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88さんの記事が20件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[81871]2012年9月19日
88
[81863]2012年9月17日
88
[81827]2012年9月11日
88
[81700]2012年8月26日
88
[81440]2012年8月14日
88
[81245]2012年8月3日
88
[81134]2012年7月17日
88
[81101]2012年7月14日
88
[81100]2012年7月14日
88
[81026]2012年7月3日
88
[80552]2012年4月22日
88
[80469]2012年3月31日
88
[80457]2012年3月29日
88
[80444]2012年3月29日
88
[80419]2012年3月21日
88
[80341]2012年2月26日
88
[80302]2012年2月18日
88
[80298]2012年2月16日
88
[80273]2012年2月11日
88
[80271]2012年2月11日
88

[81871] 2012年 9月 19日(水)22:04:47【4】88 さん
市制・町村制下の市制施行の根拠について
[81869] むっくん さん
大変参考になる資料の提供、ご教示を頂きありがとうございます。

市制・町村制下の、いわゆる町から市への単独市制施行が、「廃置分合」にあたるとは想定外でした。
やはり、根拠をしっかりと追わないといけません。
ご紹介のように、
○○町(○○村)ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ★★市ヲ置ク
ですから、「改称」はあり得ません。法人格については、いわゆる「新設合併」と、同じ扱いです。そのため、名称もすべてリセットです。
市制・町村制下岡谷市、北見市等の市制施行が、「市制→改称」とも「改正→市制」とも判断つかなかったのは、わかってみれば当たり前のことでした。

ちなみに、町村から市制施行した際に実質的に改称した岡谷市等の例に限らず、単に市制施行した例を確認してみても、ご紹介のように、「○○町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ★★市ヲ置ク」でした。
例:兵庫県赤穂郡相生町→相生市
S17.9.25内務省告示第596号
市制第三条及町村制第三条ニ依リ昭和十七年十月一日ヨリ兵庫県赤穂郡相生町ヲ廃シ其ノ区域ヲ以テ相生市ヲ置ク

なお、これにより、市制・町村制下のいわゆる単独市制施行も、かなり、追加調査の上、変更種別の修正が必要となるものが出てくると思われます。[62660][62661]([62662])拙稿で、M22.4.1当初から明治末までの市制を調査したのですが(実は私の過去の投稿の中で最も自負している投稿)、これを大正・昭和と対象を広げて調査すべきであると痛感しております。
[62660][62661]で述べたように、明治期のものも市制施行も根拠がさまざまであり、これら一つ一つの事例ごとに、法人格が一旦消滅したのか否か、その時点の根拠条文を確実に押さえ、確認することが必要であると考えます。
[62660]のようにM23.5.17法律第36号郡制第2条
第二条 郡内ノ町村ヲ変シテ市ト為シ若ハ市ヲ変シテ郡内ノ町村ト為スハ其市町村会ノ申請ニ依リ内務大臣之ヲ定ム
を根拠として市制施行した例も幾つかあります。
今回ご紹介をいただいた、市制第3条及び町村制第3条を根拠とした市制施行の背景は、M32.3.16法律第65号郡制との関係を含めて考察する必要があると思われます。

変更種別に関しては、[70815]拙稿で
#究極は、「新設」の用語を「合体」に変更したい気持ちもあるのですが、あまりに影響が大きすぎるので当面保留。
と提案したのですが、やはり今回俎上に載せます。
従来の「新設」を、「合体」と「新設」に使い分けることを提案します。
「新設」は合併を伴わない「新規設置」との意味に使用します。具体的には、今回のような市制第3条・町村制第3条による単独市制の例や、熊本県八代郡郡築村岡山県児島郡藤田村秋田県南秋田郡大潟村など、法人格が新たに生ずる場合に「新設」を使用します。
一方、いわゆる「新設合併」については「合体」とします。この場合、従前の法人格が一旦消滅し再設置する意味では「新設」の意味を含むのですが、地方自治法の条文に出てくる法律用語ではないものの、新設合併を「合体」、編入合併を「編入」と称するのは、合併の世界では一般的であることからも、紛れがないと思います。
#滋賀県HP内の「市町村合併ハンドブック」のページ(今はリンク切れに、私は手元にデータを保管)では、市町村合併の詳細な解説をしていたのですが、「合体」「編入」を使っていました。IssieさんのHP市一覧表むじながいりさん(エイちゃさん)のHP市町村変遷パラパラ地図でも同様です。)

もっとも、[市区町村変遷情報における表現は、上記「合体」の変更種別の導入の是非、また、[70815]88、[81866]グリグリさんの、「/」ではなく「→」「・」の導入の有無により異なってきます。

>皆さま
市区町村変遷情報において、どのような表現をすればわかりやすく、かつ、正確であるかについてご意見をいただければ幸いです。
>グリグリさん
この件については、[81866]の件と合わせて、別途、意見のメールを送付します。少々時間をください。また、グリグリさんもよろしくご検討ください。

――――――――――
以下、本論とはあまり関係のない余談です。

M44.4.7法律第68号市制
第三条 市ノ廃置分合ヲ為サムトスルトキハ関係アル市町村会及府県参事会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
はその後、2回改正されています。
まず、S18.3.20法律第80号市制中改正法律により
第三条 市ノ廃置分合ヲ為サムトスルトキハ関係アル市町村会ノ意見ヲ徴シテ内務大臣之ヲ定ム
に改正されています。この改正の施行は、同法附則第1項
本法施行ノ期日ハ各規定ニ付勅令ヲ以テ之ヲ定ム
を受けた、S18.5.25勅令第442号昭和十八年法律第八十号市制中改正法律及同年法律第八十一号町村制中改正法律ノ一部施行期日ノ件
昭和十八年法律第八十号中市制・・其ノ他ノ未ダ施行セラセザル部分ハ同年六月一日ヨリ之ヲ施行ス
により、S18.6.1施行です。
(S18.3.25勅令第180号昭和十八年法律第八十号市制中改正法律及同年法律第八十一号町村制中改正法律ノ一部施施行期日ノ件の対象外であるので、「其ノ他ノ未ダ施行セラセザル部分」となります。)

2回目の改正は、S21.9.27法律第28号市制の一部を改正する法律により
第三条 市ノ廃置分合ヲ為サムトスルトキハ関係アル市町村会ノ議決ヲ経テ内務大臣之ヲ定ム
と、改正されています。この改正は、同法附則第1項
この法律中公民権に関する規定(名誉職に関する規定を含む。以下これに同じ。)及び議員の選挙に関する規定(附則第十項及び第十一項の規定を除く。)は、次の議員の総選挙から、これを施行し、その他の規定の期日は、各規定について、勅令でこれを定める。
を受けた、S21.10.4勅令第466号昭和二十一年法律第二十八号(市制の一部を改正する法律)及び昭和二十一年法律第二十九号(町村制の一部を改正する法律)の施行期日を定める勅令
昭和二十一年法律第二十八号・・は、これらの法律中公民権に関する規定・・を除き、昭和二十一年十月五日から、これを施行する。
により、S21.10.5施行です。

このため、ご紹介の(1)から(4)は、市制第三条とはいえ、趣旨は全く失われませんが、その時点により、微妙に条文が異なっております。

――――――――――
実は、私も市制・町村制、地方自治法などが何度も改正を重ね、条文が年代によりその都度異なっていることを痛感し、各法の改正沿革を片っ端から追い、エクセルで逐条の改正沿革がわかるような膨大な表を作成したからです(地方自治法改正の逐条の沿革をまとめたファイルは12.7MBにもなってしまいました)。
ちなみに完成したのは、地方自治法、市制(旧)、町村制(旧)、市制(新)です。
町村制(新)、府県制などは、これからの構想です。

#文章の順序入れ替え等、言いまわしを大幅に修正(9/20早暁)
[81872] 伊豆之国 さん のご指摘により修正(多謝)
[81863] 2012年 9月 17日(月)21:08:0488 さん
市区町村変遷情報 暫定レス
申し訳ありません。
ちょっと投稿・調査の時間が不足しているので、最小限だけのレスを。

[81862] hmt さん
変更種別の件。
[70815] 拙稿で、「市制/改称」「改称/市制」などの「/」の意味、また、幾つかの記号を導入する案など、検討案をお示しし、[71000] グリグリ さんでもレスをいただいています。
例えば土佐市の例など、市制と改称が同時という意味をこめて「市制改称」と変更種別を試したことがあったのですが、市区町村変遷情報のプログラムの都合もあってか、エラーで弾かれたことがあります。変更種別そのものや、「/」にも意味を持つよう設計されているようです。
やはり、将来構想としては、同時か、順を追ってか、は区別したい、との希望を持っています。

[81849] グリグリ さん
土佐市の件。
私自身も気になっており、今年は高知へ行く機会をとらえて高知県立図書館か土佐市立市民図書館を訪問して「土佐市史」(編:土佐市史編集委員会、出版:土佐市、1978年12月)を閲覧しようと考えたのですが、図書館の開館時間中に調査時間(2時間は要するか)を確保する訪問ができず、いまだに実行できていません(既に今年10回は高知へ行っているにもかかわらず・・ほとんどは高知市が目的地)。申し訳ありません。今年中にまだ2回くらいは高知へ行きそうなので、なんとか、近々には、と思うのですが。
高岡町→土佐町か、または高岡市→土佐市の改称条例があるはずなので、それを探すのが主たる目的です。

