[36961][37027] じゃごたろ さん
[37013] 北の住人 さん
え~と・・・何から書けばいいのだろう。
タケミナカタに関しては、じゃごたろさんの意見に賛成ですね。
恐らくは「創作」ではなく「抹消された」のではなかろうかと。
富士文書あたりには出てくるんじゃないかなぁ・・・
まぁ、富士文書の成立時期自体の信憑性も疑問が残りますけどね。
で、と。
とりあえずあたしも じゃごたろさん に対抗して、妄想を暴走させていただきますね。
あたしは概ねの古代期における権力の流れは以下のような状況だったと推察しています。
最も古い時期に日本列島に居住していたのは、縄文人。
「熊襲・隼人」「蝦夷」などですね。たぶん、アイヌ民族やマタギ衆もその末裔ではないかと。
隼人盾の文様やアイヌの文様は、縄文土器の文様に通じるものを感じます。
この民族の源流は、おそらくポリネシア文化系に属していたのではないかと思います。
論拠の一つは岩座信仰ですね。あれは汎太平洋巨石文化の一環なのではないかな、と。
諏訪ではこの時期の権力に該当するのが「上宮」の祭神で、上宮の氏子衆が山の民である事と合致し、祖先は八ヶ岳山麓の縄文文化狩猟民=山人族であったと思われます。
「ミシャグジ神」「モレヤ」の名は、アイヌ語あたりに由来するのでしょう。
その後渡来したのが弥生人で、こちらは多分通説通り、長江下流域からの流入民ではないと思います。
弥生人の渡来は、前三世紀頃から始まったとされていますが、中国では三星堆文化や石家河文化の時代に適合します。
石家河文化は華北の夏王朝と争っていたそうなので、その戦難民が海上東方へ流出したと推定するのは考えすぎでしょうか。
この民族は、難民とはいえ先進文化と先端武術を持った民族ですから、先住の縄文文化民を容易に圧迫できたものと思われます。
但し、生活基盤が山林と平地という差が有ったため、両者は完全な衝突には至らす、生産力の差によって徐々に弥生民族が縄文民族を圧迫していったのではないかと思います。
諏訪では下宮の「建御名方神」が、権力の中心だったのではないかと思います。
日本語の漢字の音がほとんど呉音に起因するのも、その流れなのではないかな、と。
下宮の氏子衆は諏訪湖畔の、農耕民族の末裔という事になるのでしょう。
そして、後三世紀頃から朝鮮半島経由で、騎馬民族の進入が始まります。
天都神=大和政権の侵略、つまり天孫降臨です。
朝鮮半島からの進入は、たぶん数次に渡っていて、出雲政権あたりは大和政権に先行して地場を確保していたグループなのではないかと思います。
大和朝廷を朝鮮系とする論拠は、以降も朝鮮からの渡来人、蘇我氏や泰氏などを大和朝廷が重用しているあたりからも推されます。
さて、それまでの生活基盤を求めた民族の流入とは異なり、被支配者を求めての進入ですので、ここでは格的な武力抗争が発生したものと思われます。
武力を背景に各地で弥生文化民の権力者=國都神を打倒してゆきます。
しかし、生活基盤を脅かす武力権力の進入には、各地で必死の抵抗を生み、日本武尊神話は、その集積ではないかと。
さて、抵抗勢力の中でも諏訪地方では、相当に大きな力が有ったのではないかと思います。
融和した縄文人と弥生人の生産力を背景に、山岳を背景としたゲリラ戦も可能ですし、たぶん、富士=蓬莱山信仰も背景に、「呪術的力」も有ったのだろうと思います。
この時代(と、いうか近代に至るまで)、オカルト的な力は「現実」でしたから。
・・・イスラム圏の一部では、現代でも「現実」ですね。
日本武尊神話で注目すべきは、結構卑劣な手段で相手を陥れていることです。
この大きな勢力を保っていた諏訪地方に対しても、同じような手段を講じたのではないでしょうかねぇ。
まずは侵略担当者は、諏訪地方の自治を認めると言っておく。
それを中央へは「諏訪の地から外に出ないということで許した」と歪曲して報告する。
それはそのまま、中央の歴史に残されるわけで、大和朝廷にとって「都合のいい解釈」を歴史に残したというわけです。
さて、住民が油断をしたところで精神的な拠り所の諏訪大社に対しては、大急ぎで封印を施してしまう。
これでもう、諏訪神による「呪術的」援護も封じられた訳で、ここに至って諏訪の民は遂に屈したのではなかろ~かと。
さらに、「打倒できなかった権力」=「建御名方神」は、悪者として滅ぼされたと、住民にプロパガンタした、と。
で。
年月が経てば「既成事実」となって、「意味は判らないけど、そういうもの」という事になってしまって、
「建御名方神は国譲りの際に建御雷神と相撲をして敗れた」だの、封印は「外へ出ない事の証」だのとい説が成立して行くのではないかと。
しかし諏訪大明神が神功皇后の三韓征伐に神威を現したとか、坂上田村麻呂の東征の途中に諏訪に立ち寄り戦勝を祈願したなどと伝えられている様に、単に封印された神としての扱いではないような気がしてなりません。
このあたり、「征服に成功した例」として「諏訪神」が有ったものが、後にどんどん混乱して、征服=諏訪大明神という具合に混同されたのではないかなぁ。
真実であろうと創作であろうと、「諏訪大明神画詞」に記載されたということはそれだけ「もっともらしい理由」が有った筈なので。
とにかく、悪神だろうが敵の神だろうが、祭上げてしまえば善神になっちゃいます。
菅原道真が転じに転じて学問の神様に化けちゃうくらいですから、封印まで諏訪大明神、戦勝を祈祷すれば神威を現してくれるのは確実でしょう。(笑
そのあたり「呪術的思考」の世界には、現代の論理的思考では及ばない、「都合の良い解釈」がまかり通る訳です。
まぁ、真実はもはや千数百年の歴史の闇の彼方です。
真実を求めるのはもはや不可能なのかもしれません。
でも逆にそれは、真実を求めて妄想を走らせる事も許されるという事かもしれません。