、自治体を市と町に区別することが意味をなさなくなってしまうのです。
 
[98567] 2019年 11月 10日(日)09:57:56千本桜 さん
クイズここはどこでしょうの解答
[98555] 白桃さん
[98559] 伊豆之国さん
[98560] 稚拙さん
[98561] 駿河の民さん
クイズにおつきあいいただきましてありがとうございました。

[98554] クイズここはどこでしょうの解答です。
A焼津、B駿河湾、C静岡市、D富士山、E伊豆半島、F牧ノ原台地、G藤枝市、H焼津小泉八雲記念館

先月末、港町A市を急ぎ足で見てきました。ここはどこでしょう、A~Hに該当する名称を答えてください。

ここは港町A焼津市の町外れ。親不知を思わせる断崖の上に建つホテルのラウンジ。窓の外には雄大なB駿河湾が広がる。左端に県都C静岡市の市街地が少しだけ顔を出し、背後には10月末なのに既に冠雪したD富士山が浮かんでいる。右手に向かって長く横たわるのは、歌謡曲や映画の舞台となったE伊豆半島だ。

このホテルの従業員は良く教育されていて感じがいい。女性従業員(ベテラン風のお姐さん)にホテルの規模や施設を質問したところ、作業の手を休めて熱心に応えてくれた。このようなことを質問する客は滅多にいないはずなのに、「待ってました」とばかりに自信溢れる接客だった。ベテラン風のお姐さん、「ついてらっしゃい!」と言って説明しながら歩き出す。「はい、はい」とついて行く私。ロビー、ラウンジ、ビュッフェ、その他のパブリック施設を案内され、ホテル西側のテラスに立ち寄った。

西側のテラスからはA焼津市の市街地が見渡せる。見かけの街の大きさは、木更津より小さく館山より大きく感じた。「背後に見えるあの丘陵はお茶の栽培で有名なF牧ノ原台地ですよ」と解説してくれるお姐さん、まるで地理のティーチャーみたい。この日は訳あって、高層階の広々とした特別な部屋へ宿泊。オーシャンビュー、テレビが2台、明らかにゴージャスでワンクラス上のおもてなしである。夕食は和食会席特選料理。お造りは、本まぐろ、鉢まぐろ、真鯛に鰹叩き。港町ならではの活きのよさで美味しかった。

翌日、A焼津駅の南口まで送ってもらい、ここで同行者とさよなら。ここから先は、ひとり旅の町歩き。駅前通りのアーケード商店街を見て「嘘だろ…」と拍子抜けする。A焼津市の中心商店街なのに人の姿がない。そのうち現れるだろうと観察していたが3、4人現れてすぐ消えた。あゝ このけだるさは何だ。駅前の観光案内所に駆け込む。「A焼津市の町歩きをしたいので教えてください。見たいのはこの町を代表する商店街とこの町のヘソです」と告げると、案内所の職員さん、私の希望を的確に察知したようで、地図に記しをしてくれたくれた。

観光案内所で自転車を借り、もらった地図を頼りに駅前通り商店街を港方向へ走る。やっぱり人がいない。次に南へ折れて、昔の中心商店街だった昭和通りへ進入。アーケードを取り払い、道路をカラー舗装して景観整備をしているが、やっぱり人がいない。買い物客は県都C静岡市へ流出しているのか、それとも至近距離で隣接する同規模都市のG藤枝市に喰われているのか、気になるところである。未確認だが、A焼津市とG藤枝市を結ぶ県道沿いに張り付いた郊外型店舗へ流れている可能性が高いと感じるのだが、どうだろう。

商店街めぐりのあとは、案内所で教えてもらったH小泉八雲記念館へ。明治の文学者H小泉八雲の名を冠した記念館である。入館料は無料。記帳して拝観する。H小泉八雲が書いた怖い怪談は子供のころに知ったが、その人となりを知ったのは今回が初めてである。A焼津市とH小泉八雲の関わりも初めて知った。ヨーロッパで生まれて日本で死ぬ。H小泉八雲の波瀾万丈を知るにつれ、気持ちが重く沈んできた。あの時代に、いくつもの国を放浪した人生。理解するのは難しい。気がつけば午後2時を回っている。遅い昼食の海鮮丼を喰ってA焼津市をあとにした。
[98558] 2019年 11月 6日(水)19:59:04千本桜 さん
クイズここはどこでしょうのヒント
[98554] 千本桜
クイズここはどこでしょうのヒントです。
A市は、太平洋に面していて日本有数の漁港を抱えています。
A市は、県都C市に隣接していますが地形的に丘陵で分断されています。
F台地には、空港があります。
H記念館は、中国地方のとある県の県庁所在市にもあります。
[98554] 2019年 11月 6日(水)02:03:48千本桜 さん
クイズここはどこでしょう
先月末、港町A市を急ぎ足で見てきました。ここはどこでしょう、A~Hに該当する名称を答えてください。

ここは港町A市の町外れ。親不知を思わせる断崖の上に建つホテルのラウンジ。窓の外には雄大なB湾が広がる。左端に県都C市の市街地が少しだけ顔を出し、背後には10月末なのに既に冠雪したD山が浮かんでいる。右手に向かって長く横たわるのは、歌謡曲や映画の舞台となったE半島だ。

