被爆70年、本当に色々なことを考えさせられました。私が住んでいる地域でも、いわゆる「黒い雨」が降ったという証言があるようですが、国には正式には認めてもらっていないグレーゾーンだそうで、もし証言が本当であれば、非公式ながら妻は被爆3世、子供は被爆4世ということになる可能性もあります。
[88575]グリグリさん
風化させたくないですね。
もっともです。物心ついたばかりだった人も75歳くらいと高齢になっており、生の声を聞けるのもあとわずかですね。一方で、
NHK世論調査でも、広島在住でも原爆投下の日付が答えられない人がいるとかで風化が指摘されます。広島でよく話題になるのが、「8月6日をこんなに意識しているのは広島の人だけ」といったことですね。私も県外の学校で学んだので、あまり偉そうなことは言える立場ではないのですが、子供は広島市内の小学校に通わせていて、8月6日のことを徹底的に叩き込まれています。だけど、私は小学時代、ここまで平和教育されたっけなと。もちろん私が小学時代を過ごした西宮市も空襲があったようですが、そこまで深くは学びませんでした。なので、西宮市に空襲があった日付とか答える自信がありません。ほかの空襲を受けた都市に住む方も多くは同じなのではないでしょうか。もっとも、日付が答えられるか、というのはそんなに重要ではなくて、それよりも「何が起きたのか」を理解していたらそれでいいと個人的には思うのですが、どうでしょうか?
[88581]hmtさん
「70年不毛説」
に対する考察ありがとうございます。
[88574]にて「2、3年で雑草が生えた」と書きましたが、二階堂和美さんの「
伝える花の歌詞に、「たったひと月で花が咲いた」とありました。二階堂和美さん歌手であり僧侶であり母であるといった3つの顔を持っておられます。そういった地元を離れられない事情があり、大竹市に住みながら歌手活動をされています。大竹市といえばhmtさんゆかりの地ですね。
被曝4日後のヒロシマ、360度パノラマ写真をリンクしていただき、有難うございます。
いえいえ、私もこれを初めて見たときは衝撃的でした。よく阪神淡路大震災や東日本大震災の被災地を取り上げて「まるでヒロシマみたいな」と比較するような記事を見たことがありますが、この写真を見ると改めてヒロシマを自然災害と比較するのはナンセンスだなと感じます。欲を言えば福屋の屋上からのパノラマであれば産業奨励館も望むことができますが、爆心地に近くなるので崩れかけて屋上に登るのも危険だったのかもしれません。福屋の建物もよく見ると上層にいくに従って黒くなっています。撮影されたビルは爆心地から遠いとはいえ、安全に登れる状態で残っている数少ないコンクリート建造物だったのかもしれません。
爆心地と反対の東側を見ると猿猴川に架かる広電の軌道のぐにゃりと曲がった姿。
指摘されて気づきました。これはおそらく猿猴川ではなく、京橋川の稲荷橋ですね。橋梁部は現在と違って広電の専用橋だったのでしょうか。
[88584]じゃごたろさん
「ひばく」の「ばく」の字が違うんですよね。
私は「被爆」といえば「原爆投下による被害」という認識しかなく、焼夷弾などのイメージは沸きません。そのあたりはhmtさんの世代とは用法が異なるかもしれません。また、「被曝」といえば、「広い意味での放射能被害」という認識ですね。例えば第五福竜丸事件は原爆による核実験を起因としてはいますが、攻撃された訳ではなく「たまたま」近くで操業していたということで、「被曝」の字が使われます。
ただ、3.11以降、「被爆」と「被曝」を混同される方が目立つようになったのも事実です。広島の想いは「脱原発」ではなく「反原爆」であり、平和を願うことが市民の共通認識です。「脱原発」は広島市民の間でも議論が分かれるテーマであり、広島市に本社を置く中国電力も島根原発を抱え、上関にも作ろうとする動きがあるなど、推進派も相当数います。賛否がくっきり分かれるテーマですし、8/6の広島はそれを議論する場ではないと市民は感じています。
しかし、残念ながら原爆忌を政治利用する動きがあり、相対的に広島の想いがブレて発信されている感があります。反原発を主張する団体がデモを行ったり、
平和宣言にも反原発が盛り込まれたりと、だんだんと違う方向に向かっているなと感じています。平和に対するメッセージをすりかえて特定の団体の主張を宣伝するような政治利用はやめて欲しいですね。