[81855] [81859] グリグリ さん
[81857] Issie さん
[81861] hmt さん
砺波市の件。
実は4年ほど前に、いろいろ悩んだ挙句、「市制/改称」としました。正直、不十分な対応です。総理府告示は、もちろん、その市制前後を含めて確認したのですが、告示が矛盾した表記となっています。
その後、誰かからツッコミが入るだろうと思い(関連する10番勝負の出題もあった記憶あり)、そのままにし、今回まで失念していました。
詳細は追って。取り急ぎ、最小限、事実のみご報告。
官報情報検索サービスからです。
S27.4.1付け新設合併東礪波郡礪波町S27.5.13付け総理府告示第119号
(従前:東礪波郡礪波町)
S29.1.15付け編入合併東礪波郡礪波町S28.12.28付け総理府告示第279号
S29.3.1付け編入合併東礪波郡礪波町S27.2.27付け総理府告示第60号
S29.4.1付け市制砺波市S29.3.27付け総理府告示第241号
(従前:東礪波郡砺波町)
S30.1.10付け編入合併礪波市S29.12.27付け総理府告示第1152号

鹿児島県揖宿郡指宿町の例([81134])と同様、当初から「東礪波郡砺波町」とし、市制時は「砺波町→砺波市」との「市制」の変更種別にするべきか、とも今は思っていますが、また後日。

[74087]拙稿「旧字体・新字体の表記方法について (ex. 条 or 條)」において、私としては、ひととおり、旧字体・新字体に関しての方針を整理したつもりでした。ところが、[80268]中島悟さんのご指摘にも関連し、漢字制度の変遷を整理しなければ中途半端になる、[74087]では不十分であることが判明しました。誤り、というよりは、方針を追加する必要があると考えたものです。
で、漢字のデータを整理していたのですが、私の不注意でそのデータの一部を削除してしまったようで、復旧に時間がかかってしまっております。申し訳ありません。

――――――――――
グリグリさんへ業務連絡。
瞬間の市の説明文で、
南大阪市は1日だけ存在した市だったのです。
云々がありますが、以下の表現・考え方が正確かと思います。
1月15日の1日間が南大阪市で、1月16日付けで羽曳野市に改称したのであれば「1日存在した」です。今回の例は、「一瞬」であり、「0日」とも言えます(「0」と「-」の違い、という意味をこめて)。「1日」ではありません。もっとも「1日も存在しなかった」というと、また日本語表現が不自然になってしまいそうです。
例えば、宇島市は、4月10日~13日の4日間存在し、4月14日以降は豊前市、と数えます。それとの整合からも、南大阪市は1日ではなく、強いて言えば0日、無難に言えばやはり一瞬かと。

別件ですが、関連して。
消滅した市では、豊前市は4月13日から、となっています。4月14日が正解です。これは以前、私が市区町村変遷情報データを修正した件のあおりが残っているものと思われます。申し訳ありません。
[81827] 2012年 9月 11日(火)21:08:0988 さん
愛媛県 北宇和郡 明治村 の読み方について
レスしたいこと・するべきことは山ほどあるのですが、簡単にできるものを。

[81820] グリグリ さん
[81826] むじながいり さん

愛媛県 北宇和郡 明治村の読みについて。

(1)M22.11.11付け(愛媛)県令第64号299コマ目では、
「あけはる」
です。(むら・そんの別は記載なし)

(2)大日本市町村名鑑(出版:明治26年11月)星野文三:編、出版社:博聞社の292コマ目では、
「あけはる」
です。(むら・そんの別は記載なし)

(3)「市町村名変遷辞典 三訂版」(999年9月20日三訂版初版発行、2003年8月30日三訂版3版発行)編:地名情報資料室、責任編集:楠原佑介、発行所:株式会社東京堂出版では、
「あけはる・むら」
です。

(4)「旧市町村名便覧 ~明治22年から現在まで~」(平成11年4月15日発行初版発行)編者:日本加除出版編集部、発行所:日本加除出版株式会社では、
「あけはる」
です。(むら・そんの別は記載なし)

(5)「幕末以降市町村名変遷系統図総覧 改訂版2」(1995年9月10日初版発行、2000年9月30日改訂第1刷発行)監修:西川修、編著:太田孝、発行所:株式会社東洋書林では、
「あけはる」
です。(むら・そんの別は記載なし)

(3)(4)(5)の文献は、私は所有しています。

それぞれの資料の特徴(参考とした、とされる資料)、そもそも市町村の読みとは、については、後日といたします。
[81700] 2012年 8月 26日(日)20:33:2488 さん
第三十五回 十番勝負
ヒント後とはいえ、一般問題の一発完答は、
ロートル(シニア)コース(自称)。

問一:岐阜市
問二:瑞浪市
問三:安城市
問四:蒲郡市
問五:甲府市
問六:各務原市
問七:関市
問八:高山市
問九:郡上市
問十:静岡市
[81440] 2012年 8月 14日(火)21:10:2788 さん
変遷情報図書室について
最初にお詫びです。
[81245]拙稿の
このような「変遷情報図書室」という形で保存されるのであれば、私としてもうれしいです(他力本願)。
は、「誰かが保存して、(一般に公開するのではなく)例えば落書き帳メンバーに限定的して見ることが可能である、又は、メールで送付していただいて、私が大字・字を容易に確認できる」との趣旨でした。この構想(単なる妄想、他力本願ですが)は、以前から私は思っており、今回のグリグリさんの提案は同じ趣旨だ、と早合点したものでした。
しかし、グリグリさんは[81236]
これらの資料の著作権に関しては、公開された公的な情報であることから、再利用や公開には問題ないと考えていますが、
と書いており、「保存」にとどまるのではなく、「公開」との趣旨のようです。これは、単に私の読み飛ばし・ミスです。

この点をまず最初にお詫びした上で、私の意見は、グリグリさんと全く異なることを、述べておきます。グリグリさんの一連の発言からみると、グリグリさんの考えている「図書室」は、そのまま行動すると、大いに問題があると考えています。
私の意見の趣旨は、みかちゅうさん、hmtさんと同じです。詳細(お二人の意見と重複しない、補足となる意見) は現在執筆中ですので、さらに、追って別稿にて意見を述べます。
[81245] 2012年 8月 3日(金)21:17:51【1】88 さん
市区町村変遷情報、年表類の集積、変遷情報図書室について
[81236] グリグリ さん
[81240] hmt さん
hmt さんがうまく整理していただいているので、それに沿ってコメントします。

膨大な数の個別情報を網羅し、その要点を集大成する 市区町村変遷情報
何かと、市制町村制以前の町村についても話題になっています。何度も述べていますが、私個人としては、既入力分の精度の向上、表示方法の検討、機能強化とともに、さらなる時代の遡りという野望を持っています。明治初期か、天保郷帳あたりまでは何とかなるのではないか、と([58109]oki さんも参照)。

現存市町村を主体とするWebページ中にある ビジュアルな視点で読者に訴える年表類を集積[64001]
[64001]グリグリさん の書き込みの頃に書いたような気もしますが、試行品(注:誤りあり)を全国展開することが、私の野望です。もっとも、膨大な時間と手間がかかるのは間違いないので(私はさらに「近世村」と「現行町・大字」を並べようとしているので余計時間がかかる)、それまでの一時的なものとしても、また、特に明治初期の廃置分合の補強資料としても、有意義であると考えます。
市区町村変遷情報のような個別情報の羅列とは異なり、表形式は視覚的にわかりやすいことは間違いありません。
なお、ビジュアル的なものとしては、むじながいりさん(エイちゃさん)のつかんぼやと市町村変遷パラパラ地図にはかないません(もちろん都道府県市区町村のメニューではありません)。

個別情報・集積情報を問わず、詳細を保存する価値ある情報を集める 変遷情報図書室[81236]
市区町村の変遷とは、ちょっと違う観点から一言。
平成の大合併の合併協議会においては、「基本的協定項目」や「合併特例法に規定されている協定項目」ではありませんが、「その他必要な協定項目」の中に「町名・字名の取扱いについて」を定めます。
合併協議会のHPにもよりますが、その時点での各市町村の個別の町・大字・字の名称や、合併後の取扱いについて詳細に記載されているものが多くあります。
例1:美馬郡東部・北部合併協議会(美馬市)第12回合併協議会会議資料(pdf、11/107コマ以降)
例2:輪島市・門前町合併協議会(輪島市)第3回合併協議会資料(pdf、99/105コマ以降)、第3回合併協議会会議録(pdf、17/23コマ以降)
私が個人的に、市区町村の変遷とあわせて拘っている、町、大字、字については、資料をweb上ではなかなか発見できないのですが、合併協議会を契機に、これらの情報が俎上に載るということになっており、この資料を片っ端から収集して保存しておきたいなあ、と思っているところです。しかし、実行には至っていません。もし、このような「変遷情報図書室」という形で保存されるのであれば、私としてもうれしいです(他力本願)。