このホテルの従業員は良く教育されていて感じがいい。女性従業員(ベテラン風のお姐さん)にホテルの規模や施設を質問したところ、作業の手を休めて熱心に応えてくれた。このようなことを質問する客は滅多にいないはずなのに、「待ってました」とばかりに自信溢れる接客だった。ベテラン風のお姐さん、「ついてらっしゃい!」と言って説明しながら歩き出す。「はい、はい」とついて行く私。ロビー、ラウンジ、ビュッフェ、その他のパブリック施設を案内され、ホテル西側のテラスに立ち寄った。

西側のテラスからはA市の市街地が見渡せる。見かけの街の大きさは、木更津より小さく館山より大きく感じた。「背後に見えるあの丘陵は◯◯の栽培で有名なF台地ですよ」と解説してくれるお姐さん、まるで地理のティーチャーみたい。この日は訳あって、高層階の広々とした特別な部屋へ宿泊。オーシャンビュー、テレビが2台、明らかにゴージャスでワンクラス上のおもてなしである。夕食は和食会席特選料理。お造りは、本まぐろ、鉢まぐろ、真鯛に鰹叩き。港町ならではの活きのよさで美味しかった。

翌日、A駅の南口まで送ってもらい、ここで同行者とさよなら。ここから先は、ひとり旅の町歩き。駅前通りのアーケード商店街を見て「嘘だろ…」と拍子抜けする。A市の中心商店街なのに人の姿がない。そのうち現れるだろうと観察していたが3、4人現れてすぐ消えた。あゝ このけだるさは何だ。駅前の観光案内所に駆け込む。「A市の町歩きをしたいので教えてください。見たいのはこの町を代表する商店街とこの町のヘソです」と告げると、案内所の職員さん、私の希望を的確に察知したようで、地図に記しをしてくれたくれた。

観光案内所で自転車を借り、もらった地図を頼りに駅前通り商店街を港方向へ走る。やっぱり人がいない。次に南へ折れて、昔の中心商店街だった昭和通りへ進入。アーケードを取り払い、道路をカラー舗装して景観整備をしているが、やっぱり人がいない。買い物客は県都C市へ流出しているのか、それとも至近距離で隣接する同規模都市のG市に喰われているのか、気になるところである。未確認だが、A市とG市を結ぶ県道沿いに張り付いた郊外型店舗へ流れている可能性が高いと感じるのだが、どうだろう。

商店街めぐりのあとは、案内所で教えてもらったH記念館へ。明治の文学者Hの名を冠した記念館である。入館料は無料。記帳して拝観する。Hが書いた怖い怪談は子供のころに知ったが、その人となりを知ったのは今回が初めてである。A市とHの関わりも初めて知った。ヨーロッパで生まれて日本で死ぬ。Hの波瀾万丈を知るにつれ、気持ちが重く沈んできた。あの時代に、いくつもの国を放浪した人生。理解するのは難しい。気がつけば午後2時を回っている。遅い昼食の海鮮丼を喰ってA市をあとにした。
[98514] 2019年 9月 25日(水)11:44:34【1】千本桜 さん
Re:佐渡の中心はどこ?
[98513] シノレパシクソさん
今年の11月2日に「佐渡警察署」が真野に新設されるとのこと
情報ありがとうございます。佐渡旅行は旧両津市からタクシーで旧新穂村、旧畑野町、旧真野町を経由して旧小木町へ向かいました。途中、畑野を過ぎた当たりで田圃の中に新しい建物が見え、「警察署」の文字がちらっと読めたような気がしたのですが、こんな所に警察署があるはずもなく、今のは「まぼろし?」と思っているうち、一瞬にして通り過ぎてしまったのです。あれは、やはり新警察署だったのですね。新佐渡警察署の場所はここですが、「なぜ、こんな所に警察署が?」と思うような場所です。土地が簡単に入手できたこともあるのでしょうが、旧市町村間の綱引きがあったのかもしれません。できれば、市役所や消防本部とアクセスしやすい場所に建てて欲しかったと、よそ者ですが思います。

佐渡の中心はどこ?
佐渡市の人口重心は旧金井町の領域にありますが、旧佐和田町、旧真野町、旧畑野町、旧新穂村の境界付近の水田地帯の中です。人口が増加していた時代なら、そのあたりに新市街地を造成できたのでしょうが、人口減少の激しい佐渡市で、それは無理でしょう。やはり、佐渡市の機能的な中心は佐和田・金井ラインかなと思います。

現在は島全体が佐渡市になりましたが、ここに至るまでには、合併したら自町に市役所を設置するよう佐和田町が求め、合併が流れた経緯があるそうな…。そりゃ、そうですよね。佐和田に市役所を置かれたら、両津が黙っていないでしょう。合併しても、旧市町村間の住民感情は消えるはずもなく、難しい問題ですね。
[98512] 2019年 9月 23日(月)20:25:26【1】千本桜 さん
クイズにご回答いただきありがとうございます
[98500] シノレパシクソ さん
遠回りしつつも半日かけて解けました
青春時代の貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。
A市17,394某漫画の主人公
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の「両津勘吉」ですね。
B町3,858矢作
おぎやはぎですか~。思わず目尻が下がり、口元が緩んでしまいました。ご名答です。
C町7,278北陸の県庁所在地を合わせた感じ
これはちょっと残念。これだと、連想するのは♪「他人の関係」の金井克子さんになります。
D町10,343九州・近畿・東北の県名で書ける
長野県の市名(佐久)、町名(長和)、村名(宮田)から1字ずつ貰って書くこともできます。
E町9,669五十音順では相当早い
現在、あいうえお順で一番早い市は相生市、遅い市は蕨市、一番早い町村は愛川町、遅い町村は輪之内町でしょうか。

