[6633]蘭丸さん
>千代田区、新宿区、板橋区などで「○○町」のまま「丁目」で割らずに住居表示を
>するケースが見られたり、反対に「丁目」で割っていても「△△二丁目123-4」
>のように地番そのまま(住居表示未実施)の地域もあるのだと思います。住居表示済
>みの「丁目」と住居表示未実施の「丁目」は本質的に同じもの、すなはち「△△二丁
>目」そのものが町字名であると考えていいと思います。
住居表示未実施地区で、住所上「丁目」が現れる地域については、以上の理解でいいと思います。私が例示した千葉市幕張町のほか、桐生市広沢町、相生町、川内町、梅田町など、大宮駅周辺の各町などが、相当すると思われます。
しかしながら、正式な住所には現れませんが、地域の町内会レベルや、行政が地域との連絡調整のために設置する小区域レベルにおいて「丁目」単位のコミュニティが形成されていることも多いのですね。私の町では、「行政区」と呼ばれ、市役所と地域との橋渡し役をお願いしている区長さんは、住所レベルの「町」単位ではなくこの「行政区」単位にいらっしゃいます。これらの「丁目」は住所上は現れてきません。太田市の場合、旧太田町の中心地区にあった一丁目~六丁目は、他の地区とともに住居表示で「東本町」、「本町」、「西本町」に整理統合されましたが、一丁目~六丁目は、現在でも、この「行政区」名として健在です。この太田市の例の場合、「丁目」が現住居表示を細分する形にはなっていないのですが、住所上は○○△丁目となっていなくても、地域通称で○○△丁目という言い方をしているところは、存外多いのではないかと思います。
私は、このローカルな地域名称と、住所上「丁目」区分を採用する住居表示未実施地域とを、同一視していたため、
[6606]で幕張町における「丁目」が、「小字」的な下位区分なのかという認識をしたものです。
とはいえ、このローカルな地域名称としての「丁目」も、たとえ住所表記上に登場してこなくても、地域コミュニティ上は重要な地域区分であるので、住居表示で「丁目」を使う場合、住居表示未実施地区で住所に「丁目」を使う場合と同義と捉えていいのかもしれませんね。
以上を整理すると、「丁目」の分類としては、
(1)住居表示実施地区で地区を細分する際に用いられる「丁目」
(2)住居表示未実施地区において、地区を細分する際に用いられる「丁目」
※以上は、住所表記に「丁目」が現れます。
(3)住所表記には登場しないが、地域コミュニティを規定する小字的な「丁目」。(1)と(2)の態様に準じ、住所を細分して設定されている場合と、住居表示等によって住所が統廃合されたため、必ずしも住所を細分する形とならない場合、とがある。
ということになりますね。
>このように考えると、「丁目」が成立した経緯は分割ですが、できたものは下位区分な
>どではなく「△△一丁目」と「△△二丁目」はそれぞれ完結した町字名で、たがいに同
>格のものと解釈したほうがいいのではないかと思われます。
以上の考察から、私もこのお考えに改めて同意します。
>私が住んでいる北区の住居表示板も「三丁目10-5」というスタイルで「3丁目10-
>5」というふうにはなっていません。「丁目」を含んだ固有名詞(町字名)という意図で
>つくられているのでしょう。
仙台市でも同じですね。私は長らく大字○○(現在は○○町)地域に居住してきたため、住居表示の感覚は、在仙当時に培いました。
>かつては「町」は町人町、「丁」は武家屋敷地という区別があったようです。また、「町」
>は「まち」、「丁」は「ちょう」と読み分けていたようです。
仙台城下町は、この区分が厳格に運用されていました。たとえば、伊達家の重臣の住む一角は「片平丁」、「堤焼」の窯元の職人が多く住んだのは、「堤町(つつみまち)」というように(現在は、この地区を中心に「片平一~二丁目」と「堤町(つつみまち)一~三丁目」の住居表示があります)。
>住居表示が普及するにつれて「町」も「ちょう」と読み、「丁」が「町」に変更される傾
>向にあるようです。
仙台の「一番町」も、もとは「東一番丁」でした。
>それでも、仙台市や金沢市では「□□丁」という形がまだ残っているようですね。
仙台駅東側には住居表示未実施地区が多く、住居表示実施地区を挟んで「東八番丁」や「東九番丁」などの町名が飛び地的に分布しています。
ちなみに、この東○番丁というのは、第一義は、街路の名前で、現在の一番町通りが「東一番丁」で、そこから東に「東二番丁」、「東三番丁」、・・・と割り出されたものです。