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★祝★ 北陸新幹線金沢開業

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記事数=39件/更新日:2015年4月28日

2015/3/14に北陸新幹線が金沢駅まで延長開業し、名実共に 東京から「北陸」へのメインルートになります。
1998年2月長野市でのオリンピック冬季大会開催を前に、1997年10月に長野駅まで先行開業して以来、17年半ぶりの延長です。

2013年10月に列車名が発表された当時 落書き帳を賑わした記事を中心に、東京から北陸へのルートに関する記事を中心に まとめてみました。

以下、2015/4/16修正
この特集を登録した際には、金沢以東の北陸新幹線開業区間だけでなく、敦賀付近の北陸線に関する記事も含めました。
その後関係記事が多数出現し、収録洩れも発見。
見直した結果、西側部分を分割して、別特集 「畿内から北陸へ」 を立ち上げることにしました。

記事追加 2015/4/28 2件

★推奨します★(元祖いいね) EMM グリグリ あきごん BANDALGOM

記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[65380]2008年6月3日
hmt
[72069]2009年9月25日
futsunoおじ
[72160]2009年10月11日
グリグリ
[80292]2012年2月15日
futsunoおじ
[80987]2012年6月22日
futsunoおじ
[83593]2013年6月7日
futsunoおじ
[83598]2013年6月12日
YASU
[83618]2013年6月19日
futsunoおじ
[84208]2013年10月10日
EMM
[84210]2013年10月11日
ぐりゅん
[84211]2013年10月11日
takashi
[84215]2013年10月12日
グリグリ
[84218]2013年10月12日
hmt
[84219]2013年10月12日
ぐりゅん
[84220]2013年10月13日
hmt
[84222]2013年10月14日
白桃
[84223]2013年10月14日
いろずー
[84224]2013年10月14日
みのる
[84225]2013年10月14日
hmt
[84226]2013年10月14日
futsunoおじ
[84228]2013年10月15日
デスクトップ鉄
[84233]2013年10月16日
hmt
[84237]2013年10月18日
ぐりゅん
[87384]2015年3月13日
hmt
[87385]2015年3月14日
じゃごたろ
[87386]2015年3月14日
EMM
[87387]2015年3月14日
グリグリ
[87394]2015年3月14日
EMM
[87401]2015年3月15日
MasAka
[87407]2015年3月18日
EMM
[87457]2015年4月9日
グリグリ
[87459]2015年4月9日
k-ace
[87460]2015年4月10日
MasAka
[87461]2015年4月10日
hmt
[87462]2015年4月12日
futsunoおじ
[87469]2015年4月14日
グリグリ
[87471]2015年4月15日
hmt
[87478]2015年4月18日
futsunoおじ
[87479]2015年4月19日
MasAka

[65380] 2008年 6月 3日(火)21:12:03【1】hmt さん
道府県庁所在地までの東京からの所要時間(大正14年版)
[65352]の末尾で、 JTB時刻表の前身である「汽車時間表」創刊号に触れました。
せっかくなので書架から取り出して眺めているうちに、[4356] YSK さんが出題された46の道府県庁所在地までの東京からの所要時間を、この大正14年(1925)の汽車時間表で調べてみる気になりました。

公共交通機関を利用することを前提としてお考え下さい。東京からもっとも所要時間のかかる道府県庁所在地はどこでしょう?
私が大学の時に、地理の講義で講師が講義の導入部分で出題した問題です。

最初に、昭和が開幕する少し前のこの時代における、公共交通機関の整備状況を説明しておきましょう。
航空路と新幹線がないことは言うまでもありません。
鉄道の全国幹線ネットワークは、ほぼ完成していると言ってよいでしょう。
但し、四国だけは予讃線も松山まで到達しておらず、まだ局部的な鉄道路線は、ネットワークを形成する段階に至っていません。
本州でも丹那トンネル・清水トンネルは工事中で、静岡に行くのも、新潟に行くのも回り道です。

「汽車時間表」の当時の時刻制度は午前午後制ですが、便宜上24時間制(実際の採用は昭和17年11月から)に換算した時刻で記します。
また、主として博多・和歌山市・上野などの駅名や、兵庫・那覇などの港湾名を用いて記述しているので、「大阪」という同じ地名でも、東海道線と高知航路とでは場所が少し違います。

東京から西に向かう最速列車は「特急1列車」下関行です。
この列車は、まだ東京駅が完成していなかった明治45年(1912)に走り出した日本初の特別急行列車で、一等車と二等車のみ、現在で言えばグリーン車専用です。
大正14年(1925)当時は、もちろん東京駅始発となっていますが、愛称の「富士」はもっと後、昭和4年(1929)に命名されました。

東京駅08:45発のこの列車による県庁所在地駅への所要時間(例えば12時間15分を「12h15m」と記す)。
横浜38m、静岡4h35m、名古屋7h47m、岐阜8h24m、大津10h27m、京都10h39m、大阪11h27m、神戸12h15m、岡山着が23:49で所要15h04m。
深夜の03:35着の広島(18h50m)から翌日になり、08:30下関着。ここで出発から24時間を越え、関門連絡船で門司に渡り、急行1列車に連絡。博多26h36m、熊本29h15mを経て、19:35着の鹿児島34h50m。
門司からは長崎行急行と都城行に連絡、佐賀28h08m、長崎31h22m、大分29h09m、宮崎36h07m。

九州連絡が先行しましたが、本州内での連絡による所要時間を記すと、津10h45m、奈良12h45m、福井15h06m、鳥取18h35m、松江21h49m、山口22h46m。
大阪から城東線で21時過ぎに天王寺に着きますから、おそらく難波始発21:20の南海線に連絡し23:10和歌山市着14h25。

上野から北は、浦和が最速33m、前橋2h56m。両国橋-千葉は1h06m、新宿(始発は飯田町)-甲府は4h44m。
青森方面へは、常磐線の夜行急行で、水戸2h32m、仙台8h06m、盛岡12h27m、青森17h15m。
奥羽線の夜行急行は、宇都宮2h13m、福島6h13m、山形9h15m、秋田14h57m。

信越方面は、長野(深夜着の急行)6h24m、新潟12h05m。磐越線経由の新潟も12h20mで、信越線経由とあまり変りません。
北陸方面は、富山12h00m、金沢13h35m。これも夜行急行列車。金沢は東海道経由だと18h34mもかかります。

残ったのが、鉄道で行けない北海道、四国と沖縄です。
札幌への最速は、上野13:00発の急行で青森に翌朝着き、青函連絡船から函館本線を小樽経由で22:14札幌着。所要時間33h14mでした。

特急1列車は到着が遅いので、四国への連絡はなく、東京20:30の急行7列車から、翌日の連絡線で四国に渡ることになります。
高松へは、宇野線・宇高連絡船を経て16:10高松桟橋着19h40m。
徳島へも同じ急行で神戸まで行き、兵庫からの汽船で小松島に上陸。17:56徳島着で21h26m。
松山もこの列車で尾道に行き、汽船で高浜へ。伊予鉄道電気[61349] で20:15松山着。東京から23h45m。
高知となると、大阪からの夜行船便ということになり、東京を夜行で出発してから3日目の朝に着くまで2晩32h30mとなります。

那覇への船便は、鹿児島発17:00で、到着は3日目の午前と書いてあります。到着時刻を書く自信がないのですね。
これも特急からの連絡列車の時刻が遅いので、急行7列車からの乗り継ぎ。福岡県で3日目になり、その日の夕方の船で出航して、那覇到着は5日目の午前ということになります。9:30と仮定すると東京から85時間。

というわけで、殆んどが翌日(高知は翌々日)・36時間(宮崎は少し越える)の範囲内に収まる中で、足掛け5日・約85時間を要した那覇が、群を抜いた所要日数・時間でした。
2002年の時刻表を用いた[4411] YSK さんの結果を1925年の結果と比較すると、所要時間が2h40mになった那覇は、短縮時間では圧倒的な値です。
しかし、順位としては、やはり最も時間がかかる県庁所在地(の一つ)であることを保っていました。
大正14年に那覇に次ぐ45位だった宮崎が22位に躍進しているのは、空港鉄道の効果もあるのでしょう。
[72069] 2009年 9月 25日(金)22:00:27futsunoおじ さん
「関越」、「上越」
[72055] みかちゅう さん
 「関越」っていうのは高速道路が最初?

さて、新幹線が「上越新幹線」なのに対して高速道路が「関越自動車道」なのは何か理由があったのでしょうか。旧国名どうしの組み合わせ(信越)や都市名どうしの組み合わせ(名神)とは異なり、地方名+旧国名である「関越」には違和感があります。
初期の高速道路である東名・名神とも国鉄の路線名と一致させていないあたりも含め、何か対抗意識でもあったのでしょうか?


「上越」問題は落書き帳定番(?)の話題ですが言葉で説明すると、<<旧国名の組み合わせによる名称と、これとは別の地域の名称がたまたま一致してしまい、一方がその名称を使用することで相手と利害関係が発生したり利用者に混乱を生じさせる状況。>>ということになります。解決策としては、(1)双方あるいは一方がその名称の使用をやめるか、識別可能な名称にする。(2)利用者(全国民)に正しい知識を与え誤認を防ぐ。・・といったものが考えられますが簡単ではないでしょう。


JR上越線は高崎駅(群馬県)と宮内駅(新潟県長岡市)とを結ぶローカル線として誕生したもので、開通当時の「上越線」の名称は自然であったと思います。その後東京・新潟間の鉄道のメイン路線となり、上野駅で『上越線経由新潟行き特急「ときxx号」が・・・』とアナウンスされた列車が、東北本線-高崎線-上越線-信越本線を通って新潟へ行ったものです。「上越線経由」という言葉が加わるのは、かつて長野廻りの信越線の列車が存在した名残と考えられますが、新たな利用者には「上越線・新潟行き」だけが記憶に残ったかもしれません。路線名が新幹線にも使用されたことにはそんな背景も考えられます。

関越自動車道(関越道)と呼ばれているものの正式名称は「関越自動車道・新潟線」であり、上信越自動車道(上信越道)と呼ばれているものの正式名称が「関越自動車道・上越線」で、そこには上越JCTと上越ICもあることから、現在の関越道を「上越道」と命名することは考えにくいことです。「上越」の名称使用に関してはJRとJHは全く逆のようです。