[98502] 伊豆之国 さん
A市…この市名と同じ苗字の漫画の主人公が居るのは、その昔「下総国葛飾郡亀無村」と呼ばれていたところ。
亀無村では縁起が良くないから亀有村に変更したそうですが、地名って結構いいかげん。
C町…この町には江戸時代に建立された、重要文化財の五重塔があります。
妙宣寺の五重塔ですね。ほかにも真野御陵など史跡が多い町ですが、今回は町の中央付近にある尾畑酒造だけ見学。
E町…天気予報でこの地方の代表地点は、現在もA市ではなくてこのE町。
そういうこともあり、相川の知名度は高いですね。佐渡で最初に憶えたのが両津市、二番目が相川町でした。佐和田町はその後。

[98504] とりぴー さん
C町:西の国にいる某アスリートの方が、こんな名前の方と入籍されていたかと
柴崎岳選手と入籍した真野恵里菜さんですね。どうして、あんな可愛い恵里菜ちゃんが、なぜなんだ!
D町:濁らないんですね
そうなんです。ところが、現地の人が「だ」と濁るので、私も旅行中は「さわだ」で通しました。
E町:同じ読みの町が関東の県に現存していますよね
そこは、キンキンの愛川欽也さんを思い起こさせる町ですね。ケロンパ元気でいるのかな。

[98505] デスクトップ鉄 さん
「この町(E町)は、地域の玄関口A市と商業の中心地D町を抑えて、広域行政の中心地となっているのだ」
が気になっています。江戸時代はともかく、現在も広域行政の中心地なのでしょうか。
管轄エリアとその拠点について考えるのは面白い。宮城県仙南地域は大河原町への一極集中型ですが、新潟県佐渡地域は相川、佐和田、両津さらには金井も参入して多極分散型です。その中から1つ選ぶとすると、法務局と税務署および県の地域振興局が置かれた相川が、かろうじて広域行政のセンターを保守しているように思えるのですが、不安定な立場にあるのは確かです。公共施設は、管内各地から平等にアクセスできることが重要ですから、西に偏りすぎた相川は広域行政センターとしては不適切であるのも確かです。たぶん、佐渡の役所は次第に金井・佐和田エリアに集約され、相川から消えて行くのでしょう。文章の問題ですが、現在の相川を「広域行政の中心地」と表現したのは、ちょっと不適切だったようです。例えば「相川は現在も広域行政センターの一翼を担っている」と表現した方が適切だったようですね。訂正します。下に、主な広域公共機関とその所在地を書き出します。
国:新潟地方検察庁 佐渡支部 佐和田
国:新潟地方法務局 佐渡支局 相川
国:関東信越国税局 佐渡税務署 相川
国:新潟労働局 公共職業安定所 両津
国:新潟労働局 佐渡労働基準監督署 両津
国:自衛隊新潟地方協力本部 佐渡駐在員事務所 金井
国:地裁佐渡支部 家裁佐渡支部 佐渡簡易裁判所 佐和田
県:佐渡西警察署 相川
県:佐渡東警察署 両津
県:佐渡地域振興局 相川
県:佐渡地域振興局 企画振興部 相川
県:佐渡地域振興局 県税部 相川
県:佐渡地域振興局 健康福祉環境部 相川
県:佐渡地域振興局 農林水産振興部 農政庁舎 金井
県:佐渡地域振興局 農林水産振興部 農地庁舎 新穂
県:佐渡地域振興局 農林水産振興部 水産庁舎 両津
県:佐渡地域振興局 地域整備部 相川
県:佐渡地域振興局 地域整備部 港湾空港庁舎 両津
市:佐渡市役所 金井
市:佐渡市消防本部 中央消防署 佐和田
市:佐渡市消防本部 両津消防署 両津
市:佐渡市消防本部 相川消防署 相川
市:佐渡市消防本部 南佐渡消防署 羽茂

[98508] 白桃 さん
千本桜さんの「とある地域」の衰退ぶりは、他地域と比較すると良く分かります。
人口推移を表組にしていただき、ありがとうございます。表組にすると、確かに分かりやすいですね。今回の佐渡旅行で知ったのは、両津も相川も人口激減で空き家が多いはずなのに、建物を壊さないことです。更地にすると税金が上がるため壊さないのだとか。大河原では建物を壊して駐車場にしたり更地にするので、中心街が歯抜け状態でみっともない町並みになっています。古い建物を壊すのが良いか悪いか分かりませんが、旅行者の勝手な目からすると、歯抜け状態の町並みより、古くなった建物でもいいから軒が連なっている町並みの方が良い。両津や相川の建物密度の濃い昭和レトロ満載の町並みは良かったですよ。それから、おせっかいかもしれませんが、機会があったら宿根来へどうぞ。観光客のいない時期、時間を狙って行けば非日常の世界へ入り込めます。