#こういった膨大な、しかし有意義な作業を実施するためには、やはり、「株式会社都道府県市区町村」・・?
[81134] 2012年 7月 17日(火)21:22:20【1】88 さん
市区町村変遷情報 小レス 揖宿郡 揖宿村 or 指宿村
市区町村変遷情報の修正作業については、最近は主として、[79760][79772][79782][79794][80267][80268][80316] にわたる一連の 中島悟 さん からのご指摘に対する対応を行っておりました([79775][79792] hmt さん からも、関連するコメントをいただきました)。これらを優先していたのは、一目見て、誤りである、というものを多く含んでいたからです。個々のレスは追って行いますが、データの修正作業自体は、逐次、進めております。

今回は、そのご指摘のうち、1点だけ、頭出しして述べます。
[80268] 中島悟 さん で、漢字の旧字体や異字体などの「表記のゆれ」を中心とした、市区町村変遷情報内における変遷がつながっていない事例をご指摘いただきました。
今回触れるのは、鹿児島県指宿市に関する情報で、鹿児島県市制町村制施行時の情報では「揖宿郡揖宿村」となっているものの、その後S8.5.1付けで町制施行する際には揖宿郡指宿村から指宿町となっており、「揖宿」「指宿」が食い違っている、とのご指摘でした。
この件について、幾つかの観点から検証します。

■(1)「指」「揖」の漢字の取扱い(異体字か否か、等)
「漢字源」(学習研究社、1999年4月1日改訂新版第6刷)によると、次のとおりです。
「指」形成文字。「手+旨(音符)」で、まっすぐに伸びて直線にものをさすゆび。
「揖」会意文字。口+耳で「くっつける」、「手+(口+耳)」で「手をくっつける」であり、敬意をあらわすために両手を胸の前であわせる、くむ。
語源も異なり、異体字でも、旧字体・新字体の関係でもありません。

■(2)M22.4.1付け鹿児島県市制町村制施行の根拠である(鹿児島)県令の記述
市制町村制施行時の情報に関しては、いつもご指摘をいただいている むっくん さん が、[69735]で鹿児島県についてもご指摘をいただいています。しかし、このときには、当該「揖宿郡 揖宿村 or 指宿村」についてはご指摘がありませんでした(このため「揖」宿村のまま)。
[69735] むっくん さん でもご紹介がありますが、むっくんさんが参考にされた、M22.3.5付け(鹿児島)県令第26号は、「鹿児島県市町村変遷史」(編さん:鹿児島県総務部参事室、発行:鹿児島県、S42.2.20印刷、S42.3.10発行)のp.85以下に記載されています。私も同じものを図書館で借り出して確認しました。ここでは、確かに、p.87に「薩摩国揖宿郡揖宿村」とあります。

■(3)各種文献における記載
「総覧」・・市制町村制施行時は揖宿村、町制施行時は指宿村、以降はすべて指宿
(ただし、同書は市制町村制施行時はすべて旧字体を使用しており、どこまで意識して使い分けているかは疑問)
「幕末以降総覧」・・市制町村制施行時を含めてすべて指宿
「便覧」・・市制町村制施行時は記載なし、町制施行時は指宿村、以降はすべて指宿
「辞典」・・市制町村制施行時を含めてすべて指宿
以上4文献とも、「揖宿→指宿」との改称は記載がありません。
新旧対照市町村一覧(編著:和泉橋警察署、出版:加藤孫次郎、明22.12)・・揖宿村
大日本市町村名鑑(編著:星野文三、出版:博聞社、M26.11.9)・・指宿村(ただし「サシュク」とのフリガナあり)
大日本全国各府県市町村新旧対照一覧(編著・出版:中村芳松、M28.3.5)・・指宿村(ただし「サシュク」とのフリガナあり)

■(4)市制町村制時以降の根拠規定
S8.5.1付けでの町制施行の根拠を資料を私は確認できていません。
S29.4.1付けで指宿市が発足する際の根拠であるS29.3.30付け総理府告示第400号は確認済みであり、市制施行時の従前は鹿児島県揖宿郡指宿町です。

■(5)内務省「市町村現住人口」等によるもの
M23.10.6付け内務省告示第34号M22.12.31市町村現住人口揖宿郡揖宿村
M24.7.8付け内務省告示第30号M23.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M25.7.15付け内務省告示第29号M24.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M26.7.27付け内務省告示第37号M25.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M27.7.25付け内務省告示第95号M26.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M28.7.31付け内務省告示第98号M27.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M29.8.1付け内務省告示第58号M28.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M30.10.16付け内務省告示第63号M29.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
M31.9.13付け内務省告示第92号M30.12.31市町村現住人口揖宿郡指宿村
日本帝国人口静態統計(大正7年)T7.12.31市町村本籍人口、現住人口及現住戸数揖宿郡指宿村
M22.12.31現在の告示を除くと、一貫して「揖宿郡指宿村」です。

■(6)その他資料
「鹿児島県市町村変遷史」のp.429以下の「指宿市」の項に、S29.4.1付けで指宿市が誕生する際の市名について記載がありましたので、以下に引用します。
一 新市名選定の理由及び新事務所の位置及びその位置決定の理由
(一) 新市名選定の理由
 指宿町一帯は温泉随所に湧出し、温泉量の豊富なことは別府附近以上とも称されているが、古来この地域は「湯豊宿(ゆはしゅく)」、即ち「湯の豊かなる宿」として世に知られていたが、今を去る約千三百年前、天智天皇薩摩大隅地方の巡幸の砌、高須(鹿屋市の海岸)より海路この地へ向われたのであるが、天皇が「人の宿程遠い」と云われたのに対し、案内の者が対岸をさして「湯豊宿」という所がもうすぐそこですと答えたところから「湯豊宿」が転化して「指宿(ゆびしゅく)」さらに「指宿(いぶすき)」と称えられるようになったことが伝えられている。
 この地方の郡名を「揖宿郡(いぶすきぐん)」と呼ぶが「いぶすき」なる名称は温泉郷、観光地として全国に有名であるので、新市発足にあたり、市名を「指宿市(いぶすきし)」と選定したものである。

結論
M22.4.1付け市制町村制施行時から、揖宿郡指宿村と、「指」であったと判断し、修正しました

中島悟さん、ご指摘をどうもありがとうございました。
他のものは、もう少しお待ちください。
[81101] 2012年 7月 14日(土)15:38:11【1】88 さん
登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)のご紹介
[81100]と関連するのですが、敢えて別稿に。
同稿で、小字の調査方法について一部記述がありますが、同稿で触れた知人から紹介を受けたサイトをご紹介します。

登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)

以前、登記情報提供サービスをご紹介したことがありますが、データに関しては共用している部分が多いようです。

登記情報提供サービスは、地番区域が大字単位の場合、小字の表示が出ません。大字単位で付番しているため、現実に小字が存在しても、検索には不要であるためです(もっとも、実際に登記簿(現在ではほとんど電算化しているため、「登記事項証明書」と呼ぶ)を取った場合、小字が存在した場合は、もちろん記載されています)。
最近では、小字がなく、町・大字から直接地番となる例も増えてきていますが([66921]拙稿)。

登記・供託オンライン申請システム(登記ねっと供託ねっと)の「かんたん証明書請求」を使用します。
事前に登録(無料)をしておけば、本当に全部事項証明書を正式に請求できますが(有料)、無料で利用できる範囲で有意義なものもあります。
この「かんたん証明書請求」を使うと、地番区域が大字単位であっても、小字の表示が出てきます。市町村ごと、町・大字ごとに、下階層へとたどることができます。これらの調査までは無料です。
個々の地番の情報(所有者、地積、地目等)を得ようとすると、有料となりますが、無料のメニューの範囲内で、小字の有無・名称を調べることはできます。

ただし、注意点があります。
閉鎖登記簿(現在の情報ではなく、土地の合筆などによって現在では存在しなくなった地番の情報)をも得ることができるように対応しているため、その結果として、現在では存在しなくなった市町村はもとより、廃止された町・大字、小字が記載されていることがあります。市町村名は過去のものであるか否かは少し調べると容易にわかりますが、町・大字、ましてや小字は、現在も存在するのか否か、は、容易には分かりません。個別情報を「有料」で調べればもちろんわかるのですが、無料でたどり着ける範囲では、混在している可能性が十分にあるので、完全な資料とはなりません。
もう一つ。例えば○○郡○○町に「大字△△」があり、その中に字(小字)が「字□□」「字☆☆」の2つが表示されたとします。このうち、「字☆☆」は既に廃止されているかもしれない、というのは上述のとおりですが、この場合、すべて「字□□」に組み込まれたのか、それとも、「大字△△999番9」と、小字そのものが廃止されて直接地番となるのが正しいのか。つまり、現在は「字□□」「字☆☆」「小字なし地域」の3とおりあるのかどうか、がわからないことです。
「小字なし地域」との区分があれば明確で便利なのですが。