「関越」という造語(?)はそれまで聞いたことがないので関越自動車道,関越トンネルが最初かもしれません。[72053] では、「関越自動車道は関東平野と越後平野をつなぐとでも解釈できる」と書きましたが現在では「上越」よりも広い範囲であると利用者に認識されているのではないかと思います。路線名称に関しては後発のJHはJRを意識しているとは思いますが路線名に「高速道路/自動車道」を付けなくとも識別できる名称を考えることは当然であると考えます。

関連ですが現在建設中の北陸新幹線の新潟県上越市内に設置する駅の名称がまだ決まっていません。JRでは利用者の混乱を考え、駅名に「上越」の名称を含めることは避ける方向と言われています。これについては上越市の市長選挙が10月に行われる予定で、現市長の交代が決まっていますので今後検討されることでしょう。
[72160] 2009年 10月 11日(日)10:51:22オーナー グリグリ
上越線経由
72069] 2009 年 9 月 25 日 (金) 22:00:27 futsunoおじ さん
JR上越線は高崎駅(群馬県)と宮内駅(新潟県長岡市)とを結ぶローカル線として誕生したもので、開通当時の「上越線」の名称は自然であったと思います。その後東京・新潟間の鉄道のメイン路線となり、上野駅で『上越線経由新潟行き特急「ときxx号」が・・・』とアナウンスされた列車が、東北本線-高崎線- 上越線-信越本線を通って新潟へ行ったものです。「上越線経由」という言葉が加わるのは、かつて長野廻りの信越線の列車が存在した名残と考えられますが、新たな利用者には「上越線・新潟行き」だけが記憶に残ったかもしれません。路線名が新幹線にも使用されたことにはそんな背景も考えられます。
私が金沢にいた当時(昭和40年代)、北陸から東京へ向かう特急や急行列車は信越本線(長野)経由と上越線経由がありました。信越本線経由が主流として扱われていた記憶があり、上越線経由に関しては時刻表に「上越線経由」と特記されていました。加えて、信越線が本線で上越線は本線でないということから、上越線はマイナーな路線というイメージでした。上越線経由の列車としては、特急「北陸」「はくたか」と急行「能登」の他に何かあったでしょうか。信越本線経由は、白山、越前、黒部あたりでしたか。現在は信越本線の軽井沢-横川間が廃止になりましたから、金沢から上野直通列車はすべて上越線経由になっています。といっても、北陸と能登だけですね。そういえば思い出しましたが、北陸新幹線(長野新幹線)工事中には、能登の運行が信越本線経由と上越線経由が混在していた時期がありましたね。注意しないと長野途中下車できない列車があったはずです。
[80292] 2012年 2月 15日(水)00:15:30futsunoおじ さん
北陸新幹線、上越市内新駅の駅名案
14日、新幹線まちづくり推進上越広域連携会議は駅名案として1位「上越」、2位「上越妙高」と一本化出来ない状態でまとめ、これを今後JR東日本に要望する事になりそうです。

JR側は上越新幹線との混乱を避ける意味で「上越」は使用しないであろうと言われていますが、地元では合併後40年を経て定着している市名を駅名にして当然という考えも強いようです。

個人的にはこれまでに候補に上がった中で「妙高高田」というのがわりと好きなんですが『高』が二つ続くという欠点があり難しいようですから、「上越妙高」を逆にして「妙高上越」だったら可能性がある気もします。JR的には「越後高田」といった名称が好まれそうですが、受ける印象は<古い・硬い>でしょうか。 (記事
[80987] 2012年 6月 22日(金)22:10:29【1】futsunoおじ さん
新潟県内並行在来線の路線名など
北陸新幹線開業後、JRから経営分離される新潟県内の並行在来線の路線名と会社名が決まったようです。(記事
信越線 直江津-妙高高原 は「妙高はねうまライン」、北陸線 直江津―市振 は「日本海ひすいライン」、会社名は「えちごトキめき鉄道株式会社」とのことです。

なお北陸新幹線の上越市内駅名については、地元ではひとつに絞れなかったことで「上越駅」と「上越妙高駅」の2案を基にした駅名をJRに要望しています。(5月30日記事

以前に新潟には動物園がない(あるいは政令指定都市で動物園がないのは新潟市だけ(?))との書き込みがあったような気がしますが、このたび「にいがたに動物園をつくる会」が設立され、署名活動を始めたとのことです。 (記事

もうひとつ、JR以外に鉄道や路面電車がない新潟市で26年度、市中心部にBRT導入を決めています。一般通行用の2車線を減らして専用バスレーンによる運行のようですが、今ひとつイメージが湧きません。(2月13日記事
[83593] 2013年 6月 7日(金)20:47:30futsunoおじ さん
北陸新幹線の駅名決定
2015年春に開業する北陸新幹線の新設駅が、「上越妙高駅」(上越市)、「黒部宇奈月温泉駅」(黒部市)、「新高岡駅」(高岡市)となりました。 (記事
在来線併設駅はそのままで長野駅から先が「飯山駅」、「糸魚川駅」、「富山駅」、「金沢駅」です。
なお黒部宇奈月温泉は新幹線の駅名の読み仮名数(11文字)で日本一長い駅名になるようです。
[83598] 2013年 6月 12日(水)19:36:49YASU さん
駅名ほか
[83593] futsunoおじ さん
2015年春に開業する北陸新幹線の新設駅
「黒部宇奈月温泉」はちょっと長い駅名ですね。「黒部宇奈月」でもいいような気もしますが。どうしても温泉をアピールしたかったのでしょうね。富山地鉄も同じ場所(交差)に駅を新設するようですが、同名の「黒部宇奈月温泉」だと富山方面からの乗客が誤って降りてしまうかも。以前京成電鉄千葉線にあった「国鉄千葉駅前」駅のように「黒部新幹線駅前」駅とかになったら面白いです。
先日函館に行ってきたのですが、北海道新幹線もかなり出来上がっていました。こちらの終点は(仮称)「新函館」駅ですが、北斗市内にあるので一筋縄ではいかなそうです。北陸新幹線の(仮称)「上越」駅が「上越妙高」駅になったことにヒントが隠されていそうです。「函館北斗」ならイメージ的にもいいですね。

[83597] 淡水魚 さん
なぜか上り線を下り方向に進みながら
工事の際は他の列車が入ってこないようにその区間(駅と駅の間だったり、信号と信号の間だったり)の入口の信号を赤にしているはずです(線路閉鎖といいます)。
その場合作業車はどちらに進むこともできます。
蛇足ですが日本の場合、複線区間のほとんどは列車の進む方向がどちらか一方に固定されていますが、関門トンネルの区間はどちらにも走れるような信号システムになっています。
海外の場合、どちらでも走れる複線区間が多いようで、下り線を走っている遅い列車を特急列車が上り線を逆走して追い越すこともあります。スイスと台湾で経験しましたが、最初は反対列車とぶつかるんじゃないかと内心ひやひやしました(笑)。
[83618] 2013年 6月 19日(水)23:17:28【1】futsunoおじ さん
北陸新幹線の乗員交代は長野駅
新設駅名[83593]が先日決まりました2015年開業の北陸新幹線ですが、JR東日本/JR西日本に跨がる路線であることから乗務員の交代が両社の接続駅である上越妙高駅ではとの説もありましたが、両社の合意で長野駅での交代になるようです。(記事
これについては上越妙高駅建設時の設計図でホームと車体の間隔が高速で列車が通過できる設計である事が問題になり、県内1駅に全列車停車を主張する新潟県の建設費追加負担支払い拒否の一因にもなったと記憶してます。


新潟県では北陸新幹線の開業により上越新幹線の地位低下を問題視していますが、以下に両新幹線の沿線人口を高崎駅から先について大雑把にまとめてみました。新幹線沿線に住んでいる人が東京方面へ往来する場合の利用駅という想定です。
(北陸新幹線は高崎-金沢間が345.4km、上越新幹線は高崎-新潟間が192.2km)

  駅 名人 口  該当市町村
安中榛名駅60,206(安中市)
軽井沢駅34,382(軽井沢町,御代田町)
佐久平駅174,450(小諸市,佐久市,小海町,佐久穂町,立科町,長和町)
上田駅247,794(上田市,千曲市,青木村,麻績村,筑北村,坂城町)
長野駅531,386(長野市,須坂市,中野市,小布施町,高山村,山ノ内町,信濃町,小川村,飯綱町)
飯山駅33,311(飯山市,木島平村,野沢温泉村,栄村)
上越妙高駅235,698(上越市,妙高市)
糸魚川駅4,6438(糸魚川市)
黒部宇奈月温泉駅125,441(黒部市,魚津市,入善町,朝日町)
富山駅598,971(富山市,滑川市,射水市,舟橋村,上市町,立山町)
新高岡駅358,351(高岡市,氷見市,砺波市,小矢部市,南砺市)
金沢駅1,162,953(石川県全域)
北陸新幹線 合計3,609,381   【群馬県を除くと長野県の48%、新潟県の12%、富山県と石川県の100%の人口】

  駅 名人 口  該当市町村
上毛高原駅90,475(みなかみ町,沼田市,高山村,片品村,川場村,昭和村)
越後湯沢駅136,872(湯沢町,南魚沼市,十日町市,津南町)
浦佐駅76,875(魚沼市,小千谷市) ※駅の所在地は南魚沼市
長岡駅420,447(長岡市,柏崎市,見附市,出雲崎町,刈羽村)
燕三条駅232,093(三条市,燕市,加茂市,弥彦村,田上町)
新潟駅1,198,669(新潟市,新発田市,村上市,五泉市,阿賀野市,佐渡市,胎内市,聖籠町,阿賀町,関川村,粟島浦村)
上越新幹線 合計2,155,431   【群馬県を除くと新潟県の88%の人口】
[84208] 2013年 10月 10日(木)19:00:07【1】EMM さん
北陸新幹線
もうあちこちで紹介されてますが、北陸新幹線の列車名が発表されました。
http://www.shinkansen-name.jp/sp/announce.html

東京~金沢間の速達タイプが「かがやき」、同普通タイプが「はくたか」、富山~金沢間シャトルタイプが「つるぎ」、そして現・長野新幹線タイプはそのまま「あさま」。
金沢に来るのはすべて北陸本線の新旧特急名になりました。
「かがやき」「つるぎ」は復活。
[84210] 2013年 10月 11日(金)21:40:04ぐりゅん さん
Re: 北陸新幹線
[84208] EMM さん
かつての〈かがやき〉は長岡で上越新幹線に接続する特急でしたから、東京行き速達列車にふさわしいネーミングですが、由緒ある〈はくたか〉が各停になったのは九州の〈つばめ〉同様ちょっと寂しい感じもします。
ところで〈つるぎ〉って金沢に停まってましたっけ?
[84211] 2013年 10月 11日(金)22:36:23takashi さん
Re: 北陸新幹線
[84208] EMM さん
[84210] ぐりゅん さん

私個人的には「白山」あたりを希望していたんですけどね.
長野廻りの金沢行きということで.
音読みなのが嫌われたんですかね?