[98509] YASU さん
この地域、私の好物が存在せず(某有名観光地内にはその構造物が存在しているかも?)
YASUさんの好物は鉄?だったでしょうか。佐渡金山に向かう途中の道路の右側にトロッコ?の走った跡があり、トンネルなどもありました。
A市:私が小学生の頃愛読してましたが、最近まで連載が続いてました
私が小学生の頃愛読したのは「赤胴鈴之助」とか「鉄人28号」だったような…
B町:ひらがなで書くと中央線の駅名の一部
窪んでいる所ですね。
C町:東京の某市と元姉妹都市
真野町に国分寺跡があるから、国分寺市と姉妹都市でしょう。
D町:正式名は濁らないようですが…
ところが、タクシー運転手は「さわだ」と濁っていました。たぶん、地元では「た」と「だ」を気にしていない? 小生、ほんの少し佐和田には自信があったのです。佐和田の市街地は昔の河原田町であることを知っていました。そこで、タクシー運転手に河原田の現状を聞こうと思い「かわらだは…」と投げかけました。すると「かわはらだは…」と返って来ました。何十年もの間「かわらだ」だと思っていたものが「かわはらだ」だったと知り、自信はもろくも崩れたのであります。地名の読みって難しい。
E町:七瀬
相川七瀬さんですね。「七」」といえば、相川町には七浦海岸という風景の良い海岸線があります。そのなかの春日崎という所に、宿泊したホテル大佐渡があります。
[98511] 2019年 9月 23日(月)19:31:21千本桜 さん
クイズ「ここはどこでしょう」の解答
[98498] 千本桜
クイズここはどこでしょうの解答です。
A市=両津市、B町=小木町、C町=真野町、D町=佐和田町、E町=相川町でした。

両津市は佐渡の玄関口にして唯一の市である。平成27年の人口はおよそ1万3千人。昭和35年の約2万9千に比べて半分以下に減少しているのだ。かつてはDIDを形成していたが今は消滅している。人口の推移からするとボロボロの衰退都市だが、そこは「腐っても鯛」。中心街の景観に限れば、スーパータウン大河原より都会的に見える。長さ600mに及ぶアーケード商店街があり、その西側に並行する街路は飲食店街になっている。だが、両津市には大河原町にあるようなロードサイド店が建ち並ぶエリアはなく、新たな宅地開発もされていないようである。郊外に向かって拡大して行く活力が感じられないのだ。

両津市をあとにして佐渡の最南端、小木町へ。航路で新潟港と結ばれた両津港が表玄関なら、直江津港と結ばれた小木港は裏玄関かな。小木の町場から2kmほど南の風光明媚な矢島経島でグラグラ揺れるタライ舟に乗ったり、迷路のような路地に高密度で家屋が軒を寄せ合う宿根来の集落を見て回ったりした。宿根来のミステリアスで圧迫感のある景観はたまらなく魅力的。もっとじっくり時間をかけて見学したかった。だが、私はこの集落には住めないだろう。見た目の印象だが、古い因習の縛りが強そうで、苦しくなるような気がする。

小木町の次は真野湾に面した真野町へ。日本酒「真野鶴」の尾畑酒造を見学。ある年齢層のオジさんたちには、真野響子さんや真野あずささんを連想させる町だが、彼女たちと真野町は関係がなさそうである。また、真野御陵の名で知られる順徳天皇火葬塚など史跡の多い町でもあるが、御陵は四十数年前に見ているので今回はパス。

次は佐和田町である。佐和田町は古くから佐渡の商業中心地だったが、近年ますますその様相を深めている。ヤマダ電機、ケーズデンキ、モスバーガー、ミスド、紳士服の青山など一通り揃っている。日曜日には佐渡の各地から買い物客がやってくる。両津市民も買物のために佐和田町にやってくる。市から町へ買い物客が流れる現象は、宮城県の仙南地域と似ている。市と町の役割が逆転しているのだ。市制町村制など糞食らえである。

佐和田町から相川町に到着。海沿いのホテルにチェックイン。ホテルの名はホテル大佐渡。一応、佐渡ではラグジュアリーなハイクラスホテルである。窓辺にもたれて沈む夕日を眺めたあとはディナー。見つめ合う二人の瞳…といきたいのだが、窓ガラスに映っているのは自分の顔。少しもロマンチックじゃない。相川町は佐渡金山で知られた観光の町であるが、寂れ方が尋常じゃない。昭和35年の人口は1万9千人。それが今ではたった6千人ぐらい。それなのに、佐渡の玄関口「両津市」と商業の中心地「佐和田町」を抑えて、佐渡広域行政のセンターとなっているのだ。

翌朝5時半、まだ薄暗さが残るなか、レンタサイクルで朝食前の観光に出発。右は山、左は海で、わずかな平地に古ぼけた町並みが細長く伸びている。だが、埋め立て地に造成されたとおぼしき市街地を見て驚いた。税務署や法務局が入居する国の合同庁舎、県の地域振興局、警察署などのビルが建ち並んでいるではないか。限られた範囲の一角ではあるが、この景観はまさにシティである。人口6千人ほどの小さな町で、しかも地域の中央ではなく西に偏りすぎた辺境の町に、国の税務署や県の振興局が置かれているのは不思議である。でも、歴史を知れば納得できる。金山で栄えた相川町はかつて、人口5万とも10万とも云われた華やかな時代があったのだ。
[98498] 2019年 9月 20日(金)06:28:35千本桜 さん
クイズここはどこでしょう
急ぎ足で「とある地域」へ1泊2日の旅をしてきました。この地域は、平成の大合併で全市町村が合併し、現在は◯◯市になっています。そこでクイズです。下記の文に登場するA~Eを、合併前の旧市町名でお答えください。

