[101512]MI さん
これは恐らく誤植でありまして、同年4月6日縣報p20正誤で次のように訂正されているのです。(pdfの11コマ)
○正誤 縣令第十八號別冊八ページ土村區域根本内新田ハ根木内新田同四十三ページ新町村旭村ハ旭町(中略)の誤
ということで「旭町」が正当だったのです。
早速のフォローありがとうございました。
的確な説明です、この件は
役場位置との対比でも不自然な点がわかるのですが(正誤が比較的早期に出たため?)
国側(内務省)へも上手く伝わったらしく
二十二年末市町村現住人口別冊(M23.10.6告示)でも適切な分類表記となりました。
また、
千葉県統計書(M23)でも町数3となっており、一部では正誤情報が反映されております。
※M23.12.31現在なので、大多喜&旭の他、同年に実施された
勝浦村→町を含めます。
なお、
[68959]MI さんにもありますが新潟県の刈羽郡石地町および中頸城郡大瀁村について
二十二年末市町村現住人口別冊(刈羽郡の村名4番目、上条村の下)→石地町村
同上(中頸城郡の村名9番目)→北大瀁村
新潟県公報でM23.5.2正誤までに2箇所の訂正を示していますが、M23.10.6内務省告示にはまだ反映されていません
(M22.12.31現在の人口を各市区町村から収集しそれを元に作成?)
翌年(M24.7.8告示)
二十三年末市町村現住人口別冊(刈羽郡の町名2番目)→石地町
同上(中頸城郡の村名中ほど明治の隣)→大瀁村
適切な対応がなされているように見えますが、
M23年中の町村分合改称(右上)に石地町村→石地町と誤解を招く記載が見られます。
この2点は現在県サイト(
市町村の変遷一覧表)では以下のような表記となっています。
7.柏崎地域(2コマ)は成立時より石地町であるのに対し、
11.上越市(2コマ)はM23.5北大瀁村→大瀁村の改称
地味ですが、正誤情報については(わかる範囲で)何らかの形で把握しておくと良いと思われます。
不可解な例)M22県令甲第22号をベースに作成されたと思われる
新潟県中頸城郡是を見ると、正誤情報が反映されておらず
更に「北大瀁村」が
M34.11.1の大瀁村成立まで存在したという架空の履歴が示される。
【おまけ】あまり知られていない資料1点紹介
[79130]むっくん さんで解説がなされている
新旧対照市町村一覧の著者は(東京)和泉橋警察署で
冒頭で「先立って警察区画書を作成し、非売品として頒布した」という趣旨の記述がありますが
恐らくその資料は
全国現行警察区画一覧(
M20.10.3版権届)であろうと思われます。
名前からはわかりにくいのですが、内容は警察署管轄毎に多くの町村名が掲載された町村一覧もどき?になっています。
(沖縄・一部島嶼地域除く)
この年代の資料は
地方行政区画便覧(M18年末時点)をほぼそのまま写したものが広く知られていますが、
確認したところ地域によって差はあるものの例えば石川県では
羽咋郡羽咋村→町(M20.5.5
県令第90号)は
反映済み(3行3列)
珠洲郡飯田村→町(M20.9.21
県令第145号)は
未反映(1行2列)
となっており、(表のデザインは似ていますが)完全な複製ではないことが確認できました。
【注】全国現行警察区画一覧について補足、
[78767]千本桜 さんより
仙台区を構成する市制町村制施行前の町村名等の中頃にある
田原長町通, 車町, 柳町通, 北目町通, 新小寺小路, 榴ヶ岡, 長泉寺横
の「新小寺小路」は正しくは「新寺小路」のはずですので、ご確認おねがいします。
地名索引(左ページ5列目最下部)は「新寺小路」ですが、この点は
地方行政区画便覧(5行6列)の記載を引き継いでしまったようです。
宮城県(1行2列)参照
※地名索引も「
木町通」を「
本町通」(左ページ9列目中央部、支倉町の上)とするなど
(国刊行の資料ですらも不可解な箇所がありますので)細かい部分は
[79130]むっくん さんにもありますが
「町」or「丁」のような微妙である箇所を判別する資料としては単独では使えないものと考えています。
仰る通りで、位置づけはあくまで参考資料の一つといったところでしょうか・・・