あと「つるぎ」は金沢だけでなく富山にも止まらなかったようです.
まあ,大阪と新潟を結ぶことを考えると仕方がない気はしますが.
[84215] 2013年 10月 12日(土)09:24:23オーナー グリグリ
Re:北陸新幹線
[84208] EMMさん
東京~金沢間の速達タイプが「かがやき」、同普通タイプが「はくたか」、富山~金沢間シャトルタイプが「つるぎ」、そして現・長野新幹線タイプはそのまま「あさま」。
金沢に来るのはすべて北陸本線の新旧特急名になりました。
「かがやき」「つるぎ」は復活。
決まりましたね。1988年~1997年に金沢-長岡間で運行されていた「かがやき」は、私にはまったく馴染みがなかったのですが、元々名前には加賀を引っ掛けているんですかね。私もどちらかと言うと「白山」に惹かれていましたが、ひらがな呼称だと「はくさん」よりも「はくたか」の方がクールかもしれません。それにしても、いよいよ北陸新幹線も秒読み段階に入って来た感じです。

加賀と言えば、単一部首として「加賀」も気になりますね。部首は「力」と「貝」ですが。
[84218] 2013年 10月 12日(土)19:05:45hmt さん
再登場する 特急「かがやき」
[84208] EMM さん
東京~金沢間の速達タイプが「かがやき」
[84210] ぐりゅん さん
かつての〈かがやき〉は長岡で上越新幹線に接続する特急でしたから、東京行き速達列車にふさわしいネーミングです
[84215] グリグリさん
1988年~1997年に金沢-長岡間で運行されていた「かがやき」は、私にはまったく馴染みがなかったのですが、元々名前には加賀を引っ掛けているんですかね。

「かがやき」の加賀由来説。言われてみれば「なるほど」。

1988年の「一本列島」 ダイヤ改正で登場した上越新幹線連絡特急「かがやき」は、同時に登場した東海道新幹線連絡特急「きらめき」と 対になる名称 であると受け止めていました。

いずれも、同区間を走る「北越」や「しらさぎ」・「加越」などに比べて停車駅を少なくした速達列車として登場しました。

2往復で始まった「かがやき」は、好評だったとみえて 5往復まで増えました。
しかし、1997年3月22日に 北越急行「ほくほく線」が開業すると、上越新幹線東京方面と北陸地方との間の列車は、越後湯沢で連絡する特急「はくたか」にその座を譲ることになり、「かがやき」は 9年間でその役目を終えました。

2015年春の北陸新幹線長野・金沢間開業開業時に、「かがやき」が 18年ぶりに再登場し、東京-金沢間を 約2時間半で直結することになるのですね。

余談ですが、「きらめき」は、その後 停車駅が増加し、1997年には「加越」に統合されて名称も消えました。
その「加越」も、現在は「しらさぎ」に統合されています。
JR西日本が使わなくなった「きらめき」の名は、現在では JR九州の特急として使われています。
[84219] 2013年 10月 12日(土)20:22:01ぐりゅん さん
Re: 再登場する 特急「かがやき」
[84218] hmt さん

〈はくたか〉vs〈かがやき〉はなかなかおもしろい経緯がありますね。
〈はくたか〉は、かつては上野-金沢を上越線経由で直通する在来線特急だったものの、上越新幹線開業とともに廃止されました。
一方初代〈かがやき〉は、上越新幹線長岡から金沢への速達便として登場しましたが、ほくほく線の開業により廃止され、そのほくほく線を経由する特急として〈はくたか〉の名称が復活しました。
今度、北陸新幹線の開業時には速達列車として〈かがやき〉が復活し、〈はくたか〉は消滅はしないものの下位の各停便になります。
抜きつ抜かれつの展開はこのあたりで幕を閉じ、両者とも新幹線特急の名称として末永く続くのでしょうか。
[84220] 2013年 10月 13日(日)23:25:05【1】hmt さん
東京・金沢間の 鉄道所要時間 (1)在来線の時代
[84218] hmt
2015年春の北陸新幹線長野・金沢間開業開業時に、「かがやき」が 18年ぶりに再登場し、東京-金沢間を 約2時間半で直結

この機会に、手持ちのデータにより、東京・金沢間の鉄道所要時間を調べてみました。
同一ルート内に複数の便がある場合は、所要時間が最短になるものを選んだつもりですが、見落としなどあればご容赦ください。

金沢に鉄道が開通したのは明治31年(1898)4月でした。
それから間もない明治31年8月の汽車汽船旅行案内があったので、それから始めます。
それによると、新橋1800発【注】の急行が 翌朝0654米原着。0654発の北陸線に乗り継ぎ1352金沢着で、所要時間19時間52分。1904年には富山まで線路が延び、金沢までの所要時間も40分短縮。
【注】
原文はもちろん午前午後表記ですが、以下すべて24時間表記に改めて記します。

大正2年(1913)になると 北陸線が直江津まで全通し、東海道線・米原経由の西ルートの他に 信越線・直江津経由の東ルートで 金沢に入る鉄路が開けました。

大正4年(1915)2月の 三本松の時刻表[76900] を見ると、西ルートは、前年にできた 東京駅0800発の下関行特急から米原乗換で 金沢着が深夜の0110で、所要時間17時間10分。
これに対して、東ルートは 上野2200発新潟行で、翌朝0801直江津着。北陸線乗換で1432金沢着。所要時間は 16時間32分で優位に立ちました。昼行便や直行便(福井行)もあり、新しい東ルートが優勢となっている様子です。

丹那トンネルが開通した昭和9年(1934)12月の 鉄道省編纂汽車時間表(JTB)[21049]
東京発1030金沢行という 昼行の直通急行ができ、2357金沢着までの所要時間13時間27分。
東京発2200の夜行列車となると、急行でももっと遅く、米原経由で1310金沢着と15時間10分。
この急行列車は 上野行きです。引き続き金沢発1317、信越線経由で翌朝0505上野着。15時間48分。

第二次大戦を経て、戦後の1952年12月時刻表[51787]。 この時には 東京発0900の特急「つばめ」が 米原に停車1524し、大阪始発の急行「北陸」と接続したので、1954金沢着までの所要時間は10時間54分。
この急行「北陸」は 金沢発2003の夜行列車となり、東ルート(従来と違い上越線経由)で0722上野着。所要11時間19分と、かなり健闘しています。

この後 昭和30年代になると、鉄道の電化・ディーゼル化が進展し、また1962年北陸トンネル開通[61344]のようなルート改良も実施されたので、東京金沢間所要時間も次第に短縮したはずです。

具体的には、1961年10月に全国で走り始めた ディーゼル特急網で、日本海縦貫線を昼行で走り抜ける「白鳥」が誕生しました。
この列車は大阪・青森間の編成と 大阪・上野間の編成【通称:信越白鳥】とを連結しており、直江津で分離していました。

残念ながらデータの手持ちがなく、信越白鳥の金沢・上野間の所要時間について 具体的な数値を示すことができないのですが、1965年に この信越白鳥が分離独立して誕生した 「はくたか」のダイヤから推測すると、金沢発1230前後で2030前後に上野着、つまり 東ルートの所要時間は、8時間程度に達していたのではないかと推測します。

東京と金沢とを結ぶ鉄道の所要時間は、19世紀末の約20時間から、60数年後【現在から見れば50年前】には約8時間まで短縮したものと思われます。

【追記】
最後の部分を[84224] みのる さんに補っていただき、感謝。
ついでに、冒頭の記事番号誤記を修正。
[84222] 2013年 10月 14日(月)08:15:38【1】白桃 さん
北陸新幹線長野・金沢間開業とストロー効果
金沢まで新幹線が伸びると、「ストロー効果」によって金沢や富山のモノ・カネが東京に吸い取られやしないか、地元ではそういうことをとっくの昔から危惧する声があがっていると思うのですが、果たしてどうなんでしょう?
そもそも、「ストロー効果」という名称からして大都市サイドに立ったネーミングじゃないかと、であるからして、別名の「ストロー現象」を使用したいです。
ま、それはそれとして、この「ストロー現象」で思い浮かべるのが、瀬戸大橋開通後の岡山市と高松市の関係です。
「コップ」側になると想定された高松は、鉄道路線が盲腸的になったこともあり、少々影が薄くなりましたが、健闘しているのではないでしょうか。
一方、「口」側になると想定された岡山は、物流基地、流通拠点として中四国では広島を凌ぐほどになったとはいえ、その恩恵は予想を下回る結果ではなかったでしょうか。
瀬戸大橋開通の影響は新幹線の比ではありません。それでもこのような結果に終わったのは、(岡山)関脇VS(高松)小結ぐらいの関係だったからでしょうか。それと、忘れてはならないのが、この後に続く明石・鳴門ラインの開通です。これによって、徳島が四国の玄関(少なくとも裏木戸、勝手口程度ではない)として台頭、というか、高松が西の横綱である大阪市に飲み込まれようとしています。これによって、高松と“良き関係”を保ってきた岡山もだんだん翳りを見せ始めています。大阪の吸引力の強いストローの中にひっかかって詰まっているのが(十両)東かがわ市でありまして、これは尿管結石ではありませんので取り除かないようにお願いします。(笑)
話がだんだんそれだしましたが、“力”の差が大きいと当然、ストローの吸引力は大きくなるのでしょう。

それと、“通過地”になってしまう、長野市も複雑ですかね?
新幹線と比べて、ず~うっとマイナーになりますが、徳島県の牟岐町、牟岐線が頭の中をよぎります。
牟岐は明治の町村制施行以来今まで合併等変遷の無い町ですが、1950年国勢調査人口が10,521人と県下4位の人口を誇っていました。この頃は牟岐線の終着駅として運送業はじめ町全体が比較的順風だったと考えます。しかし、1973年に海部まで牟岐線が延伸し、1984年に牟岐線貨物部門が廃止されるなど、逆風が吹き荒れ、今や4,463人(2013年9月1日現在推計人口)と県下3位(当然、下から)となってしまいました。
もう少し詳細な数字と説明が必要ですが、長くなり疲れましたのでこのあたりでいったん終了します。
[84223] 2013年 10月 14日(月)12:24:19いろずー さん
正直ちょっとどうでSHOW
すっかり遅くなってしまったがこの話題