A市はこの地域の玄関口にして唯一の市である。人口は知っているが哀しすぎて書けない。昭和35年に比べて半分以下に減少しているのだ。かつてはDIDを形成していたが今は消滅している。人口の推移からするとボロボロの衰退都市だが、そこは「腐っても鯛」。商店街にはアーケードがあり、西側に並行する街路には飲食店が張り付いている。中心街の景観に限れば、スーパータウン大河原より都会的に見える。だが、この市には、大河原にあるようなロードサイド店の建ち並ぶショッピングゾーンがないに等しい。郊外に向かって拡大して行く活力が感じられないのだ。

A市をあとに、この地域最南端のB町へ。A市が表玄関なら、B町は裏玄関かな。グラグラ揺れる舟に乗ったり、迷路のような路地に高密度で家屋が軒を寄せ合う不思議な集落を見て回ったりした。この集落のミステリアスで圧迫感のある景観はたまらなく魅力的。だが、私はこの集落には住めないだろう。見た目の印象だが、古い因習に縛られて苦しくなるような気がする。

B町の次はC町で酒蔵見学。ある年齢層のオジさんたちには「響子さん」や「あずささん」を連想させる町だが、昔の天皇の火葬塚があるので有名。火葬塚は四十数年前に見ているので今回はパス。

次はD町である。D町は古くからこの地域の商業中心地だったが、近年ますますその様相を深めている。ヤマダ電機、ケーズデンキ、モスバーガー、ミスド、紳士服の青山など一通り揃っている。日曜日には地域の各地から買い物客がやってくる。A市の市民も、このD町で買物をする。市から町へ買い物客が流れる現象は、宮城県の仙南地域と似ている。市と町の役割が逆転しているのだ。市制町村制など糞食らえである。

D町からE町へ向い、海沿いのホテルにチェックイン。一応、この地域ではラグジュアリーなハイクラスホテルである。窓辺にもたれて沈む夕日を眺めたあとはディナー。見つめ合う二人の瞳…といきたいのだが、窓ガラスに映っているのは自分の顔。少しもロマンチックじゃない。このE町は観光の町であるが、寂れ方が尋常じゃない。昭和35年の人口は1万9千人。それが今ではたった6千人ぐらい。でも、この町は、地域の玄関口A市と商業の中心地D町を抑えて、広域行政の中心地となっているのだ。

翌朝5時半、まだ薄暗さが残るなか、レンタサイクルで朝食前の観光に出発。右は山、左は海で、わずかな平地に古ぼけた町並みが細長く伸びている。だが、埋め立て地に造成されたとおぼしき市街地を見て驚いた。税務署や法務局が入居する国の合同庁舎、県の地域振興局、警察署などのビルが建ち並んでいるではないか。限られた範囲の一角ではあるが、この景観はまさにシティである。人口6千人ほどの小さな町で、しかも地域の中央ではなく西に偏りすぎた辺境の町に、国の税務署や県の振興局が置かれているのは不思議である。でも、歴史を知れば納得できる。このE町はかって、人口5万とも10万とも云われた華やかな時代があったのだ。
[97672] 2019年 5月 2日(木)14:11:27千本桜 さん
紫郡丘陵&小郡三国丘
[97667] 白桃さん

蛇足:♪教~えて欲しいの涙のワケを、は、由紀さんではなく、黛ジュンの「夕月」(1968年)の出だしです。
なぜ黛ジュンの曲がレコード大賞になったのか、それこそ、♪教~えて欲しいの、受賞のワケを~ 
想像力を働かせて勝手に推測するお遊びです。フィクションなので軽く流してください。1967年、黛ジュンは♪「恋のハレルヤ」のヒットでアイドル歌手に躍り出た。波に乗るジュンちゃん、勢い余って女王・美空ひばりに戦いを挑んだのだ。女王が発売するはずの♪「真赤な太陽」を、ジュンちゃんも発売すべくレコードプレスまでやってしまった。これが女王の逆鱗に触れ、ジュンちゃんの♪「真赤な太陽」は発売できずに、もみ消された。当時31歳の女王がミニスカートで歌うより、20歳のジュンちゃんがミニスカートで歌う♪「真赤な太陽」を聞きたいという声も多かったが、お蔵入りとなった。楽屋の片隅で一人泣くジュンちゃん。付けまつげは剥がれ落ち、アイシャドウで黒くなった涙が頬を伝う。まるでホラー顔のジュンちゃん。だが、波に乗った勢いは、どうにも止まらない。リンダにだって止められない。翌年、♪「天使の誘惑」と♪「夕月」が立て続けに大ヒット。ポップスなのに、演歌みたいにコロコロとコブシが入る不思議なビブラートで審査員を麻痺させ、レコード大賞を勝ち取ったのだ。しかし、それでもなお♪「真赤な太陽」がもみ消された悔しさは消えない。そして翌年、止めときゃいいのに女王を挑発するかのように♪「不思議な太陽」を発売。なんですか、このイントロ。♪「真赤な太陽」を彷彿させるじゃありませんか。そうだ、ジュンちゃんは♪「ハチのムサシ」になったのだ。ハチのムサシは向こう見ず、真赤に燃えてるお日様に試合をいどんで負けたのさ。その年、♪「雲にのりたい」を歌いながら空の彼方へ吸い込まれ、黛ジュンは私の視界から消えていったのです。