こういった点にご留意の上、(利用時間に制限はありますが、)ご利用してみては如何でしょうか。
#私は、試しに香川県内の全小字を、(他の作業と並行して)抽出・リスト化中です。
[81100] 2012年 7月 14日(土)14:37:07【2】88 さん
Re:土俗森ト唱フ
[81018] YT さん
以前から閲覧可能だった『明治八年共武政表』と異なり、これら三年分の『共武政表』はそれぞれの地方についてはるかに詳しい内容を含んでいます。是非皆さんも確認してください。
この投稿を受けて、地元讃岐国を閲覧していたところ、[81020] 白桃 さん の投稿とまったく同じ点に着目していました。白桃さんほどの地元ではないとはいえ、「森」は聞いたことがありませんし、・・・他の同様の事例では、現在の集落が容易に判別できます(この件は後述)。
で、[81020] 白桃 さん から
こういうことは、88さんにお伺いしてみよう。^i^)~~)
と、御下問がありましたので、調査してまいりました。と言っても、東かがわ市在住の知人に、調査を丸投げしただけなのですが、その調査結果を抜粋してここにご報告いたします。

――――――――――
まずは、地図を2枚ご覧ください。地図(1)  地図(2)
(距離・時間の表示が邪魔なので、ページ右上の「ふきだし表示」のチェックを外すと見やすくなります。・・いい表示方法を発見できず。)

(2)の青色の範囲が、現在の字森町です(一部推測を含む)。これは、(大字)松原字森町です。一方、(大字)湊には字森町は存在しません。
字森町の範囲は、狭小です。この地域のすぐ西(白鳥郵便局の前の通りよりは東側)には「松原字芝居町」があり、一方、この地域のすぐ東(白鳥神社の南東側)は「松原字本村」です。
白鳥神社や、その北側に広がる松林が字森町に該当するか否かは未確認。
(1)の「赤色」が、森町自治会の範囲です。松原字森町のすべてを含みますが、さらに、南側の湊の一部を含みます(このあたりは湊字水入)。ちなみに、地図中「鶴内神社」がありますが、この神社に隣接して、「森町自治会館」があります。

要約すると、次のとおりとなると思われます。
・字森町は、現在も(大字)松原にのみ存在する。(大字)湊には存在しない。
・現在も「森町」という自治会があり、(大字)松原字森町のすべてと、(大字)湊字水入の一部が加入地域である。

なお、同知人からは、「想像するに『森』は『白鳥神社の門前街』であり、日本武尊伝説のある白鳥神社の門前として、陸軍参謀局の資料である共武政表でも触れたのではないか」との意見がありました。
また、湊と松原(旧白鳥本町)の境目は、現在では不分明であるが、松原(旧白鳥本町)と白鳥(旧白鳥村)の境目・所属意識は、地元においては厳然として現在も存在する、との参考意見も頂きました。

――――――――――
さらにここからは別の観点からの私の推測です。
香川県における市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠であるM22.12.28付け(香川)県令第22号大内郡の項をご覧ください。
市制町村制施行後、大内郡の(新)松原村となるのは、
帰来村 伊座村 松原村 湊村字水入ノ内宅地三反弐畝廿弐歩畑九畝廿歩
であり、(新)「白鳥村」となるのが、
白鳥村 湊村 内字水入ノ内宅地三反弐畝(弐畝)廿弐歩畑九畝廿歩ヲ除ク
です。
(旧字体は新字体に引用者が置換え。( )内の「弐畝」は、重複誤りと思われます。)
この、(旧)湊村の内、(新)白鳥村ではなく、(旧)松原村と一緒に敢えて(新)松原村となった「湊村字水入ノ内宅地三反弐畝廿弐歩畑九畝廿歩」が、今回の話題となっている「森」のうち、現在松原になっているものの内、元は湊であった区域でないか、と思う次第です。

――――――――――
さて、冒頭に挙げた、共武政表における輻輳地の件。
試しに、讃岐国の、町村にまたがる輻輳地が、現在のどのあたりになるのか、あたってみました。
(1)大内郡 森
前述のとおり。
(2)山田郡 川島
「坂元村、高野村」という記載と、M23.2.15付けでの両村+上田井村との合併による山田郡坂ノ上村木田郡川島町への町制/改称、それを引き継いだ木田郡山田町高松市に編入合併される際のS41.6.23付け香川県告示第429号新町名設定の件から見ても、高野村が現川島本町、坂元村が現川島東町であることがわかります(高松市川島本町・川島東町付近の地図)。
(3)香川郡
香川郡坂田村、万蔵村という記載などから、高松市室町付近に当たると考えられます。
なお、現在、「高松市室町字室」です。地番区域は室町としての付番で、また、字室以外に字はなく、住所上は「字室」は表記しません。
(4)香川郡 橋詰
香川郡坂田村、勅使村という記載などから、高松市の橋詰バス停付近であると考えられます。
(5)香川郡 仏生山町
この5例の中では、最も容易。ただし、さらに詳細に。
香川郡百相村、出作村という記載と、M23.2.15付けでの香川郡百相村香川郡仏生山町への町制/改称(あわせて多肥村大字出作の一部をさらに編入)、高松市に編入合併される際のS41.9.30付け告示第105号の5新町名設定の件から見ても、高松市仏生山町(地番に甲を付す地域が元百相村、地番に乙を付す地域が元出作村)であると考えます。

なお、香川県における市制町村制施行に伴う廃置分合の根拠であるM22.12.28付け(香川)県令第22号:http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788358/113
香川郡の項をあわせてご覧ください。
市制町村制施行後、香川郡の(新)多肥村となるのは、
出作村 内字松ノ上、字松ノ下、字下町ヲ除ク 上多肥村 下多肥村
であり、(新)百相村となるのが、
百相村 出作村ノ内字松ノ上、字松ノ下、字下町
です。大内郡の森の例と同様、「出作村ノ内字松ノ上、字松ノ下、字下町」が、共武政表でいうところの、
出作村 五十戸 百八十九人
であり、M23.2.15に(新)出作村とならずに(新)百相村となった区域ではないかと考えます。

――――――――――
#今回の件で、市区町村変遷情報において、皆さんのご意見を踏まえ、「○○村(本)」「○○村(微)」と記載したことが十分意義があった、と、自賛しているのですが・・・。
[81026] 2012年 7月 3日(火)00:12:4688 さん
湯瀬オフ会
投稿したいことはたくさんあり、順次執筆中ですが、たまにはこんな書き込みを。


第5回落書き帳公式オフ会は、初めての一泊型オフ会でした。会場は、秋田県鹿角市の湯瀬ホテル
実は、先日読んだ本の中に、この市の湯瀬ホテルがモデルではないかと思われる記述があり、懐かしく感じ、筆を執った次第です。

木山捷平の「ななかまど」。講談社の講談社文芸文庫井伏鱒二/弥次郎兵衛/ななかまどに収録されています。
巻末の年譜によれば、木山捷平が昭和41年9月に八幡平へ取材旅行を行っており、「ななかまど」は、昭和43年3月に「別冊文芸春秋103号」に発表されたものです。
木山捷平「ななかまど」は、取材旅行を元に書き起こした小説で、著者木山捷平は「木井」として出てきます。主人公木井が、東北へ出かけた際に「ななかまど」を一枝取って帰るのですが、旅先やその往復の旅程での出来事が書かれ、また、同時期に発生した羽田沖墜落事故(昭和41年2月)も話題として触れられています。
木の「ナナカマド」は、鹿角市の市の木にも指定されており、同地を含め東北地方ではよく見られる木のようです。

小説「ななかまど」中、オフ会会場である湯瀬ホテルを思わせる記述を、以下に抜粋します(前述の講談社文芸文庫より引用)。
・・自動車は八幡平駅から米代川の流れに沿って東へ向かった。・・宿に着いたとき、木井は何となく失望感を覚えたのは、宿が何階建てかのビルになっていたからであった。・・ビルの廊下を百歩ほど歩いて、奇妙な橋に出た。その橋はその宿屋専用の橋で、新館と旧館をつないでいる橋だった。新館がビルで、旧館は日本式の宿屋だった。・・木井は橋を渡って新館の大風呂へ出かけた。・・宿が出してくれた車で、木井は湯瀬駅へ向った。乗車時間は二分くらいのものだった。・・
湯瀬ホテルの建物の改築の経緯や、木山捷平が宿泊した由縁云々は存じませんが、地図で見た感じからも、他に該当しそうな宿泊施設は見当たらず、ほぼ、同ホテルが題材として間違いないと思われます。

ほんの3年半前のオフ会なのですが、もう、懐かしく感じます。
[80552] 2012年 4月 22日(日)22:15:4988 さん
S25国勢調査政府統計と市区町村変遷情報との整合について
[80441] hmt さん
ついでに、埼玉県以外にも目を通してみたところ、「50a-z01j」の次の箇所も、変遷情報と相違していました。
北海道 24.1.1上砂川町【変遷情報24.4.1】、24.11.1下川町【24.12.1】、千葉県 24.11.3大柏村の市川市編入【24.11.1】、新潟県 22.11.12片貝町【22.11.3】、愛知県 23.4.1碧南市【23.4.5】、三重県 25.8.1井田村【猪田村】、岡山県 22.12.9福田町【22.12.25】、大分県 24.4.1野津町【24.7.1】

[80443] 紅葉橋律乃介 さん
官報ではどうなっているのでしょう…>88さん?