[84208] EMM さん
[84210]ぐりゅん さん
私的に今度こそ「あさひ」復活を祈ってたんですけどね…
それか「しんきろう」あたりかと思ってたわけで。

[84208] EMMさん
東京~金沢間の速達タイプが「かがやき」、同普通タイプが「はくたか」、富山~金沢間シャトルタイプが「つるぎ」、そして現・長野新幹線タイプはそのまま「あさま」。
金沢に来るのはすべて北陸本線の新旧特急名になりました。
「かがやき」「つるぎ」は復活。
正直最速に「かがやき」は…(既に焼き物を連想したので)
「はくたか」はグレードアップするものの
現行の「はくたか」が走るほくほく線は廃止にならないかが心配ですね。

なぜ「あさま」なのかも納得いかないのですが
また「つるぎ」のイメージもなく現行の「サンダーバード」か「らいちょう」
さらには「フェニックス」かもしれないと考えていたので


と、いうわけで予想がこんな感じにしてたいろずー。

最速タイプ「しんきろう」か「はくたか」
総合タイプ「はくたか」か「あさひ」
シャトル「サンダーバード」か「らいちょう」か「フェニックス」
現・長野「はくたか」か「あさひ」か「アルプス」

好評批判待ってます。
[84224] 2013年 10月 14日(月)17:45:00みのる さん
Re:東京・金沢間の鉄道所要時間
[84220] hmtさん
残念ながらデータの手持ちがなく、信越白鳥の金沢・上野間の所要時間について 具体的な数値を示すことができないのですが、1965年に この信越白鳥が分離独立して誕生した 「はくたか」のダイヤから推測すると、金沢発1230前後で2030前後に上野着、つまり 東ルートの所要時間は、8時間程度に達していたのではないかと推測します。
僭越ながら、私の手元に復刻版時刻表が揃っているので補足させていただきますと、1961(昭和36)年10月のダイヤ改正で登場した特急「白鳥」の上野編成の発着時刻と所要時間は次のとおりでした。
金沢1219 → 2035上野(8時間16分)
上野0850 → 1659金沢(8時間09分)

お話の続きを楽しみにしております。
[84225] 2013年 10月 14日(月)20:21:15hmt さん
東京・金沢間の 鉄道所要時間 (2)新幹線の登場
[84224] みのる さん
1961(昭和36)年10月のダイヤ改正で登場した特急「白鳥」の上野編成の発着時刻と所要時間は次のとおりでした。
金沢1219 → 2035上野(8時間16分)
上野0850 → 1659金沢(8時間09分)

[84220]の欠落部を補っていただき、有難うございます。
戦後の時刻表は復刻版を全く所持しておらず、たまたま手元にある号だけに頼り、データ不足のまま記しているので、満足できる記述になっておりません。
本件以外についても、適宜コメントしていただければ幸いです。

それでは、[84220]に続き、19世紀末以来 115年になる東京・金沢間の鉄道所要時間を、手持ちの時刻表で追います。

昭和39年10月1日、東京オリンピック開催の直前に 東海道新幹線が開業しました。
これも、開業当時のデータが不足していますが、3年後の昭和42年(1967)10月、JTB時刻表500号[51787]があるので、新幹線・北陸方面連絡のページを調べましょう。

東京1605発のこだま131号が1917米原着。第2雷鳥に乗り継いで2147金沢着ですから、所要時間5時間42分。案内されていませんが、1630発のひかり33号から乗継できるので、最短 5時間17分になります。

東ルートはというと、ディーゼル時代の日本海縦貫特急「白鳥」が併結していた上野発着の編成[84220][84224]【通称:信越白鳥】から分離独立した 上野発金沢行 ディーゼル特急「はくたか」(初代)が掲載されています。
上野0740発1528金沢着で、7時間48分という所要時間は、新幹線の威力を誇る西ルートに 2時間半の差をつけられており、完敗です。

この列車は信越線の難所・碓氷峠[75646]を通ります。その筋では「横川・軽井沢間」略して「横軽」と通称された区間です。
ラックレールのアプト式は 70年使われた後 1963年に既に廃止され、1966年には急勾配ながらも 複線化が実現していました。
この区間では気動車の動力を使わず、3両の電気機関車に支えられながら、急坂を上下していたのでした。

手間と時間がかかり、編成長も7両に抑えられていた 横軽越えの「はくたか」。このハンデを克服したのは、1969年 上越線への経路変更でした。この年、直江津・糸魚川間を最後に 北陸線の全線が電化されたのです。当然、車両も長編成(11両、後に12両)の電車に変更されました。これが、[84219]で ぐりゅん さん が紹介された2代目の「はくたか」です。

1977年3月の時刻表で確認すると、電車になった「はくたか」の上野・金沢間所要時間は 6時間27分。
もっともこの時代(1972年以降)になると、信越線碓氷峠でも横軽協調運転が実現しました。
12両編成で 所要時間【白山3号、6時間36分】も見劣りのしない電車特急 「白山」が上野・金沢間に3往復も運転され、東ルート内でも信越線がメインルートの座を回復しています。

なお、この1977年3月時刻表を見ると、西ルートに 米原停車の「ひかり」が出現しており、東京1712 ひかり181号から 米原で加越5号に乗り継ぎ、2156金沢着。所要時間は4時間44分と、遂に5時間を切っています。

東京から金沢に至る鉄道の所要時間は、明治31年 米原を経由する西ルートの 約20時間から始まりました。
大正に入って北陸線が全通すると、最初は距離の短い東ルートが優勢かと思われましたが、大幹線である東海道の実力は なかなか侮り難いものがあり、戦前を代表する 昭和9年のダイヤにおける最短は、西ルート経由でした。
そして、東海道新幹線の登場により、西ルートが決定的な優位に立ったように思われました。

東ルートが劣勢を覆す手立ては、やはり新幹線です。2015年の北陸新幹線は その本命ですが、その前に 上越新幹線や ほくほく線 などの新線を利用した 東ルートの時間短縮が行なわれました。

上越新幹線は 中山トンネルの出水など難工事で 開業が遅れましたが、1982年大宮始発で暫定開業し、東ルートの復活は、ここから動き出しました。

国鉄民営化を目前にして「JNR編集時刻表」というタイトルを付けた 弘済出版社発行 1987年4月号時刻表。
既に東西両ルート共に新幹線乗継の時代に入っており、金沢までの所要時間は僅差になっています。
西ルートが、東京1116発の ひかり261号・加越5号乗継で 1545金沢着(4時間29分)。
東ルートが、上野1610発の あさひ303号・北越8号乗継で 2045金沢着(4時間35分)。

青函トンネルと瀬戸大橋で 四大島の鉄道が 一本に繋がった 1988年3月時刻表。
東京・金沢間の所要時間については、東海道新幹線連絡「きらめき」 vs 上越新幹線連絡「かがやき」 の対決となり、東ルートが僅かに西ルートを抑えて逆転しました。
西ルートが、東京1844ひかり355号・きらめき 金沢2303で4時間19分
東ルートが、上野1916あさひ3号・かがやき4号 金沢2326で4時間10分

1997年3月22日 北越急行 ほくほく線が開業し、上越新幹線と北陸地方とを連絡する3代目「はくたか」が誕生しました。
1998年12月に ほくほく線内の最高速度が 150km/hになった後 の状況を示す 2001年10月時刻表。
西ルートが、東京1437 ひかり159号・しらさぎ11号 金沢1905で 4時間28分
東ルートが、東京2008 あさひ3号・はくたか20号 金沢2353で 3時間45分

現在の数字をざっと見ると、西ルート4時間18分、東ルート3時間51分というような値が得られ、上越新幹線・ほくほく線経由「はくたか」の東ルート優位の大勢は変わっていないようです。

「はくたか」の変遷という視点では、1965年の初代(信越線経由気動車)、1969年の2代目(上越線経由電車)、1997年の3代目(ほくほく線経由電車) に続いて、2015年の4代目(北陸新幹線)登場[84208] ということになります。
[84226] 2013年 10月 14日(月)21:05:22futsunoおじ さん
今日は 体育の日ですが、鉄道の日 でもあります
北陸新幹線列車名決定に関する話題が多い様ですが、新幹線の列車名を分類してみました。

・光系: ひかり、▲あさひ、△かがやき
・音系: こだま、やまびこ
・鳥系: はやぶさ、とき、つばさ、つばめ、△はくたか
・花系: さくら
・山系: あさま、たにがわ、△つるぎ (下の「地域系」の一部とも言えます。)
・地域系: こまち、なすの、▲あおば
・その他: はやて、のぞみ、みずほ
(▲は過去に使われた名称、△は今後に使われる名称です)

スピード感を印象づけたい名称、未来志向の名称が選ばれている様に思います。一方で新幹線以前の在来線特急からの継承と、別の路線で使われていたものや新規の名称という分類もできるでしょう。


少し前にJR西が「たてやま(立山)」と「つるぎ(剣,剱岳)」を(商標?)登録しているとの新聞記事がありましたので北陸新幹線は山岳名称が多くなるのではと期待をしましたが、白山と立山の横綱級は落選するという波乱の結果になりました。
[84228] 2013年 10月 15日(火)18:20:16デスクトップ鉄 さん
東京・金沢間の 鉄道所要時間 1964-1966
[84225] hmt さん
昭和39年10月1日、東京オリンピック開催の直前に 東海道新幹線が開業しました。
これも、開業当時のデータが不足していますが、3年後の昭和42年(1967)10月、JTB時刻表500号[51787]があるので、新幹線・北陸方面連絡のページを調べましょう。
それでは、手元にある64年、65年と66年の10月号でこの間を補います。
1964/10/11965/10/11966/10/1
東京06:00ひかり110:00ひかり1716:30ひかり33
名古屋08:2912:2718:30
08:45こだま20712:50こだま11318:46こだま127
米原09:2913:3319:18
09:37白鳥13:57雷鳥19:25第2雷鳥
金沢12:1216:2121:50
下り(6:12)(6:21)(5:20)
金沢16:00越山16:44白鳥16:42白鳥
米原19:0219:1319:13
19:28こだま12419:32こだま13019:20こだま134
名古屋20:1320:1019:50
20:28ひかり2620:28ひかり3820:06ひかり46
東京23:0023:0022:10
上り(7:00)(6:16)(5:28)
64年10月号には特急「雷鳥」と特急「しらさぎ」の時刻も記載されていますが、ともに運休中との表示。上りの「白鳥」は金沢発17:05で東京行きの最終「ひかり」に接続せず、唯一の電車急行「越山」が最速でした。
65年は「白鳥」の米原発時刻が早まり、東京発6:00の「ひかり1」では間に合わず「雷鳥」となったが、接続時間の関係で9分伸びた。一方上りは、「白鳥」が最終「ひかり」に接続したため、44分の短縮。なお、ここまでは「ひかり」が東京・新大阪間4時間の時代。1か月後の11月1日に3時間10分運転となりますが、11月号は持ち合わせていません。
66年10月は、下り「第2雷鳥」、上り「白鳥」が最速。米原での乗継時間により差が出たもの。新幹線のスピードアップにより、大幅に短縮となりました。
信越線経由は、64年は「白鳥」が上野・金沢間下り7:56、上り8:04。65年上野発着の「白鳥」を「はくたか」として分離、所要時間はそれぞれ7:50、8:00と若干短縮。66年は「はくたか」のダイヤに変更がありませんでした。
[84233] 2013年 10月 16日(水)14:57:54hmt さん
東京・金沢間の 鉄道所要時間 (3)1934年の訂正
昭和9年12月の時刻表は、特急「つばめ」がこの区間を8時間に短縮した昭和戦前期の画期的なダイヤでした。