適当に名付けた【紫郡丘陵】は、こちらになります。
地図を拡大すればお判りいただけると思いますが、1.のエリアです。もっとも、国土地理院のDIDを表す地図は、必ずしも正確ではないことから断定するワケにはいきませんが、少なくとも小郡市の(三国が丘)は入りません。当該地域(三国が丘)に対しては、【小郡三国丘】というDID名を付けております。
私だったら「紫郡丘陵」は「筑紫・三国西部」、【小郡三国丘】は「三国」と命名します。
[97649] 2019年 4月 23日(火)19:19:10千本桜 さん
一目千本桜
[97623] 白桃さん
今年の白石川堤一目千本桜の観桜は、花見酒プラス雪見酒になってしまい、大反省の白桃です。
今年の一目千本桜は桜隠しの雪で固まってしまったのか、散りそうで散らずに満開のまましぶとく咲き続けていました。そんなこともあって、今年のお花見屋形船の乗船客は3,711人で過去最高でした。それにしても、1日違いでグリグリさんも一目千本桜見物に御出でになっていたとは奇遇です。

[97629] オーナー グリグリさん
船岡城址公園からの眺望、白石川堤防沿いの重厚な桜並木、ちょうど満開で天気も良く、素晴らしいの一言です。柴田町の千桜橋周辺は良く整備されていて気持ちが良かったです。また、大河原町の韮神堰から眺める雪化粧の蔵王連峰は、川面の逆さ蔵王と千本桜が絶妙でした。
おほめいただき嬉しいです、ありがとうございます。それまで、東北本線の線路で分断されて往来できなかった船岡城址公園と白石川堤一目千本桜が2015年、千桜橋の完成で直結し、往来できるようになりました。起伏に富んで眺望の良い船岡城址公園の桜と、平坦な土手の道に連なる重厚でダイナミックな一目千本桜を回遊できるようになり、心底喜んでいます。ただ、満開時とタイミングが合わず、葉桜になった雨の日に観光バスから降りてくる花見客を見かけると、心苦しくなってしまいます。できるなら、全国のみなさんに晴れた日の満開の桜を見て頂きたい。そんな思いを込めて一目千本桜写真集をアップしました。蔵王おろしの風雪に耐えた老木、大木たちの荘厳で量感あふれる一目千本桜をご覧ください。
[97612] 2019年 4月 4日(木)20:43:57千本桜 さん
隠れ都会
[97595] 白桃さん
「都会」の四条件をクリアしている東北の「隠れ都会」とは?

北上市でしょう。花巻、水沢より一回り小さかった黒沢尻が、昭和の合併で黒沢尻市を名乗らず、北上市を名乗って大成功。ネーミングの成功例かと思います。
[97565] 2019年 3月 7日(木)17:38:11千本桜 さん
都市の大きさ
[97561] 白桃さん
全日本DIDランキング(フライ級)を拝見しました。市制施行に至らない大河原が、あの格式高い新宮や、高い知名度を持つ留萌、根室といった都市と肩を並べている。一見、嘘のようだが嘘じゃない。DID人口だけでは真の都市の大きさが見えてこないので、「小売業集積地区小売販売額」のランキングを作って都市の大きさを比較することにします。対象となるのは、白桃さんがフライ級に掲示した大竹から札内までの11都市に中標津、船岡を加えた13都市です。

まず、都市地域の定義ですが、年間小売販売額1億円以上の3次メッシュ同士が互いに連接し(角が接していれば連接とみなす)、その連担メッシュの合計年間小売販売額が200億円を超える地域を指して都市地域とします。この条件に従うと、大竹は岩国と、大井松田は小田原と、札内は帯広と連結しているので独立した都市地域とは認められず、嘉手納(読谷を含む)は年間小売販売額が200億円未満なので、都市地域の条件を満たしていません。その結果、人口集中地区を形成し、商業機能が集積し、独立性を保ちながら地域の中心都市となっているであろう9都市(北海道の留萌、名寄、紋別、中標津、根室、宮城県の大河原、船岡、新潟県の加茂、和歌山県の新宮)が生き残りました。

上記の9都市に関してA、B、2つのデータを準備しました。
Aは「昭和45年国勢調査報告 別巻わが国の人口集中地区」と「昭和47年事業所統計調査報告 別巻人口集中地区国勢統計区編」を基礎資料にして、人口集中地区内に所在する事業所の中から金融保険業と卸売小売業を抽出し、その従業者数を人口に換算した数値です。 今から50年ほど前のデータですが、結構いい線で当時の都市の大きさを表わしていると思います。
Bは「平成26年商業統計メッシュデータ」を基礎資料にして、年間小売販売額1億円以上の3次メッシュ同士が互いに連接し(角が接していれば連接とみなす)、その連担メッシュの合計年間小売販売額を人口に換算した数値です。ですから、例えば大河原船岡71,442人とあるのは、そこに71,442人が住んでいるのではなく、71,442人分の都市の働きをしているということです。


