[7423] YSKさん
「クローズアップ仙台」 とは、絶妙の語呂ですね。市電が走っていた頃から何かと縁があった街ですが、
周辺を車で移動する事が増えて来ると、色々な事が見えて来ますね。
なぜか 「榴ヶ岡」 を名乗る高校を近所に擁する泉中央駅 (同様のニュータウンに位置する相模鉄道
緑園都市線の 「いずみ中央」 や、泉北高速鉄道 「和泉中央」 と紛らわしい感じですね。) 周辺には
数年前に初めて赴きましたが、面的な展開はともかく、仙台駅界隈に比する程に発展した印象でした。
単なる郊外住宅地という事でなく、仙台北郊一帯の商業上の一大拠点としての側面も推定されます。
それ故、泉中央駅での構造的制約の有無は判りませんが、富谷町域のニュータウン造成に鑑みるに、
役場同士が近接する大和町、大衡村の境界一帯まで、地下鉄の延伸構想があっても不思議ではなく、
速達性次第では古川まで、というのは欲張り過ぎでしょうか。(笑)
一昨年に仙台東部道路が整備されるまでは、松島方面に赴く場合は、東北道を大和で下りて東北線
愛宕駅付近に出るのが一般的だったかと思います。私の場合は、利府駅における道楽上の見地から、
東北道を泉で下りて、「県民の森」 の南側を岩切方向に東進していました。鶴ヶ丘ニュータウンの丘の
麓一帯は、仙台の街が近い割には田圃が広がるのどかな雰囲気と記憶します。(道路も少々狭隘。)
利府駅は、かつて 「丘越え」 を控えた中間駅の名残りゆえか構内が比較的広く、電気機関車のほか、
以前は電車特急の食堂車なども留置され趣味的に注目されるところです。単なる支線の終点ながら、
仙台志向の宅地造成、大型SCの設置、W杯会場整備に伴う高速道の延伸など郡部としては発展が
著しい典型例ではないかと思います。松島湾にも面したこの町の趨勢は注目されるところですね。
利府支線関連の沿革を以下にまとめて見ましたが、1962年の 「山線」 廃止の段階で、盲腸線ながら
利府が救済されたのは、当時すでに仙台都市圏として某か必然性があった為なのか、気になります。
ちなみに、1944年の宮城電鉄における強制戦時買収は、「ブルー・インパルス」 で有名な航空自衛隊
松島基地の前身である矢本飛行場への物資輸送を考慮した結果だそうですね。地上仕様だった当時、
仙台駅に東北線からの連絡線路らしき地図表示があったのは、その為かな。
1887) 郡山-塩釜 (のちの塩釜港貨物駅で現在は廃止) が開業。
1890) 岩切-一ノ関が利府経由 (山線) で開業。
1925) 宮城電鉄 仙台-西塩釜が開業。
1926) 宮城電鉄 西塩釜-本塩釜が開業。
1927) 宮城電鉄 本塩釜-松島公園 (現松島海岸) が開業。
1928) 宮城電鉄 松島公園-石巻の開業をもって全通。
1944) 宮城電鉄を国鉄仙石線として移管。陸前山王-品井沼で貨物専用の海岸新線が開業。
1956) 海岸新線にて塩釜、新松島 (現松島) の二駅が開業。
1962) 海岸新線の複線化に伴い、「山線」 利府-品井沼を段階的に廃止。
1965) 仙台-盛岡が電化。
1978) 利府支線が電化。
……… と、仙台市北部の話題が、いつの間にか利府町の話題に転化してしまいました。
[7433] YSKさん
>真っ白な浅間山や男体山がきれいに青空に映えてきれいです。
>遠くを望むと、新潟・群馬県境の雪山の列も、はっきりと見えます。
実に羨ましい限り。水戸でも、冬の晴天日なら日光男体山は辛うじて見えますけどね。