[84220]において“東京発1030金沢行という 昼行の直通急行ができ”と記したのは、これが影響したのでしょうが、これは間違いでした。この急行は下関行きで、連絡する金沢行きは急行ではなく、所要時間も西ルートでは最速でしたが、東ルートの直通急行には負けていました。

正しい最速データを記すと、上野2255発の信越線経由で、0810金沢着。11時間15分です。
この記事では、下り列車主体で記していますが、参考までに上りを記すと、金沢1915発>0700上野着で、11時間45分。

というわけで、[84225]に記した“戦前を代表する 昭和9年のダイヤにおける最短は、西ルート経由”も誤りですので、取り消します。

少し遡り、大正14年(1925)4月のJTB時刻表第1号を見ると、金沢行きの最速列車は、やはり上野発1900の東ルート直通急行金沢行きでした。835着で、所要時間13時間35分。

[84228] デスクトップ鉄さん
1961-1966年のデータ、ありがとうございます。

私のPCに電源が入らず、難渋しております。
[84237] 2013年 10月 18日(金)20:25:57ぐりゅん さん
Re: ストロー効果
[84222] 白桃 さん
東京(都心側)に吸い取られるだけでなく、地方側が吸い寄せる効果も大きいですよ。
東海道山陽新幹線の存在は、巨大都市圏の中間にある静岡や山陽地域を日本海側より経済発展させる礎になりました。
東北・上越新幹線にしても、支店経済だった仙台や新潟を潰すどころか(ミクロではマイナスもあったでしょうが)新幹線がない地域との格差をさらに広げ、山形、秋田が「ミニ」でいいから早く引けと要望を出すにいたりました。

細かく調べないと何とも言えないのはその通りで、吸うか吸われるかは一筋縄ではいかなそうですね
[87384] 2015年 3月 13日(金)22:35:36【1】hmt さん
北陸新幹線金沢開業関連
2015/3/14に北陸新幹線が金沢駅まで延長開業し、名実共に 東京から「北陸」へのメインルートになります。

この機会に、hmtマガジンの特集 ★祝★ 北陸新幹線金沢開業 を作りました。
2013年10月に「かがやき」など列車名が発表された当時の記事が中心ですが、新幹線とは直接関係のない北陸本線に関する記事の一部も収録しました。

さて、新幹線開業の陰で大きな影響を受けるのが「並行在来線」です。
とりあえず、2015/3/14からの新規開業や、大きな影響を受ける第三セクター鉄道のページをリンクしておきます。

石川県 IRいしかわ鉄道 http://www.ishikawa-railway.jp/ 路線図
富山県 あいの風とやま鉄道 http://ainokaze.co.jp/ 路線図
新潟県 えちごトキめき鉄道 https://www.echigo-tokimeki.co.jp/ 路線図
  北陸本線→日本海ひすいライン
  信越本線→妙高はねうまライン
長野県 しなの鉄道 http://www.shinanorailway.co.jp/
  信越本線長野・妙高高原間の経営を引き受け、 北しなの線 とする

「並行在来線」とは立場が少し違いますが、特急「はくたか」の運転がなくなる 新潟県の北越急行も、経営への影響が大。
新ダイヤトンネルだらけの路線断面図

【追記】
各社の路線図を追記しましたが、その際に気になったのが、富山県の「あいの風とやま鉄道」の区間です。
倶利伽羅-市振 間でなく、石動-越中宮崎 間となっていました。

確かに境界駅の倶利伽羅は IRいしかわ鉄道が、市振は えちごトキめき鉄道が管理する駅です。
しかし、普通は境界駅までを含めて自社路線区間を表示すると思います。異例と思われる表示になっているのは何故?
[87385] 2015年 3月 14日(土)03:05:42じゃごたろ さん
しなの鉄道
[87384] hmt さん
2015/3/14に北陸新幹線が金沢駅まで延長開業し、名実共に 東京から「北陸」へのメインルートになります。

本日(正確には昨日)の夕方のニュースで北陸新幹線の開業を扱っていました。その中で長野県内のJRの信越本線の路線は篠ノ井駅~長野駅の区間のみになったという報道がありました。確かに特急「しなの」が乗り入れる篠ノ井~長野間はそのままにしておきたいのでしょうが、逆にいうと収益の期待できるこの区間だけJRに残したと勘繰りたくもなります。どうせならこの篠ノ井~長野間もしなの鉄道に移管すべきではないかと思ってしまいました。

そういえば三陸鉄道に移管されるとされたJR山田線についてですが、JR東日本が復旧工事した後に三陸鉄道に移管されるという報道がありまして、幾分かは安堵したものでした。

 
[87386] 2015年 3月 14日(土)03:48:57EMM さん
いよいよ今日
ここ2週間ほど、年度末関連の仕事と、年度末はあまり関係ない仕事が一杯重なって結構凄い状態であります。
加えて15日の日曜日は仕事の関係の用事でほぼ丸一日七尾に行かなきゃならなかったりで、14日の土曜日は貴重な安息日と言う事になってしまいました。
そもそも現在の仕事場が七尾なもんですから、北陸新幹線の開業準備段階にから無用な事とはあまりご縁がありませんで…14日はテレビの特番で北陸新幹線に接する予定でした。
ところが、13日は会社の退職者の方の送別会が金沢駅の近くでありまして…終わった後で潟町方面にのみに行く方もいるのでそっちに引っ張って行かれる可能性もあったのですが、そういう話が出なかったので、北陸新幹線開業前夜の金沢駅を見てきました。
13日はいろんな列車のラストランが相次ぐ事からそれを見に来た方もそこそこいましたし、駅周辺のホテルや居酒屋等々は年度末と言う事で送別会が多数開かれていたらしく(我が社もそうだ)その帰りとおぼしき方もたくさんいる、と言う事で独特な雰囲気が醸し出されていました。
まぁそれ以前に改装後の金沢駅に初めて行った(前に行ったのは年末年始、まだ改装工事中でした)ので、そもそも駅の変わりようにビックリしたのでありますが。
(初めてと言えば、金沢で新幹線を見たのも13日が始めて。既にホームにW7系が停まってました)

そしてもう2時間ほどすると、金沢発東京行きかがやきの一番列車が発車します。
14日は金沢発着の新幹線のかなりの本数が満席となっていますし(さすがに全車両とは行かなかった)、ほぼ丸一日、金沢駅やその周辺でセレモニーやイベントが行われている…と言う事で、新幹線に乗って金沢に来られる方と、見物客とで金沢駅は人出が凄い事になると見込まれています。
金沢駅周辺の交通規制と臨時駐車場の案内がかなり早いうちから出されていますが、臨時駐車場が設置される場所が石川県庁と東金沢駅付近というエラい離れた場所である辺りからも、かなり強烈な渋滞を予想しているものと思われます。
そういうことなので、14日はテレビで開業当日の様子を見ておこう…と思っているのですが、テレビはテレビで偉い事に。
ローカル枠の特番も多数組まれていますし、全国ネット番組でも新幹線の話題が多数で、特に午前中は新幹線だらけ。
全部一度に見るのは不可能なので録画できるだけ録画してやろうと思ったのですが、10時台は民放4局+NHKのすべてでローカル枠の特番が放送される事になってまして…私の家の録画環境では同時録画可能なのが最高4番組まででして、一部はあきらめざるを得ません。
それでも可能な限りは見てやろうと思ってます。(でもこの時間まで起きてたので、録画できた番組を時間がある時においおい見ていく事になりそう)
振り返ってみると1月以降北陸新幹線がらみの番組や、北陸を扱った番組がポツポツと放送され、2月末頃から一気に増えた感じでしたが、テレビ番組表を見る限りは15日で一段落する感じ。
真のスタートはそこからなのでしょう。
でもとりあえずは、今日の様子を地元民として脳裏に記録しておきたいと思います。

※アルコールが抜けきってないまま書いた結果、とりとめの無い文章になってしまいました。
[87387] 2015年 3月 14日(土)09:38:43【2】オーナー グリグリ
北陸新幹線開業記念クイズ
朝からテレビは北陸新幹線開業の話題で賑わっています。金沢出身者として心から嬉しく思っていますし、地元が活性化するのは気持ちも高ぶりますね。近いうちに利用するつもりですが、今からワクワクしています。東海道新幹線の代替ルートとして北回り新幹線の計画が立ち上がったのはもう50年前で、当時小学生でしたがしっかり記憶しています。感慨深いものもありますが、大阪まで開通するまで生きていたいものです。

さて、記念にと言うことでタイトルの企画を考えました。お気楽にお考えください。以下の市区町村のセットはある共通項があります。同じ共通項のある市区町村セットを考えてみてください。セットはいくつでも作ることができます。