順位都市名A・昭和40年代   順位都市名B・平成26年
1位新宮50,504人1位大河原船岡71,442人
2位留萌38,032人(大河原)35,920人
3位根室32,800人(船岡)35,522人
4位名寄32,664人2位中標津55,999人
5位紋別25,270人3位新宮34,673人
6位加茂24,688人4位根室31,309人
7位大河原13,424人5位名寄27,842人
8位中標津13,376人6位留萌25,577人
9位船岡7,592人7位紋別25,198人
8位加茂20,339人

「A・昭和40年代」のランキングは、中高齢者の方々の頭の中に染み付いている「都市の大きさ」の序列そのものではないでしょうか。当時の新宮は大きな都市で、市制施行に至らない大河原、中標津、船岡(柴田町)から見れば、全く異なる階層の都市だったはずです。それが「B・平成26年」のランキングでは、大河原、中標津、船岡(柴田町)の下位になり、都市の盛衰の激しさが感じられます。「B・平成26年」の1位は大河原船岡で、3次メッシュでは大河原町と柴田町の商業ゾーンが連接していますから、1つの都市として扱います。でも、これを分離してみると大河原町の分が35,920人、柴田町(船岡)の分が35,522人となり、全く互角の2町が連担都市地域を形成しているのが見えてきます。大河原船岡と中標津の共通点は、行政上は町なのに、近隣の市を凌ぐ活況を呈して市町逆転現象を引き起こしていることです。昭和30年代の頃、根室に強力なライバル出現と騒がれた中標津は、今では根室を凌ぐ商業都市に発展し、大河原船岡は白石市、角田市から買い物客を集める商業都市に成長しています。それにしても、新宮、留萌、根室の衰退はどうしたことでしょう。特に新宮の凋落ぶりは数字を見ていて辛いものがあります。
[97530] 2019年 2月 12日(火)01:38:06千本桜 さん
愛子さん
[97522] スカンデルベクの鷲さん
仙台市青葉区2DIDは折立・西花苑といった旧仙台市地域まで連続している
仙台に居住している身としては、誰も仙台市青葉区2DID地域を"宮城町"と呼ばないことが違和感の原因になっていると思います。個人的には"愛子"という地名がちょうど仙台市青葉区2DIDを表すにはしっくりきます。
[97523] 白桃さん
当該DIDは、2010年に「宮城落合」と「愛子」が合体したものですが、とりあえず「宮城町」にしておいただけなので、ピッタリくる名があればそれに変更したいです。
[97524] 伊豆之国 さん
ここは「準・ご当地」と言うことで、"Supertown"の住人に命名していただきましょう。
藩政時代の上愛子村と下愛子村をあわせて通称「愛子」です。落合は下愛子村の一部ですから、愛子駅から陸前落合駅一帯に広がるDIDを愛子と命名しても落合の住民は納得するでしょう。しかし、折立(西花苑を含む)地区の住民は違和感を覚えるでしょうね。元来、折立は茂庭村の一部で、愛子とは異なる村に属していました。なので、「愛子・折立」の連称も考えられますが、連称を多用するのもどうかと思います。DIDに占める折立の人口割合が20%以上なら連称。それ以下なら単独で愛子かな。たぶん、折立(西花苑を含む)のDID人口は3千人程度かと推測します。やはり「愛子」でいきましょう。もちろん、人口割合が20%基準というのは流動的で、種々の条件が加味されて変動します。

[97524] 伊豆之国 さん
場所が吉岡地区の入り口と言った位置にあり、町役場や警察・消防などの官公署や、量販店などが立ち並ぶ地域(実はこの一帯は中心市街から外れた地区にある)を通過したときの印象は、失礼ながら「単なる農村地帯の町」ぐらいといった感じで、少し先には全国チェーンのホテルもあったのですが、「果たしてそんな場所で泊まりに来る人がどれだけいるのかねぇ」と、車の中で仲間と話し合っていたりもしたのでした。
現在では、その一帯が吉岡の機能中心エリアで、昔からの中心街は寂れています。あのホテルは吉岡に必要でしょう。トヨタ関連の工場があって、人の出入りも多く、宮城県では景気の良いホットゾーンですから。

佐沼(迫町→登米市)がそんなにすごい町だったのか、と言うのも意外でした。
佐沼を見ていると、「DIDは都市地域である」という考えに矛盾を感じます。佐沼は積極的に土地区画整理事業を行い、新市街地(中江地区など)を造成して来ました。商業施設や市役所などは新市街地に立地し、今ではそこが中心街ですが、人口密度が低いせいか、DID区域には組み込まれていません。DIDに組み込まれているのは、都市機能が逃げ出してしまった旧市街地です。人口密度4,000人以上という設定が、現在の世の中に合わなくなっているようです。
[97529] 2019年 2月 11日(月)23:02:09千本桜 さん
東北DID、階級別人口チャンピオン
[97515] 白桃さん
A~Fの東北DIDチャンピョンを当ててください。