[80444] 88
ほぼ調査を終えましたが、少々お待ちを。

お待たせいたしました。
ご指摘の各情報について、総理庁告示等を官報情報検索サービスで調査した結果は次のとおりです。
内容S25国調政府統計告示日告示番号施行日等
北海道空知郡上砂川町の分立S24.1.1S24.4.27総理庁告示第60号S24.1.1
北海道上川郡下川村→下川町の町制S24.11.1S24.3.25総理府告示第54号S24.12.1
千葉県東葛飾郡大柏村の市川市への編入S24.11.3S24.12.9総理府告示第151号S24.11.3
新潟県三島郡片貝村→片貝町の町制施行S22.11.12S22.11(官報広告[80444])S22.11.3
愛知県碧海郡3町1村の合併・碧南市にS23.4.1S23.4.15総理庁告示第67号S23.4.5
三重県上野市に編入される名賀郡の村名井田村S25.8.4総理府告示第245号猪田村
岡山県児島郡福田村→福田町の町制S22.12.9S23.1(官報広告[80444])S22.12.9


北海道空知郡上砂川町の空知郡砂川町の一部・歌志内町の一部からの分立をS24.1.1付けに、
千葉県大柏村の市川市への編入をS24.11.3に、
岡山県児島郡福田村→福田町の町制をS22.12.9に、
それぞれ修正しました。

北海道上川郡下川村→下川町の町制、新潟県三島郡片貝村→片貝町の町制、愛知県碧海郡3町1村の合併・碧南市に、三重県上野市に編入される名賀郡の村名:猪田村、は、そのままとしました。

なお、大分県
臼杵市・野津町任意合併協議会HP中の野津町の合併の歴史を見ても、S24.4.1に野津市村が野津市町となった旨の記載はありますが、野津市町が野津町となった年月日は定かではありません。
官報情報検索サービスによると、
●総理庁告示第五十三号
村を町とする処分
地方自治法第八条第三項の規定により、昭和二十四年四月一日から、大分県大野郡野津市村を野津市町とする旨、大分県知事から届出があつた。
昭和二十四年四月二十七日
内閣総理大臣 吉田  茂
(旧字体は新字体に引用者が置換え)
であり、野津市村が野津市町となるのはS24.4.1付けです。
一方、「野津町」への改称の総理庁告示は見当たりません。

いつもの各文献の記載は次のとおりです。
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・S24.4.1野津市村→野津市町、S24.7.1野津市町→野津町
「辞典」・・S24.4.1野津市村→野津市町、S24.7(6).1野津市町→野津町

現時点ではこれ以上の資料を見つけられませんので、S24.4.1付けで野津市村→野津市町S24.7.1付けで野津市町→野津町と、そのままとしました。新たな信頼できる資料があれば、また検討します。

――――――――――
以下余談。
4月1日付けで職場の人事異動の網に引っかかってしまい、新環境で悪戦苦闘中です。多忙云々というより、まだペースがつかめていません。私の場合、本来、単に多忙であれば、合間を縫って市区町村変遷情報の編集作業や手持ち作業等を行うことが息抜きにもなるのですが、この3週間ほどは、休日など外出した際はそれなりにリフレッシュしているものの(昨日はこんぴら歌舞伎(金丸座)へ行ってきました)、平日帰宅後はなかなかそういう状況には・・・自分自身のリフレッシュのためにも、積み残し作業に復活したいところ。

十番勝負に関して。
[80543] グリグリ さん
最近強化した変遷情報検索や大幅リニューアルした市区町村変遷情報からの出題が多くなるかと思います。ぜひ、いろいろ予想していただければと思います。>皆さん
皆さまからのご指摘への対応の修正作業が、中途半端のままとなっております。申し訳ありません。市区町村変遷情報の誤り等に関する十番勝負上の取扱いについては・・・グリグリさんにお任せします。

・・・言い訳でした。
[80469] 2012年 3月 31日(土)16:55:5188 さん
市区町村変遷情報 詳細情報のリンク先の設定について
[80446] グリグリ さん
[80411] hmtさんの記事に始まる表題の件、非常に貴重で面白い議論が続いています。資料価値も非常に高いと思いますし、うまくまとめたいなと思っています。まとまった記録としては、hmtマガジンでいずれ取り上げられると思いますが、落書き帳の書き込み記事をもう少し手軽に記録保存することができないかなと考えています。例えば、変遷情報の詳細記録ページに記事番号や記事集をリンクするのはどうでしょうか。

例えば、Issieさんの「旧座間町の分離について」[80429][80430][80431] は、相模原町の町制の詳細情報と相模原町からの分立の詳細情報に、関連落書き帳記事としてリンクを貼ると有効だと思います。落書き帳には、このような記事が星のように数多く輝いていますので、変遷情報についてはこのような手法で生かしたいと考えます。いかがでしょうか。>88編集長

同様の事例として、[77331] グリグリ さん において、2011(H23).1.4付けでの蓮田市の名称変更の事例がありました(私としてはそういう感覚でした)。具体的には、市区町村変遷情報の個別情報において、「協議会名称等」欄で、従来は合併協議会(法定、任意)へのリンク等を主にしていたところ、同様に根拠となる市の名称変更に関する条例へのリンクへと運用を拡張していただきました。  2011(H23).1.4付け 蓮田市 詳細情報
根拠規定等にリンクを張ることは、根拠規定を確認したうえで編集作業を実施している、ということを示すこともでき、市区町村変遷情報の正確性をアピールできる面もあると考えています。以前にも、皆様から提案をいただいたことがありますが。
例えば近代デジタルライブラリーの各ページをリンク先として設定することでも、閲覧者の利便性は高まると思われます。

ただし、現在の方式による市区町村変遷情報の編集作業においては、根拠のリンク先を追加していくことは、あまりに作業の負荷が大きいです。落書き帳記事へのリンク等においても、取捨選択の検討を要することもあり同様です。あくまで、数・頻度を絞って試行してみる、ということでよろしくお願いいたします。

なお、根拠規定については、市区町村変遷情報の将来構想の一環として、根拠規定のデータベース化も含めて、市区町村変遷情報のデータベース案(リニューアル)のたたき台をグリグリさんに提案しているところです(>皆様)。ホントのたたき台ですが。
将来構想(長期の将来構想)は膨らみます。

――――――――――
さて本題へ戻って。今回の件、Issieさんの[80429][80430][80431]を反映して、修正しました。
  1941(S16).4.19付け新設合併での高座郡相模原町誕生1948(S23).9.1付け高座郡座間町の相模原町からの分離

なお、簡易アーカイブズ機能を使った、旧座間町の分離についてをリンク先に設定しようとすると、なぜかうまく表示できませんでした。
不具合の理由は何か不明でしたが(リンク先アドレスの長さか何かの設定に制限はかかっていませんでしょうか?)、このリンク先の設定がうまくいかなかったため、とりあえず、記事番号[80429][80430][80431]を個別に設定しました。やはり記事集にした方が、閲覧者にとっても、作業する私どもにとっても便利だと考えますので、また確認していただけるとありがたいです(>グリグリさん)。
[80457] 2012年 3月 29日(木)21:46:4188 さん
「揺らぎ」と「誤り」の違い
[80452] グリグリ さん
ところで、揺らぎ文字というのはどの程度確実なものなのでしょうか。複数の表記が混用されている場合に揺らぎ文字であると判断できる訳ですから、それは十分条件であって、別表記がないからと言って揺らぎ文字ではないと言えない訳ですよね。

野については、例えば、上野原市や田野畑村などは、上ノ原市、上原市、田の畑村、田畑村などの揺らぎと捉えることもできるのではないでしょうか。長野原町、脇野沢村なども同様で、揺らぎ文字かどうかの判断は難しいですね。やはり、混用されている事実が重要で、その場合に使われる文字という考え方しかできないのでしょうね。

私の認識している「揺らぎ」と、グリグリさんの認識している「揺らぎ」とは、まったく別物のようです。

私の意図する「揺らぎ」は、正式な根拠規定自体が不明で、参考(あくまで「参考」)となる文献により「ノ」「之」等が混在し、本当の自治体名が「ノ」「之」いずれかであるがかが特定できないもの。

例えば「上野原市」は、由来が「上」+「原」で、助字(接続語といってもいい)の表記としてとして「ノ」「之」ではなく「野」を使ったとしても、あくまで根拠となる総務省告示が「野」であれば、正式な自治体名が「野」であるのは明白。仮に文献によって「野」となるべきところが「ノ」「之」等であったとしても、それはあくまで「誤字」であって、「揺らぎ」ではない。

との観点です。

文献により混在していても、根拠規定の明確さの違いにより、「揺らぎ」か「誤字」か、が、明白である、との観点です。
[80444] 2012年 3月 29日(木)00:08:47【1】88 さん
総理庁告示以前の官報広告
[80421] hmt さん
No.20 阿知須町分立は、地方自治法になってからの 1947/11/23実施ですが、告示は半年以上前だったのでしょうか。
[80441] hmt さん