(加賀市、長野市、勝山市、北秋田市)
(白山市、福井市、津幡町、安芸高田市)
(敦賀市、軽井沢町、栃木市)
(穴水町、旭川市、富山市)
(野々市市、加須市、南越前町)
[87394] 2015年 3月 14日(土)21:51:59EMM さん
まさに「盆正月」
[87386]を書き込んだ後、さすがに眠気の我慢も限界に来て寝てしまいました。
北陸新幹線の一番列車が発車する様子は、後で録画した番組で見よう…と思っていたのですが、何と5時55分頃に目が覚めてしまいました。
目が覚めた理由は、ヘリコプターの音のせい。
ツイッター情報によると、テレビ中継のヘリコプターが6機ほど飛んでいたとか。
うちは線路に近い訳では無いのですが、比較的低空で飛んでいたようなので結構な音がしていました。
でもおかげで金沢発の一番列車・かがやき500号が出発する瞬間のテレビ中継をリアルタイムで見る事ができました。
そして、午前中は新幹線開業の特番だらけ。
テレビだけで無く、ラジオもそうでした。
映し出される金沢駅は「ここはどこじゃ?」と思ってしまうぐらいの人波。
その様子を見ていたうちの親父がぼそっと一言、「盆正月やな、こりゃ」。

ツイッターでもこれに関するつぶやきをしましたが、もしかすると「うちの父が『盆と正月が一緒に来たようだ』と思った」と捉えた方がいたかもしれません。
実は、ほんのちょっと意味合いが違います。
かつて、加賀藩は藩内の町や村では、産土神社の祭礼を除いて定期的に祭礼を執り行う事を禁じていました。
特に、金沢の町や周辺の村々ではかなり徹底されたようです。
これは、かつての一向一揆をおそれて執られた政策であるとの事。
しかし、あまり押さえつけると不満が溜まる。
そこで、前田家に吉事があると金沢の町を挙げて「盆正月」なるお祭りを開くようになりました。
町々が作った作り物・細工物を競い合ったり、獅子舞や祇園囃子演じられたり、2~5日の間様々な出し物が行われて、かなり賑やかなものだったようです。
1723年(享保8年)から1870年(明治2年)不定期に41回行われたそうですが、時代が下ると個々の出し物は各町々の祭礼で演じられはしているものの、盆正月という行事の事は語られる事も無くなり、古文書の中の出来事となっていました。

転記は2010年に公開された映画「武士の家計簿」が公開された事。
この映画の中で「盆正月」の様子が描かれました。(メイキング映像
これに触発されたのだったかどうかは忘れましたが、その翌年の2011年から、金沢市で毎年6月に開催されている百万石まつりで、メインイベントである百万石行列が行われた翌日に、この「盆正月」を再現した行事が行われるようになっています。
参考1
この百万石まつりの「盆正月」では造り物の展示や、子ども御輿、獅子舞、奴行列、太鼓、三味線、民謡の上演などが行われ、江戸時代に行われた「盆正月」の雰囲気が再現されております。

さて、話を元に戻して、今日の金沢駅。
新幹線開業記念式典に加え、北陸新幹線で金沢を訪れた人々の歓迎をするためのイベントが行われておりました。
和服美人やご当地キャラによるお出迎え、駅コンサート、加賀鳶のはしご登り・加賀や能登の獅子舞・山代大田楽・御陣乗太鼓の実演、民謡の演奏、大茶会、等々。(詳しくはこちら
北陸新幹線にのって金沢に訪れた人だけで無く、新幹線開業日を体感したい見物客も多数訪れており(私も夕方にチラッと覗いてきました)、まさに前述の「盆正月」を彷彿とさせる様相でありました。

今後は新幹線開業やそれに伴う並行在来線の経営分離がどのような影響を及ぼすか、それに対してどうしていくか…と言う事を考えていかなければいけないのでしょうが、それはそれとして…今日の様子は地元民としても記憶に残る1日でありました。
実際に北陸新幹線に乗車するのはほんのもうちょっと先になりそう。
[87401] 2015年 3月 15日(日)18:59:31MasAka さん
北陸新幹線
昨日、無事に北陸新幹線長野~金沢間が乗客を乗せて走り始めました。4年前の九州新幹線開業の時は大震災の翌日で出発式や開業式典が全て中止になってしまいましたが、今回は何事もなく執り行われたようで良かったです。今回の北陸新幹線開業は関東地方でも大々的に報道されていましたが、やはり東京駅が始発だからでしょうね。もしこれが九州新幹線だったら新大阪からしか直通運転されないので、仮に震災がなかったとしても関東地方では非常に小さい扱いか、あるいは無視されていたかも知れません。

ちなみに、4年前に開業した東北新幹線と九州新幹線には個人的にいろいろな思い入れがあるのですが、この北陸新幹線は特に大きくは絡んでいないので、「やっと出来たんだな」というくらいで特に感慨にふけることもなく、その開業を淡々と見守る程度でした。

とは言え、延長200km以上の新規鉄道路線が一度に開業するというのは最近では異例のことであり(おそらく1982年11月の上越新幹線以来だと思います)、これによって北陸地方の交通体系が大きく変化することとなったのは間違いないでしょう。今後、200km以上の鉄道路線を一度に開業させることになると思われるプロジェクトは中央新幹線(東京都~名古屋市間、2027年度完成予定)と北海道新幹線(新函館北斗~札幌間、2035年度完成を5年程度前倒し予定)くらいしかありません。

ところで、この日は東北新幹線の上野~大宮間開業からちょうど30周年(1985年3月14日開業)だったのですが、公式には何のイベントもなかったようです。それまでは大宮駅発着だった北へと向かう新幹線が初めて東京都内に乗り入れた記念すべき日であったのですが、完全に北陸新幹線と上野東京ラインに食われてしまったようです。

さて、[87387]の北陸新幹線開業記念クイズ、では私は星野彼方さんといっちゃんさんの合わせ技で……。
(町田市、札幌市、朝倉市、鴻巣市、黒松内町、北中城村、いちき串木野市)
あと、こういう表示もよく見かけるのですが、これはさすがに反則でしょうね(笑)。
(大東市、安中市、大竹市、春日井市)
[87407] 2015年 3月 18日(水)00:50:15EMM さん
北陸新幹線初乗車
3月に入ってから仕事がビミョーに忙しかったのですが、17日は丸1日お休みがいただけました。
そこで、北陸新幹線に初乗車してきました。
はくたかで金沢駅から上越妙高駅まで行き、そこからはくたかで黒部宇奈月温泉駅、更にはくたかで新高岡駅に行き、最後はつるぎで金沢駅まで戻ってきています。
最初は長野駅まで行って昼飯に信州そばを食べて帰ってくるつもりだったのですが、上越妙高駅を乗り越すと特急料金がグンと上がるので、上越妙高駅で折り返しました。
昼飯も信州そばからタレカツ丼に変更。
乗車した感想ですが、金沢市~上越市間はこれまで何度も特急で行き来してますので、それだけに時間の短縮具合を実感しました。
最速の特急(金沢-高岡-富山-直江津)で2時間チョイだったのが、各駅のはくたかでも1時間5分。
以前なら金沢駅を出て、一寝入りしたら直江津…と言う感じでしたが、寝てる暇も無いくらいでした。
と言うか、初乗車と言う事もあり寝るのが惜しかっただけですが(^^;

さて、上越妙高、黒部宇奈月温泉、新高岡の各駅では次の新幹線が来るまでの間を利用して駅のごく周辺だけですが散策しています。
平日だから混んでは無いだろう…と思ったのですが、各駅とも意外と人手がありました。
よくよく見ていると、お歳を召した方が多い感じ。
近所の駅を見物に行くのに、土日は混むだろうから平日に来た…と言うところでしょうか。
まぁ私も同じ発想ですが。
上越妙高駅と黒部宇奈月温泉駅では、改札の係員のいるところに来て「ここから中には入れるのか?」と言う旨の質問をしてる方を見ました。
改札の手前の目立つところに「見学を希望される方は自動販売機で入場券をご購入の上、自動改札機からご入場ください」とか張り紙すれば良いのでは?とも思ったのですが…自動改札自体が初体験の方も多数来場しているようで、駅員さんも大変だなぁと思ったところです。
(開業日の14日も、金沢駅では入場券を買うのに長蛇の列ができてましたし、自動改札で家族の分の入場券を全部突っ込んだ人がいたとか、まぁ色々あったようです)
駅周辺については、上越妙高駅は更地に取り囲まれてる状態ですが、黒部宇奈月温泉駅は集落とはくっついている状態なのでそう淋しくは無い感じでした。
新高岡駅は市街地とはくっついて建ってますし、すぐ南にでっかいイオンもあったりするのでそれなりに賑やかな感じ。
いずれの駅も2~3年経つとまた眺めが変わっているんだろうなぁ。

そして、金沢駅に帰ってきたら、まだ退勤時間帯でも無いのにやたらと人が多いのにビックリ。
駅に附属するショッピングモール・金沢百番街がリニューアルした影響もあるのでしょうが、みどりの窓口や切符の自動販売機も行列でしたので、やっぱり人出が多いようです。
多分、しばらくはこんな感じなんでしょう。
[87457] 2015年 4月 9日(木)12:04:21【1】オーナー グリグリ
北陸新幹線最短ルート案
3月中に北陸新幹線乗車を果たす予定と書いていましたが、未だ叶わず。12日(日)に金沢とんぼ返り往復を計画しています。

ところで、北陸新幹線を含む新幹線路線図を眺めていると、越後湯沢駅と上越妙高駅を結ぶ路線(ほくほく線より全体に少し南側)を建設すれば、長野経由よりも東京-金沢間の距離が短縮されますね。

北陸新幹線は長野経由が当初から計画の前提だったこともあり、北アルプスを貫通する最短ルートと現在の上越市経由ルートが当初からの検討対象であったと記憶しています。

ところが、落書き帳では話題になりませんでしたが、先月3月18日、北陸新幹線「幻のルート」構想という話題で、田中元首相の手書きの路線図が発見されたことが報道されました。
○中日新聞(手書き路線図の写真)
○茨城新聞(詳しい経緯説明)
手書きの路線図には、北アルプス貫通ルート、現在のルート、ほくほく線ルート、長岡・柏崎ルートの4つのルート案がざっくり描かれています。長野通過を前提にすると北アルプス貫通ルートが最短ですが、長大トンネルの建設が困難ということから現在のルートになりました。長野通過を前提にしなければ、ほくほく線ルートもしくはこれをもう少し南側にずらしたルートが、実際的な最短ルートになるように思います。

現行ルートでは、北陸地方と長野の利便性向上という経済効果が注目されていますが、この最短ルートは、東京への時間短縮の効果もありますが、それよりも北陸地方と新潟市方面の利便性向上という効果も高いように感じます。将来、北陸新幹線が大阪まで開通した際には、関西方面から新潟方面への利便性という点からも注目してよいのではないでしょうか。