フライ級は行政人口3万未満の市町で、DID人口チャンピオンは、スーパータウン大河原
バンタム級は行政人口3万以上5万未満の市で、DID人口チャンピオンは、竹駒イナリ岩沼
フェザー級は行政人口5万以上8万未満の市で、DID人口チャンピオンは、エアポート名取
ライト級は行政人口8万以上15万未満の市で、DID人口チャンピオンは、白虎隊会津若松
ウエルター級は行政人口15万以上30万未満の市で、DID人口チャンピオンは、りんご村青森
ミドル級は行政人口30万以上?万未満の市で、DID人口チャンピオンは、わんこそば盛岡
行政人口が無いはずの中央台南(いわき市)がフライ級なのは、中央台地区全体で人口が1万2千程度だから。
また、行政人口が30万に達しない盛岡がミドル級なのは、DIDが連担する滝沢市の人口を加算しているから。
[97161] 2018年 12月 25日(火)08:25:59千本桜 さん
Re:地味で渋いDID
[97148] [97158] 白桃さん
以下のB欄にある、地味だけどちょっと渋い?5つのDID(名称は白桃が勝手につけた)には、ある共通点があります。その共通点とは何でしょうか?

該当するDIDには新しく市街化された三河上郷、瀬野川中野の名があり、該当しないDIDには古くから市街地が形成された飯坂、妹尾の名があります。そのことから、何となく方向は見えていましたが、かなり複雑な要素が絡んだ問題ですね。たぶん、酒の席でこんなクイズを出したら興ざめですが、落書き帳だからこそのハイレベル?なウルトラクイズのようです。
答はこんなことだろうと推察しています。
1・昭和35年国調ではDIDを形成していない。厳密に言うと旧町時代にはDIDを形成していない。
2・既存DIDを有している市町と合併して現行の市に組み込まれた。
3・当該DIDはすべて現行の市に移行した後に形成された。
以上のように考えましたが、私はいまだ東広島市「高屋高美丘」の件が理解できていませんが、ここで降参。
[97157] 2018年 12月 24日(月)08:19:32千本桜 さん
東広島市のDID
[97148] 白桃さん
この共通点を正解するのは、かなり難しいと思います。共通点を厳密にするため、該当しないDIDを挙げますと、飯坂DID(福島市)、妹尾DID(岡山市)、賀茂西条DID・八本松DID(東広島市)があります。

該当しないDIDに東広島市の西条DID・八本松DIDが入って、高美が丘DIDが入らないのは何故ですか? これが分からなくて足踏み状態です。
[97151] 2018年 12月 21日(金)19:38:43千本桜 さん
広島市の瀬野川中野
[97148] 白桃さん
瀬野川中野

広島県旧瀬野川町の4大字(上瀬野・下瀬野・中野・畑賀)に跨がるDIDの名称は「瀬野川」がふさわしいと感じました。瀬野川は中野を含む旧町名。中野は瀬野川に包含される地区名。当該DIDに占める中野の比重は大きいのですが、瀬野川があれば中野はなくても意味は通じると思った次第です。中野を表記することで、上瀬野から畑賀にかけて広がっているDIDの実態が見えなくなるような、そんな気がする夕日の波止場。間違っていたらごめん。
[97138] 2018年 12月 17日(月)21:48:07千本桜 さん
Re:和田(玖須美)と川奈など
[97137] ekinenpyouさん
「今昔マップ」や「鉄道停車場一覧」など、見させて頂きました。ありがとうございました。DIDに占める大字別の人口までネットで調べることができるんですね。便利な世の中になりましたが、私などは検索の仕方が分からなくて付いてゆけません。昔ながらに国土地理院図を読図して、DIDに占める人口割合を玖須美元和田30%、川奈70%と推測しましたが、大きなズレがなくてホッとしています。
[97134] 2018年 12月 17日(月)01:06:29千本桜 さん
豊田市南部のDID
[97128] k_itoさん
たとえば豊田市南部の若林駅を中心とするDIDは駅名をとるなら「若林」ですが、若林駅が代表するにはおこがましいエリアまで連坦しており、私なら「高岡」と名付けます。

私なりに、そのDID区域の名称を考えてみました。私は地図がないと前へ進めない質なので、グーグル地図をプリントしたものと国土地理院の地形図を用意しました。その地図に大字に相当する町界と町名を書き込み、DID区域をオーバーラップさせます。いちいち地形図に境界線を手書きするのは無駄な行為に見えますが、その作業をして行く中で、未知の世界である豊田市南部へ気持ちが入って行きます。当該地域では昭和43年に大字が廃止され、新しい町名に変更されたようですね。若林駅周辺のDIDは竹町、住吉町、竹元町、吉原町、花園町など、概ね10の町に跨がっているようです。10の地名を連称するわけにはいきません。自己基準ですが、許せるのは3地名までです(それでも難しい場合がある)。いったい、地元ではこの地域を何と言う名で呼び合っているのだろう。少しでも地元の人の感覚に近づきたい。そこで、豊田市の町名一覧を参照しました。すると、当該DIDは「高岡」と言う地区にすっぽり収まっていることが分かりました。これなら、「高岡」と言う名で言い表わせる。そんな思いを抱きつつ、私もこのDIDを「高岡」と名付けます。
しかし、問題が1つ発生。このDIDを「高岡」とすると、同じ高岡地区にあるこちらのDIDを何と呼ぶかです。先約があるので「高岡」は使えず、別の名で呼ばなくてはなりません。大島町と西岡町に跨がっているようです。しかも、ガップリヨツに組み合っていますから、どちらも譲れません。ここはやはり「大島・西岡」または「大島町・西岡町」の連称で行こうかなと思っています。


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