実は、[80421] hmt さんの上記投稿を受けて官報情報検索サービスで再確認していると、大発見しました。
[80441] hmt さん 関係も含めて、以下に3件記します。

◎町設置
昭和二十二年十一月二十三日から山口市のうち大字阿知須を分ちその区域をもつて阿知須町を置きその属する郡の区域を吉敷郡に定めた。
昭和二十二年十二月
山口県
昭和22年12月19日 官報第6281号 209頁 「広告」欄

●町村変更
三島郡片貝村は昭和二十二年十一月三日、町となつた。
昭和二十二年十一月
新潟県
昭和22年11月17日 官報第6253号 99頁 「広告」欄

●町村変更
岡山県児島郡福田村は福田町とすることを許可し昭和二十二年十二月九日からこれを施行した。
昭和二十三年一月
岡山県
昭和23年1月19日 官報第6300号 68頁 「広告」欄

――――――――――
総理庁設置はS22.5.3であり、S24.5.31まで存在しますが、「総理庁告示」により市町村の廃置分合等がなされたのは、S23.4.2付け総理庁告示第25号による青森県上北郡大三沢町設置が最初です。
これ以前は、上述のように、府県告示?であり、官報という「公報」に掲載されたようです。
もちろん、府県の公報に掲載されたものもあるでしょう。
「公告」でなく「広告」欄です(正確には旧字体の「廣告」)。
「広告」には、「町設置」等のほかには、「公示催告」「公示送達」「漁業財団」「工場財団」「鉱業財団」などの見出しが並んでいます。
上述の3件以外にもまだ官報の「広告」欄に搭載された例があるかとは思いますが、そこまで調査が至ってません。

また、この時期の根拠規定の精査も改めて実施中ですが、整理がまだできていません。整理できればまた投稿したいと思います。

――――――――――
[80443] 紅葉橋律乃介 さん
ほぼ調査を終えましたが、少々お待ちを。
[80419] 2012年 3月 21日(水)22:20:2988 さん
Re:戦時合併 と その解体 続編 (3)戦時合併→戦後分離 の事例集
[80416] hmt さん
まとめていただいたご紹介のリストを基に、官報情報検索サービスで総理府告示等を調査した結果をご紹介します。とりあえず、事実のみの報告で失礼します。
告示年月日、告示番号を記載しているのは、今後、さらなる検証の際の便宜を図るためでもあります。

No.町村特別措置告示年月日告示番号施行年月日
1秋田県秋田郡飯田川町S25.11.24総理府告示第322号 S25.10. 1
南秋田郡豊川村S25. 6.12総理府告示第192号 S25. 7. 1
2河辺郡豊島村S25. 6. 9総理府告示第184号 S25. 7. 1
3茨城県稲敷郡源清田村S24. 9. 5総理府告示第62号 S24. 8. 1
4埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町S25.11.25総理府告示第327号 S25.11. 1
5北埼玉郡騎西町他4村
6,7秩父郡皆野町他4村
8,9,10北足立郡志木町,内間木村,宗岡村,水谷村×S23. 4. 2総理庁告示第30号S23. 4. 1
11北葛飾郡静村,豊田村S24.11.15総理府告示第135号S24.10. 1
12神奈川県高座郡座間町×S23. 9.21総理庁告示第164号 S23. 9. 1
13三浦郡逗子町S25. 6.12総理府告示第191号S25. 7. 1
14富山県射水郡※新湊町S25.11.25総理府告示第328号S26. 1. 1
射水郡※牧野村S25.11.25総理府告示第329号S26. 1. 1
15三重県名賀郡箕曲村S24. 8. 1総理府告示第45号S24. 8. 1
16滋賀県甲賀郡柏木村×S23.11.20総理庁告示第207号 S23.10.10
17伊香郡伊香具村×S23. 5.22総理庁告示第104号S23. 5.10
18岡山県苫田郡新加茂町S26. 3.29総理府告示第47号 S26. 1. 1
19広島県賀茂郡寺西村S25. 6. 9総理府告示第185号 S25. 4. 1
20山口県吉敷郡阿知須町
21吉敷郡※小郡町S24.12.21総理府告示第164号 S24.12.21
22都濃郡※富田町×S24.11.15総理府告示第136号S24. 8. 1
都濃郡※福川町S24. 9.16総理府告示第73号S24. 9. 1
23愛媛県喜多郡河辺村×S26. 2. 5総理府告示第15号S26. 1. 1
24宇摩郡松柏村S25.11.24総理府告示第325号S25.10. 1
25高知県高岡郡新居村S24. 6.27総理府告示第11号S24. 4. 1
26香美郡山南村,徳王子村,富家村,香宗村×S23. 4. 2総理庁告示第31号S23. 4. 2
27熊本県飽託郡池上村S24.10.25総理府告示第110号S24. 9. 1
28飽託郡城山村,高橋村×S25.10. 4総理府告示第285号S25. 5. 1
29八代郡郡築村S25. 7.20総理府告示第235号S25. 7. 1
30大分県直入郡豊岡村S25.10.17総理府告示第300号S25. 9. 1

注釈
・特別措置欄
○:地方自治法の一部を改正する法律(昭和23年法律第179号)附則第2条第5項の規定による分立・分割
×:地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条による分立・分割
注:この時期の地方自治法第7条は、地方自治法の一部を改正する法律(昭和22年法律第169号)による改正後のものが適用。

・郡欄
※:市の一部が分立したため、属する郡の区域を定める総理府告示が別途存在する。
ただし、4 埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町は、川口市から分立の告示中に「北足立郡」との記載がある。


――――――――――
根拠法令(抜粋)
地方自治法の一部を改正する法律(昭和23年法律第179号)
附則
第二条 昭和十二年七月七日から同二十年九月二日に至るまでの間において、市町村の区域の変更があつたときは、その変更に係る区域の住民は、第七条の規定にかかわらず、本条の定めるところにより、従前の市町村の区域でその市町村を置き、又は従前の市町村の区域の通りに市町村の境界変更をすることができる。
2 前項の処分は、政令の定めるところにより、市町村の選挙管理委員会に対し、変更に係る区域の住民で選挙人名簿に登載されている者の総数の三分の一以上の者の連署を以て、その代表者から、これを請求しなければならない。
3 前項の請求があつたときは、選挙管理委員会は、請求を受理した日から三十日以内に、当該区域が従前属していた市町村の選挙人の投票に付さなければならない。
4 第二項の規定による区域が現に存する他の市町村に属していた場合においては、前項の投票に関する事務は、同項の規定にかかわらず、その市町村の選挙管理委員会がこれを管理する。この場合において必要な事項は、政令でこれを定める。
5 第三項の投票において有効投票の過半数の同意があつたときは、委員会の報告に基き、都道府県知事は、当該都道府県の議会の議決を経て市町村の廃置分合又は境界変更を定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。
6 前項の場合において第一項の市町村の区域の変更に伴い処分した財産があるときは、現に存する市町村は、これが現に存する限度において、議会の議決を経てその変更に係る区域が従前属していた市町村に返還しなければならない。
7 前項の財産処分に不服がある市町村は、裁判所に出訴することができる。
8 第五項の規定による届出を受理したときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。
9 政令で特別の定をするものを除く外、地方自治法第二編第四章の規定は、第三項の規定による投票にこれを準用する。

地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条
(地方自治法の一部を改正する法律(昭和22年法律第169号)によるもの)
第七条 市町村の廃置分合又は市町村の境界変更は、関係市町村の申請に基き、都道府県知事が当該都道府県の議会の議決を経てこれを定め、内閣総理大臣に届け出なければならない。所属未定地の市町村の区域えの編入も、また、同様とする。
2 都道府県の境界にわたる市町村の境界の変更は、関係のある普通地方公共団体の申請に基き、内閣総理大臣がこれを定める。
3 前二項の場合において財産処分を必要とするときは、関係市町村が協議してこれを定める。
4 前三項の申請又は協議については、関係のある普通地方公共団体の議会の議決を経なければならない。
5 第一項の規定による届出を受理したとき、又は第二項の規定による処分をしたときは、内閣総理大臣は、直ちにその旨を告示しなければならない。

告示の例
●総理府告示第三百二十七号
市町の廃置分合
 地方自治法の一部を改正する法律(昭和二十三年法律第百七十九号)附則第二條第五項の規定により、昭和二十五年十一月一日から、埼玉県川口市のうち、旧鳩ヶ谷町の区域を分け、その区域をもつて北足立郡鳩ヶ谷町を置く旨、埼玉県知事から届出があつた。
 昭和二十五年十一月二十五日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百六十四号
市町の廃置分合
地方自治法の一部を改正する法律(昭和二十三年法律第百七十九号)附則第二條第五項の規定により、昭和二十四年十一月一日から、山口県山口市のうち大字小郡上郷及び小郡下郷を分け、その区域をもつて小郡町を置く旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十二月二十一日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百六十五号
郡の区域の境界にわたつて設置された町の属する郡の区域を定める処分
地方自治法第二百五十九條第三項の規定により、山口県小郡町の属する郡の区域を吉敷郡に定める旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十二月二十一日
内閣総理大臣 吉田  茂