この部分、約50km程度ですが、将来建設する計画が出てこないですかね。
[87459] 2015年 4月 9日(木)18:58:47【1】k-ace さん
北陸新幹線
3月下旬に北陸新幹線(東京→金沢)に乗車してきました。
当日は平日にも関わらず午前中のはくたか指定席は満席(春休み期間中でしたが)。東京駅で並んではくたかの自由席に乗車。進行方向左側の窓側席に。今回乗ったW7系のチャイムは山陽新幹線(山陽新幹線・東海道新幹線のJR西日本車)と違って、途中駅も「いい日旅立ち・西へ」の歌い出し部分なのね(E7系は昨年9月に大宮→佐久平で乗車済み)。
自由席で一番空いてたのは飯山~上越妙高間(4~5割ほど?)でした。上越妙高で新潟方面からの特急しらゆき接続便だったので自由席が8~9割まで埋まりました。

[87457]オーナー グリグリさん
この部分、約50km程度ですが、将来建設する計画が出てこないですかね。
人口の少ない区間しか通らない最短ルートの建設計画はないですね。北にほくほく線があるし。更に北の柏崎市を通る信越本線のミニ新幹線計画(ミニ新幹線、フリーゲージトレイン)があり、2006年度~2008年度に調査検討(PDF)が行われ、2010年に検討結果が報告(PDF)されました。それによると、短期的には既存の優等列車等の維持・継続、中長期的には新幹線・在来線直通運転化の実現を図るとされました。

当日は晴天で、車窓は雪化粧した妙高連山、糸魚川駅付近の日本海(反対側だけど)、雪化粧した立山連峰など美しかったです。富山駅新高岡駅と経て、到着した金沢駅W7系を撮影し、中田ヤスタカさん制作の発車メロディーを確認。そして北陸鉄道浅野川線を往復(北陸新幹線の長野~金沢間と北陸鉄道浅野川線は初乗車)。金沢駅に戻り鼓門を撮影(人多すぎて下の方まで撮影できず。ちなみに昨年10月の早朝に撮影した鼓門)。
金沢駅からは特急しらさぎで福井へ。途中、松任~加賀笠間間付近までは新幹線の高架が続き、小松駅付近で雪化粧した白山連峰が綺麗に見えました。福井駅「恐竜広場」恐竜を撮影。その後は普通電車で敦賀へ。敦賀駅では敦賀気比高校の応援がされてました(4月1日に北陸勢初の優勝:[87447]ペーロケさん)。敦賀からは小浜線、舞鶴線、山陰本線を乗り継ぎ鳥取へ。鳥取市で一泊し、生涯経県値が1点増加。翌日は初乗車の因美線に乗り、更に姫新線、伯備線と乗り、備中高梁へ。寝台特急サンライズ出雲が新たに備中高梁駅に停車するようになったようで。伯備線、山陽本線と乗り、岡山駅で廣榮堂の元祖きびだんごを購入。岡山駅から山陽新幹線・東海道新幹線で帰ってきました。

※小浜線、舞鶴線経由にしたのは乗車券一枚でJRの全行程を済ませるため。下記リンクの範囲を更に西へ広げた次第。
漫画で学ぶ「大阪-東京往復ならほぼ同料金で北陸新幹線にも乗れて金沢へも行けるよ」
[87460] 2015年 4月 10日(金)01:53:35MasAka さん
北陸新幹線ルート
[87457]グリグリさん
北陸新幹線は長野経由が当初から計画の前提だったこともあり、北アルプスを貫通する最短ルートと現在の上越市経由ルートが当初からの検討対象であったと記憶しています。

北陸新幹線北アルプス貫通ルートについては、2010年9月に行われた国土交通省の諮問機関である交通政策審議会の陸上交通分科会鉄道部会中央新幹線小委員会で少々ネタになりました。中央新幹線が通る南アルプスに対し、当初北陸新幹線のルートとして検討されていた北アルプスとの施工条件を比較しようというものです。その資料はこちらのリンク先にあります。これによると北アルプス貫通トンネルの延長は約70km、青函トンネル(53.8km)はおろか、現在世界最長(ただし未供用)のゴッタルドベーストンネル(57.1km)よりもさらに長い規模になると想定され、実現不可能とされました。単に延長が長いだけならさほど問題はないのですが、資料6ページ目にあるようにここは土被り(トンネルから地表面までの高さ)が他に類を見ないほど大きいことから膨大な地圧がかかりトンネルが崩壊するおそれが大きいこと、また本坑の工事を円滑に進めるために取り付ける作業坑の設置も困難であることが断念した主な理由と思われます。

ちなみに北陸新幹線開業でいちローカル線となってしまった北越急行ほくほく線ですが、これも実は北陸新幹線の歴史に密接に絡んでいます。もともと整備新幹線計画が行き詰まった際に「スーパー特急方式」(正式名称:新幹線鉄道規格新線。路盤は新幹線規格で作り、狭軌の線路を敷いて200km/h程度の高速運転と在来線との直通運転を両立させる)という暫定整備案が浮上しました。その際、北陸新幹線については石動~金沢間、糸魚川~魚津間のみをこのスーパー特急方式で整備することとなりました。そして、新幹線(スーパー特急規格)が出来たあかつきには、すでに建設が進んでいたこのほくほく線を有効活用することとし、列車がほくほく線を経由して走れるよう当初非電化で計画されていたところを電化に変更して最高160km/h運転ができるよう追加工事を行ったのです。この時点では長野~上越間の新幹線建設は棚上げだったことになります。しかし、スーパー特急方式で着工された区間はその後の政府・与党申し合わせにより結局全てフル規格へと格上げになり、ほくほく線は一度も「新幹線直通」とはなりませんでした。もしかしたら史上初めて新幹線と直通運転する第3セクター路線になったかも知れないのですが……。

あと、ご提案のありました
この部分、約50km程度ですが、将来建設する計画が出てこないですかね。
のルート、地形的にほとんどトンネル区間になりそうですが、その場合の問題点として温泉地を多く通るため地質が温泉水で劣化している可能性が高く(しかも高熱なので作業環境も劣悪)、トンネル掘削に伴う温泉水の枯渇も心配です。また、十日町市と上越市の境界付近では難工事で有名なほくほく線鍋立山トンネルと同じ地質を通ることから、ここでも技術的にかなりの困難が予想されます。さらに、地すべりの多い地帯ですので、トンネル坑口位置の選定も慎重さが求められます。自分ならこういうルートは引かないですね。……一応なんちゃって専門家としての意見でした。
[87461] 2015年 4月 10日(金)23:23:08【1】hmt さん
地すべり地帯にある松之山温泉
[87457] グリグリさん
この部分、約50km程度

[87460] MasAkaさん
地すべりの多い地帯ですので(中略)、自分ならこういうルートは引かないですね。

この記事で、40年ほど前に新潟県の頸城(くびき)地方に住んでいた頃を思い出しました。
当時の東頸城郡【平成合併後は十日町市と上越市とに分属】には足を踏み入れた記憶がありませんが、このあたりの山が 地すべり地帯であることは、ローカルニュースに接しているだけでも感じていました。

グリグリさんの案によるルートを ほくほく線【北越北線】ルート図 と対比すると、越後湯沢を出て西に進み 信濃川を渡った先の津南町三箇(さんが)迄は 北越南線案と同じです。

三箇には東京電力信濃川水力発電所があります。
飯山市の西大滝ダムで取水された水は長い水路で県境を越え[66799]、この地で位置エネルギーを電力に変えています。

ここから高田の少し南に今回開業した上越妙高駅までを 東西に結ぶ新ルート ということになります。
松代(まつだい)西側の赤い直線部には、[87460]で言及された鍋立山トンネル9130mがあります。
その南に並ぶ新ルートも同じような性質の地山に由来する難工事が予想されるということですね。

松代の南の光間(ひかるま)は、東頸城郡松之山町でした。その南には薬湯で知られる松之山温泉があります。
その温泉水も地質を劣化させる原因ということなのですね。
この町では、半世紀前に 大規模な地すべりが発生し、防災50周年記録誌 『大地と共に生きる』等が作成されています。

参考までに、 アーバンクボタ20号 に掲載されている松之山地すべりの記事もリンクしておきます。
前記『大地と共に生きる』5コマにも図がありますが、地すべり地帯は、町の全域に及ぶことがわかります。
[87462] 2015年 4月 12日(日)12:30:04futsunoおじ さん
北陸新幹線あれこれ
[87457] オーナー グリグリ さん
[87459] k-ace さん
[87460] MasAka さん

越後湯沢駅-上越妙高駅間の新幹線路線の必要性を考えると、
(1) 東京・北陸間が早くなる: 短縮時間が10分程度では工事費用を考えると難しい。もし実現性の議論が始まると減便など不利益を被る長野県の猛反発が予想されます。
(2) 新潟市などと北陸が新幹線で直結され利便性・時間短縮効果がある: これも費用対効果の点で現時点では無理でしょう。将来的には、北陸新幹線が大阪までつながった後に新潟市や東北地方の日本海側との接続の必要性を議論する中で検討される路線候補のひとつということになるのでしょうね。(私は草葉の陰で見守ることにします。)



[87457] オーナー グリグリ さん

ところが、落書き帳では話題になりませんでしたが、先月3月18日、北陸新幹線「幻のルート」構想という話題で、田中元首相の手書きの路線図が発見されたことが報道されました。

話題にしなくて申し訳ありませんでしたが、開通1ヶ月前の2月14日に新潟日報紙で写真と図入りで紹介されていました。(新潟日報の記事はインターネット上にもありますが現在は紙の定期購読者向けのシステムになっており、他地域の人は最新記事の見出し程度しか見られないようになっています。)
図の所有者の父親が、当時(旧)新井市議で陳情団の一員として目白の田中邸(当時通産相)を訪れた際に持ち帰ったもので、「図を持ち帰った父は生前、地元の人たちに紹介しながら北陸新幹線の話題でよく盛り上がっていた。」となっています。

書かれている案はそれぞれが新潟県内外の主要都市を繋ぐもので妥当なものともいえます。ただ立山にトンネルを掘るのは技術的に不可能だと田中は言っていたそうで、北アルプス貫通ルートは早い段階で消えたとみて良いでしょう。結局現在のルートが優先されたことになりますが、長岡駅にあるという幻のホームを思うと複数ルートの実施想定というのも当時の社会情勢を考えるとあったかもしれません。



北陸新幹線関連でもうひとつ。(3月29日の記事からです)
富山県庁と富山市役所では東京出張の際は飛行機を利用するように指示しているそうです。
羽田-富山便を運航する全日空が新幹線より安くなる利用前日まで購入可能な『特割』を発売したためで、「新幹線を利用する場合は理由の記載を求める」といった厳しさです。また4~6月の利用状況によっては減便等が予想されることからプライベートでも飛行機をと呼びかけているとのことです。

推測ですが新潟県西部では富山空港利用者が増えるだろうなと思います。
[87469] 2015年 4月 14日(火)23:26:43オーナー グリグリ
北陸新幹線に乗車
私の[87457]で書いた北陸新幹線最短ルートの記事に、[87459] k-aceさん、[87460] MasAkaさん、[87461] hmtさん、[87462] futsunoおじさん、と多くの方にフォローしていただきありがとうございました。素人考えでの書き込みに、事業性、技術課題、過去の経緯など、多くの情報を提供していただき感謝しています。現状のルートと比較して、金沢ー東京間の時間短縮は10分程度とのことですが([87462])、この程度では現行ルートに加えての建設はやはり難しいでしょう。それよりも、北陸(将来は関西)と新潟(将来は秋田方面)との直結の可能性の方が、利便性など地方都市間のネットワーク化による地域活性化の目的から、かなり先のことになるかもしれませんが検討に値するのではないかと考えます。その場合は、越後湯沢に接続するよりも長岡あるいは柏崎方面に接続するルートの方が有望でしょうね。

[87457]で私が言いたかったことの本質は、今回私の示したルート案もしくはほくほく線ルートが、最初から候補にならなかったのは何故なのかなという点でした。北陸と東京を結ぶルートとして、国鉄時代で言えば、信越本線経由と上越線経由がありましたが、新幹線ルートとしては当初から信越本線ルート、すなわち、長野経由前提ということだったのかと言う点です。立山縦貫ルートは最短とは言え、技術的に無謀とのことは早い時期に明確になっていたのであれば、なぜ、上越線ルートの選択肢が候補にならなかったのかと言うことです。というか、上越新幹線と接続するルートの方が、建設費も建設期間も短くなり、実現がもっと早まったのではないかと思えるからです。

[87460]でMasAkaさんが言及されているスーパー特急方式による暫定案は確かにほくほく線ルートを想定しましたが、それ以前の計画時点ではなぜ検討に値しなかったのでしょうね。長野五輪開催が大きく影響したのでしょうか。長野五輪決定時期とも絡みますが。

ところで、日曜日に金沢へ往復してきました。往きははくたか、復りはかがやきに乗車しました。往きのはくたかの車窓からは、北アルプスなど美しい山容を眺めることができました。上越妙高、糸魚川、黒部宇奈月温泉各駅の前後での車窓風景が素晴らしいですね。二人席(DE席)が上下線とも山側になります。日本海の眺めも捨てがたいですが。
[87471] 2015年 4月 15日(水)20:08:11【1】hmt さん
北陸新幹線整備の基本計画は長野経由が前提
[87469] グリグリさん 北陸新幹線に乗車 
[87457]で私が言いたかったことの本質は…(中略)…長野経由前提ということだったのか と言う点です。

もっと詳しい情報をお持ちの方がおられるとは思いますが、とりあえず。

北陸新幹線について、全国新幹線鉄道整備法第四条に定められた基本計画は昭和47年6月決定のようです。
その公示を国土交通省サイトで閲覧することはできませんでしたが、S47/7/3の運輸省告示第243号であり、起点:東京都、終点:大阪市、経過地:長野市付近、富山市付近とされているようです。参考

基本計画がこのように長野経由と定められた理由。それは、上記法律の第三条に示された
全国の中核都市を有機的かつ効率的に連結するもの
に沿ったものであると思います。
北陸新幹線は、やはり長野新幹線でもあるのですね。

【追記】
長野五輪開催が大きく影響したのでしょうか。

オリンピック冬季大会開催都市への国内立候補は戦前(1935)に始まり、1961年にも山ノ内町などが立候補したが札幌市に敗れたそうです。札幌大会の実現は1972年でした。
長野県では県内の候補地一本化ができなかったのが敗因と考え、三度目の正直を合言葉に具体的に動き出したのが1985年でした。翌年に国内立候補した都市は、長野市・旭川市・山形市・盛岡市。国内候補地選定1988を経て 1991年に IOCでの最終選定を獲得しました。

「長野でもできるのか?」 「できるさ。サラエボ【1984年開催地[86112]】だってやったんだから。」
こんな会話が交わされた 昭和60年(1985)でも、長野市が北陸新幹線の経過地と明記されてから10年以上も後のことです。

1998年の長野五輪開催は、北陸新幹線の軽井沢・長野間フル規格化着工決定(1990)には影響したと思います。
しかし、ずっと前に決定していた ルートの選定 には無関係です。
[87478] 2015年 4月 18日(土)23:44:13futsunoおじ さん
北陸新幹線のルートに関して
[87469] オーナー グリグリ さん

今回私の示したルート案もしくはほくほく線ルートが、最初から候補にならなかったのは何故なのかなという点でした。

ほくほく線ルートが候補にならなかった理由は知りませんが、私なりに考えれば新幹線路線の分岐地点は駅の設置地点からというのが普通です。それに六日町からでは西へ向かう分岐点としては北に寄りすぎているため、より短い経路を優先するなら越後湯沢駅付近から北陸方面に向けて路線を伸ばすことになります。
一方で現・長野経由ルートのメリットを考えると、新潟県南端の路線想定域に比べて長野県の信越沿線人口は遙かに大きなものですし、多様な観光資源もあり地域の経済効果も大きくなり、国全体で見れば良い選択であるとも言えます。なお鉄道運営会社としては路線の短長には強くこだわらないのかなという気もします。長ければ運賃収入が多くなるわけですから。


短縮経路としての越後湯沢駅-上越妙高駅間の追加建設案に対する反応を想像すると・・・ (あくまで想像です!)

まず歓迎するのは北陸-首都圏の利用者ですがこの人たちはいわゆる圧力団体にはなり得ないので声が届きにくいでしょう。次に新潟県ですが県内2つの新幹線を生かして県庁のある新潟市と上越地方を結びたい願望はあると思いますが、もし地元負担金を払っても通る列車のほとんどが県内駅を素通りする結果になっては悩ましいかぎりでしょう。またまとまった乗客数が見込めなければ新潟駅から上越妙高駅行き直通は無理かもしれません。沿線となる地域は県としては辺境の地にあり、人口も少ない場所であるため経済効果が生まれにくいのはやむを得ません。地元市町(上越市,津南町,湯沢町)は歓迎でしょう。特に津南町は飯山線との交差地点に駅ができる可能性もあります。長野県は[87462]に書いたように歓迎しないでしょう。

JRは東西で対応が異なりそうです。JR東は短縮路線ができることで上越妙高駅までの運賃を実質値下げせざるを得なくなり経営上はマイナスであることに加えて、新たな路線の借用料が発生する可能性があります。JR西は東京・北陸間の時間短縮をアピールでき、乗客増を期待できます。国の立場としてはこの路線にお金を投入するより大阪方面へ延伸する方を優先するでしょう。

以上を全体的に判断するとこの建設案を熱心に推進する声は多くはなく、強く否定する声はいくつかあることになり、実施は無理ということになりそうです。技術的問題([87460] MasAka さん )に関してはここでは考慮していません。

なお[87462] で越後湯沢駅経由で上越妙高駅まで新幹線路線が敷設された場合の短縮時間を約10分と書きましたが
Wikipediaで実距離を求めると最大では50km短くなるので時速200kmで15分、加えて長野駅停車分の5分が節約できるとすると計算上20分の短縮も見込めるかもしれません。
東京駅-越後湯沢駅が182.7km,東京駅-上越妙高駅が285.5km,越後湯沢駅-上越妙高駅間は直線で約52.5km)
[87479] 2015年 4月 19日(日)02:38:12MasAka さん
北陸新幹線・長野経由の謎
[87469] グリグリさん
今回私の示したルート案もしくはほくほく線ルートが、最初から候補にならなかったのは何故なのかなという点でした。

[87471]にてhmtさんからご紹介していただいた参考サイトにあるとおり、北陸新幹線は基本計画決定の時点ですでに長野経由が明記されています。しかし、その決定までの経緯については公式な資料が出てきません(整備計画決定以降の話は比較的調べがつくのですが)。

ここで、乗りものニュースに出ている新幹線鉄道網計画図を見ながら考えると、新潟県には現在供用中の上越新幹線のほかに、基本計画路線として羽越新幹線(富山市~青森市)が存在しています。ここで、仮に北陸新幹線を越後湯沢回りとした場合、新潟県の上越~中越地方というそれほど大きな需要が見込めなさそうな所に北陸新幹線と羽越新幹線の2つの計画路線がほぼ並行する一方で、長野県の県都である長野市を擁する北信地方が新幹線鉄道網から取り残されてしまいます。したがって、これが長野経由とした一番の理由ではないかと考えられます。また、新潟県出身である大物政治家の我田引鉄ではないかという批判をかわす意味もあったのでしょう。

なお、国鉄時代の新幹線計画では、新幹線建設に合わせて在来線も一緒に改良するというもくろみもありましたので(今は在来線をJRから経営分離することが原則に変わりましたが)、信越本線の改良という位置付けも考えていたのではないかと思います。実際、九州新幹線の熊本駅付近は規格外の半径のカーブを使ってでも在来線に並走させた区間があり、そこの在来線は現在高架化工事が行われている最中です。ただし、当該区間の新幹線計画時はもともと国鉄という同じ組織が新幹線建設と在来線改良をともに担うことが前提だったのに対し、現在は新幹線建設は鉄道・運輸機構、在来線改良はJRと別々の組織が実施することになっています。したがって、新幹線と在来線を長く並走させるようなルートは新幹線と在来線の工事を同時に進めるにあたって互いの組織における調整項目が増えることになるので、今の時代においては在来線も一緒に改良するという計画は必ずしも得策にはならないと思います。

[87477]じゃごたろさん
静岡県内を巡っていると「地名」という地名に遭遇。

昨年秋に私もそこを訪れました。ここに[86413]の記事で紹介した“自称”「日本一短いトンネル」を名乗る地名トンネルがあります(地図)。記事を書いていて自分でも気になったので、実際に行ってみたというわけです。トンネルの上にあるはずの山の部分がなく、コンクリートの構造物だけが残されていてなかなかシュールな光景でした。

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