●総理府告示第百三十六号
市町の廃置分合
地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十四年八月一日から、山口県徳山市のうち大字富田を分け、その区域をもつて富田町を置く旨、山口県知事から届出があつた。
昭和二十四年十一月十五日
内閣総理大臣 吉田  茂
[80341] 2012年 2月 26日(日)23:38:3188 さん
変遷情報検索 異体字等の同一視について
市区町村変遷情報に関して。

[80268][80316] 中島悟 さん で、多数のご指摘をいただいていますが、中島悟さんもおっしゃるように、今回のご指摘の内容は、大きく分けて次の3つに分けられると考えられます。
(1)明らかに別の字であり、入力時の誤りである
(2)旧字体・新字体等が入力の際に一貫しておらず、入力時の誤りである
(3)当時としても表記の揺れがあったと思われ、文献によって表記に揺れがあり、本当の「漢字」を特定することが困難

(1)は言い訳のしようのないで誤りであり、精査し、順次修正していきます。
(2)は各文献を鵜呑みにしたり、編集作業時にその場しのぎで統一方針が定まっておらず誤ったもので、これも順次修正していきます。
(3)は悩ましく、調査も困難を極めるのですが、そのままではデータベースとしての機能が不十分であるので、判断をして何らかの結論を出し、順次修正していきます。

いずれにせよ、市区町村変遷情報においては、その名のとおりあくまで「変遷」をまとめたものであり、途中でいつの間にか名称が変わっていたり、不連続になってしまうことは許されません。変更するためには、改称手続きや、その他の変更するだけの理由が必要です。

(1)(2)(3)とも、内容により調査・作業にかかる時間は差がありますが、少しずつ既に対応しています。詳細については、まとめてレスします。

――――――――――
変遷情報検索の件。
[80316] 中島悟 さん
誤字はともかく、「ヶ」「ケ」以外も異字体を一括検索できるようにはならないでしょうか?
これは、前述の入力そのものの誤りの件とは別に、変遷情報検索の利用者の便宜を図るための観点で、異体字等を同一視する検索システムのご提言であると考えます。
例えば、「一ノ宮村」と思って検索しても想定したデータを発見できず、実は正式な村名は「一之宮村」であった場合。
本人が気づけば、「一之宮村」で再検索すれば事なきを得るのですが、「ない」「検索の不具合だ」となってしまっては元も子もないです。
こういった事態を避けるためにも、現在の
「ヶ」と「ケ」を区別しない
と同様に、便宜を図ろうとするものです。

[80319] グリグリ さん からもありましたが、以下に、「ヶ」「ケ」と同様の、私なりの案を示します。もし、他に何か対象とした方が良いものがあれば、お教えいただければ幸いです。

なお、以下に挙げるものをすべて対象とすると決定した訳ではありません。対象を広げ過ぎると、多大な負荷を与え、かえって検索の性能に影響を与えることがあり、利用者の便宜に逆行するおそれがあるからです。
グリグリさんから、いくつか試行し、その影響を検証してみようとの話がありましたので、それに先立ち示すものです。
なお、例は、実在するものとは限りません。イメージとして例示するものです。
番号対象備考
1ノ, の, 之, 野一ノ宮, 一の宮, 一之宮, 一野宮一宮 をこれに加えるのは困難か
2ヶ, ケ, が関ヶ原, 関ケ原, 関が原関原 をこれに加えるのは困難か
3島, 嶋
4曽, 曾
5館, 舘
6沢, 澤
7滝, 瀧
8竜, 龍
9篭, 籠
10条, 條
11峰, 峯, 嶺
12弥, 彌
13岳, 嶽
単に旧字体・新字体の差異もあれば、異体字もあります。[74087]拙稿で「旧字体・新字体の表記方法について」として方針を述べています。
[80302] 2012年 2月 18日(土)08:41:1288 さん
地名の成り立ち
[80276][80281] EMM さん

門前町門前の件、[80271]拙稿の投稿前に輪島市門前町門前付近の地図で、各字の境が錯綜していることは確認していました。例えば参道は沿道の家屋敷地と異なり切り取ったように「門前町門前」であることも。
M22.4.1の市制町村制施行前に、「門前村」や「走出村」があったこともあり、そのままの投稿となったわけですが、確かに、おっしゃるように「スジ悪」であったようで、 門前町剱地などを挙げれば、紛れもなく、私の趣旨の主張は全く問題はなかったところです。
正式な住所表示が明白な輪島市門前総合支所(旧門前町役場)の住所の例にこだわり過ぎたのは反省点です。

――――――――――
#以下は特にEMMさんあてに限定したものではありません。念のため。
#異論がある方ももちろん多いとは存じますが、観点の一つとして見ていただければと思います。

私が近世村に主眼を置いているのは確かですが、その理由は、単に近世村であるからではなく、さらに遡ると・・・自然発生的に生まれた「自然地名」につながる、ということを見据えているからです。
私の[80270][80271]では、記事番号を紹介しただけで内容には触れなかったのですが、私のもっと根底の主張は、[61545][61847]で述べています。
[61545]
「地名」を、長い歴史の中でたかだか100年しか存在しない「現在の住民」に、恣意的に決定する権利があるのかどうか、個人的には大いに疑問を持っています。「現在の」住民の感覚で判断するからさまざまな誤解が生じるのではないか、と。
[61847]
人類は地上で集団生活をしなければ種の保存も個体の保存も不可能であった。いつ(季節・時間)、どこ(地名)にいけば、どんな食料が得られ、あるいはどんな危険があるのか、集団生活で周知しあわなければ生きていけなかった。多層、多重の集団社会では『あそこ』『こっち』と言う代名詞だけでは円滑なコミュニケーションは成り立たず、必然的に、場所を特定するための言語=地名を大地の部分に命名して使いこなす必要があった。
(「こんな市名はもういらない!」(楠原佑介著、2003年4月30日初版発行、東京堂出版)の要約)
あとから命名した「人為地名」ではなく、その地に人類が初めてつけた、自然発生的な地名こそが、1000年前でも、現在でも、1000年後でも、どの時代でもたかだか100年しか生活しない、「点」に過ぎない個々の「ヒト」が、「線」となった「人類」として見た場合に、「自然地名」が普遍的に最も歴史性を備えた地名であると考えています。

全体の印象として。すごく大雑把な、個人的な印象かもしれませんが、城下町等により開発された地区よりも、いわゆる農村地区の方が、人類が生活し始めて自然発生的に生まれた「地名」が、現在に至るまで残っているように感じます。

私の居住する「高松」も、500年前に他地域の地名を持ってきて命名された、『新しい』地名です。
元々は讃岐国香東郡篦原(のはら、野原とも)郷です。天正15年(1587年)8月、生駒親正が前領主に代わって讃岐国の領主となり、その翌年天正16年(1588年)から城を築き、それまでの高松左馬之助の居城があった郊外の「高松郷」の名を採って、城下を高松、城は高松城(玉藻城)と呼びました。源平の屋島の合戦以来全国によく知られた高松に、との意識もあったようです。
本来の「高松」は、現在の高松市高松町。山田郡高松郷で、「高松」の由来は各説あります。
・古くからこの地に「大松樹」があった(翁媼夜話)
・当地では中国から渡来した漢民族の居住地には高を用い、格別に松をめでたい木としたものから、高松はこの渡来人の居住地に由来(高松地名考)。
「高松郷」の名は、平安期「和名抄」(和名類聚抄)にも見えます。
この「高松」は、城下の「高松」と区別するために江戸期からは「古高松」と呼ばれました。
#参考資料
・「角川日本地名大辞典 37香川県」(角川書店、「角川日本地名大辞典編集委員会編、昭和60年10月8日平成5年2月25日」)
・「香川県の歴史」(山川出版社、木原博幸・丹羽佑一・田中健二・和田仁著、1997年10月25日第1版第1刷発行)
・「香川県史 第三巻 通史編 近世I」(平成元年2月28日発行、香川県編集・発行)
・「高松城主とその時代」(高松市歴史民俗協会、越智繁杉著、昭和62年3月初版、平成8年10月改訂)
高松城の歴史 (高松市HP内)
現在でこそ「高松市」ですが、「篦原市」「野原市」となっていた可能性も十分ある、その方が、歴史性はある、ということを、私は思い出したように意識することが多々あります。

もちろん、この500年の人類の「歴史」を、他の生物とは異なり、人類特有の文明とともに歩んできた発展の歴史として、ともに歩んできた地名を肯定的に捕らえる考え方もあると思います。
地域要因・個別要因によるのでしょうが、当地付近では、「和名抄」にもある地名が、大字等として多数残存しているように感じます。
[80298] 2012年 2月 16日(木)22:44:4388 さん
真鶴町・・・ 誤)静岡県、 正)神奈川県 / 誤)まなづるちょう、正)まなづるまち
[80296] 白桃 さん
[80295][80297] hmt さん
実は、[64779]拙稿の投稿直後(ただし30時間の訂正可能時間後)に自ら気づいていました。

しかし、どなたからもご指摘の投稿はなく(気づいていた方はいらっしゃるかもしれませんが)、[64866] YSK さん に真鶴町は「まなづる」町か、「まなつる」町か? の新規アーカイブの編集を行って頂いた後も同様でした。

それが今回、4年近くの歳月を経て、この誤りが脚光を浴びてしまいました。
改めてお詫び申し上げます。

もちろん、今回の誤りは、私が真鶴町を含む当該地域が、神奈川県か静岡県か、の意識が希薄であることによるものです。

[80295] hmt さん
【注】結論部(4)に真鶴町(まなづるちょう)と書いてありますが、まなづるまち ではないでしょうか?
これも、私が在住している地域を含め近隣は軒並み自治体の「町」は「ちょう」であることから、無頓着に記述したものです。

>グリグリさん(でいいのでしょうか)
せっかくですので、 [80296] 白桃 さん、[80295][80297] hmt さん、本拙稿も、前述のアーカイブに補う形で追加をご検討いただけますでしょうか?

今更ですので、[64779]拙稿はそのまま晒しておいていただければ、と思います。
[80273] 2012年 2月 11日(土)13:44:2188 さん
市区町村変遷情報 障害発生中です
各位

現在、市区町村変遷情報に障害が発生し、表示に不具合が出ているようです。
グリグリさんに対応を依頼しますので、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。

以下、業務連絡。
>グリグリさん
詳細は別途メールで送付します。よろしくお願いいたします。
[80271] 2012年 2月 11日(土)12:30:50【2】88 さん
合併に際しての地名の表記について その2(主張編)
[80270]の続きです。

■4 香川県三豊市
最後に、災害報道ではありませんが、同様のことが行われている(参考HP)、地元香川県の例を示しておきます。
(参考:H18.1.1付け香川県告示第1号 (pdfファイル、三豊市発足時の字の名称変更の告示))
「郷」の観点を加味しています。「郷(ごう)」とは、「角川日本地名大辞典37香川県」によると、次のとおりです。
霊亀元年に、令制で50戸1里の里を改称したもの。国郡制の最末端の行政区画である。平安中期には、約4,000郷を数えたが、平安後期から律令制の郷制は崩壊し、別に50戸1郷にこだわらない自然村落的郷が発生、太閤検地の村制まで続いた。江戸期以降は単なる広域にわたる地域称になったと思われるが詳細は不明。
近世村平成の合併前誤用(現在)正式私案簡潔版
三野郡大見村大見郷三豊郡三野町大字大見三豊市三野町三豊市三野町大見三野市大見大見
三野郡下高瀬村高瀬郷三豊郡三野町大字下高瀬三豊市三野町三豊市三野町下高瀬三野市下高瀬高瀬
三野郡上高瀬村高瀬郷三豊郡高瀬町大字上高瀬三豊市高瀬町三豊市高瀬町上高瀬三野市上高瀬高瀬
三野郡上勝間村勝間郷三豊郡高瀬町大字上勝間三豊市高瀬町三豊市高瀬町上勝間三野市上勝間勝間
三野郡大野村本山郷三豊郡山本町大字大野三豊市山本町三豊市山本町大野三野市大野本山(大野)
三野郡財田西村財田郷三豊郡山本町大字財田西三豊市山本町三豊市山本町財田西三野市財田西財田
三野郡財田中村財田郷三豊郡財田町財田中三豊市財田町三豊市財田町財田中三野市財田中財田
「財田」は、
古くは財田村1村であったものが、財田上・財田中・財田西の3か村に分かれて成立した
(西讃府志・・「角川日本地名大辞典37香川県」の記述)とのことです。
「高瀬」は、そもそも平安期からある「高瀬郷」が、「いよたいとう」(伊予大道、伊予に通じる大道)を境に南東を半分、北西を下半分とする中分が鎌倉末期に行われ、上高瀬・下高瀬の呼称はこれに由来するもののようです(前掲「角川日本地名大辞典37香川県」)。

――――――――――
さて、ここからは、主として私の主張です。
「五條市大塔町」の件。
土砂ダムの所在地もが「五條市大塔町の赤谷地区」「五條市大塔町赤谷」という誤った表現が行われています。
間違いを指摘云々ということより、地名としては明治の町村制以降のわずか120年(仮に大塔宮護良親王の時代から「大塔」と呼ばれていたと仮定しても700年ほど)によって旧大塔村の範囲を一纏めにしていまっています。近世村であって少なくとも数百年から(延喜式の時代まで遡るとすれば)千年以上の歴史を持つ「清水」を軽視しています。
何よりも、現在の住人にとって、「この間まで大塔村であった」ということだけが眼中にあり、「今回の合併前の町村名を尊重する」というという観点だけで、「五條市大塔町」「五條市大塔町」と連呼し、結果的に、明治の合併前の自治体名であり「大塔」よりも歴史のある「清水」を無視し、意識の彼方に押しやっている、ということになっていると考えます。

「輪島市門前町」の件。
合併を重ねて自治体である 鳳至郡 門前町 となった以降、輪島市との合併前までは、自治体名を表示して「門前町」と呼称することは自然でしょう。広義に解釈すれば、周辺一体が「門前」との考え方もあり得ますが、あくまで、元々の「門前」とは別の、歴史ある地名は「走出」等である、ということを念頭において、の条件付きですが。
しかし、自治体が輪島市となった現在、自治体名である「輪島市」と呼称することは自然として、それと組み合わせての表記が、ここ70~50年しか「門前町」(歴史の浅い「門前」)で代用して呼称して「輪島市門前町」で一括りにしてしまうことは、結果的に歴史の深い「走出」などを軽視していることつながります。「走出」の区域について、「門前」と「走出」のどちらで呼ぶことが長い歴史・地名の観点から適切なのか、と考えます。今現時点の住民の観点ではなく、千年以上前の住民の観点、千年後の住民の観点を意識した上で、今、「輪島市門前町」と、呼称しているのでしょうか。
「『門前』が由緒ある地名である」と言うの反論に対して。市制町村制施行前の鳳至郡門前村の区域がが本来の「門前」であり、どこの範囲でもよいから「門前」を呼称すればよい、というものではないでしょう。
「地名は変わっていくのが当然だ」「今の住民が呼ぶことに問題はない」という反論に対して。逆に質問すると、50年後・100年後の住民が、「門前」という呼称を「そんなのは古くて流行らない」と言い出して「門前」を消す場合でも、一切文句は言える立場ではない、ということです。

(旧)大塔村の範囲を(例えば「清水」を付さずに)自治体名ではない「大塔町」と呼ぶこと、(旧)門前町の範囲を(例えば「走出」を付さずに)自治体名ではない「門前町」と呼ぶことは、一種の「“デッチ上げられた”地名」であると考えます。

「三豊市○○町」の件。
ここ40年ほどの三野町・高瀬町・山本町・財田町の区分、現在の住民の観点ではなく、古来(平安期以降)からの「高瀬」「財田」の範囲を意識することが肝要であると考えます。
「財田」を「山本町」と呼び、「高瀬」を「三野町」と呼び、「勝間」を「高瀬町」と呼ぶ・・・。
せめて、それぞれ「山本町財田西」「三野町下高瀬」「高瀬町上勝間」と地方自治法第260条第1項の「字」(大字)のとおり正確に呼ぶか、いっそのこと、単に「三野市財田西」「三野市下高瀬」「三野市上勝間」と呼ぶ(正式に字も改称する)ことが、そもそもの由来に則した呼び方であると考えます。

――――――――――
「平成の大合併を検証する」という観点に関心を持っている方々も大勢いらっしゃいます。それとは別に、「平成の大合併により地名表記はどうなったのか」について、私は大いに関心を持っています。合併の功罪ばかりに視点が行き、個々の住所・地名の表記(正式なもの、報道等により耳にするもの)に世間ではあまり関心がない、ということに懸念を持っています。
明治の大合併や昭和の大合併のときには、古来からの近世村を、「大字」や自治体の中の「町」として残し、「『町村制』村」は、学校名や郵便局名等として残存しても、限定的であったように感じます。もちろん、私自身は合併当時を直接は知りませんので、平成の大合併前の状況から鑑みて、の考えですが。
それに比して、平成の大合併においては、今回の合併前の町村名(その多くが昭和の大合併の時の自治体名)を尊重するという「タテマエ」の下に、古来からの近世村を軽視しているように感じられます。
#この件については、私も過去に[51540][61545][61847]などで、ついつい力を入れて語っています。「三豊市」「三野市」についても[51540]にて。

地名(住所)表現の基本は、次のとおりであると考えます。
・「自治体名」+「近世村を踏襲した町名・大字名」+(※)
・「自治体名」+「政令市の区名(合併特例区名・地域自治区名等)」+「近世村を踏襲した町名・大字名」+(※)
(※)は、
・小字名(地番区域であるものに限る)+地番による住所表示(○○番地)
・街区符号+住居番号(住居表示実施区域)
#「住所」については、かねてからの予告どおり、詳細を執筆中です。


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